協議・合意制度の意義とその適用における 検察官の裁量
星 周一郎
目 次 はじめに
一 前史──ロッキード事件大法廷判決と従前の学説 二 協議・合意制度の創設に至る経緯
三 現行法の規定
四 協議・合意制度の適用例
五 協議・合意制度の意義と適用判断
六 刑事訴訟法と刑事実体法・刑事政策との有機的連携──まとめに代えて
はじめに
平成
28(2016)年の改正刑事訴訟法により導入され、平成 30(2018)年 6
月から施行された協議・合意制度(日本版司法取引)については、本稿執筆時 点において、すでにいくつかの適用事例がみられるようになっている。同制度の最初の適用例とされる事案は、被告人が、その属する法人(企業)
の、いわば業務の一環として行ったとする評価の余地もある事実関係に関して、
法人と検察とが合意をし、被告人を訴追した、という構図のものであった。そ のため、同制度導入時に議論の対象となった懸念が現実に生じているのかでは ないか、という批判もなされている。すなわち、法人に対する協議・合意制度 の適用の可否に関連して、法人が合意主体となりうることを前提とすると、協 議・合意制度の対象となり両罰規定のある犯罪類型の実行行為に関して、業務 の一環として行った当該法人の役員や従業員等を「他人の刑事事件」と位置づ
けて、法人自身の刑事処分の軽減等を内容とする合意が、果たして同制度の趣 旨に適合するのかが、同制度導入時に議論されたわけである。そして、この適 用第一号とされる事案は、まさにそういった懸念が現実化したものではないの か、との議論も生じたのである。
協議・合意制度に関しては、施行されてからまだ間もない時期でもあるため、
事案の集積という点では、いまだ不十分な段階であるとはいえる。とはいえ、
現実にいくつかの適用例が生じてきている現在、同制度の目指すものが何であ るかを再確認し、その適用のあり方について若干の検討を加えることにも、相 応の意義があると思われる。
本稿では、このような問題意識から、協議・合意制度の意義について、若干 の検討を加えることにしたい。
一 前 史──ロッキード事件大法廷判決と従前の学説
いわゆる司法取引がわが国で大きな問題となったのは、昭和
51(1976)年
に発覚したロッキード事件であった。民間航空会社の購入機種選定をめぐる一 連の汚職事件である同事件は、現職の内閣総理大臣に対する外国企業からの贈 収賄事案として、世界的な注目を浴びた大事件ともなった。その捜査の過程で、東京地検検察官は、当時アメリカに在住していた贈賄側 のAらに対する証人尋問を、国際司法共助としてアメリカの管轄司法機関に嘱 託されたい旨を、東京地裁裁判官に請求した。この請求に関して、紆余曲折を 経た上で、最終的には、検事総長による、Aらを将来にわたり公訴を提起しな いことを確約する旨の宣明、また、最高裁判所による、検事総長の確約が将来 にわたりわが国の検察官によって遵守される旨の宣明が、それぞれ管轄司法機 関であるアメリカ連邦地方裁判所に伝達された。これに基づいて、Aらに対す る証人尋問が行われ、同人らの証人尋問調書等が、順次、わが国に送付され
た1)。
この、刑事免責を付与した嘱託尋問調書の証拠能力について、最大判平成
7
年2
月22
日(刑集49
巻2
号1
頁)は、刑事免責制度を、「自己負罪拒否特権 に基づく証言拒否権の行使により犯罪事実の立証に必要な供述を獲得すること ができないという事態に対処するため、共犯等の関係にある者のうちの一部の 者に対して刑事免責を付与することによって自己負罪拒否特権を失わせて供述 を強制し、その供述を他の者の有罪を立証する証拠としようとする制度」とし て位置づけた。その上で、最高裁は、わが国の憲法が、このような刑事免責制 度の導入を否定しているものとまでは解されないが、刑訴法は、この制度に関 する規定を置いていないため、制度として採用していないというべきあり、刑 事免責を付与して得られた供述を事実認定の証拠とすることは許容されない旨 を判示して、同嘱託尋問調書の証拠能力を否定した。刑事免責制度について、従前は、「『供述』を『免責』というえさで釣るよう な、犯人との取引のにおいがするので、わが国では不適当とする意見が強」
く2)、この種の立法もないことから、運用上も許されないという考えが強かっ た3)。この最高裁判例は、こういった見解を確認したものではあったが、刑事 免責制度に関して、憲法が禁止するところではなく、立法化それ自体は可能で あることを同時に示すものでもあった。
同判決の下された直後には、刑事免責制度をはじめとする司法取引制度に関 して、「そのような手法を不公正で、わが刑事司法制度上異質なものだとする 見方が、どれほどの実質的な根拠を有するものであるかが疑わしいとすれば、
わが国においても、そのような手法を必要とする状況の現出に応じ、その採否
─そして、それを採用するとすれば、その適切な要件や手続─を真剣に検討す
1) この間の経緯について、さしあたり、藤永幸治ほか編『大コンメンタール刑事訴 訟法第5巻〔第2版〕』(2013年)82頁以下〔吉田博 〕、井上正仁「刑事免責と嘱 託尋問調書の証拠能力⑴」ジュリスト1069号(1995年)13頁以下など。
2) 田宮裕『刑事訴訟法』(1992年)334頁。
3) 松尾浩也『刑事訴訟法(上)〔新版〕』(1999年)253頁など。
べきときが、いずれはやって来るように思われる」とする有力な指摘もなされ るに至る4)。しかしながら、そのような立法の動きは、その後もしばらく具体 化することはなかった5)。
二 協議・合意制度の創設に至る経緯
1.「郵便不正事件」と検察不信
ところが、平成
28(2016)年になって、刑事訴訟法の一部改正によって、協
議・合意制度、刑事免責制度が立法的に導入されるに至る。改めて述べるまで もなく、この平成28
年刑事訴訟法一部改正は、これらの制度の導入にとどま らず、以下で述べるように、証拠収集等に関して、幅広く様々な改革をするも のであった。この刑事訴訟法改正の契機となったのは、平成21(2009)年に
表面化したいわゆる郵便不正事件において、事件当時の厚生労働省課長が無罪 と認定された事案である。これは、前記厚生労働省課長であった被告人に対する、部下職員および実体 のない障害者団体の会長らと共謀の上、この部下職員に指示して、当該障害者 団体が郵便割引の適用対象となる団体であるなどを記載した、心身障害者団体 用の郵便割引に関する内容虚偽の公的証明書を発行したとする旨の、虚偽有印 公文書作成・同行使での起訴に対する判断である。本件の争点は、被告人と共 犯者らとの共謀の成否とされたが、被告人の指示を受けて本件公的証明書を作 成し,被告人に交付した旨の部下職員の検察官調書は、特信性がないとしての 証拠能力が否定されるなどした。そして、最終的には、被告人に対する無罪判
4) 井上正仁「刑事免責と嘱託尋問調書の証拠能力⑵」ジュリスト1072号(1995年)
144頁。
5) 酒巻匡「刑事免責(訴追免除)制度について─供述強制制度の立法論的考察」
ジュリスト1148号(1999年)252頁参照。
決が言い渡された6)。
なお、本件事件の捜査に関しては、大阪地方検察庁特別捜査部に所属の、本 件捜査の主任検察官による証拠(フロッピーディスク)の改ざん(特殊なソフ トウェアを用いた、フロッピーディスクのプロパティ情報〔最終更新日時〕の 書き替え)が発覚し,検察庁内部での検証が行われるなどしたほか、当該検察 官が証拠隠滅罪(証拠の変造)で起訴された。このフロッピーディスクに関し ては、前記厚生労働省課長の関与を否定する旨の、部下職員の公判供述を裏づ ける有力な客観証拠として、当該改変前のフロッピーディスクのプロパティ情 報の存在が指摘されていた。そのことから、改変されたフロッピーディスクは、
当該課長の無罪主張を裏づける重要証拠と評価できることなどから、他人の刑 事事件に関する証拠を変造したとして、当該主任検察官であった被告人に対し て、証拠隠滅罪で、懲役 1 年 6 月の実刑判決が下された7)。
さらには、大阪地方検察庁特別捜査部の部長や副部長という幹部検察官が、
前記の主任検察官による証拠の改ざんに関して、①本件データの改変は過誤に よるものとして説明することになったとして、その旨を説明できる書面の作成 を指示するなどし、本件データが過誤によって改変された可能性はあるが、改 変の有無を確定できず、改変されていたとしても過誤にすぎない旨事実をすり 替えて、自らや他の検察官らを指揮して捜査を行わなかった行為、②所属庁の 次席検事や検事正に対し,「主任検察官がフロッピーディスクのデータに工作 が加えられていないか検証している際、データが過誤により書き換わった可能 性があるが、フロッピーディスクは還付されているため、確認できない」など と虚偽の報告をし、捜査は不要と誤信させて、自らや他の検察官らを指揮して 捜査を行わないようにさせた行為に関して、前記主任検察官に関する犯人隠避 罪で起訴され、大阪高等裁判所は、同罪の成立を認めた原審判決を是認する判 断を示している8)。
6) 大阪地判平成22年9月10日(判タ1397号309頁)。
7) 大阪地判平成23年4月12日(判タ1398号374頁)。
8) 大阪高判平成25年9月25日(高刑集66巻3号17頁、判タ1408号293頁)
このように、郵便不正事件では、厚生労働省課長に対する捜査で、担当検察 官による証拠の改ざんという過去に先例のない職務犯罪まで引き起こし、その 上司にあたる幹部検察官が犯人隠避罪で立件されるなど、「現職検察官ないし 検察庁の重大な不祥事として大きな傷跡を遺し」9)、検察官による捜査・公判活 動の在り方の是非が問われるという、未曾有の事態に発展することになる。
2.協議・合意制度、刑事免責制度導入の提言
このような事態を受けて、平成
22(2010)年 10
月に、「検察の在り方検討 会議」が法務大臣の下に設けられ、「検察の再生に向けて」と題する提言がま とめられた。そこで示された様々な改革案の一つとして、「取調べ及び供述調 書に過度に依存した捜査・公判の在り方を抜本的に見直す」ことが求められた。それを受けて、平成
23(2011)年 6
月に法制審議会に「新時代の刑事司法制 度特別部会」が設置されることが決定された。そして、そこでの議論を踏まえ て、平成25(2013)年 1
月に「時代に即した新たな刑事証制度の基本構想」が 策定された。この「基本構想」では、①取調べへの過度の依存を改め、適正な 手続の下で供述証拠や客観的証拠をより広範囲に収集できるようにするための 証拠収集手段の適正化・多様化、②供述調書への過度の依存を改め、被害者・事件関係者を含む国民への負担にも拝領しつつ、真正な証拠の顕出、被告人側 での必要・十分な防御活動が可能な活発で充実した公判審理の実現、という 2 つの理念と、それを実現するための具体的な検討事項が示された。これによっ て、取調べの録音・録画制度の創設、通信傍受の対象事件の拡大・効率化、被 疑者国選弁護制度の対象事件の拡大、証拠開示制度の拡充、証人等の氏名等の 情報を保護する制度の創設とならんで、協議・合意制度が導入されることとな った10)。
9) 判例タイムズ1408号294頁の匿名コメント。
10) 以上の経緯について、その詳細は、吉川崇ほか「刑事訴訟法等の一部を改正する 法律(平成28年法律第45号)について⑴」法曹時報69巻2号(2017年)31頁以
これらを内容とする刑事訴訟法等の一部改正法案は、平成
28(2016)年 5
月に成立した。そして、協議・合意制度については、平成30(2018)年 5
月 に施行されている。三 現行法の規定
1.協議・合意制度について
以上の経緯を辿って導入された協議・合意制度は、一定の犯罪(「特定犯罪」)
について、弁護人の同意があることを条件に、被疑者・被告人が、共犯者等の 他人の刑事事件の解明に協力行為を行い、検察官が、それを被疑者・被告人に 有利に考慮して、不起訴処分や一定の軽い求刑等をすることを内容とする合意 を、検察官と被疑者・被告人とで行うことを認める、という制度である。他人 の刑事事件の解明について協力行為を行うものであり、一般に、「捜査協力型」
の協議・合意制度と位置づけられている11)。そこには一定の取引的要素が含ま れており、英米における司法取引制度を部分的に取り入れたものといえる12)。 その概要を、以下で簡単に確認することにしたい。
(1) 理論的根拠
この協議・合意制度の理論的根拠は、現行刑事訴訟法で認められている、検 察官の広範な訴追裁量権に求められる。
それを規定する刑事訴訟法(以下、「法」という)248条は、「犯人の性格、
年齢及び境遇、犯罪の軽重及び情状並びに犯罪後の情況により訴追を必要とし
下。
11) これに対して、被疑者・被告人が自己の犯罪を認めることに合意する「自己負罪 型」も想定することができる。
12) 田口守一『刑事訴訟法〔第7版〕』(2017年)173頁。
ないときは、公訴を提起しないことができる」としており、証拠上、犯罪の成 立および被告人の有罪が認定可能と思われる場合であっても、公訴を提起しな いこと(起訴猶予)が認められている。また、審判対象である訴因の設定も、
検察官の専権事項であると一般的に解されている(法
256
条3
項、法312
条1
項)。協議・合意制度の理論的根拠は、この検察官の広範な訴追裁量権にも求めら れる。すなわち、証拠上、成立を認定できる犯罪に関して、公訴を提起しない こと、あるいはその一部のみについて公訴提起をすることも、基本的には、検 察官は訴追裁量権のもとで許容されている。協議・合意制度は、捜査段階以降 における被疑者・被告人との合意を、法
248
条の列挙する諸事情の一部とし て位置づけ、訴追裁量権の行使に反映させるものと理解される13)。(2) 対象罪名(「特定犯罪」)
この協議・合意制度は、すべての犯罪に適用されるわけではなく、「特定犯 罪」として規定されたものに限られる。それは、概して、一定の財政経済犯罪
(法
350
条の2
第2
項1
号ないし3
号)、薬物銃器犯罪(同項4
号)および刑 事司法を妨害する罪(同項5
号)である。対象犯罪の限定は、協議・合意制度が「取引」を本体とするものであるため、
この制度を用いる用いる必要性が高く、利用に適しているという観点、および 被害者をはじめとする国民の理解が得られやすいか否かという観点を政策的に 考慮した結果である14)。それを踏まえて、以上に列挙した犯罪が特定犯罪とさ れたのは、一つには、組織的な犯罪等において首謀者の関与状況等を含めた事 案の解明に資する手法が取調べ以外にはない、という現実的な要請を踏まえた
13) 吉川崇=吉田雅之「刑事訴訟法等の一部を改正する法律(平成28年法律第45
号)について⑶」曹時70巻1号(2018年)77頁以下。
14) 酒巻匡「刑事訴訟法等の改正⑴─新時代の刑事司法」法学教室433号(2016
年)47頁。
帰結である。それだけを考えるならば、組織的になされる犯罪であれば、すべ て特定犯罪にすべきであるようにも思われるが、殺人罪、傷害罪等の生命・身 体に対する犯罪は、一律に特定犯罪から除外されている。これは、やはり、こ の種の犯罪については、他人(第三者)の犯罪事実の解明に協力することと引 き換えに、被疑者・被告人の刑責を軽減するような協議・合意を行うことにつ いて、被害者等の理解を得られにくいとする理由によるものとされる。他方で、
組織的に行われる可能性が高い薬物銃器犯罪、および財政経済犯罪が特定犯罪 とされているのは、その組織性・密行性の高さゆえに、その立証について、供 述証拠への依存度が高くなるため、制度導入の必要性があるとの政策的判断、
換言すれば、協議・合意制度が有効に機能することが予想される犯罪を対象と する意図によるものとされている15)。
繰り返しになるが、特定犯罪に関する列挙は、以上のような政策的な観点に 基づく対象選定の帰結であることは間違いない。だが、その政策的判断の内実 をみると、罪種の選別において、生命・身体に対する罪が一律に除外されてい ることに象徴されるように、保護法益という観点が大きく関係していることが 興味深い。この点については、後に詳細に検討することにするが、協議・合意 制度の適用における検察官の裁量の合理性判断において、特定犯罪の保護法益 が何であるかという観点は、重要な要素になりうるものと考えられる。
(3) 協議・合意の内容
検察官と被疑者・被告人との間で合意の内容となるのは、以下のとおりであ る。
まず、被疑者・被告人が行う協力行為として合意の内容となりうるのは、他 人の刑事事件について、①取調べの際に真実の供述をすること、②証人尋問に
15) 川出敏裕「協議・合意制度および刑事免責制度」論究ジュリスト12号(2015年)
67頁。
おいて真実の供述をすること、③その他の証拠の提出等に必要な協力をするこ とである。
これに対して、検察官による処分の軽減等として合意の内容となりうるのは、
①公訴を提起しないこと、②公訴を取り消すこと、③特定の訴因・罰条によっ て公訴を提起・維持すること、④特定の訴因・罰条の追加もしくは撤回または 特定の訴因もしくは罰条への変更を請求すること、⑤論告で特定の科刑意見を 述べること(求刑)、⑥即決裁判手続の申立てをすること、⑦略式命令の請求 をすることである。
(4) 協議・合意の主体
協議・合意の主体は、検察官と被疑者・被告人である。合意をするためには、
弁護人の同意が必要である(法
350
条の3
第1
項)。被疑者・被告人の自由で 合理的な意思決定を担保するためである。また、法人に関しては、現行法では、いわゆる両罰規定または三罰規定とし ての法人処罰規定が設けられているのみであるが、協議・合意の主体である被 疑者・被告人には法人も含まれると解されている16)。その場合には、合意に関 する手続は、刑事訴訟法の一般規定に従い、被疑者・被告人の代表者である法 人の代表者が行うことになる(法
27
条1
項)。法人が協議・合意の主体とな ることの是非については、後に改めて検討することにしたい。(5) 協議・合意の考慮要素
協議・合意制度は、証拠の収集方法の一つとして導入されるものであり、さ らに、協議・合意制度の理論的根拠が、検察官の有する訴追裁量権にあるとさ れていることから、合意をするか否かも検察官の訴追裁量権に基づく裁量に委
16) 吉川=吉田・前掲注⒀論文91頁。
ねられている。そのため、①協議・合意をすることによって得られる証拠の重 要性、②関係する犯罪の軽重および情状、③当該関係する犯罪の関連性の程度、
④その他の事情を考慮して、⑤必要と認めるときに、協議・合意が可能となる。
この「⑤必要と認めるとき」の具体的な判断は、「『合意の相手方となる被疑 者・被告人の事件について処分の軽減等を行うこととしても、他人の刑事事件 についてその協力を得ることが必要か』という観点から行うことになるものと 考えられる」とされている。その具体的な判断の手掛かり・着眼点が、①ない し④として列挙されていることになる17)。
2.刑事免責制度
また、広義の「司法取引」として一括されることの多い刑事免責制度も、協 議・合意制度と同時に導入された。ここでは、協議・合意制度との異同という 観点を中心に、刑事免責制度についても概観することにする。
(1) 刑事免責制度の意義
刑事免責制度は、憲法で保障された自己負罪拒否特権(憲法
38
条1
項)、およびそれを受けた刑事訴訟法上の証言拒絶権(法
146
条)を失わせて、証 人に対して、尋問に応じてした供述やそれに基づいて得られた証拠を、証人の 刑事事件において証人に不利益な証拠にすることができない旨の免責(「派生 使用免責」)を付与することで、証言を義務づける制度である18)。その理論的根拠は、証言拒絶権が認められる根拠に求められる。それは、当 該証言拒絶の対象となる事項を証言すると、刑事上の責任が問われるからであ る。それゆえ、当該事項に関して証言しても、当該証人が刑事上の責任を問わ
17) 以上について、吉川=吉田・前掲注⒀論文91頁以下。
18) 同上論文174頁以下。
れるおそれがないことが制度上保障されるならば、証言拒絶の対象となる事項 ではなくなり、証人に一般的に課せられている証言義務19)に基づいた証言が義 務づけられることになる20)。
この刑事免責制度は、供述者にとって有利な取扱いをすることを条件とした、
新たな形態での供述獲得手段である点では、協議・合意制度と共通する部分も ある。しかしながら、協議・合意制度は、被疑者等の自発的な供述を誘引する ことを意図するものであるのに対して、刑事免責制度は、供述を強制する趣旨 のものである点で、性質をかなり異にする。また、平成
28
年改正で導入され た刑事免責制度は、証人に対する派生使用免責の付与が、検察官の請求に基づ く裁判によって一方的に行われるという制度設計となっており、制度上、その 点に関して検察官と証人との間で協議・合意が行われることが前提とされてい ない。さらに、証人は、「証言することと引き換えに派生使用免責を得る」わ けではなく、「派生使用免責を付与されることで、自己負罪事項についての証 言を義務づけられる」という構造となっており、証言以外の他の方法での協力 に代替することは認められないという意味で、証人に選択の余地がないものと されている。それゆえ、刑事免責制度の基本構造には取引的要素が含まれてい ないため、協議・合意制度とは、かなり異なる制度であることになる21)。 平成28
年改正における、この刑事免責制度導入の主たる目的は、自己負罪 拒否特権に基づく証言拒絶権が行使されることで、組織的な犯罪等の解明に必 要な証言が得られないという事態に対処するというものである。導入に当たっ ては、前述したロッキード事件に関する最高裁平成7
年大法廷判決で示された 考慮要素も踏まえて、アメリカの刑事免責制度を参考にした検討がなされ、問 題がないとの帰結に至っている22)。19) 最判昭和27年8月6日(刑集6巻8号974頁)。
20) 吉川=吉田・前掲注⒀論文175頁以下。
21) 同上論文177頁以下。それゆえ、前掲59頁で指摘した、従前の学説が念頭に置
いてきた刑事免責制度とも、趣旨を異にするものである。
22) 吉川=吉田・前掲注⒀論文50頁以下、川出・前掲注⒂論文69頁以下、大嵜康
それを若干敷衍すると、先にみた、ロッキード事件に関する最高裁平成
7
年 大法廷判決は、「刑事免責の制度の採否」に関してではあるが、「これを必要と する事情の有無、公正な刑事手続の観点からの当否、国民の法感情からみて公 正感に合致するかどうかなどの事情を慎重に考慮して決定されるべきもの」と し、加えて「これを採用するのであれば、その対象範囲、手続要件、効果等を 明文をもって規定すべきもの」としていた。同大法廷判決の示す、刑事免責制度を「必要とする事情の有無、公正な刑事 手続の観点からの当否、国民の法感情からみて公正感に合致するかどうかなど の事情を慎重に考慮して決定されるべきもの」という考慮要素に関して、立案 担当者によれば、次のような整理がなされている23)。まず必要性という観点に ついて、組織的な犯罪において、首謀者の関与状況等の事案の解明に資する証 言を、犯罪実行者から得ることが困難となってきているなか、手続の適正を担 保しつつ、そのような証言を得ることを可能とし、証拠収集方法の適正化・多 様化および公判審理の充実化にするものであるとする。また、刑事手続の公正 性や国民の法感情からみた公正感との関係では、このような組織的な犯罪にお ける首謀者の関与状況等を含む事案の解明を図ることは、真に処罰すべき者を 処罰するという公平性・公正性の観点から十分な合理性がある。さらに、証人 に付与される派生使用免責は、証人が本来有する自己負罪拒否特権の範囲にと どまることなどにも鑑みれば、相当なものである。
(2) 刑事免責制度の概要
また、平成
28
年改正で導入された刑事免責制度は、法157
条の2
および法157
条の3
に規定されている。これが、前記最高裁平成7
年大法廷判決の求め る、「その対象範囲、手続要件、効果等を明文をもって規定」したものにあた弘「日本型司法取引制度の現状と課題」レファレンス819号(2019年)16頁。
23) 吉川=吉田・前掲注⒀論文179頁以下。
ることになる。
刑事免責の手続は、大きく証人尋問開始前後で分かれる。証人尋問開始前の 免責請求に関しては、検察官が、証人が刑事訴追を受け、または有罪判決を受 けるおそれのある事項についての尋問を予定している場合で、当該事項につい ての証言の重要性、関係する犯罪の軽重および情状その他の事情を考慮し、必 要と認めるときは、あらかじめ、裁判所に対し、当該証人尋問を一定の条件に より行うことを請求できる。その条件は大きく、①尋問に応じてした供述やそ れに基づいて得られた証拠は、刑事訴訟法上の宣誓又は証言の拒否罪(法
161
条)・刑法上の偽証罪(刑法169
条)に関わる場合を除き、証人の刑事事件で、証人に不利益な証拠とすることができないこと、②自己が刑事訴追を受け、ま たは有罪判決を受けるおそれのある証言を拒否できないこと、という 2 つであ る。検察官による免責の請求を受けた裁判所は、尋問すべき事項に証人が刑事 訴追または有罪判決を受けるおそれのある事項が含まれないと明らかに認めら れる場合を除き、当該証人尋問を当該条件により行う旨の決定をする。
証人尋問開始後の免責請求に関しては、検察官は、証人が刑事訴追を受け、
または有罪判決を受けるおそれのある事項について証言を拒んだと認められる 場合に、前述と同様の事情を考慮し、必要と認めるときは、裁判所に対し、そ れ以後の当該証人尋問を証人尋問開始前の免責請求での条件と同様の条件で行 うことを請求することができる。請求を受けた裁判所は、前記と同様の場合、
またはその証人が証言を拒んでいないと認められる場合を除き、それ以後の当 該証人尋問を当該条件により行う旨の決定をする。
いずれの場合も、裁判所の職権による免責決定は、認められていない24)。
四 協議・合意制度の適用例
前述したように、平成
30(2018)年 5
月から施行された協議・合意制度に24) 川出・前掲注⒂論文70頁、大嵜・前掲注論文17頁。
関して、本稿執筆時点では、3 件の事例が報じられている。そのうち、2 つの 確定判決の下された事案は、いずれも同一の事案 1 件に関するものとなってい る。これらの事案を、順に確認することにしたい。
1.MHPS 外国公務員贈賄事件
協議・合意制度の適用第一号事案とされているのが、いわゆる「MHPS外国 公務員贈賄事件」であり、東京地判平成
31
年3
月1
日(LEX/DB:25562724)および東京地判令和元年
9
月13
日(金融・商事判例1581
号42
頁)25)の 2 つの 判決が下されている。これは、平成
27(2015)年 2
月、発電機器関連企業である三菱日立パワー システム株式会社(MHPS社。以下、「M社」とする)が、タイ国での火力発 電所建設工事に関して、関連部品を積載した貨物を陸揚げするに当たって許可 条件違反の状態が生じたことから、この許可条件違反を黙認して貨物の陸揚げ 等を禁じないなどの有利かつ便宜な取り計らいを受けたいとの趣旨の下に、現 地の下請業者の関係者を介して、タイ国公務員である同国運輸省港湾局支局長 に、現金1,100
万タイバーツ(当時の為替レートで3,993
万円相当)を供与し、外国公務員等に対し、国際的な商取引に関して営業上の不正の利益を得るため に、その外国公務員等にその職務に関する行為をさせないことを目的として金 銭を供与したという、不正競争防止法上の外国公務員贈賄罪に関する事案であ る。
この事件では、M社の執行役員であったXと、担当部長であったY、さらに 別の執行役員であったZらが起訴された。そして、公判分離後に、XおよびY に関しては、東京地裁平成
31
年3
月1
日判決で外国公務員贈賄罪での有罪が、またZに関しては、東京地裁令和元年
9
月13
日判決で、同罪の共謀共同正犯25) この東京地判令和元年判決に関する評釈として、丸橋昌太郎「判批」法学教室 472号(2020年)140頁。
の成立が認められた。なお、東京地裁平成
31
年3
月1
日判決の量刑の理由で は、「本件については、合意制度が適用された結果、M社は刑事訴追を受けて いない」ことが確認されているが、そのこととの関連で「被告人両名らが起訴 されたことが不当ということはでき」ない旨の指摘がなされている。もっとも、協議・合意制度の適用の詳細については、これらいずれの判決に おいても、その判文からは詳らかではない。だが、関係文献等によれば、以下 のような状況だったとのことである26)。タイ国公務員に交付された不正な支出 は、M社本社の監視の目が届かないように、現地のパートナー企業が同国の建 設業者へ架空工事を追加発注することで捻出されたものであった。そのため、
M社としては当初は把握しておらず、それを把握したのは、平成
27(2015)
年
3
月の内部通報によるものであった。M社は、ただちに社内調査に着手し、詳細な調査を実施するため、外部の法律事務所に調査を依頼し、その結果、法 令違反が疑われたことから、同年
6
月に、東京地方検察庁に報告書を提出した。この時点では、協議・合意制度の立法前であったが、その後約
3
年間にわた り、M社は、東京地検による本件の捜査に全面的に協力していたところ、協 議・合意制度の施行直後である平成28(2016)年 6
月に、東京地検から、協 議・合意制度の本件への適用に関する提案があった。収賄側がタイ国公務員で あり、実行行為もタイでなされるなど、証拠の多くがタイに存在していたため、捜査共助要請のほか、M社の協力のもと、M社側から証拠、情報を入手するこ とが捜査の上で有益であると、東京地検としては判断したようである。他方で、
M社としては、協議・合意制度を適用しなかったとしても、起訴された 3 名の 処分は変わらないとの理解の下、本件の全容解明への協力が必要と考え、協
26) 三菱日立パワーシステムズ株式会社「不正競争防止法違反による当社元役員およ び元社員の起訴について」MHPSニュース221号(2018年)、酒井邦彦「日本版司 法取引(協議・合意制度)の初適用に際して若干の考察」NBL1134号(2018年)
48頁。なお、麻妻みちる「企業犯罪に対する『日本型司法取引』の在り方─平成 28年刑事訴訟法改正に伴う『協議・合意制度』を考える」松蔭論叢14号(2019年)
77頁以下。
議・合意制度に基づき検察官と合意をしたという。
また、合意内容書面には、法人たるM社において、①事件に関する一切の資 料の任意提出、②役員ら関係者の検察官の指定どおりの出頭、③公判で証言が 必要な場合における、関係者らの証言、といった内容が盛り込まれていた旨が 報じられている27)。
そして、以上の対応について、M社としては、「今回、協議・合意制度に応 じたことについては、不正行為に関与していない多くの社員を含め、当社のス テークホルダーの利益を守るために必要かつ合理的な判断であった」としてい る。
2.日産有価証券報告書虚偽記載事件
協議・合意制度が適用された 2 例目と目されるのが、平成
30(2018)年 11
月、大手自動車メーカー日産自動車株式会社(以下、「N社」という)の役員2
名が、金融商品取引法違反の有価証券報告書虚偽記載罪の被疑事実で逮捕さ れた事案である。この事案は、N社で絶対的存在だった同社会長の役員
G
とその腹心の役員K
が共謀して、会長の役員報酬を、有価証券報告書に約50
億円過少に記載し た旨の嫌疑がかけられたというものである。本件の捜査において、逮捕された 役員らの部下にあたる執行役員らが、協議・合意に基づいて捜査協力した旨が 報じられている。その後、逮捕・勾留された役員
2
名は、同容疑および特別背任罪で起訴され、法人としての
N
社も、有価証券報告書虚偽記載罪の両罰規定により起訴され ている28)。本件では、N
社において内部通報があり、それに基づいてN
社が数 ヶ月にわたり内部調査を行い、被疑事実が判明したため、その調査結果が検察27) 2018年11月6日付読売新聞報道。
28) 2018年12月1日付各紙報道。
側に情報提供されたとも報じられている29)。ところが、事件を担当している東 京地方検察庁は、「法人の責任も重くみて」両罰規定を適用して法人としての
N
社を起訴したとみられている。結局のところ、本件では、協議・合意をした のは、Gらの側近で、Gらの指示を受けて有価証券報告書に虚偽記載をするな どの不正に関与していた専務執行役員ら2
名であると報じられている30)。 そして、以上の経過をたどった本件に関しては、「法人との協議・合意がな されたものではなく、執行役員らの捜査協力による企業トップの摘発という点 で、従たる立場の関係者の捜査協力を得て組織トップや組織ぐるみの犯罪を摘 発するという協議・合意制度導入において想定していた事案に近いもの」であ るとする評価もなされている31)。3.アパレル会社業務上横領事件
3 例目の適用事例と報じられているのが、アパレル会社
G
社で発生した業務 上横領事件で、令和元(2019)年12
月に、G社前代表取締役〔逮捕時〕およ び幹部社員が検挙されたという事案である。報道によれば、同事案は、同前代表取締役をはじめとしたG社社員らが、G 社の売上金の一部を着服したというものである。具体的には、帳簿を改ざんし て、実際の売上金との差額を生じさせ、その差額分を「裏金」として金庫に保 管し、私的に流用したというのが被疑事実である32)。そして、捜査にあたった 東京地方検察庁特捜部は、G社取締役らからの指示により、裏金の出し入れ等、
当該不正の実行行為に関与したG社社員との間で、代表取締役らへの捜査に協 力する見返りに、社員を不起訴とするなどの軽減するといった内容の合意をし たとみられる旨が報じられている。
29) 2018年11月20日付朝日新聞報道。
30) 2018年11月20日付読売新聞報道。
31) 大嵜・前掲注論文23頁。
32) 2019年11月27日付読売新聞報道。
以上の捜査の結果、G社前代表取締役と元幹部社員の 2 名が、業務上横領の 被疑事実で二度にわたり逮捕された後、同年
12
月、翌令和2(2020)年 1
月お よび3
月の三度にわたり起訴された旨が明らかになっている。本稿執筆時点では必ずしも詳細は明らかではないが、以上の報道に基づく推 測の限りでは、従たる立場の部下社員の協力に基づき、企業トップや組織上部 の者による犯罪を訴追するという協議・合意制度の「理念型」に、N社事案と 比較しても、もっとも即した構図になっているとの評価も可能な事案である33)。
五 協議・合意制度の意義と適用判断
協議・合意制度の現状は、以上に概観したとおりである。このような状況を 踏まえた上で、同制度の意義と適用判断について、その理論的根拠と懸念事項 への対処、および同制度の果たす機能という観点から、若干の検討を行うこと にしたい。
1.協議・合意制度の理論的根拠と懸念事項 (1) 検察官の訴追裁量
すでにみたように、平成
28
年改正で導入された刑事免責制度と協議・合意 制度とは、取引的要素の有無という点のみならず、それぞれの理論的根拠も大 きく異なる。前述したように、刑事免責制度は、自己負罪拒否特権の前提となる「刑事上 の責任を問われるおそれ」をなくす派生使用免責によって、証言義務を、いわ ば復活させることで、事案の真相の解明を図ろうとするものである。これに対 して、協議・合意制度の理論的根拠は、現行法で広範に認められている検察官
33) 2019年11月27日付日経新聞報道。
の訴追裁量権に求められる。被疑者・被告人による、他人の刑事事件の捜査・
公判への協力を、法
248
条の定める「犯罪後の情況」として勘案し、それを 検察官の訴追裁量権の行使に反映させることで、起訴猶予処分や一罪の一部起 訴といった対応を可能とさせるものである。(2) 実体的真実主義との関係
これらの制度は、法
1
条において「事案の真相を明らかにし」として規定さ れている、刑事訴訟の目的の一つである実体的真実主義とどのように関係する のかも、問題となりうる。たしかに、刑事手続において事案の真相を明らかにするのは、「刑罰法令を 適正かつ迅速に適用実現する」ためである。そのため、刑事免責を認めたり、
あるいは、協議・合意により、証拠上、犯罪を認定できる場合にも訴追を猶予 し、あるいは、認定できる訴因よりも縮小・軽減された訴因により公訴を提起 することが、これらの目的に反しないか否かを問題とする余地もありうること になる。
しかしながら、繰り返しになるが、刑事訴訟法は、もともと、検察に訴追裁 量権を認め(法
248
条)、訴因の設定に関しても、もっぱら検察官の判断に委 ねられている事項と理解されている34)。そうであれば、証拠上犯罪が認定でき る場合に、そのすべてに関して刑罰法令を余すことなく適用するということを、刑事訴訟法は、「適正」な適用実現であるとは必ずしも考えていないことを意 味する。このように考えるのであれば、刑事免責制度も協議・合意制度も、現 行刑事訴訟法における実体的真実主義に抵触するものではなく、むしろ整合す るものと捉えることができる35)36)。
34) 裁判所による訴因変更命令(法312条2項)には、形成力は認められないと理
解されるのが一般である。最大判昭和40年4月28日(刑集19巻3号270頁)。
35) 吉川=吉田・前掲注⒀論文78頁参照。
36) なお、それ以外にも、いわゆる「巻き込みのおそれ」を中心として、いくつかの
3.法人に対する協議・合意制度の適用の是非 (1) 法人に対する協議・合意に関する立法時の議論
また、協議・合意制度における合意の主体に法人がなりうることは、一般に 認められているといってよい37)。もっとも、両罰規定・三罰規定がない場合に は、法人が被疑者・被告人とはならない以上、法人は主体となりえないことに なる38)。
なお、立法時の審議においては、このことの意義が議論の対象となった。す なわち、法人が合意の主体となる場合、組織のトップが把握している情報の方 が多く、そのときに、下位の従業員が不利益を被ることになる、換言すれば
「偉い人は逃げ得だ」ということもありうるのではないか旨の懸念が示されて いた。これに対して、政府参考人(法務省刑事局長)からは、協議・合意制度 は、組織的な犯罪等の解明を図るために利用されるものであり、末端の実行者 を初めとする下位の関与者から首謀者等の上位の関与者に関する供述等を得る ことを主眼とするものであるから、従業員ではなく役員あるいは法人と最初に 合意をするということは通常は考えがたい、という答弁がなされている。もっ とも、この答弁には、「結局、どのように実務が推移するかということになる」
旨の留保はなされている39)
懸念事項が論じられている。山下幸夫「捜査・公判協力型協議・合意制度と刑事免 責制度の課題」刑事法ジャーナル43号(2015年)26頁以下、白取祐司『刑事訴訟 法〔第9版〕』(2017年)167頁以下など。これに対する詳細な反論として、たとえ ば、太田茂「『捜査・公判協力型協議・合意制度』及び刑事免責制度の意義と課題」
刑事法ジャーナル43号(2015年)19頁以下など。これらの点については、他日に 論ずる機会を得たい。
37) 酒巻・前掲注⒁論文47頁。
38) 大嵜・前掲注論文25頁。
39) 第189 回国会衆議院法務委員会議録第29号(平成27 年7 月7 日)23頁。
(2) 2 件の適用例について
さきにみた協議・合意制度の
3
件の適用例のうち、3件目のアパレル会社の 事案については、被疑事実は業務上横領である。そのため、実際には会社とし ての捜査への協力がなされたとのことであるが、協議・合意制度が正式に適用 される余地はないことになる。これに対して、MHPS事件と
N
社事件に関しては法人の訴追があり得る犯 罪類型である。だが、前者では法人としてのM
社が訴追されることはなかっ たのに対して、後者では法人としてのN
社も起訴されているという相違がある。この帰結をどのように理解すべきかは、一つの問題ともなりうる。だが、概 していえば、事案の性質、捜査として誰と合意することが、事案の真相解明、
あるいは刑罰法令の適正な実現にとってより有益であるか、などの諸事情を勘 案した結果であるといえる。
まず、MHPS事件から検討しよう。同事件の被疑事実は、不正競争防止法上 の外国公務員贈賄罪である。すでにみたように、判決の認定事実や関連資料に よれば、当該贈賄は、法人としての同社の判断において行われたものではなく、
むしろ、贈賄の舞台となったプロジェクト担当の取締役、執行役員や事業担当 部長という、幹部社員の「独断」で行われたもののようである。そして、事案 の発覚した契機は同社内の内部通報によるものであり、それを受けた同社は、
ただちに社内調査、および外部の法律事務所に依頼した調査を行い、法令違反 が疑われたことから、東京地検に報告書を提出している。また、これも繰り返 しになるが、被疑事実が外国公務員贈賄罪であり、贈賄の相手方たる収賄者は 外国公務員であり、贈賄の実行行為も国外で行われていることから、M社と 協議・合意をすることが、事案の真相解明にとってより適切であった、という 事情が存したわけである。
これに対して、N社事件での被疑事実は、有価証券報告書虚偽記載であった。
報道によれば、逮捕・起訴された
G
は、経営不振に陥っていたN
社の業績を「V字回復」させて以降、N社内において、人事権や役員報酬を決定する権限
を含めて圧倒的な権力を握ることとなり、取締役会は機能せず、Gに追随する だけになっており、企業統治(ガバナンス)も機能不全に陥っていたという事 情があった。また、有価証券報告書虚偽記載の内実は、役員報酬の一部を「退 任後の後払い」とすることで、実際の役員報酬を過少に記載するというもので あった。内部通報に基づく
N
社の内部調査は、「G派の人間に察知されない」ように進めるというものであり、N社としての調査と言いうるものではなかっ たようである40)。また、この内部調査として並行して、捜査が進んできたとも されている41)。そのため、検察としても、法人としての
N
社と協議するのでは なく、社内調査に関与した執行役員らとの間で協議・合意がされたと捉える余 地もある。5.協議・合意の相手方の選択と適正な刑罰権の行使
以上の
3
件の適用例から、検察官が誰と協議・合意をするかの判断に関して、いかなる要素が機能しているかについて、簡単に検討することにしたい。
(1) 情報取得の容易性
まず、捜査に必要な情報を得やすい者が、協議・合意の相手方として選択さ れていると評価できよう。MHPS事件では、外国公務員贈賄の実行行為者らは、
M社本社の監視の目が届かないような態様で行為しており、当初はM社も事態 を認識していなかった。ところが、内部通報により事態を把握した以降は、M 社として、詳細な調査を行い、法令違反が疑われた段階で検察に調査結果の報 告書を提出している。そのため、検察としても、捜査にあたっては、M社か ら証拠、情報を入手することが、捜査上有益であると判断されたようである旨、
40) 2019年11月27日付読売新聞報道。
41) 2018年11月20日付朝日新聞報道。
前述したとおりである。
また、日産有価証券報告書虚偽記載事件でも、N社において内部通報があり、
N
社として数ヶ月にわたる内部調査を行い、その調査結果が検察側に情報提供 された旨も、先にみたとおりである。そして、報道から推測される限り、逮 捕・起訴された被告人らの虚偽記載は、かなり「偽装的」になされており、そ の内実を知るには、執行役員らから情報を入手することが必要不可欠であった ようである。さらに、アパレル会社業務上横領事件においては、取締役らに指示されて裏 金の出し入れ等の業務上横領の実行行為を担当した部下社員は、横領が繰り返 された経緯や自らの役割などについて、東京地検特捜部に自ら申告したと報じ られている。それゆえ、東京地検特捜部としても、証拠を得るためには、この 部下社員と協議・合意をする必要があると判断し、取締役らに対する捜査に協 力することの見返りとして、部下社員の起訴を猶予するといった措置について 合意したものと考えられる42)。
(2) 当罰性判断とそれを支える事情
さらに、当罰性判断も、協議・合意の相手方の選定にとって、重要な意義を 有する。
すでにみたように、協議・合意は、他人の捜査への協力の見返りという観点 からなされるものである。その場合、合意の相手方に対して、求刑の減軽や訴 因の限定、訴追猶予等の措置を講ずることが前提であり、相対的に処罰の必要 性が低い者と、検察官が判断した者であることになる。
N社事件では、繰り返しになるが、有価証券報告書虚偽記載に関して主導的 役割を果たしたのは
G
ら2
名の役員であった。また、有価証券報告書は、有 価証券の発行市場に対する開示という、「企業内容等の開示の制度を整備する42) 2019年11月27日付日経新聞報道。
とともに、金融商品取引業を行う者に関し必要な事項を定め、金融商品取引所 の適切な運営を確保すること等により、有価証券の発行及び金融商品等の取引 等を公正にし、有価証券の流通を円滑にするほか、資本市場の機能の十全な発 揮による金融商品等の公正な価格形成等を図り、もつて国民経済の健全な発展 及び投資者の保護に資することを目的とする」金融商品取引法の定める開示制 度(ディスクロージャー)の枢要を占める制度であり、有価証券発行者たる法 人の責任は重大である43)。そのため、法人である
N
社と協議・合意した上で、起訴猶予等の軽減措置を講ずるという判断はなされにくい状況にあったといえ る。
これに対して、MHPS事件での被疑事実は、不正競争防止法上の外国公務員 贈賄罪である。同罪は、「国際商取引における公正な競争の確保」を目的とす るものである44)。国際商取引の健全性という保護法益を侵害する行為の処罰と いう趣旨からみて、国際商取引を業務とする法人の処罰は、同罪制定の契機と なった国際商取引における外国公務員に対する贈賄の防止に関する条約におい ても要求されていることから、同罪については、法人処罰規定が設けられてい る45)。しかしながら、同罪の保護法益は、法人としての意思を離れた法人構成 員の独断に基づく行為によっても、十分に侵害しうる。そのため、事案の具体 的態様によっては、構成要件上、法人処罰が可能な場合であっても、なお当罰 性という観点で、協議・合意を行うことが許容される場合があると考えられる。
MHPS
事件の帰結は、そのような趣旨で理解すべきであり、必ずしも「トカゲ のしっぽ切り」と評すべき事案ではないと思われる。43) 黒沼悦郎『金融商品取引法』(2016年)147頁、200頁など。
44) 通商産業省知的財産政策室監修『外国公務員贈賄防止─解説改正不正競争防止 法』(1999年)37頁。
45) 同上書64頁。
(3) 事案の真相の解明・刑罰法令の適正な実現と検察官の訴追裁量
改めて述べるまでもなく、刑事手続は、刑事訴訟法
1
条が定めるように、刑 事事件について、「公共の福祉の維持と個人の基本的人権の保障とを全うしつ つ」、「事案の真相を明らかにし、刑罰法令を適正且つ迅速に適用実現する」こ とをその目的とするものである。その場合の「事案の真相の解明」は、刑罰法令の適正な適用の前提である。
逆に言えば、事案の真相は、刑罰法令の適正な運用にとって必要な範囲で行う べきものである46)。それは、当然のことながら、刑事手続に則って、検察官と 被告人・弁護人との攻撃防御を経て、裁判所の認定によってなされることにな る。その検察官には、刑罰法令の適正な適用に関しても、一定の判断権、換言 すれば裁量が認められている。検察官に認められている訴追裁量は、法
248
条が規定するように、「犯人の性格、年齢及び境遇」に加えて、「犯罪の軽重及 び情状並びに犯罪後の情況」も、判断要素とされている。それゆえ、すでに確 認したように、検察官は、これらの判断要素を総合考慮した上で、「訴追を必 要としない」と判断される被疑者と協議・合意をした上で、「訴追を必要とす る」他人に関する事案の真相の解明を図ることが許容されるわけである47)。 「訴追を必要とする」か否かの判断は、当然のことながら「刑法法令の適正 且つ迅速な適用実現」と関連する。この「適正」であるかどうかは、現在の国 民一般の理解に依拠する判断である。協議・合意制度の運用開始にあたって最 高検察庁が「合意制度の運用に関する当面の考え方」として、事案の選定に関 する観点として示した、「合意制度を利用するためには、本人の事件について の処分の軽減等をしてもなお、他人の刑事事件の捜査・公判への協力を得るこ とについて国民の理解を得られる場合でなければならない」とする方針は48)、46) 河上和雄ほか編『大コンメンタール刑事訴訟法第1巻〔第2版〕』(2013年)54
頁〔中山善房〕など。
47) 河上ほか編・前掲注⑴書60頁以下〔吉田〕など参照。
48) 最高検察庁新制度準備室「合意制度の当面の運用に関する検察の考え方」法律の
まさにこの趣旨を体現したものと評価することができる。
さらに、「事実の認定は、証拠による」(法
317
条)。それゆえ、証拠収集の 合理性という観点から、協議・合意制度を適用するかどうか、誰とするかの判 断がなされることになる。また、本人の協力行為によって、協議・合意制度を 利用するに値するだけの重要な証拠の得られる見込みがどの程度あるか、さら に、協議を行うことによる捜査・公判への影響の程度なども、判断要素となる。具体的な事案に則した証拠収集、立証との相関での判断もなされることにな る49)。
以上に基づいて合理性が認められるのであれば、両罰規定・三罰規定による 法人処罰が定められている犯罪類型に関して、実行行為者たる自然人を「他人 の刑事事件」とする協議・合意を法人と行うことも、ただちに許容されない判 断となるわけではないことになる50)。
六 刑事訴訟法と刑事実体法・刑事政策との有機的連携
──まとめに代えて
以上にみた「刑罰法令の適正かつ迅速な適用」という観点は、ひとり刑事手 続法の問題だけにとどまるものではない。なにをもって「適正な適用」とみる かは、刑事実体法、あるいは刑事政策的な観点も踏まえた上での、国民一般の 視点から見た当罰性判断を要するものでもある。公訴提起等に関する検察官の
ひろば71巻4号(2018年)52頁。
49) そして、敢えて本人の処分の軽減等をするものであるから、従来の捜査手法では 同様の成果を得ることが困難な場合に、協議の開始を検討することになる。以上に ついて、同上論文。
50) もちろん、検察官の訴追裁量権の不適切な行使という問題が生じえないわけでは ない。ただそれは、不当な不起訴に対する検察審査会制度や付審判請求手続による 対応、不当な起訴や恣意的な起訴に対する公訴権濫用論(最決昭和55年12月17 日刑集34巻7号672頁参照)による対応などの、従前の議論の応用によって対処 することになろう。
裁量判断における考慮要素である「犯罪の軽重及び情状」は、刑事実体法から みれば、当該犯罪の保護法益等、刑事政策的観点からみれば、犯罪抑止等の観 点が反映されることになる。それゆえ、協議・合意制度を適用するか、適用す るとして、誰と協議・合意するのかの判断においても、各犯罪類型、具体的な 犯行態様等と無関係ではあり得ない。
縷々見てきたように、協議・合意制度の適用第一号となった事案の事実関係 は、外国公務員贈賄の事案であった。外国公務員への贈収賄事案の禁圧の必要 性は、条約を締結してまでの国際的に協調した対応がなされているものであり、
禁圧の必要性が高いものとされている。他方で、この種の事案は、収賄の相手 方が外国公務員であり、実行行為が行われる犯罪地等も国外であることも多い。
このように、処罰の必要性が高い一方、証拠の収集等が困難であるという事情 があり、それゆえに、協議・合意制度を適用してでも証拠収集をすべき場合に、
それに適切な者を「本人」、すなわち協力者として選んで、協議・合意を行う ことになる。
その観点で考えるならば、適用第一号事案では、検察官が協力者として法人 を選んだのは、決して「トカゲのしっぽ切り」ではなく、上記、「刑罰法令の 適正かつ迅速な適用」するため、事案の真相の解明にとってもっとも適切な者 を対象とした帰結と考えることができる。これに対して、適用第二号と目され る
N
社事件では、被疑事実を考えれば、法人としてのN
社の刑事責任を軽減 することは、刑罰法令の適切な実現とはいえず、また、捜査に協力した標的者 の部下である執行役との協議・合意によっても、十分な証拠収集ができたもの と考えられるのである。このように、法人との協議・合意に関して、適用第一号事案と適用第二号事 案で異なる帰結が導かれたのは、協議・合意における標的者にも協力者にもな りうる法人に関して、その被疑事実の性質、実行行為者と法人との関係、証拠 収集の可能性などを考慮した、検察官の裁量の適切な運営の現れだと捉えるこ
とができる51)。
なお、適用第一号事案となった
MHPS
事件で問題となった外国公務員贈賄 が処罰されるきっかけとなったのは、ロッキード事件の発覚であった52)。その ロッキード事件は、証言を得るための「司法取引」の是非が、わが国ではじめ て本格的に論じられる事案であったことは、本稿冒頭で述べたとおりである。その後、時代を下って平成末期に創設された、いわゆる「日本版司法取引」で ある協議・合意制度の適用第一号の対象犯罪が、そのロッキード事件が契機と なって制定されるに至った外国公務員贈賄罪であったことは、「単なる偶然」
「不思議な巡り合わせ」にとどまらない、ある種の象徴的出来事であるとの感 慨を抱くのは、ひとり筆者だけであろうか。それはさておくとしても、今後も 協議・合意制度の適用にあたっては、検察官の裁量の慎重な行使が求められる ことになろう53)。
51) 以上に関して、示唆に富む見解を展開するのが、麻妻・前掲注論文78頁以下。
52) 佐伯仁志「日本における商業賄賂の処罰について」佐伯仁志=金光旭編『日中経 済刑法の比較研究』(2011年)251頁。
53) また、法人処罰規定との関係では、企業の側でも、今般の協議・合意制度の設立 や運用状況を、不祥事防止のための、実効的な内部統制システムや公益通報システ ムといった、企業ガバナンスの確立を求める契機として積極的に捉えていくことが 求められる。沖田恵美子「合意制度の概要と企業における対応課題」旬刊商事法務 2106号(2016年)論文35頁以下、麻妻・前掲注論文80頁以下、拙稿「司法取 引の導入─協議・合意制度および刑事免責制度について」経営法友会リポート 511号(2016年)7頁など参照。