はじめに
中国の改革開放以降の高成長は、「眠れる大国」が完全に目を覚ましたと評されている1。 中国経済は毎年、二桁近い目覚しい成長を続けており、2007 年 1 ~ 6 月の国内総生産(GDP)
成長率は 11.5%に達し、2008 年第一四半期(1 ~ 3 月)の国内総生産成長率は 9.8%に 達した。国家統計局は 2008 年 7 月 16 日、上半期の GDP は 5 兆 8.733 億元で昨年同期 に比べ 9.7%増加したと発表した。同局のスポークスマン鄭京平は上半期の経済成長につ いて「マクロ的コントロールが目に見える効果をあげた。不安定要素は基本的に抑制でき た」と政府のソフトランディングに向けた引き締め政策を評価している(国家統計局によ る発表)。
この成長をめぐって、エネルギー問題、環境問題、社会保障を含む社会安定などの側面 から中国市場経済の持続可能性に対する様々な評価がある。特にその評価の中心となるの は、過剰投資と過剰流動性問題である。
過剰投資を問題視する見解は、中国近年特に 2000 年前後以降、国有企業における固定 資産の過剰投資により、「ミクロとマクロの乖離」が生じていると指摘した2。ここでの「マ クロとミクロの乖離」とは、(設備や工場など)固定資産への継続的投資により生産の維 持や拡大が行われ、国民経済指標の上では好調に発展しているように見えるが、企業ごと の実態を見てみると、過剰生産により利潤率が降下しているという意味を読み解くことが
【論文】
改革開放以降の中国経済発展におけるマクロ的調整政策
包 秀琴 *
* 首都大学東京大学院社会科学研究科経営学専攻博士後期課程
Abstract
Concerning about various analysis and evaluation of remarkable developments of Chinese market economy, China’s socialist market is confronted with many problems.
In this thesis, we will analyze economic growth and business fluctuation practically during one quarter of a century in China first, and at last we will prove the functions and significance of macro-adjustments of socialist market economy.
Through practical study of transition of macro-adjustments after the reform and open
policy (1978) in China, we can conclude that the above macro-adjustment, especially
appropriate currency management policy corresponding to GDP is quite functional and
significant for socialist market economy in China.
出来る。
また過剰流動性問題に関する代表的な見方は、国内経済への波及について以下のように 述べた。「過剰流動性による投機的投資は、不動産部門へ集中し、不動産価格の高騰を起 こす。将来いつかその投機的資金が不動産部門から急速に逃避する場合は、資産価格の急 落を通じて、企業または銀行の財政状況が悪化すると共に、不良債権が増加し、経済全体 に大きな影響を与える恐れが出てくるというものである」3。
確かに、こうした指摘のとおり、中国市場経済は、改革すべき課題に取り組んでいる過 程にあり、依然として多くのリスクや困難を抱えている。しかし他方で、次々と新しい問 題に直面しつつも、それを解決しながら成長していることも事実である。その解決策とし てのマクロ的調整政策は重要な意義と役割を果してきたし、現在も果たしているのである。
この論文では、四半世紀にわたる中国の経済成長と景気変動の変遷の回顧・検証を通じ て、社会主義市場経済におけるマクロ的調整の意義と役割を明らかにすることを目的とす る。
改革開放以降の中国経済は、いくつかの経済変動の波を経験してきた。その経済変動過 程については「政治的景気循環」4という考え方による時期区分がある。これとは別だが、
類似した考え方として、景気変動を党中央指導部の交代によるものとした視点からの時期 区分がある。西暦年数の末尾が 2、7 の年に党大会が開催され、その次の年、つまり 3 か 8 がつく年に経済変動が起こりやすいとするものである5。さらに、インフレやデフレによ る経済変動期の区分(1978-1983、1984-1986、1987-1990、1991-1995、1997-2002、
2003 -現在)6もある。しかし本論文では、マクロ的調整政策の変遷という視点から、四 つの時期に区分して論じることにする。
第一章では、改革開放初期段階(1978 年―1983 年)と「南巡講話」7まで(1984 年―
1992 年)との二つの段階にわけ、その経済実態とマクロ的調整政策を考察する。第二章 では、「南巡講話」から 2002 年までの景気変動及びそれに対応したマクロ的調整政策を検 討する。第三章では、主に過剰投資と過剰流動性問題を中心として、2002 年以降の景気 変動とそれに対するマクロ的調整政策の役割を論証する。
なおここで取り扱うマクロ的調整政策とは、国家によるコントロール、すなわち政府に よる介入を意味するマクロ的調整であり、より具体的には直接的調整と緩やかな(間接的)
誘導との双方を含む政策であって、行政手段としては、通貨・金融手段、財政手段、産業 構造調整など包括的な複合的なマクロ的調整である。
第一章 改革開放初期から「南巡講話」までの経済状況とマクロ的調 整政策
改革開放から社会主義市場経済への移行までの段階において、経済変動に対応して採用 されたマクロ的調整政策は、主に直接的な行政的調整が中心となっていた。そして市場経 済への移行に伴い、間接的調整手段も導入され利用されるようになってきた。
第一節 改革初期(1978 年―1983 年)の経済実態とマクロ的対応策
─計画的行政的マクロ調整と財政的調整の導入
1978 年- 1983 年の改革開放初期段階の中国においては、比較的大きな経済変動が発生 したが、その変動に対応したマクロ的政策の長期的あるいは短期的調整により、経済は安 定を取り戻した。この点を以下で詳しく見てみよう。
1976 年「文化大革命」の終結後、1978 年 12 月開催された中国共産党の 11 期 3 中全 会により、党の工作中心は社会主義現代化建設に据えられることになった。また「洋躍進」
(西洋的近代化を目指す大躍進)を組織する動向と「1976 年から 1985 年にかけて国民経 済を発展させる十年計画要綱」の提起を受け、総額使用資本 600 億元のプロジェクト 22 件を導入した。こうした巨大な投資規模、これほど多くの大型プロジェクトが同時に建設 のピークに入り、1979 年から通貨の供給量が前年度より急激に上昇し、1980 年から CPI(消 費者物価指数)が 6.0%までに急上昇してインフレを始めとする経済過熱の徴候が現れた。
1、計画的行政的調整と通貨金融政策による調整
この状況に対し、以下のような具体的な様々なマクロ的調整装置が採られた。計画的ま たは行政的手段により固定資産投資と基本建設プロジェクトを圧縮し、国防費と行政管理 費を圧縮する。
通貨金融政策の面では、銀行の貸付管理を強化し、企業の預金を凍結し、さらに国有企 業への国債 48 億元の販売促進を強行するなどの行政と金融にわたる緊縮政策措置が働い て、1981 年に CPI が前年度の 6.0%から 2.4%まで下がり、 インフレ率は下がり始めた(表 1-1 参照)。
表 1-1: 中国 1978 年- 1983 年までのマクロ経済状況(年対年%)
年 1978 1979 1980 1981 1982 1983
GDP 成長率 11.7 7.6 7.8 5.2 9.1 10.2
CPI 上昇率 0.7 2.0 6.0 2.4 1.5 1.9
Mo 上昇率 8.44 26.26 29.32 14.48 10.79 20.65
M1 上昇率 2.45 24.42 23.04 24.38 15.19 14.85
M2 上昇率 4.6 26.20 27.47 29.65 19.69 19.45
出所:『中国統計年鑑』(1986 年)8。
(ここでの M o は、現金を指す。M1 は、狭義マネーサプライ、つまり流通現金+当座預金を指す。M2 は、
広義マネーサプライ、つまり M1 +定期預金を指す。)
2、産業政策による調整
産業政策の面では、農業における「農業請負生産制」の実行や農産物買付け価格を調整 したことにより、農業を市場主導軌道へ誘導した。これによって農民の積極性を促し、農 村の生産力が高まった。次に工業と商業に計画以外の経済いわゆる市場性経済の発展萌芽 が見られ、複数の発展方向が表れた。1978 年から 1982 年の四年間で、工業と商業におけ る就業者の 35.8%は、集団経営と個人経営など非計画経営に所属していた。特に従来の弱 い産業であった商業、飲食業、サービス業など第三次産業の集団経営と個人経営における 就業者が 1982 年に 23.4%を占め、1979 年度より 14%も上昇したと言われている9。
こうした発展方向が就業率を拡大し、生産効率を高め、国民経済構造を調整することを 促し、多種類の経済方式が共存することで市場経済への発展も促進された。
3、国有企業の改革を伴う財政政策の調整
またその時期には国有企業改革に伴い重要な財政政策が導入された。それは「拨ボ ガ イ ダ イ改贷」
と「利リガイシュイ改税」の政策である。前者は、政府から資金を割り当てることから資金を貸し付け
ることへの転換である。基本的な投資事業について「拨改贷」の政策を実行し、有償的資 金の利用により政府の財政負担を軽くし、資金調達の効率性を高めた。1979 年 8 月国務 院10が「基本的建設投資金の貸付を試行する方法に関する報告」を布告し、独立的な採算 を行って貸付金を返すことができる工業、交通運輸、牧畜、水産、商業や旅行など業種の ための基本的建設に必要な資金は、貸付可能であるとして奨励した。
後者の「利改税」の税財政改革政策は、利益の一部を直接利潤の形で国家に上納する方 式から税の形で納めることである。
これらの措置は、国家が計画を立てそれに基づいて直接的な行政手段によって関与する 方式から、部分的に貨幣金融手段と財政手段などによる間接的関与へと移行しつつあるこ とを示した。
第二節 1984 年から 1992 年(「南巡講話」)まで
─金融的マクロ調整と通貨政策を伴うマクロ的調整を中心
1984 年 10 月は建国 35 周年を祝賀する諸行事が経済過熱のきっかけになった。これに 便乗して巷間では、「よく稼ぎ、よく使う」ことを提唱するものもあり、一部の機関と企 業は賃上げやボーナスを支給し、また衣服など消費財を配給し、経済過熱は火に油を注ぐ 勢いとなった。各専業銀行は 1985 年からの貸付金額を拡大することを狙って、競って貸 付規模を拡大し、求めがあれば必ず融資に応じる行動を採った。上述の要因が複合的に働 いた結果、1984 年の銀行貸付総額は前年に比べ 28.8%と急進し、通貨の発行は前年比で 49.5%以上激増した。
1984 年の GDP(国内総生産)15.2%の高い成長率に対して、同年 11 月には国務院が 各地域や各部門に対する財政支出や貸付金を厳格にコントロールする通知を出した。1985 年 3 月の「政府工作報告」においては、マクロ的な調整や管理をもっと徹底させ、成長ス ピードの盲目的な追求を防止することを指示した。当時のマクロ調整の特徴と言えば、生 産・建設資金総額のうち財政支出と金融貸付から提供された両者の比率をみると、1978 年には財政から提供された資金が 76.7%、約 3⁄4 を占めていたが、1984 年以後になると 1/3 程度まで下がった。つまり、金融的貸付や通貨供給量の拡大・緊縮という市場的調整 手段が国民経済的規模を決定する相対的に主要な要素となり、計画と行政手段によるマク ロ的調整が弱まりつつあったことを示している。また、「国民経済と社会発展第 7 次 5 カ 年計画制定に関する中共中央の建議」11の中で、政府は以下の原則を堅持することを強調 した。「……社会の総需要と総供給のバランスを堅持し、蓄積と消費の適当な割合を保持 する。ここでの中心問題は、住民生活を適切に手配すると同時に、国力の可能性に基づき 合理的な固定資産投資の規模を確定し、国家の財政、貸付、物資、外国為替のおのおのの
バランスと相互間の総合的バランス、経済生活の安定を維持することである。これは、体 制改革の順調な推進を保証する根本条件になる……」。これらの決定文言から党中央が国 民経済バランスの調整や発展スピードなどを考慮することを重視するようになったことが 示されている。また 1986 年 3 月に党中央により決定された「第 7 回 5 ヵ年計画」におい ては、「……国家による企業に対する直接的管理を徐々に間接的管理へシフトさせ、経済 的手段と法的手段を主とし、必要的な行政手段を補助とした社会主義的な新しいマクロ的 コントロールシステムを構築する」と提示された。これは、政府が経済管理を行政的直接 的コントロールから経済政策と市場を通じた経済的手段など間接的コントロールを主とす るさらに全面的なマクロ的調整軌道を初めて提起したものである12。
この時期には間接的調整重視の方針の下で、通貨政策を伴うマクロ的調整が行われた。
1987 年に始まる「改革の加速」を促すために政府指導者は、銀行貸付金に対するコン トロールを緩めた結果、1987 年第 4 四半期に通貨供給が急増し、インフレが再び頭をも たげた。1988 年下半期の前年同期に対する CPI は 26%まで上昇し、都市にはあまねく商 品の買占めの風潮が出現し、経済社会問題、政治の不安定にまでつながった。
爆発的なインフレを抑止するために、政府は 1988 年第 3 四半期に固定資産の投資規模 を急激に圧縮し始め、計画外建設プロジェクトの審査・許可を停止した。1988 年 9 月、
中央工作会議が「強行着陸」のマクロ調整政策の実行を決めたのに伴い、中国人民銀行 は、貸付規模の抑制と検査を含む一連の緊縮性の通貨貸付政策を採用し、郷鎮工業に対す る貸付金を一時停止した。また専業銀行の預金利率を引き上げ、金利政策を相応に調整し た。一連の強硬措置を取ったことで、インフレ率はすみやかに降下した。1989 年第 3 四 半期、通貨供給量は減って、1990 年頃から物価も反落し急速に沈静化し、CPI が前年度 の 18.0%から 3.1%まで下がった(表 1-2 を参照)。
表 1-2: 1986-1991 年のマクロ経済状況(年対年%)
年 1984 1985 1986 1987 1988 1989 1990 1991
成長率GDP 15.2 13.5 8.8 11.6 11.3 4.1 3.8 9.2
上昇率CPI 1.9 9.3 6.5 7.3 18.8 18.0 3.1 3.4
上昇率Mo 49.52 24.71 23.34 19.38 46.72 9.84 12.81 20.17
上昇率M1 31.42 5.84 28.05 16.22 22.48 6.31 20.17 3.15
上昇率M2 39.17 17.03 29.28 22.84 22.38 18.32 27.99 26.53 出所:『中国金融年鑑 1992』、『中国統計年鑑 1992』、『中国統計摘要 1993』。
そしてこの時期においても引き続き国有企業に対する改革が進められた。「拨改贷」と「利 改税」、「放権譲利」などの政策が、一部の国有企業については依然として業績改善の効果 が見られなかったことで、1986 年春から「経営請負制」を実行することになった。この 請負制の意図は、国有企業に損益を自己負担させ、企業の独立採算制を促進することであっ た。その結果としては、完全な自己負担制を導入することは出来なかったが、実行された 初期段階としては効果があったと評価された13。
第二章 「南巡講話」から 2002 年までの経済状況とマクロ的対応策
─財政、金融、貨幣手段の併用
1989 年の天安門事件による景気停滞の状況は、1991 年通貨の引き続く大量投入に促さ れ、M1 と M2 の対前年比増加率はそれぞれ 23.2%と 26.5%14に達し、工業生産の面で はようやく非国有・非公有制経済のリードにより徐々に底離れした。そして 1992 年始め、
鄧小平の「南巡講話」が経済の上昇する勢いを加速し、新しい発展ブーム(開発区ブーム、
不動産ブーム、債券ブーム、株式ブーム、先物ブームなど)が、巻き起こり、経済はまた たく間に過熱状態に達した。
1、マクロ的調整の重要性をめぐる議論
中国経済学者たちはこの経済状況に関して、適切なマクロ的調整の必要性を訴えていた。
「発展経済学」の先駆的経済学者として中国内外の学界において高い評価を受けている張 培剛は次のように述べている。「発展途上国である中国にとっては、政府からのマクロ的 コントロールは必要不可欠である。なおそのマクロ的調整策は適当な範囲で、適度な度合 いで行うべきである」15。彼は更に以下のいくつかの注意点を指摘した。「一つは、追いか け型の発展戦略を実行するために、政府が過度な拡張的マクロ調整策をとれば、インフレ を招くことになる。もう一つは、国内工業の水準を高めるために、政府が過度な保護政策 をとれば、工業の国際的競争力を高めることを阻害する要因になる。それゆえマクロ的調 整では政府の合理的な機能を発揮させるべきだ」16と強調した。また市場経済の旗手とし て著名な呉敬璉は「社会主義市場経済メカニズムの有効的な運行に公平合理的な競争シス テムとマクロ的調整システムが不可欠である」17と論じた。
2、税・財政政策と通貨政策などの複合的調整
以上の経済学者たちの指摘や論点を踏まえて、マクロ経済の安定を実現させるために、
1993 年 4、5 月鄧小平が自ら介入して中央指導層に決定を出させた。一つは、1993 年 6 月、中共中央国務院「財政、貨幣金融投資などの分野の目前の経済状況やマクロ的調整に 関する意見」の提出、これは経済を安定させるための「16 個の計画」を盛り込んだ応急措 置であった。具体的に見ると、一気にブームになった住宅建設に対して、人民銀行から各 地方銀行に向けた貸出を取り消し、預金率を 2 回も高めた。もう一つは、1993 年 11 月中 共第 14 期 3 中全会が採択した「社会主義市場経済体制建設の若干の問題に関する中共中 央の決定」である。その決定の中で新しい財政税制体制(国務院「分税制財政管理体制の 実行に関する決定」)を打ち立て、付加価値税を中心とした間接税重視の税体系が整備さ
れ、企業の法人税や個人所得税などを統一し、市場経済の下で平等に競争することを促し た。そして金融体制改革を行い、国有企業改革を加速し、新しい社会保障制度を構築する など社会主義市場経済体系を樹立する方針が示された。これらの措置が採られた後、過熱 の勢いにすみやかにブレーキがかかった。M1 の増加率は、1993 年 6 月の 34.0%から 10 月の 15.6%まで下がり、国有部門への投資の伸び率は同時期の 74.0%から 58.0%18に下 がった。
当時 1992 年の中国共産党 14 大会の報告によれば、「私たちが建設する社会主義市場経 済体制は、社会主義国家のマクロ的調整のもとで、資源配分についての市場の基礎的作用 を発揮させる」。「この社会主義市場経済に関する概括には切り離せない二つの側面、いわ ゆる資源配分における市場の基礎的作用と国家のマクロ的調整が含まれる。この両方面が 内在的に統一し、互いに補完しあって、社会主義市場経済体制の本質的内容を構成する」、
と明確に指摘していた。
この党大会の方針を受け、この時期からは市場経済体制の設立と通貨、資本市場の形成 に伴う間接的調整手段が行われるようになり、複数の手段を併用する新しいマクロ的調整 体勢の基礎が構築された。
1997 年 7 月アジア金融危機の勃発を受け、中国には 1997 年に需要不足、市況の軟調、
成長率の低下が生じた。中国政府は 1998 年始め内需を拡大し経済成長を牽引する方針を 提起した。具体的には、国債発行に基づく投資を中心とした「積極的財政政策」(主にイ ンフラ、例えば高速道路、交通、発電、大型水利プロジェクトなどの投資)、また「適度 な拡張的貨幣政策」などを採った。例えば、中央銀行は 1998 年 3 月 25 日に預金金利と 貸付金利をそれぞれ前年比から 0.16%と 0.60%引き下げ、7 月 1 日には同様に 0.49%と 1.12%引き下げ、また 12 月 7 日に同じく 0.50%と 0.50%引き下げるなど計 7 回にわたっ て預金・貸付金利率を引き下げ、通貨供給を増加させた。
3、国有企業に対する改革への配慮
この時期に政府は財政政策と貨幣政策などの複合的調整とともに、国有企業に対する固 定資産投資策にも気を配った。実は、国有企業に対する固定資産投資問題に関して、「は じめ」の部分で紹介した評価とは類似した見解が数多くみられる。そのうち典型的な観点、
D.J.ジョンソンの見解を取り上げよう。「工業部門においては業績の悪い企業のうち 1 ╱ 5 の企業の負債が資産を超過する状態にあり、その大部分は資産収益率がマイナスである。
財務上の困難を抱える国有企業は典型的に過剰な投資を行っている。そうした投資は、自 己資本によるものではなく、借入によってまかなわれている。業績が悪い国有企業は、工 業部門の企業の合計にわずかな割合しか占めていないが、すべての工業部門会社の純負債
(GDP 12%)のほぼ 40%を占めていて不良債権につながる。これらが占める固定資産の 割合も同様である」19。この見解に関して、国有企業に対する固定資産投資を具体的に見 れば、その観点とは異なる様相が明らかになる。
1997 年第 15 回党大会決定は「国有企業の配置については進むことも退くこともある」
という選別的調整の要求を提出した。数十万の中小国有企業の制度を改革し、所有権を明 確にして市場志向の民営企業にすること、そして民営企業の創業と経営環境を改善し、国
家経済貿易委員会を設立し、中小企業の発展を助けることが目指された。国務院発展研究 センターの調査報告20によると、1998-2002 年の集団経済、個人経済、その他の経済にお ける固定資産投資の伸び率は、国有経済の固定資産の伸び率よりも高いことは以下のデー タ(表 2-1 を参照)からわかる。つまり、中国政府は国有企業の業績に関係せずに過剰投 資を行っているのではなく、中小企業と非国有企業に対する固定資産投資をも重視してい ることが明らかである。
年 全社会
平均 国有
経済 集団
経済 個人
経済 その他
経済 株式制
経済
外国企業 投資
香港台湾 投資
共同経営 経済 1998 13.9 17.4 8.9 9.2 11.6 40.3 - 16.2 42 37.9 1999 5.1 3.8 3.5 7.9 5.3 27.3 - 12.6 - 8.7 35.1 2000 10.3 3.5 10.7 12.2 28.5 63.9 - 8.4 6.2 - 3.2 2001 13.0 6.7 9.9 15.3 28.9 39.4 7.8 22.4 - 0.2 2002 16.9 7.2 13.4 20.1 36.2 47.1 19.1 11.5 46.2 出所:『中国統計年鑑』(2004 年)。
表 2-1: 各経済タイプの固定資産投資の増加(対前年比%)
そして 1998 年以降中国政府のマクロ的調整により、2000 年初めには数年来の経済成長 率下落の趨勢にブレーキがかかり、CPI もマイナスからプラスに転じた(表 2-2 を参照)。
表 2-2: 1992 年- 2001 年の GDP、CPI、M o、M1 、M2 の上昇率(%)
年 1992 1993 1994 1995 1996 1997 1998 1999 2000 2001 成長率GDP 14.2 13.5 12.6 10.5 9.6 8.8 7.8 7.1 8.0 7.3
上昇率CPI 6.4 14.7 24.1 17.1 8.3 3.1 - 0.6 - 1.3 0.8 0.7
上昇率Mo 36.45 35.27 24.3 8.2 11.6 15.6 10.7 20.1 8.90 6.39
上昇率M1 35.73 21.61 26.8 16.8 18.9 16.5 11.9 17.7 15.9 12.7
上昇率M2 31.28 24.01 24.5 29.5 25.3 17.3 15.3 14.7 12.3 13.6
出所:『中国統計年鑑』(1995,1998,1999、2000、年)、『中国金融年鑑 1997』、『中国金融展望 1997』。
第三章 2003 年からの経済成長とそのマクロ的調整政策
─行政、財政税制、金融、貨幣、法律など多方面のマクロ的調整の運用 2003 年に SARS(重症急性呼吸器官症候群)に見舞われその伝染などの恐れに起因して、
第三次産業を中心に打撃を受けたにもかかわらず、中国経済の成長は依然として良好な状 態を維持していた(2003 年度の経済成長率は 8.5%に達成した)。数年連続して高度成長 を続けたその高い成長をめぐる評価について、経済学者たちの間では過熱であるかどうか について異なった多様な見方があった。
1、景気過熱をめぐる諸評価
北京大学厉以寧教授によれば、二十数年以来の経済発展と改革の経験に基づいて判断す るならば、当面する中国経済の多少の過熱は大した問題ではない。もし景気が低迷すれば 失業、消費需要不足などのより深刻な問題を引き起こすであろうと指摘した21。厉以寧が 中国の景気が多少過熱していることは承認しながらも、しかもそれを受容できる程度であ ると捉えていることは明らかである。
これに対して、社会科学研究院経済研究所張卓元研究員は中国経済の高い成長について 以下のように述べている。経済が過熱しているか否かは総量から判断すべきだ。2003 年 の投資と貸付の統計データからみると、その過度に高い増加率は中国経済が総体的に過熱 化の傾向にあることを示している。これまでの中国経済発展過程から判断すると、景気停 滞と過熱とが交替して訪れてきたのであるから、今後予測される景気の激的な変動は防止 すべきだと指摘した。
以上の両者とも異なって、社会科学研究院劉国光教授は、2003 年以来の経済状況を局 部的な過熱であるが、全面的な過熱ではないと判断した。彼によれば、2003 年以来の景 気上昇周期は 20 世紀 90 年代初期の全面的な景気過熱とインフレとは違って、部分的な部 門における過度な投資と景気過熱である。したがって問題点はあるが、それは全面的なも のではないと述べている。
呉敬璉はこれら三者とも異なって、次のように指摘した。中央政府が内需を拡大させる ために 1998 年から拡張的貨幣政策をとったことで、M2 上昇率が 2000 年には 12.3%に 達し、まだ上昇する趨勢がある。通貨が必要量より多く供給されると、特に M2 の供給量 が増えれば総需要が拡大される。そしてまた最終的に CPI の上昇をも引き起こす、と。こ うして彼は、目前の通貨供給量の増大が経済過熱を引き起こしたと見ている22。以上から 呉敬璉は、投資過熱による部門的、局部的過熱という見方には賛成しないが、過剰流動性 による全面的過熱から景気過熱を判断しているということは明確である。
景気が総体的に過熱しているか否かに関しては、経済学者たちが各々に独自の見解があ り、意見は一致していなかった。中央政府は全面的な景気過熱といった見解を受け入れな かったが、部分的な過熱といった判断を受け入れ、それに基づき以下のような調整策をとっ た。
2、通貨・金融政策による調整
2003 年 6 月から貸出急増が顕在化した状況が生じたのに対し、人民銀行は 9 月に預金 準備率を 6%から 7%までに引き上げた。2004 年 10 月に人民銀行がもう一度金利を引き
上げ、11 月には国家発展・改革委員会も財政政策の転換を容認するに至り、12 月に財政 政策を「積極」から「穏健」に転換する方針が決定された。そして引き続き 2006 年にも 4 月と 8 月に金利を引き上げ、7 月、8 月、11 月に預金準備率を引き上げ、3.65 兆元の手 形発行を行うなどの政策をとった。この政策によって 1500 億元の流動性が凍結されたと、
人民銀行の責任者は評価した23。そしてまた 8 月 19 日に、人民銀行預金、貸出基準金利 を 0.27%引き上げた。
また最近の政府の金利調整の動向を見てみると、中国人民銀行が 2007 年 3 月から 12 月までに 6 回の金利を調整し、12 月 21 日から金融機関に向けた預金と貸付金利を調整す る決定を出し、定期(一年)預金金利率を 3.87%から 4.14%まで引き上げ、定期(一年)
貸付金利率を 7.29%から 7.47%まで引き上げた。また米国金融危機に対応して、2008 年 9 月 15 日に 6 年 7 ヶ月ぶりの利下げを決めた。三日後には株価下落に歯止めをかけるため、
政府系の投資会社が銀行株を買い増すと発表した。18 日に発表された株価対策で銀行株を 買うことになったのが投資会社の中央匯金で、この決断をしたのは共産党と政府の首脳で あり、対策がトップダウンで電撃的に決まったという。中国は米経済の混乱に巻き込まれ 景気が急減速する前に、中小企業に的を絞って緩和するという対象選別対策を打ち出した。
「中国人民銀行は『保護する対象と抑えつける対象を区別する原則』を実行したと説明する。
ほかの国の金融政策にそんな原則はない。経済を国が支配しているからできる手法であり、
機動性は高い。」と日本経済新聞(2008 年 9 月 24 日)は評価している。
2007 年度の種々の引き締め政策の結果、CPI が 6.9%まで上がった時期(当年 11 月に)
もあったが、その金利調整の結果 CPI を 4.8%まで引き下げることが出来た(表 3-1 を参 照)。
年 2002 2003 2004 2005 2006 2007
GDP 上昇率 8 8.5 9.5 9.9 10.7 11.4
CPI 上昇率 - 0.8 1.2 3.9 1.8 1.5 4.8
Mo 上昇率 10.1 14.3 8.72
M1 上昇率 18.4 18.7 14.1
M2 上昇率 19.9 19.6 15.5
出所:『中国統計年鑑 2007』『中国金融展望 2006』。
(なお 2005 年以後の M o、M1、M2 上昇率のデータは入手できなかった。)
表 3-1: 2002 年- 2007 年の GDP、CPI、M o、M1 、M2 の上昇率(年対年%)
以上の三章で考察してきた通貨・金融政策を踏まえて、改革開放以降の中国におけるマ クロ的通貨・金融調整政策の意義と役割は、以下のようにまとめることが出来る。
中国は、改革開放以降いくつかの比較的影響力の大きいインフレやデフレ変動に直面 した。とくに深刻であったのは、1979-1981 年のインフレ、1985-1989 年のインフレ、
1993-1994 年の最も深刻なインフレである。これらのインフレを引き起こした重要な要因 は、人民元紙幣の過剰発行である。ここで「過剰発行」とは、貨幣の発行量が国民経済の 活動指標と見なしうる GDP の成長率より遥かに上回る量で発行されるということである。
この時期の通貨量、物価などの変化については、各章のデータにより作成した以下の図表 を参照されたい。
表 3-2: 1978 年—1995 年中国貨幣発行量(億元単位)
年 Mo M1 M2 年 Mo M1 M2
1978 212/211.9 948.4 1159.1 1987 1454.48 5291.4 8252.8 1979 267.7 1210.9 1458.1 1988 2133.98 5985.9 10099.6 1980 346.2 1521.3 1842.9 1989 2343.98 6382.2 11949.6/13215 1981 396.34 1755.8 2234.5 1990 2644.4 6950.7 15293.4 1982 439.12 2022.3 2589.8 1991 3177.8 8633.3 19349.9 1983 529.78 2336.4 3075 1992 4336 11731.5 25402.2 1984 792.08 3173.1 4146.3 1993 5864.7 16280.4 34879.8 1985 987.78 3528.7 5198.9 1994 7288.6 20540.7 46923.5 1986 1218.38 4415.2 6718.1 1995 7885.3 23987.1 60750.5 出所:『中国統計年鑑 2004』『中国金融年鑑 2004』。
図 3-1: 1984 年―2004 年 GDP、CPI、Mo 、M1 、M2 の上昇率(年対年%)
出所:各章のデータに基づき作成した。
以上のデータとグラフから分かるのは、GDP の成長率がほぼ一定の場合、例えば 1988 年の GDP 成長率は 1987 年の GDP より 0.3%下がっているだけであるが、これに対して、
1988 年度の貨幣供給量は前年度より遥かに増加していたということである。M o が(1987 年から 1988 までの一年間で)27.34%上昇し、 M1 も 6.26%上昇したことで CPI が 7.3%
から 18.8%まで急上昇し、1989 年まで続いたインフレを引き起こしたことは明らかである。
政府は、インフレが起こった直後に、人民銀行を通じて 1979 年から 1985 年までは銀 行の貸付管理を強化し、5 回の金利調整をした。そして、1988 年 9 月、中央工作会議が
「強行着陸」のマクロ的調整政策の実行を決めたことに伴い、中国人民銀行は、貸付規模 のチェックと抑制を含む一連の緊縮性の通貨貸付政策を採用し、郷鎮工業に対する貸付金 を一時停止した。また専業銀行の預金利率を引き上げ、金利政策を相応に調整した。1993
年 12 月、国務院「金融体制改革についての決定」が公表され、中央銀行による強力なマ クロコントロールシステムの確立、政策銀行の設立、国家専業銀行の国有商業銀行への転 換、外貨為替管理体制の改革などが打ち出された。つまり、GDP の上昇率に応じた流通 に必要な貨幣量よりもより多くの貨幣が供給され、物価の高騰を引き起こしそうになった 時、政府が中央銀行である中国人民銀行の人民元発券の調整と金融機関の金利政策とを通 じて、迅速に対応してきたという事実である。
3、国有企業に対する改革の深化
前期の国有企業に対する改革に引き続き、国有企業に対して現代企業制度の整備と民営 化、株式会社化の改革がより一層推進された。特に注目されるのは 2005 年の国有企業改 革である。当時の改革は以下の構想に沿って進められた。①国有資金が進出も撤退もでき るような合理的に移動する仕組みの構築、②国有大型企業の株式会社化の推進、③国有企 業が担っている社会的機能の分離及び困難を抱えた国有企業の政策的閉鎖・破産の推進、
④電力、通信、航空などの業種、郵政、鉄道業などの都市公益事業の改革と参入障壁の緩和、
競争原理の導入、を課題としていた。そのうちとりわけ注目したいのは、株式会社化を推 進する上でネックとなっていた「非流通株」(国有株と国有法人株)の解消が本格的に始まっ たことである。
当時、国や国有法人が握っている「非流通株」は、上場企業の発行済み株式の約 7 割を 占めていた。市場で売買できないから、上場会社や大株主が株価の変動に関心を持たず、
株式売買を通じた資産の再編や出資主体の多元化による株式会社化推進のネックとなって いた。したがって「非流通株」の市場への放出は、早くから課題となっており、2001 年 に一度試みられたものの(国有株放出で調達した資金を全額社会保障に用いる計画であっ た)、株価の暴落を招いたことからすぐに中止された。
2005 年 4 月 29 日にスタートした今回の改革は対象となる企業を慎重に選択し、46 社 の「非流通株」解消の実験を踏まえて 2 回に渡って行われた。流通株を保有する一般投資 家への補償をした上で従来上場取引できなかった株式に上場取引の資格を与えるという方 法が取られた。同年 6 月には「上場企業の株式分離状態の改革に関する指導意見」など 3 つの文書が出された。ここでの株式分離とは、「非流通株」と「流通株」に分離すること を指す。当該問題に関する指導意見を述べた文書では、流通権を獲得した株式が必ずしも 市場で全部売却されるわけではないこと、国有経済の主導的地位を国家が確保する必要か ら設けられた株式支配株を所有することなど全面的売却の進行にはあらかじめ歯止めがか けられた。その一方で、「非流通株」の解消は「国有独資」(国家のみが出資する企業)、「国 家支配株所有企業」(上述の意味での国家支配株を所有する企業)を含んで急速に進めら れた。「非流通株」解消企業は 2005 年 11 月時点で 280 社、その時価は上海、深セン両証 券取引所の上場企業 1381 社の時価総額の 4 分の 1 だったが、2006 年 1 月 11 日時点では 434 社に増えている。また 12 月 5 日までに 310 社の解消案が承認されたが、うち 175 社 は「国有独資」、「国家支配株所有企業」であり、175 社のうちの 34 社は「中央企業」(中 央政府が主導する企業)であった24。
以上で見た通り、中央政府の基本方針は、経済成長の中、外資や民営企業の役割を十分
重視し、効率の良くない国有企業の民営化や外資化を進めると共に、国民経済的命脈に係 わる部門については国有制を維持しながら企業改革を進めることにあった。1999 年から 国有企業の利益が上昇し始めて、2005 年の収益は 9047 万億元に達し、対前年比で 25%
も上昇した。そして当年の国有企業が納めた税額は 5500 億元を達成し、この点で国民経 済の全体的発展に物質的基礎を提供できたと国有資産管理委員会によって評価された25。 この実態は、冒頭で述べた「ミクロとマクロの乖離」という評価とは異なった実態を示し ている。つまり、国有企業の業績の良し悪しには関係なく無頓着に次々と投資しているの では全くなく、効率の良くない国有企業の民営化、外資化、株式化を進め効率の上昇を図っ てきたのである。
4、産業調整政策の重視
この時期には、高成長の中で産業調整政策の施行が意義深い。2004 年度のデータから 見ると、第一次産業の生産高は 20,956 億元であるのに対し、第二次産業は 73,904 億元 と第一次産業の 3.5 倍であった。不動産投資を含む第三次産業の生産高は 65,018 億元で あった。2004 年度第一四半期には、第二次産業の成長率は 75.8%であるのに対し、第一 次産業の成長率は 0.4%、第三次産業の成長率は 37.2%で、業種別の成長は非常に不均衡 であった。中国政府はこの問題を意識し、国務院と国家発展・改革委員会26は、2005 年 12 月に「産業構造調整促進暫定規定」を施行した。この規定は、業種を奨励類、制限類、
淘汰類と三つに分類し、国家からの投資と外資導入などを選別的に行うとする決定である。
この決定に基づき、第二次産業の資源多消費、汚染多排出業種を制限し、農業税廃止と農 業生産物の価格を安定させるといった農業支援政策などを採用して産業間の協調的発展を 図った。
5、複合的なマクロ的調整政策の運用
2000 年以降の過熱などの経済局面が現れると、その問題の複雑さに起因して単独のマ クロ的調整手法で対処することは難しい段階に至った。その経済過熱傾向の中で不動産投 資ブームに向けた、十部門・委員会の「15 条措置」を例としてあげてみよう。2006 年 5 月 29 日に国務院办公厅(事務局)は建設部、国家発展・改革委員会、監察部、財政部、
国土資源部、人民銀行、国家税務局、国家統計局、銀行業監督管理委員会による「住宅供 給構造の調整と住宅価格の安定に関する意見」を公表し、6 月 1 日から実行した。それは 不動産投資に関して計画的、税収財政政策、貨幣金融政策、土地政策、法的政策など高い 効果が予想される種々の対応策である。
具体的に見てみよう。
(1) 計画的政策の面では、当地の住民が自ら住む住宅需要を満足させる中小型、中低価格 の標準的分譲住宅を重点的、計画的に建設する。新たに着工する住宅は、建築面積 90 平方メートル以下の住宅面積の比重を、開発建設総面積の 70%以上にする。
(2) 税収財政政策の面では、2006 年 6 月 1 日より住宅を購入してから 5 年以内に転売し た場合は、収入の全額に営業税を課する。
(3) 通貨金融政策の面では、開発プロジェクトに対する自己資本の比率が 35%に満たない 不動産企業には、商業銀行は融資してはならない。3 年間空室だった分譲マンション
を商業銀行は融資の抵当にしてはならない。個人住宅ローンの頭金の比率は 30%を下 回ってはならない。建築面積が 90 平方メートル以下のものは 20%とする。
(4) 土地政策の面では、中低価格・中小型標準的「商品住宅」(賃貸物件ではなく、分譲物件)・ 低家賃住宅の土地供給が、その年度の居住用地総供給量の 70%を下回ってはならない。
土地使用権購入契約後「1 年未開発」(1 年経過しても建築に着工しないこと)の場合 は土地放置費用を徴収し、2 年間「未開発」の場合は無償で土地使用権を回収できる とする。
(5) 法的調整手段の面では、不動産の開発・建設の全過程に対する監督管理を強化し、不 動産取引における違法行為を適切に処分するなどの政策が打ち出された。
これらの政策の決定と実行の効果のもとで、サブプライム危機のような不動産取引信用 をめぐる不安要因の発生を避けることが出来た。
以上見てきたことから明らかであることは、国際ジャーナリスト田中宇による「不動産 への過剰投資、建物や生産設備などの過剰投資、金融機関の不良債権などの面から中国経 済が危機に直面している」27といった分析は、妥当ではないと思われる。
以上の考察を通じて、経済変動を引き起こした要因別に対応させながら貨幣政策や金融 政策と税財政政策、法的調整などとを結合させて、比較的安定した発展経路が辿られてき たことが明らかになった。
20 数年来中国経済では大体において、党大会や人民代表大会を軸として、経済発展計画 や新しい政策が打ち出されることによって、経済成長は周期的に変動してきた。これらの 変動に対し、中国経済会議は、中国政府が速やかに冷静的対応をとり、将来の大きな経済 変動が起きうる可能性を十分に認識し「穏定増長法」(安定した発展を維持するための法 令)を制定し、対応策を法律化させることを決定した。中国経済会議は一年ごとに行われ る経済領域の成果やこれからの課題などを中心とする会議で、特に 1999 年の当該会議で は、マクロ的政策が連続性、安定性、弾力性を保持すべきだと強調した。この会議により、
正常な市場経済原則に違反することや経済成長を阻害する要因を法律で規制することがで きるのである。
終わりに
本論文においては、改革開放以降の経済変動とそれに対するマクロ的調整を中心に、実 証的に分析を試みてきた。中国市場経済はまだ発展途上にあって多くの問題を抱え、また そうした問題を解決しながら発展をしつづけていることが明らかになった。
本論文の第一章、第二章では、中国改革開放の初期段階から 1992 年(「南巡講話」)ま での景気変動およびそのマクロ対応策を整理した。第三章では、「南巡講話」から 2002 年 までの経済状況とマクロ的対応策を、第四章では 2003 年からの経済成長とそのマクロ的 調整策を整理した。
以上の分析により、社会主義市場経済へシフトすることに伴い中国のマクロ調整政策は、
行政的直接的な調整手段から間接的調整手段へと次第にシフトしたことが分かる。つまり
行政的直接的調整手段から財政的調整の導入と、金融的マクロ調整と貨幣政策を伴うマク ロ的調整へと、また財政、金融、貨幣手段、法的手段の併用へと変遷してきたのである。
中国改革開放以降のマクロ的調整策の変遷を辿ることによって、中国市場経済におけるマ クロ的調整の意義と役割を客観的に認識することの重要性と、とりわけ GDP(商品・サー ビス供給の変動)に照応した適正な通貨管理政策を行う重要性が明らかになったと考える。
注
1 http://www.bbt757.com/cs/info/yukan-fuji/lib/2004/20040807.htm 「直言 !『大前 研一ライブ』紙上記再録」 夕刊フジ 2004 年 8 月 7 日号
2 酒井正三郎教授の報告「中国市場経済はどこを目指すか──社会主義的調整局面の現 状と課題」によりまとめた。同報告は 2006 年 12 月 2 日に中央大学駿河台記念館で行 われた「中国中央編訳局訪日団公開シンポジウム」の基調報告によるものである。
3 石川純生 増井彰久 仲山里美「中国:過剰流動性によるマクロ経済上の諸問題」『開 発金融研究所報』2006 年 9 月、第 31 号、48-49 ページ。
4 日本経済研究センター編『大開発中国経済』日本経済新聞社、2005 年、16 ページ。
本書での「景気循環」とは、アメリカの大統領選挙と景気循環の関係について、経済学 者のノードハウスによって明示的に提唱された概念である。循環が起こる原因は、政権 与党が選挙対策のためマクロ経済政策を拡張的に変化させて景気を刺激することにあ る。その結果選挙の年には景気が頂点に達するが、これからのマクロ経済は基本的に持 続不可能であるため、選挙後には引き締め政策に転じざるを得ない。したがって選挙後 の景気は悪くなるが、次の選挙が近づくと再び拡張政策を採って、景気を上向きにしよ うとすると述べている。
5 田中修『検証 現代中国の経済政策決定』日本経済新聞出版社、2007 年、48 ページ。
6 呉敬璉、青木昌彦監訳・日野正子訳『現代中国の経済改革』NTT 出版社、2007 年。
7 1992 年 1 月に鄧小平が南方を視察した時に、改革開放を訴えた講話である。
8 『中国統計年鑑』は、国家統計局から年ごとに及び産業ごと、地域ごとなどのデータ を厳密に収集し、作成する信憑性の高いデータ集である。
9 『中国統計年鑑(1986 年)』、中国統計出版社、1986 年、528 ページ。
10 国務院は、総理、副総理若干名、国務委員(副総理に準ずるポスト)若干名、各部部長、
各委員会主任、審計署長(日本の会計検査院院長に相当する)、秘書長によって構成さ れる。各部長・各委員会主任が日本の大臣に相当する。国務院のポストの任期は全国人 民代表大会と同じく 5 年であり、総理、副総理、国務委員は三選が禁止されている。
11 1985 年 9 月 18 日から 23 日までに開かれた中国共産党全国代表大会に提出された経 済体制改革に関する基本原則と基本法案に関する文書。
12 武力主編『中華人民共和国経済史』(下)、中国経済出版社、1999 年、895 ページ。
13 同上 902-904 ページ。
14 『中国統計年鑑』1994 年データによるもの。
15 張培剛『新発展経済学』河南人民出版社、1992 年、205 ページ。
16 同上。
17 呉敬璉『計画経済か市場経済か』中国経済出版社、1992 年、23-40 ページ。
18 『中国統計年鑑』1994 年データによるもの。
19 OECD(経済協力開発機構)事務総長である D.J.Johnston 氏の『OECD 中国経済 白書 2006』 (阿部一知「監訳」、中央経済社)の経済成長に関する内容によりまとめた。
20 『中国発展研究:国務院発展研究中心報告選』中国発展出版社、2003 年、109-121 ペー ジ。
21 尹涛、浩民「貸付、インフレ、マクロ調整─五人の経済学者中国経済の脈を取る」「新 華网」2004 年 3 月 4 日 http://www.xinhuanet.com/。
22 「中国経済新聞」2004 年 4 月 23 日。
23 「中新网」2006 年 6 月 14 日 http://www.chinanews.com/。
24 「人民网」2005 年 12 月 22 日 http://www.people.com/。
25 「慧聪网 」 2006 年 1 月 23 日 9时22 分 http://www.hc360.com/。
26 中国のマクロ経済政策・産業政策の司令塔であり、日本の官庁で言えば、内閣府・経 済産業省・国土交通省・財務省主計局の企画部門を併せた権限を持つ。
27 田中宇「中国経済の危機」2006 年 6 月 27 日、http://tanakanews.com/g0627china.
htm。
参考文献
Ⅰ 日本語の文献
酒井 正三郎「中国『社会主義市場経済体制』の一断面 ―マクロとミクロの乖離―」基 調報告 2006 年 12 月。
「中国『社会主義市場経済体制』の持続可能性 ―発展メカニズムの矛盾―」(中国雲南 社会科学研究院・雲南大学で開催された「外務省日中研究交流支援事業『グローバル化 時代の経済格差問題』シンポジュウム」での報告)、2007 年 11 月。
大橋英夫『現代中国経済論』岩波書店、2005。
深尾光洋編『中国経済のマクロ分析―高度成長可能か―』日本経済新聞社、2006 年。
呉敬璉著、青木昌彦監訳・日野正子訳『現代中国の経済改革』NTT 出版社、2007 年。
OECD 編、阿部一知監訳『中国経済白書 2006』中央経済社、2006 年。
日本経済研究センター、清華大学国情研究センター編『中国の経済構造改革 ―持続可能 な成長を目指して―』、日本経済新聞社、2006 年。
田中修『現代中国の経済政策決定』、日本経済新聞出版社、2007 年。
厳善平「持続的成長は可能か ―エネルギー、環境、食糧の制約―」『中国経済入門(第二版)』
日本評論社、2005 年。
柯隆『日本企業対中投資の新たな選択―集中か分散か』富士通総研、2006 年。
門倉貴史『中国経済大予測』日本経済新聞社、2004 年。
カール・マルクス『資本論』(第 1 分冊)社会科学研究所監修、資本論翻訳委員会訳、新 日本出版社、1982 年。
カール・マルクス『資本論』(第 7 分冊)社会科学研究所監修、資本論翻訳委員会訳、新 日本出版社、1982 年。
宮川彰『「資本論」第 2・3 巻を読む (上)』学習の友社、2001 年。
種瀬茂、富塚良三、浜野俊一朗編著『資本論体系 第二巻商品・貨幣』有斐閣、1984 年。
Ⅱ 中国語の参考文献
劉国光『論経済改革与経済調整論』江蘇人民出版社、1983 年。
鄧小平「在中国共産党全国大表大会議上的講話」(1985 年 9 月 23 日)、『鄧小平文選』第 3 巻 人民出版社、1993 年。
陈信主编、王春娟、于颖副主编 『「資本論」学习与研究』东北财経大学出版社、2005 年。
樊纲、张晓晶主笔『怎么又过热了?── 新一輪経済波動与宏观调控分析』江西人民出版社、 2005 年。
上海福卡経済予測研究所『破解中国宏观调控大局』上海财政大学出版社、2007 年。
李永友『经济波动的财政政策稳定效应──基于中国 1978 年以来的经验数据的实证分析』 中国社会科学出版社、2007 年。
中国人民大学経済研究所『中国宏观経済の分析与予測 2006-2007』中国人民大学出版社、
2007 年。
武力主編『中華人民共和国経済史』(上・下)中国経済出版社、1999 年。
中国共産党 14 大報告。
中国共産党 17 大報告。
中国政府网 http://www.gov.cn/fwxx/sh/2007-12/21/content_839901.htm。
中国統計局网页http://www.stats.gov.cn。
『中国経済季報』World Bank Office Beijing 、www.worldbank.org.cn。