高尾忠男君の逝去を悼む
著者 青木 倫太郎
雑誌名 關西大學商學論集
巻 19
号 1
ページ III‑IV
発行年 1974‑04‑25
URL http://hdl.handle.net/10112/00021145
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高尾忠男君の逝去を悼む
関西学院大学
名 誉 教 授
青 木 倫 太 郎
昭和25年春,大学院経済学研究科が開設され,入試にパスした三人の学生 が私のゼミナールに参加しまし t~ 。そのなかの 1 人が高尾君でした。修士課 程の第1回生であるが故に,私が1927年(昭和2年)コロンビア大学の大学 院でマスクーコースを学修した頃のことを思い出しながら少し厳し過ぎるよ うな指導をやったと思います。 3人が実に仲よくスクラムを組んで私の要求 を入れて,学修に,語学に,報告に,論文に努力して呉れました。
ゼミ旅行も,兄弟の如く,師弟の如く,汽車に乗り,バスに乗り,プロペ ラ舟にも乗って実に楽しかった。このうるわしい,まじわりは行く末永く続 くものと信じていました。ところが,突然,本当に突然, 1人が永遠に欠け ました。教える子に先だたれる程,世にも悲しい淋しい,そして情けなくて 残念なことはありません。
6月18日「日商の薄記検定試験」の当日,大阪の商工会議所の採点場で審 査委員として私の隣りの座席で簿記会計の問題について親しく話し合いまし たのが最後の会話でありました。 8月10日には私は 2人の教え子と南海電車 に悲痛な思いで乗りました。老令の私には真夏の街道は少し苦行でした。し かし多くの会葬者が路面にあふれておられるのを見て気分を引き締め,導か れるままに御仏前の一隅に座し,御遺族,御親族,各種団休の代表者の皆々 と共に正面の遺影を見て,まだ学徒としては若くして世を去った「みほとけ」
に合掌しました。追悼のお言葉が始まり,大学学部長の弔辞のなかに「若き 日青木ゼミの門下生」であった旨の御言葉を頂き,私の眼頭は熱くなり,ぁ らためて正面の遣影を眺め,私の焼香の時はシバラクありし日のことども思 い出し,深い悲しみに沈みつつ香を焼き合掌して冥福を祈って座に戻りまし た。
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本詰は学術詰であると拝察しながら,この拙文が「学的」でないことを心 からお詫びします。しかし,「ありし日の高尾君」を思うとき,厳しい「学」
を論ずる気になれないような実に「まろやかな人柄」であったことがこのよ うな追悼文になりました。高尾君に先き立たれたことを実に残念に思い悲し むと共に御遺族の御清栄を祈って筆を掴きます。