塵埃感染の疑われたノロウイルスによる集団感染性胃腸炎事例
1)長野県環境保全研究所感染症部,2)長野県松本食肉衛生検査所
吉 田 徹 也
1)中 沢 春 幸
2)(平成 22 年 3 月 24 日受付)
(平成 22 年 6 月 3 日受理)
Key words : norovirus, dust transmission, outbreak
要 旨
2008 年 4 月下旬,長野県内の結婚式披露宴会場において,ノロウイルスによる集団感染性胃腸炎事例が 発生した.ノロウイルス感染症患者は披露宴参加者だけでなく,当該会場を担当したフロアスタッフからも 発生した.これに対し,調理従事者および他の会場を担当したフロアスタッフは,ノロウイルス感染症に罹 患しなかった.感染経路を明らかにするため,患者の発生した会場を掃除した専用の掃除機 3 台のダストを 採取し,real-time RT-PCR 法を用いノロウイルスの検索を行ったところ,すべて陽性であった.また,発 症した披露宴参加者便,フロアスタッフ便およびダスト由来ノロウイルス株のカプシド領域の一部の塩基配 列(280 塩基)を決定したところ,100% 相同であった.これらのことから,本事例の感染経路は,何らか の原因で披露宴会場の床がノロウイルスに汚染し,披露宴の間に塵埃とともにノロウイルスに暴露した,い わゆる塵埃感染であった可能性が強く示唆された.さらに,ダスト中のノロウイルス RNA 量は 1.7×104〜 1.6×105copies!g であったことから,汚染ダストは感染源の一つとして特に注意が必要であると考えられた.
〔感染症誌 84:702〜707,2010〕
序 文
ノロウイルス(Norovirus)はカリシウイルス科に 属する直径 30〜40nm の球形ウイルスで,約 7,700 塩 基のプラス 1 本鎖 RNA のゲノムを保有する.ノロウ イ ル ス に は 5 つ の genogroup(GI〜GV)が 存 在 し,
そのうちヒトに胃腸炎を起こすのは,GI,GII および GIV で あ る1).さ ら に,GI は 14 の 遺 伝 子 型 に,GII は 21 の遺伝子型に分類されている2).
ノロウイルスは,乳幼児から高齢者まで幅広い年齢 層に急性の胃腸炎を引き起こす主要なウイルスの一つ である3)4).ノロウイルス感染症の主な臨床症状は,吐 き気,嘔吐,下痢,腹痛,発熱などである.患者は糞 便中に非常に多くのウイルス粒子を排泄し,症状が治 まっても 10 日間程度はウイルスの排出が続くことが 知られている5)〜7).一方,ノロウイルスは非常に感染 力が強く,わずか 10〜100 のウイルス粒子で感染が成 立すると考えられている8).さらに,ノロウイルスは 乾燥にも強く,4℃ では 60 日間,室温(20℃)でも 20 日間以上生存可能と考えられている9).
ノロウイルス感染症は,本ウイルスに感染したヒト
から接触感染や飛沫感染によって 感 染(person-to- person)するほか,感染者によって食品が汚染され 食品媒介感染(foodborne)を起こすことが知られて いる.さらには,ノロウイルスによって環境が汚染さ れ,塵埃と共にウイルス粒子を経食道的に嚥下するこ とにより感染する,空気感染(airborne transmission)
に類似した感染を起こす塵埃感染(dust transmission)
に関する報告もされている10)〜12).
今回著者らは,長野県内の結婚式披露宴会場におい て,塵埃感染が疑われたノロウイルスによる集団感染 性胃腸炎事例を経験したので,その概要を報告する.
対象と方法 1.疫学調査
本集団感染症の疫学調査は,食中毒(foodborne)お よびその他の感染症(person-to-person)の両面を疑 い行った.
当該結婚式場を利用した利用客および当該施設の従 事者を対象に,症状の有無,程度,発症日時,当該施 設が提供した食事の献立ごとの喫食の有無などについ て,聞き取り調査を行った.
また,当該施設における調理室内の衛生管理状況,
披露宴会場の空調設備などについても,聞き取り調査 原 著
別刷請求先:(〒380―0944)長野県長野市安茂里米村 1978 長野県環境保全研究所感染症部 吉田 徹也
Table 1 Clinicalsymptomsofguestsand reception staff
Total(%) Staffa
Guest
Staff Guest
Females Males
Females Males
8 (100.0) 65 (100.0)
6 2
27 38
No.ofcases
2 (25.0) 46 (70.8)
2 0
17 29
Diarrhea
Clinical symptoms
7 (87.5) 43 (66.2)
5 2
15 28
Nausea
6 (75.0) 41 (63.1)
4 2
19 22
Fever
4 (50.0) 34 (52.3)
3 1
15 19
Abdominalpain
5 (62.5) 34 (52.3)
3 2
16 18
Vomiting
4 (50.0) 29 (44.6)
2 2
12 17
Chill
5 (62.5) 15 (23.1)
3 2
4 11
Headache
0 ( 0.0) 15 (23.1)
0 0
8 7
Languor a:Reception staff(Waiter)
を行った.
2.検査試料
患者糞便 8 検体,結婚式披露宴会場の従事者糞便 20 検体(内訳:調理従事者糞便 11 検体,フロアスタッ フ糞便 9 検体)を用いた.また,患者の発生した披露 宴会場の専用掃除機 3 台から採取したダスト 3 検体を 試料として用いた.
3.ノロウイルス検査 1)ウイルス RNA の抽出
糞便はリン酸緩衝生理食塩水(PBS(−))で 10%
程度の乳剤を作製後,4℃ で 10,000rpm,20 分間遠心 分離し,その上清を RNA 抽出用試料として用いた.
ダストは,まずストマフィルター(栄研器材)に約 1g 採り,SDS Tris-Glycine Buffer をダスト重量の 3 倍量加え,よく混和した後,1 時間以上室温で放置し,
フィルターろ過した.ろ液を室温で 10,000rpm,10 分間遠心分離し,その上清を RNA 抽出用試料として 用いた.
ウ イ ル ス RNA は,QIAamp Viral Mini Kit
(QIAGEN)を用い,使用説明書に従い,前述 RNA 抽出試料 140μL から抽出を行った.
2)DNase 処理および逆転写反応による cDNA 作製 抽出したRNA溶液24μLに,1UのDNaseI(Takara)
を含む 6μL の反応液を加えた.反応混合液は,37℃
で 30 分間処理した後,75℃ で酵素を失活させた.逆 転写反応による cDNA の作製は,次のとおり行った.
す な わ ち,DNaseI 処 理 液 15μL に,first standard buffer,各 1mM の dNTPs,10mM の DTT,0.75μg の random hexamer primers(Amersham Pharmacia Biotech),33U の RNase Inhibitor(Toyobo)および 300U の SuperScript II RNase(−)reverse transcrip- tase(Invitorogen)を含んだ逆転写酵素混合液 15μL を加えた.逆転写反応は 42℃,1 時間で行い,その後 94℃ で酵素の失活を行った.
3)Real-time RT-PCR
ノ ロ ウ イ ル ス 遺 伝 子 RNA の 検 出 お よ び 遺 伝 子 RNA コピー数の定量は,Kageyama ら13)の報告した Real-time RT-PCR に準じ,PRISM 7500(Applied Bio- systems)を用いて実施した.
4.ノロウイルスの遺伝子解析
COG2F13)!G2-SKR14)プライマーセットあるいは G2- SKF!G2-SKR プライマーセット14)によりカプシド領域 の一部を RT-PCR により増幅した後,PCR 増幅産物 は QIA quick PCR purification Kit(QIAGEN)を用 い精製した.精製した増幅産物は,ダイレクトシーク エンス法を用いて,塩基配列の決定を行った.塩基配 列は,ClustalW version 1.83(http :!!clustalw.ddbj.nig.
ac.jp!top-j.html)によりアライメントを行った.配列 間の進化的距離の計算は,Kimuraʼs two-parameter method15)を用いた.系統樹は近隣結合法を用い作成 し,1,000 回ブートストラップを行った.系統樹は,ア プリケーションソフトウェア TreeView(http :!!tax- onomy.zoology.gla.ac.uk!rod!treeview.html)を 用 い て描画した.なお,遺伝子型別および分子系統樹の作 成には,Katayama ら16)の参照株を用いた.
本研究で決定した一部のノロウイルス株の塩基配列 は,Genebank!EMBL!DDBJ に accession nos. AB 457612(フロアスタッフ由来)および AB457613(ダ スト由来)として登録した.
成 績 1.疫学調査結果
患者の認められたグループ(グループ A)の総数 は 119 名で,そのうち 67 名(56.3%)が発症してい た.聞き取り調査の行われた患者(n=65)の主な臨 床症状は,吐き気が 43 名(66.2%),水様性下痢が 41 名(63.0%),嘔吐,発熱および腹痛が 34 名(52.3%)
であった(Table 1).患者 の 発 生 状 況 は,2008 年 4 月 28 日の午前中をピークとする一峰性を示していた
(Fig. 1).披露宴開始時刻を暴露点と仮定した潜伏時 間は 10.5〜56.5 時間で,平均 34.3 時間であった(n=
Table 2 Resultsofnorovivuswith real-time RT-PCR positive No.
Sample
7 8 Guestfeces(symptomatic)
0 11 Foodhandler(asymptomatic) Staff
feces Symptomatic 5 4 Waiter
0 4 Asymptomatic
3a 3
Vaccum cleanerdusts
a:Containing 1.7×104,3.8×104,and 1.6×105copiespergram.
Fig. 1 Epidemiccurve ofgastroenteritiscaseswith as certained date ofillnessonsetand norovirusoutbreak (n=65)
65).
当該結婚式場では,グループ A の利用した 2008 年 4 月 26 日の午前中に,他グループ(グループ B)が 別会場で披露宴を行っていたものの,聞き取り調査の 結果,胃腸炎症状を呈する者はこのグループには認め られなかった.これら 2 グループに共通して提供され た献立は,2 品のみであった.また,グループ A が 用いた披露宴会場は 4 月 1 日〜25 日(本事例発生の 前日)までの間,延べ 10 グループ,930 名が利用し ていたが,胃腸炎症状を呈した者や会場内で嘔吐した 者の存在に関する情報は得られなかった.
当該結婚式場の調理従事者 11 名はいずれも発症し なかったのに対し,グループ A の披露宴を担当した フロアスタッフ 26 名中 8 名(30.8%)が 4 月 27 日〜
28 日にかけて胃腸炎症状を呈していた(Fig. 1 & Ta- ble 1).一方,グループ B の利用した会場を担当した フロアスタッフは,一人も胃腸炎症状を呈さなかった.
発症したフロアスタッフの披露宴開始時刻を暴露点と 仮定した場合の潜伏時間は 8.5〜55.5 時間(平均 40.4 時間)で,グループ A の患者潜伏時間とほぼ重なっ ていた(Fig. 1).なお,フロアスタッフの喫食調査 の結果,披露宴参加者との共通食は認められなかった.
また,グループ A の宴会中に会場内で嘔吐した者も,
認められなかった.
当該施設には調理室が 1 カ所あり,立ち入り調査を 行ったところ,調理器具・機材の洗浄・消毒方法,食 品の取扱い方法,調理従事者の手指の洗浄・消毒設備 の管理等は適正に実施されていた.
当該披露宴会場の空調設備は,部屋ごとに独立した 構造になっており,室内空気循環によって室温が調整 されていた.なお,本事例の発生した 4 月 26 日は,冷 房運転を行っていたことが聞き取り調査により確認さ れた.
2.ノロウイルスの検査結果
患者糞便 8 検体について,real-time RT-PCR 法を
用いノロウイルス遺伝子の検出を試みたところ,7 検 体が GII 陽性であった.また,調理従事者(いずれも 非発症)糞便 11 検体およびフロアスタッフ(発症 5 名,非発症 4 名)糞便 9 検体も同様にノロウイルスの 検査を実施したところ,発症していたフロアスタッフ 5 名中 4 名が GII 陽性であった(Table 2).
さらに,感染源を明らかにするため,A グループ の利用した披露宴会場の床を清掃した掃除機内のダス ト 3 検体についても,ノロウイルス検査を実施した.
その結果,3 検体とも GII 陽性で,ダスト 1g あたり ウイルス RNA 量は 1.7×104〜1.6×105 copies であっ た(Table 2).
なお,患者糞便,調理従事者糞便,フロアスタッフ 糞便,検食,調理室内拭取り等を検体として細菌検査 を実施したが,いずれも既知の食中毒起因菌は不検出 であった.
3.ノロウイルス遺伝子解析結果
患者糞便,発症したフロアスタッフ糞便およびダス トから検出されたノロウイルス各 3 株ずつ,計 9 株の カプシド領域の一部 280 塩基の配列を決定し,遺伝子 型別を行った結果,いずれも genotype は GII.3 であっ た(Fig. 2).ま た 9 株 の 塩 基 配 列 は,す べ て 100%
一致した.
考 察
以上の調査結果から,本事例はノロウイルスによる 当該結婚式披露宴会場における単一暴露が強く示唆さ れた事例であった.感染経路については,調理従事者 便がノロウイルス陰性であったこと,共通する献立は 少ないものの当該披露宴会場を同じ日に利用した B グループから発症者が認められないこと,喫食調査の 結果において有意差の認められる献立がなかったこと などから,当該結婚式場が提供した飲食物を媒介とす る感染症(foodborne transmission)の可能性は低い と考えられた.また,A グループの利用した披露宴 会場の床を清掃した掃除機内のダスト 3 検体がいずれ もノロウイルス陽性だったことから,何らかの原因で 当該会場内の絨毯張りの床が,ノロウイルスによって 広範囲に汚染されていたことが強く示唆された.
Fig. 2 Phylogenetictree ofnorovirusbased on the capsid nucleotide sequences. The scale representsnucleotide substitutionspersite.
患者由来 3 株,フロアスタッフ由来 3 株およびダス ト由来 3 株のノロウイルスについて遺伝子解析を行っ たところ,いずれの株も遺伝子型は 2006〜2007 年シー ズン以降日本国内で流行していた遺伝子型(GII.4)で はない GII.3 であった.さらに,これら 9 株のカプシ ド領域の一部 280 塩基の配列は 100% 一致したことか ら,披露宴会場由来株と患者由来株は強い関連性が示 唆された.以上の結果から,本集団感染は同一由来の ノロウイルスによる単一暴露である可能性が強く推察 された.
当該披露宴会場の空調設備は個々に独立(室内空気 循環)しており,本事例発生当日は,冷房を使用して いたことが聴き取り調査によって確認されたことか ら,一旦床から舞い上がったノロウイルスに汚染され たダストが長時間室内空間に漂い,暴露の機会を増加 させた可能性も推察された.このことで,さらに会場 内に出入りした多くの者が宴会時間内に塵埃とともに ノロウイルスに暴露(dust transmission)したと考え られた.
長野県では 2001 年にホテルにおいて,ノロウイル ス感染症患者の嘔吐物が施設内の床を汚染したもの の,消毒が不十分であったため利用客が次々に塵埃感 染したと推定されるノロウイルス集団感染症事例が報 告されている17).また,2006 年には東京都内のホテル
において,やはり嘔吐物によって床を汚染し,塵埃感 染と考えられる大規模な集団感染症事例が発生してい る18).海外においても,ノロウイルスの塵埃感染事例 は報告されており10)〜12),その多くは嘔吐物による施設 内の汚染が発端であると考えられている.今回の事例 の場合も,グループ A の使用した当日に,何らかの 原因で床が直接汚染されることにより感染が広がった ものと考えられた.しかし,聞き取り調査では宴会場 内において嘔吐した者は確認されなかったことから,
披露宴参加者の中の不顕性感染者により,まず空調を 使用することで,密閉された室内空間が汚染され,さ らに床も汚染されてしまった可能性も否定できなかっ た.
施設内環境の拭取り試料は,集団胃腸炎感染症事例 の感染ルート究明のための一つのツールとして重要視 されている19)20).本事例で掃除機内のダストからノロ ウイルス遺伝子が検出されたことから,ダスト試料は ノロウイルス集団感染症の感染ルート解明のための重 要な試料になり得ると考えられた.また,本事例では real-time RT-PCR 法を用い掃除機内のダスト中ノロ ウイルスの RNA 量を定量したことで,ダスト 1g あ たりの汚染レベルが 1.7×104〜1.6×105 copies と比較 的高濃度であったことが始めて明らかとなった.ノロ ウイルスの感染は 10〜100 のウイルス粒子で成立する
ことから8),本事例のダストであれば 0.1mg 程度の暴 露で発症量になることが推定された.このことからも,
ノロウイルス汚染ダストは,重要な感染源の一つにな り得ることが強く示唆された.ノロウイルスによる感 染を防ぐために,特に食品関係営業者あるいは清掃業 者は,掃除機内ダストの取扱いに注意を払う必要があ ろう.
本研究の一部は,厚生労働科学研究費補助金食品の 安心・安全確保推進研究事業「食品中のウイルスの制 御に関する研究」の助成を受けた.
(非学会員共同研究者:粕尾しず子,畔上由佳,内 山友里恵,長瀬博,藤田暁;長野県環境保全研究所感 染症部,園田春美;長野県伊那保健所食品・生活衛生 課)
文 献
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An Outbreak of Gastroenteritis Caused by Norovirus : Suspected Due to Dust Transmission Tetsuya YOSHIDA1)& Haruyuki NAKAZAWA2)
1)Infectious Diseases Division, Nagano Environmental Conservation Reseach Institute,
2)Nagano Prefecture Matsumoto Meat Inspection Laboratory
A norovirus gastroenteritis outbreak at a wedding reception hall in Nagano Prefecture in April 2008 af- fected that hallʼs reception participants and waiters, but not waiters or food handlers at another hall. To de- termine the infection route, dust in three vacuum cleaners used to clean the venue were tested for norovi- rus using real-time reverse transcriptase polymerase chain reaction (RT-PCR), with norovirus RNA detected from all three. Sequencing analysis of a 280-nt portion of the capsid region showed that 9 specimens from in- fected reception participants and waiters and dust samples had 100% nucleotide identity. This suggests that the infection route was dust transmission, that the reception venue floor had been contaminated with norovirus, and that participants and staff had been exposed to norovirus in dust during the wedding recep- tion. Dust thus requires specific attention as a potential infection source because norovirus cDNA copies were 1.7×104to 1.6×105per gram in dust specimens.