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一九五入年改訂学習指導要領における科学 教育の基本的性格

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(1)

一九五入年改訂学習指導要領における科学 教育の基本的性格

梅 原 利 夫

一 課題

 今日学校教育において︑授業についていけない子の激増という問題が重視されているが︑問題解決を困難にしてい

る一つの原因として︑それぞれの発達段階にふさわしい教育の内容︑課程︑方法がいまだ十分に見きわめられて

いないことがあげられる︒したがって科学教育においてもその克服のためには︑﹁何をどう教えるのか﹂の研究が

依然として最も重要な課題である︒その際に︑教育の内容.課程の﹁基準﹂として実践に大きな影響をもつ学習

指導要領にしめされている科学教育の基本的な性格を徹底的に究明することが必要である︒      ー       ほ 学習指導要領についてのこれまでの研究では︑第一に戦後における教育課程の制度的変化の研究対象として︑第       ②二に教育課程行政および教育法の対象として︑第三に解説・伝達の対象としてあつかわれる場合が多かった︒しか

し個々の教科についてみても︑学習指導要領の具体的中味にまで立ち入って︑基本的な性格を明らかにする研究 9       13は︑いまだ十分とはいいがたい︒学習指導要領には︑教科の基本的な考え方が貫かれており︑それを対象とする

(2)

ことによって︑教育実践のレベルにひきよせて真に学習指導要領を批判的︑創造的に研究する道に近づきうるの o      である︒       1

 さきに科学教育という言葉を用いたが︑それが示す意味内容は必ずしも一様ではない︒大まかに言うと科学教

育の用語は︑①自然科学と社会科学の統一としての科学ととらえ︑その成果に基づく教育をさす場合と︑②自然 ③科学のことをさし︑その教育を意味する場合とが区別される︒前者は︑科学についての厳密な定義であるが︑両

科学およびその統一的把握の内容自体が論争的課題となっており単純ではない︒また後者は︑狭義ではあるが実

践的に広く用いられているものである︒本論文で科学教育という意味は︑①の解釈への志向を根底に持ちながら

も︑②の意味に一応限定して用いる︒すなわち︑分析対象としては一般に理科︵物理︑化学︑生物︑地学︶と呼

ばれているものにおおむね該当している︒なお特に相互の関連を重視する意味から︑技術教育にも必要な言及を

する︒ 理科教育では自然科学の内容と方法こそを教えねばならないと組織的な主張がなされたのは︑戦後十年近くたっ

てから後のことであった︒それは戦前の理科教育の歴史的検討をふまえたもので︑それ自身積極的な提起であり

現在も課題となっている︒しかし重要なのは︑科学教育の中味の検討である︒板倉聖宣は︑﹁生活単元・問題解決

学習は科学そのものを教えることを意図したものであった噛と述べ︑原正敏︑佐々木享らは・星活単元゜問題解

      む        コ      め決学習の思想とは不整合の感をまぬがれないが⁝⁝科学の教育を重視しようという企図があった当と述べている

が︑問題は﹁科学︵教育︶﹂の内容であり︑これこそを明らかにしなければ正しい評価を下しえないのである︒そ

の際に︑科学教育の﹁科学﹂と学問体系の自然科学との関係︑および自然科学における科学的知識と科学的自然

 ⑥観との内的連関をどのように把握するかが問題となろう︒

(3)

     ω 一九四七年の学習指導要領改訂は︑戦後新教育の出発点をなすものであったし︑五八年改訂は︑四七年に続い

て最も全面的・体系的に行なわれ︑実施が強力であり影響も広範囲にわたるものであった︒五八年改訂を吟味する

ことは︑戦後教育において科学教育についての重要な基本方向が定まった部分に焦点をあてることである︒その

結果︑戦後の新教育や教育﹁改革﹂の社会的背景などの検討が不可避的に求められてくる︒だからこの改訂は︑

学習指導要領を素材として戦後教育史をみる場A口の一つの重要な研究対象なのである︒

 本論文では右の改訂を対象とし︑学校における科学教育が︑対応する学問体系としての自然科学や︑それを根

底からささえる科学的自然観と︑どのような内的連関を持っているのか︵または︑いないのか︶を軸に分析し︑

科学教育の構造究明の手がかりとしたい︒

       ⑧二 一九四七年・五一年版の科学教育の基本的性格

       ⑨ 敗戦直後の日本の科学教育の進むべき方向は︑多くは戦前・戦中批判を前提としていたが︑これらの主張は当

時の混乱した状況下で︑ともかく基本方向をさし示し︑その中心課題の一つに科学の振興と国民への普及を述べ

ていた︒しかしそれは一部を除いて︑戦争責任や科学・技術の戦争利用についての総括が不十分であり︑敗戦直

後の時期から︑科学教育を支える思想的・人的・組織的基盤をぜい弱なものにして出発せざるをえなかった︒

 四七年度使用のためにその年の三月に発行された﹃理科の本﹄四〜六学年用は︑四二年度以降使用された国民

学校﹃初等科理科﹄一〜三と目次︑構成を含めてほとんど同じものであった︒戦後の教科書編集の際もその責任

者であった岡現次郎は︑﹁私としては戦争中に国民学校高等科理科OとOを編集した経験がある﹂ので﹁皇国の道 1       14の修練⁝⁝という帽子を変えなければならない⁝⁝が︑それ以下の理科教育の根本方針は︑たいして変化させな

(4)

      ゆいでよかろう当と考えていたのであったから中味が同じなのは当然のことであった︒       では︑国民学校理数科理科の基本的性格とは何であったか︒国民学校の課題の一つは︑徳育強化︑皇国民育成14

であり︑他の一つは︑近代科学戦による自主技術開発のための科学技術の振興であった︒そのためには合理的創

造的科学精神が必要であるが︑同時にそれは皇道精神と矛盾してはならない︒そこで﹁日本的に科学する心﹂﹁自

然に和する態度﹂﹁生命的立場﹂などが常に強調されていた︒以上の根本的立場にあったとはいえ︑同時に理科の

内容と方法には︑児童の生活や自発性重視など︑大正期以来の民間での教育改革運動の成果︵国定教科書改訂や

低学年理科﹁自然の観察﹂など︶も反映されていた側面を見る必要がある︒しかしそこには決定的な弱点があっ

た︒それは︑理数科の﹁組織は︑決して既成の数学とか自然科学とか⁝⁝の学問の既成の体系を基本として樹立

せられるべきではない山と述べていることに表われている︒つまりそれ以前の理科が生活から遊離し︑事実の羅列

に終っていたことの原因を﹁学問体系﹂に依ったためであるとして批判し︑それ以後︑与える内容を﹁既成の学      術的な体系に拘泥することな当しに︑学問の成果と切り離されたものにしてしまったのであった︒しかし実際に

は︑それ以前の理科は学問体系に依っていなかったにもかかわらずこのように理由づけられることによって︑一

層学問体系との遮断が強められることになった︒戦後同じく岡が教科書編集をしている最中に︑コースオブスタデ

ィの作成命令が出され︑わずか二五日間で四七年版が書き上げられた︒ ﹁要するに︑学習指導要領は国民学校当      み初に大転回した方針をそのままに受けつぎ︑取材の範囲を一層拡大したものであった印と岡は語っている・しか

し︑国民学校理数科理科との連続面をも正当に評価しなければならないが︑戦後教育改革の方針や学習指導要領︑

新教科書の内容分折からすると︑岡のように簡単に割り切ることはできない叩

 四七年版.五一年版で示された科学の把握にこそ︑学習指導要領の科学教育の基本的性格の核心が秘められて

(5)

いる︵以下この節での学習指導要領からの引用は︑特にことわらない限り﹁五一年版小・理科﹂からである︶︒

 ﹁現象を研究して︑これまで自分の持っていた経験知識とうまく調和がとれるように説明がつくと︑その時に

できた調和のとれている知識の体系が科学である﹂︵﹁四七年版理科﹂︶︒

 ﹁自然現象について︑自分に納得のいく︵頭の中で矛盾のない︑調和のとれた︶解釈⁝⁝が自然科学的な知識

である﹂︵﹁五一年版小・理科﹂︶︒

 ﹁科学は⁝⁝人間が環境に適応しようとして生み出したものである﹂︵同︶︒

 ここでの特徴は︑科学を単に個々人の主観的体系における整合性ととらえており︑科学の持つ客観性の指摘が

捨象されていることである︒子どもの興味・自主性を尊重するあまり︑﹁科学を⁝⁝その子どもの持っている知      個識の体系﹂と考え︑科学をひどくあいまいなものにしてしまっている︒なる程︑子どもの科学を﹁一つのそぼく

なもの﹂とし︑﹁納得のいった解釈が︑⁝⁝客観性や普遍性をもっているならば⁝⁝完全な科学﹂といえるとのべ︑

科学にいくつかの段階を置こうとも試みてはいるが︑科学者の科学と子どもの科学とは﹁本質において変わりは

ない﹂として︑結局はこん然とさせてしまっている︒しかも主観的に納得がいけばよいのであるから︑科学は環

境を変革する武器ではなく︑環境へ適応するための受身的な性質の強いものになってしまう︒このような科学的

精神を育てることは︑結局子どもの興味にひきづられ︑納得のいく解釈のみが追い求められることになってしま

・つ︒ したがって︑科学教育の目標は﹁身のまわりに起るいろいろな現象や物事に疑問を持ち︑これを解決しようと

して予想をたて︑実際にためしてみて納得のいく知識を得︑これによって生活に筋道をたて︑これを応用して︑ 3

      お            く       ユさらに豊かにすること﹂となる︒また︑さきに述べた科学の客観性を不問にすることと関連して︑﹁四七年版理

(6)

科Lの目標では︑それでもまだ﹁真理にしたがい﹂という価値基準が示されていたが︑五一年版ではいろいろ興味      44をひろげるという表現になり﹁真理﹂が消えていることに注目すべきである︒       1

 さらに︑能力の定義も﹁一つの事態に熟練した結果︑他の新しい事態に対する適応力のついた状態﹂とし︑態

度については﹁ある事態に対して現われる思考的︑情緒的︑行動的反応の傾向性﹂としてあいまいで受身的なも

のになっている︒それゆえこれらの定義は︑主観的︑機械的に用いられる危険性があり︑その最たるものは︑図

一に示すような﹁四七年版理科﹂での二六もの能力発達段階図であった︒

 以上でみてきたように︑主観的な納得︑整合性を本質とした科学観は︑基本的立場

として︑子どもの興味や自主性を尊重しているにもかかわらず︑実際にはかえって形

式主義的︑機械的な教育観に陥っており︑教育内容編成の視点が不鮮明になってしまカ      ヒヒっている︒しかも︑自然に親しむことによって﹁自然の調和︑美しさ︑恵みを知﹂るム哨

ことができ︑﹁わた︵たちの生命も生活も︑自然から起り︑自然によって支えられて撤      分いる﹂という表現にみられるように︑根底には受動的な自然認識が横たわっていたの 二      的である︒       学      科 客観的法則・原理にささえられた科学的認識を媒介とすることなく︑自然に親しむ      一年ことによっておのずから理解できるようになるという考えは相当に根深いものであり︑図学

﹁四七年版職業科・農業編﹂に最も顕著に表われている︒そこでは﹁勤勉に働く習慣⁝⁝︵が身につけば  引

用者挿入︶:::必要な知識技能もおのずから身につくようになる﹂︵はじめのことば︶とか︑﹁愛育の心⁝⁝があ

ってこそ︵文章上ここに﹁おのずから﹂が入る  引用者︶⁝⁝鋭い観察や︑まちがいのない判断が行なわれるL

8 9

765

4 3 2 1

(7)

と述べている︒にの偲想の特徴は﹁認識主体め精神が︑−熱情的に認識対象に投げかけちれるご︸どにま⇔て︑事

実上対象と融合一体化し︑それによって対象に対する﹁科学的﹂ロムロ理的Lな知識・技能が芽ばえ︑それを習得す

ることができるというものであった︒

三 五八年改訂への二つの要請

 学習指導要領の改訂には︑いくつかの要因がからみ合って行なわれるが︑ここでは二つの側面から改訂の要請

を分析し︑次節でそれがどのように反映されたのかを見たい︒

 学習指導要領は︑必ずそれ以前のものの改訂として出される︒したがって︑旧学習指導要領にどのような問題

点が内包されていたのか︑そして実践によって学習指導要領自体の欠点がどのように批判されたのかを明らかに

する必要がある︒他方︑改訂は現実に行なわれている教育への社会からの批判と新たな教育に対する要求を一つ

の契機としているので︑社会的背景の面からも考察を加えなければならない︒

 新教育の科学教育はどのように行なわれたのであろうか︒まず︑子どもの興味にもとつく自発的な学習が出発

点であるとして︑しばしば子どもの興味︑学習意欲などの実態調査が行なわれた︒興味は対象への疑問と結びつ

き︑やがて問題の解決のための研究方法や実験の工夫へと発展し︑グループや個人による調査︑実験が行なわれ︑

その成果が発表されるという流れをたどるのが望ましいとされていた︒教師は︑子どもの興味や疑問をうながす

ための動機づけを行ない︑学習過程で適当なアドバイスを与えることが主な任務であり︑教科書も問題発見の単

なる参考資料にすぎないと位置づけられた︒こうして︑問題を解決して行く方法や態度をつかませ︑その喜びを 5      14経験させることが中心的な目標とされた︒

(8)

 この新教育の実践は︑必ずしも理想どうりに行なわれなかったし︑子どもの持つ多様な興味や疑問の解決の道す      46じの過程で︑適切に指導しうる教師も少なかった︒それに︑致命的な欠陥は︑なんといっても前節で述べたようー

に︑科学の主観的な把握のしかたにあった︒にもかかわらず︑多くの教師︑教育関係者が貴重なエネルギーを注

いだ実践であり︑いまなお歴史的な総括が十分になされているとは言えないのである︒

 たとえば︑教師が外から知識を与えることは︑子どもの自発性をそこなうものとして︑教育の本質にそぐわな

いとされた︒子どもの内発的な動機を重視し︑それを出発とした自発的な学習の過程で︑子ども自身による自覚

的な探究によってつかまれた知識や喜びこそが︑真に定着した能力となりうると考えられていた︒ここでは教師

の指導の持つ教育上の積極面の確認や学習内容の質の検討は不問にされているという重大な欠陥があるが︑同時

に︑科学的知識や方法の主体的︑自覚的な獲得が強調されている点からは︑学ぶべきことがまだ残されている︒

また︑教育の出発点を現実の子ども︵それは︑社会的︑歴史的に︑あまりにも無規定的な子ども像ではあった

が︶に置き︑科学の方法の実践的把握を重視していた点も教訓化されるべきであろう︒

 ともあれ︑新教育における科学教育は︑その趣旨の積極面が十分に理解されることも︑実践的に十分に開花す

る間もないままに︑批判や問題点が次第に強く指摘されるようになって行ったのである︒

 国立教育研究所は︑一九五〇年から翌年にかけて全国小中学校教育課程調査を行なったが︑単元学習の現状を

理科についてみたのが表一である︒この特徴は︑第一に︑教科書の使用方式で﹁教科書中心にやる﹂者が全体の

六八%も占め︑ことに﹁単元学習を行なっている﹂つもりの中で約三分の二が︑単元学習の趣旨と矛盾する教科

書中心の授業をしていること︑第二に︑その理由として﹁条件が整わないので︑単元学習は現状では不適当﹂と

答えている者が最も多いことである︒これに端的に表われているように︑教育課程の実態は︑学習指導要領が意

(9)

使

計合6268919

1186 441214001

そ の他 420

231120 231013

計トノ630811 26224206909952

散分

420

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3

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2

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420441

56518181544 8012910071

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120 840

2

231245001660240 9523

1

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5212 23626306515644

観 拭 用 使11.1

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散分 明不計合       い      汝      で      難      困当      は適      習不      学は      元で当 当      単状適 適当 る   も現不 不適   72 け    らはは は不   ﹄3 う    か習習 習て   査P もる   状学学 学し   調ー をけ   現元元 元と   態年 元う    ︑単単 単状  H実53 単も   も︑︑ ら現  集程19 くを   てでて かで  五課ー成 な元   みのみ 質の  第育冊作 り単る  らいら 性いい 要教分き わてや  かなか ・なな 紀校二つ かつに  質わ質い的わら 所学第と かよ心  性整性な目整か 究中︑も にに中  ︑が︑らのがわ 研・告に 書書書  的件的か科件く 育小報表 科科科  目条目わ教条よ 教国次1 教教教   ゜°°°°°° 立全一12方H V  ー  ー  /       47用.m. 見A   B   典        1

(10)

図したように︑自主制を尊重して計画され実践されていない例が大部分であり︑単元学習に対する﹁実質的な理       8      の       解に至っては︑まるで混乱していると言うよりほかはない﹁という状況であった︒その理由として︑第一に︑学1

習指導要領そのものが︑多くの知識や仕事を重点を定めずに提示しているために︑教育課程編成の原理が教師に

理解されにくいこと︑第二に︑単元の構成や中味について教師の理解が十分でないために︑多くは教科書に沿っ

てその通りに教えていること︑第三に︑施設・設備がきわめて貧弱なために︑実習︑実験は板書による説明かま

たは省略せざるを得ない︑などの点が指摘できる︒

 しかし︑右の事態は教師だけが責めを負うべき問題ではなかった︒学習指導要領がめざした教育課程・内容の

水準でさえ︑それを保つためには教師の再教育︑施設・設備の充実が不可欠であった︒だが︑一九四六年度から

設けられた科学教育研究室は︑五一年に二八室になってからは全く増加せず︑研究生も年平均四〇〇名弱の利用

にしかすぎず︑五二年をピークに減少の傾向にあり︑現職教育はうまく行っていなかった︒また表二にみるよう

に︑理科教育の設備の基準に対する現有率は︑五四年度で二〇%にも満たない状況であった︒こうして︑学習指

導要領の中味を実現させるために必要な物質的︑人的基礎に欠けていた面も見逃がしてはならないであろう︒

 右の実態の把握と平行して︑学習指導要領そのものの理論的︑実践的批判も行なわれるようになり︑﹁内容におけ

る系統性と学習における指導性の欠如とが戦後理科教育の大きな欠陥であることは︑⁝⁝ 一九五〇  五一年

には︑はっきりしてきたゴと言うことができよう︒同時に︑科学教育研究協議会結成︵五四年︶︑日教組第四次

全国教育研究集会︵五五年 長野︶分科会での理科教育についてのはじめての大規模な討論など︑民間の教育研

究団体で組織的な検討が行なわれた︒真船和夫は﹁小・中学校の現在の理科教育は︑⁝⁝感性的あるいは現象論

的な認識だけが強調され︑理性的あるいは本質論的な認識への歩みは必要以上に敬遠され排除されている﹂結果︑

(11)

事物や現象の﹁相互の連関やそれらのものを統一している法則性や現象の背後にある本質的なものの理解にまで

高められてはいない﹂と述べ︑﹁理科教育の目標は自然科学の方法とそ

の成果を学習させ評価させることにつきる﹂と言い切っていた︒また田

中実は︑﹁理科教材の系統性の確立と︑その裏づけとなる順次性の発見②    鵠

とはじつは︑子どもの思考過程にか三た教育方法を創注旭する仕事であ      醐㌔と述べ・子どもの認識過程の研究長づけされた教材の系統性を主      醐版       謝度張していた︒こうして︑学習指導要領の問題点がしだいに明らかになり︑       校年      

﹁誓要領三乗り越㍍が行われるように三て三㌔       嘉

       訳      /全国の藝目実践の場からは︑さまざまな矛盾や悩みが出されてきたが︑醜    具鹸

教育課程.内容に三ては︑竺に︑指導の中味が多すぎて︑重占⁝が不樟    具翻

明確なので地域の実状に応じて璽することが困難である︑第二に︑内醐    ㌶

      ヨ       イ寡マつかの教材に重複し三㌔教科独自のねらいが不明確である澱   誘欄本型       ギという批判が大部分であった・これらは・現場の教師個々人の努力の範理   叉償嬉       ニ      ー2345囲内では解決不可能な問題をはらんでおり︑全国的な改善が必要とされ 表

るようになった︒このような意味で︑学習指導要領は︑その内容が実践

の中で試みられることによって︑まさにそれ自身の改訂が不可避的に要請されたということができよう︒      oo 五〇年代後半になると再び科学技術の振興が叫ばれたが︑この時期は︑国際市場で外国との経済的競争が激化 9      する中で︑日本産業の自立︑そのための自主技術開発が当面の大きな課題となっていた︒したがって︑明治以降の近 − 均平5193品218

5

417915回2

4

723゜212 024

3

716

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2

621417418

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317

四η

備設校学校学小校学中校高

(12)

代史全体の総括を問題にし︑外国からの輸入・模倣にたいして自国の力による開発︑独創的態度が対置され︑その転換       50期と位置づけられていた︒その典型は︑五八年の﹃科学技術白書﹄が副題に︑﹁外国依存から自主発展へ﹂とう ー

たっていたことに見られる︒白書は︑﹁科学と技術の分離および破行的発達﹂︑﹁模倣による独創性の軽視﹂など

を批判し︑﹁独自の技術﹂開発を強調していた︒

 この背景には︑いわゆる﹁技術革新﹂による産業の発展と労働内容の変化とがあった︒エネルギー源が石炭か

ら石油へ転換されるのに伴なって工業生産高は飛躍的に伸びたが︑技術的には大量の新技術が輸入され︑外国︑特

にアメリカへの従属性が強まると同時に︑そのわく内で開発された日本の技術は東南アジアへ大量に輸出される       ㈱という性格を持つようになった︒こうして︑先端の工業部門では︑たとえば鉄鋼部門でのLD転炉の導入︑圧延

部門でのホット・ストリップ・ミルの採用︑石油化学コンビナートでのプロセスのシンプル化︑機械・装置の大

型化・計装化︑集中管理方式︑自動車工業でのコンベアーシステムによるオートメーションなどで︑機械体系の

自動化による単純反復労働︑および部分的にではあるが管理室での監視労働︑機械保全などの技術労働が現われ

てきた︒もっとも五〇年代は︑コンピューターによる自動制御はほとんど出現しておらず︑重要な部署ではなお

熟練労働が中心を占めていたところも多くあった︒しかも右にみた労働内容の変化は︑産業全体からみるとまだ

先端の一部分であり︑多くの産業部門での機械化においては︑カンやコツによる手技的・筋肉労働から︑ある程

度の技術的知識を伴なった機械操作の労働︵たとえば土木でのモッコかつぎから機械の運転操作など︶への変化

が中心であった︒

 こうした産業の発展に伴なって︑従来の年功的熟練によるカンやコツを要する特定の労働能力の形成という閉

鎖的・奇形的な傾向から︑すべての労働者に対する科学的・技術学的知識を基礎とした開放的・全面的な労働能

(13)

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細コ章悼・洋惑蝉ト藻薄惑旅晶H瀕汁桃南

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晋類洋惑疎 団柏垂訓綱細コ囁薄

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51

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(14)

力育成へという道が可能性の問題としては存在した︒しかし現実には︑専門的知識を特に必要としない単純反復       52労働者︑熟練・半熟練労働者︑科学的・技術学的知識を背景とした監視・管理労働者というように固定化された︒−

しかも︑監視・管理労働も潜在能力としては高度な力を要求されながら︑実際の労働は単調で忍耐力を要するも

のになっていた︒そして生産現場では︑固定化された職種の中での競争と﹁協調﹂とにより各人の能力が開発さ

れ︑それが個人の幸福と会社の繁栄と社会進歩に通ずると予定調和的に宣伝されたのであった︒

 右の特徴は︑産業界の教育要求に反映された︒日経連の﹁新教育制度の再検討に関する要望﹂︵五二年︶︑﹁当

面の教育制度改善に関する要望﹂︵五四年︶︑﹁新時代の要請に対応する技術教育に関する意見﹂︵五六年︶︑﹁科学

技術教育振興に関する意見﹂︵五七年︶などに典型的に表われているのは︑一口で言うと︑科学者・技術者・技

能者のヒエラルキーの確立と︑それにみあう効率のよい教育制度︑特に学校体系の編成の要求である︵図二参照︶︒そ

こでは︑企業内の﹁人事構成﹂および大企業から中小企業に至る職業教育の要請に従って︑科学者・技術者・技

能者︵上級.中級⁝⁝︶などにランクづけられ︑全体がひとつのヒエラルキーを構成し︑これらに即して︑それ

ぞれのレベルの労働者養成の複線型の学校体系が構想されていた︒全体としてはレベルアップをしながらその中

で格差化︑固定化を徹底させようとしたのであった︒

 以上のような背景を持ちながら︑文部省は科学技術教育振興政策を推し進め︑その一環として教育課程審議会

などの答申にもとついて学習指導要領の改訂を行なったのであった︒

四 一九五八年版の科学教育の基本的性格

五八年改訂の特徴を︑四七年版と比較したのが表三である︒これらの特徴は具体的にはどのように表われてい

(15)

るだろうか︒

 科学教育の基本的性格に関して重要なことは︑学問体系の科学と教育における科学との間に︑本質的な一線を

一層徹底して画したことである︒しかも︑二重の意味で︑そのように指摘することができる︒第一には︑自然科

学的知識の基盤をどこに置くのかについて︑第二には︑知識と不可分の科学的自然観・世界観の基礎のとり扱い

についてである︒

 第一の点については︑﹃中学校理科指導書﹄︵一九五九年︑以下﹃指導書﹄という︶で︑ ﹁習得させようとする

知識は⁝⁝自然科学の知識体系を要約したものでもない︒学問の基礎という立場を離れて︑生活や産業の基礎

という立場から︑習得すべき知識をまとめるのである﹂として︑﹁自然科学の全体にわたらなくても︑それは部分

的な理解から類推して認識させることでよい﹂と主張する︒だから︑﹁目標の中の﹃自然⁝⁝﹄は﹃日常生活にお

ける自然現象﹄︵学校教育法第十八条︶を受けていて︑広く﹃自然科学﹄について学習することを意味している訳

ではない︒⁝⁝科学的知識を豊かにするよりも︑むしろものごとを判断し行動するときに合理的︑実証的である      鋤ということをねらうべきである﹁ということになる︒

 もちろんこのことは︑教育に全く学問体系の自然科学がとり込まれていないことを意味するものではない︒後

にもみるようにさまざまな限定を伴なって︑自然科学的知識の断片が︑相対的にレベルアップされ一定の体系化

の試みさえされて反映されたのであった︒その意味では︑部分的真理の反映であったし︑また改訂の趣旨からい

っても当然そうせざるをえなかった︒学校教育の場では︑科学の体系をそのままもち込むだけではすぐれた教材

とならないことはいうまでもない.しかし︑それは﹁学問の藁とい︑つ立場を離れて﹂実現されるものではなく︑臼

学問体系を基礎としつつ教材化することであり︑科学の系統性と子どもの認識の順次性とが考慮されねばならな ー

(16)

いとしても︑そのことは決して学問との訣別を意味し三し︑逆に科学と教育の本質をますます明らかにさせて︑馳

両者を深い意味で統一させることが要請されるのである︒       1

 だが︑﹃指導書﹄に典型的に示されている基本方向は︑すべての面で貫かれた︒たとえば系統性についても︑指

導事項を学問の知識体系の中から選び︑それらを論理的に配列し︑その順序によって指導することと︑生徒の発

達に即し︑経験を有効に積み上げ︑学習事項が互いに関連をもつように指導することを対立的に二分したうえ

で︑系統性とは後者の﹁教育的な系統性﹂であると説明している︒右の﹁学問の基礎という立場を離れて﹂とい

う立場については︑﹁五一年版︑小理科﹂においては︑まだこうは言いきってはおらず︑ ﹁このような学問上の理

論や︑体系や科学の成果として生れた文明の利器が科学なのだろうか﹂と疑問を提出しているにとどまっている

が︑五八年版では︑一層立場が明確にされたといえよう︒

 第二の点については︑﹃指導書﹄で﹁自然科学は︑知識体系とともに物事の考え方や研究方法を含むものであ

る﹂と述べ︑学問体系においては知識体系・方法論・科学的自然観が含まれることを認めながら︑﹁理科で習得す

るものは︑自然科学の全体を代表することはできない﹂として︑特に科学的自然観を除こうとする意図が示され

ている︒では︑それに変わりうる自然観とは何か︒﹃指導書﹄は次のように言っている︒

 ﹁ともすると人は自然を征服しているような錯覚におちいるが︑しかし深く調べてみれば︑自然は想像を越え

 て偉大であって︑人は自然の中で順応して生活しているにすぎない︒このような自然と人間生活との複雑な関

係を認識させることが大切である巴

 このように︑﹁自然力の偉大さ︑生命の神秘﹂など︑科学的自然観とは別の次元からの自然観が挿入された︒し

たがって︑﹁総括的目標﹂に登場する用語の使用数からもみられるように︑科学や真理よりも生活や態度が重視さ

(17)

れることになった︒自然に対する受身的な態度は︑すでに﹃新教育指針﹄でも﹁日本国民性の欠陥﹂として批判

されていたものであり︑同様に﹁主観的・直覚的力にたより客観的・合理的な方法を発展させることを怠った﹂

と言われていたのに︑五八年版では﹁自然の著しい事物︑現象を全体的・直覚的にとらえる﹂︵小学校理科一学年

の目標︶となり︑再び復活しているのである︒また︑﹁全体的・直覚的﹂や﹁自然に親しみ⁝⁝自然から直接学ぼうと

する態度﹂は︑かつて国民学校理数科理科で強調された点であり︑四七年版には用いられなかった表現であった︒

 以上みてきたように︑五八年改訂にみる科学教育の特徴は︑まず学問体系の自然科学と教育におけるそれとの

間に︑本質的な一線を画したうえで︑教育用の﹁自然科学﹂には︑自然科学的な知識の断片と︑﹁自然への尊敬︑

生命への愛育﹂など科学とは別の次元の情操的自然観や態度が︑併置・接着されたのであった︒科学においても

知識・能力と態度とは常にセットされて強調されたのである︵図三参照︶︒

 したがって︑教育の領域における﹁自然科学﹂は︑学問体系のそれを無視ないしは遮断することによって︑教

育において﹁何をどう教えるのか﹂という重要な視点を見失なわせてしまったのである︒たとえば︑文部省著作

教科書﹃私たちの科学﹄︵一九四七年〜四八年︑全十八冊︶の中には︑科学史的な視点からの原子論の発展史

︵これは結局︑世界のなりたち︑物質のなりたち︑つまり世界観︑自然観の理解に通じるものであった  筆

者︶や︑法則・原理発見の史実の紹介など︑科学を歴史的・全体的にとらえるうえですぐれた記述があった︒こ

れらの視点は︑学習指導要領の目標の中に﹁科学者の仕事の尊さを知ること﹂︵﹁四七年版理科︶︑﹁科学がどのよ

・うにして現在の文明を築くのに役だったかを理解する﹂︵﹁五一年版中・高理科﹂︶などがあることでおさ︑之られ

ているが︑五八年改訂では一切消滅してしまっている︒教科の基本的性格に関するさきの混乱のために︑せっかく 5       15の芽がつみとられてしまったのであった︒

(18)

58

47

税哩版年噛 ●野騰

事的礎基∫麹哨心の中容﹂内項

割分野分二 を性統係た成じ構応るにじ達ん発重

税理版年︑卿

本︐↑校学中小 例元単に心中題問の上成活構生を         鰐鰍元からの渡教育における  ︵自然への尊敬生命の愛育︶態

    学問体系の

三     自然科学

(19)

 五八年改訂で前進したものとして評価しうる点は何であろうか︒それは︑基礎的知識の教授と態度の養成の目

標に基づく学習内容の系統化への試み︑目標・内容の一貫性︑教科間の相互連関の配慮︑雑多な内容の除去など

の点では︑旧版にくらべて積極的で大胆な改善が試みられ︑少なからぬ部分で実現されたことである︒たとえば

中学校の﹁水﹂に関しては︑旧版では﹁水と生活﹂という単元なので︑表面の物理的現象︑水の成分︑水溶液な

どの水の性質の学習とともに︑浄化︑汚水処理︑家での利用︑海の生物︑海底の様子︑海と気候などあらゆる分

野にわたる知識が混在していた︒それが改訂版では︑一学年の冒頭で物理的.化学的視点からとりあげ︑化学的内

容としては︑二年では酸・アルカリ・塩︑三年では化学変化というように学年間の系統性をもたせて内容が精選

されている︒しかし︑まだ日常生活に関連あるものの重視という立場が貫かれているために︑生活単元学習の弱

点部分が残っていてー分整理されてはいない︒結局それは︑どれを基礎的事項にするのかその基準があいまいな

点に原因がある︒というのも﹁現代の科学界︑技術界の第一線においてどういうことが起っているかについては

⁝⁝一般には︑あまり鋭敏に影響されないことが好ましく︑着実に基礎を固めていくことを第一義としたい﹂      ⑲︵﹃中学校理科指導書﹄︶の説明にもあるように基礎的事項の定義そのものが不明確だからである︒

 また︑理科と技術科の相互連関については表四でみるように︑対象とする分野がかなり共通していること︑関

連部分は人間が自然の法則を利用して加工した道具・機械類で︑そのうち主として理科が法則.原理の側面を︑

技術科が製作・管理・応用の側面をほぼ分担していることがわかる︒この分担によれば一般には理科で扱う部分

を先に学習することが妥当であるが︑表から﹁内燃機関﹂と﹁ラジォ﹂についκは︑学習指導要領の配列順では      ゆ技術科が先になってしまい不都合である︒この点については懸念されてはいるが︑積極的な解決策はのべられて7       15はいない︒相当部分が関連性をもって整理されてはいるが︑部分的には問題も有していると評価されよう︒

(20)

 連 関 互 相 のるとナ斗壬丁お庭に家百六゜冷P要術導技指と習科学理

他のぞ

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器計 機 オ気 動 ジ電 電 ラ■       ●       ・ウ  キ  ク

①械機③②械機ω 習実合総③

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計圧電理. 原流 の電 一ー カ 流ぽ 一交ア石仁

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科教年学

2

3

58

1

(21)

五 改訂の具体的内容  教科書分析を通して

 改訂の基本が実際にどの程度貫かれているのかを︑具体的内容に即して学習指導要領︑指導書︑教科書を参考

に分析してみよう︒周知のように︑指導書は学習指導要領の中味をさらに具体化したものであり︑学習指導要領

と一体の文書とみることができる︒ところで教科書は︑第一に民間会社の作成物であること︑第二に検定制度の

下ではあれ︑ごく限定された範囲内では︑教科書の内容が学習指導要領作成者の意図と異なる場合がありうるこ

と︑第三に商業的な意味から現場で多く採用されるように︑現場の意見や要求を許される限度内で反映せざるを

えないこと︑など細い点では学習指導要領と全く同列にはできない︒だが全体として︑学習指導要領に準拠し

た教育内容は教科書に最も強く反映され︑検定制度の強化に伴ないますます忠実につくられているので︑具体的

内容の分析の際には教科書までを対象にすることは妥当であり︑かつ必要なことである︒       ⑳ ひとつの分析対象として︑原子・分子概念について︑東京書籍の新・旧教科書をとりあげてみる︒原子論は︑

現代科学の一つの到達水準として︑一見無関係に見︑之るマクロな運動状態の現象とミクロな運動とを統一的に把

握することを可能とし︑それによって物質に対する認識を深めることのできる重要な概念であり︑教育において

系統的に教えられる必要があると考えるからである︒

 まず第一に指摘できることは︑旧学習指導要領は︑原子・分子に関する項目はなく︑わずかに﹁単元とその展

開例﹂で二箇所で触れられているにすぎず︑しかもその場限りの説明に終っているのに対して︑改訂では直接五

箇所でとりあげられ︑かつそれらの応用として前後で関連づけられ︑中学三年間の多くの部分で問題にしようと 9      15していることである︒もっとも原子構造が第一分野の一番最後に書かれているので︑それまで学んだ化学変化

(22)

や電気の現象が︑ここではじめて﹁電子﹂の運動で説明されるが︑ここに至る以前の段階では右のような統一的      60理解には到達しえないようになっているので︑本当に知識としても考え方としても身につきうるのか問題点も多 −

いが︑ともかくも科学の中心的な概念の一つに位置づけられていることは特筆してよい︒

 第二には︑第二分野の最後に原子力の利用についての記述があり︑教科書でも核分裂︑原子炉︑原子力の平和

利用などの説明があり︑以前とは異なって社会的にも現実の課題となっていて︑国民の関心も高かったものが反

映されていた点である︒これは国民に共通な基礎的教養の一つとして︑原子力について教育する必要があるとの

判断の現われであろう︒

 以上のような一定の前進面とともに︑重大な欠陥として第三に指摘できることは︑原子・分子が運動を本質と

する物質であることが全くおさえられていないことである︒したがって︑原子・分子の定義もきわめて静的であ

るし︑三態変化についても﹁気体では原子・分子が互に離れているが︑液体では︑きわめて接近しており︑固体

では⁝⁝決まった位置にならんでいる﹂︵﹃指導書﹄︶というように︑単なる空間における原子・分子の位置の違い

によるものであるかのような説明をしている︒

 第四には︑原子.分子の定義をもっとも身近にある﹁水﹂を例にして︑しかも﹁小さなつぶ﹂という説明です

ます方法は︑旧版と全く変わっていないことである︒教科書では︑﹁一滴の水をいくつにも分け⁝⁝もうそれ以

上分けたら水でなくなるような小さなつぶ⁝⁝を水の分子という︒⁝⁝分子をつくっている元素のつぶを原子と

いう﹂︵東書.新教科書︶との説明になっており十分に理解しにくい︒これは﹁分子は小さい粒として扱う﹂とか︑

原子.分子概念は﹁水などについてやさしく扱う﹂︵﹃指導書﹄︶という方針に拘束されている結果である︒

 右の第三と第四の点は︑当時の学問体系としての科学の到達段階とは離れて教材を編成しょうとした結果であ

(23)

り︑﹁生活﹂重視の方向に強く引き寄せられた結果であろう︒原子論に関する科学・技術分野の進歩は︑旧版が

出された当時にくらべて大きく発展し︑子どもや国民むけのわかりやすい科学の普及書なども多く出されていた

という時代の進展があった︒それを考慮するならば︑学習指導要領などの原子・分子概念の本質的な理解が旧版

とほとんど変わらなかったということは︑前節で明らかにした﹁学問体系と離れて﹂教育における科学を考えて

いるような科学教育の基本的性格を事実で裏づけたものであるといえよう︒

 特徴の第五は︑旧教科書での科学史についての記述がなくなったことである︒以前は︑旧学習指導要領の﹁展

開例﹂で﹁自然科学の進歩によって物質の構造についての考え方︵科学的物質観・自然観の基礎につながるもの

である  引用者︶はどのように進歩したか﹂︵﹁五一年版中・高理科﹂︶というように積極面を生かした記述に

なっていたので︑不十分ではあるが︑科学の進歩による自然認識のすじ道と到達段階を知ることが可能であった︒

しかし︑科学的自然観を極力排除しようとする改訂の精神にあっては︑当然のことながら削除されてしまったの

である︒ 次の事例として︑当時社会的にも重要視され︑かつ科学と技術の双方の教育に関連していた電気についてみて

みよう︒結論的にいえば︑両教科の関連は意識的に追求され︑教材の対象の範囲についてはその努力の跡がみら

れるが︑学習指導要領に基づいた教育課程上の点でも︑教科書の記述の点でも︑いまだ有効に行なわれてはいな

い︒しかも問題は単なる関連づけがあるなしだけではなく︑科学教育の分野での理解がまずもって十分に与えら

れているかどうかであるが︑その点でも弱点が指摘される︒たとえば︑電流・電圧・抵抗の説明は旧版とさほど

変わらず本質的な理解に結びつきにくい発展性のない定義︵﹁電気の流れを電流という﹂﹁電流の流れをさまたげ ー      るはたらき⁝⁝を抵抗という﹂− 東書・新教科圭〒−1︶である︒またオームの法則も結局数式の計算問題にな ー

(24)

っているし︑学習指導要領による電気分野の三つの柱すなわち︑電流とその働らき︑電流と磁界の相互作用︑電       62磁波のそれぞれの現象がバラバラで統一的に把握しうる方向に教材化されているとはいえない︒        1

 以上でみてきたように︑学習指導要領における科学教育の基本的性格は︑ほぼ忠実に教科書に反映しているし︑

また逆に︑検定を経た教科書の具体的な展開と記述から︑一層学習指導要領の性格が浮きぼりにされてくるので

ある︒六 五八年改訂の評価と今後の課題

 五八年改訂の全体の評価をする際に次の二点はとりわけ重要である︒すなわち第一には︑全体構造にかかわる

問題であるが︑大工業の発展が必要とする科学・技術の知識水準の向上と︑道徳・愛国心の強調による非科学的

な心情・世界観の強要との矛盾の産物であるという視点︑第二には︑戦後教育史の展開の中での五八年改訂の位

置を定めるという視点である︒第一の視点で分析された論文は数少ないものであり︑その中でも名古屋大学教科      閲研﹁改訂指導要領の系統性﹂は︑本質をついていた︒しかし第一と第二の視点を兼ねそなえて評価しえた独立の

論文はなかった︒いわんや科学教育に関しては︑それぞれの視点に基づいてすら十分に評価されたものはほとん

どなかった︒学習指導要領分析に必要な視点は︑個別教科の具体的中味にまで立ち入って十分に貫かれ得なかっ

たのであった︒      倒 真船和夫は︑﹁指導書に示された改訂理科︵一九五八年︶の性格﹂において︑自然観︑理科教育観︑自然科学

観について批判的な問題点のみをあげているが︑改訂全体の性格規定としてはそれだけでは不十分である︒また    ⑭別のところでは︑改善部分と問題点を同時に指摘しているが︑なお二つの併置にとどまっている︒さらに板倉聖

(25)

宣は︑﹁系統的になった教材﹂の本質は﹁かっての生活理科⁝⁝の教材を︑⁝⁝ばらばらに分解し︑それを戦前

の中学校教科書式の配列に似せて並べかえたにすぎない﹂と述べ︑﹁学習指導要領﹂は﹁理科を暗記ものにさせ         ooる必然性をもっている﹂と強い断定を下していたが十分な証明は与えられていなかった︒

 学習指導要領の科学教育観の中にこそ問題の核心があり︑それを明らかにするためには︑右の第一と第二の点

の分析が必要であり︑それらを通してこそ︑五八年改訂の全体評価が可能なのであった︒

 すなわち改訂は︑旧版にくらべて次の二側面が特徴として一応分けられる︒第一は︑内容の精選︑系統化への

努力と一定部分でのそれの実現︑自然科学の知識の一定水準の反映︑他教科との相互連関への着目と試みである

︵以上を旧版からの相対的な前進面として︑aとよぶ︶︒第二は︑科学的自然観の去勢︑別の次元からの自然観の

挿入︑﹁態度・王義﹂の強調である︵以上を後退面として︑bとよぶ︶︒一般に社会科や道徳の反動化の傾向に対し

て︑科学分野などは前進的に評価される場合が多いが︑一面的に前進と言い切ることはできない︒bの存在は︑

﹁科学技術教育の向上﹂や﹁基礎学力の充実﹂のスローガン的な方針が︑全く文字通りの方向で実現されたわけ

ではないことを示している︒さきに分析したように︑産業界の教育要求︑すなわち全体の水準のアップとセット

になった道徳の強調は︑右のaとbに対応していると見ることもできる︒

 しかも︑きわめて重要なことは︑aとbがたんに逆むきのベクトルとして並列になっているのではなく︑bが

aの面にも影響をおよぼしているということである︒つまり︑aは単純に前進したと手ぱなしで評価しえない制

約をbによって受けているのである︒すなわち︑aとbとは相互対立と相互依存の関係にあるといえる︒原理・

法則の反映といっても︑たとえば原子.分子概念︑電気などは一定の重要な法則を問題にしつつ︑現象を統一的3       16にみる視点や科学的自然観などをほとんどとりあげていないなど︑おのずから限界があった︒また観念的な自然

(26)

観にささえられているといっても︑全く科学的法則・原理を無視して成り立っているわけでもなかった︒この点       64では︑明確に事実認識において非科学性や歪曲が指摘されている社会科などとは若干異なっていた︒学習指導要 −

領の矛盾の構造は︑科学教育においては︑右のように貫かれていたのであった︒しかも︑それらには歴史的な経

過が付随していたのであった︒

 科学教育において五八年改訂とは︑aの方針の断行という点でも︑bの方向での一層の明確化︑徹底という点

でも︑それまでの改訂とは大きく異なる重要な改訂であった︒したがって︑五八年改訂の批判と克服の道は︑a

の面だけを前進的に進めて行けばよいというわけにはいかなかった︒bの克服を伴なって︑aの積極面をさらに

徹底させて︑完全なものにする必要があったのである︒

 五八年改訂の右のような評価は︑学習指導要領の単なる批判にとどまらず︑その克服をめざした新たな科学教

育の創造を課題とするものであった︒

 改訂と同じ頃から︑アメリヵの科学教育の﹁現代化﹂運動が紹介され︑やがて一つのブームをなすが︑すでに

現代科学の成果にもとついた系統的な科学教育の必要性については田中実や真船和夫らによって︑﹁現代化﹂

運動の安易な導入とは異なった立場から主張されていたのであった︒

 こうして︑改訂の批判と科学教育の創造は︑教育内容の自主編成運動の中で追求され︑六〇年代に入っていく

つかの注目すべき成果が現われるようになった︒科学教育研究協議会は︑﹁自然科学をすべての国民のものに﹂

のスローガンのもとに︑主として教材の精選と系統化を推し進めた︒また︑仮説実験授業の研究が行なわれはじ

め︵六三年︶︑科学的認識の形成のプロセスを︑問題  仮説  討論  実験という授業の流れの中で定式化

することを試み︑他方︑極地方式による研究では︑﹁すべての子どもに高いレベルの科学をやさしく教えよう﹂

(27)

とのスロガンが掲げられ︑両会ともテキスト作りを軸に成果が生み出されている︒

 したがって現段階は︑右の六〇年代の成果をひき継ぎながら︑試案としてではあるが︑少なくとも小・中・高

の一貫した教育課程編成を検討しうる点にまで研究と実践の力量が前進して来ているといえよう︒

 しかし︑﹁自然科学の成果と方法を教える教科﹂︑﹁科学のすばらしさを教える教科﹂︑﹁自然そのものを認識さ

せる教科﹂という表現に示されているように︑自然科学の成果に立脚するという共通点を持った主張の中でも︑

教育目標の重点の相違が現実に在在している︒このような背景のもとで︑改めて科学教育の基本的性格と構造を

めぐっての議論が必要とされてきているのである︒

 本論文は︑そのための一つの基礎作業であり︑これまで述べてきたように︑五八年改訂の批判と克服は︑依然

として現実的な課題なのである︒

ω 戦後日本の教育改革第六巻﹃教育課程総論﹄︵東大出版会 一九七一年︶など︒

② 教育法規研究会編﹃学習指導要領の法的批判﹄︵教育法学叢書1 勤草書房 一九七〇年︶など︒

③ 自然科学にも︑物理学︑化学︑生物学︑地学などとともに数学を加える場合があるが︑ここでは数学は除

 外する︒

ω 板倉聖宣﹃日本理科教育史﹄︵第一法規 一九六八年︶四一二頁︒

 なお︑本論文中の傍点はすべて筆者︵梅原︶のものである︒       5      16㈲ 原正敏︑佐々木享﹁科学・技術の発展と民主教育﹂︵﹃講座現代民主主義教育﹄第一巻︑青木書店 一九七〇

参照

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