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円環のコレオグラフィー ――タイ北部リスの舞踊をめぐる考察 目次

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円環のコレオグラフィー ――タイ北部リスの舞踊をめぐる考察

目次

目次 ... i

凡例 ... iii

図表目録 ... iv

序章 ... 1

1本稿の目的 ... 1

2本稿の問題意識 ... 1

3先行研究上の議論と本稿の視点 ... 1

1)参与型パフォーマンスと開放性 ... 1

2)世俗的な場の形成を促すもの ... 2

3)「閉じられた継承」から「アクセシビリティ」へ ... 4

4本稿の構成 ... 7

Ⅰタイ北部・リス社会の素描 ... 8

1リス概説 ... 8

1)分布 ... 8

2)言語 ... 8

3)生業 ... 8

2チャーオ・カオ(山地民)としての周縁化 ... 9

3形而上/形而下の体系 ... 10

1)精霊と祖霊の体系 ... 10

2)柔軟な原理としてのクラン ... 11

Ⅱ信仰を超えた共同性に向けて ... 13

1呪縛の体系からの脱却 ... 13

2リス性の世俗化 ... 14

3輪舞の世俗化 ... 15

Ⅲ参与を促す輪舞の場... 18

1新年祭における輪舞 ... 18

1)D村における新年祭の様子... 18

2)開かれた輪舞... 23

2「リス文化大祭」における輪舞 ... 25

1)リス文化大祭概況 ... 25

2)併存する二つの場 ... 30

3輪舞の場の比較 ... 32

(2)

1)相違点 ... 32

2)共通点 ... 33

Ⅳ輪舞をめぐるアクセシビリティ ... 36

1アクセス/アクセシビリティ概念の試用 ... 36

1)実践へのアクセス ... 36

2)アクセシビリティ試論 ... 37

2リス社会の変容と輪舞のアクセシビリティ ... 39

1)リス輪舞におけるアクセシビリティの諸相 ... 39

2)社会的交流の場としての輪舞 ... 41

3)踊りの輪の拡張 ... 44

4)参与の二重性... 44

終章 ... 46

謝辞 ... 47

註 ... 48

参照文献 ... 49

(3)

凡例

・本稿では現地語について、筆者による発音をカタカナで示し、初出時はこれにイタリック 体でアルファベット表記の発音を付す。このとき、以下の表記法を用いる。

1. 声調符号は省略する。

2. 中国語の場合、ピンインでの表記を行う。

3. その他は主として英語の発音に近い表記を用い、母音についてはローマ字読みの発音に 従うが、それでは表記しきれない下記の発音については以下のように表記する。

⑴ 鼻音化された「h」は「h’」と表記する。

⑵ 声門摩擦音は「hh」と表記する。

⑶ 軟口蓋摩擦音の有声音を「rgh」と表記する。

⑷ 軟口蓋摩擦音の無声音は「x」と表記する。

⑸ 有気音の子音には子音の後に「h」を付す。 例)「kh」、「ph」など

⑹ 英語の「chance」における「ch」の子音は、英語表記にならい「ch」で表記し、そ の有気音を「chh」と表記する。

⑺ 反舌音化した「z」は「zr」と表記する。

⑻ 英語の「law」における「aw」の母音(「o」より口幅の広い円唇母音)については 英語表記にならい「aw」で表す。

⑼ 英語の「cat」に見られる「a」と「e」の中間音は「a’」と表記する。

⑽ 「u」から「i」に移行する途中に現れる、「i」より舌が口腔中央に位置する非円唇 母音は「i’」と表記する。

⑾ 母音の円唇化は「u」、非円唇化は「e」を主たる母音の後に付すことで表す。

例)「oe」(「o」を非円唇化したもの)、「eu」(「e」を円唇化したもの)

⑿ 長音・長母音は母音の後にコロン「:」を付けて表し、ない場合は短母音を示す。

なお、⑴、⑵、⑶および⑻は中国のリスに宣教を行い、リス文字(フレイザー文字)を考 案した 宣教師、フレイザーの 『リス語ハンドブック (Handbook of the Lisu(Yawin) Language)のアルファベット転写を参考にしている[Fraser 2018:2]。

(4)

図表目録

図 1:新年の木と儀礼の準備 ... 19

図 2:憑依儀礼中の人々の配置 ... 20

図 3:大晦日の晩のモムの家の広場 ... 21

図 4:アパムヒに参詣するモム ... 22

図 5:元日の昼の輪舞の様子 ... 24

図 6:リス文化大祭の会場 ... 27

図 7:開会式後の様子―ラジオ放送局の人も交えて ... 29

図 8:リス文化大祭の輪舞(少人数時) ... 35

図 9:リス文化大祭の輪舞(多人数時) ... 35

(5)

序章

1本稿の目的

本稿では、タイ北部リス社会の文化振興運動に伴い、リス輪舞が従来の開放性をさらに増 大させる一方、なおもリス文化としての自己同一性を保持している状況に着目し、このよう な「開かれつつも一定の枠を持つ」という状況はいかにして生じているかを考察することを 目的としている。

2本稿の問題意識

タイ北部のリスの人々の伝統的な舞踊は、人々が手を取り合い、輪を成して踊るものであ る(以下、輪舞とする)。元来、リスの新年祭などの行事の場面で行われてきたこの輪舞に おいては、これを実践する特定の職能者はいない。一般の村人が老若男女を問わず、他村か らの来訪者をも取り込んで踊る実践であり[Larsen1984]、極めて開放性の高い舞踊である。

しかし、新年祭という場は、リス旧来の信仰である祖霊・精霊信仰と結びついたものであっ たため、キリスト教に改宗した者の中には新年祭の場に参与しない者もいたという

[Bradley2008]。しかし2003年に「麻薬に対する戦争」というリス社会に甚大な被害をも たらした出来事を契機として、それまでは起こり得なかった祖霊信仰者とキリスト教徒共 同の文化振興運動が隆盛する[綾部 2014b]。これに伴って両者が共に参与し得るような リスの共有の伝統(イリ/yili)の一つとして位置づけるべく、輪舞も信仰を超えた実践と して解釈されるようになった[綾部2014b]。また、タイのリス社会が外部との接点を増や す中でリス以外のタイ人や、外国人も輪舞の場に見られるようになった。この新しい参与者 たちは、ぎこちないながらもこの輪舞に参与している。このように従来開放的であったリス の輪舞は、その開放性をさらに増大させている。

しかし、一方で彼らの輪舞は依然として「リス輪舞」であり続けてもいる。彼らの輪舞を 撮影した動画は、しばしばFacebookをはじめとするSNSで投稿されており、タイ北部の 山村で極彩色の民族衣装を纏ったリスの人々が手を取り合いながら輪を成して踊るという 光景は、リスのイメージの創出に一役買っている。また、いくら非リスの来訪者が踊りの場 に参加できているとはいえ、その踊り方はやはりリスの人々のようにはならず、リスの人々 の中で踊っていればどうしても浮いてしまう。このように開放性の拡大と言っても、それは 決して無秩序な拡大を意味しない。あくまで「リス輪舞」としての同一性は保持されている のである。

いわば同じ実践が「開放性の増大」と「同一性の保持」という一見相反する二つの側面を 見せているのだが、このような状況はいかに生起しているのだろうか。

3先行研究上の議論と本稿の視点

1)参与型パフォーマンスと開放性

先の問題を論じるにあたり、まずリス輪舞という実践が持つ開放性について、十分に論じ

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る必要性があるだろう。タイのリスの音楽を研究した民族音楽学者のラーセン[Larsen 1984:45]は次のように述べ、輪舞は社会的行事である新年祭の中核を成すとしている。

新年祭は一年で最大の社会的行事であり、人びとが飲食したり、他の村から訪れた親 戚と会ったり、新たな娘と出会ったり求愛をしたりと、良い時間を過ごす機会である。

踊りや音楽はこれらすべての営みの中核を成すのである。

村落内の者だけではなく、他村からの来訪者もある新年祭は、人々の出会いの場でもある。

無論、それらの交流を支えるのは輪舞ばかりではなく、その周りでの祝宴や、新年祭の折に 行われる種々の儀礼によっても交流は生まれる。しかし、いずれにせよこのような社会的交 流の場の中に、輪舞は埋め込まれていると言える。

したがって、リスの輪舞はその場に集ったものが交流しながら楽しむような実践であり、

例えばバレエのような「観客に見せる」類の実践と同列に扱ってはならない。この区別を考 察する上で有用なのが、民族音楽学者であり、文化人類学者でもあるトマス・トゥリノによ るパフォーマンスの区分である。トゥリノ[2005]によれば、音楽の演奏の場を考察した 時、音楽の「上演」が目的化され、「アーティスト/聴衆」という区別が明確に存在する「上 演型パフォーマンス」と、ともに「参与」しあい楽しむことが目的化され、「アーティスト

/聴衆」という明確な区別が存在しないような「参与型パフォーマンス」が想定し得るとい う。

リスの輪舞もまた、特定のアーティストが存在せず、ともに参与する実践であるため、ト ゥリノの区分を音楽の場から舞踊の場も含めて拡張するのであれば、「参与型パフォーマン ス」に位置づけ得るものである。さらにトゥリノ[2005]の視点が興味深いのは、人々の共 同参加を目的とする「参与型パフォーマンス」においては、人々の参与を妨げるような複雑 な構造を持たないことが多いとしていることである。後に示すように、これはリス輪舞にも 当て嵌まる性質である。したがって共同参加と開放性との関連を考察するべく、本稿ではリ ス輪舞を「参与型パフォーマンス」として位置づける。

2)世俗的な場の形成を促すもの

さらに、開放性の変遷を問うには、その場の展開と、解釈の変容にも注目する必要がある だろう。先に述べたように、リスの輪舞は新年祭などの年中行事の場に埋め込まれていたも のであるがゆえに、元来祖霊信仰との結びつきを有している。しかし近年の文化振興運動に 伴い、文化振興イベントという新たな場でも輪舞が行われるようになった。このような場の 変遷と、実践の世俗化に関係する議論としては、米山知子[2011]のセマーに関する研究が 挙げられる。

米山[2011]によれば、従来農村部のアレヴィーの儀礼(ジェム)で行われてきたセマー が、現在アレヴィー性を象徴する文化資源として位置づけられ、その実践される場は都市部 で多様化してきているという。ジェムが都会でも行われるようになり、セマーが都市に持ち

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込まれた結果、農村では必要のなかった練習のための施設としてアレヴィー文化協会など による「セマー教室」が設けられ、さらにこの教室の多くは公演活動も行うという[米山

2011]。また、米山[2011]はセマー教室の登場と公演以外の場として「商品」としてのセ

マー、結婚式など個人で行う場を挙げている。

米山[2011:160-161]は、これら一連の場の登場の関連性について次のように述べ、

セマーが儀礼という文脈から開かれて実践されるようになったことを強調している。

「セマー教室」で繰り返されたセマーは、「商品」としても切り取られる。「セマー教 室」でのセマーそのものが商品(撮影対象)にならなくとも、そこで訓練されたセマー が「公演」で再現され、撮影されて商品として扱われるようになる。〔中略〕このよう に商品として扱われるようになったセマーは、アレヴィー社会(アレヴィ―文化協会)

のみならず、全国へ放送され、多くの音楽CD量販店にも並べられ、トルコ一般社会に も流通している。

また、「セマー教室」を見学したり、「公演」、「映像作品」を観て知ることとなったセ マーを、信仰に反するといいながらも、個人の自宅や、結婚式などの明らかに娯楽目的 で行うこともある。

このように、本来儀礼(閉じたサイクル)で実践されてきたセマーは、セマー教室へ の移行をきっかけにして開いたサイクルへ組み込まれていくこととなる。

このようなセマー実践の場の多様化について、アレヴィーの中でも解釈はことなってお り、どのような場での実践であってもセマーを「神への愛」としてとらえる立場もあれば、

「本物」は村で行われるものであって、都市の協会で行われるものは単なる「見世物」に過 ぎないという立場もあるという[米山 2011]。ここで興味深いのは、セマーという実践が、

「信仰に関わるもの」とされつつも、世俗的な場が展開されていることである。米山[2011]

は世俗的な場が展開された要因を、「セマー教室」の出現に伴ってセマーが「公演」「商品」

という形で外部に広まったことだと説明している。

以上を踏まえると、セマーは「公演」や「商品」とされるような「見せる」ものとして実 践され、「上演型パフォーマンス」化されていると言える。そしてそのように「上演型パフ ォーマンス」化されることによって、より広い経済の中に位置づけられ、世俗的な場につな がったと言える。

しかしリス輪舞はこれとは全く異なった経緯で世俗化されている。まず先述のように基 本的にリス輪舞は「参与型パフォーマンス」であり、セマーのような形での場の広がりは見 せていない。またセマーの場合は、あくまで「信仰に結びつくもの」として位置づけられて おり、世俗化された実践についてはセマーでないとして整合性を図る立場もあるが、リスの 場合には文化振興運動を率いるリーダーらによって輪舞が「世俗的なもの」として解釈され ることによって世俗的な場が作り出されたのである。このように筆者の扱う事例と、米山の

(8)

提示した事例とでは、実践の性質も、その展開の在り方も異なるものである。

したがって、筆者もまた米山と同様に同じ実践の異なる場での展開を描くが、「世俗的な 場の形成」の事例として、米山とはまた別の知見を供することができるだろう。

3)「閉じられた継承」から「アクセシビリティ」へ

次に、リス輪舞があくまで「リス輪舞」としてある、という問題を考える上では、「閉じ られた範囲での実践の継承」という問題にも目を向ける必要がある。特に新年祭という場面 を想定するのであれば、他村からの来訪者もいるが、基本的には村単位で行われるものであ る。ある共同体内での実践の継承について、菅原和孝[2005]の論じる「身体資源」の視座、

およびそれを踏まえた菅原・藤田隆則・細馬宏通ら[2005]による西浦田楽の世襲制の変容 をめぐる考察は示唆的である。

まず、菅原[2005:178]は身体が「物」として対象化される場合となんらかの実践のた めの「手段」としてとらえられる場合を示したうえで、「身体資源」を次のように定義して いる。

(イ)広義の身体資源とは、共同体のある成員(たち)によって担われ、他の成員(た ち)に対して良き事をもたらす身体的な実践の総体である。

(ロ)狭義の身体資源とは、(イ)のような実践の結果として、共同体にとって良き物 として立ち現れる「だれかの身体」の物質的特性のことである。この「だれか」

とは共同体の成員でなくてもかまわない。

ここでは、「身体資源」が第一義的には実践として定義されていることに注目したい。次に、

留意すべきは「共同体」という概念であるが、菅原[2005:178]は、行為主体はある<コ ミュニケーション域>に属しているとし、次のように共同体と区別している。

コミュニケーション域とは、主体によって「ことばが通じる」と想定される他者たち の集合に投射される心的な領域である。これに対して、実際にある空間を共有し、しば しばそのなかに相互扶助の網の目がはりめぐらされているような人々の集合を「共同 体」と呼んで区別する。ブッシュマンの場合は、キャンプと呼ばれる居住集団が、この

「共同体」に対応する。

なお、ここでは幼い子供は大人とは同じコミュニケーション域には属していないとされて おり[菅原 2005:178]、「ことばが通じる」ということは単なる言語の共有を意味してい るのではないことがわかる。これが何を指すかについて明確な定義はなされていないが、後 にグイの略奪婚の事例(襲撃された相手もグイ)が挙げられ「標的の女は、本来、略奪者た ちと同一のコミュニケーション域に属していたにもかかわらず、そこからいったん排除さ れてしまったとみなすことができる」[菅原 2015:179]と述べられているところから、

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「コミュニケーションを行うための記号が共有され、かつ対話的に合意を形成できる状況 にある」という意味で筆者は解釈している。

そしてこれらの視点に基づいて、菅原・藤田・細馬[2005]は西浦田楽を「身体資源」と してとらえ、その継承を「身体資源の再配分」の過程として捉えた。ここで「再配分」の語 が含意するのは①芸能の演目の配分を定める規則の変化、②芸能を身につけた者から、身に つけていないものへの継承、という二つの問題である[菅原・藤田・細馬 2005:183]。

①の点については次の通りである。西浦田楽は地能(33演目)とはね能(12演目)とに 分けられ、地能は五穀豊穣を願う儀礼的祝祭の強いもので、はね能は身体技法の競い合いと いう面を持っているが、このうち地能は能衆と呼ばれる家々で父から長男に世襲で継承さ れ、家ごとに演目の配分が決まっていた[菅原・藤田・細馬 2005]。しかし西浦の過疎化 に伴い、能衆の家々が消失し始め、世襲制が崩れ始め、担い手を失った演目が残った他の家 に再配分されたり、世襲の基準が「屋敷から人へ」移ったことにより外へ引っ越したものも 祭には戻って役割を果たすことが可能になったりと、様々な配分規則の変化が起こった[菅 原・藤田・細馬 2005]。

また②の点については、実際に継承が行われる練習の場面で複数の年長の指導者と若い 衆がそれぞれに「個性」を発揮しており、これが練習の場において偶有的な変数として関わ り、そのつど「予測を超えた「やりとり」の力動(dynamism)を自然発生的に湧きださせ る」とされ、このような力動を最も顕著に示すのが年長者と若い衆の間で応酬される冗談で あるという[菅原・藤田・細馬 2005]。そこではゴフマンのいう転調(keying)を援用し つつ、次のように述べ、それが<楽しさ>を生み出すことにつながっていると主張される。

「練習はシゴキである」という「ありうべきフレーム」は、実際の練習のなかでは背 景に退いているのだが、ときとして「おまえらくたばるまでやるんだ」といった疑似暴 力的な発言によって前景に姿を現し、そのことがユーモラスな感興を呼び起こす。この ような転調を通して、練習という、「本番」のシミュレーションそれ自体がわくわくす るようなゲームとして経験されるのである[菅原・藤田・細馬 2005:201]。

さらに、このような<楽しさ>は、元来儀礼としての色彩を持つ地能における「儀礼の世俗 化」や世襲制の崩れという「制度の緩み」によって可能になったものかもしれないと提起さ れている[菅原・藤田・細馬 2005]。

この研究においては、過疎化という危機に見舞われ、世襲制の崩れや儀礼の世俗化が起こ り役割の「再配分」がなされた、という制度の変容が描かれるとともに、それがゆえに今日 まで維持された西浦田楽の身体資源の下の世代への「再配分」の場面が具に記録され、上述 したような<楽しさ>の在り方が描かれた。ここで注目すべきは、身体資源の配分の規定が、

存続のために厳密な世襲制からより緩やかな規定に変容した、という事実である。それもあ くまで能衆の範囲内で、という制限付きのもので、存続する家のものは依然として世襲制を

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守ることになる。しかし、ここにおいて制度の緩和、限定的なアクター制限の解除が働かな ければ、演目の継承者自体が途絶えてしまっただろう。従って、先にも述べたような実践の 開放性は、共時的には集団内の共有(第一の意味での再配分)の問題に、通時的には継承(第 二の意味での再配分)の問題ともなるのである。また儀礼的色彩が薄れることによって今日 の練習の場における<楽しさ>が生じたということからは、身体資源のおかれる文脈が変 容すると、継承の場の質も変容するということも言えるだろう。これは、先の米山の研究に おける「セマー教室」の登場にも該当する。このように、「身体資源の再配分」という視点 は共同体における芸能の継承の場を記述するのに有用な概念である。

ある程度閉じられた範囲での技能の継承という問題に関連する議論としてはレイヴ/ヴ ェンガー[1993]の「正統的周辺参加」論も挙げられる。レイヴ/ヴェンガーは鍵概念とな る「正統的周辺参加 」のうち「周辺性」についての説明において、次のように述べ、実践を 理解する資源へのアクセスを増大させる起点として「周辺性」を位置付けている[レイヴ/

ヴェンガー1993:12]。

私達の用語では、周辺性は積極的なことばでもあり、これに対するもっとも明確な概 念 上の 反意 語は進 行中の 活動 への 無関係 性(unrelatedness)あ るい は非 関与 性

(irrelevance)である。新参者の部分的参加は当該の実践から「切り離された」もので はない。さらにこれは動的な概念である。この意味で、周辺性というのは、それが生か されるときは、ことのはじまりを意味しており、しだいにのめり込んでいくことにより 理解の資源へのアクセスを増やしていくことである。もしも周辺参加が分析の潜在的 力を十分に発揮するならば、周辺的参加につきもののあいまいさは、正統性とか、資源 の社会的組織化や資源のコントロールといった問題と関係づけて考察されるべきであ る[レイヴ/ヴェンガー1993:12]。

すなわち、「正統的周辺参加」という概念は、行為者の実践共同体における学習を、アクセ ス度の増大の過程として論じるものであると言えるだろう。ここで周辺性は無関係性・非関 与性と対置されていることから、周辺的(かつ正統的な)参与者は、当該の実践に対してあ くまで関係を持ち関与していることが強調されている。参与者は、最初は十分なアクセスを 有していないという点において周辺的存在ではあるが、そうであっても、否、そうであるこ とによってこそ、さらにアクセスを増大させる可能性を有している。

レイヴ/ヴェンガーは実践の学習を、必ずしも生活の場としての共同体と絡めているわ けではなく、ある実践を軸にそれが共有されるコミュニティとして実践コミュニティを想 定している[レイヴ/ヴェンガー 1993]。

これら、「身体資源の再配分」「正統的周辺参加」といった視点は、その共同性の軸を生活 の場としての共同体に置くのか、実践におくのかによって差はあれど、ある程度閉じた領域 を想定して、その中での学習や継承の過程を捉えるという点では類似したものであると言

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える。

これらの視点は、リス輪舞について部分的には当て嵌まるものである。特に、新年祭とい うローカルな場面に注目し、共同体内の人々がいかに輪舞を習得するのかに限って言えば、

子供が輪舞を習得していく過程を周辺的参加から十全的参加への移行の過程としてとらえ ることもでき、上の世代から下の世代への身体資源の再配分の問題としても論じ得る。

ただし、共同体という枠を超えて、ときにはコミュニケーション域の範囲すら超えて人々 が参与し得る輪舞には、必ずしもこれらの枠組みでは捉えきれない部分もある。西浦田楽は、

そもそも担い手が共同体内の、それも特定の能衆という家柄によって担われるという限定 的な実践である。また正統的周辺参加論も、本来は徒弟制の学習の過程を扱ったものであり、

無制限の参与という状況に適した概念ではない。「閉じられた」芸能や技術の継承の場合は 先に「共同体」「実践コミュニティ」という枠組みを置いてその中で継承や学習の過程を考 察することができる。対してリスの輪舞は元々特定のアクターに実践の継承を限定する規 制を持たず、開放的なものであるゆえ、どうしても「共同体」「実践コミュニティ」などと は異なる視点が必要となる。

そこで筆者は、本稿で「アクセシビリティ」という視点を用いる。この詳細な定義はのち に行うが、端的には実践の持つ「参与のしやすさ」を表すものと言える。先に述べた輪舞の 開放性とは、つまるところ「どのような人も参与できる」という「参与のしやすさ」に他な らない。そしてこの「アクセシビリティ」こそが、輪舞が「開かれつつも一定の枠を持つ」

という一見矛盾した状況を理解する鍵となるのである。

4本稿の構成

以上の視点から、本稿ではⅠ章でリス社会の概要を示し、Ⅱ章において近年の文化振興運 動の展開に触れ、輪舞の世俗的な場が形成される背景を示す。Ⅲでは新年祭での輪舞と文化 振興イベントにおける輪舞を比較することで輪舞の性質を明らかにし、Ⅳ章ではこれらを 総括して、リスの輪舞をアクセシビリティの視点から捉えなおし、「開放性の増大と同一性 の保持の両立はいかに成立するか」という本稿の中心的問いに答える。

(12)

Ⅰタイ北部・リス社会の素描

本章ではまず、以降の事例として挙げるリスの社会について概説する。中でも、後の章で 詳述する文化振興運動と関わりの深い問題である、タイにおけるリスの位置づけや、信仰体 系については特に重点的に取り上げるものとする。

1リス概説 1)分布

「リス」の名を持つ人々は、チベット=ビルマ系の山岳民族の一つであり、北は中国の雲 南省南西部から、南はタイのターク県やピッサヌローク県にかけて[Deesaint 1972:195]、 中国(約63万人)、ミャンマー(約30万人)、タイ(4万人超)、そしてインド(約2700)

の4国にまたがって居住している[Bradley 2008:3]。漢族は衣装の特徴からリスを花リ ス、白リス、黒リスに分けているが[綾部 2005:69]、この区分はリス内部のサブ・グル ープを表す語としても研究者の間で用いられている[2005;Bradley 2008;Tribal Research Institute 1989]1

2)言語

これらのサブ・グループを超えて彼らはチベット=ビルマ語族、イ・ロロ語派の言語であ るリス語を主として用いるが[Lewis and Lewis 1984:242]、分散して居住しているため にその方言は多様化している。リス語を研究した言語学者のブラッドリーは、言語上の特徴 から大別してリス語を中央リス語、北方リス語、南方リス語、そして中央リス語をもとに、

南 方 リ ス 語 の 要 素 も 交 え て 聖 書 の 翻 訳 の た め に 創 出 さ れ た 標 準 語 で あ る ト ヴ ン ゴ

(thorghuengo)に分類している[Bradley 2008:3]。

ブラッドリー[Bradley 2008]によれば、1930 年代までは異なる方言の間には交流が なく、異なる方言の話者同士ではコミュニケーションをとるのが難しいほど多様化してい たが、現在ではマジョリティであるキリスト教徒は聖書に用いられる標準リス語を介して 意思の疎通が図れるようになったという。ただし、タイの事例に限って言えば、キリスト教 徒はマイノリティであるため、標準リス語の話者も限られることを付言しておく。

3)生業

リスの生業は、伝統的には高地での焼畑耕作であり、米とトウモロコシ、そしてケシを栽 培し、米は自家消費用に、トウモロコシは豚の飼料に、ケシから精製したアヘンは換金用に 用いられていた[Durrenberger 1975]。またトウモロコシはリスの人々が作る蒸留酒の原 料ともなり、豚は供犠や祝祭における饗応に用いられる。他に鶏も家畜として育てられ、や はり供犠や食用に用いられる。リスの人々のケシ栽培との関わりについて、ギログリー

[Gillogly 2006:321]は次のように述べ、雲南を発祥地とするリスの人々にとって、ケ シ栽培は適応の手段であったと指摘している。

(13)

19 世紀初頭に換金作物として導入されて以来、アヘンはリスの環境と経済的状況へ の主要な適応手段だった。彼らが居住した地は農業生産に適さず、さらに雲南西部は紛 争や自然災害の起きやすい地で、人々は地震、火災、地滑り、紛争や強制移住に応じて 移住してきた。このような環境的、政治的条件から、アヘン交易は人々の適応に不可欠 なものだった。

この指摘を踏まえれば、開拓型焼畑耕作をしつつ、移住を繰り返してきたリスの人々にとっ て彼らの生活を担保するものはアヘンによる現金収入だったと言える。

2チャーオ・カオ(山地民)としての周縁化

さて、ここまでリスの人々の概況を示したが、本稿ではそのうちタイのリスの事例に焦点 をあてていくため、ここでタイへのリスの移住と、タイ国内でのリスの位置づけについて取 り上げる。

タイへの流入の時期は文献によって異なるが綾部[2005:65]によれば、タイのリスの 大半は、1918年頃を境に徐々にタイへと移住を行った人々の子孫である。彼らは系統的に は先述したサブ・グループのうち花リス、黒リスにあたると言われている[Tribal Research Institute:1989]。

この初期の移住の説明については、論者によって若干の差異がある。ドゥサン[Dessaint 1972]によれば、リスの人々の最初のタイへの移住はミャンマーにおける不作、高い税、そ して盗賊の横行に動機づけられたものだとリスの人々は説明している、という。換言すれば 移住の動機は主として経済的な要因によるものであり、特に高い税金から逃れるという動 機についていえば「国境を越える」移住がきわめて重要な意味を持つことになる。

また、綾部[2005:66]は次のように述べ、リスの移住が必ずしも「国境を越える」こと を動機としない、ある種偶然の成り行きであったことを示唆している。

彼らに不法移民のレッテルを貼るのもしっくりとこない。かつての欧州からのアメ リカ合衆国への移民のように、新天地を目指して意図的に新たな国家の土を踏んだわ けではなく、国家と国家を隔てる鉄条網や壁など存在しない未開拓な山中における弛 まざる移動の果てにたどり着いた地が、偶然にもタイだっただけの話だ。少なくとも、

最初期の移住者については明らかにそうである。

初期のミャンマーからタイへの移住が、どれほど越境を意識したものであったかは両者 の記述に違いがみられる。しかし両者の説と先のギログリーの指摘を踏まえるならば、いず れにせよ初期の段階では移住先であるタイに移住する積極的な要因があったというよりは、

ケシという換金作物に支えられながら他地域の難から逃れ、漂流の結果にタイに行きつい たということは言えそうだ。

(14)

このような経緯で 1910 年代以降にタイに移住してきたリスはその後異なる要因からさ らに薬物への関与を深めていく。第二次世界大戦後の冷戦構造下において、アヘンとヘロイ ンを資金源にシャン州南部にシャン人の解放軍であるモン・タイ軍の基地を設けたクン・サ の勢力圏は、タイのリスの居住分布と重なっていたため、リスの人々もそのアヘン/ヘロイ ン売買のネットワークに組み込まれるようになっていく[綾部 2014a]。1990年代に入り、

ヘリコプターによる上空監視が導入されるなどタイ政府の取り締まりが強化されると、ケ シ栽培・アヘン生産は減少したが、皮肉にも一方で覚醒剤の流通量は増加していった[綾部 2014a]。

このような麻薬への関与、開拓型焼畑による森林の破壊、不法入国者、という側面は、他 のタイ北部に暮らす民族とまとめられ「山地民/チャーオ・カオ(chha:o khao)」全体の否 定的なイメージへとつながってしまった[綾部 2014a]2。こうしたスティグマゆえにリス を含む山地民は常に国家安全保障を脅かす存在として扱われ、国籍の付与、土地権の付与、

生業の地である森林の使用権の付与などを留保され、長らくタイ社会のなかで周縁化され てきた[綾部 2014b:153-154]。

3形而上/形而下の体系

本節では、後の新年祭の事例に関わるリスの伝統的な信仰の体系と、リスのクランとの強 い結びつきについて概説する。

1)精霊と祖霊の体系

リスの伝統的な信仰には様々な霊的存在がある。そのうち最も高位の存在である創造神

「ウサ(wusa)」は人々の生活を見守り、寿命を司っている[Lewis and Lewis 1984:260]。 他に、その地域一帯を統べる神であり、病を癒すことのできる「イダマ(yidama)」、「ニ/

ネ(ni/ne)」と総称される種々の霊(精霊及び祖先霊)がある[Lewis and Lewis 1984:

256、260]。この精霊の代表例には東屋の精霊で寿命の延命を司る「サラスパ(salasi’pha)」 がある[綾部 2005:73]3

この「ニ/ネ」の範疇には、祖霊系の霊も含まれている。「アパム(aphamo)」は直訳す ると「祖父、おじいさん」の意味になるが、村の守護霊として村から災厄や悪行を祓うもの であり、人々は村の司祭に従わなかった場合や性的な罪を犯した場合にはこのアパムから なんらかの罰を受けると信じている[Lewis and Lewis 1984:256]。アパムを祭る祭壇は

「アパムヒ(apamoh’i)」と呼ばれるが、リス村落は山の頂上にこれを有していなければな らない[Lewis and Lewis 1984:256]。

アパムはこのように村全体の守護を司るが、それとは別に各戸にも「ニタビア/タビア

(nitabya/tabya)」という祖霊を祀る祭壇が必ず家の中の山頂側の壁に設けられ[Lewis

and Lewis 1984:256]、そこでは「アパ(apa)」「アザ(aza)」と呼ばれる父系の祖霊が

祭られている[綾部 2005:73]。各家は、このニタビアへの霊の道を塞がぬように、それ ぞれが他の家の正面に位置しないように、かつ入口は山頂と反対側に向くように配置され

(15)

る[Lewis and Lewis 1984:256]。

以上でリスの信仰体系は多様な霊的存在によって構成されることを示したが、綾部[2005]

によれば、このうちリスの人々にもっとも身近なものはアパムとアパ、アザであり、特にニ タビアで祭られるアパ、アザは父系の出自に基づくため、「どのような祖霊を祀るかが、彼 らのアイデンティティの強固な礎になっている」[2005:73]という。

2)柔軟な原理としてのクラン

リス社会における親族組織の重要性は繰り返し指摘されてきたが[Conrad 1989;綾部

1999;Gillogly 2006 など]、クランとアイデンティティの関係性をめぐる考察はコンラ

ッドと綾部によってなされており、ここではその両者を紹介する。

まず、コンラッド[Conrad 1989]によれば、リス社会の基本構造は、親族と姻族の体 系であり、これらは社会の人員補充を決定し権力の配分を決めるということを指摘してい る。この指摘についてはなかば共通認識となっていると言えるだろう。その一方でコンラッ ド[Conrad 1989:213]は、リス人々のうちすべてのリニージが旧来のリスクランでは ないことを根拠に、次のように述べている。

系譜によって定義されるクランやリニージ名を参照することによって体系的に所与 のエスニック・アイデンティティに結び付けられることがないのは明らかだ。それどこ ろか、いくつかのクランやリニージ名は他のエスニック・アイデンティティを持つグル ープのものである。すなわち、必ずしも民族的な起源とアイデンティティとが結びつい ているのではない。〔中略〕リスの人々にとってラフや漢族の子孫であることは、自ら をリスであると主張することに影響しない。

これをふまえ、アイデンティティを担保しているものは「生活様式の問題であり、祖先の起 源ではない」としている[Conrad 1989:214]。確かに他の民族集団のクランがリスとし て受容されている事例について言及する際には、このようなことが言えるだろう。コンラッ ドが「必ずしも関係しない」というのはそのような事例の特殊性を意識した表現だと思われ る。しかし先の引用において「起源」と「クラン」さらに「リニージ名」といった概念は十 分に区別されていないように思われる。少なくとも「系譜的にリスの起源をもつこと」「リ スのクランに属すること」をほぼ同列に見てしまっている。

綾部[1999]もまた、父系出自集団であるイツ(yitsu)を組織化原理の中心として捉え ており、概ねコンラッドと近い見解を持っている。しかし一方で、初対面のリスの同士が互 いの出自を確認し、適した親族用語で呼びかけあうことや、リスが歴史的に他民族をリスと して取り込んできたことに着目し、クランのもつイデオロギー性を指摘した[綾部 1999]。 綾部[1999:66]によれば、表面的に親族用語をあてはめる名称上の関係(relatedness)

を親族に含みえるという視点に立った場合、次のようなことが言えるという。

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リスにとっては、リス全体がひとつの大きな親族ネットワークであり、リス語の親族 用語を当て嵌めてリス語で呼びかけることができる対象者こそが、広い意味でのリス なのである。無論この用法では掬いきれない多くの非リスがそこに含まれてはいるも のの、リスがリスと非リスとを、あるいは内部と外部とを無意識的に弁別する一つの基 準がそこにあることは確かである。

さらに、明確な父系クランを有し、リスと構造的に類似する雲南系漢族の場合、リスとして のアイデンティティと漢族としてのアイデンティティとが矛盾しないことや、流入した漢 族の男性が必ずしも既にリス化された漢族由来のクラン(李、楊)に属するものでない場合 にいずれ従来のリスクラン(Ngwapha、Byapha など)に収斂されていくためにクラン数 がさほど変化しないとする仮説が述べられている[綾部 1999]。これらを踏まえて綾部

[1999:69]は次のように述べ、クランは時に実際の血縁を後景化し、隣接民族の取り込 みを媒介していると指摘する。

リスにおけるクランとは、対内的人間関係や、複数のエスニック・カテゴリーに跨る 対外的人間関係を――時に実際上の出自的つながりを無視しながらも――通時的に認 識するための自他識別原理であると同時に、その有無自体が縦の系譜関係に基づく歴 史認識に優先するような共時的イデオロギーでもある。仮にリスのクランが堅牢な系 譜認識に彩られ、異分子の混入を許さない疑似生物学的原理であったとするならば、今 日のようなリスは存在していないだろう。価値判断の尺度としての、細部の矛盾に拘泥 しないイデオロギー的側面を強く持っていたからこそ、隣接する民族を取り込む際の 媒介原理として柔軟に機能し得たのである。

以上の指摘を踏まえるのであれば、コンラッドの述べるように、必ずしも「起源」というこ とはさほどアイデンティティに影響しない。しかしそれはクランがアイデンティティに影 響しないことを意味するのではない。綾部が示したように、リス社会においてクランは厳密 な起源を参照するものではなく、柔軟な媒介原理として機能しており、「起源」や疑似生物 学的な意味での「出自」とは性質を異にするものである。またクランへの所属は、先に述べ たように祖先祭祀と密接に結びつくものである。コンラッドはリスのアイデンティティは

「生活様式」に基づくとしたが、それはまさに柔軟な枠組みとしてのクランに属し、そのク ランの霊を祭るという生活様式のことに他ならないのではないだろうか。

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Ⅱ信仰を超えた共同性に向けて

本章では、近年隆盛してきた文化振興イベントについてその背景とともに示すものであ る。この比較的新しい現象と、そこに見られる社会関係については綾部[2007,2014b]の 研究成果が厚い。2003年におこった「麻薬に対する戦争」を契機として、リス社会は危機 に陥るが、その復興の過程において「リス性の世俗化」と呼べる現象が起きていると綾部

[2014b]は分析する。

この「リス性の世俗化」とは、大局的には伝統的な祖霊信仰・精霊信仰を信じる者と、キ リスト教徒に改宗した者とが、同じリスとしての共同性を確立する動きと換言できるが、リ ス社会におけるキリスト教への改宗の問題を考察する上で無視できないのが、従来の信仰 体系の中で悪霊に憑かれているとして排除されてきた存在である。以下、これについて詳述 する。

1呪縛の体系からの脱却

リスの人々は、「イツ・マハ(yitsu maxa 家筋がよくない)」とされるクランや、そのク ランに属しているがゆえに「イミ・マハ(yimi maxa 血筋が良くない)」とされる個人と 婚姻関係を結ぶのを避けようとするが、これはその特定の出自集団に何らかの悪霊が憑い ていると考えられるためである[綾部 2007]。綾部はそうした悪霊の代表例として「キャ ニ(khyanyi/非業死の霊)」と「ピプ(phiphue/悪霊)」の二つを挙げ、次のように説明 している(次の段落はすべて[綾部 2007]に基づく)。

前者の「キャニ」とは、殺人、自殺、事故死といった非業の死を遂げた人物の霊が、その 出自集団全体に取りつき災厄をもたらすというものである。この厄は「キャリュエ

(khyaryue)という祓浄儀礼を行うことで回避可能だが、死後一定期間内に行う必要があ

る。この儀礼を行わなかったためか、現在でもキャニが憑いているとされるクランが存在し、

リスの人びとは彼らとの結婚を極力避けようとする。そのため彼らは遠隔地への移住によ りその出自を隠そうとしたり、時にはクラン外婚の規制を破って異なるリニージだが同姓 の相手と結婚をしたり、また他民族と通婚したりしてきた。後者の「ピプ」は、キャニの場 合のように出自集団全体にふりかかるものではなく、性交渉や母子感染によって、感染する と考えられているものである。このピプは、三世代にわたり受け継がれると「プス(phusu)」 とよばれる悪鬼として実体化するといわれている。また、かつてはピプ憑きのものが村内に いると不吉な災いがおこるとされ、忌み嫌われることもあった。現在ではこうした偏見も弱 まったとはいえ、キリスト教徒でもない限り、どんな親も結婚適齢期にある息子や娘をピプ 憑きのものと結婚させようとはしない。こうした人びとが配偶者を得るためには、「キャニ」

や「ピプ」といった存在を度外視できる相手を選ぶ必要があるだろう。そこでとりうる手段 が、①自らの出自を伏せて遠隔村から相手を探す、②通常より多い婚資で相手の両親を納得 させる、③周囲の反対を押し切って結婚する、④信仰上の価値を共有しない他のエスニック

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集団の相手と結婚する、などである。そして、綾部はこれらの解決策のほかに、「一家でキ リスト教へと改宗してキャニやピプとの因縁を断った後、クリスチャンのリス同士で結婚 するという選択肢をとった」[綾部 2007:188]というケースを示している。

このような人々にとって、改宗は自らを排除してきた体系から脱却することを意味する が、教会からの学資援助を受けることでさらに社会的地位を高めることにもつながると、綾 部[2007:193-194]は次の改宗者の事例から示している。

先述の一家でキリスト教へ改宗した家族(ピプ憑き)のある男性は、高校卒業後に警 察学校へ進学し、良い成績を修めて後警察官としての道を歩み始めた。着実に昇進を繰 り返した彼は、官位 7 クラスの警察署長を務めており、多くのタイ人の配下を抱えな がら、リスの諸村落に対しても幅を利かせる存在となっている。

実に見事な逆転劇のようにも見えるが、ことはそう単純ではなく、綾部[2007:200]はこ れが「あくまで鉤括弧付きの成功」であり、リス内部社会での威信を高めるものではないと 指摘する。仮にピプ憑きの改宗者が、外部社会で力を持つために表面上の発言権を得たとし ても、依然祖霊信仰の人々は彼らと結婚しようとはせず、排除を生み出す論理自体が変質す るには時間を要するだろうと想定された[綾部 2007:200-201]。

2リス性の世俗化

しかし、既に変質の兆候は表れた。それは2003年に起こった「麻薬に対する戦争」を契 機として起こり始めた文化振興運動である[綾部 2014b]。リスの人々は換金作物として ケシを栽培していた経緯から、近年は覚せい剤の売買に関与するものが多くなっていたが、

タイ政府は2003年に全国の麻薬ディーラーの一掃を図り、この際に働き盛りの世代の多く が銃殺・投獄されてしまう[綾部 2014b]。

かくして多くの人的損失を被ったリス社会に、しばしの沈黙ののち文化振興の機運が巻 き起こる。この文化振興運動の担い手である数名のローカル・リーダーの中には、キリスト 教徒で、かつ憑き筋の者も含まれており、その代表例がリスの宣教師アレネネである[綾部

2014b]。先にも述べたように、従来の祖霊信仰の体系は彼らを周縁化するものであるゆえ、

彼らにとって改宗はそうした呪縛から脱却する術であった。しかし一方で彼らは自文化を 完全に否定するのではなく、麻薬戦争以降のリス社会の再建に積極的に関わっていくこと になる[綾部2014]。こうした文脈にあって、アレネネらが目指したのは「祖先崇拝を旨と するマジョリティのリスを中心に置く従来の全体性の次元を、宗教に依らない「リス」とし ての全体性の次元へとメタ化していくこと」であると綾部[2014b:144-145]は指摘する。

これが先に予告した「リス性の世俗化」である。

2012年3月、チェンマイ県ウィアンヘーン群のとあるリス村落にて「第一回国際リス文 化セミナー」が開催されたがこの仕掛人となったのがアレネネであった[綾部 2014b]。

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これは中国、ミャンマー、タイの3か国のリスが集うという意味でも、キリスト教徒と祖霊 信仰者が共に開催したという意味でも初の試みであったが、その数は1万人規模に上った

[綾部 2014b]。

したがって、アレネネをはじめ、キリスト教徒のリーダー(特に憑き筋の者)たちは、信 仰の差異を超えたリスの全体性の次元を確立することにある程度成功したといえるだろう。

では、ここでその共同性の確立を可能にしたものは何だろうか。綾部[2014b:149-150]

は次のように述べ、祖霊信仰者の伝統文化への関心をキリスト教徒が汲み取り、歩み寄って いることを示唆している。

特に2003年の麻薬戦争以降、リスの人々は伝統文化(リス語でyili)を通じたコミ ュナルなつながりの再建に非常に強い関心を示すようになっており、超教派の宣教師 らもまたその流れをうまく利用することに成功しつつある。これまで、価値の根本的相 違と先述した確執とにより、祖先崇拝系(マジョリティ)のリスとクリスチャンのリス が文化イベントを同時に開催することはあり得なかったが、現在超教派の宣教師が試 みているのは、両者をうまく架橋することである。そしてそのために、冒頭で述べたよ うな「リス性の世俗化」が図られている。

そしてこうした「伝統文化」の主要なものとして、綾部[2014b:157]は「彼らが寝食を 忘れて没頭するほど好む、伝統的輪舞」を挙げている。実際に2012年3月に開催された第 一回国際リス文化セミナーにおいても、会場の中、あちこちで輪舞や歌掛けが行われていた ようである[綾部 2014b:158]。勿論リスの再統合にあたって、信仰を超えた共通項となる ものは、他に言語、民族衣装と様々である[綾部 2014b:163]。しかし後のⅢ章で詳述す るように輪舞は、主として参加者たちの自発的な実践であり、しばしばイベント主催者側の 思惑におさまりきらない/管理しきれない実践である、という点において独特の位置を占 めていると筆者は考える。

3輪舞の世俗化

綾部はリスとしての全体性の次元を世俗化し、それによって伝統文化という形而下のつ ながりを強調することで超教派の宣教師が祖霊信仰者とキリスト教徒とを架橋しようとし ていると述べたが[綾部 2014b]、この「リス性の世俗化」と並行していわば「輪舞の世俗 化」も必要だったと筆者は考える。これは、輪舞とそれが行われる場である新年祭も実は祖 霊信仰と無関係ではないからだ。

まず、新年祭がいかなる場であるか概説しよう。多くのリスの人々は太陰暦に従い、1月 下旬から 2 月、中国の春節と同時期に年間で最大の祭りとして新年祭を行う[Bradley

2008]。この新年祭では儀礼や輪舞が行われるが、祖霊信仰の人々にとっては村の守護霊や

祖先霊に祈りを捧げるひと時であり、新年祭を祝おうとしないキリスト教徒のリスもいる

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[Bradley 2008]。次章では筆者が実際に訪れた新年祭の様子を記述するが、2 日滞在し たうち各戸における祖先祭祀、村全体での豊穣儀礼と憑依儀礼、村の守護霊への祭祀など、

実に多様な儀礼が行われており、確かに信仰を異にするものにとっては参加しにくいよう な祭礼だと言えるだろう。

また、そこで行われる輪舞についても、始祖霊への奉納儀礼としての性格がある。筆者は 以前、綾部真雄から聞き取った輪舞の起源神話を次のように示した[内住 2018:11-12]。

リスの始祖となる兄弟がおり、この兄弟により地上の世界の統治が行われていた。と ころが兄弟の諍いにより、兄が天界へと帰ってしまう。この兄を呼び戻すために、拠り 代と供物を中心として周囲を囲んで踊ったのが現在の輪舞の起源となっている。

どこか天照大神の岩戸籠りを彷彿とさせる神話であるが、次章の実例から示すように現在 も依り代となる木に供物を捧げ、その周囲を囲んで踊るという習慣は残っている。

また、リスの若い男性にとってはこの輪舞は「公の場で女性の手を握って口説くことを許 された貴重な場面」であり、そのような場であるがゆえに、この場では同じクランに属す異 性と隣り合って踊ることはインセストとなり、許されていない[綾部 2007:206 註8]。 このことも、先のクランと信仰との結びつきを考慮すれば、信仰と全く無関係な事柄ではな い。

このような奉納儀礼としての性質や祖霊信仰との関わりから、伝統芸能の解釈をめぐっ てはキリスト教徒のなかでも見解が異なる。タイのリスの布教に長年強い影響を与えてき たのは長老派教会を中心に形成されたタイ国キリスト教会(CCT: Church of Christ in

Thailand)系、タイ国福音協会(EFT: Evangelical Fellowship of Thailand)系の2系統で

あるが[綾部 2007:189]、これらの系統に属す宣教師と、これらのいずれにも属さず超 教派(ノン・デノミネーショナル)を自任する宣教師とでは、次のような相違が見られると 綾部[2014b:149]は述べている。

長老派教会系や福音協会系の宣教師は、リスの踊りや歌垣を祖先崇拝や精霊信仰と の連続性をもった行為として捉え、積極的に禁止をしないまでも、自ら奨励することは まずない。それに対し、超教派の宣教師たちのなかには、「エスニック・マーカーの枯 渇がリスとしてのアイデンティティを減退させ、結果的に人々の共同体的な力を弱め ている」との立場から、踊りや歌垣をさながらネイティブ・アンソロポロジストのよう に深く研究し、自らセミナーやイベントを企画して奨励するものすらいる。

先述したアレネネもこうした超教派の一人であり、彼の主導した「第一回国際リス文化セミ ナー」においては、先述したインセスト・タブーの発生をさけるため、参加登録時に同姓集 団ごとに色分けされたリボンを配り、肩に着けてもらうことで、姓の区別が一瞬でできるよ

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うな工夫がなされていたという[綾部 2014b]。宣教師であるアレネネらによってこのよ うな配慮がなされるのは、キリスト教徒のリスにとっても、インセスト・タブーの原理は共 有されていることを意味している。この原理の共有が可能なのは、伝統的な信仰体系の中で も「インセスト・タブー」という比較的形式的な側面のみが前景化されることによって、形 而上的な祖霊信仰の側面は後景化することによる。

次章の事例で文化振興イベントを主導しているアサパもまた、超教派を自任するキリス ト教徒であり、イベントの中にも輪舞を積極的に取り込んでいることが窺える。信仰の差異 を超えた文化振興イベントを主催するにあたって、リスの人々の多くが好む輪舞を「奉納儀 礼」や「祖霊信仰」という文脈から切り離し、「エスニック・マーカー」と捉えなおすこと によって、輪舞は初めて架橋と成り得たのである。

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Ⅲ参与を促す輪舞の場

前章で示したように、輪舞が新年祭から文化振興イベントの文脈へ転用されるにあたっ て、その解釈を変えることによって、キリスト教徒と祖霊信仰者をつなぐ共通項と成り得た。

しかし単に認識上の変化のみが起こったのではない。新年祭における輪舞と、文化振興イベ ントにおける輪舞とでは、会場の規模や配置という物理的な環境という次元でも異なって おり、それは認識上の変容とも密接に結びついているものと筆者は考える。また、両者の比 較から浮かび上がる共通点は、輪舞が文化振興イベントに流用するのに適した性質をもつ ことを明らかにしている。以上を示すため、本章では輪舞が行われる二つの場面と、そこで 行われる実際の輪舞の様相を示し、それらの比較を試みる。

1新年祭における輪舞

本節では、輪舞が新年祭でいかに行われているのかを、フィールドワークを踏まえて記述 する。リスの輪舞は元来新年祭などの祝祭の場で行われてきたものであり、種々の儀礼の合 間に、昼夜を問わず行われているものである。本節ではそのような輪舞の実態を描くため、

筆者が観察し得た大晦日から新年の 2 日目までの新年祭の進行を示したのち、輪舞の場に ついて詳述する。

1)D村における新年祭の様子

2019年2月5日は、中国の春節にあたり、リスの人々の元日であった。筆者はその前後 で行われる新年祭の様子を調査すべく、2月4日~2月6日の間、ミミ・セージュ、オトメ・

クライン・フスィースィングの助けを借りて、チェンマイ県のとある村、D村を訪れた。セ ージュはリスの女性であるが、オランダ人の人類学者であり、タイのリスの研究をしていた フスィースィングの養女として育ったため、リス語以上に英語に堪能である。またリス社会 について研究をしており、いわばネイティブ・アンソロポロジストでもある。

このとき、D村へと向かう車の中には、同じくセージュと知己を得、リスの新年祭に関心 を抱いていた者がいた。アメリカ人の夫婦、ジャックとキティと、現在タイで英語教師をし ているという中国系アメリカ人の女性、サラとトレイシー(いずれも仮名)の4名だ。大晦 日に当たる2月4日、朝5時過ぎにチェンマイ市街を出発した車が山道を超えD村に着く ころには午前11時半ごろになっていた。そこではまた別の一行と出会うことになる。バン コク周辺の某アートスクールから、引率の教授が3名と、学生が20名ほど、やはり新年祭 の様子を実地で観察するため、フィールドワーク実習の一環として訪れていたのだった。学 生の中にはおそらくタイ南部の出身であろうムスリマの姿もあった。このように村の新年 祭というローカルなイベントに、日本から来ていた筆者も含め、実に多様な背景の人々が参 集していたことを強調しておきたい。

D 村は他の多くのリス村落と同様、山間部に位置しており、守護霊の祠である「アパム ヒ」を山の頂に持つ。各住居はその下方の主に南側の斜面に扇状に広がるような形をしてい

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る。この村の近くはタイの中でも有名なコーヒー産地として名が知られているが、この村も また散策しているとコーヒーの木や、コーヒー豆が干してあるのをしばしば見かける。

さて、セージュ一行(セージュ、フスィースィング、ジャック、キティ、サラ、トレイシ ー、そして私)は、セージュの旧家にお世話になることになった。この家では正午前になる と餅つきが始まり、新年祭での儀礼のための準備も行われ始めた。餅つきは、一度目は精霊 への供物として、二度目は祖先霊の供物として作られる。餅つきには足踏み式の杵が使われ、

歌を歌いながら、そのリズムに合わせて交互に餅を搗いては捏ねる。やがて餅つきが終わる と、杵は取り外し式になっているので外して分解し、臼に酒をかけ、道具の脇に線香を立て る。餅つきの途中、正午を過ぎたころから村の各所で新年を祝う爆竹の「パン」と乾いた音 が響いてくるようになる。時折山中にこだまする爆竹の音の中、新年祭の準備は進んでいく。

餅つきが終わると、今度は庭の中心に切り出し た木「コシュレズ(khoshi’la’zi’)」(リス語で新 年のレの樹)を立て、脇には竹筒を付け線香を立 てる。この木はリスの始祖の依り代となるもので あり、家の長は供物として卵を木の前に差し出 し、その前で屈んで儀礼句を唱える(図 2参照)。

他に、敷地内の北側にある本棟の正面に位置する 祖先祭祀の棚「ニタビア」を飾り付け、棚に備え られていた古い酒を捨てて新たに酒を備えなお す。また、玄関の両脇には竹筒を備え、そこに線 香を立てる。

このように大晦日の午後からまず各家での儀 礼が行われ始めるのだが、人々はそれが済み、夕 暮れになるとこの村の司祭「モム(momeu)」4の 家を訪れる。やはり庭の北側に建てられた本堂の 奥には、今宵の儀礼を執り行う霊媒師「ニパ

(nipha)」が座していた。徐々に人が集まり、100 名前後の人々が本堂に集まると、一同を清めるた めの憑依儀礼が始まった。儀礼の前までは、つま り憑依する前は好々爺に見え、微笑みながら他の 老人たちと談笑をしていたニパは、精霊が憑依す

ると表情は険しくなり一言も言葉を発さなくなった。セージュの説明によれば、精霊が憑依 したことでニパはもはや人の言葉を話さなくなるのだという。

この儀礼を受ける間、人々は先の本堂の奥、北側のアパムヒに背を向け、堂の中央の空間 に南口の入口を向くように座りながら、頭を垂れている。一度に儀礼を受ける人数は4,50 名程度で、その間他の人々は儀礼が行われる空間の脇で座して待ち、自らの順番を待ちなが

図 1:新年の木と儀礼の準備

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ら先に儀礼を受けている人々の方を見守っている。これよりさらに後の順番であり、部屋に 入りきらない人々は建物の外に待機している。ニパはアパムヒから入口にかけての通路上 を往復しながら儀礼を行う(図 2参照)。

↑山頂、北側

図 2:憑依儀礼中の人々の配置

ニパの片手に持たれた、茶碗のような陶器には酒が注がれ、何かの薬草が浸してある。ニ パは、いやニパに憑依した精霊は、人々の肩や腕、髪などに酒に浸した薬草を塗り付けたり、

口に含んだ酒を吹きかけたりする。これが数度繰り返され、場にいるものが清めを受け終わ ると、精霊は無言のまま、手で人々に立ち去るように合図する。

このような儀礼の1サイクルが終わると、それまで脇で待機していた人々が中心に移動し、

さらにそれまで屋外で待っていた者は屋内脇の待機スペースに移動する、というように順 に村人たち、および来訪者たちは清めを受けていく。

清めの済んだ人々は堂を抜け、堂の前の広場に出る。ここにもやはり新年の木が立てら れているが、一般の個人の家のそれと異なるのは、周囲に卓が据えられており、各々の持ち 寄った果物や酒、水などが置かれていることだ。これらは始祖への捧げものでもあるのだろ

ニタビア

入口

※ニパは、儀礼を受ける人々の 間、アパムヒから入口にかけて の通路上を行き来する。

※ニタビアの脇は別室となって おり儀礼中は閉じられていた。

凡例

儀礼を受ける人の列 順番を待つ人の列

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うが、人々はこの卓上に置かれた食物を食べ、酒を飲んでいる。また、儀礼が行われた本堂 とは別の棟で作られた料理も運ばれてくる。リスの日常的な料理では野菜が主であるが、こ のような儀礼や宴の場では豚肉をふんだんに用いる。

図 3:大晦日の晩のモムの家の広場

人々はそのような豪華な食事を味わい、トウモロコシから造った蒸留酒を飲みながら、

時に踊りの輪に加わり、大晦日の晩の宴に興じていた(図 3参照)。この広場での踊りには 筆者以外に、同行者であったサラやトレイシー、そしてアートスクールの学生たちもそれぞ れ宿泊先の家から借りた衣装を纏い加わっていた。筆者は以前にも踊りの輪に加わった経 験があるので、他の訪問者よりは多少リス輪舞には慣れていた。しかし、最初のうちこそ踊 り方に自身のなかった彼女たちも、数時間としないうちにぎこちないながらも踊りを楽し んでいた。

やがて、夜も更けたころ、人々はモムの家を後にする。太陰暦の大晦日の晩ゆえ、ただで さえ街灯のない山道には月明かりさえ無いに等しい。人々はその夜道を懐中電灯やスマー トフォンの灯りで照らし、特に興に乗っている幾人かは歌を口ずさみながら山中の家々を 回る。それぞれの家々の広場でも、新年の木を囲んで人々は踊る。深夜は特に人が多いと見 え、それまで姿を見せなかった10 代から20代の若者も盛んに踊りを踊っている。外国人 でありながら積極的に踊りの輪に加わり、リスの蒸留酒をリス語で「美味しい/アクドゥミ

ャ(akhue dumya)」と嬉しそうに飲んでいた筆者を気に入ったのか、とある30代のリス

男性が筆者に話しかけてきたので、彼としばし行動を共にした。「今日は祭りだ。何だって ありなんだぞ」「あの娘なんかどうだ?踊りに誘ってみろよ」という筆者に向けられた彼の 言葉は、若い男性のこの祭りでの楽しみ方を生き生きと伝えてくれた。

図  5:元日の昼の輪舞の様子  そして人々は伴奏者の外側を囲み、手を取り合いながら、やはり主として反時計回りに回 りながらステップを踏むのである(図  5 参照) 。踊りのステップには次のような傾向を見出 すことができる 6 。  ⑴  以下の動作を基本単位とする  ①  右足を前に出した後、左足も前に出して中心に近づく  ②  左足を前に出した後、右足も前に出して中心に近づく  ③  左足を後ろに下げた後、右足も後ろに下げて中心から離れる  ④  左足のみを二度足踏みする  ⑤  右足を右に出した後、左
図  6:リス文化大祭の会場  初日の 3 月 27 日の正午前後には人が集まっており、会場の隅に設けられたベンチと机に 食事が運ばれてきた。昼過ぎには本部テントのあたりでアスミやアババ、他の楽器奏者によ るツブやフルの演奏、歌掛けの録音・録画が行われた。15 時ごろになると観客席スペース で開会式が始まった 8 。  開会式で講話をしていたのは、ショロ、アサパ、ドクター・.アウ、アフの 4 名であった。 この場面にはチェンマイの放送局も立ち会っており、生中継での放送が行われていた。講話 に先立って各ゲスト
図  7:開会式後の様子―ラジオ放送局の人も交えて  開会式が終わるころには 17 時を回っており、夕暮れが迫っていた。夜のイベントは主に 照明のついた特設ステージ上で行われていた。ステージ上では中国のリスのバンドや、タイ のリス女性の歌手などによる演奏が行われていた。興味深かったのは、これらのパフォーマ ンスを観客席側から見ている人々もいれば、その裏側の輪舞スペースで、ステージ上の音楽 が大音量で鳴り響くにもかかわらず、それとは全くリズムの異なる伴奏のツブに合わせて 輪舞を行っている人も相当数いたというこ
図  8:リス文化大祭の輪舞(少人数時)
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