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被害者の承諾における欺罔・錯誤(一)

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(1)

被害者の承諾における欺罔・錯誤(一)

その他のタイトル Tauschung und lrrtum bei der Einwilligung des Verletzten (1)

著者 森永 真綱

雑誌名 關西大學法學論集

巻 52

号 3

ページ 701‑755

発行年 2002‑12‑20

URL http://hdl.handle.net/10112/00023526

(2)

被害者の承諾における欺岡・錯誤︵一︶

一刑法上重要な欺岡・錯誤の内容~益関係的錯誤説の検討I

1 Ar zt

2

.主観的考察と客観的考察

3Arzt

4.若干の事例検討

5

二欺岡・錯誤と客観的帰属論

本稿は︑法益主体が自己の法益処分について承諾したが︑それが欺岡・錯誤に基づくものであった場合︑いかなる

要件の下で当該承諾の有効性を判断すべきかについて検討を行うものである︒判例︑学説のいかなる立場からも︑承

被害者の承諾における欺岡・錯誤

(

 

︵ 七

0 1 )

(3)

第 五 二 巻 第 三 号

0年代に入り︑当時のドイツ

︵ 七

0二 ︶

一定の場合に承諾が無効になることについては承認されている︒ただ︑

欺岡・錯誤がいかなる内容のものであれば︑承諾が無効になるのかについては学説上激しい対立がある︒判例上問題

となっていることからも明らかなように︑本問題が実践的にも重大な意義を有していることは言うまでもない︒

従来︑我が国においては︑承諾における欺岡・錯誤に関する問題は︑判例上争いになった事案について各論的に議

論されるに留まり︑総論的にはこの問題について記述さえなかったり︑あったとしてもせいぜい︑欺岡・錯誤に基づ

<承諾は無効であるとか︑承諾は真意に基づくものでなければならない︑といったように一般的に記述し︑判例の結

論を支持する旨を表明するにすぎない教科書・体系書が大部分であった︒実際︑このような傾向は近時出版︑改訂さ

れた教科書・体系書においてもうかがわれる︵いわゆる重大な錯誤説︶︒判例も従来からすべての欺岡・錯誤に基づ

(2 ) 

く法益処分を無効としてきたわけではないが︑明確な基準に基づいてその有効性の判断を行っているとは言い難い︒

このような議論状況の中で︑

欺岡・錯誤による殺人︑住居侵入︑監禁に関する判例理論を批判し︑可罰性を制限する意図から︑動機の錯誤の場合

(3 ) 

には承諾は有効であるとする見解が有力に主張されるようになった︵いわゆる動機の錯誤説︶︒この見解の登場によ

り︑欺岡・錯誤に基づく承諾の有効性の判断基準をめぐる争いを総論的に解決する必要性︑欺岡・錯誤の内容を規範

的に重要なものとそうでないものとに区別することの必要性が明確になったといってよい︒しかしながら︑その理論

的根拠や何が動機の錯誤にあたるのかについての詳細な記述は見られなかった︒

(4 ) 

における比較的新しい有力説を参考に︑欺岡・錯誤の内容が動機に関するものであるときは承諾は有効であるとする

右見解を理論的に深化させる試みがなされるようになった︒すなわち︑違法性の本質を法益侵害にのみ求める見地か 諾が欺岡・錯誤に基づくものであった場合︑

0

年代以降︑かかる問題について総論的に記述する体系書も増え始めた︒特に︑

00

(4)

ゆだねており︑いわば二次的な問題として取り扱っていた︒判例も︑特に理論的根拠を挙げることなく︑個々の事例

(9 ) 

の状況から結論を導き出したり︑事実審に決定をゆだねているに過ぎなかった︒当時の学説は︑承諾の構成要件阻却

的機能と違法性阻却的機能に議論が集中していたのであった︒しかしこのような学説状況について︑

Ar

zt

は︑意思

欠鋏.瑕疵ある意思の取り扱いが完全に隅に追いやられたように思われる︑しかし二次的であると考えられている本

問題は︑承諾の本質論の正当性を決定する試金石なのである︑と述べて意思欠鋏.瑕疵ある意思の問題の重要性を説

いたのであった︒当時の一般的な見解は脅迫︑欺岡により得られた同意︵違法阻却的承諾︶や錯誤に基づく同意は無

( 1 0 )

1 1

)

1 2 )

 

効であり︑せいぜい単なる動機の錯誤は重要でないとしていたが︑この原則を合意の場面︵構成要件阻却的承諾︶に

()

Ar

zt

1

Ar

zt

0 ら︑法益主体が何を処分しているかわかっている場合には︑承諾は有効であるとする見解である︒この見解は︑

(5 )

6

八︱‑︳年に山中敬一︑一九八五年に佐伯仁志が展開して以降︑着々と支持者を増やし︑今日では強力な有力説となって

(7 ) 

いる︵いわゆる法益関係的錯誤説︶︒もっとも︑法益関係的錯誤説は本問題に有効な示唆をあたえたが︑決定的な解

決を与える学説ではない︒実際︑法益関係的錯誤説のバリエーションは様々であり︑また近時の学説状況を見ても︑

(8 ) 

かかる学説について疑問を唱える有力な論者も少なくないのである︒よって︑再度

Ar

zt

の構想がどのようなもので

あり︑どのような問題点を含むものであるかを検討することにしたい︒

刑法上重要な欺岡・錯誤の内容ー法益関係的錯誤説の検討

0

年当時の学説は被害者の承諾における意思欠鋏.瑕疵ある意思という問題を専ら判例に

︵ 七

0三 ︶

(5)

第五二巻第三号

0

︵ 七

0四 ︶

も適用するかは不明確であった︒

Ge

er

ds

は承諾を同意と合意とに区別し︑合意の場合にはいかなる意思欠鋏があろ

( 1 3 )  

うとも有効であり︑意思欠鋏・瑕疵ある意思は同意の場合にのみ問題となるという見解を主張したが︑根拠が明らか

でないし︑構成要件と違法性の関係をどのようにとらえようともかかる見解は恣意的であり︑立法者も意思欠鋏・瑕

疵ある意思の問題を考慮して構成要件を規定したわけではないし︑実際︑承諾を違法性と構成要件のいずれに分類す

るかについて争われている構成要件さえ存在しているのである︒さらに

Ar

zt

は︑合意と同意に区別する論者が社会

相当性という構成要件阻却事由を主張することにより合意と承諾の区別を解消しているという︒この社会相当性とい

う構成要件阻却事由において︑被害者の承諾に重要な意味が与えられ︑ここでは合意より厳格で同意より緩い要件が

設けられているのである︒このような社会相当性という中間物を使って合意と同意の区別から生ずる不都合を回避し

ようとするとき︑合意と同意の区別が意味をなさなくなっているのである︒このように述べて︑

Ar

zt

Ge

er

ds

も妥当でなく︑改めて被害者の承諾をめぐる意思欠鋏論を検討しなければならないと述べ︑法益関係性というメルク

マールが決定的であるという結論に至ることになる︒このように︑

Ar

zt

Ge

er

ds

の見解について批判的であるが︑

他方で

Ge

er

ds

の分析により︑承諾は意思欠鋏.瑕疵ある意思から自由でなければならないと言う一般的なテーゼに

対して疑問を提起する契機となった点は評価できるという︒つまり︑構成要件ごとにその都度当該状況において問題

( 14 )  

となっている意思欠鋏.瑕疵ある意思を個別に検討することの重要性が明らかになったというのである︒

ではこのような個別的考察はどのような観点からなされるべきなのであろうか︒ここで

Ar

zt

は刑法の構成要件の

機能に着目して自説を展開する︒ただその前提として

Ar

zt

はまず民法における意思欠鋏・瑕疵ある意思の場面につ

いて検討し︑刑法の機能を浮き彫りにしようと試みる︒民法においては︑悪意の欺岡があった場合︑取消権の行使を

(6)

認めることにより広範に被欺岡者を保護しているが︑刑法においては詐欺取消という制度は存在しないことから︑全

ての欺岡に基づく承諾を無効とすることが端的である︒実際︑従来の刑法における欺岡・錯誤に関する議論はこのよ

うな民法の刑法への転用が支配的であったことは事実である︒しかし︑この民法の規定は私的自治の原則から導かれ

るものであり︑また錯誤取消の条文も︑一定程度︑交換のプロセスに焦点を当てて作られたものであり︑そしてこの

ような交換の自由という観点からは︑被欺岡者自身の給付に関する錯誤と反対給付に関する錯誤は基本的に同等に取

り扱われているのである︒しかし︑刑法の場合︑このような民法上の考慮はあてはまらないと言う︒刑法の場合には︑

原則として︑静的にとらえられた一定の法益が保護されているのであって︑これは民法で言えば占有権や所有権など

の保護に相当するものなのである︒刑法においては︑交換の自由は性犯罪︑詐欺罪︑強要罪などの特別の構成要件に

よって保護されているに過ぎないのである︒もし︑法益主体が何らかの動作を行ったことや処分した法益の見返りに

反対給付を獲得することを約束したがそれが破られた場合に承諾を無効とするならば︑強要罪︑詐欺罪︑性犯罪など

における保護をはるかに越えた意思活動の自由を保護することになってしまうというのである︒このように述べて

Ar

zt

はいくつかの︵今や周知の︶諸事例を挙げている︒例えぱ︑カ一杯殴らせてくれたら一

000

マルクやると欺

岡されて殴られることに応じた場合︑身代わりに出頭して二週間の自由刑に服してくれたら何らかの報酬をやると欺

岡されてこれに応じた場合︑たとえ欺岡者に初めから支払いの意思がなくても︑

Ar

zt

の見解からは傷害罪や監禁罪

が成立することはない︒強要罪や詐欺罪において予定されていないような保護が掠め取られてはならないというので

ある︒逆に︑例えばナックルで武装している者がそのことを秘して殴ることに承諾させた場合には︑

Ar

zt

のいう法

益関係的欺岡があり承諾は無効になる︒被欺岡者が処分する財について欺岡が行われた場合にまで承諾を無効にする

二 0 三

︵ 七

0五 ︶

(7)

第五二巻第三号

ことは︑刑法上の存立の保護が潜り抜けられることになるからである︒

Ar

zt

は欺岡に基づく承諾のことを意味の不

認識であると言い換えている︒さて︑先に挙げた反対給付の事例はあまり意味のない講学上の限界事例であるかのよ

うにも見えるが︑この事例の背後にある問題意識はむしろ将来に向けられているとして︑以下のようにいう︒すなわ

ち︑日々増大している人格的な財の商業化に伴い︑承諾という制度を通じて人格の保護から物の保護へあるいはその

逆へと変換する可能性が実際上も問題となっており︑これに対して刑法がどのように対処すべきかが問われているの

である︒しかし︑刑法は︑特に高度に人格的な財が交換の対象となることに寄与してはならない︑なぜなら公序良俗

違反により民法上保護されないような高度に人格的な財の売買から生ずる請求権が刑法を通じて保護されることに

なってしまうからである︒さらに解釈論的根拠として︑もし法益主体が好みに応じてあらゆる反対給付と法益処分を

結びつけることができると解することにより︑交換の自由をも刑法的に保護すれば︑刑法各則において法益の区別を

している意味がなくなってしまう︒そして︑刑法は法益とは別の利益を保護することに対して謙抑的でなければなら

ない︒そしてこの謙抑性を達成する理論が法益関係的錯誤の理論であるというのである︒しかしながらこのように法

益関係的錯誤説を採用する理由を展開したものの︑

Ar

zt

は﹁法益関係的とは何か﹂を定義する課題と対決しなけれ

ばならない︑と述べ︑特に従来﹁動機の錯誤﹂として位置付けられてきた類型をどのように限界付けるかはさらに困

難な問題であるという︒そして反対給付に関する錯誤も例外的に法益関係的になりうることを認めている︒例えば︑

医療の場面のように︑差し引きの結果健康を促進することを欺岡者が約束したことを理由に︑被欺岡者が身体的完全

( 1 5 )  

性の処分に応じた場合には︑かかる欺岡は法益関係的でありうるという︒そしてこのような法益関係性という基準は︑

( 16 )

1 7

)  

欺岡に基づかない︑法益主体自ら陥った錯誤の場合にも妥当するとする︒

0

0六 ︶

(8)

0

A r z t

の法益関係的錯誤説は︑ドイツで瞬く間に広がり︑バリエーションは様々であるが︑多くの論文や教科

( 18 )  

書において採用されるに至っている︒

もっとも一九九

0

年代に入ってから︑このように規範的︑客観的に欺岡・錯誤の重要性判断を行うこと自体に明示

的に反対し︑本人の主観のみを基準に欺岡・錯誤の重要性判断を行うべきであることを積極的に主張する有力な論者

が我が国とドイツにおいてあらわれるようになった︒我が国では︑林幹人が法益主体本人の価値基準に照らして﹁自

由意思を喪失したか否か﹂を判断すべきである旨を主張している︒井田良も︑法益主体本人の価値基準に照らして承

諾の有効性を判断すべきであるとし︑例えば会社社長に﹁あなたの会社は倒産しましたよ﹂と欺岡したり︑最愛の人

が死んだと欺岡して絶望させ自殺させた場合には︑自殺関与罪ではなく︑殺人罪が成立すると言う︒また︑ドイツで

M i t s c h

が彼の

H a i b l i t a t i o n

A r z t

説をはじめとする法益関係的錯誤説に対して大々的に批判を展開し︑

法益主体本人の価値基準のみが重要であると述ぺている︒しかし︑このような見解は妥当でないように思われる︒た

しかに論者の法益関係的錯誤説に対する批判の中には示唆に富むものもあるが︑承諾者の主観のみを基準にして行為

の違法性の有無を決するとすれば︑仮に林幹人のように﹁自由意思の喪失﹂という限定を加えたとしても︑例えばあ

るアイドルが狂信的なファンに﹁今すぐ死んでくれたら死体にキスしてやる﹂と欺岡して死ぬことに承諾させた場合

や︑﹁背中一面に入れ墨をしてくれたら結婚してやる﹂と欺岡して入れ墨をさせた場合に承諾は無効となり︑殺人罪

や傷害罪が成立することになろう︒この場合︑主観的・事実的に見れば自由を喪失していると言わざるを得ないので 2.主観的考察と客観的考察

︵ 七

0七 ︶

(9)

3 ・ A r z t

説登場以降の学説の展開 第五二巻第三号

︵ 七

0八 ︶

ある︒さらに井田のように︑会社倒産や最愛の人の死亡を告げて自殺させた場合にまで︑承諾を広く無効とするのは 疑問である︒このような基準を徹底して適用すれば︑被害者が後に自殺することを未必然に認識しつつ強姦したとこ ろ︑案の定︑被害者が絶望して自殺した場合︑殺人罪の成立を肯定せざるをえないであろう︒これらの事例で法益処 分を行った者の心情は理解できないではないが︑いかに価値観が多様化した現代社会にあっても︑刑法的観点からは 到底承認しがたい結論であろうかと思われる︒やはり︑規範的見地から客観的に欺岡・錯誤を重要なものとそうでな いものとに区別する必要がある︒小林憲太郎が指摘するように︑﹁任意性もまた法的な概念である以上︑被害者の生 の意思それ自体が直ちにその存否を決するわけではなく︑⁝⁝法的な評価を通して⁝⁝判断する必要がある﹂のであ

( 20 )  

る︒林幹人と

Mi ts ch

が他の箇所において行っているように︑﹁嘘をつくこと﹂を手段とする犯罪の典型としての詐 欺罪の欺岡要件や財産的損害要件において︑重要な嘘とそうでないものとに区別し処罰範囲を限定するのと同じこと

( 21 )  

である︒もっとも︑先に挙げたアイドルの事例や入れ墨の事例のような極端な事例を挙げて処罰すべきことを主張し ているわけでもないことからして︑暗黙のうちに客観的に処罰範囲を画することを当然の前提としているかも知れな いが︑そうであれば主観的考察を前面に押し出すぺきではない︒規範的・客観的に︑法益に応じて欺岡・錯誤の重要

性を判断するという

A r z t

の構想には基本的に賛成されなければならないであろう︒

以上の通り︑規範的見地から客観的に欺岡・錯誤の重要性を判断することが妥当であるという結論に達したが︑そ

れでも

A r z t

が主張した法益関係的錯誤説をそのままの形で主張することは妥当でないと思われる︒特に︑法益に関

0

(10)

(

)

法益関係性基準と反対給付に関する欺岡・錯誤をめぐる学説の展開 判されていた︒特に︑ 係しない欺岡・錯誤の事例において承諾を無効とすると︑いわば法益の存立を保護しているに過ぎない構成要件が被害者の承諾という制度を通じて一般的な意思活動を保護する構成要件へと変貌することになってしまう︑という

A

r z

t

の根拠付けは妥当であろうか︒このような根拠付けは︑我が国においては佐伯仁志が全面的に支持し︑山口も

主要な根拠になりうることを認めている︒また︑最近出版された体系書ではかかる根拠付けは消えたものの︑この

テーマについて最初に発表した論文において山中敬一も全面的に支持していたのであった︒このように我が国におけ

る議論においては

A r z t

説がなお根強く主張されているのである︒

0 一方︑ドイツではこのような

A r z t

の根拠付けは既に一九八

0

年代に法益関係性基準を用いる論者自身によって批

一九八三年に出された

J a

k o

b s

の体系書と一九八四年に出された

R o

x i

n の本テーマに関する

( 22 )  

論文により︑学説の大きな転換が図られることになった︒

Ro

xi

n は︑従来の通説と比較すれば基本的に

A r z t

説がとる方向性は妥当であるが︑その根拠付けの不十分

さないし不当性︑また典型的には緊急状況など明らかに承諾を無効とすべき事例を検討していない点に問題があると

している︒そして︑法益関係性という基準には

A r z t

が述べているほどの原則的な意義を認めるべきではなく︑承諾

者の自由な処分の所産といえるかどうかを決定的な基準とすべきであるという︒もっともどのような場合にそう言え

( 23 )  

るかを突き止めることは困難であるが︑典型的な事例群を挙げて類型化しその限界を探ることが妥当であるとして︑

①法益処分の種類・範囲に関する欺岡︑②反対給付に関する欺岡︑③付随的事情に関する欺岡︑④博愛的な目的

に関する欺岡︑⑤緊急避難類似状況に関する欺岡という五つの事例群を作り︑②③は承諾有効︑①④⑤は承諾無効

︵ 七

0九 ︶

(11)

第 五 二 巻 第 三 号

︵ 七

0)

としている︒④⑤は後に検討するとして︑ここでは

Ar

zt

説からは法益関係性基準により承諾の有効性が決せられる

①②③の事例に関する

R o

x i

n の事例処理とその論証を確認する︒まず①の例として︑適度な強さのびんたに承諾し

たところ︑ナックルをつけて殴られた場合︑木のボールを足の上に落とすことに承諾したところ鉛のボールを落とさ

れた場合︑さらに﹁この器具は一度解体しても完全に元通りに直すことができる﹂と欺いて︑高価な器具を解体する

場合を挙げ︑これらの場合承諾は無効とするが︑

Ar

zt

のように交換の保護と存立の保護という区別という論証では

なく︑単に構成要件該当結果に関する欺岡に基づきなされた承諾は事柄の性質上法益主体の自律的意思の所産とは言

( 24 )  

えないことがその根拠であると述べている︒次に②の事例について︑

R o

x i

n

Ar

zt

がこの事例を際立たせたこと︑

そしてその結論については妥当であるが︑法益関係的錯誤がないという理由のみで当該事例を説明することはできな

い︑なぜなら法益関係的錯誤がないということからは︑被欺岡者の承諾が法益侵害の対象に及んでいるということは

説明できても︑この承諾が有効であるとは寵ちに言えないからである︑と述べている︒そこで︑当該法益処分が法益

主体の自己決定の所産ないし自由な処分行為であるとみなしてよいかどうかが問われなければならないであろうとし

て︑以下のように根拠付けている︒すなわち︑双務契約を締結する者は︑常に反対給付を受け取ることができない危

険を負っている︒そのため民法はこの者に履行請求権を認めているのであるが︑それを主張する際欺岡に基づく契約

もなお有効である︒そこでの契約締結と履行は被欺岡者の行動の自由の所産であるとみなされているのであり︑この

ような思考は刑法にも妥当しなければならない︒よって︑民法上債務の履行を意味するに過ぎない行為が刑法上傷害

罪や器物損壊罪として評価されてはならない︒献血の見返りに金銭を給付すると騒されて献血に応じたという先に挙

げた例でいえば︑献血前に被欺岡者が欺岡者の意図を見抜いた場合︑欺岡者は無罪となるため被欺岡者の保護に欠け

0

(12)

0 ることになり妥当ではないとの批判が予想されるが︑被欺岡者はいつでも承諾を撤回することができるし︑また契約通りにそれでも献血し反対給付を求めることができるのであり︑これは被欺岡者の自由に任せればよいことなのであって被欺岡者の保護に欠けることにはならない︑と述べている︒なお︑身体の一部を交換の対象とすることは︑民法における公序良俗に反しない限度で認められるべきであり︑従ってその限度で詐欺罪の成立が認められる︒そして公序良俗違反がある場合に︑詐欺罪が成立しないのはもちろんのこと︑傷害罪の成立も肯定することはできない︒な

( 25 )  

ぜなら詐欺罪で保護されない事象が他の構成要件で保護されるという不当な結論に至るからであるとしている︒③で

取り扱われている事例は特に医療の際どのような欺岡・錯誤が重要であるかを検討の中心に置いている︒そこでの

キーワードは﹁合理的な患者﹂である︒まず︑医師による手術に承諾したところ医学実習生によって手術が行われた

医学実習生事件のような行為主体に関する欺岡・錯誤の場合︑合理的な患者を想定し規範的な観点から当該承諾の意

味を考察しなければならないと述べ︑これらの脈絡で重要なのは治療技術なのであるから︑この事例における患者の

錯誤は重要ではないとしている︒同じことは

A

に牛の屠殺を承諾したところ

B

が行ったという場合にも妥当すると述

べている︒その他の医師の説明義務の問題︑特に侵襲の副作用や失敗等の可能性についても︑合理的な患者という観

点からどの程度の説明義務があるかを決定しなければならないとする︒手術の費用の額に関する欺岡があった場合︑

反対給付の場面とパラレルに論じることができるとし︑また整形外科医が患者の女性に対して︑﹁男性にもてるよう

になるでしょう﹂とか﹁女優として成功する﹂と騒して整形手術に承諾させたとしても︑当該侵襲の客観的意味は整

( 26 )  

形手術に対する承諾以上のものではないとして︑承諾は有効であると述べている︒

Ja ko bs

Ar

zt

説に倣い法益関係的な錯誤がない限り承諾は有効であると言う︒但し︑﹁処分権者が︑欺岡あるい

(13)

第 五 二 巻 第 三 号

はその他の原因に基づいて︑侵害行為により自分の財について行われる不都合な変更の有無あるいは重要性について

錯誤に陥っている︑すなわち法益関係的錯誤に陥っている限り︑︵完全な︶処分の意識が欠けていることから処分の

意思がない︑すなわち処分権者には︵部分的にあるいは完全に︶﹃故意がない﹄のであ﹂り︑このような場合には被

( 27 )  

害者は﹁自己を侵害する道具たりうる﹂と言う︒もっとも︑被害者の錯誤が行為者の欺岡によって惹起された場合に

は︑間接正犯の成立を認めることにより処罰範囲を拡大し︑

J a k o b s

自身も述べているように︑

R o x i

n

ら通説的な解

決と大部分において一致する︒この場合︑承諾者が道具︑承諾の瑕疵に対して管轄のある

( z u s t i i n d i g )

者が間接正

犯であると言う︒そしてこのように構成した場合︑間接正犯者は承諾により構成要件に該当しない侵害者と同一人た

り得︑瑕疵の支配を理由に間接正犯として構成要件に該当し︑侵害を理由とした直接正犯としては構成要件に該当し

( 28 )  

ないとする︒法益関係的錯誤に基づくことなく承諾がなされた場合︑当該承諾は有効であるが︑欺岡が法益関係的で

( 29 )  

なくとも︑その欺岡により﹁合理的な財の交換

( U m s c h i c h t u n g )

﹂がなされるような状況が存在しているかの如く欺

岡したときには︑欺岡者は間接正犯として責任を負うと言うのである︒そして合理的な財の交換とは︑特に緊急避難

や間接正犯について展開されうる価値基準により︑﹁差し引きの結果少なくとも損失なしに﹂なされる財の交換であ

( 30 )  

ると言う︒すなわち︑得られる利益と失う利益が差し引きゼロであればいいと言うのである︒もっとも︑

J a k o b s

このような緊急状況に関する欺岡の場合のみならず︑利益の獲得が問題となっている場合︵反対給付の事例︶にも間

接正犯は成立しうるとしている︵もっとも疑問を留保している︶︒例えば︑ある学生が少量の血液の対価として多額

( 31 )  

の報酬がもらえるかの如く欺岡されて︑採血に承諾する場合には︑間接正犯が成立しうるとも言うのである︒

以上のような

R o x i n

J a k o b s

の構想は大雑把に見れば﹁

A r z t

説に基本的に賛成で︑結論が直感的に見て不当な 関法

二 ︱

0

(14)

場合に例外を認めたもの﹂かのように見えるが︑よく見るといくつかの重要な指摘がなされていることが分かる︒

もっともここでは特に反対給付に関する欺岡・錯誤の取り扱いについて考察しなければならない︒まず︑

R o x i n

証において

Ar

zt

の交換の保護と存立の保護の区別という根拠付けを明確に否定し︑法益関係的錯誤がない限り承諾

は有効であるという命題の原則的意義を否定している点が特徴的である︒このような交換の保護と存立の保護の区別

( 32 )  

という根拠付けの不当性については最近では

R o n n a u

や井田も指摘しているように︑手術の場面を考えれば明らか

である︒この場合︑同等︑またはより高い価値を有する身体の部位を保護するために他の法益を犠牲にするのであり︑

その限度で身体という法益も交換価値を有しているのである︒たしかに身体が積極的に利益を獲得する目的から安易

に取引の対象になることに対しては

Ar

zt

がいうように謙抑的でなければならないが︑法益の危殆化から逃れるため

に一定の場合に身体も交換の対象となるのである︒どの程度交換の対象になりうるかは︑結局は社会的脈絡に依存す

一般的に存立の保護と交換の保護という区別をすることなどできないのである︒また

R o x i n

が反対

給付に関する欺岡・錯誤の場面で民法を援用して独自の根拠付けを行っている点が興味深い︒その論証の是非はここ

では留保するが︑たしかに﹁殴られることは分かっているから﹂という

Ar

zt

の論証だけでは傷害罪不成立の説明に

なっていないように思われる︒例えば︑無償で採血に応じたところ︑医師ははじめから採血する気などなく︑単に針

を刺すことにより痛めつけて嫌がらせをするつもりであったことから︑針を刺したあと血を採取することなく︑針を

抜いた場合︑﹁針を刺されることは分かっている﹂以上承諾を有効とすることは不当であろう︒さらに︑

Ar

zt

に︑詐欺罪を特別の構成要件ととらえることについても慎重な議論が必要である︒というのも沿革的に詐欺罪が傷害

( 33 )  

罪や器物損壊罪を排除することを意図して作られたわけではなく︑むしろ︑今日の偽造罪や間接正犯と同じ起源を有

︵ 七 ︱ ︱

︱ ‑

(15)

法益処分の意味に関する欺岡・錯誤をめぐる学説の展開

第 五 二 巻 第 三 号

しているのであり︑

J o e r

d e n

が言うように︑仮に詐欺罪の規定がなくとも︑財産について被害者の承諾のルール

( 34 )  

るいは間接正犯のルール︶を適用し事例解決を図ることも可能といえよう︵窃盗罪の間接正犯という構成もありえよ

う︶︒実際︑法益関係性基準を用いる論者の中にも︑例えば

J a

k o

b s

Ro

nn

au

のように︑反対給付に関する錯誤・

( 3 5 )  

欺岡の事例において詐欺罪と傷害罪の双方の成立を認める論者も存在するのである︒いずれにせよ︑詐欺罪と傷害罪︑

器物損壊罪などの関係について再検討する必要性があろうかと思われる︒

A r z t

の法益関係的錯誤説については︑

Ro

xi

n がいうように︑緊急避難類似状況や博愛的な目的に関する

欺岡・錯誤の場面を適切に解決できない点にも問題がある︒まず︑

R o

x i

n

の論証について確認しておきたい︒博愛的

な目的に関する欺岡として

R o

x i

n は︑子供の目の治療に角膜が必要であると欺岡して︑母親に角膜を取ることを承

諾させ角膜を取るが︑実際にはその角膜を捨てたという事例︑欺岡者が映画スターに﹁生命救助週間﹂であると欺岡

して無料で献血させるが︑実際にはファンに売るつもりだったという事例︑医学の進歩を目的とした実験であると欺

岡して傷害に承諾させるが︑本当のところは単に被害者に損害を与えるためであったにすぎなかったという事例を挙

げている︒これらの場合︑承諾を有効とすることは妥当でないとして以下のようにいう︒そもそも︑これらの事象は

承諾者の行動の自由の所産とは言えず︑むしろ欺岡によって巧みに操られた意思に担われているにすぎないのである︒

たしかにこの場合反対給付に関する欺岡・錯誤に関する事例との相違が問題となるが︑反対給付に関する欺岡・錯誤

の場合には︑民法や詐欺構成要件による保護が用意されていることから︑当事者間の取り決めは直ちに無に帰せられ

るわけではない︒しかし博愛的な目的に関する欺岡・錯誤の場合には︑これらのような制度は予定されておらず︑被

︵ あ

(16)

(

)

一般的な見解によれば強要に基 欺岡者の目的達成への道は完全に遮断されるのである︒

A r z t

のいう﹁存立の保護﹂という観点にのみ着目すること

なく︑全体事象を見渡したとき︑当該事象は被欺岡者の意思に反しているのである︒つまり承諾は法益主体の自律性

の所産とは言えず︑他律的なものであることから︑当該事象は被欺岡者ではなく︑欺岡者に彼の仕業として帰属しな

ければならないのである︑と述べて︑それゆえ承諾は無効であるとしなければならないとしている︒なお︑この博愛

的な目的の場合︑特に先の角膜の事例のように移植が問題となる場合においては︑その移植先も重要であるという︒

例えば︑親族に移植することを前提に承諾したのに︑他の者に移植した場合には承諾は無効である︒この類型に見ら

れるような高度に人格的な行為にあっては︑角膜移植を受ける者に関する承諾者の意思が尊重される場合にのみ︑客

( 36 )  

観的見地からは自由な処分の所産であると評価できるからであるとしている︒緊急避難類似状況に関する欺岡として︑

﹁猛獣が逃げ出し公衆を危険にさらしている﹂と飼い主を欺岡することによりその猛獣の射殺に承諾させるという事

例︑シラミがわいていると欺岡することにより髪の毛を全部剃ることに承諾させる事例︑山火事であると偽り︑﹁森

の木を切らないとあなたの家に火が燃え移りますよ﹂と欺岡して森の木の伐採に承諾させる場合を挙げている︒この

R o x i

n

は承諾を無効と解するわけであるが︑その理由は二つあるという︒まず︑脅迫による強要に相当するよ

うな精神的強制状況に陥れるために欺岡が行われている点に求めている︒すなわち︑

づく承諾は無効であり︑緊急避難類似状況の存在を欺岡した場合にも同様に承諾は無効とされなければならない︒な

お ︑

A r z t

は︑意思活動の自由は強要罪によって保護されているが︑暴行︑脅迫からのみ保護されているのであって︑

欺岡による場合は予定されていないという︒しかし︑欺岡によって強制状況が作出された場合について被害者の承諾

という制度によって刑法的保護を与えないことを示唆する

A r z t

の論証は妥当でない︒強要罪は︑些細な行為を強要

(17)

基準からも同様にされることになろう︒

したり沈黙を強制するといった意思活動の自由に対する侵害一般をカバーするものであって︑刑法上の保護法益の処

分に際して行われる意思侵害をカバーしているわけではないのである︒たとえ強要罪においてカバーされていないと

しても︑欺岡に基づく脅迫に匹敵する強要を処分された法益を保護する構成要件に基づいて処罰することは合理的な

のである︑と述べている︒次に︑ここで問題となっている緊急避難類似状況は︑行為者が緊急状況があるかの如く

偽って第三者を利用する場合とパラレルである点を根拠としている︒例えば︑先に挙げた猛獣の事例がこれに当たる

という︒正当化的緊急避難状況の存在を偽った場合には︑正当化状況の事実的前提について当該第三者は錯誤に陥っ

ていることから︑故意がないと評価されるのが通常である︒また︑その他の事例︵ケジラミの事例︶の場合︑決意は

本人に留保されていることから正当化的緊急避難状況ではないが︑これは法益主体の自律性の保護という観点から正

当化的緊急避難が否定されているに過ぎない︒よってその点を除けぱ︑故意阻却的な錯誤と同等の瑕疵ある表象に基

づく承諾といえ︑やはり故意に基づく自由な決意とは言えないという︒なお︑強制状況が現実に存在している場合に

は︑承諾者が行った財の衡量は︑彼に留保された決意の自由の所産であるといえるため︑承諾は有効であるとしてい

( 3 7

る︒このような )  

Ro

xi

n

の事例解決は

J a

k o

b s

の﹁差し引きの結果少なくとも損失なしに﹂なされる財の交換という

さて︑特に後者の緊急避難類似状況の事例について法益関係的錯誤説からはうまく説明できないことは従来から認

識されてきた︒先にも述べたように︑

A r z t

でさえ手術の必要性について欺岡された場合には例外的に法益関係的欺

岡・錯誤が存在することを認めざるをえないことを示唆してきたのである︒しかし

A r z t

の論証を擁護しつつ緊急避

難類似状況や博愛的な目的に関する欺岡・錯誤の場合に承諾を無効にすることを適切に論証することが出来るのであ

(18)

二︱五

我が国では既に︑法益関係的錯誤説を最初に主張した山中敬一が

Ar

zt

の﹁交換の保護と存立の保護の区別﹂とい

う法益関係的錯誤の論証を支持しつつ︑手術の必要性について欺岡された場合や︑実際には存在しない緊急避難類似

状況が作出された場合には︑﹁被害者の価値決定が拘束﹂されていることを理由に﹁例外的に﹂承諾が無効になるこ

( 38 )  

とを認めていた︒しかし︑これでは何故に﹁交換の保護と存立の保護﹂という原則が破られるのか明らかでないし︑

そもそもかかる原則と矛盾するのではないかという批判を免れることは出来ないであろう︒さらに︑山口が指摘する

ように︑価値決定の拘束を承諾無効の理由とするならば︑現実に緊急避難状況や手術の必要性が存在している場合に

( 3 9 )  

も価値決定の拘束が存在するため承諾を無効とせざるをえなくなるという不当な結論に陥ることになる︒そこで︑こ

のような山口の批判を受けて山中敬一は︑緊急避難類似状況の存在に関する錯誤の場合には﹁法益の相対的価値の錯

誤﹂があるため承諾が無効になるのであると理由付けを変更し︑また

Ar

zt

のような﹁交換の保護と存立の保護﹂と

いう論証ではなく︑﹁自由な自己決定の所産であるとみなされるかどうかが基準となる﹂として現在ではRoxin説を

( 40 )  

支持するに至っている︒

これに対して山口は︑

Ar

zt

の論証を基本的に擁護しつつ︑緊急避難類似状況の存在や博愛的な目的に関する欺

( 4 1 )  

岡・錯誤には承諾を無効とし︑実際に存在する場合には承諾を有効とすることができるという見解を最近発表した︒

このことをいくつかの場面に分けて論証する︒まず︑同一の法益主体内部における価値衡量が問題となっている場合︑

( 42 )  

例えば﹁手術をしないと死にますよ﹂と欺岡して手術に応じさせた場合には︑

Ar

zt︑佐伯仁志に倣って︑身体は体の

一部のみならず全体として保護されていることを根拠に︑かかる欺岡・錯誤は法益関係的であるからそれに基づく承

(19)

第 五 二 巻 第 三 号

諾は無効であるとする︒これに対して︑第三者の法益を救うべく自己の法益を犠牲にした場合を︑例えば飼っている 猛獣が逃げ出して公衆が危険にさらされていると欺岡されてその射殺に応じたという場合のように実際に存在すれば

( 43 )  

正当防衛︑緊急避難が成立する場面と︑例えば先に挙げた角膜事例のようにこれらの違法性阻却事由は成立しない場 面とに分け︑前者については法益の要保護性が欠けるため法益関係的錯誤の存在が認められ承諾は無効になるとし︑

後者については﹁本来制約されていない自由を制約して同意が得られたのであるから︑脅迫による場合と同じ客観的 評価に値する﹂がゆえに承諾は無効になるとする︒しかしこのような見解については︑まず身体は全体として保護さ れているとか︑法益の要保護性がないとか︑脅迫の場面類似の客観的評価に相当するという論証は結局﹁交換の保護 と存立の保護の区別﹂という論証と矛盾するように思われる︒法益関係的錯誤説の立場からはどの部分をどの程度侵 害されるか分かっていれば錯誤はないはずであり︑どのような目的からなされるかという事情は重要ではないはずで ある︒ここでは実質的に身体という法益の交換価値を認めているに他ならないのである︒また︑

R i : :

i n n a

u が言うよう

( 44 )  

に︑法益侵害の甘受が自己の法益を保護するために行われるか第三者の法益を保護するために行われるかで法益関係 的になったりならなかったりするのも奇妙であろう︒法益の処分を通じて他の利益を保護するという点は同じなので ある︒よって︑むしろ

A rzt

の論証を放棄し︑身体等の相対的価値を認めた上でその限界を探るという

Ro

xi

n

Ja kobs

の論証の方が優れていると言えるのではないだろうか︒ドイツでは︑特に

Ro

xi

n 説は﹁規範的自律性説﹂と

( 45 )  

名付けられ︑定評のある教科書の著者である

Je

sc

he

ck

Gr

op

pらによって採用されている︒

Ar

zt

自身も一九九二年

( 46 )  

の論文において一九七

0

年段階における彼の論証を実質的に放棄し︑

Ro

xi

n説を支持することを示唆した︒このよう

に特に

Ro

xi

n の構想はドイツにおいてかなりの有力説となっている︒最近出版された本テーマに関する

Am

el

un

g

関法

(20)

のモノグラフィーでも︑

Ro

xi

n 説がそのまま採用されているわけではないが︑

Ar

zt

の構想は批判され︑事例を類型

( 47 )  

化し個別に検討するという方法論を採られている︒このようにドイツでは︑法益関係性という基準は用いつつも︑そ

れ以外に欺岡・錯誤が法的に重要となる場面を︑総論上個別具体的に検討する作業が進められている︒

この点では︑早くから

Ar

zt

の論証を放棄し

Ja ko bs

類似の基準を採用していた林美月子の採る方向性が妥当であ

ると思われる︒すなわち︑﹁法益関係的欺岡・錯誤説は基本的に妥当であるように思われる︒しかし︑これは法益関

係的欺岡・錯誤がなければ原則として同意は自由な自己決定によっており︑任意に法益が放棄されたと考えられるか

らである﹂と述べ︑

Ja ko bs

のように緊急避難の法益衡量により差し引きがゼロとなるような緊急状況について法益

( 48 )  

主体を錯誤に陥れた場合に承諾を無効とする︑という見解を主張していたのであった︒法益関係性基準に原則的意義

を認めることにはなお疑問の余地があると思われるが︑一次的に法益侵害性の認識の有無について問い︑その次に

Ja ko bs

の法益衡量基準を基礎に事例分析を行うという手法は本稿も支持したいと考える︒その詳細は後述するとし

て︑ここでは林美月子説の問題点を指摘しておきたい︒特に

Ro

xi

n の博愛的な目的に関する欺岡の事例分析に問題

9 ) ( 4  

︵もちろんこれは本事例類型についてさほど詳しい検討を加えていない山中敬一説︑佐伯仁志説︑

山口説にも妥当することである︶︒すなわち︑子供の目の治療に角膜が必要であると欺岡して母親に角膜を取ること

を承諾させ角膜を取るが実際にはその角膜を捨てたという事例︑欺岡者が映画スターに﹁生命救助週間﹂であると欺

岡して無料で献血させるが︑実際にはファンに売るつもりだったという事例︑医学の進歩を目的とした実験であると

欺岡して傷害に承諾させるが︑本当のところは単に被害者に損害を与えるためであったにすぎなかったという事例の

うち︑緊急性のない映画スターの事例と医学実験の事例について︑﹁なぜこの目的を達成すべきなのかは明らかでな があると思われる

(21)

第五二巻第三号

︵ 七

0)

い︒右の例で︑行為者が翻意して⁝⁝血液を生命救助に使えば同意は有効になるのであろうか﹂と疑問を提起し︑こ

れらの例で承諾を無効とすれば全ての欺岡に基づく承諾が無効になるという結論に至り不当であると批判する︒しか

しながらこのような批判は必ずしも的を射たものではないと思われる︒まず映画スターの例を単純化すると︑要する

に献血に応じたが︑献血の本来の意味は何ら達成されなかったという事例である︒すなわち︑販売目的に限らずはじ

めから捨てる目的であったとしても同じことであろう︒また︑献血に応じさせるが︑実際は当初から採血する意図は

なく単に針を刺して嫌がらせをするつもりであったという先に挙げた事例もこの類型に属するものと思われる︒ここ

R o x i

n

は全ての欺岡に基づく承諾を無効とすべきことを主張しているわけではない︒私見によれば︑以下のこと

を理由にこの事例類型において承諾を無効とすべき場面があるように思われるのである︒すなわち︑医学が進歩した

現代社会においては︑医学の力により多くの国民の生命を救うことが可能になったが︑その前提として献血が不可欠

であり︑これに伴う不利益は国民の誰かが甘受せざるを得ないものである︒むろんこのような連帯を前提としない社

会もありうるが︑ある程度前提とせざるをえないように思われる︒このような連帯感を利用した法益侵害は刑法的に

も見過ごすことができないものなのである︒これは仮に刑法の目的を法益保護と捉えたとしても妥当することではな

いだろうか︒すなわち︑直ちに個別具体的に採取された血液がどのように用いられるか決まっていなくても︑他人ま

たはひょっとすると自己の近い将来に生ずべき法益の危殆化に備えて献血に応じることは法益保護の観点からも重要

なことであり︑単なる恣意とは区別されるべきものなのである︒医学実験の事例は限界事例と思われるが︑医学の発

( 50 )  

展にとって医学実験は不可欠であり︑やはり社会連帯の見地から誰かが甘受せざるを得ない不利益である︒以上のよ

うに︑たしかに

R o x i n

の博愛的な目的に関する欺岡・錯誤の事例については︑なおその根拠付け︑限界付けが求め 関法

参照

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Geisler, Zur Vereinbarkeit objektiver Bedingungen der Strafbarkeit mit dem Schuldprinzip : zugleich ein Beitrag zum Freiheitsbegriff des modernen Schuldstrafrechts, ((((,

Yamanaka, Einige Bemerkungen zum Verhältnis von Eigentums- und Vermögensdelikten anhand der Entscheidungen in der japanischen Judikatur, Zeitschrift für

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