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和田勉の演出技法 : 芸術的テレビドラマの探求

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(1)

和田勉の演出技法 : 芸術的テレビドラマの探求

著者 瀬崎 圭二

雑誌名 人文學

号 199

ページ 109‑148

発行年 2017‑03‑15

権利 同志社大学人文学会

URL http://id.nii.ac.jp/1707/00025221/

(2)

和 田 勉 の 演 出 技 法

││ 芸 術 的テ レ ビ ドラ マ の 探求

瀬 崎 圭 二

は じ め に 一九

五三 年二 月一 日の NH Kに よる 本放 送開 始か ら今 日に 至る まで

︑テ レビ がマ スメ ディ アに おい て大 きな 存在 感 を 保っ てい るこ とは 言う まで もな い︒ その 表象 は︑ もは やわ たし たち の日 常の 中に 溶解 して しま って いる と言 えよ う が

︑こ のメ ディ アが まだ 新し さに 包ま れて いた とき

︑当 然の こと なが らそ の日 常性 は自 明の もの では なか った

︒一 部 の 識者 たち は︑ 映像 を通 じた ひと びと への 直截 的な 伝達 に期 待を 寄せ

︑そ の中 には 実際 に番 組制 作に かか わっ て様 々 な 試み を実 践し た者 もい た

︒ ある いは

︑こ のメ ディ アの 商品 性を 見越 した 資 本 投下 は

︑テ レ ビ 業界 と い う新 た な 場 を つく り出 し︑ その 場に 適合 する よう な人 材を 招喚

︑馴 化し た︒ それ 故に

︑一 九五

〇年 代か ら六

〇年 代の テレ ビ業 界 に は︑ 番 組 制作 者 の 期待 や 試 行錯 誤

︑欲 望 の みな ら ず︑ そ の受 け 手 の反 応 を ふ まえ た 表 現へ の 企 てが う ご め い て お り

︑そ れら が番 組の 表象 とし て︑ とき に歪 な形 で立 ち現 れる こと にな るの であ る︒ 本稿 で取 り上 げる 一九 五〇

〜六

― 109 ― 和

田 勉 の 演 出 技 法

(3)

年 代に おけ る和 田勉 のテ レビ ドラ マ演 出は

︑ま さし くそ の代 表的 事例 に他 なら ない

︒ 和田 勉は

︑一 九三

〇年 六月 三日

︑三 重県 松阪 市に 生ま れた

︒父 親の 仕事 の事 情で 幼少 期に 各地 を転 々と し︑ 旧制 中 学 や 新 制高 校 に 在学 し て いた 戦 中︑ 戦 後 に︑ 尾崎 紅 葉︑ 永 井荷 風

︑谷 崎 潤一 郎

︑有 島 武 郎

︑菊 池 寛 ら の 小 説 を 濫 読 し

︑純 文学 を愛 好し てい る︒ 一九 四八 年三 月︑ 東京 の大 学を 受 験 す るた め に 鹿児 島 の 鹿屋 か ら 新 制巣 鴨 高 校に 編 入︑ 一 九四 九年 四月 に早 稲田 大学 第一 文学 部に 入学 し︑ 演劇 を専 攻し た︒ 和田 は︑ 当時 演劇 の主 任教 授を 務め てい た河 竹 繁 俊や

︑映 画を 教え てい た飯 島正 らに 学び

︑N HK 放送 技術 研究 所で アル バイ トを して いた 経験 から テレ ビに 関心 を 持 つよ うに なっ た︒ 大学 の卒 業論 文で もテ レビ やテ レビ ドラ マを 取り 上げ

︑卒 業後 の一 九五 三年 四月 にN HK 大阪 放 送 局に 入局

︑以 後︑ テレ ビド ラマ の演 出に 携わ るよ うに なっ た︒ 一九 五〇 年代 から 六〇 年代 にか けて

︑そ のド ラマ の 多 くは 芸術 祭奨 励賞 を受 賞し てい る

︒ 学生 時代 の和 田に 大き な影 響を 与え た飯 島正 は︑ 一九

〇二 年三 月五 日に 東京 に生 まれ

︑中 学時 代か ら文 芸誌 や映 画 誌 に 記 事を 投 稿 する よ う な文 学 少 年 であ り

︑映 画 マニ ア で あっ た

︒第 三 高 等学 校 に 入学 し た 飯島 は︑ そ こ で 中 谷 孝 雄

︑梶 井基 次郎

︑北 川冬 彦ら を知 り︑ 一九 二二 年四 月に 東京 帝国 大学 文学 部仏 蘭西 文学 科に 入学 して から は﹃ キネ マ 旬 報﹄ 同 人 とし て 映 画評 論 を 執筆

︑以 後 映 画 評論 家 と して 活 躍 する よ う に なっ た

︒同 時 に︑ 梶井 ら が 刊 行 し て い た

﹃ 青 空﹄

︵一 九 二 五 年一 月 創 刊︶ 同人 と し て小 説 や 戯 曲︑ 詩も 発 表 し

︑﹃ 文 芸 都 市

﹄︵ 一 九 二 八 年 二 月 創 刊

︶︑

﹃ 詩 と 詩 論

﹄︵ 一九 二八 年九 月創 刊︶

︑﹃ 近 代生 活﹄

︵ 一九 二九 年四 月創 刊︶ とい った 雑誌 に参 加︑ 多く の文 学者 と活 動を 共に し た

︒そ の後

︑飯 島は 大学 で映 画を 講じ るよ うに なり

︑戦 後に は早 稲田 大学 で教 鞭を 執る よう にな るが

︑そ の授 業を 熱 心 に受 講し てい たの が学 生時 代の 和田 勉だ った ので ある

︒一 九五

〇年 代後 半か ら︑ 飯島 は映 像の 専門 家と して テレ ビ

和 田 勉 の 演 出 技 法

― 110 ―

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に も発 言す るよ うに なり

︑芸 術祭 のテ レビ 部門 審査 委員 も度 々務 める よう にな った

︒一 九五 七年 頃か ら本 格的 にテ レ ビ ド ラ マの 演 出 を担 当 す るよ う に な った 和 田 は︑ 飯島 の 提 言を 取 り 入 れな が ら 自ら の 演 出技 法 を 築 き 上 げ︑ 飯 島 に

﹁ 帰っ て来 た人

﹂︵ N HK

一 九五 七年 三月 二八 日放 送 和田 勉演 出︶ など のテ レビ ドラ マ脚 本の 執筆 を依 頼し ても い る

映 ︒ 画 評論 を経 てテ レビ に関 与す るよ うに なっ た飯 島正 と︑ 生涯 にわ たっ てテ レビ とか かわ った 和田 勉と が︑ 共に 文 学 への 関心 を出 発点 とし てい ると ころ に︑ 一九 五〇

〜六

〇年 代の テレ ビ文 化黎 明期 にお ける 業界 の一 端が 見て 取れ る が

︑後 で詳 述す るよ うに

︑こ の時 期の 和田 は︑ 飯島 のみ なら ず︑ 映像 表現 に期 待を 寄せ る多 くの 文学 者や 芸術 家︑ 知 識 人た ちに 接触 し︑ 積極 的に テレ ビド ラマ 脚本 の執 筆依 頼を して いっ た︒ 例え ば︑ 本格 的に 演出 に取 り組 むよ うに な っ た一 九五 七年 当初 から

︑当 時新 進作 家と して 注目 を浴 びて い た 有吉 佐 和 子 に脚 本 を 依頼 し

︑﹁ 石 の庭

﹂︵ N HK 一 九五 七年 一一 月二 二日 放送

︶を 演出

︑初 めて の芸 術祭 奨励 賞を 受賞 して いる

︒ ただ し︑ 現存 する

﹁石 の庭

﹂の 映像 は︑ 後の 和田 が試 みて い る よ うな 斬 新 な表 現 を 刻み 込 ん で いる わ け では な い︒ こ のド ラマ が芸 術祭 で奨 励賞 を受 賞し た の は︑

﹁﹁ 石 庭﹂ を 背景 と し て︑ ドラ マ を つく り あ げ よう と し た企 画

︑脚 本︑ 美 術等

﹂︵ 堀江 史朗

﹁審 査員 のメ モか ら﹂

﹃ キネ マ旬 報﹄ 一九 五八 年一 月一 五日

︶に 対す る評 価が あっ たか らだ が︑ 和 田 の﹁ 前 半 テン ポ を 乱し た 演 出﹂

︵大 木 豊﹁ 参 加 番組 総 評﹂ 同︶ は 評価 さ れ ず︑ 当時 の 新 聞 評や

︑一 般 視 聴 者 に も そ のよ うな 見方 があ る

︒ その 中で 飯島 正は

︑﹁ 石の 庭﹂ にお ける 和田 の演 出を 評価 して お り

︑ この ド ラ マも 和 田 が 築 き上 げた 演出 技法 の一 部を 担っ てい るこ とは 確か であ ろう が︑ 和田 の演 出が 独自 性を 増す のは 一九 五九 年頃 から の こ とで ある と考 えら れる

︒お そら く︑ この 頃の 安部 公房 との 接触 や︑ 安部 の脚 本に よる ドラ マ制 作が 大き な意 味を 持

― 111 ― 和

田 勉 の 演 出 技 法

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っ てい たと 推察 され る︒ 一︑

本 表は

︑﹁ 石の 庭﹂ 以降

︑お よそ 一〇 年の 間に 和田 が演 出 し た 主な テ レ ビド ラ マ であ る が

︑当 時 活躍 し て いた 多 く の 文 学者 によ る脚 本の もと で︑ 和田 がド ラマ を制 作 し て いた こ と が見 て 取 れる

︒特 に

︑一 九 五 七年 五 月 に︑ 安部 公 房︑ 佐 々 木 基一

︑花 田 清 輝︑ 野間 宏 ら が﹁ 記録 芸 術 の 会﹂ を立 ち 上 げ

︑ 佐々 木 基 一 の 編 集 で﹃ 季 刊 現 代 芸 術﹄

︵ 一 九 五 八年 一〇 月〜 一九 五九 年六 月︶ を︑ 安部 公 房 の 編集 で

﹃現 代 芸術

﹄︵ 一 九 六〇 年 一

〇 月〜 一九 六 一 年一 二 月︶ を 刊 行 し て いた 時 期 と︑ 和田 が 本 格的 に テ レ ビド ラ マ の演 出 に 取り 組 み 始 めた 時 期 とが 重 な って い た こ との 意 味 は 大 き い

︒﹁ 文学

︑演 劇︑ 美術

︑音 楽︑ 映画

︑放 送な どあ らゆ る 芸 術 分野 の 閉 鎖し た 枠 を破 り

︑各 分 野 の交 流 と 綜合 に よ っ て

︑現 代芸 術の 新し い可 能性 を発 見し

︑新 しい イメ ージ を創 造す るこ と﹂

︑﹁ 一 切の 芸術 至上 主義 と一 切の 大衆 追随 主 義 を 排 して

︑真 の 意 味の 大 衆 的芸 術 を う み出 す こ と﹂

︵﹁ あ と が き﹂

﹃季 刊 現 代 芸 術﹄ 創 刊 号 一 九 五 八 年 一

〇 月︶ と いっ た記 録芸 術の 会の 活動 目標 が︑ 放送 開始 間も ない テレ ビと いう 大衆 的メ ディ アに 対す る関 心を 引き 寄せ るの は 当 然の こと であ った から だ︒

﹃季 刊 現 代 芸 術﹄ 創刊 号 に は︑ 安部 公 房 のテ レ ビ ド ラマ 脚 本﹁ 円 盤来 た る﹂ が︑ 同 じ く 同誌 第三 号︵ 一九 五九 年六 月︶ には

︑椎 名麟 三の

﹁そ の男

﹂が 掲載 され ても いる

︒ 既に 一九 五八 年五 月九 日に は︑ 安部 によ る初 の書 き下 ろし テレ ビド ラマ

﹁魔 法の チョ ーク

﹂が 畑中 庸生 の演 出で N H Kか ら 放 送さ れ て おり

︑安 部 の テレ ビ に 対 する 関 心 は和 田 の 視野 に 入 っ てい た も のと 推 測 さ れ る︒ た だ し︑ こ の

和 田 勉 の 演 出 技 法

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表 1950〜60年代に和田勉が演出した主なテレビドラマ 備考 芸術祭奨励賞 受賞

芸術祭奨励賞 受賞 芸術祭奨励賞 受賞

芸術祭参加

芸術祭参加 エミー賞参加 芸術祭奨励賞 受賞 芸術祭奨励賞 受賞 芸術祭奨励賞 受賞 芸術祭奨励賞 受賞 芸術祭奨励賞 受賞 保存状態

NHK番組公開ライブラ リーで一般公開 なし

なし

NHK番組公開ライブラ リーで一般公開 なし

なし

非公開(NHK番 組 ア ー カイブスに保存)

非公開(NHK番 組 ア ー カイブスに一部保存)

非公開(NHK番 組 ア ー カイブスに保存)

なし

なし なし

非公開(NHK番 組 ア ー カイブスに保存)

NHK番組公開ライブラ リーで一般公開 NHK番組公開ライブラ リーで一般公開 なし

NHK番組公開ライブラ リーで一般公開 NHK番組公開ライブラ リーで一般公開 脚本

有吉佐和子 安部公房 椎名麟三 安部公房 野間宏 椎名麟三 谷川俊太郎 安部公房 内田栄一 開高健・角 谷定夫(柾 木 恭 介)・

内田栄一 椎名麟三 安部公房 寺山修司 須川栄三 椎名麟三 山内久 山田信夫 山田信夫 タイトル

石の庭 円盤来たる その男 日本の日蝕 石の顔 自由への証 言 あなたは誰 でしょう 人命救助法 悪い奴 百米道路

我等は死者 と共に モンスター 一匹 鋳型 約束 はらから 大市民 小さな世界 放送日

1957年11月22日 1959年2月6日 1959年5月8日 1959年10月9日 1960年3月18日 1960年10月21日 1961年4月29日 1961年7月26日 1961年9月9日 1961年11月11日

1962年8月1日 1962年11月16日 1963年1月16日 1963年10月27日 1964年11月20日 1965年11月20日 1966年11月24日 1967年11月16日

― 113 ― 和

田 勉 の 演 出 技 法

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﹁ 魔 法 のチ ョ ー ク﹂ は脚 本

︑演 出 共に 評 判 が 悪く

︑安 部 自 身も 失 敗 とし て 位 置 づけ

︑テ レ ビ ドラ マ に つい て 認 識 が 不 足 し てい た こ とを 認 め てい る

︒そ の 後︑ 和 田は

︑安 部 が 脚本 を 担 当し た

﹁円 盤 来 た る﹂

︵ NH K 一 九 五 九 年 二 月 六日 放送

︶を 演出 する こと にな るが

︑和 田が 安部 に初 めて 会っ たの は一 九 五 八年 八 月 頃 のこ と で

︑ た また ま 自 宅 の 隣に 住ん でい た大 阪勤 労者 音楽 協議 会の 浅野 翼を 通じ て安 部に 接触 し

︑こ の ドラ マ の 脚 本を 依 頼 した と い う

︒ 当 時 の浅 野は

︑安 部の ミュ ージ カル

﹁可 愛い 女﹂

︵一 九 五 九 年八 月 二 三日 初 演︶ の 上演 準 備 を 進め て お り︑ その た め に 大 阪を 訪れ た安 部を 和田 に紹 介し たら しい

︒こ こに 端を 発し た安 部と のテ レビ ドラ マ制 作は

︑芸 術祭 奨励 賞を 受賞 し た

﹁日 本 の 日蝕

﹂︵ N HK

一 九 五九 年 一

〇月 九 日 放 送︶ に結 実 し てい く こ とに な る

︒ 一 九 五九 年 に は 和 田 も 記 録 芸 術の 会に 入会 して いる ので

︑会 を通 じて 椎名 麟三 や野 間宏 らと も接 点を 得 る こと が で き たの で あ ろう

︒椎 名 も 野 間 も共 にテ レビ に強 い関 心を 持っ てお り

︑椎 名 に とっ て 初 めて の テ レビ ド ラ マ であ っ た﹁ そ の男

﹂︵ N HK

一 九 五 九 年五 月八 日放 送︶ 以降 も椎 名と 和田 は度 々テ レビ ドラ マを 制作 して いる し

︑和 田 はか ね て か らテ レ ビ ドラ マ の 脚 本 を書 こう と考 えて いた 野間 を動 かし て﹁ 石の 顔﹂

︵N HK

一 九六

〇年 三月 一八 日放 送︶ を制 作し たと いう

﹁石 の顔

﹂の 翌年 には

︑詩 人の 谷川 俊 太 郎 に脚 本 を 依頼 し

︑﹁ あ なた は 誰 で しょ う

﹂︵ NH K教 育 一 九 六一 年 四 月 二 九日 放送

︶を 制作 して いる

︒谷 川と 和田 の接 点に つい ては 不明 だが

︑谷 川は この ドラ マ以 前に もラ ジオ やテ レビ の 脚 本を 担当 して おり

︑放 送表 現の 可能 性に 期待 して いた 文学 者の 一人 であ っ た とこ ろ か ら

︑ 和 田と の 関 係が 生 ま れ た ので あろ う︒ 谷川 は脚 本を 書く 前に

︑音 楽担 当の 武満 徹 も 交 えて 和 田 と話 し 合 い︑

﹁演 出 家 と 作家 と の 連続 し た 関 係 を重 視し

︑戦 線を 築く よう にテ レビ を創 っ て ゆ く﹂ 和田 の 姿 勢に 共 感 した と い う︒ ま た︑ 谷川 は

︑﹁ あ なた は 誰 で し ょう

﹂は

︑ド ラマ とし て発 想し たも ので はな く︑

﹁実 在 の 一 人の 人 間 をひ っ ぱ って き て

︑そ の 人間 の お かれ て い る

和 田 勉 の 演 出 技 法

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ポ ジシ ョン に︑ いろ いろ な方 向か ら照 明を 与え てゆ く︑ 一種 の状 況ヴ ァラ エテ ィの よう なも の﹂ をイ メー ジし たと い う

︒実 際︑ 完成 した 映像 作品 は︑ セッ トを 簡略 化し た演 劇的 なド ラマ とな って いる

︒ 一九 六一 年七 月末

︑和 田は NH K大 阪か ら東 京に 転任 して おり

︑和 田が 転 任 後に 初 め て 演出 し た ドラ マ が﹁ 悪 い 奴

﹂︵ NH K教 育 一九 六一 年九 月九 日放 送︶ であ っ た

︒脚 本 を担 当 し た内 田 栄 一は

︑高 校 生 の 頃か ら 安 部公 房 ら の

﹁ 世紀 の会

﹂に 関心 を持 ち︑ 一九 五五 年に 安部 の勧 め で 上 京し て か らは 記 録 芸術 の 会 に 参加 す る と共 に

﹃季 刊 現 代 芸 術﹄ 等に 作品 を発 表し

︑そ の編 集に も携 わっ てい た︒ よっ て︑ 和田 と内 田と の接 触も 記録 芸術 の会 がも たら した も の と推 測さ れる

︒当 初﹁ 悪い 奴﹂ は一 九六

〇年 六月 一六 日頃 に放 送さ れる 予定 であ った が︑ 米軍 基地 の警 備員 を務 め る 男が 米兵 に銃 を向 ける ドラ マの 一場 面が

︑激 化す る安 保闘 争の さ中 に予 定さ れて いた 米大 統領 アイ ゼン ハワ ーの 来 日 とい う情 勢の 中で 問題 とな り︑ リハ ーサ ルに 入っ たと ころ で放 送 中 止と な っ た と言 わ れ る

︒ その 後

︑内 田 は︑ N H K大 阪の テレ ビド ラマ シリ ー ズ

﹁現 代 人間 模 様﹂ で︑ 和 田が 演 出 した

﹁涙 の ワ ル ツ﹂

︵N HK

一 九 六

〇年 一 一 月 二 八日

・一 二月 五日 放送

︶の 脚本 を担 当し てい る

︒ 放送 は中 止と なっ たが

︑内 田に よる

﹁悪 い奴

﹂の 脚本 は﹃ 現代 芸術

﹄創 刊号

︵一 九六

〇年 一〇 月︶ に掲 載さ れて お り

︑そ の概 要を 知る こと はで きる

︒脚 本に よれ ば

︑こ の ド ラマ は

︑﹁ ハ トの 会

﹂と い う団 体 の 指 導者 と し て日 本 に 革 命 を起 こそ うと 画策 して いる

﹁イ ンテ レ﹂ が︑ それ に協 力し よう と近 づい てき た男 にだ まさ れな がら も︑ 最後 には 革 命 のた めの テロ を仕 掛け よう とす る内 容と なっ てい る︒ しか し︑ 映像 が現 存す る一 九六 一年 九月 九日 放送 分の

﹁悪 い 奴

﹂で は︑ 下層 労働 者を 集め た﹁ 世直 し団

﹂と いう 団体 の指 導者 であ る﹁ イン テレ

﹂と

︑そ れに 協力 する ふり をし て

﹁ イン テレ

﹂を だま そう とす る男 が同 じ よ う に登 場 は する も の の︑ 実際 に は そ の﹁ イン テ レ﹂ も﹁ 世 直し 団

﹂の 活 動

― 115 ― 和

田 勉 の 演 出 技 法

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を 金も うけ のた めに 利用 して いた だけ であ るこ とが 明ら かに され てい く展 開と なっ てい る︒ ドラ マの 末尾 は︑ その 二 人 に利 用さ れて いた 労働 者た ちが 逆に 暴動 を起 こし てい く様 を︑ 当時 の釜 ヶ崎 を写 した 井上 青龍 の写 真を 通じ て示 唆 す る と いう も の だ

︒ 昭和 三 六 年度 の 芸 術 祭賞 受 賞 作﹁ 釜ヶ 崎

﹂︵ AB C 一 九六 一 年 一 一月 五 日 放 送 茂 木 草 介 作 山 田智 也演 出︶ に代 表さ れる よう に︑ 釜ヶ 崎は 当時 のテ レビ ドラ マが しば しば 取り 上げ た題 材で あり

︑和 田も この 場 に 関心 を持 ち︑

﹁悪 い奴

﹂以 前に も

︑﹁ 現 代 人間 模 様﹂ シ リー ズ の 一作 で 釜 ヶ 崎を 舞 台 とし た

﹁好 況 の町

﹂︵ N HK 一 九六

〇年 四月 四日

・一 一日 放送

小 田和 生作

︶と いう ドラ マの 演出 に 携 わっ て い た

︒ お そら く

︑一 九 六一 年 八 月 に 生じ た釜 ヶ崎 の暴 動が

﹁悪 い奴

﹂に 新た なイ メー ジを 与え た結 果︑ 現存 する 映像 のよ うな 形に つく り直 され たの で あ ろう

︒ 内田 は︑

﹁悪 い奴

﹂と 同年 に制 作さ れた 芸術 祭参 加作

﹁百 米道 路﹂

︵ NH K教 育 一九 六一 年一 一月 一一 日放 送︶ の 脚 本も 担当 して いる が︑

﹁百 米道 路﹂ の脚 本は

︑開 高健 と角 谷定 夫︵ 柾木 恭介

︶︑ そ して 内田 の三 人に よる 合作 の体 裁 を 採っ てい る︒ この 脚本 は︑ 開高 が構 成と 台詞

︑人 物設 定の 最終 段階 を︑ 角谷 がド ラマ の資 料選 択を

︑内 田が 台詞 を 担 当 し︑ 一 か月 か け て完 成 さ せた も の で あっ た と いう

︒開 高 も 早く か ら 記 録 芸 術 の 会 に 入 会 し て お り

︑﹁ 裸 の 王 様

﹂︵

﹃ 文學 界﹄ 一九 五七 年一 二月

︶で 芥川 賞を 受賞 し た 後︑

﹁ 若い 日 本 の会

﹂な ど の 活動 や 世 界 各国 の 訪 問を 行 う な ど

︑多 方面 で活 躍し てい た︒ 合作 脚本 に加 わっ た角 谷定 夫 は

︑柾 木 恭介 の 名 でか ね て から 詩 人 と して 活 動 して お り︑ 記 録芸 術の 会に 加わ って

︑映 画評 論や テレ ビド ラマ 評論

︑翻 訳活 動も 行っ てい た︒ 安部 公房 の企 画・ 監修 によ るド ラ マ

・シ リー ズ﹁ お気 に召 すま ま

﹂︵ N ET

一 九 六二 年 七 月一 四 日〜 一 一月 二 四 日︶ や︑ 和 田が 演 出 した

﹁真 実 の 物 語

﹂︵ NH K教 育 一九 六三 年五 月一 一日 放送

︶の 脚本 を 担 当 した り す るな ど

︑一 九 六〇 年 代 半 ばま で ド ラマ の 脚 本

和 田 勉 の 演 出 技 法

― 116 ―

(10)

執 筆や 評論 を通 じて テレ ビ業 界に 積極 的に かか わっ ても いた

︒ 結果 的に

﹁百 米道 路﹂ は芸 術祭 受賞 作と なる こと はな く︑ その 翌年 に安 部公 房の 脚本 で制 作さ れた ミュ ージ カル 風 の コメ ディ

・ド ラマ

﹁モ ンス ター

﹂︵ NH K 一九 六 二 年 一一 月 一 六日 放 送︶ も 同様 の 結 果 をも た ら した

︒後 年 の 和 田 は︑

﹁ モ ンス タ ー﹂ で の失 敗 か ら︑ 安部 公 房 と 疎遠 に な った こ と を回 顧 し て いる

︒そ の 後︑ 和 田 は︑ か ね て か ら 脚 本 を 依頼 し よ うと 考 え て い た 寺 山 修 司 に 接 触 し

︑ テ レ ビ ド ラ マ﹁ 一 匹﹂

︵ NH K 一 九 六 三 年 一 月 一 六 日 放 送︶ を 制作 した

︒谷 川か らラ ジオ やテ レ ビ の仕 事 を 勧め ら れ た 寺山 は

︑ラ ジ オド ラ マ やテ レ ビ ド ラマ の 脚 本を 執 筆 す る よ う に な り

︑和 田 と

﹁一 匹﹂ を 制 作 す る 以 前 に も︑ 芸 術 祭 参 加 作 と し て 制 作 さ れ た ミ ュ ー ジ カ ル 風 の フ ァ ル ス

﹁ Q﹂

︵ KR

一 九六

〇年 一〇 月三 一日 放送

石 川甫 演出

︶の 脚本 を担 当し てい た︒ 二人 の意 気投 合に よっ て企 画が 実 現 した

﹁一 匹﹂ では

︑共 通の 問題 意識 を映 像化 する こと に成 功し たよ うだ

︒ 一九 六〇 年前 後に こう した 文学 者た ちに 脚本 を依 頼 し て いた 和 田 は︑

﹁か つ て 時代 の 子 と して あ り えた 小 説︑ そ の 客 観描 写と して の信 任状 を確 実に 得て いた はず のフ ィク ショ ンを

︑も うい ちど テレ ビド ラマ のな かで 復活

・獲 得し よ う

﹂と し︑ その ため に﹁ 充分 利用 にあ たい する ひと つの 獲物

﹂で ある 小説 がテ レビ ドラ マに 最大 限に 利用 され たと き に

︑﹁ 今世 紀さ いし ょの 芸術 的課 題に

︑こ たえ う る か もし れ な い﹂ と考 え て いた

︒和 田 は

︑テ レ ビド ラ マ の中 で フ ィ ク ショ ンと 記録 を止 揚す るこ とを 考え てお り︑ テレ ビド ラマ を︑

﹁﹁ フ ィク ショ ン﹂

脚本

︶を

﹁ド キュ メン ト﹂

演 出︶ する もの

﹂と して 規定 しよ うと して いた ので ある

︒記 録へ の価 値付 与 と その 方 法 は︑ 一 九五

〇 年 代か ら 様 々 な 領域 で問 題化 され

︑実 践さ れて いる が

︑ 和田 にと って は︑ フィ クシ ョン と記 録 を 演出 に よ っ て止 揚 し たテ レ ビ ド ラ マこ そが

︑﹁ 芸術 の綜 合化

﹂と いう

﹁今 世紀 さい し ょ の 芸術 的 課 題﹂ に応 え る 表現 手 段 で あっ た の だ︒ この よ う な

― 117 ― 和

田 勉 の 演 出 技 法

(11)

和 田の 発想 は︑ 記録 芸術 の会 やそ の周 辺の 文学 者た ちと の交 流か ら生 まれ たも ので あっ たと 言え よう

︒ 和田 が演 出し た芸 術祭 参加 作は

︑こ うし た作 家た ちに よる 脚本 のも とで 制作 され てき たが

︑昭 和三 八年 度の 参加 作 で ある

﹁鋳 型﹂

︵N HK

一 九六 三年 一〇 月二 七日 放送

︶の 脚本 は︑ やや 傾向 が異 なる

︒﹁ 鋳 型﹂ の脚 本は

︑映 画監 督 の 須川 栄三 が担 当し てお り︑ 須川 は︑ 大藪 春彦 の同 名小 説を 映画 化し た﹁ 野獣 死す べし

﹂︵ 一九 五九 年六 月九 日公 開︶ や

︑や はり 大藪 の小 説を 原作 とし て寺 山修 司 が 脚本 を 執 筆し た 映 画﹁ みな 殺 し の 歌よ り 拳 銃 よさ ら ば!

﹂︵ 一 九 六

〇 年一 一月 二九 日公 開︶ 等で の監 督実 績に 加え

︑テ レ ビ ド ラマ 脚 本 での 実 績 もあ る 人 物 であ っ た︒

﹁ 鋳型

﹂の 脚 本 に つ いて

︑大 藪郁 子は

︑﹁ 構成 とか 科白 の様 な技 術的 な点 か ら い って も

︑こ の 種の ド ラ マに あ り が ちな 観 念 的な 稚 拙 さ 生 硬さ は全 くみ あた らず

︑リ アリ ステ ィッ クな

︑味 の あ る もの で あ った

﹂と 評 価 し︑

﹁平 易 な 映 画的 語 り 口が 少 し 身 に つ きす ぎ て い ると い う 感じ が し ない で は な かっ た

﹂ と 言 う ほど で あ った

︒結 果 的 に﹁ 鋳 型﹂ は芸 術 祭 奨励 賞 を 受 賞 した が︑ この ドラ マに 和田 の変 化を 読み 取る 評が 見ら れ︑ 和田 の作 品に し て は理 解 が 容 易で あ る こと や

︑俳 優 の 個 性に 頼っ たド ラマ 展開 がな され てい るこ と な どの 点に その 兆候 を認 めて いる

﹁鋳 型﹂ を制 作し た翌 年︑ 椎名 麟三 の脚 本で

﹁約 束﹂

︵ NH K 一九 六四 年一 一月 二〇 日放 送︶ を演 出し

︑そ の難 解 さ が 話 題に な り なが ら も 芸術 祭 奨 励 賞を 受 賞 した 後

︑和 田 は︑ 山内 久 の 脚 本で

﹁は ら か ら﹂

︵ NH K 一 九 六 五 年 一 一月 二〇 日放 送︶ を︑ 山田 信夫 の脚 本で

﹁大 市民

﹂︵ 一九 六六 年一 一月 二四 日放 送︶

︑﹁ 小 さな 世界

﹂︵ 一 九六 七年 一 一 月一 六日 放送

︶を 制作 した

︒山 内久 は

︑多 く の 映画 脚 本 や︑ 芸術 祭 奨 励賞 を 受 賞 した テ レ ビド ラ マ﹁ 夏﹂

︵ CX 一 九六 三年 一一 月一 六日 放送

︶の 脚本 を担 当し た実 績の 持ち 主で ある し︑ 同様 に山 田信 夫も

︑映 画脚 本家 とし ての 実 績 や︑ やは り芸 術祭 奨励 賞を 受賞 し た

﹁若 も の 努の 場 合﹂

︵ TB S 一九 六 二 年一 一 月 二 三日 放 送︶ の 脚本 を 担 当

和 田 勉 の 演 出 技 法

― 118 ―

(12)

し た実 績の 持ち 主で あっ た︒ こう して 一九 六〇 年代 半ば 頃か ら︑ 和田 が演 出し たテ レビ ドラ マの 脚本 は︑ 映画 やテ レビ ドラ マを 専門 とす る脚 本 家 に依 頼さ れる よう にな り︑ 一九 六〇 年前 後に 見ら れた よう な新 進気 鋭の 文学 者た ちと のド ラマ 制作 は影 をひ そめ て い く︒ 和田 自身 も︑ この 時期 にテ レビ 業界 に取 り込 まれ たこ とを 後に 回想 し て いる が

︑テ レ ビ 放送 開 始 から 一

〇 年 以 上経 過し た一 九六

〇年 代半 ばは

︑テ レビ とい うメ ディ アそ のも のが 安定 感を 示し 始め ると 同時 に︑ 新た な表 現を 試 み る場 とし ては 限界 をさ らけ 出し 始め た時 期で もあ った

︒演 出に おけ る和 田の 実験 的試 みだ けで なく

︑安 部公 房ら 記 録 芸術 の会 に集 った 者た ちの テレ ビド ラマ 脚本 も徐 々に 見ら れな くな り

︑テ レ ビへ の 期 待 も薄 れ て いっ た

︒和 田 の 演 出も

︑そ うし たテ レビ 業界 その もの の状 況と 無関 係で はな いだ ろう

︒ 二︑

ク ロ ーズ ア ッ プ テレ

ビと いう 新た なメ ディ アに 期待 する 文学 者た ちの 脚本 によ って テレ ビド ラマ 制作 を展 開し てい った 和田 勉で あ っ たが

︑和 田に よる ドラ マ演 出の 最大 の特 徴は クロ ーズ アッ プの 多用 にあ ると 言っ て良 く︑ 当時

!

ア ップ のベ ン

"

と 言 われ てい たほ どだ

︒こ の手 法は

︑和 田が 本格 的に 演出 に取 り組 むよ うに なっ た 頃 から 意 識 さ れて い た もの で あ る と 同時 に︑ テレ ビス タジ オの 狭さ やテ レビ 受像 機の 画面 の小 ささ とい った 当時 のテ レビ をめ ぐる 環境 的条 件が 生ん だ 手 法で もあ った

︒こ の点 につ いて

︑和 田の 恩師 であ る飯 島正

﹁テ レ ビ方 法 論 ノ ート

﹂︵

﹃ 放 送文 化

﹄一 九 五六 年 一 一 月

︶は

︑小 さい テレ ビ画 面で は︑ ロン グシ ョッ トを 頻繁 に用 いる よう な大 スク リー ン映 画や スペ クタ クル 映画 の技 法

― 119 ― 和

田 勉 の 演 出 技 法

(13)

で はな く︑ 小ス クリ ーン 映画 が用 いて いる よう な2 ショ ット やク ロー ズア ップ の技 法を 用い るべ きだ と︑ 早く から 提 言 して いた

︒そ して 飯島 は︑

﹁い やで も応 で も

︑人 間 がテ レ ビ・ ド ラマ の 主 体と な り

︑そ れ が人 間 関 係︵ 個人 お よ び 社 会︶ のド ラマ とな る﹂ こと

︑つ まり

︑そ のよ うな

﹁文 学的 な題 材﹂ とテ レビ との 間に は調 和性 があ るこ とを 感じ て も いた

︒テ レビ ドラ マ制 作が 参考 にす べき 小ス クリ ーン 映画 の例 とし ては

︑無 声映 画︑ 特に その 後期 の純 粋映 画を 挙 げ てお り︑

﹁た とえ ば︑ カア ル・ ドレ イエ ル の

﹃裁 か るる ジ ャ ンヌ

﹄に 見 ら れる よ う な・ 全 篇ク ロ ー ズ・ アッ プ の 連 続 みた いな モン ター ジュ は︑ テレ ビの 表現 技術 にい い暗 示を あた える にち がい ない

﹂と 述べ てい る︒ この 提言 に共 鳴し た和 田は

︑前 述し た﹁ 帰っ て来 た人

﹂な どの テレ ビド ラ マ 脚本 を 飯 島 に依 頼 し︑ ク ロー ズ ア ッ プ や2 ショ ット

︑3 ショ ット を基 本と する テレ ビド ラマ の技 法を 確認 し な がら 制 作 を 進め て い った

︒例 え ば︑ 三

〇 分 のド ラマ であ った

﹁帰 って 来た 人﹂ では

︑飯 島と 和田 によ る綿 密な 手紙 のや り取 りを 通じ て︑ 全一 一五 カッ トの 内 八 五カ ット がク ロー ズア ップ によ って 占め られ

︑そ の他 は2 ショ ット のバ スト ショ ット かミ ディ アム ショ ット で占 め ら れ た映 像 を 実 現し た よ うだ

︒ち な み に飯 島 が テ レビ ド ラ マ表 現 の モデ ル と し た﹁ 裁か る ゝ ジャ ン ヌ﹂

︵ カー ル

・ テ オド ア・ ドラ イヤ ー監 督 一九 二八 年制 作 一九 二九 年一

〇月 二五 日日 本公 開︶ を和 田が 実際 に観 たの は一 九六 二 年 一一 月の こと であ るら しい が︑ この とき の和 田は

︑映 画を 支え てい るク ロー ズア ップ の技 法よ りも

︑前 述し たよ う な フィ クシ ョン と記 録と の相 克を この 映画 から 抽出 し︑ 評価 して いる

︒ 初め ての 芸術 祭奨 励賞 を受 賞し た﹁ 石の 庭﹂ には

︑さ ほど 印象 的な クロ ーズ アッ プは 見ら れな いも のの

︑放 送当 時 は この ドラ マの クロ ーズ アッ プ技 術を 評価 する 声も 見ら れる し

︑安 部 公房 に 脚 本 を依 頼 し た﹁ 円盤 来 た る﹂ は︑ ク ロ ーズ ア ッ プを 演 出 上 の基 本 概 念と し て 位置 づ け た ドラ マ で あっ た よ うだ

︒た だ し

︑後 で 述べ る よ うに

︑﹁ 円 盤 来

和 田 勉 の 演 出 技 法

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た る﹂ は︑ クロ ーズ アッ プよ りも

︑そ の特 異な 音響 効果 が話 題を 呼ん でお り︑ 音響 にお ける 和田 の演 出上 の転 機を 見 出 す こ とが で き るド ラ マ とな っ た︒ こ う した 音 響 面と ク ロ ーズ ア ッ プ を意 識 し た演 出 が︑ や はり 安 部 の 脚 本 に よ る

﹁ 日本 の日 蝕﹂ に結 実し てい くこ とに なる ので ある

︒こ の ド ラ マに は

︑脱 走 兵を 恐 れ る村 人 た ち の反 応 を 描い た 場 面 が あり

︑特 にそ のよ うな 場面 でク ロー ズア ップ が多 用さ れて いる

︒特 徴的 な の は︑ 後ろ を 振 り 返っ て つ くら れ る 俳 優 たち の驚 愕や 戸惑 いの 表情 を映 し出 すそ れで あり

︑俳 優を 違え て積 み重 ねら れる この カッ トが

︑連 呼さ れる 声の 音 響 効果 を伴 って

︑あ るイ ンパ クト を視 聴者 に与 えて いる

︒ 大阪 で生 活し てい た和 田は

︑人 形浄 瑠璃 にお いて 人物 の身 体部 位や 事物 とい った 断片 の連 続性 が描 かれ てい るこ と を 参考 に︑

﹁何 かご くつ まら ない 断片 にも 等し いも のが 持 っ て いる 物 の 意味 の 無 限の 拡 大 と︑ そ こに 結 果 とし て 創 り 出 され る新 たな 現実 とい うも の︑ それ を丁 度俳 句の 様に 表現 して みせ るの がテ レビ ドラ マと いう もの のミ ソ﹂ であ る と も 考 えて お り

︑ そ のよ う な 発想 が

︑﹁ 日 本 の日 蝕

﹂に お ける ク ロ ーズ ア ッ プ にも 表 れ てい る よ うだ

︒こ の ド ラ マ の クロ ーズ アッ プは

︑俳 優た ちの 指や 腕と いっ た身 体 の 部 位︑ ある い は︑ 室 内の 日 常 的な 事 物 に も向 け ら れて お り︑ 例 えば

︑脱 走兵 を警 戒し て戸 締り のた めに 打ち 付け られ る釘 がク ロー ズア ップ で映 し出 され るこ とで

︑釘 とい う物 そ の もの の意 味と それ を打 ち付 ける 行為 自体 の意 味︑ そし てそ の背 後に ある 脱走 兵を 拒絶 する 村の 物語 との 関係 が視 聴 者 に投 げか けら れて いく

︒ク ロー ズア ップ によ って 事物 の日 常性 を浮 き彫 りに する こと で視 聴者 を日 常性 から 解放 し よ う と する こ う した 手 法 は

︑﹁ 日 本 の 日 蝕﹂ にお い て は︑ 事物 や 事 象の 断 片 が︑ 背 後に あ る 物語 の 展 開と 一 定 の 関 係 性を 保ち なが ら意 味づ けら れて いる

︒ 和田 は︑ 俳優 の演 技に おけ るク ロー ズア ップ は︑

﹁﹁ 物 また は 人 間﹂ の・

﹁内 部 を 見 る﹂ ため に あ る﹂ と 断言 し て お

― 121 ― 和

田 勉 の 演 出 技 法

(15)

︑前 述し たよ うに

︑こ れが 多く のド ラマ の基 本的 な構 図と もな って いる のだ が︑ その 様式 や対 象は 様々 だ︒ 例え ば

﹁ 悪 い 奴﹂ では

︑﹁ 世 直 し団

﹂を 指 導 して い た﹁ イ ンテ レ

﹂が

︑父 親 の 死に よ っ て遺 産 が 手 に 入 る こ と が 分 か っ た 途 端

︑カ メラ 越し に視 聴者 に対 して

﹁世 直し 団﹂ が単 なる 金も うけ の手 段に 過ぎ ない こと を告 白す るよ うな クロ ーズ ア ッ プが 見ら れ︵ 図1

︶︑ 大き なイ ンパ クト を残 して いる

︒あ るい は﹁ 人命 救助 法﹂

︵ NH K 一九 六一 年七 月二 六日 放 送

︶で は︑ 水難 救助 のビ ラを 逆さ に映 す シ ョッ ト

︵図 2︶ や︑

﹁水 難 救 助表 彰

﹂の そ れぞ れ の 文 字を 画 面 一杯 に ク ロ ー ズア ップ する ショ ット

︵図 3︶ も見 られ

︑書 かれ てい る記 述の 内容 や文 字の 意味 を無 効化 し︑ こと ばの 概念 を剥 ぎ 取 るこ とで

︑人 命救 助に よっ て名 誉を 得よ うと する 作中 人 物 の 欲望 を 茶 化す よ う な表 現 も 見 られ る

︒後 で 詳述 す る︑ 同 一の 台詞 を連 呼す るこ とで 台詞 の音 声の みを 強調 し︑ その 意味 内容 をズ ラし てい くよ うな 音響 効果 も同 様の 目的 を

図1 写真提供:NHK

図2 写真提供:NHK

図3 写真提供:NHK

和 田 勉 の 演 出 技 法

― 122 ―

(16)

持 って いる が︑

﹁人 命救 助法

﹂で 試み られ てい る文 字の 反 転 や クロ ー ズ アッ プ は︑ 言 わば 自 動 化 され た 事 物と し て の 文 字表 記を

︑そ うで はな いも のと して 視聴 者に 意識 させ よう とし てい るの であ ろう

︒こ うし た日 常的 な事 物の クロ ー ズ アッ プに つい ては

︑﹁ 約束

﹂の 冒頭 部分 で立 て続 け に 用 意さ れ て いる

︑ガ マ ガ エル や 畳 に こぼ れ た 飯粒

︑水 と コ ッ プ な ど に向 け ら れた そ れ が特 徴 的 で

︑ こ れら の 映 像は

︑﹁ 日 本 の日 蝕

﹂と 同 様 の目 的 を 内包 し な がら も

︑物 語 の 展 開 とク ロー ズア ップ され る事 物と の関 係性 がや や希 薄な まま 放置 され てい るた め︑ 微妙 なモ ンタ ージ ュ効 果が 発揮 さ れ てい るよ うに 見え る︒ 整理 する と︑

﹁日 本の 日蝕

﹂と

﹁約 束﹂ では 同じ クロ ー ズ ア ップ を 用 いて い て も︑ その 対 象 と 物語 と の 関係 性 は い さ さか 異な って いる とい うこ とだ

︒当 然の こと なが ら︑ これ らが テレ ビド ラマ とい う時 間の 流れ の中 で表 象さ れる 限 り にお いて

︑ク ロー ズア ップ の対 象と 物語 と が 完 全に 切 断 され る こ とは な い が︑

﹁ 日本 の 日 蝕﹂ より も

﹁約 束﹂ の 方 が

︑ク ロー ズア ップ の対 象と なっ てい る事 物と 物語 との 関係 が希 薄に なっ てい るの であ る︒ 和田 は︑ この よう な点 に つ い て︑ ク ロー ズ ア ップ を 用 いる こ と︑ す な わち

﹁︿ 全 景 の 否 定︑ フ ル シ ョ ッ ト の 拒 否

﹀﹂ に は

︑﹁

︿ 位 置 関 係﹀ の 否 定

︑︿ スト オリ ィ﹀ の拒 否︑ 結論 とし て の

﹁概 念﹂ の 破壊

﹂が あ り︑ ク ロー ズ ア ップ の 映 像 は︑ フル シ ョ ット を 用 い る こと で把 握さ れる よう なド ラマ の構 図の 伝達 を拒 否し

︑物 語の 展開 を視 聴者 に予 期さ せる 力学 を抑 制す る効 果が あ る と考 えて いた

︒そ して

︑物 その もの を映 し出 すこ とで

︑こ とば が構 築し てい るよ うな 概念 や日 常性 を破 壊す ると も い う の で あ る

︒そ う で あ る が 故 に

︑ク ロ ー ズ ア ッ プ は︑

﹁何 よ り も︿ わ け が わ か ら な い﹀

﹂ も の と な っ て し ま う し︑

﹁ あ ら ゆる

︿関 係

﹀と い うも の が︑ そ こで は た ち 切ら れ て﹂ し まう こ と にな る の で あ る が︑ そ の よ う な 部 分 に こ そ︑ 和 田は こと ばを 超え た映 像の 役割 を見 たの であ った

― 123 ― 和

田 勉 の 演 出 技 法

(17)

こう して みる と︑ 当初 恩師 の飯 島か ら示 唆さ れた クロ ーズ アッ プの 用法 は︑ 和田 がテ レビ ドラ マを 演出 して いく プ ロ セス の中 でそ の目 的が いさ さか 変化 して いっ たこ とが 見て 取れ る︒ 例え ば︑ 前述 した よう に︑ 飯島 は俳 優の 顔や そ の 表情 のク ロー ズア ップ によ って 構成 され てい る映 画﹁ 裁か るゝ ジャ ンヌ

﹂を テレ ビド ラマ 表現 のモ デル とし て捉 え て いた が︑ この 映画 のク ロー ズア ップ がも たら す緊 迫感 や情 動の 喚起 より も

︑こ の 映画 か ら 和 田が 読 み 取っ た の は フ ィク ショ ンと 記録 との 相克 であ った

︒つ まり

︑和 田に とっ ての クロ ーズ アッ プと は︑ 情動 の素 材を 仕立 てあ げ︑ そ こ に視 聴者 を誘 うた めの もの では なく

︑む しろ その 逆な ので ある

︒非 合理 的な クロ ーズ アッ プに よる イメ ージ の断 続 を ドラ マの 中に 取り 込む こと で︑ 視聴 者の 感情 移入 を回 避す ると ころ に︑ その 目的 があ るの だ︒ 前掲 した よう に︑ 和 田 は︑ ク ロ ーズ ア ッ プを

﹁﹁ 物 ま たは 人 間﹂ の・

﹁ 内部 を 見 る

﹂た め に あ る

﹂手 法 と 考 え て い る が︑ 和 田 の 言 う﹁ 内 図4 写真提供:NHK

図5 写真提供:NHK

図6 写真提供:NHK

和 田 勉 の 演 出 技 法

― 124 ―

(18)

﹂と はそ のよ うな 文脈 で捉 えら れな けれ ばな らな いの であ る︒ それ は︑ クロ ーズ アッ プを 多用 する 一方 で

︑﹁ あ な たは 誰 で しょ う

﹂や

﹁鋳 型﹂ な どに お い て 作中 人 物 たち の 真 上 に カ メ ラを 設 置 し︑ その 頭 頂 部を 垂 直 に 映す よ う なハ イ ア ング ル シ ョ ット が 時 折用 い ら れて い る こ とに も 表 れ て い る

︒例 えば

︑﹁ あな たは 誰で しょ う﹂ の冒 頭で は︑ テレ ビ ド ラ マを 撮 影 する ス タ ジオ そ の も のが 映 し 出さ れ

︑テ レ ビ ド ラマ の撮 影自 体を 撮影 する よう な映 像が 用意 され てい るし

︵図 4︶

︑﹁ 鋳 型﹂ にも

︑自 由を 求め て田 舎か ら上 京し て き た青 年を 真上 から 映し たり

︵図 5︶

︑三 角関 係に ある 男女 三人 を真 上か ら捉 えた りす るシ ョッ トが ある

︵図 6︶

︒ 映 像 が現 存し ない

﹁モ ンス ター

﹂の 写真 資料 から も︑ 作中 人物 の頭 頂部 を映 した 俯瞰 的な ショ ット が存 在し たこ とが 確 認 でき る

︒ 過剰 なク ロー ズア ップ とそ の多 用に よっ て︑ 作中 人物 たち の表 情と の距 離を 極端 に縮 める こと

︑あ るい は︑ ハイ ア ン グル ショ ット によ って

︑作 中人 物た ちに 対す る鳥 瞰的 な視 点を 視聴 者に 与え るこ とは

︑い ずれ も作 中人 物た ちへ の 視 聴者 の感 情移 入を 回避 しよ うと する 表現 であ ると 考え られ よう

︒和 田は

︑既 存の テレ ビド ラマ に内 在化 され た平 凡 な リア リテ ィと

︑そ れが 生み 出す 日常 性を 批判 して いた ので あり

︑撮 影風 景そ のも のの 撮影 や︑ 作中 人物 同士 に想 定 さ れ な いよ う な 視線 の 遠 近法 も

︑こ れ ら が 映 像 で あ る こ と

︑虚 構 で あ る こ と へ の 自 己 言 及 を 示 し た 結 果 で あ ろ う︒

﹁ あな たは 誰で しょ う﹂ の俯 瞰シ ョッ トに つい ては 谷川 俊 太 郎 のア イ デ アで あ る 可能 性 も あ るが

︑そ う す るこ と に よ っ て︑ 視聴 者と ドラ マと の距 離を 確保 し︑ 視聴 者を テレ ビド ラマ の日 常性 から 解放 しよ うと する ので ある

― 125 ― 和

田 勉 の 演 出 技 法

(19)

三︑ 停 止 画 像 芸術

祭奨 励賞 を受 賞し た﹁ 日本 の日 蝕﹂ を契 機に

︑ク ロー ズア ップ は和 田の 代名 詞と もな って いく が︑ 日常 性を 揺 り 動か そう とす る和 田の 演出 はこ の技 法に のみ 表れ てい るわ けで はな い︒ 和田 はし ばし ばド ラマ の中 で人 物の 写真 パ タ ーン や︑ それ によ る映 像の 切り 返し を用 いて おり

︑野 間宏 脚本 の﹁ 石の 顔﹂ では 特に この 手法 を多 用し てい たよ う だ

︒残 念な がら

﹁石 の顔

﹂の 映像 が現 存し ない た め に︑ そ の技 法 を 確認 す る 方法 が な い が︑

﹁人 間 の パタ ン 化・ ス テ レ オ 化を

︑写 真 と い う固 着 し たイ メ ー ジ﹂ の 中に 位 置 づ ける 目 的 のも と に 試み ら れ た この 演 出 を︑ 野間 宏 は﹁ 時 間 の 永 続 性を の ぞ かせ る 方 法﹂ とし て 理 解 し︑ 高く 評 価 した

︒ま た

︑前 掲 した

﹁好 況 の 町﹂ と い う ド ラ マ で は︑

﹁ 動 か ない 生活 の鋳 型・ パタ ン化

・ス テレ オ化 の一 つの 形

﹂を ね ら った

︑﹁ 生 活 部分 の 写 真パ タ ン に よる モ ン ター ジ ュ の 積 み 重 ね﹂ とい う 技 法も 用 い てい た よ う だが

︑こ れ は︑

﹁ 日本 の 日 蝕﹂ の中 で 村 人 たち の 生 活風 景 を 農具 な ど の 事 物 で換 喩的 に映 し出 そう とし た方 法と ほぼ 同じ 目的 を持 って いる と考 えら れ︑ 写真 パタ ーン の使 用に よっ て︑ その ス テ レオ タイ プ化 の度 合い をよ り一 層強 調し たも のの よう に思 われ る︒

﹁日 本の 日蝕

﹂に は︑ VT Rの 中に フィ ルム を一 カ ッ ト ずつ 挿 入 する よ う な演 出 も 見 られ

︑例 え ば︑ 戦 死し た 死 体 な どを 映し た実 写フ ィル ムの 断片 が︑ 村人 たち を映 すシ ーン の中 に混 入し ても いる

︒和 田は

︑フ ィル ムの 断片 が﹁ 日 常 のリ アリ ティ の中 へ突 然割 り込 んで くる こと によ って

︑も う一 つの

︑そ れま であ った

︵も う一 つの 日常 の︶ リア リ テ ィ と 衝突 す る こと で

︑そ れ を変 革 し て ゆ く﹂ こ と を 考 え て お り

︑﹁ 石 の 顔

﹂に も こ の 手 法 は 用 い ら れ て い た よ う

和 田 勉 の 演 出 技 法

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(20)

︒ド ラマ の映 像と 質的 にレ ベル の異 なる 実写 フィ ルム を混 入さ せる こと は

︑映 像 と物 語 の 双 方の レ ベ ルに お け る モ ンタ ージ ュ効 果を 生み 出す であ ろう し︑ フィ クシ ョン と記 録

ドキ ュメ ンタ リー との 対立 構図 を無 効化 する よう な 効 果を 生み 出す こと にも なろ う︒

﹁悪 い奴

﹂の 末尾 は

︑井 上 青 龍が 写 し た釜 ヶ 崎 の写 真 や

︑そ の 喧騒 を 表 す音 声 に よ っ て︑ 一九 六一 年八 月に 生じ た釜 ヶ崎 の暴 動を 示 唆 する よ う に構 成 さ れて い る が︵ 図7

︶︑ こ の シー ク エ ンス も 同 様 の 効果 をも たら して いる と考 えら れる

︒ 映像 が現 存す るテ レビ ドラ マで は︑

﹁人 命救 助 法

﹂が

︑写 真 パタ ー ン の印 象 を 最も 強 く 刻 み込 ん で いる

︒前 述 し た よ うに

︑こ のド ラマ は︑ 人命 救助 の名 誉を 得よ うと する 者た ちの 欲望 と︑ それ を利 用し て一 儲け をた くら んだ 末に 死 を 迎え る男 をア イロ ニカ ルに 描い たブ ラッ ク・ コメ ディ で︑ 作中 人物 たち の欲 望が 前景 化さ れる 際に

︑そ の顔 のク ロ ー ズア ップ と写 真パ ター ンが 用い られ

︑し かも その 顔写 真は

︑故 意に 歪め られ たよ うな 表現 が試 みら れて いる ので あ る

︵図 8・ 9︶

︒当 時 の テ レビ の 特 殊効 果 で は︑ 喜劇 的 な 表 現を ね ら った 画 像 の変 形 が 可 能で あ っ た よ う だ が

︑ 写 真 パタ ーン でこ うし た表 現を 行っ たこ とや

︑そ の歪 め 方 は 特異 な も ので あ っ たよ う だ

︒﹁ 人 命救 助 法﹂ の 写真 パ タ ー ン に つ いて

︑和 田 は︑

﹁ 何と い っ ても 一 見 動 いて い る よう で 実 は全 く 動 い たこ と に なら な い 私た ち の 日 常 的 現 実 を︑ 全 く︵ どう ころ んだ って

︶動 かな い写 真パ ター ンで 見せ るこ とぐ らい 安直

!適 確! な象 徴的 効果 はな い﹂ と考 えて 頻 用 し︑

﹁当 然写 真パ ター ンは グロ テス クで ある べき な の だ︒ 鏡 をた た き 割っ て 顔 をう つ し

︑ね じ った 印 画 紙に 現 象 し た やつ も 試作 し て み たが

︑こ れ は 凝り す ぎ てス ト レ ー トな 効 果 がな か っ た﹂ と 語っ て い る よう に

︑写 真 パタ ー ン を

﹁ グロ テス ク﹂ に見 せる 方法 も様 々に 試み たら しい

︒ド ラマ の 中 で 何度 も 反 復さ れ る この 写 真 パ ター ン の 演出 に よ っ て

︑﹁ グロ テス ク﹂ な﹁ 日常 的現 実﹂ であ る作 中 人 物 たち の 欲 望や 困 惑 が︑ 皮肉 ら れ

︑茶 化 され る と 同時 に

︑ユ ー モ

― 127 ― 和

田 勉 の 演 出 技 法

(21)

ア にも 転化 して いく ので ある

︒ 前述 した よう に︑ 和田 の演 出が やや 変化 を示 し始 める

﹁鋳 型﹂ にお いて 印象 的な のは

︑ス トッ プ・ モー ショ ンの 多 用 だ︒ 既 に﹁ 一 匹﹂ でも

︑衝 突 音 の音 響 効 果と 呼 応 さ せる 形 で スト ッ プ・ モ ー シ ョ ン が 用 い ら れ て い る が

︑﹁ 鋳 型﹂ で はこ の手 法が 演出 の中 心と もな って いる

︒様 々な 職業 の人 物が 登場 する この ドラ マは

︑そ れぞ れの 職業 意識 や階 級 意 識か ら解 放さ れた 自由 が可 能か 否か を問 いか けて いく 物語 で︑ 放送 当時 のド ラマ 評も

︑こ のド ラマ の物 語内 容と 演 出 技法 との 関係 につ いて 触れ たも の が 多い

︒例 え ば︑ 大 藪郁 子

﹁鋳 型︵ 第 一八 回 芸 術 祭参 加 作 品評

︶﹂

︵﹃ テレ ビ ド ラ マ

﹄一 九六 四年 一月

︶は

︑﹁ 適切 なク ロー ズア ップ

︑テ ー マ に シン ク ロ ナイ ズ し たス ト ッ プ シー ン の 使い 方

︑即 物 的 な イメ ージ の積 重ね

︒│

│つ まり ふん だん に使 われ た和 田勉 イズ ムが この ドラ マの 空間 をひ ろげ

︑同 時に

︑並 列的 な

図7 写真提供:NHK

図8 写真提供:NHK

図9 写真提供:NHK

和 田 勉 の 演 出 技 法

― 128 ―

(22)

エ ピソ ード を︑ まと まり のあ る一 つの ドラ マに 集中 化さ せる こと に成 功さ せる 鍵に なっ た﹂ と評 価し

︑一 般視 聴者 で あ る東 京都 新宿 区の 鈴木 英夫 も︑

﹁﹁ 鋳 型﹂ は︑ さま ざま な階 層の 人た ちが

︑大 都会 とい うメ カニ ズム の鋳 型の なか で み せる 人間 喜劇 だっ たが

︑見 ごた えは 十分

︒こ とに 急停 止す るカ メラ 型式

︑鋳 型を 打ち 出す 表現 の効 果音 など たく み だ った

﹂︵

﹁ マイ クへ 一言

﹂﹃ 毎日 新 聞﹄ 夕 刊 一九 六 三 年一

〇 月 三〇 日

︶と 感 想 を寄 せ て いる

︒新 聞 評 であ る K﹁ テ レ ビ週 言﹂

︵﹃ 毎 日新 聞﹄ 朝刊

一 九六 三年 一一 月 二 日︶ は︑

﹁ 演出 上 の スト ッ プ・ モ ーシ ョ ン は この 職 業 人と 階 級 人 の 間の 断絶 と連 続を 暗示 して テレ ビ的 画面 の美 しさ やテ ンポ を意 識的 に破 壊し てい たが

︑そ れが 自由 の追 求と して 十 分 結晶 して いな かっ た﹂ と演 出技 法と ドラ マの 主題 との 齟齬 を指 摘し てい るが

︑い ずれ にし ても

︑ス トッ プ・ モー シ ョ ンと いう この ドラ マの 技法 その もの は印 象的 に映 った よう だ︒ 一四 回 に 及 んだ 和 田 勉の 連 載﹁ 実 践的 演 出 論﹂

︵﹃ テ レ ビ ドラ マ

﹄一 九 六 三 年 五 月

〜一 九 六 四 年 九 月︶ に は︑ こ の

﹁ 鋳型

﹂の スト ップ

・モ ーシ ョン につ いて 触れ た 記 述が あ り︑

﹁﹁ 散 文

﹂で い えば 句 読 点の 知 的 リ ズム が 大 切な の で あ り

︑ピ リオ ドの 打ち 方・ 決め 方と いっ たも のが

﹁テ レビ ジョ ンド ラマ

﹂に おい ても 重要 な要 素と なっ てく る︒

/そ れ は

︑ひ と つ の世 界 を 区切 る と 同時 に

︑ま た そ の世 界 の 初め と 終 りを 物 語 っ てい る の であ る

︒/ スト ッ プ モ ー シ ョ ン は

︑そ のよ うな 意味 を持 って いる

﹂と 説明 して いる

︒多 くの 作中 人物 が登 場す るこ のド ラマ では

︑そ の人 物の 物語 ご と にシ ーク エン スが 設け られ

︑そ のシ ーク エン スが スト ップ

・モ ーシ ョン で閉 じら れて いる

︒そ のよ うな 意味 で︑ 確 か にス トッ プ・ モー ショ ンは

︑シ ーク エン スを 区 切 る﹁ 句 読点 の 知 的リ ズ ム﹂

﹁ ピリ オ ド

﹂の 役 割を 果 た して い る の だ が︑ この 技法 も︑ 映像 を度 々停 止さ せる こと で︑ その シー クエ ンス が虚 構で ある こと を自 己言 及的 に示 す機 能を 果 た して おり

︑そ のこ とに よっ て既 存の テレ ビド ラマ が内 在化 して いる 平凡 なリ アリ ズム を異 化し よう とし てい るの で

― 129 ― 和

田 勉 の 演 出 技 法

(23)

あ ろう

︒﹁ 鋳型

﹂は

︑こ うし た撮 影技 術と

︑後 に述 べる よ う な 効果 音 に よっ て

︑芸 術 祭奨 励 賞 の みな ら ず 第三 回 日 本 テ レフ ィル ム技 術賞 を受 賞し た

︒ また

︑谷 川俊 太郎 に脚 本を 依頼 した

﹁あ なた は誰 でし ょう

﹂や

︑寺 山修 司に 脚本 を依 頼し た﹁ 一匹

﹂で 印象 的な の は

︑文 字表 現に よる 停止 画 像 だ︒

﹁ あな た は 誰で し ょ う﹂ では

︑﹁ 1

﹂︵ 1イ コ ー ル 無限 大

︶と い う数 式 の 後︵ 図 儗

︶︑

﹁ あな たは 誰で しょ う﹂ とい うタ イト ルが 映し 出さ れ︑ クレ ジッ トロ ール へと 移行 して いく のだ が︑ 和田 は︑ 谷 川 の脚 本に おけ るこ の数 式を

︑﹁ 彼は くり かえ し一 人 の 彼 なの で あ り︑ それ が 1イ コ ール 無 限 大 の数 式 を 成立 さ せ て い る﹂ と理 解し たと いう

︒し かし

︑こ こに は︑ 映像 とし て表 象で きな い谷 川 の 詩的 表 現 の 余剰 が あ り︑ 物語 の 展 開 の 末に

︑﹁ 1

∞﹂ を解 釈す る余 地を 視聴 者に 委ね た結 果が あっ たと も言 える

︒つ まり

︑﹁ 1

﹂は 作中 人物 の男 とし て 図10 写真提供:NHK

図11 写真提供:NHK

図12 写真提供:NHK

和 田 勉 の 演 出 技 法

― 130 ―

(24)

︑視 聴者 を指 す﹁ あな た﹂ とし ても 捉え ら れ る し︑ その

﹁あ な た﹂ が かけ が え のな い 凡 庸 な一 人 で ある と も︑

﹁ あ な た﹂ の日 常は 世界 に無 数に 存在 する とも 捉え られ るよ うな 様々 な解 釈を 生み 出し

︑そ れが 読者 に預 けら れる 形で ド ラ マの 幕が 閉じ られ るの だ︒ 同様 に

︑自 宅 で 飼 育 し て い た 牛 の 太 郎 を︑ 東 京 の 牛 肉 処 理 場 ま で 探 し に 行 く 少 年 を 描 い た﹁ 一 匹﹂ の 冒 頭 で は︑

﹁ 答は いっ ぱい ある のに

質 問は たっ た一 つし か出 来な か っ た 少 年に と っ てそ れ は 自ら 大 人 に なる こ と を意 味 し て い た﹂ とい う文 字表 現が 映し 出さ れ︵ 図儘

︶︑

﹁ 答﹂ や﹁ 質問

﹂の 内実 が伏 せら れた まま

︑こ のド ラマ が少 年の 成長 譚 で ある こと が示 唆さ れて いく

︒物 語の 展開 の中 で︑ 少年 の﹁ 質問

﹂と は︑ いな くな った 牛の 太郎 の行 方を 問う もの で あ るこ とが 明ら かに なり

︑や はり ドラ マの 末尾 に用 意さ れた

﹁少 年は 太郎 がみ!!!!!! に なっ たこ とを 知っ た﹂ と い う文 字表 現に よっ て︵ 図儙

︶︑

﹁ み!!!!!! にな った

﹂と いう 認識 がそ の﹁ 答﹂ であ るこ とが 示さ れて いく

︒こ の ド ラマ にお いて も︑ 傍点 を付 され た﹁ みん なの もの

﹂を 解釈 する 幅は 視聴 者に 委ね られ てお り︑ ここ には

︑太 郎が 東 京 の食 肉処 理場 で食 肉と なっ たこ とを 読み 取る 文字 通り の解 釈や

︑そ うし た過 程に 社会 のあ り様 を読 み取 る解 釈︑ 物 語 の力 学通 りア イロ ニカ ルに それ を捉 える 解釈 が生 じて いく

︒さ らに その アイ ロニ ーは

︑飼 って いた 牛が 食肉 と化 し た こと を認 識す るに 至っ た少 年の 変化 その もの へと 向け られ るも のな の か もし れ な い

︒ い ずれ に し ても

︑こ う し た 文 字表 現の 停止 画像 は︑ 言語 表現 の持 つ余 剰を その まま 視聴 者に 伝達 しよ うと する もの とも

︑あ るい は︑ 映像 化困 難 な それ とし て捉 えら れた 表象 の痕 跡で ある とも 言え る︒ この よう な表 現が

︑詩 人の 谷川 俊太 郎や 歌人 の寺 山修 司に 脚 本 を依 頼し たド ラマ に認 めら れる のは 決し て偶 然で はな いだ ろう

― 131 ― 和

田 勉 の 演 出 技 法

参照

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