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ハーフェズ詩注解(9)

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ハーフェズ詩注解(9)

佐々木 あや乃

目次

はじめに

1.ガザル32第5ベイトの解釈をめぐって 2.ガザル32第6ベイトの解釈をめぐって 3.ガザル32全体の解釈

おわりに

はじめに

今回取り上げるハーフェズ(Khājah Ḥāfiẓ-i Shīrāzī, Shams al-Dīn Muḥammad ibn Muḥammad,

1326?-90頃)の抒情詩(ガザル)は、全7詩行(ベイト)のうち2ベイトをめぐって研究者た

ちがその表現の論理的整合性と「ハーフェズらしい表現か否か」に関して議論を重ねてきた作 品の1つである。

ハーフェズのガザルは、主題の一貫性という点においては、1つの詩を構成する詩行の順序 が版によって異なることもままあるため、読者や聞き手の側からは見えづらく感じられること も多く、かつては各詩行がばらばらの真珠のようと評されてもきた。しかしながら、各詩行が 独立して深い意味を有することに加え、ハーフェズの真意を解する人には、複雑な和音の中か ら通奏低音のように響く主題とメロディーラインがはっきりと聞こえてくるため、今日におい てもなお、ハーフェズ詩は文学という「芸術」として高く評価されている。

そこで、本論考では1つのガザルの中の2つのベイトをめぐる異説を紹介しながら詳細に検 討を重ねたうえで、作品全体を通読した際に最も適した表現を探究することによって、詩聖ハー フェズが紡ぎ出したはずの1つの芸術作品の提示を試みる。

ハーフェズ詩集は数多出版されているが、ここでは定評あるハーンラリー版『ハーフェズ詩 集』を基にし、その他の版も参考にしつつ解釈をすすめていくこととする。

1.ガザル 32 第5ベイトの解釈をめぐって

zolfat hezār(o) del be yekī tār-e mū bebast   rāh-ē hezār(o) chāregar az chār(o)sū bebast そなたの巻毛は千の心を一本の毛で捕え 千の策士たちの道を四方から塞いだ

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という開句で始まるこのガザルは、地上の麗人か、はたまた神秘主義修行者の恋焦がれる神か、

愛する対象に心奪われ狂おしいほどに恋する者の様子を詠んだ熱烈な恋愛詩である。

最初に注目するのはこの作品の第5ベイトである。さまざまなハーフェズ詩集を比較したと ころ、いくつかの異説がみられ研究者たちの間での議論の的となっており、大勢としては以下 の3つの説が挙げられる(意見の異なる部分をペルシア語原文ではイタリックで、和訳では下 線で明示した)。

yārab che naghme kard(o) ṣorāḥī ke khūn-e khom

bā naghme-hā-ye qolqolash andar galū bebast

神よ、酒壺がいかなる旋律を奏でたか 壺の血はトクトクと音をたて喉を詰まらせた

yārab che ghamze kard(o) ṣorāḥī ke khūn-e khom

bā naghme-hā-ye qolqolash andar galū bebast

神よ、酒壺がなんと艶っぽい視線を投げかけたことか 壺の血はトクトクと音をたて喉を詰まらせた

yārab che ghamze kard(o) ṣorāḥī ke khūn-e khom

bā naʻre-hā-ye qolqolash andar galū bebast

神よ、酒壺がなんと艶っぽい視線を投げかけたことか 壺の血はトクトクと叫び声をあげ喉を詰まらせた

前半句では「旋律を奏でた(naghme kard)」のか、「艶っぽい視線を投げかけた(ghamze kard)」のか、

また後半句では「音(naghme)」なのか、「叫び声(naʻre)」なのか、という点で意見に相違が生 じていることになる。1)

1.1.鳥型の酒壺

まず、このベイトに描写されている場面を確認しておこう。

酒壺に入った葡萄酒が音を立てながら酒盃に注がれていく。「壺の血」は赤葡萄酒の比喩で ある。葡萄酒が細い壺の注ぎ口で葡萄酒と空気とが入れ替わるため、トクトクという音をたて る。我々にも馴染みのあるこの独特の音が詩人の想像力をかきたてているわけである。

ここで、我々にはこのベイトの主役たる「酒壺(ṣorāḥī)」、すなわちペルシア文化における酒

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壺の形状を認識しておく必要がある。

「ガラスやクリスタル製で、首が細く腹部に適度な膨らみのある酒器。葡萄酒や酒類を入れ て宴席に運ばれ、酒盃に注ぐもの」2)と定義されるこの種の酒器は図版1に見られる形状で、

文化の異なる我々の想像からもかけ離れてはいない。色白の麗人の細い首を髣髴とさせる、非 常に細長く引き伸ばされた首が特徴的である。この貴人が嗜んでいるのはまさしく赤葡萄酒で あろうか。

図版1 酒壺を手にする貴人図3)

ところが、このような酒壺以外に、2500年以上の長きにわたるイランの芸術における伝統 が保持された証として、鳥の姿形をした酒壺の存在がサムサールの論文「鳥型の酒壺」で紹介 されている。サムサールによれば、時代の変遷とともにその鳥型の形状や材質も洗練されてい き、美しい装飾も施されていったという。

この鳥型の酒壺は、目や嘴、羽や尾羽もついており、まさに鳥の姿そのものである。図版2 では、背の部分から葡萄酒を入れ、嘴から葡萄酒を注ぐ構造になっている。

図版2:紀元前 800-700 年の酒壺4)

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 さらにサムサールによれば、12世紀以降こうした鳥型の酒壺は多く見られるようになり、

ハーフェズの生きた13世紀には、図版3、4のような鳥型の酒壺が広く流布していたと考え られる。これらの鳥型の酒壺は頭の部分から樽で熟成された葡萄酒が注ぎ込まれ、目あるいは 嘴の部分から葡萄酒を酒盃に注ぐことができる。

図版3:ラスター彩鳥型の酒壺 ( 陶製 )12-13 世紀5) 図版4:ラスター彩鳥型の酒壺 ( 陶製 )13 世紀6)

ハーフェズの詩的表現について議論を交わす学者たちは、この鳥型の酒壺の存在を指摘し、

ハーフェズが詠んだのはまさにこの鳥型の酒壺であると推察する向きが強い。目の部分から葡 萄酒が注がれたり、酒壺がトクトクと音を立てたりするさまから推察しても、酒壺から赤葡萄 酒が酒盃へと注がれるさまの描写にハーフェズが擬人法を用いていることは明白であるため、

ここで詠まれた酒壺が鳥型であることは言を俟たない。

1.2.「音 (naghme)」か「秋ながしめ波 (ghamze)」か

よって、「第一に酒壺は秋波を送らないし、第二に秋波を送る者は喉に血を詰まらせること はない」7)という、擬人法の意図を解さない無味乾燥な理由を論拠とし、前半句、後半句とも に「旋律、メロディー(naghme)」を支持する意見は、詩の解釈として成立しないことが明ら かとなる。

また、トクトクという液体を注ぐ単調な音は旋律とは呼びがたいと主張する学者もいる一方、

わが子の声が母親には愛しい声と聞こえるように、酒飲みにとってはこのトクトクという音が 耳に心地よく魅力的な旋律と響いてもおかしくはないであろうと反論する向きもあるが、論拠 としては弱い。8)

さらに一部の研究者からは、酒壺の立てる音を「旋律、メロディー」と表現したのでは陳腐 にすぎ、読み手になんら喜びや満足を与えてくれる語ではないという主張もきこえてくる。9)

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この主張の裏には、ペルシア語文化圏におけるハーフェズという詩人の「聖人化」が多分にあ ると筆者は考える。ハーフェズという詩人に対し、常套的な表現ではなく、重層的に意味を織 りなす、奥深く芸術性の高い表現を期待されている現実があることは否めない。事実、ハーフェ ズの作品は受け取る側によって多様な解釈が可能な言葉で表現されており、それこそがハー フェズ作品の魅力なのである。ただ、それはペルシア語を母語とする、文学に造詣の深い人々 の感性に訴えかける芸術領域に関わってくる問題であり、後天的にペルシア語を学習した外国 人にとっては、その明確な芸術的評価基準は定め難いという点をここで敢えて指摘しておきた い。それでも、筆者ですらも、単調な反復を嫌うイラン人の言語表現の傾向から、前半句も後 半句も「旋律、メロディー(naghme)」という意味で全く同一の語を用いることはないと容易 に推察できる。

となれば、別の「秋ながしめ波(ghamze)」という語が前半句にふさわしいとする学者たちの意見に耳 を傾けてみよう。彼らはハーフェズが「酒壺の目が秋波を送った」と表現したという見解を提 示する。通常「秋波を送る」のは、愛される側の女性であって恋する者ではないため、この場合、

ハーフェズは酒壺を「恋する者」としてではなく、「愛される対象」とみなしたということになる。

酒壺の細い首を佳人のそれに喩えてうたう詩はペルシア文学においてもハイヤームの『ルバー イヤート』等に散見されるので、酒壺に愛しい人の姿を重ねたと考えることも可能なのかもし れない。しかし、イラン人研究者の誰一人この点を指摘していないのが不思議なくらいなのだ が、酒壺に「目」があると表現する以上、やはり、この酒壺は必然的に「恋する者」の姿を映 す鳥型の酒壺でなければならないと筆者は考える。

それでも、「秋波」説を推す学者らの意見を踏まえた解釈を試みると、「葡萄酒の入った酒壺 は、なんと魅惑的な視線を投げかけ人々を飲酒へ誘ったことか。酒壺はその見目麗しい姿形や 艶っぽい嬌態で、人々を禁忌の飲酒行為へと誘ったのだ。その罪深いおこないへの報いとして、

葡萄酒(樽の血)が酒壺の気道を締めたため、酒壺は苦しさのあまり叫び声をあげた」となる。

つまり、前半を「秋波」とすれば後半は「叫び声」になるのが自然な流れとなる。

さらに、この「秋波」説を支持しつつも「ここでのghamze(秋波)という語にはghammāzī(密告、

中傷)という意味も含まれる」と主張する学者がいる。10)アラビア語でもペルシア語でもこの 意味で用いられることがあるうえ、樽の中に隠されていたもの(=葡萄酒)の存在を酒壺が暴 露した結果、市中取締官の知るところとなったためというのがその主張の論拠である。これは 想像上の世界の話ではなく、確かに実際のハーフェズの時代の社会状況と一致する。

ムザッファル朝のムバーリズッディーン(Mubāriz al-Dīn Muḥammad, 1318-1363)は、ハーフェ ズのパトロンで共に青春時代を過ごしたインジュー家のシャイフ・アブー・イスハーク(Shaykh

Abū Isḥāq, d.1356)に代わってシーラーズを支配し、それまでの自由闊達な雰囲気に満ちていた

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市中に抑圧的・閉鎖的ムードをもたらした暴君である。酒場も閉鎖され、酒樽が見つかれば壊 して地面に葡萄酒を流させるといった厳しい取締りが盛んにおこなわれたという。11)

このガザルがこの暴君の時代に詠まれた作品であると指摘する複数の学者の意見は看過でき ない。12)共に詩を愛し、自らのよき理解者・保護者であり良き友でもあったアブー・イスハー ク王の辿った顛末に対する憤りや悲壮感の中で、ハーフェズが詠んだガザルである可能性が高 くなるからである。

しかし、この意見に対しては、ghamze(秋波)をghammāzī(密告、中傷)と解釈することは 受け容れがたいわけではないが、と断った上での反論も多い。その第一の理由としては、ペル シア詩においてはghamzeという語が「秋波」以外の意味でほとんど用いられていないこと、

第二に、ハーフェズはこの語を計38回ガザルに用いているが、37回は明らかに「秋波」とい う意味のみで用いているため、このガザルにおいてのみ「密告者、中傷者」の意味をも含むと いう可能性は非常に低いということである。13)

ハーフェズという詩人が、可能な限り「語のもつ意味の重層性(īhām)」を用い、ghamzeと いう語に「艶っぽい目や眉の動き、秋波」という通常の意味に加え、第二層的に、しかもかな り奥から「密告、中傷」という意味を引き出した可能性は捨てきれない。しかし、これではあ まりに深読みに過ぎはしないだろうか。ハーフェズの詩句を詠み、耳で聴いて楽しむ人々に、

あまりに高いハードルを課す結果にならざるをえないように思えてならない。

そこまでの深読みをせずとも、時代背景とハーフェズの心情、レトリックの達人であるハー フェズの言葉であることを念頭に置いたうえで、酒壺を目や眉で艶っぽい合図を送り人々を飲 酒へと誘う、罪多き愛しい佳人の姿と見做し、イスラームで禁忌とされている飲酒に自ら誘っ た罪深い行いに対し、酒壺は正当な報いを受けて叫び声をあげたと解釈するのが限界ではなか ろうか。

それでもなお、筆者は前述の通り、酒壺が鳥型の酒壺であると確信し、恋に苦しみ血の涙を 流す、恋する者の姿と葡萄酒が注がれるさまを重ね合わせてみたい。酒壺の目から葡萄酒が注 がれるさまを「血の涙を流す」と表現するのはペルシア文学の連綿と続く伝統を十分受け継い でおり、14)愛しい人に魅入られ激しく恋焦がれる者が、その思いが叶わぬゆえに血の涙を流 すという描写がよく用いられてきた。15)つまり、叶わぬ思いゆえに血の涙に暮れる、恋する 者が酒壺であると考えれば、涙を流す姿は「秋波」とは表現し難い。よって、消去法により「音 (naghme)」が残る。

筆者が調べた限り、ハーフェズのガザルに6度登場するこの語は、すべて楽器の奏でる音色 や旋律を指している。16)しかし大変興味深いことに、そのうち2度は以下の通り、鳥のさえ ずりや啼き声をも髣髴とさせているのである。

(7)

bar kesh ey morgh-e saḥar, naghme-ye Dāwūdī bāz ke Soleymān-e gol az bād-e havā bāz āmad

おお夜明けの鳥よ、(鳥たちですら聞き惚れる美声の)ダビデのような調べを奏でよ 薔薇のソロモンがそよ風から戻って来た(ガザル170)

cho gol savār shavad bar havā Soleymān-vār saḥar ke morgh dar āyad be naghme-yē Dāwūd 薔薇がソロモンの如く風にのると

明け方、鳥はダビデの調べとともに現れる(ガザル198)

したがって、「音(naghme)」という語がこの前半句にふさわしいと結論づけることができる。

そして、後半句は反復を避ける意味でも、叶わぬ恋に哭き叫ぶ者の悲壮感を演出するためにも、

「叫び声(naʻre)」が自然と導かれるのである。

2.ガザル 32 第6ベイトの解釈をめぐって

続く第6ベイトの詩句は、ハーンラリー版では以下の通りである。

moṭreb che parde sākht ke dar parde-yē samāʻ bar ̓ahl-e vajd-o ḥāl(o) dar-ē hāy-o hū bebast

楽師はなんと見事な曲を作ったことか、サマーウの帳の奥で 陶酔した人々に叫びの扉を閉ざすとは

このベイトには以下の2つの異説が見られる。17) moṭreb che zakhme sākht ke dar parde-yē samāʻ bar ̓ahl-e vajd-o ḥāl(o) dar-ē hāy-o hū bebast

楽師はなんと見事に撥を鳴らしたか、サマーウの帳の奥で 陶酔した人々に叫びの扉を閉ざすとは

moṭreb che parde sākht ke dar ḥalqe-yē samāʻ bar ̓ahl-e vajd-o ḥāl(o) dar-ē hāy-o hū bebast

楽師はなんと見事な曲を作ったことか、サマーウの集いで 陶酔した人々に叫びの扉を閉ざすとは

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この2つの異説は、前半句に二度pardeという語を反復することの是非から生じている。同 じ語の反復は力強さに欠け、ハーフェズの雄弁術からは程遠いとみなすか、あるいはそこにこ そハーフェズの意図や技を読み取るかという意見の相違である。

2.1.「撥を鳴らした (zakhme sākht)」のか「曲を作った (parde sākht)」か

まず、「撥を鳴らした」説について検討したい。「撥を鳴らす」という表現は筆者の知る限り 現代ペルシア語でzakhme zadanと表現し、通常「打つ、叩く」を意味するzadanという動詞と は組み合わされるが、「作る」を意味するsākhtanと共には用いられない。「zakhmeはnavākhtan (楽 器を演奏する=弾く、叩く、つまびく等) するものであり、sākhtanする(作る)ものではない」

と述べる学者もいる。18)せめて「che zakhme be sāz zad(どれほど見事に撥で楽器を奏したか)」 という表現であればハーフェズの言語表現たる可能性があると述べる学者や、19)この表現を「実 に見事なテクニックを用いて撥を鳴らした」と解釈すべきという説を唱える学者もいる20)も のの論拠としては弱く、「撥を鳴らす」説を支持する意見は概して少ない。

一方、pardeという語を「旋律、旋法、調べ、曲」という楽理の専門用語と捉えて解釈すれば、

「曲を作った(parde sākht)」となり、まさしく「作曲」という日本語とも一致し「作る」という 動詞とともに用いられることにこそ整合性が出てくる。撥を鳴らして見事に演奏しようとも、

魅惑的な調べを編み出そうとも、聴き手側の感じ方は結果的には同じなのかもしれないが、結 果が同じであればそこに芸術性を加味せんと言葉を選び抜くのが詩人ではないだろうか。よっ て、最初のpardeは音楽用語と結論づけることとする。

2.2.「サマーウの集い」か「サマーウの帳」か

次に「サマーウの集い(ḥalqe-yē samāʻ)」と「サマーウの帳(parde-ye samāʻ)」という表現に ついて考えてみる。ここではまず「サマーウ」について簡単にまとめておく必要があるだろう。

サマーウの原義は「聞くこと」であるが、心に何かを生じさせるのではなく、人間の内面を 煽動する手段である。『ハーフェズ詩辞典』によれば、サマーウは次の7つに分類される。

1-メッカ巡礼へと人々を誘う歌曲

 太鼓を提げて町中を練り歩きながら、信者のカアバ神殿に対する内なる熱い思いを煽る ため、カアバ神殿やザムザムの泉等の聖なる地点を描写した詩がうたわれる。説教師が自 分の言葉を詩に詠みレトリックで飾ることによって、民衆がメッカに対する思いを強くす ることはイスラームの教えのうえで許される。説教師でなくとも、詩才にすぐれた者や美 声の持ち主であれば、人々に与える影響も大きくなるし、楽器が加わればさらに効果が増 す。ただし、ウードや笛は用いてはならない。(筆者註:笛はその音色がか細く悲しげな

(9)

ので、勇気がくじけたり、故郷や家に帰って家族に会いたくなったりするため、戦いには ふさわしくない楽器とされる。)・・・(中略)

2-イスラーム聖戦士が民衆を戦いに駆り立てるためにうたわれる詩

 その戦いがイスラーム法で認められる場合、民衆を勇気づけ異教徒に対する怒りを増幅 させ、彼らの勇敢さを称え、彼らが生命や財産を惜しまない気持ちにさせる詩のことであ る。・・・(中略)

3-英雄詩

 勇者が敵と対峙した時にうたう歌で、語り手自身や戦友らを勇気づけるために歌う。流 暢かつ雄弁に美声で語ると人々への影響力が増す。・・・(中略)

4-人の死を悼んで泣く時にうたわれる歌曲

 悲しみを増長させ思わず涙がこぼれる歌や曲のこと。ひたすら悲しみを味わわせるだけ のものと、自分の過ちや犯した罪に気づくきっかけを与えてくれるものとに大別される。

よって、美声の説教師が説教壇上からこの種の詩を吟じ、自らも涙を流して人々の心に哀 れみや悔悛の念を芽生えさせることは認められている。・・・(中略)

5-歓喜を増幅させるためにおこなうサマーウ

 祝祭や結婚式、旅行者の帰還、子供の誕生やお七夜、割礼、ごく幼い子供がコーランを 暗誦した際などに演奏する、喜びをかきたてるための曲。預言者ムハンマドのメディナ到 着を祝って、女性らが屋根に上って詩を吟じながらダフ(大きいタンバリンのような楽器) を叩いた例もみられる。・・・(中略)

6-恋人たちのサマーウ

 情熱を煽りたて、愛を鼓舞し、後悔するためにおこなう。愛の対象に会い見える時には 喜びを倍増させること、別離の際には情熱をかきたてることが目的である。その情熱がも しも苦痛を伴うものであれば、会いたいと願う気持ちが増し、一種の喜びとなる。希望は 喜びを与えてくれるものであり、絶望は苦痛をともなうものである。希望が与えてくれる 喜びの大きさは、相手に対する情熱と愛情に比例し、この点に関し、サマーウは愛や情熱 をかきたて、希望という喜びを得るきっかけとなる。愛しい人の美を描写したり、それを 長々と語ったりすることもある。・・・(中略)

7-神に会い見えることをひたすらに願う者のサマーウ

 その中に神が見える物、神から授かった物以外には目も向けない者にとってのサマーウ は、情熱を煽りたて愛を増幅させ心の炎を燃え立たせるものであり、とても言葉では言い 表せない至福の状態をもたらす。人は、それを体験して味わった者にしかわからない、スー フィーがワジュドと呼ぶ、歓喜極まりし忘我の境地に達する。・・・(中略)

(10)

なぜこのサマーウが心にこのような状態をもたらすのかは、至高なる神が、耳に心地よい 音楽と魂との間に確立させた神秘であり、心地よい音楽は魂を清らかにする。神を知れば、

誰でも神を愛するようになるものなのである。・・・(略)21)

このハーフェズのガザルで描かれているサマーウは、上述の5,6,7、中でもとりわけ7を 念頭におくとよい。

ḥalqeという語には第一義としては「輪、環」という意味があり、そこから転じて「集い、サー

クル」をも意味するため、「サマーウの集い(ḥalqe-yē samāʻ)」は無難かつ単純明快な表現とい える。最古のハーフェズ詩注解を著したスーディーはこのḥalqeを採用して「楽師が陶酔の境 地の人々を大いに感動せしめるほど見事な旋法の音楽を奏でたので、彼らは歓喜のあまり叫ん だり踊ったりすることをやめ、音楽に聞き惚れた」22)と説明し、意味解釈上の整合性を保っ ている。ただ、この解釈に異議はなくとも2回ともpardeとした方がハーフェズの作品として は適していると主張する学者の声が強いというのが事実である。23)

2回ともpardeという語と見做す場合、当然のことながら2つのpardeが同一の意味をもつ

とは考え難く、同音異義語(jenās)と見做すべきである。最初のpardeを前節で見た通り楽理用 語の「旋律、旋法、調べ、曲」と見做せば、2番目のpardeは、人目から何かを隔てる「幕、帳、カー テン」の意に解釈できる。なぜなら、貴人たちの慣習あるいは神秘主義道の導師の礼法として、

心おきなく存分に歓喜を表したい時には、ハーフェズの時代には既に広く普及していた「サマー ウの帳」という幕を吊るすのが常であったからである。貴人や導師らはこの帳の奥に坐し、帳 を挟んで向かい合わせに楽師たちを侍らせ、歌や演奏を命じたものだったという。24)

通常サマーウでは、ある集団が帳の奥に坐し、よそ者の出入りは許されず、楽師たちが妙な る調べを奏で、その楽の音に帳の奥に坐した人々が煽動され、袖を振り足を踏み鳴らして踊り 出したり、時には陶酔の境地に達した人々が叫び声をあげたりもする。しかし、ハーフェズが ここで描いたこの特別なサマーウでは、ある「旋律、曲調」が奏でられると帳の奥の人々は一 斉に心奪われ驚きの境地に達し、意識を失ってしまいすらする。彼らの口から叫び声が上がる こともないため、ハーフェズは楽師の腕前に驚き感心し、思わずこう言ったのではないだろう か。「おお、楽師はなんという素晴らしい曲を作り、心地よい旋律を奏でたことか!理性も意 識も感覚も動作も何もかもすべて、サマーウの帳の向こう側にいる、恍惚の状態にある人々か ら奪い取ってしまったではないか!」こう解釈できることが示されると、やはりスーディーの

「サマーウの集い(ḥalqe-yē samāʻ)」という表現では、なんら不都合はないものの平凡にすぎ物 足りなさを感じざるをえない。

(11)

この第6ベイトは、同音異義語のレトリックの魅力が十分に発揮された詩句といえる。25) このように同じ音を響かせつつ異なる意味を醸し出す語をパズルのピースのようにちりばめる ことによって、繊細で奥深い表現を紡ぎ出すのがハーフェズのハーフェズたる所以といえるだ ろう。

3.ガザル 32 全体の解釈

第5ベイトと第6ベイトの内容を検討し終えた今、このガザル全体に目を向ける必要がある。

開句から順に目を通しながら、筆者なりの解釈を付していきたい。

1.zolfat hezār(o) del be yekī tāre mū bebast rāh-ē hezār(o) chāregar az chār(o)sū bebast

愛とはかくも結ばれぬ、報われぬものなのか。愛しいそなたの巻毛は恋する数多の者の心 をわずか一本の髪で捕え、なんとかしようともがく者らの出口を四方から塞いでしまった ではないか。

2.tā har kasī be bū-ye nasīmī dehand(o) jān bogshūd(o) nāfe’ī-yo dar-ē ̓ārezū bebast 微

そよかぜ

風の運ぶ麝香のかぐわしさに恋する者らが生命を捧げるようにと、かの人は匂い袋を解 いたのに、結ばれたいと願う希望の扉は閉ざした。これでは、愛しい人と結ばれたいと願 望を抱くためだけに人間は創造されたかのようではないか。狂おしいほどに相手を追い求 め苦悩の日々を過ごすことなくして、願いが叶う可能性はないのだろうか。

3.sheydā ̓azān shodam ke negāram cho māh-e now

̓abrū namūd-o jelvegarī kard-o rū bebast

私は今にも気が触れてしまいそうだ。わが愛しい人は新月のように顔をヴェールで覆って 帳の奥に坐している。それなのに美しい眉を見せてこの私を誘ったのだ。美の顕示が恋す る者の気を引くためというのなら、いったいなぜ顔を覆ってしまうのか。

4.sāqī be chand(o) rang-e mey andar piyāle rīkht īn naqsh(o)-hā negar ke che khosh dar kadū bebast

いったい酌サーキー人はいく色の酒を酒盃に注いだのだろうか。ほら、ご覧なさい、なんと美しい ことか。もし酌サーキー人が注いだ葡萄酒が一色なら、なぜ酒壺に描かれた絵はこれほど色彩豊か

(12)

で彩やかなのだろうか(詩人は酒壺から注がれる葡萄酒とその酒壺の表面に描かれた絵や 模様とを眺めながら、ある一つのことに端を発しているにもかかわらず、結果として我々 の目の前に突きつけられるのは、いくつもの出来事や事象であるという、この世の不可思 議さを暗示していると考えられる)。

補足:第4ベイトで「酒壺」と訳出した語はkadū(瓢箪)であり、議論をしてきた第5ベイト

のṣorāḥīという語とは異なるものの、形や用途は同じであり、表面に模様や絵画が描かれてい

ることが強調される。その美しく飾られた瓢箪型の酒壺(=愛の対象)に意識を向けたまま詠 まれたのが次の第5ベイトである。

5.yārab che naghme kard(o) ṣorāḥī ke khūn-e khom bā naʻre-hā-ye qolqolash andar galū bebast

ああ、愛しい人に焦がれる者のように、鳥型の酒壺は血の涙を流しながらなんと苦しげな 音を立てたことか。壺の血は叫び声にも似た音を立て喉を詰まらせてしまった。まるで恋 する者の苦悩を我々の目の前で再現してみせているかのようではないか。

6.moṭreb che parde sākht ke dar parde-yē samāʻ bar ̓ahl-e vajd-o ḥāl(o) dar-ē hāy-o hū bebast

楽師はなんと見事な調べを奏でたのだろう。サマーウや音楽はスーフィーたちを有頂天に させ、狂気乱舞させるものだというのに、このサマーウは帳の向こう側にいる陶酔した人々 が気を失ってしまう(歓喜の叫びの扉を閉ざしてしまう)ほど素晴らしかったのだ。

7.Ḥāfeż har ānke ʻeshq(o) navarzīd-o vaṣl(o) khāst

’eḥrām-e ṭowf-e kaʻbe-ye del bī-voẓū bebast

ハーフェズよ、人間が神への愛を育むこともせずただひたすらに神と結ばれ一体となり忘 我の境地に至ることのみ求めるのは、メッカ巡礼の際に身も清めずに巡イ フ ラ ー ム礼衣を纏うに等し く、無駄で虚しいことである。だから、どんなに報われなくとも、人はただひたすらに愛 しい存在(=至高たる神)を思い続けるところから始めなければならない。

(13)

おわりに

テヘラン大学文学部教授で、20年以上前から常に世界中で最も注目を浴び続けているペル シア文学研究者シャフィーイー・キャドキャニー(Shafiʻī Kadkanī, Moḥammad-Reżā)が、詩の 翻訳について以下のように述べている。

 詩が言語芸術であり、言葉による一種の建築であると見做すなら、ある詩を翻訳すると いうことは、ある建築物をかつて在った場所から取り去り、別の場所に移設することであ る。仮に重機のような大がかりな機材を用いて一時に移してしまうのであれば、それはフ ランス人に向かってハイヤームの詩をペルシア語で聞かせるようなもので、翻訳としては 何も為しえていないことになる。詩という「言葉の建築」は普通目には見えない。この建 築を見るには別の視覚や明敏さが求められる。言葉のさまざまな部分において、言葉の音 楽性、言葉の連続により生み出される意味、言葉の組み合わせによるレトリック、暗示が 秘められている。だから、フランス人にはそれをフランス語に変換する必要がある。ちょ うど建物をレンガやドア、窓、タイルといった部分ごとに取り去っていって、別の場所に 移すように。26)

とりわけ、筆者が長年研究対象としているハーフェズ、恋愛抒情詩の最高峰と評される詩人 サアディー(Saʻdī Shīrāzī; Abū Muḥammad Musharrif al-Dīn ibn Muṣliḥ ibn ʻAbdullāh, 1210頃-92頃) といった詩人の作品の翻訳には、その翻訳者の相当な芸術的センスと、翻訳者が言葉の相当な 達人であること、本人も詩人であることが要求される。シャフィーイー・キャドキャニーの比 喩を借りるならば、「レンガやタイルの交換を普通の大工にまかせ、適当に積み上げさせる」

27)わけにはいかないからである。

イスラーム神秘主義に彩られ、神を求めてやまぬ求道者の熱情を描き出すハーフェズの詩は、

詩作品として翻訳するにはその世界があまりに奥深すぎ、単なる言語の置き換え作業では詩作 品としての魅力が伝わらないどころか喪われてしまう。よって、詩才に恵まれない筆者にとっ て詩的な和訳は困難であろうと、熟読に熟読を重ね、じっくりと注釈をほどこしながら自分な りの解釈を試みたいというのが、これまでの、そしてこれからも続く筆者のスタンスであり、

このハーフェズ詩注解の意図でもある。ありとあらゆる読者あるいは聞き手の精神や意識のレ ベルに応じて、強いシンパシーやメッセージを訴えかけてくるハーフェズ詩の特徴と魅力を知 れば知るほど、そして欧米の文化ではなく、ペルシア古典文学を彩るイスラーム神秘主義と多 くの共通点をもつ禅文化に下支えされたこの日本に生きているからこそ、筆者は自分のライフ ワークの一環としてハーフェズ詩注解の必要性を再認識しているのである。

(14)

本文と註における翻字への転写およびカタカナ標記については、ペルシア古典文学時代が終焉を告げる 15世紀以前は古典的な表記を、モイーンの『ペルシア語辞典』に記載がある場合にはそれを、そうでない 場合には一般に研究者の間で慣用とされている表記を用いた。したがって、例えば現代の研究者の氏名や 文献のタイトルに関しては現代ペルシア語の音に近いと筆者が判断する形での表記とした。ただし、詩人 の雅号「ハーフェズ」のカタカナ表記と本文中に引用したガザルの表記に限っては、現代ペルシア語の音 に近い表記を採用した。

1) 前半句のイタリックまたは下線部分に該当する他の語として、少数意見ではあるものの「叫び(naʻre),

「罪(jorm)」「圧制(jowr)」「媚び (jelve)」も見られるが、ここでは議論の対象とはしない。韻律の点に

おいては、音節の組み合わせが同一である(CVC+CV, 長音節+短音節( ̶ ᴗ))ことより、すべての語が 該当する可能性を持ち合わせていることを付記しておく。

2) Loghat-nāme-ye Dehkhodā.

3) [Āqājānī Eṣfahānī, Ḥoseyn 1386/2007:59(Farsi)/70(Latin)]

4) [Samsār, Moḥammad-Ḥoseyn 1350/1971:71]

5) 岡山市立オリエント博物館所蔵。

6) [Samsār, Moḥammad-Ḥoseyn op.cit.]

7) [Nātel Khānlarī, Parvīz 1362/1983:269]

8) [Ṣabā, ʻAlī-Akbar 1352/1973:1315-1316]

9) [Eslāmī Nadūshan Moḥammad-ʻAlī 1368/1989:429]

10) この説を支持する根拠として次のハーフェズの詩句を挙げる学者もいる。

̓ashk-e ghammāz-e man az sorkh(o) bar āmad che ʻajab khajel az karde-ye khod parde-darī nīst ke nīst

密告者たるわが涙が血に染まろうと不思議ではない

恋する者の秘密を暴露した自らの行為を恥じるだろうから(ガザル74)

しかしながら、これらの詩句に用いられているのはghammāz(密告者、中傷者)という語であり、

ghammāzīやghamz(ともに密告、中傷の意)ともghamze(秋波)とも異なることは一目瞭然である。

11) アミール・ムバーリズッディーン支配下のシーラーズの社会状況については、ZarrīnkūbのAz kūche-ye rendānに詳しい。

12) [Nīrū, Sīrūs Sharḥ-e sheʻr-hā-ye dīvān-e Ḥāfeẓ 51-52]

[Eslāmī Nadūshan Moḥammad-ʻAlī op.cit.]

13) [Haravī, Ḥoseyn-ʻAlī 1369/1990:202]

14) ハーフェズが酒壺の目から葡萄酒が注がれるさまを、血の流れる様子や恋する者が涙を流すさまに喩 えているのが以下の詩句である。

dar āstīn-e moraqqaʻ piyāle penhān kon ke hamcho chashm-e ṣorāḥī zamāne khunrīz ast 弊衣の袖の中に酒盃を隠せ

酒壺の目のごとく血を流す世の中だ(ガザル42)

bedānsān sūkht chon shamʻam ke bar man ṣorāḥī gerye-ō barbaṭ faghān kard 彼女は私を蝋燭のように燃やしたので 酒壺は泣き、竪琴は嘆いた(ガザル132)

(15)

15) 愛しい人の魅力的な眼差しに恋する者が血の涙を流す様子をハーフェズは次のように詠んでいる。

chashmat be ghamze mā rā khun khord-ō mī-pasandī jānā ravā nabāshad khunrīz(o) rā ḥemāyat

そなたの目は秋波でわが血を吸い、それに満足している

心よ、血を流すほどに恋焦がれる者の目を保護するなど許されない(ガザル93)

ghamze-yē shūkh-e to khūnam be khaṭā mī-rīzad forṣatash bād(o) ke khosh fekr(o) ṣavābī dārad そなたの艶っぽい秋波は過ってわが血を流す

秋波に公正な判断の機会が訪れますように!(ガザル120)

16) 「ラバーブ(胡弓に似た弦楽器)の調べ(naghme-ye rabāb)」(ガザル2)「竪琴の調べ(naghme-ye chang)」

(ガザル47)「笛とウードの音(naghme-ye ney o ʻūd)」(ガザル198)「竪琴とチャガーネ(チャイムやカ

リヨンのような打楽器の一種)の音(naghme-ye chang o chaghāne)」(ガザル236)という表現が見られる。

17) 韻律の点においては、ここでも第5ベイト同様、いずれも音節の組み合わせが同一(CVC+CV, 長音 節+短音節( ̶ ᴗ))の語である。

18) [Farzān, Moḥammad 1338/1959-60:591]

19) [Enjavī Shīrāzī, Seyyed Abol-Qāsem 1345/1966:Moqaddame, 94]

20) [Mallāḥ, Ḥoseyn-ʻAlī 20:753-758]

21) [Rajāʼī, Aḥmad-ʻAlī n.d.:226-241]

22) [Sūdī Bosnavī, Moḥammad; Sattārzādeh, ʻEṣmat(tr.) 1366/1987:229]

23) [ʻAlavi, Partow 1365/1986:89-90]

24) [Farzān, Moḥammad op.cit.,591]

25) [Enjavī Shīrāzī, Seyyed Abol-Qāsem op.cit.]

26) [Shafiʻī Kadkanī, Moḥammad-Reżā 1381/2002:12-14]

27) Ibid.

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(16)

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(18)

یلزغ حرش ( ظفاح زا

) ۹

یکاساس ونایآ

هجاوخ هک یزاریش ظفاح یامن مامت ۀنیآ شرعش

،تسا یناریا گنهرف

هک تسا هدورس ینیشنلد و نیریش رایسب تایلزغ خیرات لوط رد

و نیسحت دروم

دقت ی یسراف س نانابز

یهاگدید اب هجاوخ .تسا هتفرگ رارق ناهج هنافراع

، شرعش رد

هشیدنا نایب ار ییاه هدرک

هدنراگن رظن هب هک تسا

هیبش رایسب هشیدنا و تاداقتعا

یاه

نپاژ مدرم نیب جیار مه

.تسا

هدنراگن رد

: علطم اب ریز لزغ

تسبب وم رات یکی هب لد رازه تفلز هراچ رازه هار

تسبب وسراچ زا رگ

لزغ(

)۳۲

هک ثحب تیب ود لماش یم زیگنا

:دشاب

مخ نوخ هک یحارص درک همغن هچ برای هرعن اب

تسبب ولگ ردنا شلقلق یاه

عامس ۀدرپ رد هک تخاس هدرپ هچ برطم تسبب وه و یاه رد لاح و دجو لها رب

ید زا هاگد فلتخم یاه

، ب جوت اب صوصخ هب ه

« یحارص غرم »

و

« موسر و بادآ

عامس » ،ظفاح رصع رد هتخادرپ قیقحت هب

تسا هدرک یعس و دنا ات

راکفا و هشی

ار هجاوخ قیقد

رت

دبایرد

.

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