【論 説】
マーシャルにおける株式会社論と企業家像
西 岡 幹 雄
は じ め に
アルフレッド・マーシャルにおける企業家とは,内部経済と外部経済とを 巧みに組み合わせて企業組織をイノヴェーションに向かわせ,その結果とし て産業の内外の競争力を高め,ひいては成長によって国民経済の厚生を向上 させ,そしてそこから優れた人間を育成する「経済騎士道」的な精神をも提 供する,経済発展のヴィジョンにとって主導的な経済主体であると位置づけ ることができる1).彼の企業家像には,インプット領域(要素条件や関連産業 など)と,アウトプット領域(消費・需要条件や内外の地域・産業など)との間 の不均衡(ギャップ)を発見・調整し収益につなげて,新たな均衡に導くと いう役割だけでなく,競争優位(調整と効率)の仕組み,価値創造,そして企 業組織の参加者間での情報・知識の非対称性をめぐるガヴァナンスの論理な どへの言及を含みながら,市場経済の中で生き抜くための企業家特有の機能
(entrepreneurship)が強調されていた.
しかしながら,「株式会社の膨張」が著しい20世紀になっても,マーシャ ルは,なぜ資本家的企業家像にあえて企業家の典型を置くような記述にして いるのか.また1910年代の日本においてすでに関一(せき はじめ)が鋭く指 摘していたように,「ファイナンシャー」の役割が明確になるにつれて,企業
1) 西岡(1984);西岡(1997)第6章,参照.
家がさらに「生産消費の媒介者」「生産組織の指導者」そして「国民経済の整 調者組織者」として純化された2)にもかかわらず,マーシャルは「すべての 責任と統率」との関係を分離した企業家機能そのものに,企業家の立場を昇 華させようとはしなかったのか.換言すれば,マーシャルにとって株式会社 とは,企業家が編成しようとする人間,技術力,資金,そして知識情報の有 機的関係を展開させる経済組織として,どのような位置を占めているのだろ うか.さらに経済発展を急速かつ適正に促すと期待された企業家のライフ・
スタイルである「経済騎士道」と,労働者の生活モラルと国民所得増大との パターンである「生活基準」とを考慮したとき,経済社会における株式会社 の浸透はこの構図にいかなる影響を与えるのだろうか.
本稿では,マーシャルにおける経済発展の思想を考える上で,不可欠であっ たと思われる企業家像とこれを支えるような組織形態としての株式会社とは どのような関係で考えるべきなのかについて,彼のコンテキストに回帰して 考えていきたい3).またこれまでの近現代経済学の歴史,とりわけ一般均衡 論の中で,企業家は,「捨象できる」経済主体として扱われてきたがゆえに,
企業組織が株式会社形態に進展しても,それは「ファイナンシャー」や投資 家に対応する「傍流的経済主体」に留まり続けたが,経済厚生と経済発展の パターンとして,それがどの程度までヴィジョンの可能性をもちうるものな のか,マーシャルの株式会社論の展開を通じて明らかにしたい.
2) 「日本都市史上,最高の市長」(朝尾直弘他編,2000,第2巻,40ページ)と位置づけられて
いる関一(1873―1935)の経済思想の根幹には,企業家活動と経済集積論の関係,そしてこれがマー シャル経済学に対する関による理解にかかわっていることについては,すでに西岡(2013)で 明らかにした.またマーシャルの資本的企業家像については,西岡(1984)147ページ;西岡(1997)
第6章2;西岡(2013)2. 1などを参照.
3) マーシャルの企業家論と株式会社論についてはそれぞれ,かつて永澤越郎氏によって,『続マー
シャル経済学ノート』第四章と『続マーシャル経済学ノート 増補』補論Aの中で数多くの言及 が行われた.ただし,この2つの論考は,マーシャルの主要著作に限定して,各々の論考テー マに関係する箇所を抜き出して考察されているため,企業家機能と株式会社がいったいどのよ うな相互関係で,マーシャルの体系構想の中で位置づけられているのか.あるいはマーシャル の株式会社論の進展が彼の企業家論にどのような示唆を与えているのかといった諸点について は,さらに考えるべきところがあるように思われる.Cf., 永澤(1993) ch.4;永澤(1994) 補論A.
1 マーシャル初期草稿における企業家機能と株式会社論
株式会社が近代世界の中で大きな経済組織として勢力を増しつつあった状 況の中で,それが企業家機能とどのような関わり合いをもっていたかについ て,マーシャルの初期経済著作まで遡って,その学説と意義を考えていきたい.1. 1 「監督賃金」論における企業家機能と株式会社論
マーシャルの初期経済学論考の中で,株式会社(joint-stock company)をもっ とも早く取り上げたのは,経営指揮にともなう「勤労と手腕」に対する報酬 と企業家利潤とを扱った「監督賃金」論4)と題するノート(Marshall 1873a)で ある.「監督賃金」を構成するのは,「勤労と手腕」に対する報酬と企業家利 潤である.ただし,資本を所有していない企業家に企業経営が任されてしま う場合,企業家利潤の部分は,この企業家の「技量や誠意」について資本パー トナーが不確実な知識しかもっていないために被るであろう,リスクに対す る報酬(「人的危険」)および「事業上の危険」に対する引当として認識されて いた(Marshall, 1873a, I, pp. 207―212).逆にいえば,融資に頼らなくてもよい資 本家的企業者では,このような不確実性を克服するのに必要なコストが大幅 に節約できるために,「人的危険」引当に相当する資本家的企業者の収得額は,
指揮労働に対する報酬額をはるかに凌駕することを意味する.
「監督賃金」論段階での企業家機能論には,米国における株式システムのよ うな状況が意識しないで展開されているために,古典派経済学と同じように 株式会社と企業家論との関係は,経営者の背任行為,責任回避,株主を無視 した経営活動,そして革新的な事業への無関心といった点から評価され,株 式会社には消極的評価しか与えられていなかった.資本家機能をもたない企
4) マーシャルが企業家機能論を最初に扱った論稿として「監督賃金」論を挙げ,その着想をJ. S.ミ
ルから得ていたと見なすことは妥当であるが,その分析内容である企業家利潤が「ミルのいわ ゆる監督の賃金を非常に拡大かつ深化したもの」とシュンペーター的に解釈することは,後述 するように当を得たものではない.Cf. Schumpeter (1954) pp.893―894,訳,第5巻,1899ページ.
業家へのマーシャルのこうした低評価については,ホィテイカーがいうよう に,英国の有限責任会社制度の歴史の浅さにその原因を求めることはゆえの ないことではない(Whitaker, 1975, I, p. 205).実際,英国議会で株式経営に事業 会社として十分な法人格が認められるのは,「監督賃金」論が書かれるわずか 数年前の1867年のことであった.株式会社の法人格と株主の有限責任制の定 着が明瞭ではない「監督賃金」論段階では,企業家機能と株式会社を並行し て論じる基盤そのものが確固としたものとはいえない.
その意味で,マーシャル経済学の中での企業家機能と経営組織との関係は,
企業家がまず資金提供者に対して,どれだけ自らの事業の信頼性があり,確 実なものであるかをアピールするところから始まっており,「人的危険(personal
risk)」を介した借入資本に対するリスク・プロフィットに「監督賃金」論の
重点が置かれた.そのために,株式会社形態の下でのコーポレート・ガヴァ ナンスを保つためのプリンシパル・エージェント問題と企業家機能とはなお 密接な関連をもたらすには至っていないのである.ということは,生産要素 としての会社組織は,マーシャル経済学の出発点において,“joint stock”形 態といっていても,“private company”と本質的には変わらない存在―共 同出資で資本供給を主に担当して危険を負担する出資者が多数いるといった
partnershipを拡大した程度のイメージ―であったといえよう.そうである
ならば,経済組織として企業をマーシャルが考えたとき,これを率先して率 いる企業家機能とそれを簡便にする“private company”が重視される傾向に あり,後年のマーシャルが強調する「株式会社の組織の弾力性」の議論も,
彼の経済学の中では企業家論の従位の立場から分化される過程をたどったこ とは否定できない.
1. 2 経済学習作時代における株式会社に対する言及
英国経済に占める株式企業の大きさは,(マーシャルの上記の認識にもかかわら ず,実態として)1870年代以降,比重を増していく.しかし,彼自身告白して
いるように,彼の経済分析の中心は,アダム・スミス以来の伝統を引き,「J.S.
ミルによって完成された」と当時の人々から考えられていた古典派経済学の 価値と価格の理論を需給法則の観点に立って,「リカードゥやミルたちがおか したといわれる誤謬の多くはこの学説には本来かかわりのないもの」(Marshall, 1890a, p. 813; cf. Marshall, 1881, p.v,訳,xiiページ)であることを明らかにするこ とにあった5).その意味で,株式会社は,需給論で説明する経営稼得に派生 的に影響を与える最近の組織以上のものではなかった.
この間,マーシャルには,「労働諸階級の将来」(Marshall, 1873b),「ミル氏 の価値論」(Marshall, 1876),そして『国内価値の純粋理論』(Marshall, 1879)な どがあるが,それらの中で,株式会社と企業家との関係を取り上げた明示的 な箇所はない6).また人的資本蓄積をコアにした「新社会への進歩」ための 経済思想へ転換しようとした「アメリカ産業の諸特徴」という報告(1875年 11月17日,Marshall, 1925, p. 14)ですら,「トクヴィルの帰結がもつ基準(the standard of de Tocqueville's conclusion)」にあわせて,英国内・米国内のそれぞれ の移動原則に応じた,後年の「生活基準」に相当するコンセプトや協同組合 に対する追究はあっても,株式会社に対する言及を見ることはできない7).
2 『産業経済学』における企業家機能と株式会社
2. 1 『産業経済学』における株式会社の位置1879年公刊の『産業経済学』は,マーシャル夫人との共著とは言いながら,
実体的にはマーシャルが自らの執筆方針で取り組んだ最初の経済学書であっ
5) Cf. Marshall (1890a)「初版への序文」p. viii; Marshall (1925) pp. 99―100, 416; Marshall (1933) p.
221; Whitaker (1975) I, p. 98 etc.
6) これは『産業経済学』(1879年)以降になるが,「進歩と貧困に関する講義」(1883, Stigler
1969に所収)でも,稼得利子基金が大きくなればなるほど,生産要素のそれぞれの稼得分も大 きくなるという主張はあるけれども,これがいかに企業家機能と株式会社とに関連づけること ができるのかといった議論はない.
7) Marshall (1875) pp. 352―377.「アメリカ産業の諸特徴」がもつ意義については,西岡(2009)
52―59ページで取り上げた.
た.この著作の方針は,その序文で明らかにしているように,「ミルの『原理』
においてしかれた方針に沿って,価値,賃金および利潤の理論を組み立てよ うとする試みであり,現代の経済学者の業績の主要な成果を含むものになる」
ように,ケンブリッジとブリストルの講義からの体験をもとに価値と分配の 理論を再編することにあった(初版の序文).その意味で『産業経済学』は,マー シャルが十余年にわたって模索してきた,スミス以来の古典派経済学を価値・
価格論として,「正統化」できる需給法則として定式化する試みであった.
したがって,『産業経済学』は,正常価値と市場価値との区別や自由競争,
需給法則,そして価値と分配を説明することに重点がおかれることになるか ら,「ミルを利用して再統合できる学説」を「正常価値の法則」として「基礎 な統一的原理」(Marshall, 1881, p.v,訳,xiiページ)と見なすならば,企業家機 能やそのもとで作用する会社組織(株式会社)にはとくに多くの関心が寄せら れているようには思えない.事実,『産業経済学』のコアである第2編「正常 価値」で,株式組織を取り上げた箇所は見あたらない.
ただし,生産要因を主に扱う第1編「土地,労働および資本」第8章「分業」
の中で,「分業の法則」と「収穫逓増法則」との関係を考えるうえで,分業を 加速化する要因として,株式会社が取り上げられていることは注目に値する.
ということは,分業の増進による「社会の進歩」につなげていくうえで,「産 業の不確実性」という問題をどのように整理し,あるいは「収穫逓増法則の 道へつながる」要因の一つとして株式形態を考えるにあたって,株式会社を 重視したことにほかならない(Cf. Marshall, 1881, pp. 56-57,訳,70―72ページ). むろん,画一的な労働技能特化の行き過ぎ,単純労働の弊害,景況に伴う 地域間の労働移動の困難,あるいは産業転換の難しさなどが,分業を介して
「産業の不確実性」につながっていることは否定できない(Marshall, 1881, p. 56,
訳,70ページ).しかし,「収穫逓増」傾向を促進する「社会の進歩」を支え る分業とそれを阻害する「産業の不確実性」との関連を考えた場合,本稿第 1章の習作論考以来マーシャルが抱えていた「人的危険」をいかに回避して,
コーポレート・ガヴァナンスを保つためのプリンシパル・エージェント問題 や,リスク・プロフィットにまつわる事業遂行と借入資本供給の制約とのリ スク解決も,分業と株式組織の展開にとって,テーマにならないはずはない.
またそうでなければ,今後,企業家機能と「社会の進歩」とを結びつけて経 済発展を想定する前提すら形成されないように思われるからである.
その意味で,「分業と機械の特殊化の利益が,極限に達している産業分野が かなりある」が,「このような変化の一部は,巨大な資本額を扱う企業の成長 が容易になった最近の傾向によっている」(Marshall, 1881, pp.54-55,訳,68―69ペー ジ).このことは,「分業と機械の特殊化の利益」が法人格と株主の有限責任 による投資と企業との分離によって部分的に実現され,『産業経済学』の記述 によれば,「大資産家の数が最近急増し,また有限責任法が金持ではない者や,
多分事業のための時間的余裕を持ちあわせていない者に,全財産を失う恐れ なしに,大きな事業の株式を取得することを可能にした」(Marshall, 1881, p. 55,
訳,69ページ)ことから生じたものである.ここでマーシャルがいう「有限責 任法」とは,「監督賃金」論段階では定着するに至らなかった1862年通過の「一 会社がその名称のあとに『有限(Limited)』と記載することにより,株主に対 し,倒産に際しその株式の額以上の損失を蒙らないことを保証することを可 能にしている諸法」(Marshall, 1881, p. 55n,訳,69ページ)のことである.この「有 限責任法」こそ,「ほとんどあらゆる事業分野に巨大会社を形成させた」フレー ムワークであり,「ロンドン・アンド・ノース・ウェスタン鉄道会社」のよう に,「その名が歴史において大きな位置を占めている国々の多くが蓄積した全 財産よりも,大きな資本を操作」(Marshall, 1881, p. 55,訳,69ページ)できる経 済組織を可能にしているものにほかならない.
このように『産業経済学』では,資本額増加に伴う投資と企業との矛盾は,
株式会社の法人格と株主の有限責任制によるリスク・プロフィットによって 改善された.しかし他方で,両者の矛盾は,分業を介したもう一つの「産業 の不確実性」を顕示化したという.それは,“法人格と株主の有限責任制”が「単
一の商事会社が,型通りに処理でき,なんら大胆な企業心や,単一個人の素 早い決定を必要としない事業を運営して,しかも利益をあげることのできる 富の額には,まったく際限がないようにみえる」けれども,「資本集中のこの 大きな傾向は,処理せねばならぬ事務量や処理法が多様に増加しつつあるこ とにより,障害をうけている」(ibid.)ということにある.言い換えれば,株 式会社方式は,「組織の弾力性」やこれが扱う「範囲の広域性,普遍性,そし て便宜性」のうえで,きわめて硬直的な産業諸部門に効果が限定されている と想定され,「すべての責任や統率」が集約されている形態に比べれば,すな わち企業組織をイノヴェーションに導き,投入部門と産出部門とのギャップ を調整し,企業内外の利害と非対称性のガヴァナンスの論理を調停して,市 場経済の中で価値創造への仕組みを作り上げる企業家機能と親和力ある組織 形態であるとはとても評価できないからである.
それゆえ,「人間の欲望の多様さの増大と,それを適える発明という資源の 増大」という「社会の進歩」を積極的に支えるためには,“法人格と株主の有 限責任制”を取り入れた株式会社を分業の論理に組み入れても,「旧い既成の 産業に対する補助産業が次々に勃興しつつあり,またそれらの産業が基盤を 確立すると,他の産業がそれらを補助するために,姿を現わしている」とい う集積に支えられたものを等しく取り入れないと,「社会の進歩」のための「収 穫逓増法則の道をつなげる」ことは難しいであろう(Marshall, 1881, pp. 55, 57,訳,
69, 71ページ).
このことは,『産業経済学』を通観した場合,株式会社に関していえば,「ミ ルを利用して再統合できる学説」である正常価値の法則を支えるために,分 業の進展の一環として「有限責任」によるリスク・プロフィットに利用され ることができるようになっても,ルーティン的な硬直的産業部門に限定され る地位にとどまった.『産業経済学』における株式会社とは,正常価値の法則 に背馳することなく,副次的なもの以上に位置づけられる組織形態ではなかっ た.この意味で,『産業経済学』の段階では,経済環境に順応して,産業と市
場とを媒介しながら,経済発展と人間社会の進歩の基調を形作る企業家像と,
株式会社という硬直的に限定されて捉えられた組織形態との間で,大きな断 絶があったというべきであろう.
2. 2 『経済学原理』以前の株式会社論と企業家
『産業経済学』が出版された直後,マーシャルは,ジェヴォンズに対して,
「価値と分配の理論の統合」に成功したという自負を,「この2年間にわたって,
私も相当な研究や著作を行うために実際的な仕事をしてきました」(Marshall,
1925, p. 371〈1879年6月30日付〉)という形で伝えていた.そしてその成果として,
マーシャルが,ジェヴォンズ,フォーセット,バジョット,クリフ・レスリー とならぶ主要な英国経済学者として国内外に知られるようになった.このこ とが,マーシャルをケンブリッジに経済学教授として迎えられる契機になっ たことも事実である.1885年2月のケンブリッジ大学経済学教授就任講演『経 済学の現状』(Marshall, 1885a)によって,マーシャルがスミスからJ. S.ミルに 至るまでの「旧派の経済学」(古典派)に代わる「新しい学派の指導者」であ るとみなしうる反響を得たことも確かである(西岡,1997,106, 112ページ).マー シャルに対する内外の評価に呼応して,国際統計学会(1885年)や協同組合大 会(1889年)における基調報告,そして社会経済的著作・雑誌に対しては寄稿 などを依頼されるようにもなった8).
企業家機能と株式会社については,1880年代において活発化しつつあった 合併(M & A)や独占的産業の成立の兆候(トラスト)の関連で,どのように編 成すべきかという課題の一環として,言及すべきであったであろうし,米国 経済学者を中心に『クォータリー・ジャーナル・オブ・エコノミックス』の 創刊に伴って,『産業経済学』の価値と分配の理論の統合の構想をめぐる諸反
8) 国際統計学会や協同組合大会に対してはMarshall (1885b); Marshall (1889)があり,寄稿に関し てはL.L. PriceのIndustrial Peace, 1887に対する序文をはじめ,Marshall (1887a); Marshall (1887b) などを挙げることができる.
応―コスト理論,賃金基金説と混同されるような表現ではない「国民分配分」
論ないし「国民所得」論との関係,あるいは利子と経営者所得に応じた準地 代と時間概念―にも関係したであろう9).
『産業経済学』出版以降,『経済学原理』に至るまでの,マーシャルの企業 家機能と株式会社とに対する言及によれば,たとえばプライスの『産業平和』
(1887年)の序文に記された,産業上のもしくはコーポレート・ガヴァナン ス上の公正,正常や仲裁などによる報酬決定に際して組織調停者の役割を誰 が果たすのか(Marshall, 1887a),あるいは協同組合大会(1889年)での大会会 長の報告として述べられた「イングランドが二つの国民―富裕者と貧困者
―に分割されている」現状にあって,株式会社は協同組合と並んで,経済 システム内部から,「もっとも強力で,有能で,企業心に富み,先見の明があ り,勇敢で,最良のもの」を,英国社会に還元できる源である.またそれは「き びしい階級制度」と「希望と,功名心と,自由競争の作用する余地」とを架 橋できる「人間の進歩にとって,私たちの考えることができるかぎり,必要 な条件」を備えた組織であるという強調(Marshall, 1889, pp. 237―238,訳,232ペー ジ)がなされていた.とくに,協同組合大会での「協同組合」論では,資本 調達額と株式に応じた報酬配分の原理では協同組合と株式会社とは異なるも のの,株式会社は,経営組織として,民主的「昇進制」と組織内のモラルの 向上の側面,ガヴァナンスの公開性,そして企業指導における集団性という 点では協同組合と重なり合う.しかも国民経済を構成する経営組織として評 価した場合,株式会社は,private companyや集権的な多くの政府系企業との 競争・効率,知略と発明力,開業と淘汰のうえで,すぐれたものと期待でき るし,ガヴァナンスの観点からいえば組織内部・国民経済内部における,労 資間,雇用者・被雇用者間に関して,利潤分配制・組織余剰配分のうえでも,
株式会社のフレームと運営方法は評価できるものであった(Marshall, 1889, pp.
9) この間の事情については,西岡(1987a);西岡(1987b)および西岡(1997),第4章4で詳
述している.
241,243―245,252-253,訳,236,239―241,252―253ページ).
とはいえ,マーシャル経済学が当初目的としていた「価値と分配の理論の 統合」の構想は,『経済学原理』を執筆するにあたっても,原則的に変わるわ けではなく,したがって企業家機能と株式会社とが経済分析で果たす役割も,
経営指導者および“法人格と株主の有限責任制”を前提にした市場経済を,もっ とも利用できる組織形態以上のものではなかった.つまり,企業家機能と株 式会社とは,『産業経済学』に引き続いて『原理』初版でも,正常性の分析を 精緻化しようとするマーシャルにあって,なお検討を要するテーマであった.
3 株式会社の「組織の弾力性」と『経済学原理』の充実
3. 1 『経済学原理』における株式会社の本質と運営『経済学原理』(1890年)(以下では『原理』と略称する)公刊当時の大きな特徴は,
一方では,『産業経済学』以来の「需給均衡の一般理論こそが分配と交換の中 心的問題の種々の部門のすべてにわたって貫流している基礎理念」(Marshall,
1890a, p. viii,訳,第1巻,5ページ)であるという正常性の立場を堅持しつつ,
他方では“reality and fact”を通じてマーシャルが得た知識を応用して,いわ ゆる「大数の法則の条件」の下で,経済現象が究極的に効果を現すまでの「正常」
期間は,それまでの「現前の偶発的事項が優勢な影響を及ぼしている」非正 常期間との「両者の間では越えがたい断層はない」し,「正常な価値と,『流 動的』『市場的』ないし『一時的』な価値との間にもそのような線は引けない」
(Marshall, 1890a, p. vii,訳,第1巻,3ページ),すなわち正常価値にいたるまで需 給均衡を,一時的,短期正常,そして長期正常という形で,価格と分配のフレー ムワークを組み替えたことにあろう.これにしたがって,生産要因論も分配 所得論も,あるいは企業家機能や株式会社もまた,これらの下での分配の説 明とそれらの派生的影響とに関しても筆を加えられた.
そこではまず,企業家機能と株式組織の発達について,第4編第12章「産 業組織と企業経営」の観点から,どのような状況を経済社会にもたらしたの
かが,これらの本質と運営方法の得失とにしたがって,展開されてゆく.
株式企業については,「協同の原理」,「中産階級が存在せず,比較的少数 のきわめて富裕な人々が存在」,「訓練された奴隷と自由民の力を借りて,国 の内外において,陸上および海上における大規模な契約を引き受けることを 可能」にし,「資本を憎むべきものにしたが,しかし同時にそれを強力かつ効 率的なものにした」こと,「金貸しの方法を発展」,「ローマ帝国の統一とロー マの言語が広く用いられたことの幾分かは結果として,ローマ帝国の時代の 文明化された世界を通じて,ある点では現代以上に自由な通商と自由な移動 が存在した」ことなどの観点から,「ローマ人の才能と気質は株式会社の運営 にとくに適していた」(Marshall, 1890a, pp. 730―731,訳,第1巻,219―220ページ)
と評価された.また「中世の終り頃から現在にいたるまで,その持分が,関 係者全員の許可なしには移転できない私的会社から,公開の市場で何人にも 売ることのできる株式会社」は,「私的会社」からの派生として把握された
(Marshall, 1890a, p. 301,訳,第2巻,244ページ)ため,株式会社の起源において もそのあり方においても,“構成員とは別個独立の法人格を有する会社として の責任と出資元本の部分的割合の所有者の見地から企業統治の利害関係をも つ企業形態”と規定づけられた.このような株式会社に対する思考過程は,“法 人格と株主の有限責任制”そのものを対象にするというよりは,むしろスミ ス=ミル以来の伝統をふまえた,単一の結合資本(joint-stock)として企業を 経営する共同組織のフレームの中に組み込まれた,ないしはその土台の上に 築かれたパートナーシップ的なassociationの一種として,書き進められたこ とを意味する.
このことは,株式会社が企業形態論的側面よりも,「すぐれた企業の才能を 持ちながら重要な企業機会を相続しなかった人々に対して,魅力のある活動 の領域をしばしば提供する」(Marshall, 1890a, p. 298,訳,第2巻,239ページ)と いう記述を見れば,株式会社とは「創意心(initiative)」に富む人々に“企業活 動の場を広げることができる”要因が重視されていたと言うべきであろう.「こ
れまでわれわれは,すべての責任と統率が一個人の手中におかれる形態をほ とんど専ら対象として来た.しかしそのような形態は,最高の権威が,数人 の協力者ないしは多数の株主の間に配分されている他の形態に,その地位を 譲りつつある.私的会社と株式会社,協同組合と公共企業体が,企業経営に おいて占める比率はたえず増大しつつある」(ibid.,)という指摘とを考え合わ せてみれば,株式会社とは企業家機能を「世襲」に依拠することなく,“新た な活動者を引きつける生産要因にすること”にあった.
したがって,「すべての責任と統率が一個人の手中におかれる形態をほとん ど専ら対象として来た」資産保有としての資本と活動者としての企業との統 一体は,事業能力の劣化を生みだしやすく,そのためにその新陳代謝を必要 とするが,『原理』では,株式会社は,事業能力の劣化を防ぎ,企業家能力の 代謝を促進するシステムとして強調された.
「企業家は世襲的階級を形成することはない.彼らの才能と嗜好がつねに相続され るとは限らない.・・・・・・ しばらく経つと,なんらかの方法で新たな血液が導入され なければならない.・・・・・・ しかし大多数の場合には,彼らの子孫たちはより短い道 程によってそのような結果に到達する.彼らは,自ら努力することなしに入ってく る豊かな所得の方を,たとえ2倍の大きさの所得であっても,たえざる労苦と心配 によって始めて稼得できる所得よりも選好する.それゆえ彼らは私人か株式会社に 企業を売り渡す.ないしは休眠社員となり,経営に参加することなしに危険と利潤 の分前にあずかる.いずれの場合にも,彼らの資本に対する積極的な支配は主とし て新しい人物の手に帰する」(Marshall, 1890a, p. 300,訳,第2巻,242ページ).
事業に伴うリスク・プロフィットと不確実性回避の観点から,企業家の子 孫たちが,「私人か株式会社に企業を売り渡す.ないしは休眠社員となり,経 営に参加することなしに危険と利潤の分前にあずかる」(ibid.)と述べられて いる所有と企業の分離こそ,株式会社に委託された帰結である.言い換えれば,
株式企業は,資産保有としての資本と活動者としての企業との統一体に制約 されることなく,企業家機能を発揮することができる経済制度でもある.
3. 2 株式会社の弾力性と広域性
Associationの伝統をさらに進展させ,パートナーシップ的な企業形態の阻 害になっていたリスク・プロフィットと不確実性との関係を一新できるフレー ムワークが株式組織である10)とすれば,これによって『原理』の「産業組織 と企業経営」の中での株式会社は,経済社会にどのような効果をもたらし,「広 範な一般的知識と健全な判断力に貢献すること」が期待されているのであろ うか.
こうした株式会社の政策的導入とその効果がもたらす働きについて,マー シャルは次のように述べている.
「彼ら[株主]は,企業を企画し,全般的な政策を統制する上で,積極的な役割 を多く果すことはない.また株主は細部にわたって監督することはない.株式会社 が最初の発起人たちの手を離れたのちには,その支配は取締役に主として委ねられ る.会社が非常に大きな規模である場合には,彼らはおそらく株式の極く小部分し か所有しておらず,また大半のものは,遂行される仕事について技術的な知識を多 く持ってはいない.彼らは一般に全時間を割くことを期待されているわけではない.
しかし彼らは,その政策や広い範囲にわたる問題に対して,広範な一般的知識と健 全な判断力によって貢献することを期待されている.それと同時に,会社の『支配 人』(managers)がその仕事を完全に遂行していることを確認することを,期待さ れる.企業を企画する仕事の大きな部分と,監督する仕事の全部が,支配人たちと 彼らの補助者たちに委ねられる.彼らは資本を提供することは何ら要求されず,彼 らの熱意と才能に応じて,低い地位から高い地位へ昇進するものと想定されている」
(Marshall, 1890a, p. 302,訳,第2巻,244ページ).
10) Cf. Marshall (1890a) p. 302,訳,第2巻,244ページ.
このことは,「すべての責任と統率が一個人の手中におかれる形態」でなけ れば発揮することができなかった企業家に代わって,「広範な一般的知識と健 全な判断力によって貢献することを期待されている」企業家機能本来の事業 判断と,「株式の極く小部分しか所有しておらず,また大半のものは遂行され る仕事について技術的な知識を多く持ってはいない」としても,「企業を企画 する仕事の大きな部分と,監督する仕事の全部が,支配人たちと彼らの補助 者たちに委ねられる」企業業務・管理部門のスタッフ判断とに,分化させる ことができるようになったことを意味する.その結果として,株式会社では コーポレート・ガヴァナンスに参加する人々の「熱意と才能」の分化が明確 にされ,分化の進行が組織内部での「公開性」と「昇進性」とを確保するこ とになる.またこのことによって「すべての責任と統率が一個人の手中にお かれる形態」以上の企業家能力の総体が株式会社に提供されることになる.
したがって,
「株式会社は大きな弾力性(great elasticity)を持っており,遂行される仕事が広範 な領域を提供する時には,際限なく拡大することができる.またほとんどあらゆる 方向に進出している.・・・・・・ しかし彼の地位は,彼の補助者が彼の利益に忠実に注 意深く貢献しているか否かについて,直接判断を下す力を持っていることによって,
安全に保たれている.・・・・・・ もし彼らが依怙ひいきをして,無能な縁故者や友人を 昇進させるならば,あるいは怠惰になったり,仕事をさぼったりするならば,ない しは最初昇進させた例外的な才能の予想が満たされない場合には,間違いを発見し て,正すことができる.
・・・・・・ 取引における道徳性の進歩は,営業上の秘密の減少とあらゆる形態の公開 性の増大に助けられて,過去におけるのと同様,将来においても継続すると期待し てよいあらゆる理由が存在する.またそれゆえに企業経営の集団的かつ民主的な形 態は,これまで失敗した多くの方向においても,安全に展開できるかも知れない.
また出生の利益を持たない人々に対して,これまでも大きな活動の場を提供してき
た重要な貢献を,さらに一段と高めるかもしれない」(Marshall, 1890a, pp. 303―304,訳,
第2巻,245―246ページ).
このように整理すれば,「株式会社は大きな弾力性」をもっており,運用範 囲を想定すれば,「遂行される仕事が広範な領域を提供する時には,際限なく 拡大することができ」て,「魅力のある活動の領域」を提供できることになる.
言い換えれば,資本利用に対して企業組織の成長がさらに「大きな弾力性」
をもち,組織が適用される「活動の領域」・「大きな活動の場」は,広域性と 普遍性をもちうる.
したがって,企業家機能はより特化され,「これまで失敗した多くの方向に おいても,安全に展開できるかも知れない」,「また出生の利益を持たない人々」
に対して,資本の調達もより円滑に容易に,行われることであろう.またそ のためのコーポレート・ガヴァナンス内での「公開性」と民主的な内部昇進 性も確保されるから,「無能な縁故者や友人を昇進させるならば,あるいは怠 惰になったり,仕事をさぼったりするならば,ないしは最初昇進させた例外 的な才能の予想が満たされない場合には,間違いを発見して,正すことがで きる」,つまり「取引における道徳性の進歩」「商業上の問題おける正直と廉 直の精神が最近すばらしく発展したことの強力な証拠」そして「民主的な企 業の組織の発展」を,株式会社に見ることができるのである.
しかしながら,株式経営の弾力性と広域性は,市場と国民経済の発展に伴っ て,「魅力のある活動の領域を提供」してきたが,その対極として,
「主要な危険を引き受ける株主の側が,企業の十分な知識を欠いているという点 では,一つの重大な弱点の源泉が存在する.大規模な私的企業の長も,企業の主 要な危険を引き受けながら,細部の多くのことは他人に任せることは事実である.
・・・・・・
少数の大株主はしばしば何が起りつつあるかを見出すために努力し,企業の経営
の全般に対して有効で賢明な支配を行うことができるが,株式会社の株主の大集団 は,少数の例外的な場合を除いて,これらのすべての問題においてほとんど無力で ある」(Marshall, 1890a, p. 303,訳,第2巻,245―246ページ).
マーシャルにとって,株式企業も,associaitionないしpartnershipを拡大し た経営組織である以上,法人格と株主の有限責任が定着したとしても,それ 以前に,「人的危険」を回避して,コーポレート・ガヴァナンスを保つための プリンシパル・エージェント問題とリスク・プロフィットにまつわる事業遂 行と資本基盤との不確実性は,リスク・プロフィットを免れるものではない.
むしろ,株式経営の弾力性と広域性が市場と国民経済の発展に伴って拡大す ればするほど,(「主要な危険を引き受ける株主の側が企業の十分な知識の欠如」して いる状況,そして「株式会社の株主の大集団は,少数の例外的な場合を除いて,これら のすべての問題においてほとんど無力である」などを考慮すれば,)こうした株式経 営が備えた「大きな活動の場」が,プリンシパル・エージェント問題特有の リスク・プロフィット遂行に伴う事業コントロールを乖離させ,株式企業の 経営効率との間で矛盾を拡大させる恐れがあると明確に指摘しているのであ る.
したがって,株式経営の弾力性と広域性と,プリンシパル・エージェント 問題・経営効率との間で,イノヴェーションとガヴァナンスの論理が相反す るため,
「大株式会社の管理の問題には多くの複雑な問題が含まれていて,ここでは立ち入 ることができない.これらの問題は緊急な問題である.なぜなら最近,きわめて大 規模な企業の急速な増加が(一般に想像されているほど急速ではおそらくないよう であるが)見られるからである.この変化は,主として製造業と鉱業,輸送業と銀 行業において,きわめて大規模な資本以外には到達不可能な過程と方法の発展によっ て,また市場の範囲,機能および大量の財を取り扱う技術的便宜の増大によって,
もたらされたものである.政府企業における民主的要素は最初はほとんど完全に活 気に溢れたものであったが,しかし経験の示すところによれば,企業技術と企業組 織における創造的な考案と実験は,政府企業においてはきわめて稀であり,また民 間企業であっても,年齢が高くなり,規模が増大するにつれて官僚制的な方法に堕 した企業においては,きわめて一般的であるというわけに行かなくなるのが普通で ある.それゆえに,より小規模な企業の持つ活発な創造性を発揮できる産業の領域 が狭くなることによって,新たな危険に直面している」(Marshall, 1890a, p. 304,訳,
第2巻,247ページ).
と,主張されているように,「製造業と鉱業,輸送業と銀行業におけるきわめ て大規模な資本」であっても,「企業技術と企業組織における創造的な考案と 実験(creative ideas and experiments in business technique, and in business organization)」 は,「年齢が高くなり,規模が増大するにつれて官僚制的な方法に堕した企業 においてはきわめて一般的であるというわけに行かなくなるのが普通」であ ることから生じる.企業家機能を量的にも領域的に制約してきた「すべての 責任と統率が一個人の手中におかれる」企業形態を脱して,「市場の範囲,機 能および大量の財を取り扱う技術的便宜の増大」にも対応できるはずであっ た株式経営の弾力性と広域性は,「より小規模な企業の持つ活発な創造性を発 揮できる産業の領域が狭くなること(the narrowing of the field of industry which is open to the vigorous initiative of smaller businesses)によって,新たな危険に直面し ている」という.つまり,産業経済のあり方如何では,逆方向への展開さえ はらんでいる.創意と活力に富む企業家精神の広がりに対して,株式会社の 可能性を説いているはずの『原理』においてもなお,事業能力の劣化を防ぎ,
企業家能力を新陳代謝させる促進的な仕組みが完全ではないために,株式企 業以上の期待が活気に溢れた資本家的企業家にかけられ,スミス=ミル以来 の銀行業,鉱業,水上輸送,鉄道や「運河,船渠または橋渠を所有する会社」
などのような硬直的な産業部門に株式会社形態が定着しがちであることも否
定できなかった11).株式会社には,「株式会社が自らの不活発さのゆえに,特 別な資質」がまずコアとして先在させておく重要性も,マーシャルにとって は必須であった12).
株式会社のあり方が,このように,企業家能力と「活発な創造性を発揮で きる産業の領域」から評価される側面があるとすると,
「同じことは中央および地方の政府の企業 についてもいうことができるかもしれな い.政府企業もまた偉大な前途を持っているかもしれない.しかし現在までのとこ ろでは最終的な危険を引き受ける納税者が,政府の仕事に対して有効な支配を及ぼ すことに一般に成功していない.また私的企業において示されるのと同じ大きさの 精力と企業心をもって仕事を遂行する役人を確保することにも成功していない.政 府企業のみならず大株式会社の管理の問題には多くの複雑な問題が含まれている」
(Marshall, 1890a, p. 304,訳,第2巻,246―247ページ).
したがって,プリンシパル・エージェント問題,経営効率や企業家的イノ ヴェーションとガヴァナンスとの矛盾などの点では,(「資本家的企業家」)対(大 規模で硬直的な官僚的経済組織である株式会社・政府企業)というカテゴリーで,
11) Cf. Marshall (1890a) p. 612,訳,第4巻,154ページ.株式企業が,“銀行業,鉱業,水上輸送,
鉄道や「運河,船渠または橋渠を所有する会社」などのような産業に株式会社形態が定着しが ちである”ということを裏返せば,マーシャルの的確な指摘は,ヘッジースが指摘するように,
「銀行,保険会社,有料道賂,および運河の設立発起」に関して,株式会社は「公共の利益の ための私的企業」としての歩みをもっていたということにほかならない(Hedges, 1968, ch. 9).
12) マーシャルがとくに,株式会社には,「自らの不活発さのゆえに,特別な資質」を求めると
いう姿勢を堅持していたのは,もう一つの見方,たとえば,チャンドラーの『経営者の時代』
にしたがえば,「彼ら[商人たちや企業家]が株式会社制度の採用にはじめて踏み切ったのは,
銀行や有料道路,それに運河を建設して金融と輸送のサービスを改善するために,大量の資本 をプールすることが有利であると気づいた」ゆえであった.したがって,ヘッジースもいうよ うに,「株式会社を,『公共の利益に役立つ私的企業』と彼らが考える組織に適した法的形態」
と捉えたために,「彼らは,この制度を,利潤追求のための商業的活動を助ける,その本質に おいてまったく専門化した補助的サービスの手段として利用」したにすぎない側面があったと もいえる(Cf. Chandler, 1977, p.47; Hedges, 1968, ch. 9).
経済社会的な評価軸を設定しても無理なものとはいえない13).
ということは,資本調達方式と株式に応じた報酬配分の原理では,株式会 社と協同組合とは異なるものの,経済組織として等しく,民主的「昇進制」
と組織内のモラルの向上の側面,ガヴァナンスの公開性,そして企業指導に おける集団性という点では,協同組合は,創意と活気に溢れた資本家的企業 家よりも,むしろ株式会社との方が親和性が濃い(Marshall, 1890a, Bk.4, ch.12,
§10).
このように,株式会社をたんに生産要素としてではなく,経済組織という 大きな経済社会カテゴリーの中では,メリットとして,
(1)資本額増加に伴う投資と企業との矛盾を,“株式会社の法人格と株主の 有限責任制”によるリスク・プロフィットで改善し,「組織の弾力性」やこれ が扱う「範囲の広域性,普遍性,そして便宜性」によって,“資本家的企業家”
が直面していた企業家的機能の限界や資本的制約を緩和したこと.
(2)株式企業の本格的導入と企業家的能力のさらなる純化が,内部組織で の民主的「昇進制」と職員の能力活用につながり,そのことが組織内のモラ ルの向上の側面,ガヴァナンスの公開性,そして企業指導における集団性と いう点で,協同組合と並ぶ,経済組織を生みだした.
(3)このことは,株式会社が政府系企業の大規模・集権的性格にもかかわ らず,硬直的な組織形態にある程度の弾力性をもたらし,組織内部・国民経 済内部における労資間・労使間に利潤分配制や組織余剰配分のうえで円滑に 運用できる可能性を与えた14).
しかしながら,株式会社のこうしたメリットは同時に,デメリットとして,
(4)株式経営による「大きな活動の場」や「魅力のある活動の領域を提供」
13) プリンシパル・エージェント問題,経営効率や企業家的イノヴェーションとガヴァナンスと の矛盾などといった姿勢から,株式会社と政府企業とを同一の側面で考えるというマーシャル の視点は,株式会社の歴史の流れの中で,「この法人組織に地方の資本をプールすることでは そのサービスをまかなうのに不十分なときには,商人たちはちゅうちょなく,公共の資金から の出資を求めた」という含意も包括されていると考えられる(Chandler, 1977, p.47,参照). 14) Cf. 西岡(1984);西岡(1997)第6章.
の拡大が,プリンシパル・エージェント問題・経営効率との間で,イノヴェー ションとガヴァナンスとの間で調整できない側面も伸張させてしまうこと.
(5)その結果,株式会社は事業能力の劣化を防ぎ,企業家能力の新陳代謝 を促す完全なフレームが作り上げられず,スミス=ミル以来の硬直的な産業 部門にそれが陥りがちであったことは否定できなかった.
(6)このことは,創意と企業心に富む企業家像に関して,“資本家的企業家”
に過度な期待がかけられ,その反面,株式会社は社歴が長くなるにしたがって,
それが「民間企業であっても,年齢が高くなり,規模が増大するにつれて官 僚制的な方法に堕した企業」になりかねないという強調につながったといえ よう.
3. 3 株式会社形態の拡大と企業家能力の成長
以上のように,株式会社に対する『原理』における認識の深化は,「組織の 弾力性」やこれが扱う「範囲の広域性,普遍性,そして便宜性」を拡張して もなお,その功罪があることがわかる.けれども,企業家能力を刺激して“活 動の場を広げることができる”株式企業の拡大は,総体として,コーポレート・
ガヴァナンス内での分業と特化による利益拡大を可能にさせるものとなろう.
そして,協同組合において典型的であった組織内での「人的資本」蓄積と最 良の事業管理,そして「道徳性の進歩」に相当する「彼ら自身の金銭的な利 害と,彼ら自身の企業の成功に対して持つ誇り」をもつ自尊心を株式組織に 組み込めば,「とくに株式会社が,多くの産業の分野で急速に拡大しつつある」
ことを促進し,さらに産業と人間の進歩とを発展に導く可能性をもった組織 であった.
この結果,「木々の成長について述べたことは,企業の成長においても,停 滞することはあっても死亡することのない最近の大株式会社の発展以前に は,一般原則として作用した」企業のライフサイクル仮説は,「今日において は,そのような法則はもはや普遍的ではない」として否定されることになっ
た(Marshall, 1890a, p. 316,訳,第2巻,263ページ).そのことは,「企業の指導 権」が「精力と創造的な才能に恵まれることがより少ない人々の手に移るこ と」により,創意と活力に富む企業家的機能はより純化され,「魅力ある活動 の場を広げる」ことができる「株式会社に組織替えをするとすれば,分業と 専門化された熟練と機械の利用の利益を持ちつづけることができる」(Marshall,
1890a, p. 316,訳,第2巻,263―264ページ)ことがさらに強調できた.
しかし,同時に,初期著作以来抱えてきた,リスク・プロフィットにまつ わる事業コントロールとイノヴェーティブな企業家機能との間の内部調整は,
株式経営の弾力性と広域性が展開されるに至った『原理』でも難しいため,「弾 力性と発展力の多くが失われるために,より若いそしてより小規模な競争相 手との間の競争において,もっぱら優勢な立場に立つということはできない であろう」(Marshall, 1890a, p. 316,訳,第2巻,264ページ),すなわち事業能力 の劣化を防ぎ,企業家能力の新陳代謝を促す枠組が株式企業であっても十分 ではないために,これまでの英国経済学説が懸念してきた,株式会社形態が 硬直的な産業部門に陥りがちな性格をもつということを否定するものではな かった15).
株式会社には分業化と特化の経済をさらに徹底していくための支配的な組 織になる可能性があっても,産業経済の総枠をなす「分業と統合」の体系に おいてこのことは,収穫法則・外部経済とのさらなる増進として規定される ことになることを意味した.初期著作以来堅持されてきた収穫法則は,『原理』
の中で株式会社の意義が強調されても,その枠組は維持され,「大規模生産の 内部および外部の両経済がどの程度展開しているかを知るために考察」でき る組織形態と位置づけられた.「創意心」に富む人々に“企業活動の場を広げ る”ことができ,国民経済をイノヴェーティブな発展に導く組織基盤を提供
15) ただし,ハートがいうような,「マーシャルには,株式会社が事実上,多くのその進歩力を
失いそうであったことを示唆した」(Hart, 2006, pp. 402―403)ということは,本稿が強調する,
株式会社形態の伸張には企業家能力や人的資本をもパラレルに広げる側面もあるという重要な マーシャルの視点を過小評価している.
できる株式会社も,マーシャル経済学が保持し続けた「分業と統合」,収穫法 則,そして内部経済と外部経済の中で関係づけられる経済主体にほかならな かった.
3. 4 株式会社と国民分配論
『原理』の生産要因編で捉えられた企業家と株式会社との関係は,マーシャ ルが当初から持ち続けてきた市場における需給の自由な作用や収穫法則を基 軸にしながらも,“法人格と株主の有限責任制”の定着によって,創意と活力 に富む企業家的機能がより純化され,株式会社でも革新的な経済発展と“企 業活動の場を広げる”ことができるというものであった.しかし,このこと は資本,賃金や地代などの要素稼得や組織収入が集まって構成される国民分 配それ自体が意義をもって,企業家と株式会社との関係として国民経済レベ ルで扱われる必要を生みだした.その意味で,『原理』第6編で登場する企 業家と株式会社とは,国民分配論全体の中で取り上げられるべき問題であり,
同時にそれは,企業家と株式会社との関係も,「有機的成長」というマーシャ ル経済学の特有性の中で特徴づけられることとなる.
「現代の世界においては,その多くのものが,自らの資本をわずかしか持たない私 的な雇主や株式会社の職員によって,産業という大車輪の軸心の役割を担っている.
資本の所有者と労働者の利益は,彼らに向って放射され,また彼らから放射される.
そして彼らは全体を強固に掌握している.それゆえに,本研究の第二巻に譲ってあ る雇用と賃金の変動の議論においては,彼らは支配的な役割を果すであろう.また,
本章につづく8つの章に述べられる,労働と資本と土地にそれぞれ特有な需要と供 給の作用のし方における,副次的な特徴に関する議論においても,支配的ではない としても,顕著な役割を演ずるであろう」(Marshall, 1890a, p. 544,訳,第4巻,60ペー ジ)
という『原理』第6編第2章「分配の予備的な展望,続論」で記された言葉は,
企業家と株式会社との問題が国民分配との相互依存からも規定されると解釈 したい.
「有力な株式会社が内部的な調和を保ちながら運営されており,株式取引所 における投機的な冒険や,競争相手の崩壊や強制的な合併の策謀に,直接間 接に巻き込まれることがない場合には,一般に,遠い将来に対して配慮し,
たとえ機敏ではないとしても,先見性に富む政策を追求する.株式会社は,
一時的な利益のために評判を犠牲にすることを敢てすることは稀である.極 端に苛酷な雇用条件を押しつけることによって,被傭者の間に,彼らの下で 働くことを不人気にする傾向はない」(Marshall, 1890a, p. 605,訳,第4巻,144 ページ)ということは,株式会社やそれを主導する企業家活動が,一方では国 民分配すなわち国民所得の需要側面について,他方では利益追求の反面,組 織の内部調整や世論・人気によって企業価値を高めようとする側面について,
配慮せざるを得ないことでもあった.
『原理』最終章の第6編第13章「進歩と生活基準との関連」の最終節「産 業上の調整は,人間の生命の長さによって妨げられ相続された性格の特徴が 持つ,さらに長い生命によって妨げられる」の中で取り上げられた株式会社 は,「人的資本」,望ましい「生活基準」や企業家活動から,株式会社が企業 の大規模化と経営者の有能さの抜擢を両立させる組織形態として想定される ものであった.つまり,「思想と感情の相続されてゆく習慣と基調は,長い生 命を持つものであるという事実に,主としてかかわるものである.株式会社 や鉄道や運河の組織が不良であるとすれば,十年か二十年の間に矯正するこ とができる.しかし,幾世紀にわたる戦争と暴力と卑賎な快楽要素は,単一 の世代の間に大幅に変更することはできない」(Marshall, 1890a, p. 721,訳,第4巻,
315ページ)のであれば,モラル・エコノミーが長期的な基調となる国民経済 の中では,「人的資本」の蓄積や望ましい「生活基準」から逸脱する株式会社 のあり方はあり得ない.株式会社が分業と特化の経済を促すうえで支配的な
最新の組織であって,それは人間社会の成長と経済発展との関係を描き出す 有機的成長の構図を彩る一要素であることに力点が置かれることになる.そ の意味で,企業家能力と株式会社との関係は,コーポレート・ガヴァナンス の内部的構成要素間の得失とともに,株式会社とそこから生みだす稼得が国 民経済にどのような比重と影響をあたえるのかという視点が表れてくること になろう.
4 「経済騎士道」
・「生活基準」と株式会社との関連,および『産業と商業』「それ[『原理』]に経済思想の新時代の招来」(Keynes, 1972, p. 204,訳,271ページ)
が認識されて以来,マーシャルが没する1924年まで,およそ30余年の歩みは,
ホィテイカーが「マーシャル最後の著作のいばらの道」(Whitaker, 1990, p. 193,訳,
241ページ)と表現するように,「そこには示唆や数多くの研究のための出発点」
が含まれていたが,『原理』以降の代表的著作と見なされる『産業と商業』(1919)
においてさえ,「英国の産業的主導権がそのうえに築かれている基盤の,不安 定で非永続的な性質に格別の注意を促している」とはいえ,それは「鉄道と いうよりもむしろ鉱山であって」,「構造的統一体というよりも ・・・・・・ 多数の 部分的に関連した事項を寄せ集める機会」であった(Keynes, 1972, pp. 227―229,
訳,301―302ページ).『産業と商業』は,「全体的な一貫性と体系化という観点 からいえば,不満足な書物」(Whitaker, 1990, p. 219,訳,268ページ)であった.
ただ,『原理』以降顕著になった人間社会の成長と経済発展との関係を有機 的に扱おうとする「大望と計画」をもって進められていることも事実であるし,
たとえそれが「悲嘆すべき,そしておそらく教訓になるもの」(Whitaker, 1990,
p. 193,訳,241ページ)であっても,それに向けての目的と熱意,そしてこのテー
マとそれまでのマーシャルの経済学の業績とは再構築できる位置づけをもつ であろう.この「大望と計画」の観点から,株式会社と企業家像を再編成す ることは,ある意味で,マーシャルの最終的な目的と熱意を一貫して伝える ものであり,ケインズがいうように,そこに「素質を持つ読者に対して独創
的な研究方針を示唆」したり,鉄道というよりも鉱山を「発掘して,埋蔵さ れた宝を探索すべき」性格のものであった(Keynes, 1972, pp. 228―229,訳,302ペー ジ).
4. 1 「経済学者の旧世代と新世代」,および「経済学における力学的類推と生
物学的類推」
『原理』以降『産業と商業』(1919)に至るまでの中で,株式会社と企業家と の関係を説くにあたって,まず注目すべきは,1896年10月にケンブリッジ で行われた「経済学者の旧世代と新世代」(Marshall, 1897)16)と題する講演であ る.そこでは,経済学の分析手法が,19世紀以来の「質的分析」に加えて,
化学に倣った「量的分析」への拡充が唱えられており(Marshall, 1897, p. 301,訳,
40―41ページ),株式企業に代表される大企業の分析は,「量的分析」の一例と
して,「改善の結果として発明者の受け取る私的な利益」と,「主要な利益が 重荷を背負うことのない人々に帰属する,骨の折れる独創的な活動を忌避す る,官僚主義的な慣習の結果」との間で,「利益は損失を越えるのに十分であ るかどうか,利益は損失にもかかわらず追求すべきかどうかを教える」,「経 済力の合成的な動向」を見極めるのに資する経済組織となっていると考えら れている.なぜなら,その結果として「大企業の成長によって,とくに公共 の支配下におかれている大企業の成長によって,若干の方向において弱めら れつつある,私的な物的利益を追求するより粗野な力に,どの程度まで取っ て代わり得るかを,数量的にできるだけ近い評価を伴った研究を進めること」
の指標となりうるからである.そしてこのことは,「人間性のすべてに浸透す る唯一の堅実で強力な力」か,それとも「社会的有機体の硬化の傾向」を探 ることができるのかに関して,分析できることも意味する17).
株式会社の内部では,有機的成長の一環となるべく,「企業の熟練者たちが
16) これは,1897年1月のQuarterly Journal of Economicsに掲載された.
17) Cf. Marshall (1897) pp. 301―303, 308―309,訳,41―43,49―51ページ.
専門誌に寄稿し,それを読む習慣や,会議を持ったり,その他の方法で相互 に意見を交換し合う習慣を,ますます身につけるようになっているという事 実」,「企業の危険を負担する製造業者の利害がそれを採用することを促さな いとしても,賢明で,大胆な努力を賞讃すること」,そして「現代の専門家的 な職員たちが相互に交際を結ぶことは,純粋科学が,成功を収めた研究に対 して少数ではあるが相応しい聞き手の与える賞讃によって,長い間にわたっ て喚起してきた,すぐれた発展力のある部分を,実業界に持ち込みつつある」
ことによって,これらの構成要素が「一種の報酬」となる「賞讃」となり,
部分的には「すべての現在および将来のその他の報酬」の如く,「着実に作用 することを期待することができる」社会に対する「一種の共感」をも喚起する,
(後年マーシャルが「経済騎士道」と呼んだ企業家理念をも醸成することがわかる)19 世紀の経済学以来の「質的分析」に「量的分析」を付加したものとなる(Marshall, 1897, pp. 308―309,訳,50ページ).
これまで述べてきたように,株式企業でのコーポレート・ガヴァナンス,
すなわち「大企業における専門家的な職員の間に強力に作用しはじめている ことを先程注目した協同と共感の力」,企業家機能本来の事業判断と企業組織 に参加しているスタッフ判断との「分化と統合」は,社会の有機的成長とい う「社会目標」として「すべての基礎に横たわる一つの基本的な原理」となる.
この「基本的な原理」の下では,「進歩は主として,社会の福祉のために,人 間性のたんに最高の力だけではなく,最強の力を利用できる範囲に依存する」. たしかに株式企業でのコーポレート・ガヴァナンスは,一方では,「骨の折れ る独創的な活動を忌避する,官僚主義的な慣習」というデメリットを抱えて いるけれども,他方では,「協同と共感の力」によって「能力の行使と発展」
による「幸福の源泉」と,「そのような能力の行使と発展は自尊心を励まし,
希望の念によって励まされる」要因として「経済力の合成的な動向」を刺激し,
「すべての人間が高貴な生活の機会を利用できるようになるという,遠大な目 標に向って,人類は着実に前進をつづける」ための組織となりうるという位