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歴史系博物館における「新たな人種統合」の模索 : 国立アフリカ系アメリカ人歴史文化博物館の展示・

プログラム開発を中心に

著者 落合 明子

雑誌名 GR‑同志社大学グローバル地域文化学会紀要

号 12

ページ 133‑164

発行年 2019‑03‑25

権利 同志社大学グローバル地域文化学会

URL http://doi.org/10.14988/pa.2019.0000000099

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国立アフリカ系アメリカ人歴史文化博物館の 展示・プログラム開発を中心に

落 合 明 子

はじめに

 2016年9月24日、国立アフリカ系アメリカ人歴史文化博物館(NMAAHC)

がワシントン記念塔のすぐ横に開館した。首都ワシントンのモール地区に建 つスミソニアン協会傘下の博物館としては、国立アメリカ・インディアン博 物館に次ぐエスニック博物館である。NMAAHCの建物面積は4ヘクタール 近くにも及び、「歴史」、「コミュニティ」、「文化」と名付けられた3つの常 設ギャラリーには、3,000点余りの所蔵品が最新のテクノロジーを駆使して 展示されている(非展示品も含めた所蔵品数は約4万点)1。こうした展示か らは、時代時代の人種主義のうねりに巻き込まれながらも、独自の伝統を継 承してきたアフリカ系アメリカ人の営みが読み取れる。

 NMAAHCは開館当初から予想を遥かに上回る関心を集め、入場制限が設 けられる程に多くの人々が訪れている。その結果、開館1年目には約300万 人、2年目には約150万人に及ぶ来場者数を記録した2。開館から3年目に 入った現在でも、人の波は途絶えることなく、アフリカ系アメリカ人以外の 来場者の比率も上昇しているという3。メディアによる報道や学識者による 博物館評も、大多数が好意的である。例えば、開館1周年を迎えた際に、

『ワシントン・ポスト』紙は、NMAAHCがモール地区の人の流れを大きく変 えたと、その存在感の大きさを伝えた4。初代館長ラニー・バンチも、「こん なに早くに[NMAAHC]が巡礼地になるとは予想していませんでした。世

『GR同志社大学グローバル地域文化学会 紀要』12, 2019, 133−164頁.

同志社大学グローバル地域文化学会 ©落合明子

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代を越えて人々が[物語を]分かち合う場に、人種間で対話が交わされるよ うな場に、まさになっています」と、うれしい悲鳴を上げている5。なお、

バンチは、盛況の要因を、第一にアフリカ系アメリカ人の歴史文化に対する 人々の関心の高さ、第二にアメリカ屈指のスミソニアン協会博物館に寄せる 人々の信頼の厚さ、第三に人種主義という「負の歴史」を包み隠さず提示す るNMAAHCの展示方針の誠実さにあるとしている6

 バンチが最後に挙げた展示方針は、NMAAHCの基本理念及びそれを端的 に表した標語「アフリカ系のレンズ越しに(Through the African American Lens)」に沿うものである。その基本理念とは、アフリカ系の視点から国家 の歩みを顧みること通じて、白人主流派を軸に語られてきた「アメリカ物語

(国民の物語)」を再構築することである。なお、バンチはこの再構築を「新 た な 人 種 統 合(New Integration)」 と 呼 ん で い る。 こ の よ う な 再 構 築 を NMAAHCが掲げる理由は、半世紀前の公民権運動によって人種分離体制は 打破されて「人種統合」が進んだものの、多くの側面において、その統合が 白人主流社会へのアフリカ系の「算入」に留まっているからである。バラ ク・オバマが2017年初頭の大統領退任演説で述べたように、白人至上主義を 克服した「ポスト人種主義」の段階に、アメリカは至っていないのである7。 であるからこそ、館長のバンチが「アメリカ物語」の再構築を「新たな人種 統合」と呼び、その推進力としてNMMAHCを位置付けているのである8。  アフリカ系アメリカ人に特化した文化施設を首都ワシントンに建設する構 想は、1916年にまで遡ることができる。とはいえ、スミソニアン協会傘下の 形でNMAAHCを設立する礎となった法案は、1980年代末にジョン・ルイス 下院議員らによって提出され、2003年にようやく成立を見た。その後、2005 年にバンチが初代館長に就任し、2016年の開館に至る9。この10年の準備期 間に、バンチとアフリカ系を中心に構成されたNMAAHCの関係者は、様々 な課題を乗り越えなければならなかった。まず、バンチの館長就任時の

NMAAHCは、「コレクションなし、資金なし、スタッフなし、区画無し」と

いう、文字通り「無い無い尽くし」の状態であった10。また、NMAAHCの 創設は、大型博物館を物理的に建設するだけではなく、近代以降に白人主流 派が作り上げてきた博物館界の伝統への挑戦でもあった。なぜならば、展示

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やプログラムのあり方自体が、人種主義の基調を帯び、アフリカ系などのマ イノリティを無視・軽視してきたからである。20世紀後半に多文化主義的な 議論を奨励する「フォーラム」型の博物館が増加し、こうした人種主義は改 善されつつある11。とはいえ、より包摂的で人種主義を克服する博物館のあ り方を、バンチらは考案する必要があった。さらに、白人警官による暴行事 件など、人種主義に起因する事件が日々発生する中で、NMAAHCの建設は 進められた。以上を総合すると、バンチらは、人種を巡る厳しい社会情勢の 中でNMAAHCが果たしうる役割を自問しつつ、人的・物的資源の確保に奔 走し、なおかつ博物館界の伝統にも挑戦しながら、展示やプログラムを開発 したことになる。バンチは、こうした試行錯誤を「道なきところに道をつく る(Making a Way Out of No Way)」挑戦であったと表している12

 では、バンチやキュレーターは、「新たな人種統合」を見据えて、どのよ うにして展示やプログラムを開発したのだろうか。そして、そうした開発の 過程は、どの程度公表されているのだろうか。バンチは、館長就任以来、

NMAAHCの「広告塔」として、出版や講演を積極的に行ってきた。さらに、

実際に展示やプログラムの開発に携わったキュレーターたちが、開発の経緯 について徐々に公表しつつある。しかしながら、バンチの論考や講演は博物 館論やNMAAHC全体に関する総論の傾向が強く、逆に、キュレーターらに よる論考は、個々の部門の開発記録が中心で、いわば各論に留まっているも のが殆どである13。他方、NMAAHCに関するメディア報道では、2016年の開 館を伝える記事または展示評が圧倒的に多い14。歴史学的な研究では、アフ リカ系アメリカ人による人種分離撤廃を求める運動や、アフリカ系独自の

「公共圏」を確保しようとする運動、あるいは白人主流派が構築した公的記 憶への対抗という観点から論じた研究がある15。筆者も、NMAAHC設立法の 成立過程や、建設地の確保や展示から読み取れる記憶の再構築について、別 稿において論じた16。今後も、同様の観点からの研究が進展すると思われる が、将来的には、NMAAHCの展示・プログラムの開発について整理をした 上で、その成果を取り込んだ研究も望まれよう。

 こうした研究の現状を踏まえ、本論文では、バンチが提唱する基本理念と 複数の部門における開発記録を組み合わせて検討する。言い換えれば、主要

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な展示やプログラムの開発過程を具体的に検討し、「新たな人種統合」に向 けた挑戦の実態を、各論を越えて明らにすることを目的としている。その上 で、10年に及んだNMAAHC建設の歩み自体が「新たな人種統合」の実践で あったことを示し、今後のNMAAHC研究の手掛かりとしたい。

 論文の構成を述べると、第一節においてNMAAHCの基本理念を、バンチ の歴史観を中心に概観する。第二節では、博物館建設の基礎ともいえるコレ クションの収集と所蔵品目録の作成に注目する。第三節と第四節では、知識 の受動的な受容ではなく、見学者自らが積極的に関わり、考えることを目指 した常設展示と発信型プログラムの開発過程や運営方法を検討する。なお、

本論を執筆するにあたって依拠したのは、上記に述べたバンチやキュレー ターによる論考、キュレーターへのインタビュー、著者自身によるNMAAHC 展示の視察、種々の博物館評等である。

1.NMAAHCの基本理念とバンチの歴史観

 NMAAHC設立法が成立した2003年の時点で、次のような構想が、NMAAHC が目指すべきものとして既に掲げられていた。

[NMAAHC]は、アフリカ系アメリカ人の足跡が[アメリカの]中核 に位置することを明らかにし、アメリカという国が歩んできた足跡 の深遠さや複雑さ、そして明るい未来(promise)を、あらゆる人が 理解できるようにする。本博物館は、自由・真実・人間の尊厳を巡 る継続的な探究において、[他の]教育・文化機関と協力しつつ、国 民のフォーラムの場としての役割を果たす17

NMAAHCの基本理念である「新たな人種統合」とその標語「アフリカ系の レンズ越しに」は、館長となったバンチが、この構想を基に考案したので あった。さらに、より具体的な運営方針として、1)アフリカ系アメリカ人 の歴史文化を学ぶ機会の提供、2)グローバルな視点の採用、3)「アメリカ

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人であること」の再考の奨励、4)全国各地のアフリカ系アメリカ人博物館 との連携、という「四つの大柱」も、バンチは打ち出した18。こうした基本 理念や運営方針は、上記に挙げた構想に則っているとはいえ、バンチの歴史 観を強く反映している。そこで、以下では、バンチの経歴と歴史観について 概観する。

 ラニー・バンチは1952年にニュージャージー州ニューアークに生まれ、白 人が大半を占める郊外で育った。その当時の北部には法的な人種分離制度は なかったが、日々の暮らしには人種主義が色濃く影を落としていた。その一 方で、「大移住」時代に自由を求めて南部を脱出してきた祖父母からは、ア フリカ系アメリカ人の豊かな文化と誇り高い精神を受け継いだ。そうした祖 父母の影響もあり、バンチは大学及び大学院で歴史学を専攻し、大学で教鞭 を執るようになった。1980年代後半に、スミソニアン協会傘下の国立航空宇 宙博物館の展示開発に歴史家として携わったことから、博物館界に活躍の場 を本格的に移す。その後、国立アメリカ歴史博物館の副館長やシカゴ歴史協 会博物館の館長などを歴任し、2005年にNMAAHCの初代館長に就任した。

資金調達やコレクションの収集に始まり、建設区画や建物のデザインの選 定、そして展示やプログラムの企画・運営に至るまで、10年以上に亘り、

NMAAHCの陣頭指揮を執ってきた19

 歴史家、そしてキュレーターとして、バンチの指針となっているのは、

「変革・和解・癒しの源泉としての歴史」、即ち社会をより公正な方向に導く

「有用な過去(usable past)」という歴史観である。アメリカ社会に深く刻ま れた人種主義を自ら体験して成長したバンチによれば、歴史(の知識)は、

「アメリカが言明する理想と、抑圧され周縁に追いやられた人々が生きたア メリカの現実との間に横たわる溝に、アメリカの関心を向ける、つまりアメ リカの変革を助ける」ための「道具」、場合によっては「小さな武器」とし て機能すべきものであるという20

 加えて、上記の歴史の機能がNMAAHCにおいて十二分に発揮されるように、

次の三点をバンチは重視した。即ち、コンテクスト、人間化(humanization)、

そしてバランスである。コンテクストを重視する理由は、アフリカ系アメリ カ人の歴史文化が長年に亘り軽視・歪曲されてきたが故に、彼らの足跡がア

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メリカ社会全体の歩みといかに密接な関係にあるのかを、見学者に分かりや すく提示する必要があるからである21。人間化とは、奴隷制時代に「家畜」

同然に扱われ、奴隷制廃止後も「二級市民」の扱いを受けた人々の尊厳や心 情を、展示品を通じて伝えることである。社会の底辺に置かれた人々の尊厳 や心情を伝えられれば、見学者は共感を覚え、自らと重ね合わせつつ展示と 向き合うようになるからであるという22。最後のバランスとは、アフリカ系 アメリカ人の足跡に刻まれた悲劇と希望のバランスを意味する。バンチが、

NMAAHCはホロコースト博物館のような「悲劇」の博物館ではない、と断 言しているように、展示の後半は「希望」が前景化し、前半の奴隷制を中心 とした「悲劇」とのバランスが図られている23

 展示とプログラムの具体的な検討に入る前に、NMAAHC館内の構成をご く簡単に説明したい。見学者は、地上階の入口から地下に降り、常設展示で ある「歴史」、「コミュニティ」、「文化」のギャラリーの順に進むことにな る。順路の最初は照明が薄暗く、重圧感もあるが、ギャラリーが進み上階に なるにつれ、明るく開放的でアップビートな様相となる。各ギャラリーにつ いてごく簡単に述べると、歴史ギャラリー「自由への道のり」は、15世紀か ら現代に至るまでを網羅し、大小数多くの展示品からは、人種主義に彩られ たそれぞれの時代を生きた人々の「暮らしぶり」が窺われる。コミュニティ・

ギャラリー「道なきところに道を作る」では、厳しい環境に置かれながらも、

アフリカ系アメリカ人が各地で創意工夫を重ねて様々な文化を生み出し、多 様なアイデンティティを形成した様子が示されている。文化ギャラリー「伝 統と革新」では、音楽、映画、芸術分野を中心に、アフリカ系アメリカ人の 目覚ましい活躍を紹介している。以上の常設展示に加えて、特別展用のギャ ラリー、ヴァーチャル・リアリティ(VR)によって人種分離時代の差別の 疑似体験などができる教育スペース、映画上映やシンポジウムが催される劇 場ホール、リサーチが可能な図書館やセンターも付設されている24。  以上が、NMAAHCの基本理念とそれを支えているバンチの歴史観、そし て博物館の概要である。次節では、NMAAHCのキュレーターたちが「新た な人種統合」を推進する展示やプログラムをどのようにして無から開発した のか、具体的に見ていきたい。

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2.コレクションと所蔵品目録

2.1.コレクションの収集

 NMAAHCの建設が「道なきところに道をつくる」挑戦であったことを最 も象徴しているのは、設立法の成立時に独自のコレクションが皆無であった ことだろう。これは、80万点を超える膨大なコレクションを民営博物館から 引き継いだ国立アメリカ・インディアン博物館とは対照的である。アフリカ 系アメリカ人も、先住民と同様に白人主流派から様々な差別を受けてきた が、先住民は人骨や埋葬品までもが「骨董品」として収集の対象となったの に対して、アフリカ系は「労働力」として酷使され、「展示される」存在で はなかったことが、こうした差異の背景にある。さらに、アフリカ系アメリ カ人は社会経済的に下層を占める割合が高かった結果、伝統的な博物館で

「至宝」とされる高尚芸術とは無縁の場合が多かった。そのため、1990年代 初頭にスミソニアン協会がアフリカ系アメリカ人に特化した博物館を構想し 始めた際にも、展示しうるコレクションの有無が懸案事項として挙げられる 程であった。他方、1960年代に台頭したマイノリティ集団によるコミュニ ティ博物館設立運動を経た20世紀末には、アフリカ系アメリカ人の歴史文化 に特化した博物館が各地に設立されていた。しかしながら、多くの博物館が 小規模で財政難に苦しみ、所蔵品が豊富にあるとは言い難かった25。このよ うな状況下で、バンチの館長就任後、NMAAHCはコレクションの収集を始 めることになる。

 まず、バンチは、第一節で挙げた基本理念を念頭に、収集の方針を打ち立 てた。即ち、NMAAHCの核となるコレクションは「人間性や創造力、抵抗、

そして抑圧に直面した際に発揮される強靭さに加えて、暴力や迫害の証とな りうる」ものとした。また、展示した際に、「テーマに関連させて複雑な解 釈を力強く示せる」点や、名も無き人々の人生が感じられる、つまり「物語 性」がある点も、バンチは重視した26

 こうした収集方針の下でNMAAHCの所蔵となった品々の中には、一般市

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民から連絡が入り、寄贈されたものがある。その一例として、1831年の奴隷 反乱の首謀者ナット・ターナーが所持していたとされる聖書がある27。また、

NMAAHCが率先して探し、入手したものもある。例えば、奴隷制の遺物を 探し出す目的で、南アフリカ沖で沈没した奴隷船を引き揚げるプロジェクト を、他の研究機関と共同で行った。海底から発見された錘や足枷は、現在で は歴史ギャラリーに展示されている28

 「私たちアフリカ系アメリカ人の宝を守ろう」というユニークな催しを通 じても、コレクションは集められた。この催しは、家族の思い出の品や屋根 裏部屋に埋もれている古物を一般市民に会場に持参してもらい、キュレー ター、歴史家、文化財保存修復の専門家などが説明や助言を行うという、

PBSの人気番組「アンティーク・ロードショウ」を模したものである。予算 と時間に限りがある中で、一般家庭に貴重な品々が眠っているはずだ、と確 信していたバンチらが考えた妙案であった。実際のところ、2008年から開館 直前までに15都市で開催された会場には、3,000人以上の人々が集い、予想 を遥かに超える数と種類の品々を持ち込んだ。中には、手作りのブリキ製携 帯ケースに収められた「自由黒人証明書(freedom paper)」や、プルマン寝 台列車のポーター帽などがあった29

 こうした催しに参加した人々をはじめ、多くの人がNMAAHCを信頼して 大切な品々を託した結果30、「当初の想定よりも個々人に焦点を当て、より 複雑で示唆に富む物語を示す[展示]が可能になった」という。コレクショ ンの多くは、高価な貴金属や装飾品などではなく、日常を切り取ったような 品々や差別の痕跡を伝えるものである。見ていると、「動産」や「二級市民」

扱いをされながらも日々を生き抜いた人々の姿が、目に浮かぶようなものも 多い。バンチの言葉を借りれば、時を越えて、見る者の心に「直に訴える力

(immediacy)」を持ち、「美しく」も「悲しい」品々である31。キュレーター らは、こうしたコレクションを軸として、従来とは異なる視点からアメリカ を再考する行為に加わるように見学者を誘う展示を、作り上げたのである。

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2.2.所蔵品目録の作成

 どの博物館においても、収集した品々一つ一つについて目録を作成する必 要がある。従来、博物館は紙媒体の所蔵品目録を独自に作成・保管していた が、20世紀末の情報技術革命の結果、そうした目録はテキスト化され、所蔵 品もデジタル写真が撮られ、両者は(多くの場合はセットで)、インター ネット上に公開されるようになった。NMAAHCの場合は、所蔵品目録の作 成とそのテキスト化、そして所蔵品のデジタル写真の撮影作業がほぼ並行し て行われた。その任務を担ったのは、2010年に発足し、領域横断的な専門家 から構成されたデジ・チーム(Digi Team)である32

 このチームを統括したローラ・コイルによると、作業に着手するにあたり 重視したのは、NMAAHCが掲げる「アフリカ系のレンズ越しに」アメリカ を見ることを反映するだけではなく、博物館の専門家に加え、一般市民に とっても有用な目録を作ることであった。当初、既存の博物館の所蔵品目録 を参照しようとしたが、大して役に立たなかったという。その要因は、図書 とは異なり、博物館の所蔵品目録には統一基準がなく、博物館ごとに目録の 項目や用語が異なることにあった。加えて、NMAAHCのコレクションは飛 行機から絵画、生活用品、祭具などと幅広かったために、目録作りの作業は 難航した33

 主流博物館が使用してきた項目や用語自体に、人種主義が反映されている 場合もあった。例えば、「奴隷(slave)」は米国議会図書館の目録で長年使 用されている用語であるが、隷属状態に置かれた人々の尊厳を損なわない、

よりよい用語を考える必要があった。その結果、「奴隷」は飽くまでも身分 であり、その人物の個性やアイデンティティとは異なるという見地から、

「奴隷身分とされた人(enslaved person)」をNMAAHCの目録では使用するこ とになる34

 よりいっそう「文化的に責任を担う」目録とするために、人物に関連した 目録では、アイデンティティを「重層的・複層的」なものと捉え、それぞれ のアイデンティティが「相互に影響しあう」点にも、コイルらは留意したと いう35。これは、主流社会が、白人とアフリカ系の混血の人物であっても

「黒人」と、白人家庭で働く女性を「マミー」とみなすなど、白人側から見

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た一つの枠組みにアフリカ系アメリカ人を規定し、「他者化」してきた歴史 への対抗でもある。例えば、ノーベル文学賞受賞作家トニー・モリソンと息 子二人の家族写真の所蔵品目録を見てみよう。目録の「説明」には、「ト ニー・モリソンと二人の息子であるフォード・モリソン(左)とスレイド・

モリソン(右)の白黒のデジタル写真、写真の裏にはジャック・ミッチェル

[撮影した写真家]のスタンプ印と番号5860」とある。「分類」には「メディ ア芸術―写真」と、「トピック」には「アフリカ系アメリカ人、家族、文学、

母であること(motherhood)、写真」とある36。敢えて、「母であること」が 追加されている点に、アイデンティティの重層性・複層性に対する目録作成 者の配慮が読み取れる。

 もう一つ、「ポール・ロブソンのためにあらゆる声を上げよう」と題され たパンフレットの目録を見てみたい。このパンフレットは、組合活動家であ り文筆家であったロイド・L・ブラウンが、ロブソンを擁護するために1951 年に著したものである。当時のロブソンは、体制に批判的でソビエト寄りの

「危険分子」としてパスポートをはく奪され、音楽活動も制限されていた37。 目録の「説明」は、パンフレットの表紙の解説に留まっているが、「分類」

には「文書及び出版物・出版作品」、「記念品及びパンフレット類・政治や活 動家のパンフレット類」とある。「トピック」には、「アフリカ系アメリカ 人、[社会改革を目指す]行動主義、国際情勢、マスメディア、音楽家、政 治団体、政治(実践的)、人種差別、抗議」とある38。用語数が多く、未整 理な印象を与える反面、ロブソンの多方面に及ぶ活動や、1950年代に彼が置 かれていた複雑な状況を目録に反映しようとしたとも言える。このように従 来の博物館の慣行に囚われることなく、コイルらは所蔵品目録の項目や用語 を独自に考案していった。

3.世論を喚起する展示 3.1.プランテーション刑務所の展示

 コレクションの収集と所蔵品目録の作成が完了する前に、NMAAHCでは

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展示の開発も始まった。第一節で示したように、「新たな人種統合」を推進 する上で、バンチは「有用な歴史」という観点を重視している。その結果、

20世紀後半以降に台頭した「フォーラム型」の展示形態を基本としつつ、社 会正義を推進する目的で、世論喚起を強く意識した展示が開発された。ま た、そうした開発では、所蔵品目録の作成と同様に、博物館界の伝統を越え る展示のあり方が模索された。本節では、その事例として、アンゴラ刑務所 と視覚芸術の展示を取り上げる。

 アンゴラ刑務所とは、ルイジアナ州中部の東側に位置し、三方をミシシッ ピ川に囲まれた州立刑務所のことである39。「アンゴラ」の呼称は、1830年 代に国内奴隷貿易で財を成した人物がこの区画(プランテーション)を購入 し、アフリカのアンゴラ地域出身の「奴隷」に耕作させたことに由来する。

南北戦争後には、囚人貸出制度の下で、些細な罪を犯した者までが(大多数 がアフリカ系アメリカ人)、長期間に亘って重労働の刑にこの地で処せられ た。

 囚人貸出制度は、その非人道性に対して批判が徐々に高まり、ルイジアナ 州でも1901年に廃止された。特異であったのは、州がアンゴラの区画を買い 上げ、プランテーション刑務所として運用し始めたことである40。かつて奴 隷小屋のあった場所には「キャンプ」と呼ばれる粗末な収監施設が建てら れ、数十年のうちに全米でも最大を誇る規模にまで拡張された。その規模に 加えて、「極悪犯」用の監視の厳しい刑務所、過酷な農作業という点におい ても、アンゴラは他の刑務所と比べて際立っていた。今日でも、アンゴラ刑 務所には5,400人余りの受刑者(うち約四分の三はアフリカ系アメリカ人)

が収監されている。20世紀後半の幾度かの改革を経て、受刑者の置かれた環 境は改善されつつあるものの、農作業の報酬は現在でも時給わずか数十セン トで、受刑者の9割以上は出所することなく、アンゴラで生涯を閉じるとい う41

 1998年には、歴史保存の必要性を感じた当時の刑務所長の指揮の下、アン ゴラ刑務所の敷地内に小さな博物館が付設された。さらに近年には、この刑 務所を取り上げたドキュメンタリー作品も発表されている42。しかしながら、

アンゴラ刑務所をはじめ、全米に散在するプランテーション刑務所に対する

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一般世論の認知度は依然低い。ましてや、マイノリティの高い収監率や民間 委託による刑務所の「ビジネス化」が、奴隷制の「負の遺産」であることを 指摘する声は、殆ど聞こえてこない。こうした現状に対してNMAAHCは、

奴隷制時代に起源を持ち、収監施設としても100年以上の歴史を有するアン ゴラ刑務所を展示に加える挑戦に、打って出たのである。歴史担当キュレー ターであるポール・ガデュロによれば、以下で紹介する監視塔や独房など、

アンゴラの歴史を物語る遺物を、あえて「現場」であるアンゴラ刑務所から 引き離したという。NMAAHCにおいて他の展示物と並置し、より大きな歴 史のコンテクストに位置付けながら見学者に提示する方が、刑務所付設の博 物館において展示するよりも世論を喚起できると考えたからである43。  NMAAHCにおけるアンゴラの展示は、二ヵ所に分かれている。一つ目の 展示は、人種分離時代(1876年から1968年)を扱った歴史ギャラリーの第二 部にある。この第二部では、奴隷制廃止後にアフリカ系アメリカ人が団体組 織を作るなどして「市民」としての地歩を固めた一方で「二級市民」と規定 され、暴力などの非合法手段によっても抑圧されていた状況が、生々しく展 示されている。こうした展示の中央にあるのが、アンゴラ刑務所から持ち込 まれた巨大な監視塔である。1930年代から40年代頃に作られ、高さ6.5メー トルもあるコンクリート製の塔は、まさに「監視、権力、支配、収監」の象 徴と言える。さらに、塔の隣には、当時実際に南部で運行されていた人種分 離列車も設置されている44。こうした大型展示物は、当時の重苦しい人種主 義の力を、物理的にも印象付ける効果を持っている。

 二つ目の展示は、コミュニティ・ギャラリーの一角「場所の持つ力」にあ る。このセクションでは、全米各地から厳選された10のコミュニティについ て、それぞれの地域性が学べるようになっている45。過去、そして現在に生 きるアフリカ系アメリカ人の豊かな営みに強調点のある展示が多い中で、

1921年の人種暴動を扱ったオクラホマ州「タルサ」と共に、人種主義の負の 力が前面に出されているのが「アンゴラ」である。この展示では、アンゴラ を「堀の中のコミュニティ」と捉え、20世紀半ばの「キャンプ」の監房が再 現されている。見学者は、薄暗い照明の中で鉄格子越しに監房を覗き込む。

そして、説明パネルとモニターに映し出される映像を通じて、アンゴラの

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200年余りの歴史に触れるのである。アンゴラ刑務所の現状に加え、現在の アフリカ系アメリカ人男性の収監率の高さや「刑務所ビジネス」についての 解説もある。他方、モニターからはアンゴラの肥沃な土地や青々と育つ農作 物、周囲の大自然なども映し出される46。その美しい情景と、眼前に再現さ れた監房やアンゴラの地に刻まれた悲哀の歴史との落差に、見学者の多くは 心を大きく揺さぶられるに違いない。

 以上の二つの展示は、監視塔の威圧的な存在感や監房の閉塞感を見学者に 突き付けている。こうした手法は、世論喚起を目的に、近年増加傾向にある

「社会正義のための博物館(museum for social justice)」で採用される手法で ある。博物館の中には、さらに一歩踏み込み、より公正な社会の実現のため に何をすべきか、見学者に具体的な行動や解決策を展示するものもある47。 NMAAHCはと言えば、アンゴラ刑務所とその歴史的なコンテクストの周知 の域に留まっている。つまり、そこから何を読み取り、どのような行動を取 るべきかは、見学者一人一人に託されている。そのため、政治性を抑えた展 示と言えるが、この点については、第四節第二項で再度取り上げたい。

 アンゴラ刑務所の展示には別の課題も見られる。無機質な展示からは、コ ミュニティが息苦しい「堀の中」にあることは実感できても、住人である受 刑者の声は聞こえてこない。つまり、二つの展示は、受刑者たちが体験し た/している物理的な環境が中心なのである。しかしながら、アンゴラが提 示する問題への見学者の積極的な関与を期待するのであれば、受刑者の生の 声を伝えることも必要だろう。この欠落については、ガデュロらキュレー ターも認識しており、よりバランスの取れた展示に向けて、作業が進行中で あるという。例えば、アンゴラ刑務所内新聞『アンゴライト(Angolite)』の 編集に携わった元受刑者と共に同紙を検証したり、「アンゴラの三人」と呼 ばれる20世紀末に起きた冤罪事件の当事者にインタビューを行ったりしてい る48。これらの作業の成果は、いずれ展示に反映されるものと思われる。

3.2.視覚芸術の展示

 全米各地の歴史系の博物館において、肖像画や風景画が、あるテーマを補 足する目的で展示されることはあるが、抽象画などの現代芸術作品が展示さ

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れることは珍しい。ましてや、芸術作品に特化した常設展示スペースが歴史 系博物館に設けられることは、稀である。モール地区に連立するスミソニア ン協会博物館も、国立アメリカ・インディアン博物館を除いて、美術、科 学、歴史など、伝統的な学問領域ごとに構成されている。こうした現状か ら、NMAAHCの視覚芸術担当キュレーターのテュリーザ・フレミングは、

歴史的な展示を軸とするNMAAHCに、芸術作品に特化した常設展示スペー スを設けたこと自体が、博物館界では「ニュー・パラダイム」であったと述 べている49

 そもそも、NMAAHCに視覚芸術のセクションはなぜ常設されたのだろう か。第一の理由は、「スタイル、[芸術]運動、テーマにおけるアメリカ芸術 の幅広さを見学者に紹介する」ためであった50。この背景には、20世紀初頭 まではアフリカ系の芸術家が彼ら/彼女らの「人種」故に芸術界から排除さ れたり、20世紀半ばになっても「別枠扱い」をされたりした過去がある。

よって、「アメリカ芸術史の然るべき地位に黒人芸術家を位置付ける」こと こそが、自分たちの任務である、と視覚芸術担当キュレーターのジャクリー ン・サーワーは言明する51。言い換えれば、アフリカ系の芸術は多様性に富 むアメリカ芸術の欠くことのできない一部であることを、示そうとしている のである。この姿勢は、「視覚芸術とアメリカの

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経験」(傍点筆者)という ギャラリーの正式名称からも窺える。常設の第二の理由は、NMAAHCの展 示全体が提示する「物語」と芸術の「深い関係」を示すためであった。アフ リカ系アメリカ人の辿った歴史がどのような形で芸術作品に反映されてきた のかを、作品の鑑賞を通じて見学者が実感すれば、芸術に限らず、アメリカ 社会全体が再考され、NMAAHCの掲げる目標に近づける、とキュレーター らは考えたのである52

 実際の視覚芸術の展示には、様々な工夫が施されている。まず、展示の区 分を挙げることができる。典型的な美術館では、「コロニアル」などの時代、

あるいは「印象派」などの作品の特徴や芸術運動ごとに、作品は配置され る。それに対してNMAAHCでは、テーマ別の配置となっている。即ち、「私 たちを取り囲む世界」、「アイデンティティ・ポリティクス」、「自由のための 闘い」、「アフリカとのつながり」、「宗教とスピリチュアリティ」、「色と形の

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美しさ」、「新しい素材、新しい世界」である53。「自由のための闘い」と「ア フリカとのつながり」がアフリカ系の人々が共有する歴史や伝統を反映した テーマであるのに対して、「新しい素材、新しい世界」と「色と形の美しさ」

は従来の芸術のカテゴリーに囚われないテーマ設定である。これらのテーマ に沿って、ジャンルや時代だけではなく、制作者の有名無名にこだわらずに 作品を混在させた展示を、キュレーターたちは考案した。こうした展示の設 定自体が、芸術の「正典」に対する挑戦であり、アフリカ系アメリカ人の芸 術家による作品を展示しながらも、従来の「人種別」の展示や解釈を越える 試みであるという54

 芸術と社会の密接な関係を示すために、各作品の解説パネルにも工夫が施 された。開発の段階で、芸術の専門用語は極力使用せず、平易な言葉で解説 することを原則とした。また、パネルの解説文の長さは、一般的な美術館で は75語程度であるのに対して、125語程度とやや長めに設定した。文字数が 多くなった分、制作者へのインタビューや時代背景など、作品を取り囲むコ ンテクストの提示が可能になった。このような工夫は、見学者の多くは芸術 の愛好家ではないという前提に立ち、美術鑑賞に不慣れな見学者にも心置き なく作品と向き合える場を提供する、というNMAAHCの決意表明でもある。

さらに、フレミングによれば、解説文では「アフリカ系」あるいは「黒人」

という言葉の使用を極力避けたという。理由は、アフリカ系の芸術家が白人 主流派から歴史的に「他者」と規定され、白人芸術家とは別の基準で評価さ れてきたからである55。つまり、制作者や作品を「アフリカ系」や「黒人」

という先入観抜きで評価するよう、見学者に求めていると言える。

 以上の工夫を、二つの展示例から確認したい。まず取り上げるのは、「宗 教とスピリチュアリティ」のセクションに展示されているデイヴィッド・ド リスケルの油絵「ご覧なさい、あなたの子です」(1956年)である。この絵 には、イエス・キリストが殉教した十字架を想起させる少年の亡骸と、その 亡骸を背後から抱え込むようにして立つマリアのような女性が描かれてい る56。解説パネルには、シカゴ出身の少年エメット・ティルが、1955年にミ シシッピ州マネーの親族を訪問中に、白人女性に不遜な態度を取ったとして 残忍なリンチに処された事件と、ドリスケルがティルの死を悼み、現代版の

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「ピエタ」として本作品を制作した経緯が解説されている。技法や画風につ いての専門的な解説がない代わりに、公民権活動家のジェシー・ジャクソン 牧師の言葉が引用されている「もしエメット・ティルを殺害した男たち が、彼の屍が人々に自由をもたらすことになると知っていたら、彼を生かし ていただろう57。」ティルの名前は、歴史ギャラリーに展示されているティ ルの棺や公民権運動の歴史を見学者に思い起こさせるために、意図的に説明 に加えられた58

 次に、「色と形の美しさ」のセクション全体を検討したい。このセクション は、20世紀半ば以降の抽象画を軸とした構成となっている。そのため、美術 史の知識がなく、写実的ではない現代芸術に「懐疑的な」見学者でも興味が 持てるように、セクションの入り口にはパネルが設置されている。その解説 によると、「色と形はほぼ全ての視覚芸術において基本的な要素」であり、19 世紀まではそれらの要素が「すぐに理解できる光景やイメージ」などを表現 するために用いられたが、20世紀に入り、「実世界の風景や物体を直接的に表 象するのではなく、恐らくそれらに感化されて芸術を創り始めた」芸術家が 現れたのであった59。個々の作品の横には、解説パネルに加えて、制作者へ のインタビュー映像などが見られるモニターが設置され、制作者が何に感化 されてイメージを膨らませ、形や色を絞り込んでいったのか、創作の過程が 分かるようになっている。こうした解説の助けを借りながら鑑賞すれば、

様々な要素を凝縮し、単純な形や厳選した色で抽象的に表現した芸術家たち の想像力の豊かさを、美術の専門知識に乏しい見学者でも実感できるだろう。

 以上、アフリカ系アメリカ人独特の歴史性や社会性を提示しつつも、「ア フリカ系」という従来のサブ・カテゴリーの括りに対抗するために、視覚芸 術担当のキュレーターらは様々な工夫をしながら展示を編み出した。視覚芸 術の展示は、アンゴラ刑務所の展示のような衝撃的なインパクトを見学者に 与えないかもしれない。細かい工夫に気が付く見学者も少ないかもしれな い。しかしながら、作品の時代性や政治性、そして制作者の意図や独創性を 理解する一助となっていることは確かだろう。そして、芸術という角度から の「アメリカ物語」の再考を、見学者だけではなく芸術界に対しても訴えて いるのである。

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4.発信型のプログラム

4.1.アフリカ系アメリカ人の歴史文化を保存・振興するプログラム  本節では展示以外の面で、NMAAHCがどのように一般市民と交流を図り、

現状を再考するように積極的に働きかけ、「新たな人種統合」を推進してい るのか、いわゆる発信型プログラムを見ていきたい。NMAAHCの発信型プ ログラムは多岐に亘るが、主に次の2つに分類できる。即ち、1)長年に亘 り無視・軽視されてきたアフリカ系アメリカ人の歴史文化の保存と振興を目 的としたプログラムと、2)日々起こる社会問題(特に人種問題)に迅速に 対応することで、「社会正義のための博物館」としての機能を強化するプロ グラムである。

 まず、歴史文化の保存と振興を目指すプログラムとしては、第二節で取り 上げた「私たちアフリカ系アメリカ人の宝を守ろう」に代表される啓蒙的な プログラムがある。こうしたプログラムにおいてバンチらが重視したのは、

コレクションの収集よりも、品々にまつわるアフリカ系アメリカ人の物語を 忘却の淵から救い出し、より多くの人々の間で共有することであった60。そ うした方針が功を奏していることは、次のエピソードから窺うことができ る。カリフォルニア在住の女性が、歴史的な価値があるらしい、と祖父の遺 品をNMAAHCに持ち込んだ。キュレーターらによって、それが、第一次世 界大戦中にフランス軍に編入され、武功を立てたアフリカ系アメリカ人兵士 に授与された「クロウ・ド・ゲール勲章」であることが確認された。勲章が 収められていた箱には、女性の祖母が手書きで「英雄」と書き込んだ祖父の 写真も入っていた。勲章や写真が持つ歴史的な意味と家族の想いを理解し、

その女性は感動のあまり「その場に座り込み、泣いてしま」った。と同時 に、「こうしたことを学校ではまったく教えてくれませんでした。誰かが

『これは貴重な記録だ。世に広めなくては』と言うまで、箱の中に眠ってい たのです」とも述べている61。その後、この勲章はNMAAHCに寄贈され、現 在ではコミュニティ・ギャラリーに展示されている。

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 開館後、「私たちアフリカ系アメリカ人の宝を守ろう」の活動は、NMAAHC の2階にある「家族の歴史探求センター」に引き継がれた。同センターでは、

一般市民からの問い合わせに対して、専門家が歴史的な知識に加え、思い出 の品々の適切な保存方法も伝授する。さらに、古い写真や映像資料のデジタ ル化を無償で支援している。この支援は、全国各地で開催される「コミュニ ティ・キュレーション・プログラム」でも受けられる。昨今の目覚ましい技 術革新により、各種資料のデジタル化は一般家庭でも比較的気軽に行えるよ うになった。しかしながら、古い資料を所有する老年層の情報技術関連のリ テラシーは低い傾向にあり、結果としてデジタル化はハードルの高い作業で あることが多い。こうした実情を考慮し、NMAAHCは無償でサービスを提 供しているのである。なお、既にデジタル化された資料が手元にある場合 は、NMAAHCのサイトにそれらをアップロードし、登録会員と共有するこ とが可能なサービスも用意されている62

 家族の歴史探求センターは、国立公文書館などと連携して貴重資料のデジ タル化を進めると同時に、デジタル化が完了した資料を一般市民が活用する ことも奨励している。例えば、同センターは「解放民局文書」のデジタル化 とそのホームページでの公開を開始しており、一般市民は自宅からアクセス し、先祖の名前を検索することができる。加えて、調べ方や資料の読み方な どについて、センターの専門職員が個別相談に応じている。南北戦争以前に はアフリカ系アメリカ人の大多数は「奴隷」身分であり、苗字を名乗ること を許されず、「動産」故に国勢調査(人口動態調査)には、ごく一部の例外 を除いて、性別と年齢だけが記録された。そのため、先祖の足跡を辿るに は、系譜学や歴史学の高度な専門知識だけではなく、最新の情報技術を駆使 する能力も必要である。従って、同センターは、一般市民にとって、情報へ のアクセスとその解釈を支援してくれる貴重な場となっている63

 さらに、同センターは、問い合わせてきた人々と地域博物館との連携強化 にも努めている。例えば、人々が持ち込んだ品々を、他の博物館に寄贈する ことを勧めたり、地元の博物館の行事への参加を奨励したりしている64。 NMAAHCの設立にあたっては、アフリカ系アメリカ人関連の地方博物館か ら、人的・物的資源のNMAAHCへの一極集中を懸念する声が上がった。そ

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うした懸念に対して、人材育成や情報共有、そして会議の開催などを通じ て、NMAAHCは地方博物館との協力体制の構築を図っている65。一般市民と 地方の博物館を取り結ぶ上記の取り組みも、その一環として捉えられる。

 以上のプログラムから分かるように、NMAAHCは博物館の枠を超えて、

アフリカ系アメリカ人の歴史文化を保存・振興する活動を展開している。こ うした活動は、長年に亘り無視・軽視され、歴史に埋もれていた「アフリカ 系のレンズ」を探し出し、磨き、その重要性を広く知らしめる、いわば「新 たな人種統合」の裾野を広げる取り組みとも言えるだろう。

4.2.迅速で柔軟な活動を可能にするプログラム

 最後に、「社会正義のための博物館」たるべく、NMAAHCが行っているプ ログラムを取り上げるが、その前に、博物館全般に見られる弱点を述べてお きたい。即ち、博物館の主軸である常設展示において、社会情勢に素早く反 応するのは難しいということである。その主な理由は、展示開発には長時間 を要するために、常設展示は一度設置されると、すぐには変更されないこと にある。例えば、NMAAHCの場合は、バンチが館長に就任してから常設展 示の完成までに約10年を要した。国立アメリカ・インディアン博物館は、

2004年の開館以来、常設展示の中核である「私たちの世界(Our Universes)」

を、2020年まで継続する予定である66。常設展示が長期間に亘って変更され ないことがNMAAHCで特に問題となるのは、歴史ギャラリーの最終部だろ う。「現代」というタイトルが付されているものの、バラク・オバマの二期 目の大統領就任や「黒人の命は大事(Black Lives Matter)」運動で展示は終 わっている。

 とはいえ、常設展が全く変更されない訳でもない。例えば、アフリカ系と しては二人目の連邦最高裁判事クラレンス・トーマスに関する展示が少ない との批判が、2016年の開館直後に上がったことを受けて、NMAAHCは開館 一周年までに最高裁判所に関する展示パネルをコミュニティ・ギャラリーに 追加した67。このように、常設展示の部分的な修正は可能であるし、特別展 の開催によって常設展示を補うこともできる。しかしながら、実社会の動き に迅速かつ柔軟に対応するには、展示には限界があることは否めない。

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 NMAAHCならではの展示の特徴にも留意すべきである。既述のように、

「アフリカ系のレンズ越し」にアメリカの歩みを再考するよう、NMAAHCは 見学者に求めている。しかしながら、その再考によって、アメリカの抜本的 な変革を迫るというよりも、アメリカが作り上げてきた制度や社会を改善す る形で、「自由・民主主義・平等」という建国以来の理想により近づくこと を推進している。そうした姿勢は、第一節の冒頭で言及したNMAAHC構想 にも表われている。また、常設展示では「悲劇」と「希望」のバランスが取 られているとはいえ、上階部の展示ではアフリカ系の人々の「強靭さ」が称 えられ、「祝祭的」とさえ感じられる程である68。逆に言えば、第三節で紹 介したアンゴラ刑務所のような展示は、全体的に見れば少ない。アメリカ社 会の革命的な変革を説いたブラック・パンサー党の急進性や、人種主義に対 する従来のアプローチに一石を投じた「批判的人種理論(Critical Race Theory)」を詳細する展示もない。こうした欠如に対しては、アメリカの構 造的な人種主義を問い糺すアフリカ系アメリカ人知識人を中心に、批判の声 も上がっている。以上から、「アフリカ系のレンズ越しに」見える新たな物 語も、従来の「アメリカ物語」に回収されてしまう危険性が潜んでいる。楽 観主義的な基調において、そして現代の構造的問題を看過している点におい て、従来の物語との親和性が高いからである69

 このような展示の傾向を補うべく企画・運営されているのが、講演会やシ ンポジウム、映画上映会、そしてそれらの記録を公開するインターネットの サイトやSNSであると言えるだろう。例えば、開館前ではあったが、2014年 8月にミズリー州ファーガソンでアフリカ系の青年が白人警官に射殺され、

抗議の声が全国に広がった事件 (マイケル・ブラウン射殺事件)を受け、

NMAAHCは展示用の資料や関係者の証言の収集を開始すると共に、シンポ ジウム開催に向けて委員会を立ち上げた。14週間もの準備期間を経て、2015 年4月、「歴史、反乱、そして和解社会変革に動き出したコミュニティ」 を開催した。当日は、1,000人に上る聴衆が集った70

 同シンポジウムは三部構成で、ファーガソン在住の牧師や「黒人の命は大 事」運動の指導者らが警官による暴行や経済的不平等について語り合ったり、

草の根レベルの団体が自分たちの活動を紹介したりしながら、アメリカ社会

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を蝕む人種差別について、忌憚のない意見を交した71。シンポジウムの企画 責任者であったデイドラ・クロスによれば、開催の目的は「聴衆に新しい知 識を教授し、態度や信念を変えるように奨励すること」であったという。そ の後も、クロスらは1965年投票権法50周年やリトルロック事件60周年などの 記念シンポジウムを開催したが、過去の回顧に留まらず、現状分析や未来へ の課題も論じた。このような催しを重ねることで、NMAAHCはアフリカ系 を中心としたアメリカ人が今まさに直面している困難や不正義について「語 り合う場として機能する」ことを証明した、とクロスは自負している72。  NMAAHCは、アフリカ系アメリカ人に関連した映画の上映会も頻繁に開 催している。例えば、開館から半年の間に8本の映画を精力的に上映した。

その中には、大量の受刑者を生み出している司法制度のあり方を問う『13th

憲法修正第13条』や、アフリカ系の少年が厳しい環境下で成長する様 子を描いた『ムーンライト』も含まれる73。2018年10月には、4日間に亘る 映画上映会を、他のスミソニアン協会博物館と共催した。これは、80本以上 の作品を、NMAAHCの文化ギャラリーのテーマ(「道なきところに道を作 る」、「場所の持つ力」、「文化表現」)に沿って上映するという、新しい試み であった。上映映画のジャンルは多岐に亘るが、アフリカ系アメリカ人に とって重要な歴史的事件や人種差別社会を生きる現実を描いた社会派の作品 が圧倒的に多い74

 時には、シンポジウムや映画上映会よりも直接的な行動にNMAAHCが出 ることも、館長のバンチは示した。ドナルド・トランプ政権の誕生後、人種 対立は悪化傾向にあり、首吊り縄(noose)が大学キャンパスなどの公共の 場で発見される事件が各地で頻発している。首吊り縄は、20世紀転換期に南 部を中心に横行し、多くのアフリカ系アメリカ人が惨殺されたリンチ事件を 想起させるものであり、アメリカでは現在でも「暴力的な白人至上主義の象 徴」とされるものである。2017年5月に、そうした首吊り縄がNMAAHCの 館内とモール地区のもう一つの場所で、相次いで発見された。バンチは、

「これはおぞましい行為だが、我々の仕事がなぜ重要なのかを明らかにした」

と、直ちに声明を発表した75。翌日には、人種主義に屈しない姿勢を示すた めに、モール内で「団結の行進」を決行した。行進には、NMAAHCだけで

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はなく、スミソニアン協会長デイヴィッド・スコートンをはじめ、スミソニ アン協会博物館の関係者も数多く結集した76。さらに、首吊り縄の発見から 1週間のうちに、リンチ事件関連のNMAAHCの所蔵品について、歴史的な 解説をつけてホームページ上で公開した77

 以上のプログラムや活動は、常設展示の不十分な点を補完する役割を担っ ている。2018年11月には、PBSの報道番組において、リアルタイムの社会運 動を積極的に展示やプログラムに取り入れる博物館として、NMAAHCは紹 介された。その番組内で、バンチは次のように語った。「[NMAAHC]は、

アメリカ人が自分たちを分断している[諸問題]に対峙することを手助けし なければならないのですが、[NMAAHC]が過去についてだけではなく、現 在や未来についての博物館であることが、我々[NMAAHC関係者]にとっ て非常に重要なのです78。」常設展示が大改修されるまで今後十数年の間、

白人至上主義者の動きが活発化したり、新たな人種問題が浮上したりすれ ば、本項で取り上げた発信型プログラムの役割は一層大きくなるだろう。

おわりに

 ラニー・バンチの指揮の下、NMAAHCは10年余りの間に、人種主義の動 向を注視しながら、巨大な博物館を無から立ち上げた。博物館の建設は、コ レクションの収集から始まった。バンチが求めたのは、白人主流派が構築し た「アメリカ物語」の再考を人々に迫ることのできる「物語性」のある品々 であった。そのために、家庭に眠る貴重な品々を発掘する「私たちアフリカ 系アメリカ人の宝を守ろう」など、ユニークなプログラムを実施した。こう した取り組みによって、NMAAHCは人々の関心を高めたばかりか、信頼を 勝ち取ることにも成功し、多くの寄贈を受けることにつながった。所蔵品と なった品々の目録作りでは、従来の目録の作成方法や用語を再検討し、アフ リカ系アメリカ人の人間性を尊重し、彼ら/彼女らのアイデンティティをよ り重層的・複層的に表す方法や用語を新たに編み出した。

 常設展示では、様々な形で世論の喚起を目指す展示が開発された。その事

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例として、アンゴラ刑務所と視覚芸術の展示を取り上げた。前者は、奴隷制 時代にまで遡りアンゴラ刑務所の歴史と現状を解説することで、深刻化しつ つも認知度の低いマイノリティの高い収監率や刑務所のビジネス化という問 題について警鐘を鳴らしている。後者は、作品の配置や解説パネルなどで従 来の美術館とは異なる手法を考案し、アフリカ系の芸術家を人種の属性に囚 われることなく、アメリカ芸術に位置付けるよう、見学者と芸術界に提起し ている。

 さらに常設展示を補完すべく企画・運営されているのが、発信型のプログ ラムである。家族の歴史探求センターなどがアフリカ系アメリカ人の歴史文 化の保存と振興を担う一方で、今まさに起こっている社会問題を巡るシンポ ジウムや映画上映会もNMAAHCは頻繁に開催している。こうした行事は、

常設展よりも新しくかつ多様なテーマや視点を紹介する役割に加え、議論の 場を提供する役割も果たしている。その結果、NMAAHCは「社会正義のた めの博物館」として着実に実績を積みつつある。

 バンチらは、所蔵品目録や解説パネルで使用する言葉などの小さな工夫も 含めて、実に様々な創意工夫を積み重ねることによって、ともすれば理念上 の提唱に終始しかねない「新たな人種統合」を、展示やプログラムという形 で具体化した。本論では各論的な開発記録を越えて考察を行った。その結 果、開発された展示やプログラムだけではなく、それぞれの開発過程、つま り「道なきところに道をつくる」というバンチらの挑戦そのものも、「新た な人種統合」の実践であったことが明らかになっただろう。

 こうして開発されたNMAAHCの展示やプログラムを、既に500万人近い 人々が体験した。当初予想されていたよりも遥かに多くの人々が、「アフリ カ系のレンズ越しに」アメリカを見直し、「新たな人種統合」の可能性を探 る行為に参加したことになる。バンチは、自分を含めたNMAAHCのキュ レーターを、創意工夫の「スチュワード」と呼んでいるが79、彼らはアフリ カ系アメリカ人博物館の新しい時代を、さらにはアメリカの新しい人種関係 を切り開くスチュワードでもあると言えよう。今後も引き続き、NMAAHC の動向を注視していきたい。

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1 Our Opening Year: An Overview,” National Museum of African American History and Culture (以下、NMAAHCと記す), November 29, 2018, https://nmaahc.si.edu/sites/

default/fi les/downloads/nmaahc_opening_year_annual_report_2017_0.pdf.

2 “National Museum of African American History and Culture Celebrates First Anniversary with Festivities and Extended Hours Sept. 23-24,” NMAAHC, September 13, 2017, https://

nmaahc.si.edu/about/news/national-museum-african-american-history-and-culture- celebrates-fi rst-anniversary; “National Museum of African American History and Culture Redefi nes Museum Experience on Second Anniversary,” NMAAHC, September 24, 2018, https://nmaahc.si.edu/about/news/national-museum-african-american-history-and-culture- redefi nes-museum-experience-second.

3 NMAAHCは人種・エスニック別の公式の統計を取っておらず、飽くまでも目算で あるが、アフリカ系アメリカ人以外の来場者の比率が徐々に高まり、おおよそ半 分程度になっているとのことであった(ジョアン・イポリット、筆者とのインタ ビュー、2018年8月16日)。この来場者の多様化は、18年8月中旬にNMAAHCを約 2年ぶりに訪れ、5日間に亘って博物館を視察した筆者も実感したことである。

4 Philip Kennicott, “The African American Museum a Year Later: Still the Hottest Ticket in Town,” Washington Post, September 18, 2017. 開館1周年の評価については、以下も 参照。Keith Flamer, “Smithsonian National Museum of African American History &

Culture Is Washington DC’s Hottest Ticket,” Forbes, November 24, 2017, https://www.

forbes.com/sites/keithflamer/2017/11/24/smithsonian-national-museum-african-american- history-culture-is-washington-dc-hottest-ticket/.

5 All Things Considered, “African-American History Museum Celebrates One-Year Anniversary,”

National Public Radio, September 24, 2017, https://www.npr.org/2017/09/24/553336090/

african-american-history-museum-celebrates-one-year-anniversary.

6 Rachel Sadon, “As the African American History Museum Turns One, Director Lonnie Bunch Looks Back,” DCist, September 21, 2017, http://dcist.com/2017/09/congratulations_

youve_made_it_to.php.

7 “President Obama’s Farewell Address,” January 10, 2017, the White House President Barack Obama, https://obamawhitehouse.archives.gov/farewell.

8 「新たな人種統合」について、例えば以下を参照。Lonnie G. Bunch III, Call the Lost Dream Back: Essays on History, Race and Museums (Washington, DC: AAM Press, 2010), 69-70; Faun Rice, “National Museum of African American History and Culture: A New Integration?” Curator 60, no.2 (April 2017): 249-58.

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9 NMAAHC開館に至るまでの経緯については、以下を参照。落合明子「『人種の牙 城』から『和解の場』へ国立アフリカ系アメリカ人歴史文化博物館の設立」、

肥後本芳男・山澄亨・小野沢透編『アメリカ史のフロンティアⅡ現代アメリカの 政治文化と世界20世紀から現代まで』昭和堂、2010年、210-34頁;Akiko Ochiai, “A ‘New Integration’ of Memory in the National Museum of African American History and Culture,” Journal of American Studies 29 (June 2018): 92-96.

10 Vinson Cunningham, “A Darker Presence,” New Yorker, August 29, 2016, 35.

11 落合明子「国立エスニック博物館国家の中心でマイノリティが『アメリカ』を 語るジレンマ」、明石紀雄監修『新時代アメリカを知るための60章』明石書店、

2013年、241-42頁。

12 Paul Gardullo and Lonnie G. Bunch III, “Making a Way Out of No Way: The National Museum of African American History and Culture,” History Workshop Journal 84 (Autumn 2017): 255.

13 バンチの論文やインタビュー記事の一部を以下に挙げる。なお、キュレーターに よる個々の展示やプログラム開発についての論文には、各節でそれぞれ言及する。

Bunch, Call the Lost Dream Back; Lonnie G. Bunch III, “Making a Way Out of No Way,”

Smithsonian Magazine, September 2016, 26-36, 90-94; Anthony Bogues, “This Museum Is about American Identity as Much as It Is about African American History: An Interview with Lonnie Bunch,” Callaloo Art 38, no.4 (2015): 703-9; Lonnie G. Bunch III, “The National Museum of African American History and Culture: The Vision,” Journal of Museum Education 42, no. 1 (2017): 9-12.

14 NMAAHCの開館前後には、多くのメディアが開館式典や展示について報道した。

例えば、以下を参照。Jessica Contrera, “African American Museum Opening: ‘This Place Is More Than a Building. It Is a Dream Come True,’” Washington Post, September 24, 2016; Holland Cotter, “Here at Last,” New York Times, September 22, 2016; Cunningham,

“A Darker Presence,” 34-39. 邦訳では、ミシェル・ノリス「未来へ伝えるアフリカ 系米国人の足跡」『ナショナル・ジオグラフィック』2016年10月、108-25頁などが ある。

15 代表的な研究として、以下を参照。Robert L. Wilkins, Long Road to Hard Truth: The 100-Year Mission to Create the National Museum of African American History and Culture (Washington, DC: Proud Legacy Publishing, 2016); Andrea A. Burns, From Storefront to Monument: Tracing the Public History of the Black Museum Movement (Amherst:

University of Massachusetts Press, 2013); Mabel O. Wilson, Negro Building: Black Americans in the World of Fairs and Museums (Berkeley: University of California Press, 2012); John Fleming, “The Impact of Social Movements on the Development of African American Museums,” Public Historian 40, no. 3 (August 2018): 44-73. 先行研究の整理 については、以下も参照。Ochiai, “A ‘New Integration’ of Memory,” 91-92.

参照

関連したドキュメント

37   Marine Corps Installations East-Marine Corps Base, Camp Lejeune, Range Order for Range Control Operations (MCIEAST-MCB CAMLEJO 3570. 7 , 2014 ),.

(The Jesup North Pacifi c Expedition Publications vol.VI and Memoir of the American Museum of Natural History

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Temin (2003), “Beyond Markets and Hierarchies: Toward a New Synthesis of American Business History,” American Historical Review, Vol.108, pp.404-433.. Weber (1982), “A

It was only when I looked back to San Marino, which is to say to my own culture and history, that I was able to see East Asian history from a hitherto unnoticed perspective

Keywords: Okinawa, museum education, children’s museum activities, community development, ESD, regional revitalization, Nago Museum. Department of Lifelong Education, Tokyo

Department of the Interior, Bureau of Reclamation, Brief History of the Bureau of Reclamation,(Revised July 2000.. (なお、 以下に掲げる

Bulletin of the National Museum of Japanese History        Vol.142 March 2008