問いをめぐって
著者 松本 賢一
雑誌名 言語文化
巻 14
号 2‑3
ページ 163‑190
発行年 2012‑01‑20
権利 同志社大学言語文化学会
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000012591
ドストエフスキイの『滑稽な男の夢』における ある問いをめぐって
松 本 賢 一
1.
「幻想的な物語」という副題を持つ短篇小説『滑稽な男の夢』は、Ф.М.ド ストエフスキイの発行する個人雑誌『作家の日記』1877年4月号第2章のほ ぼ全体を使用する形で発表された。先立つ第1章では東方問題が扱われ、そ こでドストエフスキイは、オスマン‐トルコ帝国やヨーロッパ列強に対する ロシアの立場の正当性を繰り返し述べ、ロシア皇帝アレクサンドル2世に よって宣戦布告されたばかりのロシア・トルコ戦争が避け難いものであるこ と、この戦争はむしろ有益なものであることを主張している。このように、『作 家の日記』の中でも特に狂躁的ともいえるほどに、ドストエフスキイの汎ス ラヴ主義的言説が最高の高まりを見せたその直後に置かれているのが『滑稽 な男の夢』であるが、その「夢」で展開されるのは、堕罪前の、いまだ黄金 時代にある人々の暮らしであり、さらにはその人類の堕落の歴史、「いくつ もの大きな戦争」<25-117>1に至る、実際の人類が辿ったと同様の「進歩」
の歴史である。故国ロシアの戦争、それも自分からすれば異教徒に対する聖 戦とも言える戦争を支持する極めてアクチュアルな発言と、この短篇で繰り 広げられるユートピアとその没落の物語との内的関連について、作者ドスト エフスキイは口を噤んでいる。時評家としてのドストエフスキイと小説家と してのドストエフスキイを区別することによって、『滑稽な男の夢』が熱烈 な戦争賛美の言葉の後に置かれていることの謎を解くことを放棄してはなら ないだろう。彼は恐らく、逡巡することなくこの作品をこの位置に置いたの である。だがこの問題に正面から取り組むことは現在のところまだ筆者の手
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同志社大学言語文化学会 ©松本賢一
に余る。とはいえ、恐らくはドストエフスキイにおける信仰や世界観の特色 に迫るための最も強力な手がかりの一つともいえるこの問題に、少しでも近 づくための基礎作業として、本稿は構想されている。
ドストエフスキイの生前、『滑稽な男の夢』」は「ただ一つのとるに足りな い反応」<25-406>を別にすればほとんど注目されることがなかった。だ がこの作品が、ドストエフスキイの全創作活動(小説だけではなく、『作家 の日記』に代表される時評類も含めて)を理解する上で極めて重要な意義を 持つと指摘されたのは、それほど最近のことでもない。例えば、К.モチュー リスキイは既に1946年にこう書いている。
(…)「滑稽な男の夢」はドストエフスキイの複雑な宗教哲学の解明 である。ここには彼の世界観全体の総合があり成就があるのだ。彼は 肉を持たない魂の彼岸での幸福を信じたのではなく、地上に神の王国 が来ることを、キリストの契約によって人類が愛の中に合一するその 実現を信じたのだ。彼が信じたのは肉・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
の復活と変容である。(…)2
だがモチューリスキイは、ただドストエフスキイの「宗教哲学」を抽象的 な言葉で解明しようとするだけではない。『冬に記す夏の印象』、『悪霊』、『未 成年』、『カラマーゾフの兄弟』といった他のドストエフスキイの作品に対し てこの短篇が持つ類型学的な関係をも彼は明らかにしようとしている。そも そも『カラマーゾフの兄弟』に関しては、『作家の日記』全体がその創作のた めの実験室になっている、というのがモチューリスキイの考えなのである。3
(C.459.)とはいうものの、『滑稽な男の夢』一篇だけに限ってみても、ドス トエフスキイの他の作品とのつながりは無数にあり、この掌篇一つからドス トエフスキイの作品世界の全体を窺うことが可能だと言って過言ではない。
ところで『滑稽な男の夢』の最も主要なモチーフのひとつである、現実世 界とは異なるもうひとつの世界、別の惑星、あるいはもうひとつの地球とそ こに生活するもうひとつの人類の存在というモチーフに関しては、すでに 1964年、Г.М.フリドレーンヂェルが、ドストエフスキイ兄弟の雑誌『時代』
に1861年に掲載されたН.Н.ストラーホフの論文『惑星の住人』がその源泉の
一つであると指摘しており4、アカデミー版全集の注釈もこの説をほぼその まま受け入れている。<25-400>
本稿はこのフリドレーンヂェルの指摘を出発点とし、またそれを検証しつ つ、『滑稽な男の夢』の主人公が作品中で自らに発するある奇妙で荒唐無稽な、
しかし彼の人生を決定させるに至るひとつの問いの由来を、ドストエフスキ イの先行作品に求めようとする試みである。また、証明はできないものの、
この問いがドストエフスキイ自身の実生活の体験から生じてきた現実的な根 を持つものである可能性をも示唆したい。文学作品に書かれていることがす べて作者自身の経験であるなどと主張する意図は毛頭ないが、しかし『未成 年』の創作ノートに書かれている次の言葉は、決してドストエフスキイの一 時の感想であるとは思えない。
(…)長篇小説を書くためには、何よりもまずひとつか、またはい くつかの、作者の心によって現実に経験された強烈な印象を蓄えてお かねばならない。こ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
こに詩人の仕事がある。この印象から、テーマ、
プラン、そして構成の全体が発展していく。こ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
れはもう芸術家の仕事
で・ ・ ・ある。芸術家と詩人は、どちらの場合でも―両方の場合に相互に助
け合うものだけれども。(…)<16-10>5
『滑稽な男の夢』は「長篇小説」ではなく短篇ではあるものの、それを書 きあげるために「何よりもまず」ドストエフスキイが蓄えておいた「強烈な 印象」のひとつを取り出そうというのである。
2.
短篇小説『滑稽な男の夢』は、その題名通り、主人公でもあり語り手でも ある「ぼく」(「滑稽な男」)がある年の「11月3日」に見た夢をその主な内 容としている。
「7歳頃から」<25-104>自分の事を「滑稽な男」であると自覚し続け、
成人した後、この世のことはすべて「どうでもいい(всё равно)」<25-
105>と思うようになった「ぼく」は、「二か月前」<25-106>から自殺を
決心し、拳銃を用意していた。決行せずに先延ばしにしていたのは「ぼく」
にとっては自殺でさえも「余りにもどうでも良すぎた」ために、「どうでも 良いという気持ちがそれほどでもなくなる時機を待って決行しよう」<25-
106>と思っていたからにすぎない。だがこの11月3日の夜、帰宅途中に、
夜空にひとつの星を見付けた「ぼく」は、今夜こそピストル自殺を決行しよ うと決める。なぜかはわからないが、「星がぼくにアイデアをくれ」た
<25-106>のである。
だがこの時、「8歳くらい」<25-106>の貧しい身なりの少女が「ぼく」
のひじを摑んだ。彼女はなぜか恐怖にとらわれ、絶望したように悪寒に震え ながら「ママが! ママが!」と叫び、「ぼく」の助けを求めた。だが「ぼく」
は少女の訴えに耳を傾けず、「足をとんと踏み鳴らして脅し、怒鳴りつけ」
<25-106>て彼女を追い払った。自室に帰ってからの「ぼく」は、拳銃を 前にして考え込む。「ぼくはどうしてあの女の子を助けなかったんだろ う?」<25-107>2時間もすれば骸と化し、まったく存在しなくなる「ぼく」
が、あの少女に哀れみを感じることの意味、助けずに追い払ったという恥の 感情の意味、等々、解くことのできない疑問が次から次へと彼の中に沸き起 こる。「しかしぼくが自殺するなら、たとえば二時間後に自殺するのならば、
ぼくにとってあの女の子がなんだというのだろう、そして恥だとかこの世の ありとあらゆることだとかが何の関係があるのだろう?」<25-107~108>
自分が無になるということは、全世界も無になることだという唯我論めいた 考えさえ浮かんだ。そして次のような「奇妙な考え」<25-108>が不意に 彼を訪れるのである。
(…)「もしもぼくが以前月か火星に住んでいて、何か想像のおよぶ かぎり最も恥知らずで破廉恥な行為をして、そのために、夢の中での み、悪夢の中でのみ時おり感じもしまた想像できるような形で侮辱さ れ名誉を傷つけられたのだとしたら、そして、もしもぼくがそのあと 地球に来て、ほかの惑星で仕出かしたことの意識を持ち続けていて、
しかももうあそこにはどんなことがあっても決して帰ることはないと 知っているとしたら、そうだとしたら、地球から月を見ているときに
ぼくはどうでも良いと思えるのだろうか。ぼくはその仕出かしたこと に恥を感じるのだろうか。(…)<25-108>
疑問の数々が「ぼく」を半狂乱にし、今はまだ死ねないという気持ちにさ せる。「ひとことで言えば、あの女の子がぼくを救ったのだ。なぜならぼく はこれらの疑問のせいで引き鉄を引くのを先延ばしにしたのだから。」
<25-108>「ぼく」は椅子に座ったまま寝込んでしまい、夢を見る。
夢の中で、「ぼく」はピストルの弾き金を引くが、やがて墓場から蘇生し、
「黒っぽい、ぼくの知らない存在に」<25-110>に導かれて宇宙空間を飛行 した後、自分たちの太陽系とは異なる太陽系に属するもう一つの地球に辿り 着く。このもう一つの地球で「滑稽な男」は堕罪以前の人類に出会い、いま だ歴史の揺籃時代にあるような、平和で温和な人類の暮らしを見ることにな るのだが、やがて彼自身が原因となってこの無垢の人々を堕落させてしまう。
この堕落は、彼によれば、「些細な嘘」<25-115~116>から始まり、情欲、
嫉妬、所有、戦争、革命…と、主人公がもともといた地球の人類が辿ったの と同様の道を辿っていく。夢から覚めた「滑稽な男」は、自分が夢で見た「真 理」を伝えるための「伝道」の人生を歩もうと決める。
以上が『滑稽な男の夢』の概要である。夢で「真理」を見ただけのことで、
伝道者のような人生を歩もうと決めるがゆえに主人公は「滑稽な男」なのか、
それとも自身で認めているように、彼は子供の時から「滑稽」であったのか も判然としないし、彼が伝えようとする「真理」の中身も(作品の最後でスロー ガンのように「おのれを愛するごとく他者を愛せ」というイエスの言葉6が持 ち出されはするものの)<25-119>明確ではない。その意味では摑みどこ ろのない作品であるということもできよう。しかしながら、すべてが「どう でもいい」と考え、虚無感から自殺まで決心した「滑稽な男」が、夢で「真 理」を見たがためにその「真理」を「伝道」する人生を歩もうと決心するに 至る過程を描いているという点で、この作品はパウロにおける回心のような 出来事を描いた作品だとも言い得るし、夢の中でのこととはいえひとたび死 んだ人間がもう一度新たな生命を得たという点で、復活の物語だということ もできる。それも象徴的な意味合いではなく、一度死んだ肉体の復活をかな
り意識してドストエフスキイはこの作品を書いた節がある。7
だが本稿で問題にしたいのは、拳銃を目の前にした主人公を襲う様々な疑 問の中でも「もしもぼくが以前月か火星に住んでいて」という仮定から始ま る極めてエキセントリックな疑問である。地球以外の天体に想像を馳せると いう点では、あるいはこの問いは彼に自殺の決行を決断させたひとつの星の イメージが呼び水になって出てきたものであるかも知れない。だが、この「月 か火星」に住んでいた時に仕出かす「想像のおよぶかぎり最も恥知らずで破 廉恥な行為」という言葉が、文脈から言って、哀れな少女を助けずに追い払っ たことを極端な形で表現したものだとすれば、この問いは紛れもなく、少女 に助けの手を差し伸べずに自殺する自分は、死んだ後でもそのことに対する 自責の念に駆られるのだろうかという問いとして問い直すことができよう。
ならばこの時点で、すべてが「どうでも良」かった筈の「ぼく」は死後の、
もうひとつの生の可能性を意識していることになる。死後も恥の意識を持続 するのか否か、どうせ死ぬのならばどのように破廉恥な真似をしても良いの か――この問題を解決するまで拳銃の引き金を引くことができないのは、彼 が死後の、あるいは今生きているのとは別の生の可能性を気にし始めたから なのである。確かに、「ぼく」自身が言うように、「あの女の子がぼくを救っ た」のだとはいうものの、彼を自殺から直接的に救ったのはこの問い、彼の 言葉を用いれば、不意に訪れた「奇妙な考え」であったと言うことができる。
一方、見落としてはならないのは、この問いはその直後に彼が見る夢の動 機付けとしても働いているということである。夢の中で「ぼく」は、「月か 火星」ではないにせよ、もうひとつの地球に移住している。その際、彼は自 分がもとの地球で仕出かした「破廉恥な行為」についての意識を持ち続けて いる。「もしも自分が別の惑星で破廉恥なことを仕出かして、その後地球に やってきたのだとしたら」という仮定が、「地球で破廉恥な事を仕出かして、
その後もうひとつの地球にやってきた」という形で、夢の中では現実のもの となっているのである。
このように、主人公の「ぼく」を自殺から救い、その後彼が眠り込んだ後 で見る夢の、いわば重要な伏線ともなっているこの突飛な問いが、「滑稽な 男の夢」という作品の結構の上で極めて重要な役割を果たしているというこ
とは疑いを容れないが、この問いは作者ドストエフスキイにとって『滑稽な 男の夢』という作品を離れても重要なものであった。すでにアカデミー版全 集の注釈でも言及されているように、ドストエフスキイはこの問いを『悪霊』
(1871~72)の中でも用いているからである。8 ただし『悪霊』の中では「別 の惑星における生活」というモチーフは十分に展開されなかった。むしろ、『悪 霊』の中で登場人物の一人スタヴローギンが何気なく漏らした一言が拡大さ れ、一篇の作品の中心テーマとなったのが『滑稽な男の夢』なのである。
3.
先述したように、『滑稽な男の夢』の主要モチーフとも言い得る、現実世 界とは異なるもうひとつの世界、別の惑星、あるいはもうひとつの地球とそ こに生活するもうひとつの人類の存在という発想が、ストラーホフが『時代』
1861年1月号に発表した『惑星の住人』という論文の影響を受けたものであ
るということは夙にフリドレーンヂェルが指摘している。だとすれば、「も しもぼくが以前月か火星に住んでいて、何か想像のおよぶかぎり最も恥知ら ずで破廉恥な行為をして…」という言葉で始まる問いもまた、ストラーホフ の論文の影響下に生まれてきたものなのだろうか。
注意しなければならないのは、実はストラーホフのこの論文は、地球以外 の天体に住む生物、もしくはもうひとつの人類というものについて想像した り、そのようなものに仮託して非現実的なユートピアを空想したりする事を 皮肉たっぷりに諷したものだということである。そもそもの書き出しで彼は こう言っている。
(…)われわれにとって惑星の住人など何の用があろう?われわれ が正確な知識を持つこともできず、如何なる関係を結ぶこともできず、
そのせいでわれわれが暖かくなることも寒くなることもあり得ない、
そんな存在についてどうして検討する必要があるのだろう?この浮世 のわれわれの状況に全注意を向けたほうが良くはないか。それでなく ともわれわれは、そういったことを論じる事少なく、また拙いのがし ばしばであるのだから。(・・・)9
こう言いながらもストラーホフは、どんなことにでも興味を持ちたがるの が人間の常だから、他の惑星にも生物がいるかという問題も検討はしておか ねばならないという姿勢で、古今の著作者がこの問題にどう対しているかを 検討し始める。ラプラス、コント、シェリング、ルソー、ヴォルテール、フォ ントネル等々といった「偉大な思想家」の、他の天体の生物についての不用 意な発言や自家撞着が、ストラーホフ持ち前の辛辣な文章で批判の俎上に乗 せられていき10、論文の後半はほとんどが、巨大なシリウス星人ミクロメガ スの宇宙旅行と地球での見聞を描いたヴォルテールの寓話『ミクロメガス』
(1738)の好意的な引用紹介となる。
このように、他の惑星に生命が存在し得るか否かという問題を長々と検討 してはいるものの、彼の目的は、先に述べたように、他の星に生命が存在す るかのような言説に心を惑わされないように読者を説得することにあるの だ。論文の終わり近く、彼は言う。
(…)他の世界などはまったく空虚であり、人の命の一サイクル(寿 命のこと―松本)の後には、いかなる新しい一サイクルも続きはしな いのだというつもりで人間は自らの人生を見ていいのだし、またその ように見なければならない。(…)人生の一刻一日は空虚な永遠など というものの全体ひっくるめたものよりも大きな意義を有している し、ひとつの命ある存在は命ない星々の浮かぶ空全部よりも大きいの だ。(…)11
つまりストラーホフは、皮肉な形ではあるものの、もうひとつの世界や、
別の人生といったものに空理空論を費やすよりも、今この世における現実の 生を重視せよと説いているのであり、極めてリアリスティックに現実世界に おける個々の生命の尊さを誇らかに宣言しているのである。この論文が掲載 された『時代』の編集者として原稿に目を通したであろうドストエフスキイ には、例えば次の一節などは耳が痛かったかもしれないし、『滑稽な男の夢』
執筆時にも彼の脳裏をよぎったかもしれない。
(…)われわれは想像上で惑星の幸福な住民のもとに飛び去って行っ たりするが、それは地上の生活の退屈や憂さから一息つくためなので ある。かつて黄金時代を偲ぶことが好まれたのも全く同様のことであ る。(…)この手の空想は山とある。それらは専門的な呼称を持って いる―ユ・ ・ ・ ・ ・ートピアという呼称を。(…)12
だが、結果として、ストラーホフの論文は別の惑星の住人たちというイメー ジでドストエフスキイを誘惑したものの、そのような空想から遠ざからせる ことはなかった。それゆえにこそドストエフスキイは、『悪霊』においてス タヴローギンの口からそのような他の惑星(実際には月であるが)の住人に ついての問いを洩らさせたのだし、またその空想を煮詰めて結晶させたよう な『滑稽な男の夢』を書いたのである。そこでは「他の惑星」は、「ぼくた ちのとまったく同じ太陽」<25-111>、ぼくたちの太陽の「複製であり分 身である」<25-111>太陽の惑星としての「もうひとつの地球」として現 れた。ただしその「もうひとつの地球」は、ストラーホフが皮肉に批判した ように、単なる現実逃避のユートピアではなく、われわれの地球と同じ運命 を辿っている。その意味でもこの「もうひとつの地球」は、われわれの地球 の「複製であり分身」なのである。
ストラーホフが『惑星の住人』を発表した1861年から、ドストエフスキイ が『悪霊』を書いた1871年や、『滑稽な男の夢』を書いた1877年まででは時 間の隔たりがありすぎるように見えるが、この隔たりを埋めるために、やや 弱い論拠ではあるが、次のような事例を紹介しておこう。私見によれば、ス トラーホフの論文の影響は、すでに『罪と罰』の準備資料13の中にも見られる。
これは『罪と罰』第6部第1章で、しばらくの間時間の感覚を失いペテルブ ルクを彷徨した主人公ラスコーリニコフが、クレストフスキイ島で目を覚ま すシーンの短い叙述「この夜遅く、朝近くに、彼はすっかり凍えて熱病にか かった状態で、クレストフスキイ島の藪の中で目を覚ました。」<6-337>
の原型の一つと推定されるメモである。
(…)クレストフスキイでひと朝だけと雨のしずく数滴。雨のしず くの後――こ・ ・ ・ ・ ・の惑星の人々の自・ ・ ・然な心理的欲求。だがとどのつまりは ラズミーヒンのもとでみんなと仲たがいし、当のラズミーヒンにも自 分をほっといてくれるよう頼んだ。(…)<7-142~143、圏点部分は 原文でイタリック>14
「別の惑星」ではなく「この惑星」となっており、『罪と罰』の最終稿では この用語すら消えているが、わざわざイタリックで記している所にドストエ フスキイのこの言葉への拘りを窺うことができる。だがそれだけではない。
ここで注目すべきは「この惑星の人々」という言葉が「雨のしずく」への言 及の後に続くようにして出てきていることである。この「雨のしずく」は恐 らくは主人公ラスコーリニコフを目覚めさせるものとして想定されていたの であろうが、実際にはそうはならなかった。だが、「滑稽な男」の夢の中では、
自殺後埋葬された彼を覚醒させたのがやはり「柩の蓋から滲み出した水滴」
<25-110>であったことを想起しなければならない。強力な証拠と言うわ けにはいかないが、『滑稽な男の夢』のディテールのひとつが、「惑星の住人」
という言葉とともに、『罪と罰』を構想していた時期のドストエフスキイに 既に浮かんでいたという可能性を指摘しておきたい。
このように、フリドレーンヂェルが指摘したごとく、ストラーホフの論文
『惑星の住人』が『滑稽な男の夢』の構想にそれなりの役割を果した可能性 は高いといえる。しかしながら、ドストエフスキイが『悪霊』で最初に、と はいえ不十分な形で使用し、『滑稽な男の夢』においては作品の鍵概念とも いえるほどの機能を担わせることになったあの問いそのものが、『惑星の住 人』の中には見当たらないことを確認し、強調しておかなければならないだ ろう。別の天体での別の生活というイメージについてはストラーホフに多く を負ったとしても、別の星で犯した恥ずべき事柄に対して、住む星を変えて も自責の念を覚えるのだろうかという問いの本質部分は、ドストエフスキイ のオリジナルなのだろうか。
4.
短篇『滑稽な男の夢』が、どこか明確さを欠いた、摑みどころのない作品 といったイメージを与えることは先述した。しかしそれは主として、主人公 の夢が叙述される作品の後半部分が与える印象であって、「ぼく」が眠りに 落ちるまでの部分、言い換えれば、宇宙やもう一つの地球といった架空の世 界ではなく、19世紀後半のペテルブルクという現実的な世界を背景とする限 りにおいては、奇妙なまでの、そしてドストエフスキイ特有の具体性を帯び る。やはり一人称で語られる『白夜』(1848)や『地下室の手記』(1864)の 主人公と同様、「ぼく」の名が明かされないどころか、年齢さえ明らかでな い(『白夜』、『地下室の手記』では年齢は明かされている)といった匿名性 こそあるものの、「ぼく」が少女に出会い、自殺を先延ばしにして「夢」を 見たのが「11月3日」であることや、少女の服装や、「ぼく」の部屋の肘掛 椅子が「ヴォルテール風」<25-106>である事等、今のところは明らかに されていないが、これら具体的な情報は、意図したものもそうでないものも 含めて、すべて何らかの理由で作者によって与えられたものであろう。その ような具体的細部のひとつとして、主人公が語る「兄の夢」が挙げられる。
主人公である「滑稽な男」は、自分が11月3日に見た夢を語る前に、少し 脱線して、夢というもの一般が不可解なものであるということを語る。
(…)夢というものはよく知られているように奇妙なものだ。ある ものはぞっとするばかりの明晰さをもって、まるで宝石職人の手にな るように細かい仕上げの細部をともなって現れるのに、別のものは、
たとえば時間や空間などは、まったく気づかぬままに飛び越えてしま う。どうやら夢を駆り立てているのは理性ではなく願望であり、頭で はなく心であるようだ。(…)<25-108>
ここで彼は、自分が見ることのある奇妙な夢の例として、唐突に「ぼくの 兄」(мой брат)の夢を持ち出す。
(…)たとえば、ぼくの兄は5年前に死んでいるのだが、ぼくは時々 夢でこの兄を見る。兄はぼくの仕事に参加していて、ぼくたちは夢中 になっている。しかしぼくは、この夢が続いているあいだずっと、兄 は死んでいて埋葬もされていることをちゃんと分かっているしおぼえ てもいるのだ。兄が死んでいるのにそれでも今ぼくのそばでぼくと一 緒にあくせくしているということに、ぼくはどうして驚かないのだろ う? なぜぼくの理性はこんなことをすっかり許しているのだろう?
(…)<25-108~109>
アカデミー版全集の注釈では、ここで作者ドストエフスキイは自らの兄ミ ハ イ ー ル の こ と を 述 べ て い る の だ と 解 説 し て い る が <25-406>、 兄
(старший брат)とも弟(младший брат)とも限定せずにただ<мой брат>(私 の兄弟)と記されている以上、読者にとってそれがミハイールの事であるか どうかは本来どうでもいいことかもしれない。しかしながら、ドストエフス キイ夫人アンナがその回想の中でも述べているように15、ドストエフスキイ が亡兄ミハイールの出てくる夢をたびたび見、それに重要な意味を見出して いたらしい事を考えるならば、ここでの兄の夢への言及も簡単に見過ごす事 はできないだろう。「滑稽な男」の口を通してドストエフスキイが読者に伝 えようとしているのが、まさに「ぼくの兄」ミハイールの出てくる夢の事だ とすれば、ここで疑問が生じる。夢の中で時折見る「ぼくの兄」の事を、な ぜわざわざドストエフスキイは「5年前に」死んだなどと書いたのであろう か。ドストエフスキイにとっては兄というよりも最も親しい友、文学上の同 志、分身とさえいえるほどのミハイール16が、雑誌『時代』の発禁処分を受け、
新たに雑誌『世紀』の発行に漕ぎ着けるまでの奮闘の結果、過労で急死した のは1864年、ドストエフスキイが「滑稽な男の夢」を執筆していた1877年か ら振り返るならば、「5年前」ではなく13年前の事だからである。
逆に考えるならば、兄ミハイールの死を「5年前」のことと言い得る年、
すなわち1869年という年がクローズアップされる。1877年に執筆しながら、
この時ドストエフスキイは1869年の自分になって、すなわち48歳の自分に 戻って兄の事を想起しているとも言えよう。この推測が当たっているかどう
かを確認するためには、1869年のドストエフスキイに何が起きていたかを見 なければならない。
1869年、ドストエフスキイの新妻アンナとのヨーロッパ放浪は3年目を迎 えていた。フィレンツェ、ヴェネチア、ウィーン、プラハ、そして8月初頭 にドレスデンに到着し、翌々1871年の7月、帰国の途につくまで、夫妻はこ の地に居を定める事になる。1869年の段階では,ドストエフスキイの賭博熱 はまだ完全に冷めていなかったし、9月には貧窮の中で次女リュボーフィが 生まれ(前年には長女ソーフィヤを生後50日余りで亡くしている)ても、そ のお産の費用も支払えないという有様であった。17
亡兄ミハイールとの関わりで言えば、この年の初めからドストエフスキイ は、亡兄ミハイールの未亡人エミーリヤ・フョードロヴナとの軋轢を抱えて いた。そもそもこの軋轢は、彼がアンナ・グリゴーリエヴナと再婚した時か ら始まったといえる。この嫂からすれば、夫の死後、自分や子供たちを養育 する責任があったドストエフスキイが、アンナと結婚して長期に亘ってヨー ロッパに滞在することによってその責任を放棄したという思いがあった。ド ストエフスキイからすれば、自分は煙草工場経営や雑誌発行で兄が作った借 財を引き受け、その上筆一本で嫂エミーリヤとその子供たちをできるだけ支 えてきたという自負があった。1869年初頭、エミーリヤはフィレンツェのド ストエフスキイに宛てて毎月の定期的な送金を依頼する手紙を送り、これを 受けてドストエフスキイは1月14日、やんわりとした拒絶の返事を出してい るが、例えば3月8日付で姪ソーフィヤ・イヴァーノヴァに宛てた手紙では
「大体、私に近しいあの家族はこぞって私を絶望に陥れます。(…)彼らは不 幸があると常に、私ばかりを責めるのです。」<29/Ⅰ-27>と、嫂の非を鳴 らしている。とは言うものの、その記憶を今も愛する兄の家族との不和はド ストエフスキイを悲しませたであろうし、上記イヴァーノヴァ宛の手紙でも、
自分が兄や兄の家族にしてきたことを延々と並べ立てる彼の筆は、自分と兄 との関係を改めて振り返っているような印象さえ与える。
一方で、この1869年の夏からドストエフスキイの体調は悪化し、癲癇発作 の頻度も高くなった。よほど心配であったらしく、1870年の1月になってか ら、ドストエフスキイはこの一連の発作についてメモを作り、頻度や原因に
ついての考察を書き付けている。だが、「発作(1869年)」という題で始まる このメモに記されているのは癲癇発作だけではない。8月3日のフィレン ツェ、8月10日のプラハ、8月19日のドレスデンでの発作の記述に続くのは、
次のようなメモである。
(…)9月4日、ドレスデンで発作。発作の直後、まだベッドにい る間に、胸のところに苦しい、まさに耐え難いほどの圧迫、そのせい で死ぬかもしれないと感じる。温湿布(熱した皿と熱い灰を包んだタ オルを用いた乾式のもの)をやって30分で止む。(…)<27-100>
以後、この発作メモは1870年以降も続くのだが、持病の癲癇とは別にこの 時に彼を襲った胸の痛みはドストエフスキイを脅かしたようで、6月16日の 日付があるメモ(アカデミー版全集の編集部により、1870年のものとされて いる)によれば、その前夜彼は兄の夢と父の夢を見、夢の中で父が彼の右の 乳首下当たりを指して「お前はどこも元気だが、ここがとても悪い。」と言っ たという。<27-104>
この時の夢には、兄や父の他に祖母やその他の先祖たちも出てきたという からかなり病的なもので、『滑稽な男の夢』の中で言及される夢に擬したい ところだが、1870年6月の夢である以上、「5年前」に死んだ兄が出てきた 夢だとは言えないだろう。18 ただここで強調しておきたいのは、兄の死か ら5年たった1869年のドストエフスキイは、残された兄の家族との関係に蟠 りを覚えつつ、「5年前に死んだ」兄と自分との関係を何度も想起したであ ろうという事、次女とはいえ、実質的には最初の子供を授かった悦びとは裏 腹に、従来の持病の他に「死ぬかもしれない」と感じるほどの健康不安を新 たに抱えたという事であり、日常的なものとなった貧窮とは別にこれらの要 因が、彼の気分に及ぼした影響は決して小さいものではなかっただろうとい うことなのである。
5.
アカデミー版全集の注釈でもすでに指摘されていることだが<9-484>、
1869年9月4日に経験した胸の痛みと、その痛みを温湿布で押さえ込んだ経 験を、ドストエフスキイは当時執筆していた中篇『永遠の夫』(1870)の中 でそのまま用いている。
ペテルブルク在住の中年男ヴェリチャーニノフは、これまで上流階級を 悠々と泳ぎまわり、人生を己のやりたいように享楽して来た人物である。だ が、その容色もまださほど衰えてはいないものの、40歳を目前に控えて、彼 は不意に一種の「ヒポコンデリー」<9-5>状態に陥った。そこへ丁度目が けるようにして、彼は9年ぶりにトルソーツキイという人物と再会する。9 年前、ヴェリチャーニノフはT市というところで人妻と情事を持ったが、そ の夫がトルソーツキイなのである。ヴェリチャーニノフは、トルソーツキイ から彼の妻、不倫の相手であったナターリヤが死んだことを知らされる。ま たトルソーツキイは、ヴェリチャーニノフがT市を去った後生まれた娘リー ザを伴ってきており、自分が妻とヴェリチャーニノフの不倫を知っているこ と、リーザがヴェリチャーニノフの娘であることを絶えず仄めかし、時には 卑屈な態度をとったり、時には殺意をむき出しにしたりしながらヴェリ チャーニノフにつきまとい、彼を苦しめる。
ドストエフスキイの発作経験は、ヴェリチャーニノフのものとしてこの作 品の第15章で利用されている。この章では、ヴェリチャーニノフの家に宿泊 していたトルソ-ツキイが温湿布を使ってヴェリチャーニノフを介抱すると いう設定になっている。また痛みが治まって眠りに就いたヴェリチャーニノ フをトルソーツキイが剃刀で襲って失敗するというエピソードがその後に続 いている。「永遠の夫」、万年寝取られ亭主のトルソーツキイの複雑な心理を 描いた、いわば作品の最後の山場ともいうべき場面である。
ヴェリチャーニノフの場合、この胸の痛み(ドストエフスキイ自身の場合 は「圧迫」)は初めてのものではないという点、痛みは「肝臓から」<9-
96>来るものであるというふうに痛みの原因がはっきりと書かれている点で ドストエフスキイのメモとは異なっているが、熱した皿を利用した温湿布を 用いる点、アカデミー版全集の注釈者はあえて触れていないが「30分後に」
<9-97>痛みが止むという点など、ドストエフスキイがつい最近に自分で 味わった発作の経験をそのまま再現したということは間違いないだろう。だ
がここで注意しなければならないのは、このときの胸の痛みとそこからの回 復が、これに続くトルソーツキイによる襲撃の失敗と共に、作品冒頭依頼ずっ と続いていた「ヒポコンデリー」状態からヴェリチャーニノフが解放される ための重要な契機となっているということである。朝を迎え、トルソーツキ イを帰らせた後のヴェリチャーニノフの心理は次のように描かれている。
(…)彼は並々ならない大きな喜びの感情に浸っていた。何かが終 わった、けりが付いたのだ。何やら恐ろしい憂愁は去っていき、完全 に吹き散らされてしまった。そう彼には思われたのである。5週間こ の憂愁は続いたのである。(…)<9-100>
この後、トルソーツキイはペテルブルクを去り、ヴェリチャーニノフは「ヒ ポコンデリー」のせいで断ち切っていた社交会とのつながりを修復し、以前 の生活に戻っていく。最終章では、2年後の彼について次のように描写され る。
(…)詳細に立ち入らず、この2年で彼がすっかり生まれ変わった、
いやむしろ、良くなったということを指摘するに留めておこう。以前 のヒポコンデリーはほとんど痕跡もなかった。2年前ペテルブルクで、
訴訟がうまく行っていなかった頃に彼に取り付き始めようとしていた 色々な「思い出」や不安の数々―病の然からしむるところであったが
―の内、今も彼の内に残っているのは、かつて自分が小心だったとい う意識から来る、ある種の秘められた恥の思いだけだった。(…)<9-
106>
それではヴェリチャーニノフが脱することのできた憂鬱な状態、「ヒポコ ンデリー」はどのような症状として現れていたのか。これについては第1章 に詳しく書かれている。顔付きに現れる悲しみと痛みの翳、知人たちとの行 き来の停止、不眠といったことが挙げられる。しかしこれらを招来する原因 の根本は、上の引用にも少し出ている「思い出」にあるのである。毎日のこ
とはすぐに忘れてしまうのに、
(…)遠い昔にまつわること、10年も15年もすっかり忘れてしまっ たこと、そんなことがすべて突然、今になって時折り思い出されるよ うになった。それもその印象や細部が驚くほど正確なので、あたかも もう一度経験し直しているかのようだった。思い浮かべた事実の中の あるものなど、すっかり忘れ果てていたので、思い出したこと自体が 奇蹟と思えるほどであった。(…)<9-7~8>
こう言った「思い出」には、ヴェリチャーニノフ自身が社交界で仕出かし た不首尾や、味わわされた恥辱といった、彼自身の言葉によれば「低級」な ものもあったが、かつて自分が故なく辱しめた人物にまつわる「高級」なも のもあった。最も見易い例は、ヴェリチャーニノフが、ただただ自分の機知 をひけらかしたいがために満座の中で辱しめた老官吏にまつわる思い出だろ う。
(…)この事実などはすっかり忘れていたために、老人の苗字すら 思い出せなかったほどである。出来事の一部始終が、不思議なほどはっ きりと一時に浮かんできたのではあったが。(…)そしてあの老人が 子供のように泣き、手で顔を覆った様を、今「これというわけもなく」
思い出すと、ヴェリチャーニノフは急に、自分はこのことを一度とし て忘れたことなどなかったような気になったのである。それに奇妙な ことだった。あの時は何もかもがとても滑稽に思えたのだ。だが今は
―逆である。細々としたことが、両手で顔を覆ったということそのも のが、逆に思えるのである。(…)<9-8>
日々の生活の中で、これという理由もなく、過去の出来事が生々しく記憶 によみがえるということは誰にでもあることだろう。しかしヴェリチャーニ ノフを不眠に、ヒポコンデリー状態に追いやった「思い出」、特に「高級」
な方の思い出の特質は、自分が過去に犯した何気ない罪、その時には取るに
足りないこととして気にもかけずに通り過ぎてしまうことのできた罪が、10 年も15年もたってから不意に痛みを伴って想起されるという点にある。それ ゆえ、二つ前の引用は「思い浮かべたこと自体、奇蹟と思えるほどのことも あったぐらいだ。」という言葉の後にこう続くのである。
(…)だがこれだけではまだすべてではないのだ。そもそも人生経 験豊かな人にそれなりの思い出がない筈はなかろう。しかし問題は、
こうして思い起こされた事柄のすべてが、今度は、事実に対する、ま るで誰かが用意したような、まったく新しくて思いがけない、以前に は考えも付かなかったような視点をもって戻って来ていたという点に あるのである。なぜある種の思い出は今の彼には全き犯罪のように思 われたのであろう?(…)<9-8>
6.
人間は日々の暮らしの中で、大なり小なり何らかの罪深いことや恥ずかし いことをして生きている。法に触れることは別として、その罪深いことや恥 ずかしいことは時の流れによって押し流され、そんなことはなかったかのよ うに時に自分自身も信じ込んで生きているのが通常の人間だといえよう。時 間という仕切りによって、それら過去の罪深いことや恥ずかしいことは、あ たかも別世界で起きた事柄のようにして人間は日々の生活をやり過ごしてい る。だがこの仕切りに穴があいたり、あるいはこの仕切りそのものが外され たりするようなことがあると、まるで別世界のような遠い昔の出来事は今に よみがえり、それが自らの恥辱に関わることならば憤りを新たにし、他者の 恥辱や不利益に関わることならば、自責の念を覚える。ヴェリチャーニノフ が陥っている状況はこれであろう。そしてその前半生において勝手放題の暮 らしをしてきたヴェリチャーニノフにとって、後者の例は圧倒的に多く(「数 百もある」<8-9>と語り手は書いている)、「なぜある種の思い出は今の彼 には全き犯罪のように思われたのであろう?」という感慨が生じるのは無理 からぬところである。
人生を時間軸でだけ捉え、遠く過ぎ去った過去の行為に対して、回想とい
う形で現在の視点からとらえ直し、その行為に痛みを覚えるというヴェリ チャーニノフのこの状態は、しかし日常生活においてもあり得ないことでは ない。ヴェリチャーニノフのように鬱状態に至るほどのことはなくとも、現 実世界では誰の身にも生じることである。だが過去の行為が、それが余りに も遠い過去のことで、かつての自分が余りにも注意を払わなかったがために、
自分の人生という時間軸のどこかでではなく、どこか別の世界で、確かに自 分がしでかしたことではあるけれども今現在自分が生きているこの世界では なく、空間的に離れた別の世界で仕出かしたことだという風に捉え直してみ たらどうか。いわば、行為と責任、または行為に対する責任の意識という問 題を、時間から空間に、それも宇宙をも含む空間に軸を置き換えて問い直し たならばどうなるか。そこに出現するものこそ、ドストエフスキイが一度『悪 霊』で用いたものの十分に展開されることなく、その後『滑稽な男の夢』で 十全の展開を見たあの問い、すなわち、
(…)「もしもぼくが以前月か火星に住んでいて、何か想像のおよぶ かぎり最も恥知らずで破廉恥な行為をして、そのために、夢の中での み、悪夢の中でのみ時おり感じもしまた想像できるような形で侮辱さ れ名誉を傷つけられたのだとしたら、そして、もしもぼくがそのあと 地球に来て、ほかの惑星で仕出かしたことの意識を持ち続けていて、
しかももうあそこにはどんなことがあっても決して帰ることはないと 知っているとしたら、そうだとしたら、地球から月を見ているときに ぼくはどうでも良いと思えるのだろうか。ぼくはその仕出かしたこと に恥を感じるのだろうか。(…)
という問いではないだろうか。「もしもぼくが人生のある時に恥知らずで破 廉恥な行為をして、そのあと忘れるほど時間がたって、もう決して過去に戻 ることはないと知っているとしたら、今からあの時のことを振り返った時に、
ぼくはどうでもよいと思えるのだろうか。ぼくはその仕出かしたことに恥を 感じるのだろうか。」一見突飛で荒唐無稽な、「幻想的」という副題にふさわ しい『滑稽な男の夢』の問いの正体は、「滑稽な男」でない誰もが人生のあ
る時点で自らに問うことのできる、この現実的で常識的な問いではなかった か。
『永遠の夫』を論じるのが本論の目的ではないので細部には立ち入らない が、先にも述べたように、この作品は40歳を前にしたヴェリチャーニノフが 自分を襲った精神と肉体の危機を脱した顚末の物語としても読むことができ る。無論この危機の前後でヴェリチャーニノフの生活に生じた変化はほとん どない。せいぜい、訴訟によって勝ち取った新たな遺産をかつてのように浪 費すまいと思い定めているぐらいである。だが、自分にリーザという娘がい たと知り、トルソーツキイに代わって養育しようと決めた時の彼の内心のざ わめき19が、その後の彼の人生に何の影響も与えないとは考えられない。た だそのような変化は現実の生活においてそう簡単に見られるものではない。
日常の生活において、「滑稽な男」が遂げるような「回心」はそうそう起き ることではなく、ヴェリチャーニノフ程度の「変化」を繰り返して生きてい くのが普通の人間なのである。自分が仕出かした破廉恥な行為について、ヴェ リチャーニノフが立てる問いと「滑稽な男」が立てる問いの落差は、二人が 遂げる「変化」と「回心」の落差に見合っていると言えよう。
最後に一つ仮説を立てて本稿を閉じることにしよう。ヴェリチャーニノフ が経験する発作的な胸の痛みがドストエフスキイ自身のものであることは確 実だが、ではヴェリチャーニノフの精神状態もまたドストエフスキイ自身の 経験をもとにしたものではなかったか、という仮説である。もしもこの仮説 が正しければ、「なぜある種の思い出は今の彼には全き犯罪のように思われ たのであろう?」という感慨もドストエフスキイ自身のものであり、彼はこ の自身の問いを、ストラーホフの論文に刺激されて『悪霊』や『滑稽な男の 夢』で提起される形に「洗練」していったことになるだろう。この仮説を証 明することはできないが、ヒポコンデリー状態にあったヴェリチャーニノフ が第2章で見る夢をひとつの材料として提示しておきたい。
(…)彼はおよそ3時間ほど眠ったが、それも不安な眠りだった。
熱病の時にでも見そうな奇妙な夢を見るのだった。それは何か犯罪に ついての夢で、それも自分がそれを犯して隠し立てしているようで、
どこからか絶えず彼の部屋に入って来る人々が、その犯罪のことで声 を揃えて彼を非難するのだった。(…)しかし関心は挙げてひとりの 奇妙な人物に集中した。その人物とはかつて非常に親しい知り合いで、
もう亡くなっているのだが、なぜか今、やはり不意に彼の部屋に入っ て来たのであった。何よりも苦しいのは、ヴェリチャーニノフにはこ れがどういう人物か分からず、名前も忘れていて、どうしても思い出 せないということだった。分かっているのはただ、彼がかつてこの人 物をとても愛していたということだけであった。(…)<9-15>
この後ヴェリチャーニノフは,この人物がいつまでも口を利かないことに 腹を立て、狂ったようにこの人物を殴り続けるのであるが、そこで夢は巧み に現実の世界へとつなげられ、ヴェリチャーニノフも目を覚ますのである。
『永遠の夫』という作品の枠内で言えば、この夢の中の訪問者はトルソー ツキイであり、ヴェリチャーニノフは夢で彼との再会を予感したということ になるのだろう。だがそうだとすれば、「かつてこの人物をとても愛していた」
という記述には疑問が残る。『永遠の夫』という作品を読む限り、その妻と の不倫関係を持っていた頃にヴェリチャーニノフがトルソーツキイを「とて も愛していた」とは到底考えられないからである。ではこの「人物」、「もう 亡くなっている」が「かつて非常に親しい知り合い」で、「とても愛していた」
「人物」とは誰であろうか。
ドストエフスキイが書いていないことに対して憶断を下すことは差し控え なければならないだろうし、ヴェリチャーニノフは夢の中でこの「人物」を 殴り続けることになっているのだから話は穏やかではない。しかしドストエ フスキイがここで、自分の見た兄の夢を、それが兄であるということを伏せ て小説に利用したのではないかと考える誘惑に筆者は打ち勝つことができな い。1869年に執筆された『永遠の夫』で描かれる夢に登場するのが亡兄ミハ イールであるならば、それはまさに「5年前に死んだ」「ぼくの兄」の夢だ からである。『滑稽な男の夢』で言及された「5年前」に死んだ兄の夢とい うものが、時にはここに引いたような内容を持っていたとすれば、1869年当 時のドストエフスキイを支配していた気分は、ヴェリチャーニノフのものと
同様に重苦しいものであったといえる。ならば、ヴェリチャーニノフの乗り 越えた精神と肉体の危機はドストエフスキイのものでもあって、彼はまずそ の顚末を「現実的な」レベルで『永遠の夫』という作品に結実させ、8年後 には同じことを「幻想的な」レベルで描き直したということも可能である。
むろん、このことを証明するには、まだ多くの材料が必要だろう。だが差し 当たりは、『滑稽な男の夢』の基本モチーフとなる主人公の問いが、その8 年前に書かれた『永遠の夫』における、人生の途上で誰にも訪れるような感 慨に源泉を持っていたと指摘することによって、これら二作品の間に、今後 の考察に資する補助線を引くを得たと考えたい。
註
1 ドストエフスキイからの引用は、すべてФ.М.Достоевский. Полное собрание сочинений в 30-ти тт.; Изд. «Наука»,Л., Т.6, 1973;Т.7, 1973; Т.9,1974; Т.10, 1974;Т.25, 1983;Т.29,1986.によるものとし、煩雑を避けるために本文中の< >内に巻数と 頁数を算用数字で示した。また本文中でこの全集に触れるときは、これも煩雑を 避けるため「アカデミー版全集」と略記した。
2 К.В.Мочульский. Достоевский―жизнь и творчество,YMCA-PRESS, Париж, 1980,
С.458.なお、本書の初版は1947年発行で、ここで使用したのは第2版である。
3 Там же. С.459.
4 Г.М.Фридлендер. Реализм Достоевского. Изд. «Наука», М.-Л.,1964. С.36. 厳密に言 えばフリドレーンヂェルは、ドストエフスキイの蔵書の中にあったことを根拠に、
なぜか『時代』誌上のストラーホフ論文ではなく、1872年に彼が出した単行本
«Мир как целое»に収録されたものが源泉の一つだと言っているのだが、この本は 筆者の手元にないので、本論では『時代』紙掲載時のものを用いた。
5 原文はすべて大文字。圏点部分は原文ではイタリック。
6 マルコによる福音書第12章第31節。
7 例えば、夢の中でピストルで自分を撃つ際に、主人公は「以前、必ず頭を撃つ、
それもほかならぬ右のこめかみを撃つと決めていた」<25-109>にも拘らず、
心臓を撃っている。頭ではなく心臓・心(ロシア語では同じсердце)を撃たせた ドストエフスキイの含意はともかく措くとしても、墓での蘇生の場面で彼は「心 臓あたりに肉体的な痛みを」<25-110>感じているし、宇宙空間を飛行した末 にもうひとつの太陽の光を浴びた際には「甘やかな、呼び招くような感情が歓喜
となってぼくの魂の中で鳴り響き始めた。ぼくを産んだのと同じ光の産みの力が ぼくの心・ ・臓に響き、甦らせた。そしてぼくは生命を、以前の生命を、あのぼくの 墓以来初めて感じた。」<25-111、圏点は松本>と言っている。復活が、そもそ も命を奪った傷のあるところを意識することから始まるような書き方をしている ところに、ドストエフスキイの復活観の一端を垣間見ることができよう。ドスト エフスキイが象徴や比喩ではない肉体の復活を信じようとしていた点について は、以下の拙稿を参照されたい。松本賢一「アリョーシャ・カラマーゾフの死と 復活(1)」『むうざ』第5号(ロシア・ソヴェート文学研究会、1987.5.)95頁~
98頁。
8 『悪霊』第2部第1章「夜」の第5節で、決闘の介添えを依頼するためにキリー
ロフを訪ねたスタヴローギンは、ピストル自殺が話題にのぼったあとで、何か凶 悪なことや恥ずかしいことをやったとしても、ピストルを自分のこめかみに撃ち 込んでしまえば、後は何も残らない、という考えを述べ、さらに語を継いでこう 続ける。「あなたが月に住んでいたとしましょう。(…)そしてそこであらゆる滑 稽な醜悪事をしたとしましょう…これから先千年も、永遠に、月のある限りあな たの名前を嘲笑し、唾をひっかけるということをあなたはこちらにいて確かなこ ととして知っているのです。ですがあなたは今はここにいて、こちらから月を見 ておられる。あなたが向こうで何をやろうが、あちらの人たちが千年もあなたに 唾をひっかけようが、それがこちらにいるあなたに何の関係があるでしょう。違 いますか?」<10-187>キリーロフの答えは「わかりませんね(…)月には行っ たことがありませんから」というものであった。<10-187>
9 Н.Н.Страхов. Жители Планеты. «Время»,1861,№1.Т.1,Отд.Ⅲ,С.1. ただし本稿では IDCによるマイクロフィッシュ版 «Время. Журналъ литературный и политическiй издаваемый подъ редакцiей М. Достоевскаго»を用いた。
10 コントを批判する部分ではдвойные звезды(二重星)への言及があり(C.18)、
あるいはこの事がドストエフスキイに「二つの地球」という発想をさせるヒント となったかもしれないが、今は措く。
11 Н.Н.Страхов. Жители Планетъ. С. 55.
12 Там же. С.28. 圏点部分は原文でイタリック。
13 『 罪 と 罰 』 の 創 作 ノ ー ト は、 草 稿(черновой автограф) と 準 備 資 料
(подготовительные материалы)とに分かれている。前者は相当の長さにわたって 綴られたもので、完成稿の異文としての性格も持っている。後者は様々なエピソー ドや場面についての断片的なスケッチや、ドストエフスキイ自身の心覚えのため のメモが記されており、全体として統一を成しているとは言い難い。ここで言う
「準備資料」は1865年の10月から12月にかけてのものと推測されている。<7-
400>
14 「雨のしずくの後」から「頼んだ」までは、余白への後からの書き込み。
15 А.Г.Достоевская. Воспоминания. М., Изд. «Правда», 1987. С.93.を参照のこと。
16 『滑稽な男の夢』の草稿には、兄の出てくる夢を語る部分の下書きのようなもの が含まれている。そこでドストエフスキイは、「あるものはぞっとするばかりの 明晰さをもって、別のものを飛び越えてしまうが、大事なのは、たとえば、兄は 五年前に死んだと分かっているのに、しばしば彼を夢に見て後から驚くというこ とだ。これはどういうことだろう。だってぼくは夢の中ででもぼ・ ・くが死んだとい うことは分かっているのに、死んだ彼がそれでもやはりこのぼくの脇にいて生き ているということに驚かないのだ。」<25-231、圏点は松本>
アカデミー版全集の編集部はこれを単なる誤記としているが、ドストエフスキ イの兄ミハイールへの思い入れの深さを考えるならば、実に興味深い「誤記」で ある。
17 1869年10月16日付A.H.マイコフ宛書簡参照。<29/Ⅰ-69>
18 とはいうものの、この点に関して筆者にはやや疑義がある。この兄や父の出てく る夢についてのメモは、アカデミー版全集が出版されるまでは、Е.Н.コンシナの 編 集 に よ る『 ド ス ト エ フ ス キ イ の 覚 え 書 き ノ ー ト 』(Записные тетради Ф.М.Достоевского. Подготовка к печати Е.Н.Коншиной, комметарии Н.И.Игнатовой и Е.Н.Коншиной. Академия. М.-Л. 1935)でしか見ることができなかった。ただし それは、一連の発作メモの一部としてではなく、『悪霊』の創作ノートの一部と してである。このメモを『悪霊』の創作ノートから外して一連の発作メモの一部 としたのは、アカデミー版全集の編集者の判断だろう。筆者はコンシナの本を見 ていないが、この本を底本とする米川正夫個人訳の河出書房版ドストエーフスキ イ全集で(『ドストエーフスキイ全集』第10巻(河出書房新社、1970年。242頁)
その内容を確認することができる。問題は、コンシナ版では、月と日しか記され ていないこのメモの書かれた年を特定することは避けているにも拘らず、アカデ ミー版全集ではこのメモが1870年のものであると推測し、括弧付きで「1870年」
という執筆年を明示してしまっていることにある。もちろんこの推測にもそれな りの根拠はあるだろうが、現在筆者が本文で行なっているようなアプローチをし た場合には、このメモが1869年のものであると推測することもまた可能なのでは ないだろうか。
19 リーザをトルソーツキイの手から引き離し、知人の家に預けようと決心した時 のヴェリチャ-ニノフについて、語り手は次のように述べている。
(…)ただ一つのことだけが彼には分かっていた。今彼の感じていることは、
彼がまだ感じたことのなかったことであるということ、そしてこれは彼の全生 涯にわたって彼のもとに残るであろうということである!「これこそ目的だ、
これこそ人生だ!」彼は有頂天になって思った。(…)<9-38>
ヴェリチャーニノフのこの歓喜を、実質的には最初の子となったリュボーフィ の誕生を経験したばかりのドストエフスキイの喜びの反映と見ることは可能であ ろう。だがそれよりも興味深いのは、『滑稽な男の夢』において主人公が新しい 生を享けるきっかけとなった少女の年齢(8歳くらい)とリーザの年齢(7,8歳)
<9-30>がほぼ一致するということである。
ПО ПОВОДУ ОДНОГО ОНТОЛОГИЧЕСКОГО ВОПРОСА В РАССКАЗЕ Ф.М.ДОСТОЕВСКОГО «СОН СМЕШНОГО ЧЕЛОВЕКА»
Кэнъити МАЦУМОТО
Давно замечено, что источниками рассказа Ф.М.Достоевского
«Сон смешного человека»(1877) послужили некоторые произведения, принадлежащие не только к русской, но и к мировой литературной традиции. Если же обратить внимание только на мотив существования другого мира, другой планеты или другой Земли, нельзя не увидеть, что он навеян статьей Н.Н.Страхова «Жители планеты», которая была опубликована в журнале братьев Достоевских «Время» в 1861 году.
О возможности существенного влияния статьи Страхова на рассказ Достоевского Г.М.Фридлендер писал еще в 1964 году в своей работе
«Реализм Достоевского». Но отражение восприятия Ф.М.Достоевским статьи «Жители планеты» можно найти ещё и в «Подготовительных материалах» к роману «Преступление и наказание».
В своей статье «Жители планеты» Страхов рассуждает о возможности существования во вселенной живых существ и о возможности сходства этих существ с человеком. Но надо