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アメリカにおけるオリエンタリズムとトランスナシ ョナル ・ ナラティブ ‑アメリカンスタディーズの 3つの試み‑

著者 和泉 真澄

雑誌名 言語文化

巻 6

号 4

ページ 655‑680

発行年 2004‑03‑10

権利 同志社大学言語文化学会

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000004628

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アメリカにおけるオリエンタリズムと トランスナショナル・ナラティブ

―アメリカンスタディーズの3つの試み―

和 泉 真 澄

はじめに

「オリエンタリズム」の概念を世に出し、近代の国際関係、植民地主義、

帝国主義、人種関係などに関する学問的考察に決定的な影響を与えたエドワ ード・サイードが世を去った。オリエンタリズムという言葉で、サイードは、

西洋が小説や絵画、映画などの文化的表象のなかで東洋を規定してきたこと、

そしてその規定の仕方が植民地支配のための経済的・政治的、そして文化的 権力の正当化と深く結びついてきたことを指摘した。1 オリエンタリズムは、

「西洋(我々、支配者、白人、文明)vs東洋(他者、被支配者、非白人、野 蛮)」という二項対立によって成り立っており、政治的支配者である西洋は、

東洋が何たるかを(実際に東洋に住んでいる人間の思惑には関係なく)定義 することによって、知の面でも支配を確立するのである。サイードの分析は、

18〜19世紀のヨーロッパ文学や文化表象を対象としており、それとヨーロッ パのアジア(中近東)支配との関連を考察しているが、オリエンタリズムの 概念は、その後ヨーロッパのみならず、合衆国も含めた西洋の世界的拡大と、

それらの国々での非西洋の人種主義的表象を関連付けるのに、広く応用され てきている。2

オリエンタリズムの概念の根幹を成しているのは、東洋と西洋を二項対立 的に置くことによって、その双方を規定する表象の政治である。東洋を他者 と規定することによって、西洋を同時に定義できる。たとえば、東洋を女性 として小説や絵画の中で規定すれば、西洋は男性となり、男性が女性を支配

「言語文化」6-4:655−680ページ 2004.

同志社大学言語文化学会©和泉真澄

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するさまざまなメタファーを用いることにより、人々は西洋が東洋を支配す る現象を、連想を使って納得することができる。文化的表象は単独では機能 し得ず、他のさまざまな連想を伴うことによって、真の効力を発揮する。そ のため文化研究とは、人種・ジェンダー・階級・セクシュアリティなど、複 雑に絡み合った関係性を分析し、目に見えない権力構造を明らかにする作業 なのである。二項対立は、この解読作業のための比較的わかりやすい物差し であると言えよう。

さて、オリエンタリズムに限らず、自己を規定するために、それと対照的 な他者を定義することは、国家、集団、個人を問わず、アイデンティティ構 築の過程ではしばしば用いられる手段である。とりわけ、アメリカ合衆国の 自己規定は、建国の時点で「ヨーロッパ(王政、封建主義、専制、旧世界、

宗教的迫害など)とは異なる」という差異化の作業から出発している点が興 味深い。たとえば、1776年の独立宣言は、人間の不可侵の権利を「生命、自 由、および幸福の追求」と規定しているが、その後の部分で、イギリス王の 専制的行為をかなり執拗に列挙することによって、政治的に自由でない状態 がいかに抑圧的なものであるかを強調し、逆にアメリカの自由を際立たせて いる。アメリカが「ヨーロッパと異なる」という点は、その後のアメリカの 自己規定のなかで重要な役割を果たし続けるが、しかし、ヨーロッパ以外の 人々との出会いを通じて、やがてアメリカは自己とヨーロッパを西洋として 一括りにし、それ以外の世界に住む人々やそこからやってきた人々を他者化 することによって、国内では独自の人種関係を、また国際的にはオリエンタ リズムに大きく影響されるが同時にヨーロッパ列強のそれとは異なる、特異 な対外関係を作り出していったのである。そこで本稿では、アメリカの非西 洋との出会いを扱った3冊の本を書評することにより、アメリカ国内の非西 洋に関する文化的表象とアメリカの対外政策がどのように関わってきたのか を考察する。

本稿で扱う3冊の本は、Matthew Frye Jacobson, Barbarian Virtues: The United States Encounters Foreign Peoples at Home and Abroad, 1876-1917 (New York: Hill and Wang, 2000)、Christina Klein, Cold War Orientalism: Asia in the Middlebrow Imagination, 1945-1961 (Berkeley: University of California Press,

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2003)、およびMelani McAlister, Epic Encounters: Culture, Media, and U.S.

Interests in the Middle East, 1945-2000 (Berkeley: University of California Press, 2001)である。これらの本はいずれも、アメリカのなかで、非西洋、すなわ ち「外国」がどのように描かれてきたか、また構築された「外国」観が逆に アメリカの自己認識をどのように規定してきたかを、国内の文化とアメリカ の対外政策との関連のなかで説明した労作である。

ひとつ注意しておきたいのは、これらの本は3冊ともアメリカの国際関係 を主要な題材としながらも、分析の中心はあくまでも、アメリカ人が彼らに とっての「外国」をどのように描いてきたか、そしてそれを通して「アメリ カ」をどう捉えてきたかであり、外交や対外政策そのものを扱ったものでは ないことである。その意味で、アメリカの対中南米政策、対アジア政策、対 中近東政策に関する情報を期待している読者は失望するかもしれない。3冊 とも外交史や国際関係論の本ではなく、学問的分野としては、アメリカの歴 史と文化表象の関係を主な分析対象とする、アメリカンスタディーズに分類 されるべきであり、また、そのように読んでこそ、3人の著者のやらんとし ていることを正しく評価でき、またその作業の共通点も見えてくる。そして、

この共通点を見ることで、現在のアメリカンスタディーズが取り組もうとし ている課題も浮き彫りになるのである。3

そこで本稿では、まず、それぞれの本についての書評を行い、最後に再び 3冊をまとめて論じることにより、アメリカンスタディーズの課題と今後の 方向性について考察をしたいと思う。

Matthew Frye Jacobson, Barbarian Virtues: The United States Encounters Foreign Peoples at Home and Abroad, 1876-1917 (New York: Hill and Wang, 2000)

この本は、イェール大学で教鞭をとるマシュー・ジェイコブソンの3冊目 の著書である。ジェイコブソンの初期の研究は、イギリス系以外のヨーロッ パ系移民、特にアイルランド系やユダヤ系の人々の体験を扱っている。1998 年に出版されたWhiteness of Different Color: European Immigrants and the

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Alchemy of Race (Cambridge, Massachusetts: Harvard University Press, 1998)は、

「ホワイトネス研究」の代表作の一つである。アイルランド系やイタリア系、

ポーランド系、ユダヤ系の人々は、19世紀後半にアメリカに移民として大量 にやってきたが、アメリカに初めから白人として受け入れられていたわけで はなかった。むしろ、19世紀から20世紀初めのアメリカでは、似非科学的な 人種理論が強い影響力を持っており、現在では白人とまとめて考えられてい る人々が、アングロサクソン(イギリス系)、ケルト(アイルランド系)、地 中海(イタリア系、ギリシャ系など)、ヘブライ(ユダヤ系)などの人種カ テゴリーに分けて認識されていた。やがて、アングロサクソン以外のヨーロ ッパ系移民は、労働運動、大衆文化、市民権をめぐる裁判など、さまざまな 場における運動と交渉を通じて、白人としての地位と特権を確立していく。

その過程に重要であったのは、ヨーロッパ系以外の移民と自らを差異化する ことであった。ジェイコブソンは人種概念が歴史的に変遷してきたことを示 し、人種が科学的概念でも実体的カテゴリーでもないことを論じた。さまざ まな民族が政治的・経済的影響力を競い合う、アメリカ史上の権力闘争、階 級闘争のなかで人種の概念がいかに利用されたか、変化させられてきたかを ジェイコブソンは「人種の錬金術(alchemy of race)」という表現を使って説 明したのである。

Barbarian Virtuesでは、ジェイコブソンは、19世紀末から20世紀初頭まで のアメリカの国際的膨張とアメリカに流入してくる移民という、二つの現象 の関連性を分析している。この本は、それまで一緒には扱われてこなかった、

国際関係と移民の問題を関連させたことに意義があるが、それぞれの事象に 関する歴史的事実関係の記述は、かなり大雑把であり、正確さに欠ける部分 もある。また、歴史を専門とする者から見れば、本書の注の少なさにはかな り不満が残るであろう。しかし、本書は、文化的表象と歴史的事実との関連 性をわかりやすく、しかも大胆な切り口で説明をしている点で、その斬新さ が高い評価を受けたものと思われる。

本書は、「経済」、「イメージ」、「政治」の三部構成となっており、それぞ れの部分に2章、すなわち対外関係と国内情勢に1章ずつ当てることで成り 立っている。第一部第一章では、アメリカが工業化し、製品が国内で消費し

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きれない生産過多に陥ったことにより、余剰の製品を海外に輸出するための 市場が必要となり、新たな市場開拓に乗り出したときに作られた「外国」観 を説明している。とりわけアジアと中南米に矛先が向けられるが、その際に は「文明化=  civilizing」のミッションが海外進出を正当化するための言説と して使われたことを著者は指摘するのである。19世紀末のアメリカは中南米 諸国への関与を深め、またハワイ、フィリピンの領有など、太平洋に帝国主 義的拡大を遂げるが、その過程で「外国」と出会ったアメリカ人は、他の文 化を「野蛮=  barbarian」と規定し、それらを文明化するという名目で支配や 介入を正当化した。文明化のミッションは、アメリカの対外膨張が自国の経 済的政治的利益の追求ではなく、支配される側にとって恩恵をもたらすもの、

と説明されたのである。そしてアメリカの支配は、アメリカ製品を現地に流 通させる。「もし、靴をはいていない先住民に対し、靴の概念をありがたく 啓蒙し教えることが彼らのためになると考えるとすれば、それはすなわち、

先住民たちは自分自身が何を必要としているかを[文明国に]教わらなければ ならないことを暗に示している。すなわちもっとも彼らに不必要なのは、自 らの運命を自ら決定するための声なのである」(56)とジェイコブソンは文 明化の言説に含まれる人種主義を批判する。この論理では、アメリカ人が、

野蛮人に文明の利器を買わせるには、野蛮人を文明化しなければならないが、

文明化はあくまでアメリカに都合のよい形でのみ許されるのである。

第一部第二章では、国内の工業化が逆に国外からの労働力を必要とし、大 量の「外国」からの移民の流入へとつながった過程が描かれている。このこ とは、アメリカが「外国」へ行くだけでなく、「外国」がアメリカに来るこ とを意味する。しかし、アメリカにやってきた労働者たちは、皆一様に受け 入れられたわけではなかった。ヨーロッパ系移民は、初期こそ排斥されるこ ともあったが、白人としての地位と特権を次第に確立していく。そして、そ のための踏み台として他者化されたのが、アジア系をはじめとする非ヨーロ ッパ系移民たちである。ジェイコブソンは、この人種化のプロセスが単に人 種のレトリックのみならず、階級やイデオロギーのレトリックと組み合わせ て行われたことを指摘する。アメリカに必要な労働力ではあったが、「安い 賃金でアメリカ人と経済的に競合するアジア系」や「労働争議などを持って

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くるラディカルな労働者」などが、「不適切な労働力」として規定され、そ の後、移民法やその他の市民権の点でこれら「不適切な外国人」の権利は大 きく後退するのである。

第二部は、「外国」のイメージを、旅行記、小説、雑誌などの表象を通じ て分析している。非西洋世界は「野蛮」な世界とされたことは前に述べたと おりだが、ひとつ興味深いのは、本来は同時代に空間的に広がっている多種 多様な文化を、西洋文明をもっとも進んだものとして、他の文化を時系列的 に言説のなかに配置した点である。すなわち文化の多様性を多様性ではなく、

ひとつの進化の過程のなかで、進んだもの、あるいは遅れたものとして捉え、

それによって西洋文化の優位性を説明したのである。一方で、「外国」人の イメージには「高貴な野蛮人(noble  savage)」というポジティブな表象もあ てがわれた。近代化・工業化された西洋が競争と暴力にあけくれる世界であ るとすれば、文明化される以前の人間は、平和、純朴、そして本来の自然社 会に備わった秩序を持ち合わせているとも考えられた。「野蛮人がこれまで そこで暮らしてはいたが所有はしていなかった 無駄な土地 を、ヨーロッ パ系アメリカ人がより効率的に使うことが出来る」(172)とする「白人の役 目(White man’s burden)」の考え方は、同時に非白人に対して振るわれた暴 力・破壊・虐殺など、野蛮な行為への「負い目(burden)」でもある。優生 学や初期の人類学は、国内外の人種的ヒエラルキーを支える力強い言説を作 り出したが、同時にこの時代の「外国」人観には、非西洋に対する劣等感や 憧れもイメージとして頻繁に現れることを、ジェイコブソンは指摘している のである。

第三部は、アメリカ国内と海外植民地における「外国人」をめぐる政治を 扱っている。資本主義の発達により必要となった労働力としてやってきた移 民(異民?)ではあったが、アメリカ国内では、彼らに対する排斥運動が展 開された。ジェイコブソンは排斥をめぐる3つの言説を分析する。1つは、

移民がマシーン政治を牛耳り、アメリカ生まれのアメリカ人に脅威を与えて いるという論理である。2つ目は、共和政治は自治を担うだけの人徳のある 人間のみが行うことができ、移民、特に人種的マイノリティの移民は、アメ リカ社会に同化できず、政治にも関与するにふさわしくないという主張であ

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る。3つ目は、排斥に対する移民たちの反応や抵抗である。移民たちは、自 らの権利を確保するために法律に訴えたり、自分たちが自らを律し、アメリ カの民主主義に貢献するに足る人徳を持っていることを主張したりした。し かし一方で、移民たちは、母国とのつながりを保ち、同化に抵抗して、民族 主義を自らのよりどころとして持ち続けたのである。

一方、海外植民地でも、被支配者に自ら統治する能力があるかどうかが問 題となった。植民地政策が必要なのは被支配者に共和政治が行えないからで あるという説明がなされ、そのことを論理的根拠として、植民地の人間に投 票権など政治的な力を与えることは避けられ、植民者の支配が正当化された のである。しかし、植民地支配の恩恵を拒否したフィリピンの場合は、支配 を確立するための手段は明確であり、それは銃と暴力であった。戦いは凄惨 を極めた。支配を確立した後に、アメリカは再びフィリピン人をアメリカ人 化しようとする。ところが、アメリカの「反植民地主義的」植民地主義は、

常に矛盾を抱えていた。すなわち、もしフィリピン人が完全にアメリカに同 化する能力を持っているなら、自らを統治する能力がないという論理そのも のが崩れ、アメリカのフィリピン支配の根拠を脅かしてしまう。逆に、フィ リピン支配をフィリピン人のアメリカ化によって正当化するとすれば、フィ リピン人の同化可能性を否定するわけにはいかない。アメリカの帝国主義的 拡大は、このように「外国」に対して、アンビバレントな関係を常に含んで いたのである。

本書のタイトル、「野蛮人の美徳=  Barbarian  Virtues」という言葉そのもの が表わすように、19世紀末から20世紀初頭のアメリカは、「外国」に対して アンビバレントな関係を持っていた。アメリカ人は、国内の移民、海外の異 民(族)に対して、優越感と同時に劣等感を抱いていた。Barbarian  Virtues とは、文明化されていない人々が、文明化されてしまった人々がすでに失っ た野性のエネルギーをまだ持ち続けていることへの、白人の憧れでもある。

また、植民地支配や国内の移民への差別を正当化するために、片方で「外国」

人の人間性を否定し(dehumanize)ながら、同時に、海外市場で工業製品を 買ってもらうため、そして国内で工業製品を作ってもらうために、文化的・

人種的他者であった「外国」人の人間性を再び認め(re-humanize)ざるを得

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なかったのである。アメリカの「外国」人観は、このように資本主義の発展 と帝国主義的拡大、国内の支配をめぐる政治的・経済的競争など、さまざま な要素によって、複雑につむがれていったのである。

Christina Klein, Cold War Orientalism: Asia in the Middlebrow Imagination, 1945- 1961 (Berkeley: University of California Press, 2003)

この本はマサチューセッツ工科大学助教授、クリスティナ・クラインが、

冷戦下のアメリカのアジア戦略とアメリカのアジア観の変遷の関連をたどっ たものである。著者は文学が専門であるが、本の前半ではかなりの部分がア メリカの冷戦戦略について歴史的な記述に割かれている。そのため著者が本 領を発揮しているのは、後半部分のアジア関連の映画やアジア系演劇の分析 にあるように思われる。

第一章で、クラインは冷戦初期のアメリカの世界戦略を、しばしば指摘さ れる「封じ込め」よりも、むしろ「統合」への努力から見るべきであると主 張する。共産主義陣営の影響力拡大を防ぐためには、東側と敵対すること以 上に、非共産圏の国々を自陣に取り込むことが大切であった。アジア地域に おいても、アメリカの政治的・経済的そして軍事的影響力を確立することが 不可欠であったが、そのためにはアジアの人々の反帝国主義・反植民地主 義・反人種主義を払拭しなければならなかったのである。とりわけ、1949年 に中国を「失って」からのアメリカの世界戦略のなかの言説では、世界の 人々との間に情緒的つながりを作ることによってアメリカへの支持を確保す るとともに、アメリカの一般市民を冷戦に動員するための国家的イメージ作 りが展開される。そしてクラインは、このプロジェクトの重要な部分を担っ たのが中間層(middlebrow)のリベラル知識人であったことを指摘するので ある。したがって、第二章からは中間層知識人がどのようなアジアとの出会 いをしていったのか、それがアメリカのアジア戦略とどうつながっていたの かが、主要な分析課題となる。

第二章では、代表的な中間層の出版物、『リーダーズ・ダイジェスト』と

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『サタデー・レビュー』のなかで、アジアがどのように描かれているかを分 析している。どちらの雑誌も大量にアジアに関する記事を載せており、その ことは、クラインによれば、中間層の知識人がアメリカをアジアにおけるグ ローバルパワーと考えていたことの現れである。しかし、どちらの雑誌も、

アメリカのアジアに対する関わり方は帝国主義的関係ではなく、普遍的人道 主義に基づいたものでなければならないと主張した。アジアの人々に関する 情報をアメリカ人に提供することでアジアの人々に対する共感をアメリカ人 の中に生み出し、冷戦と核戦争の恐怖で無力感を感じているアメリカ人に、

外国との交流に参加し、積極的国際貢献を呼びかけるための媒体となること は、とりもなおさず、共産主義から自由を守る戦いに参加することであった。

クラインはこの時代、アジア人との交流に成功した模範的アメリカ人の例と して、ラオスの村で医療活動を行っていたトム・ドゥーリー医師の自伝がベ ストセラーとなったことに注目する。自伝はまず、アメリカ人である自分と、

文化的にも異なり、貧しさや病に苦しむラオス人との間の大きな違いを描き 出す。しかしラオス人と苦楽をともにし、彼らの身体を癒すことにより、医 師とラオス人たちの間のギャップはやがて埋まっていく。クラインは、この 橋渡しの過程が、この自伝に強い情緒的パワーを与えているという。しかし、

医師の自伝のナラティブが、アメリカ人がアジアに入り込んでいく過程を私 的領域においてのみ描いている点にクラインは問題を見出す。クラインによ れば、ドゥーリー医師を「発見」し、彼に活動資金を与え、自伝を出版する よう促したのは、実はCIAエージェントだったのである(91)。つまり、中間 層のナラティブは、アメリカとアジアとの接点を模範的個人の活動として情 緒的に描くことによって、アメリカのアジアへの進出が、帝国主義や軍事的 進出ではなく、脱植民地化しつつあったアジア人との友情に基づいた恩恵的 活動である、というイメージを作り出すために重要な役割を果たしたのであ る。

第三章は、アメリカがアジアへ拡大していく中で、観光が果たした役割を 考察している。1950年代には航空産業が飛躍的に発展し、それとともにアメ リカ人が海外旅行を頻繁にするようになった。アジアへ旅行する人も増え、

アメリカ人旅行者は、アジアの人々によい印象を与え、また外貨を必要とし

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ている非共産圏のアジア諸国にドルを落とすという意味でも、政府から戦略 的に重要であると考えられていた。クラインは、政府が観光をアメリカ人が 世界的影響力をもつ国の国民としての自覚と知識を身につけるための教育の 機会と捉えていたこと、そして観光客が人種差別的あるいは帝国主義的でな い態度を外国で示すことによって、アジアの反米感情を和らげる役割を期待 していたことを指摘している。特にアジアに関する旅行記を数多く出版した ジェームズ・ミッチナーは、「アジアを我々(アメリカ人)にとって現実の ものとした」人としてよく知られている。『アジアの声(Voice of Asia)』,

『さよなら(Sayonara)』、『南太平洋の物語(Tales of the Southern Pacific)』な どの本にあらわれるミッチナーのナラティブもまた、アジアそのものではな く、アジアに出て行ったアメリカ人を描いていることに特徴がある、とクラ インは言う。そして彼のナラティブは、著作が映画化されることによってま すますアメリカ人一般大衆にも大きな影響力を与えるようになった。

第四章は、ミッチナーの著作を映画化した『南太平洋(South Pacific, 1958)』 の分析を中心として、アメリカとアジアの関係を「家族」の概念から考察し ている。『南太平洋』の物語のなかで、アメリカ南部出身の若く美しい従軍 看護婦ネリーは、南太平洋の島でプランテーションを経営する年配のフラン ス人エミールと恋に落ちる。エミールには現地の女性との間に二人の子供が おり、ネリーがエミールと結婚するためには、この二人の白人ではない子供 を自分の子として受け入れなければならない。一方、白人エリートで海兵隊 員のジョーは、現地の女性リエンと恋に落ちる。リエンは、フランスの植民 地政策でインドシナ半島から南太平洋の島へ労働者として連れてこられた

「トンキニーズ(ベトナム人)」の娘である。つまり『南太平洋』の物語の大 きなテーマは、ネリーとジョーの二人のアメリカ人がいかに人種主義を克服 できるかなのである。クラインは、ネリーとジョーの運命に、二種類の人種 主義克服の方法を見ている。ネリーの物語は、白人のアメリカがアジアを養 子にする物語、つまり母の愛でアジアを受け入れるシナリオであり、ジョー の物語は、白人アメリカ人とアジア人女性の対等なロマンスである。クライ ンは、ネリーが結末でエミールと結婚し、子供たちと幸せな家族を築くのに 対し、ジョーは戦死するという結末に、この二つの愛のうち、成立しうるの

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は第一のシナリオのみであると結論している。すなわち、アメリカ人は人種 主義を乗り越え、アジア人とともに家族を作りうるが、あくまでその関係は アメリカが親、アジアが子供という関係のみにおいてなのである。それと同 時に、フランス人エミールとアメリカ人ネリーの年齢差は、フランスのアジ アにおける植民地支配が終わろうとしており、それに取って代わるアメリカ は若く、植民地主義や人種主義ではなく、母の愛によってアジアを支配する 新しい勢力であることを示唆している。

クラインはこの映画のシナリオの歴史的背景として、1940年代後半から50 年代にかけて、多くのアメリカ人がアジア人の子供を養子にした事実をあげ ている。アジア人を養子にすることにより、アメリカ人一般家庭は、国家政 策としてのアジアとの交流の一環に組み込まれることになり、またその行為 は、家族愛、特に母の愛によって、人種的偏見を越え、アジアを懐に取り込 む、アメリカのアジア戦略のナラティブともぴったり整合するものであった と、クラインはこの動きを説明する。そして、この時期のアメリカ人の「家 族」へのこだわりは、戦争中に社会進出を果たした女性を家庭に引き戻すと 同時に、共産主義が家族を破壊するシステムであることを強調する、イデオ ロギー的な国家戦略とも重なってくる。『南太平洋』の物語やアジア人養子 の推進運動は、アメリカのアジア進出を、「人と人とのつながり」「家族」な ど私的領域、個人的領域の物語へとすり替え、その軍事的、経済的、政治的 側面から人々の目をそらす役割を果たしたのである。

第五章は、ミュージカル映画『王様と私(The King and I,  1956)』の分析 である。クラインは、この物語もまた、アメリカがアジアを母の愛で教育し、

抱擁し、養子にするナラティブであると主張する。シャム王国の王様から子 供の教育係として雇われたアンナは、王の子供たちに西洋式の考え方を教え る。クラインが特に注目するのは、王に貢物としてビルマから献上された女 性トゥプティムが恋人と逃げる決心をする過程で、アンナがトゥプティムに

『アンクルトムの小屋』を読ませるというシーンが、ミュージカル版では原 作や初版の映画よりはるかに大きく取り上げられていることである。アメリ カの奴隷解放の物語『アンクルトムの小屋』に感化されたアジア人女性は、

個人として恋愛をする権利に目覚め、王の妾になることを拒む。一方、アン

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ナと王の間にも恋愛感情が生まれる。アンナが王に西洋式ダンスを教えるこ とにより、二人の関係はアジア的上下関係からアメリカ的個人の対等な関係 に取って代わられる。しかし、このことにより王は、逃亡しようとして捕ら えられたトゥプティムを罰することができなくなり、それは王がこれまでの アジア的権力では王国を統治できなくなることを意味した。そして、王は死 に、アンナが西洋的な考え方に感化させた息子の王子がその後を継ぐのであ る。新しい王は、アンナに王国にとどまり、王を導くよう要請し、アンナは その役割を引き受ける。こうしてアジアの王国は西洋化されるわけだが、そ れがアンナ、すなわち西洋女性の愛と養育、人と人とのつながりのなかで起 こるため、帝国主義的拡大には見えないのである。

アジアの王国がアメリカによって西洋化、近代化される物語は、アメリカ 人にとって都合のよい話であったが、クラインは、タイでは『王様と私』は 屈辱的作品として上映が禁止されたことに言及している。中間層ナラティブ では、アメリカが人種主義を乗り越え、軍事力によらず、アジア人の心をつ かむことでアジアをアメリカ化することが理想的なシナリオであるが、この ナラティブは必ずしも被支配者であるアジアでは共有されていないことがこ こに現れている。『王様と私』『南太平洋』などの物語は、歌や踊り、そして 母の愛や養育を通して語ることで、アジアのアメリカ化のプロセスを「痛み のない(painless)」ものに描いている(222)。しかし、被支配者がアメリカの 愛や親善を受け入れない場合には、どうなるか?フィリピンやベトナムの例 を見るまでもなく、合意による支配を受け入れないアジアには、暴力による 支配が待っているのである。クラインも指摘するとおり、アメリカのアジア 戦略は、「ダンス」と「銃」の両刃の剣であることを忘れてはならないので ある。

第六章は、アメリカ国内におけるアジア系の物語を考察する。まずクライ ンは、第二次世界大戦後のアメリカの世界戦略にとって、アメリカ国内の人 種主義がネックになっていたことを指摘する。したがって、人種主義の克服 は急務であり、リベラル中間層は、それまで「人種化(racialize)」されてい たアジア人を「エスニック化(ethnocize)」すること、すなわち、アジア人 とアメリカ人の違いは、その文化にあるのであって、その間に優劣はなく、

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また同化も可能である、という新しい考え方をアメリカ社会に広める役割を 担ったのである。その例としてクラインは、『南太平洋』『王様と私』を世に 出したミュージカル界の黄金コンビ、リチャード・ロジャーズとオスカー・

ハマスタインが、アジア系アメリカを描いたブロードウェイミュージカル、

『フラワードラムソング(Flower Drum Song)』を取り上げている。

『フラワードラムソング』は、リンダ・ロウとメイ・リーという二人のア ジア系女性の姿を対照的に描いている。リンダはアメリカに完全に同化した 女性として描かれ、自らの職業やセクシュアリティをコントロールしている。

リンダは白いカーテンと白い家具の部屋で白い下着をまとい、女性であるこ とを謳歌する。クラインはこの舞台装置が「同化(assimilation)=白(人)

化(whiteness)」を象徴していると解釈する(237)。しかし、この物語の本当 のヒロインはフラワードラムをたたいて歌う中国からやってきたメイ・リー である。物語の最後でヒーローであるワン・ターの愛を得るのは、リンダで はなく、静かでおとなしいメイ・リーである。『フラワードラムソング』が 人 気 を 博 し た の は 、 ア ジ ア 系 の 抱 え る 「 二 重 ア イ デ ン テ ィ テ ィ ( d u a l identity)」を描いているからである、とクラインは言う(240)。メイ・リーは アメリカ人になろうとし、アメリカの習慣も学ぶ。このことで、ミュージカ ルは中国人がアメリカ人になることは可能であることを示唆するが、同時に 中国人としての異質性を彼女に保持させることで、エスニックなアメリカを 描いているのである。

メイ・リーの持つ「二重性」は、「多様な移民でできた国」という新しい ナショナルアイデンティティを構築しようとしていた1940年代後半から1950 年代のアメリカにとって重要なものであった。世界に拡大していくアメリカ が、自らを「多民族国家」と規定することにより、世界とのつながりを主張 し、また自らの民主性や海外進出の正当性を主張するイデオロギーを広める ためには、同化された移民(異民)の存在が前面に押し出されなければなら なかったのである。

クラインはまた、ジョン・ミッチナーの『ハワイ(Hawaii)』にも言及して いる。『ハワイ』もまた、リベラル中間層の人種統合への意欲を如実に表す 作品である。ミッチナーはハワイを、多くの人種が出会う場所として描き、

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しかも皆が仲良く共存し、そして皆アメリカ人になれるという物語を書いた。

ハワイの州への昇格を支持する政治運動のなかで、この小説はハワイを人種 統合のパラダイスとして描いたのである。そしてクラインはハワイが第二次 世界大戦後にアメリカの人種的な言説の中でリベラルにとってとりわけ都合 がよかった点を2点挙げている。1つは、ハワイが非常に多文化多民族社会 であると同時に、黒人が少ないという点である。そのことにより、アメリカ のなかの人種主義に基づく暴力の歴史を過小評価できたとクラインは言う。

また、もう1つは、ハワイでは日系人が多いにもかかわらず、第二次大戦中 に強制収容が行われなかったことである。日系人強制収容は、アメリカの人 種主義を明示する具体例として、アメリカ人のみならず、アジアの人々にも 明確に記憶されていた。しかし、ハワイの例は、強制収容の記憶のアンチテ ーゼとして格好の材料となったのである。

Cold War Orientalismは、アメリカ人の中間層によって描かれたアジア像を、

アメリカの冷戦期の太平洋への勢力拡大の文脈で捉えている。重要なことは、

アメリカ国内で消費されていた「アジア像」が、実はアメリカの対外政策と 密接に関わっていたことである。そして、本の題名に反して、アメリカの第 二世界大戦後のアジア像は、二項対立的な「オリエンタリズム」をはるかに 超え、統合と排除、同化と他者化、抱擁と強要など、相矛盾する関係が複雑 に入り組んで出来上がってきたことを、この本は明らかにする。アメリカ大 衆や主流文化のなかで「外国像」「アジア像」を作ってきた中間層に着目し、

それを主に分析したクラインの研究は説得力がある。今後の課題としては、

そのほかの言説、たとえば右派の研究や、国内のさまざまな地域による差、

そしてアジア側の見方をより深く研究する必要があろう。しかし、アメリカ におけるアジアのイメージが、単に人種的偏見による無知や差別の産物では なく、アメリカが世界的影響力を拡大していく過程で、「民主主義の手本」

「近代化を促進する教師」という新たなナショナルアイデンティティの確立 に重要な役割を果たしたことは興味深い。しかも、「外国」としてのアジア 像だけではなく、国内のアジア系の表象が、「多文化・多民族社会」として 世界をリードするアメリカ像の構築と、アジア進出を正当化する「人と人と のつながり」の一要素として利用されたというのも、鋭い指摘であるといえ

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よう。アジア系アメリカ人研究のなかでは、とかく排斥や他者化の側面のみ が強調されるが、アメリカ人にアジアやアジア系が受容された側面について も、なぜ、そしてどのような形で受容されているのか、批判的な目で見るこ とが重要であることを、この本は気づかせてくれるのである。

Melani McAlister, Epic Encounters: Culture, Media, and U.S. Interests in the Middle East, 1945-2000 (Berkeley: University of California Press, 2001)

本書は、ジョージワシントン大学でアメリカンスタディーズの教鞭をとる、

メラニー・マカリスターが、博士論文を基盤として書いた著書である。内容 は、第二次世界大戦後のアメリカの中東に対するイメージの変遷である。本 書は2001年に出版されており、したがって同年9月の同時多発テロ事件以前 に書かれたものであるが、同事件が起こったことにより、一躍注目されるこ ととなった。

序論において筆者は、戦前のアメリカの中東観がまさにオリエンタリズム であったことを指摘する。しかし、本書の主旨は、むしろ戦後の中東観がオ リエンタリズムでは割り切れない複雑なものであったことを指摘することに ある。マカリスターはこれを、映画、博物館展示、テレビニュースなどを分 析しながら、6章にわけて時代順に説明している。

第一章は、1950年代に現れた中東を舞台とした3本の映画、『十戒(Ten Commandments,  1956)』『ベン・ハー(Ben-Hur,  1959)』および『クオ・ヴァ ディス(Quo Vadis,  1954)』のなかに、アメリカが中東とどのような関係を 構築しようとしていたかを見る。マカリスターは、この時代のアメリカは、

対外的に二つの大義名分を抱えていたという。すなわち、反共産主義と反植 民地主義である。1956年にはエジプトでスエズ危機が起こるが、そのときの アメリカは、スエズ運河のエジプト国有化に反対して、エジプトを空爆した 英仏を非難している。マカリスターは、男性リーダーが古代エジプトやロー マの圧政から虐げられた民を解放し、自由へ導くという映画の中のシナリオ と、アメリカ人が自らと中東諸国との関係に見出すシナリオとを重ねる。し

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かし、そこでマカリスターは、この関係が決して平等なものではなく、「恩 恵的優越性(benevolent  supremacy)」であることを指摘し、そのことが映画 の中では、登場人物のジェンダー関係のなかに反映されているとする。それ ぞれの映画のなかで、ヒロインは王やローマ将校などに性的に隷属すること は拒否するが、男性との関係において彼らの妻となること、すなわち結婚は 受け入れる。このシナリオにおいて、愛は確かに奴隷制からの解放ではある が、それは「別の種類の征服」つまり「合意の上での服従」なのである(79)。

そして、マカリスターによれば、アメリカが中東諸国に対して望んだのは、

まさにそのような関係であった。すなわちアメリカにとって、この時代に最 も都合のよかったシナリオとは、中東諸国が全体主義(ソ連)あるいは植民 地主義(英仏)の影響下から自由になり、自らの意志でアメリカの自由主義 体制の下に入ってくることだったのである。

第二章は、1960年代のアメリカで、中東すなわちイスラム世界が、人種ポ リティクスにおいて主流の声に対抗するカウンターボイスを与えたことを指 摘している。従来、アフリカ系アメリカ人の宗教といえばキリスト教の役割 ばかりが研究されてきた。黒人キリスト教は伝統的に、奴隷から自由へとい う解放の歴史を聖書の『出エジプト記』の物語と重ねる語りをしてきた。し かし、マカリスターは、アフリカ系の宗教として、もう一つ重要なものを挙 げる。それはマルコムXやネイション・オブ・イスラム、ムハメッド・アリ ーに象徴されるアフリカ系イスラム教の影響力である。アフリカ系アメリカ 人は第二次世界大戦後の脱植民地運動に大きな関心を示し、1955年のバンド ン会議はアフリカ系アメリカ人メディアのなかでも「白人優越主義に対する 明らかな挑戦」として歓迎された(90)。スエズ危機ではエジプトのナセル大 統領はアジアとアフリカの脱植民地化のシンボルと捉えられ、共感を寄せる 黒人も多かった。黒人コミュニティのなかには、キリスト教は西洋=白人の 宗教であり、イスラム教こそが真のアフリカの宗教であると捉える考え方も 存在するようになった。マカリスターは、黒人のイスラム教は「ブラック・

ナショナリズム」という呼称にも関わらず、国民国家(nation-state)に代わ る地理的認識を提供した面を評価している。たとえば、ムハメッド・アリー は、「アメリカ人である前に黒人である」と述べてベトナム戦争への徴兵を

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拒否したし、マルコムXは非暴力を標榜する黒人キリスト教がアメリカ社会 の真の人種平等にはつながらないと批判し、「目には目を、歯には歯を」と いう、より原始の宗教に戻ることを主張した。このように、黒人イスラム教 の伝統には、アメリカの主流文化に対抗し、国家の枠組みを越えて世界の抑 圧された民とつながるカウンターナラティブが含まれていたことを、見逃し てはならないのである。

第三章は、1977年から1979年にアメリカ人を魅了した『ツタンカーメンの 財宝』と題された博物館展示とそれを取り巻く言説を批判的に分析している。

マカリスターは、この博物館展示がエジプト固有の「歴史」としてではなく、

人類共通の「芸術」として評価されたことに注目する(130-1)。このことを、

マカリスターは、1970年代にアメリカ人をパニックに陥れた石油ショックと 結びつける。OPECは1973年に石油輸出国の利益を確保するために原油価格 を引き上げることを決めた。マカリスターは、石油を人類共通財産と位置づ け、その独占的所有権を主張するOPECの態度を批判するアメリカ人の語り と、ツタンカーメンを人類共通の文明と規定する語りの共通性を指摘するの である。

第四章、第五章は、パレスチナ人、イラン人など、イスラム教徒によるテ ロリズムが国際問題として浮上した時代を扱っている。1970年代には、アメ リカがベトナム戦争や石油ショックによって世界的にも国内的にも国家の威 信を失い、逆にイスラエルがテロリストに対してタカ派的スタンスでハイジ ャック事件を解決したことによって、男性的でタフなイメージを提供した。

アメリカの右派による強いイスラエル支持の要因の一つを、マカリスターは この点に見出している。さらに、1979年から1981年にかけてイランで起こっ たアメリカ大使館人質事件では、カーター大統領の命じた救出作戦が失敗に 終わり、アメリカのイメージはますます失墜した。1980年代、テロリズムは 一般アメリカ人のなかで、歴史的に特定の政治状況から生じている問題では なく、アラブ人、あるいはイスラム教と結びつけて考えられるようになり、

「イスラムvs西洋」という認識の構図が出来上がった。テロリズムのテーマ は、1980年代、ポピュラーカルチャー、特に映画やテレビ番組のなかでもし ばしば取り上げられるようになる。これらのなかでの主なパラダイムとして、

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マカリスターは次の点を指摘する。テロリズムに関するフィクションは、大 衆が見た実際のニュースのテレビ映像の記憶を基盤としており、現実には失 敗した救出劇をフィクションの中で成功させることによって一種のカタルシ スを提供している。テロのシナリオでは、交渉による解決が描かれることは なく、必ず救出の物語が語られる。これは、アメリカの男性的自己イメージ を確立するには必要不可欠である。そして、物語は必ず、罪のない市民の私 的生活がテロリストによって脅かされ、「家族」、「愛」、「個人」などのアメ リカ人の私的領域を、アメリカの国家や軍事力が守るというシナリオが描か れるのである。マカリスターは、テロとの戦いが私的領域のなかで描かれる ことによって、国家や軍隊という公的権力機構が見えなくなることを指摘し ている。

第六章は、湾岸戦争のテレビ報道に注目する。湾岸戦争は、人種的マイノ リティにとって愛国心を示す機会を提供した。テレビで放映された兵士たち の姿も人種、ジェンダーの多様性を強調するものであったし、『戦火の勇気

(Courage under Fire,  1996)』などの映画は、愛国的で勇敢な女性指揮官を描 いている。テレビの前で戦闘を指揮したコリン・パウエルは、多文化・多人 種、そして強く正しいアメリカを象徴する存在であった。マカリスターは、

このようなアメリカのメディアによる戦争の描写を、アメリカの民主主義、

自由を強調するとともに、世界中の人々が集まるアメリカこそが、世界を指 導する資格を持つ国家であるというメッセージを発していると解釈する。

マカリスターは、この本のなかで、アメリカの中東観を考える際に、オリ エンタリズムを超えた複雑なニュアンスを理解することが重要であると主張 している。中東はアメリカ人にとって、「自己」と「他者」の二項対立では 捉えきれない場所であった。1950年代には、アメリカは恩恵的優越性によっ て中東諸国を自陣に取り込もうとしたし、アフリカ系アメリカ人のなかには、

イスラム教を媒介として、国家の枠組みを越えた人種的マイノリティの連帯 を築こうとするものもいた。ツタンカーメン展示のなかに、アメリカ人は中 東文明の異質性ではなく、人類文明の共通財産を見出した。アラブ人による テロリズムが国際問題となると、アメリカ人は「西洋vsイスラム」という敵 対的認識を持ち始め、特に保守派は、イスラエルとの政治的絆を強化した。

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しかし、アメリカのメディアとアラブのテロリストは、どちらもパブリシテ ィを必要とするという意味で相互依存関係にあり、また湾岸戦争の報道では、

アメリカの文化的・人種的多様性を強調することによって、逆にアメリカの 国際的影響力を正当化するということも起こっている。中東はアメリカにと って、単なる「外国」すなわち「他者」ではなく、それぞれの時代のアメリ カの国益と自己イメージの構築のために、さまざまな形で取り込まれたり、

排除されたり、あるいは連携したり、敵対したりする存在なのである。

結び

オリエンタリズム・パラダイムの限界とトランスナショナルなナラティブの 分析の必要性

以上、3冊の本を紹介してきたが、最後にこれらの本で分析されている、

アメリカの「外国」との出会いについて、若干の考察を行いたい。まず、3 冊の共通点であるが、それぞれ扱う時代や対象は違っても、アメリカの「外 国」との出会いをアメリカの帝国主義的拡大の文脈で捉えている点は共通し ているといえよう。帝国主義は、地政学的・軍事的な国際的影響力と経済的 な支配力の両面をもっており、いずれの本もそれぞれの扱う時代における

「外国」の表象の背景には、アメリカの軍事的および経済的利益があったこ とを説明している。ジェイコブソンの本は、19世紀末から20世紀初頭にかけ て、アメリカが海外へ市場を求めると同時に、海外からの大量の労働者を必 要とするなかで、とりわけ非西洋の人々の支配を「人種」の概念によって正 当化し、また同じ「人種」の概念によって国内の人々を序列化した過程を説 明する。クラインの本は、冷戦初期にアジアへの影響力をめぐってアメリカ が共産主義と競争するなかで、非共産圏の人々からの支持を得るために、反 植民地主義、反共産主義の旗印を掲げ、人種主義もなるべく克服して、国際 協調を図ろうとする反共主義リベラルのアジア観が力を持つようになったこ とを指摘している。そして、マカリスターは、アメリカの中東観の変遷を、

この地域へのアメリカの地政学的影響力の確保と石油をめぐる利権とのかか わりのなかで論じているのである。

(21)

同時に、この3つの本に共通するのは、アメリカの「外国」観を文化的表 象から分析していることである。文化と政治を直結して考えることは危険で あるが、その時代時代の国益にかなった文化的表象が現れ、それがかなりの 影響力をもつことを、3つのケーススタディは示しているのである。逆に国 益にかなわない言説は、無害な形にして取り込まれるか、あるいは沈黙させ られる。たとえば、1950年代のアメリカにおいてアジアを紹介する役割を担 ったのは、アメリカのアジア戦略や冷戦戦略を支持していた中間層リベラル のジョン・ミッチナーであって、1940年代半ばまで思想的に大きな影響力を 持っていたアジア、特に中国に関する専門的知識人や、戦後のアジア政策に 批判的であったパール・バックらは、マッカーシズムのなかで弾圧を受け、

沈黙させられていることを、クラインは重視する。また、第二次世界大戦中、

そして戦後に、民族的マイノリティがさまざまな形で戦争や対外政策に動員 され、アジア系作家の作品も、ポピュラーカルチャーのレベルで、アメリカ のアジアへの拡大の一翼を担ったが、逆にアメリカに同化できないアジア系 の苦悩を描いた作品、たとえばジョン・オカダの『ノー・ノー・ボーイ

(No No Boy)』などは、出版された1957年当初には、まったく評価されなか った。マカリスターの指摘の中にある、ツタンカーメンの展示が中東の歴史 としてではなく、人類共通の文明・芸術として解釈されたという点も興味深 い。

一方、3冊の本に描かれる文化表象が、国益のみに支配されない複雑な動 きを見せる点も面白い。たとえば、マカリスターはイスラムがアフリカ系ア メリカ人の体制批判的な声として使われたことを指摘しており、またジェイ コブソンは、異人種の概念が「アメリカに同化できない人々」と「アメリカ に同化できる人々」という論理的矛盾を同時に内包しており、文明化されて いない人々に関する(多分にセクシュアライズされた)イメージが、劣等感 と優越感の両方を示していることを明らかにしている。そして、クラインは、

アメリカに都合のよいアジア観が必ずしもアジアに受け入れられなかったこ と、逆にアジアの反米感情が、アメリカ人をして親善友好を強調する語りを 生み出させたことを指摘するのである。文化表象においては、ヘゲモニック な権力も支配を徹底することはできず、それに抵抗するようなさまざまな解

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釈が展開され、対抗的な表象イメージも作り出される。3つの本の分析は、

文化そのものが政治的せめぎ合いの場であることを如実に示しているのであ る。

3冊の中に描かれる文化表象を比較してみることも興味深い。たとえば、

クラインとマカリスターはともに、1950年代にアメリカで大流行した映画を 分析しているが、そのなかでアジアを題材にした映画では、新たな支配者た るアメリカが女性、アジアは男性や子供として描かれているのに対し、中東 を題材にした映画では解放者たるアメリカは男性であり、その力を受け入れ るアジアは女性として描かれている。表象の政治は、ジェイコブソンも指摘 するとおり、往々にして矛盾をはらみ、クラインやマカリスターが示すとお り、その時々の政治的意図によって変幻自在なのである。

では、なぜ現在、アメリカンスタディーズにおいて、このような研究が必 要となったのであろうか。本稿で扱う3冊の本が共通して行おうとしている 作業は、アメリカ研究のなかでこれまで見落とされてきた3つの側面を補う ものである。すなわち①アメリカ史やアメリカ文化研究から帝国主義研究が 欠落してきたこと、②アメリカの国際関係の研究から文化研究が欠落してき たこと、そして③国内文化・社会研究と対外関係とを関連付ける研究がこれ まで乏しかったことである。4

まず、帝国主義研究がアメリカ史・アメリカ文化研究の枠組みから外れて きたことについて述べる。アメリカ史は「ヨーロッパ史と異なる」という点 を論理的出発点としており、対外関係においてもヨーロッパ列強の植民地主 義ではない言説、むしろ反植民地主義の言説が常に用いられてきたことに特 徴がある。この点は3つの本にも共通して表れている。「明白なる運命

=Manifest  Destiny(本当は他国の領土であったり、他民族が暮らしていた土 地であったにもかかわらず、まるでアメリカに開拓されるのを待っていたか のような神話を作り出すことによって、侵略ではないイメージを作り出すこ とに寄与した言説)」や「自由市場=Free Market(本当はそれまで現地で機能 していた経済的機構を破壊して、アメリカの商品が流通するように新しいル ールを押し付ける行為であることを、あたかもそれが自然で普遍的な経済原 理であるかのように見せかけることに寄与する言説)」といった言葉で、ア

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メリカが歴史的に領土を拡大していく、あるいは市場を拡大していく過程を 説明することによって、アメリカ史は自身の帝国主義を正当化し、ヨーロッ パの帝国主義とは異なり、あたかも恩恵的な過程であったかのように描くこ とに成功してきたのである。

帝国主義を支えてきた神話が近年崩れてきた背景には、コロニアル・スタ ディーズやポストコロニアル・スタディーズを通じて、支配されてきた側に 声が与えられるようになったことが大きく影響している。アメリカ史・アメ リカ文化研究においても、ポストコロニアル・スタディーズの影響や、国内 の被支配層に声を与えるエスニック・スタディーズの発展により、アメリカ の支配的権力構造を支える言説の脱神話化が進んできた。そして、アメリカ ン・スタディーズでは、アメリカの支配的神話があちらこちらではらむ亀裂 や矛盾を分析することによって、さらにアメリカの権力構造を解読するよう な批判的な研究が生み出されているのである。本稿で扱う3つの本は、アメ リカの帝国主義的拡大との関連において、まさにそのような作業を行ってい る。

次に、アメリカの国際関係の研究から文化研究が欠落してきたという問題 点に言及したい。これは、学問分野が専門化するにつれて、異なる分野で創 出される知の間、あるいは異なる分野に携わる研究者の間の知的交流が限ら れていることが原因として挙げられようが、実は国際関係学や外交史と文化 研究の間には、それ以上に深刻な緊張関係が存在するかもしれない。それは、

国際関係学や外交史が国家政策に深く関与する学問分野であったのに対し、

文化研究は国家政策に対して批判的な声を発する場所をアカデミアのなかで 提供してきた経緯があるからである。すなわち、研究者の学問的関心のみな らず政治的関心が、学問分野の間の緊張関係を生み出しているといえるので ある。

しかし、国際関係の研究から文化研究が欠落していることは、アメリカの 国際関係を包括的に考えるためには重大な欠陥である。というのは、国際関 係が実際の政策立案者や政策実行者のみによって動いていると考えるなら別 として、一般のアメリカ人が「外国」をどのように理解し、意味づけをして いるかを見ることが、世論や草の根の国際交流、排外運動(たとえばジャパ

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ン・バッシング)や外国人に対する差別・偏見などを通じて、大きな意味で 国家に影響を与えると考えるのであれば、そのことを研究する意味はあると 考えられるからである。一般のアメリカ人がどのような機会に「外国」と触 れ、また「外国」に関する知識をどこから得ているかを考えると、ポピュラ ーカルチャー研究やメディア研究の方法を取り入れる必要があることは明ら かであろう。そして、国内の他者、すなわち移民や外国人がアメリカ人の

「外国」理解にどのような影響を与えているかも見る必要がある。

このことは、3つ目の学問的欠落、すなわち、国内文化・社会研究と対外 関係とを関連付ける研究の欠落を補う必要があることとつながってくる。移 民研究、外国人研究も重要であるが、もうひとつ重要なことは、国家的政策 遂行者ではないが、国家政策と一般の人々とをつなぐ存在に着目することで ある。アメリカのなかで「外国」に対する知識と関心が比較的高く、小説や 雑誌、評論、主流メディアなどを通じて、アメリカ人の「外国」観の重要な 部 分 を 作 り 出 し て い る の は 、 支 配 層 と 大 衆 の 間 に 位 置 す る 「 中 間 層

(middlebrow)」なのである。3つの本はいずれも、広く受容された小説、評 論、ポスター、映画、そしてニュースなどを分析対象とする。これらは、ア メリカ人一般の「外国」観形成に大きく影響した。「外国(他者)」を定義す ることが、すなわちアメリカを定義することにつながるとすれば、国内の文 化、社会研究と対外関係とを関連付ける研究は、アメリカを理解するために も非常に重要なものとなるのである。2000年以降に出版された本稿で取り上 げた3冊のアメリカンスタディーズの本がいずれも、アメリカ研究における この三つの学問的欠落を補うような構成を持っていることは決して偶然では ないのである。

最後に、本稿で扱った3つの本が、「オリエンタリズム」のパラダイムに 依拠すると同時に、その限界を越えようとする試みであることを指摘したい。

3冊とも、アメリカが非西洋である「外国」と出会った際に、「西洋vs非西洋」

の言説を用いて自らの対外関係を説明したことを明らかにしている。「工業 化」「近代化」「民主化」などの概念を、アメリカがアジア、中東に広めよう とした際に、自らを西洋(オクシデント)、相手を非西洋(オリエント)と 二項対立的に捉えていたことは間違いないであろう。そして相手であるオリ

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エントがどういう存在であるかを規定するのは、オクシデント側の一方的な 表象なのである。

しかし、3つの本はいずれも、アメリカと「外国」との間の線引きが不可 能なことを示している。多民族社会アメリカは国内に「外国」を含んでおり、

そのことがアメリカが世界へ進出する論理的根拠にもなっているのである。

多文化主義のイデオロギーにおいては、世界の文化がアメリカを構成してお り、またアメリカのグローバル戦略は世界をアメリカ化することがその最終 目的である。しかもアメリカを中心としたグローバル化の動きは、クライン が結論で言及し、ジェイコブソンの研究が示すとおり、現在に始まったこと ではなく、1世紀以上前からずっと継続しているプロセスなのである。とす れば、オリエンタリズムは、アメリカの文脈に当てはめるとすれば、国外と 国内の両方におけるアメリカの「外国」との「出会い(encounter)」を説明 するのには有効ではあるが、アメリカと「外国」との境界線が常に揺らぐと いう意味では、アメリカの作り出す言説を説明するには限界を持っている。

必要なのは、「外国」すらも自国のイメージ構築に取り込む、アメリカの 持つトランスナショナルなナラティブを分析することである。トランスナシ ョナルなナラティブの分析は、国民国家の重要性を損なうことではなく、む しろアメリカの国民国家としての構築そのものを見るために不可欠である。

つまり、アメリカが「外国」であり、「外国」がアメリカであるが、ではそ の中で描かれるアメリカと「外国」との間にどのような上下関係、階層関係 などが見て取れるか、「外国」はどのような場面で敵となり、味方となるか、

異人種はいつ他者化され、いつ同化されるかといった、複雑なニュアンスを 解読する作業が必要なのである。オリエントとオクシデントの差異は人種の 言説のなかで語られることが多いが、実は人種主義は排除の論理として働く のみならず、排除と受容の両方の論理の中で働くのであり、その歴史的から くりを最近のアメリカンスタディーズは分析するようになっている。国内の 社会現象と対外政策の関連性を結びつけ、人種・階層・ジェンダー・セクシ ュアリティなどの要素が複雑に絡む文化表象と歴史的・政治的文脈との関係 を分析したジェイコブソン、クライン、マカリスターの本は、そういう意味 で新しく、また今後さらにアメリカンスタディーズで必要とされるような研

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究であると言えるだろう。

1  Edward W. Said, Orientalism (New York: Vintage Books, 1979).

2    本稿で取り上げる本以外にも、オリエンタリズムを批判的に分析する研究が、

近年アメリカンスタディーズの分野で多数出版されている。Robert G. Lee, Orientals: Asian Americans in Popular Culture (Philadelphia, Penn.: Temple University Press, 1999); Henry Yu, Thinking Orientals: Migration, Contact, and Exoticism in Modern America (New York: Oxford University Press, 2001); Gary Y. Okihiro, Common Ground: Reimagining American History (Princeton, N.J.: Princeton University Press, 2001); Mari Yoshihara, Embracing the East: White Women and American Orientalism (Oxford : Oxford University Press, 2003)など。

3    本稿では、地域研究として日本で行われている「アメリカ研究」と、主にアメ リカで行われている「アメリカンスタディーズ」とを区別して用いている。「ア メリカ研究」は、アメリカを研究対象とするさまざまな学問分野の研究者の研究 の総体であり、それぞれの研究者の仕事は必ずしも学際的であるとは限らない。

「アメリカンスタディーズ」は1960年代のアメリカにおいて、アメリカの文化と 社会を理解するために、文学的テクストと歴史的事実とをあわせて考察する試み から生まれた1つの新しい学際的な学問的ディシプリンである。その後、「アメ リカンスタディーズ」は、ポストコロニアル研究やカルチュラルスタディーズな どの影響を深く受け、大きく変化するが、詳細は紙面の都合上ここでは触れない こととする。

4    エイミー・カプラン(Amy  Kaplan)は、アメリカ研究における主要な問題点と して、「アメリカ帝国主義の歴史から文化が欠落してきたこと、アメリカ文化研 究から帝国が欠落してきたこと、そして帝国主義のポストコロニアル研究からア メリカが欠落してきたこと」の3つを挙げている。Amy Kaplan, “Left Alone with America: The Absence of Empire in the Study of American Culture,” in Cultures of United States Imperialism, edited by Amy Kaplan and Donald Pease, 3-21.

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Keywords: American Studies, Orientalism, transnational. imperialism

Abstract

Orientalism has become one of the most important analytical concepts in the studies of American culture in recent years. A discursive device based on the binary opposition between the “Orient” and the “Occident,” Orientalism has helped our understanding of the hierarchical race relations in the United States and how these relations have been historically constructed and justified. In a multi-cultural, multi- racial society, such as the United States, however, the boundary between “America”

and “foreign nations” or that between “Americans” and “foreigners” often becomes ambivalent, and thus the binary opposition which Orientalism is based on is limited in its explanatory power. This study reviews three books published recently in the field of American Studies that overcome this limitation –– Matthew Frye Jacobson’s Barbarian Virtues: The United States Encounters Foreign Peoples at Home and Abroad, 1876-1917 (2000), Christina Klein’s Cold War Orientalism: Asia in the Middlebrow Imagination, 1945-1961 (2003), and Melani McAlister’s Epic Encounters: Culture, Media, and U.S. Interests in the Middle East, 1945-2000 (2001). By studying the historical complexities in American perceptions and representations of the “foreign,” these works transcend the binary opposition and analyze the evolution of transnational narratives within the context of U.S.

imperialist expansion.

Analyzing Orientalism and Transnational Narratives:

Three Works in American Studies

Masumi I

ZUMI

参照

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