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で大官大寺第 5 次発掘調査現地説明会資料
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・調査の経過 ;197.8年10月28日 飛 鳥 藤 原 宮 跡 発 掘 調 査 部 当 研 究 所 は 昭 和49年 以 来 、 大 官 大 寺 の 伽 藍 配 置 や そ の 規 模 を 明 ら か に す ぺ く 、 発 掘 ‑講堂、
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調 査 を 継 続 し て き た 。 第4次までの調査で、 9問X 4間 (153尺X70尺)に復原される の中門、南面東回廊15閻(総長200尺)
5間X3間 (79尺X42尺) などが検出さ れ、イ110監の中心部が判明してしヽる。昭和53年7月3日から開始された今回の第5次 調 査 は 、 小 字 「 塔 ノ 井 」 に 殊 る 土 壇 を 中 心 に 、 東 面 回 廊 部 分 を 含 む1900mを対象として行い 九重塔が建てられていたといわれる塔跡の規模の究明に主眼をおいた。調査の結果、
塔 の 革 壇 規 模 が 明 ら か に な り 、 平 面 も ほ ぽ 復 元 す る こ と が で き た 。 ま た 、 東 面 回 廊 と その東に南北に走る造営時の溝などを検出した。
2.
検 出 遺 構塔 発 掘 前 の 塔 の 土 壇 は 、 南 西 部 に 突 出 部 を も つ 南 北27m)く東西24mの不整形なブ ランを呈し:ており、明治22年 の 橿 原 神 宮 の 造 常 に 際 し て 礎 石 が 運 び さ ら れ て 以 降 、 畑
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となって現在に至っている。調査の結果、中世以前に基壇上面が大きく削平されてい
3 4 ;ることが明らかになった。基壇端には甚壇 化 粧 が な く 、 約25度 の 角 度 で 立 上 が る 傾 斜
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大 官 大 寺
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近 接 す る 東 裾 に は 幅O. 8mの南北溝が走り、
回廊西側雨落溝をかねている。
東 面 回 廊
ない。回廊基壇の上面にAか "u) ギa•下''")考いい
.溝までの蔚の出は7 8尺である。
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かった。基壇周辺はバラスが敷かれ、回廊と
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発掘区の中央東側に
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間分の 回廊礎石を検出した。礎石は16徊 す べ て 原 位 置 を 保 っ て お り 、 桁 行l3尺 、 菜 行14尺 を 澗 る。花湖岩で柱座などの造り出しは認められ,.只ご竺つ之:: 〜9y::・こ.
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が、火災をうけ赤変した甚壇上には回廊の瓦 ` い 『 .a.ゞ....」「[眉』よ「月 ・ ・ や塔の建築材が落下している。回廊西側雨落E
回廊心の東10mに南北にのびる索・...,
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面 を 形 成 し こ の 傾 斜 面 に 沿 っ て 多 量 の 焼 瓦 が焼土と共に淮積している。・現時点では基 壇規模は確定していないが、 100 110尺を 越 え る も の と 思 わ れ る 。 ま た 基 壇 縁 の 斜 面 には中世の石組井戸などが作られている。
華 壇 上 に は 礎 石 は 全 く 遺 存 し な い が 、 南 側 柱 の 礎 石 抜 取 穴
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個 と 礎 石 据 付 け 掘 形1
個、北側柱の礎石抜取穴1個 、 心 睫 の 抜 取 穴 を 検 出 し た 。 心 礎 の 抜 取 穴 は 南 北5.2m、東西 5•3m 、現存深 lmあり、根石が一部遺存する。
基 壇 上 に は 柱 筋 の 通 る 掘 立 柱 穴 が あ り 足 揚 穴の可館性もある。なお階段は認められな
掘 り の 溝 で 、 幅l,3 1.9m、深さ約0。6mを 測
ヽ , 調査区位置図(1/3000)※数字は調査次数
る。溝~内に多量の手斧の削り屑を含み、白土・一雙斗瓦などが投棄されている。
その他
回廊を横断し、西側雨落溝からSD260まで延ぴる東西方向の掘立柱樟列を
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閻分検出し た。掘方埋土には焼瓦を含み、回廊焼失以降の柵列である。3・出土遺物
瓦は塔基壇周囲に焼け落ちた状態で厚く雄叙しており、中にはコークス状 になった瓦もみられる。軒瓦はいわゆる「大官大寺式」のもので、約1200点 あ る 。 軒 丸瓦は6231‑C型 式 、 軒 平 瓦 は6661‑B型式が多数を占める。
瓦類
金 属 製 品
銅釘などが出士した。透し彫りの唐草文様をもつ銅製飾り金具は隅木もしくは尾垂木 木口面の飾り金具で、講堂出土形式に近似じ、表面に鍍金が施されている。小銅鏡は 完 形 品 で 、 径4.5
その他
発掘区東端の南側には焼失前に掘られた3個の不整形な土壊がある。また
瓦層から金銅製風鉗艮・風鐸つり金具。銅製飾り金具・小銅鏡・鉄釘・
の無文鏡である。
土器の出土は少ない。木簡の削り屑が
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点、 SD260から出土している。なお、瓦層からは壁土がかなり出土しており、表面に白土が塗られている。
纏瓢頁の条坊
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4。まとめ
今回の発掘調査の結果、以下のような諸点が明らかになった。塔甚壇は一辺100 110尺を越える規模をもつが、基壇化粧が未完のうちに火災にあっている。塔の平面
は、明治年間に踏査した苅本桃里•本沢渭三郎氏らの記録の通り 5 閻四方で、各柱問
は ll尺等間の可能性が強い。なお瓦屑出土の白土や飾り金異から、塔本には完成して いたものと推測される。声面回廊は従来検出のものと同親漠であるが、西側で雨落溝 を発吋たに検出した。
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大 官 大 寺 餡 年 表
(冴明11年 (639) 百済大寺を造り、九重塔を建てる (書紀)
皇 極 元 年 (642) 百済大寺を造る (書紀)
天 武2年 {673) 百済の地より高市の地に大寺を移す(資財帳)
天 武6年 (677) 高市大寺を改め、大官大寺とする (資財帳)
大 宝 元 年 (701) 造大安寺司を識に準じ、造塔丈六二官を司に準ずる(続紀)
大 宝 翠
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(702) 高橋朝臣笠閻を造大安寺司となす(続紀)文 武 天 皇 九重塔・金堂を建て、丈六仏を造る(資財帳)
和 箪4年 (711) 大官大寺。膝原宮焼亡する(続紐)
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大 官 大 寺 第5次調査遺構略図 1
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