324(1)「灘」の紹介と翻刻
本稿は、その存在が従来まったくといってよいほど注目されてこなかった明和期の江戸版狂歌集「肖歌」の概略を紹介し、その全文を翻刻する。天明狂歌の本格的勃興を目前にして刊行された本作は、技巧・表現の点では素朴ながら、同時代風俗への旺盛な好奇心を示して、いかにも天明狂歌の季節の到来を予感させる作品となっている。その詠風と狂歌史上の意義に関する詳細な検討は別の機会に譲るとして、本稿ではひとまず唯一伝存する刊本の書誌的な紹介に徹し、その慨
◆書誌○底本聖心女子大学図書館蔵本。函架番号九一九五lY一八K。 略を示す。 やつしこった
「山H歌」の紹介と翻刻
○体裁刊本。小本一冊。○表紙紺色無地。十五・七×十一・一櫛。○題篭左肩に後補の墨書題筬で「狂歌集完」(無枠)。○内題序題・巻首題・尾題等なし。験文中に「馬鹿午つし人自ら筆を取て古へを肖心をもって肖歌と名付、|巻の書となせしを」。○序末に「明和五子歳夏の夜灯火の下にして蚊にくわれながら記す山辺馬鹿人」。○柱刻なし。○丁付柱に序より末尾まで通しで.」(~廿)。○匡郭なし。字高十一・九糎。○構成序二丁、本文十七丁、駁一丁。○刊記なし。○蔵書印現所蔵者の「聖心女子大学図書館蔵書印」 法政大学キャリアデザイン学部専任講師
小林ふみ子
323(2)
◆概要本書については、狂歌研究史上まったく言及を見ない。他の伝本としては、京都大学文学部図書室所蔵の穎原文庫に、戦前の狂歌研究者かつ収集家として知られる菅竹浦の手写本がある。が、同書には竹浦自身による昭和十四年の奥書があり、昭和十一年の「狂歌書目集成」(星野書店)、また同年に初版刊行の「近世狂歌史」(中西書房)執筆の時点では未見であったと推定される(ただし十五年の日新轡院の増補版「近世狂歌史」にも記述はなど。二カ所の誤写を除けば、原本をほぼ忠実に透き写しにした写本であるが、題篭には「逸題狂歌集」とあるのみで(さらに朱の鉛筆書きで「狂歌肖歌」と訂正)、本書からも本来の書名は知り得ないことが惜しまれる。序文に見える作者名「山辺馬鹿人」は、もちろん万葉歌人「山部赤人」あたりのもじりであろうが、「世説 の他、「武嶋」(白文方印、二・lx二・一糎)の印、「羽衣文庫」の購求印(明治三十二年九月十五日)がある。 新語茶」(安永五、六年頃刊)など安永期の酒落本に用いられた、大田南畝の筆名の一つとされる「山手馬鹿人」と酷似する。が、本作の詠風は、|読して天明狂歌流の洗練とはほど遠いことから了解されるように、まず、南畝とも天明狂歌とも無関係に成立した作と見てよかろう。版下の筆跡も図版に示すように素朴なもので、一見、素人出版であるかに恩われる。とはいえ、刊記はないものの、駁末に「肖歌と名付、一巻の書となせしを書林の何がし聞つけて、所望するといへど深隠してあたふる事なかりしを、奪取してかけだすを、やるまいぞノー」と記すのを信じれば、一応、版元主導の商業出版ということになろう。刊記がないこと、ふざけた筆名、小本の体裁などから見て、酒落本的な感覚による出版と考えられようか。内容の点でも当代の江戸の風俗を多く取り上げ、酒落本に近いものである。たとえば、飛団子として知られた景勝団子の行商人、明和中頃の江戸の街に名だたる美女であった水茶屋娘笠森お仙、鈴木春信らの創意にかかる錦絵、吉野九・川一丸といった屋形船から聞こえるめりやす「花の縁」の歌
4'ず』しりた
322(3)「ILj歌」の紹介と翻刻
声、吉原・深川などを舞台とした遊興、芝居や祭りの楽しみ等々。それも明和という、江戸の俗文芸としては比較的早い時期の作で、「寝惚先生文集」に遅れることわずか一年、天明狂歌の大流行に先立つものである点で、まさに奇書と言うに足る。構成は、四季・恋・雑.「短歌」の部立てに分かれ、春十九首、夏十四首、秋八首、冬十首、恋十首、雑十首の計七十一首、および長歌が一首。これに序肱を付して和歌集の形式に準じる。長歌は「古今和歌集」巻十九に倣ってわざわざ「短歌」として掲載され、序文もまた一.古今集」仮名序のもじり。仮名序を下敷きにした序文は、「古今夷曲集」(寛文六年刊)、「吾吟和歌集」(慶安二序、刊)など、先行する狂歌本にまま見られるものではあるが、その系譜を意識したというより、単純に「古への肖し」として、むしろ当世風俗をうがつことに興じた作と見てよかろう。本書は、聖心女子大学図書館において武島文庫とは別の扱いで所蔵されるが、蔵書印から分かるように、桂園派最後の歌人で、滝廉太郎作曲「花」等の作詞家として名高い武島羽衣の旧蔵書である。「羽衣文庫」の 購求印があり、その著作「露裳歌話」出版の前年、明治三十二年に彼が購入したことが分かる。同館所蔵の武島文庫には歌書が多いが、狂歌本も少なくない。武島文庫の狂歌本自体は六十七点とそれほど多くはないものの、本書の他、歌麿の色刷り挿絵入でおそらく天下の孤本の一つきよみ男」(寛政後期刊)をはじめ、従来京都大学附属図書館蔵本のみが知られてきた寛政五年版「四方の巴流」、また他に天理図書館・スウェーデン王立図書館各蔵本の二本の存在が知られるのみの「春日廿四輿」(寛政八年刊)などの稀襯本も含まれる点で、狂歌研究上、貴重な資料の宝庫である。一.寛裳歌話」には狂歌関連の記事が多数含まれ、武島の狂歌への関心が高かったことが知られているが(鈴木健一「大学派(赤門派)の文学運動と国文学部の教育l武島羽衣「寛裳歌話」をめぐってl」「国文目白」四十一号、二○○二参照)、加えて、武島文庫本には、野崎左文の手写本など同時代の狂歌人との具体的な関わりを示唆する資料も含まれることを付記しておく。※本書の調査にあたって便宜をお計らい下さり、翻刻・図版掲載の許可を賜った聖心女子大学図書館に
321(4)
序やつしうたは、人の心をはかにして万つのはねをそとりにける。世の中にある人ことノーくしやれるものなれは、心に思ふ事を見るもの間物につけてはやり出せ ◇本文 ◆翻刻◇凡例・漢字は通行の字体に統一した。・仮名は、濁点・半濁点などを施さず底本の通りに翻刻したが、「△「ミ」「二」は平仮名と見なし、合字は開いた。・反復記号は底本の通りとした。・序散については句読点を私に補った。。T移りの位置に、慣例に従って、丁付を漢数字で、その表裏をそれぞれオ・ウとして、()に入れて示した(本書では実丁数と丁付は一致する)。 深謝する。る也。うぐひすの三光をきけはいきとし生るものいつれかしゃれをいわきりける。力をもいれすしてすもふ取をもころりとざせニオ)、目の見えぬ座とうにもつふし、やほてんをすいにし、かたきしんこさの心をもなぐさむるは是なり。このうたもの事のさらになりし時よりそ、出来にけり。今の世の人々、春の花のあした、秋の月の夜ことにのらをこきて、あるは花見に華かさをしゃんときた芸子にまとひ、あるは月を見るとはLこて堺町の段梯をたとれる(一ウ)心々のたしみ、中にも秋のゆふへ、品川にこかる、いさり火をとつちり眼に紅葉かとあやまち、春のあした吉原の桜を酔まきれに雲かとのみなん覚えける。女郎かひは野郎賀の上にた図ん事かたく、やらう買は女郎かひの上にた霞ん事かたくして、まけすおとらぬ、せんせひくらへ金をつかふ事は浜の真砂の数よりも多く、あすか川の瀬とかはやりはる(一一オ)世の中の時花にさ薊れ石の久しきものになりし和歌のてにはをとり交、青柳の糸のよりノーに書集め、松のはのちりうせす、まさきのかつら長き日のなぐさみとなせは、われに似たる世上のたわけは又よるこはさらめかも
320(5)「灘」の紹介と翻刻
1 iii
ら記す(ニウ)山辺馬鹿人(花押) 明和五子歳夏の夜灯火の下にして蚊にくわれなか雀77月,》r随筆94口w姪WAY,鎧,箒僚妙ハ偲翰く州 藁~I弱甥鴛…”〉八J似今6ふょの瀞澗 かよ1桃亡く方1~塗?vし心懲 吟豹ふう偲守鍬蝋州馴繍紬聯
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百M醐廃印z晩み8曲⑭ …!
醒クリ伝
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序末尾・巻首ニウ・三オ 図1
春之部貴賎迎春けさははやすはふ上下おしなへて奴のしりも春風そふ
く(三オ)春駒をよめるいさましき春のはしめのはる駒なんとゆめに見て豈ぺ
よひとこそきけ三吉かはいしいとうとのり込てまつはねをとる春の若
駒大黒鋒にかわりてよめるわかもちし袋の内を見るならはょも福神と人はいはしな(三ウ)小女のいとなまめきて羽ねをつくを見てはこいたを持手もたゆく見ゆる哉落くる羽ねの隙しな
けれは万歳身の上のあすをもしらてとくわかに五万歳とそうたひ
けるかな松かさり(四オ)元よりも根のなき事と思へとも立ねはならぬ門の松竹
319(6)
名に高きやくら太鼓の音にきく八百屋お七にそかの打ませ梅屋敷へまかりて咲そめて臥龍の名さへ香はしき梅の一木は外になひそや
彼岸(五ウ) 年玉の扇箱を見て扇箱紫紙のにせ皮やまつへつらひの初なるらん手まり歌を聞て手まり歌つくノーきけはたのしやなとんノーノーと太平の代は(四ウ)道中双六くる春は新板かはり双ろくの道中よりもせわしかりけり
宝引宝引の糸にひかれてよる人の脚の下こそ長く見えけれ
そうに旧久へのあくたもくたにけさはまた(五オ)そうにの餅ものとへ通らす初芝居夏之部更衣ひとへものた画一てんにぬきかへてひんほうもの、世
となりにけり
仏の産湯有ときく産湯のむかしことはりや仏ももとはすてし世 世をすてしは国さまたちもひかんそといへは団子の世話は有けり十軒店それノーの求によりて紙ひなもた鬮銭程の光なりけり(汐方)汗干品川の千片せはしと立人にあさり蛤ざそやめいわく(六オ)花見にまかり諸人の遊興を見て。」わ声色におとりきみせんなまゑひをよそにてらして詩歌連誹
春日春の日はち画いは、あもうかれたつ霞をわけて野かけ遊興(六ウ)
318(7)「灘」の紹介と翻刻
なれは
かつを初松魚(セオ)ほと、きす唱ぬ先より声たて、先うり出す初松魚かな
飾兜はんしやうをかさりて人に見せ先のかふと人形やりや
長なたのほり幟かみのほり音すさましく吹風に空は五色の雲を起して(セウ)
五日の節句かしわもち、まき重箱はせちかふ町もやしきもけふの
にきはひ
団うりへにがきしふうちわざらさうちわのさらノーと文の紅書役者も
水売なまいるきうりてなけれはいつとても(八オ)ひやこく見ゆるになひ水かな
雷ぬき所またあるへきにかみなりのへそをぬくとはちつ ん付 ともの好不二祭わら参詣の群集の足にふみたつるほこりの雲に麦藁の龍両国す通み(八ウ)名にしあふ両国はしの夕涼てんとたまらぬ景色なり苑花火流星に天をこかせはこなたにも又らんちうの浪をやくあり屋形舟花のゑんうたふ吉野のざみせんにつ、み太鼓の川一もあり(九オ)
山王まつりほうし武者朝鮮人に四天王かんこのたしもこけむしに
すり秋之部七夕祭一年に一度きまりの七夕もゆたんはならぬ今の世の中
(九ウ)孟蘭盆
317(8)
世渡りは蓮のうてなもうりもの餌うりや苧からて目をつきに鳧灯篭見物家ノーのそのものすきをわけ里に金の光りを見する灯篭
月見
更る夜もしらすうかれて見る月は(十オ)あすのひるねの種となるらん酔中見月さかすきの廻るにつけて時もはや九シ程に月の見ゆらん
九日の節句けふといへは下戸も上戸もおしなへて酔をす魁むる菊のさかすき十三夜(十ウ)明らけき日の本にのみもてはやすこんな月見か唐にあらうか渋谷の菊見尋ぬれは江戸のいなかの片ほとり渋谷の菊の花の盛り
を 冬の部玄猪(十一オ)お、やけいちゃつかぬ御代に大手の大か、りけに公儀の道そあかるきめいかう御影識(ママ)(ママ)日連の妙法連花経よりそ御寺も見せをかさり物かな恵美講手を打て百万両に買ふ鯛はうそをつきたい下心かも(十一ウ)顔見せ顔見せの賑ひ尽す栄へ町けにも富貴や町といふへき雪
雪やこんあられやこんこ御寺なる茶の木もそれとわかぬ計に煤払す塾はきのはらいの廻しほねおりは(十ニオ)先真黒な顔にしられて浅草市押合てひとつこっちゃにわかきりき行もかへるもかう
316(9)「脅蔽』の紹介と翻刻
もかわぬも鬼打豆うつまめをこわかりにける鬼ならは来りてもまた何か恐れんやく払(十ニウ)わざはひをさらりと払ふ西のうみ十二文にはやすいものかな除夜光陰はすい、きなれや一とせをた固くひのみにくらしける哉
恋之部廓かよひ(十三オ)よなノーの人め忍ふの袖頭巾上は気も今はほんになつ
かし地色しつふかの深きまことに首たけはまるもむりか岩木な
らねはまくら絵を見ていたつらに心うこかすまくら絵のまくら一シの床そさ ひしき(十三ウ)寄八百屋お七恋我恋はお七吉三をたくひにて抱てねいものうまひせんさく
寄芸者恋いたつらに恩ひみたる、きみせんの糸もやさしき色に
ひかれて
男色女郎すき堺町とてへたてなよ(十四オ)又此道もよし
町そかし夜這星たにもその名はそらに有ものをましてや人のくるし
かるらん
寄深川恋思ひ入心も今は深川の深きなさけに名や流すらん寄猪牙恋〈十四ウ)こかれゆくいのきは舟のかひ有てゆかしき人に逢そう
れしき寄長命丸恋なにしあふ長き命の長きよになかく契らん事そ嬉しき
315(10)
雑之部さんやかこ(十五オ)いきつへをつきもあへぬにしてこいのすいなかけ声聞もおかしき
通りもの悪よりも善にかよふの心もて通りものとは名つけ初けむ
飛たん子ひやうはんははや江戸中に飛たんこ口にまかせてうそをつきうり(十五ウ)弁天坊主弁天もた、てはいかすそそそそれて仕出した人の御利生東錦絵色々の工夫も尽し春信の筆の命毛あらんかきりは新地軽業水風呂を片手にざしもかるわきの(十六オ)はもの国はしこ紙のかけはし采女原若紫 今ははや若紫の色さめてゆかりの人の見るもはっかし吉原焼けれはよし原もやけ原とこそ成にけり火の出るやうな金やと
I
、山】|似-1町Ⅶ■■-1己.[Ⅷ四のP凹呼切岡辱拙}戯わ身迅身区 ……、!
四■〕調 ○劃了明f隊 臼掴1、復←
図2「短歌」十七ウ.十八オ
314(11)「徴」の紹介と翻刻
りけん今川橋花こさ(十六ウ)見せ開く花の御江戸に花こさを今そ盛りとおり出しけ
り
かさもりいなりおきつ娘所からおきつといへるはやりものこくうに人をはかす
とそきく短歌題しらす(十七オ)呉竹のよ国のはやりも久かたの久しきものになりしをはいかほのいまのいかにしていまの浮世にのはへまし是を恩へはしんこさの沢山あるもことはりやた、いまの世にありきてふうてんつこそはうれしけれ髪は本田に銀きせるみしかひ羽おり島の帯気をこくてんに春かすみかすみを分てまつさきのきのへ子や成てんかくもやけの、き、すつまこひのいなりの富のあて事もなひておとすは(十七ウ)けいせひのうそ
▽b としりつ、大文日仕廻はかねにせめらる国酔 か身を喰青楼のつけ時過てかやり火のくゆれとかひもなつ河のす魁しきま、にのり出す舟のおもかちおもいれに太鼓芸者のうはつきもつい深川へはまる身をおやはからしとおもへともかんにんならぬならうちはうちはらんこくおやノーもきもをてんくりかへしつ、大いざこざもませ付すくひのみ酒にすい、きの足もしとろに(十八オ)ふみ月はとうるけん物さんはしをひよんノー飛に土手八丁ふらノーものと出かけれはきやくまつよひのすか、きや上つり声の河東ふし地まはり客も入みたれみたれかちなる糸す、き荻萩菊を台の物大のいた事いたつらに月見のさわきはや過て後の月見と菊月の菊の盛りは色々の花に名を付しゃれのめすそのもの好もざまノ、にかはる役者の顔見せはねらいこんたる(十八ウ)ふきや町あたりはつれのざかい町軒をつらねし茶やノーのかざりものこそにきはしきやらうの遊ひけん酒のとうらいきんな三十日折つめ見れは無手にてはいかいさん用気さになりそりやこそし国もうい
313(12)
抑大和歌は、干早ふる神代よりはやり出しか、文字の数も定まらさりしを、すさのをの尊よりそ、みそし一もしははやりける。又枕言はの類、皆いにしへはやり出せる言はにして、狂歌連誹のたくひかはるノー起り、今の世に至りて其はやり事多くなりて、浜の真砂のよみ尽すへくもなかりき。(廿オ)中にも当世のしゃれ言はを書集め、馬鹿人自ら筆を取て古へを肖心をもってやつし肖歌と名付、一巻の書となせしを、書林の何かし開つけて所望するといへとも、深隠してあたふる事なかりしに奪取てかけ出すを、やるまいそノー。(廿之 てこすのっけにそりの年の暮はらいの玉は有やすまいすこふるはねもおたんす町ほんに目の出る目出たいと仕廻はしれし御事のすいのこつてうやほとなりやほの親玉すいと成大のきまりは〈十九オ)金の事是てやほならしやう事もなし(十九ウ) 餌》鰯矧ノヘ仏刺Ⅲ曲り②序征円形C夢墾
蔚i農
I!’
乳
11
践廿ウ 図3