密
教
と
民
間
信
仰
と
の
関
係
−
東
北
地
方
の 一山
寺
院
を中
心 と し てー
月
光
善
弘
密教と民間信 仰との関 係 (月光善 弘) 一 、 まえ が
き 松 長 有 慶 氏 が 『 密
教
の 歴 史 』 の 中 で 述 べ て い る よ う に 、 山 林 を 修 行 の道
場 と す る こ と は 、 奈 良 時 代 に も す で に行
な わ れ て い た よ う で あ る が 、 平 安 仏 教 の 代 表 と さ れ る真
言 ・ 天 台 の 密 教 は 、 国 家 の保
護 の も と に 金 剛 峰 寺 と 延 暦寺
を 深 山 幽 谷 の 比叡
山 お よ び高
野 山 に 建 立 し た も の で 、 一 山寺
院 の 代 表 的 な も の で あ り 、 こ れ ら の 密 教 は 、 そ の 勢 力 伸 展 の た め に 、 各 地 に 進 出 し た が 、 東 北 地 方 に は 征 夷大
将
軍 と し て 派 遣 さ れ た 坂 上 田 村 麻 呂 を は じ め と し て 、 前 九 年 お よ び 後 三年
の 役 に 安 倍 ・ 清 原 両 氏 追 討 の た め 奥 州 の 地 に 下 っ た 頼 義 ・ 義 家 父 子 の 建 立 伝 説 に な る 社 堂 が 存 在 す る 。 そ れ ら を証
す る 明 確 な資
料 は 少 な い が 、 小 迫 の 勝 大寺
書 出 を は じ め と す る 諸 資 料 お よ び 一 山 寺 院 の 山 内 に 現存
す る 仏 像 な ど の 推 定年
代
よ り す る と 、 平 安 中 期 頃 か ら東
北 地 方 の 山 々 に 一 山 寺 院 が 形 成 さ れ 、 密 教 系 の 僧 侶 お よ び 修 験 入 峯 修 行 の 道 場 と な り 、 歴 史 的 な 変 遷 を 経 て 霊 場 ・ 霊 山 と 呼 ぼ れ る よ う に な っ た も の の よ う で 、 こ れ が 明 治維
新 の神
仏 分 離 ・ 寺 社領
の 召 し 上 げ に よ っ て 、 そ れ ら の 組織
の 大 半 は解
体 す る 。 明 治 の 神 仏分
離
後 も無
夷 山 箆峯
寺 ( 宮 城県
遠 田 郡 涌 谷 町 ) の よ う に 解 体 す る こ と な く 、 従来
の ま ま で 存 続 し た 例 も あ る が 、 こ れ は 特 別 の 場 合 で あ っ て 、 普 通 に は 一 山 寺 院 の 主 体 が寺
院 と な っ た も の と 、 神社
に な っ た も の と に 大智山学報第二十五輯 別 さ れ る 。 密 數 の
最
高 道 場 と し て の 高 野 山 や 比 叡 山 と 、 東 北 地 方 に 形 成 さ れ た 一 山 寺 院 と で は 、 か な り の 相 異 が 見 ら れ る し 、 ま た 同 じ 東 北 地 方 に ほ ぼ 時 代 と 地 域 を 同 じ く し て建
立 さ れ た 場 合 で も 、 両 者 の 間 に は い ろ い ろ な 点 で 相 違 が 見 ら れ る が 、 一 山 寺 院 と し て は 、 次 の よ う な 共 通 の 特 色 が 挙 げ ら れ る 。 第 一 に 、 即 身 成 仏 を め ざ す 仏 教 で あ る こ と 。 第 二 に 、 領 内 を 殺 生禁
断 の 浄 域ー
霊 場 ・ 霊 山 ー と し て い た こ と 。 第 三 に 、 社 会 的 な 宗 教 機 能 は 加 持 祈 禧 で あ っ た 。 第 四 に 、 檀 那 お よ び 帰 依 信 者 の 除 災 招福
( 現 世利
益 ) を 祈 念 し た 。 第 五 に 、 独 特 の禁
忌 ( ダ ブ ー ) を 有 し て い た 。 第 六 に 、 長 い 歴史
と 広 い 地 域 に わ た る檀
那 ・ 帰 依 信 者 ・ 氏 子 を 有 し て い る 。 第 七 に 、 組 織 の 主 体 は 衆 徒 ま た は 社 僧 で あ っ た 。 第 八 に 、 本 地 垂 迹 の 思 想 に も と づ き 神 仏 習 合 が 基 盤 と な っ て い た 。 第 九 に 、 境 内 は 多 く の 諸神
・ 諸 仏 を 祀 る 堂 社ー
七 堂 伽 藍 ・ 十 八 伽 藍 な ど ー で 構 成 さ れ て い る 。 第 十 に 、 民 間 信 仰 の 母 体 的 な 性格
を 有 す る 。 第 十 一 に 、 民 俗 芸 能 を 伝 承 し て い る 。 以 上 の特
色 よ り 考 え て 筆 者 は二
山 寺 院 と は 、 加 持 祈禧
を 主 と す る 密 教 系 の 寺 院 坊 − 衆 徒 ま た は 社 僧ー
に よ っ て構
成 さ れ 、 除 災 招 福 を 祈 念 す る 祈 願 寺 的 性 格 を 有 す る 寺院
で あ る 。 」 と 規 定 す る 。 密 教系
の 寺 院 に は 、 こ の ほ か に単
立 お よ び そ の 他 の寺
院 な ど が考
え ら れ る が 、 わ が 国 の 歴 史 に お い て 、 古 代 ・ 中 世 お よ び 近 世 を 通 じ 、 一 山寺
院 が密
教 の典
型 的 な タ イ プ で あ っ た と考
え ら れ る 。 一 48 一景 山
春
樹 氏 が 比 叡 山 に つ い て 「 ( 前 略 ) 。 こ の よ う に 比 叡 山 は つ ね に 生 活 の 対 象 と し て 、 ま た 宗 教 的 な 対 象 と し て 、農
住民
と箪
く か ら 密楚
関係
・ て き駑
一 と 述 べ て い る よ う に ・ 比 叡 山 は 長 い 期 間 に わ た ・ て 生 活 お ・ び 宗 教 的 な 対象
と し て 、 地 域 住 民 と 密接
な 関 係 を有
し て き た も の の よ う で あ る が 、 こ の こ と は 東 北 地 方 に 形 成 さ れ た → 山 寺 院 の 場 合 に つ い て も 言 え る こ と で 、 密 教 と 民 間 信 仰 と の 問 に は、 深 い 相 互 連 関 が あ る も の と 言 、 丸 よ う 。 本 稿 で は 、 密 教 と く に 一 山 寺 院 と 民 間 信 仰 と の 関 係 を 、前
述
し た 特 色 と の 関 連 に お い て ま と め て み た い 。 密教 と民間 信仰との 関係 (月光善弘) 二 、 領 内 は 殺 生 禁 断 の 霊 地 ・ 霊 山 一 山寺
院 の鏡
内 は も ち ろ ん 寺 領 や 定 め ら れ た郷
村 内 は 殺 生 禁 断 の 霊 地 で あ り 、 一 た び こ の 地 域 内 に 入 れ ば 、 い か な る 罪 人 と い え ど も 一 山 の 保 護 を受
け る こ と が で き た 。 平 塩熊
野 大 権 現 ( 寒 河 江 市 平 塩 ) の 一 山衆
徒 で あ っ た松
本 坊 ( 故 大 江実
賀 雄 氏 ) の 話 に よ れ ぽ 、 社 領 内 で は 、 い か な る罪
人 と い え ど も 、 別 当 平 塩 寺 の 許 可 な し に 搏 縛 ま た は 殺傷
さ れ る こ と が な か っ た と の こ と で あ る 。 次 に箆
嶽
山 は 中 興 ま た は 開 創 以 来 、 修 験 入峯
修 行 の 道 場 と し て 開 か れ た 信 仰 の 霊 山 と 考 え ら れ 、 『 箆峯
寺書
上 控 』 の り の 最 初 の項
に も 、 殺 生禁
断 の 地 に し て 霊 山 で あ る と 記 さ れ て い る し 、 ま た 道 法 の 項 に も 「 題 目 坂右 之 坂 住 古
参
詣 之 衆 仏名
唱 ナ カ ラ 登 山 仕 候 由 申 伝 候 」 と あ っ て 、 住 古 参詣
の 人 々 は 、 題 目 坂 と 呼 ば れ る 場 所 か ら 、 仏 名 を 唱・ 兄 な が ら 登 拝 し た こ と が 伝 え ら れ て い る と 記 さ れ て い る 。 殺 生禁
断 と 加 持 祈 疇 の 効 験 ( ま た は 験 力 ) と は 、 密 接 な関
連 が あ る も の と 考 え ら れ 、 こ の 信仰
が 民 間 の 人 々 に も徹
底 し 、 長 い 年 月 の 間 に規
制 力 を 有 す る 慣 習 と な っ た も の と 思 わ れ る 。 三 、 即 身 成 仏 と 行 ( お 山 が け ) の 信 仰 習 俗智山 学報第二 十五 輯 密 教 で は 山 中 を 他 界 ( 聖 域 ) と し て 修 行
道
場 と 考 え 、 出 羽 三 山 ・ 下 北 半 島 の 釜 臥 山 の ほ か 岩 木 ・ 岩 手 ・朝
日 ・ 飯 豊 ・ 蔵 王 ・ 葉 山 ・ 鳥 海 な ど、「 お 山 が け 」 と
称
し て 道 者 登 拝 の 対 象 と な っ て い る高
山 は 、 密 教 系 聖 職 者 の修
行 道 場 で あ っ た 山 々 で あ り 、 登 拝 前 の 別 火 精 進 行 ・ 女 人 禁 制 ・ 道 者 の 装 束 。 先 達 (案
内 者 ) ・ 唱 え 言 葉 な ど か ら 推察
す る と 、 密 教 系 の 聖 職 者 た ち が 指 導 し た も の と 考 え ら れ 、 登 拝 の 回 数 が 多 い 程 、 修 行 を 積 ん だ こ と を 意 味 し て い た 。 釜 臥 山 や 羽 州 山 寺 の 立 石寺
山 中 に は 「 胎 内 く ぐ り 」 と い う 場 所 が あ っ て 、 く ぐ っ た 後 に オ ギ ァ オ ギ ァ と う ぶ 声 を あ げ る と の こ と で あ る が 、 こ れ は 生 れ 変 る こ と を 意 味 す る も の で 、 修 験 入 峯 修 行 の 中 に 含 ま れ て い る 擬 死 再 生 の 儀 礼 行 為 を 一 般 化 し た も の と 思 わ れ る 。 四 、 加 持 祈 檮 と 信 仰 習 俗 ( 3 ) 望 月仏
教 大 辞 典 の 加 持 の 項 に 、 そ の 根 本 義 な ら び に転
用 の 意 味 と さ ら に 俗 間 に て は 祈 疇 と 同 義 に 用 い ら れ て い る こ と を 詳 細 に 記 し て い る が 、 こ こ で は 加 持 と祈
禧
を 同 じ 意 味 に 考 え で 述 べ る こ と に す る 。 密 教 は 加 持 祈 禧 を 主 と す る 仏 教 で あ り、 と く に 真 言密
教 に お い て は そ の 色 彩 が強
く 、 一 般 に も そ の 印 象 を与
え 、 ( 4 ) ま た 誤解
し て 受 け と ら れ て き た こ と を 、 那 須政
隆
氏 も指
摘 し て お ら れ る 。 加 持祈
疇
は 即 身 成 仏 と 深 い 関 係 の あ る こ と で 、仏
す な わ ち覚
者 と な る た め に 行 法 を 修す
る の は 、 自 己 自 身 の た め と い う よ り は 、衆
生済
度 に 奉 仕 す る た め で あ り 、 究 極 的 に は 加 持 祈 蒋 を 修 す る こ と と な る 。 そ の典
型 的 な も の が 出 羽 三 山 を 中 心 と し た 即身
仏 ( ミ イ ラ ) で あ っ て 、 出 羽 三 山 の 中 で も 湯 殿 山 系 す な わ ち 真 言密
教 に 関連
す る も の で 、 天 台 に 転 宗 し た 羽 黒 山関
係 か ら は 出 て い な い 。 災 厄 を 消 除 し 福 徳 を 招 来 せ ん と す る の は 、 人 情 の 自 然 で あ り 、 と く に 気 候 風 土 に 恵 ま れず
、 日 干 魃 や 冷 害 凶 作 に 見舞
わ れ る こ と の 多 い 厳 し い 自 然 環境
の 中 で 生活
し な け れ ぽ な ら な か っ た 東 北 地方
の 人 々 が 、密
教 系 聖 職 者 の 修 す る 加 持 祈禧
に 依 頼 し 、 除 災 招 福 ( 現 世 利 益 ) を希
求 す る観
念 の 強 か っ た こ と は 、当
然 の こ と であ
っ た と 言 い 得 よ う 。 一50
一密教と民間信仰との 関 係 (月光善弘) 東 北 地 方 の
村
落 の 多 く の寺
院 ー密
教 お よ び 禅 宗1
で は 、 現 在 も 家 内 安 全 ・ 身 体 健 固 ・ 厄 難 消 除 ・ 如意
吉 祥 を 祈 念 す る 大 般若
祈濤
法 会 を 行 な っ て い る が 、 金 華 山 神 社 に 現 存 す る 寛喜
元 年 ( 一 二 二 九 ) の 紀 年 銘 を 有 す る 大 般 若 経 を 見 て も 、 古 く か ら 行 な わ れ た こ と が う か が わ れ る し 、 ま た 平 安 末期
と 推 定 さ れ る 十 王 像 二 体 を 有 す る 寒 河 江 市 平 塩 の熊
野 大 権 現 別 当 で あ っ た 平 塩 寺 に は 、 宮 城 県 牡鹿
郡 内 の 各 漁 村 や 山 形 県 最 上 郡 金 山 な ど の 遠 隔 地 か ら の 寄進
者名
が 見 ら れ る の で 、 広 い 範 囲 の 地 域 に 影 響 を 及 ぼ し て い た こ と が推
察
さ れ る 。 五 、除
災 ・ 招 福 に 関 す る 信 仰 習 俗 密 教 寺院
に お け る 加 持祈
疇
の 究 極 的 な 目 的 は 、 清 浄 潔 斎 し て 神 仏 に 奉 仕 し 、 厄 難 を 消 除 し て福
利 を 増 長 す る こ と に あ る と 考 え ら れ る が 、 一 山 寺 院 と密
接 な 関連
が あ る と 思 わ れ る 信 仰 習俗
を 、 一 応 除災
と 招福
と に 分 類 し て 書 い て 見 よ う 。e
除災
に 関 す る 信 仰 習 俗1
、鬼
門
−
丑 寅 ( 東 北 ) 角1
の 信 仰 『 毛 越寺
書 出 』 の 中 に 「 印 度 の 王 舎 城 の 丑寅
に 霊 山 ー ヒ マ ラ ヤ 山1
が あ っ て 、 ま た 唐 の 長 安 城 の 丑 寅 に は 天 台 山 が あ り 、 さ ら に わ が 国 の 平 安 城 の 丑 寅 に は 比 叡 山 が あ っ て 、 三 国 と も に 王 城 の 東 北 に 霊 山 が 餐 え て い る 。 東 北 す な わ ち 丑 寅 は 、鬼
門 の 方角
で あ る 故 に 、 こ こ に鎮
護 国 家 の 道 場 を 建 立 し 、 天 子 の 無 事 安 全 を 祈 願 す る 所 と し た の で あ る 。 陸 奥 ( 東 北 ) は 帝 都 の鬼
門 ( 丑 寅 ) に 相 当 す る の で 、 鎮 護 国 家 の た め 、 陸 奥 の 中 央 に あ た る 平 泉 の 地 に 、 比 叡 山 延 暦 寺 に 倣 っ て 毛 越 寺 を建
立 し 、 往 古 は繁
昌 し た の であ
る が 、 年 月 を経
て 諸 社 堂 が 破 壊 す る に 至 っ た 」 こ と が 記 さ れ て い る 。 ま た 密 教 系 の 寺 院 に お い て 、早
く か ら 霊 験 あ ら た か な 秘 仏 と し て 崇 拝 さ れ て い る 聖 天像
( ま た は 歓 喜 天像
) も 、智 山学 報第二十五輯 ( 5 ) 仙 台
藩
や 新庄
藩
で は 、 築 城 の 際 、 城 の 鬼 門 に あ た る 丑 寅 ( 東 北 ) 角 に 、 歓喜
天 を 祀 る 聖 天 堂 の 別 当寺
と し て 大 聖寺
( 6 ) や 円満
寺
を建
立 し た の で あ り 、 さ ら に 南 陽 市 宮 内 の 熊 野 権 現 は 、 米 沢 に 居城
を 構 え た 上 杉 家 の 鬼 門 に あ た る し 、 そ の 奥 の 院 で あ っ た 長 谷 観 音 も 、 鬼 門 守 護 の た め であ
る し 、 一 山 衆 徒 宝 積 坊 (真
言 系 )境
内
の 鬼 門 に は 大 日 堂 が あ っ て 、 胎 蔵 界 大 日如
来 が 奉 祀 さ れ て い る 。 中 村 哲 氏 が鬼
門
に 関 し て 、「 方 角 で い う と 丑 寅 は 北 東 に あ た り 、 中 国 で は 、 北 東 の
海
か ら 寒 い 風 が ふ く の で 、冬
に な る と 北 東 の窓
を 閉 ざ す の で あ る 。 ウ シ と ト ラ の 方 角 で あ る か ら 、 頭 は角
の 生 じ た ウ シ で 腰 に は 虎 の 皮 を ま く 鬼 と い う 生物
が 作 ら れ る よ う に な っ て き た 。 日 本 で は 、 建 造物
に 鬼 門 の 方 角 を 避 け る が 、中
国 の 事 情 と は 、 い く ら か ( 7 ) 違 う は ず で あ る 。 」 と 説 明 し て お り 、 鬼 門 の習
俗 は 初 め 中 国 に 発 生 し た も の の よ う で あ る が 、 わ が 国 に お い て は密
教系
の 聖 職 者 た ち に よ っ て 伝 え ら れ 、 長 い 年 月 の 間 に 民 間 の 信 仰 習 俗 と な り 、 家 屋 の新
築
や 移 転 に 際 し て 鬼 門 を避
け る よ う に な っ た の で は な い か と 考 え ら れ る 。2
、 火 ぶ せ の行
事 と し て の 大 般 若 経 転 読 山 形 県 長 井 市 の 遍 照 寺 を 中 興 し た 名僧
宥 日 法 印 が 、 こ の 大 般 若 経 を 火 ぶ せ の 行 事 と し て 転 読 し、 火防
の 霊 験 が す ( 8 ) ぐ れ て い る と 信 仰 さ れ て い た こ と が 記 さ れ て い る 。3
、 牛 玉 宝 印 ま た は 牛 王 加 持 印 ( 9 ) 『 望 月 仏 教大
辞 典 』 の 牛 玉 宝 印 の 項 に 「 護 符 の 一 種 。 又 牛 王 宝 印 に 作 る 。 (後
略 ) 」 と あ り 、 箆 峯 寺 ・ 陸 奥 国 分寺
な ど で 頒 布 し た が 、「 農 家 で は こ の 牛 王 宝 印 に ヤ キ 米 ( 種 籾 の 播 き 残 り を 以 て 作 る ) を 包 み 、 苗 代 の 一 水 口 に 竹 に 挾 ん で 立 て る 。 こ れ に よ っ て 、 鳥
害
・ 病虫
害 か ら 苗 代 を 守 る こ と を 祈 っ た 。 ま た 栗 原 郡 の 長 岡 や 玉 造 郡 の 真 山 辺 で ( 10 ) は 、 養 蚕 の 盛 ん で あ っ た 時 、 こ の 牛 王 宝印
を 蚕 座 の 上 に 敷 い て 掃 立 を し 、 病 害 か ら 守 る こ と を 祈 っ た 。 」 と あ っ て 、 民 間 で は 牛 王 宝 印 を 除 厄 の 守 り 札 と し た こ と が わ か る 。 一 52 一密教と民 間信仰との関 係 (月光善弘 )
4
、 釜神
さ ま 旧 伊 達藩
( 岩 手 県 南 半 部 と 宮 城 県 一 円 ) 内 の 旧 家 の 大 黒 柱 ・ 釜 神 柱 ま た は カ マ ド の 上 に 、 土 や木
で 作 っ た カ マ オ ト コ ・ カ マ ガ ミ と 呼 ば れ る竈
神 を 祀 っ て い る が 、 こ の 神 は 家 の 中 に 悪 鬼 や 悪 霊 の 入 る の を 防 ぐ た め の も の で あ り 、 そ れ に ふ さ わ し く い か め し い 顔 を し て い る の が普
通 で あ る 。 『 高 野 山 』 の 中 に 「 荒 神 と は真
言
、 天 台 の 修 験 道 及 び 日 蓮宗
の 祈濤
に お い て 祀 る 神 で あ り 、 広 く 世 間 一 般 に竈
の ( 11 )神
と し て 信仰
さ れ て い る 。 (後
略 ) 」 と あ っ て 、 三 宝 荒 神 が 民 間 で は竈
の神
と し て信
仰 さ れ て お り 、 こ の 習 俗 も密
教 お よ び 日 蓮 宗 が ひ ろ め た も の の よ う で あ る 。5
、 鬼 や ら い ( 追儺
) と 豆 まき
箆 峯 寺 の 「 鬼 や ら い 」 の 項 に 、 「 貫 主 が ゴ オ ウ ド ウ シ ( 牛 頭 天 王 に な ぞ ら え て 栗 の 木 で 作 っ た も の ) を 床 に蕗
す の を 合 図 に 、 本 堂 外陣
で 十 尺 位 の ア ズ サ の 木 を持
っ た 三 人 の 僧 が外
陣 の床
を 前 進後
進 交 互 に 十 回 位 強 く 叩 く 。 叩 き 終 っ て 、揃
っ て 堂 の 入 口 の 外 に 向 っ て 「 オ ー 」 と 大 き な掛
声 を あ げ て 進 み 、 木 を 屋 外 に ほ う り 出 す ( 掛 声 で鬼
を 追 ( 12 ) い 出 す 仕草
で 、 こ の 場 合 の 鬼 と は 、 農 作 物 を害
す る も の の 総 称 と い う ) 。 」 と あ り 、 東 北 各 地 の 家 々 に お い て 、 年 越 し の 晩 、食
事 の あ と 悪魔
は ら い を や り 、 豆 撤き
を す る と こ ろ や 、 空 砲 を う つ と こ ろ が あ っ た 。「
福
は 内、鬼
は 外 」 と と な え る と こ ろ も あ る 。 若 松 寺 の 「 お に や ら い 」 の 中 に 、 「 ( 前 略 ) そ れ が 広 く 民 間 に 伝 わ っ て 、 家 の 中 か ら 禍 の 鬼 を 追 い 出 し て 福 を 招 ぎ 〔 13 ) 入 れ る 即 ち初
春 の 「 福 は 内 、 鬼 は外
」 の 豆 まき
の 行事
と な っ た の で あ る 。 」 と記
さ れ て い る 。6
、妻
祖
( 塞 ノ神
) 祭 と 道 六 (道
祖 ) 神 平 塩熊
野大
権 現 の 一 山 衆 徒 で あ っ た松
本 坊 (故
大 江 実賀
雄 氏 ) の 話 に よ れ ば 、 正 月 十 五 日 早 朝 、 一 山 惣 衆 十 六 人 − 産 火 ・ 忌火
の あ る 家 の 人 は 厳禁
1
が 、籠
り 堂 ( 現 在 の 社 務 所 の 位 置 ) と 呼 ば れ た 御 祈 薦 所 に 参 集 し 、 惣 衆 十 六 戸智山 学報第二 十五 輯 の 各 家 よ り 集 め た 門
松
の 太枝
−
不 足 の 時 は 一 山 の 山 よ り松
枝 を 切 る ー で 、 五 〜 六 寸 の 道 六 神 ( 男 根 ) を 沢 山 作 り 、 二 本 一 組 に 縛 り 、 御 祈 疇 所 の 棚 に お 供 え し て 解 散 す る 。 夕 方 五 時 か 六 時 頃 に 再 び 集 ま り 、 セ リ 粥 飯 を い た だ き 、 経 文 − 復 飾 後 は 祝 詞 ー を 読 誦 し 、 そ の 後 、 各 人 が 道 六 神 を 持 っ て 列 を 作 り 、 塞 の 神 様 の 所 に 行き
、 道 六神
を お 供 え し て 読 経 し 、 終 了 す る と 、 近 郷近
在
よ り そ の祭
り に 来 て い る 群 集 の中
に 、 道 六神
を ば ら 撤 く の で あ る 。 群 集 は そ れ を 拾 お う と し て 争 い 、奪
い 合 い が は じ ま る 。 拾 っ た 人 は 持 っ て 帰 っ て 家 の 神 棚 に 祀 る 。 道 六 神 は 悪 星 退 散 ・ 火 災 お よ び 盗 難 の 予 防 ・ 悪 疫 を 防 除 し 、家
内 繁 昌 を招
来 す る も の と 伝 承 さ れ て い る 。 塞 の 神 を 祀 っ て あ る 場 所 は 、古
く か ら 変 り な く、 熊 野 権 現 一 ノ 鳥 居 の 近 く で 、 旧 平 塩 村 の 入 口 に あ た り 、 御 神 体 は 自 然 石 で あ る が 、 湯 殿 山 の御
神 体 を 小 さ く し た 感 じ の も の で 、 女 性 の シ ソ ボ ル に 類 似 し て い る 。「 知 行
高
帳 」 に 、妻
祖祭
り と あ る の も 、 女 性 の 祖 神 の 祭 り と い う 意 味 で あ る と 考 え ら れ る 。 道 路 を 隔 て た 丁 度 対 称 の 位 置 に 、 自 然 石 の 男 根 が 数 体 祀 ら れ て い て 、 こ れ が 道 六神
と 呼 ば れ て い る 。 故 堀 一 郎 先 生 も 「 塞 の神
は 女 性 で あ る た め に 、 男 根 を供
物 と し て お 供 え す る の で あ ろ う 。 」 と 話 し て お ら れ た が 、 道 理 に 叶 う こ と と 思 わ れ る 。 平 塩 の 隣 部 落 で あ る 中 郷 に は 、 旧 部 落 の 両 端 に 、 地 蔵 堂 が あ る が 、 地 蔵尊
は 塞 ノ 神 の 本 地仏
で も あ る し 、 東 北 各 地 の 部 落 に も 、 村 端 に 塞 ノ 神 や 地 蔵 尊 を 祀 っ て い る 所 も あ り 、 ま た 宮 城 県 に は 正 一 位 道 祖 神 社 ( 大 権 現 ) も あ り、 さ ら に 平 塩 寺 に 現 存 す る 自 然 石 の 男 根 に 、 木 製 の蔽
い が し て あ り 、 そ の 正 面 に 毒 頭 大 権 現 と 書 か れ、 左 側 に は 道 六神
、 右 側 に は 平 塩 寺 住 職 恵達
と あ り、 安 政 四 年 ( 一 八 五 七 ) に 伏 熊 村 の 川 か ら 拾 っ た も の を 祀 っ た こ と が 記 さ れ て い る 。 『 涌 谷 町 史 』 の 道 祖 神 の項
に 、「 小 里 の 道 祖 神 囲 に 小 祠 が あ る 。 小 名 が 示 す よ う に 道
祖
神 を 祀 っ て い て 、 陰 陽 形 の 木 像 が 供 え て あ る 。 道 祖神
は 村 境 を 護 り 、 疫 神 を 防 ぎ 、 行 路 の 安 全 を い の る と す る ほ か、 男 女 の 縁 結 び の 神 ・ 子 ( 14 ) 供 の神
と す る 伝 承 が 広 く み ら れ る と い わ れ る 。 」 と 記 さ れ て い る 。 一 54 一密 教と民間信仰との 関係 (月光善弘)
O
招 福 に関
す る 信仰
習 俗1
、 農 耕 神 と し て の 葉 山 ・白
山 神 東北
文 化 の 伝 統 は 稲 作 の文
化 で あ る と 、 伊 東 信 雄 氏 が 証 し て お り 、 農 耕神
と し て 特 に葉
山 と 白 山 が数
多
く 祀 ら れ 、 岩 崎敏
夫 氏 と 鈴 木 昭英
氏 な ど が 述 べ て い る よ う に 、葉
山 神 は 東 北 地 方 の 南 半 、 殊 に 福島
県 内 に 濃厚
に分
布 し て い る の に 対 し 、白
山神
は 日 本海
岸 か ら 出 羽 ・ 陸 奥 の 国 分寺
を 結 ぶ 以 北 の 地 域 に 多 く 見 ら れ る 。特
に 陸奥
の 国 分 寺 を は じ め と し て 、 篦 峰寺
・ 牧 山 長 禅 寺 ・ 小 迫 の 勝 大寺
・ 中 尊寺
・ 慈 恩 寺 な ど 、 い つ れ も 一 山寺
院 と し て多
く の 衆 徒 を 擁 し 、 白 山 宮 を 鎮 守 社 と し 、 白 山神
事 を 盛 大 に 行 な っ て き た 山 々 な の で あ る 。 し か も 葉 山 神 の 本 地 仏 は薬
師
如 来 で あ り 、 こ れ に 対 し て白
山 神 の 本 地 仏 は 十 一 面 観音
と な っ て い て 、 故 石 川 謙 吾 氏 も 「 遠 田 郡 涌 谷 町 の 箆 嶽 観 音 は 、 昔 か ら 農 〔 15 ) 桑 の 守 護神
と し て 、 仙 北 十郡
大 崎 耕 土 の 農 民 か ら あ が め ら れ て い ま す 。 ( 後 略 ) 」 と 述 べ て い る 。2
、 雨乞
い の 弥 陀 寛 永 三年
( 一 六 二 六 ) の大
早 魃 に 、 長 崎 郷 十 三 ケ 村 の 人 々 が 、 雨 乞 い の御
祈 疇 を 依頼
し 、 所 願 成 就 の お 礼 と し て小
阿 弥 陀 堂 を 再建
し 、 以後
雨 乞 い の弥
陀 と 伝 承 さ れ 、 慶 安 元 年 ( 一 六 四 八 ) に は 、 十 三 ケ 村 の 寄進
に よ っ て 修 覆 し 、 ( 16 ) さ ら に 安 政 三年
( 一 八 五 六 ) に は 、 十 三 ケ 村 の寄
進
に よ っ て 再建
さ れ た と あ り、 そ の 後 も 旱 魃 の年
に は 、 東 ・ 西 村 山 両 郡 内 の村
々 か ら 、 雨 乞 い の 御 祈蒋
を 依 頼 さ れ 、 平 塩 で 御 祈禧
を す れ ば 必 ず 雨 が降
る も の と 、近
郷 近 在 の 農 民 か ら 信 仰 さ れ て き て い る と の こ と で 、 熊 野 本 宮−
本
地 仏 と し て の 阿 弥 陀 如 来1
は 、 雨 乞 い の 弥 陀 と し て 、 か な り 広 い 地 域 に 亘 る農
民 の 信仰
を あ つ め て き た こ と が わ か る 。3
、福
田 と お福
田 の行
事 に つ い て 福 田 と い う 言葉
そ の も の が 、 仏 教 と 密 接 な 関 連 が あ り 、 陸 奥 国分
寺 の 「 年 中 行 事 手引
」 や 篦峰
寺 の 祭 礼 に 元 三 会 ( 17 ) ( が ん ざ ん え ) の オ フ ク デ ン お よ び オ フ ク デ ン 行 事 が あ り 、 ま た 東 北 地方
の 多 く の 村 々 に お い て 行 な わ れ て い た お 一 55 一智 山学報第二十五輯
福
田 の 行 事 に は 、 か な ら ず 餅 が 使 わ れ て い た こ と や そ れ ら の 餅 を 作 る 時 、 食 べ る 時 、 特 に 神 聖視
す る 習 俗 や 規 制 が行
な わ れ て お り 、 一 山 寺 院 の福
田 と 各村
落 に お い て 行 な わ れ て き た お 福 田 行 事 と の 間 に 、 密 接 な 関 連 の あ る こ と が ( 18 )考
え ら れ る 。4
、歓
喜 天 ( 聖 天 ) 像 古 い密
教 系 の 寺 院 に 多 く 見 ら れ る 歓喜
天像
は 、 印 度 に お い て も 早 く か ら 崇 拝 さ れ 、 祈 願 の 初 め や 吉 凶禍
福 な ど を 祈 る 場 合 に 礼 拝 さ れ た よ う で 、 わ が 国 で も こ れ を 祀 る と 、 諸 種 の 障 難 を 除 い て 、富
貴
を あ つ め る こ と が で き る と い わ れ 、現
世 利 益 が 中 心 で 、夫
婦 和 合 ・ 五穀
成就
・ 諸 願 達 成 の 生 き 仏 と し て 信仰
さ れ て き た も の で 、 歓 喜 天 の 本 地 仏 も、 白 山神
と 同 じ く 十 一 面観
音 で あ り 、 聖 天 像 を 祀 っ た お 厨 子 の 後 方 に 、 観音
像 を 祀 る 場合
が 多 い 。5
、 オ シ ラ サ マ オ ツ シ ャ ガ ミ サ マ ・ ト ド サ マ ・ オ シ ラ ガ ミ ・ オ コ ナ イ サ マ な ど と 呼 ぼ れ る オ シ ラ サ マ は 、 柳 田 国男
氏 の 『 大 白 神 考 』 以 来 、 東 北 地 方 の オ シ ラ 信 仰 に つ い て 、種
々 の 観 点 よ り 調 査 が す す め ら れ て い る が 、家
の 神 ・ 蚕 神 ・ 眼 の 神 ・ 吉 凶禍
福 を 占 う 神 と し て の オ シ ラ サ マ は 、前
述
の 歓喜
天 の 信 仰 と多
く の 点 で 類 似 性 が見
ら れ る の で 、 筆 者 は 「 東 北 ( 19 ) に お け る オ シ ラ 信仰
と 歓 喜 天 と の 類 似 性 」 の中
で 、 十 項 目 を あ げ て お い た が 、密
教 の 伝 来 以後
、 観 音 と く に 十 一 面 観 音 と白
山 神 ・ 歓喜
天 お よ び そ の 他 の 信 仰 が 結 合 し 、 密 教系
の 聖職
者
た ち に よ っ て 東 北 地 方 の 各 地 に も た ら さ れ 、 そ れ を 伝 え る 人 や受
容 す る 人 々 の 問 題 さ ら に は 土 地 の 習 俗 な ど 、種
々 の 要素
が 絡 み 合 っ て ナ シ ラ 信 仰 の 多 様 性 を 生 じ、 広 い 地 域 に わ た っ て 分 布 す る よ う に な っ た も の で は な い か と 考 え ら れ る 。6
、蘇
民 将 来 と 牛 頭 天 王 ( 20 ) 藤 原 勉 氏 が 「蘇
民 将 来 と 牛 頭 天 王 」 の 関 係 を 詳 細 に 記 し て お り 、東
北 地 方 で は 、 岩 手 県 東 磐 井 郡 藤 沢 町 保 呂 羽 の 長 徳 寺 ・ 水 沢 市 の 黒 石寺
・ 福 島 県 柳 津 の 虚 空 蔵 堂 の 蘇 民 祭 が 裸 祭 と し て 有 名 で あ り 、 ま た 毛 越 寺 で も 「 裸 祭 り 」 と 一56
一密 教と民間信仰との関 係 (月光善弘) か 「 蘇 民 曳
き
」 と 呼 ん で 民 間 の行
事 と な っ て お り 、 さ ら に 陸 奥 国分
寺 一 山 に お い て も 、 六 月 十 三 ・ 十 四 ・ 十 五 日 の 三 日 間 、 一 山 を あ げ て 牛 頭 天 王宮
の 御 神 事 が 行 な わ れ た こ と が 記 さ れ て い る 。 祗 園 社 の 旧 記 に 「 天 王 の 本 地 は 薬 師 如 来 、 ( 後 略 ) 」 と あ る 由 な の で 、本
地 垂 迹 説 に よ っ て 、 牛 頭 天 王 の 本 地 仏 は 薬 師 如 来 で あ り、 牛 頭 天 王 は 薬 師 如 来 の 垂 迹 と い う こ と に な る 。 毛越
寺
一 山 南 方 鎮 守 の 一 社 と し て 勧 請 さ れ た 祗 園 社 の 本尊
も 牛 頭 天 王 であ
り 、 藤 原 氏 の 所 論 と 一 致 す る 。 『 陸奥
国 分寺
』 の蘇
民 将 来 の 項 に 、 「 ( 前 略 ) 。 又 福徳
を 祈 る 護符
の 一 つ と も い い 、 往昔
は 柳 の 木 で作
り 、 六角
の ( 21 ) 塔 の 形 を あ ら わ し て 、 そ の 一 面 に 二 字 ず つ ” 大 福 長 者蘇
民 将 来 子孫
人 也 ” と書
い た と あ る 。 」 と あ っ て 、 住 昔 の 六 角 形 の も の と 、 八角
形 の 現 在 の も の と 二 つ の 図 が 掲 載 さ れ て い る 。 ま た 『 涌 谷 町 史 』 の 蘇 民 将来
の 項 に も 、「 大 正 中 期 頃 ま で 、 篦 岳 の 祭 に は 、
「
蘇
民 将 来 子孫
門
戸 」 と梵
字 の ベ イ (薬
師如
来
を 表 わ す 種 子 ) を書
い た 六角
の 木 の 小 ( 22 ) さ な 守 札 が 売 ら れ て い た も の で あ る 。 ( 後 略 ) 」 と あ っ て 、 写 真 が 掲 載 さ れ て い る 。7
、 大 般 若 経 転 読 法 会 大 金寺
( 現 在 の 金 華 山 神社
) ・篦
峯寺
・ 陸 奥国
分 寺 ・ 慈 恩寺
・ 平 塩 寺 を は じ め 東 北 地 方 の 密 教 お よ び禅
宗 寺 院 の 多 く に 、 大 般 若 経 六 百 巻 が 現 存 し 、 春 祈疇
と し て 転 読法
要 を 厳 修 し て い る 。箆
峯
寺 一 山 で は大
般 若 経 転 読 中 、 家 中 の 者 二 人 ( 南 谷 ・ 北 谷 ) が 、 大 般若
経
を 持 っ て 、 北 谷 ・ 南 谷 に分
れ て 各 坊 ( 23 ) を 巡 り 、 居 合 わ せ た 家 族 の 頭 上 に 加 持 祈 疇 す る と あ り 、 ま た 岩 崎 敏 夫 氏 は 「 部 落 の 青 年達
が 大 般 若 経 六 百 巻 の 櫃 を ( 24 ) か つ い で 家 々 を 廻 り あ る く が 、 そ の 下 を く ぐ る と 、疫
病 に な ら ぬ と か 魔 除 け と な る と か の 俗 信 が あ る 。 」 と 記 し て い る 。 ヤ ブ ザ メ8
、 御 弓 神 事 ( ヤ ブ サ メ ) と 流鏑
馬箆
峯
寺 の 例祭
の 中 に 御弓
神 事 ( ヤ ブ サ メ ) が あ り 、 「 白 山 堂 の な か か ら 弓 と 的 が 出 さ れ る 。 矢 は 、箆
宮 の と こ ろ 一57
一智 山学報 第二 十五輯 の ヤ ガ ラ 竹 が 用 い ら れ る (
的
の裏
側 に は 鬼 の字
が 書 い て あ る ) 。烏
帽
子 垂 直 姿 の 稚児
が 、 両 谷 の 住 職 の 介 添 え を 受 け て 、 白 山 堂 の 前 か ら 、 箆 宮碑
の 前 に 立 て た 的 に 向 っ て矢
を 射 る 。初
め は、客
座 側 の稚
児 か ら射
、 交 互 に 十 二 回 ( 25) ( 閏 年 は 十 三 回 ) 射 る 。 こ の 当 り と 外 れ の 具合
で 、 そ の 年 の 天 候 を占
う の で あ る 。 」 と 記 さ れ て お り 、 ま た 陸 奥 国 分 寺 の 一 山 鎮 守 白 山 宮 の 御 神事
の 三 月 三 日 に も 、 古 式 の 流鏑
馬 が行
な わ れ 人 気 を 呼 ん だ 。 ま ず赤
頭 巾 の 馬 場 払 い が 馬 場 を 清 め 、 つ い で 招 き が 扇 を あ げ て 合 図 をす
る と 、 白 粉 と 紅 を つ け 、 女 の 服装
を し 、 網 代 笠 を被
り 狩 衣 姿 で 馬 に 乗 っ た 射 手 三 人 が 、 順 次 に 的 を め が け て 駈 け な が ら 矢 を 射 て 、 そ の 結 果 に よ り 早 生 ・ 中 生 ・ 晩 生 の 稲 作 の 豊 凶 を 占 な う の で あ る 。「 こ れ は 鎌 倉 時 代 か ら 三 月 の 節 句 に 行 わ れ る も の で 、 昔 は 長 町 ・ 原 ノ 町 の 若 者 衆 数 百 人 で 的 パ ヤ イ (
奪
合
い 「 ウ バ イ ア イ 」 の 転 語 ) が あ っ た 。 長 町 の 者 は 白 の 褌、 原 ノ 町 の 者 は 赤褌
一 つ で 裸 馬 に ま た が り 、 入 り 乱 れ て 的 を争
い 、 的 を 取 っ た方
は そ の年
一 ケ 年 の 豊 作 の吉
兆 と 言 わ れ た 。 そ の た め 双方
と も に 非 常 な 熱 の 入 れ 方 で 、 ( 26 ) 死 傷 者 が 出 る の は 珍 ら し く な か っ た 。 L と あ っ て 、 陸奥
国 分 寺 の 流鏑
馬
や 的 バ ヤ イ は 、 そ れ ら に よ っ て そ の 年 の農
作 の 吉 兆 を 占 っ た も の で あ る 。9
、 祝 い棒
イ ワ イ モ ウ シ 木 ・ 祝 い 木 ・ ヤ ヘ イ ガ ミ ・ ヤ ヘ イ ソ ク ・ ハ ラ マ シ ギ ・ ハ ラ ミ ギ な ど と 呼 ん で 、小
正 月 の 十 四 ・ 十 五 日 に か け て行
な わ れ る 祝 い 棒 に つ い て の 呼 称 や機
能 お よ び 材 料 な ど か ら し て 、密
教 寺 院 と の関
連
が 考 え ら れ る 。10
、賓
頭 盧 尊 者 − 撫 仏 ( ナ デ ボ ト ケ ) 筆 者 が 昭 和 三 十 九年
、 白 山 神 社祭
礼 に 参 詣 の節
、 陸 奥 国 分寺
薬 師 堂 入 口 の 廊 下 左 側 に 「 お賓
頭盧
さ ま 」 の像
一 驅 が 安 置 さ れ て あ り 、参
詣 の 人 々 の 中 で 比 較 的年
を と っ た 人 達 が 、 お 賓 頭 盧 さ ま を 撫 で て か ら 自分
や 子 供 の 身体
を な で て い る の を 見 た が 、 こ の 像 は 出 羽 国 分 寺 ( 柏 山寺
) の 薬 師 堂 に も あ る し 、 東 大寺
大 仏 殿 の 入 口 右 側 に も 安置
さ れ て い る 。大
辞 典 の ビ ン ヅ ル ハ ラ ダ (賓
頭 盧 頗 羅 堕 ) の 項 に 、 「 又 本 邦 諸 寺 の 外 陣 に 師 の像
を 安 じ 、 若 し 病 患 あ る 者 、 一58
一密教 と民間信仰との 関 係 (月光善弘) ( 胃 )
其
の 痛 処 に 随 っ て 像 を 摩 せ ば 即 ち 平 癒 す と な す の俗
信 あ り 。 ( 後 略 ) L と 記 さ れ て い る 。11
、 そ の 他 「 箆 岳 と 農 民 の 信 仰 」 の 初 め に 「 ” こ こ か ら頼
む ぞ箆
岳 さ ま よ 、 今年
も よ い 作 と る よ う に ” と い う 唄 は 、 仙 北 地 へ %) 方 の ど こ に 行 っ て も 聞 か れ る が 、 白 山 様 は 農 作 の神
と し て 、 箆 岳 の 見 え る 限 り の 地 帯 の 農 民 の 信 仰 の 対 象 で あ る 。 」 と記
さ れ 、箆
岳
さ ま と 農 民 の 結 び つ き の 具 体 的 な点
と し て 、種
籾 交 換 ・ 作 試 し ・ 三峯
( み つ み ね ) さ ま ・ 豊 年 わ ら じ ・ 互 市 ( た か い ち ) な ど が 挙 げ ら れ て お り 、 ま た 『 陸 奥 国分
寺 』 の 「行
事
と 縁 起 物 」 の 中 に は 、 七 日 堂 ( 修 正 会 ) ・ 柴 灯 大 護 摩 ・ 木 ノ 下 駒 ・ ボ ソ ボ コ 槍 ・達
磨
な ど が 記 さ れ て い て 、 陸奥
国 分 寺 の 主要
行 事 で あ る 七 日 堂 や 白 山 神 事 に は 、 近 郷 近 在 か ら の 参 詣 者 で にぎ
わ い 、 こ れ ら の 人 々 の多
く が 緑 起 物 な ど を 買 い 求 め て 家 へ の 土 産 に し た こ と が 知 ら れ る 。 こ の よ う に 一 山 寺 院 の 主 要 行 事 と 除 災 ・ 招 福 に関
す る縁
起物
と の 関 係 は 、 箆峯
寺 や 陸奥
国 分 寺 以 外 に も 見 ら れ る 現 象 で あ っ た 。 六 、 禁 忌 ( タ ブ ー ) に つ い て 即 身 成 仏 と 行 の項
で も 述 べ た よ う に 、 密 教 で は精
進潔
斎
と か斎
戒 沐 浴 お よ び籠
り 行 な ど が 重 視 さ れ る が 、 そ れ は 一 般 の 人 々 と 火 を 別 に し て 生活
す る 行 す な わ ち 別 火 精 進 行 に よ っ て身
心 を 清浄
に す る こ と が 肝 要 で あ る と 考 え ら れ た 為 で あ り 、 そ れ ゆ え 火 と 水 を 特 に 大 切 に す る 。柴
灯 護摩
を 焚 く の も、 煩 悩 を 焼 尽 し て 菩提
を 証 せ ん が 為 で あ る と さ れ る し 、 法 灯 ・ 法 脈 を 承 け 伝 え る 師 子 相 承 を 伝灯
と称
し 、密
教 を 承 伝 し得
る 僧 侶 を 伝灯
大 阿 闇 梨 と 称 す る 。 こ の よ う に 火 を 重 視 す る の で 、 忌 み 火 す な わ ち 死 者 や 出 産 な ど に よ る 火 の穢
れ を嫌
い 、 死 者 を 山 内 に 入 れ な か っ た り 、 葬式
も 山門
の 外 で や る と か 、 跡秡
い ( 火秡
い ) を し て 忌 み を 祓 い 、 清浄
な 火 に 改 め た の で あ り 、 金 華 山 大 金 一 一智山学報第二十五輯
寺
の 聖 職 者 が 死 亡 す る と 、 海 を 超 え た 牡鹿
半 島 の 墓 地 に 埋 葬 し 、 ま た 陸 奥 国分
寺 に お い て も 、 「 御 祭 礼 御 祈 疇 饗 応 規 式 手 鑑 」 の 中 にコ
、当
山 の 忌 は 三 十 五 日 な り 、 ( 後 略 ) 」 とあ
っ て 、 忌 の 服 衷 に 対 す る 規 定 が 設 け ら れ て い る 。 す で に 除 災 ・ 招 福 に 関す
る 信 仰 習 俗 の 中 で 述 べ た よ う に 、東
北各
地 の 村 々 で 、 若 老 組 な ど に よ っ て 行 な わ れ て き た 「 お福
田 」 の 行 事 な ど に も 、 忌 火 ・ 産 火 の 家 の若
者 は 参 加 す る こ と が で き な か っ た の で あ る 。 七 、 祟 敬 者 ・帰
依信
者 とL
て の 民 間 の 人 々 一 山 寺 院 の 開 山 ・ 中 興 お よ び 堂 塔 伽 藍 の 整 備 な ど は 、 本来
僧 侶 ・貴
族 ・ 豪 族 な ど の 上層
階 級 の 保護
に よ っ て構
成 さ れ た も の が 多 い が 、 東 北 地方
に お け る 一 山 寺 院 の 記 録 や 資 料 な ど に よ っ て 検 討 す る と 、 か な り 古 く か ら 広 い 地 域 に 亘 っ て 、 多 く の 民 間 の 崇 敬 者 お よ び 帰 依 信 者 た ち に よ っ て 支 持 さ れ て き た こ と が 知 ら れ る 。 す な わ ち 箆 峯寺
一 山 の 大 檀 那 は 、 記 録 や資
料 に よ れ ば 、 開 創 よ り 近 世 ま で 、豪
族 ・ 領 主 な ど の 武 家 で あ っ た と 考 え ら れ る が 、 早 く か ら 多 数 の 農 民 お よ び 漁民
な ど、 民 間 の 帰 依 信 者 た ち に よ っ て も 支持
さ れ て き た も の で 、 ” 坊 の 経 済 ” の 中 に 、 「 檀 中 ま わ り と 守 札 く ば り に 霞 場 の 信 徒 の 一 軒 一軒
を ま わ る こ と は 、 な か な か 時 日 を要
し た も の で ( 30 ) あ る 。 し か し こ の 施 入 高 は 大 き な も の で 、 山 を 守 っ て き た 基 盤 で あ り 同 時 に 各坊
の 経済
的 基 盤 で も あ っ た 。 」 と あ り、 明 治 以降
に お け る 箆 峰寺
一 山 の 信老
戸数
は 約 一 五 、 ○00
戸 で 、 仙 北 地方
一帯
に わ た っ て分
布 し て い る 。 八 、 密 教 系 の 聖 職 者 と 民 間 信 仰 一 山 寺 院 の 組 織 に は 支 配 職 ・衆
徒
ま た は 社 僧 ・ 補 佐役
お よ び 雑 務 役 ( 門 前 ) な ど が 考 え ら れ る が 、 組織
の 主 体 を な す の は 衆 徒 ま た は 社 僧 で あ っ た 。 し か も箆
峰
寺 お よ び 陸 奥 国分
寺 な ど 、 僧 名 の 下 に 法 印 と 書 い て あ る の が 多 く、 こ の こ と は 田 辺 希 文 の 『 封 内 風 土 記 』 で も 同 じ で あ り 、 法 印神
楽 な ど と い う 呼 称 も 、 一 山 の 衆 徒 に よ っ て舞
わ れ た 一60
一密教と民 間信仰との 関係 (月光善弘) た め で あ る と 思 わ れ る 。 東 北 地 方 の 各 村 落 に は 、 法 印 さ ま と 呼 ば れ る 加
持
祈 濤 師 が 居 っ て 、 村 の 堂 社 の 別 当 な ど を つ と め 、 村 人 か ら 祈 禳 ・ 卜 占 お よ び 祓 い な ど を 依 頼 さ れ て き た密
教系
の 聖 職 者 で あ り 、 巫 女 の 神 つ け の 式 に も 関 与 し 、 巫 女 と と も に 村 人 の 信仰
習 俗 の 中 で 大 き な 役 割 を 果 た し て き たも
の と 考 え ら れ る 。 九 、 本 地 垂 迹 − 神 仏 習 合i
を 普 及 し た こ と 東 北 地 方 に は 式 内社
が 、 陸 奥 の 国 に 百 社、 出 羽 の 国 に 九 社数
え ら れ る が 、 現 在 で は 、 社 地 址 の 不 明 の も の や 宮 社 の な い も の な ど 、 ま た 宮 社 が あ っ て も 社 名 が 変更
し て い る の が ほ と ん ど で あ る 。 こ の よ う に 、東
北
地 方 に お け る 式 内 社 の 神 社 名 や 山 の名
称 が変
化 し た の は 、 密 教 が こ の 地 方 に進
出 し て か ら の こ と で あ り 、 霊 地 ・ 霊 山 と な っ た 山 々 も あ り 、 山 内 に は 多 く の神
を 祀 る 堂 社 が建
っ て お り 、 そ れ ら の 堂 社 名 を 見 る と 、村
々 の 各 所 に建
立 さ れ て い る 堂 社 名 と 同 じ で あ る し 、神
社 の 中 に も 、 本 地 仏 と し て仏
像 と か 自 然 石 そ の 他 を 祀 っ て い る の が 多 い 。 十 、境
内 や 山 内 に 祀 ら れ る 諸 神 ・ 諸仏
東 北 地方
に お け る 本 地 垂 迹 ・神
仏
習 合 の 思 想 は 、 密 教 系 の 聖 職 者 が 主 と な っ て布
教 伝 道 し た も の と 考 え ら れ る の で 、 堂 社 に 祀 ら れ る 仏像
も 、 密 教 の 加 持 祈 禧ー
国
内 安穏
・ 所 願 成 就 ・ 現 世 利 益 ・ 五 穀 豊 穣 な どー
に 関 連 す る の が 多 く、 陸 前 北 部 に お い て も 、 薬 師 ・ 観 音 ・ 不動
・弁
財 天 な ど 、 ま た宮
社 の 中 で も神
明 宮 ・ 八 幡宮
・熊
野神
社 な ど が 圧 倒 的 に多
い 。 こ れ ら は 民 間 の 人 々 の 要 請 と密
教 系 寺 院 の布
教 活 動 が 合 致 し て 、 長 い年
月 の 間 に習
俗 化 す る に 至 っ た も の と考
え ら れ る 。 一61
一智 山学報第二 十五輯 十 一 、 お わ り に 以 上 、 東 北 地 方 の 一 山 寺 院 を 中 心 と し て 、 密 教 と 民 間 信
仰
と の 関 係 に つ い て 、 そ の概
略 を 述 ぺ た の で あ る が 、 東北
地 方 に 一 山 寺 院 が形
成 さ れ た資
料 と し て 最 初 の も の は 永 承 二 年 ( 一〇
四 七 ) で あ り 、現
在 ま で 九 百 年 以 上 の 歳 月 を 経 て い る わ け で 、 こ の 間 幾 多 の 変 遷 を 重 ね な が ら 培 わ れ た 信 仰 習 俗 は 、 民 間 の 人 々 の 生 活 に 大 き な 影 響 を与
え て き た も の と 考 え ら れ る 。 し か し こ れ ら の 信 仰 習 俗 も 、戦
後 と く に 経済
成 長 を 一 つ の く ぎ り と し て 大 き く変
化 し て い る の が 実 情 で あ り 、 岸 本 英 夫 氏 も 「 今 日 、 科 学 と 宗 教 と の 衝突
と 一 般 に 考 え ら れ て い る の は 、実
は 、 科 学 と 宗 教 と の 全 面 的 な 衝 突 で は な い 。 こ の よ う な 、科
学 と 超 自 然 観 と の 衝 突 で あ る 。 現 代 に お い て 、 す で に 、 請 願 態 の 中 の 超 自 然 的 な 考 え か た は 、 科 学 的、 合 理 的 な 近代
思想
の 前 に 、 敗 退 を 重 ね つ つ あ る 。 将来
に は 超 自 然 的 な 考 え か た に も と つ く い わ ゆ る 御 利 益 信 仰 は、 や が て 、 そ の 場 を も た な く な る で あ ろ う 。 奇 蹟 や 超自
然 力 の 宗 教 は 、 将 来 は 、 消 え て ゆ く 運 命 に あ る と 言 ( 31 ) っ て よ い で あ ろ う 。 」 と 述 べ て お り 、 密 教 の 加 持 祈 濤 的 な 請願
態 の 宗 教 のあ
り 方 お よ び そ の 将 来 性 に つ い て 警告
を発
し て い る 。 密 教 の 宗 教 的 な 価値
体制
は 請 願 態 だ け で は な く て 、 希 求 態 ・ 融 合 態 お よ び 諦 住 態 も あ る の で あ り 、 現 代 社 会 の要
請 に 応 じ て 変 化 も し て い る が 、 わ が 国 の 宗 教 史 の な か で 、 密 教 が 民 間 に お け る 信 仰 習 俗 の 形 成 に 大 き な 役 割 を果
し 、 そ の 母 体 的 な 力 と な っ て き た こ と は 認 め な け れ ば な ら な い し 、 で き る だ け そ の 関 係 を 明 ら か に し た い と 考 え て い る 。 註 ( 1 ) 松 長 有 慶 著 『 密 教 の 歴 史 』 一 八 一 頁 ( 2 ) 景 山 春 樹 著 『 比 叡 山 』 三 六 頁 ( 3 ) 『 望 月 仏 教 大 辞 典 』 四 三 六 頁 一62
一密教と 民 間信仰との 関係 (月光善 弘) A A2928 ) ) ( ( ( ( ( ( ( ( ( ( ( ( ( ( ( ( ( ( ( ( ( ( ( (
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87
6
54
) ) ) ) ) ) ) ) ) ) ) ) ) ) ) ) ) ) ) ) ) ) ) ) 那 須 政 隆 庸 者 『 本 覚 よ り 帰 … 命 へ 』 四 ・ 五 頁 『 仙 台 市 史 』 7 四 一 〇 〜 四 一 二 頁 『 大 日 本 寺 院 総 覧 』 一 九 六 七 ・ 八 頁 中 村 哲 稿 「 民 俗 尊 重 に 警 告 」 山 形 新 聞 ( 昭 和51
・1
・26
日 刊 ) 『 宮 内 町 の 文 化 財 』 八 頁 『 望 月 仏 教 大 辞 典 』2
一 一 一 五 頁 加 藤 治 郎 稿 「 箆 峯 寺 の 歴 史 と 正 月 行 事 」 ( 『 涌 谷 町 史 』 上 ) 七 五 二 頁 大 山 公 淳 著 『 高 野 山 』 一 八 六 頁 加 藤 治 郎 稿 「 箆 峯 寺 の 歴 史 と 正 月 行 事 」 ( 『 涌 谷 町 史 』 上 ) 七 七 七 頁 早 坂 忠 雄 著 『 若 松 観 世 音 』 = 二 ・ 一 四 頁 佐 々 木 敏 雄 稿 「 城 下 の 寺 社 と 民 間 信 仰 」 ( 『 涌 谷 町 史 』 上 ) 三 八 九 頁 石 川 謙 吾 稿 「 苗 代 の 水 口 守 札 に つ い て 」 ( 『 仙 台 郷 土 研 究 』 第 十 九 巻 第 三 号 所 収 ) 「 小 阿 弥 陀 堂 再 建 勧 進 帳 」 ( 安 政 三 年 ) 加 藤 治 郎 稿 「 箆 峯 寺 の 歴 史 と 正 月 行 事 」 ( 『 涌 谷 町 史 』 上 ) 七 九 〇 〜 七 九 三 頁 月 光 善 弘 稿 「 福 田 に つ い て ー 東 北 地 方 を 中 心 と し て ー 」 ( 『 日 本 民 俗 学 』 会 報56
号 四 〇 〜 四 四 頁 参 照 ) 月 光 善 弘 稿 「 東 北 に お け る オ シ ラ 信 仰 と 歓 喜 天 と の 類 似 性 」 ( 『 日 本 民 俗 学 』 会 報 37 号 一 三 〜 一 七 頁 ) 藤 原 勉 稿 「 蘇 民 将 来 と 牛 頭 天 王 」 ( 『 東 北 福 祉 大 学 論 叢 』 第 7 巻 二 二 二 〜 二 四 九 頁 ) 黒 沢 泰 輔 編 『 陸 奥 国 分 寺 』 } 八 一 頁 加 藤 治 郎 稿 「 箆 峯 寺 の 歴 史 と 正 月 行 事 」 ( 『 涌 谷 町 史 』 上 ) 八 〇 四 頁 「 同 右 」 七 七 九 頁 『 日 本 の 年 中 行 事 』 磐 城 篇 一 一 〇 頁 加 藤 治 郎 稿 「 箆 峯 寺 の 歴 史 と 正 月 行 事 」 ( 『 涌 谷 町 史 』 上 ) 七 九 四 頁 黒 沢 泰 輔 編 『 陸 奥 国 分 寺 』 一 八 〇 頁 『 望 月 仏 教 大 辞 典 』5
四 三 三 四 頁 加 藤 治 郎 稿 「 箆 峯 寺 の 歴 史 と 正 月 行 事 」 ( 『 涌 谷 町 史 』 上 ) 八 〇 一 〜 八 〇 六 頁 黒 田 泰 輔 編 『 陸 奥 国 分 寺 』 一 七 七 〜 一 八 三 頁智山学報第二 十五輯 (