NII-Electronic Library Service
r
十 不
二
門
』 の
第
七
「
自他 不
二
門
」
・第
八
「
三
業
不
二
門
」
の
解
明
島
村
大
心
0
序
湛 然 (711〜782
)の 『十不二 門』(=T46 − 702a〜704c、
以 下原 則 頁 数の み)は、
大 乗 仏 教の 根 本 思 想 であるとこ ろ の 〈俗 諦世 界 と 勝義諦 世 界との不二 〉・
〈無明 即 明〉・
〈生死 即 涅槃 〉(=
これ ら を筆者は 第二真理命題 と呼 称す る 島 村L
以 下 同、
西223
〜
224
はこれ を〈大 乗の 「コ ペ ルニ ク ス転 換」〉と呼 ん だ )をユ0
の観 点 か ら解 明 し た もの で、
難解を もっ て知られ て お り、
近年は、
多 くの研 究 者がく真 如・
実 相〉
に対 する関心を失っ て し まっ た為
か、論
文 も少ない。 十 門の 内の 第一〜
第四門は自行の 法門(
=
『十不二門指 要鈔
』T46 − 717a25、
以 下 『指 要 鈔』、
頁 数の み)であ り、 第五門 以 降は 「化 他 (=
利 他 行 )」(=
同717a26
)を論じ てい る と され る。 本 稿で論 じる第七 「自他不二 門」(=
『十不二 門』704al1〜25、
『指 要 鈔』718a4b27 )は、
その 「化 他(
=
利他 行)
門」 で ある が、
そ こ で は、
真 如・
実 相に顕現し てい る〈「自」(=
報 身・
応身)と 「他」(=
衆生)との不二 〉が説か れ てい る。 本 稿は その意 味 内 容を、 注 釈 書である知 禮 (960
〜1028
)の 『指要鈔』(=
705a
〜
720a
)を 通 じ て、
可 度 の 『十 不二 門指要鈔詳 解』(1631 年 撰 述、
以 下 『詳 解』)、
守 脱 大 宝 (1804〜1884
)の 『十不二Fr
指 要鈔 講 述』(; 以 下 『大宝』〉を も参 考に しつ つ 解 明 する。
こ こで結 論を先 取 し て述べ て おけば、 本門は ({〈真 俗 双運 yuganaddha−
vahin とし ての、
報 身・
応 身二 身の後 得 智に よ る利他 行 〉と〈無 明に よ る俗 諦の用〉との 「不二」 と、
〈報 身・
応 身 と衆 生 〉が 「不二」 で あ ること を、
〈無明 即 明 な る・
筆 者の 云う第二真理命題〉に基づ い て根拠づ けてい る >>の で ある。
尚、
本 稿では〈身・
口・
意の三業の不 二〉
を論 じた第八 「三業 不二 門」
を も併せて論 ずるこ と とする。 (=
)、
[]は筆 者の注 記。 ( )は大正の 原 語。
1
第
七
「
自他
不
二
門
」
の
解 明
1
「
不
二 」と され
るく
「自
」と
「他
」〉
と は何
か これ
につ い ての 「自他
不
二門
」 の記
述
は煩雑
・
多
義 的
であ
るが
、注 釈 書
を
参
照
し
て解 明す
れ ば
、結
論
と
し
て次
のよ
う
に
な
ろ
う
。「自」
:注釈 書
は 以
下
のよ
う
に記 す
。(
1
)
N工工一
Eleotronio LibraryNII-Electronic Library Service
智 山学報 第六十
一
輯
[利 他 行 は、
自]已 (; 報身・
応身、
仏界なる能 応平232
注318
)に由っ て成し遂 げら れる (辮 ) の だか ら、
[自行とし ての利他 行は 『詳 解』続 蔵56− 481c15
]必ず(
須)
「自」 と名づ けら れ る」 お よ 『指要鈔
』718a7
、 〈
是 れ は 「[後
得 智に よ る・
利 他行な る]神通及以 び[衆生 か らの用らきかけ (=
「感」)に]應 ずる[報 身・
応 身な る]主体 (=
能 應 )」 の こ とである〉『指 要 鈔』718a7、
i
「自」と は 〈應及 び神 通の こ と〉
『大 宝』50a12
、
ii
「應 を 自 と名づけ る」『詳 解』続 蔵56
−
480a23、
『枢 要』続 蔵56− 390a18、
iii
「能 應 (=
報 身・
応 身 )は・・
つ ま り (即 ) 「自」であ る」 『詳 解』 続 蔵56− 481a5
)。以
上
か ら
、黶鎌鑞
”
飆’
鬻“
灘
鸛職 繕灘鱗 驥 鑛
鑓
覦 鞭攤 驪驪覊驪驪覊驪 鑼 鸚灘灘戀 讎 飜騰 獵灘糶
1
靉靉 驪 驫韈鑼 爨鑽癰霧
貍灘
驪
飜
靉攤 鑼饑
を
意 味 す
る こと
が分
か
る。「他 」
:注 釈書
は以 下
の よう
に 記
す
。[所 化の側であ る ]「感」 は
、
つ ま り(即)[自(=
報 身・
応 身、
仏 界 なる能応 )に対比 され る]と こ ろ の 〈「他」 なる機 (= 行 者・
衆 生)〉(= 所 化、
九 界の 所 応 なる未 覚の行 者 平232
注318
)『指 要鈔』718a8
、
i
〈「他 」 とは[衆 生の 側か ら仏へ の用 ら きかけ なる 「感 」の こ と〉(『大 宝』50all〜12、
『枢 要』 続 蔵56−
390a18
)
ii
「機(
=
衆 生)を 他 と名づ け る」 『詳解』続蔵56
−
480a24、
iii
「所 化なる機は・・
つ まり (即 )「他」で あ る」 『詳 解』 続 蔵56−
481a6
、
iv
このほ か
、
了然 『十 不二 門枢要』(
序 文ll38
年、
池田IlO2
)続 蔵56− 390al〜11
の 「自・
他」の 解 釋は次の通 り。 @ 體 と用の観 点か らの解 釋。 「他」=〈
俗諦 な る 衆 生 利 益 と して の神通等の 事 >390a3
〜4、
「自」=
〈俗 諦の恒 河 [沙 ]三昧 〉(=
無 数に多 くの三昧一
中 村404c
)390a2〜4 、
「不 二 」=
くこ の 自・
他 を 了 解 して、
「即 空 中」 が一
體 な る事態>390a4
〜5、
「中 辺」の 観 点 か ら の解 釋。 「他」=
〈俗・
随 縁 〉、
「自」=
〈真・
内照 〉、
「不二」=
〈こ の 自・
他 を 了解し た 「中 道」 [が実現 し た事 態 ]390a5〜7、
◎亡・
照の観 点か ら の解 釋。
「他」=
〈俗 諦 〉、
「自」=
〈空[諦 ]・
中 [諦 ]〉、
「不二」=
くこの 自・
他 を了 解し た 「即 是一
性」>390a7〜9
。 上記 『指 要鈔』 の 「自・
他」 はこ の◎
に該 当 し、
<<「自」=
〈空 [諦]・
中 [諦 ]〉、
「他」=
〈所 化〉で あっ て、
能 化 なる 「應」の 用 に関し て 云 え ば、
その 〈所 依の體 〉(=
報 身・
応 身 仏 )を 「自」 と し、 〈所 被の機 〉(=
衆生)を 「他」 とする>>390a9〜11
。 後述の く鏡の喩〉の観 点 か らの解 釋。 「他」= 〈形 ある物〉、
「自」≡
〈鏡 明>390al1,
つま
り
、
覊黼
1
攤 靆糞
、
「
自
」(
=報 身
・
応 身
)
に
“
著
、
/
/
/
’
・
F
tt
L
」
ttF
/
.
tt
」
耐
黙/
’
e「
’
鑛鑞鸚鑞鑾邏饑 鬣
を意 味
す
る
。(
2
)
N工工一
Eleotronio LibraryNII-Electronic Library Service 『十
不
二門
』 の第
七 「自他 不
二 門」・第
八 「三業
不二 門」 の解 明 (島村 )
2
〈自
a2
他
B
(=
記 号は島村b
以下同)の 厂不
二 」〉
(=
第二真理命題系1
)と
は、如何
な る
事
態
か これ は勿論 大乗 經 論に共 通 して説 か れてい るく自a2(=
仏 界の能 応 なる 仏)
と他B
(
=
九 界の所
応な る衆 生 )〉の 同一
性(
=
第二 真理命
題系1
島 村L
)のこ とである。
こ れ が成 立する根 拠は何か。
3
「
不
二 」 の成
立
根 拠
こ れ は以 下の3
(1
)〜3
(4
)の5
方面 か ら解 明され る。3
(
1
)
「
心 ・仏 ・
衆
生
の同
一
性 」
(
教 証)
「〈自(=
仏界の能応 なる仏 )と他 (=
九界の所 応なる衆生)〉と は[一
先 ず ]分 け ら れ る が (雖〉、
[衆 生 と〈報 身・
応 身に 顕 現する 三 千 三 諦〉
と は、
仏 か ら見れ ば〈各々の衆生の己の心 〉と平222
]同 [一
事態]で あっ て、
[そ れ は、
真 如・
実 相と して は、
本 具の 平222
]一
念に在 る1)。 故 に前 述 (上)の [「色 心不二門」703a27
〜
28
の]文 は[次の ように]云 う。
「(但、一
念を識れ ば、
遍 く、
〈己(=
自)と他〉な る [衆 ]生・
佛 を 見る[〈心 仏衆生の 無差別 〉は認 識 論 的事 態で ある、
とする重 要な 既 述 ]。)〈他 なる[衆]生〉と〈他なる佛 (≡
下記参照)〉は尚、
心 と同 じ2)で あ る」 『指要鈔』7
ユ8a8〜9
と。 これ
は、 『華 厳 経
』 の 「心 佛 及 衆
生
是 三
無
差
別
」T9 − 465c〜466a
に基
づ い てお
り
、同 趣
旨
は
『摩
訶
止
觀
』T46 −
54a
も説 く
(注2
)が 、そ
れ が成
立
す
る更
な る
根 拠
(=
拙 論 「「依 正 不二 門 」の解 明 」3
参勵ま
で は
、 こ こ では
説
明
され な
い 。同
一
事 態 を
r
指要
鈔
』は
次
のよ
う
に
記
述 す
る
。<<「己 心 な る
〈
[衆]生 と佛〉
が どうして (寧 )一
念に乖 くであろうか」3)。 佛 法 も衆生法 も、 [自心 を 己 と す ること 『詳 解』続 蔵56− 481a2〜3
に対比 して平222
]皆、
「他」 と名づけら れ る。 而 も [心法と同じく、
衆生法も仏 法 も平222
]各々 がく[衆 ]生 B と佛a2 なる[三千の諸 法 『詳 解』 続1
) 「自a2
一
他B
を分 けると は 云 え、
理と して 照 らせ ば(=
仏 眼に顕 現 して い る在 り様A1
とし ては
)
同 じ く一
念に在
る。 故に 「不二 」 と名つ く」 『大 宝』50a12
〜13
。2
) 『摩 訶止觀』 「若 從一
心生一
切 法 者。 此 則 是 縱。 若心一
時 含一
切 法 者。
此 即 是 横。
縱 亦不可横 亦不可
。
祇心是一
切 法。一
切 法 是 心 故」T46
》p.
54
,
1
。 近 く発 表予定の拙論 「小善
成 仏の意 味 内容」 『密 教 学』 第
48
号 皿2
(2
)注86
参照。 「一
切 世界中無 法 而不造
如心佛 亦 爾
如 佛 衆
生 然
心 佛 及 衆 生
是三無 差別
諸 佛 悉了知」 『六十華厳』 T9 》 p
.
465,
3〜
p.
466.
1。3
)「故 知 但識
一
念 。 遍 見 己 他 生 佛。 他 生 他 佛 尚 與 心 同。 況己 心 生佛 寧 乖一
念。
故彼 彼 境 法。 差 差而 不 差」 『十 不二 門』 「色 心 不二 門」
703a27〜29,
(
3
)
N工工一
Eleotronio LibraryNII-Electronic Library Service
智
山学 報第
六十
一
輯
蔵56
−
481a3
コを具し てい る(
=
第二真 理命 題)
の である。 若し[行に よっ て行 者に、 果として の〈
自心の所具 な る 三 千の諸法の後 得 智の 用〉
『詳解』 続蔵56
−
481a4
が 顕 現 して]、
己 匚心 本 具の 衆 ]生B
と佛a2 とが顯われ れ ば、
[行 者は、
転依に よっ て已覚 者Al
と なっ た のだか ら]直ちに (則)〈
他な る佛 [法 ]〉[に 顕 現する衆 ]生と佛と同 じく倶に 「能 化」(=
「能 應なる自」r
詳 解』続 蔵56− 481a5
)と為 るの で あ る>>『指 要 鈔』718a9〜ll.
[こ こで は、 「心と〈佛
・
衆 生〉」 が対 比 さ れ てい る文脈である か ら、
〈佛・
衆生〉の基礎である 「心」 が 「自」 と さ れ、
1
で 「自」 と 定 義 さ れてい た 「佛 法」 はこ れ に 対 比 さ れ る 「他」 とさ れてい る。]3
(
2
)
「
感
と
應 」
の本 [来 的]同 [
一
性
]
(
=體
か ら
の説 明
)(
理
証
)
「〈[所 化 なる]機B
(=
九界の所 応なる衆生)に隨っ て、
[報 身・
応身a2 が後 得 智と してユ利 他 な る 「事」[を顕 現する こ と]はつ ま り(乃)「本」 に憑る。 「本」 とは 「−
ue
」A1
の こ と を謂い、
[一
性が]〈「自 (二
仏界の 能 応 なる仏 a2 )・
他(=
九 界の 所応 な る衆生B
)を具 足 する こと〉であ る 」 『十不二 門』704a11
。 こ こ で、 「不
二 」 の根
拠 と
し
て覊
鑾
A1
を設 定 し
て
説 明す
る
が
、そ
の内
実
と し
て の〈
「自
(
=
仏 界の能 応 なる仏)・
他
(=
九界の所 応 なる衆生)を具
足
す
る
こと
〉
と は
、認
識論 的記 述
に改
め れば
、〈
他
B
(=
九界の所 応なる衆生)が
仏 眼
A1
には
、自
(= 真 如・
実相 なる仏a2)と
同
一
事
態
(一 第二 真理命
題系1)と し
て顕 現
し
てい る こと
〉
であ
る。 こ の變
、、
.
、−
A1
は
「不
二 」を説 明
す
る
た めの新
た
な
く
概 念 設 定
〉
では
あ
るが 、
〈
何 故
こ の 「一
性
」が
成
立
す
る
のか
〉
迄
は解
明
され
て いな
い 。 この 「一
性
」を
『指 要
鈔
』は
次
のよ
う
に記 述
す
る
。 「[行 者が 円教の初住に入っ て平223
]證 果し た後に、
[自 か らは]動 じず(=
第 六定理)に而 も[双 運として、
感 な る・
衆 生か らの 用らきかけに]應じ て衆 機を普 く益する(= 双運 なる第四真理命 題)。
[こ の報 身・
応身による・
應な る 用は]も と もと(既)意図 した用 らき (謀 作 )で はな く、
[任 運 平223
の用 『詳 解』続 蔵56
− 481a13〜14
であ り(= 「不動の應i
(= 「真を[完 ]全にして應を起 こすこ と」 『詳 解』 続 蔵56−
481a15
)、
皆 〈[仏 と機 (=
衆 生 )の 本]性が 同[一
]であること〉(=
第 二真理命題)に由っ て匚用 ら くコの で ある」718a15−− 16。
[〈こ こ で 「非 謀 作」(=
任 運 )に よっ て 仏・
自と機・
他との 「不二 」〉が根 拠づけら れてい るが、
その論理構造 までは 示 さ れてい ない。
] 「因 (三く
未覚の機 (=
他)と自の 同一
性 〉『詳 解』続 蔵56− 481a15〜16
)(一
修に よっ て塵 を除 去 するこ と(≡3
(3
)修 と 本 具 との 区 別 を 参 照))と果(
=
〈仏 が 「他」 を 利 益 する こ と〉 『詳解』続蔵56− 481a16
)(一
鏡が像を現 ずるこ と一
)に よっ て このこ と(
之)
を驗 らべ れば、
[仏 と機 (=
衆生)は ]明 ら か に(
灼然)
「鸛
」なの である (= 第二 真理命 題 )」 『指要 鈔』718a16
。(
4
)
N工工一
Eleotronio LibraryNII-Electronic Library Service 『
十不
二門
』 の第
七 「自他不
二門
」・第
八 「三業
不二 門」 の解明
(
島
村
)
3
(
2
)
「感
と
應 」
の本 [
来 的 ]同 [
一
性 ](
=自
と
他
は
倶
に
三千 を
具
す
こと に よ
る説 明)(
理証
)
「諸 佛 には 三千 [の諸 法 ]の理(三
真 如・
実 相 )が滿 ちてい るか ら、
[衆 生か らの 感に ]應 ずるこ とができる。 [この ように仏の ]應は[
一
切法に]遍 じてお り、
機(=
衆生)の [感も]遍 じ てい る・・
[衆生 の]「感」(欣こ び)と[仏 が衆生に]赴 く[應 コとは、 同 じ事 態 (不差 )である 」 『十不二門』704a16〜17,
つま
り
、仏 眼
には
〈
一
切
法
の真 如
・
実 相 (
=第
二真
理命
題)が 顕
現
〉
し
てお
り
、 こ の観 点
か ら は 、
〈
衆
生
も
一
切 法
と
無 相
・
平 等
であ
る か ら、
衆
生
の 「感
」も
一
切 法
に及
ん い る〉
。由
っ て〈
衆
生
の 「感
」と
仏
の 「應
」と は
不 差
〉
であ
ると
す
る。 こ れを
『指 要鈔
』 は次
の よう
に解 説 す
る。「[これ は仏
・
衆 生 が ]〈倶に[実 相 とし て の 三千の諸 法を]具する〉ことの観 点か ら 「道 交」(=
感應 )を明か し てい る。 もともと(既)[心
・
仏・
衆 生のユ三は 無 差 別 (=
『六 十華 厳』T9 −465c〜
466a
>である か ら、
その ままで(
則)
「感・
應」 は 相い 收め[合っ てい る]718b6〜7
。 こ れ は原 理
的
に は、下 記
3
(
4
)
三諦 に よ る 説 明 と 同 じ
であ
るが 、
こ こ で は 厂三
千
」を
重視
した
説 明
で、〈
自
・
他
は
倶
に 三
千
を
具
〉
し
、而 も元 来 く自
・
他
は
、 『六
十
華厳
』T9 − 465c〜466
。 の教 証
によ れ ば
無 差 別
であ
る〉
か ら
、〈
三千
に含
ま れ
る自
の 「感
」と
報
身
・
応
身
の 厂應
」と
は 「相収
」(
二不
二)
〉
であ
る
、と
す
るの であ
る
。3
(
3
)〈
修 と本 具 と
の区
別〉
に よ る
「
不
二」
の解
明
(
理証
)
獵麟 鑠韈 一
懸 灘 灘 纐覊 灘
輜
鑾鑾鑾 靆 鑾靉鑾靉 孅
驪 靉 醗鑼
ew9
#
懇鑼驪飜
wwueljwa
『十不二 門』704a20〜22.
こ
れ
は下 記
『指
要
鈔
』 によ れ ば 、
「
塵 を
去
る こと
[
に よ る照 ら
す
用 ]
は 、〈
人 が
[
心 を
]
磨
く
こと
〉
に由
る」 こと と
、鑑
(
=[
因
な
る 人
の 平230
]
心
)
が 、
鑞 韈 鑼 蠶鑼獵纒
懃覊靉欝
1718b22
、を区別
した
も
の であ
る
。 つま り
、修
に
よ
っ て心 を
磨
い て行 者
に真 如
・
実 相
が
顕
現
す
れ ば
、〈
迷
妄 (
=塵
)
が
去
っ て、後 得 智
の 「照 ら
す
」用 ら
き
が
行 者
に
実 現 す
る が 、
これ は
〈
「照
ら
さ
れ
る対
象
」を真 如
・
実 相
な る
「三
千
三
諦
」と し
て新
た
に決 定 す
る〉も
の で はな
い(
= 『起信 論』 の 厂本 覚」 に相 当、
近 く 「『大 乗起信 論 義記』現 代 語 訳」 を高野 山 出版よ り出版 予 定)、(
5
)
N工工一
Eleotronlo LlbraryNII-Electronic Library Service
智
山学報 第
六 十一
輯
と
の主 張
であ
る
。 『指 要
鈔
』 は この こと
を次
の よう
に
記
す
。[鏡と像との]諭を使って (帶 )
、〈
用 は[迷妄を破 す 平229
観 行の 『詳解』続蔵56
−
482c17
]功 で はあ る が、
[そ れは 三千三諦 を新たに]成 立 させ る こ と で はない (匪)
こ と〉を彰かすの である。 故に[次のように]理解 (知 )さ れ る。
〈匚因人の平230
]心 な る 鑑 は、
[仏 眼 が 見 れ ば ]本 [来 ]明(‘
「本 覚」 なる第二 真 理 命 題 )なの であっ て三千の 像を本 具 してい る(=
理具 『詳 解』続 蔵56
−
482c24、
「衆 生の 心 體は大円 鏡の如く本来明淨であっ て、
三千の妙用 を 具足 し欠 ける こ とな し」 『詳 解』続 蔵56− 482c24〜483a1
)。 [鏡・’
C
・が ]物 に 對 しても未 だ [本 具の像 (= 実 相 〉を]現ずる こと がで きない のは、
[迷者は]、
思 うに(蓋)[見思・
塵 沙・
無 明 な鑼攤鑞灘
韈繊購
轤灘蘚
wwmeewewmewwgee
}me
・
.
、
鯲驪
覊 懸鱇蘿 饑覊攤
『詳解』 続 蔵56− 482c24〜483a3 韃 轗 鑾覊 靆
靆 麟 蠶嬲 鹸轢 鑼、,
, 、
髦 腮 獵20〜2
麟そ れ
では
行 者
が
真如
・
実相
を
実
現
し た
時
、〈
行者
に
「三
千
三
諦
」が 顕 現 す
る
す
る
根
拠
は何
か
〉
と云
え
ば
、そ
れは
く
衆
生
(=
因 なる人 )の心 が
[
仏
眼
か ら
見
れ ば
]
「三
千
三諦
」を本 具
し
てい る〉
から と し
て 『指 要 鈔
』は
次
のよ
う
に記
述
す
る
。饑 戀飄 鍵鑼雛覊飜驪
鑞 鑼靆 灘 灘韆
鬱難 饑鑼 磯 藤糶 轢讖t
、
t。
。
、
,
/
,、
鱗
1
鑾鱗 驪
ある(= 修によっ て塵 を 除 去できるが、
像 が 顕 現するの は、
因 なる人の心 が も と もと三 千の 像 を本具 してい る か ら で 「修 觀に関わる もの で は ない 」 『詳 解』 続 蔵56一
483a5、
艨 靆
鹽
蠹
『詳 解』 続 蔵56− 483a5〜
6
、
つ まり〈像 を本具 してい な けれ ば像は現 出し ない 〉と し て い るの である)718b22
〜23
。 こ れ につ い て尚 内部構 造
の論
理 を
解
析
す
べき だ が 、
〈
行者
が
真如
・
実
相 を実
現
した
時
に 「三
千
三
諦
」(=
第二 真理命題)が
実 現 す
る
こ と〉
を
説
明 す る 重 要 な 記
述
であ
る
。然
し
これ
でも何 故
〈
本 具
〉
な
のか は
説 明
さ れ な
い 。筆者
は
これ を
俗
諦
・
勝
義
諦 を認 識 論
で
説 明す れ ば解 決
でき
る と
思 う
(≡
「唯s
思想 成 立の根 拠 と染 淨二分の依 他 性・
転 依」『智山学 報』第55
輯136
、
『印 仏 研』第59
巻 第2
号、
『豊 山 紀 要』第39
号 参 照 )。 つま り
〈
凡
夫
が 見
て いる
俗 諦
・
現
象 世 界
B
そ
のも
のが
、已 覚者
A1
には
真 如
・
実 相
A1
と し
て顕現
し
て いる
〉
と
理
解す
れ
ば
、〈
凡夫
の認 識対
象
と
、已
覚者
に
顕
現 し
て
いる
も
の・
事態
は同
一
のも
の〉
であ
っ て、く
衆
生
の心 (=
俗(
6
)
N工工一
Eleotronlo LlbraryNII-Electronic Library Service 『十
不
二門
』 の第
七 「自他不
二門
」・
第
八 「三業 不
二門
」 の解 明
(
島村 )
謝 は 「三千
三諦
」(= 真 如・
実相 )そ
のも
の (= 本 具 )〉
であ
る と云
え
る か ら
であ
る
。 「三千
三諦
」を
『十不
二門
』は
更
に以
下
のよ
う
に説 明す
る。3
(
4
)
三諦
に よ る
「自」「
他」「
国土
」
の同
一
性
の解
明
(
理証
)
「[所 化なる]人(物機 )は無 量で はある が 、 三千 [の諸 法 ]内に収 まってい る(不出)。 [衆 生か らの 用らきかけな る感B
に対 するコ韆ge
攤esmeeeWW
,ma
w°
……一
『
。
賦/
/
、 .
t−=
礫 購 飜 鑞購醗鑼 飜 軈 、
lllllewll21meeeSiesl
¥
Xffwaeeme
韈钁雛雛鑠灘糶
)。
[国]土B
は・・
[仏 なる]寂光 [土]A1
をで る ことは ない 」7C4a14− 15
。 つま
り
〈
人
B
も、
俗 諦
と し
て の報 身
・
応 身
a2も
、迷
妄
の一
念
B
そ
のも
の (注4
)
であ
っ て 、十
界
に
含 まれ
、国 土
B
も同 じ く寂
光 [
土
]
a2
(=
真 如・
実 相 )と
同体
(=
第二真 理 命 題 系1
)〉
と
の主
張
であ
る。 これ
を
『指 要 鈔
』 は次
の よう
に
解釈す
る
。 「三千 [の諸 法 ]B
は[仏眼 にとっ て は ]もと も と(
既)「即 空 假 中」Al
(;
第二真理命題)であっ て、
つ まり(乃)[法 身・
般若・
解 脱の]三 徳 な る[不 縦・
不 横平225
の 「祇心是一
切 法。一
切 法 是 心」 『摩 訶 止 觀』T46 −,54a
前記注2
とし ての ]三諦の三千A1
である。 [真如・
実 相が 自心に顕現し てい る仏にとっ て は]、
自行は その ま まで(即 )〈
淨・
穢 [の区別 平225
]を 亡泯 して、一
切 法 (無 不 )は 「空諦 ]と中 [諦 ]」A1
>としてある。 [報 身・
応 身の]利他 [行 ]B
は[仏に とっ て は]その ま まで (則 )〈帝 網 が 交い に取 り(
羅)
[合っ てい るコ
〉
のと同 じ く[
十 界互具で、
自在
の化用B
を 起こ し平225、
か か る 利 他 なる 『詳解』続 蔵56− 481c14
]三千 匚の諸 法 ]は皆、
偃 匚諦 ]B
なの である 。 然しく三諦は も と も と(既 )[現 象 界に おける同一
の事 物 (=
第二真理令題系1
)が]、
「即」A1
と し てある[事 態の説 明 原 理と して の ]「三 [諦 ]」 であ り、
是 れは [仏 眼に とっ て は、
円 融三諦の 體が一
として 互融 して い る 『詳 解』 続蔵56− 481c18
]「一
[なる事 態 ]」A1
>718a20〜21
なの であるか ら、
〈自a2 (=
仏)・
他B
(=
衆生)はつ まり (則 )分 けよ うとし て も分 けられ ない〉(=
「自他は本 [来 ]同 匚一
事 態 ]」 『詳 解』続 蔵56− 481c19、
第二真理命題系1
)」718a16
〜
21
。 つま り
、 「三千
の諸 法
」B
は仏
に と
っ て は本 来
「祇 心是
一
切
法
。一
切
法
是 心
」と
し
て の〈
空 諦
と
中諦
>
A1
(=
第二真理命
題)であ り
、後
得
智
B
に
よっ て現 出
した
く
假諦
>
B
でもあ
る か ら
、 三諦
な る 三 千
であ り
、
従
っ て三
諦
円
融
A1
であ る か
ら
〈
「三千
の諸
法
」(= 自・
他 )は
本
来
同
一
であ る
〉
と し
て いる
。そ れ な
の に同
一
事
4
) こ こ で 「第 十 界なる仏も凡 夫の迷 妄の一
念に収 まっ てい る 」 こと に なるが、
この仏はく俗 諦 なる 九 界〉と対 比 さ れ る 仏 a2 と規 定 さ れてい る か らであろう。
(
7
)
N工工一
Eleotronio LibraryNII-Electronic Library Service 智 山 学 報 第 六 十
一
輯態 な
るく自
と
他 〉
を
二者
に分 け
て説 明 す
る理 由 を
、 『指 要鈔
』 は下
記
の よう
に
説
明
す
る。 今、
解明 さ れてい る(
所 辨)〈
自a2 (; 仏)・
他B
(= 衆 生)〉
は、
[衆 生の感 と仏の應であるか ら平225
]倶に匚一
假 な る 『詳 解』続蔵56
−
481b14
]妙
假5)とし て在る。 [仏界な る]能化 a2 も [九界 な る]所 化B
も皆、
三千 [の諸 法 コ(
=妙
假 『詳
解』続 蔵56−
481c21
)
に含
ま れてい る(
=
「能 應 は十 界 を出 ず、
物機は 三千 を出ず」 『詳 解』続蔵56− 481c20
)か ら(以・・
故)
、 [今は]三諦の 観 点 か ら 「[自(
=
仏)・
他 (二
衆 生)
の ]不二 」 を論 じ ようとしてい るわけで(故)
、
こ こ で は(且) [仏の自行 と して の平225
]「空 [諦 ]中 [諦 ]」 と封 [比 ]して [妙 假 なる 三千の 諸 ]法(之)を 解 明 (辨 )してい る の である。
匚化 他の]妙 假も尚 [仏の 自行の平225、
『詳 解』 続 蔵56− 481c24
コ「空 [諦 ]・
中 [諦 ]」 を離れ ない の であっ て、
[三諦の 内の]一
つ の假 [諦]な る[感 ]・
應が ど うし て (豈)[自(=
仏 a2)・
他 (=
衆 生B
)の]隔 異 を [も た ら すこ とが あろ う か ](=
第二 真 理命題系1
、
「自他 本 [来 ]同 を 顕 かす」r
詳 解』続蔵56− 481c24
)『指要 鈔』718a16〜18
。即 ち仏
にと
っ ては
、元 来
く
同
一
事
態 な
る・
自
と
他
〉
を
二者
に分 け
て説 明す
る理
由
は、巛
厂他
」を
、仏
の自行
と し
て の平225
「空 諦 中 諦
=
自 )と
封
[
比
]〉
し
て、〈
[
妙
假
(=
燃
な
る 三千
の諸 ]法
mar
>
と
し て、
これ を を
解 明
(辨 )して
いる
〉
か ら
であ
っ て、〈
妙
假
(=
他・
「感」)は 「空 [
諦 ]
・
中 [
諦 ]
」と
同
一
事態
(= 不 離 )であ り
、自
・
他
は
隔
異
し
な
いか
ら
》
と
す
る
の であ
る。II
第
八
「
三
業不
二
門
」
の
解
明
難解で知ら れてい る 湛 然 『十 不二 門』 第 八 「三 業 不二 門」(T46
−
704a26b11
以 下 頁数の み)を四迷 知禮 『十不二 門 指 要鈔』(同718b28〜719a5、
以 下 『指 要 鈔』 頁 数の み)その他の注 釈 書に よっ て解 明する。1
三
業
の意 味
「三
業
」と は
「身
・
口
・
意
の三
業
」 の こと
で、本 門
では
特
に[
真
俗 双
運
yuganaddha
−vahin な る
、〈
報
身
・
応
身
に
よる
衆 生 利 益
〉
と し
て の 、後 得 智
に
よ る
]
化
他
の用 ら
き を意
味
し
ている
(
これ は 「三密
」704a26
・
「三輪
」718c3
と も表5
)こ こ で 「妙」を付 加 してい るのは
、
〈空 假 中の三 諦 円 融〉
を 意 味 してい る、
と思 わ れ る。(
8
)
N工工一
Eleotronio LibraryNII-Electronic Library Service 『
十不
二門
』 の第
七 「自
他不
二 門」・第
八 「三業
不二門
j
の解 明 (
島村 )
現 され てい る)(=
池田II83
)。こ れ は
1
(1
)報 身・
応身 (=
果人)
の 三業
である とこ ろの 〈事 [用 『詳 解』続蔵56− 483c2
以 下 頁数の み]の 内 実と して の
・
「身・
口・
意 」によっ て区別さ れ た 「三密」704a26
、
704a29b2
>と、1
(2)〈
説 法 主体(
=
法 身・
報 身・
応 身)に よっ て区 別さ れ た 「三密」 『指 要 鈔』718c3〜5>
との 二 方面か ら論ぜ られてい る。2
三
業 不
二 の意 味
これ
は上
記
のよ
う
に区 別
さ れ た
《
〈
報 身
・
応
身
に
よ る利 他 行
〉
= 「身
・
口・
意
の 三蜜
・
三輪
(=
以 下 本稿で は この二者 を 「三密」 と記 す )」が
不
二 (;
無相 平 等空〉であ
る
こと
>>を意味 す
る。 五時
五教
の内
の〈
法華
以
外
の華厳
・
鹿苑
・
方等
・
般
若
の〉
四
時
の教
、化法
の四
教
の内
の〈圓以外
の蔵
・
通
・
別
の〉
三教
にお け
る説 明
では
、上
記
1
(
1
)「
身
・口 ・
意
の 三密」
と
、1
(
2
)
説 法
主
体
(
三
法 身
・
報 身
・
応 身)
によ
っ て区別
され た
「
三
密 」
とは 、
各
々そ
の内 容
に 区 別 が
あ
る
r指 要 鈔』718b29
、と
され
る。2
(
1
)
つま
り
、上
記
1
(
1
)
「
身
・
口
・
意 」
に よ る
区別
につ い て云
え
ば
、〈
[
未
覚
の]行 者
(物 )が
[
考
え
ている
俗 諦
の道
r
詳 解』483c3
]
理
に隨順
し
て 、[
三
密
を
俗
諦
と し
て表 現 す
る為
に身
・
口・
意
の三
業
とし
て]
設
定
(得 )さ れ た
[
各 ]名
は異
な
っ てお
り
>
r
+不二 門』704
。26〜27、
厂
教
理
(法 )に関
し
(
在)
て[
云
え
ば そ
の場
合
に
は]
、權
(=報身 ・
応身)
・
實
(
=
法 身)
[
は
相 即
せ
ず
二者 ]
に分 け
られ る
」 こと
であ
る r+不二 門』704a28
。2
(
2
)
上
記
1
(
2
) 「
説法
主
体 」
に よ る
区 別
に
つ い て云
え
ば
、[
俗 諦
と し
ては
]
「真
(一
法 )[
身
]
a2 (=
記号につ v・て は島村b
)と
應 [
身]
B
と に
分
け られ
」 るが r
+不二 門』704a28、
『法 華経
』・
円教
で はく
十 界
の 三業
のr
詳 解』483b14 主
体
な る
]
覊 爨鑼
ii韈
“
鰄 纖鑼
1
、、
堀
“
一
鑞
、
であ
る r
詳 解』483b18
(= 第二 真理命題・
無 相 平 等 空)のだ か ら
[
円
教
で は 、そ
の用
を
各
々 の主
体
に よ
る個 別
の三
業
と し
て分
つ こと
は
決
し て
豈 〉できな
い 。故
に一
銑
名
づけ
る
>
r
指 要鈔
』718b29c1
と さ れ る
。別
の表
現
を
す
れ ば
、〈[
身
・
口・
意
の 三輪
の内
の 「一
」な る
]心 輪
(;
「心 即一
切法」r
摩訶止 觀』T46 −54a13〜18
)が
、衆 生
(機) みを鑒
て[
俗 諦
と
し
て の身
・
口 の]
二輪
と し
ての化
[
他 行 ]を設 け
る の であ
っ て、
(
9
)
N工工一
Eleotronlo LlbraryNII-Electronic Library Service
智 山学 報第
六十一
輯
[
報 身
・
応
身
と
し
て の身輪
な る
]現
身
と
、[
口
輪 な
る
]説法
は
[
真如
・
実相
の観
た が点
か ら云
え
ば
]
未
だ
曾
て毫 も差 わ な
い〉(
二不
二)
の であ
る r
+不二 門』704a27〜28
。3
三
業
不
二 の成立 根 拠
上記の 〈1
(1
) 「身・
口・
意 」及 び1
(
2
)「説 法 主体 」、
によっ て区 別さ れ た 二種の 三 密 〉の 「不二」〉 が成立 す る根 拠は何 か。
3
(
1
)
前
記
1
(
1
)
「身
・
口
・
意
」に
よ っ て区
別
さ れ た 三
密〉
の 「不
二 」 の根 拠
一
身・
口の業は無 自性ゆえに 三業は平 等、 身 業 と口業の 二は意[業 ]と等し く、
色 (茜
身 業と口 業 )・
心 (=
意 業)は 「不二」一
『十 不二 門』704b2〜3
は、
「身 [業 ]すら尚 お [自性 ある もの と し ての]身 [業コ
で は ない。 [口業 な る]説 [法 ]も必ずや[自性 あるもの と して、
そ れ(=
身 業)
とは 別の]説[法 ]では ない。
身口 [の業 ]は、
[無 相 ]平 等で あ り、
彼の意 輪[
の業コ
とも等
しい」 と記 す。
これ を 『指要 鈔』 は
、
「[真 如・
実 相とし て は]權 (=
報 身・
応身 )・
實(=
法 身 )は相い 冥 [合]して、
真 [身](富 法 身)と應 [身]は互い に 「即」 してい る・・
[所化な る行 者の立場では 平238
行が完 成 すれ ば]方に〈應[身]に即 して法[身]を 見る〉一
[認 識論 ]一
」718c21〜22
と解 釋 する。 つま
り
、上
記
は
く
無 自性
・
平等
・
空
〉
に
基
づく
三
業
不
二 の説 明
であ
る 。3
(
2
)
前 記
1
(
2
)
「説法
主
体
」 によ
っ て区別
され た 三
密
〉
の 「不
二 」 の根
拠
一
法身・
報身・
応身が平 等・
不異である こ と『
[同 じ等 覚なる]報 身
・
応身の祕妙一
『指要鈔』718c3一
は、
《〈[報 身・
応身の 身・
口・
意の ]三 [密]〉は皆 〈[双 運 なる等 覚(
=
報身・
応 身)に実 現 してい る 「一
」 なる]祕 妙 〉であっ て、
[「等 覚」 『詳 解』
483c7
]以 下の [未覚 者の境 ]地 [の者 が 測 り]知 りうる所で はない>>、
と 記す。 つま
り
「不
二」 の根 拠
は〈
[
同 じ
等
覚
な る
]
報 身
・応
身
の祕 妙
〉
(
=
秘 密の用 ら き)
と
説 明
し
ている
。r
十 不二 門』704a29b1
は、
同趣 旨を 「匚く報 身・
応 身〉と法 身との ]二 身が 若 し異っ てい れば、 どうして
(
何 故)
直 ちに(乃)[報 身・
応身は]「即 是 法 身」(= 上 記1
(2
))と 云うの か。 [報身の説 法と
、
法 身の説法 (=
但し具 体 的 説 法は報 身・
応 身に よっ て な さ れ る)との]二 つ の説[法内容 ]が若し矛 盾 (乖 )すれば どうして(何 故 )その ま ま
(
乃)
「皆 成 佛 道」 と 云 えるのか」と、
(
10
)
N工工一
Eleotronio LibraryNII-Electronic Library Service 『