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﹁ 欧 洲 旅 日 記 ﹂ と ﹁ 旅 日 記 の 中 よ り ﹂ の 異 同 を め ぐ っ て

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(1)

−79−

   

宮 本 百 合 子 ノ ー ト    

︱ 中 條 葭 江

﹁ 欧 洲 旅 日 記 ﹂ と ﹁ 旅 日 記 の 中 よ り ﹂ の 異 同 を め ぐ っ て

︱ 黒  澤  亜 里 子

   

は じ め に

  中條 葭江

︵一 八七 六

〜一 九三 四︶ は︑ 宮本 百合 子の 実母 であ る︒ 日本 弘道 会 を興 した 倫理 学者 西村 茂樹 の二 女で

︑ 華族 女 学校

︵現 在の 学 習院 女子 中・ 高等 科︶ 卒業

︒帝 大建 築学 科に 在学 中の 中條 精一 郎と 結婚

︑四 男 五女 をも うけ た︒ 一種 の 天才 教育 によ り

︑作 家宮 本百 合子 の形 成に 大き な影 響を 与え たと され

︑ 明治 初年 代生 まれ の女 性と して も異 彩 を放 つ 個性 的な 人物 で ある

︒   ここ では

︑葭 江の 欧州 旅行 中の 日記 に つい て述 べる

︒﹁ 欧洲 旅日 記﹂ は︑ 葭江 の死 後 に出 版さ れた 遺 稿集

﹃ 葭の 影﹄

︵一 九三 五 年七 月︶ に収 録 され た日 記体 の紀 行文 であ る︒ 長女 であ る宮 本百 合子 が 編集

︑夫 の中 條精 一郎 の手 によ り私 家 版と し て発 行さ れた が

︑こ の際

︑百 合子 があ とが き︵

﹁葭 の影 にそ へて

﹂︶ の中 に書 いた

﹁母 は楽 しん で毎 月こ の旅 日 記の 一 部分 づゝ を雑 誌

﹃ 弘   道 ﹄ に掲 載し てい た﹂ とい う記 述が 誤っ てい ため

︑ これ まで 初出 が不 明だ った

︵引 用文 中

 

の傍 点 筆者

︶︒   幸い

︑高 崎隆 治﹁ 中 條葭 江の 日記

﹂︵

﹃民 主文 学

﹄︑ 二〇

〇九 年五 月︶ の近 年の 指摘 によ って

︑﹃ 弘道

﹄で はな く学 習 院の 同 窓会 誌﹃ ふか み どり

﹄の 中に

﹁旅 日記 の中 より

﹂と いう 題で 連載 され て いた こと が分 かっ た︒ ただ し︑ 高崎 自 身も そ の一 部し か入 手 して おら ず︑ 連載 全体 を﹁ 欧洲 旅日 記﹂ と比 較︑ 照合 す るこ とが でき なか った

︒   先日

︑関 係者 のご 好 意で よう やく 資料 の全 体︵ 連載 五回 分︶ を手 にす るこ と がで き︑ 初出 と再 録と の間 にい くつ か の違 い があ るこ とが 分 かっ た︒ これ まで 確認 でき なか った 新し い資 料な ので

︑ ここ に異 同調 査の 結果 とそ の背 景を 紹

(2)

−80−

介し て おく こと にす る

   

﹁ 欧 洲 旅 日 記

﹂ ・

﹁ 旅 日 記 の 中 よ り

﹂ の 背 景

  一九 二九

︵昭 和四

︶ 年五 月二

〇日

︑中 條精 一郎 と葭 江は

︑息 子夫 婦︵ 國男

・咲 枝︶

︑四 女壽 江子 をと もな い︑ 横浜 港 から 日 本郵 船の 香取 丸 で欧 州旅 行に 旅立 った

︒神 戸︑ 大阪

︑九 州な どの 各地 に 寄港 し︑ 上海

︑香 港か らマ レー シア

︑ イン ド

︑エ ジプ トの カ イロ を経 てス エズ 運河 から 地中 海に 入る 長途 の船 旅で あ る︒ 当時

︑ソ ビエ トに 留学 中だ った 百 合子 と フラ ンス のマ ル セイ ユ港 で落 ち合 い︑ かつ て若 き日 の精 一郎 が留 学し た イギ リス にも 滞在 する 予定 であ る︒ 帰 路は ポ ーラ ンド 国境 か らシ ベリ ア鉄 道に 乗り 換え

︑モ スク ワを 経て ウラ ジオ ス トッ クへ

︑と いう 約七 ヶ月 にわ たる 大 旅行 だ った

︒  

﹁洋 行﹂ とい う 言葉 が特 別な ニュ アン スを も って いた 昭和 初期 のこ の時 代︑ 庶民 には 考え られ ない 贅沢 だが

︑本 人た ちに と って は単 なる 物 見遊 山に とど まら ない 切実 な思 いが あっ たよ うだ

︒中 條 夫妻 がこ の旅 行を 思い 立っ た直 接の 理 由は

︑前 年 の愛 息英 男 の自 殺で ある

︒と りわ け英 男を 可愛 が って いた 葭江 の傷 心 ぶり は傍 目に も痛 々 しか った とい う︒ 鬱々 とす る妻 の気 持ち を変 えよ うと 夫が 申し 出た のが この 家 族旅 行だ った

︒す でに 精一 郎六 十一 才︑ 葭江 五十 二 才と いう 年齢 に達 して おり

︑精 一郎 にと って は﹁ 老妻

﹂へ の人 生 最後 かつ 最大 の慰 労で もあ り︑ 葭江 にと って は︑ 愛 息の 霊を とむ らう

﹁巡 礼の 旅﹂ でも あっ た︒   中條 家 の欧 州旅 行は

︑一 家が かろ うじ て家 族ら しい 時間 をも て た最 後の 機会 だっ たの かも しれ ない

︒帰 国の 五年 後 に葭 江が 亡く なり

︑さ らに その 二年 後に 精一 郎も 亡く なる

︒そ の 後の 百合 子に とっ ても

︑生 活は 厳し いも のだ った

︒ 帰国 の翌 年か ら共 産党 の活 動に 入り

︑宮 本顕 治と 結婚 した 百合 子 は︑ 検挙 四回

︑拘 束期 間は 一年 七ヶ 月に およ び︑ 葭 江の 危篤 に際 して も面 会で きた のは 臨終 十五 分前 の短 い時 間だ け だっ た︒   道徳 の 中心 に皇 室を おく

﹃日 本道 徳論

﹄の 著者 西村 茂樹 を父 に もち

︑創 立ま もな い華 族女 学校 で昭 憲皇 后か ら﹁ 言 海﹂ を賜 った とい う母 は︑ 晩年

︑社 会主 義者 とな った 娘と 激し く 対立 した

︒小 説﹁ 刻々

﹂に は︑ かつ て自 己の 分身 と

(3)

−81−

して 互 いに 認め

︑愛 し た母 娘が

︑留 置所 の面 会室 で﹁ 国体

﹂に つい 激し く言 い 争う 場面 があ るが

︑葭 江の 旅日 記に み える 海 外情 勢へ の感 想 から も︑ すで にこ うし た対 立の 火種 が兆 して いる こと が わか る︒   ソ連

・欧 州滞 在の 時 期を 描い た百 合子 の自 伝的 小説 とし ては 長編

﹁道 標﹂ があ り︑ 当時 の 日記

︑書 簡な ども ある が︑ 母中 條 葭江 の目 から み た﹁ 欧洲 旅日 記﹂

・﹁ 旅日 記 の中 より

﹂に はま た別 の面 白 さが あり

︑二 次資 料と して も貴 重で あ る︒

   

﹁ 旅 日 記 の 中 よ り ﹂

・ ﹁ 欧 洲 旅 日 記 ﹂ の 異 同 に つ い て

  次に

﹁旅 日記 の中 よ り﹂ と﹁ 欧洲 旅日 記﹂ の異 同に つい て述 べる

︒対 象と な るテ クス トは 以下 の二 種類 であ る︒  

①﹁ 旅日 記の 中よ り

﹂     

﹃ふ かみ どり

﹄ 

︲  号︑ 常盤 会発 行

︑一 九三

〇年 十二 月︱ 一九 三四 年十 二月

︒ 15 19        a  

号︑

﹃ふ かみ どり

﹄︑ 常盤 会発 行︑ 19 30

︵昭 和5

︶年 

月  日︒ 15

12 28        b  

号︑

﹃ふ かみ どり

﹄︑ 常盤 会発 行︑ 19 31

︵昭 和6

︶年 

月  日︒ 16

12 27        c  

号︑

﹃ふ かみ どり

﹄︑ 常盤 会発 行︑ 19 32

︵昭 和7

︶年 

月  日︒ 17

12 30        d  

号︑

﹃ふ かみ どり

﹄︑ 常盤 会発 行︑ 19 33

︵昭 和8

︶年 

月  日︒ 18

12 23        e  

号︑

﹃ふ かみ どり

﹄︑ 常盤 会発 行︑ 19 34

︵昭 和9

︶年 

月  日︒ 19

12 24  

②﹁ 欧洲 旅日 記﹂     

﹃葭 の影

﹄中 條精 一郎 発行

︑1 93 5

︵昭 和 

︶年 7月 

日︒ 10

15

(4)

−82−

①初 出

﹁旅 日記 の中 よ り﹂ は︑ 女子 学習 院の 同窓 会誌

﹃ふ かみ どり

﹄  号か ら  号︵ 一九 三

〇年 十二 月︱ 一九 三四 年 15

19 十二 月

︶に 五回 にわ たっ て掲 載さ れた

︒ 日記 の日 付は

︑一 九二 九年 五月 二十 日か ら八 月二 十日 まで で 中断 して いる が︑ これ は 葭江 の急 逝︵ 一 九三 四年 六月 十三 日没

︶の ため であ る︒

②葭 江 の死 後︑ 遺稿 集

﹃葭 の影

﹄の 中に

﹁旅 日記 の中 より

﹂の 一部 が﹁ 欧洲 旅 日記

﹂と 題し て再 録さ れた

︒   冒頭 で述 べた よう に

︑﹃ 葭 の影

﹄は 宮本 百 合子 によ って 編集 され てい る︒ この 際︑

︑新 たに 九月 四日 から 十一 月六 日 まで の 日記 が追 加さ れ ると とも に︑ 初出 にあ る八 十五 日分 の記 述の うち 約十 四 日分 が省 略さ れて いる こと が︑ 今回 の 異同 調 査に よっ て明 ら かに なっ た︒   百合 子に あと がき に も﹁ 昨年 五月 発病 当時 も母 は例 の旅 日記 の下 書き を整 理 中で あっ たが

︑遂 にそ れを 自身 の手 で 完結 す る事 が出 来ず 長 逝し た﹂

︵﹁ 葭 の影 にそ へて

﹂﹃ 葭の 影﹄

︶ とあ る︒   その 期間 と省 略さ れ た日 付を 示せ ば以 下の よう にな る︒ 省略 され た日 付は 括 弧︵ 

︶で 示 した

︒   一九 二九

︵昭 和4

︶年     5 月 

︑︵ 

︶︑ 

︑︵ 

︶︑

︵ 

︶︑

︵ 

︑ 

︶︑

︵ 

︶︑

︵ 

︶︑  日︒ 20 21 22 23 24 25 26 27

28 31     6 月  1︑

︵2

︶︑ 4︑ 6︑

︵7

︶︑ 9︑

︵ 

︶︑ 

︑ 

︑ 

︑ 

︑ 

︑ 

︑ 

︑ 

︑ 

︑ 

︑  日︒ 11 12 13 17 18 19 20 21 25 27 28 30     7 月  1︑ 2︑ 3

︑5

︑7

︑8

︑ 

︑ 

︑ 

︑ 

︑ 

︑ 

︑ 

︑ 

︑ 

︑ 

︑ 

︑ 

︑ 

︑ 

︑ 

︒ 10 12 13 14 16 17 18 19 20 23 26 27 28 29 30     8 月  1︑ 4︑

︵7

︶︑

︵ 8︶

︑︵ 9︶

︑︵ 

︶︑

︵ 

︶日

︒ 19

20     9 月  4︑ 6︑ 8

︑9

︑ 

︑ 

︑ 

︑ 

︑ 

︑ 

︑ 

︑ 

︒ 11 13 14 15 17 18 20 23      月   

︑ 

︑ 

︑ 

︑ 

︑ 

︑ 

︑ 

︑ 

︑ 

︑ 

︑ 

︑ 

︑ 

︑  日

︒ 10

14 15 17 18 19 20 23 24 25 26 27 28 29 30 31      月  1︑ 3︑ 6 日︒ 11   以上 に見 るよ うに

︑横 浜出 港か ら五 月 三十 一日 に香 港に 入港 する まで の約 一週 間︑ 六月 に香 港を 出 でか らの 数日 間︑ 八月 の ロン ドン 滞在 中 の五 日間 が主 な省 略箇 所で ある

︒二 日分 を一 日分 とし て 記述

︵5 月 

・  日の 記述 を  日と し 25 26

25

     1 

     2  3      4        5 

           7     

8                                       10

11

12

13

14

(5)

−83−

て一 括

︶す るな どの 例 外を 除け ば︑ ほぼ 原文 通り であ る︒ 行替 えや 句読 点の 加 除︑ 誤字 の訂 正な どの 細か い異 同に つ いて は ここ では 省く

︒  

﹁欧 洲旅 日記

﹂に おい て省 略さ れた

﹁旅 日記 の中 より

﹂の 日付

︑内 容の 詳細 につ いて は︑ 以下 の﹁ 未収 録資 料﹂ を参 照さ れ たい

◇未 収 録資 料   原文 のま まを 原則 と した が︑ 明ら かな 誤り と思 われ る箇 所に つい ては 訂正 し た︒ 読み にく いと 思わ れる 部分 の句 読 点や

﹁ 

﹂は 適 宜補 い︑

︵ 

︶で 示し た︒ 本文 に用 いた 漢字 はで きる だけ 原 型に 近い もの にす るよ うに した が︑ 製版 の 都合 で 現行 の字 形に 変 えた もの があ る︒   なお

︑出 典の 詳細 に つい ては

︑本 節の 冒頭 で示 した a〜 eの 記号 で略 記す る

︒ 資料 1 

︵5 月  日︶

21   朝の 中の あは たゞ し さに 髪も 結は ず顏 もた ゞ一 寸水 でふ いた ばか り︱ どん な もの にう つゝ たら うと それ でも 少し ば かり 氣 に成 るの はわ れ なが らふ しぎ だ︒   自ら を嘲 ける 如き 心 地し ぬ  鏡に むか ふけ ふは ひの 一と き   かう よん だ時 の通 り の氣 もち が又 して も︑ 私の 心に 蘇へ る︒ 

︱ 下  略 

 

︵a 

P  39︶ 資料 2    五月 二十 三日   朝か らも うお 客だ

︒ 戸入 港を 機 會に Nさ んが まづ 刺を 通じ た︒   丁度 私は 朝食 を終 つ てホ ール に居 た處 だが 一寸 誰だ かわ から ない

︒   逢っ て見 ると

︑も しや と思 つた 通り

︑か のま ぎれ もな い脊 の高 い︱ 眉目 のあ たり

︑そ れは たし かに Tさ んの 系統 だ︑

(6)

−84−

聞い て みる と小 田原 の Kさ んの 遺子 で三 番目 の人

︑兼 て北 海道 あた りで 大き な 農業 に從 事し たい とい ふ希 望の 人で あ つた

︒   一體 この Kさ んの 血 統株 に其 子供 逹は 全く 肉體 的に も精 的 にも 母系 を受 け ない で父 兄の みを 傳へ られ てゐ るの は ふし ぎ な位

︑特 に其 面 貌が 全く それ を裏 付け てゐ る︱   考え て見 ると Tさ ん の兄 弟逹 も皆 さう だし 遺傳 的の 事を よく 探求 した なた 或 は文 學の 遺傳 的傾 向は 何者 より も強 烈 であ る かも しれ ない

︱ほ んと うに さう いふ 事で もな くて 物質 的に 何等 歡び を 持た ず受 難の 生涯 を終 る文 學者 に何 の 天惠 が ある のだ

︱脈 々 とし て盡 きざ る靈 魂不 滅︑ さう だ︑ 全く 永久 的に 亙つ て かう いふ 事で もな くて 何事 が人 生に 思 索す る もの ゝ恵 まれ る 事な のだ

︱﹂   此 戸は 流石 大き な 港だ けに 出入 りす る船

︱從 つて 上下 する 人の 數は 實に

夥し かつ た

︒   大毎 の冩 眞班 が來 て われ

をう つし たの もこ こだ った

︒   其他 S氏 がわ ざ 大 阪か ら來 ら れた りO 氏御 夫婦 が其 令孃

︱D 氏御 夫妻 を 見送 りの 途次 われ われ の船 室を 訪問 さ れた り あち こち から の 電報 がか なり 多か つた

︒   午後 には S公 夫人 が 令孃 と乘 船さ れそ の御 見送 りの 爲こ れも 乘船 され た御 里 方の T氏 がわ れ の 爲に 見事 な蘭 の 花を 送 られ た︒ 鉢植 で あつ たの で︑ これ から の長 い船 室の 明け 暮れ

︑い かほ ど 此旅 情を 慰め られ る事 であ らう

︒   公夫 人は 傍に かは ゆ い令 孃を 伴は れ︑ 御自 身は いか にも 質素 な縞 者に い お 織姿 で靜 か に片 隅の 椅子 で息 はれ て ゐた

︒   不圖 私の 心境 に展 開 され る︑ 先年 拜觀 した あの 鹿兒 島の 壯大 な御 本邸

︱記 念

︱其 中に 陳 列さ れて あつ た︱ 百年 前 の水 漏 時計

︱そ れが 今 なほ 時を 打ち つゞ けて ゐる

︱其 時計 を監 視し てゐ ると い ふよ りも

︑む しろ 守護 する とい ふ風 に 白髪 の 老偉 丈夫 が袴

︑ 織の 威儀 を 正し て椅 子に 腰掛 けた まゝ 身じ ろぎ もし な い︑

︱   維新 前の 古筆

︑︱ 書 簡等 が堆 く積 み上 げら れ︑ 陳列 され てゐ る︑

︱   硝子 張り の棚 の中 に はか の有 名な 生麥 事變 に際 して 英國 から 我國 の執 った 最 後の 處置

︱其 

累者 全部 を 外人 の前 に 割腹 せ しめ た︱ につ い て彼 國か らよ こし た感 謝の 書簡 もそ のま ゝ列 べら れて あ つた

(7)

−85−

  中で も尤 私の 心を 打 つた もの は藩 命を 受け て︑ 初め て所 謂異 國の 地に 足を 入 れん とす る 年の 上書 文︱ それ は大 き な美 濃 紙か

︑奉 書位 の 紙に

﹁此 度の 御上 命は 大變 名譽 であ りが たい 事だ が︑ し かし 私は まだ 廿餘 才︱ 此若 い命 をど う しよ う か﹂ とい ふ意 味 で暗 に君 の御 馬前 に華 々し く死 に得 ず或 は異 國に 於て

︱ とい ふ口 惜し さを 表現 した 文面

︱實 に 當時 の 九州 男子 の意 氣 が窺 はれ て血 もに じみ 出て ゐる 様な 悽愴 な氣 がし た︱   かう して ほと んど 一 州に 君臨 して ゐる とも 思は れる あの 壯大 な御 生活 振り を わづ かな がら 知つ てゐ た私 は︑ 今ま の あた り 見る 此夫 人が あ まり 平民 的な のに かへ つて 驚か され る位 であ つた

︒   け れど それ は 決し て古 風な 因 循さ から では なか つ た︒ 丁 度其 夕食 後 ホー ルで 私逹 と のお はな しが かな り 長引 いた 時︑

﹁私 今夜 は早 く やす みま すか ら︱

﹂か うい つて 何の わだ かま りも なく スラ リ と立 たれ た夫 人の 態度 には かな り果 斷 な所 さ へ窺 れて 打見 る 所い かに も蒲 柳の 質ら しい のに

︑比 べて 意外 な感 じさ へ した ので あつ た︒   今宵 は此 瀬戸 内海 の 月光 殊に 鮮か に一 點の 陰翳 さへ ない

︑海 上に 金波 銀波 一 去一 來す る風 光は 何と いひ あら はし よ うも な い絶 景で あつ た

︒   往年 私が 在學 時代

︑ 明月 に對 して 古人 の吟 じた

﹁二 千里 外故 人心

﹂と いふ 一 句に 就い てく はし く 授し 説明 され た S先 生 の俤 さへ 浮む 樣 な氣 がす る續 いて は同 窓の あの 方こ の方

︱綿 々と して 私 の思 ひ出 は盡 きな い︱ 

︵a

︑P 

︶ 42 45 資料 3   五月 廿四 日   明日 はい よ 故 國 の境 を出 て︑ 上海 に向 ふと いふ ので

︑乘 込ん だお 客は ほ とん ど上 陸し てし まひ

︑お 晝は 只私 た ち三 人 だけ が又 大き な 食堂 を占 領し てし まつ た︒   國男 夫婦 は亡 弟道 男 の友 人松 本さ んと いふ 方が 此港 にゐ られ るの で︑ 是非 御 尋ね する とい つて 二人 でと うに 上陸 し てし ま つた

︒   不相 變私 は何 かの 折 々腹 痛を 覺え る︱ 無據 私は 只一 人で 殘る 積り でゐ たが あ まり 好晴 なの と一 人ぎ りで はや はり

︑ 又涙 の 中に

︱と 思ふ の でた う 思 ひ切 つて 午後 二時 ラン チに 乘つ て門 司市 に 足を 下し た︒

(8)

−86−

  なる ほど 皆が こゝ は つま らな い所 だと いつ た通 り︑ 實に 殺風 景な 處だ つた

︑ 私は どう 考へ ても 草履 が足 りさ うも な く思 へ たの で下 駄や へ 行き コル ク草 履を

︱と 聞い て見 たが やつ と二 足だ けあ つ たぎ り︑ おま けに 片方 は︑ 古び ては ゐ るが ど うや らは けさ う だ︑ まあ

あつ たの が見 付け もの だと 思ひ なが ら店 の 主人 に﹁ こゝ の名 所は

︱﹂ と聞 くと ま あ和 布 刈 社位 のも の だら うと いふ ので 見物 用の 自動 車に 乘つ てそ の 社へ い つた

︒   爪先 上り 位の 道は 訳 二十 町位 あつ たら うか

︒   斷崖 を見 下し た︑ 中 々眺 望の いゝ 處だ つた

︒對 岸は 壇の 浦だ とい つて 車夫 の 指さ す足 下に は文 字通 りの 碧潭 が渦 を 巻い て ゐる

︒   こゝ もや はり 餘り 大 きな 場所 では ない

︒   成程 昔は 何で もス ケ ール が小 さい とあ るじ が云 ふ通 り︑ これ では 陸に 見物 衆 がゐ てか の有 名な 那須 の與 一が 扇の 的 を射 落 とし たの を見 て 陸に も海 にも ヤン ヤ と はや し立 てた とい ふの もよ く 推量 出來 る︱ 一騎 打ち の名 乘り 合も よ く聞 え た事 だら う︱ 全 く今 の戰 ひか ら見 れば 兒戯 に等 しい もの であ つた らう

︒   しか し打 つも の︑ 打 たる ゝも の︑ 生命 を賭 す必 死の 爭ひ に何 の變 る事 があ ら う︱ 生命 はい つの 世に も其 人の もの で あり

︑ 生ん だ親

︱つ れ そふ もの

︱哀 別離 苦の 悲し みは 千古 變ら ない もの だ︒ 只 時代 の推 移と 共に 主客 兩觀 の差 はあ る だら う が畢 竟人 生の 最 大苦 であ るこ とは 變る まい

︒   噫︑ 戰爭 なん ぞ何 と いふ いや な事 だら う⁝ しば らく 此 社に 拍手 を打 つて 立 盡し てゐ たが

︑私 の心 に映 ずる

︱あ の 緋の 袴 の女 官た ちが 花 を流 した よう に浮 んだ 海面

︱恐 れ多 くも 一天 萬乘 の君 さ へ︱ そし て其 一部 は遂 に娼 婦に さへ 成 り果 て たと いふ

︱或 は かの

︱村 とか いふ 此平 家の 落人 のみ で生 活し てゐ た一 村

︱人 跡の 絶し た部 落︱ 思ひ は思 ひを 生 んで は てし がな い︱   それ はま だ西 村の 父 上が 御在 世の 事で あつ た︑ 私逹 親子 三人 連れ で北 海道 の 任地 から 久し ぶり で歸 省し た當 時し ば らく 向 島に 泊つ てゐ た 事が あつ た︒   まだ その 頃は 荒漠 た る處 であ つた 札幌 から

︑歸 つた 久し ぶり の我 生家

︑眺 め 出だ す一 木一 草に もど んな 懷し さを 覺 えた 事 だら う︑ 此帶 留 の或 日父 上は 所々 から 依 され た畫 箋紙 をの べて 久し ぶ りに 揮毫 され たこ とが あつ た︒

(9)

−87−

  墨を 磨る

︱緋 羅紗 の 色褪 せた のを 敷く

︱父 上は 毛氈 のフ ク と おち つき の 惡い のを 嫌つ てい つも この 古い 羅紗 を つか は れた

︱そ して 其 一枚 にか ゝれ たの が︑ 丁度 この 壇浦 曾遊 の一 詩で あつ た

︒     

赤旆 漂波 實氣 消     

龍舟 一去 水遙 々     

秋風 孤劍 京華 客     

獨立 峯頭 弔晩 潮 とあ つ た樣 に覺 えて ゐ る︒   噫︑ 其時 父上 の立 つ て展 望さ れた のは あの 山か この 峯か

︑︱ 下略

︱ 

︵a

︑P 

︶ 45 47 資料 4   五月 二十 六日 

快晴   昨夜 は︑ すえ 子が 寒 いと いひ 出し たの で︑ ひど く心 配し たが 好い 鹽梅 に熱 も 無い

︒然 しそ のた めか

︑珍 しく 寢つ か れな か つた

︒夜 半に は 愈々 玄海 灘に かか つた と見 え︑ なか

船が 搖れ る︒ す え子 が眼 を醒 した 位だ つた

︒到 底臭 素 ナト リ ユウ ムの 御厄 介 にな り︑ やつ と寢 つか れた

︒そ れか らは 一息 に七 時頃 迄 熟睡 した

︒事 務所 のT 氏と N氏 から 見 舞の 電 報が あつ たの で

︑直 ぐ御 禮の 電 報を 返し た︒ 立つ 時︑ T氏 から 贈ら れた 品物 を︑ 又漸 く開 く暇 を得 た︒ 見る と︑ 何れ も 私逹 の爲 特に 選 まれ た玩 具や 紀行 文等

︑そ れぞ れ有 益な 親切 の籠 つた 物 のみ で︑ あの 超世 間的 な︱ 人が こん な に取 集 める には

︑中 々 容易 な事 では なか つた らう

︒殊 に︑ 此玩 具な どは

︱斯 う 思ふ と殊 にそ の眞 情が 身に 染み る︒ そ れで 直 ぐ二 枚の 繪葉 書 に︑ 細や かに 禮状 を書 いて 送つ た︒ 

                                 

︵b

︑P 

︶ 37 38  

月 

25

  明日 あた りか ら︑ 愈々 揚子 江の 水で な けれ ば浴 槽に 入ら ない 事に なる

︒︵ 中略

︶往 年美 術界 の奇 骨故 岩村 透男 が長 い

(10)

−88−

滞欧 中

﹁こ の頃 はパ ン と肉 とに あき はて ゝ茶 づけ のめ しを くは んと ぞ思 ふ﹂ と ロー マ字 でか きお くら れた 事が 切實 に 心に 浮 む︒

︵b

︑P 

︶ 38 40 資料 5   五月 二十 七日 

快晴   拂曉 には 愈々 上海 に 碇泊 する とい ふの で︑ どう やら 心持 ちに 待た れて 六時 頃 に眼 がさ めた

︒船 中で は注 意書 を出 し て︑ 上海 に 上陸 する なら 若い 人は 止め る やう に︑ 腦脊 髄膜 炎や 腸窒 扶斯 が殊 に多 いか らと いふ 事だ つ た︱ 昨夜 晩餐 後︑ ホー ル でM 夫人 も︑

﹁明 日 は︑ 午餐 に公 使 館か ら招 待さ れて ます が︑ どう しま せう か﹂   など とい ふお 話が あ り︑ それ に應 へて ある じが

﹁兎 に 角︑ お迎 へを 出 す以 上危 險は 無い と思 ひま す︒ 然し 責任 は持 てま せん が

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﹂   など

︑冗 談交 りに い つて ゐた

︒   所で 今日 にな ると

︑ もう 朝飯 前か ら在 留の N氏 や三 菱商 事の 人逹 が私 逹を 迎 へに 來て 見え た︒   そろ そろ 乘客 もざ わ めい て︑ 上陸 の人 逹の 數も 多く なつ て來 た︒ N氏 は林 家 の自 動車 をも つて 迎へ に來 てく れた

︒ これ なら 大丈 夫と いふ 氣 がし てこ んな 處 で圖 らず もこ の 若い Nさ んの 世 話に なる 事の 意外 さ を思 つた

︒上 陸す る時 は︑ 吾々 五人 の他 に同 船者 のN 氏夫 妻と

︑三 菱商 事の 人逹 が二 人 と他 に飛 行機 の機 體を 全部 金屬 で作 る事 を研 究中 の 飛行 將校 H氏 など が︱ 私逹 は林 家の 自動 車︑ 他の 人逹 は三 菱商 事 の世 話で それ ぞれ の車 に分 乘し た︒   先づ 三 菱支 店に 行き

︑支 店長 から 色々 の話 をき いた

︒こ の上 海 租界 も追 々輸 出の 品數 が減 じ︑ 倉庫 に貨 物が 堆積 す る︱ 從つ て金 融が 澁滞 する

︱誠 に困 つた もの だ︒ 要す るに 一歩 故 國を 離れ ると しみ じみ 國力 の強 弱の 及ぼ す所 甚大 な 事を 感ぜ ずに は居 られ ない

︒私 はこ の支 店長 が割 合長 い時 間疲 れ た私 逹に 碌な 椅子 をも 與へ ず︑ 自己 の立 場の みを 説 明す るの に興 味を 持得 なか つた が︑ 而も 私は 遂に

︑祖 国を 離れ て 活動 しよ うと する この 人々 の爲 に︑ 同情 の念 を禁 ず る事 が出 來な くな つた やう な色 々の 話を きい た︒

(11)

−89−

  やが ても う正 午近 く なつ た︒ 支店 長は 次席 に命 じ︑ 吾々 のた め支 那料 理を 饗 應す る事 にな つた

︒導 かれ たの は︑ 先 づ中 流 位の 料亭 らし か つた

︒本 場だ けに 品數 は中 々多 く︑ とう とう 後の 二種 を 餘す 程滿 腹し た︒ 國男 は咲 江と 一緒 に 友人 の もと を訪 ねる 事 にな り︑ ラン チの 泊り 場で 袂を 別つ た︒   こ の數 時間 の上 陸は

︑ひ どく 私に 上海 とい ふ處 の︑ 雜然 騒然 たる 事を 思は せた

︒ 何と いふ 雜沓

︑何 とい ふ樣 々な 人々 の 往來 する 事だ ら う︒ 千差 萬別

︑誠 にこ の文 字通 り︱ かの 探偵 小説 に見 る やう に︑ その 街路 の角 には 各種 の人 だ かり が あり

︑そ れか ら 又︑ 悠然 と只 見物 する

︱と いう 風に

︑此 處に 一團

︑彼 處 に一 團と 群を 成し て往 來を 見て ゐる

︱ 本當 に 唯見 てゐ るの だ

︒絶 間な く往 き交 ふ苦 力の 人車

︑高 く楫 棒を 上げ て乘 客 の方 が遙 か低 く︱ 半裸 體に 髪を 振り 亂 して 行 く苦 力︑ 一輪 車 に巨 大な 俵︱ 日本 の四 斗俵 の倍 位の

︱何 が入 つて ゐる の だら う︒ 其車 を唯 一人 で押 して ゆく 車 がゆ く かと 思ふ と︑ 僅 かの 物に 數人 の人 が附 いて ゆる ゆる と押 して 行く

︒軌 道 無し の電 車︱ 支那 風に けば けば しく 赤 と 塗 り立 てた 電車

︑ 折々 大き な聲 で人 を脅 かし 乍ら

︑そ の間 を荷 車が ゆく

︑ 印度 人の 巡査

︱體 の 偉大 に容 貌魁 偉 な︱   聞く 所に 依る と︑ こ の祖 界で は年 中︑ 否︑ 殆ど 毎日 富豪 の子 弟を 誘拐 して 金 に換 へる との こと

︑誠 にそ の雰 圍気 を 察知 さ れる やう な有 樣 だ︒ 何氣 無く 歩い て行 く私 の足 下を 凝め る恐 しい 形相 の 支那 人︱ 成程

︑こ のキ ルク 草履 が珍 し いの だ な︱ 而も その 恐 しい 眼差 しに は私 の足 は疼 くの をさ へ感 じさ うだ

︒紛 然 たる 租界 の裏 面に は︑ 探偵 小説 の材 料 とも な るべ き幾 多の 事 實が 伏在 する だら う︒ 恐し い處 だ︱ 一目 した だけ でも

︑ 私は この 地に 職を 得ん が爲 奮闘 する 同 胞の 忍 苦の 生活 を憶 つ た︒ 早く 船へ 歸つ て︑ ゆつ くり お茶 でも 飮ま う︱ 期せ ず して みん なが 一致 した

︒   丁度 お茶 時本 船へ 歸 つて

︑可 成り 乾い た喉 をう るほ した

︒   紅茶 の二 杯は 例に 無 い甘 さを 覺え た︒ 夕食 には 好い 鹽梅 にN さん の食 卓も 取 れた ので

︑珍 しく 他人 を交 へた 食事 が 賑か に 終つ た︒ 元來 こ のN さん とい ふ人 は︑ ひど く内 氣で

︑中 々一 人歩 きは 難 しさ うに 見え たが

︑境 遇は 遂に この 白 面の 年 をし て斯 く老 成せ しめ

︑實 用的 の人 にし た︒ 人は 矢張 り或 程度 まで

︑ 色々 の環 境に 置く 可き もの かも 知れ な い︒ そ して

︑樣 々の 體 驗が 人を 作る のだ らう

︒單 に平 易に 活き んが ため に凡 人 たれ

︱   今日 も歸 る途 上瞥 見 して 憤慨 に耐 へな いの は︑ 外人 の跋 扈だ

︒何 か車 夫が 人 混み と自 動車 の混 雜の 中に

︑前 身出 來

(12)

−90−

ない の を怒 つて

︑車 臺 を蹴 りつ つ怒 號し てゐ る︱ 耶蘇 教國 の人 種︱ 汝人 類愛 の 大な るを 知ら ざる か︱

︵b

︑P 

︶ 40 43 資料 6   五月 二十 八日 

晴   早朝 から また Nさ ん が自 動車 をも って 迎へ に來 たの で︑ ある じは 三菱 支店 に 行か れた

︒留 守中

︑O さん とい ふ︑ こ の土 地 で事 務所 を持 つ てゐ る人 が見 えた

︒何 かこ の土 地特 有の 建築 に對 する 意 見を 聽き 度い らし いが

︑生 憎留 守な の で御 主 人に 宜敷 くと い ふ事 で歸 つた

︒午 前十 時頃

︑お もひ がけ ず昔 のⅠ 令嬢

︱ 今の T婦 人が 一人 でこ の船 を訪 れた

︒ 久振 り に會 つて 見る と

︑豫 て人 の噂 に聞 いた

︱豪 奢な 生活

︱そ んな もの は豫 想 され ない 程質 素な 服裝 と凡 ての 感じ が そん な 呑氣 な沙 汰で は ある まい

︱斯 う考 へら れる 程︑ もっ と彼 女は 眞劍 の生 活 に觸 れて ゐる らし かつ た︒ 昨日 國男 に 聞い た 所で は︑ 家は 石 炭商 なさ うだ

︒そ れに 三人 の弱 い年 子を 擁し て︑ 豫て 私 の最 も嫌 つた 妖艶 な風 を裝 ふや うな 嬌 態は 全 く影 を潜 めて

︑ じみ な︑ 而も 餘り 美し く無 い一 婦人 が眼 の前 にあ るの み だつ た︒ Tさ んも 到頭 實生 活に 直面 し て︑ 自 らを 陥れ る虚 榮 の溝 を埋 めた のだ

︒あ あこ れで 良い のだ

︒豫 て私 の直 感 した 通り を實 現さ れた なら ば︑ 如何 な る艶 名を この 異境 の地 に流 した か も知 れな い︒ 人 生は 重 荷だ

︒而 し︑ こ の船 に荷 役の 少い 時は 安定 を 失い 勝ち の樣 に︑ 家 庭と いふ 重荷 は

︑あ る種 の婦 人に とつ ては 安定 の錨 とも な り得 るの だ︒   船は 愈々 揚子 江を 出 よう とし てゐ る︒   渺茫 とし て際 涯の 無 い此 大い なる 江河 の流 れ︑ そこ には 軍艦 さ へも たや すく 出入 する こと が出 來る

︱こ の大 いな る 地の 利 を有 しつ ゝ︑ 尚 且︑ 劣等 國と して 待遇 され てゐ るこ とは 他 所目 にも 殘念 に思 はれ る︒   往年 西村 の父 上が 御 在世 中彼 日 戰爭 があ り︑ それ に對 して 父 上は

﹁こ の 戰は 勝つ ても 敗 けて も困 つた もの だ︒ 昔か ら所 謂︑ 唇齒 輔 車の 國︑ 唇亡 びて 齒寒 しの 感が 無い やう にし たい

﹂   斯う いは れて

︑國 を 憂ふ るこ と特 に深 かつ た父 上の 沒後

︑日 露 の戰 役を 經て 世界 戰爭 さへ あつ たの だ︒   父在 さば

︱の 感は 單 に風 樹の 感の みで はな い︒ 眞に 國を 憂へ て 身命 を惜 しま なか つた

︱そ の卓 越せ る識 見と 熱誠 と

(13)

−91−

に依 つ て︑ この 混濁 せ る政 界に 一道 の光 明を 與へ んも の︑ 今斯 く寥 々た る事 を 憶ふ 時︑ 父は 單に 私の 父と して だけ で はな い 邦家 のた め追 懐

︱哀 惜の 情に 堪へ ない もの があ るの だ︒   昨夜 から の腹 痛が

︑ 非常 に節 食し てゐ るに もか かは らず

︑晝 の食 卓に は遂 に 私を 列せ しめ なか つた

︒船 室の 中に 特 に頼 ん で持 込ん で貰 つ た小 さい 卓子 が︑ どん なに 今日 は役 だつ たら うか

︒落 着 いて 一人 この 部屋 で卓 子に 對し た心 持 ちは

﹁ ああ これ が一 番 良い のだ

﹂と 心の 中に 叫ば ざる を得 ない

﹁卓 子 がな くて は落 着 かな い﹂   嘗て 英男 はか うい つ て︑ 汽車 の中 へさ へ一 枚の 板を 抱へ て持 込ん だの を思 ひ 出す

︒   いく ら大 きく ても 揚 子江 内は 和か だ︒ まる で疊 の上 に居 るや う些 の動 搖も 無 い︒ 愈々 この 濁流 が澄 む時

︑こ の船 は 揚子 江 外に 出て 太洋 に 入る のだ さう だ︒ 十二 時過 ぎ︑ T夫 人人 とN さん の二 人 はラ ンチ で歸 るこ とに なつ た︒ 見送 る 舷門 に はM 夫人 をお 見 送り の爲 ださ うで

︑爆 竹の 音が 喧し い位 だつ た︒ 心か ら この 會合 を喜 んだ らし いN さん の樣 子 は︑ 更 に離 愁の 斷ち が たき を思 はせ て︑ 遠く 遠く 船の 影が 見え なく なる 迄︑ 我 等の ハン ケチ はふ るふ のを 止め 得な か つた

︵b

︑P 

︶ 43 45 資料 7   六月 二日 

晴   夜來 の風 波朝 食頃 や や靜 まり

︑食 卓に 落伍 者の 多く を出 さな かつ たの は嬉 し かつ た︒ 咲江 も少 し變 だつ たが 到頭 奮 發し て 出た

︒散 藥を 止 めた のが 良か つた と見 え︑ 珍し く私 の腹 痛は 止り 今朝 は 久し ぶり で空 腹を さへ 感じ た︒ 今暁 の 事だ つ た︒ 餘り 船が 搖 れる ので

︑自 己流 の謠 曲を 謠つ て心 氣を 澄さ うと した

︒ 有難 いも のだ

︑こ の狭 い頭 のつ かへ さ うな 船 中の ベッ トの 上 にさ へ尚 私の 心境 は妬 けて 自ら 謠ふ につ れて

︑そ こに は 橋が かり に摺 足し て出 づる シテ

︑︱ 風 光明 媚 な情 景さ へ浮 び 出る のだ

︒船 の動 搖も はた 又心 の煩 ひも

︑暫 くは その 影 を潜 めて 全く その 中に 沒入 する 事が 出 來る

︱之 の みが 今の 私に と つて は 最も アト ラク テ イブ な もの で ある かも 知れ な い︒ M夫 人に 返電 を出 す

︒﹁ 電 報有 難

(14)

−92−

う船 醉 ひな し安 心を 乞 ふ﹂ とい う意 味で

︱昨 夜か らの 強風 が益 々そ の度 を し て白 い波 頭が 折々 船に 大き な衝 動を 與 へる

︒ 何し ろこ の航 海 中第 一の 強風 だ︒ 咲枝 も馴 れた と見 えど うや ら食 事に は 出る が可 成り 辛い らし い︒ 明朝 は午 前 十時 に Bデ ッキ で救 命 袋を 着け て︑ 萬一 の時 に對 する 豫備 練習 があ るさ うだ

︒ それ で夕 後 それ ぞれ 其豫 備行 動を 取 らう と 棚の 上の 救命 器 を下 し︑ つけ 方を 練習 した り注 意書 を讀 んだ りし た︒ し かし 之が 萬々 一役 立つ 樣な 事が あつ て は大 變だ なと 皆し てい ふ

︒こ の 救命 器は 元 の浮 袋な どと 違ひ

︑ズ ツク の袋 にパ ン ヤの 樣な もの を詰 め た横 長な もの で︑ 肩か ら背 負つ てや つと 首が 通る 位︑ 背を 胸に 一つ 宛二 個を 着 けて 後の 長い 長い 紐で しつ かり 體に 結び 付け る樣 に 出來 てゐ た︒ やが て合 圖の 鐘の 音で 私も ふだ ん着 の上 へし つか り それ を括 り付 け︑ 一番 上の 甲板 へ出 る︒ 何し ろ風 が 無暗 に荒 いの で足 元 がよ ろけ る︒ 斯う して 私と ある じ が甲 板へ 出て 見 ると 皆な お年 寄迄 甲 斐甲 斐し くつ け て居 られ る︒ M夫 人も 同じ 甲板 にこ れも 亦甲 斐々 々し い身 仕度 で御 ふだ ん 着の 儘救 命袋 をつ け︑ 極く 無雜 作な 風で 出て 來ら れ た︒ 愈救 助艇 を下 す合 圖が あり 水平 さん 逹が 盛ん に活 動し てそ の 艇を 下す 準備 にか かる

︒然 し案 外こ の作 業は 手間 取 れた

︒約 三十 分以 上を 費し たか と思 はれ る︒ かう して 艇は 下り た が︑ その まゝ 豫備 行動 のみ で最 後の 非常 ベル を終 り にこ の練 習も 終つ た︒   何時 も この 時間 頃に はゆ つく り室 へ入 つて うと うと する 頃な の に︑ この 練習 が濟 むと 直ぐ ある じと 共に サロ ンに 出 てゐ ると

︑お 友逹 の誰 彼が 來ら れ色 々の 物語 りに 休息 の暇 が無 か つた

︒そ のた め私 は疲 れた と見 え︑ 間も 無く 始つ た 晝 の食 卓に はス ープ だ け啜 つて もう 何だ か 進ま なか つた

︒然 し味 に變 りは 無く

︑只 普通 量だ け攝 れ ない だけ だつ た︒ お やつ に珍 しく 蜜 豆が ある と云 つて メ ード が持 つて 來て く れた が︑ 見 ただ け で箸 が取 れな かつ た のは 殘念 だつ た︒ S公 爵夫 人に は一 寸の 間ほ かお 目に 掛る 折が 無 かつ たが

︑本 當に 疲れ て居 られ るら しく 昨晩 など も見 る も痛 まし い位

︑御 口を きか れる さへ 大義 らし く本 當に お氣 の 毒だ つた

︒今 日も この 暴風 に甲 板上 に出 て風 にあ たつ て 居ら れる

︱船 醉ひ をふ せぐ ため

︱誠 に見 たと ころ から 蒲柳 の 質ら しい この 夫人 が碌 に食 事を 攝ら れな いの で︑ 目に 立 つ程 頬の 痩せ さへ も見 える

︱   今日 の 風は

︑流 石醉 はな い私 も︑ 少々 閉口 する

︒ ガタ

鳴る 硝子 戸の 音︑ 上下 する 船の 動き

︱唯 すえ 子 許り は大 元氣 だ︒ 今日 はあ るじ も朝 の中 は少 し頭 が重 いと 云 つて 弱つ てゐ たが

︑午 後か ら又 元氣 でお 茶に も出 られ た

(15)

−93−

  丁度 それ は午 後二 時 か三 時頃 だつ たら うか

︒國 男の 室が 今日 は非 常に 凉し い とい ふの で︑ 暫く 横に なる 積り でそ の 室へ 行 つた

︒成 程︑ 今 日の 風の 向き が良 いと 見え て凉 しい 風が 室の 中に 滿ち て ゐた

︒   喜ん だ私 はソ ファ ー に横 にな り︑ 窓の カー テン を上 げて 暫く ゆつ くり して ゐ た︒   その 中に

︑國 男も 用 事で 何か 行つ たり 來た りし て軈 て出 て行 つた

︒一 人に な つた 私は

︑ソ ーフ ァー に長 々と 足を 伸 して う と と した 刹 那︑ 一陣 の烈 風︱ 本當 に何 とい つて 形容 して 良い か烈 し い烈 しい 風が 唸り を打 つて 襲來 して 來 た︒ カ ーテ ンは あの 金棒 ご と捲 上げ られ

︑ 軈て そ れが ぶら ぶら して 私の 顔を 打 たう とす る︒ 危 い︱ か う思 つて ソー ファ ー の上 に膝 を突 き 窓を 閉め 樣と した

︑け れど それ に手 を掛 け る間 もな く私 は恐 ろし い︱ 殆ど 私が 生れ て以 來初 め ての 風 の威 力は どう し ても 窓に 面す る事 さへ 出來 なく なつ た︒ 私 はお びえ たや うな 氣持 でソ ーフ ァー の下 へ下 りた

︒ そし て 膝を 突き

︑其 風 の靜 まる のを 待つ てゐ た︒ 後で 聞く とそ れ は海 上に 龍卷 が起 つた のだ さう だ︒ 私は 初め て風 の 脅威 の 如何 に絶 大で あ るか に驚 いた

︒   今朝 偶然 行は れた 非 常時 の練 習︱ 救命 艇︑ 浮袋

︱不 思議 な恐 怖 と豫 感が 私を 襲つ た︒ 眞白 い波 頭の 寄せ ては 碎け る 音も 何 時に なく すさ ま じい

﹁あ あ こん な事 なら サ イベ リヤ にす れば 良か つた

﹂   女々 しい 愚痴 が私 の 口を つい て出 た︒ 私も 心が 弱く なつ た︒ こ んな 時何 んと 云つ ても サイ ベリ ヤに 變更 の出 氣な い のは 分 り切 つて ゐる

︒ 甲斐 無く 女々 しい 事は 云は ない で︑ 却つ て かう 云う 時こ そ自 ら激 勵す る言 葉が 出な けれ ばな ら ない の だ︒ 嘗て 英男 は 云つ た︒

﹁お 母 さま

︑足 一歩 内 を出 れば 運命 が待 つて ゐる

︒お 母さ ま︑ そ んな に僕 の事 を心 配し て自 轉車 にも 乘せ ない でど う する の

﹂   かう 云つ て優 しく 而 も敢 然と 云ひ 切つ た彼 だつ た︱ 今︑ 私の こ の臆 病な 心に も︑ 端無 く彼 の言 葉を 思ひ 出し た︒   さう だ︒ もう 女々 し い事 は云 ふま い︱ かう 思ひ 諦め て滯 りな く 夕 を濟 ませ サロ ンへ 出た

︒こ の頃 の私 の經 驗に 依 ると

︑ ここ で長 く應 接 する と興 奮し て眠 り難 い︒ 成可 く早 く切 り 上げ て寢 よう とあ つさ りし た態 度で 辭去 した

︒   然し 今夜 は何 しろ 今 迄の 航海 中第 一の 搖れ 方で 上下 動も 可成 り 強く

︑折 々目 が覺 め勝 ちで あつ たが

︑然 し東 京の そ

(16)

−94−

れに 比 して は良 く寢 ら れた のが 不思 議だ つた

︒す え子 の方 が却 つて ちよ く 目 を覺 した

︒   今日 の午 後の 事だ つ た︒ 彼女 が今 日は 珍し く甲 板で 小さ い子 供を 抱つ こし て 樂し さう にし てゐ るの を見 ると

︑ふ と 多く の 兄弟 を失 つた 彼 女の 薄幸

︱同 時に 吾々 の寂 寞さ

︱を 考へ ずに 居ら れな か つた

︱私 の眼 の中 は霑 んだ のだ つた

︒   今︑ 彼女 は何 を夢 見 るか

︒折 々何 かつ ぶや きな がら

︵b

︑P 

︶ 50 55 資料 8   六月 七日 

晴   かな り今 朝も 暑い 筈 だが

︑然 し不 思議 にも 生き るべ く適 應さ れた もの と見 え

︑さ のみ 苦痛 を感 じな い︒   今 朝は やは り 昨日 の活 動が 過ぎ たた め と︑ 臭 那劑 を忘 れ たた めと で例 の腹 痛が 起 つて 朝か ら可 成り 弱つ た

︒試 み に︑ 臭 那劑 だけ を呑 ん でみ た︒ する と不 思議 にも 氣分 がよ くな り︑ 同時 に腹 痛 の方 も稍 小康 を保 ち得 た︒ やは り確 か に過 勞 のた めだ つた に 違ひ ない

︱   今日 はM 夫人 の御 愛 兒J さん が︑ 朝か ら三 十九 度以 上の 高熱 で居 られ ると 聞 いて

︑こ の旅 中で の御 病人 に對 する 母 夫人 の 御心 遣ひ

︑さ こ そと 御同 情に 堪へ ない

︒   然し

︑こ の船 中の 御 室に 御伺 ひす るの も良 し惡 しだ と考 へて ゐる うち

︑更 に また 昨夜 から S公 爵夫 人も 同じ やう に 手に 發 疹し

︑熱 はさ の み高 くは ない が食 慾が 皆無 で︑ 常か ら蒲 柳の 質で あら る るか の夫 人の 痛ま しさ を思 はず には ゐ られ な い︒   何で も兩 夫人 は︑ 御 子さ ん方 と御 伴を 連れ

︑モ ータ ーボ ート で遊 覽さ れた 事 があ るさ うで

︑そ のた め或 は風 土病 に 罹ら れ たの では ある ま いか との 話だ

︒   今夜 は久 し振 りで

︑ M夫 人と S伯 のお 話を 伺ふ

︒如 才な く頭 の利 くこ の伯 爵 は︑ 私が 側に 立つ と︑ 直ぐ アー ムチ エ イア を すす めて 下さ る

︒恐 縮し なが らそ こへ 掛け る︒   間も なく

︑M 夫人 は

︑令 息J さん の侍 女が お迎 ひに 來た ので 直ぐ 立つ て御 室 の方 へ行 かれ

︑そ の儘 お歸 りが 無か つ

(17)

−95−

た︒ 如 何な る御 身分 で も︑ 御親 子の 情に 變り は無 いの だ︒ さぞ 御心 配の こと だ らう と︑ しみ く考 へら れる

︒   それ から は︑ かの 伯 爵の 色々 のお 話︱ 幼年 時代 から 年 時代 にか けて

︑昔 氣 質の 父君 に中 々嚴 しい 育 を受 けら れ た事 を

︑あ るじ と共 に 伺ふ

︒   何で も中 途か らの お 話だ が︑ ある 朝豆 腐一 つを 買ひ に遣 られ

︑そ れが 道の 遠 いた め︑ 滅茶

にく づれ て困 つて し まつ た

︱な ど中 々苦 勞 をさ れた らし い︒   この 伯爵 の持 論と し ては

︑ 年は ある 程度 まで 導く とこ ろま で導 けは

︑後 は つき 放し てし まつ た方 がよ い︒ 初め て 洋行 し た 年で も︑ あ る程 度ま で指 導し て後 はつ き放 して しま ふ︱ 然し その 人 間は 决し てま ごつ きも せず 結構 宿へ 歸 られ る

︱そ の通 りの も ので

︑あ る程 度ま では 指導 する が︱

﹁け れ ど私 は一 人も 子 を持 たな い︒ それ だか ら斯 う︑ 思ひ 切つ た事 も出 來る の かも 知れ ない が︱

﹂ かう 伯 はつ け加 へた

︒   本 當に さう だ

︒子 供 の無 い人 に どう して 吾子 に對 する 喜 びや 心遣 ひ︑ まし て悲 しみ

︱子 を失 つた

︱ がわ かり 得ま い︒ け れど この 聰明 な 人は

︑私 が思 はず 彼英 男に つい て話 した こと にも

︑决 し て馬 耳東 風と 聞き 流さ れな かつ た︱   今日 はペ ナン へ夕 方 投錨 する とい ふの で︑ 夕食 が少 し早 目に なる

︒D さん 御 夫婦 や何 か船 が著 くと 直ぐ 出か けら れ る︱   何し ろ不 案内 なと こ ろに

︑夜 の色 が くこ の未 知の 國を 覆ひ 盡し た︒   もう 私逹 は上 陸す る 勇氣 もな くな つた

︒こ こで 有名 なの は蛇 寺︱ こは いも の 見た さの 氣も した が︱   盛ん にま た物 賣の 印 度人 や何 かが 往來 する

︒何 でも この 國の 皇太 子が 英國 へ 留學 する んだ さう で︱   なる 程︑ それ でこ ん なに 船の 中へ まで い 人が 往來 する のだ なと

︑や つと 呑 み込 める

︒何 しろ こん な蕃 地で も︑ 皇 族は 皇 族だ

︒尊 敬の 念 に變 りは なく

︑大 勢の 赤い スカ ート の 人逹 が盛 んに 見 送つ てゐ た︒

﹁こ こ は錫 の名 所で

︑ 御覽 なさ い︒ あれ がさ うな んで す︒ 容積 が小 さい 割に 目 方が ある ので

︑船 では 一番 の御 華主 な ので す

﹂   かう S伯 は指 さし て へら れた

(18)

−96−

  今夜 二時 頃出 帆の 筈 だつ たこ の船 も︑ 相變 らず 荷役 のた め遅 れて

︑到 頭拂 暁 五時 頃に なっ た︒ 相變 らず

︑喧 騒の 中 に眠 ら れた 自己 を怪 し む程 私も この 航海 に慣 れて 來た

︵b

︑P 

︶ 70 73 資料 9   六月 十一 日  晴   今日 は午 前中 種痘 が 施行 され ると 云ふ 事だ つた が︑ 果し て午 前九 時す ぎ通 知 があ り︑ 階下 の船 醫の 室で 施行 され

︑ 一同 種 痘し た︒   私は 今朝 から

︑左 の 頭が 痛む が︑ 經 痛だ らう と︑ 氣に しな かつ た︒   婦人 だけ 繃帶 する と 云ふ 事で

︑私 とす え子

︑咲 枝が 繃帶 をし

︑ば んそ うこ う で留 めた

︒か ねて から

︑少 しづ ゝ腫 れ 氣味 だ つた 私の 足が

︑ 今日 は︑ 殊に はげ しい

︒一 寸見 たと ころ でも

︑ほ とん ど 倍位 に太 つた

︒私 は︑ かな り固 く張 り 切つ た 自分 の足 を眺 め なが ら︑ 今朝 の種 痘を 考へ た︒   常に

︑似 げな く不 注 意に も︑ 船醫 にさ へ︑ 何の 相談 もせ ずい きな りや つて の けた 種痘

︑そ れが 若し 脚氣 と一 緒で あ つた ら

︱私 は︑ かな り心 を暗 くし た︒ ある じに 話す と︑

﹁少 し の間 むく んで 居る 足を

︑投 げ出 して ソー ファ ーの 上に 横 にな つ たら

︱と 云ふ

︒ 早速

︑そ の通 りに し︑

︑夕 後 の︑ サロ ンに も︑ 出な かつ た︒

︱か うし て息 つて ゐる とい きな り カー テ ンの かげ から

︑ド クタ ーの 顏が の ぞい た︒ オヤ と思 ふ間 もな く︑ 國男 と咲 枝が 一緒 に出 て來 た

︒﹁ お かあ さま の 事を 一 寸お 話し たら

︑ 見て 上げ 樣と

︑云 ふ事 でお 連れ しま した

︒﹂ かう 國男 が云 つた

﹁こ れ はよ く︑ 熱帶 を 通る 時︑ 弱い 方は

︑を かさ れる 矢張 り脚 氣の 樣な もの で

︱然 し︑ 大し た事 はあ りま すま い︱

﹂   心臓 を見 たり 色々 し てド クタ ーは いつ た︒   夜に 入り

︑風 波ま す 強 く︑ 所 々に 軋む 音が 強く なつ た︒   左の こめ かみ に起 つ た 經痛 は︑ まだ

︑や まな い︒ 心を 落ち つけ て早 く寢 よ う︱ かう 考へ て︑ すぐ 横に なつ た︒   目の 覺め たの が︑ 十 一時 半頃

(19)

−97−

  アヽ 未だ

︑此 の時 間 か︒ がつ かり した 私は

︑し ばら く︑ 寢つ かれ なか つた

︒   然し

︑二 度目 に目 が さめ た時 は︑ もう

︑東 が白 らん で︑ カー テン のか げに

︑ 黎明 の輝 きが あつ た︒   昨夜

︑船 員か ら︑ かう 云ふ 話を 聞い た

︒﹁ こ の一 等船 客の 中 で︑ こん な人 が︑ あり ます

︒何 でも 香港 へ上 陸中 犬に か まれ

︑ 今だ に︑ ねた つ きり

︑氷 でひ やす やら

︑色 々し て居 ます が︑ 未だ 歩け ま せん

︒﹂

﹁そ れ は︑ 一人 旅な の です か﹂

﹁さ うで す﹂ かう 聞い た私 は︑ 氣の 毒さ と︑ 痛ま しさ が︑ 心を 壓し た

︒   すぐ にも

︑見 舞ひ た い︒ 何と 云ふ 氣の 毒さ だ︒ 然し

︑こ れも その 數時 間後

︑ 歸つ て來 たあ るじ の言 葉で 中止 した

﹁よ く 聞く と香 港は

︑ 英領 で︑ 狂犬 など は︑ 居る 筈は ない

︒何 か︑ 裏町 でも 通 つて

︑そ んな 目に 會つ たの では なか ら うか と

︑皆 んな が話 し て居 たよ

︒﹂   一瞬

︑私 は︑ 例の 潔 癖が 目を さま した

︒何 だ︑ そん な事 なら

︱   然し

︑こ れも

︑あ ま り︑ 狭量 な見 解か も知 れな い︒ よく 考へ てお 見舞 しよ う か︱ ボー イは なほ 此の 船の 機關 長が 盲 復炎 で

︑ね て居 る事 や

︑外 國婦 人が わが まゝ で︑ 種痘 をす るな ら︑ 船を 降り る

︱さ うし て外 國船 に乘 り換 へる とい つ て︱ き つと 脅か しな の でせ う︒ 何し ろさ うい つた きり 後は 何の こと もあ りま せ んか ら︱   よく 聞く と意 外に も それ はこ の間 私の 室の 前の Bデ ツキ で︑ 三人 の子 供を 相 手に

︑い かに も上 品な 美し い婦 人が あ つた

︱ その 人逹 らし い のだ

﹁何 と いふ 我儘 だか 實 に憎 らし い︱ かう いふ ボー イの 顔を 眺め 乍ら 私は 益意 外 の感 に打 たれ た︒   あの 上品 に︱ しと や かな 美し い人

︱其 人逹 がそ んな 事を 敢て する のか

︒幻 滅 の感 が又 して も私 の心 を曇 らさ ずに は おか な かつ た︒   國力 の相 違︱ それ が 個人 的に かく 迄の 專横 を敢 てせ しめ るの か︒   やは り彼 等は 口に 人 類愛 を説 いて 更に 憚り なく 優勝 劣敗 のモ ット ーの 下に

︑ 自己 の良 心を さへ 裏切 らん とす るの か

︱し か し︑ どう か人 違 ひで あり たい

︱   今か う書 いて ゐる 私 の面 前を 更に 巨大 な影 が通 る︱ 見上 げる と︑ それ は白 頭 の外 國紳 士︱ 紳士 など ゝは いへ ない が

︱こ の サロ ンに

︱半 袖 の下 着一 枚の 儘憚 り氣 も無 く往 來し てゐ る︱ 憤然 とし て 私は ペン を置 いた

(20)

−98−

︵b

︑P 

︶ 76 79 資料  10   八月 七日 

雨   昨夜 午後 八時 頃︑ 松 平夫 人か ら︑ 電話 が掛 り︑ 我々 一同 を︑ 今夕 の晩 餐に 招 かれ たの だつ た︒ それ で有 頂天 にな つ た壽 江 子に

︑と もか く 風呂 に入 つて

︑第 一番 に︑ 垢を おと す樣 にす ゝめ た︒ 此 には 彼女 も爭 ひか ねた

︒珍 らし く︑ み んな と 共に 入浴 して

︑ 他目 にも さつ ぱり した

︒   浴 後の 御茶 を呑 み なが ら ある じ は云 つた

︒﹁ も う僕 も 歳を と つて 洋行 した 事 が失 敗 であ つ たと

︑し み 悟 つた

︒ かう し て日 本へ 歸つ たら

︑又 面倒 な 仕事 が待 つて ゐる

︒僕 は︑ 餘り 疲れ 過ぎ て しま つた

︱か う云 つて

︑が つか りし て ゐる 彼 の顏 を見 ると

︑私 はこ の渡 英 前の 覺悟

︱そ れが 更に 私を 鞭韃 した

︒   どう して も︑ いゝ 加減 に考 へて は ゐら れな いの だ︒ 私の 生活 には いつ も苦 惱 が︑ うら 付け られ てゐ る︒ 對抗 すべ く 私の 身 體は あま りに 弱し

︒然 し︑ も うそ んな 事は 云つ てゐ られ ない のだ

︒己 れ の身 體を 考へ る事 の出 來た 時は

︑未 だ

私 には 餘裕 があ つた のだ

︒   死ぬ 迄︑ 奮闘 して

︑彼 等を 助け や う︑ この 乏し き力 でも

︑全 力で ある なら ば

︑︱ 彼の 靈に 對し ても

︑︱ 私は かく

︑ 覺悟 し ない では ゐら れな かつ た︒   寂寞 とし て︑ 人影 少な きこ の異 境 のラ イチ ング テー ブル に感 慨無 量︱ こん な 文字 では 云ひ 表は せな い︑ 種々 の心 相 の交 醋 せる 中に

︑か くペ ンを 取る 中の みが

︑せ めて も の︑ 私の 最も 好ま しく して

︑而 も最 も︑ 涙ぐ まし い時 なの だ︒

︱   今朝 ベレ スフ ォー ド氏 から

︑電 話 があ り︑ ほと んど 同時 に手 紙が 來た

︒こ の 友情 の厚 い事 と︑ 筆ま めな 事は

︑實 に 我々 の 學ぶ べき 事だ

︒私 は自 分自 身 さへ

︑友 情の 薄く

︑い ゝ加 減に 成り がち な 事を 悲し むの だ︒ それ は然 し︑ 今の 私 にと つ ては 無理 のな い事 かも 如れ な い︒ 私の 心は 今︑ 辛じ て虚 無な らん とす る 己れ を鞭 韃し

︑叱 責し て︑ 家の 爲︑ 兒 等の 爲 強ひ て︑ 努力 せん とし つゝ

︑ ある のだ もの

︒︱   午前 中︑ ある じは

︑今 夜の 松平 婦人 の晩 餐 會に

︑入 用な 品を 整へ やう と︑ 壽江 子を 同道

︑雨 の中 を街 へ出 かけ たの だ︒

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