論 文
1980 年代、1990 年代フランスにおける思春期文学観
―
「鏡小説」と「通過儀礼小説」
―伊藤 敬佑
はじめに
現在フランスでは、思春期を対象とした小説が多く出版され、この分野は活況に ある。しかし、研究は十分とは言えず、特に日本ではほぼ皆無である。この現状に 対し、執筆者は拙稿「1970年代フランスにおける思春期観・思春期文学観」1にお いて、フランス思春期文学の誕生から、一度廃れてしまう時期までを対象に、分析 を行った。
本稿では、その成果を引き継ぎつつ、1980、90年代を対象に分析を行う。ここ では、「思春期文学」を、「子どもでも大人でもないと見なされた年齢層を特別に対 象として出版された文学作品」と定義し、出版された具体的な作品という「実体」
の側面と、思春期文学がどういうものと考えられていたか、あるいはどういうもの であるべきと考えられていたかという「観念」の側面から、それぞれ分析する。後 者の分析には、出版社の述べる出版理念と、受容者による批評言説という、2種類 の「思春期文学語り」の比較対照を行う。以上を通じ、1980、90年代のフランス の思春期文学観を明らかにしていきたい。
1 章 1980、90 年代の位置づけ
1章では、フランスの思春期文学史における1980、90年代の位置づけを、時期 区分と前後の時期の論じられ方の分析から明らかにする。
1 節 時期区分
まず、2013年にフランスで出版された児童文学事典、 « Dictionnaire du livre de
jeunesse » を元に、フランス思春期文学史の時期区分を、実体の側面から明らかに
する。同事典は、フランスで児童文学研究の一線に長年立ってきた、イザベル・ニ エール=シュヴレルとジャン・ペローの両名が監修した、現在最も専門性と信頼 性の高い児童文学事典である。思春期文学の概論的項目『思春期のための小説』2
は、全部で五つの節から成り、それぞれ①全体概論、②18世紀から20世紀半ばに かけての分野の成立前史、③独立した出版分野として認識された時期、④分野の発 展期、⑤現在の傾向を扱っている。まず、③と④の記述から、フランスにおける思 春期文学の成立と発展を確認したい。
本項目中で、思春期文学が出版的に独立した分野になったとされる年は、就学 期間が16歳まで延長された1953年である3。その後、1956年にLa Farandole社が レーベル « Prélude »(1956-1980)を、1966年にRobert Laffont社が « Plein Vent »
(1966-1982)を創設する。ただし、前者は大きな存在感を示すことができず、後 者の方が最初の重要な思春期向けレーベルと評価されている。1950年代には「思 春期を対象とした文学」の必要性が感じられ、試み始められていたものの、実を結 び始めたのは1960年代半ばであったと言える。
続けて言及されるのは、1972年から1975年にかけて創設された四つのレーベ ル、« Grand Angle »(G.P.社、1974-1979)、« Les Chemins de l’amitié » (G.T. Rageot社、
1974-1983)、« Travelling »(Duculot社、1972-1999)、« Poche rouge » (Hachette社、
1975-1977)である。この4レーベルは、社会的レアリスムに重点を置き、「世界の
「よりよい理解」を与えることを目指す」4 点で一致していたと指摘されている。
また、上述の内、« Travelling »を除く5レーベルは、全て1980年前後に廃止され ている点も、共通点として指摘できる。1960年代に起点を持ち、1970年代前半に 大いに盛り上がった思春期文学の機運は、1980年過ぎに一度終わりを迎えてしま うのである。
次に、④で取り上げられている、フランス思春期文学の発展期を確認したい。
著者によれば、「この種の小説[=思春期文学]は、文学的な志と大量生産の中間 のレーベルを生みつつ、1980年代半ばから再び飛躍を遂げる」5。すなわち、第一 の飛躍であった前述のレーベル群が1980年前後に終息してしまい、思春期文学が 一時下火になってしまったのに対し、1980年代半ばから第二の飛躍が訪れるので ある。その中核を担ったのが、1986年にL’école des loisirs社(以下EDL社)で 創設された « Médium » と、1987年にGallimard Jeunesse社(以下GJ社)で創設 された « Page Blanche » (以下« PB »)である。また、これらと平行して、Seuil社 が1981年からは « Point virgule »(以下« Pv »)を、1995年からは思春期により焦 点化した « Fictions »(1995-2000)を創設し、1990年代後半にはそれ以外にも、Le Rouergue社の « DoAdo »(1998-)やFlammarion社の « Tribal » (1999-)などの現 在も続くレーベルが創設され、この分野は1980年代後半から1990年代にかけて再 び活気づいた。
さらに同事典では、続く転換点として、「商業的要求に屈しつつ」6、2000年に
この分野の「再環境設定」が行われたと指摘している。この時期には、前時期の中 心の一つであった « PB » が2000年に廃止され、その2年後に同じGJ社から新た に « Scripto » (2002-)が創設される。また、「若者向け小説の売上げ増の影響を受 け」7、Bayard社の « Millézime »(2003-)やMilan社の « Macadam » (2004-)など、
複数の思春期向けレーベルが姿を現す。この時期の特徴として、「英米の市場の傾 向に従い、それらのレーベルはまた、性別によって作品を分ける方向へと進んでい る」8 ことが指摘されている。前の年代においては、大量生産という商業的な意図 と、文学的に良い作品を届けたいという意図が混ざり合っていたのに対し、2000 年代以降は、「商業的要求に屈した」という指摘と併せ、商業的成功を意識的に目 指す方向へと進んでいることが窺える。
まとめると、フランスの思春期文学は、1960年前後の誕生から1980年頃までの 第1期、1980年頃から2000年頃までの第2期、それ以降現在までの第3期の、三 つの時期に区分できる。しかし、これら三つの時期は、現在において、同様に重 要視されている訳ではない。一般的な事典の代表である « Larousse » のオンライン
版9 では、思春期文学は1990年以降のみ言及されているにすぎない。すなわち、
専門的にみれば1960年頃に誕生し、変遷を辿ってきた思春期文学も、より一般的 な視線からすれば、1990年代以降のみ、すなわち出版的に活況にある第3期の思 春期文学と、それに連なる第2期後半のみ、言及する価値がある現象にすぎない。
第1期の思春期文学は、作品的にも現在忘れられているのみならず、文学史上でも 重要視されているとは言いがたい。また、第2期の前半も、あまり目立つ時期では なかったのであろう。
しかし逆説的には、フランスの思春期文学は段階を踏んで地歩を固め、重要視さ れていなかった初期から、出版の一分野として広く重要性を認められる現在にまで 至っていると言える。そして、本稿で取り上げる1980、90年代とは、一言でまと めるならば、思春期文学の試みが一度潰えた後に、再出発を果たし、現在の活況に つながる礎を築いた時期なのである。よって、この時期の思春期文学の分析は、単 なる一時期の分析という意味を超え、同分野が置かれている現状の根底を理解する ことにつながり、重要な意味を持っている。
2 節 1970 年代の思春期文学の理念と実践
1980、90年代における思春期文学の議論に移る前に、1970年代の思春期文学を、
比較対象として把握したい。現在ほぼ読まれることはなく、かつ研究でも言及の少 ないこの年代に対しては、冒頭に述べた拙稿で詳細に分析した。ここでは、同論文
の分析を簡潔にまとめ、第1期の思春期文学が持つ特性を把握したい。
同論文では、1970年代の主要4レーベルを主対象に、レーベルの目的と試みを 表明した出版側の理念と、個別の作品に対する批評者側の批判意見との比較対照に より、両者が思春期文学をどうあるべきだと考え、さらにそれを届けるべき思春期 の若者をどのような存在と捉えていたのかを論じた。
その結果、まず各レーベルの理念は、それぞれ重点の置き方は異なるが、「①思 春期の若者には独自の読書欲求があり、それに応えるために作品を出す。②彼らの 読書欲求とは、現代社会と若者自身の現実をよりよく知りたいというもの。③現実 を描く際には真実性が必要。」という3点にまとめられた。このような理念を持っ た背景には、若者への聞き取り調査の結果、「社会と自分たちの現実」を描いた作 品を望んだからという理由がある。この調査を元に、出版社は「思春期の若者が、
①独自の読書欲求を持ち、②現代社会の現実と、自身を取り巻く現実とに関心があ り、③手加減や嘘のない真実を語られることを好む。」という思春期観を構築し、
彼らの読書欲求に応えるための作品を出版したのであった。
しかし、先述のようにこれらのレーベルは1980年前後に相次いで廃止され、試 みは失敗に終わる。「思春期読者の読書欲求に応える作品を出版していた」はずで あるにもかかわらず、広く読者を獲得し続けることはできなかったのである。この
「失敗」の理由分析として、あるいは個別作品への批判として語られた批判的言説 は、作品が現代社会と若者自身の現実を「上手く描けていない」という点に集中し ている。つまり、「現実社会と若者自身の現実」を扱っていることは認めるが、上 手く扱いきれておらず、結果「現実」ではないことが問題である、という視点であ る。
この、「現実を真実性を持って描くことに失敗した」という批判は、一見すると 思春期向けレーベルの能力不足を断ずる、根本的な否定に思える。しかし、理念の 未達成を問題視する視点は、裏返せば、理念通り現実を真実性を持って描けていた ならば読者の支持を得られていたと考えていることと同義であり、理念のレベルで は否定されていない。それどころか、思春期レーベルの理念の①、②は自明の前提 として共有されることで、③はその失敗のみを批判されることで、むしろ理念とし ては肯定され、強固にされている。1970年代の思春期文学は、批判を受け、失敗 に終わったのとは裏腹に、各レーベルが理念として掲げたこの思春期文学観、その 背景にある思春期観は、それ自体はレーベルの失敗を論じる議論の対象にはされて おらず、当時の思春期文学観として共有された、暗黙の前提であったのである。
以上の分析から、1970年代の思春期文学を貫く暗黙の基準が、「真実の現実」で あったことが読み解ける。出版側は「真実の現実」を描くことを追い求め、批評者
側は、自らの基準に照らし合わせ、それが「真実の現実」だと感じられたならば 評価し、感じられなければ批判したのである。それでは、結果的に失敗に終わっ た1970年代の思春期文学の理念は、その後の変遷の中で、受け継がれたのだろう か、あるいは受け継がれなかったのだろうか。実体のレベルにおいては、フランス 思春期文学は1980年頃に明確な転換点を持つが、観念のレベルでも同じ時点に区 切りが生じているのだろうか。
3 節 第 3 期冒頭の思春期文学
上述の問いに答えるための道筋を示すべく、第3期冒頭時点での思春期文学の傾 向を、1980、90年代の分析に先行して概観したい。これにより、第1期の思春期 文学観が、第2期から第3期へと移り変わった時点で残存していたのかどうかの手 がかりがつかめ、第2期の思春期文学観をどこに着眼して読み解けば良いかが明ら かになろう。分析の対象は、フランス国立図書館発行雑誌の「思春期」特集号で、
雑誌« Lecture Jeune »(以下« LJ »誌)10 の編集長であったジョエル・チュランが、
思春期文学の進化と当時の傾向を論じた記事である。
同記事でチュランは、大雑把な分類であることを断りつつも、思春期文学に描か れる物語を「①現実的テクスト、②社会参加型テクスト、③通過儀礼小説、④時流 に沿わず扱いに悩む、分類できない作品」の4類型に分類している。
①現実的テクストとは、「大抵は同時代の現実に根を下ろし、家族問題、仲間 問題、社会問題に多くを割き、そのレアリスムは、場合によってはユーモラスな アプローチによってバランスをとられることがあるものの、ここ数年激しさを増 した」11ものと説明される。そして、読者の姿を映し取った「鏡小説」(roman miroir)、「特別に難しい状況から出発した登場人物が、活力と巧妙さを大いに発揮 することを強いられ、人生最悪の窮状を脱出する」12 という「古典的図式」に則っ た物語、それとは反対に、希望のない終わりを迎えることで、「政治、家族、社会 のシステムの機能不全に関する一連の疑問を呈する」13 タイプの作品の三つに下位 分類される。次に②であるが、「社会参加型テクストとは、大抵の場合、(大半が現 代の)歴史と関わり、人類の狂気を暴き、記憶の義務や証言を自認するもの」14 で あり、例えば第二次世界大戦で困難を体験した作者が、自らの体験を伝えるため、
あるいは隠蔽されているものを告発するために書く作品のことである。③通過儀礼 小説は、「どうやってより大きくなるのか、どのような体験的学習とどのような通 過儀礼の試練の連続が、広い意味で、大人の年齢に移行することを可能にするの か」15といった内容を語る作品16 であり、その「最頻出テーマは、父の探索、社会
の拒否や受諾、家出、闘いに集中している」17 。そして④は、上述の3類型に含ま れないものを無理に集めたものではなく、むしろロバート・コーミアの作品の翻訳 を中心に、「思春期を対象としたレーベルの中に多数存在する」18 もので、「児童文 学における読者の期待の地平を修正する」19、「(読者たちを)驚かせ、質問を投げ かけ、予期していなかった視野を開き、戸惑わせる」20 という特徴を持った作品で ある。以上が、2003年時点における思春期文学の4類型である。当時はファンタ ジー作品は主流には含まれず、「真実の現実」という理念を掲げていた第1期同様、
第2期の思春期文学も現実を描いた作品が大多数であった。
それでは、「真実の現実」という思春期文学観もまた、同様に残存していたのだ ろうか。この問いに対する答えは、チュランによる①現実的テクストの概説から読 み解くことができる。チュランは、「現実的テクストは、思春期向けと言われてい るあらゆるレーベルの中に大量に見いだせる」21 ことから、「現実的テクストがこ の年代の読者に最も好まれるテクストの一角である」22 という考えに至りうると話 を切り出しつつも、しかし「その考えほど不確かなものはない」23 と断じている。
そして、若者の読書実践に関するミシェル・プティの研究24 に言及しつつ、「読者 は必ずしも自身の状況に対応するテクストを重要視するのではない」25 ことや、読 者と作品内容が近すぎることが引き起こすネガティブな反応を指摘している。この 記述は、「若者は自分自身を取り巻く現実を知りたがっている」という、第1期の 思春期文学の理念が持つ暗黙の前提に対する反駁である。のみならずチュランは、
「そのことがおそらく、扇動的性質や安直さに進んで身を委ね、(中略)1970年代 の初頭に栄光の時期であった、大抵こびている本が、今日、この年代の読者を対象 とした作品の流通から実質消えてしまった理由の一つである」26 と指摘し、この前 提に基づいた作品制作を、つまりは第1期の思春期文学の理念自体を、その失敗の 原因であるとしている。1970年代当時は、この理念自体には疑問は向けられず、
上手く現実を描けていないことのみが批判されていたが、2003年の時点では、前 提そのものを疑問視する動きが出現していたのである。
さらに、②社会参加型テクストも、「真実」がキーワードとして浮上していても 不自然ではないが、その役割は、「擁護しなければならない何かがあるという理由 で態度を表明している作者たちに、発言の機会を与える」27 作品であると規定され ており、厳しい体験をした作者の主観から出る発言の重みという観点に重点が置か れ、真実かどうかという観点はここでも後退している。思春期文学は「真実の現 実」を描くべきという暗黙の前提は、やはり崩れていると考えてよいだろう。
以上から、第1期の思春期文学観が、第2期の末には失われていることが確認で きた。思春期文学の実体としては、第2期の間も、第1期同様に現実を描く作品が
中心だったのが、理念の面では変化が生じている。よって本稿では、この分析を手 がかりに、1980、90年代の分析を通じ、第2期の理念が、いつ、どのように第1 期と異なっていったのかを明らかにしていきたい。
2 章 第 2 期のレーベルの実体史的側面とその理念
2章では、第2期の主要なレーベルの紹介を行う。この時期の主要レーベルは、
1章でも挙げたように、« Médium »と、« PB »である。ここでは、両レーベルと その関連レーベル、さらにSeuil社の« Pv »と« Fictions »を対象に、それぞれの 概要を確認した後、理念を検討したい。
1 節 « Médium » と « Majeur »
まず、これらのレーベルの中で唯一現在まで続いている、EDL社の« Médium » だが、その誕生の背景は入り組んでいる。同社は、1965年の設立以後、当初は幼 年向けの絵本などを中心に、その後1975年にフランス初の児童向けポケット判の 文庫である« Renard Poche »を創設するなど、新しい試みを取り入れつつ、順調に 成長してきた会社である。思春期を対象とした« Médium »と« Majeur »は、いず れも創設されたのは1986年だが、それ以前にも、1981年から1986年にかけて、
« Romans »、あるいは« Nouvelles et Romans »という区分で、思春期を対象に、30 冊ほどの作品を出版している。それらの作品が後に« Médium »の中で再出版され ているためか、« Médium »の創設年を1981年、あるいは1982年とする文献もあ るが、同時代の書評誌に« Médium »の名前が登場するのが1986年になってから であることから、正式にレーベルとして« Médium »が創設されたのは、1986年の ようである。また、« Médium »と« Majeur »は、同年に創設され、前者が現在ま で続いている一方、後者は30冊弱を出版した後に1992年には廃止され、作品の一 部はやはり« Médium »で再出版されている。このように、EDL社の思春期向け作 品の出版形態は、当初は入り組んでいたが、最終的には« Médium »に収束するの である。
これらのレーベルは、当初、EDL社の創始者の一人であるアルチュール・ユブ シュミットが編集を務めていたが、1989年に、当時« PB »の編集者であったジュ ヌヴィエーヴ・ブリザックが編集者として迎え入れられる。彼女によれば、招かれ た理由は、「アメリカ人作者を引き継ぐフランス人作家を見つけること」28であっ た。事実、EDL社の1980年代の作品は、ジュディ・ブルームやコーミアを中心
に、大半がアメリカの作品の翻訳であったが、1990年代に入り、より正確に言え ばマリー=オード・ミュライユの« Baby-sitter blues »が出版された1989年以降、
ミュライユやその妹のモカ、マリー・デプルシャン、アニェス・デザルト、ブリ ジット・スマッジャといった女性作家を中心に、フランス人作家が多く発掘され、
フランス作品の割合が上昇している。この点は、1997年に行われたブリザックの インタビューでも、« Médium »の15年の歴史における当初と現在の違いとして指 摘されている29。
2 節 « Page Blanche »
次に、児童書出版の最大手の一つであるGJ社による、« PB »を見ていきたい。
第一の特徴は、編集者の変遷である。立ち上げ時の編集者は、先述のブリザックで あったが、彼女は« Médium »の編集に携わるため、1990年10月に« PB »を去る。
その跡を継ぎ、同時期に« PB »で作品を執筆していた作家クロード・ギュッマン が、編集を引き継ぐこととなる。そして、ギュッマンもまた、1995年にSeuil社に
移って« Fictions »を立ち上げたため、ジャン=フィリップ・アルー=ヴィニョが
後任となり、2000年にレーベルが廃止されるまでその職に就いていた。よって、
同レーベルには3人の編集者がいた。
作品を見ると、1998年に体裁が代わるまで、縦長の判型で全巻の表紙をヤン・
ナッシンベンネが担当しており、外見上に第一の特徴がある。また内容では、全体 では、再販を含め166冊が出版されたうち、翻訳の作品が50冊強と、3分の2程 度をフランスの作品が占めていたが、ブリザックとギュッマンの時期に比べ、ア ルー=ヴィニョの時期はフランスの作品の割合が増加している。翻訳作品として は、英語圏の点数が一番多いが、様々な国の作品を幅広く翻訳出版している。ま た、アルー=ヴィニョの時代には、ミステリーを専門とした兄弟レーベル« Page
Noire »を立ち上げたことも特色と言えるが、長くは続かず、« PB »と同時に終わ
りを迎えている。
また、読者対象としては、« PB »を雑誌で紹介したマリー=フランソワーズ・ダ ルティッグが、興味深いが難しい点もある同レーベルの作品に対し、誰向けのもの であるか自問し、「当然、良い読者向けのものである」30 と即答しており、読書の 苦手な「悪い読者」が中心対象であった第1期のレーベルとの違いがある。この意 見は、図書館員アニー・ボワイエが、「難しすぎる」という若者の意見を紹介しつ つ、「これらは、とはいえ良い作品である。しかし、ある程度の教養と、そして当 然助けを必要とする本である」31 と述べ、「結論として、レーベル« PB »の本は、
どちらかと言えば、良い読者を対象としているようである」32 と結論づけているこ とで補強されている。
3 節 « Pv » と « Fictions »
最後に、Seuil社でそれぞれ1981年と1995年に創設された2レーベル、« Pv » と« Fictions »を取り上げる。前者は、Seuil社のポケット判レーベル« Points » の一つとして、より年齢の高い思春期層に向けて創設された。初期の作品は、若 者の一人称で書かれた小説が中心だったが、後には、若者言葉の辞典などを含む
「Point virguleの辞典」シリーズを作るなど、小説以外の若者向け著作が増加して いる。よって、思春期向け小説のレーベルという色合いが強かったのは、1990年 代初頭までだったようである。
一方、« Pv »の方向性が変わる時期に、入れ替わるように思春期向け小説のレー ベルとして創設された« Fictions »33 は、先述のギュッマンを編集者として、5年 間の間に50冊ほどの作品を出版している。このレーベルは、フランス人による作 品が大半を占め、翻訳作品も英語からのものがほとんどないという点が特徴であ る。この特徴は、Seuil社から« Fictions »と入れ替わるように創設されたレーベル
« Karactère(s) »(2000-)にも受け継がれている。
4 節 3 レーベルの理念
続けて、上述のレーベルのうち、« Médium »、« PB »、« Fictions »の三つを取り 上げ、これらがどのような意図を持って生み出されたのかを明らかにする。この3 レーベルは、上で見たように編集者の相互関係が深く、« LJ »誌においても、この 3レーベルを中心的に取り上げた特集記事が2度書かれているなど、第2期を代表 するレーベルとして同時に名前が出ることが多い。そして、ブリザック、ギュッマ ン、アルー=ヴィニョの3人の発言にはいくつかの共通点があるため、その論証を 通じ3レーベルの理念を明らかにしたい。
« LJ »誌の第83号には、この3者に対しほぼ同様の質問をするという試みがさ
れている。まず、レーベルの精神は何かという質問に対し、ブリザックは「自由 と多様性」34と、ギュッマンは« Fictions »の精神について、「文体と主題の、最大 限の多様性の中で作家たちに与えられた優先権」35 と述べており、どちらも「多様 性」に重きを置いている。一方、アルー=ヴィニョは« PB »の精神を「質と同時
代性」36 と答えており、この点では異なっているが、自身の編集方針を聞かれた際
には「レーベルが扱うテーマとジャンルの領域を広げること」37 を目指していると 答えていることから、彼も「多様性」を目指していることが読み取れる。よって、
「多様性」が彼ら3人の第一の共通点であると考えてよい。
次いで、思春期文学が持つ役割に関する意見にも、共通点が見られる。アルー= ヴィニョは、若者に伝えたいことは何か、という質問に対し、「若者を待ち受ける 世界のイメージ」38 と答え、「本によって、思春期の若者は、自身を取り巻く世界 の複雑さの手ほどきを受けることができる」39 と述べている。ギュッマンもまた、
同じ質問に対し、「広い意味での、若者たちの世界への見方、しかし若者たちが自 身の世界を構築するのを可能にする見方」40 と答えている。つまり、いずれも、思 春期文学によって若者に世界の見方を伝え、世界との関わり方を体得していく助け になるという意図を示している。ブリザックも、自分が求めている本は、「若者に とって難解でくすんで見えることの多い世界に意味を与える本」41 であるとしてお り、思い描いている役割は近しい。
一方、アルー=ヴィニョが« PB »の精神として挙げた「同時代性」は、この レーベルの最初の編集者であるブリザックによる定義、「思春期の若者に、彼らの 迷いと、彼らの情熱について話す、今日的な小説」42 や、レーベルが作られた当初 の宣伝文句にある、「若者たちに、彼らが探し、望み、恐れ、知らずにいることを 話す、活気ある今日的小説」43 という文面からも読み取ることができる。よって、
同時代性は« PB »の一貫した理念であったと考えられ、もう一つの共通点と言え るだろう。
これらの共通点をあわせた思春期文学観とは、現代の多様な世界の描かれ方を提 示することで、若者自身が世界に向き合っていく能力を獲得するのを助けるという ものだと言える。ここからは、「真実」という定まったものを若者に提示するとい う立場の第1期から、むしろ触媒的な立場として、若者を触発していく思春期文学 へと変化した様子が読み取れる。よって、第2期の思春期文学は、少なくとも出版 側の理念としては、第1期との相違が生まれていたと言える。
3 章 作品の受容
では、これらのレーベルは、読者の側からどのように受容されていたのだろう か。そして、第1期には「真実の現実」が描かれているかどうかが思春期文学の評 価基準であったが、第2期ではその基準に変化が起こったのだろうか。ここでは、
« LJ »誌を中心に、時期を区切りながらレーベル、作品の評価を読み解き、受容者
側の思春期文学観を明らかにしていく。
1 節 「真実の現実」の継承:1980 年代半ばまで
まず、« Pv »が誕生し、« Médium »と« PB »が誕生するまでの、1980年代半ば までの時期を見ていく。« LJ »誌では、« Pv »が創設されてから約1年後の1982年 7月号で、同レーベルの特集を行い、以下のような概要説明をしている。
それ[=« Pv »]には、その新しさと、若者の話し言葉により近い本を探求し
ている点を評価しているファンがいる。その話し言葉によって、若者はくつ ろぎ、その言葉が自分たちのものなので読むのが容易になる。しかし、それ
[=« Pv »]にはまた中傷者もおり、彼らは、(悪い)話し言葉と、若者の心に触
れ、若者が自分に近しいと感じる現実とに近すぎるテクストを評価していな い44。
ここでは、「話し言葉」とともに、「現実」が評価のキーワードの一つであるこ とがわかる。そして、この引用からは、「現実に近いこと」がむしろ評価を下げ ることにつながっており、「真実の現実」を重視するという評価基準と相反するよ うに見えるが、そういった基準を持つ人に対し、「中傷者、誹謗者」を意味する
« détracteur »という単語を用いていることから、文章の書き手はその「中傷者」
の基準に同意していないことが伺える。
さらに、その後何人かの編集委員がそれぞれ意見を述べる中で、唯一作品間の 比較を行っているF.ブルディエによれば、最も良い作品はカラミティ・ジェーン の « Lettre à sa fille »であり、その理由は、この作品が「最も真実であり、最も作 為的でない」45 からというものである。ここからも、この時点での« LJ »誌におけ る思春期文学の評価基準に、第1期の基準であった「真実の現実」が生き残ってい ることがわかる。
そ し て、 こ の 傾 向 は« Pv »に 関 す る 評 価 だ け に 留 ま ら な い。EDL社 の
« romans »の特集の中でも、「真実性」がキーワードとして挙げられている。同特
集では、多く翻訳されているジュディ・ブルームの作品が中心的に取り上げられ、
説明されている。その中で、「立派な文学作品が語られているのではなく、『真実』
の、思春期の感覚にとても近い小説が語られている。関心事と会話が、真実味を与 えているのである。」46と、ブルーム作品の性質を述べている。また、中学生の作 品感想を考察した文章の中でも、トニー・ベントリーの« Saison d’hiver »を取り上 げ、「とても『真正』で、とても『現実的』に思える、ダンサーの日記であり、そ れは私たちに、とても閉鎖的なある世界の鏡を、本当の問題とともに提示してくれ
る」47 と紹介しつつ、評価をしている。ここからも、やはり「真実の現実」は評価 基準として存続していることが読み取れる。第1期の基準は、少なくとも第2期の 初期段階においては、残っていたと言えるだろう。
2 節 「真実の現実」から「鏡小説」へ:1980 年代後半から 1990 年代半ばまで
しかし、1987年に書かれた« PB »の特集では、この傾向に変化が見られる。レー ベル紹介を担当したダルティッグは、初期作品を3タイプに分類している。第一 は、「母親と祖母が、子どもや孫に人生の手ほどきをする」48というタイプで、第 二は「主人公たちを解放の途上に置くが、そこでは彼らは完全に孤独で、彼らを取 り巻く世界は下劣である」49 という「通過儀礼小説」である。この二つは、1章3 節で述べたチュランによる2000年頃の分類の、③通過儀礼小説と対応している。
一方第三のタイプは、 現代的状況の中で個人的困難に立ち向かう若者主人公を描い た、「鏡作品」(ouvrage-miroir)と名付けられたタイプである。これは、チュラン の分類の①現実的テクストに対応していると言える。
そのうち、第三のタイプには、当然「現実」というキーワードが関係してくる が、「真実の現実」が重要であるという第1期の思春期文学観は、継承されていた のだろうか、既に姿を消していたのだろうか。その問いについて考えるため、こ
の« PB »の紹介と、チュランの分析とに共通するキーワードである、「鏡作品」あ
るいは「鏡小説」50 の意味を読み解いてみたい。なお、この言葉の« LJ »誌におけ る初出は、この記事ではない。その3号前の第39号における記事51 に、« roman-
miroir »という言葉が説明されつつ用いられているほか、先に引用した第32号の
« romans »の特集にも、« miroir »という単語のみだが、同じ意味で使われている。
よってこの用語は、1980年代半ばになって、徐々に用いられるようになってきた 用語と言えるだろう。
そして、第39号での説明によれば、「鏡小説」とは、「読者に、自分自身の反映 である若者主人公を提示する」52 小説である。この説明に対し、「現実」というキー ワードは、若者の現実を映し出す「鏡小説」という形で生き残っているのではない かと考えることも可能であろう。確かに表面上は、両者はほぼ同義なようであり、
単なる言い換えのようにも見える。
しかし、「真実の現実」を描く作品と「鏡小説」とは、本質的には異なる。
« romans »の特集では、« miroir »という単語を用いた後に、「あの有名な『小説と
は、道に沿って行く鏡である』」53 という、17世紀の文学者サン=レアルの言葉で あり、スタンダールが『赤と黒』の中に引用したことで知られる一節がある。ここ
でイメージされる「鏡」とは、決して社会全体を一時に映し出す固定的なものや、
真実を映し出す「魔法の鏡」ではなく、むしろ、歩みとともに映るものが刻々と変 わっていく、流動的なものである。「鏡小説」という用語には、このイメージが背 景として共有されており、「真実の現実」という、一つにしか定まらないものを映 す鏡という意味で用いられているのではない。思春期文学の鏡が映し出すとされて いるものは、その時代ごとに多様な、移り変わりの激しい若者の姿なのであり、そ の中での「今日性」こそが重要だと言える。« PB »の特集記事では、先述の通り、
「今日の若者」や、「現代的状況」といった表現がされていることからも、「今日性」
が重要視されていることがわかる。普遍性を持った「真実の現実」を描くという第 1期の思春期文学観は、「今日性」を持った若者の現実へと、表面上は小さく、し かし本質は大きく形を変え、継承されたと考えてよいだろう。
ただし、これはすぐさま「真実の現実」という理念が消え去ったことを意味す る訳ではない。1993年の« LJ »誌第66号における、Syros社の新規レーベル« Les
Uns les autres »(1992-)の特集では、「あらゆるところの、あらゆる国の、あらゆ
る時代の若者が、(中略)人生における事件に立ち向かう方法」54 を提示している という、普遍的な若者のあり方がテーマであるという言及と、「(若者主人公の)全 員が、現代の社会の現実と対峙している」55 という、今日的現実に関わる主人公を 描いているという言及とがあり、普遍性を持った「真実の現実」と「今日的現実」
の二つが共在している。よって、「真実の現実」から「今日性」への移行は、なに かをきっかけとして一時に起こったことではなく、1980年代後半から1990年代前 半にかけて、時間をかけて起こったのだと考えられる。
続けて、「鏡小説」の評価を確認したい。まず、« LJ »誌第60号に掲載された、
セルジュ・レンツの« Les Années-Sandwiches »に対する書評では、全体的に肯定的 なコメントの後に「この本は『鏡の本』であり、その中に自分を投影することとな る読者たちもいる」56 という言及がされている。また、第61号におけるブリジッ ト・スマッジャの« Billie »に対する書評でも、「« Billie »は、『鏡の本』であり、
確かによい『鏡の本』であるが、それに加え、この本に向き合うと、若者が自らの 人格を鍛え上げることを、どの点において助けられるのかという疑問を、自問自答 することをやめられなくなる。」57 と述べられており、いずれも「鏡小説」が持つ 特性を肯定的に捉えていることがわかる。さらに、第78号のSFの特集では、SF の特徴が現実と距離を置くことであると指摘しつつ、結果、SFの中には「思春期 に親しまれる『鏡小説』」58 が見い出しがたいと述べられており、「鏡小説」を思春 期の若者に近しいものと位置づけている。
以上をまとめると、1980年代後半から1990年代半ばにかけて「真実の現実」と
置き換わっていった「鏡小説」は、少なくとも2000年頃までは肯定的な評価につ ながっていたと言える。そして、第2期の評価基準が第1期のものとは違うものと 変化することで、思春期文学観もまた、「真実の現実を描くもの」から「若者の今 日的な現実を描くもの」へと変化していったのである。
3 節 「通過儀礼小説」:1980 年代初頭から 2000 年頃にかけての変化
2節で扱った« PB »の特集では、「鏡小説」に加え、「通過儀礼小説」(roman
initiatique)についても言及されていた。そして、2000年頃にはすでに、「通過儀
礼小説」は、「鏡小説」とともに、思春期文学の中心要素の一つと考えられるよう になっていることが、« LJ »誌第83号の、大人向け文学の中の思春期向け作品を 論じた記事の中の、「思春期文学の二つの主要な役割、すなわち若者に逃避をさせ ることと、自身が経験している危機を解決させること。この解決は、正反対の二つ の面で起こる。すなわち、鏡小説による現実のレベルと、通過儀礼小説における象 徴のレベルである」59という指摘や、第95号に案内が掲載された研修会のタイト ル「思春期文学:鏡小説から通過儀礼小説まで」60 から読み取れる。よってここで は、思春期文学の議論での「通過儀礼小説」の使われ方の分析を通し、思春期文学 観のもう一つの側面を読み解きたい。
「通過儀礼小説」という用語が、« LJ »誌で初めて用いられたのは、第19号にお ける、« Plein Vent »兄弟レーベル« L’âge des étoles »(1977-1982)の特集記事であ る。その中で、何作かの作品のテーマとメッセージがまとめられた後、「より一層 重要なのは、主人公による探求それ自体であり、自身のアイデンティティの探求で ある。通過儀礼小説について話すことができるのは、この次元においてである」61 と言及がされている。つまりここでは、「通過儀礼小説」は、自身のアイデンティ ティの探求に重きを置いた作品であると捉えられている。一方もう一つの特徴とし て、「主要登場人物は、その冒険の終わりに、(中略)他者と自分自身の真実に至 る」62と述べられており、第1期の思春期文学観の影響が読み取れる。「通過儀礼 小説」という概念もまた、1980年代初頭の段階では、最終的に「真実」に至るた めのものとして想定されていたのである。
その後、1980年代の« LJ »誌では、「通過儀礼小説」や周辺の用語を、明確な定 義をせず用いるようになる。例えば、第23号の、ミシェル・グリモーの« Le jour
du Gombo »の書評における「通過儀礼の試練を耐え忍ばなければならない若者」63
といった表現や、第27号における、ジゼル・ビエンヌの« Bleu, je veux »の書評で の、「悲痛な美しさと、真正の内面の真実を持った通過儀礼小説」64 という評価、
第33号でのナディーヌ・ギャレルの« Les Princes de l’exil »に対する、「美しく、力 強く、厳しい、13歳以上に好まれるであろう通過儀礼小説」65 というまとめなど である。これらの言及の中では、「通過儀礼小説」とは何かという議論はされず、
単純に「通過儀礼」という言葉が用いられているのみである。この傾向における唯 一の例外は、「この、落とし穴と発見の散りばめられた、通過儀礼的探求は、主人 公を、自身の根源と、そして母親の発見に至らせる」66 と述べられている、第39 号でのアン・ホルムの« David, c’est moi »に対する書評である。ここでは、「通過 儀礼」の役割が、自身のアイデンティティの発見と想定されており、第19号の定 義との差異は見られない。よって、「通過儀礼小説」という言葉は、1980年代初頭 から、1990年後半まで、表立った定義の議論はされず、結果、少なくとも1980年 代後半までは定義に大きな変更が加えられることがないまま、思春期文学のある一 領域を示す言葉として使われていたと考えることができる。
それでは、第83号では、「通過儀礼小説」はどう論じられているのだろうか。ま ず、3レーベルを対象とした論考では、若者の話者が多い理由として、「これらの 小説の大半は通過儀礼の物語であり、子ども期から成年期へ、物語を活気づける試 練を通じて移行する物語であるから」67 なのだと指摘している。よって、ここでの 通過儀礼とは、子ども期から成年期への、試練を通じた移行のことを指している。
そして、先に取り上げた、大人向け文学の中の思春期向け作品を論じた記事の中で は、「鏡小説」の議論の後に、以下のような文章で「通過儀礼小説」の議論が始ま る。
鏡小説の中に現れるような、自身と世界の認識は、限定されている。通過儀 礼小説は、思春期の若者に自身の限界を認めさせつつ、大人になることは、取 捨選択をする年代に入ることであり、曖昧な立場に終止符を打つことであるこ とを、象徴的に強調している68。
ここからは、「通過儀礼小説」の持つ役割が、「鏡小説」と相互補完的な、若者に
「思春期」という曖昧な立場を終え、大人になることを伝える役割であるとわか る。また、別の箇所では、大人になるための「試練」の内容について、「思春期の 若者は、そのことごとくが象徴的な死にあたる、かなりの数のつらい試練を通過し ないといけない。最もつらい試練は、子ども期の無垢を喪失することであろう」69 と述べている。つまり、無垢の喪失を含めた、数々の象徴的な死を通じ、思春期か ら成人へと至ることが「通過儀礼」であり、それを若者に伝えていく作品が「通過 儀礼小説」なのだと考えられている。
以上のことから、「通過儀礼小説」は、1980年代初頭と1990年代後半の定義で は、2点の変化があることがわかる。1点目は、「冒険」から「象徴的死を含む試練」
への、通過するべき対象の変化であり、2点目は、「真実」、あるいは「自身のアイ デンティティ」から「大人」への、通過した後の到達対象の変化である。このう ち、1980年代初頭の定義に関しては、「冒険」は第1期の作品には冒険小説が多かっ たことから、「真実」は第1期の思春期文学観から、背景が理解できる。それでは、
変化後の「象徴的死を含む試練」や「大人」の背景は何であろうか。
その理解には、1990年に行われたギュッマンのインタビュー70 が助けになる。
彼は、読者対象である思春期とは何かと問われたのに対し、生物学的側面と学校 教育の側面からの議論を提示した後に、精神分析の側面を取り上げる。そして、
児童精神分析家として著名なフランソワーズ・ドルトが、« Paroles pour adolescents
ou le complexe du homard »71 の中で用いた思春期のメタファーを、「大人になるため
に殻を脱ぎ変えようとして、脱皮の時期には極めてもろい、オマール海老のメタ
ファー」72 とまとめている。つまり、思春期を、大人に至るための困難を伴う移行
期と捉えている。
ドルトの著作は、1章3節で分析したチュランの記事での「通過儀礼小説」の概 説にも参照され、以下のようにまとめられている。
思春期の若者は、自身の子どもの皮を後ろに残しながら、成熟に向かって ゆっくりと前進している人である。彼に提示されている通過儀礼小説は、どう やってより大きくなるのか、どんな体験と、どんな通過儀礼の試練の連続に よって、より広い意味で、成人期に至ることができるのかを語っている73。
いずれもドルトのメタファーを参照しているため、ギュッマンとチュランの思春 期像は重なり、さらに、通過儀礼を「象徴的死を含む試練」を通じて「大人」に至 るものと考える、1990年代後半の「通過儀礼小説」の定義もまた、重なっている。
よって、先に指摘した「通過儀礼小説」の定義の変化は、ドルトの影響が思春期文 学観に徐々に浸透してきた結果であり、その変化の時期は、「鏡小説」の場合同様 明確に特定できないが、おそらく1990年代半ば頃に起こったと考えられる。
議論をまとめると、「通過儀礼小説」とは、第2期の初期に論じ始められた頃に は、第1期の思春期文学観の影響から、「真実」にたどり着くためのものであった が、ドルトの思春期観の影響を受け、「象徴的死を含む試練」を通じて「大人」に 至る過程を描く作品へと、1990年代半ばに変化したのである。そして、2000年頃 には、「鏡小説」と相互補完的な役割を持つ、思春期文学の重要な一要素となった
のである。
4 節 分析のまとめ
3章全体の分析をまとめ、2章で述べた出版側の理念との対照を行いたい。1章 で提起した問題とは、第1期の思春期文学観は、第2期の終わりにはなくなってい ることが確認できるが、それは第2期の間のいつ、どのように起きたのかという疑 問だった。3章での分析の結果、「真実の現実」という思春期文学観は、第2期初 頭には継承されていたが、1980年代後半から1990年代前半にかけて「鏡小説」と いう概念に置き換えられることで、徐々に薄れていったことが明らかになった。ま た、第2期の初期には「真実の現実」という思春期文学観に影響を受けていた「通 過儀礼小説」概念も、1990年代に入ると、精神分析の影響から内実を変えていき、
第1期の思春期文学観の影響はここでも失われていった。そして、1990年代後半 には、「鏡小説」と「通過儀礼小説」が、現実と象徴という相互補完的立場から、
思春期文学の中心要素になっていったのである。
この変化と出版側の理念を対照したい。第2期の重要な3人の編集者の理念は、
「多様性」と「今日性」、そして「世界の見方を伝え、世界との関わり方を体得さ せる」という3点にまとめられた。そのうち、「多様性」と「今日性」は、唯一の
「真実の現実」から、現代的で多様な若者のあり方を反映する「鏡小説」へと移行 した点と呼応しており、「世界との関わりを体得させる」という理念は、「大人」世 界に参入させる通過儀礼小説と近しい。さらに、「真実の現実」のみに集約されて いた思春期文学の基準が、「鏡小説」と「通過儀礼小説」に分化した点も、「多様 性」への一歩と言えよう。出版側の理念が達成されたのか否かは、より精密な議論 が必要ではあるが、第1期同様第2期においても、出版側と受容者側の思春期文学 観は大きな相違を生じさせず、同じ方向を向いていたと考えられる。よって、以上 をもって、第2期のフランスにおける思春期文学観であるとまとめられる。
おわりに
本稿では、フランス思春期文学の第2期にあたる1980、90年代の、思春期文学 の実体と観念を明らかにした。この時期は、現在活況にあるフランス思春期文学 の、直接の根幹の時期であるため、この分析は、フランス思春期文学の全体像を理 解するための重要な一部であり、大きな価値を持つ。
今後は、本稿の分析をふまえ、第3期である現在の思春期文学観を明らかにする