卒業生の近況報告 スクールカウンセラーとして石 巻で一年勤務して
著者 上西 さよ子
雑誌名 東京家政大学附属臨床相談センター紀要
巻 14
ページ 61‑63
発行年 2014‑03
出版者 東京家政大学附属臨床相談センター
URL http://id.nii.ac.jp/1653/00010088/
東京家政大学附属 臨床相談センター紀要 第14集
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卒業生の近況報告
スクールカウンセラーとして石巻で一年勤務して
上西 さよ子
1 2011
年 3 月 11 日のあの日、私は立川児童相 談所(以下、児相)に居た。突然、床の下から ドンと突き上げるような揺れがあった。後に 言う東日本大震災だ。この時は、この地震が 日本に、東北地方にいまだかつてないほどの 被害をもたらし、福島第一原発をも破壊した 巨大地震だとは思っていなかった。この日、
JR は終日止まったままで帰宅難民となった。 TV を見ると、地震の大きさ、被害の大きさはこ れまで見たこともない程で、その映像に声も 出なかった。それからというもの被災地で心 理的ケアが必要とされていると聞き、直ぐにで も何かお手伝いしたい気持ちだったが、現実 には日常の職務があり、家庭もありなんとも 身動きの取れない状況だった。しかし、任期 付で入った児相である。延長しなければ 2012 年 3 月で任期満了となる。2011 年夏には家にい た最後の子どもが結婚をして家を出た。職務 からも家庭からも縛りはない。そう思った私 は 2011 年冬には次年度は被災地で働こうと決 めていた。原発事故の影響もあり、震災の被 害も大きい福島に行こうと思っていたが、紆 余曲折があり結局、宮城県のスクールカウン セラー(以下、SC)になり、週 4 日の石巻勤務 が決まった。小学校 2 校、中学校 2 校(SC 二人 体制)を担当。1 校は牡鹿半島の大原小学校(以 下、大原小)で全校生徒 27 名。仮設住宅の児童
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せたがやホッと子どもサポート
が多く、中には家族を亡くした児童もいた。
もう 1 校は釜小学校(以下、釜小)で、27 名の児 童が命を落とした。大原小の全児童と同数の 児童が釜小でも亡くなっていた。石巻では大 川小に次いで被害が大きい小学校だった。家 族を失った児童もいる。近くを走る国道 45 号 線が防波堤のようになり南と北で被害が大き く違う。釜小側は大きな被害が出た。石巻地 区では一番大きな小学校で、この時 484 人在籍 だったが 100 人以上が転出した。震災時に対応 した養護教諭は心の傷が癒えずにいた。普段 は気丈だったが、保健室で二人きりで話して いると涙があふれて止まらない。私が初めて 勤務した時は、亡くなった児童を忍んで校庭 に 27 本の桜の木が植えられたばかりだった。
中学は石巻駅からほど近い住吉中(以下、住 中)。ここの 3 年学年主任の先生が福山雅治氏 のラジオ番組のリスナーで福山氏自身が震災 直後の 6 月にこの中学を訪問支援している。よ って生徒たちは全員が福山雅治氏の大ファン。
被災地では多くの芸能人が支援していたが、芸 能人パワーは絶大で被災者への大きな励まし になっていた。中学は 1 階部分が浸水し、翌日 の卒業式を控えた体育館は大量の土砂に埋め 尽くされたという。もう 1 校は万石浦中(以下、
万中)。直接の被害は免れたものの、地域の中
ではどこでも学校が避難所となったため、こ
こでも先生方が中心となり支援物資の配布な
どの対応をした。地域性と直接被害がなかっ
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たことで物資が集中し学校へ避難した人ばか りでなく地域支援もあり先生方のご苦労があ ったようだ。生徒の中には床上浸水、仮設住 まい、親せきが亡くなったなどの生徒がいた。
この学校で写真療法をしていたのが東京家政 大学非常勤講師の庄司博彦先生です。
平成 24 年 4 月 16 日大原小 1 回目の勤務を皮 切りに、新幹線通勤、週 3 日のホテル住まいの 1 年が続いた。大原小は月曜勤務で朝一番(6:04 発)の新幹線に乗り仙台の 1 つ先の古川まで行 く。そこから陸羽東線で小牛田へいき、小牛 田から石巻線で石巻へ行く。駅からはタクシ ーに乗る。駅から徒歩圏内の住中以外はタク シーを利用する。まだ石巻線など不通の箇所 が多いためタクシー以外交通手段がなかった。
石巻駅から大原小までは約 1 時間。大原小まで の道のりで、初めて目にする被災地は、更地に 土台だけが残り、その上に草が茂っていた。と ころどころ被災当時の家屋が点在している。
運転手さんが被災前、家屋が道路の両脇にずっ とあった様子を話してくれるが、想像できな い。牡鹿半島の状況は各港壊滅状態、1 カ所だ け免れたところが侍浜。奇跡的だ。全てが破壊 された中で防波堤に描かれた子どもたちの絵 だけが目立つ。普段は穏やかな美しい海だ。
大原小のすぐ近くが衆議院議員 安住淳氏の生 家。地元の誇りで知らない人はいない。大原 小には多くの支援があった。ワタナベエンタ ーテインメントは定期的に訪れ、お笑い芸人 たちが子どもたちの心を和ませていた。物心 両面の支援が沢山あり教頭は時間割の調整、
物資の配布などが仕事の一部になっていた。
ここでは支援物資について考えさせられた。
送る人の気持ちではなく、何が必要かを聞い て必要なものを送る、受け取る側に配慮する
ことが大切だと感じた。放課後になると児童 が職員室に先生を誘いに来る。先生も遊びの メンバーだ。私も誘われてサッカーをした。児 童の多くが仮設住宅でスクールバス通学して いたが、皆が帰ったあと保護者がお迎えに来 るまで学校で待っている姉妹がいた。私は、
時間があれば必ず教室へ行き二人と遊びなが ら一緒にお母さんを待った。学校にいる子ど もたちは普段はとても明るく元気だったが、
時に被災当時の心の傷が癒えず、余震も多い ことから津波の不安に怯える児童もいた。牡 鹿では余震で地鳴りがする。「ゴーッ」という 音とともに地面が揺れる。大震災の震源は確か、
牡鹿半島東南東 130km 地点。 6 月末、3・4 年生 は、ふるさと学習で地場産業のわかめを使っ た「わかめクッキー」を作ることになった。試 作として 3 年の男性教諭がクッキーを作ってみ たが今一つだという。私は、東京家政大でお 手伝いできないかと思いその教諭にお話しし た。すると是非にと請われ、早速、心理カウ ンセリング学科の教授近喰ふじ子先生にお願 いの電話をした。すぐに栄養学科の教授中村 信也先生をご紹介して下さり、東京家政大学の 栄養学科の学生たちが協力することになった。
母校の教授の諸先生方が卒業生の話を聞いて 快く引き受けて下さり、とんとん拍子に話が進 んでいくことがとてもうれしかったし、誇り に思った。大勢の協力で「ふっこう みんなな かよし わかめクッキー」が出来上がり、11 月 17 日に児童たちの手によってみやぎ生協石巻 大橋店で 500 個が限定販売された。即完売だっ た。子どもたちは大喜びだった。私にとっても うれしい出来事だった。大原小では先生方が きめ細かく児童・保護者に対応していたこと、
また、保護者にとって SC に相談するというこ
上西 さよ子