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Vol.66 , No.2(2018)057安達 高明「『摂大乗論』「清浄法による法身の摂持」の一考察」

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(1)

印度學佛敎學硏究第66巻第2号 平成30年3月 (144) ― 831 ―

『摂大乗論』「清浄法による法身の摂持」の一考察

安 達 高 明

1.

 はじめに

無著(Asaṅga)作『摂大乗論』(Mahāyānasaṃgraha,以下MSg)第X章(「彼果智分」)

第7節は法身が六種の仏法によって〈摂持〉(bsdus pa, *saṃgṛhīta)されることを説 く.六種の仏法のうち第一のものが清浄法(清浄仏法)である2)

MSg 10.7.1[D 38b3; P 45a1]: sangs rgyas kyi chos rnam par dag pas ni kun gzhi rnam par shes par gyur nas chos kyi sku thob pa i phyir ro //「仏陀の清浄な法によって〔法身は摂持される〕.なぜ ならアーラヤ識の転回にもとづいて法身を獲得するからである」 本稿の目的は,この箇所に関する真諦訳・ 多共行矩等訳・玄奘訳の世親釈 (チベット訳は欠落)および玄奘訳・チベット訳の無性釈を比較考証することによ り,アーラヤ識論における「清浄法による法身の〈摂持〉」の意味するところを 明らかにすることである.

2.

 真諦訳世親釈

P-Bh 254c09: 不爲顯攝法身體故爲此問.爲顯攝法身證得故爲此問.「法身の体を摂すること を顕わさんが為の故に,此の問いを為さず.法身の証得を摂することを顕わさんが為の故 に,此の問いを為す」 真諦訳によれば,「清浄法による法身の摂持」によって意図されるのは,清浄 法による法身そのものの摂持ではなく,清浄法による法身の証得の摂持であり, 清浄法がいかに法身の証得を可能ならしめるかが「幾種の仏法によって法身が摂 せられるのか」という問いの真意である.よって真諦訳は以下のように述べる. P-Bh 254c14: 滅不淨品盡,證得法身名爲清淨法.「不浄品を滅し尽くして,法身を証得する を名けて清浄法と為す」

(2)

(145) 『摂大乗論』「清浄法による法身の摂持」の一考察(安 達) ― 830 ― P-Bh 254c16: 對治起時,離本識不淨品一分,與本識淨品一分相應,名爲轉依.「対治起る 時,本識の不浄品の一分を離れ,本識の浄品の一分と相応するを,名づけて転依と為す」 真諦訳によれば,「清浄法」とは不浄品を滅し尽くし,法身を証得せしめるも のであり,転回の根拠である.この転回によって法身が証得される.このことが 以下に具体的に説示される. P-Bh 254c19: 由此轉依,金剛道後證得法身.滅徳以外其餘諸徳名清淨法.是證得類故名清 淨類法.「此の転依に由りて,金剛道の後に法身を証得す.滅徳以外の其の余の諸徳を清 浄法と名づく.是れ証得の類なるが故に清浄類の法と名づく」 清浄法とは法身が備える二障の滅という功徳を除いた諸々の功徳である.その 功徳は仏陀の証得に基づくもの(證得類)である.そして菩 は第十地の最終段階 において金剛心を起こし,あらゆる煩悩障と所知障を断ずる.この時,金剛心は 滅し,菩 の第十地という依り所(依止)が仏陀の依り所(仏地)へと転回する. これが「証得」である.そしてこの証得によって得られるのが清浄法である.

3.

  多共行矩等訳世親釈

G-Bh 314c14: 轉何法故,得此法身.阿梨耶識轉已得法身故者.謂得法身及清淨故.此法身清 淨.名清淨攝.「何なる法を転ずるが故に,此の法身を得るや.阿梨耶識を転じ已りて,法身 を得る故にとは,謂わく法身及び清浄を得るが故に.此れ法身清浄なり.清浄の摂と名づく」 法身を得ることと清浄を得ることとは異ならない.法身は清浄であるから, 「清浄法による法身の摂持」が成立することが言われている.「清浄の摂」とは 「清浄法による法身の摂持」のことであるから,清浄法により清浄なる法身が摂 持される.

4.

 玄奘訳世親釈

H-Bh 372c18: 由清淨者,謂由清淨佛法攝持法身.如是法身證得,清淨由轉何法.謂轉阿頼 耶識得法身故者,謂轉滅彼阿頼耶識得法身清淨.即法身清淨.説名清淨.「 清浄に由る とは,謂わく清浄仏法に由りて法身を摂持するなり.是の如き法身の証得,清浄なるは何 れの法を転ずるに由るや. 謂わく,阿頼耶識を転じて法身を得るが故なり とは,謂わ く彼の阿頼耶識を転滅して,法身清浄を得.即ち法身清浄なり.説いて清浄と名づく」(衞 藤[1933: 181]「法身の清浄を得」および勝呂・下川邊[2007: 337]「法身の清浄なるを得」 に代えて「法身清浄」と訓読することを提案する.法身は清浄である.なお,MSg VIII.13

(3)

(146) 『摂大乗論』「清浄法による法身の摂持」の一考察(安 達) ― 829 ― に示されるように初地において得られる法身にはなお未清浄のものが残る.) 玄奘訳も,法身と清浄を同定している.

5.

 玄奘訳無性釈

H-Ub 438c26: 由清淨者,謂由清淨佛法攝持.法身自性.以其法身體清淨故.「 清浄に由る とは,謂わく清浄仏法に由りて摂持す.法身自性なり.其の法身の体清浄なるを以ての故 なり」(衞藤[1933: 426]「謂はく清浄に由りて,仏法は法身の自性を摂持す」に代えて「謂 わく清浄仏法に由りて摂持す.法身自性なり」とする訓読を提案する.) H-Ub 438c29: 由阿頼耶識執持一切雜染種子,對治起時轉滅如是一切染種,轉得隨順一切無 罪圓滿功徳.譬如世間阿掲陀藥,能變有毒令成無毒.故説名轉.「阿頼耶識は一切の雑染 の種子を執持するに由り,対治起る時に是の如き一切の染種を転滅し,一切の無罪に随順 する円満なる功徳を転得す.譬えば世間の阿掲陀薬の,能く有毒を変じて無毒を成ぜしむ るが如し.故に説いて転と名づく」 無性は「清浄仏法による〈摂持〉」を「自性による摂持」と理解する.清浄な る仏法は法身の本質である.そのようにいえるのは法身が清浄だからである.こ の清浄仏法は,MSg X.5に対する無性釈によれば,アーラヤ識が転回によって得 られる大円鏡智のことである. 玄奘訳にはチベット語訳にはない「転滅」と「転得」という対概念の使用が見 られる.雑染の種子の対治が病やさまざまな悪毒を除く万能薬であるアガダ薬に 喩えられる.アガダ薬の譬喩は多くの経典や論書に見受けられるが,ここにおい ては雑染の種子の対治として雑染の種子を断滅し,清浄な法身を獲得せしめると いう転回の構造を示すものである.アガダ薬の譬喩と「転滅」と「転得」の対概 念はいずれもMSgに特徴的な二分依他の思想を表すものとして重要である.ア ガダ薬の譬喩はMSg I.46(T vol. 31, 394c7)に対する無性釈にも見られる.無著は MSg I.46において,アーラヤ識に存在する雑染なる種子がどうして清浄なる聞熏 習の種子と共在するのかという問題を立て,それに対して回答を与えている.

6.

 チベット訳無性釈

MSgUb X.7 [D 279a5; P 337b5]: bsdus pa ngo bo nyid kyis bsdus pa ni / sangs rgyas kyi chos rnam par dag pas zhes bya ba ste / chos kyi sku i ngo bo nyid gang yin pa de ston te / chos kyi sku shin tu rnam par dag pa i phyir ro //「 摂持 〔について以下に説明する〕.自性(ngo bo nyid, * sva-bhāva)による摂持が『仏陀の清浄なる法による〔摂持〕』といわれる.〔清浄仏法が〕法身 の自性であるということを〔無著は〕説示している.なぜならば法身は極めて清浄なるも

(4)

(147) 『摂大乗論』「清浄法による法身の摂持」の一考察(安 達)

― 828 ― のだからである」

MSgUb X.7 [D 297a7; P 337b6]: kun nas nyon mongs pa thams cad kyi sa bon can de gnyen pos bsal na yon tan kha na ma tho ba med pa mang po thams cad dang mthun par gyur te // dper na sman nad med kyis dug bsal na sman nad med du gyur ba bzhin du gyur pa brjod par bya o //「一切の汚染の種 子を有するものであるそれ〔アーラヤ識〕が,対治によって取り除かれるならば,数多くある 全ての非の打ち所ない功徳に資するものとなるであろう.アガダ薬によって毒を除去すれば無 病となるように〔アーラヤ識は〕転回すると言われるべきである」 玄奘訳にあった「転滅」と「転得」についての言及はない.他は玄奘訳と同じ である.

7.

 結論

「清浄法による法身の摂持」には二つの解釈がある.(1)清浄法による法身の 証得の摂持(真諦訳)と(2)清浄法による法身自体の摂持である(真諦以外の全 訳).(1)の場合は,煩悩障と所知障の滅以外の仏陀のすべての徳が清浄法であ る.(2)の場合は,清浄法は法身の本質である.(1)においては,清浄法は法身 の証得の手段であり,(2)においては,法身は清浄法そのものである.玄奘が真 諦訳に不信を抱いた理由の一端をここに見ることができる. 〈略号〉

MSg: Mahāyānasaṃgraha (Asaṅga).See長尾[1982–1987].   P-Bh: 摂大乗論釈(世親

造真諦訳).   H-Ub: 摂大乗論釈(無性造玄奘訳)T no. 1598.   MSgUb D:

Mahāyānasaṃgrahopanibandhana (Asvabhāva) D no. 4051.   MSgUb P: P no. 5552.   

G-Bh: 摂大乗論釈論(世親造 多共行矩等訳)T no. 1596.   H-Bh: 摂大乗論釈(世親造 玄奘訳)T no. 1597. 〈参考文献〉 袴谷憲昭 1976「唯識説における仏の世界―〈四種清浄法〉の構造―」『駒澤大學佛教 學部研究紀要』34: 25–46. 衛藤即應訳・勝又俊教・高橋尚夫校訂 1933「摂大乗論釈」『国訳一切経』 瑜伽部8,大東 出版社. 衛藤即應訳・勝又俊教・大澤聖寛校訂 1933「摂大乗論釈』『国訳一切経』瑜伽部9,大東 出版社. 勝呂信静・下川邊季由校 2007「摂大乗論釈」『新国訳一切経』瑜伽部11,大蔵出版. 長尾雅人 1982–1987『摂大乗論 和訳と 解』上・下巻,講談社. 〈キーワード〉 『摂大乗論』,無著,法身,清浄法,摂持,5C–7C (広島大学大学院)

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