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八 月 秀 句 間 団 内 風 扇 f,j;j 機 動 水 風 膝 強 日 法,3rzF z- 終 7 f 如 ふ 〆 \ 西 宇 多 余 口 奇 k 弘

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(1)

1992

-乎昭紹 耳E 和初 回二十 年十年 自在七四五 孟昼ま E 十干百平 1\ 五二日 ~自十 -'"印八 例日露 還 11 圃圃圃圃酋轟 )¥ 省主 月 rr;; 号護軍

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(2)

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宇多 奇k 一 余 子 』弘 子

(3)

ロ写

i

決定往生の信心かたまりて、本願 に乗じて順次の往生をとぐるな 一一『つねに仰せられける御調j 次 目 般= =連 ) のL ( 巾同 ,,、, 隆 藤 生も死も悦べる世界ω…………...・ H ・...・ H ・..須 (> お盆によせて 一一.f.、の転換一一 I 〈法 俊……(9 ) 光 回 …成 |にこにこ法鱈 | ミーちゃんの野球教室…...・ H ・..…...・ H ・..長谷川 潤・・・・・・(1 6) 季鱈やぶにらみ 陶 i ・・木下隆一 :…(22) 壬申の乱(3) 岱 小林治郎磁 表紙絵

(4)

生も死も悦べる世界川

須す

宮藤f

3 隆?

竺イ山支

- 2 悦びの中の悦び

仮死状態になって再び息を吹き返した人たち、つまり臨死体験をした人たちが語るとこ

ろによると、共通したものが四点ばかりあるようであります。

まず第一点は、魂が自分の体から抜けたという体験であります。例えば病人の場合です

と、病床の回りに親族がいて泣いている、臨終を宣告した医者・もいるといった具合で、床

(5)

年量刑ら の上にはちゃんと自分の骸があるのですが、今 一 人の自分が、ずっと上の方から 、 天井 の方からこれを見ているというのであります 。 この経験はかなり多くの人が語っているそ うでありまして、研究者はこれを「体外離脱」と呼んでおります 。 以前は「幽体遊離」と いったようです 。 次に体験するのは、暗い所をズlッと通って行くと、水があるというのです 。 川であっ たり 、 池であったり、とにかく水がある 。 その水の世界を過ぎると、こんどはきれいな花がいっぱい咲いている世界に出るという のです 。 そのきれいな花の世界を過ぎると、こんどば彼万から、大変にきれいな光が悠々と輝い てくる、つまり光の世界に至るわけであります 。 臨死体験をした人たちは、ここのところで生き返ってくるのだそうです 。 その花の世界 と光の世界との境い目から、先立った兄弟とか知人とかが出てきて、「あんたはまだここ へ来るのは早いですよ 。 さあ帰りなさい」とそういう 。 そこでハッと目が覚めたというの であります 。 このような体験を、臨死経験の人たちが皆 一 織にといってよいほど、異口同音にいって おられるのであります 。 それぞれの具体的な面では追いはありますが、例えば水といって - 3 一

(6)

も、それが川であったり、沼であったり、あるいはジメジメした所であったり、花といっ

ても、花園のように 一

面に咲いている所もあれば、また、小山のような所に、ポツポツと

咲いている所もある、といったような状態ですが、とにかく、大体において、この体外離

脱の体験、そして、水の世界、花の世界、光の世界、この四つを見てきているようであり ます 。 私はこの話を聞いて、非常に尊く有難く感じました 。 それというのは、お経様に説く極 楽浄土の世界というのは、まさにこの世界だからであります 。 みなさん、『阿弥陀経』を 拝読してごらんなさい。みなそういうことが説かれているではありませんか 。 八つの功徳 --ル L' の水をたたえたきれいな池があって、そこに美しい蓮華が 咲 いている 。 「車輪の知し」と し よ う お うし ゃ 〈 ぴや 〈 いわれるほどの大蓮華で、それがまた背 ・ 黄 ・ 赤 ・ 白各々の色をもっ蓮華で、背色背光、 黄色黄光、赤色赤光、白色白光といって、それぞれの色か ら それぞれの光を出している 。

かのアララギ派の大歌人斎藤茂吉先生は、『阿弥陀経」のここのくだりが大好きで、初め

し ゃ 〈ニう

ての歌集を出されますとき、ここから採って「赤光』という題を付けられたと聞いてお

ります 。 そのようなわけで、お浄土もまた水の世界・花の世界であられるのです 。 二う みよう さらにまたそこが光の世界でもあるわけであります 。「 かの仏の光明無量にして、十方 し ようげ の国を照らして障擬するところなし 。 是のゆえに号して阿弥陀とす」というのでありま ー- 4

(7)

-、,、,、""'"、向日"""'"旬、,、""'"、...".,. ...,..,...""+'"、内角川、^^^^^'旬、^'"旬、"""""、~、向、'"、内NV、N 、~、~、,、~、""""山~、~

して、この光明無量の阿弥陀知来様が主人であられる極楽浄土でありますから、それはそ

のままみ光の世界であるわけです。 つまりお経様にお浄土を、水の世界・花の世界・光の世界と説いておられる、その世界 を臨死体験の人たちは見てきているわけであります 。 これは一体、どういうことかと言いますと、この水 ・

花・光の体験は、私は、人聞が最

後に大宇宙に溶け帰っていく、そのときの最終意識だと思っているのであります。人聞は 宇宙から生じ、また宇宙の中へと溶解していくわけでありまして、その生じてから溶解す とう ん付師・ 4 う るまでの聞が人生 ( 人間生活 )というものであり、これを仏教では五誼仮和合とか何とかいっ 晶占 〈 ているわけでありますが、要するに人間の命というものは、大海の上に浮んで泡のよう なものでありまして、大海から生じた泡は一定の時を経過すると消えてまた大海水にも どってしまう如くに、宇宙から生じてきて、一定時間を経過するとまた宇宙へもどってい くわけであります 。 ここのところを仏教では、無我だとか 空 だとか、さまざまに説明して いるわけでありますが、現世にいる我々は実は宇宙が 一 つの妙体を生んだその妙体なので ありまして、本質的には宇宙そのものであります 。 だが現象的には、須藤なら須藤という 一個の体なのでありまして、それはちょうど、海水が生んだ泡が、実は海水そのものであ りますが、泡として浮んでいるうちは、 一 個の特質現象であるのと同じことであります 。 - 5 ー

(8)

経論を拝読してみますと、表現は違いますが、みなそのことを手を変え、品を変えてお説

きになっておられるのでありまして、私は、結論はここにあるのだな (今述べたようなこと ) と拝受して、どのような経典でも、どのような論 でも有難く有難 く 拝読しているわけで あります 。 鴨長明があの名文「方丈記」の序に、「ゆく河の流れ絶えずして、しかも、もとの水に よど た 崎 し あらず 。 淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかっ結びて、久しくとどまる例なし 。 世中 すみか 、 にある人と栖と、またかくの如し」と記された、あのうたかた ( 泡沫 ) というものを人と 栖に例えておられるわけです 。 それはまた人の生命そのものをい っ ておられるのでありま して、水と泡の関係 、 ここに仏教の生命観 ・ 霊魂観の重大な鍵があるのであります 。 そのようなわけで、人間は亡くなりますと宇宙へもどるのです 。 大自然とい っ たほうが よいかもしれません 。 『広辞苑」には自然も字宙も同じ表現であるとチャンと出ておりま すから、大自然といい直しておきましょう 。

人聞が死ぬということは、その大自然へ帰る

わけであります 。 しからば、お経様に説く西方極楽浄土とは 一 体どこか 。 それが私たちの帰るべき故郷で あるということは前回で述べましたが、自然 ・ 宇宙が即ちそれだったのであります 。 棒土 教では、私たちが帰っていく自然 ・ 宇宙を、単なる自然 ・ 宇宙とは見ずに 、 仏教のお浄土 - 6 ー

(9)

と信受していくのであります 。 そのように認識していくのであります 。 それが信仰という

もので、信仰とはつまり認識の世界なのであります

何も認識しない世界、それはただの

ふ?っの世界でありますが、認識されてくると信仰の世界、宗教の世界となってくる

。 で

ありますから、西欧のある学者は、宗教とは「無限への認識である」と定義されているの

であります 。

帰るべき自然、帰るべき宇宙を、極楽浄土と認識していく、そこに浄土の信仰が確立す

るのであります 。

こういうことを申しますと、何か勝手なこと、いい加減なことをいうなとお思いの方が

あるかもしれませんが、私は決していい加減なことを申し上げているのではないのであり

ます 。

いろいろと理屈をこねるよりも、まずこのことについて、法然上人の信仰上の

お師匠様に当たられる中国崎代の善導大師のご教

示 を、 左 に掲げさせて頂きます 。 そこで、 L ょ うようニ 川崎 今 L ・ ん 「仏に従って 一

迫遁して自然に帰る

。 自然は即ち是れ弥陀の固なり 」( 『法事蹴』 ) 何という尊いお 言 葉でありましょうか 。 今から千 三 百年以上も前に、善導大師はこんな - 7

(10)

-尊い有難いご教示を遣されておられるのであります

ここにハッキリ、おゆ土というものが、実は自然である、宇宙であるということが分か

るのであります 。

そしてそれはお浄土、極楽浄土と認識することによって始めて出てくる

世界なのであります 。 認識しませんと浄土ということが分らない 。 分らないとそのための

悦びも、意義深さも感じられませんから、前々回にもいったように心のルンペンになって

しまうわけであります。 せしん

インドでお浄土に関する論文をお書きになられた世親菩薩は、その極楽浄土というのは

どうしょうか

「三界の道に勝過」した世界であるとご説明されたのでありました

( 『往生論』 )。 どうい うことかといいますと、極楽浄土は欲界・色界・無色界の 三 つの世界 {これを 三 界という ) をさらに超えた世界だというのであります 。

欲界というのは欲望の世界、色界は物質的な

世界、無色界は精神的な世界、これらをみな超えているというのですから、それはすでに

へ ん事 hv もう宇宙そのもの、大自然そのものであります 。

「広大にして辺際なし」とも記しておら

れます。正に大宇宙であります。 (つづく) - 8 ー

(11)

)

-E ・・

(

お盆によせて

ll

心の転換ーー

都会の混雑がうそのように静かになり、反

動で、高速道路に車が殺到し、また駅には人

の波が続いています 。 年に何度かある光景で

成8

2 回た

喜光i

主俊i

すが、その 一 つがお盆の時に訪れてきます 。

故郷は遠くにありて想うもの:::といわれ

るように、故郷を遠く離れると、過ぎ去った 日が懐かしく想い出されるのだろう 。 これは - 9 ー

(12)

故郷を持った者にしか分らない望郷の念だと 思います 。 その故郷では、今かいまかとご先

祖たちが静かに遠くから訪れてくる肉親を待

ちわびていることだと思います 。 墓前に仲ん で、遠く離れた生活 ・ 家族のことなどを熱心 に語りかけている光景 。 また「親の背を流す がごとく墓洗う」の句そのままに、丁寧に 水を掛けている姿は微笑ましく、美しいもの だけれども、その方々の心にはなにが去来し ているのでしょう。 現代の社会は都市集中型になり、両親の深 い縁によって生れさせていただいたにもかか わらず、社会事情とはいえ、故郷に年老いた 親だけを残して生活している人達もいます 。 その中にはわが子の訪れを待ち続けつつもひ とり淋しくこの世を去って往った方々もいら れることでしょう 。 人間は年老いてくると、生活環境の変化を 好まずに、住み馴れた場所で生活することを 望んでいます 。 しかし、「年老いた親だけを 住ませとくわけにはいかないよ」という若い 方々の意見で、好むと好まざるにかかわりな く、自 分 の意志とは異なって都会での生活を している方々もいられます 。 その方々の顔に は、なにか淋しさが漂よ っ ているように思え てなりません 。 -10-先日、訪れて来られた必婦人も、 三 人の子 どもたちが都会での生活をされ、数年前に故

(13)

郷で共に生活していた夫と死別して、以来、

独りで生活していたのですが「おばあチャン

ひとりでの生活ではあぶないから:::」と再 三にわたって長男夫婦に言われても「大丈夫 だよ。まだ私は元気だからね」と断り続けて いたのですが、熱心に説得するお嫁さんの求 めで、一年ほど前に長男夫婦と同居すること にしたのです。 長年住み馴れた土地と別れ、新しい環境の 中で、隣り近所の今まで一度も会ったことの ない方々との人間関係をつくるには、年老い、 都会生活をしたことのない婦人には大変なこ とでしたが、やっと親しい友達も出来、少し こころが安まった頃に、思いがけないことが 起ったのです。 長い間の習慣になっていた亡き夫の仏壇に

お茶を供え、お線香をあげていた時「おばあ

チャン、お線香の煙は部屋を汚すので困るの よ」。声は優しいが、心にはドスンと響く言 葉でした。故郷では誰れにも遠慮することも なく、朝起きると仏壇に好きなお線香を供え て、亡き夫に出来事を語りかけることを日課 にしていたのに:: : 「息子さんも、やっと造っ た家でネ。子どもたちも嫌うんだよ。おばあ チャン、いまは煙の出ない線香があるんだっ て言、つよ」と歯切れが悪い。 切ない思いで老婦人は煙の出ない線香を買 い求め、夫の仏壇に供えたが味けないもの だった、としみじみと語っていた。香の紫雲 とともにほとけ来迎し給う、というお論しも 1 1

(14)

-時代に流されてしまうようで、淋しいかぎり

です。それにしても、哨息に悪いなどのさま ざまな理由で、最近はこの煙りの出ない線香 が多くなったように思います。 浄土教の信者が実践することを示された五

種正行の中に説かれている讃嘆供養は、心の

こもった香華を供えることも教えています 。

お供えする線香が煙の出ないものであって

も、たしかに心のこもっていることの方が大 切なことは分りますが、家庭の事情や家族の 都合で供えることが出来ないのは、香の良い、 美しい紫雲のたちこめるものを切なる願いと している方には、悲しく、辛いことだと思い ます 。 嫁と姑との関係は、古今東西の問題で、解 決のない、永遠の課題かと思います 。 たしか に、生れも育ち環境も異なる者が、新しい人 間関係を築くのが大変なことは当然です 。 ま して自我が確立している人間だけに、プライ ドの尊重とプライバシーの確保を強く望んで いるものです。その反面で、お互い心の中で はなんとか助けてくれることをこいねがい、 求めているのではないかと思います 。 - 12ー お盆に、親の墓石を背中を流す思いで洗い 水をかけることも、墓石の前で、家族の方々 のことを語り続けることも大切ですが、いま お互いの立場を考え、理解し得るように努力 しながら生活することの方が必要だと思いま

(15)

す お盆は、いま生れさせていただいたことを 喜び、その縁を与えてくれた親に感謝をする こ とです。誰れが作られたか分りませんが、 父母恩重経に因んだ報思の歓に、 父 死に給う 念ずる 泣いて 生きませるとき 言葉交して そのきわに 声あらば 慰めの ほほえめよ 母 息絶ゆる 泣きて その臨終に 合掌む手のあらぱ 生きませるとき まごころこめて 間にあて 採みまつれ とあります 。 この歌は、生きている時にお互 いが、共に生き、協調 、 協和をするのにどう したらよいかを充分に考えなさい、と、示唆 されているように思います 。 今はそう思っている人はいないよ、と 一 百わ れるかも知れませんが、老人補祉が社会の声 になった時から「お年寄りは、なにかを与え られでも良い」という考えが生れたように思 います 。 よく耳にする「私も食費を出してい るよ」という 言 葉の響には「出さなくても良 いのに」という思いが感じられます 。 食費を 出すのが当然か否かは個々の考えがあるので しょうが、現代社会で年金もある程度確立さ れているだけに、お互いの立場を考えること - 13

(16)

-が必要です。家族にはそれぞれの役割があり、

それをお互いがしっかりと守ることが大切で す

生れさせていただいた私たちが、如何に生

かきしていただくかが、自ずからの役割で、

その確立が人間としての自立なのです。親が

独りで生活することが出来るならば、またそ

れを望むならば、見守りながらそうさせるこ とが親孝行で、お互いの自立になるのです。 なんでも手を出さなければならない、と思っ たり、出来るか否か分らないままする虚勢の

行動が誤りなのです。このような中味の少な

い、見栄や型ばかりのテンプラ生活が、お互 いの自立を阻害しているのです。 老婦人も、自分での生活が出来る間もう少 しお互いの理解の中で生活していれば、亡き 夫に自分の思うがままの線香を供えることが 出来、心の満足を得たでしょう。息子さんご 夫婦にしても、心の痛みを受けることがな かったでしょうに::: - 14 一 現代は貧困の時代:::こんなに豊かになっ たのに、とお笑いかも知れません。貧困と言 うと生活が貧しく、苦しいことを指すかも知 れませんが、それだけではないのです。いま の社会は、言品の貧困、表現の貧困など日常 生活を営むことがらについての貧困が多いよ うに思います。これがお互い自立する墜に なっているのです 。

(17)

現代社会で起きている老人問題や青少年問 題の中で、家庭にその要因の主があると考え られるものを見ると、自立や相手の立場を、 お互いが思いやってないことが多いようです。 その原因の一つに、言語、表現の貧困からお 互いが誤解しているように思えてならないの です。一つのボタンの掛け違いが、次々に相 手の心を踏みつぶしているようです。相手の 自立や立場を思いやることは、相手の存在を 認めることです。 家庭での話し合いも「相手が変ればいいの だ、私は変らない」という他者変容支配型の 傾向が強いように思います。老婦人のお線香 にしても「私たちの家だ、あとから来たおば

あチャンが変えるのが当り前だ」との思いが

強かったのではないでしょうか。良し悪しを 別にして「私自身を変えて見る」という心の 転換をする方法もあるのです。老人問題や青 少年の問題で、解決を遅らせている原因に「相

手が変るのが当然」という考えがあることも

知ってほしいものです。 お盆に、ご先祖に思いを寄せ、感謝をする ことも大切です。報思の歌のように、亡きあ とで涙することもあるでしょう。だが、ねた

ちが常々に称える「願共諸衆生往生安楽園」

のお経に示されるように、現代社会を「共に 生き、生かさしていただくために」このお盆 に、私たち自身の心を変えて見ることを奮い 合うことが、より必要なことだと思います。 - 15ー

(18)

宇一一--_.-. 一一一--一 ー ーーーー苧平 ι -事甲・ 司・、・- . 司、.. .• ~ .・.,-'" 一、 . 司 一ーー・ V晶、ーー・ 九時~. ..

にこにこ法話

ミーちゃんの野球教室

室長は 干谷サ

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1

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き岱E

I~ じ 植 i閑史 - 16 「お父さん、このなぞなぞわかる?」 回の裏、 ツ l アウトランナーナシ 。 ここ 「どんなんだ」 でブドウくんが大ホームラン 。 さてこの 「あのね、魚さんチ 1 ムとくだものさん チ l ムが野球をしました 。 マグロくんと みかんくんの好投で O 対 O のまま緊迫し た投手戦 。 いよいよ回も押しつまって九 試合、何対何だったでしょう」 「 そんなの簡単 じ ゃない、 一 対 O でくだ ものさんチ 1 ムの勝ちでしょう」 「プ 1 。 残念でした 。ニ 対 O です」

(19)

.• -~--...-... ~...一周 R 司『【司司 司 司副 司 町『司 ー曹司 ・-~.、.ー.. r. 、 可.. -「どうして」 ツlアウトでランナ 「九回裏の攻撃は、 ーがナシくんだったのです」 「ああ、 ナシくんね 。 これはやられた 。 それにしても、ミーちゃんは野球が好き だねえ 。 今月は昼間は高校野球、夜はプ ロ野球があって、だいぶ興奮してたよね 」 「でもね、私本当は見てるよりもやるほ うが好きなの、中学に入ったら、野球部 に入りたいな」 「女の子は入れても、野球やらしてくれ るのかなあ」 「ええ、どうして」 「野球部というとね、普通は硬式か軟式 という、どちらにしても固いポ l ルを使 うんだよね、だからとても危険なスポ l ツなんだよ、だから女の子はきっとソフ トボールというのがあると思うよ」 「あのポールの大きな方でしょう、 ちょっとが っ かりだなあ」

「最近は女の子でも硬式や軟式の野球も

はやっているそうだから、わからないけ どね 。 そうだ、そんなに野球が好きなら、 今度はお父さんが問題を出すぞ」 「 いいわよ」 - 17ー 「先頭バ ッ ターが、センター前にヒット を打ちま し た 。 センターの人は、そのポ ールをどこにかえすのが正しいですか 」 「そうねえ、やはり塁かなあ 」 「 l 。 それはね、セカンドかショート のどちらかの人が 二 塁のベlスに入って、 その 二 塁に返すのが正しいんだよ」

(20)

ゐ ・よ't;f"::!'" .1",~to",.P.:l~ 、ーャ「手包覗揖噌晶司担噌詳H静弔辞--司山..P't:!".f'.;1" ..:.司ー.:...'I!Pod:tft'f阿世司酔宅持#温晴世 「どうして、だって、 たまにライトゴロ

何て言ってランナーがアウトになること

だってあるんだから、 ランナーの走って くるベ!スに投げるんじゃないの」 「ライトゴロなんてよほどあたりが強烈 で、なおかつバッターの足が遅い時に成 り立つ、かなり珍しいことで、ましてや センター前ヒットでは絶対考えられない よね。だったら打たれたことは、もうしょ うがないとあきらめて、ただし次のベー スには進ませないぞということで、一番 近くの内野手の人にポールを返すことが 鉄則なんだよ」 「一塁には投げない?」 「無理して投げて、もしエラー したら大

変だからね、原則では投げないよ」

「あきらめる ってことも大事な ことなの ね 」ー 「そうさ、あきらめるっていう言葉は、 漢字では諦めるって書くでしょう。この 諦めるってい、ユ子は、仏教では真理、お きとりを意味しているんだよ。 『 四諦八 正道』なんていう言葉は、仏教を勉強す ると 一 番最初に出てくる 一言 葉なんだぞ」 「仏様のこともあきらめが大事っていう - 18 ー こと 」 「ガク、ちょっとニュアンスが違うんだ なあ。普段使ってる、だめだと思ってほ うり投げてしまう意味のあきらめではな くて、その言葉のもともとの意味の、あ きらかに見る、という意味で諦めるとい

うことが大事だということさ」

(21)

ーー .-白民 m 一 一ー 一一一平 』一 一 一ー ーー 除“ 一一一..~.~.ー包 山 山山..._.. .一-....,.. .験』“一 “一司副、・一時 ...-~- ...~ -.・・ h ・ 司“一 司、 一 …叫司、 .. 「明らかに見るってことなのか」 「お釈伽様のお説法の中に、第二の矢を 受けないっていうお話があるんだ 。 それ はね、仏様の教えを聞いてる人と、 そ、っ でない人の違いをいっているところでね、 仏様の教えを聞いていない人は、第 一 の 矢に刺され、さらに第 二 の矢にも刺され てしまうようなものだと言っているんだ よ 「ええ、どういうこと」

「つまりねお釈伽糠は、私たちが人間で

ある以上誰だって、美しいものを見れば 美しいと感じるし、醜いものを見たら醜 いと感じる 。 憎いものには憎いと感じ、 嫌なものは嫌だと思う 。 そのこと自体に は仏様の教えを開いている聖者も、聞い ていない者も少しも変わらないと言って いるんだ 。 しかしその次が違うんだと。 仏様の教えを守れる聖者は、そのことを 心にとどめないから、いつも清らかな気 持ちでいられるし、そうでない者は、い つまでもそのことを心にとどめ、執着し、 欲しいと思う欲望や、憎いと思ういらい らの心が次の行動をおこさせてしまう 。 これはちょうど第二の矢にも当たるよう - 19 ー なものだと言っているんだね」 「センターから 一 塁に投げたりするのは、 第二の矢なんだね」 「そう、そういうところで、本当に野球 を知っているか知らないかがでちゃうの さ 「でもさ、相手がのろのろ走っていたり、

(22)

宅静電砕呪持宅島可思 "t:t' .f'd.' -=t'ゴ,.,.p...:)llI ..~rl"þ",、ア J・-、『ー帆~蝉雫体需蝉唱曲宅#句世噌静司書司砕句降雪持句鼻 そうだ、転んでいたりなんかしてたら 一

塁に投げるよねえ」

「そりゃあそうだよ、 アウトにできる可 能性さえあればどんどん投げなくちゃあ 。 だからあきらめるのは、明らかに見るこ となのさ 。 第 二 の矢を受けないというの はね、打たれた後のピッチャーの気持ち なんかを考えるといいのさ 。 いつまでも 打たれた球を気にして、カーブを投げた らまた打たれちゃうのではないかとか、 またピッチャー返しにされたらどうしよ うとか考えて、びくびく投げるのと、今 度こそ抑えてやれと投げるのとでは、閉 じカ l プでも全然曲がり方が違ってしま うと思うのさ 。 だからそういうことを第 二の矢を受けないと言、つんだよ」

「ねえ、ランナーが出るとさ、よくパン

トってするじゃない 。 あれきパントする ほ、つのバッターはつまんないよね」 「そんなことないさ 。 野球じャチ 1 ムプ レーが 一 番大事なんだよ 。 それにお父さ んはパントっていうのは、なんか仏様の 教えを感じるなあ」 「ええ、どこが?」 - 20 一 「プロ野球の西武にいる平野選手とか、 巨人の川相選手って知ってるでしょう」 「もちろん知ってるよ」

「この選手たちはパントで名を揚げた選

手だよ 。 つまりね、パントはチ i ムのた

めに、自分が犠牲になっているような形

であるけれども、それ自体で十分自分の

ためになっているってこと 。 情けは人の

(23)

"問 町 司 可 司 V 司 可 司 市内『司マ". ~司山-司 ためならずどころではない、情けが回る 必要もなく、そのまま即自分のためにな る、自分が犠牲になっているのに、それ 自体が自分のためになる、これはまさに 『布施の心』を絵に描いたようなものさ」 「なるほどねえ、お父さんって何でも仏 様の教えとくっつけちゃうのね」 「野球はねえ、ピッチャーとバッターの 一 対一の勝負みたいに見えてしまうけれ ど、決してそうではないんだよ。九人対 九人の総出のぶつかり合いなんだよ」 「どうして、打つのは 一 人だよ」 「今度よくプロの試合を見ていてご覧、 センターにヒットを打つと、そのセンタ 町即吟町 門 司… !の後ろに必ずライトかレフトが回り込 んでいるよ 。 外野に大きなあたりだった ら、ショートかセカンドが必ず外野と内 野の中間まで行って中継しているし、 パックホlムされた時はピッチャーが キャ ッ チャーの後ろに回り込んでカパ l しているでしょう 。 野球は 一 つのポール をめぐって、先の先まで考えて動いてい るんだよ 。 打つほうだつて、前のバッタ ーがピ ッ チャーのその日の調子を凡たり しながら、九人が協力して点を取りに行

く、それがおもしろいんだよね」

「でもさ、そういう九人の動きってき、 テレビ じ やわからないよ 。 今度野球場に - 21 迎れてってよ」 「それもそうだね、 よし、今度みんなで ナイターを見に行こうね」 「ゃった l 」

(24)

ヨ聞

や ゐ、 ら

壬申の乱

ω

鎌足亡き後の推移を見ると、事ある毎に額 目玉は鎌足の予見が正しかったことに、かす かな戦慌を覚えるのであった 。 天智天皐は以 前のように神託などに頼ることなく、独断で 強引に政治を推し進めていた 。 それにしても、

性急すぎると額田は思ったが、天皇には天皇

(完

木喜

随隆3

.

.

.

き -2 で、そうせざるを得ない肉体的な悩みがあっ たのである 。 六六八年即位した頃から、天皇は腹部に異 常を感じるようになっていた 。 異常は腹部の 真ん中辺りに出来た小さな宿りであった。初 めは時たまチクリチクリと痛む程度だった - 22

(25)

-が、やがてその痛みが長引くようになり、時 には刺すような痛みとなって全身を貫いた 。 その度に腹部の宿りは大きさを増しているよ うに天皇には思えた 。 そんな天皇にとって、 鎌足の死は衝撃であった 。 食欲は極度に減退 し、痛みを忘れるために酒に逃避したのは致 し方ないにしても、誰の自にも病状が進んで いるのが明らかになると、人目を厭い、だん だん朝議にも出席しなくなった 。 重要案件も 朝議にかけられることなく命令の形で降りて きて、直ちに実行されることが多くなった 。 鎌足が言った「いつの頃からか、天皇はご自 身が神であると信じこまれてしまわれた」と いうのはこのことであったかと、額四は納得 した 。 六七一年初頭に発表された朝延の人事で は、大友皇子が太政大臣に、左大臣には蘇我

赤兄、右大臣には中臣金連が選ばれ、蘇我果

安臣、巨勢人臣、紀大人臣の三人は御史大夫 に任ぜられたが、客観的に見て東宮的位置に あった大海人皇子の名はどこにもなかった 。 これは政治の主流から外されたことを意味し ているのは勿論だが、っきつめて 言 えば、す べての権限を剥奪されたのに等しかった 。 この発令があった時、額四は改めて鎌足の 洞察力に驚嘆したのであるが、これは必ずし も天皇のご意志ではあるまいと思った 。 なぜ なら、鎌足の死によって匙った反鎌足派の赤 兄等が、どちらかというと鎌足寄りの考えを 持っていた大海人を敬遠するのは当然だった し、彼等には大友皇子を担いで政治をほしい ままにしようという野心があって、着々とそ - 23 ー

(26)

の準備をしていたが、最大の障壁である大海

人を除くには、今回の人事異動は千載 一 遇の 好機だったからである 。 だが、 一 拠にこれを 廃することはしなかった 。 いや、出来なかっ たのである 。 軍を掌握していた大海人の無力

化を図るためにまず権限を取り上げ、しかる

後に彼の息のかかった豪族や武将の多くを、 何かと理由をつけては地方へ追いや っ た 。 こ れに反発して大海人が動いてくれれば、それ を契機に大義名分をつけて屠ればよいと考え ていたのである 。 しかし、大海人は動かなか っ た 。 赤兄等の 出方は読めていたし、第 一 、大友皇子と皇位 を争う気持ちなど、全く持ち合わせていな かったからである 。 これは赤兄等にとっては 大きな誤算であった 。 この年の春か ら 秋にかけて、大海人は朝議 にも顔を出さず、新しく邸内に設けた持仏堂 に能って、ひたすら兄天皇の平癒を祈願して、 念仏 三 昧の日々を送 っ ていた 。 「額田が貴公の 言 葉を伝えに来たのは、去年 の秋の今時分であ っ た 。 それで俺は 吉 野への 隠遁を決意した 」 大海人は験の裏の鎌足に語りかけた 。 「あの時の額田の 言 葉を、俺は終生忘れない だろう 。 まず貨公の 示 唆を伝えてから、で」

れから申し上げるのは、昨夜私が得ました神

託でございます 。 よろしゅうございますか、 - 24 -神はこう由・されました 。 帝の許しを得て得度 し、直ちに 吉 野へ隠棲せよ 。 決して大勢で行っ てはならぬ 。

妃も戯野皇女のみ同行すること

(27)

もし討手がかかっても闘ってはならぬ。鎌足 の言に従い、奨濃へ脱出せよ。きすれば道は 自ずと開けるであろう」。そして、こうも言っ た。『鎌足様の遺言通りになさいませ。でな ければ、額田も皇子様のお命は保証致しかね ます。吉野から美濃への道案内は額田の里の 者に致させます。子飼いの中に心利きたる者 がおりまするゆえ』。神託と言っていたが、 あれは恐らく俺に対する額田の思い遣りだっ たんだな。顧みれば、俺は今まで何度も有利 な神託を降してもらって彼女には助けられた 思いがする」 「額田様の神託のからくりにやっとお気付き になりましたか」 「気付かないでどうする」 「すべては額田織のお優しい心般から発した ものでございますよ」 「だから俺は聞いてやった。初めて俺に抱か れた時も、そなたは神託に頼ったのかと」 「お答えはございましたか」 「なかった。ただ短く笑っただけだった。額 田には先帝の御陵が出来次第、鎮魂の歌を 奉ってもらおうと思っている。それで彼女の 昼女としての役目を全うさせてやりたいの 25 -だ」 「それがょうございます。先帝もいかばかり

お喜びになられることか・・・・:」

暁を告げる鶏鳴に、大海人皇子はふと我に 返った。と同時に験の裏の鎌足も姿を消した。 いつか、机にうつ伏してまどろんでいたので ある。窓から流れ込む霧に、短焼の火が大き く一揺らぎすると、ジジと音を立てて消えた。

(28)

目覚めはいつになく爽やかであった。 「文武百官、全貝揃っておりまする」

宿直の声に、大海人は勢いよく立ち上がっ

た。 「直ぐに参る」

広場には、左に武官右に文官が居並び、そ

れぞれの胸に不安と俊幸を侍む手前勝手な臆 測を秘めて、言葉少なに件んでいた。大海人 は壇上に立つと、低いがよく通る声で言った。 「全軍に告ぐ。此処に参集した諸官は、予の 言を一言半句たりとも違うることなく、それ ぞれの部署に立ち戻って部下に伝えよ。此度 の戦は、少数の不心得者が起こした誠に不幸 な出来事であった。予も大友皇子も、少しも 争う気などなかったのである。しかし、戦は 起こってしまった。神が予に与え給うた試練 と受けとめているが、それによって多くの死 傷者を出してしまったことは、当事者の一人 として漸慌に耐えぬ。許せ!」 大海人はここで一旦言葉を切って、居並ぶ 百官の反応を見守った。重苦しい沈黙が支配 する広場を、湖面から湧き出た漉い霧の塊が、 幾つも幾つも速い速度で通り過ぎて行った。 〈許せ !と 一宮われでも ::: 〉百官の面に浮か ぶ困感の表情を読みとると、大海人は後ろに 控えている文官の一人に顎をしゃくって、前 に出るよううながした。進み出た文官は、携 えて来た木簡にうやうやしく一札すると、

「では、大海人皇子様より降された処分を発

表する。皆の者、謹んでお受けせよ」 と重々しく宣告した。 F-の 「斬、前右大臣中臣金連。斬、:::」 p o

(29)

今回の争乱で、近江方の主導的役割を果た した者の名が、ゆっくりと次々に八名読みあ げられた 。 る事量 の 「流、前左大臣官跡我赤兄 。 同じく流、前大 納言巨勢人臣 。 遠流の地については追って沙 汰する 。 なお、その他の者は 一 切不問に付す。 その他の者は 一 切不問に付す 。 以上である」 と、文官が 一際声を張り上げて結ぶと、広 場からは 一 斉にどよめきが起こった 。 処分を まぬかれた悦びの声もあったが、大方は処分 者が少ないことに対する驚きの声であった 。 どよめきが収まるのを待って、大海人は立 ち上がった 。 「楽にして聞いてくれ」 大海人はいつものようにくだけた調子で 言った 。 「処分が軽過ぎると思う者.もいるであろう が、元々我等は 一 つ、吉野も近江もないのだ 。 今後は 一 切のわだかまりを捨て、国力の回復 に努めてもらいたい 。 その手始めに、予は高 安城の修復の全面中止を約束する。これに予 定していた費用と労力は、大和の国の復興に 当てたいと予は考えている 。 何しろ大和は国 のまほろぱだからな 。 それを蔑ろにして此の 地に都したのは、前の天皇が犯した唯 一 の過 ちであった 。 予は速やかに飛鳥に戻り、良き 地を卜して宮居を定めたいと思う」 提 言 の形をとってはいるものの、これは遷 都の宣 言 であり、事実上の天皇即位の宣 雷 で もあった 。 皇極女帝はその在位中に土木建築に関心を

示し、それが国民の怨嵯の的になったと伝え

- 27

(30)

-る史書もあるが、これを推進したのは、実は 辞我入鹿であった 。 皇位を纂奪した後のこと を慮ってか、飛鳥の都を守るために、唐の万 里の長城を模した城壁を造ろうとしたのであ ろう。先頃、その 一 部が発掘され、日本害紀 の記述は正しかったと報道されて話題になっ たが、高安城はその延長線上にでもあった城 であろうか 。 城の構築や手直しは、朝鮮半島 の情勢が緊迫するたびに進められたり、 一 時 的 に平 穏化すると中止されたりしていた 。 今 となっては城の規模は知る由もないが、その ために取り立てられる特別税は厳しいもので あったに違いない。だから、高安城の修復中

止の報は国民にとっては朗報だったが、遷都

に要する莫大な費用は、この巧妙な擦り替え によって捻出されたのである 。 これが政治と いうものであろう 。 遷都を宣告し、即位を暗示すれば、大海人 にはもう 雷 うべきことは何も残っていなかっ た 。 あとは 一 日も早く箪を収めて、飛鳥へ帰 る行動を起こすだけであった 。 霧が薄れて行くと、遠い山並の上に朝日が 昇った 。 後にいう「壬申の乱」は、この日を 以て終熔したのである 。 - 28 -乱世の卦に壬申の年明けぬ、という駄句に 端を発した拙文、つい「壬申の年」にのめり 込んでしまった 。 書いているうちにますます 本題から誰離して行くので、軌道修正のため ひとまず経を捌き、次号からは本来の「季語 やぶにらみ」に立ち返りたいと思っている 。 ( この項了)

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