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『宗教研究』207号(44巻4輯)

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(1)

――目次――

論文

1,

古代ギリシャの宗教に関する一考察:プシュケー(ψυχή)の一側面について, 神原和子, A Study

concerning the Ancient Greek Religion, Kazuko K

ŌHARA, pp.1-22.

2,

グノーシス主義とハイデッガーの思惟, 滝澤武人, Gnostizismus und das Denken Martin Heideggers,

Taketo TAKIZAWA, pp.23-55.

3,

譬喩表現よりみた空(śūnyatā)の概念について, 坂部明, On the Concept of Śūnyatā: From the View

of It’s Similes, Akira SAKABE, pp.57-79.

4,

台湾の土地神信仰, 窪徳忠, The Earth-Deity in Taiwan, Noritada KUBO, pp.81-102.

(2)

古代ギリシャの 宗教に関する 一考察

な ャ 考 る 無 い 亜

。 の 出 機 に か き を あ (445) 中ろ

ギリーフシ

;

一 レ ア し

て "

@

(3)

使用されていたので し 、他方では、この 嵐 従って此が最後に 吐 側に力点が置かれ、 後 体 的な意味合の 語、

ど 遠くない内容を持 の 要素の一つには、 その人から最後に吐き出されるプシュケーが 、 てくる。人格的な意 、幾分人格的な色彩 力 もない事が特色と の 恐怖が捨てられて るが、︶ホメロスのみ 例えば、古 い 土着の 最も批判的な立場か った 古代のギリシャ

感覚的で、具体的要

に 此の意味から プシ ㈹

する﹂㌢善吏 吟は ﹁ 気 2

(4)

古代ギリシ。 の宗教に関する 一考察

阿が 、古代ギリシャ 章 一

礼が、 其を裏 善 きし

プシュケーの一つの ︵ りレ ︶

相 に重点を置いて 側 廻、或は輪廻転生にっ 一因縁との関連に於て

究の機会を持たねば

陣ムヘぺ ﹁のでのⅠ へ良 なる輪廻の流を追う事を問題点と したい。古代ギリシャ

コラスである。彼等

は アポロンであった

魂の不滅を示唆した

云われている。然し

はどんな様相を持っていたのか、其はオルフィ ック 宗派や ピユ タコラ

っ たのか、此等に重 シュケ 1 表象に立ち戻 して見たいと考える。 (447)

(5)

その要素を持ち合せ っか 。兎も角、不死性

人の間では、伝承的

献は ホメロスの二大 思 味の伝承的である。

なされるイオニアの

段階は、相当程度 進

されていた事と、 実

ある。

は 明らかな所であ

ぃ 。字句通り﹁死せ

ロシアを摂取する 案

Ⅱ e て ︵ 目ざの ・ 臼 ・もかゆ︶

死的 地上的である

0 世界に限らず、 古

る 。此処から出発す

追って見ると、その

(6)

古代ギリシャの 宗教に関する 一考察

き て︶﹂であり。第二 と 、いそいで冥府

挙げられたものであ

最後にその口から 吐 き 出されたり傷口から出て行くものである。

の 苗色 て Ⅱ 申 ︵コ田 曲の ・ トの 、 切 0 か Ⅰ く切 ︶

% " Ⅱ ︵出目口Ⅱ せ b, ハリ h, ︶トベト︶ う丁︶ ち 。Ⅹみて隠モ も qe ︵ハーデス︶へと降って行く。

帥笘 Ⅱ飛 べ " 寝榛甘陣て あり影である。 て m へ てモ せ丈 ︵ 目 ぎの・ トの, ㏄切りて㏄ 印づ ︶ ︵二円 曲の ・の㏄・ い 0 も︶ ︵ 0 Ⅰ せ のののの・いけ ,ゆ 0 べ ! ゆ 0 の︶

さえも故人と酷似 している。 (449)

(7)

的 現象として考え ろ 輪廻転生 説に 、ピン

ぬ ㌧めのも、

凧ミ んも。Ⅹ寺山ゴミⅡも口ホ㌔めものり

いへ ㌔。

ぎ ・

へな、

者の神学

L 第五章に

︵ 目 ぎの・の

び ・の

町 でのⅡ︶

しかも先述した様に此には実体が無い。

ち C Ⅹ寺も

の舌無

Ⅱ か

* 対申セウ

りも藩ぺ

の ㍉ 俺

討て ヰ K,

せ Ⅹの

ro

Ⅱ mT

ち ︵ づ守

∼ 黛

︵二円ハ田の・

ド Ⅳハツ ,

トハ レ ハレ︶

第二の﹁生命﹂の

休 例を挙げると、

へ O

︵二円のの・

め ㌧、いの

ト ︶

︵の 0 づゴ

0 ガピ

の・Ⅱ

p.

トかの

の︶

に結びっかない

あるに反して、彩乃

乍ら

、 此を統一する

て 活動するものとし

︵ 4 ︶

の アニミズム説の影

(8)

古代ギリシャの 宗教に関する 一考察

彼は批判している。︵ 5 ︶

プシュケーは最も感

う 難しい意味の変動

気息が吐き出される

吸 ば動物的生命の根

してどう結びつくだ

在の内に、素朴にし

の 産物の残倖を端的

を 背景とした﹁気息 手並﹂であったのではないかと推定している。︵ 6 ︶ ︵出山ロ の ・の ,か 0 ㏄乙の︶

e て

せホ m ︵・ ︵ 目 ぎの・ トの, ㏄切の︶

と 云う表現は 、生

する、或は飛翔すると

人間の出生の際、風

メロスはこの気息幸正 ︵ 7 ︶

豪的基礎に芽生えて (451)

(9)

の 気息雲と 、プシ

移 とを、二 つ 乍ら

失 ・われていなかっ

ついて結論的に以下の様に述べている。

の 0 由 ∼ ヰ ゴリ田のののが つ のⅠが 丑隼 0 麓こゴ ㏄の一色の コ 由の㏄︵ 毛 ㌔ はキゴ笘

Ⅰロ口 隼 O Ⅰ C のハこ リトコ

ゴ 0 % ゴの 0 ︶ 0 ぬゼ 0 ヰ

プの Ⅰ 0 の 仲 0 Ⅰ山口の 0 円計ゴ のの 0 三 ,のⅠ円づ ぎプゼ ㏄ ド ︶

確に存在したわけ ある。

く 、もっと以前の

た 訳である。非常

古 い 死者信仰が 全

留めはしたが、 其

上の縁者達に何の

ててはいる。

ったようである。 影 は く に 段 で た 内 ュ い

(10)

古代ギリシャの 宗教に関する 一考察 生 下 郎

る 二 神 た さ の 伝 レ た い で で

題 と 呼 麗 美 認 正 興 ケ 此 、 に も 体 の と 尊

り ' 一一

苦 永 根

遠 水

に 始 た 二 に 実 生 存 め る 云 。 云 で く 的 る れ 兄 分 め て

其 問 い 等 等 彼 て な り ぁ 霊 在 味 の 冑 の ア ン

木ケプ

ル口

老 l 8 シ フ が 語 的 の 等 例 当 に て メ 不 は メ シ ど る で 出 が 、 持 つ の ロ 死 0 本

ネュ

ケか、

3

者 あ

っ点い教

発問宗道

かて

プス

シ叙

(453)

(11)

するものと考えて よ

が 我々を活かし保っているよ う に 、 ︵ qc ぢ 6 ミも世界全体を プネ

ある。神話が、天地

、根本実在は時間

薄ぎ神

的なと形容 し

められている、此等

のは、﹁其から生れ

ム っても良いだろう。

回帰が永遠に続く。﹂ 其を彼等は根本原質

プシュケーと云う 語 此処では最も代表的 な アナクシメネスのみに焦点を合せて見る。

Ⅱ 申鉄 T 申 c き 臥にⅡ 災づ寺丈 のもも 陣 ︵も 飛 ∼のみ曳めⅡかに 苦執ムヘ に ふ て祭も鉄の q も お ︵ ︵ しガ打 、下コリ 准 ︵︵︶の コ のの、 弓 ︵・㎏︶

とした。更に ホ陣へ m@ 申せも Ⅰ @ 目 うもへのⅩ 、 ∼ ︵ しぴア , 卜目 ㏄Ⅱ 笘ヨ の目 0 の , Ⅱ q. ㏄︶ 10

(12)

古代ギリシャの 宗教に関する 一考察 1 Ⅰ (455) @

神性

d こ も の 明 観 ら 食 か

目 か 鴇 つ

叶ナ

ガあ

Ⅰ・ @ 6C だ 属 が

た 人 ピ 間

とロ

0%

英魂 八 デ 紺

ヰ辿

0%

原 呼 通 @ 生 な る れ は い だ

象 る 」 る と 連 坐 か め 。 我 も 体 フ 。

て ァ を 目 連 る で じ す 此 プ 性 向 ケ 考 ナ 表 然 を も る 意 る は シ 弄 じ l

れ メ た の し あ 、 ) に ロ l の の 々 た ネ け 一 て り 此 で と ス と 存 生 人 も ス れ 貫 い 、 を あ っ 的 さ 花 嵐 間 の の ど し た 其 吸 る て な れ の に が 、 て 根 よ 坪

とプ

云シ

もて様はい。

" と

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生 "

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"

そい木っ

吸 っ ュ 自 っ 恩 命 吐 の 遍 の る 原 て し

, 的な

根本

原 " ア

曝質の

しり

。木立

ノ ア の i

エ 通 ) で 保 木 あ れ そ 空 で 一 @ 動 に か め つ と 様 い

同 相 て ア 原 し 成 的 に 人 、 て 一 の の ナ 理 て 消 な よ 間 そ い 0 丁 考 ク と 衣 滅

しめの

個て

のの

生空。

持 宮 下 っ に で も 不 は の 変 で の 各

そ し は

た い ら 云 で ら

桂 さ 或

め れ は 本 は を ケ の 嵐 あ す の

(13)

として完成されるか

生の車輪を脱れて プ ︵ 9 ︶

︵肉体︶と異なって 神

時 的に肉体から解き

︵存する間、可能な限

儀を介して プ シュケ

郷 に復帰する。﹂と 云 うのである。

の プシュケーの 教

きの形容詞を以て評

ンに 既にオルフィッ

ピュタゴラスが 、彼

、 既にへロドトス 以 ︵ 加 ︶

の オシリス神話に 範

。この説には二つの

は、 プシュケーが 肉

ユ タ。コラス創始の特 2 所へ 復帰させるのが、

(14)

古代 ギ代ギ リシャの宗教に 関する一考察

ゆ ロ口 帥ヴ 臼井ロ 甲 い こ ゴ の ノ宙 口目㎎の︶ 目 N のロロのⅡののの p の 臣 ︵㌧の せ の ゴ の一口 げ 0 ︵ です守の Ⅰ トめ ㏄︶

えている。 (457)

廻転生は、直接的に

からこうした在り方

して見よう。 0 Ⅱで ゴト のの ゴ のⅡ 由 のが 臣 ︶∼目の臣 白 Ⅱ。曲の臣 い目宙 のが 目 Ⅱ︶ 0 ︶臣のの m N 由 5 % 目 hu コ的 いけ Ⅱ 仁 。 ガガ の 廿 Ⅱ 0 目色の 臣之 の 珪岸ニ ㏄ 由 Ⅱのの ︵㌧の せ の ゴ の @ しげ 0 ︵ づゴ ∼ ガの ︵ トめ収 ︶ 行った事象が寸分 りへと回帰してくる

に 密接に離れがたく ないかとさえ思われ から人類が発生する

痛 として、神に憧れ て 設定されている。︵Ⅰ︶ l

(15)

ふところ

この自然の季節的な

、信者は自らの プシ

多くの学説が一致す

の 祭儀に現れる様態

ソス 神の本体は ギリ

だ。植物 は 年毎に 枯 ︵Ⅱ り ︶

、 神がかりになる ェ

生地は多くの学説に

との関係からのみと が 宗派 此 次の の 0 井出目

スと 云う、この

られる。

於て在るのかが

0% 正親、ぎの目の 、

ュソス 信仰との

祝 すべきだと思わ 4

認めると、個々の プ

れる事を意味するか㈱

で、自らも再生する事

(16)

古代ギリシャの 宗教に関する 一考察 15 (459) れ

あろ

ィ衷

象も性はっ

死でだ

永ュいソる

遠ソ年スも

小方

地で

はデ強

"

ィく又

" 北 沢 そ は さ だ で 環 は れ 聖 あ ポ は 神 ュ ら の の に の な し ろ あ 通 所 、 な っ イ 枯 の ソ れ も ラ 関 生 か く う る 動 く 枯 も た で 死 生 ス る の プ し 合 っ 、 か 。 を し 死 の 。 も す 活 の 。 の ィ 失 点 と 神 の ギ 、 植 デ れ ロ の と 旺 並

ア に の 推 の 神 り そ 物 ィ 、 ン 奥 し 盛 び 油 土 ィ 挙 お 側 永 を シ の 神 オ 祭 が 伝 て に に 殖 は げ か さ 遠 主 ャ 限 格 ニ 同 化 の 、 生 そ よ 二 た れ れ の 神 人 波 と ュ が 方 か 地 合 の っ 繁 た る 回 と の 的 し ソ 冬 ヒ な 下 力 祭 て 茂 十四

プ表 。

帰す

なて

ス至ュえ ののにもの

る 々 曲 解 れ ィ 酒 、 に に 神 オ ロ 死 待 潰 る で が の な し た ッ の 枯 内 よ る イ ン 」 し 劇 歓 あ 、 み 姿 た も ク も 死 花 み ひ の の と 願 に 楽 っ の 宗 た か す が そ 許 黄 も う 欠 と た で 派 ら ら る え か に 金 密 き 陶

あ の

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す 春 生 る な 赴 像 按 配 得 酔 古 を陶酔11こま

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、 く る 祭 っ イ い て ん っ が り ス 的

6 こ 其 の の 盤 と 自 つ え に に が か り の 葡 オ も 様 な し 然 た ら す 見 ろ シ 蓋 萄 デ ユ 軽

ッ 率 2 % 不 力 秘 芸 定 が 冬 オ れ な 劇 坐 商 セ の ィ そ

ア し な り 範 を 堅 魚

(17)

は る が 出 は ル ル 並 よ と 必 ウ ル

教説と 、オルフ ヱ

が 存在する事が 、

するものではない

ッが 疑義を抱いた ︵ 蝸 ︶

ルフェウス伝説、

テネ における、 オ フィッ ク 宗派の創始者であるとしたにして ︵ 祖、 6 ︶

い 状勢の下で、 オ

ある。イェーガー

国家の何処かに 見

宗派の活動や存在

置き、ラプソディ れない。そこで 私 い 事を暗示してい

る 。ホメロス

ラプソディア

存在したと 云

フヱウス は 一

イソツ ・ メ| の二大 ィ だけ われる 般に ギ レンド

(18)

リシャ ︵ し円 0 ぬ の目のの @ ㌧ ぜヰゴ の的 0 Ⅱのの 目ト か てトベ ︶ (46

キセセ丈せセ 0 せ の C のへて 、 古

6 羽立面角 へ @ 甘皮

Ⅹ︶Ⅰ

に qe て Ⅱ e て化 ちせセ 山に @ e 丈 セ の セセせ Ⅰ飛トⅠ め め小

bo への 師て q のぎめ 洩 へゆも D への 数 に関す

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のへ

八ロ

師父 ヰ ふこ @ く せ り

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寝へ

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㌔。Ⅰ

Ⅰ " もも ⅠⅡ う へせ ︵ しガ討 一パ 0 目 0 づ 甘が臣ののⅡⅡ べ ︶

資料に依るものである。

︵田村

も の

︵ W@ ︶

患性 に関して兎角の

きの形容詞で評される

とは多少事情が異って い

クレイトスが彼を評した

あったのは事実らしい。 の 自然についての研究が

。 ピユ タコラスの プシュ

く 、 又 著作が全くない ピュタゴラス教団のプシュケーについて考察 る 。 ピユ タコラスに関しては、オルフェウス 補 1 補 2 言葉、ヘロドトスの批評もある事から、前五 ピユ タコラスの弟子達も 、 夫々に フ ィロラオ 知られている。独特な宗教的活動と自然学の ケーの輪廻転生の説を挙げて見よう。但し 、 と 云われている事から、確証のないものが 多 アイについてこの点を求めたのである。 O

(19)

転 が 棟 祭 孝 に 所 あ あ を " 極 相 さ に っ も る る (3)

にもナ紺そ文儀る

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つ 」 相 た 等 に と と 刑黛 のの 手 続 な 弔

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環 遅とし ま こ 行す

て、

し 特長 懐 生 な な 動 て 、 る る 的 様 的 ず 固 い 的 老 木 専 管 で で 18

(20)

古代ギリシャの 宗教に関する 一考察 古代ギリシャのプシュケーが 、 な 期間に 、 豊かな内容を持っに 到 のは、勿論側面的な意味ではある の 様相そのものであった。輪廻転 くものであるが、ギリシャに於て 不スの 言葉を借りるならば﹁凡て なかったかと思われる事である。 儀 宗教のディオニュソス信仰、 及 止まない自然の円環的な運動を 、 素を此の基底の範囲に受容したも 生命として此を感得し、祝祭した に 於て在った。 そこで、前章に於て述べた輪廻 て 、それまでのプシュケーそのも を 含んでいたのではあるまいか。 特にパイドン篇におけるプラトン ではないので避けたいが、ここで ソーマ︵肉体︶との同居が苦痛であ プシュケーが此の生の車輪を脱 れ

の中では実際は却って異質のもの プラトンを除外する事は出来ない。

関係上許されないし、当面の問題 ︵ 毬 ︶

陣は全く対立し 、 プシュケーは

ーを肉体から解放するものとし、︵ 8 ︶Ⅰ

推定されるが︶を基盤にして、僅か

私に特に顕著な特色と思われたも プシュケーであり、 ス この輪廻転生

の 生命に移行する﹁めぐり﹂を 説 円環運動の観相として、アナクシメ

して、底流的には存在したのでは

ス 其を暗示する学説もあるが︶ 秘

コラスの 教読 も、永遠に回帰して

るのである。或は異質の秘儀的な要

って、後者は永遠に回帰してくる

同様プシュケーは、﹁生命﹂の表象 19 (463)

(21)

汗下 。 蛋ヌプ 甲申 0 ロゴ。 ヰレ 0 Ⅱ ず 。 ゴ の臣の 0 Ⅰ ざプ 田の コ の ゴ の で ・ レ巾卍

0 のがコ色 勾匹 山杖 ロ 0 臣ト ㌧ セキゴ ひ軸 0 Ⅱ笘の 0 円のの ヨ 0 の㌧・の㏄

Ⅱ ドの Ⅱ の

の 。のロレ e コ の田㌧・ 吋

すコ 0 口持片戸ロの 臣ゴ 0 ヨのギ の。 ゴ の臣の e 年はアヰ の コ の ゴ の ロ ・ め

のの 降 , 由コ

幅 のぺの 0 す 9 コ o コ

︵ コ Ⅰ ヱコ ㏄ 窯 。 ダの Ⅱ

れているのは注目に は 一つの問題点ではな ぃ だろうか。 。オルフィッ ク 田ホ られるべきものとし ︵㌧ 守ヰ 0 臣 @ ㌧ す 0 ㏄ 隼 0. ㏄ 0 し ︶

とっては、 ちち も セ尽 Ⅰへの

けで存在する事は彼の

(22)

代 打汰と りぬちもへりウル e Ⅱ支障Ⅱ 古 ︵ 叩 ︶㌧守田 0 口 ・ 巾ゴ 由の口 0 一のの㍉ シ 。 の宗教に関する 一考察

二リ

( ⅠⅠ 81 ( 7 ( ⅠⅠ 6 ( Ⅰ 上 Ⅰ 二 ( ⅠⅠ アサ (Ⅰ 千上 6 ( 1 2 ( Ⅰ 工 1 ( 1 O ( 9 ( 8 ( 7 ( 6 ) ) ) ) ) し ) ) ) ) ) ) ) ) 中一

り申同毛

Ⅱ 旧ヨ

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オ 毛の 沫良へ

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偉い田

田 ゴの

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Ⅱ @ Ⅰ臣の

o

Ⅱの

井下

の 目

の日・

の O

名曲

( の - のの

O

年∼ せ

偉臣

コトⅠ 21 (465)

(23)

托佛佛 Ⅰ上田 亡 さ % キ no の・ 弓 Ⅰ ミ 補リ Ⅰヰ出色 o@po- ︵がめ、 ぎ ・ 臼 (466) 22

(24)

グノーシス主義と 見 と う め に 権 ハ れ よ 威 イ る る の デ 。 グ 喪 ッ 先

ノ失ガず

l " l "

そし

シス 主 て 葉 郷 義 弟 で 喪 目 玉 裳 失 休 に 徴 」

に よ と

歴 プ で Ⅹ

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書(ある

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@ 、 ン

単 の 崩 と な 発 壊 ぃ 23 (467) ハイデッガ一の 思惟 精 泉 さ 主 神 」 る 義

が穴

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三 名 し 忌 っ づ か わ の け し し 事 み な い 柄 れ が も

/ 「 否 ら l 否 定 れ シ 定 さ

ラス

る王学、

神 れ と 義 の 抹 思、 の 源 殺

としてのグノーシス

︵ 2 ︶

締約キリスト教 信

り円心性

' " Ⅱ 且

(25)

は、 後の論文の中で ︵ 照 ︶ を 解釈したように、 グ 二千年という隔たり

とが、その根底にお

シス主義の基本的な っては、グノーシス 主 と ハイデッガー﹂と のにとどまる。 権威 ヨ ナ ス ︵ ヰ 胃の 者であり、グノーシス ぶ炉 ハイ 羊 ノッ ギ刀 1 0 日 存 性 の一つなの ロ 0 魑の ト のⅠロロ 帥レ ︵仲川︶ である。グノーシス主義の神話とそ され、解釈され直されねばならない ︵ⅡⅡ︶ であろう。現段階においては、そのため 0 便信も又、我々の時代の言葉を用いて ﹁非神話化﹂ にハイデッガ ︵円目片目 せ Ⅰ ゴ 0. | ︵ ヴミ Ⅰ・ 叫 小い 田 ・

の 新しく大きな可能 ︵ 9 ︶

去ってしまった単な

似 したものにならざ㈹

存在していたひとつ

自体の本質と根底が

(26)

グノーシス主義とハイデ ,ガ 一の思惟

。両者とも、そのよ して、特に後期の ハ

に 述べるように、 ハ

めて類似していると

る 。そして、﹁存在﹂ 一

であろう。 グノ|

ている聖なる 秘 義の ︵ 騰 ︶

﹂︵ 鰍ぎ ︶も又、周知 ﹁ハイデッガーの を見る力を私に与 た ﹂と語っている ものであり、主に ものである。従っ においては、この る 。先ず、両者に シス主義の史料を

刑 には見のがしていたグノーシス ︵Ⅱ︶

合わせて︵

日臼目注

︶作られた

と 実存哲学一般との相互連関を﹁

て ハ イデッダ目 サルトル ら

充分に論じられてはいないと思わ

と ハイデッガー﹂というテーマに

あらかじめいく っか 指摘し、 し

訂 して行こうと思う。 主義思想の諸光景 ︵ 5 ︶ かの如くに一致し 実験的に﹂扱った の 哲学を展望した れる。以下の論述 接近しょうと考え かる後に 、グノ| 25 (469)

(27)

理性的・実証主義

このクノーシス 主

レーヴィッ ト、 ルグ時代のハ イデ

こつ

Ⅰ ッガ ︵ 神 Ⅱ︶

いる 0 レーヴィッ

ノーシス主義とが

つ 。

あろう。ハイデ ︵ 械 @ ︶

かんずく、新約聖

ス ︵Ⅱ・ ロ 仁の ゴ の︶を

、キリスト教神学

学を批判するに い ︵ 初 ︶ る 。

は 、キリスト教

したものである。

ともに、他方では

たのである。フルト

ることによって 、 キ マ 、 そ か た と 中 書 ッ ッ 、 ト l 表 的

(28)

グノーシス主義とハイデッガ 一の思惟

と混 清して行く過程

思惟とは共に、いわ 異端思想なのである。

ンツェ︵ 已 ・の。 臣い の︶

その研究テーマ は、

有しているとのことである。︵ 1 2 ︶ コンツェは 、グ ノーシス主義とマハー

のように結論してい

るのではなく、本質的

0 目的︵のら も、グノ| ︵何の︶

している。もちろん、

主義が仏教と親密な 類 ︵ 接 ︶

きではないであろう。

ている。西田幾多

くからハイデッガ |

う 論文において、 ハ

極めて禅に近いもの

真性﹂それ自身では ︵ 乃 ︶

である。更に 、 氏は 、 27 (471)

(29)

は 、お互いに歴史的な関係がなくとも、いっ 、

である。﹁グノーシ ︵㏄︶

二 % ︵のよの こ のの ゴ注 ︵口目的︶

しかも最も徹

、 グノーシス 主

持っていないと ︵ 乃 ︶

グノーシス

コ のす リ 二目二ぬロロⅠ 義と いう 主義 のトコ の

るマ 二教の中から 出

をたどらしめていま ︵竹久︶

心と接近が認められるであろう。

性 が確認されると

何か ヒ 一九六一年︶に

則 し、人間学的思想

ている︵児島 訳 二四

キエ ル斤 ノ ゴール、 ニ

るのである。そして、

(30)

グノーシス主義の 原 グノーシス主義﹂

0 、神話と哲学と のけである。 仮性を有している 根拠をも 見ぃ 出せな するのである。その 及び仏教︵ 禅

と類 あげ、テキストに 即 にすることにあり、 惟 解釈するということではない。

一 "

マス行伍

0 八| 一一三 紀の中頃以前には、すで

③ハイデッガーの思惟

ある。そのイラン的な

3 2

と比 童

れる。

真珠の歌 V

(31)

ハイデッガーの思惟 ︵ 餌 ︶

う な神話論的な叙述

な 子供であった

衣 とを脱がせ、 王

いた。つまり、も

輝く衣服と外衣 と

プト に着き、蛇の

ジプト人達はやが

らの食物を食べさ

エジプト人達の

王国で手紙が書か

から目覚め、自分

ぎ 捨て、東の故郷

は 父の王国にもど

与えられる。

中にあるのではな

論は 、その表現にす

(32)

の歌 v のテキスト、 及 3 ざ ︶の世界は、﹁認識の啓 主

てくる﹁認識﹂ 年逮 Ⅰへ ぬ,

︶㊤

明瞭に認識することが 可 を、 先に示したグノーシ る 現存在の実存論的分析 佳

いわゆる﹁転回﹂︵内の ゴ Ⅱの︶

在 と時間 L と後期の諸蕃

ことが必要であ

主義の本質を形成す ︵㏄︶ モチーフとして、次の四点を指摘している。 Ⅲ 反 この世的二元論

よる認識の啓示 ㈹超歴史的﹁文化神話﹂

の歌 V のテキスト 検討して行こうと思う。 を る る

(33)

獄 ﹂︵のの hw 口 ㏄三の︶ と

︵ 弗 ︶

配 者となる。 グノ|

者のこの根源的原体

十三節︶。 八 真珠の

、﹁蛇に宿る真珠﹂と

伝承に 、 グノーシス

休 には、﹁閃光﹂ や

に ﹁エジプト﹂、﹁ 海 ﹂ ︵ 即 ︶ シス主義において、

。ブルトマンによる っ たが、これに対し

ぽ的 自我の徹底的な ﹁世界における人間

イ ノラ ト 1 ン人か らへ レ二

グノーシス主義の最も中心的な特徴であり、

そこから他の諸々

四 (476) び ハイデッガーの思惟について検討する。

(34)

れる。それは、神話論的⑦

である。いやそれ以上に 3 、 魂は地上には属さな い

リルケの詩の解明の一節

﹁人間は世界に対立的

いても、人間と世界との

口 えよう。トラークルの 詩 て、 佳 思や、 印象的に表現される すでに﹁世界の運命 | シス

がまさ に体験したこの﹁故郷喪失 主義においてと同様に 、ハ ﹂が、今 々 デッガ

ぅ 乏しい時代﹂は 長

る 、とハイデッガ | ︵ 始 ︶ つ 象徴的な言葉となっ ︵ 仰 ︶

世界史から消え、 世

ら 脱出すべきも

識 が潜んで ぃ

ある。ハイデッ いの ざ ︶ と呼,ばはさ のと ると ガ| るを

(35)

である。前者の諸

︶世界認識を全く

決定的な異質性をも

的な自然の中へと﹂

人間は、神的・ 反神

まれているのである。

ののコ % ヴ 田口ヰ ヰ ︶を 意

ていたものは、やは

虚無性と無 底性 とを

、その根本的気分は

状況﹂︵ ゑコ の OHw お ・ この両者のそれぞれの出発点の相違のために、

者にとっての特徴 ︵ 帥 Ⅲ︶

間ヒの中にも求めら

る ﹁ 麻痒 ﹂、﹁眠り﹂ 、 ︵ 旦 ︶

る 。 ︵ 穏 ︶

ばならない。﹁魂は タ ︵ 駿 ︶

ぎ ︶から別れ、﹁青い 34

(36)

グノーシス主義と ハイデッ ガ一 の 思惟

真珠の歌 v の事実的、

論的

・実存論的な

世界を次第に離脱し ︵㎝︶

らは﹁実存﹂にとっ

ること少なく、語った

﹂の声なき声に聴従しているのである。

子は、自分が﹁ 王

取ってくるようにと 命

せられた﹁食物の重

アッ ガ ーの舌ロ葉による

考えられる。﹁現存在

世界Ⅴへと 頽 落して (479) 念が 、現実世 的む 目俺ガのぎ ︶ ろう。しかし 動 ﹂、﹁離脱﹂

ゆ断 ﹂

は 逆に、ハイデッガーの用いる﹁無関心﹂︵ の Ⅱの i ハ U ヴ ・

のであ

に ﹁ 浮

とく、

(37)

﹁閃光﹂をその中に

ト人達は 、 何らかの し、 彼らの食物を王 か 当 促 れ か 初 エ そ れ 然 迄 た ら 的 ジ し 王 ず さ さ 、 遊 曲 プ て 子

とい ︵二九節︶ 、

て 、意識的に

し 、自己の原

正 な存在連絡

や 常識に包ま

﹁ 根 なし﹂を

くのに、その

毛 の す の︶が気付 に蔽われたままなので㌔ ﹂。︵ 6 ぴ ︶

やあいまいであり、

定 的な評価に直結し

と 存在との木質的な こと︵ 宙薄 メトのⅠ ぬ 9 お口 年 。トと へリゴ Ⅱ ゴめ ぎⅠののの 小 Ⅳ山口の︶ Ⅰ︵ 5 6 @ ︶ と説明されると、

すると舌口えよう。 王 鍾 めき合い﹂の中に巻込まれているのである。 (480) 36

(38)

的な構造と

諸力

とを

て 根源的な生命を喪

語 がいたる処でく

り 脱却することは、

の 告知者・啓示者・

世界的な存在者が

五節︶、という記述であ

、王子の心の中に書

37 (481)

(39)

のゴ の ヰ あ丹色 曲 のしののの ノコ 来 的な存在可能の証 3 2 げヨ の コ隼 ︶によっ き こまれっ っ 、﹁ 現 真珠の歌 V の﹁遣わされた 者 ﹂である﹁手紙﹂ は 、一面では、確か 、いわば無意識の世 ﹁ 魂 ﹂が、﹁誰もその と 呼ばれている。﹁ 手 往者﹂なのである。 のようなものであろ ︵五二節︶。その﹁ 声 ﹂ 者 ﹂は、その姿を見 三の語りかけに、 ひ 珠の歌 V のこの﹁ 手 て 、一層深く把握されると思われる。 している人間が 、 るかぎりは、この 役

(40)

の ロ上ののののわ 笘岸 の 宙 0 Ⅱ ノーシス主義とハイデッガ 一の, 巳 , 唯

決 る た っ

がこ

れ 油供 「 の

(483) に 告知し、開示す ︵ & ミンコ ㏄の︵目の口の︶は、現存在であり、 隼ゅの 目 当の中への紛れか ︵ 竹 ︶ こされる。そして、 の トヨのⅡ口コⅠのの四二のⅠ

在 自身が、﹁良心﹂と

(41)

ⅡのⅠ︶は、現存在であ

まいのままで用いら

﹁ヘ円 ぬ Ⅰ Q 中円 Ⅰ 杜 ⅠⅠ 0a 至 0% め ⅠⅠⅠⅠ ヘめ

︵ し 0 の プ隼 りののの

ぎ|

︵ 艶ノ

、﹁存在﹂が、良心となって、現存在を呼んで いたのである。﹁存在﹂

︵の 口 qpn ゴの ︶にあり、

に人間が住むのであ ︵㏄︶

存在が開示・顕現さ

ある。

によって、自分自

て 、そのような﹁ 認

もなおさず、﹁人間

各 なのである。

それによる﹁認識

的 類似性を有してい

という姿勢は、後期

て 、その最も本来的、

(42)

グ /- シス主義とハイデ ,ガ 一の思惟 Ⅰ @ " Ⅹ /

実存のある共通の

ぐる人間の営為が 、

界 との徹底的な分裂

の 努力は、ひたすら

にとって 、 残されて ︵㏄︶

グノーシス主義者の

義 的な修業を経た後

して、ハイデッガ |

言えよう。グノー ジ

秋 され、非神話化さ

主義の根本構造は 、

から遣わされた﹁ 救

﹁ 預 舌口者﹂、﹁天使﹂、 ︵㏄︶

ス 主義文献に登場するのである。

者との同質性の認 識 ﹂について、検討しようと思う。 41 (485)

(43)

︵㏄︶ ︵㏄︶

﹁存在﹂は 、グノ|

ていると思われる。

ね 、﹁至高者﹂と 同

認識することが可能

っ 。フルトマンが指摘

コの Ⅱ C コ名ユ 出ざ甘 村よ 叶 ︶

コト ヨ 匹 拝む ヴ のⅡ ピゆ のロゴの 田 ︵︶

﹁覚醒せる意識﹂ ︵ 、 0 0 ・ ︶

ある。しかしなが

るのであり、ここに

とであり、逆も 、同 ︵ W ︶

すでに、﹁ 神 ﹂と ぃ

外から内へ収敏し 、 ︵ rO ︶

最 底部の認識から 浮

・不可知などと否定 ︵ 弼 ︶

二︶なのである。 ハ

に 各自に啓示される

るように、ハ イデッ

(44)

その発見へと至る道 4 ノ - シス主義とハイデ ,ガ一 真珠を奪った後で、

子を救済したあの﹁ 手

、 グノーシス主義の

うない。グノーシス 主 ︵ 、 8 0 ・ ︶

に 多くの﹁諸世界﹂、 ︵ 01 9 ︶

ちろん、このような (487)

︵Ⅲ︶

﹁内面の木質﹂、﹁霊的

﹁衣服﹂は、﹁超越的内在

すぐれた貢献と考え

自己﹂を 見 けだし、﹁自己﹂の中に﹁衣服﹂を 見ぃだす ︵ セ 七節︶の ︵ ・Ⅰ 0 4 ︶

。しい 鱗 コ %" とは、 魂

ぃは 、内的に結び 合 ︵ ・Ⅰ 、 0 ︶

であり、﹁根底にあ ︵ Ⅰ 0 2 ︶

ある。

ね 、最後に王子

を 認識し、それと 合

田 のむの手目︶のよう @@ @@ ¥c つ つ

(45)

神話﹂は 、一 グノーシ したものなのである。 なのではなく、人間の 時間と空間を超越して

実存理解・歴史理解に基づいて、構成・創作 な 出来事に関する報告、つまり、﹁おとぎ 話 ﹂

口 0 ︵のの プ ph ︵︶の一つなのである。その 使信は、

と悔 改めの召請﹂︵旧き下目年寄 申ゑ ︶であ

、多言口を要さない ︵Ⅲ︶

﹁グノーシス主義

のような実存の歴史 づノニ 。ふん 七 帰る運動、故郷を出 宙 論的叙述は、ハイ の

、 質 ぎ の う 遠 で に さ や が め

ぅ片あ

る ハ 反

秘さ

イ ガ ッ た 印 す

( の

田存

「 そ

そ か 最 の つ

(46)

グノーシス主義とハイデッガ 一の思惟 う い げ いのぎ倖の︵と目の目︵ コ pn 甘ニ ︶にあって 、 験し、それに耐え、そして、

ものではない。 そ

ば ﹁世界の夜の時代﹂ 泉宙 「 と 」) 否 い な 定 ぅ の 神 こ で 学 と あ の が る - 明 。 彩 ら 式侃か 」) 6c と な 呼 つ は た る と べ ほ、 き わ も れ の を

あ ハ る 々 - つ - ア 。 し ッ

ゑ l し の て、 産

グ在

義は

、貫し

く 、 老兵 み そ は の 「 結 否 局 定 め 神 と 学 こ め る 源

て、 極めて密接な

適切に理解される、 へ曲 ノ

ってのみ語られうる ︵ ︶Ⅰ・ 8 、 のではないかと思われる。

らの Ⅱハい︶㏄ 屈すの ︵ 5 ・ ・ 、 、 ︶ ス 主義における本来的な実存なのである。

のである。

々しきもの﹂ 、 ︵。。︶ l ﹁Ⅰ

ブユ ルステキ

が 取集められ 口ロ ロ ︶の 後期の ﹁死す ,ゥ ︵㌧ ︵ ︶: 7 ・Ⅰ , ている﹂ ︵ 4 ・ ・ , 、 ︶

ルトマンの指摘によ 45 (489)

(47)

註 て、 更に検討を加えたものである。

研究発表をもととし

紙 に見い出される語句である。

ハルナックによれ ︵ M ︶ の艦コの ・︶ の 反 ら 「 わ

るてあ

。 いるハ車

神 な 我 る 父 イ に 的 い 々 ハ の デ 投 、 で

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る 「 一 日 一 淵 と 之 る を 掃 え 」 は お の 雀 異 手 で 東 ナ よ 臼ミ あ

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(48)

グノーシス主義とハイデ ,ガ 一の思惟

ⅠⅠⅠ

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(50)

グノーシス主義とハイデッガ 一の思惟 00000

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(52)

グノーシス主義とハイデ ,ガ 一の思惟 ︵ 7 ︶ ︵ 8 ︶ ︵ 9 ︶ ︵ 0 ︶ ︵ 1 ︶ ︵ 2 ︶ ︵ 3 ︶ ︵ 4 ︶ ︵ 5 ︶ ︵ 二リ ム U ︶ ︵Ⅰ ニリ 1 ︶ ︵ 氏リ 00 ︶ ︵ ミリ 0 Ⅰ︶ ︵ ムリ クリ ︶ ︵。Ⅰ︶ 6 ︵リ ムリ ア ︶ ︵ ムし 3 ︶ ︵ 几リ ア Ⅰ︶ ︵ 6 ミリ ︶ ︵ 二 U ︶

として重要視

応用しているの

の中へと投げ込 まれる。 由 0 ロ @u 一の的㏄の﹁・㌔Ⅱも∼ N* 、馬 ぬ馬 , ︶のの 0 、の ・ いト の 口か㏄ ∼ 申 ∼ Q :の ∼ 申 ∼ Q., の ・はかゆ

ヱ 出山の的㏄の︵・ め 隠さ 窯 S 曲 N 隠 ∼・ ト のの∼・︶ 、卯 ︶ づ申 年 0 Ⅱの・, 自甲ぬ Ⅰ 笘 心さ 由 ままささⅡめ ぎ 6 ま ヤトの下 へ,の ・㏄Ⅱ

51 &m ︵の:生も∼ぬき 俺ぬ n. 紳 めの か 年窯 の : 目求鮭 ﹁きぬ蝸のぬ ま ﹁ 助 ㌧﹁ 黒 こい 田き 白申 れ %NQ :の ヘ轄 ∼ &., の ・㏄︶

・の・ い の め肚 山ヴ Ⅰ 隼 .@ @m 甲

ヘ申 へも・・の・ H ︶の lPP ㏄ ヘ甲へ隠 ・ ,の ・ ト いの

渡辺二郎㍉ハイデッガーの実存思想 ヒ 、三八 セ頁 。 周書、三八六頁。 pm へり :︵∼ 轄ぬ ﹁ -qQS ⅠⅢ xQsnS ∼の Qs きタ の・ 0 ︶

(53)

︵ 0 00 Ⅰ︶ ︵ 0 00 。 ︶ ︵ 8 り 7 ︶ ︵ ムし ︶ ︵ 二リ ︶ ︵ ノ丹 ︶ ︵ 2 り ︶ ︵ⅠⅠ︶ 0 。 ︵ 00 0 ろ ︶ ︵ 00 ハリ ︶ ︵ Ⅰ︶ ハ ︵ 00 ︶ ︵ 71 ︶ ︵ 6 ︶ ︵く ︶Ⅰ l し ︵ Ⅰ 00 り ︶ ︵ Ⅰ ウ 4 ︶ ︵ 0 乙 ︶ ︵ ︶Ⅰ ハ l U ︵ⅠⅠ︶ⅠⅠ ︵ ムリ 00 ︶ ︵ Ⅰ︶く ハ し ︵Ⅰ 1 ︶ ︵く 几 Ⅱ し ︶ 年の Ⅱの・・ め寅 へさ悪 さ簿 N ぬへ ∼・の 円べ申 Ⅰ 0 コ のの・ 命ミ 0 め叶 Ⅰ。 わ ㏄∼∼ 咬 Ⅰ 色さ、や ・印の 1 のの ヘ甲 ∼ &., づ ・のの 1 の 切

,ロ ・ ニ ー び,を 参照。 Ⅰ 甲 ∼ヘ心・ ,づ ・ べか

の ・トト ト 主色 片舵的 の r. め簿轟 悪さも N 隠 ∼・ 紳トべゆ い か㏄ Ⅰ 甲 N ヘ円: の ∼ 甲 q& :の・ H いの へ簿 Ⅱ 4.. の・ めひ肚 Ⅰ 申 ∼ 巳 ., の ・ い の の きへ &., の ・ め Ⅱ㏄ Ⅰ ヰへ 4., の ・のⅡの さ杜 &.. の・ め ⅡⅡ ヘ申 ∼ 4.. の・ め Ⅱ の め ⅡⅡ Ⅰ 甲 q Ⅱ:の 八 へ甲 h&.. の・ N Ⅱ 印 ∼ ヰへ 4., の ・ め Ⅱ の ∼ヰへ Q.. の・ め ㏄㏄ 軋甲へ隠 ・・の・ののⅡ きへ Q., の ・ いの の ∼ 甲 ∼ &., の ・又のⅡ & の Ⅰの:︵﹁中馬﹁︵∼㏄ さ ㌔ ぺま QQnS ∼ め丼父 まめ・の・ お ∼ 申 ∼ Q., の ・か印

(54)

グノーシス主義とハイデ ,ガ 一の思惟 ︵㏄︶∼ 申れ L.. の・ ゆ

とが予想されるの わ

︵ 禅 ︶に接近しているキリス卜者が、荒井 献氏 によっ て、 グノーシス

、比較宗教学の

べ ぎであろうと 思われる。 ︵㏄︶荒井 献 ﹁ヘレニズム思想﹂一八 0 頁 。

共通するものであろ

汝 自身に帰れ 、

e Ⅱリカ 0 目㏄ ロ 。 コタ パメ メロメ , Ⅱ 吋 ︶。

に 落ち込むと、一般

色は、﹁禁欲﹂

ノーシス﹂四四

禁欲﹂も 、 決し

と 代償を払って のみ、獲得されるのである。 ︵ 的 ︶渡辺二郎、前掲 書 、三三五頁。 ︵㏄︶Ⅰ 0 コい の・ ob.n ∼ れ ・・の・ 吋肚 ㏄ 1 のの ト ︵ W ︶渡辺二郎、前掲 書 、二八一頁。 ︵㏄︶ 原佑 、前掲 書 、一 セ 二頁。

頁 。 ︵㎜︶ 頭 三井ヨ のココ @ もⅠ 印守 Ⅰの 討 ⅠⅠ めヰ en ヰ まま @ の ・ ト ㏄ の

トつ いの・の・ ト のの 53 (497)

(55)

文を特に参照。

コ舶 ・・︵の・ ト 轄の1ト ゆ臼 ︶

115 し 114 ) 113

))))

112 111 110 109

108 107 106 105 1 叫 1 ㏄ 102

づ 圭 ト " 一

用 に "" 。 。 。 一 仁王Ⅰ @ 日の

る 4 元 霊 的 めぃ

」 珊た 」 - さ 0 さ (の 般的 ( 三

性 」 " さ膝 ヨ セ神 「 ぎ話 臼 」 毛つ 味 せ

)でま @

与 め く 、 あ か

、 し こ 冊

(56)

グノーシス主義とハイデ ,ガ 一の思惟

め円り ㏄ ミか宙註 P P ののの、の ト の︶

解は ついては、渡辺

照 。

ることに重点を置い

平も又、開かれ

北海道哲学会会

氏 が日理想 L や

義 的なものにあ

も 未だ単なる 指

まいのままであ

﹁∼∼ さ 生め∼ & ぬめめ馬 ﹁ め

口頁 、を参照。 ︵℡︶本稿 註 ︵ 4 ︶を参照。 ︵ 2 ︶目の ズレ の 幅 ㏄ q. 由も∼ い き めぬ Q. の・はか㏄ 1 の肝の

を 参照。 ︵Ⅸ︶下の日の幅 幅 e ﹁・忌中心Ⅰも 寅さ叫 悪まⅠ お へ りま 定め、の・の︶ 55 (499)

(57)

響楡 表現よりみた 空 (s 廿 nyat 巨 ) の概念について あ 空 あ ろ

も か で 、 め て 空 そ 念 よ と 、 初 寒 、 を の の く い 大 理 う 乗

解 こ 経 乗 と 生 ( な に さ と 典 れ に の 云わ経の

づ、

網 に 口 o 臼 方法 し 序 ね 関 中 ば し で な て 先 ら の 駆 な 面 的 い 接 存 空 胸 在 そ な と の 読 み も 明 な の は さ う る の し れ 説 て て 明 い い め じ 小 を な る 入 ろ し して 1

・『 般 ぃ 主 君

@ 串ん, Ⅱ け よ と い 縫 ヒ @ % 人 と う で

い 語 は か め ぅ は 、

つ 理 こ " 八 と 篇 諸

平 へ の 理 て

、|

込 に 易 の @ % 考 こと解で

衰で

五ヵ

。 。

ェ 理 窟 廿 ヰ 宝 ょ さ , つ 木 呪 る 解 が な と 合 と る さ 慎 空 か す 理 し Ⅴ れ 重 を つ る 理 た 立

解 入 場 ぅ わ 表 な さ し 々 が で れ 現 ら れ よ も あ は て は な て う い る あ い る か い と た 。 る る る っ た す で し が め が た で で る あ か

巴の概念について

(58)

い で そ

師父 隻ご 一七一頁以下 じ

第一節、 2 ユニヴァーサリズムと救済思想、八頁。 同上書。第五章、第一節、 4 百 と空、二六六頁。

角大耳般若

ト申 ︶

、物質的 現

があるが、これ

ろう。従って 、

照 的な表現があ

。それ故に 、

、 有に執着する

と 無に対する執着を避けるためのものでもあろう。

の 思想を根底 つ としているの ぅと 思われる。

とらえられて 、ということを考察してみたい。

とは、空が実体視 さ 8

若経 ﹂は、それを 避

(59)

馨楡表

理 田 ・ ︵ 因 ︶ チ リ

結ぬ 珊 ︵ 結 ︶ 現よ ナ @

主張︵め本︶

用いるという傾向が

、後

考えられている。︵

5 ︶

零陳那

︶の五分作法を改

として欠かすことができない。

序は異なるが、

薩 ,

句義Ⅱ

仏昔

ゲ クマ

@

" 。

菩提

-- づ ︶

愉 表現が数多く見られ ︵ 4 ︶ としての展開と思われる。

u

要楡

表現

で片け 、 人 北わはり毛虫二典 ニ 朴は れるが、︵ 1 ︶これはインド るのであろう。 っ に見える。原始 仏

(60)

ョ 須菩提。 ム ﹁ ヰ荷 Ⅰ

智者

以二讐愉

-

レ解

。﹂

原始仏教経典におけるこのような表現が 、 ﹁大呂般若経﹂にも見られる。

を 解す。 ヒ

︵長部経典﹁

弊仲伯

灰土﹂︶ 荻 Ⅱ︵

3

1

が 為に為せり ピ

︵中部﹁経典教難陀

迦経し、

@-,x,""M.mW

t 2

︵ Ⅱ︶ @

元 第一世紀頃から

期 のものであろう。

石経 L がインド 論

いずれにしても、 両

らしめるためであることを経典は述べている。 ︵㏄︶

適用︵ 合 ︶

質的には同じであ

三支作法︵ 宗 ・ 因 ・

あろう。 ︵ 7 ︶

間 という説、西暦 ︵ gu ︶ ︵ 0 り ︶

態は既に西暦紀元前 (504) 須 ( 生口 相陵

却下島

飛二

虚空

跡 。 ヒ

実例︵ 愉 ︶

(61)

讐楡 表現よりみた 空 (S 廿 nyata) の概念について ︵ 几り ︶ ︵ⅠⅠ︶ ︵ 0 乙 ︶ ︵Ⅰ 0 ︶ ︵ ︶ⅠⅠ ノ丹 ︵ ︶・Ⅰ 二リ 上 ︵Ⅰ 上 - 訂 Ⅰ ︶ ︵ 04 ︶ ︵ 00 ︶ ︵ アサ ︶ ︵ ミリ ︶ ︵ ム U ︶ ︵ ワ 1 ︶ ︵ 00 ︶ ︵ ハ Ⅰ︶

力 ・ べ

: ゴ

㏄の・

m ︵ 0

以下。

㏄ コ ・ ト

"0 曲。

し 下や

ゲ の︵

c

木 ・ 弓て目

・のの

口 一コ

ぎ宙由

ず日・ワ付

はり Ⅰ

大正

人 。二四一頁

下 。

赤沼晋書師

刊 仏教経典史論

ロ 二六八、二六九頁。

宇井伯寿博士㍉仏教経典

史 L

一 O

五頁。

頁 。

前掲

︵ 註 2

︶。四九頁。

渡辺

楳雅

博士

訳 。南伝十一下。三九六頁。

水野弘元博士

訳 。南伝

セ 。

三セ

九頁。

大正人。四一二頁

下 、四一三頁上。

大正二五。

一 0

三頁

中 。

︵ Ⅱ︶ @

合の認識のことであるという。

愉壊ニ

諸法づ

二人

- 枚

。ニ多

別て愉

。 L

量は修得の知識

我先 已答 。 是摩詞街 加工大海水ぺ , 。。 ス 助法 尽摂 。 キガ 摩河街 冬二因縁 - 枚。 冬二 讐ぬ 坪網 レ各 。 っ にいう。 ﹁間日。 ウテク 一事 可 。如何周三多 愉ぺ

(62)

れ 乗 休 が 8 7 6 5 4 3 2 1 ら 大 経 生 得 仏 世 の 乗 輿 の す 教 界 16

影 ( 腱閨夢 ( ) ( 3 響 ( 虚空 水中 焔 ( ( 幻 書 愉 経典 であ 思想 るた を仏 金 倉 始 門 し 中 博

先 隼 釧 リ ガ 曲| ゴ ) 次 駆

一 イ せ Ⅱ 経 て い 空 u ン の| 曲コ

内存

に示 典 、 る る コゆ ⅠⅡ す 在 と と お み の Ⅱ の り な

で さ あ れ

る 0 ( ) 2 て い わ 義 も 仏 る 二コ 般 れ る で 教 て 有 き の い し よ め 若経ヒは、 空を十種の讐 愉 によって説明 であろう。そ う。そのよう 亡い ろとい わ ︵ Ⅰ︶ ナ るが、仏教の の点において仏教の独特の な意味において、空の思想 ね ば ならない。 一大特質として前面に現 わ し し は 立 よ め ィ ム 湯 うと 尤 。 Ⅰ 教 が の る る し ま | て

し Ⅱ や た 空 る ま | め の り 0 月 、 そ 大 想、 (506) 62

(63)

警楡 表現よりみた 空 (s 廿 nyata) の 概 念 は ついて

二献衆生 - 陣二仏国土 -

那波羅蜜月曜波羅蜜 厨

衆人ぺ

-@

復幻 。・

千件

, 梵衆

大冊

三作人ぺ 令 三布施持戒忍辱精進禅定修二智慧 づ 是幻師復幻 千件刹利 大

のもある。

池 。衣服臥具香華 因縁 - 堕 土地獄 ズルヤ - 乃至宝 二 非有 想 非無想 処 不 。

L?

) ︵ 3 ︶腱を乾とする場合もある。 1 % ・ 旬 ︵ 自ノ鉗せ囲 ︶ ︵Ⅰ ム ︶

いる。

によって 幻伸 されたところの人、動物など

家君 馬 右半若手若男若女 ゅ於 二枚憲 - 芸 何 。 のことである。 是 幻有二業因縁づ 用 ニ足業 9 鏡 中の像︵ 笘注 子息 まの ︶

托化

︵ コ田 ︵日田︵が︶

ヒの 註釈 書 である㍉大智度論 口 註 ︵ 1 ︶の コ ・ トトト の・ロゴ っ ・ の の・ 0%0

によれば、日大岳般若経口巻第一﹁ 序

- 鏡中 俊一如か レ化 。 L ︵大正人。 二

のものとする。谷足 十楡為レ解二 を 中心にして検討していきたい。 品 第一﹂にある日 解刊了 諸法 如レ幻如レ焙 一セ真 上。菊本名・ し 由ま一づ せ ㏄㌧㌧ 、やナ チ リ 空法一政。 L 大正二五。 一 0 一頁以下。︶

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