自己実現目的の共生と
QOL
カ
日
藤
史
博
は じ め 本稿は、共生原論の序章の一部として、共生がどのような価値に依拠し、何を志向するものなのかを明らかにす る乙とを目的にしている。特に、生きることの意味を創造する営みとして共生を定義づげようと試みた。インド哲 学と大乗仏教を専攻する竹村牧男は、共生を﹁自立と連帯のなかで、だれもが十全に自己実現を果たす乙とができ る社会﹂と定義づけている。筆者が考える共生とは、単に協力して生活することを指し示すのではなく、すべての 人の自己実現を求めて生きることにより、その意志自律的互恵的交互作用( g
g
ロO
B
W
E
n
-胃o g
-同 日 ロ 自 立 宮 口 ) を通して、自身の自己実現を図ることであると考える。共生は、生きる志向性(態度)であるとし、その目的はす べての人の自己実現にあり、手段は意志自律的互恵的交互作用にあり、結果として自己の自己実現がある、と考え る むろん、最低限の生活も確保できず、人としての尊厳を失っている人たちがいることを考えれば、物質的豊かさ を軽視してはいけないことは確かである。この物質的豊かさと精神的豊かさ(人格や関係の実現)との関連につい 自己実現目的の共生とQOL(加藤) 戸 川 uても考察する。また、このような共生を目的とする
QOL(
生活の質)をどう捉えたらよいか考察し提起した。な お、全体を通して、親鷲の思想を機軸に論を展開した。第一節
の意味論
自己実現の契機となる。滅亡。
釈 迦 ( ゴ l タマ・シッダッタ)の一族は滅亡した。彼はそれを目の当たりにする。シッダッタはその現実からも、 仏教の真理である、﹁諸行無常、諸法無我、一切皆苦、浬柴寂静(四法印、浬繋経、議伽師地論)﹂を深く受けとめ たのであろう。仏教を日本の国づくりの根底に置こうとした聖徳太子の一族も、同様に滅亡の道を辿った。太子の 一族は、太子の死後二十年余りで、蘇我氏によって滅ぽされることとなる。 聖徳太子を敬慕した法然も﹁滅亡﹂を発心の契機としている。自己の根本悪と無力を自覚し、深い絶望と苦悩の 淵から、他力の中の他力に救済を求めた法然は、生涯妻を要らず血脈を残さなかった。法然は八歳のとき、武家の 領主(押領使)であった父(漆間時国)が夜討ちによって殺害され、家が滅亡する。その復響と家の再興を断念し、 諦観に至ろうとしたことが、法然の思想基底を構成しているとされる。 法然の弟子で民衆と共にあり、自己の蛇蝿の心に向き合った親鷺は、﹁煩悩菩提一味なり﹂(正像末和讃、三時讃、 二三)と述べて、苦悩の中にいて救いを求める姿に救いがあることを説いた。親鷲は果たして子々孫々の隆盛を願 ったのであろうか。親駕の生前の姿を写したとされる﹁鏡御影﹂(西本願寺蔵)には、小さな鼻が上を向き、目も つぶらで口も小さく顎も細く、とりたてて福耳でもない年老いた親鷲の姿が表されている。しかし、穏やかで篤実 で優しい人柄が全体から伝わってくる。親鷲は、人の可弱さ L を深く受付とめた人であった。また、親鷲の真筆と される書状からは、のびやかで勢いがあり、街いも力みもない熟達しかっ正直な親鷺の人格が伝わってくる。 親鷺の祖父の日野経罪(つねまさ)は、放埠人ということで家系図から抹消されているほどの人である。親鷲の n m u H h u w h u 龍谷大学論集父の有範はその三男であるが、伯父たちが学問で身を立てたのに対してうだつがあがらず従六位の身分にとどまり、 何らかの原因で所領を失って宇治の三室戸で出家する。平松令三は、赤松俊英、山田文昭、畑龍英の検証を引用し て、﹁有範にも同じような放埼の血が流れて﹂いたのではないかと推測している。親鷲は一一八一年に八歳で出家 するが、弟三人とも僧になっていることを考えると、没落説はあながち当て推量とはいえない。 親鷺は、少なくとも二人の女性を要り、流刑地で結ぼれた三善掲清の娘である恵信尼からは大変慕われている。 そして親鷲は、四人の男子と三人の女子をもうけたが息子たちには跡を継がせず、末娘から本願寺教団の系譜がつ くられていく。息子たちは僧となりながら、どのような生き方をしたのか審らかではない円。源平盛衰の動乱の中で、 疫病と飢鍾に苦しむ民衆と共に暮らすことによって、親鷲は、﹁そのままで救う﹂との阿弥陀仏の救済言説を深く 頼みにするようになっていく。 一二五五年の暮に八二歳の親鷺は火災に遭って自坊を焼け出され、その後死ぬまでの七年間、弟の住いする寺に 居候することとなる。翌年、親鷲の次男の善鷺は自己のカリスマ化を図ったことや賢普精進を説いたことにより、 老いた親驚から義絶を申し渡される。そしてその翌年、八四歳の親鷺は、虚仮不実のわが身を悲嘆述懐し和讃を書 き記す。親鷺は、大教団を構想していなかったと思われる。むしろただ純粋に、弟子ひとりももたず、同行同朋の 立場で、苦難と迷妄の中にある民衆を救済する法然の教えを伝えようとしただけなのではなかろうか。真宗教団の 形成発展と伴に、親鷲のカリスマ化が進められる。たとえば親鷲死後作の、﹁熊皮御影﹂(奈良国立博物館蔵)は、 眉を厳しく誇張し眼光も鋭く描いている。出自・出家にまつわる伝説も担造されていく。しかし、親鷺にとってあ くまで世間のことは虚仮であった。そして、親鷺は、脆く弱い平凡で愚かで欲深いひとりの男であることを深く自 覚 し た 人 あ っ た 。 今 西 錦 司 ご 九
O
二 l 一 九 九 二 年 ) は 、 一九六八年の講演で、寸進歩や発展だけをみて、衰退や滅亡を考えないと 自己実現目的の共生と QOL(加藤) n u d RU F h u一面的なものの見方である﹂と述べ、﹁熱核爆弾にやられなくても、なにかちょっとしたことで、人類 全体がパタパタやられてしまう。そういうような気がします。しかしこれは、すべてのものに初めがあれば終りあ りというものであって、人類を含めて、あらゆる種というものは、ある時が来たら当然その種の寿命がつきて、ほ ろびてもいいのではないかと思うのでれ。 L と語っている。ひとつの全体としての人生(ロ向。 a n -o g m d吾 o Z ) を 観ると、老いや死も、誕生や成長と不可分の重要な人生の様態である。むしろ、現存在を活性化・有意味化してく れるものである。老いや死を共に楽しむことこそ求められる。そのアナロジーで考えると、種における﹁衰退 L や 寸滅亡﹂は、思避・否定・排除されるべきものではなく、必然の運命として、共に生きるべきものなのではなかろ いう の は 、 を つ か 。 生と滅亡は、対立的・対極的に捉えられるものではない。また滅亡は、生の過程の最終フェーズと捉えられるべ きではない。生は、﹁日々の滅亡﹂を内包している。全細胞は、不断に死滅を繰り返すことによって、全体として の生を維持している。このことについては、別稿で考察するが、
C
.
G
.
ユングから着想を得て、樋口和彦は、 ﹁日々の滅亡﹂を﹁小さな死 L 、生全体の滅亡を﹁大きな死﹂と概念化している。寸小さな死 L には、細胞の死滅だ けではなく、精神的なダメージとしての﹁絶望、障害、老衰、病気、失敗、喪失、愛するものとの別離﹂などがあ げ ら れ る 。 あらためて、滅亡の意味を考えてみよう。滅亡は、人生とこの世界の実相(現実の姿)を教えてくれる。つまり 自己実現を促進してくれるのである。実相であるからこそ、本節で強調したいことは、ポジィティヴに寸滅亡﹂を 捉え、﹁滅亡﹂に向き合うべきことである。﹁滅亡﹂を受け容れる過程で、澄みきった諦観の水面に、永遠なる真理 (四法印)が映し出される。それは、花ももみじもない寂参感から、この世の喜怒哀楽をいとおしみ楽しむ眼差し な の で あ ろ う 。 -560一 龍谷大学論集一 九 七
O
年の講演では、科学技術文明が進み、合理的な思考が支配的となった社会では、人間疎外 といわれるような﹁不適応症﹂が生まれてくる。それを克服するために、物質の豊かさとバランスの取れた﹁精神 の豊かさ﹂が求められる必要があるが、逆に﹁合理性に反捜したものの非合理性への逃避﹂である寸集団への逃 避﹂が進むと、﹁全体主義に突っ走ってしまう﹂ことになり、﹁文明の破壊に通ず&﹂危険があると警告する。﹁集 団への逃避﹂に対する警告は、今西が天皇制ファシズムという狂信的国家主義を肌で体験したところから来ている のであろう。精神の豊かさと集団に依存しない自立した価値観が求められるところである。 二四。。年以上も前に、ゴ 1 タマ・シツダッタは、執着・慢心から遠ざかり(制)、感官を静め(胤)、自己によ って自己を観じ(叩)、集団に依存することなく、﹁犀の角のようにただ独り歩め﹂(お l 拓)と孤独に耐えるべきこ とを説いている。孤独を受けとめ、滅亡を見極めることによって、虚飾から離れ自己の底を極める(
E
E
ロm
σ
旦-Z
E
h
巳g
o
p
。 ・
5
ロ)ことができ、自己実現の契機を得ることができるようになる、と考える。このことについ ては、第六節で再度考察する。 ま た 今 西 は 、 第二節契機を活性化させる相互関係性(縁起)
死滅は﹁生あるものたちの定め L ( 抗) であり、熟した果実が落ちるように ( 町 ) 、 ( 問 ) 、 土 の 器 が 壊 れ る よ う に 自然な寸世の成りゆくさま﹂(瑚) で あ る と 、 ゴ l タマ・シツダッタは語る。そして、人が死んでなくなったのを (瑚)と、死滅に出会うことによって自己 の﹁無力を知る﹂ことを説く。また、﹁汝は来た人の道を知らず。また去った人の道を知らない L ( 悶 ) と 述 べ て 、 死滅に出会うことによって自己の﹁無知を知る﹂ことを説いている。つまり、死滅は、わたしたちに、﹁定め﹂と ﹁ 無 力 ﹂ と ﹁ 無 知 L を教えてくれる。これはわたしたちの自己実現を促してくれる力となる。 見ては、﹁かれはもうわたしの力の及ぱぬものなのだ﹂とさとりなさい 自己実現目的の共生とQOL(加藤) 噌 E E -p n v F ﹁ υさらにシッダッタは、死滅に臨んで﹁楽しみを求める人﹂は、自己の煩悩である愛執の矢を抜くべきである (即)とし、愛執が死滅の苦しみの原因であるとしている。愛執と苦悩のように、この世の出来事や心は、因縁が 複雑に絡まって生起している。因縁生起の略が﹁縁起﹂である。物事の生じる直接因を﹁因﹂といい、間接因を ﹁縁﹂という。例えば、種子は因であり、大地、水、日光などの諸条件が縁である。条件の結果、芽が出て花が咲 くが、季節(時)にたとえられるものが寸共働因﹂である。 シッダッタの唱えた縁起の考えをまとめあげたのは、ナ l ガ l ルジュナ ( 龍 樹 、 一 五
O
l
二 五O
年ころ) で あ る 。 瓜生津隆真訳の寸空七十論﹂によれば、縁起はすべてのものが因となり果となって依存しあう世界観なのであり、 ﹁ あ る も の ( A ) との依存関係によってあるもの ( B ) が生起したとき、 B は A から生気したものであって、 A が なければB
は生じない﹂と説明されている。瓜生津訳の﹁六十煩知理論 L には、﹁依存関係による生起(縁起)と は実体が空であることである L とされる。また瓜生津は、縁起は法であるとし、﹁縁起を見る者は法を見る、法を 見る者は縁起を見ふ﹂との原始仏典の言葉も紹介している。龍樹はシツダッタの言葉を引いたかたちで、。人は対 象を理解し、法を理解することによって最上の喜びが起こる。喜びから安らぎがおこり、身体が清浄となり、精神 が統一し、正しい認識が起こり、そこから執着せず解脱がおこる 0 4 と述べている。龍樹は、縁起を﹁正しく知る こと﹂によって迷いから脱することを奨めているのである。 わたしたちは、さまざまな可能性を遺伝子 ( D N A ) に与えられて生誕する。つまり、縁起論で言う﹁種子(し ゅうじ)﹂をもっているわけである。種子は、ヴァスパンドウ(世親、三二O
l
一 二 八O
年ころ)の展開した﹁アl
ラ ヤ 執 ﹂(
C
.
G
.
ュングの集合的無意識の概念とも相似する意識下の深層の識界)を含んだ無限の可能性の蔵ともい える。種子の社会的側面での実現可能性が、アマルティア・セン(印o
p
﹀ ・ 同 居 ω ω ) が提起した﹁ケイパビリテ イ ﹂( g
℃ 釦E
E
F
潜在可能性)概念に相当するのではなかろうか。この種子に、旧沃な土壌と日光と雨が注いで、 。 , “ c o F h υ 龍谷大学論集時が至れば発芽し開花する。環境とのインタラクションが﹁縁﹂である。レヴィ H ストロース
p
o
i
-2
5
ロg
n
-E
S
l
)
は、この﹁縁﹂を、﹁因果関係﹂に代えて、﹁関数的相関関係﹂という術語を用いて表現したのではなかろ う か 。 今日、日本では、物量の膨大な消費生活の追求のために、﹁信頼関係﹂、﹁意義ある仕事﹂、﹁自然との交流﹂が片 隅に置かれ、犠牲にされ、急速に失われている。人格形成が疎んじられ、気晴らし情報の大放流に流されて人々の 思考に対する情報操作が進んでいる。﹁縁 L が薄く弱くなってきているといえる。環境とのインタラクションを活 発 に し 、 く 必 要 が あ ろ う 。( C
.
ロジャ1ズの用語、深い交わり、人格の中心を経験しあう相互の交流)を進めてい エンカウンター デュ1イ(ロ 92F ﹄-E
S
1
5
m
N
)
は、環境との﹁インタラクション﹂を一歩進め、多元的な﹁トランザクショ ン(交互作用)﹂が自己を拡大していくことにつながることを指摘している。 デ ュl
イは、子どもの独創性を高め能動的成長を促す教育が、教師との﹁協同作業﹂であり、﹁互恵的﹂である べきことを強調している。その経験を有効にするための﹁社会的知性の過程﹂として、デュ 1 イ は 、 ① 状 況 観 察 力 、 ω ②過去の知識や人びとからの情報集積力、③両者を結合し期待されているものに応える判断力、をあげている。デ ュl
イの思想は、へレン・パl
ル マ ン9 2
- E
B
-国 ・ 国- H
c o
o l
N 0
2 )
ω チ﹂に大きな影響を与えた。またデュl
イ は 、 ジ ェl
ン・アダムス の ソ l シヤルワ l クの﹁問題解決アプロ l ( ﹄ 釦 ロ 巾 ﹀ 門 置 凶 自 由 H∞
g l
E ω
ω
シカゴに貧民のた めのセツルメントハウス﹁ハルハウス﹂を設立(一八八九年)しソl
シャル・アクションを展開した。また、 一五年創設の﹁平和と自由のための女性国際連盟﹂の初代会長となり、第一次大戦中の米国で非国民のラベルを貼 られつつ非戦運動を貫き、一九=二年にノーベル平和賞を受賞した。)の思想に共鳴し、﹁ハルハウス﹂の役員とし て尽くしたほか、自分の娘にジェ1
ンと名づけたり、八歳で死んだ息子の葬儀をハルハウスで行っている。 九 自己実現目的の共生とQOL(加藤) -563一( c
q E
巴ph
・ ) と ギ ッ タ l マ ン(
2
3
耳 目 白 口 、 ﹀ ・ ) は 、 境を変化させる力、環境に働きかげる力、環境からの応答性へ効果的に影響を与え、望んでいる資源を手に入れ、 環境との交互作用を向上させる力をコンビテンス(
g
B
宮古R O
)
という術語で概念化し、コンピテンスを高める ことによって、人と環境との﹁相互作用の互酬性(吋 o a 胃 o n 包 括 宮 昨 日0
5
E
宮こを活性化させるソ l シヤルワ l ク 理 論を提起した。相互関係性(縁起)の自覚と活性化は、自己実現への契機を活性化させるものといえる。 ジ ャ l メイン エコロジカル・アプローチを提唱して、環第三節
自 己 実 現 に 向 う ﹁ ゆ る し と 救 済 ﹂ の思想 は、花や実だけでなく、種も根も茎も枝も葉もすべて絶対の真実であり仏性で と述べている。花や実にとらわれることが間違っているのである。 道元は、正法眼蔵の﹁空華巻﹂自然成において、﹁。白。は我でもだれでもない﹂という意味であり、﹁。然。とは ゆるすこと L だと語っている。玉城康四郎は、同時代人の親鷺の﹁自然法爾 L ( ﹁わがはからはざるを自然ともうす に通じ合う思想だと指摘している。シッダッタや龍樹には、寸ゆるす﹂思想や﹁ありのままで救済する﹂思 道元は(一二OO
二 一 五 三 年 ) ホ 山 ヲ 。 、 な り ﹂ ) 想 が み ら れ な い 。 道元の正法眼蔵﹁現成公按﹂には、﹁仏道をならふといふは、自己をならふ也。自己をならふといふは、自己を わするるなり。自己をわするるといふは、万法に証せらるるな引。﹂との有名な一節がある。ここには、寸万法とも にわれにあらざる時節、まどひなく、さとりなし﹂や﹁万法すすみて自己を修証するはさとりなり﹂の言説と合わ せて、︽縁起の世界によってはじめて自己存在が証明されるのであり、自己が世界の存在を証明するのではないこ と︾が強調されている。ここに、親鷺とは異なるが、道元の﹁他力のはからい﹂に委ねて自己と他己の﹁身心脱 落﹂を得ょうとする姿が表れている。この寸他力のはからい﹂の発想も、シッダッタや龍樹にみられないものであ -564一 龍谷大学論集る さらに、玉城の解説によると、﹁﹁曹眼空華(えいげんくうげ ) L については、従来の﹁かすみ目を患うと幻の華 が見える﹂との解釈(空華は龍樹も説いている)を道元は転倒させ、かすみ目の人は、﹁本来目覚めている人﹂で ω あり、﹁悟りも浬襲も悌身 L も寸幻の花びらの一一三片﹂であるとの新解釈を提示する。迷妄が即覚醒であり、空華 (幻の花)が即悌身だというのである。これも、シツダッタや龍樹になかった解釈であろう。 兵庫県亀山の真宗門徒の家に育った司馬遼太郎(一九二三﹄一九九六)は、救済思想が仏教の中に登場してきた 要因として、﹁キリスト教と関係あるのか、あるいはペルシヤのゾロアスター教の刺激をう砂たか、ともかくも救 ω 済宗教が既存した土地で阿弥陀教が成立した﹂のではないかと大胆な推測をしている。なお、富永仲基(一七一五 l 一七四六)や村上専精(一八五一ー一九二九)の大乗批判研究については、別の機会に考察を試みる。 司馬と同年に、伊豆の被差別部落の棺桶職人の家に生まれ、差別の中に育った三園連太郎(一九二三│)は、人 聞を虫けら同様に扱う軍隊生活を忌避して朝鮮に逃げ、釜山で日本人の手配師がステッキで朝鮮人を打ちのめす姿 に心を痛める。近所から﹁非国民﹂のレッテルを家族に貼られることを恐れた母親に、逃亡先を通告され、警察に 捕まって軍隊に入る。中国戦線から敗戦復員後、偶然が重なって映画スターになっていく。その虚飾の世界に疲れ、 迷妄の果てに、三園は親鰭の思想に強く魅かれていれ。三園の捉えた親鷲思想は、以下の四点に集約されると考え 切 る。野間宏の捉えた親鷺思想と併せてあげることとする。 ①宇宙の中の存在観 三園は、﹁宇宙に生存する動物の一員として、人聞は自分の卑小さをもっと実感すべきですよ。所詮ひとり の人間なんて、大自然の中では砂の一粒みたいな存在にすぎないのですから﹂と語っている。自分の内に宇宙 性(コスモロジ
l
)
を感じとることなしに、本源的な自己実現はありえない。 自己実現目的の共生とQOL(加藤) e o EOいのちの平等観 三園は、歎異抄の中に出てくる、殺生を生業とする人たちも農民も﹁ただおなじことなり L という言葉を引 き、﹁海や山で世過ぎする漁師や猟師、あちこちワタリ歩いている行商人、田畑を作っている農民│これらの 人びとはみな同じであると力説しているわげです L 、﹁苦労しながら諸国を布教して歩いた親鷲が、その肌身で 感じていた社会的矛盾といいますか、当時における差別の諸相を素直に吐露された名言ですね﹂と語っている。 同様に、野間宏は、服部之総の寸親鷲ノ l ト﹂を紹介しつつ、服部が﹁親鷲は、最後まで農民、漁民、商人、 その他当時の全支配階級のなかにあって、何一つ裏切り行為をすることがなかった、としている﹂と服部に共 感 を 表 明 し て い る 。 ③ ② 底辺の悲苦との共生観 三園は、﹁社会の片隅に吹き寄せられながら、肩をすぽめて生きている人たちの悲しみゃ苦しみを描き出し てこそ、本当の民衆芸能と言えるんです L と 語 っ て い る 。 同様に、野間宏は、﹁念仏易行門がただ一つの自分の道であり、また大衆の道であることを究めることがで きたのであるが、これを不動のものとして自分の全身にゆきわたらせることができたのは、越後の流刑を終え、 関東の常陸に行き、農民の苦しみの連続ともいってよい日々の生活の中で、農民のからだと心の働きに自分の からだと心の働きを一つの隙間もなく一致させることが可能になった時であると私は考える L と述べてい る ④ 実存の救済観 三圏は、﹁親鷲は地獄・極楽について、ひとことも説いておりません。また、来世・未来についても語って いないと私は記憶しております。そして、世の無常も嘆かず、ひとえに現実に実在する人聞の救済を追及する -566-龍谷大学論集
姿に、私はまず深い感銘を受けました。つまり、﹃生の事実﹄﹃不動の現実﹄﹃新鮮な実存﹄を漉視するところ から親鷲思想が出発しているのだと私なりに理解したんでれ﹂と語っている。 同様に、野間宏は、寸信がなければこの念仏も決して大きな支えを持つものとはなりえない﹂、﹁その信たる や、決してただ言われたこと、説かれたことを聞いて受げとり、それをそのまま信ずるという信ではなく、自 身の主体をもって思考しつくし、もはやこの上いかなる疑いもさしはさむことができないところまでおしつめ、 伺 そこにはじめて生ずる信なのである﹂と述べている。新鮮な実存と主体性に立脚し、宇宙性を意識し、他力を 意識し、社会的矛盾と差別の諸相を意識し、底辺の悲苦を我がこととして受けとめることが、自己実現の過程 を進めることだといえる。
第四節
自己実現の拠点となる﹁個人の尊厳﹂
の思想
仏教社会福祉研究の大家である吉田久一は、これからの日本の社会福祉は﹁戦争への反省なしには考えられな ω い﹂とし、社会福祉が、戦争に向かうときの﹁批判力﹂になるべきことを強く求めている。その反省は、﹁個﹂を 通じ社会福祉の寸新しい普遍﹂を創造し求めることであるとし、﹁個﹂の確立が未熟な日本社会福祉では、寸共感← 共生﹂が寸個﹂に定着することが大事である、と主張している。 また吉田は、個人の尊厳の思想の脆弱性に関して、仏教思想の果たしている役割を指摘し、﹁仏教思想における 個という問題です。絶対平等を説明するところは楽だけれども、逆に権利とかそういう個を基本とするところの説 ω 明がしんどいですね﹂と語っている。 ここで、個の問題を、個性の側面から考察してみよう。J
.
5
.
ミルは、﹁個性の自由な発展が、幸福の主要な要 素﹂と指摘してい旬。三木清は、﹁個性が幸福である﹂とし、寸個性は多様の統ごと定義している。同時に、寸幸 自己実現目的の共生とQOL(加藤) -567一福になるということは人格になるということ﹂とし、﹁幸福は人格であ仇﹂と断言している。 同様の文脈で、夏目激石は、﹁個性の発展がまた貴方がたの幸福に非常な関係を及ぽす﹂とし、個性と幸福の関 係を強調している。そして、その個性発展の社会的条件は﹁自由﹂であるとし、﹁個人の自由は先刻御話した個性 の発展上極めて必動﹂と述べる。自分の個性を尊重したい人は、他人の個性を尊重することは理にかなったことで ある(﹁他人に対しても其個性を認めて彼等の傾向を尊重するのが理の当然 L) 。一方、個性を抑圧するものは権力 である。﹁権力とは先刻御話した自分の個性を他人の頭の上に無理矢理に圧し付ける道具なので九﹂と激石は権力 と個性の関係を説明している。 激石のこのような︽個性主義︾は、彼の﹁意志﹂や﹁主体性﹂や﹁固有性﹂を希求する衝動から発展したもので ある。激石は、英文学に接して、﹁鵜呑み﹂や﹁機械的の知識﹂﹁借着﹂を克服し、根本的に自力で寸文学の何たる かしを問い、答を見つけ出さねば、自分の血にも肉にもならず、自分は救われないと考え、﹁自己本位﹂という思 想に至ったのである。それは、 エゴセントリックの意味ではなく、意志的であるという意味であり、自己決定的な 姿 勢 と い う 意 味 で あ る 。 激石は、﹁主義しという言葉を、﹁人聞はそう一つ主義に片付けられるものではない﹂ので嫌うのであるが、その ことを踏まえた上で、この個性尊重の思想を﹁私の個人主義﹂として語ったのである。 一方で激石は、個性の多様性についても言及し、ひとそれぞれの偏侍があり、社会の基準によって異常と正常の ラベルが貼られることを指摘している。激石は、猫の主人を借りて、次のような人間ウォッチングを試みる。 ﹁ : : : 伯 父 さ ん l 少々怪しい、寒月│これも捧組、迷亭│陽性の気狂、金田の妻君│常識はずれで純然たる気じ るし、金田 l 非凡すなわち気狂の異名、落雲館の諸君子│牒狂。﹂、寸ことによると社会はみんな気狂の寄り合いか もしれない。気狂が集合して鏑を削ってつかみ合ひ、いがみ合ひ、罵り合ひ、奪ひ合って、其全体が団体として細 -568一 龍谷大学論集
胞の様に崩れたり、持ち上がったり、持ち上がったり、崩れたりして暮らして行くのを社会と云ふのではないか知 ら何﹂。激石は、個性を形成していくものは、観点によると異常と認識されるほどの偏りを含んでおり、社会はそ の多様性で成り立っていること、および多様性を積極的に許容する社会関係性の意義を強調しているのである。 個人主義は、激石が留学した英国のインディピジュアリズムを彼なりに消化したものであった。激石は、このイ ンディピジュアリズムを生み出したものは近代社会の自意識だと考えた。彼は﹁印巳同
- n o
ロ 一
m n
- 0
5 5
g
の結果は神経 関 衰弱を生ず。神経衰弱は二十世紀の共有病なり。﹂としている。自意識過剰こそ激石自身が苦しんだ精神衰弱の誘 因である。激石は、﹁呑気﹂で﹁鷹揚﹂に生きることを中国人に学ぶべきだと勧めている。﹁則天﹂は激石なりの宇 宙性の感受であったのであろう。個人主義や個性主義は、近代の申し子であり、同時に、孤独や自意識、あるいは 激しい競争を駆立てる衝動と、表裏一体になってもたらされたものであると一般に考えられている。しかし、近代 以降の人物ではないが、親鷲は鋭く自己存在の意義を問うた人であった。その意味で、﹁個﹂を確立した人であっ た。そして、親鷺の﹁個﹂は、﹁呑気・鷹揚﹂ではなく、。超越的存在 e に向かい、かっ,苦しむ農民 e に 向 か っ た 。 この節では、﹁個﹂の思想は、﹁孤﹂に至る危険をはらみつつも、自己実現の拠点となることを確かめておきたい。 また、﹁個﹂を活かすものとしてのか自由状況。と、﹁個﹂を殺すものとしてのか権力性。についても、激石の指摘 を通して確かめておきたい。 8 自由状況。確保を目的に、。権力性 a を制限するために、万人に付与されている原理 と い え る 。 と権能を 9 人 権 。 と い う 、第五節
個人の尊厳の条件としての﹁普遍平等性﹂ 共生の視点から、連帯(互恵的交互関係)の前提となるのは、前節で検討した﹁個人の尊厳﹂である。この前提 が軽視されれば、全体主義、集団主義となり、滅私奉公の思想につながっていく。かっ、﹁個人の尊厳﹂は、普遍 自己実現目的の共生とQOL(加藤) -569一的平等に保障されな砂ればならない。普遍平等性に関して、親鷺はどのように考えたのであろうか。浅井成海は、 親鷲が八五歳頃より八八歳噴までに、﹁正像末和讃﹂の﹁衆生﹂を寸有情﹂と置き換えたことを採り上げ、寸一切の 生きとし生けるものは L ﹁すべてが同朋だ﹂との普遍平等性の思想が、親鷲の共生思想の根底にあるとしている。 そして、浅井は、この同朋の﹁犠牲の上にこの私があることを知らされる﹂ことこそが、親鷺の共生の思想の重要 点としてい旬。浅井は、﹁われわれのかかえる聞は、その調和、共生を妨げ自分のみよしとする深い閣をも気づか
ω
しめ、さらに真の共生とは何かを聞い続けるのである﹂と述べて、共に生きようとすることと、共に生きられない 現実との絶えざる止揚的聞いのなかに身をおくことこそ、親鷲の説く砂共に生きようとする営み e で あ る と し て い る の で あ る 。 また、能仁正顕は、共生を﹁個々人それぞれのあり方が尊重され認められ相互に支えあう生であり、そこにおい て自己変革がなされるところに成り立つ也﹂と定義しつつ、阿弥陀経の﹁倶会一処﹂の世界を共生の世界とイメー ジしている。﹁倶会一処﹂とは、能仁によれば、最高位に達した菩薩たちと共に、衆生が普薩の資格をもって阿弥 陀仏の説法会に同席し聴聞することができることをいう。能仁も、自己変革を条件としつつ、共生の普遍平等性を 強 調 し て い る の で あ る 。 筆者は、すべての人の自己実現のための共生を目指す福祉の哲学の三本柱に、インディピィジュアリティ(個人 ω の 尊 厳 ) 、 レ シ プ ロ シ テ ィ ( 連 帯 互 恵 性 ) 、 ユ ニ パl
サリテイ(普遍平等性)を設けてきた。この三者の関係は、連 帯共生の条件が個人の尊厳であり、個人の尊厳の条件が普遍平等性であるといえよう。つまり、寸普遍的に保障さ れた個人の尊厳﹂を前提にした連帯が、真の共生であるといえよう。また、三者は相互に条件であると同時に、相 互 に 結 果 で あ る 関 係 で も あ る 。 個人の尊厳の普遍性を担保するために、砂人権。が法として定められており、 8 社会的、市民的、政治的権利 e が -570一 龍谷大学論集定められている。また、状況の多様性
(
a
S
2
5
可)と自由意志の尊重も、個人の尊厳の普遍性を発展させるため の方法としてある。同時に一方で、個人の尊厳の普遍性が進むことによって、状況の多様性と自由意志の発揮が結 果されることにもなるのである。なお、個人の尊厳(個人のアイデンティティの固有価値)が発展する内実を、本 論で﹁自己実現﹂と表現しているといえよう。第六節
自 己 実 現 の あ り 方 と し て の ﹁ 明 在 ﹂ と 寸 可 傷 性 ﹂ の﹁創造の病﹂の概念を引いて、寸マイナスの事柄を創造の 病いとするには、マイナスと思っていることのなかに、,意味 e を発見し、また自分自身を掘り下げる必要があ ω る﹂、﹁私の知らない。私。が病いを通じて掘り下げられる。﹂と述べている。その掘り下げは、寸個人的なことを超 ω えて、人類につながるような普遍的なところがある﹂のである。病気や事故や失敗や災難は、それを切っ掛けに自 己を掘り下げ、その過程でそのことに意味を発見するとき、自己実現につながっていく。河合は、その師のユング の鍵概念を援用して、これを﹃個性化の過程﹄とも言いあらわしている。それは、 れ て い る 。 河 合 隼 雄 は 、 エレンベルガl
g
E
Z
話 。
門 戸
・
5
一般に自己実現と同義で用いら 河合は、また﹁運命的に決定付けられた関係を自分の存在を賭げでわかろうとすることにより生き切ることが 8 愛 e といえ旬。﹂と述べている。運命とは、きわめて鋭敏に自覚化された関係性である。そしてここで﹁わかろ うとする﹂とは、相手のことをあれこれ穿撃することではなく、先の言葉で言う﹁私を掘り下げること﹂であり、 ︽意味の発見に向砂て私自身の精神深部に下降していくこと︾であり、そうすることで、普遍的なものに出会う営 みである。その愛は、祈りの姿に近い。 人は﹁病気・事故・失敗・災難﹂を通して非日常を体験する。自己存在を自覚化しない日常生活から、︽全宇宙 自己実現目的の共生とQOL(加藤) -571一の中で自己存在を自覚化する︾非日常に現れ出るのである。では自己存在とは何であろうか。 側 聞は、存在から話しかけられているという、自分の本質においてのみ本当に存在するのだ﹂と述べている。続けて どこに自分の本質が住まっているのかを、人聞は見出して﹃もって﹄います。 ハ イ デ ガ
l
は 、 ﹁ 人 ハ イ デ ガ 1 は 、 ﹁ こ の 話 し か け か ら 、 ただ、この住まうことから、人聞は、自分の本質に対して、脱我的なものを守る住居として J 一 旦 莱 ﹄ を ﹃ も っ て ﹄ 闘 います。存在の明るみのなかに立つことを、わたしは人間の明在と名づけます。﹂とし、明在は人間だけのものだ としている。桑木務によれば、ハイデガl
は、人間存在(現存在、口自色ロ)の実存日比2
8
N
)
の脱我的あり方 を、明在(開w
-m E
B N
)
として術語化しているとされる。桑木はエクジステンツを﹁明存、光存﹂と訳すことも検 間 討している。訳者によって、これは、開存、出存、脱存、現存、脱在という訳し方もされているという。筆者には、 ハイデガ!の寸明在﹂が、先述した道元の﹁身心脱落 L や﹁他力のはからい﹂と重なってイメージされるのである。 ハイデガーがこの概念に込めた意味を受けとめてみたい。﹁存在はみずから光りながら、言葉に達します。存在 はつねに、言葉への途上にあります。このように到着してくるものは、明在している思考を、自分の立場で、自分 さらに存在の明るみへと高められるのです。 L とハイデガ ーは述べる。人聞は、宇宙から語り掛けられ、語りが自己に到着し寸ことば﹂を得る。それが、意味である。そし の発言のなかで言葉にもたらします。こうして言葉は、 て、それが自己実現につながるといえるのではなかろうか。 少し唐突かもしれないが、︽全宇宙の中で自己存在を自覚する︾ことと、親鷺の﹁弥陀の五劫思惟の願をよくよ 働 く案ずれば、ひとへに親鷺一人がためなりけり﹂との述懐とが、筆者には重なり響いてくる。親鷺は明らかに阿弥 陀知来のまえに、たった一人で放り出されている。いや、全身を光の中に投げ入れられ抱かれている。そして、親 鷺が光の前に出る切っ掛けになった問いかけは﹁病気・事故・失敗・災難 L からの問いかけではなく、生きること と一体になった︽罪業︾からの問いかけである。親鷲は︽罪業︾という﹁可傷性﹂を入り口にして、不可思議な救 。 , “ 円 z t p h υ 龍谷大学論集済の光に出会うのである。意味への意志を精神療法の中心に置いたフランクル(司
E
ロE
h
J
開 ・5
8
l
E
S
)
は 、 ﹁人聞は自己を超越して、他の人間存在や意味を志向する。愛は、人聞をして他の人間存在をまさにその独自性に おいて把握せしめる能力である。良心は、人聞をして状況の意味を、まさにその独自性においてとらえさせうる能 間 力であり、意味は究極的な分析においては独自なものである。﹂と唱導している。他者を意味として捉えるという ことは、他者を︽独自︾な存在として捉えることであり、その前提となる条件が、自己を︽独自︾なものとして捉 えられることである。︽親鷲一人︾とは、この︽独自性︾の謂である。超越者の永劫の祈りをすべてもらってよう やく釣り合うおのれ﹁いちにん L の罪業を、親鷲は自覚していたのである。 寸 可 傷 性 ﹂ は レ ヴ ィ ナ ス ( 戸 雪 山 口g
-開 ・5
8
1
呂 田 ) の 鍵 概 念 で あ る 。 レ ヴ ィ ナ ス は 、 ﹁ 弱 さ ( 片 山 由E
g
自 ) L、 ﹁ や わ らかさ L 、﹁傷つきゃすさ( g
z m
g z
x m
)
﹂ 、 ﹁ 裸 形 ( ロE
-B )
﹂ 、 ﹁ 極 端 な 脆 さ ﹂ 、 ﹁ 女 性 性 ( ぽ 邑 巳 忠 ) ﹂ 、 ﹁ 傷 つ か な いではいられない裸形の︿肌﹀﹂、﹁感応しやすさ( m
g n
o
-- σ
出吊)﹂という概念を多用する。また、﹁動│揺 ω ( 古 ム 丘 公 ぬ ) ﹂ 、 ﹁ 自 己 と の 関 係 に お け る 差 異 ﹂ 、 寸 自 己 差 異 化 L 、 ﹁ 私 H ︿ 同 ﹀ に お け る ︿ 他 ﹀ ﹂ に つ い て 展 開 す る 。 そして、傷つきゃすさは他者との関係で、責任感を生じ、倫理の基底を形成する。﹁責めであるような応答 L の 条件としての傷つきゃすさ、寸他者との関係で逃れがたく無限な責めのうちに置かれる﹂、﹁私の自由は私が責めを 側 負うためにある L 、寸傷つくために自由﹂などレヴィナスの言説は、わたしたちが日々重ねている人間存在の持つ ︽罪業︾がもたらすものにほかならない。 ﹁存在することそれ自体は、世界のうちで一箇の悲惨である﹂、﹁悲惨のうちに、支配と暴力をこえた、権力にも 所有にもうったえない他者との関係がある。﹂﹁傷は、みずからのうちに自足し、じぶんにたいして自己を定立する ω 主体の主体性を傷つけることができる﹂。このレヴィナスの述懐は、パスカルに通じるものである。三木清は、一 九二六年に﹁パスカルにおける人間の研究 L を上梓して、﹁生が一層高い秩序に達するとき、そこには著しい転換 自己実現目的の共生とQOL(加藤) 内 毛 υ 弓 t F h uが行われふ﹂とし、それは、﹁自然﹂であるところのものを﹁悲惨﹂として理解することであると解説している。 そして三木は、﹁あらゆる被造物のうち惨めなるものはひとり自覚的意識をもっ人間のみであり、これは彼の偉大 を現わす。﹂、﹁悲惨と偉大とはあたかも定立と反定立との関係に立っている。﹂としている。 高橋哲哉は、レヴィナスが、寸異邦人、寡婦、孤児﹂の眼によって見つめられたとき、殺人者でさえある自分を 発見し自分を恥じる。その恥の意識が倫理的責任への覚醒の第一歩と言っている、と紹介している。ここでも、筆 者には、親鷲の﹁恥づべし傷むべし﹂(寸顕浄土真実教行証文類信分類三末逆詩摂取釈﹂)の嘆きが重なり響いてく る。また、筆者にとっては、同時代にあって差別と貧困に苦しむ﹁精神障害者﹂と呼ばれる人たちからの眼差こそ が、筆者がこの人たちと連帯しきれていないがゆえに、︽恥ずかしい自己︾と、︽罪ある自己︾を、深く自覚させる ように働くものである。そのとき、親鷲の罪を負い傷つく姿は、筆者の大きな心の支えとなるのである。
第七節
罪責の自覚による慈愛と底着き体験
では罪は赦されるのであろうか。赦されるからこそ救済されるのであろうか。レヴィナスの研究家である内田樹 は、﹁レヴィナスが説いているのは、この慈愛と正義の終りない循環である。﹃裁き﹄と﹃赦し﹄のめまぐるしい交 替である。それがレヴィナスのいう他者経験なのである。さきのア l レントの例で言うなら、同胞の痛みを割酌せ ず、真相を究明しようとするのは正しく﹃正義﹄の仕事である。しかし、正義を求めて突き進んだおなじ精神が、 裁きのあとに、自分が切り裂いてしまった同胞の傷跡に包帯を巻くために戻ってくることがなければ、﹃赦し﹄と ﹃慈愛﹄が伴わなければ、ア l レントはホロコーストの﹃傷﹄の経験に正しく向き合ったことにはならない、とレ ω ヴィナスなら言うだろう。 L と述べている。正義と慈愛の永遠の循環を識ることによって、ひとは大いなる光とし ての︽自己を超越する存在︾を見出す。 a a A 巧 t F h d 龍谷大学論集(
d
E
n
F
-M
y
z
g
1
5
8
)
は、﹁生きる勇気とは、罪の赦しを受け容れるという勇気であって、それは 抽象的な主張ではなくて、神との出会いにおける根本的な経験なのである。罪責と断罪の不安にもかかわらず自己 を肯定するということは、自己を超越する何ものかへの参与を前提とするのであhJ
とし、﹁カウンセラーはげつ して彼個人としてあるのではなく、もっと客観的な受容の力や自己肯定の力を代表する者としてあるのである。こ の客観的力が、カウンセラーを通して病者のなかへと働くのである。その力はいうまでもなく、罪責を認識し、そ れをさばき、そしてさばくにもかかわらず彼を受け容れることのできるところの一個の人格に体現されていなけれ ば な ら な い 。 L とする。ここではレヴィナスの正義と慈愛は、ティリッヒの裁きと受容に代わっているが、同様の ことがティリッヒによって主張されているといえよう。そして、赦しと慈愛の力は、罪責の自覚から、あるいはま た悲惨の自覚からのみやってくるのである。この慈愛は、親鷺が﹁顕浄土真実教行証文類信文類三末逆詩摂取釈﹂ で述べた寸月愛﹂であり、ティリッヒのいう︽罪責を認識した個の人格であるカウンセラーの力︾そのものといえ よう。あくまで親鷺は、罪責の許しを求めたのではない。罪責を抱え込み、罪人として救われ、罪人だからこそ救 ティリッヒ われていることを感得したのである。 親驚は苦しみぬいて自力の底を極め、大きな慈愛に達した。司馬遼太郎は、親鷺を﹁捨てて捨てて、負けて負け て、落ちて落ちて、尻もちをついた人﹂と表現している。この寸底着き体験﹂をグレゴリ1
・ベイトソン アルコール依存症の治療過程を通して、次のように言及している。﹁落ちるところまで落ちて( ∞
旦
o m w。
P の ・ ) は 、 いないアル中患者は、救われる見込みが少ないとされる。ふたたびアルコールへ戻っていく人聞について、彼らは 岨 よく﹃まだどん底まで落ちていない﹄という語りかたをす&
L
。ベイトソンのいう﹁底を極めるL
ことは、たんに 絶望の淵を覗くことではない。友人やセラピストからの﹁なだめ L は、﹁援助への耽溺﹂をもたらすだけである。 底 着 き 体 験 は 、 A A (アルコホリックス・アノニマス) といわれるセルフヘルプ・グループの相互作用によって促 自己実現目的の共生と QOL(加藤) F h d η t F h uそのポイントをベイトソンは、①自己より大きな力が あることを認め、②この﹁ハイヤー・パワ
l
﹂(生態系を包み込んでいる自然のイメージ)と個人が、森と木のよ うに親密で好ましい関係で結ぼれていることを感じとり、③自然に自己の無力を受けとめて、部分対全体の相補的 ω 関係の確証を得ていき、底を極める(
E
E
D
m
σ
2
Z
E
)
、 と し て い る 。 ﹁おまえのアルコール依存は治らない L 、﹁おまえ自身が狂うか死ぬことを望んでいる L という自己呪縛(ベイト ソンはダブルバインドと表現している)から解放されることは、本源的に精神深部に刷り込まれた﹁選択不可能 さ れ る 。 A A は、寸一二のステップ L を定式化しているが、 (わたしは自由意志で自分や生き方を変えることができるという信念を獲得する)過程であ 性﹂の信念を剥ぎ取る る。それは痛みを伴う過程である。 A A は 、 その傷を癒すために、ラインホルド・ニ l パ l の次の祈りをおこなう。 ﹁神よ、変えられないものを静かに受け容れる慈愛を、変えるべきものを変える勇気を、両者を弁える叡智を、わ れらに与えてください。 L 。これをペイトソンは﹁選択の清澄性の祈り﹂と呼んでいる。 アルコール耽溺者の寸プライドや自惚れ﹂は、精神の深いところに根差しハl
ド・プログラムされたものである がゆえに、寸本源的﹂である。この本源的プログラムの組み替えは、﹁その人の宇宙全体に及ぶ﹂とベイトソンは強 調する。ここには、親鷺の﹁他力﹂への﹁帰命 L のプロセスと相同するものが多く見られる。自己決定的に生きる とは、自己の本源に刷り込まれているものに対して自由意志的に生きるという意味において、自己実現的に生きる ということであり、深い諦念と﹁他力のはからい﹂に裏付けられたものである、と考えられる。決して、自己や環 境や他者をコントロールして生きることが、自己決定的生き方ではない。 ニl
パl
の祈りから、このことを確認し て お き た い 。 また、この底着き体験の過程を、アルフオンス・デ 1 ケ ン5
2
w
o
p
﹀)は、死の受容過程を通して次のように ﹁悲嘆の一一一段階のプロセスしで説明している。①精神的打撃と麻樺状態、②否認、③パニック、④怒りと不当感、 p n u η t RU 龍谷大学論集⑤敵意とルサンチマン、⑥罪意識、⑦空想形成、幻想、⑧孤独感と抑うつ、⑨精神的混乱とアパシ 1 、⑮あきらめ l 受容、⑪新しい希望ユーモアと笑いの再発見、⑫立ち直りの段階│新しいアイデンティティの誕色。ここでも、 苦悩の末の﹁あきらめの体験﹂を通して初めて受容に至ることが示されている。デ
l
ケンは、キューブラ H ロ ス か ら大きな示唆を得ている。また、 フロイト( p
g
門戸∞ -H∞
g
l
E
包)は、この過程を、﹁悲嘆の仕事(叶吋22
﹀ ヤz p )
﹂と概念化している。 このほか関連して、宋時代の禅僧の廓庵による﹁十牛図 L をあげておきたい。それは、真実の自己を牛に響え、 牛飼いの少年が逃げた牛を尋ねる物語である。その十のプロセスは、①尋牛、②見跡、③見牛、④得牛、⑤牧牛、 ⑥騎牛帰家、⑦忘牛存人、と続く。そして、⑧人牛倶忘、では真っ・臼に何も描かれていない絵が現われる。ついで、 ⑨返本還源、で川が流れ木に花が咲いている光景が出現する。ここには人も動物も描かれていない。最後の、⑩入 間ω
塵垂手(にってんすいしゅ)、では布袋さんのような男と少年が向き合っている。こうして再び我欲に満ちた俗界 に還るのである。ここで、﹁真っ・臼になる﹂過程が重要になっている。 つまり、﹁底着き﹂であり、デl
ケンのいう 寸あきらめ﹂である。わたしたちは、ここから、 一 一 1 パ 1 の意志的自由を獲得して、人びととの共生に生きようと す る の で あ る 。 同様のことを、曇鷺(当勾l
E
出)は、寸還相回向(げんそうえこうどについて説いている。これは、往生した 倒 後、現世にもどって衆生と共に仏道に向かおうとすることだといわれる。曇鷲を宗師とした親鷺は、顕浄土真実教 行証文類証文類四還相回向釈引文のなかで﹁還相の利益は利他の正意を顕すなり﹂として、﹁慈悲の実践(梅原 猛)﹂を唱導した。ただし、前提は、往生である。ここでも、一旦、脱我することが求められている。むろん親鷺 は、利他的生き方を否定したわけではない。親鷺は、いずれの行も及びがたき無力で罪深い自分であるが、往生す るぞと一心に思い、その先では還相回向するぞと深く念じて生きるとき、自然と行われる他者や生きものへの配慮 自己実現目的の共生とQOL(加藤) 円 t n t F H υが、超越的力の﹁はからい﹂であることを受けとめ、﹁はからい﹂との感応を感謝して日々を送ったに過ぎない、 のではなかろうか。ここに真の自己実現の姿があり、共生の本質が示されていると考える。 第八節
椎尾弁匡の
﹁ともいき﹂批判 共 生 を 、 ﹁ と も い き L という呼び方で社会的に定着させ、概念を深め、﹁共生運動﹂を起して、社会的に広めた人 物は、椎尾弁匡(しいおベんきょう一八七六 l 一九七一年)である。椎尾は、愛知県春日井市の真宗高田派円福 寺住職の五男として生まれた。一九O
六年東京帝国大学文学部で阿含経の比較研究から大乗経典の成立過程を学び 卒業した。その後、早稲田、日本大学、宗教大学で仏教学の講師を勤める。一九一七年、山口県宇部出身の道重信 教(第七九世増上寺法主。 H∞
g
E
皆・徳富蘇峰とも眠懇。初代朝鮮仏教総督)と、道重と同郷の元宇部領主の男 爵福原俊丸(貴族院議員、井上馨や桂太郎とも眠懇。祖父は蛤御門の変で負傷した長州藩の家老の福原越後であり、 幕府の処罰から藩を守るため事変の責任を一身に背負って切腹した。父の芳山も勤皇の志士で転戦し、英国留学後、 司法省に勤務し大阪裁判所判事を歴任した。福原は一九二四年の陸軍大臣候補選びで清浦室吾に圧力をかけるなど 暗躍している。)に懇願され、福原主宰の J 一 燈 会 L に椎尾は師表(導師)として、一九一七年から一九二O
年 ま で出講し、一九一八年、第一次世界大戦の状況下に国家的使命感を持った福原の強い勧めで、﹁国民覚醒運動 L を 側 先頭に立って展開していく。 福原の基本思想は、一九一七年二月に台湾日日新報に掲載した次のような記事から窺知することができよう。 ﹁朝鮮人は支那人に比して体格も小さく、力も弱く、勤勉の程度も亦逼かに劣って居る。加之彼等の聞には遊惰に して労働を厭う匝習が、今に至るまで依然として存して居向。﹂﹁鮮人職工の工賃も成る可く低くすることに努め、 現今に於ては其の単価を三十四銭乃至八銭位に引下げて居る。しここには、極端な民族的偏見が見られるばかりで o n u n , . F h υ 龍谷大学論集なく、社会的背景から人聞を捉える視点が欠落している。貧しい生活にある人たちだからこそ、体格体力が向上し なかったのであり、そうであればこそ、生活水準を引き上げるための賃上げが必要である。にもかかわらず、逆に 賃下げと搾取を福原は示唆しているのである。福原は、大正天皇の意思を直接受けとめて、椎尾に﹁国民覚醒運 動﹂を勧めたといわれてい旬。 椎尾は、﹁共生﹂の言葉を善導の﹁往生礼讃﹂の一節寸衆生と共に安楽園に生き往かん﹂から採ったとしている。 ω また、共生とは悌教の縁起をいう言葉だとしている。そして、﹁天地の大生命が凝って現した最上のもの﹂である 身心を、﹁力のまま現し﹂、﹁なすべき任務をつくす﹂ことが尊いのであり、身心に﹁執着﹂せず、﹁楽したい我侭を して勝手がしたい﹂という﹁自我の迷妄﹂を破っていく﹁大自覚こそ共生の基礎﹂だと説いて、我欲の超克を薦め る。﹁天地の広大なる力が私の身となって働ける。社会の偉大なる力が私の勤めとなって働ける L 、これが﹁共に生 ω きる根本﹂だと主唱するのである。これは俗流の宗教説諭によく用いられるところのものである。 しかし椎尾の﹁共生の原理﹂は、当初から国家主義に貫かれている。﹁西洋人は頭などでは日本人より進んでい ても、死ぬことの覚悟が足りない。﹂、﹁日本人は死ぬことを覚悟している。 L と、日本人の死を厭わぬほどの尽力を 礼賛する。では何に尽力するのかといえば、﹁一死報国﹂、寸一死をもって国に報いる﹂ことであると指摘する。そ 倒 れ は 、 ﹁ 戦 時 L だけでなく﹁各自の業務に殉ずること﹂も含まれている。そして椎尾は、寸国運の永遠に明るく進め られることを浄土往生の第一歩としたい﹂とし、﹁国家より進んで社会世界を浄化する力﹂となり、﹁浄らかな世界 仰 をつくるのが浄土、仏国を建設すること﹂であると提唱する。椎尾の共生は国家のために共死をめざすものであっ た 椎尾は、一九二二年六月に鎌倉光明寺で﹁共生結衆﹂を実施し、全国的に﹁共生運動﹂を開始していく。 八年八月には、﹁全国結衆の会﹂として組織し、規程を整備し会報も発行していく。同人数は数十万に達したとい 九 自己実現目的の共生とQOL(加藤) -579一
一九二六年に大正大学教授となっている。一九二八年衆議院選挙に立候補し当選し、一九四二年まで議員 を勤める。戦争中の一九三六年から一九三八年、および一九四二年から一九四六年まで大正大学学長に就任。一九 四五年には増上寺の第八二世法主(大僧正)となっている。一九五二年から一九五七年まで再び大正大学学長に就 任し、一九六三年には東海学園女子短期大学学長に就任している。 戦時中、椎尾の共生思想は天皇主義や大東
E
共栄圏主義と強く結びついていく。一九四一年一一月、真珠湾攻撃 が行われる直前に出版された寸国体と悌教﹂において、椎尾は従来の主張である﹁共栄共生と云ふ事は、先程申し 伺 たやうに、仕事を共にして共に働くと云ふ事を意味する﹂と述べつつ、日満支三国には、綿と獣毛が足りない。イ ンドやオーストラリアにはこれがある。油や鋼の確保には南洋が必要である、と身勝手な﹁大東亜共栄圏 L 構 想 を 側 共生の論理の基に展開している。そして、寸天皇は国体の生命中枢たり。日本仏教永く天皇道の至現たれば、文国 体の精髄たるは必せり。﹂とし、﹁陛下と本尊とは一体である﹂、寸天皇の絶対性と本尊の絶対性は一如一体のもので わ れ る 。 ある﹂と主張するに至るのである。 栄沢幸二は、椎尾が親鷺の説いた﹁生きものの犠牲なくして生きられない私を問う﹂側面を軽視もしくは無視し ていると批判してい旬。そして、椎尾の共生の論理は、支配者にとって都合の良い論理であり、たとえば利己的な 企業経営者や国益追求を第一とする国家権力にとって、滅私し、,分。に従って全力を尽くし、知思報思の行を勧 側 める共生運動は、大いに利用できるものであった。栄沢は、椎尾の戦争責任についても総括の不十分さを指摘して いる。つまり、﹁椎尾弁匡にとっての﹃責任﹄とは、天皇に対する﹃皇護翼賛﹄が不十分であったという、天皇へ の 責 任 感 で し か な か っ 向 。 ﹂ と し て い る 。 戦後、一九四八年六月、椎尾は、寸悌教の要領﹂を著し、翌年二月に上梓した。巻頭では、戦時中と打って変わ って、﹁今こそ日本は真仏教を顕揚して平和文化の建設に遁進すべきである。﹂、﹁釈尊が兵力の勇者たることを捨て -580一 龍谷大学論集て大雄に(中略)なったごとく、日本は練兵、武勇の誇りを捨てて世界高世大平の建設に(中略)努むべきであ 側 る。﹂、﹁平和世界の建設こそ成就衆生浄仏国土を完うするものである﹂と椎尾は変身してしまうのである。そして 反省や慨悔は見当たらない。このような椎尾の変り身に、仏教者としての面目は全く見出だしえないといえよう。 真鍋顕久は、社会福祉の観点から悌教における共生思想を取り上げ、新井俊て栄沢幸二、木村清孝らの論考を 引用して、椎尾を批判しつつ、華厳経の思想に基づき﹁すべてのものごとはその﹃光の乱反射﹄(相互作用)によ り、常に変化するもの(諸行無常)であるがゆえに、個々人において、互いに自己変革しながら調和した関係を目 側 指し努力しつづけるという共に生きる姿勢に仏教的共生を見いだせるのではなかろうか。﹂と結論付けている。こ こには、吉田久一の指摘した﹁個人の尊厳の思想﹂がなお暖昧のままであるといわざるを得ない。 筆者の考える椎尾の共生思想の致命的欠点は、①個人の尊厳の思想が欠落していること、②集団的利己主義(そ のなかには国家主義やその拡大の共栄圏主義が含まれる)への批判思想が見られない、つまり、悌教の持っている 普遍的利他主義がみられないこと、③権力批判、暴力批判が暖昧であること、④罪をつくる私、罪を負う私という 思想が見られないこと(栄沢の指摘と重なる)、⑤天皇主義という絶対カリスマ性、神秘主義批判が見られず、逆 にこれを悌教の名で推進したこと、にある。椎尾は自己実現の営みとしての共生には無縁であった。 第九節 共 生 を 目 指 す も の と し て の 生 活 の 質 の 構 造 福祉が人間生活の向上を求めるものとするならば、近年の人間生活の急激な質的劣化は、福祉の劣化そのもので あるといえる。一九七八年に筑波大学で﹁新しい社会に向けて
l
経済価値と文化価値の調和を探る﹂とのテl
マ で国際会議が開催され、その会議のキ1
・コンセプトは、クオリティ・オプ・ライフ(
Q
O
L
)
であった。このと き、﹁デンマークでは一人当たり国民所得は世界のトップクラスであり、社会保障はほぽ完備﹂していた。しかし 自己実現目的の共生とQOL(加藤) o o r D﹁他方では自殺率がとくに若年層で高い、離婚率も高い、そしてアルコール中毒者が増加している(星野克美)﹂ と指摘され
h
。ここに、この国際会議が QOL を主題として採り上げた背景があった。 今日の日本においては、社会保障制度が揺らぎ、格差社会が定着し、自殺者が年間三万人を越え続け、家庭を支 える地域紐帯など社会構造が脆くなり、家庭内虐待 ( D V 、児童・老人虐待)、家庭内別居や閉じこもりが増え、 アルコール依存だけではなく、リストカットや薬物依存、うつ病が増え、単純な非行ではなく、﹁誰でも良かった 殺 人 L が携帯 P C サイトを使って行われる現象がでできている。いまや物質的には快適利便になり消費物量は増大 し て い る が 、 QOL は著しく低下しているといわなければならない。 ここで、人生の質、人生の価値( p
g
ロq
o
己いな)について、改めて考えてみたい。俗に、幸せな人生とは、面 白楽しく暮らし、挫折がなく重い障害や病気にならないで、長命であることといわれている。つまり、総快楽量 H (快楽量│苦痛量)×年数、との数式が仮に提示できる。快楽量には、支配欲・所有欲・官能欲・知識欲・見栄欲 の満足のほか利便快適性や慰安・娯楽・気晴らしなどの満足も含まれる。これをS
(
印 丘 町E
2
-o
ロ ) で 記 号 化 す る 。 苦痛量には、失敗・事故・差別・失業・障害・老化・病気・トラブルなどが含まれる。これをH
E
E
母8
8
)
で 記号化する。利欲の自由な追求競争が効率化や新発明など生産性増大の成果を招く。一方で優勝劣敗がもたらす社 会的歪みに対処し、不慮の障害や事故による生活破綻を予防するために社会保険制度が必要となる。これを I(
E
E
E
R
O
)
で記号化する。年数はT
(
民目。)と記号化する。こうして、総快楽量 H K . {印 │ ( 国 │ 同 ) } 仏 、 ﹃ と の 数 式 が 仮 に 成 り 立 つ 。 しかし、以上は生活の物量的な利欲の満足に着目しただけのものである。つまり、生活消費H
L
F
(
E
o
b
c
d
﹃ ) の局面を採りあげたに過ぎない。生活の質の維持と向上のためには、生活基盤H
L
S
(
E
O
印古島)が安定し充実 していることが不可欠である。生活基盤の具体的内容としては、雇用(正規・最低賃金)・住宅(住環境)・医療 n r “ n x υ 戸 h υ 龍谷大学論集(リハビリ・介護)・教育・年金・児童手当の安定と充実があげられる。これは、保険が欠けたときのセーフティ ネットとは異なり、すべての人びとに、社会的権利として、必要最低限基準の尊厳ある生活