• 検索結果がありません。

大塚地域 豊島区景観計画|豊島区公式ホームページ

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2018

シェア "大塚地域 豊島区景観計画|豊島区公式ホームページ"

Copied!
4
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

064

豊島区景観計画

第 5 章 地域別景観まちづくり方針(大塚地域)

(1)位置

区の東部に位置する北大塚1丁目から3丁目、南大塚1丁目から3丁目、西巣鴨1丁目及び上池 袋1丁目の区域です。北東側は巣鴨・西巣鴨地域、南西側は池袋東地域、北西側の環状5の1号線(明 治通り)以西は池袋本町・上池袋地域、南東側は文京区に接しています。

(2)市街地の変遷

江戸時代、現在の新大塚駅周辺は巣鴨辻町と呼ばれ、大都市江戸 の一部に含まれていました。春日通りと白山通りの間の平地部は主 に田畑でしたが、折戸通り沿いに集落が形成されていました。

明治時代になり市街化が進み、明治36(1903)年に大塚駅が開 設され、明治44(1911)年「王子(飛鳥山上)~大塚」間で都電 荒川線が開業しました。戦前は都内有数の繁華街として、にぎわい をみせていました。

しかし、戦災により地域の大半が被害を受け、大塚駅周辺は戦 災復興土地区画整理事業が実施されました。その他の区域は、戦 前の幅員が狭い道路のまま建築物が再建されました。昭和30 (1955)年代以降、次々と都電が廃止となる中で唯一、「三ノ

輪橋~早稲田」間を走る都電荒川線が残っています。

(3)主な景観要素

①地形・自然

○現在では暗渠となった谷端川に削られて形成 された谷状の地形です。

○かつての谷端川の流れは、現在、緩やかに湾 曲した道筋に見て取ることができます。

1 地域の特徴

図表5-20 大塚都電車庫

図表5-21 大塚地域の等高線

標高 40m

20m

0m

谷端川

千川上水

水窪川

谷端川

千川上水

水窪川

水窪川

水窪川

東池袋駅

大塚駅

東池袋駅

大塚駅

新大塚駅

新大塚駅

資料:基盤地図情報数値標高モデル(国土地理院)をもとに作成 画像提供:豊島新聞社

  大塚地域

都電と沿線のバラ

(2)

065

豊島区景観計画

第 5 章

地域別景観まちづくり方針(大塚地域)

5

②歴史・文化

○旧巣鴨村の鎮守である天祖神社には、夫婦銀杏のほか、稲荷、 熊野、三峯、榛名の各神社があります。

○大塚駅周辺は、戦前からの繁華街として商業施設や映画館、寄 席などが集まり、にぎわってきました。

○昭和初期からの花町であった大塚三業地52では、今でも料亭な

どがわずかに残っています。

○西巣鴨中学校前周辺の桜並木では、さくらまつりが開催されて います。

③まち・界隈

○大塚駅周辺は、商業・業務機能が集積するとともに、南北自由 通路が開通し、利便性と快適性が向上しました。

○土地区画整理事業が実施された地区や明治通り沿いでは、街区 が大きく、中高層のマンション等が立地しています。

○JR山手線の土手や橋からの眺め、都電が走る風景と沿線のバ ラなど、鉄道と都電が地域の魅力となっています。

④人々が織りなす魅力

○大塚駅周辺や都電沿いでは、地域の人々が緑化や美化活動に取 り組んでいます。

○東京大塚阿波おどりやおおつか音楽祭、大塚バラまつりなど、 個性的な祭りやイベントが開催されています。

2 景観まちづくりの視点

●鉄道と都電が交差する大塚駅周辺では、区内外から人々が集う拠点にふさわしい魅力を備え た景観形成が必要です。

●東京大塚阿波おどりやおおつか音楽祭など、地域による祭りやイベントを生かした風景づく りが必要です。

●大塚駅周辺や都電沿いの緑化活動を地域全体に広げ、季節の花々が彩る街並みづくりが必要 です。

図表 5-23 三業地の料亭

図表5-24 おおつか音楽祭 図表5-22 天祖神社の夫婦銀杏

三業:料亭、待合、置屋(おきや)の3業態が揃ったところ

(3)

066

豊島区景観計画

第 5 章 地域別景観まちづくり方針(大塚地域)

3 景観まちづくり方針

○西巣鴨中学校前の桜並木、大塚駅から春日通りまでの都電沿い のバラなどによって、四季を彩る景観を創出します。

○暗渠となった谷端川の流れが、道筋で感じられる街並みをめざ します。

○JR山手線に向かい緩やかに続く谷状の地形を生かしながら、 街並みを楽しむことができる景観をめざします。

○天祖神社や東福寺、菅原神社などを地域の資源として、次世代 へ引き継ぎ、歴史を感じられる景観を形成します。

○東京大塚阿波おどりやおおつか音楽祭など、地域によるイベン トに人々が集い、楽しむ姿を風景として育みます。

○大塚三業通りでは、かつての面影を残す料亭などを生かして、 当時のにぎわいを偲ぶことができる街並みをめざします。

○大塚駅周辺は、区内外から人々が集まる交流拠点として、にぎ わいや活力を感じられる景観を創出します。

○新大塚駅周辺は、地域の人々が活発に交流し、にぎわう生活拠 点にふさわしい街並みを形成します。

○大塚駅周辺や折戸通りなどの商店街は、親しみを感じられる街 並みをめざします。

○都電が走る姿を惹き立てるため、街中の彩りや車窓からの眺めに意識した景観形成をめざします。 ○明治通り及び春日通り沿道は、みどりの潤いを感じられる、安全で快適な歩行者空間を形成し

ます。

○造幣局東京支局の移転後に整備される防災と文化、交流機能を備えた拠点を中心に、大塚と池 袋副都心、雑司が谷を結ぶ、新たな人の流れを生み出します。

○都電沿いの緑化活動や地域によるイベントなどと連携し、景観まちづくり活動に取り組んでい きます。

図表 5-26 東京大塚阿波おどり 図表5-25 

西巣鴨中学校前周辺の桜並木

図表5-27 JR大塚駅北口 1 ゆとりと潤いを創出する

2 歴史を受け継ぎ、新たな文化を創造する

4 地域の特性を惹き立てる 3 人々の生活・営みを映す

(4)

図表 5-28 大塚地域の景観まちづくり方針図

067

豊島区景観計画

第 5 章

地域別景観まちづくり方針(大塚地域)

5

出典:豊島区地域地図第四集 2011、豊島区史跡めぐり

旧中山道 千川上水本流

谷端川

小石川道

水窪川

弦巻川

雑 司

ヶ 谷

明治42(1909)年の市街地の様子

街道等

河川

水田

畑・雑木林

集落

鉄道

● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● 豊島区 本庁舎 豊島区 本庁舎

造幣局 東京支局跡地造幣局

東京支局跡地

● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ●

放8 春 日通

都電荒川線

都電荒川線

放8 春 日通 環5の1 明治通

環5の1 明治通 り

補81

補81

補79

補79

折戸通り

折戸通り

新大塚駅 大塚駅

大塚駅

新大塚駅 山手線

山手線

天祖神社

東福寺 上池袋東公園

巣鴨公園

菅原神社 巣鴨学園

大塚三業通り 谷端川

文京高等学校

十文字学園

西巣鴨中学校

巣鴨地蔵通

巣鴨地蔵通

文京高等学校

空蝉橋 空蝉橋

ゆとりと潤いを創造する

歴史を受け継ぎ、新たな文化を創造する 人々の生活・営みを映す

地域の特性を惹き立てる 個性ある街並みを創造し、 楽しめる仕組みを構築する

鉄道駅周辺 みどりの骨格軸 みどりの回廊(幹線道路) 坂

寺社 花の名所 大学 教育施設 祭り

文化資源 新たな文化拠点 旧道 旧河川 神田川 公園など

みどりの回廊(街路樹) 鉄道(JR) 鉄道(東武・西武) 都電

都市計画道路未着手区間 (全域)

図表 5-28  大塚地域の景観まちづくり方針図 067豊島区景観計画第 5 章地域別景観まちづくり方針(大塚地域) 第 5 章地域別景観まちづくり方針(大塚地域)出典:豊島区地域地図第四集 2011、豊島区史跡めぐり旧中山道千川上水本流谷端川小石川道水窪川弦巻川雑司ヶ谷道明治42(1909)年の市街地の様子街道等河川水田畑・雑木林集落鉄道●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●豊島区本庁舎豊島区

参照

関連したドキュメント

強者と弱者として階級化されるジェンダーと民族問題について論じた。明治20年代の日本はアジア

明治33年8月,小学校令が改正され,それま で,国語科関係では,読書,作文,習字の三教

治山実施設計業務(久住山地区ほか3) 大分県竹田市久住町地内ほか

ことで商店の経営は何とか維持されていた。つ まり、飯塚地区の中心商店街に本格的な冬の時 代が訪れるのは、石炭六法が失効し、大店法が

東京都公文書館所蔵「地方官会議々決書並筆記  

北区都市計画マスタープラン 2020 北区住宅マスタープラン 2020

(4) 鉄道財団等の財団とは、鉄道抵当法(明治 38 年法律第 53 号)、工場抵 当法(明治 38 年法律第 54 号)、鉱業抵当法(明治 38 年法律第 55 号)、軌道

明治 20 年代後半頃から日本商人と諸外国との直貿易が増え始め、大正期に入ると、そ れが商館貿易を上回るようになった (注