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安藤元雄の詩について

著者

福田 拓也

著者別名

Takuya FUKUDA

雑誌名

東洋法学

64

2

ページ

98(1)-87(12)

発行年

2021-01

URL

http://doi.org/10.34428/00012203

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  本論は詩人・安藤元雄(一九三四年―)の一九五七年の詩集『秋の鎮魂』に始まる詩業を二〇一九年に刊行され た『安藤元雄詩集集成』を読みつつ跡付けることを目的として い 1 ) る 。ここでは、六十年にわたる安藤の詩業を外部 への越境への希求、二重化、そして無限から有限への移行という三つの問題系のもとに検討して行きたい。 Ⅰ.外部へ   安藤元雄の詩業は壁に行き着くところから始まる。その壁はしかし壁の向こうを夢見させる言語であり、詩であ る。第一詩集『秋の鎮魂』 (一九五七年)の「初秋」 (一五頁)という散文詩にあるように、壁はここにない海を不 在であるものとして現われさせる言語である。立原道造の「のちのおもひに」の影響を受けつつ、最初期の安藤は ものを不在であるものとして出現させる言語の働きを浮き彫りにしている。   最初期の「初秋」に現われるここにない海は安藤の詩にあってしばしば外部としての海、闇、顔、目などとして 出現することになる。安藤の詩はそこでこのような外部、別の場所の探求という形を取ることが多くなるが、しか 《 論    説 》

安藤元雄の詩について

 

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しこの探求は外部を目指すことのためらいや外部を隠すことと切り離せない。ものを不在であるものとして現われ させるという言語の性格は実は安藤自身の詩の特性でもあったことになる。   や は り 第 一 詩 集『秋 の 鎮 魂』 の「黒 い 目」 (二 二 ~ 二 五 頁) と い う 散 文 詩 に は、 初 期 安 藤 の ト ラ ウ マ 的 な 外 部 経 験と外部を隠そうとする「原抑圧」的な仕草、そしてこの恐ろしくもあり魅力的でもある膨張する闇としての外部 の 接 近 を 何 度 で も 繰 り 返 そ う と す る 反 復 強 迫 的 傾 向 が 語 ら れ て い る。 「黒 い 目」 は 安 藤 の 詩 行 の 本 質 的 部 分 を 予 見 し て い る。 例 え ば、 『こ の 街 の ほ ろ び る と き』 (一 九 八 六 年) の「真 昼 の 壺」 Ⅱ(二 一 〇 ~ 二 一 四 頁) に 出 て 来 る 「闇の底」や同じ『この街のほろびるとき』の「海の顔」 (二一五~二一七頁)の壁であり海であり顔であるような ものは「黒い目」の延長上に現れて来ると言えるだろう。   同様に『秋の鎮魂』の「血の日没」 (三二~三三頁)という詩は、詩人の「ためらい」と外部の探求( 「鳥たち」 ) と外部( 「防風林よりも背の高い海」 )のあり方を見事に形象化している。ここで詩人による外部の探求を形象化し ている「鳥たち」は「触れることのできない空の奥」にまで至る。それに対して詩人を複数化しつつ表象する「僕 ら」は、盲目状態のまま外部に達することのないまま自分たちの居場所で死に果てる。これも安藤元雄の詩に親し い本質的なテーマだ。   同様のことが『船と   その歌』 (一九七二年)の「顔」 (八〇~八二頁)にも言える。ここでも「距離の突き当た りにあるもう一つの距離」という外部を夢見る詩人がおり、しかもその詩人は「盲目のままここに残り/消え去る こと」 (八一頁)に運命付けられているかのようだ。   『この街のほろびるとき』 (一九八六年)の「真昼の壺」Ⅰでは、壺という居場所の中にいる詩人が外部を見るこ と の な い ま ま 消 滅 す る こ と が 書 か れ て い る( 「青 空 の 底 知 れ ぬ 痙 攣 に は 目 を つ ぶ っ た ま ま」 、 二 一 〇 頁) 。「真 昼 の

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壺」Ⅱでは、外部の闇が内部の光によって見えなくなっているということが「一人の老いた盲目の修道士」の口を 借りて語られる(二一二~二一 三 頁) 。   同じ『この街のほろびるとき』の「海の顔」にも壁であり風であり顔であり闇であるような何かが外部として現 れる(二一五~二一七頁) 。 Ⅱ.二重化 1.空間の二重化、身体の二重化   ここにありながら外部を夢想するとは、ここと外部に空間が二重化することを意味する。そして、空間の二重化 は安藤元雄にあってはしばしば同時に私の身体の二重化をも意味する。   『船と   その歌』の「帰郷」にあっては、人間の体 が 海を蔵していることが前提されている。 「走れ/走りながら 投げろ/投げ捨てろ/海を   君の背後へ/できるだけ遠くへ/それが   坂道の向うで/なるべくだだっぴろくひろ が る よ う に」 (九 二 頁) 、「ど う せ 海 は も う   お ま え の 眼 の 中 で / い つ ま で も 脈 打 た せ て お く べ き で は な い / そ れ は   途方もないにがい水のひろがりとなって/おまえの背後の   閉ざして来る闇の中へ/音もなく横たわるようにすべ きだ」 (九三~九四頁) 。海はこの詩において人体の蔵するものでありながら人間の外に広がるものでもあり得るも のとして示されている。それと同時に、人間の体は海を蔵するものでありつつ広大な空間の中で海と併存するもの であることが示されている。   詩 集『水 の 中 の 歳 月』 (一 九 八 〇 年) 中 の「水 の 中 の 歳 月」 は 水 の 中 に い る「私」 を 書 く が、 詩 の 最 後 に 至 っ て、 そ の 水 が「私」 の 体 か ら 滲 み 出 し た こ と が 示 さ れ る。 「考 え よ う に よ っ て は、 こ の 水 は 最 初 か ら 私 を 包 ん で い

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たのではなく、むしろ長い間に少しずつ私の体から滲み出したものかも知れない。だとすれば、私は私の中に浮い ているとも言えるし、私は私の中に沈んでいるとも言える」 (一二三頁) 。このように、水に満たされた空間が二重 化すると同時に「私」もまた水の中に包み込まれる「私」と水に満たされた広大な空間を包み込む「私」とに二重 化する。   二〇一五年の詩集『樹下』にあっては、雨に降り込められる空間の中にいるはずの「私」のうちにも雨が降り込 め( 「広 い 野 を 降 り こ め / 私 の 中 に も 降 り こ め る   雨」 、 五 一 六 頁) 、「私」 の 体 の 内 部 が 水 で 満 た さ れ( 「私 の 内 側 が水に満ちる/皮膚のすぐ下にまでみなぎって/手や足の指先にまで行きわたり/目や鼻や耳にもあふれ/少しで も体を動かせば   たぷたぷと揺れてやまない   水/無辺の水//奇妙なことさ   この私に/これほどの容量があっ たとは」 、五一七頁) 、空間と「私」の体が私を包む水浸しの空間と私の体の中の水浸しの空間とに二重化する。   こ の よ う な 空 間 と 身 体 の 同 時 的 二 重 化 は パ ス カ ル 的 な も の で あ る と も 言 え る。 「空 間 に よ っ て、 宇 宙 は 私 を 包 み 込 み、 一 個 の 点 の よ う に 私 を 飲 み 込 む。 思 考 に よ っ て、 私 は 宇 宙 を 包 み 込 ん で 理 解 す 2 ) る 」。 フ ラ ン ス 文 学 者 で も あ る安藤元雄が当然のごとくパスカルの思考を踏まえていることは十分に考えられる。   とはいえ、このような二重化は単なる知的操作によるものではなく抒情でもある知的操作によって可能になるも のだろう。シュペルヴィエルの詩について語りつつ、安藤元雄は「知的操作そのものが抒情になり得る」と言い、 「宇宙的な大きさのものが一人の詩人の内面に収まるのはこの操作のため」であると指摘 す 3 ) る 。『フーガの技法』に おいて安藤はやはりシュペルヴィエルの詩について「この宇宙に生をうけた人間の存在の心細さと、想像力による その心細さの克服とを歌いこめた」と指摘 す 4 ) る 。安藤はまたシュペルヴィエルの「夢想の源泉と言うべき場所」に つ い て 次 の よ う に 書 く。 「そ れ は ほ か な ら ぬ 詩 人 自 身 の 肉 体、 閉 ざ さ れ た 容 器 の よ う に 彼 の 意 識 を そ の 中 に 住 ま わ

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せながら、同時に生命の源泉たる心臓を秘めている空間であり、しかもその空間は、知覚をひろげることによって で は な く 逆 に 目 を 閉 じ る こ と に よ っ て、 か え っ て 宇 宙 全 体 の 大 き さ に ま で ひ ろ が る こ と が で き 5 ) る 」。 こ の よ う に 書 きながら安藤はまさに自身の詩における空間と身体の二重化について語っていると言えるのではないだろうか。   パスカル、シュペルヴィエルと並んで安藤元雄の詩における空間と身体の二重化に影響を与え得た詩人として立 原道造が挙げられる。 「あこがれの詩法」というエッセーにおいて安藤は立原における「 「ここにないもの」へのあ こ が 6 ) れ 」 を 指 摘 す る が、 安 藤 の 詩 に 現 わ れ る 外 部 へ の 志 向 も ま た「 「こ こ に な い も の」 へ の あ こ が れ」 と 言 え る も のであり、そこに立原の影響を認めることができるだろう。また安藤は立原の「盛岡ノート」と「長崎ノート」に ついて、 「彼の生がどれほど徹底的に二重化されていたか」を指摘し、次のように書く。 「同行していない愛人への 執拗な語りかけという形を通じて、彼は煤だらけの夜汽車に揺られている自分を絶えず別の世界へと投げ続け、投 げ る こ と に よ っ て 夜 汽 車 の 固 い 座 席 の 上 に い る み じ め な 病 み 衰 え た 肉 体 に 意 味 を 与 え 続 け よ う と す る。 〔……〕 彼 にとっては、喋るためにはそのお喋りの相手が目の前にいえないことが決定的に必要だったとしか思えない。なぜ なら、そのお喋りはまさに彼自身のための行為であり、彼自身を二重化することによる自己の存在の証明だったか らで あ 7 ) る 」。 2.「木彫りの人形」――身体の二重化の一形態   私の身体の二重化の特殊な一形態として樹木に背中で貼り付いている「木彫りの人形」の形象がある。パスカル 的 方 法 に よ っ て、 私 の 思 考 に よ っ て 包 含 さ れ た 宇 宙 の 中 に 私 は そ の 宇 宙 の 微 細 な 一 構 成 要 素 と し て 現 れ る の で あ る。 「そ う だ   も う 少 し / も う 少 し 近 づ け ば お れ の 目 に も 見 え る だ ろ う / あ の 樹 の   一 番 下 の 枝 の あ た り に / 背 中

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で 貼 り つ い て / 黙 っ て 晒 さ れ て い る 木 彫 り の 人 形 が / 聖 な る 巣 箱 が」 (一 三 五 頁) 。 こ の「聖 な る 巣 箱」 で も あ る 「木 彫 り の 人 形」 の う ち に 磔 刑 に さ れ た イ エ ス の イ メ ー ジ を 読 み 取 る べ き だ ろ う か。 一 九 八 〇 年 の 詩 集『水 の 中 の 歳月』に現れるこのイマージュはほとんどそのまま、ただし磔刑にされたイエスというよりは彩色のはげ落ちた仏 像 的 な 色 彩 を 強 め つ つ、 二 〇 一 五 年 の『樹 下』 に 再 び 現 れ る。 「彩 色 が 剥 げ 落 ち て / 虫 に 食 わ れ   穴 だ ら け に な っ た木彫りの/氏素性も知れぬ   人の形をした像のように/雨ざらしのまま私はたたずみ/黙ったまま私の内側にい る」 (四九八頁) 。 3.「私」の反省的二重化――顔、鏡   「海 の 顔」 と い う 詩 に あ っ て は、 押 し 寄 せ る 海 で あ り 壁 で あ り 顔 で あ る も の の 水 平 的 運 動 に 井 戸 へ 落 ち る と い う 垂直的な運動が交錯している。安藤元雄にあって井戸が詩人であることを思えば、井戸へ落ちるということはまさ に 詩 人 が 自 身 の う ち へ と 落 ち て 行 く こ と で あ る と 言 え る( 「私 は 私 自 身 の 目 の 中 へ 落 ち て 行 く」 、 二 一 六 頁) 。 こ の 自身のうちへの立ち返りは、押し寄せてくる顔もまた詩人自身の顔ではないかと思わせるものをもっている。   『船 と   その歌』所収の「顔」に現われる顔もそれが「死んだ鏡の奥」に浮かぶことからすると、詩人自身の顔である と 考 え る こ と が で き る か も し れ な い。 「こ の 額 縁 に 張 り つ め た   死 ん だ 鏡 の 奥 / 距 離 の 突 き 当 た り に あ る も う 一 つ の 距 離 の / そ の 底 に 天 体 に 似 て 浮 か ん だ 顔 の / か す か な 唇 の 端 の 反 り だ け を   記 憶 に と ど め」 (八 二 頁) 。『水 の 中 の 歳 月』 の「紫 陽 花」 は 次 の よ う に 始 ま る。 「壁 に 蔦 / 蔦 の 中 に 顔 が あ る / 生 半 可 な 詩 句 を 噛 み 殺 し / わ き 目 も ふ らずに歩いて行く/若い男を/蔦の蔭から壁が見ている」 (一四三頁) 。この顔は「たぶんおれの顔/蔦の中にあっ た顔だろう」 (一四四頁)ということになる。   つまり外部に現われる顔は自分の顔であり得ることになり、そうで

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ある以上、外部は内部、あるいは外部を夢見る詩人の視線自体に過ぎないのかもしれない。   『こ の 街 の ほ ろ び る と き』 の「だ ま し 絵」 と い う 詩 に は 詩 的 行 為 に つ い て の ふ た つ の ヴ ィ ジ ョ ン が 書 か れ て い る。 ひ と つ は、 壁 を 前 に し て 外 部 を 夢 見 る 詩 人 の 視 線。 「壁 に 描 い た だ ま し 絵 の 窓 の 中 に / あ ざ や か な 青 い 木 立 を   あるいは/誰もいないまま陽ばかりが照りつける砂地を/眺めあかして死ぬ人もあるかもしれぬ」 (二〇五頁) 。も うひとつは、だまし絵の中に詩人が見ていると思った外部は実は詩人自身の鏡像にすぎないということ。壁は実は 鏡 に す ぎ な い。 「壁 に 描 い た だ ま し 絵 の 窓 の 中 か ら / 薄 闇 の 立 ち こ め る 広 場 に   そ れ と も / 向 い の 家 の 変 哲 も な い 羽 目 板 に / 瞳 を 投 げ た ま ま 生 き な が ら え る 人 も あ る か も 知 れ ぬ」 (二 〇 五 頁) 。「だ ま し 絵」 の 最 後 の 行 に 至 っ て、 窓 の 中 か ら 眺 め る 人 が「お れ」 で あ る こ と が 明 か さ れ る。 「そ し て 人 々 は だ ま し 絵 を 見 つ め る よ う に / 窓 の 向 う か ら   朝夕の通りすがりにおれの目を覗きこむ」 (二〇七頁) 。   目 指 す べ き 外 部 は 内 部 に 過 ぎ な い、 詩 人 の 居 場 所 で あ る こ ち ら 側 に 過 ぎ な い と い う 事 態 は、 『水 の 中 の 歳 月』 の 「渚へ」や『わがノルマンディー』の「越境」に語られている。 「渚へ」では、壁として機能する砂山を越えたとこ ろに現われる海はやはり壁として出現する(一三六頁) 。「越境」では居場所としての放置された客車の中にありな がら、越境を夢見つつも国境を越えてもやはり別の国があるだけのことが語られる。つまり、外部が内部に過ぎな いことが語られる(四四二頁) 。 Ⅲ.あきらめ、あるいは無限から有限への移行 1.『めぐりの歌』――有限なるものの回帰   『この街のほろびるとき』の「海辺の時」には、海辺に住みながら「ここではない別の海辺」 (二二八頁)を夢想

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し な が ら も 海 辺 に 行 く こ と は 断 念 し つ つ こ こ で 死 ん で い く「お れ」 が 現 わ れ る。 ま た『夜 の 音』 (一 九 八 八 年) の 「予言者たちの冬」では、 「井戸」が涸れたことが書かれ、自分の「部屋」にい続ける詩人の姿が語られる。外部に 到達することのあきらめが書かれている点でこの二篇は、一九九〇年の『めぐりの歌』の諸篇を予見するものであ ると言えよう。   『め ぐ り の 歌』 の「夏 の 終 わ り」 と い う 詩 に お い て は、 外 部 へ 越 境 す る も の と し て の 鳥 も 舟 も や っ て こ な い。 こ こ に は 外 部 へ と 赴 く こ と の あ き ら め が 書 か れ て い る よ う だ。 「鳥 は 帰 っ て こ な い / も う い い   二 度 と 戻 る な / 傾 い た 海 を い つ ま で も め ぐ っ て い ろ / 白 い 帆 も 黒 い 帆 も ま だ 見 え な い が / も う い い   ど ん な 舟 も こ こ へ 立 ち 寄 る な / 〔……〕/おれがここにいる間だけがおれの時間だ」 (三九〇~三九一頁) 。「庭のしずく」では、詩人はもはや外部 を夢想せず、今ここにいる庭が詩の場所となっている。小さなものたちの死骸が花となることにより「めぐり」が 回帰が果たされている(三七〇頁) 。   『め ぐ り の 歌』 と い う 詩 集 に あ っ て は、 外 部 の 探 求 の あ き ら め と と も に 詩 人 の 今 い る 居 場 所 が 立 ち 返 っ て 来 る。 これは、ボードレールにおける無限から有限への移行に対応している。例えば『悪の華』の「高みへ」という詩に あっては、 「精神」が「太陽のかなた」へ、 「エーテルのかなたへ」 、「底なしの無限の空」に舞い上がる運動が書か れている。ところが、このような無限への運動は有限的なものの回帰に帰着する。 「苦しみの錬金術」では、 「私」 が「経帷子とまごう雲の中に/いとしい者の屍を見つけ出し、/そして、天の岸辺にいくつもの/大きな石棺をこ し ら え 上 げ る」 こ と に な 8 ) る 。「夜 の 空 に も ひ と し い も の と」 で 始 ま る 無 題 の 詩 に お い て は、 女 性 を 通 し て の「青 い 無 限 の ひ ろ が り」 の 探 求 が 突 然「蛆 虫 の 一 団 が し か ば ね に 取 り 付 く」 動 き に 取 っ て 代 わ ら れ 9 ) る 。「パ リ の 情 景」 に 集められた諸篇はこのような回帰した有限なるものとしてのパリの街を書いている。ヘーゲルが指摘したようにこ

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のように回帰した有限なるものはそれが空しいものである限りにおいて無限なるものを含んでいる。ボードレール のパリも、それが「白鳥」にあるように変化するはかないものとして現われている限りにおいて、また、それが老 人や老婆などを通して語られている限りにおいて、無限でもある有限であると言えよう。   そして、安藤元雄の『めぐりの歌』についても全く同じことが言えそうだ。これらの詩篇が生成について、生成 の果ての消滅について書かれている限りにおいて。 「百年の帳尻」にあっては、生成が肯定されている。 「物語には 終わりがない   むかし喜んで聴きいった幼い女の子たちも/やがては大きくなり   別な歌にうつつをぬかし/私の 声などは忘れるだろう/私の方は彼女らのひとつひとつのしぐさをいまも思い出し/そのたびに   ついうっかりと ほほえむのだが/人にはぶざまなうすら笑いとしか見えないだろう/だが物語は相変らずつぶやかれる   それだけ が/かつてそういう日々のあったあかしだとでもいうかのように/そう   私のいたことをいつまでも憶えていては いけないよ/忘れるんだ   それが倖せというものさ/君らのではない   私の倖せ/忘れられることの倖せ/言葉と 一 緒 に   こ の 中 途 半 端 な 日 々 の こ と な ど も 忘 れ て お し ま い」 (三 五 二 ~ 三 五 三 頁) 。 こ の 詩 は 次 の 二 行 で 終 わ る。 「続けよう   どうせ/一度始まったものは尽きることがないのだから」 。   生 成 を 肯 定 す る こ と に よ り、 絶 え ざ る 回 帰、 一 種 の 永 劫 回 帰 が 実 現 す る。 「千 年 の 帳 尻」 は、 そ の よ う な 回 帰 に 関わる。   こ の 詩 集 で は、 外 部 を 目 指 す こ と な く、 こ こ に い な が ら 今 こ こ に 生 成 途 上 に あ る も の が 書 か れ て い る。 そ の 結 果、詩的とは言えない日常的な会話がそのまま現われることになる。詩でないものを詩として扱うこのような操作 に は 一 種 の ロ マ ン 主 義 的 ア イ ロ ニ ー が 認 め ら れ る。 「今 日 は こ れ で 失 礼 し ま す   さ ぞ お 疲 れ で し ょ う / ま た い つ か お 目 に か か り ま す」 (「百 年 の 帳 尻」 、 三 四 九 ~ 三 五 〇 頁) 、「暗 い な あ   生 は   そ し て 死 も   と / 誰 か が 歌 っ て い た

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ような気がするが」 (「冬の蛹」 、三五七頁) 、「おじちゃん   好き   と」 (「飛ばない凧」 、三五七頁) 。 2.『樹下』――生成、永劫回帰   二〇一五年の『樹下』でも外部へと越境することはもはや放棄され、今ここという居場所に居続け、そのまま生 成のままに死んで行くことのみが肯定されている。ここでは、詩人の居場所は樹の下という極めて狭い場所となっ て い る。 「樹 の 下 に い て   じ っ と 動 か ず / 樹 の し た た ら す し ず く を 浴 び / 樹 の 枝 の 下 を す か し て 遙 か 遠 く に 目 を や り/蔭のない   灼けただれた野を眺めては/いつの日かそんなところへ帰ることも/あろうかと   思ってみる/あ そこでは   きっと私は/一日とたたずに干からびて   血液も涸れ/二度と動けなくなるだろう/どうしてそこへ戻 らなければならないのか/ひそかに心に決めて/もう帰らないつもりでそこを離れ/ここへ来てこうして坐り込ん でいるのではなかったのか」 (「五の章」 、五二四~五二五頁) 。この詩集でも「河」として形象化される生成がはっ き り と 肯 定 さ れ て い る。 「そ う   す べ て は 流 れ て 行 く / こ こ に い る 私 も   野 も / 頭 上 を 覆 う こ の 枝 葉 も / 樹 も / 同 じ速度で絶え間なく流れ/運ばれ/やがて地の果てに没するさだめだ/そのゆるやかな移動に耐えて/流されるこ とに慣れねばならぬ」 (「三の章」 、五〇五~五〇六頁) 。   『樹下』でもまた永劫回帰が問題になっている。 「そうして夜が来る   部厚い闇が/徐々に私の小屋を押し潰す/ 大きな魚の胎内に呑まれたような/星のない暗黒の中で/私はなおも移動を続けて/いつか   知らぬ境涯に投げ出 され/すべてを劫初から辿り直さねばならなくなるかも知れぬ」 (五〇六頁) 。   この詩行にあって、かつては目指すべき外部であった闇が既に「私」のいるここに実現されていることも指摘し て お こ う。 こ こ で は 外 部 が 既 に 内 部 に 実 現 し て い る こ と が は っ き り と 示 さ れ て い る。 「膝 を 曲 げ て 坐 っ た 私 の 手 の

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註 ( 1 )  本文中(   )内の頁数はすべて『安藤元雄詩集集成』 (水声社、二〇一九年)に差し向けるものである。 ( 2 )  『パンセ』上、塩川徹也訳、岩波文庫、一三四頁 ( 3 )  「洪水」第九号、二〇一二年一月、四七頁 ( 4 )  『フーガの技法』 、思潮社、二〇〇一年、一〇三頁 ( 5 )  『フランス文学講座 3   詩』 、大修館書店、一九七九年、四二九頁 ( 6 )  『フーガの技法』 、五一頁 下に/一つのこわばった足裏があるのを知り/私は闇の中でそのざらざらの皮膚を撫でる/しかし私の足裏は撫で ら れ る の を 感 じ な い」 (五 〇 八 頁) 、「闇 の 中 で は 樹 も 見 え ず / 葉 の 揺 ら ぎ も 見 え な い / 風 が あ れ ば 葉 の そ よ ぐ 気 配 だけはするが/むしろそれは葉よりも風の音だろう/たとえば冬   樹が/ことごとく葉を失ったあとも/風は高ら かに枝を鳴らす/闇の中で私はそれを聞き   風が遠くへ/私の思念の届くよりも遙か遠くへ/樹を運んで行こうと するのだと思ってみる」 (五〇八~五〇九頁) 。   安 藤 元 雄 の 詩 は ま ず 外 部 を 目 指 す 冒 険 と し て 始 り、 そ の 企 て は 自 身 の 身 体 と 空 間 の 二 重 化 を も た ら す も の だ っ た。しかし、外部への越境は結局内部に至るしかないということが、そしてヘーゲルやボードレールにおけると同 様、無限への飛翔は有限へと至るしかないということが明らかになる。その詩業の終盤に至って安藤元雄の詩は有 限なるものの生成の肯定に到達する。とりわけこのような精神の軌跡において安藤元雄の詩は光を放ち続けるだろ う。

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( 7 )  同、五二頁 ( 8 )  『悪の華』 、安藤元雄訳、集英社文庫、一九九一年、二〇五~二〇六頁。 ( 9 )  同、七二頁。   ―ふくだ   たくや・東洋大学法学部教授―

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