国際人的資源管理の比較分析
―「多国籍内部労働市場」の視点からー
早稲田大学政治経済学術院
白木
三秀
A Comparative Analysis of International Human Resource Management
: From the View Point of “Multi-national Internal Labor Markets”
By
Mitsuhide Shiraki
Faculty of Political Sceince and Economics,
Waseda University
序章 問題意識と本論文の構成・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1 1.問題意識 2.本論文の構成 第1章 文献サーベイと研究視点の設定・・・・・・・・・・・・・・・・ 5 1.はじめに 2.国際人的資源管理の定義と特徴 3.国際人的資源管理の枠組み 4.本国からの影響と国際人的資源管理 5.日本のHRM システム移転に関する研究の類型化 6.国際人的資源管理の実証研究 7.内部労働市場研究の展開 8.本論文の研究視点 第2章 多国籍内部労働市場の実証分析・・・・・・・・・・・・・・・・ 25 1.はじめに 2. 分析対象企業の特徴 (1)データ・ソース (2)分析対象企業の諸特徴 3.海外における日系企業の経営諸課題と日本人派遣者 (1)経営諸課題に関する調査結果 (2)日本人派遣者の派遣理由 4.日本人派遣者比率の決定要因 (1)日本人派遣者比率の諸特性 (2)日本人派遣者比率の決定要因についての分析枠組みと考察 (3)日本人派遣者比率についての線形重回帰分析の結果 (4)検討 5.本社統制と現地人材の蓄積が利益率に及ぼす影響 (1)分析の枠組み
(2)仮説の設定 (3)被説明変数の設定とその特徴 (4)売上高経常利益率の決定要因についての検討 (5)売上高経常利益率についての線形重回帰分析の結果 6.結論 第3章 ヨーロッパ系多国籍企業のアジアにおける人的資源管理・・・・・・ 79 1.研究の視点と研究方法 (1)研究の視点 (2)調査方法 2.Unilever (Malaysia) (1)企業の概要と歴史 (2)組織と経営理念 (3)グループ全体の変化 (4)親会社・子会社間の権限の配分と委譲 (5)国際人的資源の育成と管理 (6)考察 3.Siemens (Malaysia) (1)Siemens 企業グループならびにその国際人的資源管理の概要 (2)Siemens(M)の概要と歴史 (3)事業グループと子会社との関係 (4)国際人的資源の育成と管理 (5)考察 4.Siemens(Singapore) (1)企業の概要 (2)親会社・子会社関係ならびに派遣者 (3)国際人的資源の育成と管理 (4)考察 5.Nestle (Thailand) (1)企業の概要と歴史 (2)親会社・子会社関係 (3)国際人的資源の育成と管理 (4)考察 6.ABB (Thailand)
(1)企業の概要と歴史 (2)親会社・子会社関係 (3)国際人的資源の育成と管理 (4)考察 7.ヨーロッパ系多国籍企業の「多国籍内部労働市場」 (1)世界本社による統制・統括 (2)多国籍人材の移動と研修 (3)ヨーロッパ系多国籍企業固有の諸課題 第4章 アメリカ系多国籍企業のアジアにおける人的資源管理・・・・・・122 1.本章の課題
2.Campbell Soup (Malaysia) (1)企業の概要と歴史 (2)親会社・子会社関係 (3)国際人的資源の育成と管理 (4)考察 3.Hewlett-Packard (Singapore) (1)企業の概要と歴史 (2)親会社・子会社関係 (3)国際人的資源の育成と管理 (4)考察 4.IBM (Singapore) (1)企業の概要 (2)親会社・子会社関係 (3)国際人的資源の育成と管理 (4)考察 5.P&G (Thailand) (1)企業の概要と歴史 (2)親会社・子会社関係 (3)国際人的資源の育成と管理 (4)考察 6.Bestfoods Asia(香港) (1)企業の概要と歴史 (2)本社・子会社関係
(3)国際人的資源の育成と管理 (4)考察 7.アメリカ系多国籍企業の「多国籍内部労働市場」 (1)世界本社・地域本社による統制・統括 (2)多国籍人材の移動と研修 8.ヨーロッパ系・アメリカ系多国籍企業の「多国籍内部労働市場」の比較検討 第5章 日系多国籍企業のASEAN における人的資源管理・・・・・・・・・163 1.本章の課題 (1)視点 (2)調査方法と対象 2.自動車メーカーA社グループ (1)自動車メーカーA社:日本本社のグロ-バル化の現状 (2)自動車メーカーA社インドネシア (3)自動車メーカーA社タイ (4)自動車メーカーA社フィリピン (5)考察 3.家電メーカーB社グループ (1)家電メーカーB社:日本本社の海外子会社統括 (2)家電メーカーB社インドネシア (3)家電メーカーB社マレーシア (4)家電メーカーB社フィリピン (5)考察 4.食品メーカーC社グループ (1)食品メーカーC社:本社の海外子会社統括システム (2)食品メーカーC社インドネシア (3)食品メーカーC社フィリピン (4)考察 5.マレーシアにおける日系メーカー2社:D社およびE社 (1)精密機械メーカーD社マレーシア (2)電機部品メーカーE社マレーシア (3)考察 6.日系多国籍企業の「多国籍内部労働市場」 (1)事例企業の基本的特徴
(2)本社による統制・統括 (3)多国籍人材の派遣と移動 (4)欧米系多国籍企業と比べた日系多国籍企業の「多国籍内部労働市場」 終章 結論と今後の課題・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・205 1.「多国籍内部労働市場」の概念整理 2.発見されたこととその意味 3.検討と課題 参考文献・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・217 添付資料・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・223
国際人的資源管理の比較分析
―「多国籍内部労働市場」の視点からー
白木
三秀
序章 問題意識と本論文の構成
1.問題意識 多国籍企業における人的資源の開発と管理のシステム、つまり国際人的資源管理 (International Human Resource Management: IHRM)とは、多国籍企業がその固有の 価値、理念、方針、戦略の下に、様々な特徴を有する複数の国籍・文化的背景等から成る 従業員を雇用しながら、その能力を十全に活かすべく採用される人的資源管理システムに 他ならない。それがシステムであるためには、そのシステムを通じる一貫した何らかの合 理性、論理整合性、納得性が求められる。 例えば、同じ企業の同じ職種・職位の従業員でありながら、国籍・文化的背景等が違う から、または働く国が違うからといって全く異なる評価システムや処遇体系が適用されて は、当該従業員の納得を得、一定水準のモラール(志気:Morale)を維持することは困難 であろう。 しかし、かといって、例えば生活水準や技術水準の大幅に異なる地域間・職場間で、全 く同じシステムを適用することもできないであろう。現地にある労使関係の在り方を無視 して本国にすでにある親会社の労使関係制度をそのまま持ち込むことも困難であろう。さ らに、人事評価制度も、本国と現地とで生活スタイル等が異なるために、全く同じという わけにはいかないかもしれない。つまり、国や対象者によって適用される人的資源管理 (HRM: Human Resource Management)システムが異なる必要もあるのかもしれない。 このように、国際人的資源管理システムにおいては、その内に相対立する論理を含んでい るのである。 そのような複雑な諸関係の中で機能する国際人的資源管理システムを次のような観点か ら分析していきたいというのが、本論文のモティーフである。すなわち、上記のような対 立点を内部に抱える多国籍企業が海外でのオペレーションを息長く継続するには、現地で の社会・経営環境に的確に反応(Responsive)し、それに適合(Adaptable)するような経 営を行い、同時に、その経営活動が本社統制の下に、技術・技能・知識・ノウハウの蓄積を伴い、競争の優位性(Competitive Advantage)を保持するものでなければならない。つ まり、この海外オペレーションは、当該多国籍企業の事業活動の一環であることを前提と しつつ、現地の社会・経営環境に根付きながら人的資源を蓄積し、かつ最終的に利益の出 る経営活動となることを求められるのである。 国際人的資源管理においては、世界本社(World Headquarters:WHQ)による統合・統 制の中の各種手段として、例えば理念の共有、海外子会社(Overseas Subsidiary)トップ・ マネジメントの世界本社による指名、投資・研究開発の世界本社による集中管理、経営管 理者の海外派遣などが行われる。この論理で行けば、世界本社からのトップ・マネジメン トの派遣・技術移転を含む本社統制は当然のことという主張が生まれる。 他方で、現地法人における分散・自立の各種手段、たとえば自主的なマーケティング・ 広報活動、賃金水準の決定などと並んで人材の育成・確保・蓄積が位置づけられる。能力 が高く、モティべーションも高いローカル・スタッフの育成・確保こそが、現地法人の競 争力の源泉であろう。この系として、世界本社からのトップ・マネジメントの派遣による 直接的統制を、ローカル・スタッフのモティべーションを下げるという観点から不必要で あるとか、必要性があるにしてもその数を最小限にすべきであるという立場が生まれる。 しかし、人的資源に関連する重要なポイントは、多国籍企業経営の最終的なゴールは、 海外派遣者にその期待される役割・機能を果たさせ、また世界本社ならびに現地法人が現 地国籍は言うに及ばず多国籍からなる優秀人材の育成・確保で成功することだけにとどま らない、という点である。つまり、これら国際人的資源管理システムは、多国籍企業経営 の最終的ゴールであるところの経営成果に結実してはじめて、最終的目的が達成されると いうことになる。この意味で、国際人的資源管理は多国籍企業経営におけるプロセスの中 のきわめて重要な構成要素と見ることができる。 したがって、海外現地法人のスタッフに占める海外派遣者比率の低減、海外派遣コスト の低減、世界本社の経営理念・人的資源管理システムの海外現地法人への導入、現地法人 における優秀人材の確保などはそれぞれに重要な意味を有するが、そのことだけを自己目 的的に追求することは許されないのである。このように、国際人的資源管理システムが、 多国籍企業経営の中で経営成果への貢献を求められる重要なサブ・システムとなっている という点はきわめて重要である。 それと同時に、本論文で一貫して堅持しようとする視点は、国際人的資源管理システム の重要な内実は本社において形成された「内部労働市場」(Internal Labor Markets)の国 際的外延化であるという観点である。換言すれば、本論文は、従来、国境を跨る多国籍企 業の組織に適用されることのなかった「内部労働市場」の概念をそこに適用することによ り、「内部労働市場」の研究枠組みをそれに応じて拡張しようという目論見を持っている。
内部労働市場論を体系化したといってよい Doeringer & Piore (1971/1985) によれば、 ①技能・知識の企業特殊性(Skill specificity)、②仕事を通じての訓練(OJT: On-the-job training)、③慣習(Custom)により形成されるということになるが、ここでの着想は、国
際人的資源管理システムを構成する諸要素も、それになぞらえて捉えることができるので はないかということである。例えば、海外派遣者を通じての経営ノウハウや技術・技能の 移転、現地スタッフの育成、経営理念・経営方針の浸透と共有などは、「当該多国籍企業に 特有の技能・知識」の存在を意味するであろう。海外派遣者(ライン・マネジャーである 場合とコーディネーターなどのスタッフである場合とがある)による日常の技能・知識の 移転、海外現地法人スタッフの本社・事業場へ派遣・研修は「仕事を通じての訓練」に他 ならないであろう。さらに、本社、海外現地法人で長期にわたり接触する多国籍からなる スタッフ間にはフォーマルな行動規則・道徳律などに結実しないまでも何らかの社内コミ ュニティ特有の人間関係の在り方、意思疎通方法、身の処し方など何らかの成文化されな い諸規則、つまり「慣習」が自然発生的に生まれることが想定される。 こ れ ら の 内 部 労 働 市 場 の 国 際 的 外 延 化 ( 以 下 で は こ れ を 「 多 国 籍 内 部 労 働 市 場 」 (Multinational Internal Labor Markets)と表現することにする)はこれまでの内部労働 市場の議論では明示的に意識されることはなかった。例えば、Doeringer & Piore と異なっ て、OJT の在り方・内実をキャリアそのものと捉え、そのキャリアの組み方そのものが企 業特殊熟練と捉える小池(1987年)においても、「海外でその地の人の技能を高めるの に、直接投資がまことに枢要となる」(注1)という場合に、その地での企業内でのキャリ ア形成、熟練形成の重要性を指摘するにとどまっている。つまり、「その地での企業内」に 形成される内部労働市場と日本本社において形成される内部労働市場とは分けて、あるい は「分断して」考察するというのが、これまでの研究方法であったといえる。 「多国籍内部労働市場」による研究枠組みについての詳細な議論は次の章に譲るが、こ こでは、これが本論文を貫く視点であり、スタンスであるという点を強調しておきたい。 いずれにせよ、上記の問題意識の下に、日本の多国籍企業の抱える HRM 関連の諸問題を 内在的に一貫した論理で把握したいと考えた。内在的理解を求めるとはいえ、客観的であ るためには、比較の視座は欠かせない。そこで、以下のような章立て構成でもって上記の 諸課題に接近しようと考えている。 2.本論文の構成 第1章は、第2章以降の分析に先立ち、上記の問題意識に則りながら、国際人的資源管 理の概念とその諸特徴、さらには日本での研究とその類型化を行っている。また、本社に よる統制・統合と現地での人材蓄積などから成る国際人的資源管理の諸機能が多国籍企業 の経営成果にどのように関わっているのかを検討する。さらに第1章の最後では、これま での内部労働市場研究の展開を概観し、それの国際的拡張を行うとともに、それと国際人 的資源管理とを融合させた形の研究視点である「多国籍内部労働市場」の概念を提示する。 第2章は、多国籍企業の海外でのオペレーションは、当該多国籍企業の事業活動の一環
であることを前提としつつ、現地の社会・経営環境の中で人的資源を蓄積し、かつ最終的 に利益の出る経営活動となることを求められる中で、日本企業の国際展開に伴う HRM シ ステムの現地展開の実情とその効果について実証的に検討する。具体的には以下の順序で 議論を展開する。 まず、海外における日系企業の経営諸課題と日本人派遣者との関連を整理し、また本章 の中で集中的に利用するデータ・ソースならびにその調査対象の特徴等について概観する。 なお、このデータ・ソースとは、1999年から2003年まで隔年ごとに全世界の海外 日系企業を対象に3回にわたり実施された大量サンプルのデータである。 これらを踏まえ、日本人派遣者比率の決定要因についての分析枠組みを提示し、それに 基づき諸変数を定義し、重回帰分析による計測を行う。ここでの課題は、日本人派遣者の 積極的な役割と機能をデータにより明らかにすることである。さらに、世界本社による統 制と現地人材の育成・蓄積の双方が利益率に及ぼす影響について、前節と同様に計測し分 析する。この場合には、日本人派遣者、外国籍の社長(COE: Chief Executive Officer)、 本社の経営理念ならびに HRM システムの導入の程度、それに大卒や中間管理職等の現地 人材の蓄積などが利益率にどのように貢献しているのか、あるいは貢献していないのか、 またそれはなぜだろうか、という点を明らかにする。 第3章・第4章は、アジア、特に東・東南アジアにおいて欧米多国籍企業がどのような 国際人的資源管理システムを構築し、また実践しているのか、さらに、その場合の課題と 日本の企業への示唆にはどのようなものがあるのかという比較の視点から、現地法人での 実態を観察する。そこから欧米多国籍企業における「多国籍内部労働市場」の具体的展開 と日系多国籍企業における「多国籍内部労働市場」の展開との相違を明らかにすることに した。 第3章ではヨーロッパ系多国籍企業5社を取り上げ、第4章ではアメリカ系多国籍企業 5社を取り上げる。いずれも9社までが製造業に属する巨大多国籍企業である。調査方法 は事例研究を採用した。東・東南アジアに所在する10社を訪問し、ヒアリング取材と資 料収集を行った。その際に、事前に共通の設問を準備し、訪問前に当該設問を送付してお き、ヒアリング当日はその設問に沿ってインタビューを行った。また、簡単な企業情報等 に関するアンケート調査票を事前に送付し、インタビュー時に回収するという方法をとっ た。 第5章は、第3章・第4章におけるヨーロッパ系ならびにアメリカ系多国籍企業の東・ 東南アジアにおける「多国籍内部労働市場」の枠組みから整理した HRM の実情とその論 理を見ているが、比較の観点の下にほぼ同様の視点から、日系多国籍企業10社のASEAN における HRM の事例を「多国籍内部労働市場」の枠組みで整理を行った。調査方法は訪 問調査であるが、その前に行ったアンケート調査に回答をもらった企業を訪問して、アン ケート調査への回答内容をより深く理解するというものであった。 終章は、以上の諸章から得られた諸結果を、当初に設定された「多国籍内部労働市場」
の研究視点から再整理して論じることにする。 (注): (1)小池・猪木編、1987年、15ページ。
第1章 文献サーベイと研究視点の設定
1.はじめに 本章の目的は、後続諸章での実証的研究に先立ち、多国籍企業における人的資源とその 開発・管理に関する理論的諸側面、つまり、国際人的資源管理(International Human Resource Management: IHRM)の概念とその諸特徴、諸機能を、「多国籍内部労働市場」 の枠組みに概念的に位置づけることである。 そのため、まずは、多様で複雑な社会的、経済的、経営的な環境で活動する多国籍企業 が直面する人的資源管理の諸側面を理論的、かつ実証的に論じた主な文献のサーベイを行 う。ここでは、日系企業を特に念頭に置いた議論は行わず、やや幅広い観点を保持するが、 後の実証的な分析との関係で興味深い日系企業の特徴点の1つである日本人海外派遣者に ついては明示的な指摘を行うことにする(注1)。 第2節は、国際人的資源管理を定義し、その特徴について検討する。 第3節は、国際人的資源管理の研究枠組みについて文献を通じて検討し、第4節では、 引き続き文献が中心となるが、国際人的資源管理システムの各国間でのアングロ・サクソ ン型への収斂が論じられる中で、それに対抗する形で論じられる国際人的資源管理での本 国からの影響を強調する議論について検討する。 第5節は、日本のHRM システム移転に関する研究を整理し、それらを類型化する。 第6節は、日系企業に関して国外の実証研究で明らかになっている点について整理し、日系企業の諸課題として指摘されている点について検討する。 第7節では、内部労働市場に関する研究展開を展望する中で、内部労働市場の枠組みを 多国籍企業活動に当てはめ、それを拡張する意図を述べる。 最後に、上記の諸議論を踏まえ、本論文全体の研究視点である「多国籍内部労働市場」 という概念図を提示する。 2.国際人的資源管理の定義と特徴(注2) 国際人的資源管理(IHRM)とは、多様な特徴を有する各国でオペレーションを行う多国 籍企業の人的資源管理のことである。換言すれば、国際人的資源管理システムとは、Taylor et al (1996)によると「人的資源を採用し、育成し、そして維持確保するための多国籍企業 による一連の明確な、諸活動、諸機能、そして諸過程と定義できる。このため、国際人的 資源管理とは国内ならびに国外における多国籍企業内部の人材を管理するのに用いられる 各種の人的資源管理諸制度の集合体のことである。(注3)」 ここでいう多国籍企業内部の人材には、世界本社の所在する国の人材である本国籍人材 (Parent-Country Nationals: PCNs)のみならず、子会社の所在する国の人材である現地 国籍人材(Host-Country Nationals: HCNs)、それに本国籍人材でも現地国籍人材でもな い第三国籍人材(Third-Country Nationals: TCNs)が含まれる。従って、国際人的資源管 理においては、これら多様な国籍からなる人材をどのように組み合わせて活用するかとい うことも重要な論点となる。この点は、図1-1に図式化されている。ここでは、国際人 的資源管理とは、人的資源管理の諸機能、従業員タイプ、それに企業が活動する国の3つ の次元の相互作用であるということができる。この意味で、異なる国々で経営活動を行い、 様々な国籍の従業員を雇用する複雑さこそが、国際人的資源管理と国内人的資源管理とを 異ならせる主たる要因であるということができる(Dowling et al., 1994)。
(出所)白木(1995年、3ページ)
ところで、本国を超えて政治・経済・社会・文化的に多様な諸国や地域で展開される多 国籍企業の特徴は、本源的に組織内部で統合(Integration)と分散(Differentiation)と いう相対立する力が働くことである。Prahalad and Doz (1987)による図1―2に示される ように、とりわけ複数のビジネスを展開する多国籍企業組織には、ワールドワイドにビジ ネスを展開するに際して組織能力を同一方向に集中すべく内部の統合が必要である反面、 具体的にローカルにビジネスを展開し、組織の前線にある子会社では地域特性に十分配慮 できる感応性(Responsiveness)が不可欠である。子会社は親会社からある程度自律的な 側面が付与されないと、きめこまかな地域マーケットへの対応ができないともいえる。統 合と分散のどちらの側面に重点を置いたオペレーションを行うかは、産業、製品、地域、 文化特性などに影響を受けるものであり、同一組織内においても一義的には決定できない のである。 図1-2 統合・感応性マトリックス:戦略的焦点と組織的適応
(出所)Prahalad and Doz, 1987, p.25.
Evans and Doz (1992)は、多国籍企業の複雑な組織内部における人的資源管理の問題を、 例えば自由と秩序、分散と統合、権限委譲と統制などの二元性(Dualities)という概念を 用いて理論的に論じている。「二元性はバランスされなければならない相対立する諸力―そ れらは対立的あるいは逆説的に見えるが、実際には補完的な特性である―を反映している」 (注4)。複数の次元を同時に考慮しながらの意思決定が要請される組織では二元性が必要 であり、その二元性は組織構造や制度のようなハードウエアだけでバランスされることは 難しく、同時に、人的資源管理というより微妙な(Subtle)経営メカニズムでもってバラ ンスされなければならない。このような二元性を組織内部に形成することを彼らは、文化 的重層化(Cultural Layering)と名付けている。「重層化とは、組織の従来の文化的強さを 補強しながら、その組織に新たな能力や特性を付加することである。新しく補完的な能力 が既存の能力の上に乗せられる」(注5)としている。 しかし、「重層化」により、前述のような多国籍企業組織の国際的統合と地域的感応性と いう2つの一見相対立する諸力がどのようにバランスされるのだろうか。これは、人的資 源管理を具体的に実践するアクターであり、諸国の子会社間を数年ごとに異動する派遣マ ネジャーによる調整により達成される。派遣マネジャーは数年間の子会社勤務の間にロー カルからの観点を身に付けるが、同時に国際間の異動を通じてより広いグループ企業から の観点も身に付けると考えられるからである(注6)。
3.国際人的資源管理の枠組み
以上の議論から、国際人的資源管理のあり方においては、「中央集権化と分権化とのバラ ンス」(Evans and Doz, 1989, p.220)がきわめて重要であることが分かる。
Evans and Lorange (1989) は、統合と分散の局面をさらに、製品・市場ロジック (Product-Market Logic)と社会・文化ロジック(Socio-Cultural Logic)とに分け、そし てそれらを統合する形で国際人的資源管理のあり方を考察すべきであると論じる。製品・ 市場ロジックによると、プロダクト・ライフ・サイクルの異なる製品を取り扱う海外子会 社ではそれぞれに異なるタイプの経営責任者が必要であり、それに応じて人的資源管理の あり方も異なる。さらに、複数の事業を含む多国籍企業における政策形成は、本社 (Corporate)レベル、事業部レベル、それに事業単位レベルに分かれ、それぞれに異なる ミッションを有する。例えば、本社・事業部レベルの人的資源管理は企業グループの統合 に向けられており、3つの重要なタスクがある。すなわち、第1のタスクは、人的資源の 配分、主要役員の指名、それに後継者計画(Succession Planning)の策定である。第2の タスクは、適材適所をもたらすべく適切なインセンティブ制度の設計と運用である。第3 のタスクは、機能間および事業部門間における経験の相互交流の促進である。
社会・文化ロジックについて、Evans and Lorange (1989) は、Heenan and Perlmutter (1979) の概念を援用して次のような2つの戦略について論じる(注7)。第1の戦略は、IBM、 ヒューレット・パッカード(HP)、プロクター・アンド・ギャンブル(P&G)、ユニリーバ などの「グローバル企業」(The Global Enterprise)のように、相対的に中央集権的に調整 された方法でグローバル人材を管理するものである。第2の戦略は、スイスのセメント企 業であるホルダーバンク、アメリカン・エクスプレス、イギリスのGEC、スウエーデンの AGA やシュルンバーガー、それにネスレなどの「ポリセントリック企業」(The Polycentric Enterprise)のように、人的資源の管理を基本的にその子会社に任せるものである。これら 2つの戦略的アプローチは、多国籍企業を取り巻く異質な社会的、法的、文化的環境に対 処するために取られる相異なる適応戦略(Adaptation Strategy)を示している。こうして、 社会・文化ロジックに基づく適応は、世界本社というよりは現地経営でのタスクであると いえる。 親会社の国際戦略とトップ・マネジメントの信念とから成る戦略的国際人的資源管理 (Strategic International Human Resource Management: SIHRM)という説明変数から、 トータルな分析枠組みを構築しようという試みも見られる(Schuler et al., 1993; Taylor, Beechler, and Napier, 1996)が、それらは未だ一般的な合意を得ているわけではない。例 えば、Taylor et al. (1996)の枠組みを見ると、図1-3の通りである。
この枠組みによる最終的な被説明変数は、従業員グループ別の人的資源管理のあり方で ある。しかし、その間に、SIHRM に始まる一連の変数でもって整合的に国際人的資源管理 の諸側面を明らかにするという意図も含まれている。
親会社ならびにトップ・マネジメントの戦略的方針という側面を前面に出すのではなく、 相互規定的ないわゆる「コンテクスト要因」でもって海外子会社の人的資源管理(HRM) のあり方を分析する枠組みは、図1-4のように、Rosenzweig and Nohria (1994)により 示されている。この場合の諸変数のディメンションは、①子会社の現地への密着度、②親 会社の特性、③親会社・子会社間の人的・資金的・情報的流量、それに④グローバルであ るかマルティ・ドメスティックであるかというような事業の特性、という4つに分かれて いる。
図1-4 海外子会社HRM慣行に影響を与えるコンテクスト諸要因
(出所)Rosenzweig and Nohria,1994, p.235.
これまで見てきた各種の枠組みで欠落していると考えられる点は、現地人材の育成・蓄 積・登用、あるいは現地子会社における人材面での自立度の程度という変数である。もちろ ん、現地人材の育成・蓄積・登用の進展は、親会社ならびに現地のトップ・マネジメントの 方針、考え方、経営手法などに規定されることは否めず、その限りで親会社の統制のあり 方に包摂される面はある。しかし、現地人材の育成・蓄積・登用、具体的には現地スタッフ の経営管理層への登用、現地大卒社員の増大などという変数は、国際人的資源管理という 分析枠組みの中に明示的に組み込まれる必要があると考えられる。この要素を明示的に組 みこんだ分析は次章で行う。
4.本国からの影響と国際人的資源管理 一般に、多国籍企業の海外子会社が現地で人的資源管理(HRM)システムを構築するに 際しては、図1―5に示されるように4つの諸力(同形化:Isomorphism)の影響を受け る。本社側から見れば、本国ならびに親会社からの影響を与えることができるともいえる (注8)。なお、ここで、「同形化」とは、「ある組織が、別の組織と同じ構造やプロセスを 取り入れる度合い」(注9)のことを意味している。 図1―5 海外子会社に対する4つの同形化への圧力 ①クロス・ナショナル同形化 ②コーポレート同形化 ③ローカル同形化 ④グローバル・ インターコーポレート同形化 本国 現地国 他企業 海外子会社 親会社 (WHQ)
(出所)Ferner and Quintanilla, 1988, pp.710-731 ならびに Evans et al., 2002, pp.61-65 の議論から筆 者作成。 第1が、現地におけるビジネスの制度や環境の影響であり、これを「ローカル同形化」 (Local isomorphism)と呼ぶ。海外子会社は、現地のビジネス慣行や法律・規則・文化の 影響から離れて存在することはできない。日系子会社であれ、欧米系子会社であれ、この 点は同様である。 第2が、親会社から子会社に対する国際的適合への圧力であり、これを「コーポレート 同形化」(Corporate isomorphism)と呼ぶ。企業はそれぞれ特有のHRMに関する理念や 戦略、制度・慣行を有するものであり、それを海外子会社に移転しようとするためにこの 同形化が発生する。既述の多国籍企業の二元性とは、「ローカル同形化」と「コーポレート
同形化」との間の緊張関係に他ならない。
第3が、本国(The Country of Origin)からの影響であり、これを「クロス・ナショナ ル同形化」(Cross-national isomorphism)と呼ぶ。「クロス・ナショナル同形化」の力は、 実際には、本国における制度的環境を体現するところの親会社を通じて海外子会社に伝わ ることとなる。このため、図1―5の「クロス・ナショナル同形化」の矢印は、「コーポレ ート同形化」の矢印に接するように描いてある。親会社は本国の制度的環境の中に埋め込 まれているとすれば、実際には、「コーポレート同形化」は「クロス・ナショナル同形化」 の制度的枠組みを含むものとも見ることもできる。 第4が、情報通信技術の発達した現代において他の先進的な競合多国籍企業からの影響 を積極的にも消極的にも受けやすくなっており、これを「グローバル・インターコーポレ ート同形化」(Global inter-corporate isomorphism)と呼ぶ。他の組織におけるより良いシ ステムやベスト・プラクティス(最善の実践)との作用・反作用を通じて、海外子会社の HRM はこの面においては、一つの方向に「収斂」していく傾向を持つかもしれない。 このように、海外の現地法人には例外なく4つの「同形化」の力が働く。「コーポレート 同形化」が「クロス・ナショナル同形化」をも含むものとすると、実際には、「コーポレー ト同形化」・「クロス・ナショナル同形化」、「ローカル同形化」、それに「グローバル・イン ターコーポレート同形化」の3つの諸力の在り方こそが、特定多国籍企業の HRM システ ムの在り方を規定するといえる。
Ferner and Quintanilla (1998) は、国際人的資源管理のアングロ・サクソン型への収斂 という近年の議論に対し、各国の多国籍企業は各国固有のビジネス・システム(National Business Systems)の特徴を色濃く保持するもので、この影響は国外の子会社の HRM シ ステムにも反映されているとして、アングロ・サクソン型への収斂という議論に対し、実 証的に反論を行っている。我々も、さしあたりはこのFerner and Quintanilla の立論に与 しながら、日本企業の国際人的資源管理、ならびにそのサブ・システムであるところの多 国籍内部労働市場を他国の多国籍企業の在り方と比較しながら分析していくこととする。
5.日本のHRM システム移転に関する研究の類型化
これまでの日本での研究では、日本国内の制度的環境の中で形成されてきた本社のシス テムをどのように導入するか、どのように現地に受け入れられるのがよいのかという視点 からの議論に集中してきている。上記の Ferner and Quintanilla (1998)の議論になぞらえ れば、「コーポレート同形化」・「クロス・ナショナル同形化」と「ローカル同形化」との間 の在り方について議論が行われてきたと表現することができよう。そこで、以下では、そ れらの研究を類型化して、そこでの議論を整理しておきたい。
という場合、2通りの見方がある。第1の見方は、日本の HRM システムが現地のオペレ ーションにどのように導入されるかという見方であり、これを「導入側からの見方」と呼 ぶことにしよう。今1つの見方は、日本企業のオペレーションがどのように現地に同化さ れるかという見方であり、これを「同化側からの見方」と呼ぶことにしよう。 これら「導入側からの見方」と「同化側からの見方」とに着目することにより、日系企 業 HRM システムの海外オペレーションへの導入に関する議論を次の3つの類型に分ける ことができる。第1の類型は、日本の HRM システムのすべて、あるいはその一部を現地 のオペレーションに可能な限り導入すべきであるという視点で、これを「導入派」と名付 けることができる。これに対する第2の類型は、むしろ逆に可能な限り日本の HRM シス テムを排除し、現地に同化したシステムで運営すべきであるという視点で、これを「同化 派」と名付けることができる。さらに第3の類型は、導入側と同化側の双方から海外オペ レーションをとらえようとする視点で、これを「折衷派」と名付けよう。これらの諸類型 をより詳しく述べると以下の通りである。 第1類型の「導入積極派」は、日本の HRM システムをできるだけ多く、現地のオペレ ーションに導入すべきであるという立場であるが、この「導入派」にとっては、日本のHRM システム、とりわけ生産現場のそれは、先進的で、効率性が高く、したがって本来ならあ らゆる海外オペレーションに適用されることが前提とされる。このため、彼らの主たる関 心事項は、日本の HRM システムは実際、どの程度、海外に導入可能であるかどうかとい うことになる。日本システム導入の「導入派」の議論は、その導入可能性についての見方 によって、導入は①全面的に可能、②部分的に可能が存在し、さらに、それらとは別に③ 時間軸で考えるサブ・タイプがある。 第1のサブ・タイプは、日本の HRM システムの本質的部分は普遍的で、その概念さえ 十分理解されれば海外あるいは全世界のオペレーションに適用可能であると主張する「知 的熟練全面適用可能型サブ・タイプ」である。これは、小池によりオリジナルに開発され た「知的熟練の理論」に依拠しており、ここで知的熟練とは、職場で絶えず起こる問題や 変化、すなわち標準化しにくい異常をこなす技能とされる(小池、1987年(猪木と共 編著)・1998年・1999年、)。 第2のサブ・タイプは、日本の HRM システムは部分的にしか適用できず、日本システ ムのいくつかの構成要素はまったく海外で適用できないという点を強調する「部分適用可 能型サブ・タイプ」である。典型的な主張者として高宮(1981年)と石田(1985 年)がいる。高宮は、イギリスにおける日本、イギリス、アメリカのカラーテレビ工場の 比較研究を行い、労働生産性、品質管理、従業員満足、欠勤率などで日本企業が優れてい るのは、日本企業における品質への事細やかな配慮、弾力的な作業慣行、厳しい職場規律 の保持、部門間調整、労使関係のあり方など、要するに注意深い採用、骨の折れる訓練、 それに組織風土の確立という組織的慣行に依存するものであり、イギリスに直接投資した からといって簡単に移転できるものではないと論じた(注10)。他方、石田はこれまでの
研究を総括して、海外においても人的資源の重視、共同体志向、階層平等主義という理念 に基づく人的資源管理は実行可能であるが、集団主義、能力平等主義などはそのままでは 導入できないとしている。 さらに、第3のサブ・タイプは、時間軸で見るものでこれまでのサブ・タイプとは軸が 異なる「現地移転時間軸型サブ・タイプ」である。これは岡本(1998年・2000年) が当てはまり、経営の現地化とは日本型経営システムが定着していくことであると解釈し ている。 第2の類型は「導入消極派」であり、日本の HRM システムは現地のオペレーションに 導入すべきでないという立場にある。これの第1のサブ・タイプは、日本の HRM システ ムの文化的側面を強調し、「コンテクスト」の違いから導入が困難とする「文化的適用不可 能型サブ・タイプ」である。主たる主張者は安室(1982年)で、「日本的経営は高コン テクスト社会を前提として発展してきた、それ自体完結性の高い、完成された体系であ る。・・・この日本的経営が機能するためには構成員の組織への一体化、同化(Acculturation) が不可欠である。ところが、こうした前提条件を海外諸国の人々に求めること自体が難問 である」(注11)と述べている。 「導入消極派」の中の第2のサブ・タイプは、日本の HRM システムは導入すべきでな く、現地システムを全面的に取り入れた現地型オペレーションが行われるべきであるとい う主張もあり、これを日本システム導入に反対する「現地化型サブ・タイプ」と名付ける ことができる。この見解の代表的な論者は吉原(1996年)である。ちなみに、吉原の 現地化とは、海外子会社の外国企業(つまり日本企業)の性格を弱め、その国の企業の性 格を強めることとし、「ヒトの現地化は、本国親会社から出向する日本人社員の数を減らし、 投資受入国の従業員を管理者や経営幹部に多く登用すること」(注12)としている。 第3の類型は、「導入面」と「現地化面」とを兼ね合わせ、日本のHRM システムの導入 と現地化とを同時に考える立場で、これを日本システム導入の「折衷派」と名付けよう。「折 衷派」は「適用・適応型サブ・タイプ」ともいうべきで、その主たる主張者として安保(1 991年)・Abo (1994)があり、日本独特の社会的文化的背景のもとで生み出された日本的 経営・生産システムの異文化環境への「適用」と「適応」の可能性を検討している。具体 的には、日本的経営・生産システムの異文化環境への「適用」は、日本的経営の現地シス テムへの「適応」と二律背反的なトレードオフの関係にあると規定し、日本的経営モデル が海外の日系企業で実現されている度合いである「ハイブリッド度」を定量的に測定し、「適 用度」を評価している。この場合の研究方法上の問題点は、「日本的経営・生産システム」 の構成項目とその評価点をアプリオリに規定し、当該項目が現地で全面的に実施されてい れば「適用」が進んでいると評価し、逆の場合は「適応」が進んでいると評価する点にあ る。 以上の各種の類型ならびにサブ・タイプを整理すると表1-1のようになる。
表1-1 日本のHRM システムの導入可能性に関する類型とサブ・タイプ 類型(派)/サブ・タイプ 主たる主張者 1.導入積極派 ①「知的熟練全面適用可能型」 ②「部分適用可能型」 ③「現地移転時間軸型」 小池和男(87・98・99) 高宮誠(81)、石田英夫(85) 岡本康雄他(99・2000) 2.導入消極派 ①「文化的適用不可能型」 ②「現地化型」 安室憲一(82) 吉原英樹(96) 3.折衷派 ①「適用・適応型」 安保哲夫他(91)、Abo (94) 以上の議論では、日本人海外派遣者が本社の経営ノウハウ、HRM システム等を現地のオ ペレーションに移転し、またその受け手が現地子会社のローカル・スタッフであるという ことは明示的には論じられていない。むしろ、日本におけるシステムの移転可能性や現地 環境への適合可能性の概念的整理に重点が置かれている。これの具体的な分析は次章以降 で行うことにしよう。次章に進む前に、続いて、海外における国際人的資源管理の実証的 研究結果を見ておこう。 6.国際人的資源管理の実証研究 アメリカに所在する外資系企業249社の分析を通じて、多国籍企業はより現地(アメ リカ)に近い慣行を受け入れているのか、それとも世界本社のやり方をより強く持ち込ん でいるのかを、機能別、世界本社所在国別に研究したRosenzweig (1994)によると、以下の ようであった。4種類の機能別では、マーケティング、人的資源管理、製造は現地慣行を 積極的に受け入れているのに対し、財務管理は世界本社のやり方をより強く持ち込んでい た。このことから、「多国籍企業の子会社は一枚岩ではなく、ローカル企業と極めて近い慣 行を幾分か、また多国籍企業内部で整合的な慣行を幾分かというように、複数の慣行から 構成されている」(注13)。 同調査で見ると、6種類の人的資源管理慣行のうち、有給休暇の長さ、従業員訓練の程 度、管理職の性別構成、付加給付制度はローカル企業と極めて近かったが、業績に基づく 管理職のボーナス制度と意思決定への参加の程度はそれほどでもなかった。サンプル数の 比較的多いカナダ系、ドイツ系、日系、それにイギリス系の各子会社間で上記の機能別の 違いを比較した結果、全般的には上記の傾向を維持しつつも、日系企業では製造に関して
より世界本社に近いシステムを導入していた。 以下の議論との関係で興味深い発見は、海外派遣者(Expatriates)の比率の比較と並ん で、トップ・マネジメント、財務管理責任者、人的資源管理責任者のそれぞれの国籍比較 である。まず、表1-2で海外派遣者の比率をみると、日系企業では0%、1%の比率が 少なく、6%以上の比率が際立って多いといえる。このため、在米日系企業では海外派遣 者比率が高いとされる。 表1-2 在米外資系企業の海外派遣者比率(資本国籍別) (単位:社、%) (出所)Rosenzweig, 1994, p.404. 他方、トップ・マネジメント、財務管理の責任者、人的資源管理の責任者の国籍比較を みると、いずれの場合にも日系の場合、本国籍人材(PCNs)が相対的に多く、とりわけ、 トップ・マネジメントではこの傾向は傑出している。また、トップ・マネジメント、財務 管理、人的資源管理のいずれにおいても、日系では第三国籍人材(TCNs)が起用されてい る事例は皆無となっている。なお、サンプル数の比較的多いドイツ系とイギリス系とを比 べると、ドイツ系の方で比較的日本と同様の傾向があるといえる(表1-3参照)。 表1-3 トップ・マネジメント、財務管理責任者、および人的資源管理者の国籍(資本 国籍別) (単位:社、%) 0% 1% 2~5% 6~10% 11%以上 合計(サンプル数) カナダ 64 18 14 4 ー 100( 22社) フランス 33 33 25 ー 9 100( 12社) ドイツ 34 24 22 5 15 100( 41社) 日本 16 8 24 32 21 100( 38社) オランダ 56 22 11 ー 11 100( 9社) スエーデン 50 29 14 7 ー 100( 14社) スイス 47 13 26 ー 13 100( 15社) イギリス 54 23 15 2 6 100( 48社) 合計 42 20 19 9 10 100(199社) 合計(除く日本) 48 23 18 3 8 100(161社)
Tung (1982) や Kopp (1994)など、これまでの多くの海外子会社のトップ・マネジメント に関する議論では、ヨーロッパをひとくくりにした議論が多すぎ、ヨーロッパにおける国 ごとの多様性を無視してきたと批判するのが、Harzing (1999) である。Harzing は、多国 籍企業287社ならびに同海外子会社における1,746人分の社長の国籍を分析し、資
本国籍別の HCNs(現地国籍)の社長比率を計算した。また子会社の歴史の長さと HCNs の社長比率の関係や世界本社と子会社の文化的距離によるHCNs の社長比率の違いなどを 検討している。表1-4によると、日本とドイツの海外子会社ではHCNs の社長比率は4 0%前後と最低で、同じヨーロッパでもフランスの同比率は74.8%とアメリカの同比 率に近いくらいに違いが大きいのである。 表1-4 海外子会社の現地人社長の比率(世界本社所在国別) いずれにせよ、以上の実証研究から類推すると、日系企業は、世界を統合された1つの 市場と捉えてグローバルな効率向上のために、戦略や経営の決定権を中央に集中させてお り、Bartlett and Ghoshal (1989) の類型によるグローバル企業(Global Companies)にき わめて近いということを示していることになる。さらに、上掲の表1-3ならびに表1- 4に示されていたように、とりわけトップ・マネジメントにおいては、エスノセントリッ ク(Ethnocentric: 本国人中心型)な特徴を有している。 確かに、現地子会社におけるトップ・マネジメント層の国籍を見る限り、日系企業は日 本人を据えている場合が多いようである。この点は前掲の文献のみならず、次章以降のデ ータ分析ならびに事例研究からも明らかとなる。問題は、上記のようなエスノセントリッ クな傾向が、我々の「多国籍内部労働市場」という枠組みの中でどのように評価され、そ れが何故形成され、持続されるのか、また、そのことの現地経営に及ぼす影響はどのよう なものであるのか、ということであろう。この点の実証的検討については、次章以降で数 量的計測と国際比較調査を通じて行うことにするが、その前に我々の研究枠組みを確定し ておく必要がある。そのために次に内部労働市場研究の展開を概観する。
7.内部労働市場研究の展開
既述のように、Doeringer & Piore (1971/85)によって内部労働市場概念が体系化されたと いえるが、それ以前にも実は内部労働市場概念のパーツなり道具箱(Tool box)は示されて いたのである。まず、Doeringer & Piore (1971/85)による内部労働市場概念は次のようなも のである(注14)。 「本書が体系づけた中心的概念は“内部労働市場”であり、それは労働の価格づけと配 分が管理上の諸規則や手続きによって統制される製造工場などのような管理上の単位(An administrative unit)である。管理規則によって統制される内部労働市場は、価格づけ、 配分、そして教育訓練の決定が経済変数によって直接的に制御される従来の経済理論にお ける“外部労働市場”とは、識別されるものである。しかしながら、これらのふたつの市 場は相互に連結しており、それらの間の移動は、内部労働市場への“入職口”あるいは内 部労働市場からの“退職口”を構成する特定の職務群において生じる。内部労働市場にお ける残りの職務は既に入職を果たした労働者の昇進と異動によって埋められる。したがっ て、これらの職務は外部労働市場の競争力の“直接的”影響から遮断されている。」 (Doeringer & Piore, 1971/85, pp.1-2)
この道具箱のうち、「内部労働市場」の概念を最初に定式化したのはDunlop であり、そ れを「被用者の移動を律する一連の管理上の諸規則」(Dunlop, 1966, p.36)とした。ここ での移動には、昇進、配置転換、レイオフ(Layoffs)、および退職が含まれる。さらに Dunlop は、賃金理論の課題は、一般賃金水準と賃金構造とを結びつける研究にあるとし、企業内、 企業間における賃金構造を分析するための概念として、「職務群」(Job cluster)と「賃金 等高線」(Wage contour)を提示した(Dunlop, 1957)。 同様に、労働市場の制度的側面を特に強調したのは、Kerr(1954)である。彼は、労働 市場は「賃金市場」(Wage market)と「ジョッブ市場」(Job market)とに分かれており、 前者は、各職務に対する需給が賃金率を決定する市場であり、経済学者の伝統的見解と一 致するが、後者は、市場が地域別、産業別、職業別に分断されており、各市場は各職務を 配分する市場であると捉えた。さらに「ジョッブ市場」により近い現実的概念として「制 度的労働市場」を提示し、そこでは職業別労働組合が支配する市場(クラフト市場)と企 業毎に成立する市場(企業別市場)とが存在するとした。内部労働市場との関連で重要な のは、いずれの市場にも初めて参入する場合には、最下位の職務で構成される「入職口」 (Port of entry)だけがあるという点である。企業別市場においては、職務の階梯を上るこ とは、労働者の位階組織を上ることに対応するが、その場合、先任権が重要な要素となる。
企業内は、生産、保全、販売、ホワイトカラー等の「職務群」(Family of jobs)により構成 されており、それらはそれぞれ非競争集団を成している。解雇は、労働市場からの退場、 および先任権の喪失を意味するため、解雇をめぐる苦情が多くなる。企業間移動は不利な ため少なくなり、逆に内部昇進による企業内移動は多くなる。こうして、中世の農奴が荘 園に緊縛されていたのになぞらえて、「工場労働者は・・・工場に永久に固執する傾向があ る」(Kerr, 1954, pp. 33-34)と論じたのである。 内部労働市場概念が体系化される以前にすでに同概念の道具箱がすでに存在していたと いう点に深入りし過ぎたかもしれない。Doeringer & Piore (1971/85)の貢献は、これら新制 度学派による新古典派的現状認識への批判を踏まえながら、しかも新古典派経済学者の次 のような理論的展開も入れて、概念の集大成を図った点にあるといえる。 すなわち、Oi(1961)は、伝統的理論において労働力は完全に変動的生産要素と扱われ ていたのに対し、労働力は、変動費ばかりでなく企業内訓練費や採用費など固定的労働費 用も含む「準固定的」(Quasi-fixed)生産要素と定義した。これにより、伝統的理論体系に おける労働力の限界生産力と賃金との等価関係は必ずしも成り立たなくなるというよりも、 むしろ成り立たない場合の方が一般的であることを示した。つまり、特定労働力の固定費 比率が高くなるほど雇用量削減の開始は遅くなることを示した。 さらにBecker(1964)は、企業内技能形成による人的資本(Human Capital)形成の重 要性を指摘したのみならず、その(投資)費用負担の主体、仕事に就きながらの訓練(OJT: On the Job Training)を導入することによる投資と収益の時間的ずれ、一般訓練・スキル (General training/skill)と企業特殊訓練・スキル(Firm-specific training/skill)との違 いなどの要因を明示的に取り入れたモデルを、利潤極大化原理、効用極大化原理という各 経済主体の新古典派的行動原理により再構成した。こうして、とりわけ企業特殊訓練に対 する費用と収益の内部化が行われることに伴い、短期的な限界生産力と賃金との等価関係 が成り立つ必要はなくなり、市場モデルでありながらも長期的雇用関係が生まれてくる。
Doeringer & Piore (1971/85)はこれらの新古典派的概念の道具箱も活用しながら、内部労 働市場の成立とその特性、一次労働市場(Primary labor markets)と二次労働市場 (Secondary labor markets)への労働市場の分断、ならびに公共政策への含みを論じたの である。企業特殊スキルの概念は、さらに、「取引費用」(Transaction costs)という概念 でもって市場と組織の代替関係を論じた Williamson(1975)の理論にも大きな影響を与え、 それはWilliamson の議論のキー・ワードである「職務の特殊性」(Job idiosyncracy)とい う概念にも現れている。組織論と内部労働市場との関連についての簡単なレビューは白木 (1982年)に譲るとして、ここでは、Doeringer & Piore の内部労働市場論が他の関連 分野にも大きな影響を与えたことを確認するにとどめる(注15)。
さてこのように1960年代、70年代に華々しく登場した内部労働市場論であるが、 Doeringer & Piore の著作が出てからは、理論的に見て、「内部労働市場論は大きく発展し たとは言い難い」(鈴木、1997年b、122ページ)という評価がある。それは、Doeringer
& Piore の描き出した内部労働市場の世界は1940年代から70年代のアメリカ社会に 当てはまったが、それ以降は必ずしも妥当しない面が多くなったということも関連してい るかもしれない。1980年代はむしろ日本のモデルが持て囃される時代であり、日本の 企業内労使関係や HRM が脚光を浴びた時期に当たったが、アメリカにおいては内部労働 市場システムが縮小しているというまことしやかな議論も多くなった(Osterman, 1994)。
いずれにせよ、ここで確認したい点は、Doeringer & Piore (1971/85)の新版でも「内部労 働市場は企業あるいは企業の一組織、または職業ないし同業の団体において定義される」 (Doeringer & Piore, 1985, p.x)とはっきりと述べているように、内部労働市場理論では 各種内部労働市場の存在は理論的には容認されている。しかし、これまで内部労働市場の 展開を見ると、Doeringer & Piore (1971/85)も含めて、「ほとんどが例外なくブルーカラー の工場モデル、それも特に組合のある伝統的なパターン」(Osterman, 1994, p.304)に研究 が絞られてきたことは否めない。 ホワイトカラーの内部労働市場に的を絞った研究はもちろんないわけではない。アメリ カで典型的なのは Osterman(1984)の研究であろう。同書は、同一の企業内にも複数の 内部労働市場が存在しうるのは当然としても、ホワイトカラーの内部労働市場研究はさら に細分化された詳細な部門別、職種別の研究を深める必要性があることを示した。他方、 日本の研究者の例を取ると、例えば内部労働市場研究を集中的に進める小池ならびに小 池・猪木を見ても、これまでのブルーカラー中心の研究(小池、1977年、小池・猪木、 1987年、小池、1999年)から、ホワイトカラーを含む研究(小池、1991年、 小池・猪木、2002年)へとそのウエイトを変える方向へのシフトが見られる。 鈴木(1997年b)は、内部労働市場と外部労働市場との「境界線」は何か、企業組 織の壁が「境界線」となるのか、一次労働市場と二次労働市場の「境界線」は何か、さら に企業内のキャリア従業員と女性や中途採用従業員との「境界線」は何かなど、内部労働 市場の管理機能や権限の及ぶ範囲に大きな関心を示している。確かにこれは重要なテーマ であろう。実際、これまで企業の範囲を超える内部従業員の移動を考えるに際して、例え ば、「中間組織」(今井・伊丹・小池、1982年)という概念が提示されてきたし、内部 労働市場のグループ企業への拡大現象ということで「出向」の実態とメカニズムについて の研究(永野、1989年)も進められてきた。内部労働市場の管理権限の及ぶ範囲の拡 大と縮小の起こる要因とそのメカニズムについての研究は今後のフロンティアであろう。 内部労働市場の国際比較研究もこれまで精力的に進められてきた。国際比較の視座を持 たない研究は、普遍性を求めるのが研究であるが故に、ほとんど存在し得ないと考えられ るが、典型的または大がかりな研究としては、日本とアメリカ(小池、1977年、Lincoln and Kalleberg, 1990)、日本と東南アジア(小池・猪木、1987年)、日本とイギリス(Dore, 1973)、日本とヨーロッパ(小池・猪木、2002年)、フランスとドイツ(Maurice et.al, 1986)などが挙げられよう。確かに、国際比較を積み重ねることにより、特定国の内部労 働市場システムに関するより客観的で貴重な知見が深まることは否定できない。
しかし、本論文で筆者が構想したいと考えているのは、多国籍企業内に形成されてきて いると考えられる複数の内部労働市場のうち、特に海外派遣者を含む国際的内部労働市場 を的確に把握できる分析装置(An Analytical Appratus)の開発である。この目論見は明ら かに、内部労働市場の新たな概念的拡張である。当該分析装置を用いて、日系多国籍企業 の HRM をより客観的で、内在的に捉えたいと考えている。そのためには、当該分析装置 を、これまで見てきた内部労働市場の視点と国際人的資源管理の視点との論理的組み合わ せを行う必要がある。 8.本論文の研究視点 これまでのサーベイから明らかなように、多国籍企業経営においては、本質的に、一方 では「コーポレート同形化」・「クロス・ナショナル同形化」の一環として本社による統合・ 統制という中央集権的な力が働き、他方では「ローカル同形化」という制度的環境の中で 分散・自立という権限委譲を求める力が働く。後者の分散・自立を促す諸力として現地法 人を取り巻く環境の特性、現地法人の置かれた戦略的位置づけ(ポジショニング)の違い などが考えられるが、それに加えて、図1-5の「グローバル・インターコーポレート同 形化」の影響も考えられる。もちろん、この「グローバル・インターコーポレート同形化」 の影響は親会社も回り回って受けることになるであろう。 このように、時に対立し、時に補完的となる二元性こそが多国籍企業の強みであり、ま たその経営管理上の難しさであるといえる。多国籍企業の人的資源管理上の強みは、本国 においてのみならず、グローバルに展開する各拠点において、人材を採用し、育成し、十 全に活用する可能性が与えられているということである。この強みはしかし、人的資源管 理上の必要条件であり、必ずしも、それが達成されるという意味での十分条件となるかど うかは分からない。この点の解明は後続の諸章での課題である。 二元性の人的資源管理上の難しさは、本国籍人材中心的となると現地国籍人材のモティ べーションの維持が難しく、ローカル・スタッフの採用、ひいては企業業績にもマイナス の影響が出るかもしれないことである。本社からの派遣者を最小限に絞り、現地国籍人材 中心的となると、本社からの経営ノウハウ、技術の移転が先細りとなり、ローカル・スタ ッフ育成の阻害要因となり、現地法人に人材が蓄積されず、ひいてはこの場合にも、企業 業績にマイナスの影響が出るかもしれないのである。 しかし、既述の内部労働市場の概念から見れば、国際人的資源管理の中は実はいくつか の内部労働市場に分断されているのではないかと考えられる。つまり、主として親会社か らの、時には国外兄弟会社からの派遣者と、海外子会社における当該派遣者と一緒に働き、 また親会社または国外兄弟会社に派遣される可能性のある人たちから成る内部労働市場が あり、他方で、現地子会社でそのキャリアを終える可能性がきわめて高い人たちの内部労
働市場があり、さらには、それらの会社で正社員ではなく別の雇用形態で勤務する人たち の市場もあるかもしれない。 多国籍企業グループ間における人の移動、つまり、親会社・子会社間での人の移動なら びに子会社・子会社間での人の移動を考えるとすると、それは上記の最初の労働市場に該 当するが、その場合には、図1-6のような移動が考えられる。ここで、これらの移動を 多国籍からなる人材移動で、また、それが一つの内部労働市場を形成しているという意味 で、「多国籍内部労働市場」と名付け、以下の諸章を通じる研究の枠組みとしたい。それに は、以下のような理由がある。 図1-5 多国籍内部労働市場の研究視点 P T H P T H P H H (国境) PCN TCN HCN PCN TCN PCN TCN HCN A国 B国 P国 多国籍 内部労働市場 (注)P国は本社所在国を表す。PCNs(または P)は本国籍人材を、HCNs(または H)は現地国籍人材 を、さらに、TCNs(または T)は第三国籍人材を表す。 多国籍企業における人的投資を考えると、明らかに投資主体は世界本社(WHQ: World Headquarters)であり、投資対象はそこに包摂される従業員ということになるが、その対
象層の管理範囲をどこまで広げるかということがまず重要である。従来の内部労働市場の 考えでは投資対象は当該企業の全従業員ということになろう。この場合は1社における内 部労働市場が想定されている。投資対象が確定された後は、「投資の最終的目的=収益の回 収」という論理から投資対象者に対する利害関心が発生し、従ってその育成、活用、従っ て監視ということは投資主体、つまり企業にとって重大な関心事項となる。 複数の子会社を各国に有する多国籍企業を想定すると、直接的投資対象者としては、ま ずは本国企業(本社)内に雇用される本国籍従業員が考えられ、次に本社からの海外派遣 者、そして、この海外派遣者が直接に接し、経営ノウハウ・技術の移転対象となる現地ス タッフならびに第三国籍スタッフということになろう。より具体的に世界本社の監視対象 者ということで考えると、海外子会社におけるシニア・マネジメントまたはそれ相当のス ペシャリスト・専門職以上の現職人材、ならびにその可能性を有する若手人材ということ になるであろう。その場合、監視対象は必ずしもホワイトカラーに限られないことに留意 する必要がある。当該企業がメーカーで、生産現場での技能蓄積を競争上の優位点とする 企業では、明らかに生産現場の熟練労働者が技術移転の担い手となり、海外にも派遣され、 また現地子会社から本社に派遣されてくる可能性は高まるであろう。図1-6で、「多国籍 内部労働市場」に包摂される人材層が海外子会社で雇用される全従業員となっていないの はこのためである。 多国籍企業傘下の海外子会社を想定すると、海外子会社で直接雇用される従業員は海外 子会社において別途、形成される「内部労働市場」に包摂されることになろう。このよう に、「多国籍内部労働市場」に包摂される従業員層と子会社ごとの「内部労働市場」に包摂 される従業員層との間には重複する層と重複しない層とに分かれると考えられる。多国籍 企業グループにおける大きな組織ピラミッドを想定すると、「多国籍内部労働市場」に包摂 され、ランク的、技能・技術的にその上層部を構成する従業員層と子会社ごとの「内部労 働市場」にとどまり、組織ピラミッドの中下層部を構成する従業員層とに分かれるといえ る。こうして、「多国籍内部労働市場」の研究対象範囲は、国際人的資源管理のそれの部分 集合を形成しているともいえる。 ここで、これまでも言及してきた「内部労働市場」成立の3要件、つまり企業特殊熟練、 OJT、慣習をこの「多国籍内部労働市場」に適用してみると、以下のようになろう。 第1の企業特殊熟練は、グループ企業内で共有される経営理念・価値、世界本社の強み である技術、経営ノウハウなどから成るであろう。 第2のOJT には、親会社からの派遣者(トップ・マネジメント、シニア・マネジメント、 アドバイザーなど)からの日常業務を通じての技術、経営ノウハウ、あるいは経営理念・ 価値などの移転、共有などのプロセスが含まれよう。現地法人から現地スタッフを親会社、 兄弟会社へ派遣して実務研修をさせることもこれに含まれるかもしれない。これらの OJT を経てその結果として現地法人における経営管理層(A 国、B 国におけるピラミッドの白抜 きの三角形で示している)への内部昇進も発生するだろう。