作 川 人 , . 杯 出 品 ' iた1. ゐ(;1径 ル1',; lD!)2q 2 JJ:;~ ~1
LP
分割法における資本コストの解釈
井 上 勝 人
さきにL山 and Lutzらのそデルに見たように(1)新古典派の投資分析は完令 資本市場 (PerfectCapital Market)ならびに資本は所定の利子率で無制限にい つでも調達できることを前提としている。したがってそこにおいては資金調達 の問題は時期と量が問題となるだけで,その他の問題例えば資本市場とか資本 構成とかはさして重要なものではなかった。この前提のもとにおける理論が考 え方の枠組を与えることには役立ち得ても非現実であることは言うまでもない。 現実の世界では資金はいつでも自由には調達できないし,かつ危険を負担する 自己資本とそれを負担しない他人資本の構成如何では,負債の挺効果 (!ever句 age effect)によって白己資本利益率の期待値を増減させることが知られてい る。しかしそれにも拘わらず完全資本市場と言う概念がi有用なのは,この概念 を理解して初めて現実的な不完全資本市場が把握できるからである。すなわち 完全資本市場を成立せしめる要件は,大略して次の三つであり,その一つでも 欠けている場合を不完全資本市場と言うのである。 (1) 多数の個々の取引主体はその取引金額において,資本市場の白大なそれ(1) F Lutz and V Lutz, The Theory of Investment of the Firm, Princeton University Press. 1951 拙稿, rLP分割法における資本予算についての考察J,U香川大学経済論叢』第63巻第3号。 他参照。 (2) 平 成3年 3月期決算発表から,上場企業が報道機関に配布する決算資料において「自己資 本」の言葉が消え「株主資本」に統一された。このことは「会社はだれのものか」ひいては企 業の第 義的目的はや]かを改めて問い[色。すことをな味するが,ここでは他人資本との対照から 敢えて自己資本なる言辞を使用した。 (3) LJ. intner,“Oividends, Earnings Leverage, Stock Price and the Supply of Capital to Corporations", in Theory of Managerial Finance, ed Richard E Bell& Leo Melnyk. p 408
もっとも,リントナーは完全資本市場の条件を6つ挙げているが,こ、ではそれらの内容を3 つに凝縮した。本文中,大略とあるのはこの認である。
-36- 香川太学経済論叢 728 と比較すると極めて小さいので,彼らが市場の規膜および価格に影響をう えるとは到底考えられない。
(
2
)
取引コストはゼロである。また取引規模は分割可能であり,あらゆる規 制は存在しない。 (3) 完全情報 (PedectInformation)である。すなわち,すべての市場参加者 に取引に関する完全な知識が行き渡っている。 つまり,彼らは完全な先見性を有し,その知識は画一的であるから,不確 実性は存在しないのである。 このような完全資本市場の前掲から導かれた命題を一つずつ現実に近付けて 実践的な理論に仕立て直すのが差し当たってのわれわれの課題であるが,その 内容としてわれわれは限界分析を主たる分析用具とする伝統的企業理論から, その現実遊離性を払拭するためにLP
を主内容とする近代的企業理論へと変容 せざるを得ず,さらに現代競争構造に対応するためにLP
分割法による現代的 企業理論へ脱皮せざるを得ないことを指摘してきた。かくして叙上の実践性と えう意味においてわれわれの分析対象を完全資本市場から不完全資本市場を前 提とした理論へ移行するととは自然の理と云わねばならぬ。かくしてLP
分割 法を基軸とした現代的企業理論は分権的決定過程の基礎理論としての性質を具 有するものとして位置づけることができるとわれわれは考えるのである。 かくて現代的企業理論の中核はLP
分割法であり,その共通部分に充当する 資源としては資金が普遍的であることは何びとも容認するところのものであろ う,とするのがわれわれの見解である。かくて共通部分における資金の調達と 管理運営,換言すれば本社における財務管理が当面の分析対象とならねばなら ないのである。因に子問題における事業部生産関数,換言すれば事業部の生産 管理は調整プログラムのシンプレyクス乗数によって上述の本社における財務 管理と結合せられ,こ、にわれわれの究極の目標である財務管理論と生産管理 論(これらは従来は全く別々に研究されてきた〉との統合が図られるとするの がわれわれの主張に他ならない。 それはとも角,上述の本社における財務管理の問題であるが,その第一の研729 LP分割法における資本コストの解釈 -37-究課題はその目的の吟味にある。けだし目的の階層的連鎖はド位の目的は上位 の目的の手段を形成し,したがって財務目的は企業目的と一致しなければなら ず,かくして財務目的は初めて投資提案選別の標準ないし評価基準となり得る からである。すなわち財務管理は一般に実物ないし証券投資決定とそのための 資金の調達活動とから成り,前者は投資決定論,後者は資本調達論として内面 的関連を有しながら一応別々に発展してきた。│而うしてこの内面的関連とはわ れわれの4見解では資本コストである。われわれはこの言葉のコストと云う言辞 に肱惑されてともすると過去の原価であると思いがちであるが,これは未来の 推計値でありしかもこの推計は当該証券の期待利回りであるところから,これ を直接的に測定することは困難でありこ、に種々の論争が生じているのである が,少なくともこ、ではそれが第
1
に資本の生む最低利益率であり,このこと が資本調達と投資決定の結節点であること,第2
に第l
の帰結としてそれが利 益あるいは配当の流列を資本化して得られる株式の評価と密接な関係にあるこ とを指摘すれば足りるであろう。 叙上の見地から本稿の目的は第1に新古典派の理論の代表と目されるLutz and Lutzらの投資目的と企業目的との関連性を吟味することから出発し,それ と関連して第2
にLP
分割法はLP
を現代経営組織に適用することから生成する 極めて実践性を重視した手法であることに着目して,投資目的から必然的に派 生する資本コストを分割法の共通部分の資本調達の観点から長期資本コストと して把握し,子問題の投資決定の視点からはシンプレックス乗数 Csimplex multiplier)としての短期資本コストとして規定し,それぞれは前者が平均資本 コスト,後者が限界資本コストに対応することを論証することにある。 まず企業目的と投資目的との関連であるが,前稿で指摘したように?Lutz and Lutzらは一般に企業理論において広く措定されている企業目的としての利 (4) 前掲拙稿, rLP分割j法における資本予算の考察」参照。-38- 杏川大学経済論叢 730 益極大化の意味を4つの内容に分け,従ってこのうちの一つが投資計画の評価 ならびに基準として有用であることを主張した。そのーっとは何かが本稿の究 明する第
1
の課題であるが,結論的に云えば株主に対する株価の極大化換言す れば企業価値の極大化である。このことは当該投資の生むであろう将来の総利 益をその不確性と共に変化する資本コストを割引率として得られる現在の株式 価値の計測を内容とするから, Lutz and Lutzらはこれらのことをその現在価 値の極大化と云う言葉で説明した。すなわち現在価値は将来の収入の関数であ り,将来の収入は現在の投資の関数であるからこれらのごつの関数が与えられ ればわれわれはその企業価値の極大化を保証する投資を決定することができ る,と言うのである。しかしこのことを明示的に論証するためには前述した総 利益が投資量による関数であるケースに加えて,かかる投資規模を所与として 如何にして最適成長期間が決定されるかを考察する必要がある。けだし投資の 生む果実はその投下心する資本量によるのみならず、その期間にも依存するからで ある。したがってまずわれわれは企業目的に関する従来の主1涯を吟味し,次に Lutz and Lutzらによる投資規模を所与とした場合の最適成長期間の決定分析 を概観し,企業目的と財務目的との一致に至る経緯を考察しよう。企業目的は従ヨ来│長毛Be引叫rle
&
Meansの問題提起を契機として多くの論守争寺を招来し f た こ 1iえばR仙似i比ch民1児ek王らは企業目的は:三二つの範蹄に分類されるとして次の如く主 張U goalω心s) (ω2) 株主指標の日標(臼stωock王{加h10叫OωIde創Iト司也叩Oωn吟en川lt吋edg伊oalω心s) (ω剖)3 基本的に倫 理的基礎を持つ目標 (goalswith an essentia1
l
Y ideological foundation) であ る。これら三つの目標のうちRobichekらの推奨する目標は 2番目の株主指向の 目標である。彼らは資本と経営の分離による株主から希離された企業自体の目 標の生成ならびに倫理的目標がアメリカ社会とその経済システムにおける企業 の妥当な役割について説明する重要な要因であることは認めながらも,やはり (5) A A Berle, !r, The Twentieth Century Capitalist Revolution. New York 1954, pp.35~40(6) Alexander A Robichek& Stewart C Myers, Optimal Financing Decisions, Prentice-Hall, 1965, pp 2~' 4
731 LP分割法における資本コストの解釈 -39-資本主義社会における企業の目的は株主の立場に立脚した企業価値の極大化に 置かざるを得ないとして,他の二つの目標はあくまでもその制約条件として機 能しているに過ぎない,と主張している。彼らの主張における細目にわたる当 否はとも角として,彼らの結論である企業価値の極大化換言すれば株価の極大 化に企業の基本目的を措定したことは,資本構成ならびに資本市場との関連的 観点、においてまことに宣なるかなと思わざるを得ないのである。けだし資本主 義企業においては資本と経営が分離し殊に個人零細株主が減少傾向にあると難 も少なくとも資本市場における審判は無視し得ないからである。 さて前述の如くとのことを更に明らかにするには前稿で行なった投資の期闘 を所与として利益関数を投下資本量のみによるケースから一歩進めて,この投 資期聞を変数とした場合について検討することが必要になる。この問題を考え るには図による観察が直観的に理解する一助となる。すなわち図
l
の如く横軸 に投資期聞をとり,縦軸に投資価値を対数日盛でとる。ここで半対数方眼紙を 使用するのは線の傾斜が変化率をあらわし,しかも元の数字が小さくて変化の 量がわずかでもその比率が大きければ変化を明瞭に示すことができ,かつ単位 価 値 対数日軍基 V C 図1o
LM N 投 資 期 間 f (t)ー(C-K)ert一
:
Friedl凶 A山 川raC Lutz, ) The Theory of Investment of the Firm, p 29J-40- 香川大学経済論叢 732 が異なっているこつの量を比較する場合や変化が広範閤にわたっている場合な どを表現するのに便利であるからである。それはとも角,図
1
の吟味に入ろう。L
u
t
z
a
n
d
L
u
i
z
らは投資の価値を樹木の成長になぞらえて説明している。す なわち図1
における上の曲線は長期における樹木の成長の価値 f(t)を表わす。 と、で使用する記号は前稿と同じく,C
"投下資本額 t … 投 資 期 間 r …利子率 K 自己資本量 を表わす。下の曲線は投資の正味価値つまり企業の持分の成長 f( t)一 (C-K)ertを表わしている。一群の割引曲線のうち最高のものが直線Vdであり, Nl'で f(t)曲線と接する。 Nlから横軸に垂線をおろし横軸と接する点をN
とす れば, ONが最適投資期聞を表わすことになる。そしてNlは樹木の成長が極大 化される最大の現在価値を表わし,その値はVであることを示しているから, この最適期間がONであることの条件は前稿で論じた純現在価値の極大化のそ れと一致していることが分かる。すなわちこの図におけるVは純現在価値の極 大化を意味していることになる。かかる思考方法に従えば,C
から画いたこの 図における勾配の急な直線と f( t)曲線との接点Llは平均内部利益率ρ
a
の極 大点を表わし,それは投資期間でいえばOLで達成されることを示している。 さらにK
か ら 画 い た こ の 図 に お け る 最 も 急 な 勾 配 の 直 線 と 正 味 価 値 油 線c
f
(t)一(C-K)ert ) と接する点 Qは自己資本の極大利益率を表わし,その 投資期間がO Mであるととを示している。なお,記号の説明の筒所で述べた如 く(C-K)
は借入資金額を表わす。 図1を鳥敵することにより次のことが分かる。すなわち利益V= f (t )e-rt によって示される資本化された価値に注目すると,この式は市場利子率で資産 の利回りを資本化することを意味するから,企業者はρ
a
または k,これらは, (7), (8)前掲拙稿, iLP分割j法における資本予算についての考察-'7-11ベージ733 LP分 割 法 に お け る 資 本 コ ス ト の 解 釈
-41-片 l
o
g
円円
k
=
f
l
o
g
(f 川;-K〉e~)
となり kは自己資本利益率を表わすことになる。かくて企業者はこれらの式 を極大化することを選択するよりも,樹木を切らずにそのまま保持して割引直 線Vd
に沿って増大する価値を選ぶであろう。けだし図1
においてL
は樹木の まま立っている価値がLL2
であることを示し,伐採された価値L
L
l
よりも大き いからである。同じようにM
は樹木のまま立っている価値がMM2
であること を示し,これは伐採された価値MMl
より大きいことを示している。したがって 企業者はL
またはM
では樹木を切らずにN
まで持続するか,あるいはL
L
2
また はMM2
の価格で町伐採せ、ずに樹木をそのまま売却するかの何れかを選ぶであろ う。購入者側から云えば,N
まで樹木を成長させることはこの投資の利益率を 市場利子率で評価することを意味する。かくて最適投資期間は純現在価値の極 大化によって求められる,というのがL
u
t
za
n
d
L
u
t
z
らの主張にほかならない。 叙上のことは次のようにも考えることができる。すなわち純現在価値V-C
においてV
は純利益の現在価値,C
は資本支出の現在価値であったから(
:
0
〕これ らの要因のうちCは同定しているので純現在価値の極大化は総利益をある割引 率で資本化した価値の極大化にほかならないと解し得る。この価値は企業価値 または株式投資価値の極大化を意味するから,ことに企業価値は上述のある割 引率,一般には資本コストで割引くことになりわれわれが本稿で資本コスト問 題を考察の対象とせざるを得なくなった理由もここに存するのである。そして この場合の資本コストは配当の期待値を株価と等しくする割引率と解されるの で,投資目的は株式の市価の評価の究明を避けて通ることはできなくなるので (9) なお,前掲揃稿において随所にpa(内部利益率〕をPa,ρm(限界内部利益率〉をPmと印刷 されているが,これらはPa,ρmとそれぞれ読み替えて下さい。 (10)前掲拙稿, 17ベージつ ' u d A 香川大学経済論議 734 ある。 かくしてわれわれは株式の市価の評価の問題に到達したのであるが,これに 至る経緯を要約すれば,企業目的が株主の利益の極大化におかれるとき投資目 的もまた企業価値の極大化に求められるべきであり,そして企業価値の内容は 株式投資価値ないし株価の極大化を意味するから,それはまた株式利回りに対 する妥当な評価を不可欠として資本コストの吟味を要件とする,と言い得るで あろう。そしてこの問題に対するわれわれの視点は現代経営計画の最重要分析 用具であるとわれわれが考えている
LP
分割法における資本コストに限局され る。 E 株式の市価の評価の問題は前述の如く当該投資の生む将来の収益の流列をそ の資本コストを割引率として得られる現在の株式価値の計測をその内容とする から,そこにおいてはこつの観点から資本コスト問題を究明する必要がある。 二つの観点とはまず第H
こ資本コストとは株主の資本コストであり,これは先 に措定した企業目的から導出される帰結である。したがって自己資本の調達の 場としての資本市場に係わる長期資本コストとして把握される視点である。第2
に投資提案採否の基準としての切捨率(必要最低利益率)として把握される 視点であり,機会原価を含むものである。LP
分割法を経営の利益計画の要貝として採用した場合,その共通部分とし て資金を充当するのが一般的であることは前述したが,かくすることによって 資本構成との関連における長期資本コストの解明が上述の第 lの視点に相当 し,調整プログラムにおけるシンプレックス乗数が第2
の観点になり,それぞ れが第l
の内容として平均資本コストとして,第2
の内容として限界資本コス トとして把握さるべきであるというのがわれわれの主張の骨子である。以下Jl債 を追ってこれらのことを論証しよう。 既に部分的に言及したように,従来から資本コストの総体的把握のアプロー チとして限界分析的手法と平均分析的手法とが考えられ,そのどちらが正当で735 LP分割法における資本コストの解釈 -43ー あるかが論争されてきた。しかし一般にある命題というものは常に部分的な真 理を含んでいるものである。したがってどちらが正しし、かという問し、に対して はどちらも正しいと答えざるを得ないのであり,重要なことはそれがいかなる 条件のもとでいかなる局面に適用されたときに正しくなるかを認識することで ある。換言すれば概念というものはそれを用いて構成される理論体系の中でい かなる意味関連を有するかを理解するのが大切なのであって,概念規定そのも のは研究者の自由なのである。このことを弁えないと徒に論争のための論争に 陥る危険があることを知らねばならぬ。資本コストの規定についても上述の如 く限界資本コスト的接近も平均資本コスト的接近も両者とも正しい面を有して おり,これらが適用される場を究明することが肝要であると考えている。然り とすればその場とは何か。これは短・中期資本コストと長期資本コストとして の期間的把握とそれらを担当する機関的考察である。 “誰が"その職能を担当 するのかを究明するところのこの機関的考察は経営学固有のものであり,とも すれば経済学的に鳥眼的平面的になり勝ちな経済分析を補うものである。それ はとも角,まずわれわれの主張する限界資本コストは短・中期資本コストに対 応するものであり,それは利益管理的には全般管理層 (generalmanagement) が事業部長に通知する計算価格 (transferprice)として顕現し,平均資本コス トは均衡状態における長期資本コストとして経営層が所管すべきであることを 明らかにする。 Lindsay and Sametzによれば,資本コストとは投資の最終単位が達成すると 期待される必要最低利益率を定める機会原価である。この規定は先にわれわれ の挙げた資本コストの要件をすべて備えている。そしてここでさらに付言すべ きは上述の資本コスト規定に加えて,追加的資本コス I (additional imputed cost)の重要性に言及していることである。負債をl単位増加することは,総 資本利益率が利子率を上回るかぎり負}債lのleverageeffectによって自己資本利 益率の水準を高めることになる。このことは資本構成如何が資本コストの規定
(11)R Lindsay and A W. Sametz, Financial Management; An Analytical Approach, 1963, Chap8
736 香川大学経済論叢 -44-これらのことを期 に大なる影響を有することを意味している。 これに対し,平均資本コスト的接近は資本コストは資本構成とは独立である ことを主張することによって,現在の資本構成が最適であると見倣しそれに よって各調達源泉の加重平均を求めようとするものである。 間的考察を加えることによってさらに悶明にしよう。 町 山 まず短期資本コストから考え
4
2
)
短期資本コストについて分析するに当つて の索出命題は,市場資本化率で調整可能な資金供給曲線である。したがってこ の短期資金供給曲線を画くために次のことを仮定する。まず短期資本コストに おける短期とは負債については私的に商議された銀行借入れあるいはターム・ ローン(
t
e
r
ml
o
a
n
)
をその内容とし,持分については自己金融によって蓄積さ れた留保利益に限定する。負債はその期間の操業から生成する内部資金の水準 まで聞かれた市場で前払いないし発行済の負債の買戻しによって自由に減少さ せることができるが,持分は減らすことはできない。そして最後に,新投資は 直ちには期待利益に影響を与えない。以上のことを仮定すると,われわれは図 2の如きコスト曲線を画くことができる。この図はある一定の持分の下におけ る負債コスト水準の変化に対応する資本コスト全体との関係を示すものである。 これは次の如き特性を有する。(
問
:
G D Quirin山 pi凶 Expenditure Decision, p.131 図2し /
資本コスト pp 1967 Quirin, The Capital Expenditure Decision, lrwin 負債の益 D (12)以 下 の 論 述 は , G 131ー140による。
-45-LP
分割法における資本コストの解釈 737 左側の垂直な破線は負債の買戻しによって減少する負債額の最小の水 準を表わす。 ( 紛 太線で表わされた資本コスト曲線は最初は水平に推移する。この部分 は変化する負債水準の平均コストを示しており,それから信用低下に基 ( 的 づく負債上限に接近するにつれさらに急勾配に上昇する。 右側の垂直な破線は現存の持分水準ではさらに負債利用の不可能なこ (c) とを冠王してし、る。 以上において短期資本コストの特性としてこの資本コストは資本構成によっ て変化し,負債の増加につれさらに高い資本コストでなければ調達できないこ とを示している。かくして持分の各々の水準において持分の資本コストは負債 の増加によって短期においては影響されないのであるから,既存の資本構成に おける負債と持分の割合による重みづけをすることによって得られる平均資本 コストは図3に示されるように推移する。けだし最初は負債コストは持分のそ れより安く,持分負債割合における負債量の増加は平均資本コストを低くする が,負債の割合が増加するにつれて自己資本の資本化率を上昇せしめるから負 債コストも上昇し,その結果平均資本コストも上昇に転ずる。かくて図3
にお けるC点において最適資本構成が存在する。すなわち最適資本構成とは平均資 本コストが最低となる持分・負債の構成割合を意味する。 短期の資本コストは負債と持分の関数として3
次元の図で表わすこともでき 図3 ノ 己 資 本 コ ; ト 人 ~一平均資本コスト │ ¥ ¥ 戸J 負依の資本コスト 資本コスト (出所:Quirin op cit, p.132) C 負債のjd:738 る。持分は短期では減少することはできないし,収益の
100%
を超えて保有す ることはできないから,持分のそれぞれの達成可能な水準に対して図4を画く 香川大学経済論叢 -46-この図において負債軸に平行な横断面を表わしたのが,さきの 図3
であり,持分に平行な縦断面が図5
であることに注意しなければならない。 ことカミできる。 図4 持分の最小限度の水準1
負債持分組 合せの実現 可能の平面 Z 資本コスト (出所:Quirin op cit, p.133) 持分 図5 E' E 現在の 持 分 資本コスト (出所:Quirin op. cit, p.133) 持分のi立;739 LP分割法における資本コストの解釈 d u τ d n, 短期における持分資本コストは留保利益の増分によってのみ上昇するから, 他の条件において等しければこのことは株価収益率を減少せしめ,負債の各水 準に対する持分資本コスト曲線は図5においてEE'によって表わされる。 AA' は平均資本コスト曲線である。負債高の極端に多い水準においてはこの図には 現われていないがAA'はEE'の上になる。つまりそこにおいては負債コストは 持分資本コストを越える。かかる観測においては,
3
次元図では不便であるの で表面上の同じ資本コストを持-っすべての点の軌跡で句ある等高線を使って2
次 元図形に還元して観察しよう。かかる 2次元図が図6である。前と同じように 持分の量はx軸,負債の量はy軸にとる。 x軸に垂直な直線は期間中における 利用可能な持分についての上限と下限を表わしている。すなわち右側の垂線は 持分の限度としての100%の留保額を意味し,左側の垂線は現在の持分を示し ている。負債の上限と下限は持分の関数と考えられるからy軸に平行な線では 表わせられない。以上の如くして,これらの境界内における平均資本コストは 等コスト線を表わす等高線によって示されるのである。 かくして負債と持分の種々な組合せを表わす無差別曲線が前述の図6
におけ 図6 負債の限度 P' 負 債 等高線 現在の 持分 持分の限度 000%の留保) 持分 (出所:Quirin op.. cit, p 134.)740 る45'線によるAA'によって表わすことができる。 軸 y軸と交差するから,これらの点によって形成される三角形の正接によっ て無差別曲線上の最低コストの組合せを選ぶことができる。つまり45。線に接 する無差別曲線上の最低点を選べばよい。この最低点を連結して得られる曲線 を拡張路
(
e
x
p
a
n
s
i
o
np
a
t
h
)
と称し,図6
および図7
ではP
P
'
で表わされてい る。そしてこの曲線は作成の経緯から短期資本コスト曲線を意味し,U
型を形 成し,図7
ではQ点によってその最低点が示されている。また,MC
はP
P
'
に対 応する限界コスト曲線であり,Q
点はそれらの交点によって定まる資金量でも ある。 このAA'は固定しており x 香川大学経済論叢 -48-MC/
/ / P' / //
/ / / /〆 / /'"な げ
J Q 資金量 図 7 資本コスト (出所:Quirin op cit, p135) 次に中期の資本コストを考える。中期においては社債や株券が発行され,資 本調達の選択の範囲は増大する。その上,これらは公開市場で発行されるの で,市場における資本化率は将来の収益を反映して調整されることになる。中 期資本コスト曲線はこの変化する資本化率を考慮しながら,今迄考察してきた 短期のケースと同様に画くことができる。異なるところは中期の資本コスト曲 線は短期の選択がなお有効であるから短期資本コスト曲線の下に存在すること である。そして借換えの可能性のため負債の上限は存在するが下限は存在しな-49-いことに留意すべきである。その際借換えに伴う負債割合の減少が任意の与え られた負債水準についてはリスク念軽減させるから,上限はやや高いとごろに
LP
分割法における資本コストの解釈 741 設定されるであろう。自己資本に関しては理論上の上限は考えられないし,負 債制隈から招来される場合を除いては下限も存在しない。かくて中期資本コス 図8 ト曲線は図8
,図9
の如く画ける。 負債の限度 持分 (出所:Quirin op cit, p.l36) P' 図9 資本コスト 点線=平均コスト M C =限界コスト (出所:Quirin op. cit, p 137.) 資金量742 香川大学経済論叢 ハ リ p h υ したがって現存 の資本構成がこの経路上にないならば,それは当該企業の資本構成を変更する 必要があることを意味するものである。 最後に長期資本コストを考える。長期においては資本調達に続く資本運用に よって生成されると期待される収益の規模と安定性つまりリスクは調整され て,いわゆる完全均衡状態に達する。したがってダイリューション (dilution) 効果は消滅し,リスクの性質によって適用される種々の資本化率の差は解消さ れて,それによって決定される資本コストは調達される資本量からは独立する。 かくて与えられた資本構成に対しての長期における資本コスト曲線は図10の如 図8ならびに図9においてPP'は前述した拡張経路である。 図10 、 、 , , , 期 短 〆 , 、 、 F U A / / / / / 一 A AC (中期〉 資本コスト AC (長期) =MC (長期〕 AC=短期資本コスト MC=中期資本コスト ‘、‘ー 資金量 (出所:Quirin op cit, p 138) かくしlてModigliani く水平になり,限界資本コスト曲線 (MC)と一致する。しかしながら一般には 資本構成は普通株主の変動する収益,つまりリスクに影響を与えると考えられ ているところから,長期資本コストの分析においても最適資本構成が存在する か杏かを考察することが必要である。もしこれが存在するならば投資決定のた めの長期における基準として限界資本コストが措定されても,これは最適資本 構成における加重平均資本コストに一致するし,もし存在しないなら長期の加 重平均資本コストは資本構成にかかわりなく同じになる。 and Millerによって提唱された命題,例えば同一のリスク・クラスに属する企
743 LP分 割 法 に お け る 資 本 コ ス ト の 解 釈 -51-業の平均資本コストは資本構成とは関係がなしと3)と言うところのも実は長期に おいてこそ有効的であるということが看取されるのである。 最適資本構成とはそれぞれの資本調達源泉の加重平均曲線の最低点における 資本構成を意味するが,この加重の重みづけ変数は最適資本構成のもたらす各 調達源泉の割合を利用せざるを得ずここにおいて循環論法に堕し論理の矛盾に 逢着するのである。かくてModiglianiand Millerの命題が成立するのは長期に おいて均衡化された状態の場合のみであり,中・短期において平均コストを考 えるのは無意味であることを知るのである。 かくして長期においては平均資本コスト,中・短期においては限界資本コス トが妥当である,というのがわれわれの到達した結論である。 N 以上において総体的資本コストとして限界資本コストか平均資本コストかと いう議論は生産的ではなく,それぞれに一面の真理を合意しており,その長所 に着目して,中・短期資本コストとして限界資本コストを,長期資本コストと して平均資本コストを充当すべきであるとわれわれは考えていることな明らか にした。そして分析手法的には中・短期資本コストは
LP
分割法における調整 プログラムのシンプレックス乗数 Csimplexmultiplier)として顕現し,長期資 本コストは共通部分における資本調達として把握されるのである。けだし前者 はSchmalenbachにおける最適有効数 CoptimaleGeltungszahI)に相当し,その 機能は限界コストであるからであり 4)後者は完全資本市場における均衡状態の平均コストであるからである。かく解することによって初めtてModigliani and
(13)こ れ ら の 詳 細 に つ い て は , F Modigliani and M H Miller, The Cost of Capita,l
Corporation Finance and the Theory of Investment, The Management of Conporate Capital, edited by E Solomon, 1959, pp.150~ 180
(14)拙稿, rPretiale BetriebslenkungについてJ,~香川大学経済論叢』第52巻第 3 ・ 4 号。
(15)完全資本市場においては各投資家がさや取り売買を行うことによって,均衡化が成立し,負 債比率の範聞においての市場市価の差異は消滅して,平均資本コストは一定となる。詳細は, E Solomon, The Theory of Financial Managemen, 1963, pp99~ 104
-52ー 香川大学経済論叢 744 MiIlerの命題,すなわち同一のリスク・クラスに属する企業の平均資本コスト は資本構成とは無関係である,という意味が妥当性を持ち得るのである。そし て担当機関的には短・中期の限界資本コストは前述の如くシンプレックス乗数 を 計 算 し 各 事 業 部 に 通 知 す る こ と を 職 掌 と す る 全 般 管 理 層 (general management)がこれに当り,長期の資本コストは資本支出の計画と統制とそ のための調整を管轄する経営層に委ねられる。 以 上 に お い て わ れ わ れ は 資 本 コ ス ト 論 争 の 口 火 を 切 っ た Modiliani and MiIlerの命題,簡単に云えば資本構成は平均資本コストとは関係なく,した がって最適資本構成は存在しない,とし、う提言を契機に発生した総体的資本コ ストは限界資本コストが是か平均資本コストがよいかとし、う論争は,これを期 間別資本コストに対応して整理し,さらに担当する機関的考察によりそれぞれ 所を得て機能することを明らかにした。すなわち Modiglianiand MiIlerの命題 は完全均衡状態の成立する長期においてのみ成立するものであり,したがって 資本コストとしての管理的重要性は短期における限界資本コストにあることを われわれは知るのである。しかしながらこの限界資本コストは文字通り最終的 に調達される l単位の資本費を意味するが,資本構成によっては必ずしも最終 単位の資本費が安い源泉が調達されるとは限らず,したがってその都度変化す る限界資本費による調達は不可であり各調達源泉の加重平均によるべきである との意見がある。 しかし前述の如く限界資本費の機能を短期で,しかも機関的には全般管理層 による事業部の生産調整,いわゆる計算利子率にあると解すれば,限界資本コス トが調達の都度変化するのは当然であり,われわれがこれを
LP
分割法におけ る調整プログラムのシンプレックス乗数に求める所以もここに存するのである。 V 以上においてわれわれはここ1
0
数年にわたりLP
分割法の経営学的解釈につ (16) 注(13) を参照。 (17)J F Weston, Managerial Finance, 1962, pp 231~232745 LP分割法における資本コストの解釈 ζ υ 9JV いて考えてきた。それは
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においてわれわれが事業部生産 理論と資本予算理論とを統合していわゆる経営の包摂的機能関係に照応する把 握を目途するとき,D
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らの考案したLP
分割原理がその恰好な分析要貝と 考えられたからである。このことはD
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らも明言している如く,i
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分割原 理は単に大規模なLP
を計算の便宜上小さなLP
に分割して,コンピz ータの記 憶容量を節約せんとする計算技法を提供するばかりではなく,分権管理ひいて は企業理論の基礎を構成するものである」との記述を見ても首肯lできるところ であろう?そしてその損杵は調整プロク、ラのシンフ。レックス乗数にあり,これ はいろいろな視点からある時は計算価格として分権管理のパラメータとなり, ある時は原価管理の立場からは標準原価として機能し,またある時は資本予算 の視点から計算利子率として把握されることを明らかにし,かっそれにまつわ る諸問題について考察してきた。かくの如き種々の見方から規定できるのはLP
分割法の共通部分にいかなる資源制約を充当するかで定まるのであり,そ の上にたっての管理的視点から上述の如く述べることができるのである。しか しこのなかで最も重要な視点は計算価格による経営体の統制であり,かかるシ ステムが存在してこそはじめて事業部制は成功することができるのであり,S
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の経営思想を計量化したものに 他ならないと言えるのである。そしてこれはまた山城経営学における経営機能 と管理機能の包摂的階層関係を数理科学的に定量化したものでもあるのである。 かくして最後に,久しきに渡って考察してきた如く経営学における定量的命 題は数学の広義の定理に帰着するのであり,換言すれば経営学上の数学的モデ ノレにおいてはその根底にある経営学的異議合把握してこそはじめて実践的意義 を有することを銘記しなければならないことを強調しておく。OR
が日本に紹 (18) G B Dantzig and P Wolfe, Decompositions Principle for Linear Programs, OperationsResearch, Vo18, No,lJan-Feb, 1960, p101
(19) E Schmalenbach, Bd 1, Die optimale Geltungszah,l 1947 Bd 2, Pretiale Lenkung des Betriebs, 1948
拙稿, rPretiale BetriebslenkungについてJ,W香川大学経済論叢』第52巻第3' 4号 参 照
-54- 香川大学経済論議 746 介されてから久しいが,あまり企業の実践に定着できないでいるのは,その数 学的解法の吸収にのみ急のあまりこのことを等閑に付してきたことの結果と言 わざるを得ないのである。