住友銀行 における収益 性 と公共性
は じ め に一一 問題の所在一一I
住友銀行の住友 グループにおける位置 Ⅱ 住友銀行十一金融界の傍流か ら本流ヘ Ⅲ 住友銀行 における高収益 の源泉 Ⅳ 住友銀行 による平和相互銀行の吸収合併 と収益至上主義路線の強化V
住友銀行 における収益性 と公共性 Ⅵ 公共性 を優先 した銀行経営ヘ お わ り には
じ
め
に一一 問題 の所在――
ゲーテは,そ
の著『ファウス ト』のなかで,激
しく現世にしがみつこうとする自分 と,俗
世 をの がれて霊界へ上 りたいという自分 とに引 き裂かれる苦悩を,つ
ぎのように表現 している。 「ああ!わたしの胸には, 2つ
の魂がやどっているのだ! その 1つ の魂は,も
う1つ か ら離れたがっている。 1つ は,は
げしい情欲 をもや して,こ
の世に,吸
いつ く蛸の足のようにからみついている。 もう1つ は,な
んとか して塵芥か らのがれ去 り,聖
賢の住む霊域へ昇ろうとするのだ。」(1) この 2つ の相反する性格 をもつ魂に,人
間がほんろうされ続ける姿は,あ
たか も金融機関が「収 益性」 と「公共性」 を統一 しようとして葛藤する姿に似ている。 常に,口
を開けば「公共性」 を強調する金融機関が,効
率化 という名で著 しく「収益性」 を追求 していった姿を,私
達は1980年代後半か ら90年代初めにかけてのバブル経済期の銀行行動にみるこ とがで きる。 わが国は1986年の「円高不況Jを
短期間のうちにクリアーし,早
くも1987年には景気の回復基調 に入 った。にもかかわらず,政
府はそれ以降1990年の上期 まで,公
定歩合 を2.5%に
据え置 く超低 金利政策をとりつづけた。企業はこの超低金利時代に「転換社債」や「ワラント債」などエクイティ・ ファイナンス (cquity fillalacc,新 株発行による資金調達)の
ための巧妙な手段 を使い,低
コス トで 過剰な資金調達を行なって設備投資や土地投資を拡大するとともに,株
式投資などの金融資産投資, いわゆる「財テク」を活発に行なった。 都市銀行 を中心 とする大銀行は,自
らこうしたマネー・ゲームを積極的に展開 し,土
地や株 を転 売することによつて投機的利得 を獲得すると同時に,こ
れら企業や不動産会社 に対 して,土
地や株 安 田 藤 *FUJITA Yasukazu 経済学 (財政金融論, 日本経済論)専攻藤 田安一:住友銀行 における収益性 と公共性 式 などの担保価値 を慎重 に審査せず
,異
常 な貸 出 し競争 に しの ぎを削 り,地
価や株価 の暴騰 に象徴 されるバ ブル経済 を創 り出 したのである。 こうした銀行や証券会社 による収益至上主義的な経営戦略の必然的帰結 として,小
日投資家 を犠 牲 に した大 国投資家への損失補填や,暴
力団 と癒着 した株 の仕手戦での株価 のつ り上 げ とそのため の融資,都
市銀行 による架空預金証書の偽造 とそれをもとに した不正融資等,数
々の金融 ・証券ス キャンダルが発生 した。 まず,証
券会社 による損失補填 は,1988年
9月 期か ら91年3月 期 までの間に大企業 を中心 に廷べ 787件,2164億
円の巨額 にのぼることが明 らかになった。 さらに,野
村證券 と日興證券が,広
域暴 力団である稲川会前会長 に値上が り前の東急株 を信用取引で売 り,そ
の後,取
引決済のための関連 会社である野村 ファイナ ンス と日興 クレジ ッ トか ら,同
株券 を担保 にそれぞれ数百億 円を融資 した 事実が明るみに出た。 一方,銀
行では 日本興業銀行が関連 ノン・バ ンクなどとともに,暴
力 団とのつなが りが指摘 され ていた料亭の女将 に,東
洋信金の架空預金証券 などを担保 に5000億円にものぼる資金融資 を行 なっ ていた。 また,富
士銀行や東海銀行,協
和埼玉銀行では,架
空預金証書 を偽造 しノン・バ ンクか ら 巨額の資金がひき出され不正融資が行 なわれていた。 さらに,住
友銀行が社長以外多数の役員 を送 り込み,巨
額の融資 を行 なっていた中堅商社 イ トマ ンが,ゴ
ルフ場や絵画取引に2500億 円の資金 を つ ぎこみ,そのほ とんどが間に消 えた事件 など,およそ表面化 した事件だけで も,銀
行 の反社会的・ 反公共的行為の多様性 とその規模 の大 きさに驚か される。 以上の事件簿 は,現
代 の金融機関が「収益性」 と「公共性」 との統一 に失敗 した ファイルの数々 であ り,そ
の結果,引
き起 こされた金融不安の真 っ只中に,い
ま私達は生活 しているのである。 こ の金融危機 か らいかにして脱却 し,安
定 した金融 システムを創 るために金融機 関は どうあるべ きな のであろうか。 本稿 の課題 は,こ
の ような問題意識 の もと,「収益性」 と「公共性」 とをキー・ヮー ドに,住
友 銀行 を素材 として,現
代 における金融機 関のあ り方 を考察することにある。 まずは,な
ぜ住友銀行 を例 として とりあげるのか。その理由について述べてお こう。I
住 友銀行 の住友 グル ー プにお ける位置
現在で も,「組織 の三菱」「人の三井」 に対 して,「結束の住友」 と言 われる。 この住友 グループ の結束力の強 さを示す根拠 としては,グ
ループ内における株式の相互持合い比率 と同系金融機関の 融資比率があげ られる。いずれの比率 も住友 グループの場合,年
々変動はある ものの,他
のグルー プに比べて高い比率で推移 して きたことは確 かである(2)。 それ以外 に結束の住友 を示す特徴的なことは,住友が戦後の混乱期 に,他の旧財 閥 にさきがけて, いち早 く社長会 (白水会,1949年
発足)(3)に
よる集団指導体制 を確立 し,連
帯意識 の統一 に成功 したことである。それを可能 とした歴史的要因 として,つ
ぎの3点
が指摘で きる。 第1に,住
友財閥は重化学工業 コンツェル ンとしてコンビナー ト的連携が強固であ つたので,戦
後経済改革で財閥本社が解体 されて も相互のつなが りが切れに くい事情 にあった。 この特徴 は,別子銅 山の経営権 を徳川幕府か ら取得 して以来,芋づる式に関連分野 に進 出 していっ た住友の事業拡大 と関係 している。すなわち,銅
の採掘 と精錬か らは じめて,銅
製品の加工 として の電線 (住友電工)に
進出 し,そ
の関連で鉄銅 (住友金属工業)や
石炭 (住友石炭)を
お こ し,銅
鳥取大学教育地域科学部紀要 地域研究 第
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の精錬過程で出て くる亜硫酸 ガスを利用 して肥料 (住友化学)に
進 出する とい うように,つ
ぎつ ぎ と関連分野 に進出 し事業 を拡大 していったのである。 第2に,戦
後「財 閥解体」の1つの眼 目に商事部門の分割があったが,住
友の場合,商
事会社 を もたなかったため,三
井物産 を擁 した三井や三菱商事 を擁 した三菱が受けた ような打撃 は住友 には なかった。その ことが,「財 閥解体」 によるダメージか らの立 ち直 りを早 め,再
統一 しやすい要 因 となった。 住友財閥が,そ
もそ も商社 をもたなかった理 由は,明
治期 の総理事であつた伊庭貞剛が,住
友 の 進むべ き方向 を銅 山 とその関連事業 にお き,そ
れ以外 の事業 をすべて廃止 し,自
家製品以外 の販売 活動 は しない とい う経営方針 をとり,こ
の住友の生産第一主義的経営 を,鈴
木馬左也 などそれ以降 の経営者が持 ちつづ けた ことによる(4)。 こぅして戦前,商
社 をもたなか ったために,住
友財 閥傘 下の企業 は,そ
の製品の販売や原材料 の仕入れを住友本社 の事業部が担当すると同時 に,三
井物産 や三菱商事 などに依存 していた。 戦後,そ
の ことが幸い して,先
にのべた ように住友が財 閥解体か ら受 けた打撃は小 さ くてす んだ ものの,戦
後 わが国の経済発展 にともなう商社活動の重要性が認識 され,商
社の設立へ とむか うの である。最初 は,住
友土地工務 とい う不動産会社 を日本建設産業 と名 を改め,こ
れに商事部 門を担 当させ ることに したが,1952年
に社名 を改め住友商事 となって現在 に至 っている。 第3に,住
友では戦時中か ら銀行 にかな りの独 自的機能 を与 えて本社 の機能を分担 させて きたの で,「財 閥解体」 の もとで も,こ
の銀行がその まま残 されたため,戦
後住友 グループの再編成 をす すめるにあたつて,住
友銀行がその中核 的機能 を果たす ことが出来た。 戦後,住
友銀行 は住友金属,住
友化学 とともに住友御三家 と言われて きた。その中で も,住
友銀 行の地位 は高 く,住
友信託や住友生命 を加 えた資金力の強 さは,他
のグループと比較 した住友の特 徴 となっている。 この点は三井銀行の地位が低 く,そ
の資金力が弱い ことが戦後の三井 グループ斜 陽化の大 きな原因 となったの と対称的である。すなわち,三
井の場合,戦
後企業の資金需要が増大 して くると,三
井 グループの中核 となる三井銀行 の国内支店網が少 な く,資
金力 も弱い とい うこと が,三
井系企業 にとって致命 的な打撃 となる。その ことが,三
井銀行 に見切 りをつけて,多
くの三 井財閥傘下の企業が三井 グループか ら離れてい く原因に もなった。 三井 とは反対 に住友 グループの場合 には,戦
後直後のいわゆる「財 閥解体」 にもかかわ らず,戦
前の財閥が再 び住友 グループとして再編成 されるにあたつて,そ
の結束の中核 として住友銀行 の果 た した役割 は決定的であつた。 さらに,高
度経済成長期 に住友 グループの発展 にとつて,住
友銀行が果た した役害↓は非常 に大 き かった。 これは,住
友銀行 を中心 とする住友の外延的拡張政策 として知 られている。その内容 は, つ ぎの とお りである。 高度経済成長がス ター トする昭和30年代 になると,旧
財閥はそろって,グ
ループ内に欠けている 業種 をそろえてワンセ ッ トにしようとい う,いわゆる「ワンセ ッ ト主義」的な投資行動 を強めていっ た。その意図は,住
友 グループの場合,旧
直系企業の数が少 な く,比
較的規模力調ヽさか つたため, 外廷企業 を積極 的に育成 しようとすることにあった。住友 グループは,戦
前か ら重工業部門,特
に 素材供給部門に偏 していたため,付
加価値の高い加工部 門の強化の必要 に迫れていたのである。 1952年に住友銀行の頭取 に就任 した堀 田庄三は,効
率経営・堅実経営 をひっさげて,融
資先企業 の選別 をおこないなが ら,グ
ループ以外の企業 に対 して も積極的に接近 し融資 していった。具体 的 には,戦
前か ら住友 と関係のあった松下電器,久
保 田鉄工,伊
藤忠,武
田薬品などをは じめ,東
洋藤田安一:住友銀行 における収益性 と公共性 工業
,出
光興産,ブ
リヂス トンタイヤ,小
松製作所,大
昭和製紙,日
本ステ ンレスなどがその代表 的なものである。 これ らの企業が,こ
れまでの住友 グループに欠けていたか, もしくは弱体 な部門 であったことは明 らかであ り,自
動車や石油 など,高
度成長期 に必須の業種 をグループ周辺 に組み 込んでいったことがわかる(5)。 以上の ような住友銀行 を中心 とす る外廷的拡張政策 によって,住
友 グループは戦後の重化学工業 化の波 に乗 り,三
井 グループをしの ぐ巨大な企業集団へ と発展 していった。 してみれば,そ
れ を可 能にした住友銀行 は,
もはや押 しも押 され もしない住友 グループの中心的存在 である。良 くも悪 く も,住
友銀行のイメージが,現
在の住友グループ全体 のイメージを決定づ けるほどの影響力 を持 ち つづけているのには,以
上の ような歴史的事情が起 因 している。Ⅱ
住 友銀行―― 金融界 の傍 流 か ら本流ヘ
では
,住
友グループを印象づける住友銀行のイメージとは, どのようなものであろうか。
1978年に起 こった住友銀行 と関西相互銀行 との合併問題は,住
友銀行が社会的にどのように思わ れていたかを知る格好の素材である。当時の関西相互銀行は,中
小企業金融専門機関として,社
長 はもちろん,役
員11人のうち6人
までが住友銀行出身者であ り,株
式 も60%を
住友銀行が握る住友 銀行の完全な系列子会社であった。 しか し,こ
の吸収合併が,関
西相互銀行の従業員や取引先企業 の猛烈な反紺にあって,住
友銀行はこの合併をあきらめざるをえなくなって しまったのである。 関西相互銀行内では,従
業員組合 と管理職組合 とが「合併阻止共聞委員会」 を結成 し,合
併反対 に立ちあがった。さらに,銀
行外 においても,当
時の関西相互 と取引のあった中小零細商工業者約 1万1000社のうち,8637社
が「関西相互銀行 を守る会」 に結集 して住友銀行や大蔵省に合併反対 を 申し入れるなど,住
友銀行 との合併反対運動を展開 した。その結果,全
国相互銀行協会や全国銀行 協会 までが,合
併 に反対の意向を示 し,つ
いに住友銀行 との合併は撤回されたのである(6)。 こうした前代未聞の激 しい合併反姑運動が起こったのには,「住友銀行の横暴 を許すな」のスロー ガンにみ られたような,根
強い住友銀行への不信感が根本にあった。以前,1964年
に住友銀行が河 内銀行を吸収合併 した時に,住
友銀行はそれまで河内銀行 と取 り引 きのあった中小企業 との融資を 断つたり,か
つての河内銀行の従業員に対 して役職や給与など労働条件を悪化させたことなどが, 住友銀行への不信感をつのらせていたのである。 ここに,1989年
6月10日号の F週刊 ダイヤモン ド』がある。その号には,特
集 として「つきあい たい銀行 とつ きあいた くない銀行」が掲載されている。財界 トップ600人のアンケー ト調査によっ て,都 市銀行の評価を分析したレポー トである。それによると,メ インバンクにした くないナンバー ワン銀行は,だ
んとつで住友銀行であ り, 3人
に 1人 の186人に及んでいる。 か くも,住
友銀行が敬遠 される原因は,「不愉快 な経験があ り」「営業姿勢が強引す ぎる」「あま りにも合理的す ぎて,
日先の利益 を追求 しす ぎる」 という理由があげられている。松下電器取締役 相談役の山下俊彦氏か らは,「あの会社 なら腐 りかけた橋だって平気で渡って しまうだろう」(7) と言われて しまっている。「住友銀行 とは手を組みた くない」 と正面切って言 う住友アレルギーを もつ人たちも少な くない。 その他 に,住
友銀行 に対 して,「地上げ屋銀行」 とか「ノルマ銀行」 となどという言葉が投げか けられてきた。いずれも,わ
が国の1980年代後半に起 きたバブル経済における銀行のあ り方に関連 する不名誉 な代名詞である。前者は,土
地転が しで荒稼 ぎをした銀行 というイメージを焼 きつけて鳥取大学教育地域科学部紀要 地域研究 第
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いるし,後者 は,銀行員 をノルマで しば りつけて,徹
底的に働かせ るとい うイメージを想起 させ る。 「その 日のノルマが達成で きず に支店 に戻 れない行員がいるJと
い うウソの ような話 しも,住
友銀 行 な らば,な
るほどと受け とられて しまう。 以上のように,そ
の特徴が他行 に比べ際立 っているがゆえに,住
友銀行 は「金融界の孤児 」 と言 われて きた。孤児であるために,時
として住友銀行 は金融界か ら不当な取 りあつかい を受けた。そ の象徴 的なことは,つ
い最近の1994年に森川彼雄住友銀行頭取が全 国銀行協会連合会 の会長 になる まで,住
友銀行 は一度 もこの全銀協会長のポス トにはすわれなかったのである。 その理由を,梶
原―明氏 は『住友銀行経営会議』 において,つ
ぎのように述べ ている。 「企業 イメージは一朝―夕 に消 える ものではない。全銀協会長のポス トが住友銀行 に回つてこな いのは,住
友銀行が関西 に本拠 を置いている,
といった理由だけではなか ろう。在京の都銀 四行 に よる会長持 ち回 りは,素
人 目に見て も不 自然である。だが,こ
のボイコッ トは,な
にをやるかわか らない という,根
底 に住友銀行への警戒心があることはた しかなのである。」(8)(傍点は引用者) この「なにをやるかわか らない」 という住友銀行への警戒心 は,こ
れまで住友銀行が行 って きた 革新的な試みに対する他の銀行 の嫉妬心 まで排除するものではない。事実,住
友銀行が他行 にさき がけて,新
しい方式 を生み出 し実施 した後,他
の金融機関が,こ
の住友方式 を自らの経営方針 に採 用 していった例 は少な くない。 例 えば,行
員の能力 に応 じて給与や賞与 を決める,い
わゆるメリッ トシステムを導入 したのは, 住友銀行が最 も早かつた。 また,銀
行が不動産取引 を仲介 し,手
数料相当分 を流動性預金 として置 かせ る方式 を初めに開発 したの も住友銀行であった。 この方式 によつて,住
友銀行 はゴルフ場開発 な ど不動産関連事業 に無謀 な融資 を続 け,世
に言 う「イ トマ ン事件」 に関わることになる。 さらに,ユ
ニバーサルバ ンクに最 も早 く注 目したのは住友銀行であった。住友銀行 は,1988年
の 秋 に「銀行,証
券分離制度の見直の視点」 と題す る論文 を発表 した。 この論文 において,「各種 の “垣根"撤
廃,郵
貯制度,公
的金融機 関の見直 しのすべてを包含するかたちで,戦
後初 の抜本的改 革 を具体的にすべ き状況 にきている」 と述べた。 これは,銀
行の証券への参入 の必要 を説 く,い
わ ば証券業界 に姑する挑戦であ り,ひいてはユニバーサルバ ンク実現 をめざす一石であつた。その後, 都銀各行 は,同
様 な趣 旨の論文 を発表する。住友銀行が銀行 ・証券の業際問題 に火 をつけ,垣
根論 争の先導役 となったのである。 そ して,さ
らに注 目すべ きは,経
営組織の分野 において も,1980年
代 に都銀各行 の主流 となった 本部制組織 を,い
ち早 く取 り入 れたの も住友銀行であった。早 くも住友銀行 は,1979年
に総本部制 とい う名称で,メーカーの事業部制 をモデル とした本部制組織 を導入 した(9)。 この住友銀行 の総本 部制が,収
益向上のために最 も効果的であることが実証 された後,都
市銀行各行が,住
友銀行 に追 随 して,つ
ぎつ ぎと本部制組織 を採用 していったのである。 この ように見て くると,金
融界の異端児であった住友銀行が,い
つのまにか金融界の リーダー的 存在 として他行か ら認知 され,他
行 は住友銀行 との同質化 をはかろうとして きた様子がわかる。確 かに,住
友銀行 を毛嫌い し,異
端視 しているバ ンカーは今で も多いであろ うが,1980年
代 か ら本格 化す る金融 自由化の波 は,確
実 に住友銀行 をこれまでの金融界 の傍流か ら本流へ と,そ
の地位 を押 し上 げて きたのである。住友銀行が,現
在わが国の金融風土 を構築 した といつて も過言ではない。 したが って,住友銀行 を研究の対象 とすることは,特異な一つの銀行 をとりあげることではな く, 1980年代 か ら90年代 にかけての典型的な金融機関を考察することであ り,こ
の時期 の金融機 関の活 動内容 とその問題点は,集
中的に住友銀行 に現れていたのである。 ここに,住
友銀行 を本稿 で とり28 あげる理由がある。 藤 田安一:住友銀行 における収益性 と公共性
Ⅲ
住友銀行にお ける高収益 の源泉
銀行 の歴史は,合
併・合 同の歴史 といわれる。 戦後,住
友銀行は1965年に河内銀行 を吸収合併 し,戦
後 における発展 の基礎 を回めた。その後, 1970年代 に入 って安宅産業の経営破綻で住友銀行 は巨額の損失を出 し,ま
た,1978年
に関西相互銀 行 との合併 に失敗するものの,1986年
には平和相互銀行の合併 に成功す ることによって,そ
れ まで 礎盤の弱かった関東地方 を強化 し,
トップバ ンクに躍 り出る契機 となった。 この間,安
宅産業の経 営破綻 と平和相互銀行 との合併 は,住
友銀行 にとって,よ
リー層の収益力向上 をめ ざ し,行
内の雰 囲気が大 きく変 わる契機 ともなる重大 な出来事であった。 まず,戦
後初 めての総合商社 の破綻 として世の注 目を浴びた,安
宅産業の破綻 をみることに しよ う。 安宅産業 は,戦
前 ・戦後 をつ うじて,鉄
鋼 ・機械 。パルプ・木材 などの取 り扱 い を中心 に発展 し, 中堅商社 として堅実な経営 を行 っていた。 しか し,1970年
代 に入 る頃か ら,安
宅産業 は総合商社ヘ の脱皮 をはかるため業容拡大 を行い,内
容の良 くない企業への投融資や野放図な土地投資 などを急 増 させ,経
営内容 を著 しく悪化 させ てい く。その ような時期 に,安
宅産業の在米子会社 である安宅 アメ リカの,カナダの石油精製会社NRC(ニ
ューファン ドラン ド・リファイニ ング・カンパニー) に姑する1000億円の原油代金が不良債権化するとい う問題が起 きた。そのため1975年頃か ら,一
挙 に安宅産業の経営危機が表面化 して きた。 安宅産業 はNRC以
外 の海外取引で も多額の不良資産 と赤字要因をかかえ,国
内取引 において も 不良債権や土地合み損が巨額 にのぼっていることが半」明 した。そこで,安
宅産業のメインバ ンクで あった住友銀行 は,安
宅産業の再建 を断念 し,伊
藤忠商事 との合併 を進める一方で,総
額2000億円 にのぼる損失 を安宅産業 に融資 していた金融機関 と協議の うえ,住
友銀行が1132億円を負担 し,そ
の他 は協和銀行 をは じめ とす る14行が負担することになった。住友銀行 は,こ
の1132億円を1977年 9月 期 決算 で内部留保 を取 り崩 して一挙 に償却 した。ω。そのため,1977年
上期 における住友銀行 の当期利益 は,前
期下期 の144億円か ら81億円へ と大 きく落ち込み,都
市銀行 中の収益 ランキング も,そ
れ までの1位か ら8位
へ と転落 したのである。 以上の安宅産業の破綻 によってこうむった莫大な損失をとりかえし,再び住友銀行が収益 ナンバー ワンの銀行 の座 に返 り咲 くことこそ,頭
取 になったばか りの磯 田一郎 をは じめ とする首脳陣の念願 であつた。磯 田は1977年 6月 の頭取就任 に際 して,「頭取 としての私 の最大の課題 は,で
きるだけ 早 くこの (安宅問題 による)負
担 を克服 し,ふ
たたび栄光の座 をとりもどす」 。つ ことである と, その決意 を述べた。 磯 田一郎の後 をついで,1983年
頭取 に就任 した小松 康 も,こ
の栄光の座 をとりもどすべ き,収
益第一主義的経営 を徹底 させ ることを宣言 し,つ
ぎの ように述べた。 「収益 はいわばリスクの最終担保であ ります。……収益 は将来のコス トであ ります。そ うい う意 味で,こ
れか らの激動の時代 には収益 第一主義はます ます重要性 を くわえこそすれ,い
ささか も手 を緩めるわけにはまい らないのであ ります。」 。D(傍
点 は引用者) その結果,安
宅産業の経営破綻 か らわずか4年後 の1981年上期 において,住
友銀行 の当期利益 は 姑前年下期比42%増
の223億円を計上 し,再
び都市銀行 の中で第1位
の座 をとりもど した。以降,鳥取大学教 育地域科学部紀要 地域研 究 第
1巻
第2号 (2000) 29
平和相互銀行 を吸収合併する1986年まで,住
友銀行 は5年
連続利益 日本一の座 を独 占 しつづ けたの である。 なぜ住友銀行 は,こ
れほ どまでに収益力 を強化す ることが出来たのか。磯 田・小松両頭取のJ又益 至上主義的経営姿勢 を,現
実の収益向上 に結 びつけた原動力 は,
どこにあったのだろうか。 その秘密 を解 くカギは,銀
行の経常収益 と経常利益 との違いにある。一般企業の売上 に相 当す る 経常収益 は,1985年
9月 の上期決算 において住友銀行 は9772億円であった。この数字 は当時の都市 銀行13行中3位
で,
トップの第一勧銀 の1兆
674億円 と比較す る と1000億円 も少 ない。 しか し,こ
れが利益 になる と全 く事情が異 なって くる。す なわち,経
常収益 か ら経常費用 を控 除 した経常利益 でみる と,住
友銀行 は同年同月期 には802億円で,第
一勧銀の729億円を上 まわって トップ となって いる。 この傾向は,表
1からわかるように,1980年
代 における住友銀行 の顕著 な特徴である。 売 り上げでは劣 るが,利
益 では上回る。 どうして,こ
うい う状態が生 まれるのか。その理 由は, 原価 コス トが安いか らである。原価 コス トの中心 は行員の人件費であるか ら,人
件費のわ りに行員 一人当た りの生産性が高いか らである。 図1を見 られたい。 この図は,1981年
か ら1986年に至 る都銀各行 の行員数 を表 した ものである。 人数の多い順か ら第一勧銀,富
士銀行,三
和銀行,三
菱銀行,住
友銀行 となってお り,こ
の中では 住友銀行 は最 も少 ない行員数であることがわかる。ところが,図 2を見 ると,事
態 は全 く逆転す る。 行員数では最 も多かった第一勧銀は,行
貝一人当た りの経常収益 では最下位 にな り,行
員数の最 も 少ない住友銀行が トップに躍 り出ている。 しか も, 2位
の富士銀行以下 を,大
きく引 き離 している ことに注 目されたい。いかに,住
友銀行では行貝一人当た りの生産性が高いかである。 図1
各銀行の行員数 23 第―勧 22 21 劉 19 18 富士 17 三和 ユG 三菱 15 住友 14千 人/
ミ
:≧
(_玉 t ■ L ・■. \ \ ″´ 'イ 1981.3 1982 3 1983.3 1984.3 卜出向人員を合む (出所)小磯彰 夫『 銀 行 は ど うな って い るのか 』 晩彗社, 1985.3 1986.3 1991年,55ペー ジ。藤田安一:住友銀行における収益性 と公共性 これを具体的な数字で見 ると
,つ
ぎの ようになる。 1985年 9月 の上期決算 における住友銀行の一人当た り預金量 は,15億
6100万円で トップであった(2位
富士銀行14億 7400万円, 3位
三菱銀行14億 1800万円)。 これを預金総量で トップの第一勧銀 表1
各銀行の利益水準の推移 1976 /_L「格差
197 /下雁
197 /上 偕 差 1977 /下「格差
197 /上雁
1978 /下戸尋雪
雑 常 利 益 友 士 要 和 勘 一 佐 宮 三 二 第 -57 -30 16 -1 34 3︲ 32 30 32 営 業 利 益 友 士 妻 和 勘 一 住 富 三 三 第 125 208 194 167 24 08 75 45 ” 当 期 利 益 友 士 交 和 勧 一 住 宿 三 三 第 観 55 52 36 42 -74 -71 -55 -61 40 49 48 33 37 一 一 一 一 57 64 63 47 50 一 一 国 際 部 門 五 士 喪 和 働 一 E 室 三 二 第 37 20 03 29 38 8 34 8 -1 3 33 15 -6 ︲9 29 00 23 40 -10 19 -4 -2ユ 132 131 ■2 127 138‐ ユ 20 5 -6 -10 11 0 -22 H 2 07 07 26 一 一 1981 /上「罵差
198 (/下)雁 1981年度
「 覇
]
198, /上雁
1981 /下)睫 1981 年度厖 雛 常 利 益 友 士 安 和 勘 一 住 吉 〓 〓 二 第 一 1 1 1,051 11029 873 743 8H 79 93 49 08 77 営 業 利 益 友 士 妻 和 勧 一 住 富 三 二 第 65 80 05 20 ︺ 87 58 59 88 58 52 38 64 08 77 63 田 64 06 “ 32 59 73 58 96 73 59 74 36 ユ,395 1,ユ12 987 764 860 当 期 利 益 友 士 菱 和 勧 一 住 富 三 三 第躙
盟
2 2 0
m
削
322 305 222 ︲92 ︲93 18 93 104 100 60 56 40 36 37 国 際 部 門 友 士 喪 和 勧 一 住 宙 〓 ご 二 第 278 259 2︲7 230 226 49 42 35 38 87 一 1 1 血 6 2 0 4 2 7 5 3 2 4 2 7鳥取大学教育地域科学部紀要 地域研究 第
1巻
第2号
(2000) 31
と比較す る と,一
人 当た り預金量 は第一勧 銀 が11億4700万 円に しか な らない。す なわち住友銀行 の 行員 は,第
一勧 銀 の行員 の なん と1.4倍 の預金量 を集 めてい る計算 になる。 つ ぎに,住
友銀行 行員 一 人 当 た りの貸 出金 を第一勧 銀 と比較す る と,1.25倍
となる。 また,一
店 (出所)サンケイ新 聞経済部 (大阪)『住友パ ヮー・ 最強部分の解 明』オ ーエス出版, 1986年,40∼41ペー ジ。 (単位 :億 円) 1979 /上 1979 1980 1980 /下 1格差 1980 格 差 /下 格 差 年 度 格 差 /上 脩 差 年 度 格 差 256 164 159 202 182 42 -149 22 -174 374 240 426 298 474 134 -52 76 -100 37 飢 26 ” 46 2 9 3 m 2 8 3 2 3 2 2 3 9 -48 10 61 54 73 69 60 53 48 47 -2 83 12 -22 11 8 39 507 佃 350 320 348 0︲ 50 3 . 76 ︲8 126 132 131 118 120 -6 -5 8 6 - 4 -53 5 -50 157 164 143 137 139 -7 14 20 18 57 64 39 33 35 -7 18 24 22出
3 2 8
2 8 2
2 7 0
2 7 4
―14 32 44 40 ユ38 138 121 139 155 0 17 -ユ ー17 ユIl l18 108 127 148 - 7 3 -16 -37 - 7 20 -17 -54 182 159 133 167 172 23 49 ヽ ︲0 184 163 100 120 134 朋 84 64 50 “ 22 33 87 06 1983 /上 19837n躍
1983 年度 隔 差 1984″上扁霰ご
1984 (/下)隔
差 198` 年度 格 差 1985 /上「格差
格 差 61 94 351 111 1,673 1,526 1,307 1,064 1,370 147 866 609 303 守 89 飢 Ы 32 58 146 66 115 1.585 1,447 1,320 11384 1,340 02 56 05 μ 29 46 197 188 73 1.501 11272 1,ユ 4ユ 920 1,110 155 129 239 H4 00 80 “ 92 04 20 94 08 96 1,074 1,126 902 1.139 9 81 131 123 85 17 116 143 142 78 73 60 弱 56 54 83 25 20 S9 20 05 80 90 鋭 68 ︲6 06 m 75 68 62 58 60 62 129 164 149 07 73 56 ■ m 34 5︲ “ 56 348 259 216 272 245 07 90 = 65 66 06 25 B 44 27 37 23 ワ 86 46 32 03 03 45 114 143 148 101 773 569 526 515 63ユ 420 336 276 352 割 84 44 68 89藤田安一:住友銀行における収益性 と公共性 舗当た りの預金についても,住 友銀行は第一勧銀の1.38倍である。しかも
,住
友銀行の一人当た り, 一店舗当たりの預貸金は,表
2に
みるように,年
々顕著に増大 していたのである。 要するに,住
友銀行の高い収益の源泉は,明
らかに行員による猛烈な労働の結果である。先に述 べたように,住
友銀行が「ノルマ銀行」 と呼ばれ,銀
行員をノルマで しば りつけて,徹
底的に働か せるというイメージが もたれている理由には,こ
うした事情がある。 図2 -人
当た りの経常利益 (継承利益/全
従業員) 12 11 10 9 8 7 6 5 4 3百万 友 士 菱 和 住 富 三 二 イ>イ
ア
一
'/
/ ′ 一 1981.3 1982.3 1983.3 1984.3 1985.3 1986.3 (出所)小
磯彰夫『銀行は どうな っているのか』晩軽社,1991年,54ペー ジ。 表2
住 友銀行 にお ける行員一人当 た り '一 店舗 当 た りの預貸金 の推移 (単位 :百 万 円) 1981.3 1982.3 1983.3 1984.3 1985.3 一人 当 り預金 1,098 1.270 1,561 一店舗当り預金 50,294 70,857 761074 83,924 97,237 一 人 当 り貸 出 i029 一店 舗 当 り貸 出 401372 47,034 50,629 55,078 (出所)銀行 時評 社編『 住友銀行 の強 さ』銀 行 時評社,1986年 ,46ペー ジ。鳥取大学教育地域科学部紀要 地域研究 第
1巻
第2号 (2000) 33
Ⅳ
住友銀行による平和相互銀行の吸収合併 と収益至上主義路線の強化
つ ぎに,1980年
代 における住友銀行 の収益至上主義路線 を一層強化する画期 となった,平
和 相互 銀行 の吸Jえ合併 をみてお こう。 経営の悪化 と内紛が重 なって自主再建 を断念 した平和相互銀行 を,住
友銀行 は1986年に吸収合併 した。 この合併が,住
友銀行 にもた らすデメリッ トは,言
うまで もな く平和相互銀行が負 っていた 1800億にのぼる多額の負債であるが,他
方,住
友銀行 に もた らすメ リッ トは,こ
のデメ リッ トを超 えてはるかに大 きい ように思 えた。す なわち,平
和相互銀行 は首都 圏に103もの店舗 をもち,中
小 企業や個人市場 を中心 とした リテール部門に強かったので,平
和相互銀行 の営業基盤 を引 き継 ぐこ とは,住
友銀行 にとって非常 に大 きな魅力であった(131。 この魅力 を生かすため,住
友銀行 は平和相互銀行合併 による収益 の落ち込みを短期 間で回復 し, 再 び収益 ナ ンバーワン銀行 に返 り咲 くべ き,収
益至上主義路線 を強化 してい くことになる。時 にバ ブル経済期の真 っただ中,こ
れが後 に,銀
行 の犯罪行為 として断罪 される種 をま くことになる。バ ブル当時,住
友銀行 は,飽
くことな く不動産や株式 を利用 して,地
上 げ屋や仕手筋 にさえ莫大 な融 資 を行 っていった。その ような行為 さえも許 される当時の住友銀行 内の雰囲気 を,1990年
不正融資 仲介事件で逮捕 された住友銀行元青葉台支店長 ・山下彰則 は,実
に印象的に自らの告 白書 の中で, つ ぎの ように述べている。少 し引用が長 くなるが,非
常 に興味深い内容 なので紹介 してお こう。 「私が銀座支店 に転勤 してい く昭和61年の頃 とい うのは,住
友銀行が2つのことが きっかけで, その業務姿勢 を大幅 に変 えてい く時期 で した。 そのひとつは,平
和相互銀行 との合併であ り,も
うひとつは,BIS規
制が 日本で も実施 に移 さ れることが決 まったことです。 平和相互銀行 の合併 は,都
心 に一度 に103店舗 も支店が誕生す ることで,団
塊の世代 といわれる 私たち以降の入行年次の職員 には,支
店長昇進のチ ャンスが広が るとい う意味で大歓迎だったので すが,一
方で,平
和相互銀行のかかえる不良債権 の額が事前調査以上 に大 きく,こ
のままでい くと 相当足 を引 っ張 られることになるとい う危機感か ら,そ
れの償却のための収益 をかな り稼 ぎ出す必 要があるとい うことがあ りました。 もう一つのBIS規
制 については,1991年
までに,銀
行の 自己資本比率 を7.25%に
しなければな らない とい う,大
蔵省か らの至上命令で した。 当時の 日本 の銀行の 自己資本比率は,土
地 とか株式の含みに負 うところが大 きかったので,ほ
と んど軒並みせいぜい5%ぐ
らい とい うレベルで,あ
と4∼ 5年
で7.250/0にするなど,
とて も実現不 可能だ と思われてい ました。 ところが,住
友銀行 はこのことが契機で収益至上主義 を打 ち出 し,こ
れ も良 く引用 された磯 田会 長の『向 こう傷 は問わない』 とい う言葉 に象徴 されるような積極 的な営業施策 を展開 してい きまし た。,
平和相互銀行 との合併で,収
益 トップの座 を降 りた住友銀行が,『3年
で トップに返 り咲 く』 を, スローガンにモーレツな収益重視の施策 を繰 り広げてい くのです。」Q④ さらに,限
界利益 とい う言葉 をつかって反社会 的行為 を行 っていった実態が,つ
ぎの ように生 々 しく述べ られている。 「Y支
店長 はさらに『限界利益』 とい う概念 を,よ
く会議 などでわれわれに説いてい ま した。藤田安一 :住友銀行 における収益性 と公共性 『限界利益』 というのは
,銀
行ができるぎりぎりの線で,法
律 にふれない限 り,思
いっ切った営業 をおこなうことにより,
より大 きな収益機会 を得ることができる, という考え方です。 いってみれば 層収益のためならば,な
んでもよい』 という考え方に近い考え方 といえます。 今,考
えれば常識外 ということで しょうが,そ
のころはこの考え方が常識で,私
も疑念す ら持ち ませんで した。…… ある支店長は,不
動産の仲介 をしてその手数料 をノンバ ンクからの協力預金 という形で手に入れ たり,あ
る支店長は,ゴ
ルフ会貝権の販売をして,そ
の手数料 をおなじようにして稼いだ り,あ
る 支店長は相続税対策 と称 して,
リスクの高い変額朱険 とローンを組み合わせて,保
険の販売 をし, その手数料 として,保
険会社か ら,収
益 を稼いだ りしてきたのです。」(lD こうしたバブル期の銀行行動が,バ
ブルの崩壊 とともに表面化する各種の金融 トラブルを引 き起 こした。銀行が顧客に十分な説明もしないで土地や株,ゴ
ルフの会員権などをすすめ,そ
の資金 を 融資 したが,そ
の後の地価や株価の暴落,ゴ
ルフ場の倒産によつて,顧
客が銀行へ資金の返却がで きなくなったケースが続出した。なかでも,裁
判に持ち込まれたケースで最 も多かったのが,変
額 保険をめ ぐる トラブルであ り,そ
の後,全
国で600件にもおよぶ裁判がおこされている。 この変額保険とは,も
っぱら株式によって運用 される保険商品で,従
来の定額保険 とは違い,死
亡時の最低保障こそあるものの,生
命保険会社の運用が うまくいかず損失が出れば,そ
れは全額加 入者の損失とされる。いわば,変
額保険は保険 とは名ばか りで,む
しろ証券投資信託商品と類似性 をもち,極
めてリスクの高い商品である。 このような性格をもった変額保険を,バ ブル経済期に銀行員がそのリスクの説明も不十分なまま, 顧客に「相続税対策になるか ら」 と勧めて加入 させたのである。その際,顧
客は保険料 を一括 して 保険会社 に払い込むために,多
額の金 を銀行か ら借 りるのだが,そ
の際にも銀行員は,「いま保険 の運用成績が よいので,そ
の解約返戻金で銀行か らの借入金 を返済すればよい」 ともちかける。そ の言葉を信 じて加入 したものの,そ
の後の株価の値下が りによって保険の運用成績は落ち込み,期
待 した解約返戻金は少なく銀行への返済ができな くなって しまったのである。 表3
住友銀行における主要勘定残高の推移 (億 円) 19843 1985 3 1986.3 3 1988.3 1989.3 全 店 預 金 譲渡性預金 貸 出 金 有 価 証 券 177,544 13,802 1251577 25,182 207,151 17,466 148,108 25,931 210,938 14,147 158,977 27,731 260,610 17,224 198,121 33.689 305,420 20,094 226,109 40,651 359,990 26,672 257,300 46,870 国 内 店 預金 譲渡性 預金 貸 出 金 121,547 4,848 106,940 129,880 5,897 121,289 145,586 6,072 139,122 173,964 5,454 173,903 199,025 8,523 197,018 208,044 8,290 218,757 (注)『金融財政事情』各号よ り作成。
鳥取大学教育地域科学部紀要 地域研究 第
1巻
第2号
(2000) 35
表4
住友銀行における各種利益額の推移 (注)『金融財 政 事 情』 各号 よ り作成 。 表5
都 市 銀 行13行にお ける利 益 の 内容 (1989年 3月期) (億 円, %) 経 常 利 益 営 業 利 益 有証 関係 損益 当 期 利 益 友 業 士 菱 和 海 井 戸 和 玉 和 銀 銀 勧 神 一 陽 住 第 富 三 二 東 三 大 協 埼 大 拓 東 4,167( 44.4) 3,874( 31.3) 3,935( 38.5) 3,557( 26.0) 3,283( 24.2) 1,418(△ 7.9) 1,724( 0,9) 1,164( 31.4) 785( 10.4) 754( 42.4) 886( 6.6) 442( 25。 9) 1,022( 16.2) 2 1 1 1 1 690( 54.6) 541(△ ■.1) 721(△13,9) 581( 1.3) 703(△ 5.4) 972(△ 17.3) 982(△ 38.2) 622(△ 7.5) 512(△12.0) 454( 10.4) G83(△12.1) 225( 44.3) 805( 5 9) 1 2 2 1 1 477( 28.9) 333( 91.6) 214( 162.8) 976( 56.5) 580( 87.4) 446( 22.5) 742( 527 1) 542( 153.2) 273( 110.0) 300(152.9) 203( 275。 9) 217( 10.7) 217( 80.1) 1,983( 78.3) 1,797( 34.9) i719( 34.3) と,673( 38.3) と,555( 35.8) 001( 20.1) 794( 30.3) 535( 29.6) 360( 7.0) 290( 20。 7) 390( 11.3) 187( 18.2) 592( 16.0) 計 ︿ □ 27,018( 25.2) 14,498(∠低 3.1) 12,520( 89.0) 12,481( 35.6) (注)( )内
は対前年度増減率 (%) (出所)『金融財政事情』1989年6月26日号。 ともあれ,先
の引用か ら,猛
烈な収益至上主義のもとで,法
律 にひっかか らなければ何をしても 良いという雰囲気が,い
かに住友銀行 に広がっていたかがわかる。その結果 として,住
友銀行は平 和相互銀行の合併からわずか3年
で,再
び収益ナンバーワン銀行 に返 り咲いたのである。 この間の事情を,住
友銀行の主要勘定 と収益力の推移 によってみておこう。 まず,住
友銀行の主要勘定は,表
3か
らわかるように,1986年
10月の平和相互銀行の吸収合併に よつて,1987年
3月以降,預
金および貸出金 とも大幅に増大 している。 しか し,住
友銀行の収益力 は,表
4に みるように,各 種利益 とも1987年 3月 には,そ
れまでの都銀の トップから)贋位 を下げた。 (億 円, %) 1982.3 1984,3 1985.3 1986.3 1987.3 1988.3 1989,3 経 常 利 益 営 業 利 益 有価証券関係損益 当 期 利 益 1,051① l,673① l,584① l,572① l,81l④ 2,885② 4,167① l,052① と,501① l,349① l1340① l,770② l,739② 2,690① ∠ゝ1 172 235 231 41 1,146 1,477 556① 783① 750① 819①574⑤
l,■2⑤ l,983①藤 田安一 :住 友銀行 における収益性 と公共性 経済利益 は
4位
に,営
業利益 は2位
に,当
期利益 は5位
へ と大 きく転落 した。その理由は,言
うま で もな く平和相互銀行 の合併 によって累積債務の償却 を行 ったことによる。 しか し,同 じく表4お
よび表5か
ら明 らかなように,それか らわずか3年
後の1989年 3月 期 には, 経常利益,営
業利益,当
期利益 のいずれ も1位
になった。 これによつて,住
友銀行 は銀行の3つの 主要利益 指標の「三冠王」 に輝 いたのである。V
住友銀行にお ける収益
f性と公共性
しか し,住
友銀行 にとって,そ
の代償 はあま りにも大 きかった。住友銀行 は「イ トマ ン事件Jや
元青葉台支店長 による出資法違反事件 など社会的犯罪 を引 き起 こし,ま
た莫大 な不良債権 を生 むこ とによって,公
共性の高い金融 システムを混乱 させ た。その住友銀行の社会 的責任 は大 きい。 なるほど,そ
のつ ど責任 をとって会長や頭取 など経営者の交代 は行 われ,ま
た組織の改革 に手は つけ られたが,問
題は,そ
の責任 を真 に自覚 し,
どれほど深刻 に反省 を し再 ス ター トしているか と い うことである。残念 なが ら,こ
の点で心 もとなさを印象づけたのが,つ
ぎの ような1998年 6月 に 住宅金融債権管理機構 によって起 こされた「住友銀行の紹介責任訴訟」 での,住
友銀行側 の対応で あった。 住宅金融債権管理機構が,住
友銀行 を相手 に,同
銀行が不正 な融資紹介で旧住専 に損害 を与 えた として,総
額48億 3300万円の損害 を住友銀行 に求める訴訟 を東京地裁 に起 こ したのである。 この場 合の訴訟 は,銀
行 に対す る責任の うち,銀
行が住専 の母体行 として,住
専7社
に業績の悪化 した取 引先 を紹介 し,融
資 を肩代 わ りさせたことによって,住
専 に多額の損害 を与 えた,い
わゆる紹介責 任 を問 うたものである。住宅金融債権管理機構が紹介責任 を追求で きる条件 をリス トア ップ した と ころ,134件
の うち住友銀行が なん と72件と,他
の母体行 と比較 してだんぜ ん突 出 した多 さであっ た。 この72件のうち,提
訴 に踏み きったのは,住
友銀行が借 り主 を紹介 し住専2社
に融資 させた最 も 悪質な,つ
ぎの3件
のケースであった。 1つ目は,住
友銀行青葉台支店が,株
の仕手集団「東洋商事」 に転貸 されることを隠 して,旧
住 専 の地銀生保住宅 ローンに融資先 として顧客の歯科 医を紹介 したケース。青葉台支店 は,同
時期 に やは り株 の仕手集団「光進」 などにも不正 な融資媒介 をして,支
店長が出資法違反で逮捕 されてい る。その責任 を取 つて,住
友銀行では当時の磯 田一郎会長が辞任 した。2つ
目は,岐
阜支店が,マ
ンシ ョンを建てる眼鏡 ・貴金属店の経営者への融資 を,旧
住専 の「住 総Jに
媒介 したケース。 この件では,支
店長 自ら住総 に嘘 をついて,資
金需要者 には返済能力があ るとする虚偽の内容の文書 を作成,交
付 した。 3つ 目は,京
都支店が,あ
る会社 の リゾー トホテルの事業のために,地
銀生保住宅 ロー ンに融資 紹介 したケース。資金需要者の劣悪 な財務状況 を正確 に説明せず,却
ってその事業力可慣調であるか の ように紹介 した。0。 1998年 7月 の第1回口頭弁論 において,住
宅金融債権管理機構社長 ・中坊公平 氏 は,次
の ように 住友銀行 を批判 した。 「この裁判 は住友銀行 の損害賠償責任 のみを聞 うものではない。わが国の主要 な金融機 関の経営 者が銀行 の公共的責務 について どのような認識 を持 っているか を明 らかに し,認
識 を改めて もらわ なければならない。」(1の鳥取大学教育地域科学部紀要 地域研究 第
1巻
第2号 (2000) 37
これに対 して住友銀行側 は,そ
の翌月,準
備書面で「訴訟 によってモラルを聞 うとい うのは独 自 の思い込みである。裁判所 はモ ラルを問 う場所 ではない。その ような声 を押 し通そ うとす るのは司 法界の偉大 な先人の言われた『世間の雑音』である」 と反論 した(181。 そ して,住
友銀行側 の主張 は終始一貫 して,「当行 と住専 の間は私人間の契約 だか ら,契
約の 自 由の原則があ り,当
事者が納得 した以上は何 も問題 はない」 住の とするものであった。 中坊氏 は,こ
うした住友銀行 の姑応 について,つ
ぎの ように述べている。 「金融界が 自らの行動 にけ じめをつけようとい う姿勢 は全 く感 じられない。 これは怖 い状態だ と 思 う。 この点 を無視 してブリッジバ ンク (つな ぎ銀行)な
どを作 って大文夫だろうか。銀行経営者 が,銀
行の持つ公共性 を建前 としなが ら,本
音 の ところでは法律 に違反 しなければ何 を して もいい との経営 を して きたことは,日
本社会 の不透明性 を象徴する。そ うした本音 と建前 の使 い分 けが, この国を閉塞 (へいそ く)さ
せている最大の原因だ。」 は0 この ように中坊氏 は,反
社会的行為 を犯 して も開 き直 る銀行 の本音 と,た
えず口さきだけでは社 会的責任 を重 ん じる銀行の建前 との使 い分けを厳 しく批判 した。 念 のために,住
友銀行 の経営理念 ⑫りをみる と,つ
ぎの ようになっている。そこには,住
友銀行 の公共性が端的に表明 されている。 「住友銀行 は,質
の高い金融サービスの提供 によ り,お
客 さまの信頼 にこたえるとともに,健
全 な事業の伸長 を通 じて広 く内外社会の発展 に貢献す る。 このため, 第1に,信
用 と社会的責任 を重ん じ,健
全 な経営 を行 う。 第2に,先
進性,独
自性,合
理性 を重視 し,進
取の経営 を行 う。 第3に,お
客 さま本位の経営 を行 う。 第4に,人
間尊重の精神 に則 り,自
由闊達 な行風 を創 る。 第5に,高
い見識 と専 門性 を備 えた,清
廉 な人材 を育成する。」OD このわずか数行 にも満たない経営理念のなか に,「社会的責任 を重 んずる経営」「お客 さま本位の 経営」「人間尊重 の精神」「高い見識」など,ふんだんに耳 ざわ りの良い言葉が散 りばめ られている。 それだけに,住
友銀行 に研究の光 を当てれば当てるほ ど,私
たちは住友銀行が 自らかかげる理念 (公共性)と
その実態 (収益性)と
のズ レを痛感せ ざるをえない。事実,先
に述べ た紹介責任訴訟 において,住
友銀行が示 した態度で注 目すべ きことは,い
つ も公共性 を日 ぐせの ように唱 え,金
融 機 関の社会的責任 をアピール している住友銀行が,収
益性 を向上 させるためには最低 限の社会的責 任す ら感 じていない とい うことが明 らかになった点であろう。 こうした住友銀行の姿勢が改め られない限 り,サ
ウン ド・バ ンクとして国民か ら信頼 される銀行 への再生はあ りえない。Ⅵ
公共性 を優先 した銀行経営ヘ
とくに銀行が,高
い公共性 と強い社会的責任。働を自覚 した経営 を行なわなければならない理由 は,つ
ぎのように考えられる。 銀行は他の私企業に比べて,一
方でその預金の受け入れ業務 によって,不
特定多数の国民 に貯蓄 手段 を提供 し,他
方,貸
出し業務によって,多
くの経済主体 に射 して重要な資金の供給 を行 ない, 総 じて,資
金の供給者 と需要者 との間の円滑な資金移動を可能にし,一
国の生産および消費の規模 と方向を決定 している。 したがって,い
ったん銀行のこうした公共性が失われる事態がお きると,藤田安一:住友銀行 における収益性 と公共性 たちどころに
,金
融 ・通貨 システムに対す る信用 を失墜 させ,社
会経済全体の混乱へ と発展す る。 こうした事例 は,1920年
代末か ら30年代初頭 におけるアメ リカや昭和初期のわが国の金融恐慌 をは じめ,多
くの歴史的経験が示す ところである。 さらに,現在 の銀行 をとりま く金融 自由化 ・国際化の進展 にともなって,銀行間の競争 は激化 し, 資金調達 コス トの上昇が もた らされ,収
益 面での余裕 を狭 め不確実性 の リスクが大 きくなるため, 銀行はます ますその公共性 を発揮する基盤 を弱めるであろう。 しか も,そ
のことは銀行の国民経済 への影響力 を低めるどころか,ま
す ます増大す る過程 のなかでお きるため,銀
行の行動 と国民経済 とのコンフリク ト(矛盾)を
強めざるをえない。 今後の銀行 は,そ
の規模 の拡大 と業務の多様化 によって,好
む と好 まざるとにかかわ らず,社
会 に与 える影響力の増大 はさけ られないのである。国民経済 を動か し続 ける資金循環のなかで,銀
行 の占める地位 は, もはや不可欠 とい う以外 にない。その要因は,つ
ぎの諸点に求めることがで きよ う。 第1に,金
融機関に対す る国民のニーズの増大 と多様化である。 かつてのように国民 は,虎
の子の預金 を預 け,主
にその預金保護 を銀行 に期待 しているだけでな く,現
在,所
得や貯蓄や消費が量的に増大 し,ま
た多様化 してい くなかで,銀
行 にはそれ に対応す る良質な金融サー ビスの提供 を求めている。 1960年代 の後半 にはい り,IC(集
積 回路)を
用いた第3世
代 の コンピューターが登場す るや,大
銀行 は競 ってこれを導入 し,預
金・内国為替業務 を中心 に,コ
ンピュー ター と営業店の端末機 を通 信回線で直結 して即時処理するオンライン・システムヘ と移行 していった。 こうしたオ ンライ ン化 によって,営
業店の後方事務の集中化がすすみ,そ
れだけ事務セ ンター等の事務集中部門のウエイ トが人的 にも機能的にも高 まるに至 った。そ して,オ
ンライン化 による労働生産性の上昇 と事務処 理 コス トの低減 は,ど
の支店で も入出金が可能なネ ッ ト・サービス預金や総合 口座,給
与振込みお よび公共料金の 自動振替 え,ク
レジッ ト・カー ド等 々の新 たな商品 ・サービスの供給 を可能に し, 銀行業務の「大衆化」「多様化」 を促進 させ た。 第2に
,産
業構造の転換 にともなう企業の金融機 関への要請である。 高度経済成長 を支 えた重化学工業の過剰設備や原油高 による石油多消費型の素材産業 な どの急激 な競争力低下は,1970年
代後半以降,わ
が国の産業構造の転換 を促 した基本的要因であつた。大企 業の「滅量経営」 に伴 ってすすめ られた,い
わゆる重厚長大型産業構造か ら半導体,集
積 回路,LS
I(大
規模集積 回路,Large Sctte llltcgration),マ イクロ・ コンピューターなどの先端技術 産業への 転換である。企業は新 たな産業分野開拓のための金融支援 を金融機関に求める一方で,企
業 は 自ら の高蓄積 と80年代 の金融の 自由化 。国際化 によつて調達 した過剰資本の運用先 を確保するため,金
融機関に対 して各種の金融商品の開発 を求め,資
本 の「証券化」 を要請 していった。 第3に
,国
際化の進展 に対する金融機関の対応である。 日本企業の急速 な海外進出に伴 う多国籍企業化の進展 は,銀
行の活動領域 を大幅に拡大 しつつあ る。 さらに,非
居住者の対 日投資の自由化 による外資の導入,クト為法改正 にともなう海外 か らの資 金調達の 自由化 による大量の外貨の流入 など,外
為法改正 を契機 とした国際化が多様 な形態で進行 している。当然 なが ら,こ
れ らは日本の金融機関に国際金融市場 と外 国金融機関 との恒常的な接触 を余儀 な くさせ,時
に国際的金融摩擦 を引 き起 こす ことは避け られない。そのたびに,わ
が国の銀 行はその経営理念 と行動規範の見直 しを迫 られることになるであろう。 ともあれ,現
在み られ ように,金
融の 自由化 。国際化が急速 に進展す ることによって, ます ます鳥取大学教 育地域科学部紀要 地域研 究 第
1巻
第2号 (2000) 39
銀行業務が国内外の諸団体 ・諸個人 との結 びつ きを強め,文
字 どお リグローバルな展開を示す と, その影響 は広範囲にお よび,各
国の金融 システムに重大 な結果 を招 くことになる。だか らこそ,銀
行 にとって公共性 を確保することは,他
の私企業のそれ以上 に重要 な意味をもっている。現代 にお ける銀行の社会的責任 とは,ま
さにその ような銀行 の公共性の 自覚 に基づいていると言 えよう。 それにもかかわ らず,本
稿で考察の対象 に した住友銀行 に代表 されるわが国の銀行が,相
変 わ ら ず収益至上主義的経営姿勢 を示 し,公
共性の 自覚 に著 しく欠けていることは,バ
ブル期 の教訓 を無 視 した由々 しき事態であると言わなければな らない。 お わ り に 本稿のはじめで述べたように,以
上の考察は,住
友銀行にとどまらず,都
銀をはじめその他の金 融機関にもあてはまる。ただ,住
友銀行が1980∼ 90年代のわが国の銀行 を代表する存在であったが ゆえに,分
析の素材 として名ざしで取 りあげたにす ぎない。住友銀行の問題は,多
かれ少なかれわ が国の金融機関に共通する問題なのである。終わりにあたって,そ
うした金融機関に対する私から のメッセージを要約 して,本
稿の結びとしよう。′ 歴史は過 ぎ去ってい くのではなく
,積
み重なってい くものである。一― とするならば,歴
史か ら 何 を学び現在 に生かすのかが重要 となる。それなのに,わ
ずか10数年前のバブル期のことす ら,忘
れられようとしている。その証拠に,都
銀などわが国の大銀行が,バ
ブル期において, もっぱら自 らの収益 を追求 したあまり,国
民経済に多大な損害 を与えたことす ら忘れ,今
でも,い
やそれ以上 に,国
際競争力の強化 をスローガンに収益至上主義的路線 を突っ走 っている。 さらに,銀
行に自己責任意識が欠けていたことが,バ
ブル期の放浸な銀行経営をもたらしたにも かかわらず,今
でも自己責任意識を強めるどころか,逆
に政府に莫大な公的資金の投入 を依頼 し, 唯諾々とそれを受けとる。こうした銀行の姿 をみて,そ
の自己中心性 といい,他
者依存性 といい, これでは,い
つまでたってもわが国の銀行が,金
融システムの公共性 を担いうる金融機関へ と再生 できないと感 じているのは,私
一人ではないであろう。 では,わ
が国の金融機関が再生するためには,何
が必要なのか。まずなによりも,銀
行はバブル 経済期 に行った自らの行動を反省 し,そ
こから今後の教訓を真攀に学びとらなければならないであ ろう。その教訓 とは何か。 バブルが崩壊するまで,わ
が国の銀行は,確
固 としたある確信 を持っていた。その確信 とは,銀
行が獲得する収益が多ければ多いほど,そ
の銀行は,よ
り公共的役割 を果たしていることになる, というものである。収益性が自動的に公共性へ と結びつ く。いわば,収
益性 と公共性 との自然調和 論である。この考えが,な
かば絶対視 されて,
日本の銀行経営者に信仰 されてきた。 しか し,こ
の 確信が大 きく揺 らぐきっかけとなった出来事 こそ,バ
ブル経済であった。 バブル経済期の銀行行動が如実に示 したことは,資
金の配分を銀行の収益性にのみ委ねることは, 膨大な不良債権 を生み金融システムを混乱 させたように,社
会的には資金の適正配分を攪乱する要 因となる,
ということである。 しかも,こ
のバブルの過程で国民が見たものは,小
日投資家 を犠牲 にした大口投資家への損失補填や,暴
力団と癒着 した株の仕手戦での株価つ り上げのための銀行融 資 という,利
益相反の典型例であった。こうした行為が,
しいては銀行 自身にも負の遺産 として重 くの しかか り,現
在 に至っても,ま
だ80兆円⑭ にのぼる巨額な不良債権の未償却問題 となって, 資金の適正な社会的配分を防げているのである。藤田安一 :住友銀行 における収益性 と公共性 つまり
,バ
ブル経済期の経験が私達に教えたことは,銀
行の経営は,銀
行 自身の収益性 よりも公 共性 を,ま
ず最優先に考えて運用 されなければならず,そ
うしてはじめて,銀
行の収益性 も達成で きるということである。公共性が保障されてはじめて,銀
行 自身の収益性が達成できるのであって, その逆ではないことに注意 しなければならない。 江(1)ゲ
ーテ『ファウス ト』井上正蔵他訳『世界文学全集』第7巻,集
英社,1976年,38ページ。(2)ち
なみに,住
友グループ内における同系金融機関の融資比率は,1974年 3月末現在で3113%と
なっ てお り,三
菱系の29%や三井系の21%に比べて高い比率を示 している。詳 しくは,作
道洋太郎編『住友 財閥史』教育社,1979年 ,190∼193ページ参照。(3)住
友グループの社長会である白水会の呼び名は,住
友家が「泉屋」 と号 して銅商をはじめたことに由 来 し,「泉」 を上下に分けて「白水」 としたものである。この白水会は,現
役社長以外の代理出席は認 めないという厳 しいもので,他
の財閥系の社長会に比べて, もっとも積極的に活動 しその統制力 も強い といわれている。(4)詳
しくは,作
道洋太郎編『住友財閥史』教育社,1979年 ,195∼196ページ参照。(5)こ
の住友の外延的拡張政策については,作
道洋太郎編『住友財閥史』教育社,1979年 ,199∼200ペー ジ参照。(6)詳
しくは,住
友銀行行史編纂委員会『住友銀行百年史』1998年,405∼408ページおよび成田修身『住 友銀行・野村證券』大月書店,1991年 ,46∼48ページ参照。(7)『
日経ビジネス』1986年10月 13日号,24ページ。(8)梶
原一明『住友銀行経営会議』講談社,1984年,268ページ。(9)住
友銀行における本部制組織の内容およびその問題′点を分析したものとして,藤
田安一「現代金融機 関の経営組織に関する一考察―-1980∼90年代の住友銀行を素材にして一下J(『鳥取大学教育地域科学 部紀要』第 1巻 第2号,2000年 2月)が
ある。 (10)安 宅産業の経営破綻およびその処理と住友銀行 とのかかわ りについては,前
掲『住友銀行百年史』 389∼398ページ参照。 (11)前掲『住友銀行百年史』408ページ。 (12)同上,426ページ。 (13)住 友銀行による平和相互銀行の吸収合併については,前
掲『住友銀行百年史』527∼537ページ参照。 (14)山下彰則『住友銀行支店長の告白』あっぷる出版社,1995年 ,62∼63ページ。 (15)同上,65ページ,75ページ。 (16)中坊公平「住友銀行にモラルはない」『文芸春秋』1998年10月号,203ページ。 (17)中坊公平「銀行経営者のモラル欠如――それは必ず第二の住専問題を引 き起 こす――」『日本の論点 '99』 1999年,187ペ ージ。 (18)同上。 (19)前掲「住友銀行にモラルはない」『文芸春秋』205ページ。 (20)『 日本経済新聞』1998年 7月25日。 (21)社会経済生産性本部編『社是,社訓』生産性出版,1998年 ,156ペ ージ。 (22)も ともと住友には,そ
の家祖である住友政友が晩年の書状「旨遺書」に記 した「確実を旨とし,浮
利 に走 らず」 という商売人の心得がある。この政友の精神は,1882(明
治15)年制定の住友家の家法に受 けつがれ,1891(明
治24)年に「営業の要旨」 として,つ
ぎのような2箇条にまとめられた。世に言 う 住友精神である。鳥取大学教育地域科学部紀要 地域研究 第