• 検索結果がありません。

武蔵野の地と知を学ぶ : 「ESD成践フオーラム2017」開催記録

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "武蔵野の地と知を学ぶ : 「ESD成践フオーラム2017」開催記録"

Copied!
8
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

(活 動 報 告)

武 蔵 野 の 地 と知 を 学 ぶ

一rESD成

践 フ オ ー ラ ム2017」

開 催 記 録 一

小 田 宏 信*1,小 森 次 郎*2,財 城 真 寿 美*3,池 上 敦 子*4

Keywords

Proceedings of the ESD Seikei Forum 2017:

Learning Land Formation of the Musashino Plateau

Hironobu ODA *1, Jiro KOMORI * 2, Masumi ZAIKI * 3, Atsuko IKEGAMI * 4

: ESD, Seikei Gakuen, the Musashino Plateau, fluvial cliff

(Received May 31, 2017)

1.開 催 概 要

lAc td4U 6 0) 61) 0) (ESD , Education for

Sustainable Development) , Afh

1a11ICLI y, 2016 3 A 26

qbrESD7 A-- '7- J2016 RAW)

-J~L~~~~^I~~~TL~~o~co~aTTz,

2016 4A tiLI*-4091 qM:I-DZESDfi7t`~

H(~:

}}~~~^~—('(%!~)hhT~J

a~~616/yyt o *fat, I=J7 '^S%~~`—J~Oi

fikr=1-DZ 2017`4 A (:-nfil'LILESD7A---7

2o 2017 0)pE 'Zk6.

Q0)71--- 5' M2

Af~ (2P.) 7>4A 2 H (H), /3 AfS ('~~ `— ^%l~

*1:成 膜 大 学 経 済 学 部 教 授 *2・ 帝 京 平 成 大 学 現 代 ラ イ フ 学 部 講 師 *3:成 膜 大 学 経 済 学 部 准 教 授 *4:理 工 学 部 情 報 科 学 科 教 授(atsuko@st .seikei.ac.jp) 一)が4月15日(土)で あ っ た。4H2日 は,成 膜 学 園 各 校 の 同 窓会 組 織 で あ る成 膜 会 主催 に よ る成 膜桜 祭 の 開 催 日で あ り,例 年,多 数 の 卒 業 生や 市 民 が 来校 す る。 桜 祭 の 開催 日に本 フ ォ ー ラム の 開催 を重 ね た結 果,第1部, 第2部 は100名 を越 す 来 場者 を数 えた。 ま た,第3部 は 定員 を設 け た事 前 申 し込 み制 と し,27名(開 催 関係 者 を 含 む)の 参 加 を み た。 参 加 者 の顔 ぶれ は,各 校 の在 校 生 ・在 学 生 とそ の 父 母, 卒 業 生,市 民(市 外 を含 む),本 学(学 園)教 職 員,学 会 関係 者 と多様 で あ り,本 学 園 の 関係 者 に とっ て の 自己認 識 の機 会 で あ る と と もに 多様 な バ ッ ク グ ラ ウ ン ドの 方 々 が 交流 で き る場 に した い とい う,当 初 の ね らい が 達 成 さ れ た と も言 え る。 表1に,4月2日 の プ ロ グ ラム と タイ ム テ ー ブ ル を示 す 。 冒頭 で小 田 よ り趣 旨説 明 を行 っ た後,第1部 は 昨 年 と同様,「持 続 可 能 な 社 会 づ く りの た め の 成 膜 学 園 の 学 び 」 と し,各 校 のESD的 取 り組 み を紹 介 し合 う場 と した。 後 半 の第2部 は,「 武 蔵 野 の 「地 」の 成 り立 ち を知 る」 と し て,地 質 学 者 で もあ り地理 学者 で もあ る小森 次 郎 氏 に 講 演 い た だ い た。 私 た ち の 生活 の 舞 台 で あ る武蔵 野 台 地 の 成 り立 ち に つ い て知 ろ う とい うの が趣 旨で あ っ た。ま た, 第3部 の ウォ ー キ ン グツ ア ー は,講 演 内容 を踏 ま えて, や は り小 森 次 郎 氏 を案 内役 に武 蔵 野 台 地 の武 蔵 野 面 と立 川 面 の境 界 を なす 国分 寺崖 線 を 西 国 分 寺 駅 付 近 か ら国 分 寺駅 付 近 ま で を 歩 い て,景 観 の 中に 地形 形 成 の歴 史 とそ の舞 台 の 上 で の 人 間 に よ る土 地利 用 の 営 み を 学 ん だ。 以 下 で は,前 半 で 第1部 の 各 報 告 の概 略 を紹 介 し,後 半 に は,講 師 ・案 内役 を お 引 き 受 け 下 さっ た 小森 次 郎 氏

(2)

の 寄 稿 に よ り,第2部(講 演),第3部(ウ ォ ー キ ン グ ツ ア ー)の 要 旨 と ね ら い を 収 め た 。 2.第1部 の 報 告 概 要 「第1部 持続 可 能 な 社 会 づ く りの た めの 成 瞑 学 園 の 学 び 」 で は,最 初 に 成 膜 小 学 校 教 務 部 主 任 の 林 田真 治 教 諭 か ら小 学校4年 生 の 「夏 の 学 校 」 に お け る取 り組 み に つ い て 紹 介 が あ っ た。 「夏 の 学校 」 は,成 膜 小 学 校 お よび 成 瞑 中学 校 を特 色 づ け る行 事 で あ り,① 自分 自身 の 生 活 を き りひ らい て い く姿 勢 ② 教 師 と子 ど もの 生 の 人 間 と して の 付 き合 い, ③ 教 室 で の 子 ど も と違 う新 しい 面 の 発 見,④ 子 ど も と子 ど も,子 ど も と 自然 の 深 い 触 れ 合 い,⑤ 集 中的 な 指 導 の 可 能性 と心 身 の鍛 錬,⑥ 総 合 的 な 生 きた 学 習 を行 え る こ と,の6点 を ね らい に 開催 され て い る伝 統 の あ る取 り組 み で あ る2)。 小 学校 の 「夏 の 学 校 」 は,1∼3年 生 を学 園 寮 の あ る 箱 根 で,4年 生 を房 総 白浜(南 房 総 市),5年 生 を志 賀 高 原,6年 生 を岩 井海 岸(南 房 総 市)で 実 施 して い る。4 年 生,6年 生 と もに 南房 総 で あ るが,6年 生 が 水 泳 訓 練 を 主 体 とす るの に 対 し,4年 生 の 夏 の 学 校 は4泊5日 の 日程 で海 辺 の 自然 観 察 を じっ く り と時 間 をか けて行 うと ころ に特 色 が あ る。 そ の柱 は,磯 の 生物 の採 集 と観 察, 海 浜 植 物 の体 験,地 引 き網 漁 体 験,塩 づ く り体 験,地 層 見学,潮 干 狩 りな どで あ る。 これ らは,林 田氏 い わ く, 日常生 活 で 自然 環 境 に接 す る機 会 が少 な い 子 供 た ちが, 潮 の満 ち 引 き と波 の エネ ル ギ ー,砂 浜 の 変 化 の な か に 身 を お き な が ら,子 供 た ち の しなや か な感 性 を 自然 の な か に解 放 す る営 み で あ る とい う。 2番 目は,「 中学2年 夏 の学 校 ・膜 祭 学 年 展 委 員 」で あ っ た 中学3年 生4名 が 登壇 し,ハ ンセ ン病 学 習 の 報 告 を 行 っ た。 同報 告 に よれ ば,志 賀 高原 で の 「夏 の 学校 」 の 日程 中,ハ ン セ ン病 療 養 所 「栗 生 楽 泉 園 」 の 見 学 に備 え て 中学1年 の3月 か ら開 始 され た 事 前 学 習 と,見 学 後, 10月 初 旬 の膜 祭(中 高 の 文 化 祭 の名 称)で の 展 示 に 至 る 約8ヶ 月 に お よぶ 学 習活 動 が行 わ れ た。 準備 段 階 で は, 課 題 図書 に対 す る感 想 文 の提 出,多 磨 全 生 園 の 見 学,ハ ンセ ン病 に対 す る差 別 や 偏 見 と闘 っ て き た 平 沢保 治 さん の講 演,生 徒 た ち の 学習 成 果 発 表 が あ り,文 化 祭 で は模 造 紙 に よる展 示 に加 え て,発 砲 樹脂 ボ ー ドで 重 監房 の 再 現 をす る な ど,大 掛 か りな 系 統 的 な 学 習 に は 目 をみ は る もの で あ っ た。 ま た,「 重 監 房 に収 容 され た14歳 の 少年 が,家 族 恋 し さに脱 走 した 」 との説 明 に は,発 表者 た ち 表1ESD成 践 フ ォ ー ラ ム 第1部 ・第2部 の 進 行 表 司会進行:財 城真寿美(経 済学部准教授) 開始時刻 テ ー マ 所 属 氏 名 13:00 趣 旨説明 経済学部 教授 小 田 宏信 【第1部 】 持 続 可 能 な 社 会 づ く りの た め の 成 瞑 学 園 の 学 び(13:05∼14:00) 13:05 4年 生 夏 の 学 校 にお け る理 科 教 育 小学校教諭 ・教務 部主任 林 田 真 治 13:15 中学2年 生 ハ ンセ ン病 学 習 2016年 膜 祭 中 学2年 学年 展 委員 13:25 高校生徒会の活動 高校 生徒 会 13:35 文 学 部 現 代 社 会 学 科 「コ ミ ュニ テ ィ演 習 」 成 果 報 告:街 につ い て の 記 憶 を記 録 へ 文学部教授 見城 武秀 13:45 ケ ヤ キ並 木 を次 の100年∼ 成 蹟 学 園 ケ ヤ キ並 木 の 持 続 的 な 未 来 を考 え る∼へ 研 究功成課 長橋 典 子 ● 休 憩 ● 【第2部(講 演)】 武 蔵 野 の 「地 」 の 成 り立 ち を 知 る(14:00∼15:00) 14:00 武 蔵 野 の 「地 」 の 成 り立 ち を知 る 帝京 平成 大学現代 ライフ学部 小森 次郎 14:50 質 疑 応 答 第3部(ウ ォ ー キ ン グ ツ ア ー)募 集 の案 内 15:00 閉会の辞 学園常務 理事/理 工学部教授 池上 敦 子

(3)

が そ の 少 年 と同 じ年 頃 で あ るだ け に,心 を 打 た れ た 。 3番 目の 登 壇者 は,高 校 生 徒 会 委 員 の 北 山 さん で あ っ た。 昨年 度 と同様 に 「社 会,地 域 と向 き合 っ て 」 と題 さ れ た プ レゼ ンテ ー シ ョンで は,「朝 の 吉 祥 寺 清 掃 活 動 」の 企 画 と実 践,井 の 頭 恩 賜 公 園 で の 「ス ポ ー ツGOMI拾 い 」 へ の 参加 ,宮 古市におけ る東北復興支援活動認定,NPO 法 人FTCJ(フ リー ・ザ ・チル ドレ ン ・ジ ャパ ン)の ミン ダ ナ オ 島 の 子 供 た ち に 支 援 物 資 を送 る活 動 へ の 参 画,ユ ニ セ フ街 頭 募 金 な どの 各 取 り組 み が 紹 介 され た 。「私 た ち の 取 り組 み を 大 勢 の 人 た ち の 前 で 発 表 で き るの は とて も 嬉 しい で す 」 との 言葉 が,さ わ や か で あ っ た 。 小 中 高 か らの発 表 に続 い て,第4報 告 は 文 学 部 現 代 社 会 学 科 の 「コ ミュ ニ テ ィ演 習 」 の 成 果 紹 介 で あ り,報 告 者 は 文 学 部 の 見城 武 秀 教授 で あ っ た 。「コ ミュニ テ ィ演 習 」 は,成 瞑 大 学 の位 置 す る武 蔵 野 市 や 近 隣 自治 体 に関 わ る 研 究 テ ー マ を 設 定 し,イ ン タ ビ ュー や 質 問 紙 調 査 な どの 手 法 を 用 い な が ら研 究 を 進 め,そ の 成 果 や 提 言 を地 域 に 向 け発 信 して い く授 業 で,2016年 度 の授 業 テ ー マ は,「街 に つ い て の 記 憶 を 記録 へ 」 で あ っ た 。 見城 氏 の 指 摘 に よれ ば,出 発 点 に な っ た の は,吉 祥 寺 今 昔 写真 館 委 員 会 の 皆 様 との 出 会 い で あ っ た とい う。 同 委 員 会 は 吉 祥 寺 付 近 を 撮影 した 写 真 の 収 集 や デ ジ タル 化, 写真 展 の 開催 な どの 活 動 を 展 開 して い る団 体 で あ るが, 収集 した 写真 の 中 に は,撮 影 時 期 や 場 所 が 特 定 され て い な い もの もあ り,そ こに 着 眼 した の が 同 年 度 の 演 習 で あ っ た。作 業 の第1は,写 真 の 撮 影 場 所 や 時 期 をつ き とめ、 「個 人 的 記録 」を 「社 会 的 な 記 録 」へ と編 み 直 す 作 業 で, 第2は,昔 の 吉 祥 寺 を 知 る方 々 に 写 真 か ら思 い 起 こ され るか つ て の街 の様 子 に つ い て 語 り合 っ て も らい,そ の 内 容 を 記録 す る作 業 だ っ た とい う。 本 報 告 で は,写 真 の 同 定 プ ロセ ス と,そ の 結 果 と して 吉 祥 寺 駅 周 辺 再 開 発 の 歩 み が 浮 か び 上 が っ て き た こ とが 紹 介 され,ア ー カ イ ブ 化 の 作 業 は,街 の 魅 力 を 再 発 見 す るプ ロセ ス で あ る と と も に,住 民 間 の コ ミ ュニ ケ ー シ ョン を生 み 出 す ツ ー ル で あ る とい うこ とが 指 摘 され た 。 同 科 目は 武 蔵 野 市 との 包 括 的 連 携 協 定 の も とに 開講 され て い るPBL型 の授 業 で あ る が,有 益 な 成 果 が 生 み 出 され て い る。 第1部 の 最 後 の 報 告 とな っ た は,成 膜 学 園 グ ロー カル ・ サ ス テ ナ ビ リテ ィ教 育 プ ロジ ェ ク トの 構 成 員 で もあ る長 橋 典 子 主 査 か らの 「ケ ヤ キ 並 木 を 次 の100年 へ 」 と題 す る報 告 で あ っ た。 延 長600mに わ た り約150本 の ケ ヤ キ が植 栽 され て い るケ ヤ キ 並 木 は,四 季 折 々 の表 情 を みせ, 言 うま で もな く,成 膜 学 園 の シ ンボ ル で あ る。 これ らの ケ ヤ キ は,1924年(大 正13)に 本 学 園 が 池 袋 か ら吉 祥 寺 に移 転 した 際 に 教職 員 と生 徒 に よっ て植 樹 され た もの で, この樹 種 が選 ばれ た の は,武 蔵 野 台 地 に 多 く群 生 して い た樹 木 で あ っ た こ とに加 え,成 長 が 早 く,生 徒 た ちに す くす く と育 っ て ほ しい とい う学 園 の 教 育 方針 に あ っ て い た か らで あ る。 しか しな が ら,す で に樹 齢 は100年 を超 え て い る こ とか ら樹 高 が25mに 達 し,落 葉 期 に お け る1 日2ト ンを 上 回 る大 量 の 落 ち葉,枝 の 落 下 に よ る生命 の 危 険性 とい っ た 問題 に加 え,高 所 作 業 車 に よ る勇 定 も限 界 に き て い る。そ の た め,樹 高25mの もの を18m前 後 ま で切 り詰 め る計 画 勇 定 が計 画 され て お り,実 際,2017年 3Eか らは試 験 勇 定 とそ の影 響 の モ ニ タ リ ン グが 着 手 さ れ て い る。 長 橋 氏 は 上記 の よ うな報 告 の 上 で,市 民 と行 政 と成 践 学 園 の3者 の 協働 に よっ て ケ ヤ キ 並木 の 持続 的 将 来 を考 え る と と もに,さ ま ざま な 落 ち葉 活 用 を 実 践 す る 「けや き プ ロジ ェ ク ト(仮 称)」 を取 り組 ん で い くべ き こ と を提 案 し,ま た,こ うした 取 り組 み が成 瞑 学 園 の 新 しい 社 会 的価 値 の創 出 に つ な が る こ とを提 起 した。 長 橋 報 告 は, 成 瞑 学 園 のESD活 動 は 教 職 協 働 に よ っ て こそ真 価 が発 揮 で き る とい う こ とを 改 め て 印象 づ け る もの とな っ た。 ESD(Educati・ ・f・・s・・t・inabl・Deve[・pment>成 蹟 フ ォ ー ラ ム2017 ご ほぎ

1武

∵㌻,で 一.・ 嚇シ 亡 ≒ 厄 メ1 '噌

。・

鋸い

、猿

.総

柳 = 、 都

欝禦

塾 卜 図1ESD成 践 フ ォ ー ラ ム2017の ポ ス タ ー 背 景 画 像 に は,大 正14年 か ら昭 和20年 ま で 成 膜 学 園 に 勤 務 した 西 村 健 二 氏 作 成 の 「大 武 蔵 野 立 体 地 図 」(『科 学 知 識 』17巻4号,1937年 付 録)を 用 い た.

(4)

3.武 蔵 野 の 地 を 考 え る 講 演 と ウォ ー キ ング ツ ア ー の ま とめ 小森次郎 3.1武 蔵 野 の 範 囲 武 蔵 野 の 語 を 冠 した もの に は,昭 和 天 皇 御 陵,銀 行, 鉄 道,う どん屋,遊 園 地 な どが 挙 げ られ るが,我 々 が 思 い 浮 か べ る武 蔵 野 とい う括 りは 様 々 で あ る。 い っ ぽ う, 国 木 田独 歩 は 随 筆 「武 蔵 野 」 に お い て,当 時 の 自然 景 観 を 美 し くか つ 正確 に 描 写 しつ つ,そ の 範 囲 を定 義 して い る。 そ れ を 要 約 す る と,北 は 板 橋 か ら川 越,西 は 八 王 子 よ り東側,南 は布 田,登 戸,二 子,東 は 亀 戸 か ら千 住 と して い る。この範 囲 は東 京 湾 岸 か ら荒 川 と入 間川 を上 り, 霞川 を 西 へ た ど り,青 梅 か ら多 摩 川 に 沿 っ て 下 っ た 線 で 囲 む こ とが で き る。 これ は 地 形 学 的 に 考 え る と多 摩 川 が 作 っ た 扇 状 地 に ほ ぼ 一 致 す る。 国 木 田が 扇 状 地 とい う地 形 を 意識 して そ の 範 囲 を 区 切 っ た か ど うか は わ か らな い が,学 問 的 な 根 拠 もあ るの で,こ こで は 明 治 の 文 豪 に よ る括 りで武 蔵 野 を 注 目 して み た い 。 な お,本 講 演 の タ イ トル の 「武 蔵 野 の 地 の 成 り立 ち」 とな る と,本 来 で あ れ ば そ の 土 台 の 成 因,す な わ ち地 表 直 下 の 黒 ボ ク土 と関 東 ロー ム 層,下 位 に あ る段 丘 礫 層(過 去 の 多摩 川 の 河床 礫)や そ の 下 の 地 層,さ ら にそ れ を溜 め た 堆積 盆 の 形成(関 東 造 盆 地 運 動3))に つ い て も言 及 が 必 要 で あ る。 しか し,そ うな る と地 球 の プ レー ト運 動 な どを含 め た 壮 大 な テ ー マ に な る。 そ こで 以 下 で は 成 瞑 学 園 や4.月15日 の ウォ ー キ ン グツ ア ー で 見 られ る もの に 絞 り込 ん で 話 を進 め て み た い 。 3.2武 蔵 野 の 本 来 の 景 観 成 瞑 学 園 を含 め た 武 蔵 野 の 過 去 の 景観 は どん な もの で あ っ た の だ ろ うか。 造 園 学 関 連 の 文 献4)に よれ ば,武 蔵 野 に 対 す るイ メ ー ジ は 江 戸 期 ま で は 「草 深 い原 野 」や 「牧 」 「荘漠 の 野 」,明 治 期 に は雑i木林,と い う変 遷 が あ り,こ の うち原 野 や 荘 漠 の 野 とい うイ メ ー ジ は,万 葉 集 な どの 文 学 的 表 現 の 産 物 で あ っ た っ た と述 べ て い る。 飲 み つ く せ な い 程 の酒 が 収 ま る大 き な 盃 を"野 見 つ くせ な い"と い う詞 を か け て 「武 蔵 野 」 と言 っ た ら しい が,こ れ は そ の イ メ ー ジ を 代 表 す る もの で あ ろ う。 さ らに,寛 正5年 (1464年),後 土御 門 天 皇 の 武 蔵 野 に 関 す る問 い に,謁 見 に 上 が っ た 太 田道 灌 が 和 歌 で 即 答 し,さ ら にそ れ を天 皇 が 「武 蔵 野 は 高 萱 の み と思 ひ しに か か る言 葉 の 花 や 咲 く らむ 」 と嘆 称 した,と い う逸 話 が あ るが,こ れ は 武 蔵 野 で 代 表 され る江 戸 も,そ こに 住 む 人 もま と めて 未 開 の原 野 と見 な され て い た とい う好 例 か も しれ な い 。 そ の様 な 「イ メ ー ジ 」 で は な く実 際 の植 生 や 景観 の 変 遷 につ い て は,武 蔵 野 台 地 上や 周 辺 の低 地 に残 され た 堆 積 物 の花 粉 分 析 が 明 らか に して くれ る5)。そ れ に よれ ば, 針 葉 樹 が優 勢 で あ っ た最 終氷 期 の 後,12000年 前 頃 か ら 近 世 ま で は,ク ヌ ギや コナ ラ,ク リを 主 と して,ト チ ノ キ等 を含 む落 葉 広 葉 樹 の雑 木 林 が 台 地 上 に 存在 して い た との こ とで あ る。 特 に,縄 文 後期 に は ク リが 増 え,弥 生 時代 以 降 は ア カ ガ シ な どの 照葉 樹 や ス ギ が徐 々に認 め ら れ る よ うに な るが,こ れ らは食 料,建 材,燃 料 を 目的 と した人 に よる伐 採/植 林 の 結 果 で あ る。時 代 が 下 が り,玉 川 上水 の恩 恵 で 台 地 上 の 人 口が増 え る と,雑 木 林 は屋 敷 林 と して の役 割 も担 う。絵 の背 景 に雑 木 林 が 描 か れ た 「国 分 寺村 炭 が ま 」(江戸名 所 図 会 三 巻,1834∼1836年,長 谷 川 雪旦 作)は ま さに そ れ を示 して い る。 ま た,1880年 の迅 速 測 図 の 吉祥 寺周 辺 に 書 か れ た 土 地利 用 の 情 報 を見 る と,石 神 井 川,妙 正 寺川,善 福 寺川,お よび神 田川 に 沿 っ た低 地 に は水 田,台 地 上 に は畑 と楢 が 多 く,そ の ほ か桑,茶,雑(「 雑 」 の 旧字 体 で 雑 木 林 の意 味),栗 とい っ た文 字 が 見 られ る。 楢 林(コ ナ ラや クヌ ギ の 林)や 雑 木 林 は現 在 の都 心部 を含 め た武 蔵 野 の 重 要 な 景観 の構 成 要 素 で あ っ た こ とが わ か る。 な お,随 筆 「武 蔵 野 」 で 国 木 田は林 の木 々 が揺 れ る音 に詩 趣 を感 じた との こ とだ が, 自宅 が あ っ た渋 谷 区宇 田川 町周 辺 に お い て迅 速 測 図 中 に 林(「 雑 」,「楢 」)が 占め る割 合 は,吉 祥 寺 周 辺 の そ れ よ り も多 い。 渋 谷 川 等 の谷 が入 り組 む こ とで 大 きな 畑 が 作 られ に く く,都 市化 も進 ん で い な か っ た た め で あ ろ う。 現 在,武 蔵 野 で原 生林 を 見 る こ とは で きな い。 い っ ぽ う,本 来 の景 観 とい うもの を雑 木 林 とい う二 次 林 で 代 表 す る な らば,武 蔵 野 台 地 に 点在 す る林 に行 けば 見 る こ と が で き る が,そ の代 表 は新 座 市 の 平林 寺 で あ ろ う。 これ は武 蔵 野 の 中 で も特 に 大 き な 緑 地(森 林)で あ り,後 述 す る よ うに人 工衛 星 で武 蔵 野 を 見 お ろ した 時 の 重 要 な ラ ン ドマ ー ク で もあ る。 3.3宇 宙 か ら成 践 学 園 を 見 い だ す 次 に,今 回 の 主題 で あ る武 蔵 野 の 地 の 中か ら成 膜 学 園 を 見つ け て み た い。 こ こで は今 や 携 帯 電 話 か らで も閲 覧 す る こ とが で き る衛 星画 像(例 え ばGoogleMapやGoogle Earth)を 使 う。灰 色 に 写 る首都 圏 を次 の ① か ら④ の ス テ ップ で拡 大 しな が ら,そ の 中の 点 状 の 緑 地 を見 つ けれ ば 容 易 で あ る(以 下 の説 明 はGoogleMapで,衛 星 写真 が 見 られ る設 定(画 面 隅 の 「メニ ュー 」の 「航 空 写 真 」)で す す め る)。 ①PCの 画 面 に本 州 中央 部 が 収 ま る状 態(縮 尺 約1/500 万)に す る。 この 時 点 で 大 き さ東 西 約5kmの 狭 山丘 陵 が

(5)

灰 色 の 関 東 平 野 と緑 色 の 関 東 山地 の 境 界 近 く に緑 の 点 と して認 め られ る。 ②PCの 画 面 に 関東 平 野 が収 ま る状 態(縮 尺 約1/100万) で は,都 心 部 に東 西 約1㎞ の 皇 居 と明 治 神 宮 外 苑 が 見 え て く る。 この 他 に 見 い だ せ る緑 地 は 前 述 の 平 林 寺(狭 山 丘 陵 の右 側)で あ る。 ③ 画 面 の左 上 に狭 山丘 陵,右 下 に明 治 神 宮 外 苑 を配 し た 状 態(縮 尺 約1/10万)に す る と,中 央 や や 右 下 に緑 地 と して 幅約500mの 井 の 頭 公 園 を見 つ け る こ とが で き る。 ④ 井 の頭 公 園 を 目印 に拡 大 す る と,そ の 左 上 に東 京 都 の 境 浄 水 場 が 長 方 形 の構 造 物 と して 視 認 で き る。 更 に拡 大 す る と井 の頭 公 園 の 上(北 側)に 成 瞑 学 園 が 見 え る。 この よ うに 広 い 武 蔵 野 の 地 に お い て 緑 地 は 様 々 な 大 き さで残 され て い るが,中 で も井 の 頭 公 園 と狭 山丘 陵 は そ れ ぞ れ過 去 と現 在 の 水 源 林 で あ る。 ま た,上 記 手 順 の ③ の ス ケ ー ル で あ れ ば,武 蔵 野 公 園,野 川 公 園,国 立 天 文 台,神 代公 園,深 大 寺 とい っ た 緑 地 が 連 な る よ うに存 在 す るの が わ か るが,こ れ らは 後 述 す る国 分 寺 崖 線 に沿 っ た 緑 地 で あ る。 3.4成 践 に 降 った 雨 は ど こに 行 く? 成 膜 学 園 の 周 辺 に は 北 か ら石 神 井 川,善 福 寺 川,神 田 川,仙 川 が 流 れ て い る。 成 膜 に 降 っ た 雨 は,こ の うちの どの 河川 に 流 れ るで あ ろ うか 。 大 学 の 周 辺 地 域 は 東 京都 下 水 道 局 の 石 神 井 川 排 水 区 に 属 して い る。 した が っ て,こ こに 降 っ た 雨 水 は 下 水 と し て 東京 都 の 流 域 下 水 道 の 黒 目幹 線 を下 り,清 瀬 水 再 生 セ ンタ ー(成 膜 学 園 か ら北 へ 約10㎞)カ ・ら荒 川 支 流 の 柳 瀬 川 へ 流 れ 出 て い る。 した が っ て,実 際 の 答 えは 上 記 の い ず れ の川 で もな く柳 瀬 川 とす るの が 正 しい 。い っ ぽ う, 下 水 が 完備 され る前 の 自然 の 状 態 で は ど うで あ ろ うか 。 答 え は,明 治 期 の2万 分 の1地 形 図 「田無 」 で 吉 祥 寺 周 辺 の標 高50.Om,52.5m,55.Omお よび57.5mの 等 高 線 を 色鉛 筆 で トレー ス す る と次 の よ うに 見 え て く る。 ① 降雨 が表 流 水 に な り,か つ 下 水 道 等 の 配 管 や 住 宅 が 無 か っ た と仮 定 して,ま ず そ の 雨 水 は 武 蔵 野 市 立 北 町 保 育 園 周 辺 の 東 西約100m,南 北約300mの 凹 地 へ 流 れ る。 ② 雨 水 が 凹地 に と どま らない と した場 合 は,さ ら にそ れ は 南東 方 向 へ15㎞ ほ ど流 れ,吉 祥 女 子 中学 校 付 近 で 底 の 広 い 谷 状 の 地 形 に 至 る。 現 在 は 暗 渠 とな っ て い る河 川 地 形(通 称 「松庵 川 」)で あ る。 ③ 南 東 へ 下 る この 地 形 は 環 八 通 り一 五 日市 街 道 の 交 差 点 の 東側 で 北 へ 向 き を 変 え て 善福 寺 川 へ 流 入 す る。 した が っ て,こ の 場 合 の 答 えは 「善 福 寺 川 」で あ ろ う。 イ ンタ ー ネ ッ ト上 に は 松庵 川 の 河 川 地 形 は 人 工 の 地 形 で あ る とす る記 事 が み られ るが,南 東 に続 く この微 地 形 を 詳 し く見 る と,細 か く蛇 行 を した 天 然 の 地 形 で あ る こ と が わ か る。 3.5国 分 寺崖 線 を 歩 く 「本 質 は境 界 部 に あ り」 と も言 うが,武 蔵 野 段 丘 面 の 縁 辺 部 で あ る 国分 寺崖 線 を 見 る こ とは,武 蔵 野 の 「地 」 の本 質 を知 る 上 で重 要 か も しれ な い。 崖 線(が いせ ん) とは,崖 の 地形 が連 続 す る場 所 の こ とで あ るが,そ の 地 形 ゆ え に 宅地 化 が進 み に く く,さ らに そ の残 され た 緑 地 を維 持 す る努 力 に よ り,現 在 で も 自然 の 景観(生 態 系 や 本 来 の 地形 ・地質 の 露 出)が 見 られ る貴 重 な 場 所 とな っ て い る。 この こ とか ら,地 学,地 理 分 野 に お い て も これ ま で に 多 くの ス タ デ ィー ツ ア ー(巡 検)が この 地 で 行 わ れ て き た6)。 今 回 は そ れ ら も参 考 に した が,さ らに武 蔵 野 段 丘 内 に刻 まれ た小 河 川 の 地 形 も見 るべ く 中央線 の 北 側 も含 み,全 体 で約5.5kmの ツ ア ー を行 っ た。 各 地 点 で の説 明 は表2に ま とめ た通 りで あ るが,さ らに こ こで は 主役 とな っ た 国分 寺 の 立 地 に つ い て の 考 察,お よびES D教 育 の各 テ ー マ と して 見 た 場合 の武 蔵 野 や 国 分 寺 崖 線 につ い て簡 単 に述 べ る。 3.6国 分 寺 は なぜ そ こに あ る の か 武 蔵 国分 寺建 立 の 地 の選 定 に は 四神 相 応 の 思想 が あ っ た とい う説 は テ レ ビ番 組 で も紹 介 され て い る。す な わ ち, 玄武 の 「丘 陵 」,朱 雀 の 「湖 沼 や 平 原 」,青 竜 の 「流 水 」, 白虎 の 「大通 り」 が,そ れ ぞ れ武 蔵 国 分 寺 の 背 後(北) の 国分 寺崖 線,前 面(南)の 低 位 段 丘 面(立 川 面),左(東) の野 川,右(西)の 東 山道 武 蔵 道 に相 当 す る とい う考 え で あ る。 しか し,武 蔵 国 分 寺 の 立 地 の本 質 を考 え るの で あれ ば,そ もそ も東 山道 武 蔵 道 が こ こを 通 っ た 理 由 を考 え な い とい け な い。 この道 は 上 野 ・下 野 方 面 か ら武 蔵 国 の 国衙(現 在 の府 中駅 の 南側)を 結 ん で い るの で,国 衙 の 立地 の検 討 が重 要 で あ るが,こ れ は府 中崖線(立 川 面 と多摩 川 の氾 濫 原 の境 界 を成 す段 丘崖)の す ぐ上 の,特 に そ の崖 線 が 岬状 に 突 き 出 した場 所 に位 置 して い る(図 2★)。 した が っ て 周 囲 の 見 通 しが利 く岬 状 の 地 形 が,国 衙 の 立 地,さ らに は東 山道 武 蔵 道 と武 蔵 国 分 寺 の 立 地 の 根 拠 に 間接 的 に影 響 して い た と考 え られ な い だ ろ うか 。 さ らに,同 様 の 岬状 の 地形 が 国 分 寺 の 西側 す ぐの 国 分 寺 崖 線 の 上 に も見 られ るが,そ こに は 南 関 東 で 有 数 の 規模 を誇 る武 蔵 台遺 跡(図2☆)が あ る。 武 蔵 国 分 寺 の 立 地 に は 四神 相 応 の 思想 が あ るか も しれ な い が,そ れ 以 前 に この 二つ の 岬状 の 地形 も関係 して い るの か も しれ な い。

(6)

/

ノ ド ' ノ , ノ 縛 甲

制 ﹀ 艶 溝 入 罵

磁 ㌧

しき 4づ/

㌦ 閥 ・ 〃bナ ♂,、 》 .凶 無 、

κ

ぱ づ 戦 ズ 、 . ・ 、 暫 驚 ト 、 、

磯 繍

撫{穆

ぐ滅

バ司 う! み 必 詩1・ 酒 、 ,ヤ 噌 ・・〆 ・ 愚 蜘 ∼ノ

益 イ ㌔藁

N 壕 L ∼ 雛 峯 ・ イ

' r

な の

}

  , メ / い 舘 乙 脅 ・ .' 銃 ぐ ∵ κ ㍉ 、 了 疋

醍趣

繭 W ワ 、 \ 毛 ﹂ し " ⋮ -... 浦 、 ト O 、 棚

曽望載

・勘 ㌃ 7 ・ ' ∼ 託 マ

7 ∼ つ 

r

、 %

娩礎

巻㌶

'〈l Jl }

・ こ レ 、 ﹂ ㌧ 、 ド . 隔

襲隷

4抽

図2武 蔵 野 地域 中 央 部 の 地 名 と地 形 名

Yr:山 口貯 水 池,M.r:村 山 貯 水 池,ER:不 老 川,Ar.R:荒 川,AzR:東 川,YR:柳 瀬 川,Kf.R:空 堀 川,K.R:黒 目川,Sr.R:白 子 川, SkR:石 神 井 川,Z.R:善 福 寺 川,S.R:松 庵 川,K,R:神 田 川,Se.R:仙 川,NR:野 川,A.R:秋 川,TF:立 川 断 層,K:国 分 寺 外 線, ch.L:JR中 央 本 線,Ms.L:JR武 蔵 野 線,Kg:恋 ヶ 窪,s:境 浄 水 場,Ki:清 瀬 水 再 生 セ ン タ ー,sh:下 末 吉 段 丘 面,Mu:武 蔵 野 段 丘 面, Tc:立 川 段 丘 面,Ao:青 柳 段 丘 面,Al:沖 積 面,○:成 膜 学 園,■:吉 祥 寺 駅,△:西 国 分 寺 駅,▲:国 分 寺 駅,☆:武 蔵 台 遺 跡,

(7)

表2ウ ォー キ ン グ ツ アー の 主 な見 学 地 点 見学地点 詳 細 西 国 分 寺 駅 北 口 ツアーのス ター ト地点.南 口よ り静か な北 口だが開発計画 あ り.武 蔵 野線の線路 を くぐって川崎街道(≒ 鎌 倉街道,昔 の東 山 道武蔵道.川 崎 に入 る と府 中街道 と名前 が変 わる)へ むか うが,そ の地形は人工 の凹地地形.更 にその先 は恋 ヶ窪の谷底 に下 る急坂 恋 ヶ 窪 の谷 地形 武蔵 野段丘面 に刻 まれ た谷 地形で野川 の源流 のひ とつ.畠 山重 忠(シゲ タダ)と夙妻太 夫(アサヅマタユウ)の恋物語 が語源.少 な くとも 1947年 までの地形図で は 「恋」 には旧字 の 「懸 」が使 われてお り今以上 に趣 があ る.そ の先 の小 さな水 路は玉川上水 か ら分 流 した恋 ヶ窪用水(1657年 完成.当 時の名称 は懸 ヶ窪村分 水).途 中で見 る東福 寺 と鈴木邸 は古 い地形図に も記載 され ている. 恋 ヶ窪の広い谷底 には田圃が広が る(時 代 によっては地 図記号 で乾 田,水 田,沼 田を区分 して書 くこ とがあ るが,こ の版 の地 図は田 と水 田の 区別 は無 く田圃は全て""の 下 に横線 がつ く).恋 ヶ窪か ら見 て,一 つ上 の段 の地形面で ある武蔵野 面には 当時は桑畑 と針葉樹 が広 が り,そ の間 となる崖 には広葉樹が多い よ うに見え る. 谷地形の左岸 前述 の鈴 木邸の北側 を歩 く.ア パー トの東側 の小崖 にこげ茶色 の地層 として 関東 ローム層が見 られ る.主 に箱 根や富士 山の火 山灰(テ フラ とい う)と 黄砂 の堆積,お よびそれ らの再移動,再 堆積 の結果形成 された もの.上 部の黒 っぽい層 は腐植 物(有機 炭 素)の多い黒 ボク土層.寒 冷乾燥な気候 であった氷 期の主 に森林 か らなる武蔵野台地 で茶色 の ローム層が形成 され,過 去約1 万年 よ りあ と(完新世)に は湿潤 な気候 と人為 による草原化に よ り,黒色 で酸 陛の腐植 物質(活 陛アル ミと結合 した腐植 複合体) が地層 中に多 くな る(細 野 ・佐 瀬,2015な ど).こ の坂 を上 ると再び武蔵 野面に至 り,住 宅地 の中に市民農園が見 られる. 姿見の池 と 雑木 林 再 び恋 ヶ窪の谷底 に下 る.姿見 の池 と雑木 林(国 分寺姿見の池緑地保全 地域)に 至る.1881年 の迅 速測図か ら1947年 の1/25000 地形 図まで池は書かれ ていないので 当初 は湿地 の中の水溜 ま り程度 だった と考 えられ る.池 を過 ぎる と小 さな雑木林(二 次林) か らなる.国 分寺が 「江戸 の炭がま」 の役割 を果 た していた時代 は,こ の様な雑木林 がいた るところに見 られ たはずであ る. 東 山道武蔵道 旧鎌 倉 街 道(=東 山 道 武 蔵 道).奈 良 ・平 安 時 代 の 官道 の 支 道(幅 約12m).上 野 ・下 野 方 面 と武 蔵 国 分 寺,武 蔵 国 国衙 を結 ん だ.こ れ に よ り雑 木 林 の 土 台 が 切 り込 ま れ ロー ム層 が露 出 して い る.さ らに 南 側 はJRの 線 路 に よっ て バ ッ サ リ と途 絶 えて い る. 武蔵 台遺跡公 園 あず まや の下に ある遺構 は ここか ら西200mの 都営 アパ ー ト建設時 に出現 した縄 文時代の遺跡 を移 築 した もの.こ れ を含 め,周 囲には遺跡 が多数存在す る.都 立多摩総合 医療 センター(旧 都立府 中病院)の 建設 とそ の後(1979-2007)に 発掘調査 され た. 都 内では最古級(X層 石器 群で暦年較正年代3.6万 ∼3.8万 年前)の 石器 以降,重 層 して遺物 が出土 し,そ の数 は計23000点 と膨 大.石 器 の岩種 は多摩 川河原産の チャー トとホル ンフェル スの他,伊 豆 ・箱根 産の黒曜石 も含む.武 蔵 野段丘面 の南縁 に 巨大な集 落が早い時期 か ら形成 された理 由 としては,黒 鐘谷戸 として国分寺崖線 が北へ食い込んだ部分 で,足 もとの谷戸 で水 の入 手が容易で あ り,洪 水 の影響がな く,尚 かつ崖線が岬状 に南 へ張 り出す とい う,他 と比べ ると特殊 な地形で あった こ とが 考 え られ ないだ ろ うか. 国分 寺崖線 を下 る鎌倉街 道 中央線 の線路の北側 で途切 れた鎌倉街道 の延長 とここで再び 出あ う.足 もとの赤 土,関 東 ロー ム層(武 蔵 野面 を構城 す る武蔵 野 ローム と立川 ロー ム)を 切 り通 して道路 が下ってい る.こ の斜 面が国分寺崖線 道 路のす ぐ西側 には黒鐘 谷戸(現 在 は黒鐘 公 園)が あ る.こ の道 の西側 に伝祥応寺跡(現 在 は本多4丁 目(本 多新 田)に 移 築),東 側 に塚跡 が残 る.塚 跡 か ら下る斜 面 にローム層が露 出す るが,そ の一番下 にはローム層 の下 にある武蔵野礫 層が侵食 によ り露 出 した転石が見 られ る. 黒鐘谷 戸 と 国分尼 寺跡 国分 寺崖線 の上の段丘面(武 蔵 野面)が 削 り込 まれ た奥行150m程 の谷の地形.「 黒鐘」 は,府 中市の善明寺(大 國魂神社 の北 西約200m)の 鉄造阿弥 陀如 来像(1253年 作)が この地でつ くられた こ とに関係 あ るとの説 あ り(鉄(ク ロガネ),黒 鐘). 公 園内にあ る池は人 口の池 で もともとは湿地 であろ う.1881年 の迅速測 図 と1906年 以降の一連 の地形図で 田圃と書 かれ た こ とはない.国 分尼寺 の位置 は明治か ら戦後 まで論争.こ の黒鐘谷 戸の出 口付近 の他 に,武 蔵国 国衙近 くの京 所(府 中競馬場 の 北)と す る説が あった.現 在 は一部 を掘 りこんで尼寺の壁(基 壇)が 版 築で築かれ たこ とを説 明 してい る. 国分 寺市文化財 資料展示 室 資料館 に隣接す る国分寺 市立第四 中学校 か ら出土 した遺物 を中心に展示.職 員 の方 に説 明をお願い できる.国 分尼寺 関連や 東 山道武蔵 道の復元 の展示 のほか,住 田正一氏 の武蔵国の郡名 瓦 ・郷名 瓦の コレクシ ョンが興味深い.板 碑 の岩 種は板状 に整 形 しやす い変成岩 を使用.武 蔵 国に多 く秩父 の緑石 片岩 でで きてい るものを武蔵型板碑 とい う.卒 塔婆の一種. 国分寺跡 現在 は発 掘 された基礎 が主 に残 る.国 分寺 の建 立に この地が選 ばれ たのは四神相応 の思想 か らとNHKの 「ブ ラタモ リ」でも紹介 され てい るが,旧 石器 時代 か ら黒鐘谷戸近辺(武 蔵野面 の舳先)に 人が多 く住 んでいた ことを考 える と,再 考すべ きで はない だろ うか(詳 細 は本文参照).1947年 の地形図 を見 る と現在の元町の 旧名 は八幡前で国分寺 の北側 にあ る八幡神社 か らきてい るこ とがわか る. お鷹 の道 川底 には武蔵野面 を構成す る武蔵野段丘礫層 か ら洗い 出され た砂利 が見 られ る.過 去の多摩川 の河原 の石 が一度地層 と して埋 没 したあ とに数万年ぶ りに陽の 目を浴び ているこ とにな る.道 沿いに は本多 園(農 家 植 木屋)な ど,本 多氏 一族の家が点在 真 姿の池 湧水 進行方 向の左手 に続 いていた崖線が ここで一旦途切れ る.こ の先 は崖線 を切 り込 む谷 として,野 川 の本流 が北か ら南へ と流 れ る.こ の谷地形 は押切 間 と言われてい る.語 源 は これ よ り上流側 をせ き止 めて用水 路を作ろ うと した時の堤が押 し流 され たた め との こと.上 流側(左 側)で 野川 を渡 る橋 は国分寺駅か ら南西 へ延 び る道路 「多喜窪通 り」.多 喜 は滝 か らきたので あ り, 野川 でのほ とば しる水 の流 れを想像 させ る.野 川の上流 には 日立製作所 中央研究所(昭 和17年 ∼)内 に昭和33年 に完成 した 大池(も とは湿地.水 源 は崖線沿いの湧水)が あ る.創 業 時の社長,小 平浪平 の指示 で 目立 った立木 は保護 された.小 平 は も とも とは久原(クハラ)鉱業所 日立鉱 山の技術者.鉱 毒 問題 による 自然保護の意識 があったので はない か. 押切 問 緑 橋.国 分 寺 駅 側(北 側.武 蔵 野 面 側)と 元 町 側(南 側.立 川 面側)の 境 界.橋 の た も とに 洪 水 を 防 ぐ ス ラ イ ド式 の 防 水 壁 が あ る.現 在 は 機 能 して い な い こ とが,土 の詰 ま っ た レー ル が物 語 っ て い る.さ らに進 む と一 里 塚 橋.野 川 本 流 と元 町 用 水 の 合 流.野 川 が 道 路 を く ぐる が,か た ちの 異 な る 短 い トンネ ル が 二本 あ る.な ぜ な の か 知 らな い.過 去 に は 下 流 で 流 路 が 二 本 に 分 かれ て い た 可 育旨陛 あ り. 合流 点 野 川 に か か る橋 「もみ じ橋 」.下 流 側 を 見 る と両 岸 で 高 さ が異 な る の が わ か る.何 を 意 味 して い る だ ろ うか.右 岸 側 に は マ ン シ ョン(ポ ンデ ラ ブル 国 分 寺).も と も と敷 地 内 に あ っ た 瓦 屋 根 の棟 門 を 近 年 の リノベ ー シ ョン 後 も うま く活 用 して い る. 長谷 戸 長谷 戸(は せ ど)は 国分 寺第二 中,第 七小 を含 む低地か ら早稲 田実業中高の西側 を南流 し,南 町二丁 目交差点の北側か ら南東 に流 下 し野川に合流 している.こ の地形の南東側 の高 台は上空か らみ ると三角 の台地に見 えるが,過 去 の地形 図か ら1947年 ∼ 1967年 の間に宅地化 された こ とがわか る.殿 ヶ谷戸 の谷 とは別物で あるこ とが1921年 とそれ以前の地形 図や1881年 の迅速 測 図か らわか る.す なわち 「三角台地」 の北側 の頂点は もとは,国 分寺駅北 口側 の武蔵 野面 とつ ながっていた.既 存の地形分類 図は武蔵 野面本体か ら分離 していた よ うに表現 され てい るがそれ は違 う. 国分 寺駅 南 口 本 ツアーでは時間 の関係 上 もみ じ橋か ら直接 駅へ移動 して解散 した.駅 南側の都 立殿 ヶ谷戸庭園 は1913年 に南満州鉄道副 総 裁 の江 口定条(サダエ)の別邸 として造 られ たもの.1929年 に岩崎彦 弥太が買い取 った.

(8)

武 蔵 国 分 寺 の 建 立 に 関 して 「な ぜ そ こに 」 の 理 由が 考 え られ た 次 に は,「な ぜ そ の 時 代 に」国 分 寺 建 立 に至 った の か,す な わ ち鎮 護 国家 思 想 が お き た の か を考 察 した い が, これ に つ い て は他 の機 会 に 譲 る。 3.7武 蔵 野 のESD 一般 にESDの 基 本 的 な 考 え方 と して 挙 げ られ る 「気 候 変 動 」「生 物 多 様 性 」「防災 教 育 」「エ ネル ギ ー 教 育 」「環 境 教 育 」 「国際 理 解 教 育 」 「世 界 遺 産 や 地 域 の 文 化 財 等 に 関 す る教 育 」,および 「そ の他 の 関連 す る教 育 」に対 して, 上 述 の武 蔵 野 の 範 囲 の 定 義 か ら ウォ ー キ ン グツ ア ー の 内 容(表2)ま で が どの よ うな 関係 に な るか,最 後 に整 理 して み た い。 武 蔵 野 の 地 の 定 義 の うち,特 に 武 蔵 野 段 丘 や そ の 表 層 の 黒 ボ ク 土 の 形 成7)に つ い て は,氷 河 性 海 水 準 変 動 や 完 新 世 の 安 定 した 温 暖 な 気 候 とい う気 候 変 動 に関 す る話 題 に 触 れ ず に 理解 す る こ とは で きな い 。 ま た,主 に火 山灰 か らな る関 東 ロー ム 層 は 火 山 を通 じた 防 災 教 育 の 教 材 と して 活 用 で き る。 武 蔵 野 の植 生 や 景 観 の 変 遷 とい っ た テ ー マ や,ウ ォ ー キ ン グツ ア ー の テ ー マ とな った 国 分 寺 崖 線 とい う地 形 とそ れ に 沿 っ て 維 持 され て い る緑 地 や 湧 水 地 は,環 境 学 習 に 関 す る貴 重 な 教 材 とな っ て い る。 さ ら に,文 学 と して 残 され た 武 蔵 野 に 関 す る記 述 や,明 治 期 以 前 の植 生(景 観)が イ メ ー ジ で き る雑 木 林,お よび 武 蔵 国 分 寺跡 や 旧東 山 道 武 蔵 道 は ま さに 地 域 の 文 化 財 で あ る し,人 そ れ ぞ れ で そ の 背 景 を考 え る こ とは,単 な る学 び で な く,自 らが 主 体 的 に感 じ,考 え る こ とが で き る地 域 教 育 の 一 例 とい え よ う。 この他,今 回 は 講 演 の ス ライ ドで 説 明 した だ け とな っ た が,子 供 が 手 動 の ボ ー リン グで 武 蔵 野 台 地 を掘 削 した 事 例 は,自 らの 手 で5m近 く を掘 り抜 く とい う経 験(空 間 の 経 験),並 び に過 去 数 万 年 分 の武 蔵 野 の歴 史(地 層) を 遡 る とい う経 験(時 間 の 経 験)の 場 で あ る。 これ は 大 き な 時 間 ・空 間 ス ケ ー ル の 視 点 に 立 っ た 気 候 変 動,環 境 学 習,防 災 教 育 に 関係 す る。 そ の 時 に も し地 温 計 測 や 地 中熱 利 用 とい っ た テ ー マ ま で 発 展 す る こ とが で きれ ば, 温 暖 化 の影 響 とい っ た 気 候 変 動 や 環 境 学 習 だ けで な くエ ネ ル ギ ー 学 習 に つ い て も触 れ る こ とに な る。 以 上 の よ う に武 蔵 野 の 地 はESDの 教 材 や テ ー マ と して も極 めて 幅 広 い 可 能性 を もっ て い る。 筆 者 と して も今 後 更 に活 用 を 検 討 して い き た い。

参考文献

) 1 ) 2 ) 3 ) 4 ) 5 ) 6 ) 7 持 続 可 能 な 開 発 の た め の 教 育 に 関 す る 関 係 省 庁 連 絡 会 議 『「持 続 可 能 な 開 発 の た め の 教 育(ESD)に 関 す る グ ロ ー バ ル ・ア ク シ ョ ン ・プ ロ グ ラ ム 」実 施 計 画 』 平 成28年3月10日 決 定. 小 学 校 創 立100周 年 記 念 誌 編 集 委 員 会 編 『た し か な あ しぶ み:成 膜 小 学 校 創 立100周 年 記 念 誌 』成 瞑 小 学 校,2015年. 矢 部 長 克 ・青 木 廉 二 郎 「関 東 構 造 盆 地 周 縁 山 地 に へ る 段 丘 の 地 質 時 代 」 地 理 学 評 論,3,1-9,1927年 山 根 ま す み ・篠 原 修 ・堀 繁 「武 蔵 野 の イ メ ー ジ と そ の 変 化 要 因 に つ い て の 考 察 」造 園 雑 誌,53,215-220, 1990年 吉 川 昌 伸 「関 東 平 野 に お け る 過 去12,000年 間 の 環 境 変 遷 」国 立 歴 史 民 俗 博 物 館 研 究 報 告,81,267-287, 1999年. 藤 平 秀 一 郎 「茨 城 県 立 境 高 校 ・東 京 都 立 多 摩 科 学 技 術 高 校 の 合 同 地 形 観 察 巡 検 の 報 告 」 地 学 教 育,68, 53-54,2014年. 細 野 衛 ・佐 瀬 隆 「黒 ボ ク 土 層 の 生 成 史:人 為 生 態 系 の 観 点 か ら の 試 論 」 第 四 紀 研 究,54,323-339,2015 年.

参照

関連したドキュメント

第四章では、APNP による OATP2B1 発現抑制における、高分子の関与を示す事を目 的とした。APNP による OATP2B1 発現抑制は OATP2B1 遺伝子の 3’UTR

 調査の対象とした小学校は,金沢市の中心部 の1校と,金沢市から車で約60分の距離にある

 肥料・バイオスティミュラント分野においては、国内肥料市場では、施設園芸用肥料「養液土耕肥料」などの

その目的は,洛中各所にある寺社,武家,公家などの土地所有権を調査したうえ

専門は社会地理学。都市の多様性に関心 があり、阪神間をフィールドに、海外や国内の

を体現する世界市民の育成」の下、国連・国際機関職員、外交官、国際 NGO 職員等、

添付資料 4.1.1 使用済燃料貯蔵プールの水位低下と遮へい水位に関する評価について 添付資料 4.1.2 「水遮へい厚に対する貯蔵中の使用済燃料からの線量率」の算出について

添付資料 4.1.1 使用済燃料貯蔵プールの水位低下と遮へい水位に関する評価について 添付資料 4.1.2 「水遮へい厚に対する貯蔵中の使用済燃料からの線量率」の算出について