赤ちゃんから始まる公共サービスデザイン
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(2) デザイン学研究特集号 Vol.28-1 No.103. 出した記憶がある。 こどもに関する単発的な情報はインターネット上にも書籍にも大量に散見 できる。しかし、それらの情報を自分用に編集することや、全体を俯瞰して 流れを読み取ることはなかなか難しい。それをするには、こどもに対する知 識と経験値が必要となる。私に限らず、周りを見渡すと同じような状況に 陥っている人がそこかしこに溢れており、新米保護者たちはみんな不満や不 安を漏らしている。ニュースや新聞記事からも似たような声が多く聞こえて くる。 こうした小さな気づきや違和感の積み重ねを経て、「もっとこうしたらい いのでは?」、「なぜこういう仕組みになっているんだろう」、といったこど もを育てることに対するデザインの視点からの問いが次々に芽生え、現在は 子育て支援のサービスデザインが私の主な研究領域となっている。特にこど もを育てる人が誰でも利用できる公共の支援サービスについて研究と実践の 両面で活動している。 当たり前のことであるが、こどもを育てる中で少し視野が広がったという か、見えていなかったものが見えてくるようになった。そうすると、多くの 人がつまずく問題を整理したり、マイナスを0にするような、より日常の生 活に近いところで取り残されていることにデザインで関わりたいと思うよう になった。しかし、当初は公共サービスのデザインと言うと、規模が大きす ぎて何からどのように手をつけたら良いかわからなかった。誰からも改善し てほしい、と依頼を受けているわけでもない中で、「こどもを持つ人にとっ て、わかりやすくて、社会に温かく迎えられるような体験をデザインした い」と同僚や身近な友人に漠然とした夢を語っていたのだった。. 2.フィンランドの子育て 2.1. 社会的子育てシステム「ネウボラ」. ある同僚から「この前話していた子育てのデザインのこと、フィンランド. は進んでいるみたいですよ」と助言を得て、フィンランドの子育てについて インターネットや書籍で調べ始めた。しばらくして、偶然にもフィンラン ドのアールト大学から日本を訪れていた研究者と話をする機会を得た。「実 際のところ、フィンランドではこどもが産まれたらどういう仕組みになっ ているのか」 、「公共の子育てサービスに満足しているか」など、気になっ ていたことをいくつか質問した。そこで聞くフィンランドのこどもに関す る公共サービスと市民の受け取り方は日本のそれとは随分と様子が違って いた。 フィンランドには、ネウボラと呼ばれる公共サービスを提供する仕組みが ある。これは、妊娠から小学校入学までのこどもとその家族をケアする全国 的な仕組みで、かかりつけ医ならぬ、かかりつけ保健師が妊娠から一貫して 担当してくれる。家族は妊娠中の体調のことや家庭の経済状況、こどもの成 長など、こどもに関することは何でもこのかかりつけ保健師に相談できる。 この手厚い公共サービスは、社会福祉国家であるフィンランドの高い税率に よって支えられている。支払う額に見合ったサービスが受けられると市民 に高く評価されているという。このネウボラを使う市民が実際にどう感じて いるか、現地でどのように機能しているのか知りたくてフィンランドへ向 かった。. 19.
(3) 20. 特集:なぜ、子どものためのデザインに取り組むのか. 2.2. ネウボラのフィールド調査. フィンランドヘルシンキ都市圏であるエスポー市の協力を得て、エスポー. 市のネウボラを視察し、そこで働く保健師に話を伺った。保健師たちへのヒ アリングからは、サービスのほとんどが、こどもとその家族を中心に設計さ れていること、対話を重視し、時間をかけて信頼関係を築くこと、専門機関 につなぐプロフェッショナルな連携があることが語られた。 また、ネウボラを利用する市民にもインタビューすることができた。ネウ ボラに通う父親と母親、妊婦にそれぞれインタビューし、ネウボラに対する 評価やフィンランドの子育て環境について話を伺った。市民へのインタ ビューからは、ネウボラの主なやり取りは保健師との対話であるため満足度 に個人差があるものの、その内容は Good Enough、つまり必要な物事は満た されていると評価されていることが分かった。また、フィンランドでは妊. 娠・出産・子育ては基本的に夫婦で協力して行うものという認識があり、祖 父母などの親族ではなく、公共サービスであるネウボラが夫婦を全面的にサ ポートする体制が機能している[注1]。. 3.福津市との実践 3.1. こどもに関する公共サービスを担う職員との共創. フィンランドで実践できていることがすぐさま日本でも実現可能か、とい. うと社会の仕組みや文化、そこに暮らす人々の思考が異なるためなかなか難 しいだろう。しかし、フィンランドのネウボラで何度も耳にした「対話」を 日本の公共サービスでも取り入れることができないだろうか。その可能性を 探求しようと、現在、福岡県の福津市、福岡市とそれぞれサービスデザイン の共創に取り組んでいる。 図1 タイムライン. 福津市との取り組みの目的は、現在福津市で実施されているこどもに関す る事業の全体像を掴むこと。もう一つは、それらのサービスに対する市民の 評価を聞き出すことであった。福津市のこどもに関する事業は多岐にわたる ため、担当部署が複数に及ぶ。しかし、市庁舎内でそれらを包括的に担って いる部署は見られなかった。また、普段の業務ではそうした複数の部署を跨 ぐプロジェクトや事業はほとんど行われていなかった。 そこで、2018年8月に福津市のこどもに関する業務を担当している行政職 員を対象にしたワークショップを開催した。このワークショップでは、サー ビスを提供する行政側から見た福津市のさまざまなこども・子育てサービス を集め、その全体像を職員が共有することを目指した。こども関連の業務を. 図2 エコシステムマップ(一部). 担うこども課、いきいき健康課、教育委員会からそれぞれ職員を招集し、計 18名の職員と共に福津市のこどもに関するサービスを「タイムライン(図 1)」と「エコシステムマップ(図2)」にまとめた。こども課は妊娠から成 人まで幅広い年代のこどもに対する事業を行なっており、保育所整備、児童 手当、発達支援センターの運営なども含まれる。いきいき健康課は主に保健 師が多く働いており、妊娠から乳幼児期のこどもに関する業務を担う。教育 委員会は就学前の就学相談や就学時健診、学校施設の整備、教員研修、不登 校の電話相談など学校を中心とした業務を担う。. 図3 タスクカード 1)下村萌,森田昌嗣,平井康之:サービスデザインの視座 に基づくネウボラ調査,デザイン学研究,65 (3) , 15-22, 2019. 「タイムライン」の制作手順は、まず、所属課毎に色分けしたタスクカー ド(図3)が配布され、参加者はこどもや子育てに関する日々の業務を書き 出した。同時にそれらの業務に付随する課題と改善案をポストイットに記入 し、タスクカードと共に壁面に貼ったタイムライン上に貼り出した。.
(4) デザイン学研究特集号 Vol.28-1 No.103. 「エコシステムマップ」の制作手順は、福津市のこども・子育て支援に関 わる人や組織の関係を視覚化するために、親・こども・教師・医師・市役所 職員・職場の同僚などの関係者や、行政施設・保育所・産科医療機関・学 校・企業などの関係機関をエコシステムマップ上に貼り出した。 最後に、参加者が「タイムライン」と「エコシステムマップ」に貼り出し た内容を説明し、課題や改善案も含めて、その業務内容とそのプロセスを共 有することができた。 このワークショップを終えて、参加した職員が「毎日同じフロアで顔は合 わせているのだけど、隣の課が実際にどういうことしているのか初めて知っ た」と語った。タイムラインには、市民目線では知ることのない膨大な数の こどもに関連する業務が挙げられた。これだけ多くの業務に対応する中で は、担当するサービスの位置付けを確認したり、市民の立場に立って気づき を得る機会が少ないのかもしれない。細分化された業務の一方で、一人のこ どもの成長は一続きであり、途切れることはない。一連の成長を見守るのは 家族だけなのだろうか。. 3.2. 子育て市民ワークショップ. 福津市職員とのワークショップに続いて、福津市在住で子育て中の保護者. を対象にした子育て市民ワークショップを2018年から2019年にかけて福津市 で実施した。福津市健康福祉総合センターで開催した一回目の参加者は9名 で、平日開催だったこともあり育児休業中の保護者や専業主婦(夫)が多く 参加した。二回目は福津市内の認可保育園で、仕事をしながらこどもを育て る保護者8名が参加した。 このワークショップでは、子育て中の市民が、福津市の子育てサービスを どのように利用し、感じているか聞き出すことが目的であった。そのために、 参加者には自身が利用した子育てサービスを記す市民タイムライン(図4) と、子育てに関わる周囲の関係図を示した市民エコシステムマップ(図5) 図4 市民タイムライン. を制作してもらった。今回は、参加者一人ひとりのさまざまなニーズや置か れている環境を理解するために、個人作業でタイムラインとエコシステム マップを制作した。 市民タイムラインの制作にあたって、前述した職員ワークショップで作成 したタイムラインをもとに、福津市が提供するこども・子育てサービスを時 間軸に沿って整理したサービスマップが参加者に配布された。サービスマッ プに記載された福津市のこども・子育てサービスに対し(1)利用した(2) 知っているが利用しなかった(3)知らなかった、の3段階でチェックして もらい、各サービスがどの程度認知・利用されているかを測った。さらに、. 図5 市民エコシステムマップ. サービスマップ下部には、福津市のサービス以外に子育てに関する個人的な 活動や行事と利用したサービスに対する問題点や改善案が記入された。 次に、市民エコシステムマップ制作のために、関係者や関係機関が書かれ たステークホルダーカード一式を参加者に配布した。参加者はそのカードを 市民エコシステムマップに貼り付け、家族を中心にした自身の子育て相関図 を作成した。カードにないステークホルダーがいる場合は手書きで記入し た。さらに矢印やテキストを使ってそれらのステークホルダーとの関わり方 を補足した。市民タイムラインと同様に、市民エコシステムマップにも問題 点やそれに対する改善案を記入した。 最後に、各自が制作した内容を一人ずつワークショップ参加者の前で発表. 21.
(5) 22. 特集:なぜ、子どものためのデザインに取り組むのか. し、福津市のサービスに対する評価や意見交換を行った。その中では、現在 の福津市の子育て支援に対する課題や未来の福津市の子育てシステムがこう あってほしいと願う理想像などについてさまざまな意見が交わされた。 ある参加者は「市役所に行く時はいつも不満や問題があるときだけだから、 こんな風に未来への希望や前向きな話を市役所の方にできる機会は新鮮」と 話してくれた。市役所には各種の相談窓口が用意されているが、それらはど れも困ったことがある時に行く場所がほとんどである。今回のワークショッ プのように、行政が市民とポジティブに共創できる場を設けることが、対話 への一つの糸口につながるだろう。こうした場を開くためにデザインが貢献 できる役割は大きい。. 4.福岡市との実践 4.1. こども未来局との共創. 福津市のサービスマップ制作とは異なる手法で、福岡市と共にこどもと子. 育てに関するサービスを一覧できるサービスマップの制作に取り組んでいる。 福岡市では、こども未来局がこども・子育てに関する事業の全体を把握し、 子育てに関する情報が詰まった「FUKUOKA 子育て情報ガイド」を毎年発 行している。しかし、こどもに関する事業がすべて含まれるため、頁数は約. 140ページに及び、その内容は子育てする人への情報の他に運営事業者を対 象としたものなど、さまざまな階層の情報が混在していた。また、5年に一 度改定される福岡市子ども総合計画には福岡市のこどもに関する取り組みが 網羅されているが、主な読者は行政職員であり一般に普及したものではな かった。 そこで、2020年度から施行される第5次福岡市子ども総合計画の改定を契 機に、子育て市民にとって役に立つサービスを集めたマップのデザインプロ ジェクトが始まった。福岡市職員と共に第5次福岡市子ども総合計画に準じ てサービスを抽出し、それらをこどもの成長の流れに沿って編集した。第5 次福岡市子ども総合計画では、妊娠期から39歳の若者までがその対象に含ま れる。その期間に提供されるサービスは膨大な数に及ぶため、事業者や学校 図6 サービスマップのプロトタイプ. への支援・事業を除いて、市民が直接利用できるサービスに限定し、こども の成長に合わせて利用できるサービスを掲載した。サービスマップのプロト タイプ(図6)を市民が評価するプロセスを経て、情報構造やわかりにくい 言い回し、マップの形状を改善した(図7)。 このサービスマップは現在進行中のプロジェクトであるため、運用後の 市民からのフィードバックはまだ得られていない。これからの運用方法は、 こどもを持つ市民やこれからこどもを育てようとする市民に届くよう、母子 手帳交付時などに職員が説明しながら手渡す予定である。福岡市にとって初 めての試みとなるこのサービスマップは、一方的に情報を伝えるためのもの ではなく、行政職員が市民と対話するためのツールとしての活用を期待して. 図7 改善したサービスマップ. いる。. 4.2. こどもを育てる保護者のインタビュー調査. 福岡市の子育て支援サービスについての評価と子育てにおいて直面する課. 題、今後どのようなサービスを期待するか、といった市民の意見を聞き出す 2)下村萌,森田昌嗣,平井康之:サービスデザインの視 座に基づく福岡市の子育て支援サービス調査,デザイ ン学研究,66(2),29-38,2019. ことを目的として、福岡市に在住する妊娠中もしくは子育て中の保護者にイ ンタビュー調査を行なった[注2]。.
(6) デザイン学研究特集号 Vol.28-1 No.103. インタビュー調査からは、対象者の多くが子育てに対する経済的な不安を 抱えていること、子育てに関する知識の蓄積に課題があること、祖父母が重 要な役割を担っていることなどが分かった。上野(1994)が、高度成長期以 降の1983年には既婚女性の有業率は50.8%と、ついに半数を超え、専業主婦. は「ゆとりの証明」となった[注3]と指摘するように、既に30年以上も前 からこどもを育てていくには共働きでなければ経済的に立ち行かない状況で あることはこうしたデータからも読み取ることができる。加えて、それまで の村社会が担ってきた共同体でこどもを育てる環境は、こどもに関する知識 の蓄積を可能にしてきたが、核家族化によりその知識の継承は途絶えた。 こうした中で現れたのが孫育てに参加する祖父母の存在である。インタ ビュー調査の対象者全員が祖父母から何かしらの支援を受けていた。ここで の祖父母は里帰り出産や家事のサポートなど孫育てに協力的だ。こうした 健康で協力的な祖父母がいる場合は良い。しかし、これがすべての人に当て はまるわけではない。冒頭で述べたようにこどもを取り巻く環境は千差万別 である。生まれた環境を選べないこどもはそれを受け入れるしかないのだろ うか。. 5.社会的子育てモデルのデザイン 現地で見聞きしたフィンランドの子育ての仕組みは、社会的システムと個 人主義で成り立っていた。つまり、前者は、高い税金を支払う恩恵として誰 もが利用できる社会福祉サポートが確立されていることである。家族や友人 に頼らずとも、ネウボラという社会基盤がこどもを育てる道標を与えてくれ る。後者は、フィンランド人のオープンマインドで議論を厭わない国民性で ある。インタビューしたフィンランド人は皆、ネウボラでこどもを育てる環 境が整っているかを確認する質問(例えば預金残高や薬物使用、DVの有無、. 性生活といった個人的な内容)に答えることに抵抗はないという。彼らに、 福岡市で行なった日本人へのインタビュー調査では個人的な話に抵抗がある と答える人が多いことを伝えると「なぜ隠すの?」と逆に質問されて答えに 窮した。たとえ経済的に苦しく、薬物使用や DV があったとしても、その状. 況を共有して最適な道を教えてくれる方が自分にもこどもにも良いという。 一方、日本で行なったワークショップやインタビューからは、プロフェッ ショナルとして行政に期待することと、祖父母や家族をよりどころとする二 面が見られた。いわゆる日本人ならではの「本音と建前」と言えるかもしれ ない。例えば、ある人はインタビューの中で個人的なことを公共の場で話す ことに抵抗があると答えた。その一方で、祖父母に里帰り出産やこどもの面 倒を見てもらうことに対する遠慮や否定的な意見はほぼ聞かれなかった。 行政機関と共に研究活動を進める中で、これまで市民目線では見えていな かったが、様々なレイヤーで数多くのこどもに対する支援や事業や人が動い ていることを知った。こうした思いとサービスを然るべき人へ届けなくては ならない。核家族だけでなく家族の形態が多様に変容している中で、日本社 会は、このまま子育てを近親家族に閉じるか、祖父母のように本音で付き合 える新たな社会的子育てモデルを構築できるか、大きな分岐点に立っている と言えるだろう。. 3)上野千鶴子:近代家族の成立と終焉 ,岩波書店,43-65, 1994. 23.
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