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ホルトハウス先生を偲んで 西伊豆戸田村の想い出(Lipke B. Holthuis先生追悼文)

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Academic year: 2021

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C A N C E R 17 (2008),

p.49- 50

ゐ伊豆

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切 村 の 想 ぃ *

2008

3

7

日,本 学会名誉会員 ,ライデン

博物館名誉館員

Prof. Lipke

Bijdelry Holtuis

先生 がお亡くなりになったという知らせを村岡先生か ら頂いた。

2004

10

17

日に小田原利光先生がお 亡くなりになり,小田原先生の追悼文を本誌に書 かせていただいたが,思いがけず村岡先生からホ ルトハウス先生の追悼文をとのお話を頂き,先生 を小田原先生,村岡先生,山口先生,それに私と で,駿河湾の深海生物を漁獲している西伊豆戸田 村 ( 当時,現在沼津市に合併) へ先生をご案内し たご縁を述べさせていただきた いと思う 。 戸田村には幕末ペリーの艦隊 が伊豆 の下回に入ってきて開国 を迫り, 日米通商条約を結んだ 話は,今,

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の 大 河 ド ラ マ で紹介されているが,この時に 湾口で待機していたロシアの軍 艦ディアナ号が安政の地震と大 津波,そして,暴風に遭って大 破したので,デイアナ号を伊豆 の漁師が漁船で駿河湾の湾奥ま で曳航して来たが富士の 沖合い で沈没した 。艦長プチャーチン 以下船員を富士の漁民たちが救 助し,プチャーチン艦長以下救 助されたデイアナ号の乗組員全 員を西伊豆戸田 村に集め,船員 と伊豆の船大工とが協力して代 船戸田号を建造し帰国した。 こ れを記念して,戸田村立造船郷 土資料博物館が建てられた 。 戸田港所属の小型底曳 き網漁 船の協力を得て,駿河湾で漁獲した深海生物を 集めてこの博物館に併設して

1982

7

月に駿河湾 深海生物館が建設された 。ホルトハウス先生がお いでくださった時は,この駿河湾深海生物館が完 成し標本もほぼ展示し終わった

1986

10

21- 22

日であった 。先生は,戸田村の役場で村長さん職 員の方達と会われてから,底曳き網漁船「日の 出 丸」が水揚げして家に運び込んだ漁獲物を丹念に 調べられ,翌日漁船に乗って実際に漁場で底引き 網の漁獲物を調べることになっていた 。宿は,戸

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田村の国民宿舎,夕食にはタカアシガニを賞味さ れた。 ひょっとしたらタカアシガニを食されたの は初めてだったかもしれないが,お聞きするのを 忘れてしまった 。翌日はあいにくの荒天で漁船は 出漁できなかったので,午前中は 戸田村立駿河湾 深海生物館で展示標本をご覧頂き,博物館の方達 と懇談 された 。午後] R三島駅までお供をしてお 別れしたが,先生からは記念にとヨーロッパアル プスの岩石を磨いて造られたというループタイを 頂いた。私の宝物である 。 先生のご専門はエビで有る 。 この深海生物館に は,どちらかと 言 えば魚とカニが多く展示されて いる 。先生のお役には立たなかったのではないか と思 っているが,記念に 二枚の色紙にサインをし てくださった 。図はそのうちの 一枚である 。他の 一枚は ,小田原先生の追悼文に載せていただいで ある 。 先生のご業績については本会のホームページに も紹介されており,エピの専門の方が書かれるこ とと思うので,先生が今は故人となられた小田原 利光先生,現役でカニの研究に打ち込んで居 られ る村岡健作先生,そしてホルトハウス先生の遺徳 を継がれ,名 実 ともにシーボルト研究の第一人者 になられた山口隆男先生と共に戸田村までわざわ ざお運び下さ った想い出の一端を記させていただ いた 。小田原先生そしてホルトハウス先生,お 二 人とも鬼籍に入られてしまったことへの寂しさは 言葉には言い表すことは出来ないが,生前のご厚 情に対して心からお礼と感謝の気持ちを捧げ追悼 の言葉とさせていただきます。 ご冥福をお祈りい たします。 (日本大学名誉教授)

参照

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