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<共同研究班活動報告> 監視社会の根底にある秩序観

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Academic year: 2021

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<共同研究班活動報告> 監視社会の根底にある秩序

著者

中村 健太

雑誌名

KG社会学批評

10

ページ

55-59

発行年

2021-03-24

URL

http://hdl.handle.net/10236/00029389

(2)

(4.共同研究班活動報告)

4-2.監視社会の根底にある秩序観

中村 健太

1 監視社会と不確実性 現代社会では、グローバルな流通の拡大や個人化、思想や嗜好の多様化が進んだ結果、いつ どこで何が発生するか分からない不確実性が常に存在している。特に、都市は大勢の人やもの が出入りするという特徴から、不確実性の度合いがより高いといえ、テロや疫病の流行といっ た危機に晒されていると考えられる。 このような、流動性が高まり不確実性の増大した現代社会を分析した議論の一つに、監視社 会論がある。監視社会論はミシェル・フーコーの『監獄の誕生』を出発点にして、現代社会で 生活する人々が様々なテクノロジーによって監視され、統治されている状況を描き出した。こ うした、監視が至る所で行われる状況が強まってきたことについて、監視社会論の第一人者で モビリティー あるデイヴィッド・ライアンは「流動性・速度・セキュリティー・消費者の自由に価値を置く 社会において、政治的・経済的な諸関係が構築されていく複雑な過程の、その結果」(Lyon 2001=2002 : 13)だと述べている。つまり、ライアンの主張を踏まえるならば、監視社会の興 隆はグローバル化に伴う流動性の増加や自由の拡大といった特徴と軌を一にしているといえる のだ。さらにライアンは、監視が「社会の秩序編成そのものに寄与する」(ibid. : 16)と述べ る。このように、流動化し不確実性の増した現代社会の秩序編成を明らかにするためには、監 視という観点は外すことのできない重要なトピックだと認識されている。 ところがライアン自身は、監視という現代社会を特徴づける概念の重要性に気づき、その分 析を精緻に行っているにも関わらず、監視によって実現される秩序がどのようなものなのか、 という問題にかんしてはほとんど議論を行っていない。またライアンは、現代では福祉に代わ り、監視によってリスク管理を行う安全が「政府の政策を導く主題」(Lyon 2007=2011 : 296) になったとも分析しているが、そもそも福祉にとって代わった安全とは一体どのような特徴を もつものなのかといった点についても、十分に展開していない。 ライアンの監視社会論は、現代社会では当たり前となった生体認証などの様々なテクノロジ ーを駆使した監視による、人々の統治という観点の重要性を明らかにしたという意味では、非 常に意義のあるものである。しかし、社会が人々の監視を強めるようになったことで、秩序や 安全といった概念自体も従来までの意味合いから変化したのか、そして監視によって実現する 社会秩序や人々の安全がどのような特徴を持った概念なのか、という点については踏み込んだ 考察を行っていない。そのためライアンの監視社会論は、現代社会を分析するための理論枠組 みを提示できているとはいえない。 KG 社会学批評 第 10 号 [March 2021]

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ライアンの監視社会論を分析した研究としては、野尻洋平(2017)によるものがある。野尻 によると、ライアン監視社会論の思想的背景には「「社会的存在」としての「人間」の本質を、 「神の似姿」の反映であるとみなし、分割しえない人間の「全体性」という地平から現代社会 を読み解くという方法」があり、それは「キリスト教的な社会倫理にもとづいた視座と方法に よって構成されている」(野尻 2017 : 92)ものだという。つまりライアンはキリスト教的人間 観に基づいた価値観を出発点に自身の議論を展開しているのだ。このように野尻の議論は、ラ イアンが監視社会論を打ち立てるに至った経緯にキリスト教的人間観があることを指摘してい る。だが、野尻はライアンの人間観、社会観について言及しているものの、監視が行われ、人 間がデータの束として扱われる現代社会の具体的な秩序メカニズムについては取り上げていな い。 そこで本稿では、規律的メカニズムをベースとする監視社会論とは異なる視点から不確実な 社会の秩序について分析したフーコーの安全論を紹介し、不確実な空間における統治メカニズ ムについての議論を整理する。 2 フーコーの安全論−統治システムとしての安全− フーコーは統治という観点から安全を分析し、社会を成立させている基底のメカニズムに安 全のシステムがあることを提示した。フーコーのいう安全は統治がなされている状態を指す概 念であり、すなわち、絶対的な安全が確保されていないとはいえ、社会が統治不能な混沌に陥 っているわけでもない状態を指すものである。 フーコーの安全は、開放性、自由、個体群という三つの特徴によって構成されているといえ る。フーコーによると、安全のメカニズムが駆動している社会は「危険で不完全なものを完全 に抹消してしまう」ことを目指すのではなく、何か問題が起こるかもしれないという「蓋然性 が扱われる」(Foucault 2004=2007 : 24)のだという。すなわち「蓋然性の見積もりによって のみ制御可能なものを管理すること」(ibid. : 25)が安全メカニズムにとっての重要な任務だ ったのだ。 これは、フーコーの挙げている事例に引き付けて考えると、都市を設計・開発する際に、人 やもののより活発な流通を推進することで都市を発展させようとする発想に起因する。フーコ ーが分析対象として取り上げた都市では、外部との通商や絶え間ない人の出入りといった、空 間の開放を前提とする政策によって都市が活性化するとみなされていた。そして都市の発展の ために、「都市を横断する軸と大きめの道をいくつか貫通させ」(ibid. : 22)ることや「外部と の通路を整備すること」(ibid. : 23)などの計画が立てられたという。これは同時に、都市に とっては不都合なリスクである病原菌や犯罪者などの侵入も許すことを指す。しかしリスク要 因の侵入をおそれて都市を封鎖し完全な安全を目指すのではなく、「悪い流通を減少させて良 い流通を最大化する」(ibid.)という、あくまでも流通の促進を目的とした空間の開放は継続 56

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ではない統治の方針がここから見て取れる。そしてこれが蓋然性の意味するところであり、治 安悪化や疫病などの様々なリスクの生起と、ある程度の問題の顕在化を前提としながらも、社 会を外に向けて開放し発展させていこうとすることをフーコーは安全のメカニズムとして捉え ているのだ。 さらに開放は、第二の特徴である自由とも密接に関わっている。フーコーは安全のメカニズ ムにおける自由を「運動・移動の可能性、人々や事物の流通プロセスのこと」(ibid. : 59)だ と理解している。上で見たような空間を開放して人やものの出入りを活発化することは、各人 の行動範囲や消費の自由を増大させることにつながるのだ。では、この自由という概念は安全 とどのようにかかわっているのか。 フーコーは安全と自由の関連を論じるにあたってヨーロッパの食糧難の事例を参照し、穀物 の価格を統制するのではなく、自由主義的発想によって「物事をなるがままに放置する」 (ibid. : 51)ことが食糧難をなくしたと分析している。ここで重要なのは、安全のメカニズム が価格や供給量の厳密な管理によって食糧難を起こさないようにしているのではなく「禁止も 命令もせず(中略)ある現実に応答」(ibid. : 57)していることである。すなわち、問題が起 きること自体は抑止せず自由な流通に任せておき、問題が起こった際には「その向かう先であ る現実自体を無効化する」(ibid.)施策をうつ。開放性の部分でも述べたように安全メカニズ ムでは、様々な問題が起こりうることを念頭に置いたうえで自由を推奨し、リスク自体をなく そうとすることはないのである。 フーコーは安全が不確実性と並立するという前提に立っている。そのため、自由と安全は両 立しうるものとなる。それはフーコーが、社会は統治にあたって完全な安全を目指しているの ではなく「人々を放任すること、事物を起こるに任せること、物事をなるにまかせ、放任し、 放置すること」(ibid. : 58)を優先したうえで、問題にはその都度対応するという方法をとり、 現時点での安全を実現しようとしていたという安全観を持っていたことから理解できる。 そして最後の個体群というキーワードは、開放と自由という不確実性を伴う安全を実現する ための最も重要な要素である。そもそもフーコーは君主制による、ある特定の領土の外敵から の保護という問題が、近代社会になるにしたがって変化し、保護の対象が領土ではなく popu-laion(個体群)になったという点に基づいて安全概念に着目している。つまり、当然のことな がら、安全は領土ではなく特定の人に対して保障されるものであり、その対象こそが、個体群 なのである。 個体群とは「一方ではヒトという種のことであり、他方では公衆と呼ばれるもののこと」 (ibid. : 91)を指すという。これは、人の集まりが「臣民という法的・政治的概念からではな く、いわば管理や統治の技術的・政治的対象として知覚される」(ibid. : 86)ようになり、こ こで「人間は原初的な生物学的組みこみのなかに姿を現す」(ibid. : 91)という。このように、 フーコーは安全メカニズムで安全が保障される対象は、個人ではなく生物種としての個体の集 まりである個体群だとしている。それでは、個体群の安全とはどのようにして保障されるもの なのか。 KG 社会学批評 第 10 号 [March 2021]

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安全確保の対象となっている個体群は三つの自然性を持っており、この自然性を取り扱うこ とで、社会は安全メカニズムによって統治されるのだという。まず個体群はその土地の風土や 規則、社会規範などの様々な変数によって変化し、法を制定し領土を支配する主権者の命令通 りに動くようなものではないという。つまり個体群は誰かの恣意性によって思い通りに変化さ せられる人為的に支配可能なものではなく、複数の変数が絡まりあうことによって変化してい く自然的なものなのである。次に個体群は、その「振る舞いを正確に予見することができな い」(ibid. : 88)ものだが、欲望という自然的な行動原理を持っているという。フーコーによ ると個体群の「欲望が働くがままにすれば(中略)一般的な利を生産することにな」(ibid. : 89)り、結果的に欲望という自然性を通して個体群を管理することが可能になるという。最後 に、個体群は様々な変数に依存してその数値を変えるとはいえ、数値の変化自体は規則的であ るとされ、「偶発的事故に至るまで定数や規則性が認められうる」(ibid. : 90)ものなのだとい う。よって、個体群の数値の変動はそれを促す変数の分析や行動原理である欲望の標定によっ て法則を見出すことが可能なものであり、この法則を踏まえて個体群は統治していくことがで きるようになるという。このようにフーコーは、個体群がいくつかの人為的でない、自然的特 徴を持っていると指摘し、そこからどのような統治が可能となるのかを分析している。 フーコーは個体群に対して保障される安全の特徴を、疫病の事例から紐解いている。この事 例では、あらかじめ病原菌を体内に入れることで小規模な病気を引き起こし、その結果疾病へ の全面的な罹患を防ぐことを目的とする接種が、安全メカニズムに基づくものだとしている。 フーコーがここで着目するのは、ある国や特定の集団、また性別や年齢などで感染に一定の傾 向がみられるということである。そしてそこから、罹患率や死亡率といった確率が導き出さ れ、当該集団に属している人のリスクを割り出すことが可能になるという。このようにして、 それぞれのグループに属する個体群の「蓋然的な罹病率・死亡率はどの程度か(中略)を見 る」(ibid. : 77)ことが可能になる。そしてこうした確率には「正常な罹病率・死亡率」(ibid.) があり、フーコーが事例として挙げた天然痘で言えば「罹病率・死亡率を引き下げて罹病率・ 死亡率の平均水準に合わせるということ」(ibid.)が安全メカニズムにとっての解決すべき問 題だったのだという。 つまり問題となっていたのは、各個人の罹患や死亡ではなく、個体群という特定の集団のも つ確率が異常な値になっていたことなのだ。この点から安全メカニズムが、個人の生死よりも 個体群の数値の方を重視しており、社会が安全な状態かどうかの判断は個体群のもつ正常値を 参照して行われていたということを意味する。 3 安全、監視、不確実性 ここまで、フーコーの安全論を概観してきた。本稿では紙幅の関係上、これ以上込み入った 議論は展開できないが、監視社会論が十分示すことのできていなかった不確実な社会の統治メ 58

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されているといえる。 確かに、現代社会では個人の身体データを監視し、管理しようとする仕組みが発達し、実際 に様々な場面で使用されている。しかしそれは、問題をあらかじめ防ぐことを目指したものと いえるのだろうか。むしろ、流通や移動といった自由な行動が活発に行われている状態が監視 メカニズムの駆動する前提条件だと考えると、監視のシステムは、社会を止めてしまうことな く当該問題の関係者の“足取りを掴む”ための手段であるようにも思われる。そこでは、一見 自由に人びとは行動しているが、実は生体データなどが統治に用いられるという監視社会論の ロジックが働いている。しかしこのロジックの根底にあるのは、監視社会論の前提となってい る規律ではなく、自由や多様性を守り、不確実性を社会に残したまま統治しようとする安全の メカニズムである。 このように、監視は現代社会を統治するための重要な要素であるが、その監視によってどの ような秩序が実現しているのかという問いこそ、我々が仔細に分析するべき問いなのだ。 【参考文献】

Foucault, Michel, 2004, Securité, territoire, population : cours au Collège de France 1977-1978, Paris : Éditions du Seuil/Gallimard. (高桑和巳訳,2007,『ミシェル・フーコー講義集成Ⅶ 安全・領土・人口 コレ ージュ・ド・フランス講義 一九七七−七八年度』筑摩書房.)

Lyon, David, 2001, Surveillance Society : Monitoring Everyday Life, Buckingham : Open University Press.(河 村一郎訳,2002,『監視社会』青土社.)

────, 2007, Surveillance Studies, 1sted., Cambridge : Polity Press.(田島泰彦・小笠原みどり訳,2011,

『監視スタディーズ──「見ること」「見られること」の社会理論』岩波書店.)

野尻洋平,2017,『監視社会とライアンの社会学──プライバシーと自由の擁護を越えて』晃洋書房.

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