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越境の可能性 : カリブの女性作家

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越境の可能性 : カリブの女性作家

著者

吉川 佳英子

雑誌名

年報・フランス研究

42

ページ

55-68

発行年

2008-12-25

URL

http://hdl.handle.net/10236/10350

(2)

55

越 境 の可育旨性

――カ リブの女

`性

作家――

吉川

佳英子

序 日本で 「クレオール」が注 目され るよ うになったのは1990年代であるが、長い 間、尊厳 を否定 され続 けてきた黒人たちが 自己に 目覚め、歴史の不条理の中でカ リ ブに集 め られて後、数世代による混血化 を経て創 り出されたのがクレオールの文化 である。それぞれ に起源 を絶たれ、アイデ ンテ ィテ ィを探 し求める人々の動 きが、 新 しい創造のエネル ギー と、 ここで結び付いたのである。 さて、マ リーズ・ コンデは、カ リブ海 グァ ドループで黒人中産階級の家庭に生ま れたアンテ ィールの黒人女`性である。ネ グ リチュー ドの夢を追い、アフ リカに回帰 を試みたが、その夢が叶 うことはなかった。ネイテ ィヴ並みのフランス語は、アフ リカで受 け入れ られ ることはなかったが、一方、祖国フランスにおいても、彼女の 肌 の色が彼女に他者`性を思い知 らせ ることとなったのである。近年の作家活動は主 としてニュー ヨー クでな されているが、彼女の人生はまさに「移動」の連続である。 彼女の最初の小説『 ヘ レマノコン』以来、多 くの作品を書いているが、代表作『 セ グー』はアフ リカを題材 とした想像的歴史小説で、フランスでベス トセラーになっ た。 また、『 わた しはテ ィチューバーセイ ラムの黒人魔女』 は歴史的史実をもとに した小説であるが、この作品でマ リーズ・コンデはフランス女`性文学大賞を受賞 した。 『 わた しはティチューバ』は、セイラムの魔女裁判を題材に、バルバ ドスの女奴 隷がセイラムの魔女裁判に巻き込まれていく過程を丹念にたどつているが、リアリ ズムの枠に必ず しも捉われることなく、彼女独 自の小説世界を自由に創作 している。 彼女の倉J作のなかには、主人公が経験 したことのなかつたフェミニズムのテーマも

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56 越境の可能性

巧みに盛 り込まれている。

マ リーズ・ コンデはことさらにフェ ミニズムを標榜す るわけではないが、持 ち前 のバ ランス感覚か ら、カ リブ海文学における男性支配が際立った折には、女性作家 たちの存在 を擁護す る。1998年6月 の 日本における 《La paroL des tⅢnes》 と題 す る講演(Dの中では、シュザ ンヌ・ ラカスカー ド、マイ ヨッ ト0カペ シア、シュザ ンヌ・セゼール、シモーヌ・ シュワル ツ

=バ

ル トな どの女性作家の声を紹介 してい る。 マ リーズ・コンデの人生は実際、「移動」の連続であった と先に述べたけれ ども、 このよ うな環境が彼女にもた らした物事の捉 え方の特徴 としては、既存の枠組みに 縛 られない 自由な価値観が挙げ られ よ う。地理的な越境、人種の越境、言語の越境、 文化の越境、性 の越境等、それはあ らゆる面において、 しか も易々 と成 し遂げ られ ているのである。 さて、 この 「越境」 とい うキー ワー ドか らすれ ば、『 わた しはテ ィチューバ』 と い う作品において、我々は何 を見出す ことができるのだろ うか。地理的な越境や文 化 における越境 は言 うまで もないが、この小説 に特有の 「魔術」や 「魔女」 といつ たファクターが、作中でマ リーズ・ コンデの手によ り、 どの様 に 「越境」の意味付 けをな され、 どの様 に位置づけ されているのか。 これ らを以下で考察 してみたい。

I.史

実をめ ぐって セイ ラムの魔女裁判に関 しては、これまで多 くの研究が既にな されてきた。アメ リカ合衆国ニューイ ングラン ド地方のマサチューセ ッツ州セイ ラム村で1692年3 月1日に始まる一連の裁判 を指 し、まず、セア ラ・ グッ ド、セアラ・オズボー ン、 そ してテ ィチューバが逮捕 され、セアラ・オズボー ンは監獄 内で死亡 した。さらに、 200名 近い村人が魔女 として告発 され、結局、19名 が処刑 されたのだつた。 事件の経緯 は、降霊会に参加 していた牧師サ ミュエル・パ リスの娘エ リザベス と 従姉妹ア ビゲイル・ ウィ リアムスが奇妙な行動 をとるよ うになつたことか ら、他の 参加者 とともに牧師によつて悪魔払いが行 われた。 しか し、 これは失敗 に終わる。

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越境の可能性 57 その結果、サ ミュエル は黒人の使用人テ ィチューバが妖術 を使 った として詰問 し、 拷問す るに至 る。 この史実を題材にした作品とい うのは、既に二つ挙げられる。まず、アーサー・ ミラーの戯曲『 るつば』 (1953)と 、アン・ ピー トリの『セイラム村のティチュー バ』 (1964)で ある。これ らは、上で挙げた史実にかなり忠実に従っていると言え るようだ。 とは言え、『 るつぼ』のテーマは告発による恐怖に力点がおかれている から、ティチューバが登場はするけれ ども、む しろ政治的抑圧が主たるテーマとし て書き込まれている。一方、『セイラム村のティチューバ』の方は、パ リス家に仕 えるティチューバが主人公で、こちらはティチューバの悲劇である。この女奴隷は 次第にセイラムの魔女裁半Jに巻き込まれていくのである。 これ らに対 して、マ リーズ・コンデの『わたしはティチューバ』は、史実をベー スにしてはいるもののフィクションの要素も多分に付け加えられ、よリティチュー バが リアルに描かれていると言える。前二作と何より異なる点としては、ティチュ ーバを育ててくれたママ・ヤーヤは、自然を操る不思議な力を彼女に伝授 してくれ るのだが、この力は良いことのために使われねばならないことがママ・ヤーヤの言 葉をとお して強調 されているフ点である。小説中で魔術は人の病気や傷を癒すために 使われ、作者がこの不思議な力に向けるまなざしも、決 してそれを裁いた り告発 し た りする性格のものではなく、自然界の一部 と見なし得るごとくである。

H.カ

リブの宗教 「自然を操る不思議な力」と対峙 しないカ リブの土地にあつて、ではそこでは一 体、 どの よ うな宗教観 が土壌 を形成 しているのだろ うか。 『 わた しはテ ィチューバ』のなかで、ク リスチャンのスザ ンナ・エ ンデ ィコッ ト の家に、夫 となるジ ョン・インデ ィアンとともに仕 えることになった時、ティチュ ーバは生まれて初めて祈 りの言葉 を彼 らか ら教わる。

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越境 の可能性

く〈Je cЮis en DieL le pere TOut_Puissant C“atellr du ciel et de la terre...〉 〉

Mais ces paЮles ne signiflaient五 en pour rnoio Cela ravait五 en de corrmurl avec ce que

Man Yaya mhvJtappHζ2と

キ リス ト教の教 えが、文化 を異にす るテ ィチューバに とつては何の意味 ももたず、 彼女の関心を引 くはず もなかつた。彼女に とって大事なことは、ママ・ヤーヤの数 々 の教えであ り、それに従つて風に耳を傾 け、海や山や丘のことを知 ることであつた。 もともとカ リブ海地域に生存 していたカ リブ族な どの先住民族 は、15世紀にコロ ンブスがアンテ ィール諸島に初めて到着 した後、続 くヨー ロッパ人の到来により根 絶や しにされた。その際、彼 らが使 つていた言語や文化は失われて しまったのだが、 この ことは ヨー ロッパ人の支配のためには都合の良いことであった。後に、アフ リ カ各地か ら連れて こられた黒人奴隷たちは、自人入植者の言語や文化、そ して地元 にかすかに残 る先住民族の文化の名残 りな どか ら、様 々な要素の混合体の性格 を帯 びた文化 を新たに創 り出 したのである。従 つて、西洋社会の人々が信仰 しているキ リス ト教の教 えが、そのままの形でカ リブで生活す る人の宗教心を形成 していると は言い難い。 この地で使われ る言語の形成 と同様、そのアイデ ンテ ィテ ィの重要な 一部 を成す宗教に関 しては、極めて複雑であろ うと想像 され、少な くとも西洋社会 のキ リス ト教の信仰の様子 と事情は同 じでないはずだ。 それ どころか、カ リブはその発見当初か ら、いわれのない宗教的 レベルの中傷 を 浴び ることになる。 コロンブスによ り発見 されたばか りの西イン ド諸島は、既知の 世界への侵入者 として、西洋社会の人々は特に先住民族に対 してカニバル、すなわ ち 「人食い」 との恐 ろ しい噂 を立てたのである。それはカ リブ族 とい う言葉の響 き の類似が少なか らず影響 した らしい。そ してカニバルのイメージは連れてこられた アフ リカの黒人奴隷 にも付与 され る。 ただ、「英雄 とカニバル」 と題 した講演の 中で、マ リーズ0コンデはキ リス ト教のカニバル的側面について次のように触れて いる。 [・…]カニバ リズムは単なる残虐行為ではな く、カ トリックの聖体拝領にも似た、

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越境 の可能性 神 を冒漬す る意図のない神秘的宗教的行為だつた ことです。キ リス トは信徒 に、 「食べなさい、飲みなさい、これは私の肉であ り私の血である」と言いま した。 ま さしくカニバ リズムは、特別の力 をもち、恩恵 をもた らす と考 えられ る 「他 者」の肉を食 し、血 を飲む行為であ り、それ を実践す る者 を豊かにす る行為な のです。[・・・]③ このよ うに、カニバ リズムを神秘的行為 と捉 えられな くはない とも言える。 しか し、一般 に罪深い と思われ るカニバ リズムを強引にカ リブ族 に結び付 けることは、 カ リブの人々か ら神の救いを奪 うことに他な らないか ら、支配層に とつてはこの根 拠のない告発 も省み るどころではないだろ う。 それでは、カ リブの住民は 自らを どう弁護すれば良いのだろ う。それはま さに、 上の引用の中にある 「[・・・]まさしくカニバ リズムは、特別の力 をもち、恩恵 をもた らす と考 えられ る 「他者」の肉を食 し、血を飲む行為」の実践 をとお してな され る のである。『 マニフェス ト・アン トロポファゴ(食人宣言)』 を著わ したオズワル ド・ ジ・アン ドラージによると、これは一種のパ ロデ ィの手法であるよ うだ。すなわち、 彼 は 「[…]知的植民地主義にピリオ ドを打ち、西洋の遺産を単に放棄す るだけでは 十分ではない。神聖化 された西洋の遺産 を一度解体 した上で、これ を吸収す ること が重要だ[… ]④」 と述べ る。西洋の権威 をパ ロデ ィを とお して くつがえ し、 これ を 逆に領有す るとい うのだ。言語の レベル、文化の レベルな ど種々の側面か ら、彼 ら は したたかに 自分たちを守 り、かつ充実 させ る術 を編み出 したのである。 そのよ うに して、彼 らが守 つた文化の価値 の一つに、独 自の 自然観 がある。『 わ た しはテ ィチューバ』の中には、主人公テ ィチューバの感性 を とお してバルバ ドス やセイ ラム、アメ リカな どの 自然が生き生き と描 き出 されている。

[.…]Man Yaya m'app五 t a ёcouterle vent quand il se Rve ct mesllre ses

forces au―dessus des cases(ゴil Se p“pare a broye.

Man Y∼am'appntla me■ Les montages etles momes.

(7)

越境 の可能性

テ ィチューバはママ・ヤーヤに教 えられた 自然 との付 き合い方 をその後、忠実に 守 り、 自分のなかの 「自然」 との対話の能力 を確実に高めてい く。

[...]Je■ xai la mtt fottt incendiё eo Soudttn,lln oiseau surgit des braises immobiles et

s'ёleva tout droit en direction du soleil.Puis ilゞ anC餞ちdёc五vit un cercle,s'irrmobilisa a

nouveau avany de reprendre sa fou鍋yante ascension(6).

彼女は 自然 を操 るこの不思議 な力について 自問す る。

La facultё de corrmuniquer avec les invisibles, de garder un licu constant avec les

dsparus,de sdgntt de ttё tt rest_elle pas llne grace su〆 Hellre de name a inspirer respect admiration et gratitudび 7η

実際、死者 との交信は彼女に とつて、余 りに 自然なことであった。微かな物音や 香 りにのって、死んだ母や父やママ・ヤーヤの霊は常に彼女の傍 らにや つて来た。

[….]Je nttais jamais seule puisque mes in宙 sibles ёtaient autOllr de moi,sans jamais

cependant rnioppresser de lellr pだ sence(8).

そんな彼女は、心を許 したユダヤ人のベ ンジャ ミンに次のよ うに語 りかける。

―Sait―tu que la rnort n'cst qu'lln passage dont la porte reste“ante(9)?

死の世界 と生の世界が通路によ りつながっていて、相互に連絡が可能であるとい う事態は、キ リス ト教社会の 目か ら見 ると極 めて驚 くべ きことであろ うけれ ども、 バルバ ドスやセイラムな どテ ィチューバの生きる世界においては、とても普通で受 け入れやすい ことであるらしい。死者 との交信や、死 と生の境界 をやすやす越 える こと、そ してそれによ り、「自然」の至るところに死者の霊の宿 りを感 じ取 ること

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越境 の可能性 は、テ ィチューバ達 に とつては、独特の 自然観 であるとともに宗教観 にも通 じる。 この考え方はいわゆるアニ ミズムに極 めて近い と言 えるのではないだろ うか。 アニ ミズム とい うのは、生物、無機物を問わず全てのものの中に霊魂や霊が宿っ ているとい う考 え方で、19世紀後半、イギ リスの人類学者 タイラーが著書『 原始文 化』の中で使用 した。「精霊信仰」 と訳 され、霊的存在が肉体や物体 を支配す ると い う精神観、霊魂観 を指 し、 これは世界的に宗教や習俗の中で存在 している。 テ ィチューバが 自然 と対話 しなが ら、風や波の音に死者の霊の存在 を感 じ取 り、 不思議な力で 自然 を操 った術 は、キ リス ト教では魔術 とみな され一律 に悪 と判断 さ れ るけれ ども、この地でのアニ ミズムの風潮 を考慮に入れ るな らば、このよ うな 自 然 との対話の習慣 はごく当 り前の もの として、 日々の習俗の中に溶 け込み得 る。少 な くともアニ ミズムは、彼女が行 つたよ うな不思議な能力の行使のための土壌 を十 分、準備 していると言 うことができるだろ う。その うえで、死の世界 と生の世界の 往来 も奇跡のよ うな越境 を可能な らしめているのであ り、 しか も、お とぎ話の世界 のよ うに無邪気に易々 とその往来を実現 しているのである。 IH。 小説 中の魔術の位置 さてそれでは、いわゆる魔術 と呼ばれ るものが、この小説 においては一体、どの 様 な意味を持 ち、 どの様 な位置づ けとなつているのだろ うか。 テ ィチューバは育ての母ママ・ヤーヤに、魔術の手ほ どきを受けたが、その際、 魔術の使い方そのものも詳 しく伝授 された。そのことを仲間の黒人奴隷に語つている。

―[….]Celle qui ma commllniquё sa science,mia app五 s a guёtt a apaiser plus qu'a

faire du to■.Une fois m,comme toi,je“ vais du pire,elle m;a mise en garde:《

Ne

deviens pas conlne cux qui ne savent que fare le rnal!(10)〉 〉

テ ィチューバは 自身の黒人奴隷 としての過酷な運命 を呪い、人生に失望す る余 り、 何度 も社会への復讐 を思い描 く。 しか しその都度、悪に手を染 めることのできない

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自分 に気 づ くので あ る。

越境の可能性

Pollr la milliёme fois,je pHs la ttsoludon detre di熙 ,rente,de pousser bec et ongles。

Ah ! Changer mon coellr ! En endure les parois d!un venin de sepent. En fare le

ceptacle de sentiments violents et amers.Aimerle mal!Au lieu de celttje ne sentais en md que tendressc et compassion pourles dё shёH白,“ volte devant rttusdcびHヽ

魔術に対 して西洋社会は常にこれを敵視 し、排斥 してきた。 しか し、この作品の 中では、魔術は癒 しの術 としてティチューバをは じめとする登場人物たちにむ しろ 畏敬の念を抱かせるし、魔術に対する偏見や先入観に、しば しば疑間を投げかける。

―.…dans cette sociё敏多, donne…t―on a la fonction de 〈〈sorciёre〉〉une connotation

malfaisante?La〈〈sorciёre〉〉si nous devons employer ce mot corige,redresse,console,

guё五t。… (12)

小説 中で主人公 テ ィチ ューバ は実際 、何度 も 自分 の扱 われ 方 に疑 間 を抱 き、また 魔術 の受 け止 め られ 方 に も抗議 の声 を上 げ る。

On semblait me craindre.Pourquoi?[… 。]Je COmp五s qu:on pensait surtout a mon association avec Man Yaya ct qu'On la redoutait.Pourquoi?Man Yaya n'avait― elle pas employё son don a faire le bieno Sans cesse et encore le bien? Cette telTellr me

paraissait llne ittustiCe[.… ](13)

自然 を操 る不思議 な力 で あ る 「魔術 」 を この作 品の 中では、あ くまで も人 を癒 す 術 と して位 置づ け、魔術 の先入観 に対 しては再 三 にわた り疑義 を呈す る。そ の こ と は小説 の流れ と して は、テ ィチ ューバ の人 間的葛藤 を際 立たせ る とともに、魔 女裁 判 へ の展 開の理 不尽 さを強調す る効果 を上 げてい る。それ では、魔術 とい うモ チー フは小説 の 中で は、 どの よ うな意 味 を担 い 、 どの よ うな価値 を持 つ ので あ ろ うか。 まず 、妻 に先 立たれ悲 しみ に くれ るユ ダヤ人 のベ ンジャ ミンが、テ ィチ ューバ の

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越境の可能性

63

魔術のおかげで妻の霊 と会い、妻 と久々に話す機会 を得 ることができたように、魔 術 は しば しば 「死」 との関わ りの中で語 られ る。テ ィチューバに とって死んだ家族 は実は、彼女の心の中に存在 し続 け、望めば彼 らと意志疎通をはかることができる。

Les morts ne mellrent que s'ils mellrent dans nos ccllrs. 1ls vivent si nous les chё五ssons,si nous hOnorons lellr n■,Inore,si nous posons sur lellrs tombes les lnets qui de lellr vivant ont eu lellrs p薫 ,lbrences, si a inteⅣalles

guliers nous nous

recueillons pollr comuniquer dans lellr souven」 l IIs sont la,partout autollr de nous,

avides dattention,avides dattction.Quelques mots sumsent a les rameuteちpressant

le■lrs corps in宙 sibles contre les l蛉tres,impaticnts de se rendre utileζИ)。

魔術の神秘的な力は奇跡的に死者 との コミュニケーシ ョンを可能 にす るが、それ ゆえにク レオールの文化 においては、独特の死生観が生まれ るよ うだ。ティチュー バの亡き実の母 と、育ての親のママ・ヤーヤは霊 としてティチューバのもとに現れ、 死を厭 うティチューバに次のよ うに死生観 を説いて聞かせ る。

― [...]La lllort est llne porte que nul ne peut verrouille■ Chaclln doit passer par la,a son hellre,a son jolェ Tu sais bien qu'on peut seulement la tentt ouverte pollr celⅨ que ron chёritafln qulils entrevoientcellx qui les ont laissё ζ15).

この主張の内容は、テ ィチューバ 自身がベ ンジャミンに語 つた 「「死 とい うのは 単に通路 に過 ぎない し、それ に戸はいつ も開いていることをご存 じですか?」 °①」 とい う言葉 と重な り合 うもので、死の世界 と生の世界がひ とつなが りになっている ことを思わせ、キ リス ト教世界の抱 く死生観 とは大きく異なっていることを示唆 し ている。死の世界 と生の世界の厳密 な対峙を うた う西欧社会にあっては、お よそ相 いれない死の意味付けであ り、従って死者 とのコミュニケーシ ョンを成 り立たせて いる魔術の意味 も、西欧社会の価値観 に照 らしてみ るな らば、にわかには信 じ難い ものであるはずだ。

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越境 の可 能性 しか しなが ら、テ ィチューバは、 自身の死後 も、「動物の毛皮の ピクピク した動 きや、四個の石の間で燃 えるたき火のパチパチい う音や、川の中で ゴボゴボい う虹 色のあぶ くや、山の上の大木の間を ヒュー ッと通 り抜 けてい く風の音な どに、わた しの存在°つ」を示す ことができ、そ うい う意味では死 と生の二つの世界を自由に往 来す ることも可能で、彼女は「そ う、わた しは今、幸せだ。わた しは過去を理解 し、 現在 を読み取 り、未来 をのぞ くことができる(D」。魔術 とい う特殊 な能力のおかげ で、彼女は生 と死を超克 し得 る果て しない可能性 を獲得 し、そのために死んで幸せ を手に入れ ることもできるのである。そ して、生 と死を対峙 させない世界の認識の 仕方が この小説全体 を貫いているか らこそ、我々は この作品に、世界 を眺める視線 における楽観′性を楽 しむ こともまた、可能なのである。死者 との対話が、のん気な ものであればある程、我々は死への恐怖 が薄 らぎ、カ リブのおお らかな 自然の風景 にも助 け られて、楽観 的な雰囲気 を十分に味わえるのだ。史実にもとづ く作品であ りなが ら、作者マ リーズ・ コンデは、この′点において、小説 としての新たな魅力 を 付 け加 えることに成功 していると思われ る。 IV。 作者のことば 『わたしはティチューバ』のエピローグの中で、ティチューバは自分の存在とカ リブの島を重ね合わせ る。

Et puis,il y a mon lleoJe me confonds avec elle.Pas un de ses sentiers queje n・ ale parcollru.Pas lln de ses rllisseaux dansに qud je ne me sds baignё e.Pas tln de ses mapollx sllr bS brarlches duquelje ne me sois balancё e.[…

0

バルバ ドス、セイ ラム、アメ リカ と生活の場 を転々 とす ることを余儀 な くされ た彼女の ことであるか ら、そのアイデ ンテ ィテ ィは さぞや脅か され続 けた ことであ ろ うと想像 され るが、その実、彼女の心には常に変わることのないバルバ ドスの島 の風景が存在 し続けていたのであつた。

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越境 の可能性 『 私はテ ィチューバ』の作者 はマ リーズ・ コンデであるか ら、主人公テ ィチュー バの姿の幾分かは、作者マ リーズ0コンデ 自身 を映 し出 していると言 えるであろ う。 これは過去の史実をもとに書かれた作品 とは言え、コンデ以前に小説化 された諸作 品に比べ、フィクシ ョンとしての性格が拡大 され、コンデによる創作部分、例 えば ユダヤ人の愛人のエ ピソー ドの挿入などもコンデ作品の特徴の一つ と言える。ティ チューバは魔術 を使 うけれ ども、極 めて人間 らしく描かれ、魔術の行使 にあたつて 遼巡す るところも多々見受 け られ る。史実を比較的 自由に描 くコンデであるか ら、 テ ィチューバに作者マ リーズ・コンデの分身を垣間見 ることも許 されな くはないは ずだ。マ リーズ・ コンデ 自身は、 自分のアイデ ンテ ィテ ィのよ りどころを一体、 ど こに どの様に見出 していたのだろ うか。 さて、マ リーズ・ コンデの作品は近年、特に多 く出版 されているし、その翻訳ま た研究書な どの出版 も後 を絶たない。 しか し、今の ところ伝記はまだ発表 されてい ないので、彼女の半生、それか ら彼女 自身の肉声は随時、企画 され る講演会、そ し てそれ をもとに した講演集等の記録 によ り窺い知 ることになる。 1998年 3月 テキサス州オースチンで開かれた「比較文学会」と「アフ リカ文学会」 の合同学会での基調講演において、マ リーズ・ コンデは 「すば らしき新世界」 と題 された もののなかで唸①、「ディアスポラのアイデンティティ」 と「混血の創造`性」 について角虫れている。 […

]し

か し、 よく言われ るよ うに、あ らゆる移民 コミュニテ ィが機能不全に 陥 り、忘れ られたノーマ ンズ・ ラン ドで暮 らし、ルーツを失い、アイデ ンテ ィ テ ィ障害 をお こしていると考 えるのは、間違いです。[…・

]私

は逆に、人 口移 動が豊か さの源であ り、移民 コミュニテ ィが素晴 らしい創造の場 にな りうると 考 えます゛D。 デ ィアスポラは、もともとユダヤ人の民族離散 を指すギ リシャ語であるが、マ リ ーズ・ コンデは移動 と街往による出会い と変容 を自分の住処 とす るよ うにな り、そ うい う意味で 「デ ィアスポラの作家」 と呼ばれ る。デ ィアスポラの彼女は、アイデ

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越境の可能性 ンテ ィティを探す旅 にこだわるのではなく、移動そのものの持つ豊か さに 目を向け るよ うになる。 […

]つ

ま り、奴隷制時代や植 民地支配下において最大の悪 と見な された混血 や人種混清が、今 日では価値 として認 め られているのです。混血児はもはや劣 つた人間でも、社会 と自然の秩序を乱す ものでもなく、多様な新 しい文化的価 値のるつぼ と見な され るよ うになつたのです1221。 実際、植民地化による混血で文化の混清が生 じ、また同時に言語の雑種性 も生ま れ るに至る。その結果、物の 「真正」 とは何 を指すのか、その概念 自体が揺 らぎ始 め、いわゆるアイデ ンテ ィテ ィその ものの本質 さえ定義があや うくなつた。そ して、 アイデ ンテ ィテ ィの意味が問い直 され ることになる。 […

]す

でに述べた よ うに、アイデ ンテ ィテ ィが出生地や肌の色や言語 によっ て定義 されない とすれば、それはいつた何なので しょうか

?

アイデ ンテ ィテ ィとは単に、ある種の内面的価値 にもとづ く個人的な選択や決断の問題 ではな いで しょうか。内面的価値 とは、女性のイメージや家族への信仰、また 自己や 他者、不可視の世界 との関係 、 さらには死に対す る態度の総体です1231。 この様 に外的要因か ら離れて、個々人の持つ価値観 にのみ基盤 をおいた選択や決 断の有 りよ うをアイデ ンテ ィテ ィとあ らためて認識す るとすれば、デ ィアスポラの 作家たちは何 と創造`性に富むアイデ ンテ ィテ ィを備 えてい ることだろ うか。 ところで、ク レオール とい うのは、その言語 にせ よ文化にせ よ、もともと歴史上、 強い られた大量の人 口移動の結果 もた らされ た国家や文化の境界 を越 える感性 を ベースに、それ らのボーダーの価値観 を排 した文化的所産 と言えるだろ うけれ ども、 マ リーズ・ コンデはこのクレオーノИ虫特の 「境界 を越 える」 とい う行為を、い とも 簡単にや つてのける作家なのである。 彼女はもとよ り、移動 と街往による出会い と変容 を自分の住処 とし、自身のアイ

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越境の可能性 67 デ ンテ ィテ ィも専 ら自己の内面的価値 にもとづいて確立 しているのであるか ら、実 際、極 めて 自由で公平な判断が可能 な立場にある。 ことさらに、「越境」を意識す ることもな く、また、特にグァ ドループ・ナシ ョナ リス トで もなければ、フェ ミニ ス トを声高に叫ぶのでもない。全ての事象に対 して、ひたす らに自由で公平な視線 を送 るのみである。そ して、『 わた しはテ ィチューバ』の作品の中では、キ リス ト 教社会 においてはごく当 り前 とされてきた 「生の世界」 と「死の世界」の間の境界 をも易々 と 「越境」 して しまってい る。 ク レオール文化独特の「越境」とい うファクターをも、彼女は簡単に飛び越 えて、 史実の魔術 をいわば小道具に、生 と死の越境 も難 な くこな して しまっているところ に、『 わた しはテ ィチューバ』の傑作 と言われ る理 由の一つが潜んでい るのではな いだろ うか。「越境」 とい うのは、常に既存のボーダーを壊 しつつ、新たな可育旨陛 を一つずつ生み出す ことに他な らない。 結び 我々はカ リブの女′性作家マ リーズ・ コンデの小説『 わた しはテ ィチューバ』を取 り上げ、アイデ ンテ ィテ ィを問 うク レオール文学のひ とつの ヴァ リエーシ ョンとし て、 自然 を操 る不可思議 な能力 を持つ登場人物たちに注 目した。 セイ ラムの魔女裁判 を題材に した小説であるが、コンデ流のア レンジが随所に施 されている。カ リブ海地域の独 自の 自然観 に裏打 ちされたアニ ミズム信仰は、実際、 「死の世界」 と「生の世界」を違和感なく共存 させ、神秘的な宗教観 を可能な らし める土壌 を自然なかたちで作 り出 している。その よ うな風土において用い られ る魔 術 とい う不思議な力は、死者 との奇跡的なコミュニケーシ ョンを可能 に し、それ に よ り、死 と生の超克 とい う西洋社会の価値観ではお よそ不可能な試みをも実現 させ るのである。そ して生涯 を通 じて「移動」を旨とし、様 々な レベル における「越境」 を可能な らしめたマ リーズ・ コンデは、「死 と生の越境」 もこの作品の中で、ティ チューバ とい う主人公 をとお して成 し遂げた と言 えるだろ う。

(15)

越境の可能性

)王

(1)Cl Maryse Cond6,二a paroFe des Fem」mes,Pa五s,LlHarrrlattan,1979.

(2)Maryse COnd6,溢、■ιuba scКゴδ″,Pa五s,Ganimard,1998,p.46.

(3)三浦信孝編『 越境す るク レオール』岩波書店、2001年、p.144. (4)同書、p。145。 (5)Qρ.c」ia,p.22. (6)Лりd,p.215. (7)」配ガご。,p.34. (8)Лりd,pp.24‐25。 (9)D」id。,p.194. (10)」配ガご。,p.109。 (11)Л りd,p.232. (12)」配ガご。,p.152. (13)Лttd,p.26. (14)」配ガご。,p.23. (15)」配ガご.,p.226. (16)マリーズ・ コンデ『 わた しはテ ィチューバ』風 呂本惇子他訳、新水社、1998年、p.194. (17)同書、p.273. (18)同書、p.271. (19)CなλcD」iι。,pp.270-271.

(20)Clく くGlobalisation et Diasporυ〉,in ttq→nQ No.184,Pa五s,oct.¨ d(先.1998.

(21)前掲書、p.197.

(22)同書、p.198.

(23)同書、p.203.

参照

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