放送法改正と日本の放送番組政策 : 政策をめぐる政治過程と政策内容の分析
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(2) ―1 1 6―. 社 会 学 部 紀 要 第9 4号. るさまざまなの力関係を読みとりたい。. に分けることができる。政策立案過程では、政策. したがって、本稿では、上に述べた政官 vs.放. 入力として政策要求の把握、問題状況の認識と規. 送事業者といった構図の下で、戦後日本における. 定、情報の収集・分析を行う。政策形成にあたっ. 放送の自由は守られたのか、そして、放送事業者. ては、目標および基準を設定し、対策案を開発. の自律性を重んじる番組向上策は有効だったの. し、検討した後、対策案が当初設定した目標およ. か、こうした問いを持ちつつ、論を進めていきた. び基準に照らして、適切なものかどうかを評価す. い。. る。さらに、この対策案は既存の体制および法規. また、戦後日本の放送政策は一元的に郵政省に よって行われてきたという状況を鑑みて、本稿で. 制との整合性を図った上で、政策立案として出力 される。. は放送政策に含まれる産業的な側面と区別し、番. 決定過程では、決定に関する権限をもつ者によ. 組表現に関わる側面に限定するため、放送番組政. る交渉・調整・審議を踏まえて、承認、決 定 さ. 策という言葉を用いる。加えて、政策その内容の. れ、法規の形で出力されるという段階を経る。こ. みならず、その形成、決定、実施に関わるすべて. の過程で決定に関わる要因として、以下の4つが. の力関係の意味合いをも持たせたい。以上の理由. あると考えられる4)。①政策決定に関与する勢. を踏まえて、本稿では放送番組政策とは放送番組. 力、②政策決定の内容そのもの、③政策決定を促. の領域で規範と秩序を確立し、それを貫徹し、維. す状況、④政策決定の機構、規範である。このう. 持しようとする国家のみならず、社会的な手段に. ち、決定的な担い手となるのは第1の要因の「政. よる影響力の行使そのものでもあるとする。. 策決定に関与する勢力」としての政治的行政的権. では、まず放送番組政策の類型について確認し ておこう。. 力である。その上、議会などの政策決定の場に参 加する権限と責任をもつ与野党の国会議員集団が 最終的な判断を下し、法律という形で政策を決定. 2.放送番組政策過程の類型. する。しかし、直接に決定に関する権限を持たな いが、政策決定を促進し、または阻止するように. 議会制国家であるならば、法案を作成し、国会. 働きかける行政官僚、圧力団体、世論は権限をも. に提出できるのは国会議員と政府に限られてい. つ者の判断もまた政策決定に深く影響している。. る。国会議員によるものはいわゆる議員立法とい. 過程の3つ目の実施・評価過程について考える. う形をとる。政府からのものは関連省庁が政策立. とまず、実施に関しては、政策実施のために監督. 案をし、内閣提出案として議会に提出し、審議さ. 機関による通達・通知・指導・管理が行われ、実. れ、成立すれば法律として施行されていく。した. 践されていく。ここで、政策の効果・影響が現. がって、本稿が検討対象とする放送番組政策に関. れ、この政策の実践に関する評価を社会の各分野. しても同様であると考えられる。前者の形態を. が行う。場合によっては担当省庁にさらなる政策. とった例をあげてみると、日本ではないが、アメ. を求めることがある。本稿で分析の対象となる放. リカの1996年電気通信法がそうである3)。一方、. 送番組政策に関してもこうしたほぼ同様の過程を. 日本の場合、成立法案の8割以上が内閣提出案と. 踏む。ただ、1節で述べたように、郵政省による. いわれているように、戦後日本の放送制度の法整. 番組政策形成に関する情報の制約に加えて、放送. 備に関しても例外なく、官僚が作成した法案が基. は憲法第21条で保障される言論・表現の自由と深. 礎となっている。. く関わっている。これらの理由から放送番組政策. さて、一般的に政策過程について考えるとき、 立案形成過程、決定過程、実施・評価過程の3つ. の実施に関する評価は難しい。 ただし、ここで注意を払わなければならないこ. 3)向後英紀「米『1 9 9 6年テレコミュニケーションズ法』と放送産業」 、『放送研究と調査』1 9 9 6年5月号 pp. 2 0− 2 9。 4)熊谷一乗「教育政策決定の力学」 『現代社会の教育政策―現代教育社会学講座5』田村栄一郎・潮木守一編、 (東京大学出版会・1 9 7 6)p. 1 0 0。.
(3) March 2 0 0 3. ―1 1 7―. とは、これまでの議論はあくまで法律という形態. などが決定過程に参加するという多元的な構造へ. をとった放送番組政策を展開する場合の話であ. と転化していったと述べている8)。この転化状況. る。事実上、郵政省の意向が法改正という形を取. は1 949年12月22日に国会に三度目に提出された放. らないで、「潜在的行政勧告」ともいえるような. 送法案(以下「1 949年法案」とする)と実際に成. “ほのめかし”によって政策が示され、放送事業. 立した1 950年放送法にあった違いからも窺える。. 者が「自主」規制を実行することもしばしばあ. 1949年法案と1950年放送法は基本的な部分は同. る。これに関してはさまざまなレベルのものが含. じである。しかし、大きな相違点は1 949年法案の. まれていて、あえて異なるレベルの例を挙げてみ. 国会審議に際して各党が修正を迫った点にある。. たい。例えば、1997年に NHK と民放連が共同で. それは自由党、民主党、国民協同党及び農民協同. 「放送と人権等権利に関する委員会機構」 (BRO). 党の各党の共同提案として衆議院電気通信委員会. を設置した経緯がその1つである5)。もう1つ極. に提出された修正案として現れた。そこでの主な. 端な例を見ておこう。1954年3月6日、塚田十一. 修正点は、放送番組編集準則(以下「番組準則」. 郎郵政大臣が『ユーモア劇場』問題に触れた大阪. と略称)を定める第四十四条第3項をめぐるもの. での記者会見の直後の「3月14日の『ユーモア劇. であった。相違点を挙げると、1 949年法案は編集. 場』は予定していた台本を NHK の自主的な判断. 準則に「事実報道」 、「多角な角度からの論点解. で全面的に取りやめ、代わりに『おセンチ娘』な. 明」、「音楽、文学、娯楽などの分野で最善の内容. 6)のである7)。 どの歌だけで3 0分の放送をした」. の保持」(1949年法案:第四十四条第3項)、さら. では、これからは郵政省主導の内閣提出案に. に、「政治的公平」(1949年法案:第四十五条)を. よって放送法改正が行われた戦後日本の放送番組. 定めている。一方、1950年放送法では、1949年法. 政策のプロセスにおける力関係の実際をみていき. 案にあった「音楽、文学、娯楽などの分野で最善. たい。. の内容の保持」との箇条を削除して、 「公安を害 しないこと」 (1950年放送法:第四十四条第3項. 3.戦後日本の放送法改正による放送番 組政策政治過程 3―1 1959年放送法. の一)を新たに付け加えた。また、1949年法案は 番組準則を NHK のみに課していたのに対し、衆 議院の修正案は NHK のみならず一般放送事業者 も高度の公共性を帯びるものであるとの理由9)か. 1945年9月2日ミズーリー号艦上での降状文書. ら、一般放送事業者も準用するとしていたのであ. の調印と同時に、連合国による日本管理が開始さ. る(1950年放送法:第五十三条) 。結局、国会議. れた。それから始まった GHQ の占領期間中に、. 員の意向を反映した修正案が成立し、第四十四条. 放送法は GHQ の指導の下で日本政府によって法. 第3項には四つの編集準則が規定されるように. 案が作成され、三度にわたって国会に提出され、. なった。. 審議・修 正 さ れ た 後、1950年4月26日 に 成 立 し. 日本側の意向がある程度反映されて成立した. た。これらに関する政策過程は、すでに内川芳美. 1950年放送法は間接的ではあるが、その目的の1. が『マス・メディア法政策史研究』で詳しい分析. つに、「放送の不偏不党、真実及び自律を保障す. を行っている。同書で内川は政策決定に関する. ることによって、放送による表現の自由を確保す. リーダーシップが占領初期の GHQ による一元的. ること」(放送法第一条)、すなわち、放送の自由. な構造から日本側の政府、政党、利益集団、世論. を保障している。この放送法の下に、NHK と民. 5)詳しくは花田達朗『メディアと公共圏のポリティクス』(東京大学出版会・1 9 9 9)pp. 1 6 4−1 7 0を参照。 6)日本放送協会編、『放送五十年史』 、1 9 7 7年3月、日本放送出版協会、p. 3 4 8。 7)この「潜在的行政勧告」型放送番組政策に関しては別稿で論ずる用意がある。 8)内川芳美、『マス・メディア法政策史研究』 、(有斐閣・1 9 8 9)p. 2 7 1。 9)『放送法――成立から平成6年6月改正まで――』放送文化研究所「2 0世紀放送史」プロジェクト、部内用「2 0 世紀放送史」資料9 4−0 1、p. 4 6。.
(4) ―1 1 8―. 社 会 学 部 紀 要 第9 4号. 放という二元体制の放送が始まった。1950年6月. 追放された。. に特殊法人日本放送協会 NHK が発足し、同月に. このようなラジオ、テレビ放送、出版物、映画. 放送を開始した。翌年の9月には民放として中部. への低俗批判があるなかで、マスコミへの規制強. 日本放送、新日本放送が初の本放送を開始した。. 化の動きがあった11)。放送については、まず1952. さらに、1953年2月になると NHK がテレビ放送. 年4月に GHQ の占領期間が終了した直後に、第. を始め、8月には民放の日本テレビ放送網のテレ. 三次吉田内閣が行政簡素化の一環として、電波三. ビジョン放送局が初の本放送テレビ放送を始め. 法体制のうちの1つであった電波監理委員会を廃. た。しかし、初期は NHK と民放との間のラジオ. 止した。続いて、1953年7月第五次吉田内閣が郵. 聴取率競争が目に付き、1 954年から1956年の間に. 政大臣の NHK に対する包括的監督命令権の明確. なると、ラジオ放送が複数チャンネル化した東. 化などを規定した放送法改正案を第16回国会に提. 京、大阪ではスポンサーを獲得するために、クイ. 出し、規制強化しようとする動きが見られたが、. ズ、物真似、歌謡番組などの娯楽番組による競争. 翌月に廃案となった。それ以後も規制に向けた動. が激しかった。三種の神器の1つといわれたテレ. きはあったものの、法案成立に至らなかった。. ビに関しては、日本テレビによるプロレス中継が. 1956年3月6日、鳩山内閣の村上郵政大臣は放. 人気を得て、プロレスを見たいがために、テレビ. 送番組関係準則の整備、経営委員会の廃止と放送. 受信機を買う現象も見受けられた。. 番組審議会の設置等を盛り込んだ「放送法改正の. 1957年になると、田中角栄郵政大臣の下で大量. 基本方針」を発表した。その後、この方針につい. の予備免許が与えられ、テレビ局が次々と開局さ. て諮問するために、学識経験者15人からなる「臨. れていった。その上、テレビ受信機の値段も当初. 時放送法(改正)審議会」 (会長:松方三郎)が. の半値以下になり、1959年の皇太子ご成婚のテレ. 設置され、7月13日に以下のような点について郵. ビ中継を契機に、テレビの普及が急速に達成され. 政大臣に答申した。それは、大まかには先の「方. た。こうして、テレビはかつて街頭で大勢と一緒. 針」に沿ったもので、放送法の根本的改正は将来. に視聴するものから、家族でお茶の間でみるもの. にまつとして、NHK に関しては業務の拡充、経. へとなった。この時期は、プロレス中継や公開バ. 営委員会と会長の分離、予算の郵政相許可、受信. ラエティー番組、アメリカのテレビ映画(西部. 料額の法定、郵政相に財務監察権及び報告徴収権. 劇)が数多く放送されていた。このうち、プロレ. を付与すること、民放に関しては郵政相の資料徴. ス中継は子供の模倣対象とされ、PTA や母親の間. 収権、会社合併及び事業譲渡の際の郵政相認可に. で批判が高まった。西部劇などの犯罪ものも青少. ついてであった。この答申は少数者意見が付記さ. 年の非行につながるとして問題視された10)。さら. れていた。その主な論点は NHK に対する政府の. に、番組の低俗、有害批判は1957年2月2日に刊. 監督が必要以上に強化され、やがて政府による言. 行された『週刊東京』に大宅壮一が行ったテレビ. 論統制を招く恐れがあるというものであった12)。. 批判――「一億総白痴化」論――を機に、さらに. しかし、この一連の動きは1956年の暮れに政権. 大きな波紋を呼んだ。以後、一億総白痴化がテレ. が鳩山内閣から石橋内閣に変わり、1957年2月に. ビ低俗批判の代名詞として使われるようになっ. はさらに岸内閣に変わったことに加えて、テレビ. た。他方、エロ・グロ雑誌や「不良マンガ」も批. チャンネルプランの策定と全国の予備免許の実. 判を受け、映画に関しても太陽族映画シリーズが. 施13)などの問題のために、中断されていた。その. 1 0)『2 0世紀放送史(上) 』日本放送協会編、2 0 0 1年、p. 4 0 2。 1 1)たとえば、1 9 5 4年に吉田内閣、中央青少年問題協議会を全面にマスコミ規制立法化に乗り出すことを始め、同 年8月には青少年に有害な出版物、映画対策専門委員会を発足し、立法化に向けた動きなど。 1 2)『放送五十年史 資料編』日本放送協会編、1 9 7 7年、p. 1 2 2。 1 3)田中構想によるテレビ局免許に際しての付帯条件を付ける件について、世上にも、国会にもかなりの批判が あったが、政府は新テレビ局免許方針に、この条件をかかげ、免許申請者に内示する措置をとった。この新テ レビ局免許方針のなか の 番 組 に 関 す る 規 定 は、千 葉 雄 次 郎、「放 送 法 に お け る 自 主 規 制」 、『新 聞 学 評 論』 No. 1 0、1 9 6 0年、pp. 1 9−2 2を参照。.
(5) March 2 0 0 3. ―1 1 9―. 再開は1958年2月10日田中角栄郵政大臣が第一次. 民放が自主的に設置した放送番組審議会を法制化. 改正要綱を発表してからであった。この第一次改. しないと形だけになってしまうのではないかとの. 正要綱は臨時放送法改正審議会の答申に基づいた. 質問があり、これに対して、電波監理局次長荘宏. もので、放送法の根本改正を行わず、早急に改正. は民放にそれを義務付けると非難を招く恐れがあ. が必要な部分のみに焦点が絞られた。しかし、こ. ると回答した15)。18日に第二次改正要綱が発表さ. こでの改正の重点はかつての法案にあったような. れたが、そのなかにも放送番組審議機関の義務付. 国家権力による放送事業者に対する監督権を強化. けは NHK のみを対象にしていた。しかし、2 5日. しようとする色が薄れて、放送事業者の自主規制. に発表された第三次改正要綱では、民放にも放送. に求めたものとなったといわれる14)。この第一次. 番組審議機関の設置を義務付ける箇条が入れられ. 改正要綱での番組向上を図る番組政策は、後に成. た。他方、社会党は終始この法改正に対して反対. 立した1959年放送法とほぼ同じである。ただ、放. 意見を唱え続けていた。. 送番組審議機関の設置について、第一次改正要綱. 第三次改正要綱に基づく改正案は1958年3月10. では NHK のみに義務付けようとしたことに対し. 日に第28回国会に提出された。4月25日衆議院解. て、後の政党との調整で、なぜ民放に対しても義. 散のため、この改正案が審議未了となり、廃案と. 務付けないのかということが争点となった。しか. なった。しかし、田中改正案を一部修正16)して第. しながら、郵政省が民放に放送番組審議機関の設. 2次岸信介内閣が1958年9月29日に「放送法の一. 置を義務づけなかったことには、以下のような事. 部を改正する法律案」を「放送事業の発展と放送. 情があった。最初に田中郵政大臣がテレビ免許構. が国民生活に及ぼす影響の増大にかえりみ放送番. 想の一環として、放送局側に局外者を加えた番組. 17)という理由で、第3 0回臨時国 組の適正を図る」. 内容等をモニターする放送番組審議会を設置する. 会に提出し、1 2月7日にまたしても審議未了と. 考えを明らかにしたのは、1957年8月12日の衆議. なった。同年の12月10日に第31回国会に再度提出. 院逓信委員会であった。そして、その後の8月26. され、23日に自民党の衆議院議員橋本登美三郎が. 日に田中大臣が民放連主催の「テレビ懇談会」に. 提出した一層緩和された形の修正案18)を受けて、. 出席した際に、番組審議会の問題について番組規. 1959年3月23日に自民党の賛成多数で成立したの. 制は民間の自主的なものに期待すると意見を表明. である。戦後日本の番組向上システムはここで一. し、番組審議会の設置を示唆した。これによっ. 応の基礎が作られた。1959年放送法改正で改定、. て、9月20日に民放連理事会が番組の自己規制体. または新設された番組向上策は3つにまとめるこ. 制の強化を目的とする「民間放送番組審議会」の. とができる。表119)を参照されたい。. 設置を決め、1 958年1月に活動を始めた経緯が あったのである。. 3―2 1966年放送法改正案と1988年放送法改正. 第一次改正要綱が発表されたと同時に、郵政省. テレビ受信契約は1 958年5月時点の1 00万台か. は自民党の政務調査会通信部会及び社会党の政調. ら1962年3月の1000万台へとさらに早いテンポで. 部会で説明を行い、協議し、放送法改正法律案を. 普及していった。そこで放送事業は1つの言論機. 作成していった。自民党の政調会通信部会では計. 関に加えて、産業的な側面もより一層強くなっ. 五回に わ た る 説 明 を 行 っ た が、そ の 第 二 回 目. た。そうしたなかで、1959年放送法改正前から続. (1958年2月14日)のときに、自民党議員から、. けられてきた低俗番組批判は1960年代に入っても. 1 4)千葉雄次郎、前掲論文。 1 5)日本放送協会、『放送法改正経過資料』1 9 6 0年3月、p. 1 2 0より。 1 6)本稿で考察対象とする番組政策ではないが、民放の名義利用の禁止、受信料徴収の禁止などを削除。 1 7)第3 0臨時・第3 1通常国会に提出された「放送法の一部を改正する法律案」に付け加えられた法案提出理由。 1 8)番組審議機関の個別設置義務の緩和を含む修正案で、詳しくは放送文化研究所「20世紀放送史」プロジェク ト、前掲書、p. 8 6。 1 9)1 9 8 8年放送法改正の際に NHK と民放の二元的体制の定着を反映する放送法の構成についての整理が行われた。 ここでのまとめは1 9 5 9年放送法を現行法に読み替える。.
(6) ―1 2 0―. 社 会 学 部 紀 要 第9 4号. 1.放送番組編集準則にあった「公安を害しないこ と」から「公安及び善良な風俗を害しないこと」 に改めること。(現行法:第三条の二の1) 2.各放送事業者がそれぞれ各自で国内放送番組編集 基準を定め、公表すること。(現行法:第三条の 三) 3.番組に関する放送事業者の諮問機関である放送番 組審議機関を設置することを義務付ける。この機 関は放送事業者の諮問に応じて審議、事業者に対 し意見を述べることができる。そして、機関が放 送事業者に答申、または述べた事項を放送事業者 は尊重し必要な措置をとらなければならない。さ らに、番組基準を制定、または変更する際、機関 に諮問しなければならない。(現行法:第三条の 四の1、2、3、4). 者、論者がいわゆる「テレビ俗悪論」に対して異 論を唱え始めたのである22)。 このような状況のなかで、1962年9月1日に郵 政省設置法一部改正案が成立したことによって、 郵政大臣の法的諮問機関として2年間をかけて、 放送関係法制の根本的な再検討を目的とした「臨 時放送関係法制調査会」 (会長:松方三郎)が設 置された。番組政策に関連して言えば、この「調 査会」は1964年9月8日徳安郵政大臣に、放送番 組審議機関の改善及び放送世論調査委員会の設置 等を内容とする答申を行った。ところで、同年の 11月に池田内閣から佐藤内閣へと変わり、ふたた び放送法案が国会に提出されたのは1966年3月15. 表1.1 9 5 9年放送法改正における番組向上策のまとめ. 日であった。 しかし、当初2月中に上程される予定であった. 依然として止むことがなかった。とりわけ、テレ. 法案をめぐって、与党内部で意見が激しく対立し. ビが児童、少年に与える悪影響も注目されるよう. ていた。混乱の原因23)は「事業免許制」を採用し. になったのである。このような批判を背景に、. ようと主張する一部の議員と「監督権強化」を避. 1960年6月 NHK が「テレビ番組から暴力場面を. けようとする郵政省当局との対立が1つである。. 追放する」方針を発表し、NHK の娯楽番組から. もう1つは「教育放送問題」に関して、民放にも. は“ピストルもの”や“チャンバラ”が姿を消し. これを義務付けると同時に、文部大臣による指導. た20)。その後、民放の一部に「テレビ番組から暴. 監督、助言などといった権限をも法定して、直接. 力を追放する」動きも出た。だが、それでも番組. 的に介入しようとした文部省と、これに反対する. 批判は一向に収まらず、1963年10月、結果的に郵. 郵政省、さらにはこの両者の意見を受けた自民党. 政省の呼びかけに応じた形で、テレビ番組向上を. 政調会文教部会と通信部会との対立があった。だ. 図るために放送界の自主規制機関として設置する. が、法案は衆、参議院本会議に上程されてから、. ことで意見が一致した。これが、1965年1月に発. 審議が進まず、6月に入ってから衆議院側で、自. 足した「放送番組向上委員会」 (1969年5月に放. 民党と社会党が規制の色合いを相当緩和した形の. 送番組向上協議会を新たに作り、新しい放送番組. 共同修正案を調整した。しかし、当時の国会は他. 向上委員会をスタートした)である。他方、テレ. の法案によって空転しており、予定されていた各. ビが児童、少年に与える影響についての科学的調. 界代表による意見公述が流れてしまい、6月27日. 査は警視庁を始め、文部省や総理府の中央青少年. の通常国会閉幕とともに、審議未了となり、廃案. 問題協議会が相次いで行い、NHK と民放連も関. となった24)。. 連の調査を行った21)。そして、この時期から学. その後、番組向上適正化の措置を図ろうとする. 2 0)『2 0世紀放送史(上) 』日本放送協会編、2 0 0 1年、pp. 5 3 6−5 3 7を参照。 2 1)1つ目は、NHK 放送文化研究所が1 9 5 7年と1 9 5 9年に実施した「静岡調査」といわれるテレビの視聴による生活 パターンの変化についての分析である。2つ目は、1 9 6 0年民放連が東京大学、京都大学、大阪大学に委託した 三年計画によるテレビの青少年に対する影響調査で、「テレビと非行少年」を中心にしたものである。3つ目 は、二の調査で不十分だった「潜在非行少年とテレビ視聴」を行った調査である。 2 2)津金沢聡広「放送の公共性・その歴史的検討」『放送の公共性』日本民間放送連盟・放送研究所編、(岩崎放送 出版社・1 9 6 6) 、pp. 7 8−8 4でテレビ俗悪論と公共性問題を論ずる際に、議論を紹介している。 2 3)前田雄二、小松原久夫、大森幸男「放送法改正案まとまる――注目される国会審議」『新聞研究』 、1 9 6 6年4月 号、p. 4 4。 2 4)大森幸男「放送法・電波法改正案――廃案までのいきさつと今後の見通し――」『新聞研究』1 9 6 6年8月号、 pp. 5 6−5 8。.
(7) March 2 0 0 3. ―1 2 1―. 動きがあったものの、いずれも法改正という形に. 構成に大幅に変わった。可決に当たり、国民の意. はまとめられず、1988年2月19日に提出された法. 向の反映に努めるとともに、放送事業者の番組編. 案をまたなければならなかった。この間、国会で. 集の自由を最大限尊重するとのものを含む計6項. 低俗番組問題に関して審議が行われたり、日本. 目の付帯決議が付けられた。放送番組向上適正化. PTA 全国協議会や日本母親大会などに代表される. を図る点に関しては、放送番組審議機関の活性化. 低俗番組追放運動が繰り広げられたり、さらに深. を目的とした箇条の新設がある。それは放送事業. 夜番組の性表現の過剰が問題となったりしてい. 者に審議機関からの答申又は意見を放送番組に反. た。そして、郵政省の呼びかけで放送界が設置し. 映させるように、審議機関の機能の活用に努める. た放送番組向上委員会もこれらの問題について、. とともに、審議機関の審議内容及び意見を述べた. 放送事業者に自粛強化を要望し、改善を求めてい. 事項があるときは、郵政省令で定めるところによ. た。一方、電気通信技術の発展に伴って、通信と. り、その概要を公表しなければならない(第三条. 放送との融合がもたらされた。そして、世界的な. の四の5)という内容である。. 規制緩和の潮流と通信政策の産業政策への傾斜を. さらに、約1 0年後に、「多チャンネル時代にお. 背景に、「ニューメディア時代における放送に関. ける視聴者と放送に関する懇談会」 (座長:有馬. する懇談会」(座長:吉国一郎)が郵政大臣の私. 朗人)の最終報告書を踏まえた1 997年の法改正. 的諮問機関として設置された。この懇談会は上に. で、放送事業者は講じた措置の内容、訂正又は取. 述べた「臨時放送関係法制調査会」以降、ほぼ二. 消しの放送の実施状況、番組について申出のあっ. 十年ぶりに放送政策全般について検討を行う審議. た苦情、意見の概要の事項を放送番組審議機関に. 会であった。. 報告しなければならないこと(第三条の四の5). 懇談会は1987年4月2日に、NHK と 民 放 の 二. を新設した。そして、1988年放送法の第三条の四. 元的放送秩序の維持、放送行政の法治国家原則の. の5を改定し、審議機関の議事の概要、放送事業. 徹底、放送の規律の緩和という三要素からなる報. 者の諮問に応じてした答申、述べた意見の内容を. 告書を提出した。郵政省はこれを踏まえ、放送行. 公表しなければならないこと(第三条の四の6). 政局内に「放送政策連絡協議会」を設け、放送法. が新たに盛り込まれた。. 改正に向けての検討に着手した。同年9月に、 NHK、民放連、新聞協会、放送技術開発協議会. 3―3 小結. に今後の放送制度のあり方について意見を求め、. この節では、放送法案の各段階にあった番組表. さらに、全国知事会、主婦連合会、PTA 全国協議. 現と関連する規定の変化に着目しつつ、それぞれ. 会などの意見を聴取した。その一方、1987年12月. の法案が形成、決定させられていくプロセスにお. 4日に「放送政策の主要課題」と題する検討資料. いて繰り広げられた力関係を明らかにしようとし. を自民党政調通信部会に提出した。12月22日に郵. た。そこで得られた知見は以下の通りである。. 政省の原案とほぼ同じ形で、 「放送法等改正の骨. 1、法的・私的諮問機関である審議会(調査会. 子」が自民党政調会通信部会で取りまとめられ. /研究会とも言われるが)がどれほど法案作成の. た25)。1988年2月5日、郵政省は作成した放送法. 目安となったかどうかを問わず、戦後日本の放送. 改正案26)を自民党の政調会通信部会に提出し、了. 法改正のプロセスを要約すれば次のようにまとめ. 承された。後の2月19日に閣議決定され、国会に. ることができる。すなわち、政策を求める新たな. 提出され、1988年4月27日、参議院本会議で可決. 状況に応じて、郵政省または放送行政局によっ. ・成立した。. て、そのつど諮問機関となる審議会が設置され. 成立した放送法は、民放がこれまで待望してき. る。この審議会の答申を受けて、郵政省は与党を. た NHK と民放との並存体制の定着化を反映した. 中心とする政党との折衝の上、放送番組政策を放. 2 5)佐藤正晴「日本における番組審議会に関する論議――8 8年放送法一部改正までの経緯をめぐって――」尚美学 園短期大学研究紀要第1 2号、p. 6 9より。 2 6)放送文化研究所「2 0世紀放送史」プロジェクト、前掲書、p. 1 6 2。.
(8) ―1 2 2―. 社 会 学 部 紀 要 第9 4号. 送法改正案として形成していく。さらに、法案は. 法改正では放送番組審議機関を審議内容などの公. 内閣案として国会に提出され、審議を受けて、成. 表という方法を用いて、より一般大衆に向けた機. 立するか廃案になる。これまでに、審議会は臨時. 関として法整備が行われた。. 放送関係法制調査会を除いて、すべて郵政大臣ま たは、放送行政局長の私的諮問機関である。. では、1959年放送法改正の際にこれら3つの箇 条はどのような見解のもとで作られたか。1959年. 2、こうしたプロセスにおいて、郵政省は必ず. 放送法改正に規定される内容について直接に関. しも絶大な権限をもっていたわけではないことは. わった当時の電波監理局法規課の課長補佐であっ. 明らかである。むしろ、さまざまな権力の間(た. た田中正人と第一法規係長の平井正俊が『放送行. とえば、関連省庁、政党、国会議員、放送事業者. 政法概説』で以下のように解説している。つま. を含むマス・メディア関係者)にあって、いわ. り、放送法の基本的目的とされる「国民の幸福に. ば、調整役としての役割をも果たしたと考えられ. 27)ための制約を最小限に 最大限の寄与をなす」. る。. し、「いかに放送事業者の表現の自由を保ちなが. 3、その上、例えば、この節でみた1966年放送 法改正案のときのように、多数を占める与党の議 員であっても、その時々の情勢に大きく影響を受 けていたのである。. ら、番組向上適正化を図ればいいのかに工夫を凝 28)としている。 らしていた」. まず、番組準則についてである。すでに述べた が、この準則は当初 NHK のみを対象としたが、. 4、政策形成は表面上、主に郵政省の主導の下. 民放も高い公共性をもつという国会の意向を受け. で行われる。しかし、実際は行政という絶対的な. て1950年放送法に付け加えられ、成立した。1959. 決定権限を持たない「官」と、最終的に決断する. 年に追加された「善良な風俗を害しないこと」と. 権限をもつ与党を中心とする「政」との間に行わ. いう部分は、いわば低俗番組批判への対策として. れる折衝の結果でもある。. 考えられる。しかし、法律用語としてはあまりに. 5、したがって、政と官は必ずしもセットでは なく、区別して考える必要がある。 では、次はこうして形成、決定された放送番組 政策内容についての議論をみよう。. もあいまいで、郵政省の裁量権が大きくなるので はないかと当時の逓信委員会で、相当な議論を呼 んだ29)。そこで交わされた行政側の弁明をまとめ ると、善良な風俗の概念は時代性、流動性をもつ もので、それぞれの時代の社会通念によって考慮. 4.放送法改正によって改正された放送 番組政策内容をめぐる議論 さて、これまですでに述べてきたように、戦後 日本の放送法改正による放送番組政策展開は、ほ. すればよい。さらに、それを具体的に示すとより 言論統制の危険性が生じる可能性があり、むし ろ、各放送事業者が番組基準を作る際に明らかに してもらえるのではないか、ということであっ た。. ぼ1959年の放送法改正において定着したと見て取. また、すでに法制化される前に放送事業者それ. れる。そして、そこでの番組向上策を定めた箇条. ぞれが番組基準を作っており、3節で見たように. は以下のようにまとめることができる。すなわ. 田中角栄郵政大臣による示唆の結果ではあった. ち、番組準則に「善良な風俗を害しないこと」を. が、放送番組審議会が作られていた。では、これ. 追加したことと、各放送事業者が放送番組編集基. らをさらに法制化することについてはどのように. 準(以下「番組基準」と略称)を制定すること、. 考えられたのか。. さらには放送事業者内部に放送番組審議機関を設. 1958年12月、寺尾豊大臣は第31回国会に再提出. 置することである。そして、1988年と1997の放送. された際に参議院逓信委員会30)で、番組基準と放. 2 7)田中正人・平井正俊共著『放送行政法概説』(財団法人電波振興会・1 9 6 0)p. 1 4 6。 2 8)田中正人・平井正俊、前掲書 p. 3 4。 2 9)3 1回参議院逓信委員会1 1号1 9 5 9! 0 3! 1 0議事録。 3 0)3 1回参議院逓信委員会0 3号1 9 5 8! 1 2! 1 8議事録。.
(9) March 2 0 0 3. ―1 2 3―. 送番組審議機関の意義と目的を放送事業者に義務. る」(107条)に相当する。また、同様に準則の. 付けたことは「その順守を公衆の批判に任せよう. 「善良な風俗を害する」という部分は、「放送でわ. とするものであります。またその番組審議機関に. いせつな表現が用いられた場合、2年以下の懲役. は放送された放送番組の批判機関たる任務を持た. または1 00万円以下の罰金に処される」 (108条). せ、彼此相待って放送番組の向上適正を図ろうと. に相当するため、番組準則は処罰が伴うものであ. 31)であるという提案説明を行った。放 するもの」. るといった見方35)がある。他に、電波法で規定さ. 送番組審議会が公衆の代表として放送番組の適正. れる郵政大臣の規制権限とリンクして解釈する際. 確保に役立つことが求められていたのである32)。. に、法的制裁を伴うものであるとの考え方もあ. これに対し、参議院逓信委員会参考人として呼ば. る。また、郵政省令の「放送局の開設の根本的基. れた日本放送連合会専務理事の高田元三郎は、こ. 準」は、番組準則を放送用無線局の免許・再免許. れらの措置はすでに放送事業者らが自主的に取り. 申請の審査基準として掲げているとして、罰則が. 組んでいるものであり、それをなぜ法制化しなけ. 伴われる可能性があると読むこともできると考え. ればならないかと疑問を呈しつつも、かなりの程. られる。. 度の規制を緩和に向けた修正に対して好感を示. しかし、こうした見解は必ずしも一般的ではな. し、施行の際に言論統制にならぬよう、慎重で. い。むしろ、放送事業者が自律すべき事柄を法律. あって欲しいとの意向を示していた33)。. 上に規定したものであって、倫理的規範なるもの. このように、放送事業者がすでに番組基準、番. であるとの考え方が通説である36)。現に、準則の. 組審議会をもっていたにも関わらず、当時の番組. 違反を理由に放送局の再免許が拒否されたり、放. 低俗批判が高まっていたことに加え、今後、商業. 送免許が取り消された例が今まで一度もなかった. 放送がさらに進んでいくとより一層問題となるの. こと、さらに、再免許はほぼ無条件で渡されてい. ではないかとの懸念を背景に、郵政省は番組準. る現状を考慮すれば、その性格はやはり「倫理」. 則、番組基準、番組審議機関の3つに関する規定. 規定であると解釈してよいだろう。従って、各放. を番組向上策のワンセットとして考えていたと思. 送事業者がそれぞれ制定した番組基準も同様の性. われる。こうした番組向上システムを提案する. 格をもつものと理解されている。そして、放送番. 際、郵政省側が国会で行った答申は少なくとも表. 組審議機関に関してもその設置は、法的に義務付. 面上、放送事業者の自主性、自律性を重んじる姿. けられているものの、その運営は放送事業者の自. 勢34)、理念があった。ところで、それらの法的性. 律的な実施に委ねられているものであるため、同. 格は憲法学的な側面からみれば、どのようなもの. 様に解釈できる。これは、前述した1959年放送法. であり、どう受け止められているのか。. 改正する際の郵政省が行った答弁が建前であった. 一部に放送法制全般を視野に入れた議論があ る。例えば、番組準則の「公安を害す る」こ と. かどうかに関わらず、その後の通説と合致してい ることを示している。. は、電波法に規定される「無線、通信設備によっ. こうした自主自律の番組適正化を図るシステム. て、日本国憲法、またはその下に成立した政府を. は、放送事業者内に第三者的な存在としての放送. 暴力で破壊することを主張する通信を発した者は. 番組審議機関を設置させ、放送事業者の活発な倫. 5年以下の懲役または禁錮に処することができ. 理的自浄作用を促すことで、公権力による番組へ. 3 1)放送文化研究所「2 0世紀放送史」プロジェクト、前掲書、p. 8 0。 3 2)荘宏『放送制度論のために』(日本放送出版協会・1 9 6 3)p. 2 9 1。 3 3)3 1回参議院逓信委員会0 9号1 9 5 9! 0 3! 0 3議事録。 3 4)清水幹雄、「放送の自立性の確保をめぐって∼国会における『放送の公共性』議論の変遷(昭和2 2年から昭和3 5 年まで∼)その1:表現の自由の確保」 、『放送研究と調査』 、1 9 9 7年3月、pp. 1 2−1 3。 3 5)松井茂記『マス・メディア法入門 第2版』(日本評論社・1 9 9 9)pp. 2 3 9−2 4 0。 3 6)片岡俊夫『新・放送概論 デジタル時代の制度をさぐる』(日本放送出版協会・2 0 0 1)p. 4 1と p. 6 7の注3 8や芦部 信喜『憲法学Ⅲ 人権各論(1) 』(有斐閣・1 9 9 8)pp. 3 1 1−3 1 2、p. 3 1 3の注1 5、または田島泰彦、右崎正博、 服部孝章『現代メディアと法』(三省堂・1 9 9 8)pp. 2 4 1−2 4 2を参照。.
(10) ―1 2 4―. 社 会 学 部 紀 要 第9 4号. の介入から放送を守るものであると理想像として. ると考えられるし、現にその番組自体があること. は考えうる。そして、そこには公衆と放送事業者. がどれほど周知されているか疑問でもある。. をつなぐパイプ的な存在としての放送番組審議機. 確かに、これらの番組向上策は放送法に規定さ. 関が期待されていた。これらをうまく活用すれ. れてはいるが、放送事業者が自主的に取り組む自. ば、確かに理念的な状況が生じるはずである。し. 律策であり、法的性格も倫理規定であると解され. かしながら、1959年放送法改正以来、一方では現. ている。だが、法に規定される以上、そして、一. 実に番組適正化を図るシステムが番組向上に役立. 部に論じられるように放送法制全体において考え. たないと見なされれば、より強力な適正化の仕組. た場合、他律的な側面も確かに存在する。このよ. みが作られていくといった警鐘を鳴す論者もい. うな他律的な側面を捉えて、常に法に基づく行政. る37)。. 介入をされる恐れがあると指摘する論者もいる。. では、放送事業者はこれらをどのように実施さ れているかについて例を挙げてみたい。. しかし、3節で放送法改正のプロセスをみてきた ように、郵政省の放送法改正による政策展開は積. 番組基準に関して言えば、 「放送と青少年に関. 極的なものではない。かといって、この4節でみ. する委員会」 (2000.4NHK 民放連による共同設. た放送事業者らによる自主的な取り組むもあまり. 置)が2000年11月29日に発表したバラエティー系. 実効的であるとは言えない。では、このような状. 番組に対する見解のなかで、放送現場における番. 況下において、戦後の放送番組制度の成立・維持. 組基準の徹底を求めていたように、番組制作にお. を支えてきたのは何であるのか。それは郵政省に. いて、しばしば番組基準が明らかに守られていな. よって行われる放送法改正による番組政策の効果. いものがあると指摘されている38)。そして、番組. 以上に、放送事業者の「自主」規制が功を奏して. 基準の公表に関しては、立教大学の服部研究室が. いるからなのか。これについてはさらなる検討が. 行った調査によると順守されていないケースが多. 必要である。. いという39)。さらに、放送番組審議機関について は、「多チャンネル時代における視聴者と放送に. 5.考察. 関する懇談会」が出した報告書40)が指摘している ように、放送事業者内に置かれている放送番組審. 戦後日本の放送番組政策は、議員立法という形. 議会は定期的に開催されているものの、答申が行. (自民党とは限らない)によって展開される可能. われたことは数回しかなく、十分に活用されてい. 性もあり得ていた。しかし、事実上、戦後日本の. なかったことは明らかである。また、放送局は放. 法改正による番組政策展開は郵政省が一元的に. 送番組審議機関の審議概要等を公表するのに用い. 行ってきたこととなった。だが、すでに3節で見. られる自己批評番組と言われる公表番組を放送し. た通り、この類型の番組政策展開に際して、郵政. ている。しかしながら、雑誌『月刊民放』の編集. 省は政策形成段階に主導的な地位に位置していて. 部がまとめた2001年1−3月間の表41)によれば、. も、世論や政党、さらには放送事業者の意見をも. こうした番組は月に1、2回程度しか放送され. 聞き入れながら、法案の調整を行わなければなら. ず、放送時間は5−10分ほどで、土日の早朝か深. ない。そして、郵政省は決定過程に至っては影響. 夜のものがほぼ3/4を占めているのが現状であ. 力を及ぼしうるが、国会で法案を審議し、決定す. る。この条件下で視聴する者はかなり限られてく. るのは国会議員である。その上、国会での審議も. 3 7)例えば、桂敬一が「『あるべき番審』と放送の自主自律基盤の強化(特集番組審議会その活動と役割) 」『月刊民 放』2 0 0 1年6月号、pp. 4−9で論じている。 3 8)http://homepage 2.nifty.com/kojokyo/youth/kenkai_1.html(2 0 0 2. 1 1. 2 4現在) 。 3 9)立教大学社会学部服部研究室「全調査!V チップ問題と番組基準への放送局の対応」『放送レポート』1 5 7号・ 1 9 9 9年3月、pp. 2−1 2。 4 0)多チャンネル時代における視聴者と放送に関する懇談会編『放送多チャンネル時代 視聴者中心の放送に向け て』(日刊工業新聞社・1 9 9 7)pp. 3 7−3 9。 4 1)「番組審議概要 公表番組一覧」『月刊民放』2 0 0 1年6月号、pp. 2 0−2 2。.
(11) March 2 0 0 3. ―1 2 5―. 政治をめぐる時期的な要素にかなりの程度で影響 される。さらに、時代的・社会的な背景も1つの. 6.今後の課題. 要因として挙げられよう。例えば、3節で検討し た1959年放送法改正の場合は、戦後、ラジオ放送. 本稿がこれまでに検討した放送法改正による番. が番組編集の自由を獲得し、映像付きの「ニュー. 組政策は、倫理規定と見なされており、具体的な. メディア」として現れたテレビが急激な普及を見. 取り組みは放送事業者の自律性に委ねられてい. せるなかでの低俗番組批判の高騰が社会的背景で. る。しかし、政策を1つの循環するものとして考. あった。こうした幾重にもある要因、要素が絡み. えた場合、それがうまく実行されないときには、. 合った結果、内閣案として提出された郵政省主導. 新たな政策立案が行われるはずである。また、日. の放送法改正案がそのまま通過する場合もあれ. 本の放送法制を全体的に考慮した場合、法に基づ. ば、修正された上で、成立するケース(1959年放. く言論介入の可能性は大いに残されている。しか. 送 法 改 正)も あ り、さ ら に は 廃 案 と な る 場 合. しながら、日本の場合はただちにそうはなってい. (1966年放送法改正)もあった。. ない。. つまり、戦後日本の放送法による放送番組政策. このことは、戦前の国家による厳しかった言論. は郵政省が一元的に行ってきたとはいえ、そこに. 統制への社会的反省とは決して無関係ではない。. は様々な要因が関わっていたのである。その時々. そして、この社会的反省は「軍国主義への反省=. の(世論を含む)社会的背景や政治的情勢、政党. 政府、行政による言論介入に対する懸念」という. 間や政治家間、行政間の利益関心の対立、または. 雰囲気が漂っていた/いる。また、表現の自由を. 受益者でもある放送事業者自身の利害関心、そし. 含む精神的自由を規制する際、ほかの経済的自由. て、マス・メディア自身の問題関心42)、といった. と比べて厳重な憲法的審査を受けなければならな. 要因のその時々の強弱によって戦後の放送法によ. いという「二重の基準論」的イデオロギーが戦後. る放送番組政策は形成、決定されていったのであ. しばらくの間に日本に紹介された。この表現の自. る。その結果、放送法による番組政策は、実効的. 由に関する「二重の基準論」はたちまち戦後の憲. な施策となっておらず、放送事業者の「自主、自. 法学界で支配的な地位を有するようになり、事実. 律的」な取り組みに委ねるほかない現状にある。. 上、政府、郵政省の放送法改正による放送番組政. さらに、この政策を放送法制全体で捉えた場合、. 策展開に牽制効果を発揮していたと考えられる。. 戦後の日本は矛盾した放送番組政策を抱え続けて. 本稿で考察した放送法による番組政策が矛盾を. きたのである。放送事業者の「自主、自律性」を. 抱えることに加えて、戦後の上記のイデオロギー. 重んじるあまりに、その影に、社会的な議論を形. を背景に、2節で述べた放送番組政策展開の第3. 成する余地が残されていないまま、児童、少年保. 類型にあたる「潜在的行政勧告型」放送番組政策. 護や人権、ジェンダーなどの問題がうやむやに放. が存在するようになったと考える。この類型の下. 置されてきたと言える。. で、郵政省の意向が放送事業者らの暗黙の了解・ 承認の上、「自主」規制として日常化され、自動 化されているため、さしあたりきわめて重大な問. 4 2)筆者が朝日新聞戦後見出しデータベース(1 9 4 5−1 9 9 9)を使って、きわめて機械的ではあるが、年代制限を 1 9 5 0年から1 9 9 9年までに設定し、キーワードを「放送法」にした場合、計1 4 4件(うち5件が外国関係)があっ た。しかし、それをさらに放送法改正の動きがある時期に合わせて数えると年代を経るにつれ、件数が少なく なる。内訳は以下の通りである。1 9 5 6年3月6日方針発表∼7月1 3日答申まで→約4ヶ月:1 3件(鳩山内閣) /1 9 5 8年2月1 0日第一次要項発表∼放送法改正まで→約1年間:1 3件(岸内閣)/1 9 6 2年9月1日∼1 9 6 4年9 月8日「臨時放送関係法制調査会」開催期間中→約2年:1 6件(池田内閣)/1 9 6 6年3月1 5日国会提出∼6月 2 7日 に 廃 案 ま で→約3ヶ 月 半:2件(佐 藤 内 閣)/1 9 6 7年1月1日∼1 9 8 1年1 2月3 1日 ま で→1 5年 間:2 5件/ 1 9 8 2年1月1日∼1 9 8 8年1 2月3 1日 ま で→7年 間:6件/1 9 8 9年1月1日∼1 9 9 9年1 2月3 1日 ま で→1 1年 間:3 3件 (うち5件外国)=2 8件。したがって、戦後しばらくは放送法を取り上げる比率が比較的に高く、ときが経つに つれ、次第に急激的に減っていくことが明らかである。また、新聞を1つの世論形成の場として見たときに、 公衆への放送法改正に関しての議題提供は必ずしも十分ではないと言えよう。.
(12) ―1 2 6―. 社 会 学 部 紀 要 第9 4号. 題が起きてこない。よって、ただちに法改正が必. ある。こうした理由からこの類型に関する実状に. 要な状況にはならないのではないかと考える。そ. 根ざした学術的な検討が多チャンネル化における. して、この種の番組政策展開はその実施の面に注. 放送番組政策を考案する際に重要な1つの視点で. 目すれば、本稿で見てきた放送法改正による番組. あると思われる。この点については、今後の課題. 政策の展開以上に、直接的に番組に影響を及ぼし. として別稿で論じたい。. 得ている。むろん、こうした方法は実際に起きて. ほかに、本稿で考察した、いわゆる「官」によ. いたやらせや、視聴者の苦情処理、人権侵害など. る番組政策展開が「上」から「下」への秩序付け. の問題に対して、 「自主的に」倫理綱領を作成し. であるとするならば、これからの多チャンネル時. たり、放送 と 人 権 等 権 利 に 関 す る 委 員 会 機 構. 代でさらに形成されていく市民社会に向けて、市. (BRO)を設置したりすることによって、法規制. 民が主体となって政策形成をし、議員立法という. を回避するのに効果的であったかもしれない。だ. 形をもつ(もたざるを得ないが)「下」から「上」. からといって、問題がないとは言えない。それは. への秩序付けという視点は番組政策の展開におい. この手段が単に与党を中心とする政府と総務省が. て、より重要な視点であると考える。この点につ. 法で規律をしてくることを回避するための他律的. いては、もう1つの課題として構想していきた. な自主規制の側面を抱えており、単なる法規制回. い。. 避の手段でしかすぎない危険性をもっているから である。 しかしながら、これからの多メディア、多チャ. *本研究をするにあたり、恩師石川明教授によ. ンネル化がさらに進むなかで、法規制の回避と実. り、多数の貴重な資料、合わせて、ご指導、ご. 際問題の解決に有効かというと、そうはならない. 指摘を頂きました。心より、お礼を申し上げま. だろう。現に、昨今、論壇を賑わせていたいわゆ. す。. るメディア規制三法案をめぐる議論がよい事例で.
(13) March 2 0 0 3. ―1 2 7―. Broadcast Act Revision and Broadcasting Program Policy in Japan: An analysis of the political process and the content of the policy ABSTRACT The Ministry of Posts and Telecommunications has been solely responsible for broadcasting program policy in postwar Japan. This article analyzes the political process of broadcasting program policy making for the Broadcast Act Revision and the content of the policy. And, it considers what this broadcasting program policy is. The analysis concludes that, this broadcasting program policy was formed with the influence of various factors on multiple occasions, and then decided. Various factors include, for instance, social backgrounds of the actors, political situations, political confrontations over profit concerns, the interests of the broadcasters, and the problem concerns of media, etc. As a result, this program policy is seen to be insufficient and contradictory. Key Words: Political process, Broadcasting program policy, Broadcast Act.
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