中国農業合作化 に関す る考察
A Study of the Agricultural Co-operatives in China
は じ め に
中華人民共和国成立以来の40年近 い歳月におい て、中国農業はその深層 の遅鈍な変化 と比べて、 表層の変転 は まさに急速 であった。土地改革はB= 地法大綱」以来の指導思想を継東 して、生産力発 展の要件の充足を軸 心 に据 えた。1950年 の中華 人民共和 国土地改革法 による土地改革が、 「富農 経済の保存」を鮮明に したのはその象徴をなす も のであ った。 土地改革 につづ く農業互助合作化は、土地改革 に よって養われた農民の両種の積極性、個人経済 と互助合作の積極性を二つなが らに基礎 とす るも のであった。 「過渡期 の総路線」 とそれに よる互 助合作の促進 もこの延長線上にあ った。 しか し、 1955年夏以降、顕著に現われた 「急 操 冒進」の傾向は、政策の指導思想の明 らかな交 替 を しめ した。生産力の解放 を 日ざす ものか ら、 階級闘争を綱 とす るもの- と変化した。階級闘争 に よって所有制の不断の改革を促す もの- と変 っ た。そ して生産力は この所有制改革に よって もた らされ るものであった。人民公社はそ うした指導 思想に もとづ く政策の極地であった。 階級闘争を綱 とす る指導思想は、土地改革後の 農村社会の階級分析 について特殊 な手法を とった。 中農の4区分 である。新 中島 と旧中農の区別 と、 上 中農 と下中農の区別 を交錯す ることによって、 そ こに富裕中農 と下中農の葛藤を摘出 し、更 に下 中農 と貧農の同質性を強調 して、 「貴下中農」な る階層の実存を指摘 した。 こうした階級分析の試 ろみ られた当初、 1955 年当時には、中農の区分は、中農を4階層 に区分 す るものでな く、いずれ も中農に属 し、中農は革 命におけ る団結の対象 とされた。 しか し間 もな く、菅
沼 正
久
Masahisa Suganuma
その中農のなかか ら、ひ と り富裕中農が摘 出され た。富農が実質上解 消 した農村社会において、そ の富裕中農は資本主義 の憤向を代表す る もの とさ れ、階級闘争の対象に推転 させ られた。富裕中農 と貴下中農の対立 と闘争。 これが農村の基本的階 級対立 であ り、それぞれ資本主義 の道 と社会主義 の道を代表す るもの とされた。中農にぞ くす る富 裕 中農を階級闘争の対象 とす る手法 はいち じるし く非マル クス主義的であ った。 小論 は、 1955年に到来 した中国農村 の社会主 義 の高潮期 におけ る互助合作化を主 として考察す る ものである。近藤康男、阪本楠彦編著 『社会主 義 下担 える家族経営 』第5章所収の阪本 さん執笠 の 「協 同化政策の軌跡」を評論す る方法 を用 いて 自説を述べ るものである。阪本 さんが 『中国農村 的社会主義高潮 』(上 ・中 ・下巻 )の各報告 と毛 沢東の書いた按語を題材に したのに因 んで、小論 も多 くこの材料 に論及す る。Ⅰ
農 民 と合 作 化
(1) 「自発社」について (党の領導 を超えて、 農民が自発的に創設 した合作社 ) 指摘の ように、ィ、郷政府の批准な き建社 p、批准 またずの黒社をい う。問題は領 導 と大衆 の関係にあるo領導の側には当時 「右仮数会主義」 があ った。反 「冒進」の政治傾向であ る。 また大 衆の側には社会主義の積極性はあるが条件 を欠 いた 建社の動 きがあった。後者は 「質」問題 として留 意 された。人民 日報 (1955年10月25日社論 )は合 作社の質の問題について十分な準備を よびかけ、 (む錯誤思想 を批判 し工作経験 を総括す ること、② 大衆に合作化の方針政策を宣伝す ること、③全面規画の制定、④弁社干部の訓隊、⑤ 互 助 組 の大 量発展の5項 目の準備 と条件 をあげた。 これは建 社の焦 りを抑える志向を現わ しているが、大勢は これを超 えて進 んだ
。
「騎虎の勢い」 とい うべ き であろ う。それに対 して、解散措置 や堅決収縮O が とられたが、 この措置はのちに文革のさい 「走 資当権派」批判の 目玉にされた。 (2) 合作化の指導思想 毛沢東の質讃の的は南王庄3戸が 「自発社」を つ くった ことではな く、貧農が上層 中農 とその利 益 を代表す る村の党員に抗 して、 また整社工作組 の意図に抗 して、安平県委 とその派遣 の周術学の支 援の もとに、合作社をつ くった ことである。いい かえ ると貧農、下層 中農の社会主義-の積極性、そ れ に よる合作化を 「5倍農民の方向」 とい ったの である。 したが って 「規模の経済」 と 「自発社」 を結びつけて論ず るのに、南王庄は適例ではなし、 と思 う。 残る 「規模の経済Jの問題。 1戸で小農的生産手 数 の ワン ・セ ッ トを もった農民が 「nセ ッ ト共有 の合作社を作 る」 ことの優越性を明 らかにす るこ とに よって 「強力な協同化政策」を展開 できる。 阪本 さんの論 旨は この ように要約す ることがで き る。 しか し、中国におけ る合作化の論理の重点は こ こにはな く、基本的には 1946年の 「五 ・四指示」
お よび 1947年の 「土地法大綱」の延長線上にあ ると思 う。すなわち r貧農に依拠 し、中農 と強固に 適合 し地主階級 と旧式富農の封建半封建の搾取制 度 を消滅 して生産を発展 させ る」方針の延長 にあ る。W ・Hinton『 翻 身 』が参考になる。その 重点 は貧農が中農をむ しりとることに よって翻身 す ることでな く、生産の発展 に よって翻身 を完成 す ることにある。土地分配後 の運動の重点 は生産 発展 にあ り、生産発展に よって、パイをふやす こ とであ った。 これを言い換 えると小農的生産手段 の nセ ッ ト共有の優越性を追求す るよりも、もう 一段低い生産力水準にあ って、例をあげてい うと 王国藩合作社の 「自手 起家」 (『高潮 』上冊 17-19頁)の追求であ った と思 う。象徴的なことk
i
r上 山妖柴、解決役有生産資料的困難」である。誓愉 的にいえは節約 よ りも増産 に合作化の課題があ っ た。例の 「まず合作化、そ して技術改革」のゆ き 方 も同 じ、問題領域 にある。技術改革のためには、 機械 を手に入れ るのに必要 な資金を稼 ぎ出す こと が必要 であ り、そのためには 「上山妖柴」 もや ら な くてはな らない。
「上山妖柴」.をや るには、 2 つの ことを満たす必要がある。第1は食糧 を腹一杯 にす る量だけ手 に入れ ること。第2は山に登 るだ けの時間の余裕 をつ くり出す ことである。王国藩 合作社の成立 は、 この問題を解決 した。そ して こ れは当時の、中国農村 でかな り普遍的な意味を も っていた と思 う。 (3)合作化による 「白手起家」について 「自手起家」が農業合作化のかな り普遍的な理 由をな し、 「小農的生産手段の ワン ・セ ットのn 倍化合作化の優越性」を論ず るに応 LL、条件は、 藤村俊郎 さんが物財投資の点で注 目す る「1960年 代後半以降の時期」 (p212)に生 じた と思 う。 この基礎の うえにやが て統分結合の聯産承包制経 済が成立す ることにな る。 いまはその10年ない し 20年 まえの1950年代後半期の問題を論ず る。 白手起家が合作化のモ ノソ トとして有効であ っ たのは、当面の農業生産 力水準に由釆す る。一般 的な過剰就業 -潜在的失業の状況では合作化は ま ず就業 -所得機会を創造す る必要が あ り、単純な 省力は事態の悪化の方向に作用する。合作化 によ る労働の適切な配合などによる耕種作業の省力は、 食糧作物以外の多角経営 (林牧副漁etc ) に道 を開いたはあいに経済的に有効に作用 した。合作 化政策が 「副業」をふ くむ多角経営の発展に異常 な関心 をは らったのは、 この理 由に よる。 当時の農業問題は飢餓問題 としての食糧問題の 解決 -翻身の完成 にあ った と思 う。食糧生産は ま ず農家 自給需要 の充足を課題 とした。 1952年の食 糧生産高1億6.392万t
の うち自給分は1億2.489 万t
76.2多を占めたo これは農業生産 力水準の低 さを反映 している。 この1億 2.489万t
の 自給食 糧に よ り農民は生活 =家族労働力の再生産を保障 し、その労働力の就業 -所得楼会の拡大を追求す る状態 にあった。
「自家労働の完全燃焼」の追求 であ った。それは、合作化 -公社化 に至 ったのち、 副業、多角経営の発 展に結実す るのであるが、1955 年 当時は、それ よ りも低水準、 「上 山妖柴」の段階 一採取労働 を提起す る段階であ った と思 う。中 国農村 の過半が 山区 にぞ くす るこ ととも関係があ った 。 合作化農業が、就業 -所得蹟会 の創造 に よって, 自給食糧問題の解決を基礎 に して、若干 の建設資 金 を蓄積 した段 階で豊 田水利基本建設、土地改 良 の事業が農村 の一般的な課題 とな った。それは、 労働 の生産労働 と建設労働-の配分 (後者は農閑 期労働、工分記 入 )、労働報酬基金 の生産労働、 建設労働-の配分を行ない、 「労働累積」形式の 蓄積 をは じめ る段階である。具体的 には この事業 は、高級合作社 とい う階級組織 では実施 困難であ って、全戸加 入、脱退な しの社会組織、つ ま り人 民 公社 の よ うな公的性格の強 い組織 にお いては、 は じめ て可能 とな った と言 うべ きであろ う。高級 合作社 では社員の脱退、土地 の個 人持 ち分、その 割愛 (高級合作社示範童程第11粂 )が許 されたの で、大区域 にわた る土地連担の改 良事業は実施が 困難であ った と思 う. ちなみ に阪本説の
「n
倍イU の問題、農業生産手段 の所有、利用の組.織化が 日 程 にのは る時の課題であ って、 この次の段階 にぞ くす る と考 える。(
4)
「土地整理 ・改良事業の一過性」 について まず 阪本 さんの叙述 を紹介 しよ う(前掲著、 p 248以下 )0「
『高潮』 の中で、個 人経営の枠 の 中ではやれ なか ったのをやれた と書 いてある事胤 」 は、その 「ほ とん どが土地 の団地化 に関す るもoJ であ る。 その一つ として江蘇省新海連市 (し、まの 連票港市周辺 )朝陽郷前進農業生産合作社が考察 の対象 とな る. この合作社 は全郷農家の93車 -578戸 を組 織 した超大型合作社 であ って、『高観』 611頁 の表題は 「大社 的優越」であ り、中見出 し に 「社 越大、優越性越大」 とある。前進合作社 の 概要 は次の如 くである。 54年 冬以来全郷員戸の93% - 578戸、労働力 1,568人 (男843人 ・女725人)入社、土地3.344 (223ha)- 1戸平均38アール 開墾地2.200ム (147hG)、租 入地350ム(23 ha)計5.894ム (393ha) 農業生産 隊7隊 (140戸-38戸 )、平均56ha、 83戸 224人、党団員24人 生産組41組(18-12戸 )平均9.6ha、14戸38人、 党団員4人 党員32人、団員 134人、計166人 副業生産 隊1隊 (副業参 加、最高350人 )55年 8万 元収 入、 1戸平均140元 全社の土地。 1労働力平均負担 の面積にて らし、 自然村の地形 に もとづ き、 7区画 に分け、生産隊 に固定。各生産隊は さらに各生産組 の労働 力の多 少、 土地 の遠近、水 田 と畑、作物種類 お よび土質 の 良否に もとづ いて、均等 に配分 し、各生産組 に 割 当 て固定 させた。〔 615- 6京 ) ちなみ に大社 の優越性〔 620- 2頁 〕を しめす 指標 は以下の如 くである。 1. 土地整理 2.適地適作 (引用文p 248 - 9の如 し ) 3.技術改革 (深耕、密楢、増 施肥 ) 4.多 毛作化 5.高産作物 導 入 6. 各種基本建設 (D 大規模開墾2.200ムー (診 豊 田水利 工事54年冬春 450人 8.622労働 日 (労働累積) ③ 多 角経営、樹 園地47,000株、疏菜70ムー、 養豚、魚、鴨、鶏、塩 業 1労働 力、単幹時、年68労働 日、合作化後156 労働 日 婦人の労働参加 全社731人中725人が社 内 労働参加 99.2% 作 業管理 と責任制。合作社 は各生産隊 にた し、し 包工包産 と した。社 内の中等労働 力を標準 と して、 各種農作業の定額標準を確定 し、各 ムーに要 す る 労働 点数 (工分 )を制定す る。その うえで各生産 隊の得 る総工分値を算 出 して、各隊 に請負わせた。 生産隊の各生産組 に対す る関係は 「常年 包 工」 であ り、合作社 が生産隊に請負あせた も との工分 数 に てら して、各生産組 に請負あせた。 阪本 さんは 「組 か ら下の ことは記述がない」(p 252)と言 っているが、以下の記述 に よって事情 を知 ることがで きる。
「生産組は生産 隊か ら請負 し、工分 (包工 )を受け とる と、包工標準 の80車を 工作 日に充 当 し、 その他を鹿 動数 と して留保 し、 あ り得 る析外支 出に備える。決算後、工分 に余剰 が あ ると、比例 に投 じて社員 に配分す る。 社 員小組.の運営方法は、各項の農作業 ご とに、 社 内で統一規定 された工分標準を基礎 に して、 また、その時 ごとの耕作 条件の聾易や 土地の遠近 に もとづ し、てあ らか じめ研究 し、具体的な工分を定 め て社 員 に請負わせ る。社員が一項の農作業を完 了す るごとに、それが各人の作業実績を明確 にで きるものであれは、各 人は標準 にて らして工分 を 得 る。 明確 にで きな い場合は、社員が包工工分 に て らして相互 に評定 す る ( 『高潮』 617- 618頁 )O 以上 が前進農業社 の概要であ る。 この概要 を基 礎 に して、阪本 さんの論述を批評す る。 阪本 さん は前進 農業合作社が合 作化に よって達成 した実績 をつ ぎの よ うに要約 している (p248- 250)0 1. 大 いに土地整理 をおこな った。区域 内の各 処 に分散 し交錯 した耕地は73ha余である (全耕地 面積223haの33%に相 当す る。 阪本 さんが引用 し た数字 に誤 った換算 が ある)。 これを居住状況 に 応 じて耕作を調整 した。 2. 適地適作を実行 し たO早 稲の晩稲改作17ha、それ に よ り10アール当 り75キ ロ増収 とな った。 〔阪本 さんは これを 「要 す るに一 に交換分合、二 に集団栽培 とい うことな のであ る」 と論評 した。 〕 3.耕種改善。 4. 二毛作増大。 5. 高収量作物の増大。 6.大 規模開墾 ・農業水利 阪本 さんは 『高潮』 報告が上記 6点を列挙 した のち、 「合作社は大 きけ九は大 きいほ ど優越性 も 大 きい」 と結論づけ るには 「議論の荒 っぽ さが あ る」 と して、 「耕種 改善や二 毛作化、高収量作物 の導 入な どは、本来、個 別経営 レベルで充分やれ るはず なのである」 とまとめた (p250)。 この まとめの真意は 「土地 整理 ・改 良事業の一過性」 とい う阪本 さんの主張 であ って、つ ぎの ようにも 言 ってし、る。 「また土地の交換 分合 に しても、一度完全 にで きあが って しまえば、 当分の問はその維持 さえ心 掛ければ足 りる。集 団栽培に しても計画決定 とい う難関 さえ突破で きれ ば、あ とは個人経営 に まか せ て しまってよい。 ・・-・-年 々の 日常的な農作業 に も 、n倍化 しただけ の利益Oが あるのでなけれ ば、事業が一段 落 した段階で、 あ とはめいめいに や ろ うとし、う話 にな った として も、農民の 、個 人 主義Qを責 め ることは で きぬのである」 (p250)0 阪本説は相当強烈 に、社会主義中国の条件 にお け る、農業経営 の個 人経営、家族経営-の回帰 を 示唆 している。解放後30年 の中国農村 の推移は、 「変化はた しかにあ った。 だがつ ま りは小農制 と し、う大枠 の中での変化」 (p233)にす ぎなか っ た。 いろいろ と変化は あ ったが、 各戸生産請負制 も 「つ ま りは小農制 であ る」 し、 その 「小農制 に 戻 った」、 「振 出 しに」戻 った (p232)。 これ が阪本説である。 その阪本 さんの 「小農制 に戻 った」説 にお いて、 「土地整理 ・改 良事業の一過性」 説は重要 な位置 を占め ている。一過性説 の概要は上述 の引用の如 くである。その引用文の中間の点線省略の部分 に つ ぎの文章が あ った
。
「土地改 良事業 も1970年前 後の大寒 の よ うに、毎年必ず どこかの峰 を くず し てどこかの谷 を埠め、既耕地 の状 況 も年 々め ま ぐ る しく変動す る、 とし、った ことは ザ ラにあるもの ではない」。 これは山西省の大寒生産大隊の 「]殻 山項溝」 に よる 「人造平原」建設 の話である。 阪本 さんは ここでは、 さきの 「土地改 良事業の 一過性」 に加え て、農 田水利基本建設事業の一 回 性 を示唆 し、 また社会主義農業におけ る集団劉 動 の一過性、一 回性を示唆 している。
「あ とは も う 個 人経営 にまかせ て しまって よし、」。集団経営 も しくは集団労働は 「年 々の、 日常 的な農作業に も もn倍化 しただけの利益Oが ある」 ときに限定 さ れ るとい うわけである。 しか し、 中国の社会主義 農業 につ いて考 える とき、阪本 さんが挙げた理 由 だけでは、集団経営の一過性、一 回性を一般化す ることはで きないであろ う。 「土地改 良事業の一過性」 とい う主張は、阪本 説のキイ ・ワー ドである。1980年 以降の聯産承包 責任制 を 「小農制」-の回帰 とみ な し、中国農村 の土地改革完成以降30年の歴史的 変化を 「つ ま り は小農 とい う大枠の中での変化」 (p233)とみ な したのは、集団労働や集 団経営 は土地整理、改 良事業におけ る一過性の形態 にす ぎなかったか ら であ り、 「あ とは も う個 人経営 に まかせ て しまっ て よし、」状態 にあ ったか らである。阪本 さんは さ らに筆 を進 めて、 マル クスもまた コソ ミニーソ国 家 において、 「農民の地位」の ま まで 「近代農学 の恩恵」 を蒙む るこ とで きる と述べた として (p 251) 、社会主義下の小農制の論 拠をマル クスに 求めたのである。 この点は後述す る。 しか し、聯産承包責任制 の一般 化を単純 に小農制への回帰 とみ なす こ とがで きるだろ うかO また、 中 国農村の30年 を単純 に 「小農制 とし、う大枠 の中 での変化」 と言えるだろ うか。(1)その論拠の一つ と された 「土地整理、改 良事業の一過性」は技 術的 な特徴 を指す もので、事業主体 とシ ステムは決 し て単純 な一過性のものではなし、。(2)また、もう一つ の論拠 としてのマル クスの見解 につ いての解釈は、 牽強付会 の論 にす ぎる感が強 い。(3)さらに、「中華 人民共和 国の政府 の もとでな ら、新種改善だの、 二 毛作増大だの、高収量作物 の導 入だの」 ( p 251)は小農が手がけ るこ とがで きると したが、 中 国の農民経済の生産 力水準がはた して、そ うし た可能性をあたえたであろ うか。(4)農業をふ くむ社 会主義 の制度 を、 マル クス主義の古典 に論拠 を求 め ることは無謀である し、 ソ連や中国や東欧のせ いぜ い60年、30年の経験か ら一般論 をひ き出す こ ともで きな い。一つ一つの制度の消長 をその条件 との関連で考察 し是非 を論ず る以外 に方法がな い。 その感 を強 くす るのが、中国農業におけ る基本建 設 の経験 であ る。 その 点で阪本 さんの 「一過性」 説 、 「事業が一段 落 した段 階で、あ とはめ し、めし、 にやろ うとい う話」 (p250)は実証的な考察が 必要だ と思 う。 阪本説の核心をなす土地整理 ・改 良事業 -豊 田 水利基本建設 の一過性は、すでに述べた よ うにそ の技純的特徴 を言 うものであ って、事業主体 とシ ステムは一過、消滅 とい うものではない。畠 田水 利 基本建設事業は資本主義的比愉 を以 てす る と、 投下資本は土地 に合体 して土地資本を形成す る。 事 業は土地資本の現実的蓄積の形態 であ り、一種 の固定資産 の取得 であ る。 固定資産 を取得す るに は通常、貨幣形態 の 自己資本の調達が先行す る。 建設事業は技筋的 には一過性であ って も、土地資 本形態 の固定資産、それ に見合 った 自己資本の蓄 積 は継続的な資本運動 として存在 し、け っして一 過 、消滅 しな い。 この事情は貸借対照表 におけ る 資本の調達 と運用の関係を以 って容易 に類推で き る。 農業生産合作社 におけ る豊 田水利基本建設は、 一 般 に 「労働積累」形態 を以 って行われ るか ら特 殊 である。 まず、社員労働 活労働 として調達 -投 入され、その対象化 -建設物 に転化す る。つ ぎ に、その建設労働はつね に生産労働 と不可分 に結 合 して年 間の総労働 を構成す る。 その総労働 にた いす る報酬は、生産労働 の果実 -所得 を以 って充 当 され る。比愉 的 に言 うと、総労働の うちの剰余 労働が 「労働着累」 とな り、 「土地資本」 を形成 す るのである。本来的 に集団労働である建設労働 が生 産 労 働 と不 可分 に結 合 して総 労働 を構成す る関 係上 、生産 労働 も集 団労働 の形態 を とらざ るを得ない
。
「事業が一段 落 した段階で、 あ とは め し、めいにや ろ う」 とい うまっけには いか な い事情 が ここにある。 農業生産合作社 におけ る豊 田水利基本建設は、 相 当の長期 にわた って継続的 に進 め られ る。その 進度は生産労働の果実の うち、生産労働報酬 を超 えて、 い くら建設労働報酬 として分割 し うるか に よって きまる。 中国農業の低生産 力水準 の もとで は、建設労働報酬 としての分割分が制限 され、そ の こ とが建設の進度 を制 約す る。
「事業 が一段 落」 す るの に10年、20年 の長期 を要す るとい う事情が ここにある。 あ る1カ所 の建設が 当年度 内に完了 したか らと言 って、 当該耕地 の農民が翌年か ら 「あ とはめいめいに」や る具合 にはいかな い。 ちな み に1954年冬-55年春の期間に、開墾800ム、全 開墾 地2,200ムの排濯両用水路の建設 をお こな っ た。その労働 日数は前者2万労働 日 (推 定 )、後 者8,622労働 日で年間総労働 日数7万8,686労働 日の40%近 い建設労働を投 入 したO 、n倍化 しただけの利益Q と集団労働o阪本 さ んの協 同経営論 の一つの論 点をなすのが、「n
倍 化 しただけの利益」論 であ る.集団労働 との関連 で、阪本 さんは建設事業 に とどまらず、
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「日常的 な農作業に も もn倍化 しただけの利益O が ある」 (p 250)な らは、集団労働が成立す る とい う主 旨の こ とを書 いてし、る。 これはあ る一定 以上 の生 産 力水準の もとでの一般論であ って、 そ の条件を 欠 くな らは、 n倍化 に相応 した利益がな くて も、 集 団労働は成立す る。 ある一定以上 の生産 力水準 とは、農業 での追加 的な固定資本投下、設備投資が コス トを媒介 に し て競争の勝敗 を決す るよ うな状況であ る。 その条 件 を欠 くとは、例えば差額地代法則が十 全 に作用 せず、他の経済法則が基本法 則 として作 用す る状 況である。 日本農業が該 当す る。 また例 えは、接 械化設備投資が農業経営 の競争 と存立 の 必須条件ではな く、つ ま り、節約が農業経営 の規制著でな し、状況であ る。中国農業が該 当す る。すなわ ち、 農業就業者の半数近 くが過剰就労 とし、う潜在的過 剰労働 力で あって、その就労較会 の創造を必須 の 課題 とす る経済環境、 また食糧の商品化率20馴 こ 象徴 され る食糧問題の切迫 した生産 力水準。中国 の農業生産互助合作組織が直面 した問題は この よ うな ものであ り、なかんず く就労楼会の創造であ った。 中国では まず、 、n倍化 しただけの利益O の追求の埼外 で、農業集団化が進展 した。 (5) 「近代農学の恩恵」 と合作化農民 阪本 さんは毛沢東や 『高潮』執筆 者の 「社 は大 きけ九は大 きいほ ど優越 も大 きい」 とす る思想を 「荒 っぽ い議論」 として非難 し、それ にまさる先 人 と してマル クスを指名 した。マル クスの論述の どこが 「荒 っぽ
い
」のか、必 らず Lもは っき りし な い。 あえて推察す ると、農業生産 力の発展 を経 営組織 の規模拡大 と短絡 させ た こと、その大規模 経営 におけ る合理的な作業体系に留意 しなか った こ とか と思 う。 それは 中 国の 1980年代 におけ る 聯産承句責 任制、すなわ ち集団所有制を基礎 に し た集団経営 と家庭経営の重層的結合の経験を肯定 す る見地か ら、 100年 まえのマル クスの論文 を評 論 した際 の、結論 である。 1世紀を距つ論評ゆえ、 マル クスもい ささか戸惑 ったか も しれ ない。 阪本 さんが マル クス 「土地国有 につ いて」 の一 部 の論述 を 「荒 っぽ い」 と非難 したのは、 「大規 模経営」 におけ る近代的な農耕技椀を効果的 に駆 使す る方法 に論及 しなか った こと、 また小経営 に おけ るその可能性 を論 じなか った こと、な どが主 た る理 由だ と思 う。だか ら阪本 さんは、 マル クス が 「土地 国有 につ いて」 を書 いた 前年 の 1871 年 の著作 「フランスの内乱」第 1草稿のなか の論 述 に注 目したのであろ う。 マル クスの この論文は コソ ミューンとい う政府 形態 の歴史的特質、例えは 「社会的解放の政治形 態」 とい う特質 を論 じた ものであ って、 「近代農 学 の恩恵を農民にあず か らせ」 るこ とを説 く農業 経営学の論文 ではない。 しか し、阪本 さんは この 農業経営学的論 点に注 目した。それは必 らず Lも 見 当ちが し、ではないが、論文 「フランスの内乱」
におけ るマル クス主義農業思想 を正確 に読み とっ た もの とは言えない。 また これが核心 であ るが、 中国の 「各戸産責 任制」 (阪本 さんの訳語 )の経 験 を承認 した うえでの社会主義農業論の展開 一阪 本 さんの論究 もこのた めにある と思 うが -か ら外 れた読み方だ と思 う. マル クスのパ リ ・コソミューン評価およびコソミニ ーソ国家論 におけ る農業問題は多 岐 に互 っている が、阪本 さんはその一 部に傍 点を付 して引用 した。 その引用の仕方か らみ ると、農民は コソ ミュー ソ 国家 にお し、ては 「農民 の地位」の ままで 「近代農 学の恩恵」 にあずか ることがで きる点を強調 して いる. しか し、 マル クスはその翌年 の論述 「土地 国有 につ いて」のなか で、 「分散 された小地片の 耕作を ともな った この よ うな土地所有 の形態 は、 近代的な農業改 良の適用を排除 して しま うだけで な く、同時 に農民 自身 を、 あ らゆ る社会的進歩 に た いす る、なかんず く土地 国有 にた し、す る、 もっ とも決定的な敢た らしめ るものであ る」 (岩波文 庫坂、大 内力編訳 『マル クス ・エ ソゲル ス農業論 集』 p51)とさえ言 っている。 マル クスの農業問題思想 を しめす論述 としては、 この方がポ ピュラーで もあ り、 コソ ミュ′-ソ論 に おけ る農業問題 も軌 を一 に している と思 う。 とい うこ とは阪本 さんが引用 したマルクスの-1971年 と 1972 年の二つ の論述は、対立 した 見解 を述べた ものではな.く、 「近代農学の恩恵」 にあずか り得 るのは土地 の大規模耕作、大規模経営 であること で統一 され ている. 阪本 さんが引用 し、社会主義 下の個人経営の論拠 とした 「フランスの内乱」第 1草稿 もその統一 にふ くまれ る。 マル クスは コソ ミューソと農民の関係を論 じて、 次の よ うに指摘 した。
「コソ ミューソはその現在 の経済的諸条件 の もとにあ って さえ、農民に大 き な即時の恩恵 をあたえることので きる唯一 の権力 である」 こと。そ して、 「現在 では敵対的な力 と して 日々に農民 を侵害 している ところ」の 「近代 農学の恩恵」を 「農民 にあずか らせ るこ とので きる 唯一 の政府形態 である」 こ と. そ うであるに もか かわ らず、農民的所有 はすでに 「衰退期」にあ り、 その 「生産様式その ものが、近代の農学 の進歩 に よって時代お くれ にな って しまった」 こと。 マル クスの コソ ミニー ソ国家論の論 旨は この ように理 解すべ きであろ う。しか し、 この論述は100年 まえの昔、僅か2カ 月間存 続 したパ リ ・コソ ミュー ソの経験 を総括 し て、 コソ ミュ ーソ国家論 を論 じた ものである。それ は周知の如 くである。 そ うした時代的制約の論述 に、 100 年 後の現代の農業問題を解釈す る字 句を求め るのは無理 である。 聯産 承包責 任制以降の論 点。 阪本 さんが批判 し た社会主義 集団農業につ いての 「荒 っぽ い議論」 を克服す るための、その主 な論 点は次の如 くであ ろ う。 (1)大経営が小経営 に優越す る命題 において、 その優越 点 とは何か。 どの よ うな方策 と条件に よ って優越性 を発揮で きるか。(2)大経営 の内部 に装 置 され た家族労働組織、家庭経営。 その労働管理 と労働報酬 制度。(3)小農制、家庭経営の経済的特 質 の解 明。 この三つの論 点の解 明に よって阪本 さ んの ≠n倍 化o論 と 、荒 っぽ い議論U とい う提起 は解決 され るであろ う。
Ⅱ
「中農は村のために泣いてもらう」
について
(1) 論点 と実状 まず、阪本 さんの論 旨を略述紹介 し、あわせて い くつかの参考事例 に補充的 に論及す る。 新彊 ウイ グル 自治区伽師県の報告〔
『高潮 』、 1,300頁 〕- 「貧農が中農 と協 同 し、中農の所有 す る生産手段 を利用 で きるよ うにな る、 とい う意 味があ るだけの合作化に対 して、中農が拒否反応 を示 した例」(阪本、 p252 )0 あ る幹部 の考 え方 「土地改革では中農 の動揺 を 防 ぐた め残 さざるを得 なか った中島 と貧農 との格 差 をい まや、協 同化で単純 に平均 化・・-・はケシカ ランとす る考 え方」0 第5区区長 司馬衣衣的里斯 「(以前我対農業 社 的性質認識不清 )合作社 内で中農ばか りがふえ れは役 畜 も農具 も完全 にそろい、土地 はひ とかた ま りにな って、は じめて増産 を保証 で き、協 同経 営の優越性 を示せ ると思 ってし、た (而没有認識到、 這是一 種不依算貧農的思想偏 向」
〔1,305貢 〕。 中農 と貧農 の協 同は 「平均 的 な所 得 を 向上 させ る とし、う効果」 (p254)を有 す る。 (説 明 ) 想定① 中農 と貧農 とそれぞれの労働 の限界 生産性 に格差がある状況。 また、(診 協同化によ り各耕地 の労働の限界生産性 も均等化.総投下労 働 は不変、総生産増大、かつ ての貧農の労働 の 限界生産性の レベル まで合作化が投下。 さらに 総生産 は増加 「村 は全体 として、農民は平均 と して富む」(
p254 )と想定す る。 但 し、中農上層 は限界生産性の低 い労働 に従 事す るために、分配所得は低下す る。 〔事例の1〕 湖南、長 沙県高山郷武塘社〔
『高 潮』857頁 〕 「1955年 の増産の方策 -双季 稲。 中農 の良田 を メチ ャクチ ャにす る (背壊 )恐れ、10トンの 大糞 を 自分 の田に投入」。 この文章の指摘 は、 「地 力問 題 」。 しか し 「問題 は労働 の限界生 ■産 性 に帰 着す る」。中農 は労働 の限界 生 産 性 を、 「村 と して均 等 化 し、村 の総生 産 を極 大 化す る よ りも自分だけの利害のほ うを重視 したがる」。(
p255 ) (事例の2〕 貴洲省貴定県塩江郷平墜社〔
『高潮』1,146 貢 〕 合作 化に よる土地集 中経営は、個人 の零細土 地 の耕作 に比べ省力す る (労働力の統 一使用、 按 労取酬原則 の実行、労働積極性向上 、婦女子 と半人前労働力の生産参加 )0 労働力の需給計算- 129人の労働力 、 1年8 カ月240工、全社 30.960工。 1955年22.000工使用 、剰余は8,960工 〔社員 目扶 出路的傾 向出現 〕多種経営 に よ り 「費工夫、 収益少、時間長 、不解渇」0 幹部 は 「旧来 の中農の限界生産性の レベルで 合作社が集約化を規制 するとすれ ば、合作社は それ こそ、過剰労働力の大量生産機関 にな りか ね ない
」 ( p256 )と して、大衆 に奮 斗 を訴え て増産計画 を樹立す る。 毛沢東 技語 一太文作者-
「制定生産 規 画的整 個過程 、就是 先進思想和保 守思想斗争 的過程」0 この種の保守思想 を克服し、生産力 と生 産 を大 き く発展 させ るために、すべての地方 、すべての地 方、すべての合作化 は、その長期計画 をつ くる
」(
『高潮』 1,146頁) 「その とお りだ と私 も思 う。 しか し、村全体 のために中農上層 には泣 いて もらうに して も、 望 まれ るのは、生産手段のnセ ッ トをそろえた 合作 化が、 ワン ・セ ッ トだけの個人経営 に劣 ら ぬ生産関数 を もつ ことであろ う」 (
p256 )0 「全 国農業発展綱要」 の 目標。1962年 に大多数 を 合 作 化 。 「富裕 中農 の生産水準、収入水準 に 追 いつ き、追 い こす。社員1人収入が 当地平均の 富 裕 中 農 の 収入に追 いつ き、追 いこす」 そのための12項 目の仕事。① 興修水利,② 増 加肥料 、③ 農具改良 と新式農具導入、④ 良種 推広 、(9 復種拡大、⑥ 高産作物導入、(診 精 耕畑作 、耕作方法改進、⑧ 土地改良、⑨ 水土 保持、⑲ 耕畜保護、繁 殖、⑪ 病虫害 消滅、㊨ 開荒、耕地拡大 「村 の共同の仕事」 として取組 むのだが、 「だ か らとい って 日常的 な農作業 をすべて集団的 に し なけれ ばな らぬ とい う結論」はない。 「村全体のために、い った んは泣 いた富裕中農 が生活 水準が回復 しただけでは、満足す るとは限 らず」、 日常農作業 は 「勝手 にや らせて くれ」 と い うの も無理 ではない (p258 )0(
2
)
指導機関内での貧農の優勢をうち立てる問題 『高潮 』の報告資料 の うち合作 化の領導標関内 で貧農 の優勢を うち立 て る問題 を報告 した ものは 8福 あ る。すでに引用 された 「5億農民の方向」、 また ここで引用 された伽師県報告 、湖南省の高山 県武塘 社の報告が含 まれ る。毛沢東は武塘合作社 の報告 に長文 の按語 を寄せ て、貧農の優勢 につい て、つ ぎの よ うに指摘 してい る。
「合作社内の指 導部 は、指導部 のなかでの現在 の貧農 お よび新下 中農 の優勢 を うち立 て、旧下 中農、旧上 中農、新 上 中農を補助勢力に しなければな らない。その よ うに しては じめ て、党の政策 に したが って貧農 と 中農の団結を実現 し、合作化を強固に し生産 を発 展 させ て、全農村 の社会主義改造 を正 しく完成す ることがで きる。」 また、土地改革後 の階級分析 官h-Lli:つ し、只 農、新下 中農、旧下 中農 の3部分 の農民の うち、 「自覚程度が比較的高 く、比較的組織能 力のある 若干の ものを選抜 し、訓練 して合作化の領導骨幹 を構成す る」 ことを提 唱 した。 富裕 中農 については、 「社会主義的 自覚が高 ま り、合作社 加入 を要望 し、 しか も貧農 (現在 の貧 農、 もと貧農 であ ったすべ ての新下中農をふ くむ ) の指導 に服す ることを希望す るよ うにな った場 合 に、彼 らを吸収 して加入 させ る」 として、 と くに 「生産手段が少 しばか り少 な くて も、合作社 を組 織 で きることは、貧農 と下 中農が組織 した、 きわ めて多 くの合作社がすでに証明 してい る」 とした。 〔『高潮 』857- 9貢 〕。 毛沢東扱語の論 旨を参照す ると、伽師県の報告 は 「貧農が中農 と協 同 し、中農の所有す る生産手 段 を利用 で きるよ うにな る、 とい う意味があ るだ けの合作社 に対 して、中農が拒否反応 を示 した何日 (阪太 さん )に重点があ るのではない。 この報告 を書 いた鐘英 ・請島泉の両氏は区、郷級幹部の誤 解 、貧農排斥思想 を批判 した。例 えは、 「多 くの 幹部 は農業生産合作社 は増産の要 求に保証をあた え ることを、誤 って理解 して、合作社 が増産 を確 保 す るには、家畜 と土地 を多 くもった中農 を多 く 吸収 しなけれ ばな らず、そ うして、は じめて合作 社の優越性を顕示 で きると考 えて いた」糊 塗 観 念 を批判 している。 これ らの幹部 は 「貧農 は土地、 家畜 ともに少 な く、新式農具購入 の金 もない。貧 農 を多 く吸収す ると、合作社 は豊作 をか ち とるこ とが難 し くな り、模範 をつ くることがで きない」 と考 えていた。阪太 さんが引用紹介 した司馬衣衣 的里斯 区長 の思想が これ に当た る。 伽師県の報告、後 出の武塘合作社 の報告 お よび、 これ についての毛沢東の按語 は幹部 の誤 った思想 を批判 し、合作社 が貧農 に依拠 しなければな らな い ことを論 じてい る。 その理 由 として、 「農業 の 社会主義改造 は一場 の きび しい階級斗争 であ り、 党 は必 らず、社会主義 を支持す る階級力量 を探 し 当て、社会主義 に反対す る階級散 に打撃 を加 えな けれ ばな らない」
〔『高潮』1,306頁 〕ことが あ げ られ てい る。その指摘 は妥当であ るが、農業生 産合作社が うち立 て よ うとす る生産力の見地か ら も、論ず る必要があ ると思 う。
「白手起家」は貧 農 に依拠 す ることに よって達成 で きた。 また貧農に依拠 し、中農 と団結す る政策につい ての誤解 も論 じられ て いる。 工 作幹 部が 「貧農を とび こえ て中農 と団結 す る」誤 ちを犯 した こ とを批 判 して、 「中豊 と団結す るには、 まず 、 貧 農 を発 動 しなけれ ば な らない。思想上 、 貧農 を高 め、貧 農 の政治上 の優 勢 を うち立 て、 貧農 を通 じて中農 と団結 し教 育 して、 中農 を互 助合 作 の方面 にひ きつ け る
」
〔
『高潮』 1,303頁 〕 こ とを論 じた。 また 「社 員 全 体 に階 級政策 を教 育 し、貧農 と中農 が 、合 則 両利 、離 別両傷 Q で あ る道理 を くりかえ し説 き明か して、彼 らに農業 生産合作社は貧農 と中農の 自願結合の経済 同盟 で あ ることを分 らせ る。ただ貧農 と中農が強固 に団 結 して農業生産合作 社 を立 派に運営す ることに よ って、は じめて効果的 に生産 を発展 させて富農や 一切 の富農的傾 向 と斗争 し、共同富裕 に向 って歩 む ことがで きる。そ うして貧農排斥、中農 の利 益 侵犯 の現 象を是正で きる」
〔
『高潮』1,307頁 〕 とい う見解 を明 らか に した。 毛沢東は合作社運営の階級政策 を提起 した。 そ れ は合作社 -富農 お よび富農的傾 向 との斗争の組 織 を通 じて実現 しよ うとす る農業生産力 と不可分 の静係にある政策であ る. その意味 では伽師県四 区二郷二村農業社の一人 の幹部の貧農加入拒否、 (阪太論文p253- 4 )の思想 は、単 な る 「中農 と 貧農 との格差」の 「協 同化 で単純に平均化」 を拒 否す る思想 ではな く、合作社に よって生み出そ う とす る農業生産の帰趨 にかかわ る性質の思想問題 で あ った。 この二郷二村農業社の幹部の思想 と司馬衣衣的 里斯 区長 の思想は共通 している。 ともに 「中農の 耕牛や農具の ことを考 えて」 (毛沢東 『高 潮 』 859京 )、それ に よる 「増 産の保証」 を求め よ う とす るものであ った。毛沢東は これ に対 し、あえ て、 「生産手段が少 しばか り少 な くて も、合作社 を組織 で きる」 (同上859頁 )とさえ強調 した。 阪本 さんは、 この毛 沢東 の 「批 判 はた しか に 当 っている」 と支持 した (p254 )0 しか し、毛沢東の見解 とは微妙にちが ってい る よ うにみ え る。阪太 さんは、中農 と貧農の協 同化 は両者の所得の平均 化を結果す るに とどまらず 、 「平均的 な所得 を向上 させ るとい う効果 を もち う るか らである」 (
p254 )と述べてい る。合作社 が い うところの 「所得の平均化」でないことは、 い うまで もない。それは新 しい生産力 を生み出 し また、新 たな蓄積の創造 を予定す るものであ る. それ は 「平均的 な所得 を向上 させ る」 とい って ま ちがいではない。 しか しその 「平均的 な所得の向 上」が どの ように して もた らされ るか とい う点で、 毛沢東や当時の中国共産党の考 え方 と阪太説 とは ちが っていると思 う。 (3)中農 と貧農 との 「労働の限界生産性の格差」 について 阪太 さんは協 同化の 「平均的 な所得の向上 とい う効果」 について説明す るに当 り、 まず、貧農 と 中農の 「それぞれ の労働 の限界生産性 に格 差があ る状況 を想定す る」 (
p 254 )。 その格差 が どの よ うな ものであ るかは明 らか に していないが、中 農 をふ くむ合作社農民が 「かつての貧農 の労働の 限界生産性の レベル まで合作社 で労働 を投下」す ることを想定 してい る。 また 「中農の上層 (当時 の 中共の階級区分 に よる 「富裕中農」に相 当す る とみ なす -引用者)は、従来なら考え もしなか った よ うな限界生産性の低 い労働 に も従事 しなければ な らず」 とも予想す る。 この想定 に よると、中農 もしくは富裕 中農の労 働 の限界生産性が貧農のそれ に比べて高 い水準に あ り、貧農の労働 の限界生産性は中農 と比 べて低 い水準にあ った と仮定 してい る。 はた してそ うで あ った ろ うか ? 私は一般的 にい って逆 であ った と考 えている。 私 は、言葉 の表現 は拙 いが、あえてい えは、一 般的 にい って中農 の多 くは勤勉 であ って 「精農」 か 「篤農」であ り、貧農は惰農で さえあ った と思 う。だか らこそ まず、政 治、思想面か ら発動 し、 主人公 であると自覚 を もたせて、卑屈か ら脱却 さ せ る工作 が不可欠 であ ったのだ と思 う。 日本の諺にい う 「惰農は草 をみて取 らず 、精農 は草 をみて取 り、篤農は草 をみず して取 る」 とい う事情は中国で も同様であ った と思われ る。 これ を労働の限界生産性の角度か らいえば、 中農は精 農的性向を もち、 「精耕細作」 して生産 性 の高 い 仕事か らその年内に収穫 -所得 を もた ら さない、 あ るいは、いち じるし く生産性の低 い仕 事 にいた るまで手 が及ぶ、総体 としての収穫 を最 大 にす る べ く努め る。単 位 面 積 当 り収量 、労働 力1人 当 り収量 は高 いが、労 働 時 間 当 り生産 性 はか え って低 くなる.貧農はむ しろ惰農の部類に属す るも のが多 く、貧困ゆえに却 って、 「精耕細作」に至 らず、収穫に必要な最 少限度の仕事、いいかえる と労働の限度生産性が比較的高 い仕事に とどま り、 そのため総体 としての収穫はつねに少な くなる傾 向にあ る。以上が私 の判断である。 そ して、 この私の判断 を裏づけ る (と私が考 え る )若干の資料があ る。私の これ らの資料の読み 方 にまちがいがあるか もしれず、 また阪本 さんが し、う 「労働の限界生産性の格差」 につ いての私の 誤解があるか も知れ ないので、私の論拠 とす る資 料 を次に紹介す る。資料判読について教示 を乞 う 次第 である。 資料1 中共斬江省委農村工作部 「関於起上或 超過富裕中農的生産水平和収 入水平的調査
」
『蔑村 工作通訊』 1957年第12期 富裕中農の農業生産上の特点 (1) 収入増加の門路 の比較的広間であること一 多種経 営。 (2)生産上、精打細 算を し、 日常生産上では倹 約 に注意。「屋寛不如心寛、里空不如外被」がその 勤倹治家の道である。 (3)彼 らは、多年 の労働生産のあいだに成功の 経験 を蓄積 し、 自分 の土地の性能 を知悉 し、 よく 困地制宜 をな し、地力 を発揮 し、生産上 も計画性 がある。 例 えば、彼 らは、田頚、園尾、田岸、宅地、攻、 敏 な どの空 隙 地 を十 分 に利 用 す る。 田問 管理 では、毎 日 、巡 田頚 q進行四着 (看 禾苗、看 水、 看草、看虫 )。適時 に問題を発見 し措置す る。 (4)その労働出勤率 は合作社 と比べて高 く、 ま い 目早起 晩陸、一切 の労働を生産 に用 いる。 ちなみに この調査報 告は富裕中農の生産水平を 超過す ることは、以上 の富裕中農の生産上 の特点 を超 えることであると し、合作社農業の達成 した 優点を も記述 してい る。 資料2 中共石家荘地委第-書記 梁双壁 「使 農業社三、五年内起上富裕中農的生産水平」
『人 民 日報』 1957年10月8日。 富裕中農の特点は、土地多、質量好、牲 口多、 牲 口社、生産工具斉全 、生産資金充裕、占有各種 生産資料比一般農民多にあるo 増産経験 1, 義猪多、施肥多 2.複種面箭大、倒荏輪作好 3.精耕細作、層粒遇家。一般 に勤労的 であ り、 耕地能倣到深、平、直、細、句、杷 蓋多 、保嫡好、 播種適時。鋤地掌握了探、細、通三個環節。定苗 旅 住了 、稀留密密留稀、不稀不密留大的q三個関 鍵。 尚、 この報告 は富裕 中農の生産水準を超 え るこ との内容 を上記のように確定 し、超過す るための措 置 を4項 目に まとめて提起 している。 資料3 雷農林 「関於我国農民収入情況和生活 水平的初歩研究」
『農村工作通訊』 1957年第 4 期。 『人民 日報』 1957年5月5日転載。 この報告は 「いわゆ る富裕中農の生産水準 とは 彼 らの多種経営管理 の経験、比較的充実 した耕牛 と農具、比較的多 い拡大再生産投資 と耕作技術を 指す」 と述べて、合作社農民のなかにあ った悲観 論 には何 らの根拠がない と指摘 した。 この諸資料が示唆することは、合作社に加入した 富裕中農は 「従釆なら考えもしなか った ような 限界 生産性の低い労働にも従事」 (p255)するのでなく て、逆 に貧農、下中農の方がかつて経験 しなか っ た ような 「限界生産性の低 い労働 に も従事」す る ことにな る、 とい うことではないか。実情の理解 の仕方如何に よって、合作社についてのちが った 評価が生 まれ る。 (4) 合作社長業 と中農の位置 (D 合作社農業 にたいす る中農の危倶 中農の この危供の本質は何か ? 阪本 さんは湖 南省武塘農業社〔
『高潮』857貢 〕の例 に もとづ いて、一つは 「地力問題」であ り、 もう一つは、 隔着す る」 ところ、 「問題は労働の限界生産性」 にあると述べている (p 255)0 既述 の よ うに、私は 「貧農 と中農の労働の限界 生産性の格差」 を阪本 さん とは逆 にみているか ら、 貧農の側に 「危供」があ りこそすれ、中農にはな いことになる。それ では中農 と くに、富裕中農の 合作社農業 に対す る危供は何か。私 は、それは、合作社失敗 とい う危供であ り、頼 りにな らないと す る不信感だ と考 える。阪本 さんの引用 した文章 の前後 に、次の ような叙述がある。 まず前段 - 「生産が うま くいかなか った原因は どこにあったか ? それは主には社内の貧農が発 動 されず、中農が優勢を占めていた ことであ る。 とい うのは中農の思想は一般的 に動揺的 であ り、 合作社運営 に決然 とせず積極的でな く、合作社の 生産を考 え るにあた って、総 じて自分のために 『抄 と りを残す』 ことを考 え、合作社の生産 に影響を あたえたか らである」 つ ぎに後段 - 「彼 らは合作社が うま く運営 され ない こと、合作社生産が頼 りにな らない ことを心 配 して、合作社設立 の際 にすでに自留地 を多 く残 していた」 そ こで阪本 さんが引用 した限 りでの文章を よむ と、中農の危供は 「地力問題」にあることになる。 しか し『高潮 』862貢の全体 をみ ると問題はそれ 程単純 でないことが分 る。 1955年の武塘農業社の 生産が成功 しなか った理 由は主 として、中農の私 有制に由来す る思想的動揺を別 とす ると、貧農が 発動 されず、合作社内で中農が優勢であ った こと にある。私 の理解 では、合作社に入 った貧農が発 動 されず、や る気 を起 さなければ、貧農が中農の つ くり出 した成果 を徒食す ることにな り、はては 中農 もや る気を失な うとい うことではないか。合 作社農業の生産力は貧農の発動、優勢に よっては じめて成果 を生む。そ うでなければ、中農は 自分 の生産、経営の経験 にて らして、貧農参加の合作 社 にただ不信感 と危快を抱 くだけである。合作社 の失敗は避け られない。 ② 貧農 の発動、優勢について この問題 は合作社農業の基本にかかれ ることで、 あ らためての研究 を必要 とす る。 ここでは概略 に ふれ る。毛沢東の武嬉農業社報告の按語は こ う書 いてい る
。
「労働者階級 と共産党が社会主義精神 と社会主義制度に よって、全農村の小農的生産手 段 私有制を徹底的に改造 しようとす るな らは、過 去 に半無産階級であ った広範な貧農大衆に頼 るこ とに よって、比較的順調に これをな しとげ られ る が、そ うしないはあいは非常に困難であ る。 とい うのは農村 の半無産階級は、小農的な生産手段私 有制にあま り固執せず、社会主義改造 を比較的容 易 に受け入れ ることので きる人たちだか らである」 (858頁 )。 その半無産階級は土地改革後 には、 現在 もなお困難の地位にある貧農、新 中農のなか の下 中農、旧中農の中の下中農 として存在 してい る。 しか し、 この3部分の貧下中農のすべてが、そ の ままで合作社の 「領導骨干」 となることは望め ない。
「一団ずつ、時期 を分けて合作社加入-導 び き、同時に彼 らの中か ら、比較的 自覚程度が高 く、組織能力の しっか りした若干の人を選抜 し、 訓練 して合作社の領導骨千にす る」 (
859頁 )0 こうしては じめて貧下中農は生産面で機能す る。 ちなみに、阪本 さんが紹介 した新彊 ウイブル族 自 治区 伽 師県の報告 に も、つ ぎの叙述が あ る。 「貧農 の政治上 の優勢 を うち立 てるには、意識 的 に多 くの貧農工作 をす る必要 が あ る。 貧農を 思想的 に発動 し、その領導骨千を培養、選抜 して 粘 りづ よ く綿密に教育 し援助 して彼 らの 自覚 と工 作能力をひ き上げ、大衆の問におけ る、貧農の威 信を うち立 てて、貧農が互助合作運動の中堅力量 とな り、農業社の核心 となるようにす るJ(1,302 貢 )0 この貧農工作が必要であるのは、農民的所有制 の改造 、農業集団化の事業の性質に由来 す る。貧 農は所有制を改造す るとともに、惰農、「二流子」
的な 自己を も改造 して、生産の領導骨千 に変身 し な くてはな らない。二重の改造を必要 とす る。生 産の当面の 目標 は村の平均 よりは20-30解高 い富 裕 中農の生産力水準をこえることである。それは 富裕 中島を思想的に安定 させ るためであ るとい う よ りは、その水準が過去の中国農業 の経験 を集大 成 した ものだか らである。その水準に到達 す るに は、合作社 で優勢を占めた貧農、下中農 が少な く とも富裕中農の 「精耕細作」技術を我 が もの とし、 よ り高 い技術を体得す る必要がある。要 す るに貧 農下中農が 「二流子」状況か ら脱却す ることであ る。 それには、選抜、訓練を-た 「領導骨干」が 不可欠であ り、そ して 「たえず貧農にた い し階級 政策 を語 り、社会主義教育を行ない、彼 らの 自己 卑下 とい う誤 った思想を克服 し、貧農の階級的 自 覚 と合作社経営 に対す る積極性を高め る」 (
『高 潮 』867頁)必要があった。貧農の多 くが とらわれている 「貧困、無能、低人一等、投有指頭」の劣等 感 を克服 しなければな らなか った。武塘農業社の 調査報告 の核心は この点 にあった。 ③ 貴下中農が富裕中農に学ぶ とい う問題 中国の富裕中農の勤勉性、労働の限界生産性の 低下をいとわず総体としての収穫を高からしめ る労 働態度な どについてはすでにのべた。 こ うした富 裕中農の勤勉、経営管理能力、技術が恵 まれた土 地条件 と合体 して、単位面積当 り収量 の、村平均 の20-30車高 とい う水準をつ くりだ した。合作社 農業が第2次5カ年計画期間内に到達す る目標 と された。富裕中農の生産力水準は この ような もの であった。 この意味で富裕中農は、貧農、下中農 の農業生産上の 目標 であった。 これ に関す るい く つかの論述がある。 「各地の典型調査に よると富裕中農の単位面積 当 り収量 は、成立 したはか りの合作社 と比べて20 多ない し30多多 い。全国の合作社が富裕中農の生 産力水準に追 いつ き追 い越す と、わが国の農地 の 単位面積当 り収量 と総収量 は20多ない し、30多高 くなる。 - ・-・・
「
5
年以内に この 日標 を達成す るためには、合 作社の経営管理 を と くに強化 し、民主弁社、勤倹 弁社の方針を堅持 しなければな らない」 「多 くの富裕中農は発家致富のために総 じて起 早 陸晩、一切の労働を生産に投 じて節約で きる金 は、 1銭で も節約 している。合作社は彼 らの この 勤労倹朴の精神を学び、 自己の経営管理 を健全に しな くてはならない」(
『人民 日報』 1957年10 月11日社説 )0 中共石家庄委員会の梁双壁第-書記 も、富裕中 農の生産 のす ぐれた特徴を列挙 したのち (前出 ) 「富裕中農は小農の生産経験 を集大成 している。 その彼 らの長所 は合作化 したのち、農業生産合作 社に とって数年の先生 とな るものだ」 とのべた。(
『人民 日報』 1957年10月8日 )0 農業生産合作社が設立 された当初、中農 と くに 富裕中農 について二様の評価がなされた。 まず、 中農は思想的に動揺的 であ って、合作社の領導骨 千の役割 をはたす ことはで きない。貧農、下中農 を発動 し、教育 して、合作社内部での優勢の地位 につけ る必要がある。つ ぎに農業生産の面では、 富裕中農は小農生産経験 を集大成 していて、高 い 生産力水準を実現 している。富裕中農は貧農下中 農の先生である。貧農下中農は思想的に中農 と く に富裕中農に対す る劣等意識を克服 して、小農生 産経験 を集大成 した富裕中農に学 び、その 「勤労 倹朴の精神」を体得す る必要がある。 ④ 農民諸階層の合作社にたいす る態度 阪本 さんは合作社の階級政策、農民諸階層 の合 作社に対す る態度の問題を直接には論 じていない。 しか し、 この問題は1955- 57年 当時、 中国農村 の大 きな問題であ った。 1957年6- 10月の5カ 月にわた る 「反右派斗争」の時期 に、総 じて や階 級斗争を不当に拡大す るo誤 りが生 じた。 この誤 りを別 として 「農民諸階層 と合作社」の問題は重 要であ った。
「反右派斗争」の5カ月はのちの文 化大革命期 とはちが って、各分野の実務は正常に 遂行 された。その ≠実務Oの見地か らみて もこの 問題は重要であ った。
「協同化政策の軌跡」 を論 ず るに当 って不可欠の論題 であ った と思 う。 と り あえず以下に若干の資料 を紹介す る。 資料1 中共河南省委第-書記播復生 「目前河 南農村的階級斗争形勢」 (
『人民 日報』 1957年 10月18日 )。 この調査報告 は新郷県、輝県の6合 作社を調査 した もので、貧農、下 中農、旧中農、 富裕中農の4階層農民が社会主義 にたい してとっ た態度を、擁護、中間、落後 に3区分 して紹介 し ている。下表の如 し。 戸数 分 布 社会主義 に対 して 擁護 中間 落後 . 貧 農 1戸89 13.5 72.5 23.3% i 帝 4,2% 下 中 農 359 25.8 66.0 28.7 5.3 老 下 中 農 458 33.1 51.3 40.6 8.1 富 裕 中 農 283 20.2 40.3 38.5 21.2 うち5 新富裕中 農 83 55.4 31.3 13.3 6祉総戸数 1.393FQ)内 厳重な賛本主義的快向のものT211戸8.9多 (寓裕中願 o戸、
丹下巾i:如イ戸 ) 反守法、半守法の地主、冨E!52戸 3,7多1. 貧農 ・下 中農 確実に依拠 で きる力量。 その中の 「自覚が高 く な く、社会主義 に意 見を もつ人」は働 らきかけを 強 化 しさえすれ ば、社会主義 の 自覚を高め ること が で きる。 2.老下 中農 二つの道 の斗争 において一般的 に中間的 な態度。 老下中農は合作 化 と糧食統 陪統鏑につ いて意見を もってい るが、それ は一般的 には 「ど うした ら、 うま く工作 が進むか」 とい う意見であ る。 その収 入 は高級社参加前 と比べ て、不増不滅。減少の も のが い くらか あ り、増加 した もの もい る
。
「落後」 は根少。 3. 富裕 中農 多数 は合作社 に留 まることを希望 、少数が退社 し資本主義 の道 を歩 もうとしている。富裕中農の うち資本主義傾 向濃厚 の ものは、 5合作社の場合、 新 富裕 中農 の うち、13.3%、老富裕中農の うちの 26.6 帝を しめ る。 この資本主義的傾 向の濃厚 な 富 裕中農の うち、あえて退社 し資本主義 の道 を歩 も うとす るものは少数 であ る。 〔社会主義 を擁護す る富裕 中農 〕-経済上、その 農業収入が高級社入社以前 と比べて、 い くらか増 加 、 もし くは不増不滅 で、い くらか減 少 した もの もあ る。政治上は一般 に比較的純潔の正派農民で あ り、社会主義 の 自覚は高 い。その中に幹部、幹 部家族 、兵士家族がい る。 (中間的富裕 中農 〕一経済上は、その収入が高級 社入社前 と比べて不増不滅 、 もし くは減少 したが 不太多。過去 の初級社の経験が好影響 を与 えてい る。政 治上 は資本主義思想 はそれ程 濃厚 ではない。 着 実 に工作 し、教 育を強 化すれ ば、社会主義 の道 を歩む。 〔資本主義憤 向の濃厚な富裕 中農 〕一経済上一般 に比較的多 く収入の減少 した もの。高級社 に入社 の ち、労働少、生産不積極、搾取不能 に よる収入 減 。政 治上 、過去 に地位が あ って、保長、 甲長 で あ った もの、中には政治斗争にかけ られた ものが い る。 飼 文中、高級社参加前と比べた収入増減は、初級社 時代にあった 「土地報酬」が高級合作化に伴ない、制 度として廃止され、按労分配だけになったことを考慮 すること。 (菅沼 ) 資料2 雷震林 「整社的関鍵是貫徹群衆路線」 『農村工作通訊』 1957年 10期 湖南省 牧県上雲橋郷調査報告。高級社 13社 、 3.913戸 、 16,757人。 1955年は大早はつの年。 入社 前 と比べ て、収入の増加、保 持の もの82帝、 解決すべ き問題 - 困難戸、総戸数 の10解、上中 農、総戸数 の20解、 「この30解を しめ る農民の問 題が うま く解決 され ない と、合作社内につねに不 安定 の要素が存在す ることにな り、 うま く解決 さ れた ら、合作社は強 化 され る」0 上中農の状況。30帝- 合作社を擁護.入社後収 入増 加 、 もとの収入保 持、土地改革後 に翻身の新 上 中農、幹部の家族 と軍人、烈士の家族 な ど。彼 らは この階層 の左翼 であ る。 45%- 合作社 に半信半疑O一般的 には合作社 の発 展 に希望 を もつ。入社後、収入減 の もの。収 入増 加 したか、社の経営管理 、互利政策 に意 見を もつ もの。一度風 が吹 くと動揺 を生 じ易 い。彼 ら は この階層 の中間派であ る。 25車- 合作 化に不満 を もつ もの。なか に、入 社後収入減少 し、単幹 の ときの搾取 収入 に恋 々と して貿本主義の道 を歩 も うとす るものが あ る。彼 らは社内 で非公然 に 、自然発生Oをや るのでな く、 公然 と退 社 しようとす る。 これは上 中農 のなかの 右翼 であ る。 今 日考 え ることであるが、1955- 7年 当時の、 中国農村 で、資太主義 の傾向 と言われた現象の木 質 は何 で あ ったのか。 し、ずれ にせ よ、合 作社 に対 す る以上 の農民諸階層 の態度は、合作化 後 の収 入 の変化、合作社経営の良否、その経 歴 に 由来す る 党 と社会主義 に対す る信栢度な どを反映 している。 したが って合作社 の強固な基礎 を固め るには、政 治思想工作 と経済工作の両面の努力を要 した。 と くに1957年 には中共中央の多 くの指示通 知 が出 さ れ て工作 の指針が しめ された。(
5)
「中農は村のために泣いて もら う」 ことに ついて 阪 本 さんが、 「村全体のために中農上層 には泣 いて もら う」 とい う話の例証 として紹介 した貴洲 省貴定県盤江郷 の平墜農業社の経験 は、 『高潮 』 では、 「一個 合作社的三年生産規画」(
『 高 潮 』 1,146頁 )と題 した、 「農業生産合作社 的長期的 生産規画」の経験 として分旅 された9編 の文献の一 つであ る。阪本 さんは一風変 った例証 として使 った。その阪本 さんの文章は大要 、つ ぎの4点 を 論 じた ものである (p255- 6)0 ① 土地の集 中経営 に よる労働 の節約、余剰労 働力 に よる集約 化 と増 産計画の樹立。 ② 「旧来の中農の限界生産性の レベル」での集 約 化は、合作社を 「過剰労働力の大量生産機 関」 とす る恐れがあ る。 ③ この計画は 「旧来 の中農」 に単幹時代 と比 べ て よ りきび しい労働 を課す ことにな り(管 沼の類推に よる要約 ) 「村全体 のために、中 農上層 には泣 いて もら う」 ことにな る。 ④ それ に もまして 「望 まれ るのは生産手段の n七 、,トをそろえた合作社が ワン ・セ ッ トだ けの個人経営 に劣 らぬ生産関数 を もっ こと」0 この論点 の うち、1955-57年当時 の中国におけ る農業合作化を論ず るに当 って重要 と思われ るの は、長期生産計画 とそれが創造 しよ うとす る農業 生産力の性質、長期生産計 画をめ ぐる思想斗争、 そ して、 「中農上層 には泣 いて もら う」 とされ る 合作社におけ る各階層農民 の利害関係 な どである。 ただ し、 この盤江郷 の報告資料 を使 って、 「中 農上層 には泣いて もら う」 ことを立 証す るには、 無理 があ ると思 う。 合作 化 と余剰労働力の捌 け 口。盤江郷平壁農業 社 は 1954年春 に設立 された。社員 50戸、人 口 250人、労働力129人耕地743ムー (水田550、 畑193)。設立2年間に糧食産量 は平年作 を28啓 上 まわ る成績であ った。 しか し、合作社が土地集 中経営 を実行 したので、個人 の零細耕作 と比べて 省力が進 んだ。労 働 力統 一 使 用 、 按労取酬原則 に よって社員の積極性が向上 し、多数の婦女子や 半人前労働力が生産 に参加 した。新問題は労働力 の過剰 あ るいは土地不足 であ った。 計算に よると、 129人 の労働力、年間8カ月240 工 の出役 で30.960工 が見込 まれたが、1955年 の実 際使用 は22.000工 で、 8,960工 の剰余 とな った。 129人 が出役 して743ムーを耕作 したので、 1人 5.7ムー耕作 とな ったが、 1人9.5ムーが可能 で あ るので、その労働 を保証す るには1,225.5ムー が必要 であ り482.5ムの不足 とな った。 合作社 は 8,960工の就労 を確侠す る措 置を、とるか、 あるい は482.5ムーの耕地 を追加す るか、 いずれか の解 決 を迫 られた。 なぜ、労働力が余 ったのか。阪 本 さんは 「旧来 の中農の限界生産性の レベルで合作 社が集約化を 規制す る