教 育 におけ るアー ティキュレー ションの概念 と問題性
清 水 一 彦 は じ め に 一人ひ と りの子 どもは, 日々刻 々にあ らたな生を展開 してい る。昨 日の太郎 と今 日の太郎 は全 く同 じではないが,太郎は太郎 として同 じ一 つの生命体 であ り,昨 日も今 日も連続 して いる。子 ど もは不断 に変化 し発達 してい くが,その発達は飛躍的,断続的ではな くて,常 に 累積的,連続的 なのである。 子 ど もの発達が連続的である限 り,発達 の助成作用 としての教育 もまた,連続的 でなけれ ば な らない。かつて, アメ リカの有名 な教育学者 デ ューイ (John Dewey)が,「教 育 の 過 程は,連続的 な成長 の過程であ り,その各段階 の 目標 は成長す る能 力を さらに増進 させ る こ ∼1「、 とにある」 と述べた よ うに,教育の本質は,子 どもの連続的 な成長発達を陳障す る ところに 求め られ る。 教育が連続的 であるためには,その組織体 としての教育制度 に も連続性が要請 され る。教 育制度は, い くつかの教育機会 を意図的,計画的 に統合 した全体 の系 である。デ ューイほ, 「組織 とは,事物が工合 よ く,屈伸性を もって, じ ょうぶんにはた ら くよ うに,それ ら の 事 (2) 物 を相互 に結 びあわせ る ことにはかな らない」 と述べたが,教育制度 に も組裁本来 の もつ連 続面は存在す る。人は誰 で も, この社会的組織 としての教育制度 を通 して学習を継続 し,成 長 してい く。教 育制度 には,そのため一方 で人間の成 長発達 や学習 にみあった連続性が,他 方 で学校 のほか家庭や社会の領域 を含 んだ全体 としての統合性が求め られ る。そ して, この 連続性 と統合性 を実現す る上 で,教育制度 においては い くつか の教育機会を垂直的 にかつ水 平的 に結び あわせ る作業 が不可欠 となっている。 教育機会 を垂直的 に結びつけ る制度的作業 あ るいは教育的努 力が,今 日アーテ ィキ ュレー シ ョン (articulation) と認識 され るものである。教育においてほ,一般 にそれは学 校 教 育 の分野 で使われて きた。子 どもは多 くの場合,保育所 や幼稚 園な どで初めて集団的保 育 の場 を経験 した後,義務教育段階 の小学校,中学校を終 了 し, さ らにそ の学習要求に基 づいて高 等学校や大学 な どの上級学校に進む。それぞれ の学校教育機 関が相互に密接 な関 連 性 を も ち,子 どもの発達 の連続性を保障す るものにな ってい るか ど うか, アーテ ィキ ュレーシ ョン が根本的 に要請 され るところである。 教育 におけ るアーテ ィキ ュレーシ ョンについては, これ までわが国では, これを正面か ら 取 り上げた ものあ るいは学校制度全体 を視野 に入れて論究 した ものは皆無 に等 しい とい って24 研究紀要 (第5号) もよい。多 くは,主に普通教育 の一貫性の問題や各学校段階内の個別的問題 の中で取 り上げ られた ものである。 しか し,近年 アーテ ィキ ュレーシ ョンの総合的研究の必要性のほか,学 制改革論議の中で も次第 に強 く認識 され るようになった ことも確かである。例 えば,昭和46 年 の中央教育審議会の答申にみ られ るよ うな "人間の発達過程 に応 じた学校体系の開発''を め ざそ うとした ものや,大学入試制度をアーテ ィキ ュレーシ ョンの観点か らとらえ直そ うと (3) す るす ぐれた研究 もみ られ る。 また,大部分はアメ リカの しか も初等 ・中等教育 を対象 とし (4) た ものであるが,諸外国の教育制度 を素材 とした先行研究 もわずかなが ら増え始めている。 アーテ ィキ ュレーシ ョンの研究が最 も早 くか らしか も最 も盛んに行われているのがアメ リ カである。アメ リカの先行研究では,今 日の国民的教育制度成立前後,すなわち19世紀未か ら今世紀初頭 にかけて最 も豊富 にみ られ るが, しか しアーテ ィキ ュレーシ ョンの概念や特質 について一般 に論 じた研究は意外 と少ない。そのほ とんどは,学校制度発達の過程をアーテ ィキ ュレーシ ョンの視点か ら叙述 しよ うとした ものである。 本稿では, このような認識に基づ き,教育上のアーテ ィキ ュレーシ ョンについて,主にア メ リカの先行研究の示唆を得なが ら,あ らためてその意味 ・概念の整理を試み る。そ してま た,その特質を明 らかに しなが ら, さらにそ こか ら導かれ るアーテ ィキ ュレーシ ョンの具体 的問題 を分類 し類型化す る。総 じて, アーテ ィキ ュレーシ ョンの理念上の要請 と問題性を明 らかに しようとす るものである。
Ⅰ
ア ー テ ィキ ュ レー シ ョンの定 義 辞典 によれば "アーテ ィキ ュレーシ ョン"ほ,
「骨 と骨 とを結ぶ こと,あるいはその 接 合 点」を さす解剖学上の "関節" と,
「節をつける」 とい う音声学上の "分節化"の二通 りの 字義がある。あるもの とあるものをつな ぐと同時 に区別す るとい う二側面,す なわち連続面 と不連続面の両者を有す るのである。 教育において このアーテ ィキ ュレーシ ョンがいつ, どこで, どのよ うに使用 され始めたか は明 らかでないo Lか し, メナ ッカー (JuliusMenacker)のい うよ うに,アメ 7)カ教 育 に おけるアーテ ィキ ュレーシ ョンが 「もともと-イスクール とカ レッジとの関連づけ とい うこ (5) とか ら派生 した考 え方」 であるとすれば, この限 りにおいてほその概念の歴史はそれほど古 い ものではないO少な くとも, 7メ リカのおよそ19世紀後半か らの- イスクールの発達過程 の中で認識 され始め,問題 になった と推測 され る。 教育用語 としての市民権を得たのは最近 の ことであるが,未だ多 くの教育学者,行政者あ るいは教師にとって も, この概念にはなじみが薄 い。 メナ ッカーによれば,それは主に次の (6) 二つの理 由に よるものであるとい う。す なわち,一つは この言葉の概念 自体,教育の歴史 と ともに多様な意味を有 して きてい ること,他の一つはそれぞれの専門家の関心 ・態度 によっ てその概念の受けと り方が多少違 っていることである。前者 に関 しては次節で触れ ることに して, ここでは後者 の概念の受け と り方 の多様性 について2- 3の個人的見解 を取 り上げて清水 :教育におけるアーティキュレーションの概念と問題性 25 (7) み る。 まず大学 の学長職 にあったマーチ ン(HaroldC.Martin)は, アーテ ィキ ュレー シ ョ ン を "教育内容,技術,洞察九 智恵を含 んだ学習の連続的進行のための連鎖" ととらえる。 メ ドスカー (LelandMedsker)は, ある学校か ら他の学校-の生徒 の移行 を容易 にす る た めの "広範 囲の実践 にわた る個 々人 と各機関 とのつなが り"にその本質をみい出 してい る。 アーテ ィキ ュレーシ ョンを よ り広い意味 にとらえている の が キ ン ツ ァ ー (FrederickC. Kintzer)である。彼は, アーテ ィキ ュレーシ ョンを "生徒の学年 レベルあるいは 学 校 か ら 他 の場所へ移行す る際 に,生徒の絶え間ない流れを調整す るものである" ととらえ,具体的 にはそれは, "学校 とカ レッジ ・準教育棟関あるいは生徒の活動楼会を設ける地域社会組織 との相互関係"であるとしている。 これ に対 し, きわめて狭 い意味 で とらえよ うとしたのが テマ- (HaroldE.Temmer)で, 彼は- イス クールか ら大学への生徒の移行を容易にす る ための "両者間の情報の交換"であるとした。 これ らの見解はいずれ も高等教育開拓者 に よるものであるが,そ こには多様性 と同時 に共 通 した点 もみ られ る。それは, アーテ ィキ ュレーシ ョンが生徒 の移行を容易にす るものであ ること,(教育)機関相互の連携を強調す るものであることである。 ところで, アーテ ィキ ュレーシ ョンの多様な見解がみ られ る中で, これ まで最 も簡潔に し て明瞭な定義 とみなされているのがNEA (NationalEducationAss∝iation,全米 教 育 協 会)督学部の第7年報にみ られ る。1929年 に公刊 された同年報は,当時のアメ リカ教育 にお け るアーチ ィキ ュレ-シ ョソに関す る諸問題 を さまざまな角度か ら大規模 に これ を 取 り上 げ,総合的に研究 した報告書である。その中で, アーテ ィキ ュレーシ ョンの概念 に つ い て は,督学部 よ り任命 された 「ア-テ ノキ ュレ-シ ョソ委員会」が次のよ うに とらえているO すなわち, アーテ ィキ ュレーシ ョンは,本来 「絶 え間ない前進的成長を もた らす部分 と部分 (8) との適切な関係」を意味す るものであるとしなが ら,教育の上では
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「すべての子 ども が 学 校生活において,あ らゆ る地点で最大限の進歩を もた らす ような学校単位問及び学校単位内 (9) 部の調整 と関連性を意味す る」 とした。 この 「前進的成長」は,次の二つの脈略の中で考 え られ るO-つは, フ ォーマルな学校制 度単位を通 しての "子 どもの発達"であ り,他 の一つは,学校で教授 され るさまざまな訓育 や技能を通 しての "学習者 としての発達"である。現実 には しば しば,一方 で子 どもは学習 上 の進歩がみ られないまま学校単位を通 って発達 してい く場合や,他方で子 どもの発達が適 切 に認識 されないで学習上の進歩を遂げ る場合 も起 こっているが,上記の二つの発達はいず れ も,学校教育において追求 され るべ きもの となっている。 第7
年報 の定義 では, このように子 どもの教育の連続性を前提 として,学校 とい う教育機 関内部の問題 として とらえ られている。 こうした考 え方は,既述 したデ ューイの 「発達即教 育」の理論を反映 した ものであ り,実際その影響を強 く受けている。 アーテ ィキ ュレーシ ョ ンは, ここにおいて子 どもの精神的,身体的,社会的発達の連続性を保障す るための学校制 度上の作業 の一つである, と明確 に位置づけ られてい るのである。26 研究紀要 (第 5号) 子 どもの発達 の連続 性を保障す るアーテ ィキ ュレーシ ョンは, どの よ うに実現 され うるの か。初等教育 に始 ま り高等教育 に至 る学校教育全体 において どの よ うに とらえた ら よ い の か, これ に関 しては,先 のNEA第7年報 では, アーテ ィキ ュレーシ ョンは学校 段 階 間 の (10) 「相互理解や 協同 的 事業」 に よって最 もよ く実現 され うると指摘 してい る。 また, NEAの 別 の1958年報 の中で も,次の よ うに述べ られてい る。 「教育構造 の連続的 な単位は,それ ぞれが よ く組織 された全 体の中で,互 いに関連 し 合 う 時 に, また さまざまな学校 レベルが統一 され た教育過程の中で,相互依存 としてみ られ働 5iiFl司 いている時 に, うま くア-テ ィキ ュレー トされ ていると呼ばれ る。」 この よ うに,学校制度を築 く各学校単位問の相互理解,相互 協力,相互依存が求め られ るの であ る。 また,学校段階問の適切 な接続関係,効果的 なア-テ ィキ ュレーシ ョンの実現は,子 ども の発達 の連続性 をよ り根本 にしなが ら, さらに広 く次 の よ うな要請 に基づ くものであ る。す なわ も, ラ ッセル とジ ャ ド
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も指摘 してい るよ うに, (12) 一 つは教育過程の経済 とい う観点か ら,二 つは民主的社会 の基本理念か らであ るo前者 の教 育過程 の経済 についていえば,それは組織 の本来有す る合理性,能率性を表わす も の で あ り, これを学校教育にあてはめた場合,それぞれ の学校段階問に不 当なギ ャ ップや摩擦,礼
蝶 が存在せず,全 体 として有機的関連 を もつ ことで ある。後者 については, アメ リカは建 国 以来,その理念である自由 と平等に支 え られ,すべての個人 に等 し くあらゆ る道 が開かれて い ることが理想 とされて きた。民主的社会 の こ うした基本理念 の下,その教育 の原理は,す べ ての個人がその可能性 を十分に発揮 し,その個性を存分に伸ばすにた る教育の機会を与 え られ ることを要請す る。そのため,教育の機会均等は民主主義教育の根本的原則で なければ ならず, アーテ ィキ ュレーシ ョンもこの原則に沿 って実現 されなければならない も の で あ る。Ⅰ
ア ー テ ィキ ュ レー シ ョ ンの特 質 既述 した よ うに, アーチ ィキ ュレ-シ ョンほ,本来 あるもの とあるものをつ な く、、と同時 に 区別す るとい う意味を もつ。学校教育にあてはめた場合,それは教育単位 としての学校一つ ひ とつの分離 ・独立は必要 であることを示す ものである。教育制度が今 日の よ うに異 なった 多 くの単位に分け られてい る歴史的分割は,決 して単 なる偶然事ではない。教育は,その さ まざまなステージで異 な った形態 を とる必要が あるので ある。 幼児 と成長 した大人 とでは,身体上,知的側面 において もその要求度 は きわめて異 なる。 人間性は個 々の成熟 の中で発達す るものであ るが, この成熟 の過程が前進す るにつれ,食物 の要求が異 なるよ うに教育への要求 もは っき りと異 なって くるもので あるOそ こでは,教育清水 :教育における7-ティキュレ-ションの概念と問題性 27 が連続的過程であるととらえ られているか ら とい って, さまざま側面での要求や関心が異 な る幼児 と大人の両者に共通 した制度単位を用意す る必然性は生 じない0 この ように,第1の特質 として考えられ る各学校単位の自立性,独立性は,いわばアーテ ィキ ュレーシ ョンの前提的条件 ともい うべ きものであるo Lか し,学校の単 なる合成的集合 体は必ず しも教育制度 とはいえない。教育が各単位で組織 されなければならない限 り, これ らの単位を結びつける方法が考 えられなければならない。その際,不可欠の単位を単に形式 的に結合 させ ようとして も,その努力は 自然に反 し失敗に終わ るであろ う
。NEA
第7
年報 で も指摘 されているよ うに, よ り効果的なのは, 目的や性格において多様である各単位問の (13) 「自然的 アーテ ィキ ュレーシ ョ ン」なのである。 第2の特質 として挙げ られ るのが, 7-テ ィキ ュレーシ ョンの一般的理念に も か か わ ら ず,現実の各教育段階間の結合関係の態様は質的に異 なることである。初等 と中等,中等 と 高等は もとよ り,各教育段階内の学校相互の結合関係はそれぞれ特有の性格を もつO この こ とは各学校の 目的,内容,性格 あるいはその成立の歴史的起源 とも関連す るものであるが, 一般に,普通教育の延長や一貫性の要請に基づいて比較的その連続性が確保 されている初等 ・中等問に対 して,中等 ・高等問の場合は きわめて複雑かつ困難 な問題 となっている。 佐 々木享氏は,わが国の現行制度について,各学校 の 目的,機能を中心 として学校段階間 の接続関係の特質を次のよ うに分析 している。 まず初等 ・中等教育に関 しては,小学校一中学校及び中学校-高校の学校制度上のアーテ ィキ ュレーシ ョンの最 も重要 な特徴 として,小学校-中学校,中学校-高校 とい う接続関係 の図式を示 していることを挙げている。それぞれのアーテ ィキ ュレーシ ョンの現実 の形態は 同 じではな く, また中学校一高校のそれは主 として高校教育 の特質 (義務教育でない こと, 課程が分化 されていることなど)か ら生れ る複雑 な問題を含 んでいるとしながらも,全体 と (14) して小学校-中学校-高校 となっているとす る。 これに対 し高校 と大学 のアーテ ィキ ュレーシ ョンの基本的特質については,高校-大学 と はなっておらず,それは次の二つによって律せ られているとい う。「
--・-いっぼ うで大学が,小一中一高の下か ら積み上げ られ る教育の成果 と,(極言すれ ば)無関係の 『学術の中 Lh』 とい う目的 とその 目的の要請す る水準 を維持 しようとす る大 学側の もつ性格に律せられ,-・-他方,高校教育が,大学進学の準備機関ではな く,小一 中一高 と積み上げ られ るいわゆる完成教育の機関 として位置づけられていることに よって (15) 律せられている--。」 このよ うに,わが国の場合に限 らず学校教育におけ るアーテ ィキ ュレーシ ョンの態様は決 して一様ではな く, と くにそれは初等 ・中等間 と中等 ・高等間において顕著 な差異が認め ら れ る。 この特質は,教育の長い伝統の中で培われた ものであ り,その歴史 とともに さらに子 ども28 研究紀要 (第5号) の発達の特性 も絡んで ます ます複雑化 してきている。学校教育を貫 く唯一の共通 した単一の ダイナ ミックな要素は,「学習者」 である。 教育単位間のアーテ ィキ ュレーシ ョンの複雑化 は, まさし く 「この学習者 が単一 の形式的割合で,社会的に も生物学的に も知的に も発達 し (16) ない」 ことか ら生 じるもので もある。人間の発達や学習は継続的過程であるが,同時に各発 達段階には固有の能力や興味が成熟 し,その成熟 の速度 も異 な り決 して画一的,並進的な も のではない。 こうしたいわば成熟 の複数的性格 と自然的,継続的な発達や学習の過程 に適合 した,それぞれ固有の 日的,性格,機能を もった学校制度の形態が存在す るのである。 第3の特質は, アーテ ィキ ュレーシ ョンの歴史的,時代的制約性を もつ概念 とも関連 した ものであるが,一つの問題が解決 されれば, さらに次元の高い新たな問題が生 じるとい うこ とである
。NEA
第7
年報では,
「アメ リカ教育の単位を接続す る問題は解決 されてい ない。 解決 の緒 についたばか りである,力動的,発展的な教育制度において,一つのアーチ ィキ ュ (17) レーシ ョンの問題群が解決 されれば,ただちに他の問題群が生起す る」 との見解を とってい る。 こうした認識は,一方ではアーテ ィキ ュレーシ ョンの問題が個 々の子 どもの科学的観察 と研究によって考 えられ る余地があるとい う要請 を示す とともに,他方では子 どもの発達 の 側面か らの標準的 アーテ ィキ ュレーシ ョンを設定 して も,「それが制度化 され,ひ と たび実 用 に供 され ると,その形式的固定化は免れ得ず, ましてや児童 ・生徒 の個別的発達には対応 (18) しきれ るものではない」 ことを示唆す るもので もある。同年報ではまた,「ア ー テ ィキ ュレ ーシ ョンは必ず しも標準化 (standardization)を意味 しない。標準化は, しば しば新 しい理 (19) 念や必要 な試行 の抑圧に終わ る」 として,絶えず生起す る教育問題に対 して標準化す る方法 を示唆す るものではない ことを明言 している。NEA
第7
年報では,学習主体である 「子 どもの側面」か らの理念的 アーテ ィキ ュ レーシ ョンの意味づけ とい う方 向を強調 しながら,一方では学校制度に直接関わ る教育行政面か ら のアプローチのあ り方に言及 している。そ こでは,教育制度の不整合を導 く浪費的結合につ いて,それは 「歴史的産物 とい うよ り・・--教育行政官の関わ る部分における柔軟性のなさと (20) 寛大 さの欠如 の結果である」 とい う調査結果を明らかに している。教育行政 (官)の保守的 性格,つ ま り新 しい条件に合 うために必要 とされ る新 しい適合を容認せず,旧態依然の伝統 的な教育構造や教育行政に偏見を もちながらそれに固守す る態度が強 くみ られ るとい う。そ れゆえ,子 どもの発達の要求は従属 し,大衆教育の利益や機関の便宜的機能が先 行 し て い る。 この ことか ら,次 々と新たな問題を提起す るアーテ ィキ ュレーシ ョンについては,単純 で形式的,固定的な教育行政を排す ることが重要 な課題 の一つ とされ るのである0 次に,近代的学校体系 の歴史的背景 とも関連す るが,第4の特質 として,今 日み るアーテ ィキ ュレーシ ョンの問題意識は,制度全体 もし くは体系その ものの変革 を外社会か ら要請す るよ うな根本的な ものではない ことが挙げ られ る。い うまで もな く,学校の体系性,有機的 連関性 とい う特性を もった近代的学校体系は,最初か ら整合性の完成 した構図を もっていた わけではない。歴史的には中世,近世の前近代性の残存,遺制 とも全 く関係 しないわけでは ないが,そ うした逼制の存続を保証す るよ うな当代の社会構造 と社会的要求に対応 した不整清水 :教育におけるアーティキュレーションの概念と問題性 29 合 と異質性を内部にかかえていた ことは指摘す るまで もないO具体的には,それは主に ヨー ロッパにみられた 「上か らの学校系統」 と 「下からの学校系統」の共存 とい う複線型学校体 系や,一方の系統から他の系統へのつなが りが断絶 しているいわゆる 「袋小路」的な分岐型 学校体系などである。 近代的学校体系は, まさにこうした内部にかかえていた不整合 と異質性を解消して,すべ ての国民に等 しく開放 され,被教育者がその教育期間を通 じてそれぞれの段階を通 りぬける しくみを築 き上げ ることが重要な課題 であった といえる。 しか し同時に, アーテ ィキ ュレー シ ョンの課題意識が こうした近代的学校体系の不整合を解消する段階で考えられた もので も ないことは, アメリカの例を引き合いに出す まで もない。む しろ,それは 「教育の機会均等 がすすんだ民主的市民社会での単線型学校体系を部分制度的次元および内容的次元において (21) 整頓 し,充実 させ,完成 まで もってゆ く第二次作業」 として位置づ くものである。 元来,脈略のない初等 ・中等機関をはじめその他の教育機関相互の接続が制度上,法制上 形成 されて くるのは,アメリカでは19世紀後半の ことである。 ドイツ型の幼稚園, プロシア 型の初等学校,アメリカ独 自のジュニア ・シニア-イスクール, イギ リス流のカ レッジ,そ して ドイツ流の大学院 とい う,他国から受け継 ぎそれを採 り入れた性格の異なる学校が混交 したアメリカ教育制度は,19世紀後半になってようや く階段状に積み上げ られ ることになっ た。 今 ここでは, こうした19世紀アメリカの学校制度発達過程における形式的,法制的な制度 体系化について論 じる余地はないが,少な くとも,アメ リカ独 自の学校 として誕生 した とい われ る-イスクールの生成 ・発展 とともに, アーテ ィキ ュレーシ ョンの問題が課題 として認 識 され るようになった といえよう。別言すれば,幼稚園から大学院に至 る全学校制度が階梯 原理に基づ く単線型学校体系 として位置づけられた後,部分制度的及び内容的 レベルでの調 整 と関連性が問われ るようになったのである。
Ⅲ
ア ーテ ィキ ュ レー シ ョンの分 糞頁と問題 性 アーテ ィキ ュレーシ ョンは,前節で指摘 した ように学校制度全体の改革や改善を外社会か ら根本的に行 うものではな く,部分制度上,内容上の改修再編である。 この認識に立 ち,吹 にアーテ ィキ ュレーシ ョンを学校制度を成 り立たせ る諸要素に着 目しながら分類す ると,お よそ次の三つの側面に大 きく分けることができるであろ う。一つは構造的側面,二つは内容 的側面,三つは運営的側面である。以下,それぞれについてその問題性に も触れながら言及 す ることにする。 (1)構 造 的 側 面 これは,学校制度の全構造に関わるものではな く,異なる学校段階間の部分制度的なもの である。中等教育段階内における普通教育学校 と職業教育学校 との並匿の問題や コース分化30 研究紀要 (第 5号) な どもこの範噂に含めることもで きるが,その中心的な問題は段階的区分,いわゆ る区切 り の問題である。アメ 1)カのジュニア .-イス クール誕生に伴 う
8-4
制から6-2-4
割 あ るいは6-3-3
割-の改組や, ジ ュニアカ レッジ成立に よる高等教育分野 での区分の改善 な どはその好例である。 この区切 りの問題は,別言すれば学校制度や学校体系の段階性の問題で もあるが,それは 決 して単純な ものではない。安藤尭雄氏は, これ に関 して,問題の複雑性は各学校単位が歴 史的所産 であると同時に,段階性を決定す る要素が決 して単一 ではない として,次の三つを (22) 挙げている。すなわち,第1に,学習者,被教育者 の心身の発達段階 である心理学的要素, 第2
に,教育 目的性,教育内容に関わ る教育の時間的必然性,第3
に,社会経済的水準,の 三つである。少な くともこれ らの要素が複雑に錯綜 して, しか も歴史的変遷 の過程 の中でそ の段階性が決定 された ものとなっているのである。 理念 としてのアーテ ィキ ュレーシ ョンは, よ り学習者の心身の発達段階に基づいてその区 分が決定 され ることを求め る。実際,多 くの論者が指摘す るように, ジュニア ・-イス クー ル運動期 には, こうした子 どもの発達の科学に基づ く区分のあ り方が提起 され るようになっ (23) た。 また,近年 のアメ リカにおけ る ミドルス クール運動で も改革 の主眼 とされている, しか し,現実の問題 としては, よ り多 く社会的,経済的要素が入 り込みやす く,その解決の方法 もまた行政 とい う社会的操作に依存す る側面が強い ことも確かである0 段階的区分 の問題が よ り社会的,行政的あるいは経済的な問題であ り,教育 プロパーの処 理 が従属す るとい って も,子 どもの発達段階が無視 されて もよいことにはな ら な い。む し ろ,そ うであればあるほ ど,子 どもの側面か らの解決が よ りいっそ う強調 されなければなら (24) ないであろ う。 (2) 内容的側面 これは, ある一定 の教育体制の枠組みが確立 したあ との各学校単位の教育 目的 ・目標の範 囲内における上下 の内部的編成,つなが りが求め られ る側面 である。 これには, カ リキ ュラ ム,教育方法,教授組織 さらには生徒 の課外活動な どが含 まれ る。具体的には, カ リキ ュラ ムについては,各教科の始期 ・選択,一貫性や柔軟性,教科間の関連 ・統合 ・調整等が問題 とな る。 また教育方法や教授組織については,学級担任制や教科担任制あるいはテ ィーム ・ テ ィーチ ングな どの指導方法やその漸進的移行措置, さらにはそれに応 じた生徒 のグルーピ ング (同質集団,異質集団)な どが問題 となる。課外活動 について も,スポーツ等の対抗試 合や学校行事における交流の問題が考えられ る。 初等 ・中等問アーテ ィキ ュレーシ ョンの問題 に限定 して先 のNEA
第7
年報をみて も,そ こでは教師問題,組織編成問題,教授問題, カ リキ ュラム問題,生徒 の適応問題 の五つに分 類 されて検討 されている。 これか らも明らかな ように,当時すでにアーテ ィキ ュレーシ ョン の中心的課題が こ うした内容上 の側面に関連 した ものであることがわか る。内容的側面は, アーテ ィキ ュレーシ ョンの最 も主眼が置かれ強調 されなければな らない部分である。清水 :教育におけるアーティキュレーションの概念と問題性 31 一般に,近代的学校体系 の整合性が進み,学校体系 の制度的一貫性が整備 され る に 伴 っ て, この内容的側面は教育問題 としてます ます純化 されてい く。そ して,子 どもの発達保障 の観点か らのアーテ ィキ ュレーシ ョン形成が要請 され,教育内容編成においてほ,何 よ りも 各学校段階におけ る子 どもの特別 の発達過程 に適合 した方法に よる選択や調整が重要 な課題 となる。 また教育方法の改善において も,子 どもの発達 の特性に応 じた方法が問われて くる のであるO 勿論,内容的側面においても,構造的側面 でみた よ うな社会的基礎が無視 されて よい とい うことにはな らない。実際, と くに教授内容 として供給 され るカ リキ ュラムは,必ず しも子 どもの経験や性格か ら導かれて決定 され るものではないOむ しろそれは,社会に よって供給 され,社会文化 の基盤か ら選択 ・抽出され るものである。 しか もそれは,普遍的教育 の概念 と実践への国民的関心 の高 ま りとともに,国民全体 レベルでのカ リキ ュラム創造の際 にみ ら れ るよ うに,教育内容素材 の選択 ・抽出の基準 となる教育 イデオ ロギー的規準が要求 され る ものである。 ところで,内容的側面に関わ ってアーテ ィキ ュレーシ ョンの困難 な問題 の一つに入試制度 の問題 がある。 と くにそれは,中等教育 と高等教育の接点 としての大学入試制度 に顕著 に現 われている。事実,今世紀初頭を中心 とした ア メ リカのいわゆ る 「中等教育 改 造 運 動」 で は,-イス クール と大学 のアーテ ィキ ュレーシ ョンが中心的課題 の一つであったが,そ こで (25) は と りわけ入試科 目をめ く.,る大学入学要件が焦 眉の問題 とされたo大学入試 自体 に つ い て は,資格認定制度か選抜試験制度か といった よ り制度的,技術的な処理 の問題 も考 え られた が, よ り基本的には,国民的教育機関 としての- イス クールのカ リキ ュラム,及びそれ と関 連 した入試科 目の設定 など大学教育の対応が重要 な問題 とされた。 中等教育 の大衆化,普遍化を もた らす量的拡大に伴 って,それに対 して限 られた施設 ・設 備 あるいは カ リキ ュラムを もった高等教育機関が ど う適応す るかの問題は,教育行政上 の最 も困難 な問題 の一つで もある。 しか し,大学入試制度 のあ り方が両者 の教育機関に強い イン パ ク トを与え, しか もそれが学習者 の発達 の連続過程 に鍵を与えるものであるがゆえに, レ ベルを異にした カ リキ ュラム内の相互依存関係,それを反映 した入試科 目の設定が よ り重要 な もの として求め られ る。 (3) 運 営 的 側 面 これは,学習者 の下級学校か らよ り上級 の学校への移行を容易に し,その移行を効果的に な らしめるための具体的手段 である。 これには,情報交換や コ ミュニケ-シ ョソ, ガイダソ スな どが含 まれ る。 これ まであ らゆ る教育段階問において最 も広 く採用 されて きたのが,生徒 の入学時及び卒 業時 のデータの取得 と供与であるO具体的にはそれは内申書や指導要録 あるいは生徒 の成績 や生活の追跡調査 な ど,生徒に関す る情報交換 である。 このほか,異 なる教育段階 の教師に よる共同作業 ・研修 ・討議 の場や教育 プログラムの情報提供, さらには生徒及び教師に よる両
32 研究紀要 (第5号)
校 の相互訪問の機会が挙げ られ る。 また, よ り上級の教育段階間にみ られ る上級課程履修の
(26)
機会 (例えばアメ リカにおけ るAPP制度-AdvancedPlacementProgram)や教員を共有 す る機会 なども運営的側面 におけるアーテ ィキ ュレーシ ョン形成 として含 まれ る。 生徒 の上級学校-の進学指導 としてのガイダンスもまた重要である。生徒 の成長発達の特 性を よく理解 し,個 々の能力 ・適性に応 じた全人的指導は,生徒 の学習選択 の機会 の拡大や 個人指導の面 で不可欠な要素 となっている。 この ように,異なる学校段階問のいってみれば 「相互理解」 の機会を拡大 しようとす る運 営的側面 での各種手段は,先の内容的側面でのさまざまな措置を よ り効果的,能率的に推 し 進め る上 で重要 な役割を もつ ものである。それは,一人ひ と りの子 どもについて具体的な学 習や成長の連続性,一貫性を確保す る方法 として考え られ る必要がある。 お わ り に 以上,本稿 では,教育におけるアーテ ィキ ュレーシ ョンの概念及び特質を とらえなが ら, さらにその問題性を明 らかにす るための類型化を試みた。今 ここでそれ らを まとめ ると次の よ うになる。 (1)概念 に つ い て 教育におけ るアーテ ィキ ュレーシ ョンについては,多様 な定義がみ られ る中で,基本的に は子 どもの学校生活における前進的成長を もた らすための学校単位聞及び単位内部の適切 な 調整 と関連性を意味す る概念 ととらえ られ る。そ してそれは,異 なる学校段階問の 目的,内 容,方法のすべてにおいて急激な変化や不当なギ ャップ,無駄や重複をな くし,生徒 の移行 を よ り容易にスムーズにす るための教育的作業 として位置づけ られ る。学校制度 の 上 か ら は,各単位間が切 り離 された部分ではな く,互 いに有機的関連性を有 し相互依存 と し て 働 き,全体 としての連続性を確保 しようとす るものである。 (2) 特質 に つ い て ① ア-テ ィキ ュレーシ ョンは,教育単位 としてのそれぞれの学校の自立性,独立性を前 提条件 とす るものである。 ② アーテ ィキ ュレーシ ョンは,現実 の各教育段階間の結合関係の態様はそれぞれの学校 の 目的,内容,性格 な どに律せ られて質的に異な り,特有 の性質を もつ ものである。 ③ ア-テ ィキ ュレーシ ョンは,その歴史的,時代的制約性を もつ概念であることと関連 して,一つの問題が解決 されれば さらに次元の高い新たな問題が生 じるとい う常 に 「問 題提起」 としての性質を もつ ものである。 ④ ア-テ ィキ ュレーシ ョンは,制度全体 もし くは体系そのものの変革を外社会か ら要請 す るような根本的なものではな く,単線型学校体系内における部分制度的,内容的 レべ
清水 :教育におけるアーティキュレーションの概念と問題性 33 ルでの調整 と関連性を求め るものである。 (3) 分類及び問題性について ① 教育制度における段階的区分を中心 とした構造的側面 で, これは よ り社会的,行政的 な問題 との関わ りが多いが,それだけにまた学習者 の心身の発達段階に基づいてその区 分が決定 され ることが期待 され る。 ② カ リキ ュラム,教育方法や教授組織,課外活動 のほか入試科 目な どを含んだ内容的側 面で, アーテ ィキ ュレーシ ョン問題 の中心的領域 であるo各学校段階 あるいは学校段階 問において,子 どもの特別な発達過程 に応 じた教育内容の編成や相互依存関係が求め ら れ る。 ③ 生徒に関す る情報交換,教師に よる協同的活動,相互訪問 の機会, ガイダ ンスな ど生 徒の上級学校-の移行を より効果的に促進 させる手段 としての運営的側面 で,そ こでは 一人ひ と りの子 どもの成長や具体的学習についての 「相互理解」が図 られなければなら ない。 この ような概念や特質,問題性をもつアーテ ィキ ュレーシ ョンにおいてほ,子 どもの発達 及びその要求が各教育機関の最終的な組織形態 を決定す る際の最重要要因 となるものであ る といって もよい。そのためには,子 どもの発達や要求についてのいっそ う徹底 した研究が必 要 であ り,同時にNEA第7年報でも指摘 されているよ うに
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「教育行政者問の情熱的, 知 (27) 的な相互の コ ミュニケーシ ョン」が強 く求め られ る。 すでに半世紀前のアメ 1)カにおいて指摘 されているに もかかわ らず, アーテ ィキ ュレーシ ョンの とくに子 どもの科学 に基づ く研究は必ず しも進んでいるとは言い難 いO研究 に着手 さ れたばか りであるといって も過言ではない。勿論, アーテ ィキ ュレーシ ョンの問題は,その 歴史の経過 とともに非常に複雑 な問題 を含んできていることも確かである。教育制度が存在 す る限 り, また常に子 どもの側面か ら考 え直 され る限 り,永遠に解決 されえない無限の課題 を もっているとさえいえるのである。 この ことは, アーテ ィキ ュレーシ ョンにおいて不都合 な点があれば, また新 しい要求があればそれについての研究 も必要になって くることを意味 してい る。 今 日の学制改革論議にみ られ る生涯教育の要請 もその一つである。従来 の単 なる学校 に と どまらず,生涯にわた るあらゆ る楼会 の場 を設定 し,それ らを全体 として統一 した体系化づ くりが指向 されている生涯教育体系において も,人生 の各 ライフ ・サ イクルの区 分 と と も に,それぞれのライフ ・サ イクルを結びつけるアーテ ィキ ュレーシ ョンが重要 な課題 となる であろ う。 本稿 では, アーテ ィキ ュレーシ ョンのと くに理念 レベルでの要請について考察 して きた。 実際にみ られ るアーチ ィキ ュt/-シ ョソの方策及びその理論, さらにはそれが教育制度論 と して どの ように組み立てられ うるか, これ らについては稿を改めて追究す ることにしたい。34 研究紀要 (第5号) 注 (1) デ ューイ著,松野安男訳 『民主主義 と教育 (上)』,岩波書店,昭50,p.93. (2) デ ューイ著,宮原誠一訳 『学校 と社会』,岩波書店 ,昭44,p.70. (3) 代表的 なもの として,佐 々木享 「大学入学試験制度 に関す る一考察- 高校 ・大学の接続関係を 中心に- 」(日本教育学会入学試験制度研究委員会 『入学試験制度の教育学的研究第四集』), 昭 53,を挙げ ることがで きる。 (4) 例 えは,アメ リカ教育史研究会 『アメ リカ学校制度体系 における Articulation成立史の研究』 (文 部省科学研究費 補助金,総合研究㈲研究成果報告書),昭54,がある。
(5) JuliusMenacker,From Sch∞lto College:Articulation and Transfer,American Councilon Education,1975,p.1.
(6) Ibid.,p.1.
(7) 以下は,Ibid.,pp.1-2に よる.
(8) NEA DepartmentofSuperintemdence,TheArticulationoftheUnitsofAmel・lCan Education, SeventhYearbook,1929,p.4.(傍点 は引用老)
(9) Ibid.,p.4. (10) Ibid.,p.5.
(ll) JuliusMenacker,Op.Cit‥p.3.なお,同年報は,NEA の 「管理 ・カ ))キ ュ ラ ム 開 発 協 会」 (AssociationforSupervisionandCurriculum Development)に よる報告書である。
(12) JohnD.Russell,CharlesH.Judd,TheAmericanfklucationalSystem,Hough tonMifflinCompa -ny,p.216.
(13) NEA DepartmentofSuperintendence,Op.°it.,p.12. (14) 佐 々木享,前掲論文,p.91.
(15) 同上,p.93.
(16) AmericanEducationalResearchAss∝iation,EncyclopediaofEducationalResearch`Articulation ofEducationalUnits',MacmillanCompany,1960,p.87.
(17) NEA 工kpartmentofSuperintendence,Op.Cit.,p.6.
(18) 市村 尚久 「19世紀 カル フ ォル ニア州におけ る初等 ・中等学校間 ア-テ ィキ ュレーシ ョンの成立過
程
」, アメ リカ教育史研究会;前掲書,p.13.(19) NEA DepartmentofSuperintendence,Op.°it.,p.5. (20) Ibid" p.18.
(21) 東京学芸大学 教育研究所 『小 ・中学校教育一貫性の問題』,第6年 被,昭33,p.41. なお, 第4 の特質の叙述は,同年報内の二関隆美論文か ら多 くの示唆 を得た。
(22) 安藤尭雄著 『教育制度学総論』,葵書房 ,昭38,p.170.
(23) これに関 しては
,拙稿
「アメ リカのMiddleSchoolに関す る研究-Articulation のHr,]題 を中心 に して」(筑波大学大学院教育学研究科 『教育学研究集録3』),昭55,を参照。 (24) なお,区切 りの聞題 に関 して付言すれば,今 日中等教育 と高等教育の境 目の年齢であ る 「18歳」 について,いつ, どの よ うに して,何 を根拠 にそ うなったかの研究は, 管見す るところ見当た らない。
(25) これに関 しては,拙稿 「アメ リカにおけ るノ、イス クール と大学 のアーテ ィキ ュレーシ ョン成立の 理念 と展開-NEA の委員会報告書 (1911年・1918年) の分析 を通 して」(日本教育行政学会 『日本 教育行政学会年報第10号』),昭59,の中で若干の考察を行 ってい るので参照 されたい。 (26) この制度は,-イス クールに在学 しなが ら, 有資格 の教員に よる大学 の教科 ・科 目の授 業 を 受清水 :教育におけるアーテ ィキュレーシ ョンの概念 と問題性 35 け,全国共通試験機閑が行 う試験の結果に基づいて, 大学入学後にその単位を認定 しようとす るも のである。