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『
学 問』 の コンセプ ト
- 東西 におけ るその歴 史 と問題点-中
田
佳
昭
1.は じめに
日本の今 日の文化的現状 について、『新学問 論』において西部遇氏は次のように指摘 して いる。 上位の価値 とは、かっては宗教 であ り、 芸術であ り、 そ して学問であった。 しか し 「豊か さ」 と 「等 しさ」の歯車が巡 り に巡 った挙句、宗教、芸術、そ して学問 は、それぞれかみ砕かれて しまった も同 然のあ りさまになった。---人々の魂 を 魅了す る芸術 は消え失せ た。 そ して学問 もすでに人々の理想ではな くなって しま (1) ったのだ。 話 を学問に限れば、西部氏が宗教、芸術、 学問 といった上位価値喪失の温床 として指摘 す る 「豊かで」、「等 しい」社会 を建設す るた め、戦後以来今 日までその理念的バ ック ・ポ ー ンとなった 「日本国憲法」第2
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条には次の ように も記 されている。「学問の 自由は、これ を保証す る。」一文の含む ところは、人間に と って学問す るこ とは基本的人権のひ とつであ り、憲法はこれが阻害 され るこ とのないよう その 自由を保証す る、 とい うものである。 こ の理念の もとに、人々は 自由に学問すること が個 人の権利 として認め られていることをき わめて当然なこ とと受け とめ、今 日保証 され たその 自由に よって果たされ る学問的成果の 総体 は、それが規制 され不 自由であった時代 のそれ とは比較すべ くもないことは、誰の 目 に も自明なことの ように も思われ る。 しか しもう一度西部氏の引用に立 ち返れば、 一方には 「豊か さ」 と 「等 しさ」に染めあげ られた高度大衆社会の中で、相対主義の風に さらされ、学 問の世界が価値 と方向の喪失に 向か っているのではないか、 とい う氏の危供 をゆえな しとない現実が存在す るこ とも認め なければな らない。確かに横溢す る物質文明、 大衆消費社会の中にあって、 ともすれば学問 の理想は見失われ、真の学問的気概 は衰弱の 途上 にあるように も見 うけ られ る。 とすれば、 あ りあまる自由 もまた、それ 自体の価値 は評 価 されつつ も、豊か さや等 しさ同様 に、無条 件に学問の発展 を保証す るものではないこと を再認識 しておかなければならない。 た しかに歴史 を振 り返れば、「学問」がその 外的 自由を保証 された、豊かで、等 しい時代 のみの特権 でないこともまた明 白な事実であ る。おそ ら く人間の学問への情熱は、その外 的条件の不遇 な時代、最 も厳 しく自由を制 限 された困難 な状況においてす ら、頑強不屈に 生 き延 びて きたひ とつの情念 ともいえる。 そ の意味で、 自由 と不 自由 とを問わず、「学問」 は人間に とって きわめて本質的営為 であ り、 人類の文化の発展は人間 と他生物 とを分かつ この営みによって支 えられて もきたのである。78 清泉女学院短期大学研 究紀要 (第10号) 人間に とって 「学問」 とは何か。広辞苑に よれば、それは単に 「学び習 うこと。学芸 を 修め ること」と説明されている。「学問」とい う言葉の内包す るところは、広 く一般 に 自明 の もの として了解 されているので、辞書の定 義 とすればこの程度が適切 とい うところであ ろう。 しか し西部氏が方向喪失にあると指摘 す る 「学問」について、その意味 と本質 とを さらに深 く問いなおす とすれば、問題はそ う 単純 とは言い難 い。そ もそも、人は何のため に、何 を学ぶのか。本論の 目的は、言葉の歴 史に即 して 「学問」の コンセプ トを追い、東 西におけ るその考 え方、相違、そ して問題点 等 を明 らかに しようとす るものである。
2.
「
学問」に関わ る西欧諸語の語源
- learn,study,know 和英辞典等によれば、行為 としての「学問」 に 相 当 す る一 般 的 英 語 と し て1earning, studyといったこ とばが挙げ られている。 ま た学んで得 られ る成果の意味での 「学問」に 近 い言葉 としてはscholarshipが、「知識」に 対す る英語 としてはknowledgeがある。 まずlearningに つ い て、 こ の 語 の 動 詞 learnは 「学ぶ ;習得す る」を意味す るゲルマ ン系のことばである。learnは古英語(OE)で レオルニアン レーラン はleornianで、「教 える」を意味す る1岳ranに 対 置 さ れ る こ とば で あ っ た。1eornianと l畠ranは もとをただせば同族語で、 ドイツ語 レ ル ネン
レ -レン
の1ernen「学ぶ」と、lehren「教 える」とに対 比 される。相対的 な意味 を持つ これ らのこと ばは不思議 なことにその語源 を遡れば、いづ ライス れ も古高地 ドイツ語 (OHG)のleis(a)「車の 轍」に辿 りつ く。おそらく「学問」とはleis(a) の原義に したが って 「轍、跡、道 をたどる」 こ とだ と考 え られていた もの と推測 される。 「学ぶ」 と 「教 える」が同 じ語源に由来す る とい う興味深い事実か らは、「教 えることも、 学 ぶ こ とも同 じ学 問の道」だ とす る当時 の 人々の学ぶ ことに対す る深い認識 を垣間見 る ことがで きる。 ちなみに、 こうした事情か ら learnには19世紀初頭 まで 「学ぶ」のほかに 「教 える」の意味が付随 していた。今 日では こ うした用法は俗語、方言 となっているが、 例 えばシェイクスピアには次のような使用法 がみ られ る。"SweetPrince,youlearnme noblethankfulness."(
「御領主には、 まこと に立派な返礼の しかたを教 えていただきまし た。
」
)
[『空騒 ぎ』 第4
幕1
場] 1earnにたい して 「勉強 (す る);研究 (す る):書斎」 な どの意味 に使 用 され るstudy は、 ラテン系の ことば とされ る。 フランス語 の 「勉強 ;研究 ;練習 (時に練習曲、習作)」
ユナユー ド エ 丁ユ丁 イエ を意味す る名詞はetude、動詞はさtudierであ るが、これ らの 語 は い ず れ もラ テ ン語 の ス IT?テ ィウム
studium 「熱意 ;熱 中 :熱心」(-eagerness, zeal)に由来す る。 ここか ら 「熱心に学ぶ人」 エFr7テ ィ7 /の意の英語student、フランス語のさtudiant、 またイタ リア語の 「学ぶ」studiareを経由 し て 「仕事場 ;撮影所」studioといったことば が派生す ることとなった。
また学問は知 るこ と (-know)、知識 (
-knowledge)に 関 係 す る。knowはI ndo-European語源の語幹gno,gene「知 る」(サ ン
イナ ス クリッ トではjna)に由来す ると考 えられ ている。ゲルマ ン系のことばにおいては、gは k(C)に音韻変化 し、 ここか ら 「知 る」を意味 ケ ン ネ ン す る ドイツ語 のkennen、英語 のknowとい ったことばが派生す るこ ととなった。know ク ナ - ワン は古英語においてはcnawan(k-C)で、同 じ ク ン ナ ン 古英語のcanを意味す るcunnanに類似 し、
中田 `『学問』の コンセプ ト- 東西におけ るその歴 史 と問題点 - 79 したが ってknowとcanとは 同族 語 とい う こ とになる。"Iknowhowtoski,"は"Ican ski."の意味であ り、「知 っている」ことが能 力 を表す 「で きる」の意味に転意 したのであ る。 また今 日 「ず るい ;巧妙 な」の意味で使 われ るcunningもcnawan, cunnanに 関 係 L
know,canの同根語である。cunningも 「知 ってい る」か ら 「よ く知 っていて、ず るい」 の意味 を持つにいたった もの と推測 され る。 一方gno,geneは別のルー ト、 ギ リシア語、 ラテン語 を経由 して 「知 る ;知識」に関す る い くつかの英語 の誕生 に関 わ った。recogni -tion(-again+know)「認 識 ;認 知」、i gno-rance-not+know)「無知 ;無学」、diagnosis
(-apart+know)「診断 :診察」、agnostic(
-not十know)「不可知論者」といった英語 はみ なgno,geneに由来す るこ とばである。 以上learn,study,knowといった 「学問」 に関わ るこ とばの語源 を見て きたが、 これ ら は 「学習 :勉強」 といった比較的軽 いニュア ンスで使用 され ることが 多 く、必ず しもこれ らの こ とばが十全 に 「学問」の意味 を含んで い るとはいいが たい。ドイツ語には比較的「学 'J7ィ/セン 問」 に近 い意味 を表す こ とば としてWisse n-/十7卜 schaftがあ る。Wissenschaftは 「科学」 とい う意味 で使用 され るこ ともあ るが、ある意味 では科学 を含む一般的 な意味での「学 ;学問」 としての
1
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世 紀以前の-scienceに近 く、つけ 加 えれば 「体 系化 された知識 と学問」 といっ たニュア ンスが強 い。ドイツ語の動詞wissen は 「知 る」、 また名詞Wissenは 「個別 の知識」 の意味 であ るが、Wissenschaftはその総合化 された知識 と体系的学問の意味である。 この 他 に、古代 ギ リシア以来西欧において長 い間 「学問」 に近 い概 念 を表 していた主要 なこ と 7Jロ/7ィアばはphilosophia(-philosophy)であ り、また
あ る時期 「学問」の意味 を担 ったのは ラテ ン 1キエノ -i (7 語のscientia(-science)であ った。philos o-phiaにつ いて も、scientiaにつ いて も、その 影響 は西欧の学問的伝統 のなかに今 日に至 る まで長 くその影 を引いてい る。 「学問」に関 わ るこ うした西欧諸語の歴史 を明 らかにす るこ とは、 また 「学問」の歴 史 をた どるこ とに も なる。
3.
学 問の誕生
1)学問 と してのp州osophia 古代 ギ リシアにおけ る 「学 問」 はphilos o-phiaとい うこ とばの もとに集約 され る。今 日 英語 のphilosophyは 「哲学」と訳 されてい る が、 当 時philosophiaは そ の 語 源philo(-餐)、sophia(-管)か らもうかが えるご と く 「智 を愛 し、求め る」 とい うところか ら、智 の探究 を とうして真理 の把握 を志向す る 「学 問」 を意味す る概 念であった。古代 ギ リシア の学者 た ちは、古 くか ら 「世 界は どの よ うに あ るか」、「人はその世 界においていか よ うに 生 きるべ きか」、 また「世 界 と人間 とを支 える 究極的存在 とは何 か」 といった問題 に強 い関 心 を示 し、人は まず人間 とそれ をとりま く客 観 的世 界についての確か な知 識 を もつべ きだ として、広 く一般 に学問 を奨励 した。 ソクラテ スは人間の幸福 を究極 的 目標 とし て位 置付け、真の意味において 「よきもの」 とは人 間 を幸福 に導 く本 当の 意 味 での智 慧 (-sophia)であ るとして、人間は学問に よ り この智慧に至 るべ く努め なければ な らない、 と主張 した。アポロンの神殿 に掲 げ られた「汝 自身 を知 れ」 とい う神託 に従 い、 ソクラテス は 「自分 は知 らないこ とを知 ってい る」 とい う 「無知 の知」 を自らの出発点 として、学問
80 清泉女学院短期大学研究紀要 (第10号) す るこ との重要性 を説 き、 ギ リシアにおけ る 学 問的伝統の先駆け となった。 プ ラ トンにおいて ソクラテスの「よきもの」 は、永遠不変の 「善の イデア」に結 びつけ ら れた。 プ ラ トンは、 この世 のすべ ての存在 は、 それ を超 えて先験的に存在す る永遠、普遍の 真理 であ るイデアの模倣 にす ぎない として、 学問の究極的 目標 は、その 「善 の イデア」の 認識 にあ る と主張 した。 しか しこれに よって プ ラ トンは、必ず しも形而下的知識 を排 除 し たわけではない。彼は また数学、天文学 とい った 自然科学的知識 をも人間に とって不可欠 な もの として、 これ を普遍的教養 に含んだ大 きな学問の システム を構想 し、古代 ギ リシア におけ る学問の発展に大 きな足跡 を印 してい る。 ギ リシアにおいて学問 を総合 ・体系化 した のはア リス トテ レスであ る。かれは 『形而上 学』 冒頭 において 「すべ ての人間は、生 まれ (2) つ き、知 るこ とを欲す る」 と記 した ように、 「知 るために知 る」 とい う、純粋 の知 を求め る人間固有の この欲求 に従 って、人間、社会、 自然にお よぶ広範 な領域 を考察の対象 とし、 知識の主要 な領域 を論理学、形而上学、 自然 学、天文学、生物学、弁論術や政治学 を含む 倫理学、芸術に関す る詩学、等に分類 して体 系化 し、 その後の学問のあ り方に大 きな影響 を及ぼ した。ア リス トテ レスの学問的位 置は、 絶対知、存在 を存在 た らしめている神的 な第 一 原因 を想定 している とい う点 において、 ソ クラテス、プ ラ トンを発展的に継承 した形而 上学的立場 にあ るが、一方 もろ もろの存在 の 個 々の事象 を実証的に考察、学問的領域 を分 類、体 系化 した とい う点 において、西欧の合 理的 ・科学的学 問の基礎 を敷 いた とい うこ と がで きる
2)mathema,logos,epl'stem看
ギ リシア語 には 「学問」を意味す るphilos o-phiaとは別 に、これ と比較的近 い意味で使用 マテ・-シス され て い たmathesisとい う言 葉 が あ るo mathesisはlearnを意 味 す る ギ リシア語 の マンタネイン 動詞 manthaneinの名詞形で「学ぶ動作」を意 味 し、 また 「学ばれ るもの」 とい う意味では マテ-マ 同 じ名詞形 のmathemaとい う言葉が使用 さ れていた。言葉 の原義か らmathemaは初 め は単 に 「学」 を意味す る用語 であったが、や がてmathematicaとして特 に 「数学」 を意味 す る言葉 となった。プ ラ トンは 『国家』の中 で
「
2
0オ代 は数学 を学んで、30才代 で哲学 を 学ぶ準備 をしなければな らない」 といった趣 旨の こ とをのべ てい るが、古代 ギ リシアにあ っては数学が比較的早期 に学ぶべ き規範 を整 え、代表的学問 としての位 置 を確立 していた か らだ と考 えられている。 つ いでなが ら 「学」に関 しては、 もうひ と つ 英 語 の-1ogyが あ る。bio・logy(生 物 学)、psycho・logy(心理学)、socio・logy(社会学) 等、 その他 多 くの学 ・学問 を意味す る英語に ロゴス 使 われてい る-1ogyは、ギ リシア語のlogosに 由来 してい る。logosは言葉、思想、理性、法 則、測定、尺度 な どを意味す る、 ギ リシア語 の中で最 も多義的な語のひ とつ であるが、そ レ ゲ イン の原意は動詞1egeinに よっている。1egeinは 本来 「集め る、数 える、選ぶ」 といった意味 であったが、それが事物や経験 を集め、数 え、 一定の秩序 をもって整理 し、言葉 で説明す る、 といった ところか ら、整備確立 され た学問体 系 としての 「学
」
ニーlogyに結 びつけ られ るこ とになった もの と考 えられ る。 ギ リシア時代の学問に関連 して、 あげてお か な け れ ば な らな い も うひ とつ の 言 葉 に エ ピ ス テ - メ -epistemeがある。epistemiHま一部sophiaに中田'『学 問』 の コンセプ ト- 東西 におけ るその歴 史 と問題点 -- 81 重 なる部分 もあ るが、む しろ 「知識」に相 当 す る といっていい。学問に関 して 「知識 とは 何 か」 とい う問いは、古 くか らギ リシア人の 関心 を集めて きた問題 であ るが、特 にプ ラ ト ン、ア リス トテ レス等は、人間の営み を思惟 に もとず く誤 りの ない知 識 (-episteme)と、 ド クサ 感覚 に もとず く不確実 な憶測 (-doxa)とに 分 け、学 問 とは前者epistemiHこよって真理 に近づ くこ とだ としたoepistem引 ま、プ ラ ト ンにおいては 「イデア」認識の手段 として強 調 され、ア リス トテレスにおいては、絶対知 に至 るための形而上、形而下 を含む広範 な知 識 として重視 された。 その形か ら明 らかな よ うに、epistem引 ま 「認識論」を意味す る英語 epistemologyの語源であ るが、これはギ リシ アの学問的傾 向が強 く認識論的知 識に もとず くものであったこ との結果 だ と考 えられ る。 3)schoolとacademia すでに見たよ うに 「学問」 をあ らわす英語 のひ とつ にscholarshipとい う言葉 があ る。 scholarshipには 「奨学金」とい う意味 もあ る が、本来はscholar(-学者)に性質 ・技術 ・ 状態 などをあ らわす名詞語尾-shipをつけて、 学ぶ ことに よって得 られた 「学 問 ;学識」 な どを意味す る言葉 であった。このscholarship は学 校 (-school) をあ らわす ラテ ン語 の ス コ ラ ス コレー scholaをさかのぼ って、ギ リシア語のschole に由来す るO興味深 いこ とにこのscholeは古 代 ギ リシア人に とって学校、学問 といった意 味 ではな く、単 に 「余暇 ;暇」(-leisure)を あ らわす言葉 であった。プ ラ トン、ア リス ト テ レス といった哲学 者たちは、一 日の早 い時 刻 に時間のあ る若者 を集めて授業 を行 ない、 この クラス をscholeと呼 ん だ。 このschole か らschoolの原型が誕生 したのだが、余暇、 ゆ とりか ら学校 、学問が生れ た とい うのは、 今 日の学問 ・教育 のあ り方 を考 える上 で十分 示唆的 であ る。「学問的 :学究的」 (時に 「机 上 の空論 の
」
)
を意味す る英語academicは、 プ ラ トンの創 設 した この学校scholiHこ由来 す る。プ ラ トンは紀元前387年48オの頃、アテ ア カ デ ー モス ア カ デ ー メ イ アネ郊 外 のAcademusの 森 に学 園Academia
を開設、若者 を集めて教育 を行 なった。 ア リ ス トテレス も約
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年間学 んだ といわれ るこの プ ラ トンのア カデ ミアは、教育 と学問研究 と を始めて組織的にお こなった、今 日の大学の 原型 をなす もの として画期 的意味 を持 ってい る。ア カデ ミアは、529年末 ローマ帝国皇帝ユ ステイニア ヌスが宗教上 の理 由か ら、「大学 は 異端邪説の温床 である」 として発 した勅令 に よ り閉鎖 され るまでの間、約1千年の長 きに 渡 って歴史の風雪 に耐 え、西欧の学問の伝統 を育 んだ。師 ソクラテス、プ ラ トン、ア リス トテレス等の学問に及ぼ した影響がいかに甚 大であったかが想像 され る。4.
中世 におけ る学問
1)知鼓 と してのScientia 中世 において新 たに学問の領域 につけ加 え られたのは、scientia(-science)とい うこ と ば であ った。 ラテ ン語 にお いてphilosophia は、 た とえば有名 なニュー トンの 『プ リンキ ピア』 (1687)の原題PhilosophiaeNatu71alis Pn'ncipiaMathematica(
『自然哲学の数学的 原理』
)
に見 られ るように、広 く 「学問」を意 味 す る こ とば と して 使 用 さ れ て い た が、 scientiaの原意はむ しろ「知識」であった。 そ の意味でscientia、scienceは今 日言 う「科学」 では な く、 ギ リシャ語 のepistem引 こ相 当す る概 念であ り、中世 か ら近世 に至 るまで、事82 清泉女学院短期 大学研 究紀要 (第10号) 物や事実 につ いての個別的知 識のみ ならず、 体 系化 された学問的知識の総体 を意味す る言 葉 として広 く一般 に使用 されて きた。今 日で も学問の領域 をnaturalscience(自然科学) だけでな く、cultural science(人文科学)、 socialscience(社会科学) な どに分類す るが、 こ うした場合 のscienceは 「知識 ・学」の意味 で使用 された例 とい うこ とがで きる。 scientia、scienceの 「知識 ・学」 としての スキニ オ ス モ.ニレ 意味は、ラテン語の動詞scio,scireに由来す る。これ らの語の語幹sci-は「知 る」(-know) の意味 で、た とえば英語 のcon・scious(意識 し て い る ;自覚 の あ る)、con・science(良 心)、pre・sci・ence(予知 ;先 見)といった言葉 の中にその姿 を認め るこ とがで きる。science が英語 として一般 に使用 され るよ うになった のは
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世紀頃か らとされ、 その意味は比較的 長 い間 「知識 ・学」であった。 た とえば シェ イ クス ピアは 『終 りよけ れ ば すべ て よ し』
(
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3一
一1
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頃)の中で、次の よ うに使用 して い る。"Plutus himself---hath not in nature'smysterymoresciencethanIhave inthering."(財宝の神 ブルー タス といえ ど も、わた しが この指輪 にたい して持 ってい る 以上の知識 を、 自然の神秘 につ いて持 っては いない。)scienceか ら 「科学」の意味が明確 に分離 して くるのは、1
8-1
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世紀に至 ってか らの こ とである。scientist「科学者」は イギ リ スの 哲 学 者W.Whewellに よ る1
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年 の造 語 とされている。 2)disciplinaidoctorina 前出の ギ リシャ語mathemaに相 当す るラ テン語 にdisciplfnaがあ る。disciplinaは 「学 T i 7tケ レ ぶ」 とい う意 味 の ラ テ ン語 の 動 詞discere (disco)に由来す る名詞 で「学ぶ こ と ;学ばれ る もの」 とい った意 味 で使 用 され た。disci -plinaに相 当す る英語 はdisciplineであ るが、 こち らの方 は原意か ら くる 「学科 ;学問の部 分、分野」の他 に、今 日では一般的に「訓練 ; 鍛錬 :規律」の意味で使用 され るこ とが 多い。 もうひ とつdisciplinaに関係す る英語 として discipleがあ る。discipleは「キ リス トの使徒」
の他 に 「弟子 ;門弟」、つ ま り 「教 えをうけ、 学ぶ者」の意味で使用 され る言葉 である。 ド ク ト リ -ナ disciplineに は ラテ ン語 のdoctorinaが対 置 されてい る。 この語 は 「教 える」 とい う意 ドケレ 味 の ラテ ン語 の動 詞docere(doceo)に由来 し、「教 えるこ と ;教 え られた もの」の意味 を あ らわ してい る。「学んで完成の城 に達 し、教 え る立場 に立つ こ とので きる人」 を意味す る doctorはここに由来す る。英語 においてdo c-torが 「教 師 ;博士 ;医者」とい った意味で使 用 され、学問一般、特 に文系の学問において 与 え られ る 「博士」の称号Ph.Dが Doctorof Philosophy(-PhilosophiaeDoctor)の略 で あ るのは周知 のこ とであ る。 3)神 に奉仕 す る学問 総体 として ヨー ロッパ 中世 の学問 を支配 し たのは、神 であった。 この時代 、神 こそが絶 対的真理 であ り、すべ ての相対的知識は この 絶対者 との関係に よってのみ真実 を保証 され る、 とい うキ リス ト教的世 界観 の もとにあっ て、学 問は神 に奉仕す る もの と考 え られた。 ヨー ロッパ 中世 は、4-5
世紀 の ローマ帝 国 の崩壊か ら1
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世紀のルネ ッサ ンスに至 る間約 千年 に及ぶが、神 に仕 える学 問 とい う色彩の もとに12世紀 を境 としてふたつ に大別 され る。 12世紀に至 る6- 7世紀の間支配的 であった のは、 この時代 の代表的神学者 アウグスティ ヌ ス(
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4-4
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)
や 哲 学 者 ボ エ テ ィ ウ ス中田 :『学問』 の コンセプ ト- 東西 におけ るその歴 史 と問題 点 - 83 (480-525頃)の著作 に 見られ るように、プ ラ トニ ズム、ネオ ・プ ラ トニ ズムに色濃 く
影
響 された、神秘主義的、形而上学的傾 向の強 い学問であった。 こ うした学問的環境の中で 重要視 されたのは、人間 ・社会 ・自然につ い ての客観的知識ではな く、む しろ人の内面的 知識、内的 な精神 の経験 であ り、 このための 学問 ・教育 の中心 となったのは主 として修道 ア ル テ ス リ ベ ラ リ ス 院であった。中世 においては、ArtisLiberalis の 名 の も とに 7つ の 教 養 科 目、初 級 3科 トリ r7 ィ rL)ム (Trivium)一 文法 ・論理学 ・修辞学 と、上級4 / /7トりT7ィrL7i 料 (Quadrivium)- 地理学 ・天文学 ・数学 ・音 楽が決め られていたが、 こ うした状況の もと で12世紀に至 る問重要視 されたのは、前者初 級3科 で凍)つた。4
)ア リス トテ レスの影響 とス コラ哲学 12世紀に至 ってこ うした学 問的状況に大 き な変化が生 じた。都 市の発達 とともに、学問 の中心 は修道院か ら教会付属 の大学や都 市の 学校へ と移 り、お りか らア ラビアか らヨー ロ ッパに もた らされ た、 イスラム と古代 ギ リシ ャの 自然科学的色彩 の強い学問 ・学術 の遺産 が、盛んにラテン語訳 され るにお よんで、学 問の世 界に新 らたな風が吹 き始めた。 こ うし た状況の中でキ リス ト教神学が直面 したのは、 いかに してア リス トテ レスに対処す るか とい う問題 であった。 『形而上学』
『自然学』 その 他 に示 されたア リス トテ レスの 「存在 を存在 として科学す る」 とい う実証的学問の姿勢 ・ 方法論の与 えた影響 は大 き く、アルベ ル トゥ ス ・マ グヌス (1200-1280頃)、 トマ ス ・ア ク イナ ス (1225-1274)といったスコラ哲学者 等の課題 は、 いかに して これ をキ リス ト教の 神学に結び付 け るか とい うことであった。彼 等は、神の啓示 は反理性 ではな く超理性 であ り、神 の創造 にな る世界の事 象につ いての客 観的知 識 を求め真理 を追求す るこ ともまた、 キ リス ト教的世 界観 に矛盾せ ず神 の道 に叶 う こ とであ る、 としてア リス トテ レスを超魁 し た。 トマ ス ・ア クイナ スはア リス トテ レス的 理性 に よる学問(discip17na)と、神 の啓示 に よ る教 え(doctorina)を区別 して次の よ うに述 べ ている。「人間の理性 に よって探究 され る哲 学的諸学問 (discipl言na)とは別 に、 これ を超 えた神 の啓示 に基づ く何 らかの教 え(doctor -ina)が存在 しなければな らない。
」(
『神学大 (3) 全』第一問題 ・第一項 ) こうして市民権 を得 た実証主義的、科学的 学問の隆盛 に伴 って、学問の領域におけ る一 種 の知の組み替 えが進行 した。12世紀以後初 級3科 におかれていた教養科 目の比重 は、大 き く上級4
科 に移 るこ ととなった。 またた と えば、パ リ大学においては、学科 は論理学 ・ 文法 ・修辞学か らなる 「合理哲学」、倫理学 ・ 家政学 ・政治学 ・超 自然神学か らなる 「道徳 哲学」、形而上学 ・数学 ・自然学か らなる 「自 然哲学」に再編成 され、 さらに これにそれ を 専 門 とす る者のため に神学 ・医学 ・法学が加 え られた。近世 の学 問はア リス トテレス とス コラ哲学 の融合 に よって始 ま り、 ここにす で に16-17世紀 におけ る新 しい学問の道が準備 されつつ あった と言 っていい。5.
近代 的学 問の誕生
1)科学革命 16-17世紀 に至 って、 ヨー ロ ッパにおけ る 近代 的学 問の扉が開かれた。封建社会 の崩壊、 ルネ ッサ ンス、都 市の発達、市民の台頭 と市 民社会の形成 といった歴史の流れの中で、近 代的 「知」の誕生が準備 されつつ あった。 こ84 清泉女学院短期大学研究紀要 (第10号) の新 たな学問の開花 は 「科学革命」の名で知 られている。 この時代 の学者 たちの 多 くはなお信仰の立 場に身 を置 きなが らも、学問 を形而上学的、 宗教 的 くび きか ら切 り離 し、世 界の事 象 を客 観的、合理的、実証的、経験的、帰納的、計 量的に研究す るこ とを主張 した。 こ うした中 で とりわけ数学の学問へ の適用の意義 は、強 調 されなければな らない。近代科学の父 と言 われ るイタ リアの物理学者ガ リレイは、次の よ うな主 旨のこ とを述べ てい る。「科学の対象 は神が 自然の書物 の うちに啓示 した物象であ るが、 この書物 は数 学 的 記号 で書 か れ て い (4) る。」 こ うした姿勢に基づ く学問 ・研究に よって、 世 界の神秘、宇宙の法則が次々 と人々の前に 明 らかに された。 ポー ラン ドの天文学者 コペ ルニ クスの 「地動説」、ガ リレイに よる 「力学 的原理」の発見、 ドイツの天文学者 ケプ ラー の 「惑星の軌道に関す る法
則
」の樹立、 イギ リスの科 学 者 ニ ュー トンに よ る 「光 りの分 解 ;万有 引力 ;微積分法」等、 こうした不斗学 的学問の成果は、以後の科学の発展に大 きな 影響 を及ぼす こ とになる。 この時代 の学問の発展に指導的役割 を果 た した人物 として、 さらに二 人の哲学者 フラン スのデ カル トと、 イギ リスの フランシス ・ベ イコンの名前 を逸す るこ とはで きない。デカ ル トの功績 は哲学、 自然科学 の双方の分野に 及 ぶ。有 名 な 「わ れ 思 う故 に わ れ 在り」
コギト エルゴ スム (Cogito,ergosum)の命題 に したが って、 デ カ ル トは そ の 代 表 的 著 作 『方 法 叙 説』 (1637)、 『哲学原理』 (1644)等 において、懐 疑 を出発点 とした論理性、実証性 に基づ く真 の学問確立の可能性 を探究 した。F.ベ イコン はア リス トテ レスの形式論理字書 『オルガヌ ム』に対 して、『ノー ヴム・オルガ ヌムANouum Organum(1620)を著わ し、哲学 ・学問の任務 は科学的 な発 明、発見に よって人間に 自然 を 克服す る力 を与 え るこ とであ り、演梓 よ りも む しろ実験 に基づ いた個々の事例 の比較や吟 味か ら、 自然の一般法則 ・知識 を探究すべ き だ と主張 して科 学的帰納法 を提 唱 し、経験論 的哲学の創始者 とされている。彼の思想はそ の最 も有名 な言葉の うちに集約 されている。 「知 は力な り.」 2)詩学の形成 と 「科学」の独立 16-17世紀が敷 いた実証的、科学的学問の 姿勢 ・方法論 は、 それ以後の学問のあ り方、 方向 を明確 に決定ずけ ることになった。人間 の理性 に照 らして真理 を求め る科学的精神 は、 自然のみ な らず人文 ・社会 の領域 に も及び、 やがては人文科学(culturalscience)、社会科 学(socialscience)といった分 野の諸学 を成 立 させ るこ とになった。 イギ リスの哲学者 ホ ップスは、哲学か ら 神学 を峻別 した機械論的 自然主義 に立 ち、 ま たロックは認識 におけ る経験論 の立場か ら、 人間 ・社会 ・国家の問題 を論 じた。 フランス の法理学者 モンテスキュー は、デカル トの方 法論等に依 りなが ら 『法の精神』(1748)等 を 著 わ し、「法学」の基礎 を敷いた。 またイギ リ スの経済学者 ア ダム・ス ミスは主著 『国富論』
(1776)に よ り、理論 ・政策 ・歴史 を統一、不 可分 な もの として論 じ、最初 の体系的 「経済 学」 を確立 した。 こ うした学 問の流れ をさら に加速 させ たのは 「啓蒙思想」 の運動 である。 ア ウフ ドイツの哲学 者 カン トに従 えば 「啓蒙(Auf -ク レ - ル ン グ kはrung)とは、人間が 自らの怠惰 と怯儒か ら 招 いた精神 的未成年状態か らの悟性 による脱 (5) 却」 と定義 され る。 ヴォルテール、デ ィ ドロ中田 :『学問』の コンセプ ト- 東西におけ るその歴史 と問題点 一一- 85 らをは じめ とす る思想家達 は、 自らの哲学 を 合 理 的 科 学 精 神 に 基 づ い た 「光 の 哲 学」
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と呼 び、理 性 の光 りに よ り無知、迷妄、 因習、 旧弊 の闇 を 啓 くこ とを主張 して、積極 的 に啓蒙運動 を展 開、 その後 の学 問の方 向 を決定づ けた。 学 問に関 して、啓蒙思想家 の中で特 にル ソ ー につ いてふれ てお く必要 が あ る。かれは 自 らを放 浪、貧 困、無名 の境涯か ら一躍有名 に した、 わずか3
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頁程 の論文 「学 問芸術論 」 に お いて次 の よ うに述べ てい る。 学 問、文学、芸術 は--人間 を縛 ってい る鉄鎖 を花環 でか ざ り、 人生 の 目的 と思 われ る人間の生 まれ なが らの 自由の感情 をお しころ し、 人間に隷属状 態 を好 ませ 、 いわゆ る文化 人 を作 りあげ た。 ・--われ われの学 問、芸術 が完全 な ものへ と進 歩 す るにつれ、 われわれ の魂 は腐敗 したの であ る。 --学 問 と芸術 の光 明が われ わ れの地平 にのぼ るにつ れ、徳 は消 え失せ たのであ り、 同 じ現象はあ らゆ る時代 と (6) あ らゆ る場所 に見出 され る。 学 問に対す るル ソーの激 しい攻撃 は、主 と して曹修 と無為 の うちにあ る上 流階級 とそれ に寄生す る者達 の習俗 、道徳 に向け られ た も のあ ったが、 それ は既成 の文 明、社会、制度 批判 とい う点 にお いて、他 の啓蒙思想家 の運 動 と軌 を一 にす る ものであ り、やが てその思 想 はフランス革命 の知 的温床 を提供 す るこ と となった。 ともか くもこ うして 「理性 の光」 を合 言葉 とす る啓蒙主義運動 に結実 した科学的、実証 的学 問の潮 流は、 さ らには1
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世 紀の学 問 の方向 を決定 ずけ るこ とにな った。 この間特 筆すべ きは、1
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世 紀 の著 しい 自然科 学 の発達 に よって、学 問 ・哲学か ら科 学 が分 離 して き た とい うこ とであろ う。 この時期 、 以前 は学 問 ・知 の総体 を意味 し、p
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の一部 で あ ったs
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は、優先的 に 「科学」の意味 で 使用 され るよ うにな り、 ここに学 問 は二つの 文化- 文科 と理科 とに分離 され るこ とに なっ たの であ る。6.
中国におけ る学問
1)
「学問」 の昏源 漢字 の 「学」は、古 くは 「撃 」、 または 「敏 」 であ ったO 「撃」 の成立 につ いては、 「メ」 の 部分 の解釈 につ いて諸説 を異にす るが、 いず れに もせ よ 「両 手 (川 十屋根 (-)+子」の組 み合 わ さった文字 として、「子供 が手振 り身振 りで物事 を習 う場所」 が その原義 で あ り、 そ こか ら 「行為 としての撃」が派生 した もの と 推 測 され てい る。魂 の字書 『虜雅』 には 「撃 は官 (学 舎 の意) な り」 と も、 ト撃は 識 る な り」、 「撃 は致 ふ な り」 とも記 されて い る。 「戟 」 は 「撃 」 に 「支 (丈)」 (小 木 ;小 木 、 ムチの よ うな もの で打つ) を加 えた形 で、や が て 「教」- 「歓 」- 「教」 と 「撃 」か ら分 離 した 「教 え る」 とい う意味 の言葉 に独 立 し て い った。 したが って、「畢 」 と 「教 」とは同 系の語 と考 え られ てい る。 また 『廉雅 』 には 「撃 は教 ふ るな り」 とも記 されてい る。英語 の1
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nの項、 ドイツ語 の1
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例 に も見 た よ うに、 ここで も 「学ぶ」 と 「教 え る」 とが 同 じ言葉 か ら生 れ た とされ てい るの は、興 味深 い事 実 である。 「間」 は 「戸」が2枚 向 き合 った 「門」 に 「口」が加 わ った もので 「門、玄関 な どに立 って、話かけ る ;問 いかけ る ;訊ね る」 が、86 清泉女学院短期大学研 究紀要 (第10Ff) その原義 とされ る。つ いでなが ら「聞」も「問」 と同形の言葉 で 「門の ところで問いかけて、 相手の答 えを聞 く」に よってい る。 また 「学」 に近 い意味で 「学習
」
「習得」などに使用 され てい る 「習 う」 について、 これに も異説があ るが、 『説文
』には 「数 (しば しば)飛ぶ な り」 と説明 されている。
「烏が何 回 も羽ばたいて飛 ぶ練習 をす る」 こ とに由来す る と考 え られ る。 2)パ ラダイム と しての儒 学の形成 中国におけ る学問の伝統は古 い。孔子の有 名 な 『論語』におけ る 「学 びて時に これ を習 う、 また説ば しか らずや」(学而)、「吾 れ十有 五 に して学 に志す」 (為 政) といった言葉 に も、 またた とえば 『孟子』の 「学問の道 は他 にな し、 その放心 を求む るのみ」(告子)とい った一文 に も、執鋤 に 「学」の追求が語 られ てい る。 これ らはご く数例 であるが、我々は これに さらに時 を下 った末代 、朱子の作 とさ れ る有名 な詩の一節 を加 えるこ ともで きる。 「少年老 い易 く学成 り難 し、一寸の光陰軽ん ずべか らず」 (偶成)0 この よ うに して追求 された中国におけ る学 問の本流は儒学 であった。儒学の始祖 たちに とっての学問の 目的 とは、学んで最高の人格 を備 えた聖 人の域 に至 るこ とであ り、現実的 には、学問によって己を修め、仁 と徳 とを備 えた君子による理 想の国家 を実現す るこ とで あった。 こ うした 目的か ら、 その学問の内容 は、 人の道 と政 治のあ り方 を中心 とした著 し く倫理的、政治的性格 の強い ものであった と 言 うこ とがで きる。 しか し孔子 を祖 とす る 「儒学」 も、 その創 始の段階 にあっては 「学」とい うよ りは 「道」 「教 え」に近 い ものであった、 とい うのが正 確 であろ う。孔子の教 えが 「儒 学」 として確 立 していったのは、む しろ孔子、孟子以後 の ことと言 っていい。秦の始皇帝の焚書坑儒 の 後、漢の時代の学者 たちの仕事 は儒教 の経典 の整理復 元 と字句の解釈 を中心 とした一種 の 文献学、「孟I帽占の学」であった。訓話の学 はそ の後、魂晋南北朝、階唐末 にお よんで儒学 の パ ラダイム を形成す るこ ととなった。君臣関 係 を軸 に した秩序 あ る国家 の建 設 とい う儒 の 理想は、歴代の為政者 たちの政治 目的に合致 し、儒学 は前漢 において官学 とされ、中央集 権的官僚体制の確 立 を加速す るこ とになった。 情の時代 には科挙の登用試験 と教育制度 とが 儒教 を軸 に体系化 された。 中国に も荘子、墨 子の学、 その他天文学、数学、医学等 も無 く はなか ったが、それ らは こ うした状況の中で 傍系に押 しや られ るか、逐次衰退す るか して、 結果儒 の学問的伝統が堅 固に築かれ ることと なったのである。 過去の経典 、文献、字句、主 として四書五 経の解釈 とその暗記に よ り、 因習 と伝統 を守 ろ うとす るこ うした学問 としての儒学のあ り 方は、 ギ リシャの学問 ・科学 の伝統 に基づ く 西洋の論理 的、実証的学問 との対比において、 あ る意味でその後の中国の学問の方向 を運命 的に規定す るこ とになった と言える。西洋 と 東洋の学問のこ うした質的差異性 につ いて、 た とえば中山茂氏はつ ぎの よ うに記 してい る。 - レニ ズムや漠代 に諸学 の構成のパ タ ー ンがす でに固 まった といえる。西洋で は、数学諸科 (天文学や静 力学 も含む)、 弁論術、哲学、医学が標準的な学問であ り-・・ヰ 国では儒教教典 の研究、すなわ ち経学が最高の地位 にあ り、天文暦学は 補助的位 置にあ り、医学や さらに数学 と なる とず っ と地位 が低 くなる。-・・・さら中田 ・『学問』の コンセプ ト- 東西におけ るその歴史 と問題点 -- 87 に これ らの学問構造 の底に流れ るもの と して、西洋の学続 では論争的学問 (弁論、 論理)が主流であ るのに対 し、 中国では 史書や儒教教典 の よ うな因習伝統の遵奉 を旨 とす る記録的学問が主流であるこ と (7) に気づ く。 中国におけ るこうした学問の流れは、 日本 の近世 に至 るまでの学問の歴史に決 して無関 係 ではない。
7.
日本におけ る学問
1)「まねぶ」の伝統 学 問に関 して 日本 には古来 「まなぶ」 とい う言葉があ る。異説 もあるが 「まなぶ」は本 来 「まね をす る」の 「まね (真似 )」に関係 し、 これに 「ぶ」が加 わった動詞 「まねぶ」 の転化 した ものだ とされている。 この 「なま ぶ」 と 「まねぶ」 とは、長 い間 その使用 を区 別せ ず、言葉 を変 えれば 自由に使 われて きた。 た とえば 「額 をまなぶは喋のた ぐひ、舜 をま なぶ は舜の徒 な り」(
『徒 然草』-85段)は、 「まなぶ」が 「まね をす る」の意味で使用 さ れた一例 であ る。逆 に 「殿上の若 き人々 もこ の事 (-絵 をか くこ と)まねぶ をば--
」(
『源 氏物語』一絵合)は、「まねぶ」が 「まなぶ」 の意 で使用 され た例 と言えよ う。勿論 「まな ぶ」 を 「学ぶ」、「まねぶ」 を 「真似 をす る」 とい う、我々が一般 に了解 している本来の意 味での用例 も多 く認め られ る。 いずれに もせ よ 「まなぶ」 と 「まねぶ」 と が こ うして未分化 に使用 されて きた背景 には、 あえて両者 を分 け る必要 を感 じず 「まなぶ」 とは 「まねぶ (る)」こ とだ とす る 日本人の意 識が働 いていた もの と推測 され る。 この場合 「まねび、 まなぶ」 とは単 に字句に限 らず、 学問 と技芸 - 学芸一般 に対 して通 用 され た言葉 であった。世 阿弥が能楽 の聖典 とされ る 『風姿花伝』 において 「まねび」 をひ とつ の芸術理論 として体 系化 したのは、有名 な と ころである。能 に限 らず書道、茶道、剣道、 その他 において 「まねび」 を 「まなび」 とす る思想 は、 日本 の学芸の伝統 の中に深 くその 根 をお ろ してい る。「まなぶ」と 「まねぶ」と が区別 して使用 され るよ うになったのは鎌倉 時代以後の こ ととされている。2
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「学問」 と 「学文」 日本 におけ る 「学問」 とい うこ とばの歴史 も古 い。学問は古 くは、今 日一般 に言 う広義 の学問 ・研究 とい うよ りは、主 として漢籍、 仏典 、和歌 な どを学ぶ こ とをさ し、武芸 に対 置 され る貴族 ・知識階級の教養 のひ とつ であ った。 た とえば 『源氏物語』- 「青木」 には、「
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頭 中将)夜昼、学問 をも遊 び をも、 もろ と もに して、 をさをさたち後れず」 とい った一 文があ るが、 ここでは 「学問」は 「漢学」、「遊 び」 は 「管弦」の意味だ と解 されてい る。 ま た 『徒 然草』におけ る次の一文 、「あ る者、子 を法師にな して く学問 して因果の理 を も知 り -・
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」 (第188段)におけ る 「学問」は、明 ら かに 「仏典 の学 問」の意味 での使用の一例 で ある。 こ うして主 として学問が漢籍、仏典 等 を学 び、その文 を解釈 ・暗記す るこ とを意味 した こ とか ら、 中世か ら近世 にかけては 「学問」 は 「学文
」 と書かれ るこ とも多か った。 た と えば鎌倉時代、親鷲門弟の編集 にな る 『歎異 抄』 には、版によって も異 な るが 「学問」 と 「学文」 との併用の例 が認め られ る もの もあ る。「単文 して、人の誇 りを止め--・。草 間せ88 清泉女学院短期 大学研 究紀要 (第10号) ば、い よい よ如 来の御本意 をL r)・・・-」o徳 川 家康が幕府 を開いた慶長
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年、1
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年 に長崎 で印刷 された 『日葡辞書』 には、次の ように 載 っている。「Gacumon学文、文 ヲ学 ブ」。 3)知織 -知人 ;高僧 学 問 に係 る語 として 「知 識 (智 識)」が あ る。- ボン 『和英語林集成』 には 「知識」の 説明 として まずA learnedpriest(高僧)、次 いでknowledgeが記 されてい る。その順序か らも推測可能 なように、 日本の古語において は 「知識」 は今 日我々が理解す る意味の知 識 とい うよ りは、仏教語のニュア ンスの強い言 葉 であった。 「知識」の本来の意味は 「知 り合 い、知 人 ; 学問のあ る高僧」の意であるが、その原義 は ミトラ
サ ンス クリッ ト語のmitra「友人 :親友」に由 来 す る といわれ て い る。漢 語 の 「知 識」は mitraの仏教語 としての意味 を吸収 して、本 来の 「知 ;知の内容」の他 に、特 に 「自己の 仏道修行 を助けて くれ る知 人 ;ともに修行 を す る友 人、仲間 :修行 を導 く高僧」 といった 意味 を発展 させ た。特 に 「師 として修行者 を 指導す る高僧」 を 「善知識」 とも呼んでいた。 日本 におけ る 「知識」が また近世 に至 るま で 「仏道 を機縁 とす る知友、仲 間、集団 ;こ れ を導 く高僧」 といった仏教語の色彩 を帯び ていたのはこ うした理由に よってい る。時に 「知識」 は 「知識の物」 な どの表現 で 「仏 に 結線す るための寄付 :寺 な ど- の寄進」 を意 味す るこ ともあった。「高僧」の例 としては「滝 口入道 を も善 知 識 の ため に具せ られ け り」(
『平家物語』)O また次は 「寄進 ・喜捨」の一 例 であ る。「一 人の聖 人あ りて--・普 く諸の人 を催 て、知識 と伝ふ事 をもって其の橋 を渡 し てけ りo
」(
『今昔物語』
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O
「知識」が漢語の本 来の語義 に従 って今 日我々が了解 しているよ うな意味において使用 され るよ うになったの は、主 として江戸末期か ら明治に至 ってか ら のこ ととされ る。た とえば、「智識 ヲ世 界二求 メ、大二皇基 ヲ振起 ス- シ。
」(
「五箇条の御誓 文」)
。 4)「学問」の流れ- 古代∼ 中世∼近世 兼好法師は 『徒 然草』第一段 において次の ように述べ ている。「あ りた きこ とは、まこと しき文 の道、作文、和歌、管絃 の道、 また有 職 に公事 の方--」。 ここで「まこ としき文の 道」 とは 「本格 的学問、主 として儒学」、「作 文」 は 「漢詩 ・漢文 を作 るこ と」、「有職」は 「朝廷 ・貴族 (後 に武家)におけ る官職 ・儀 式 ・礼法に関す る伝統的知識」 を意味 してい る。一文 は兼好が望 ましい学問技芸の具体的 内容 につ いて述べ た ものだが、 これに仏教的 知識 を加 えれば、ほぼ 日本の古代 よ り近世 に 至 る教養 ・知識 ・学問の体 系が示 されたこと になる。 仏教 と儒教 とは6世紀ほぼ時 を同 じくして 日本に もた らされた。仏教 は飛鳥 よ り奈良の 護 国仏教、平安 の天台 ・真言の密教、鎌倉の 真宗 ・日蓮宗 ・禅宗 その他 の新興宗教- と刷 新 を繰 り返 し、 日本の近世 に至 る文化 ・学問 の歴史に一大潮流 を形成 した。 また儒学 ・漢 学 は有職故実 の他 に、和歌 ・日本 の古典 な ど とともに、貴族 の修め るべ き教養 ・学問 「和 漢のオ ・学」 として重視 され、 日本の学問的 教養 の基礎 となった。 そ して こ うした古代 よ り中世 にかけての学問の歴史におけ る特色は、 それが長期 にわた りほぼ独 占的に貴族 と僧侶 とい う知的特権 階級の手中にあった とい うこ とであろ う。 鎌倉時代 に至 って、学問の歴史には新 たな中田 ,『学問』の コンセプ ト- 東西におけ るその歴史 と問題点 - 89 動 きが加 わった。その第一は学問の世界への 武士の参入であるO中世の代表的図書館 とさ れ る金沢文庫の創立
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、 また足利学校の 再興(1439)などに象徴 され るように、武士 は 政権への台頭 とともにまた学問の世界に も地 歩 を築 き始めた。 もうひ とつ特筆すべ きは、 いわゆる五 山文学の学問への貢献である。南 北朝か ら室町時代にかけて、京都五 山を中心 とす る禅僧 たちは仏教のみな らず、お りか ら 伝 わった朱子学 を中心 とす る儒学、漢詩文、 歴史等の学問研究に励み、 また種々の出版事 業 を行 なって、学問 ・文化の伝播拡大に寄与 した。 こうした流れの中で中世 も後期になる と特権階級に限 られていた学問は、武士か ら 都市の富裕 な町民へ、中央か ら地方- と下向 し、庶民の間に拡大 してゆ くこととなった。 学問に興味ある者の子弟の学問 ・教育のため に寺子屋 などが開かれ るようになったの もこ の頃のことである。 こうして徐々に幕藩体制 下におけ る学問的状況が準備 されつつあった といっていい。 江戸時代の学問の主流は儒学であった。儒 教の 「修身斉家治国平天下」 を理想 とす る政 治哲学は幕藩体制の安定に寄与す るもの と考 えられ、特に五 山文学の歴史の中か ら生れた 林羅山による林家の朱子学は官学 として保護 奨励 された。一方同 じ儒学なが らも中江藤樹、 熊沢蕃山等は朱子学の観念性 を批判 して陽明 学 こそが学問であると主張 し、 また伊藤仁斉、 荻生祖裸等は孔子 ・孟子の原典 に帰 って学ぶ べ きことを唱えて古学派 といわれ る学派 を打 ち立てた。 さらに江戸時代大 きく発展 を遂げ た学問 として、国学の名 をあげなければなら ないO契中、賀茂真淵、本居宣長等は、儒教 ・ 仏教等の伝統か ら学問を切 り離 して、 日本古 来の古道 ・古典 の精密 な研究 を旨とす る文献 学 としての国学 を確立 した。 た とえば本居宣 長は 『うひ山ふみ』において、学問 としての 国学の理想 を次のように説いている。 一人の生涯の力 を以ては、 ことごとくは、 其奥 までは究めがたきわ ざなれば、其中 に主 としてよるところを定めて、か なら ずその奥 をきはめつ くさん と、は じめ よ り志 を高 く大にたて 、、つ とめ学ぶべ き 也。・--さてその主 として よるべ きす じ は、何れぞ といへば、道 (国学)の学問 (8) な り。 儒学、国学、その他諸学 とを問わず、江戸 時代 においては広 く学問が奨励 され、数 多 く の藩校、寺子屋、私塾な どにおいて行 なわれ たこの学問 ・教育が、やがては明治以後の 日 本の近代国家形成の基礎 となったO昨今、 日 本の近代国家 としての成功の鍵 を、江戸時代 の教育水準の高 さに求め る声 も多い。 ただ し こうした学問への国民的熱意や学問的水準 と は別に、その内容 ・性格 に関 して言 えば、古 代 よ り江戸末期に至 るまでの 日本の学問は、 西洋の実証的 ・科学的学問に比較 して、中国 の学問的伝統に則 した古典、経典の文献学的 解釈、訓古の学 を中心 とす る極めて倫理的、 観念的特性の強 い ものであったことは注 目に 値す る。 5)新たなる学問の展開 江戸末期か ら明治に至 って 日本の学問は、 未曾有の変化 を経験す ることになる。新 たな 波は西欧 よ りの学問であった。 この新 しい学 問の波は実証的、科学的思考 と方法論 とをも って、 日本におけ る従来か らの経典、古典の 訓古 ・解釈 を中心 とす る倫理的、人文的色彩90 清泉女学院短期 大学研 究紀要 (第10号) の強 い学問のあ り方 に革命的変化 を求め るも のであった。 江戸末期最初の波は蘭学 とい う形 でや って きた。鎖国体制の 中でわずかに長崎のオラン ダ人 を通 じて もた らされた医学 ・自然科学 を 中心 とす る西洋の学問は、幕末の知識人に大 きな影響 を与 え、 しいては幕府封建体制の崩 壊 を加速す る力 ともなった。 明治に至 っては近代 国家形成の必要か ら、 蘭学のみ ならず米英独仏 その他西洋諸国の学 問 ・文化が積極 的に取入れ られた。 この西洋 の学問は洋学の名 で知 られ、その内容 は実学 であった。福沢諭吉 はその有名 な著作 『学問 ノススメ』において、「学問の要 は活用に在 る のみ。活用 な き学問は無学 に等 し」として「さ れば今斯 る実 な き学問 (-古来の和漢の学) は先ず次に し、専 ら勤むべ きは人間普通 日用 (9) に近 き実学 (-洋学) な り」 と述べ てい る。 福沢 は 「実学」の語に しば しばサ イエ ンスの 振 り仮名 を付 しているが、 この実学 を もって 個 人の 自立 と文明国家 としての独立 をはか る べ きだ とす る 『学問 ノススメ』17編 は、一説 には海賊版 を含め各編約20万部、計340万部 を 売 った とさえ言われ、 当時の新 しい学問に対 す る国民的関心のほ どが想像 され る。 明治知識人に とっての課題 は、和漢の伝統 的学 問 とこうした新 しい西洋の学問 とをいか に接合 させ るか とい うこ とであった。学問が 過去 との完全 な断絶 にお いてあ りえない以上、 旧来の言葉 ・観念 をどう読みか えて新 しい知 識 ・思想に対 し、それ を受け入れ るかは緊急 の課題 であった。 そこには果敢 に知 の組み替 えに取 り組み、新 しい学問体系の確立にかけ た明治知識人の想像 を絶す る努 力が あったの であ り、今 日我々が 自明の もの としている学 問 ・知識の体系 とその成果は、 こ うした先人 たちの貢献 に多 くを負 ってい る。
8.
学 問の現在 以上東西におけ る 「学 問」の コンセプ トの 歴 史 を概観 して きた。 その過程 で明 らかにな った西の実証的、科学的に対す る束の倫理的、 人文的 といった学問の性格的相違 の よって き た るゆえんにつ いては、 また稿 をあ らため る 必要が ある。 ここで確認 しておかなければな らないのは、学問は洋の東西、 その性格如何 を問わず、いか ように も過去 と断絶 してはあ りえず、過去の蓄積 に立 ちなが ら、長 い歴史 の過程 において形成 されて きた大 きな流れだ とい うこ とである。 その 『自伝 ノー ト』にお いてア インシュ タインが次の よ うに述べ た時、 彼は、過去の学問の成果 と人間の創造的精神 との出会 いに よる、新 たな学問の創造の メカ ニ ズム をわれわれに明か している。 ニュー トン先生、お許 し くだ さい。 あな たは、あなたの時代 に、最 も高い思考力 と創造力の人 として可能 な唯一の道 を発 見 され ました。 あなたが創造 された概 念 は現在 でさえ も依然 としてわれわれの物 理 的思考 を導いてい ます。 ただわれわれ は、現在事物 の間の諸関連 をよ り深 く把 握 しよ うとす るな ら、 あなたの概 念 を直 接的経験の枠 内か らもっとかけはなれた ものに置 き換 えなければな らないこ とを (10) 知 っているだけの こ とです。 か くして 「学問」は過去の成果 に もとづ い た、 人間精神 の創造的営 みの歴史 として今 日 に伝 え られてい るのであ るが、 では現在 の学 問につ いて、 その状況はいか ようであ り、 ま中田 ・『学問』のコンセプ ト- 東西におけるその歴史と問題点- - 91 た どの よ うな問題 が指摘 されて い るのであ ろ うか。 そ うした学 問の現在が直面す るい くつかの 主要 な問題 としては、 (1)学 問の細分化 ・専 門化、 (