〈論説〉臨死介助における同一法益主体内の利益衝突について--推定的同意論および緊急避難論の序論的考察
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(2) 近畿大学法学 第62巻第3・4号. ができない状況で,右足を切断しないと,生命が失われる恐れが強いとい う状況で,患者の右足の切断に踏み切った医師の手術である傷害行為,あ るいは医師を呼ぶことができない状況で素人が足を切断したといった傷害 行為は,推定的同意によって正当化されるか,または,そのような場合, 刑法37条の「緊急避難」の規定を適用して傷害罪の構成要件該当行為につ き,正当化ないし免責することができるかという問いに置き換えることも できる。 この問題を考察するにあたっての問題の焦点は,推定的同意および緊急 避難の意義と要件である。現実的同意については,同意能力が前提とされ ているが,推定的同意は,同意能力のない者についても働くのか。推定的 同意という正当化事由の適用の限界はどこにあるのかが問題である。他方, 緊急避難は,避難行為によって「生じた害」が「避けようとした害」の程 度を超えなかった場合に限り,正当化される(37条)。ここでいう「害」は, 通常は,他人に生じた「害」と自己に生じるべき避けようとした「害」で あり,法益の担い手が異なる主体間の法益侵害のもたらす「害」である。 上記の例においては,意識不明に陥っている患者の「生にともなう苦痛」 とその患者の「その苦痛からの解放をもたらすと思われる死」という「害」 が対立し,また,身体の完全性に対する侵害という「害」と同一の患者の 生命の喪失という「害」が対立している。これを裏から見ると,保護すべ き「利益」が同一主体内部で対立している事例ということができる。そこ で,このような同一の法益主体の内部の「利益」が対立している場合にも, 緊急避難規定の適用はあるのかが論点である。もとより,緊急避難規定は, 現在の危難にさらされた者が,反対の意思を表明していない限り,その同 意なくして,その侵害の危険にさらされた法益を救うため,第三者が行う ことができる点で,同意ないし推定的同意を前提としない概念であるとい うことができる。 ─ ─ 266.
(3) 臨死介助における同一法益主体内の利益衝突について. この問題は,いわゆる臨死介助の正当化の問題をめぐってドイツ連邦裁 判所(第2刑事部)が,2010年の判決 において,不作為による消極的臨死 介助のみが,不処罰となりうるとする従来の見解を変更し,患者の同意な いし推定的同意論によって,消極的・積極的の別を問わず,臨死介助が正 当化されうるとして以降, 重要なテーマとなっている。 そこでは,「同一 法益主体内の利益対立」において,正当化的緊急避難規定(ドイツ刑法35条) の適用があるのかが,推定的同意の適用限界の問題とも絡んで,議論の焦 点になっている。そこで,推定的同意論や緊急避難の基本的意義に遡って, この問題を考察しようというのが,本稿の目的である。紙幅が限られてい るため,この考察は,完結したものではなく,臨死介助の問題を解決する ための立法論をも見据えた将来の展開のための序章にすぎない。. Ⅱ.2010年および1995年連邦裁判所判決 問題となったいわゆる2010年の「プッツ弁護士事件」に関する連邦裁判 所の判決の事案と判旨およびそれ以前の指導判例であったが,すでに推定 的同意論による解決を説いて,―後に言及するように「客観的意思」の推 定ながら―,患者の自己決定権の尊重の方向に向かいつつあった1994年の. これを,被告人の名前をとってプッツ事件( Putzfall )とも,地名をとって 「フルダ事件」(Fuldafall)とも呼ぶ。判例は,ヴィッティヒ事件(Wittigfall =BGHSt 3 2, 3 67),次いでケンプテン事件(Kemptenfall)という順で発展し てきた。ヴィティッヒ事件とは,連邦裁判所の1984年7月4日の判決の事案で ある。その患者が自殺未遂を実行したあと,意識不明に陥ったのに,治療医が, 患者を救助するために何もしなかったとき,いかなる前提のもとで,殺人未遂 または不救助のゆえに可罰的となるかという問題を取り扱った。医師は,すで に夫の生存中から「延命措置は要らない」 「尊厳のうちに死にたい」と表明して いた76歳の女性患者が,自殺目的でモルヒネと睡眠薬を飲むのをそばで朝まで 見守っていて死亡を確認したという事案である。 ─ ─ 267.
(4) 近畿大学法学 第62巻第3・4号. 連邦裁判所の「ケンプテン事件」の事案と判旨を検討することから始めよ う。. 1.2010年6月25日の連邦裁判所判決(いわゆるプッツ事件) この事件は,医事法専門弁護士 が被告人となり,しかも連邦裁判所刑 事第2部が,従来の消極的臨死介助に関する判例の態度を新たに構成し直 したことで注目された事件ならびに判決である。この判決によって,臨死 介助が,作為か不作為かを問わず,推定的同意によって正当化されうるこ とが明確にされたのである。フルダ地裁は,故殺未遂で被告人を9ケ月の . 治療の中止と推定的同意の問題に関するケンプテン事件までの研究として, vgl. Gregor Rieger, Die mutma liche Einwilligung in den Behandlungsabbruch, 1998. BGHSt 5 5, 191. この判例にコメントしたものとして,Rosenau, Die Neuausrichtung der passiven Sterbehilfe- Der Fall Putz im Urteil des BGH vom 2 5. 6. 20102 StR 454/09, in:Festschrift f r Ruth Rissing-Van-Saan, 2011, S. 547ff.;Lutz Eidam, Wider die Bevormundung eines selbstbestimmten Sterbens. Zugleich Besprechung von BGH, Urteil vom 25. 6. 2010, in:GA 2 011, S. 2 32 ff. 被告人 Wolfgang Putz 弁護士は,ミュンヘンの医事法専門の弁護士で,3 0 年来,「Putz-Sessel-Steldinger 法律事務所」を開設しており,ミュンヘン大学 で医事法と医療倫理について講義している。2 011年には, Sterben D rfen (死なせてもよい)を公刊し,プッツ事件ついて書いている。Putz/Steldinger, Patientenrechte am Ende des Lebens,5. Aufl.,2014, を Beck 社(dtv)から出版して いる。論文として,Putz, Strafrechtliche Aspekte der Suizid-Begleitung im Lichte der Entwicklung von Rechtsprechung und Lehre zur Patientenverf gung, in:Festschrift f r Widmaier, 2008, S. 701 ff. がある。プッツは,不治の病に 罹患した患者と死にゆく者の自己決定権を厳格に尊重すべきと訴える唱導者で, 治療の制限や治療の放棄を唱えていた。この主張を司法に認めさせようと,彼 は,いろいろな行動をとってきた。これまでも,ある訴訟において消極的臨死 介助を認めない後見裁判所に対する刑事告発を行うなどの行動を起こしていた が,本件では,刑事被告人として自らフルダ地方裁判所の法廷に立ち,故殺罪 で有罪判決を受けていたのである( vgl. Rosenau, a.a.O., in:Festschrift f r Ruth Rissing- Van Saan, S. 548.)。 ─ ─ 268.
(5) 臨死介助における同一法益主体内の利益衝突について. 自由刑に処し,その執行を猶予した。. (事実)被告人は,医事法,とくに緩和医療( Palliativmedizin )の専門弁護 士で,2006年以降,1931年生まれの(E・)K夫人の二人の子供であるGとその 兄弟で(その後死亡した)P・Kの法律相談を引き受けていた。K夫人は,脳 出血の後,意識障害に陥った。話しかけることはできず,老人ホームで介護さ れていた。胃ろうにより栄養補給をしていた。回復は望めなかった。娘である G夫人は,意識障害に陥る一月ほど前にK夫人に,もしかの場合どうしたらよ いかを問うたところ,人工栄養や人工呼吸のような形での延命措置は要らない と答え,チューブでつながれて生きるのは嫌だと答えていた。当初,K夫人の 監護人としてその夫が任命されたが,のちに職業的監護人が選任された。Gは, 監護人に胃のカテーテルを抜去してほしいと頼んだが,拒否された。その後, 被告人は,Gおよびその兄弟とともに人口栄養の中断の努力をしたが,被告人 の申立てで,二人の子供が監護人に任命され,ホームドクターは,監護人達の 意図を支持した。その所見によれば,人工栄養を継続すべき適応はもはやなかっ たからである。しかし,その意図には,老人ホームの施設管理者と職員が反対 した。そこで,職員は,看護活動だけを行い,栄養補給は,GとKがすること とした。これにより,Gは,2007年12月20日にカテーテルによる栄養補給を中 止し,水分補給も減少させた。しかし,施設側は,翌日,栄養補給を続行した。 被告人は,続行は違法であるからとして,Kの息子に胃ろうのチューブを抜く ようにアドバイスした。施設側は,新たに胃ろうのチューブを入れる権限はな いというのである。Gが,兄弟に手伝ってもらってチューブを切断した。その 数分後に施設側がこれを発見し,K夫人を病院に運んだが,Kは,2 008年1月 5日に死亡した。2007年12月21日に検察官は,被告人とG夫人を故殺未遂の作. . LG Fulda, Urteil vom 30. 4. 2009.(Juris Das Rechtsportal に全文収録) 。 ─ ─ 269.
(6) 近畿大学法学 第62巻第3・4号 為犯の共同正犯で起訴した。Gは,地裁で,被告人の助言により回避不可能な 「許容の錯誤」に陥っていたとして無罪を言い渡された。被告人たる弁護士は, 故殺未遂で有罪とされた。. 連邦裁判所は,「被告人の上訴は, すべてにおいて理由がある。 検察官 の上訴は理由なし」として,上告理由および地裁の理由を検討し,無罪の 理由を述べる。. (判旨) まず,緊急避難であるかどうかについて検討し, 「刑法34条に従って緊急避難 の観点から正当化することも,―地裁が結論的に適切に判断したように―,被 告人の侵襲が, ここでは刑法34条の意味における(身体の完全性と自律権に対 する)現在の危難が迫っている人の高位の法益(生命)に向けられているがゆ えに,排除される。刑法35条にいうそれも,また, 『超法規的な』緊急避難の観 点からの責任阻却も同様に排除される」とする。 そして, 「殺人行為の正当化は,ここではその世話をしていたK夫人の子供た ちから主張された患者の意思,すなわち,人工栄養補給を中断し,その続行あ るいは再開をしないという彼女の同意から明らかにされうる」という。 以下, 論旨にそって理由の要点を紹介する。 「地裁は,患者の同意による被告人と共同正犯者の正当化を否定した。その見 解によれば,人工栄養の続行の不作為による,従来の法によって許されたいわ ゆる消極的臨死介助の前提は,与えられていないからである」。 「この見解は,従来,判例と文献において圧倒的に唱えられていた,許された 『消極的』臨死介助ならびに『間接的』臨死介助と,常に禁止された『積極的』 臨死介助との間を区別するという見解に相応する」。 しかし, 「この作為と不作為という外部的現象形態に方向づけられた,当該の ─ ─ 270.
(7) 臨死介助における同一法益主体内の利益衝突について 患者の同意と推定的同意をもって行われた,正当化される死の惹起と違法な死 の惹起の間の区別基準に,当法廷は,こだわらない」。 「したがって,許される『消極的臨死介助』は,従来の通説によるこの区別の 基礎にもとづいて,常に,法的意味における不作為を前提としている。自然的 意味における積極的作為は,それによると常に刑法212条,216条の意味におけ る違法な殺人罪として可罰的である」。 「消極的および積極的行為による,外部的基準による区別は,個別事例の適正 を図るという要請をもって,正しい限界を設定するに適していない。その限界 とは,行為の正当化が,不作為に向けられた,または医療行為の中断に向けら れた患者の意思によって承認されうる限界である。それゆえに,区別するに適 した別の基準が妥当しなければならない。このような基準は,『臨死介助』と 『治療の中断』という概念自体から,そして憲法上の秩序を背景にしての当該の 法益の衡量から引き出されるのである」。 「治療中止の概念に内在する治療関係性と,治療に関する当該人の意思の実現 という基準による区別は,従来の理論的に疑問のある実際にはほとんど実行不 可能な,積極的行為(作為)と消極的行為(不作為)の区別よりも,衡量にお ける当該法益の重要性に妥当性を持たせるに適し, すべての関係人に明確な法 的指針を提供するにより適している」。 「治療に関係する患者の意思の認定にとって重要なのは,当該法益の高い意義 を考慮しなければならない証拠上厳格な基準である。このことは,とくに,過 去に口頭で表明した,書面によるリヴィングウイルがない場合に問題となる」。 「治療の中断の正当化の上述の原則の適用は,患者を治療する意思ならびに世 話人,全権受託者のそれに限らず,第三者の行為にも―その人が,医師,世話 人,その他の全権受託者に治療と世話につき依頼された補助者がそれに従事し ている限り―及びうる。それは,治療の中断が原則として個々の作為や不作為 に尽きるものではなく,事情によっては,治療医自身によって必ずしも実施さ ─ ─ 271.
(8) 近畿大学法学 第62巻第3・4号 れる必要のない,いわばセットになった緩和医療的措置を必要とするからであ る」。. 本判決によって臨死介助の処罰の問題をめぐるドイツの判例実務は,治 療の中止に関する患者の自己決定権の尊重の方向へと大きく踏み出した。 消極的臨死介助に関しては,治療の中止を不作為とみて,これを作為義務 がないなどの論拠によって構成要件該当性を否定して解決する方法から, 大きく,作為・不作為を問わず, 患者の現実的・推定的意思にもとづく 「治療の中止」の適法性の問題としてとらえるアプローチに舵を切ったの である。従来の治療の中断の不作為構成には解釈論上の疑義が絶えなかっ た。例えば,患者に装着された人工心肺機を遮断するのは,いわゆる救助 の方向に向かう因果経過の例 であって,それを遮断するのは,結果の因 果的変更を伴い,明らかに作為である。この理論構成は,装着の開始がな ければ遮断もないわけで,前者が不作為とすると,後者もその延長と考え, あるいは,作為と不作為の区別を「非難の重点」がいずれにあるかという あいまいな基準で判断するため,あえてこれを不作為と解して,臨死介助 を不処罰にするという政策的意図の見え透いた構成である。これを不作為 による「消極的臨死介助」と言い張るのは,婉曲表現(Euphemismus) を 超えて「虚偽表示」である。この判決によって治療の中止の可罰性の問題 が,正面から論じられるようになったのである。しかし,もとより,生命 の絶対的保護を図ってきたドイツ刑法において,個人の自己決定権の尊重 の名のもとに,生命の軽視の風潮が生じ,いわば「ダムの決壊」が生じな いか, 懸念されるところではある。 ドイツ刑法も2 16条において嘱託殺を . これについては,山中」 「不作為と共犯」刑法の争点(西田典之・山口厚・佐 伯仁志編)[2007年]120頁以下参照。 Rosenau, a.a.O., FS f. Van-Saan, S. 556. ─ ─ 272.
(9) 臨死介助における同一法益主体内の利益衝突について. 処罰しており,医師や看護師が,患者の意思のもとづきその嘱託を受けて 殺害した場合には処罰されるからである。そこには,「死の間近に迫った」 同意無能力の患者 に限定して,その推定的同意を正当化する論理が必要 である。そこに,緊急避難論の適用が図れる根拠も存在する。しかし,連 邦裁判所は, 判旨の冒頭で紹介したように, 緊急避難論の適用を否定す る。 判例の流れからいうと時間をさかのぼることになるが,プッツ事件判決 の意義を確認するため,次の判例の事案と判旨の検討によって,さらに論 点を明らからかにしよう。. 2.連邦裁判所1994年9月13日判決(Kemptener Fall) 本件 は,患者の息子と医師が72歳の母親である失外套症( apallisches Syndrom ) の状態にある患者につき,医師の書面による指示で,施設の介. 護員に患者に栄養を与えるのを中止させようとしたが,施設長がこれに疑 問を感じ,介護員が実行しなかったという事案である。この失外套症にあ る患者は,もはや回復不能であることは医学上の診断によれば確実であっ た。この両者の行為は,不作為による故殺未遂にあたるが,正当化されう るかが論点であった。. 216条との関係を論じたものとして,vgl. Rosenau, a.a.O., FS f. Van-Saan, S. 557 ff. 学説の多数は,これに反対であるが,賛成するものとして,vgl. Eidam, GA 2011, S. 2 42. BGHSt 4 0, 2 57. Hans-J rgen Rieger, DMW 1995, S. 57 ff. 本件について詳しく検討した論文として,Reinhard Merkel, T dlicher Behandlungsabbruch und mutma liche Einwilligung bei Patienten im apallischen Syndrom, ZStW 1 07(1995), S. 545 ff. なお,Vgl. Tina M ller, Die medizinische Indikation lebenshaltender Ma nahme,2010;Rolf Coeppicus, Behandlungsabbruch, mutma licher Wille und Betreuungsrecht, NJW 1998, S. 3381 ff. ─ ─ 273.
(10) 近畿大学法学 第62巻第3・4号. (事実)1990年10月から被告人医師 T は,老人ホームの医療部に入院していた 70歳の女性E・Sを治療していたが,介護人は,息子の被告人Sであった。E・ Sは,初老期痴呆症に罹患し,アルツハイマーの疑いがあった。1 990年9月に 心臓停止に陥り,蘇生したが,回復不能な脳損傷を受けた。それによって嚥下 不能となり,人工栄養を受けていた。その方式は,途中で経鼻方式から胃ろう 方式に変わった。1990年末から話しかけてもわからなくなった。生体反応はあっ たが,痛みを感じている兆候はなかった。1993年初頭に,医師Tは,SにE・ Sは回復の見込みがないとして,人工栄養を中断して終わらせることを提案し た。医師Tは,Sに,お茶のみを飲ませていると2,3週間で苦しまずに死亡 し,法的にも問題ないと説明した。3月になってSはこれを承諾した。8年か ら10年前に母親は,Sに四肢硬直で床ずれを起こしてベッドに寝ている患者の 姿の映ったテレビを見た後,そのように終わりたくはないと述べていた。そこ で,T医師は,看護師のいる部屋に置いてあった処方箋に次の書き込みを行っ た。 「T医師と話し合った結果,私の母親には,現在の栄養補給のためのビンが 空になった時点(1993年3月5日の時点)で,お茶で栄養を取らせたいと思う」 その書き込みには被告人二人の署名があったが,施設長は,法的に許されるか どうかに疑念を抱き,ケンプテンの区後見裁判所に連絡した。医師Tは,治療 から外れ,他の医師がこれを引き受けた。1 993年12月29日に,E・Sは,肺浮 腫により死亡した。. ケンプテン地裁 は,いわゆる消極的臨死介助の事案ではないとし,被 告人Sおよび T を故殺未遂で有罪とした。消極的臨死介助は,患者の基本 的苦痛が医師の確信によれば不可逆的で,死に至る経過を辿りつつあり, 死が間近に迫っていることを前提とするとし,この段階で初めて死にゆく 者に対する「臨死介助」について語ることが正当化されるとする。この段 . LG Kempten, Urteil vom 8. 3. 1 994. ─ ─ 274.
(11) 臨死介助における同一法益主体内の利益衝突について. 階に至れば,医師に,呼吸,輸血又は人工栄養のような命を永らえる措置 を中止することが許される。しかし,本件ではその段階に至っていないと いうのである。 これに対して連邦裁判所は,「不治の病に侵されもはや決断能力がない 患者においては,治療または措置の中断は,例外的に,死の過程がまだ開 始されていないがゆえに臨死介助に対する連邦医師会によって決議された 指針の前提を充さないときにも許される。決定的なのは,患者の推定的意 思である」として,ケンプテン地裁の判決を破棄し,差し戻した。. (判旨)「本法廷は, 限界事例である本件の特殊事情に鑑みると, 患者が中断 に推定的に同意している限り,例外的に医療ないし措置の中断によって死亡さ せることの許容が初めから排除されるわけではないという見解である。 という のは,このような状況においても,患者の自己決定権は尊重されるべきだから である。その意思に反して,医師の治療は,原則としてその施行を開始されて も,続行されてもならない。地裁は,この観点には着眼しなかった。地裁は, 全体として許される臨死介助の前提を否定したのであり, それに意味を与えな かったからである。このような考察方法は,あまりにも狭すぎる。それは,本 事例の特殊な事情を十分に評価しているとはいえない」。 「決断能力のない患者のそのような推定的同意の認定に対する前提には,―人 間の生命の保護という利益においては―,もとより,事実上の観点からは,厳 格な要件が設定されなければならない。決定的なのは,行為の時点での患者の 推定的意思である。このためには,宗教や,患者の過去の文書や口頭で表明さ わが国における川崎共同病院事件判決(第1審=横浜地判平17・3・25, 第 2審=東京高判平19・2・28,最決平21・12・7刑集63・11・1899)が,これ に似た判示をしている。そこでは, 「回復不可能で死期が切迫している場合にあ たるとはいえない」,また, 「早すぎる治療中止である」といった事情を挙げて, 違法性を減弱させるような事情すらないとした。 ─ ─ 275.
(12) 近畿大学法学 第62巻第3・4号 れた意思も斟酌されるべきである。『客観的基準』, とくに,『合理的』または 『通常』であるという処方に対する判断,患者の利益に沿っていることは,独立 の意味を持たない。それは,個人の仮定的な意思を探求するための手がかりで ありうるにすぎない」。 「必要な注意深い検討に際しても,患者個人の推定的意思の認定に対する具体 的基準が発見されえないときは,一般的価値表象に相当する基準に遡ることが でき,また,そうしなければならない。しかし,その際,謙抑性が必要である。 疑わしいときは,医師や親戚または他の関与者の個人的考慮よりも,人間の生 命の保護が優越する。個別事例において決断は,もちろん,医師の予後がどれ ほど見込み薄か,また,患者が死にどれほど近いかによる。一般的表象によれ ば人間の尊厳に値する生命の回復への期待が少なくなり, 死が間近に迫れば迫 るほど,治療の中断はしやすくなるように思われる」。. 本判決では,T医師とSの不作為による故殺未遂の間接正犯としている 点など,解釈論からして興味深い論点 が他にも示されているが,本稿で は論及を割愛する。ここでは,連邦裁判所の「推定的同意論」による本事 案の解決に対するメルケルの異論 を検討して問題の所在を明らかにした い。 メルケルは,3年間回復不可能な失外套症を患っている患者に人工栄養 を中止した同様の事件につき,イギリスの上院(House of Lord)が1992年 12月9日に,人工栄養補給の中断は,許されているというだけではなく, 法的に要請されている(rechtlich geboten)としたが,ドイツの連邦裁判所 . メルケルは,着手時点については,背後者が,行為仲介者に最後の影響行為 を行うことを決意した時点とし,それを3月1 5日の時点とする点に賛成するが, 不作為による間接正犯の概念については反対する。医師と息子は,作為犯だと いう(Merkel, ZStW 1 07, S. 5 49 ff.)。 Merkel, ZStW 107, S. 545 ff. ─ ─ 276.
(13) 臨死介助における同一法益主体内の利益衝突について. の見解と比べると, そこには「倫理」観の違いが表れているという。そ して,まず,連邦裁判所が,治療の中止に対する推定的同意を論じている ことに驚きを隠せないという。推定的同意が必要なのは医療侵襲に対して であって,その中止に対してではないというのである。アメリカの複数の 調査によれば,失外套症患者は,たいていの患者は,生命維持医療に同意 しないし,それを中止してほしいと望んでいるという結果が出ているとい う。連邦裁判所は,治療の継続に対する推定的同意という刑法解釈上優先 すべき問いを定立さえしていないのである。次に,連邦裁判所が,一方で は,推定的同意の「厳格な」要件を立てながら,他方では,正当化される べき措置そのもの,つまり,栄養補給の中止について論じていないのが, さらに驚きであるという。メルケルによれば,連邦裁判所は,たんに「治 療」の中止を論じているのみであるが,栄養補給は,医療なのだろうか。 栄養補給の中止は,病気の進行とは独立した新たな因果経過の設定であり, これが死を導いたというのである。 さて,メルケルの疑問のうちここで重要なのは,本事案の推定的同意構 成に対する異論 である。メルケルによれば,推定的同意の基本理念は, 個人的自律の事実的・法的射程を拡大することである。しかし,確実にそ の自律性を事実上も法的にも二度と保持しえない人間にとってこのような 拡大が説得力をもって構想されうるのであろうか。それが,客観的に現実 的な利益の実現の意味ならば,その決定基準は,個人の意思ではなく, 「緊 急避難」のはずである。 メルケルによれば,これによって,連邦裁判所の理論構成の原則的欠陥 は明らかである。適切な解決法とは,完全に,恒常的に意思無能力であ Merkel, ZStW 107, S. 5 58 ff. Merkel, ZStW 107, S. 563 ff. Merkel, ZStW 107, S. 5 68 ff. ─ ─ 277.
(14) 近畿大学法学 第62巻第3・4号. る患者の場合に典型的に表われる,過去の個人の希望と,現在のないし将 来の利益の間の衝突を反映するものでなければならない。したがって,通 常,必要なのは,衡量である。それを行えるのが,緊急避難論である。 そこで,不作為犯として構成して保障人的義務の問題としたり,規範目的 論を援用する構成要件の次元で解決を図る理論の問題性も明らかになる。 この次元では,患者の利益の衡量ができないからである。 以上のような,臨死介助をめぐる連邦裁判所の推定的同意構成とメルケ ルの緊急避難構成の対立は,両構成の基礎となる「推定的同意論」と「緊 急避難論」の本質にもかかわる論点の一例を示したものである。とくに同 一の法益主体内部の利益衝突の場合について,緊急避難とみることができ るか,それが妥当なのかを以下で考察する。. Ⅲ.問題の前提的考察 同一法益主体内の利益衝突は,被害者の同意や推定的同意によって正当 化される場合には,緊急避難の規定の適用によって正当化する必要はない。 それでは,どのような場合が,被害者の同意ないし推定的同意によって正 当化されない場合に属するかというと, これには3つの事例群がある。 第1に,同意能力が継続的に存在しない場合,第2に,意思に反する行為 の場合,第3に,同意が法的に不可能とされている場合である。. 1.同意能力の継続的・一時的不存在の場合 継続的に同意能力が不存在の場合とは,侵害を受けるのが「子供」の場 Merkel, ZStW 1 07, S. 568. Vgl. J rg L. Schmitz, Rechtfertigender Notstand bei internen Interessenkollisionen, 2013, S. 20 ff. ─ ─ 278.
(15) 臨死介助における同一法益主体内の利益衝突について. 合,ないし,死の病に侵され昏睡状態に陥った患者の場合などである。こ れに対して,「一時的に同意能力が存在しない場合」とは, 例えば, 交通 事故によって,意識不明となり,手術に対する同意が必要な時期に同意無 能力となり,後に回復が可能な事例である。子供が危難にさらされる例と しては,家が火災になり,2階に取り残された5歳の子供を救助すべく消 防士が2階に上がったが,もはや通常の階段を使うこともできず,火の手 が2人のいる窓際まで迫ってきたのでこのままでは2人とも死亡するおそ れがあったため,消防士が地上の消防士の手に落ちるよう,子供を投げ落 としたが,その際,子供が腕に傷を負いつつ,命は救われた場合 が挙げ られる。子供を2階から地上に投げ下ろす際,消防士には傷害罪の未必の 故意が存在するので,この例では,傷害罪の構成要件は充足されている。 これを正当化するには,子供の意思の推定が行われるべきであるが,5歳 の子供には同意能力がない。そこで,同意能力のない者の意思の推定が可 能かどうかが問題となる。一般には,この場合,子供の場合,その法定代 理人である両親の同意が,子供の意思を代弁する。親の同意が,事実上と れない場合には,どのようにすべきかなのかについては,なお問題として 残る。 しかし,同意能力が存在しない者の意思を推定できないかどうかを問い 直すことは不可能ではない。けれども,この場合,その「意思」とは,個 人の主観ではなく,「客観的な意思」となっていることになる。 これに対 しては,「推定的意思」の理念に反するという批判がなされている。 連邦裁判所の判例では,このような状況で,2階から子供を投げ下ろして助 けず,自分だけ脱出した父親に,不作為による故殺罪の客観的成立を認めたが, 故意を否定したものがある(BGH JZ 1 973, 173 f.)。投げ下ろす行為が,違法 ではないかが争われたが,連邦裁判所は,法秩序はこれを否認していないとし た。 Bockelmann, NJW 1961, 945, 949;Merkel, ZStW 107(1995), S. 545, 563 f.. . ─ ─ 279.
(16) 近畿大学法学 第62巻第3・4号. 2. 意思に反する行為の場合 自殺志願者が自殺しようとした際,これを阻止するため,その者の身体 を拘束した者は,逮捕監禁罪の構成要件を充足する。この阻止行為は正当 化されうるか。自殺が違法行為であるとすれば,これを阻止することは違 法ではない。自殺については,わが国では同意殺や嘱託殺ないし自殺教唆・ 幇助が現行刑法において可罰的であるため,これを正当とするのは困難で あるともいえる。しかし,自傷行為の阻止となると,正当化は難しい。例 えば,自らの腕を切り落とそうとする者の行為を力ずくで阻止した者は, 強要罪の構成要件を充足するが,その行為の違法性が否定されるかは疑問 である。他人に腕を切り落としてもらうのは,違法と言えても,自分の自 由な意思で自分の腕を切断する行為を直ちに違法とは言えず,したがって これを阻止する行為が直ちに適法とは言い難いからである。この事例群に あっては,先の事例群と異なり,自殺志願者ないし自傷行為者の「意思」 は明らかであり,推定的意思は,むしろ,死亡や傷害を望むものであると 認められる。そうだとすると,同意論や推定的同意論では正当化できない。 そこで,このような事案に緊急避難規定を適用できないかが問われること になる。肯定説は,緊急避難は,避難を受ける者,避難行為によって侵害 を受ける者の意思に原則として無関係に成立しうることを根拠に,自殺の 事例では,生命という(本質的に)優越的利益をもつ法益を救うために,身 体の完全性ないし身体の自由を奪うことは,許されるというのである。こ れに対して,否定説は,同一法益主体内の法益対立には適用できないとし, その当事者の自己決定権を尊重すべきだとする。これによると,自殺志願 者の自由な自己決定が優先し,行為者の阻止行為を正当化できないという 結論となる。もとより,その自殺が,自由な自己責任による決断によるも のではなく,精神的な異常状態に起因するものであったり, 何等かのア ピール・抗議のためであったりしたような場合には,「自由答責的な決断」 ─ ─ 280.
(17) 臨死介助における同一法益主体内の利益衝突について. による「死」ではないので,推定的同意が働くというのである。. 3.同意の法的に不可能な場合 これは,死亡に対する同意など,法益の処分が法的に不可とされている 場合を指す。わが国においては,同意殺人は,殺人の減軽類型として可罰 的であるが,生命の処分が,自己決定権に含まれていれば,生命の保護を 放棄した場合に,殺害行為を可罰的とする必要はない。問題となるのは, いわゆる「消極的臨死介助(安楽死)」である。死の病に侵されて死が間近 に迫っている患者に対して,人工栄養補給や人工心肺機の装着によって延 命措置を図ることができるが,それをしないで自然の因果の流れに委ねて 死に至らせる場合,あるいは,人工心肺器の装着などの延命措置がすでに とられているが,それを外す場合,これを作為ではなく「不作為」とみて, これらを消極的臨死介助とし,それを不可罰とするのが,一般であった。 この場合,患者は,意思疎通できない状態であるので,もとより患者の同 意や推定的同意は,適用できない。そこで,これを緊急避難規定の適用に よって正当化しようとされているのである。 ちなみに,わが国においては,生命の短縮を付随的に生じる安楽死につ いては,これを間接的安楽死とし,それを施した医師の行為を正当化ない し責任阻却するのが一般である。例えば,死苦から逃れるために死期を早 める苦痛緩和剤を所望し,それを注射した医師については,死に対する同 意は無効であるので,同意や推定的同意があるがゆえにのみその行為が正 当化されるわけではない。そうだとすると,別の正当化事由を用いて,な いし複数の正当化事由を併用して正当化するしかない。間接的臨死介助に ついては,患者が意識不明に陥り,事前の意思表示もなかった場合もあり. . Schmitz, a.a.o., S. 2 7. ─ ─ 281.
(18) 近畿大学法学 第62巻第3・4号. うるが,そのような場合には,これを施した医師には,緊急避難規定(37 条) の適用が考えられる。しかし,わが国では,むしろ,このような安楽. 死の場合を特殊な類型として,親族の同意その他の要件をも課して正当化 ないし責任阻却するという方法がとられ,直ちに緊急避難規定の適用によ り正当化するという方法はとられていない。 ドイツにおいては,従来は,消極的臨死介助は,装着された人工心肺機 を取り外しても,これを「不作為」と解して,作為義務を否定して,構成 要件該当性を否定するという構成が判例・学説 においてとられていた。 患者が,医師に治療の着手を拒否した場合,その意思は,その自己決定権 の表れとして尊重され,しかもドイツ刑法223条の傷害罪により処罰に値 する,医師の医療侵襲の続行の禁止に反するとされた。医師による治療の 続行が違法であるとすると,それを行わないことが,不作為による作為義 務の内容となるわけがない。 このようにして不作為犯構成をとることに よって構成要件該当性を否定できるというのが,従来の判例の立場であっ た。 消極的臨死介助は,さらに,緊急避難規定によって正当化された。患者 の利益は,苦痛を終わらせることであり,それは,生の続行の利益と衝突・ 対立する。通常は,生命という本来衡量できない利益が本質的に優越する が, 例外的に消極的臨死介助の場合,逆転するというのである。 死期を 早める苦痛緩和剤を投与する間接的臨死介助に関しては,患者の同意を得 て行われるが,死亡については未必の故意は認められる。ドイツでも, . 学説の一部は,これを作為の場合にも肯定し,この患者のための医師の行為 は,殺人罪の規範目的に反するものではないと主張していた(J hnke, LK-StGB, Vor §2 11 Rn. 16 usw.) 。 Vgl. Mitsch, Nankucket Sleighride- Der Tod des Matrosen Owen Coffin, in:Festschrift f r Weber, S. 49, 61 ff. Vgl. Schmitz, a.a.O., S. 2 9 f. 医師が,明示の同意ないし推定的同意がある患者の意思にしたがった鎮痛剤 の投与によって死期を早めた事案に,意図的ではないが,未必的な故意による ─ ─ 282.
(19) 臨死介助における同一法益主体内の利益衝突について. 嘱託殺(216条)は処罰されているので,上記の行為はこれに該当する。こ れについても,殺人罪の規範の保護範囲の外にある とし,また,苦痛緩 和が,行為者の中で主観的に優越している場合,故意を否定する などの 学説はあるが,説得力に欠ける。 これまでの通説は,34条の緊急避難に よる正当化を主張する。この場合も,生命という法益に例外的に「人間の 尊厳を伴う死」が本質的に優越するというのである。. Ⅳ.推定的同意の適用に関する考察. ここで重要なのは,患者が若年の子供であったり,意識不明のため等に より同意能力を失っている場合に推定的同意が働かないというテーゼの検 討である。その前提として,推定的同意における「同意」は,構成要件該 当行為時の同意であること,そしてその同意が推定される兆候として,過 去の被害者のその時点での意思表示や言動などを資料にして現在の意思が 推定される。このことを前提として,これを一時的同意無能力の場合と継 続的同意無能力の場合とに分けて考察しよう。. 不可避の付随効果が,死亡の結果を促進したことによって,それが許されない というわけではないとした連邦裁判所1996年11月15日の判決(BGHSt42,301) の事案がある。 Ralf Ingelfinger, Grundlagen und Grenzbereiche des T tungsverbots, 2004, S. 273;ders., Patientenautonomie und Strafrecht bei der Sterbebegleitung, JZ 2 006, S. 821, 824. Engisch, Aufkl rung und Sterbehilfe bei Krebs in rechtlicher Sicht, in:Festschrift f r Bockelmann, 1979, S. 5 19, 532 f. 消極的ないし間接的臨死介助に緊急避難規定を適用するという考え方を積 極的臨死介助にも適用するという見解も唱えられている( Herzberg, Der Fall Hackethal: Strafbare T tung auf Verlangen? NJW 1 986, S. 1639.) ─ ─ 283.
(20) 近畿大学法学 第62巻第3・4号. 1.一時的同意無能力 一時的に同意無能力の状態にある者の現在の意思は,過去の意思表示や 言動を兆候として推定されるほかない。したがって,その兆候を見出す手 がかりがまったくない場合には,推定は働かない。交通事故で重傷を負っ て意識不明に陥った被害者が,病院に運び込まれ手術を必要とすると診断 されたが,その名前も身元もわからない場合がその例である。この場合, 医師は,患者の主観的意思を探る手がかりがない。連邦裁判所は,この場 合,いわば客観的に認定される意思を基準とするとしている。先の連邦裁 判所の判例は,「必要な慎重な検討を行っても, 具体的事情が, 患者個人 の推定的意思の認定に有利なものが見出せないなら,一般的価値表象に相 応する基準に遡ることができ,遡らなければならない」という。 この場 合,例外として,客観的・外部的に判断される意思でよいというのである。 連邦裁判所によれば,個人の主観的意思を推定するに十分な手がかりが見 いだせないが,それ自体で意思を推定することはできない個別のヒントが 与えられているという場合,「客観的価値表象」は,独立の意義はもたな いが, 補充的・追加的兆候として援用されうるというのである。 個人の 意思を推定される兆候がまったくないとき,個人の意思を推定するには, 客観的価値表象を手掛かりにするほかないというのは,学説においても広 く支持されている見解 である。 しかし,この見解に対しては,推定的同意はあくまで個人の自己決定権 を尊重するという基本的立場に立つという出発点に反するという批判がな されている。それは,客観的もはや法益衡量を基準とする緊急避難の領域 に突入してしまっているというのである。ここで重要なのは,原則的に個 Schmitz, a.a.O., S. 8 5. BGHSt 4 0, 263. BGHSt 3 5, 249 f.;BGHSt 45, 221. Vgl. Schmitz, a.a.O., S. 8 6. Vgl. Schmitz, a.a.O., S. 8 6 Fn. 1 10. ─ ─ 284.
(21) 臨死介助における同一法益主体内の利益衝突について. 人の意思を重視するアプローチからから出発し,推定的同意に異質な客観 的判断基準をある意味で主観的意思の名目を守るために補助的に入れるか . , 推定的同意の趣旨に合わない実質的には客観的衡量と判断されうる事. 例を緊急避難のカテゴリーに入れるかという判断である。. 2.継続的同意無能力 失外套症患者は,同意能力を欠き回復不能であるが,その場合,ドイツ では, 民法1896条により任命された世話人によって同意が行われる(民法 1903条1項) 。世話人がいないときや,連絡がつかないとき,民法1908条の. 第1項,1846条により,緊急の必要性により後見裁判所の決定を得るこ とができないとき,同意無能力者の推定的同意によるべきである。ケンプ テン事件においても,このような状態で,以前の患者の意思表示や確信に 従って患者の意思が推定された。しかし,上ですでに紹介したように,メ ルケルによれば,このような場合,内心を推し量ることはできず,過去の 意思表示などから,現在の意思を探ることによっても,その意思内容を明 確にすることはできない。 それができるというなら, 死者の意思を推定 することもできると批判するのである。メルケルによれば,したがって, 緊急避難規定の適用により客観的な利益衡量を行うのが正しい方法という ことになる。しかし,学説においては,行為の時点で事実上存在した被害 者の内心の状態を突き止めるのではないと解している。緊急状態で病院に 運び込まれた人は,実際には,過去にこのような状況に陥ったときのこと を考えたこともないことが多い。 そこで,シュミッツによれば,「被害者 がどのような意思を,以前に表明することなく,事実としてもっていたか . Neumann, NK-StGB §3 4 Rn. 20, 3 3;Roxin, ligung, in:Festschrift f r Welzel, S. 451. Merkel, ZStW 107, S. 565. ─ ─ 285. ber die mutma liche Einwil-.
(22) 近畿大学法学 第62巻第3・4号. について推定することが重要なのではなく,被疑者が,いかなる決断を具 体的な状況においてその時にするかについて推定することが重要なのであ る」。 さらに,「現在同意不能状態にあるものが,その能力を回復した後 に,侵襲に同意したかどうかが決定的でもありえない。1つには,後の意 思は,将来の事情が少なくとも影響しており,可罰性を認定するに必要な 行為の時に存在した事情によるのではないからであり,2つ目には,違法 性判断にとっては,事後の承諾は重要性をもたないからである」 。メルケ. ルのいう,個人の意思が経年と状況によって変化することを考慮できない という批判についても,ここで客観的意思が基準となるなら,その場合, 客観的意思を推定すればよいことになる。死者の意思が推定されることは, 臓器移植などでもすでに認められている。 同意能力をもったこともない新生児や幼児について医療侵襲が必要なと き,原則として代理人の同意による。問題は,代理人の同意が,緊急を要 するため,取ることができない場合である。ここでも推定的同意が働くと の見解に対し,メルケルは,このような推定は,主観的な意思をもったこ とのない者の意思を推定するもので,「白紙の思惑」であるばかりではな く, 「概念上不可能」でもあると批判する。しかし,この場合,法定代理 人の同意を取ることができないなどの事情があるときには,一般には,法 定代理人の意思を推定するものとされている。 法定代理人は, その権利 を行使できない状況にある場合でも,法定代理人としての処分権限者にと どまり,その意思は,侵襲の適法性の判断につき基準となる。法定代理人 ―たいていはその両親であるが―は,子供の幸福の範囲内で処分すること . Vgl. Schmitz, a.a.O., S. 8 9 f. Vgl. Schmitz, a.a.O., S. 9 0. Vgl. Merkel, ZStW 107, S. 564. Schmitz, a.a.O., S. 92;Eng nder, Die Anwendbarkeit von §34 StGB auf intrapersonale Interessenkollisionen, in:GA 2010, S. 24. ─ ─ 286.
(23) 臨死介助における同一法益主体内の利益衝突について. になるので,その意思を推定することは,合理的である。. Ⅴ.緊急避難規定の適用に関する学説. 1.学説の状況 圧倒的多数説は,同意や推定的同意とならんで,正当化的緊急避難規定 を適用できるとする。同一法益主体内の法益対立であっても,正当化的緊 急避難規定の適用は可能とするのが多数である。同意が本人によって適法 に拒否された場合,正当化的緊急避難においても,自己決定権が優先する と考えられている。その他の見解は,内部的法益対立の場合であっても, 正当化的緊急避難規定の適用は妨げられないという見解である。同意が明 示的に拒否されたとき,正当化的緊急避難規定の適用はできないというの が,通説であるが,そうでない場合には,当事者の意思とは無関係に適用 できる。もちろん,同意や推定的同意が可能な場合には,それによればよ いので,正当化的緊急避難規定の適用は問題にならない。したがって,こ の問題が現実性を帯びるのは,同意能力がないか,または,推定的同意が 働かないとされている場合である。 さらに,ドイツ刑法34条の規定にもとづいて,他人の利益のために避難 行為を行ったとき,正当化されるのであれば,自分自身の利益のために別 の自分の利益を守るための行為が,正当でないわけはないという論証 も 展開されている。 少数説は,同一法益主体内部の利益衝突の事例に正当化的緊急避難規定 は適用できないとする。 しかし, この少数説も, 同意が事実的・法的に . Erst -Recht -Schluss と呼ばれるものである。Vgl. Rosenau, a.a.O., in:FS f r Rissing-Van-Saan, S. 560. Neumann, NK-StGB §3 4 Rn. 32;Erb, MK-StGB §3 4 Rn. 32 ff. ─ ─ 287.
(24) 近畿大学法学 第62巻第3・4号. 存在しえないときには,緊急避難規定の適用を例外的に認めるので,その 限りでは多数説と結論的には変わらない。しかし,この少数説は,一時的 な同意無能力の状態にある者には,推定的同意を認めるので正当化的緊急 避難規定の適用を不要とするという違いがある。 その他,先に紹介した2010年の連邦裁判所(第2刑事部)の判決では,内 部的利益対立の場合には,緊急避難規定は一般的に適用できないとするが, このように,完全にその適用を否定する見解も唱えられている。. 2.同一法益主体間の緊急避難規定適用を否定する見解 現実の同意ないし推定的同意が同意無能力によって正当化機能を果たさ ないとき,緊急避難規定が適用できるという見解は,緊急避難は,自己決 定権という限界を超えることはできないというテーゼによって否定されて いる。当事者に,自己決定の権限が与えられていないところで,それを緊 急避難規定(ドイツ刑法34条)の適用によって侵害することは許されないと いうのである。例えばドイツ刑法2 16条の嘱託殺人の処罰規定は, 法が, 処分を禁止すると規定している。このことは,法は,ほかでは尊重を要す る自律的決断機能を,自己の生命の処分については奪っているということ を意味する。自律性原則という制約原理が,当事者の主観的な決断はその 制約を超えた領域では法的に考慮されないという結論に導くことになると いうのである。このことは,つまり,自己決定権が法的に制約され,例 えば,生命という法益を放棄できないという場合には,それを緊急避難規 定の適用によって迂回して正当化し,結局,それによって行為者の侵害の 可能性を拡大することは許されないというのである。 Schmitz, a.a.O., S. 1 30 f. Neumann, NK-StGB §3 4 Rn. 35. この場合,刑法3 4条は,正当化の可能性の 限界を拡大することにのみ役立てられていることになるというのである。Vgl. Schmitz, a.a.O., S. 1 31. ─ ─ 288.
(25) 臨死介助における同一法益主体内の利益衝突について. 3.緊急避難の正当化原理からの論証 緊急避難の正当化原理については,従来から,目的説と利益ないし法益 衡量説とが知られている。ドイツでは,その他,緊急避難は,社会全体の 観点からみて社会にとって有益な場合に正当化されるという「功利主義的 正当化理論」 も唱えられている。 これについては, 以下で簡潔に検討す る。 その他に,最近,注目される緊急避難の正当化理論として,「連帯原 理」を,とくに攻撃的緊急避難 の被攻撃者の受忍義務からの正当化とし て用いる理論 がある。同一法益主体内の利益衝突の問題に関係する限り で,この学説を若干詳しく検討しよう。 1)功利主義的正当化理論 違法性は,個人の利益の観点ではなく,社会全体の構成部分として判断 されるものである。そのような社会の構成部分の2つの個人の利益が対立 するとき,どちらを優先させるのが社会全体の差引勘定として有益なのか が検討されるべきである。この見解からも,同一法益主体内部の利益衝突 に緊急避難規定の適用を排除しない。個人内部のより価値の高い事項を優 先させることが,社会の全体構成に価値をもたらすのであり,それがひい ては個人の高い利益を優先させることになるというのである。 Hruschka, Strafrecht nach logisch-analysischer Methode, 2. Aufl., 1988, S. 112 ff.;ders., Rettungspflichten in Notstandssituationen, JuS 1979, S. 388 ff.;Joerden, §34 Satz 2 StGB und das Prinzip der Verallgemeinung, GA 1991, S. 414;ders., Interessenabw gung im rechtfertigenden Notstand bei mehr als einem Eingriffsopfer, GA 1993, S. 2 47. 防衛的緊急避難には,連帯原理が妥当しない(Engl nder, GA 2 010, S. 21.) 。 これについては,vgl. Engl nder, Grund und Grenzen der Nothilfe,2008,;ders., a.a.O., GA 2010, S. 20;Neumann, Sterbehilfe im rechtfertigenden Notstand (34 StGB) , in:Festschrift f r Herzberg, 2008, S. 581;Knauf, Mutma liche Einwilligung und Stellvertretung bei rztlichen Eingriffen an Einwilligungsunf higen, 2005, S. 84;Renzikowski, Notstand und Notwehr, 1994, S. 196; Schmitz, a.a.O., S. 1 58 ff. ─ ─ 289.
(26) 近畿大学法学 第62巻第3・4号. この見解に対しては,この見解の具体的適用に関して,社会全体の有益 性を実際にどのようにして認定するのかが困難であり,そもそもその「社 会的有益性」の概念自体が不明確であるとの批判がある。社会に有用な価 値は,政治,文化,科学,経済等多岐に渡っており,どの観点から計測す るかによって有益性の基準も価値も異なるからである。原理的には,功利 主義的な根拠づけに対する批判は,個人主義的な観点から,個人の利益を 超えた全体的な有益性の差引勘定を行うことは,法秩序の認めた個人とい う限界を踏み越え,すべての個人を全体の中の利益状況の構成部分として 扱うことになり,個人からその法的地位を奪うことになるというのである。 2)連帯理論 カントの「緊急は命令を知らない」。「それにもかかわらず,不法なもの を適法にする緊急など存在しえない」 という命題。これは,緊急避難が正. 当化原理であることの説明が困難であることを示している。たしかに,緊 急避難行為者に, 避難行為をするなとは命令できない。 しかし, それを 行った場合に,それが,守られた利益が優先するから,正当だというのに は抵抗感がないわけではない。それは,危難行為による侵害の被害者の方 からすれば,いわれなき攻撃を受忍せよといわれるのは,納得しがたいも のがあるからである。 正当化的緊急避難の正当化原理は,現在では「優越的利益」説によると いうのが,ドイツでも日本でも通説である。対立葛藤する利益を相互に利 益衡量を行って優越的利益を救うことでその行為が正当化されるというの である。これを攻撃的緊急避難の場合を例にとって考えると,危難に陥っ た優越する利益を救うために,もう一方の利益を犠牲にしても正当だとい カントの緊急権については,vgl. K hl, Zur rechtsphilosophischen Begr ndung des rechtfertigenden Notstands, Festschrift f r Lenckner, 1998, S. 143 ff., 147;Renzikowski, a.a.O., S. 1 96. ─ ─ 290.
(27) 臨死介助における同一法益主体内の利益衝突について. うのが優越的利益説であるが,ここで,なぜ何も緊急避難行為者に違法な ことをしたわけでもない被害者が,たまたま危難の現場に居合わせただけ で,その攻撃を受忍しなければならず,それに反撃しても正当防衛にもな らないといった立場に置かれるのであろうか。優越的利益説ではそれを説 明できない。それを説明しようとするのが, 「連帯」説である。この連帯 原理ないし連帯義務の観点は,最近のドイツでは,その法思想史的展開の 研究 が増え,また刑法の教科書レベルでも言及され始め,攻撃的緊急避 難のみならず,不救助罪の根拠づけにおいても援用されている。それでは, 連帯原理 とは何か。 正当化的緊急避難の法概念は,ドイツにおいては,最初は1924年のライ ヒスゲリヒトの判例によって超法規的緊急避難として認められ,1975年に なって刑法典に新設されたものである。当初は,この概念に対しては, 「法 律の威厳」ないし「法秩序の権威」を損なうものであるといった批判 が . これについて,vgl. Neumann, Die rechtsethische Begr ndung des rechtsfertigenden Notstands auf der Basis von Utilitarismus, Solidarit tsprinzip und Loyalit tsprinzip, in:A.v. Hirsch/U. Neumann/K. Seelmann(Hrsg.), Solidarit t im Strafrecht, 2013, S. 158. 早い時期における総合的研究として,vgl. Andreas Mei ner, Die Interessenabw gungsformel in der Vorschrift ber den rechtfertigenden Notstand(§ 34 StGB) , 1990, S. 129 ff.;Joachim Renzikowski, Notstand und Notwehr, S. 197 f. 法思想史的研究として,vgl. Christian K hl, Freiheit und Solidarit t bei den Notrechten, in:Festschrift f r Hirsch, S.267ff.:Renzikowski, Solidarit t in Notsituationen - Ein historischer berblick von Thomas v. Aquin bis Hegel, in:(v. Hirsch/Neumann/Seelmann(Hirsg.), Solidarit t im Strafrecht, 1 3 ff.:Seelmann, Ideesgeschichte des Solidarit tsbegriffs im Strafrecht, a.a.O., S. 35. 東日本大震災後の言葉でいうなら,さしづめ,これを「絆原理」とでも訳す べきであろうか。しかし,Solidarit t は,伝統的に「連帯」と訳されてきたし, ポーランドの Solidarno c なども「連帯」と訳されているので,ここでも「連 帯原理」という。 Vgl. Maurach, Kritik der Notstandslehre, 1935, S. 80;Neumann, a,a,O. Solidarit t im Strafrecht, S. 157. ─ ─ 291.
(28) 近畿大学法学 第62巻第3・4号. なされた。優越的利益の原則も,なぜ攻撃的緊急避難の被害者がその攻撃 を受忍しなければならないかを根拠づけることはできなかったのである。 ところで,ノイマンによれば,緊急避難における連帯原理は次のように 根拠づけられる。すなわち,優越的利益原則という観点は,規範的原理と してではなく,連帯的受忍義務の基準として,つまり,その前提としての み考慮される。他人の利益が自己のそれを本質的に上回るとき,自己の利 益を状況に応じて差し控えることが,連帯の要請である。この義務は,道 徳的義務 であるだけではなく,法的義務である。この「連帯義務」の 思想は,自己責任の原則こそが自由主義の原則に属するのであるから,リ ベラルな原理の制限につながる。したがって,正当化的緊急避難という法 制度は,自由主義モデルというより,むしろ社会的モデルから発するもの である。 連帯原理の根拠については,様々な理論が展開されている。ここでは, エングレンダーの連帯原理とは,保険と似通った制度であるとの見解 を 見ておこう。エングレンダーによれば,攻撃的緊急避難において,危険回 避行為が許されることで利益を得る者は,その害を受忍する者に反対給付 この問には,ノイマンによれば3つの解答がありうる。第1に,功利主義的 視点からの答え,第2に,連帯原理,第3に,忠誠原理(Loyalit tsprinzip) による答えである。忠誠原理とは,組織としての国家モデルに基づくもので, 「国家に対する市民の忠誠義務を説く見解である。ここでは,連帯原理について のノイマンの見解を検討する(Neumann, a.a.O. in:v. Hirsch/Neumann/Seelmann (Hrsg.), Solidarit t im Strafrecht, S. 1 59, 170 ff.)。 道徳的義務であるとする見解として,vgl. K hl, a.a.O., Festschrift f r Hirsch, 1999, S 259 ff., 264 ff. この原理が,道徳的義務として妥当することは明白であるにしても,なぜそ れが法的義務にまで強められるのかには,疑問が払拭できない(vgl. K per, Von Kant zu Hegel, JZ 2005, S. 1 08.)。 Neumann, a.a.O., Solidarit t im Strafrecht, S. 166. Armin Engl nder, Grund und Grenzen der Nothilfe,2008, S.93;ders., a.a.O., GA 2 010, S. 1 5, 20. ─ ─ 292.
(29) 臨死介助における同一法益主体内の利益衝突について. を提供しなければならない。「反対給付として考慮されるのは,受忍者に, 彼らが危険な目に遭った時に,その法益を救うための同等の侵害権を保障 することである」。もちろん,それは,あらゆる当事者が,今や,場合に よっては第三者を犠牲にすることによって自己の法益を救助することを許 すその利益と,法益に対する他人の侵害から守られていたいというその願 望との間で, 衡量しなければならないということを意味する。「あらゆる 当事者は,救助権限を享受する者でありうるのみならず,犠牲となる者で もありうるということを計算に入れておかなければならないとするなら, その者は,そのゆえに,それによって被る不利益が,受忍しうる程度のも のに限定された侵害権限のみを認めるであろう」 。……「正当防衛状況に おける被攻撃者とは違って緊急避難における受忍義務者は,その自由の放 棄と引き換えに臨まれた反対給付を,つまり,自身の緊急事態において緊 急避難権を獲得する。それによって,あらゆる当事者の立場が,その特別 に重要な法益の保護に対するその関心に関してより良くなるという相互扶 助の保険にも似たルールが重要なのである」 。 これをまとめると,エング レンダーは,他人の緊急避難状態においてその者が助かるために犠牲とな ることは,自分がそのような目にあったときに,今度は,その者が害を受 忍するべきだという相互主義によるのであり,それは保険制度と似ている というのである。 このような根拠づけに対してはもとより批判がある。パヴリークによれ ば,. 連帯義務の考え方は,「交換的正義」の観点に基づき,「互恵主義」. (Reziprozit t)に依拠している。保険制度類似論を展開するには,その前. 提となる保険に参加するという個人の現実の承諾が欠けているから,推定 的承諾(unterstellte Zustimmung)を用いざるをえないが,それを用いるに Engl nder, a.a.O., Grund und Grenzen der Nothilfe, S. 93. Michael Pawlik, Der Rechtfertigende Notstand, 2002, S. 6 5. ─ ─ 293.
(30) 近畿大学法学 第62巻第3・4号. は,参加者全員にとってそれに参加することが利益になるということが前 提になる。しかし,パヴリークの論旨をまとめると,およそ次のようにい う。現実の緊急避難行為者によって被害を受ける者は,自分の法益を守る ことに関心があるにすぎない。実際に相互の承諾を意識する者はいないし, 自分が緊急状態に陥ったときには,他人を犠牲にするのはよしとするが, 自分が侵害を受忍することは拒否するというような輩が多いということで ある。すなわち,現実には,現在の侵害を受けている状態における義務と, 将来自分が侵害者になるという可能性との時間差のある交換関係が成り立 つかどうかが疑問だというのである。 3)内部的利益衝突における連帯原理 連帯原理とは,複数の人物の,絆や団結ないし相互支援の原理を意味す る。したがって,複数の個人間に妥当する原理である。これが,正当化的 緊急避難における害の受忍を根拠づける原理だとすると,同一人格内の利 益衝突の事例には,この原理は妥当しないことになる。そこで,この場合 には,緊急避難条項であるドイツ刑法34条の適用を否定する見解が唱えら れている。ノイマンによれば,この見解は,とくに,2つの論拠に基づく。 第1に,ある人が,特定の自己の利益を他の自己の利益のために犠牲にす るなら,それは,―推測するに―自分自身の中での利益最大化行為であり, いずれにせよ,自律性原理の適用範囲に属し,連帯的な利益放棄とは無関 係な決断である。第2に,複数の当事者間の攻撃的緊急避難の場合には, 衡量される対立利益の優劣の判断には,原則として,裁判官の判断にゆだ ねられる客観的な視点が決定的である。これに対して,内部的利益衝突の 場合には,自己の利益の中でどの利益が優位に立つかは,原則として個人 Pawlik, a.a.O., S.66f. なお,vgl. Engl nder, Grund und Grenzen der Nothilfe, S. 94. Neumann, Festschrift f r Herzberg, S. 581. ─ ─ 294.
(31) 臨死介助における同一法益主体内の利益衝突について. の問題である。客観化された緊急避難のルールに遡ることは,個人の自己 決定権を脅かすことになるというのである。しかし,ノイマンによれば, 臨死介助においては,嘱託があっても,嘱託殺人(ドイツ刑法216条)にあ てはまる。そこで,同意ないし推定的同意だけでは,臨死介助は正当化で きない。嘱託殺が可罰的なのは,軽率にも死のうという人に対するパター ナリズム的な保護の観点によるのであり,「殺人のタブー」の維持の観点 によるのである。この観点からみると,ドイツ刑法34条に立ち返ってそれ を適用して臨死介助を正当化するには,十分な理由があるというのである。 すなわち,「苦痛からの解放に対する当事者の利益が,一般公衆の規範安 定化の利益に本質的に上回るなら,法秩序は,臨死介助の同意のある場合 については,例外的に,嘱託殺の犯罪化による殺人のタブーの確認を放棄 する」 というのである。ノイマンによれば,「緊急避難規定において集合 的法益も,侵害利益として考慮されることは,一般的に承認されている」. のである。このようにノイマンの議論は,本来,同一法益主体内部で対立 している法益衝突が,個人の利益と,それと対立する規範自体を守るとい う一般的利益の対立に組み替えることによって,問題を回避しようとする ものである。また,ノイマンは,規範のパターナリズム的な保護機能とい う観点からも連帯原理によって義務づけられる緊急避難規定を引合いに出 すことができるという。性急に自らの生命を終わらせようとする人を保護 するのも連帯原理の現れだというのである。しかし,利益衡量の結果を熟 考の末にその方向に決断をするものには,法益の自己自身による処分の禁 止が例外的に解かれるのであり,それは,利益衡量を持ち込む緊急避難の 適用によってなされるという。しかし,これは,エングレンダーのいうよ うに,連帯原理とは関係がないというべきであろう。それは,むしろ「個 Neumann, Festschrift f r Herzberg, S. 582. Neumann, Festschrift f r Herzberg, S. 582 f. ─ ─ 295.
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