文学教材と文学研究 (1)
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(2) 卜安房直子﹃鳥﹄−. 文学教材と文学研究︵1︶. Ⅰ 国語科教育における文学教材について、文学研究という立場 から若干の考察を行ってみたい。今回は安房直子の﹃鳥﹄︵﹁海賊﹂. 昭和四十六年六月︶を取り上げる。この作品は現在では教科書. に採用されなくなったが、これまで小学校六年生、後に中学校 一年の教材として採用されてきた︵教育出版S53モH4︶。本箱. でテキストとするのは教育出版の一九九二年度の中一の国語教. 科書である。. −右文書院刊−所収︶を視座︵叩き台︶としたい。田中氏は文. 学教材研究と文学研究とを交差させ、新しい教材論を追求され. ている。本稿もそのような方向を目指すものである。 Ⅱ. 教育出版の ﹃鳥﹄ では、本文に先立って、﹁少女の知った秘. 密とは何か、不思議な想像の世界を味わおう。﹂とある。しかし、. この﹁少女の知った秘密﹂とはいったい何だったのだろうか。 この点が意外にもこれまであまり問題とされず、あえて言えば. 本当の﹁秘密﹂の意味が見落とされていたのではないかと考え. るのである。 田中氏も﹁秘密﹂そのものについては、ほとんど問題にして. ただし、文学研究と国語科教育をことさら区別するような意 図はなく、あくまでも﹃鳥﹄という一つの作品の作品分析をし てみたいということにすぎない。なお筆者は近代文学研究にお. いない。田中氏は作品のプロットの紹介の中で、﹁男の子が実. を知ってしまった。耳の中に入ったこの ﹃ひみつ﹄をとり出し て少年が鳥だったことを忘れよう、そう思って、有名な耳の医. は鳥だったことを少女に告げる。︵中略︶少女は少年の﹃ひみつ﹄. いて、構造主義に基づく読者論・読書論の立場に立っている。 本稿でもこの作品の読みの可能性を追求してみたい。 また、この教材について考察するに当たり、特に田中実氏の ﹁教材の力− ﹃鳥﹄安房直子﹂︵﹃読みのアナーキーを超えて﹄. 1.
(3) 者のところに駆け込んできたのだ。﹂と述べており、﹁ひみつ﹂. ︵﹁﹃鳥﹄論−愛のメルヘンの構造−﹂−田近拘一他編﹃小説教. しまうのだ。. 材の作品論的研究﹄昭弘・5−所収︶. とは﹁男の子が実は鳥だったこと﹂ということになるだろう。 このように﹁秘密﹂をとらえることに異論はなかろう。. てあげるために、丁心に、追いかけていきました。﹂で終わっ. りました。少女の耳の中に、もう一つの、すてきな秘密を入れ. を耳からとろうとしていたのだが、府川氏の指摘はこの海女の. 解けてしまうんだ。﹂と言う。少女はそのためにその﹁秘密﹂. の秘密を、だれか一人でも知ったら、その日のうちに、魔法は. 少年に魔法をかけた海女は、その秘密を少女に告げるとき﹁こ. ていることに注目して次のように述べていることについては、. 言葉通りのように思える。しかし、本当に﹁医者に秘密を漏ら. ただ、さらに田中氏が、作品の最後が﹁耳のお医者さんは走. これまで反対の意見が提出されている。それは﹁ひみつ﹂にか. した﹂. に入れるのである。︵中略︶ この童話のすばらしさはここに. 女の子は二羽のカモメになることで、ようやく愛と自由を手. みつ﹂を告げると読むだろう。作品はここに至り、男の子と. とり出すのではなく、女の子に彼女自身の﹁もうひとつのひ. 読み手は、名医が女の子に追いつき、少年の﹁ひみつ﹂を. する医者の努力は無駄、︵中略︶医者の世界はこの魔法の効. り、気づいたなら、少女の耳から﹁ひみつ﹂を取り出そうと. 者がそれに気づかなかったことは愚か、あるいは不自然であ. れたこと自体が﹁ひみつ﹂がばれたことになるとすれば、医. また医者が少女から﹁ひみつ﹂の話を聞かされて、聞かさ. この府川氏の論に対して、田中氏は次のように反論している。. ことになるのだろうか。. かわるものでもある。. あると私ほ思う。. 医者は魔法の世界の外、詞ば現実の世界の住人として﹁だれ. 力の圏外と考えざるを得ない。. モメであったことを知ってしまった医者は、いやおうなしに現. か一人﹂には入らないものとしている。しかし、この医者は少. 例えば、安藤美紀男氏は、田中氏の読みに反して﹁少女がカ 実にもどらされてしまったことになる。︵中略︶追いつくこと. 女の耳の中に﹁秘密﹂を見つけている。. ︵あれだな、あれが秘密なんだな。︶. でした。. のです。ちょうど、こぶしの花が一輪さいているような感じ. と、うなづきました。確かに、耳の奥に、何かが光っている. ︵はあん。︶. は決してできない。﹂︵﹁安房直子諭 その空想世界の構造﹂−﹁日. 本児童文学﹂昭56・9︶と述べている。また、府川源一郎氏は 次のように述べている。 海女が少女に秘密を話してしまった日の﹁海に日がおちる﹂ 時、少年の魔法が解けてしまうように、少女が医者に秘密を 漏らしてしまった同じ日の夕刻、同時に少女の魔法も解けて. 2.
(4) あたしの耳に、ぴったり口をつけました。そして、たった. ︵中略︶. れている。 さらに、医者は少女の耳の中に海を見る。 ﹁こっちへおいで。とっておきの秘密を話してあげるから。﹂ 本当なのです。少女の耳の中には、確かに潅があるのでし た。真っ青な夏の海と、砂浜とが、ちょうど、小人の国の風 景のように納まっているのです。︵中略︶そう、カモメが一羽、. そのものが開港だったのである。だからこそ少女は医者に﹁秘. 外としなければならなかったのである。要は情報ではなく青葉. 羽を休めているように思える小さいものが、ぼつんと見える ひと言、こう言いました。 ﹁あいつは、鳥なんだよ。﹂ のでした。 このカモメこそが﹁秘密﹂であり、医者はこれを捕まえよう このひと言は、するどいナイフのようになって、あたしの 耳の中でおどりました。あたしは、思わず、片手で耳をふさ としていたのである。少女の耳の中に海を見る医者を、単に﹁魔 ぎ﹂ ま、 した。すると海女は、ひどく意地悪な目をして、なおも 法の効力の圏外﹂にいるとすることはできまい。むしろ、﹁愚か ﹁不自然﹂と言うならば、少女が何の躊躇もなく医者に話をしこんな話をしました。 ていること自体が﹁不自然﹂なことになるのではないか。けれ いったい、少女の言う﹁秘密﹂とは何か。この場面を素直に 読めば、それははっきりとしている。すなわち、海女が言った﹁あ ども、それを﹁不自然﹂と見るのは、逆に読者の側に問題があ るからかもしれないのである。問題は﹁秘密﹂とは何かといういつは、鳥なんだよ。﹂という、﹁たったひと言﹂の言葉こそが﹁秘 密﹂なのである。それは、この時の少女の動揺からもはっきり ことが、自明のことのように捉えられており、﹁秘密﹂そのも と解るのである。また、そのため少女は﹁片手﹂で耳をふさい のを問窺にしていないこと、そのことにあるのではないか。田 中氏にせよ、府川氏にせよ、あたかも﹁秘密﹂は解りきったこでいるのである。しかも、﹁耳の中でおどりました﹂と、あた とのように述べているが、ケこに大きな落とし穴があったのでかも一つのもののように措かれている。少年が鳥であるという 情報ではなく、この海女の言葉それ自体が﹁秘密﹂なのである。 はないか。あえて先に指摘しておけば、﹁秘密﹂を単宜少年が 本当は鳥だったという情報としてのみ捉えてしまっているこ 従来の論では、﹁秘密﹂をその内容として読んでしまい、具 体的な言葉として受け止めていなかったために、医者が知って と、そのことに開港があったのではないかと考えるのである。 しまったことを問題としたり、逆に苦し紛れに医者を魔法の圏 もう一度本文を検討してみなくてはならない。 Ⅲ. 少女が海女から﹁秘密﹂を教えられる場面は次のように書か密﹂を話すのである。さらに、少女は﹁あたしの大好きな人が、. 3.
(5) Ⅳ. 実は鳥なんだっていう話。魔法にかけられたカモメなんだった ということに文学の、はたまた物語の力が現れているのである。 いう話﹂と言っており、少女の語るものがすべて﹁話﹂であって、 そして、この︵言葉の力︶こそ、文学教材を通して生徒たちに ﹁秘密﹂ではないのだ。﹁ちょつと前に、コトンと、耳の中に 伝えるべきものではないだろうか。 落ちたんです。﹂と言うように、﹁秘密﹂はすでに少女の耳の中 にあるのだ。﹁話﹂を医者にしたところで問題はないのである。. 対側の耳の中に入れてあげることによって、少女もまたカモメ. しその﹁秘密﹂が読み落とされがちだとすれば︵読み落とすこ. プロット自体に不自然さや無理がある﹂と指摘しているように、 作品自体にも何らかの問題があると考えられる。けれども、も. そして、末尾で医者が追いかけて少女の耳の中に入れる﹁も ただし、このような﹁秘密﹂の意味の読み落としは、単に読 う一つの、すてきな秘密﹂もまた、﹁きみもまた、鳥なんだよ。﹂者側の責任とばかりは言えないだろう。田中氏も﹁この作品の という言葉でなければならないのである。その言葉を少女の反 に な れ る のである。. 存在する︶、その理由を明確にしておく必要がある。どちらが. とも一つの読書であり、それにはそれを導き出す作品の構造が. 在していることである。そして、その言葉はさらに少女の耳の. ここで注目したいのは、言葉があたかも一個のものとして存 中で、花のようなイメージとなり、あたかも実体化するかのご. で気づかなかったその作品の構造が明らかになるチャンスだと 考えたい。. 正しいかより、どのような構造がどのような読書を生むかの方 が重要である。むしろ読み間違えたと思ったときこそ、それま. とくカモメとなって行くのである。︵ただし、厳密には作品中. の現実の世界でカモメとなった描写はない。少年は少女の耳の 中でカモメになったのであり、少女もいわば作品の外、作品の 読者の中においてカモメに庵るということにおいて同じことな. まずこれが、あの言葉が﹁秘密﹂だったと読みとりにくくして. ﹁なおもこんな話をしました。﹂と、その後に長い説明がある。. 先の引用において、海女が言葉を告げたところで終わらず、. のである。﹃鳥﹄という読者の中のテクストにおいて、二人は. 終わった後でカモメになるのである。ただし、それらはとも.に. カモメへとなっていくのである。︶そこにこそこの作品の魅力が. の詰もまた﹁秘密﹂だったので、そちらに引っ張られてしまっ. り、それは言い換えれば﹁秘密﹂を知ったことにもなる。また. あるのではないか。言葉が生み出す豊かなイメージをまさに実 体として措いているのである。それは言い換えれば、言葉の力 ︵人間の、あるいは鳥の︶運命を変える. たのである。この話は同時に読者にとっては謎解きになってお. 言葉が、主人公たちの. を描いているのだとも言えるのである。さらにはこの話された. いるのである。しかし、厳密にはその先はあくまでも﹁話﹂であっ て、﹁秘密﹂ではない。ただし、読者にとってはこの後の海女. 4.
(6) 同時に事実︵あるいは真実︶を知ったということにもなる。それ. である。﹁秘密﹂と﹁話﹂は別のものとして捉えられている。﹁秘. 情報という対立が成立しながら、それが作品の中で厳密に書き. である。あるいは、作者において、﹁秘密﹂=青葉、﹁話﹂−−内容・. 密﹂とはあくまで海女の言葉そのものであり、﹁話﹂の方こそ が読者を惑わすのである。読者にとっての﹁秘密﹂と作品の中 がこれまで﹁秘密﹂だとされてきたような内容を示すものなの の﹁秘密﹂の意味がずれていると言えるだろう。また、事実は 重要であるという思いこみも読者にはあるだろう。︵事実とい う制度の影響がそこにはある。︶. またそのような少年についての話をした後、海女は次のよう分けられていない可能性もある。そのためにこれまで﹁秘密﹂. この作品の持っている本当の魅力が明らかになっていくのであ. を言葉として捉えずに、海女の語った﹁話﹂の内容として読ま にも言っている。 ところが、もうすぐ魔法が解けるんだ。この秘密を、だれれてきたのだろう。しかし、それでは言葉が一つのもののよう か一人でも知ったら、その日のうちに、魔法は解けてしまうに措かれているこの作品の魅力を見失うことになるのではない か。あくまでも﹁秘密﹂を一つの言落として捉えることによって、 んだ。 ︵中略︶. いて、触れることになるだろう。. もっとも、あんたが今の話を、ケロリと忘れることができる。 なら別だけどね。うでのいい、耳のお医者にでもかけこんで、 Ⅴ 大急ぎで、秘密を取り出してもらえるなら、別だけどね。﹂ この中で特に﹁この秘密を、だれか一人でも知ったら﹂とあ そこで、さらにこの言葉の実体化とも言える、イメージの広 がりについて述べておきたい。﹁不思議な想像の世界を味わお ることが問題である。まず﹁この秘密﹂というのが、それまで う﹂ということである。それはまた現実と幻想の世界について、 の海女の説明・話を指しているように読める。さらに、﹁だれ さらにその架け梼的な存在である﹁耳の医者﹂の持つ意味につ か一人知ったら﹂とあり、﹁知る﹂という言葉が、言葉自体よ りも内容を指しているとも読みとられやすいのである。︵言葉. つかれていました。﹂とある。この疲れていることがこの作品. まず作品の最初で﹁うでのよい﹂医者が﹁このところ、少し、 なら、﹁聞いたら﹂と亭っ方が相応しいと考えられるのである。 ﹁知る﹂と﹁聞く﹂との違いが影響しているのである。︶この部. どのような意味を持つかほ、なかなかはっきりとはしない。 分では﹁秘密﹂の定義が唆昧になっているとも読めるのであるで。 この後、﹁不意に、後ろのカーテンが、しやらんとゆれて、か ただ、﹁話﹂を忘れるために﹁話﹂を取り出すのではなく、あ ん高い声が﹂ひびいて少女が登場する。ここから非現実の世界 くまでも﹁秘密﹂を取り出すことによって、﹁話﹂を忘れるの. 5.
(7) が始まり、作品の最後の方でもう一度カーテンが﹁しゃらん﹂ とゆれて少女は出ていき現実に戻ることになる。ただし、医者 はそこに羽を見つけ少女もまたカモメであることに気づく。す でに少女もまた少年の乗っていたボートに羽を見つけていて、 そのことによって現実と非現実とは重なり合ってしまうのであ る 。 単 純 な額縁小説とは言えない 。 医者は少女の話を聞いた後、その話を疑いもせずに、少女の 耳をのぞく。いや疑いもせずと言うのでは不充分であり、﹁少 女の願いをぜひきいてあげたい﹂と積極的な態度なのである。 医者は最初少女の耳の奥に﹁こぶしの花﹂のようなものを見つ. なつている。︶少女の言葉に窓を見る医者に対して、. ﹁あたしの耳の中よ。ほら、潅があるわ。砂浜があるわ砂浜. 砂の上にカモメになったあの人がいるわ。あの鳥を、早くつ かまえなけりや。﹂. とl育っのである。そして、この言葉に導かれるように、医者. も少女の耳の中に海を見る。. 本当なのです。少女の耳の中には、確かに潅があるのでし. た。︵中略︶そして、その砂浜の上に、さっきの白い花が一輪. いいゝえ、それは、花ではなくて、鳥なのでしょうか。そう、. るのである。ここで確認しておきたいのは、医者が少女の言葉. を発見する。ここですでに一つの青葉であった﹁秘密﹂は、鳥 の比喩でもある一つの花という具体的な存在として見られてい. それは同時に読者もまた医者と一緒に少女の言葉の生み出すイ. 医者は少女の言葉通りのものをそこに見るのである。しかし、. カモメが一羽、羽を休めているようにも思える小さいものが、 ぽつんと見えるのでした。. を疑わないこと、さらに、耳の中に花を見つけてもそれを疑れ. メージを見ることにもなっているのである。小説とは言葉に ょってイメージを生み出すものであるが、その言葉によってイ. ける。そして﹁︵あれだな、あれが秘密なんだな︶﹂と﹁秘密﹂. うこともなく、不思議にさえ思わず、﹁秘密Lとして見ている. メージを生み出すこと、読者が豊かなイメージを持つこと、そ. これは先の少女の言葉の具現化・実体化とも言えるだろう。. ということである。あくまでも耳の医者は少女の言葉を信じて. この言葉から生まれるイメージの豊かさこそがこの作品の魅力. 分の内と外とが繋がっていて、クラインの壷のような存在に. 耳の中を覗き、そこに海を見、鳥を見る。︵ここでの少女は自. に鳥を見る。ここには常識とファンタジーという対照を見るこ. 誰しも耳の中に鳥がいるとは思わない。しかし、その後耳の中. あたかも少女の言葉が魔法の呪文のような役割をしている。さ であることは言うまでもない。また、最初医者が窓を見たこと らに、﹁あっ、鳥だわ。鳥、鳥。﹂と少女は言う。少女は自らの は、鳥がいるという言葉に対して常識的な反応と言えるだろう。. 女の声がする。それによって医者は脱がうまく動かなくなる。. い る の で ある。 れをすでに作品の中で実現しているのである。一つの言葉であ ちょうどその時、﹁ねえ、早くして、早く、早く。﹂と言う少 る﹁秘密﹂が、白い花となり、さらにカモメとなって飛んで行く。. 6.
(8) ともできる。さらに、この医者の反応は読者の反応とも重なる. らはらして作品の先を読もうとするのである。. ことによって、臨場感︵同時性︶が高まることになる。読者はは. それから目を開けた時、お医者さんは、なんと、自分がそ. ほんの二、三秒。. お医者さんは、急に頸がくらくらして、目をつぶりました。. いうよりは、壷中天とでむ呼べる世界である。︶. 今度は少女の耳の中に入ってしまう。︵これはクラインの壷と. ここまでが第二段階の変化である。ここからさらに、医者は. だろう℃読者もまた最初は常識的反応をし、その後想像の世界 に入つていく。さらには、医者が常識的行為をすることによっ て 、 こ の 作品のリアリティが強まる の で あ る 。 また、この引用文の視点にも注意したい。最初は﹁本当なの です。﹂、﹁確かに海があるのでした。﹂と三人称の全知視点のよ うに善かれている。しかし、その後﹁鳥なのでしょうか﹂と全 知ではなく、医者の視点に重なってしまっており、それはその. 一面青い海原。長い長い海岸線。そして、ほんの五メート. 後の﹁思える﹂、﹁見える﹂と医者の視点であることが示される。 の海岸に、ぼつんと立っていることに気づきました。 しかし、途中に﹁そう∼見える﹂はむしろ話者が医者の視点に. 重なって、話者の心情表現のようになっている。つまり、﹁そう﹂ ルほど先に、カモメが一羽、羽を休めていました。 と言っているのがあたかも話者自身のように読めるのである。 ︵中略︶. れることによって、その内容の信憑性が高まるのである。視点. 医者の言葉というよりも、全知の話者の言葉として読者に読ま. に読まれるということである。特に﹁本当です﹂というのが、. とによって、﹁潅が見える﹂ということがまず事実として読者. 鳥なんだよ。﹂という言葉から始まり、さらに﹁あたしの耳の. を生み出したのは、少女の青葉だったのである。﹁あいつは、. かまえそこなってしまう。そして先にも述べたようにこの場面. 少女の耳の中に入った医者は、そこにカモメを見つけるがつ. らりと海へ出ました。. けれど、カモメは、ずんずん高く上がっていき、やがてゆ. は単にどこから見ているかが問題なのではない。どの視点に立. 中よ。ほら潅があるわ。﹂という少女の言葉。それらの言葉が. この視点の推移で注意したいのは、最初に全知の視点で語るこ. つかによって語られる内容の信憑性が変わることが問題なので. ﹁海がある﹂という言葉から、その海の中にはいることができ. 体的なものとして実体化していることを示しているのである。. 魔法が解けることを暗示しているのではなく、まさに言葉が具. 行ってしまう。これは単に﹁秘密﹂は取り出すことができず、. ある。読者がその内容を信じるかどうかということである。﹁本 医者の目の前にいるカモメとなり医者の手をすり抜けて海へと 当です﹂というのが医者の言葉ならば、医者の錯覚ということ が考えられて、読者は信用しないのである。ところがそこで読 者を信用させることにより、その後の場面での語られる内容を 読者む信用するのである。しかも、今度は医者の視点に重ねる. 7.
(9) るのである。. には言葉の持つ力、さらには物語・文学の持つ力が示されてい. れば、どれほど豊かな世界が生み出されることだろうか。ここ. だが。︶結果的に鳥になったことが読者に歓迎されるのであり、. けではない。︵少女は自分が鳥だと知らないのだから当然なの. いるのであり、魔法が解けて鳥に戻れることを歓迎しているわ. は静者・読書のあり方を、すでに作品中で示していると考えら. たことを悲しむことと、まさにその反対の方向において行われ. ことになる。︵ちょうど中島敦の﹃山月記﹄の﹁李徴﹂が虎になっ. 読者には人間よりもカモメであることが幸せとして捉えられる. れるのである。まずなによりも、この医者が常にこの世界を疑. るのである。︶. このように考えるなら、前にも述べたように、この医者は実. わず、むしろ積極的な態度をとるこ七で、この作品を読む読者 も疑わず、積極的な態度をとるのである。そして、具体的なイ. れは幸せなのかという問いも生まれることになる。少女は少女. また、このことは逆にもし耳の医者が﹁秘密﹂を取り出すこ とができたら、少年はカモメになれないことになる。その時そ. の姿勢を作り上げているのである。医者が疑わないように読者 メージを言葉としてではなく、まさに見ているのである。︵現. 無論、﹁ぼぐは、思いきり広いところへ行きたいんだ。﹂という 少年は、完全に人間になりきっているわけではなさそうで、そ. のままで少年もそのままやあったならその方がよかったのか。. う点について、読みの広がりという立場で付け加えておきたい. れは当然不幸ことであることが想像されるのである。とすると、. 代的にはむしろバーチャル・リアリティと言えなくもないが。︶. ことがある。通常の魔法の物語では︵何を持って通常とするの. 最初からこの﹁秘密﹂は取り出せないことになっていたという. さらに作品から離れるようだが、非現実にまつわる魔法とい. か、何らかの客観的データーがあるわけではないが︶、魔法が. ︵1︶. 解けることこそが目的として物語は進むのだが、この作品では. 治せないじゃないか。﹂と、当然医者は少女の﹁秘密﹂という のが、何が耳に入ったかを秘密だと言っていると思ったのであ. この作品の最初のところで、少女に医者が﹁何が入ったんだ ね。﹂と聞くと、﹁あのね、秘密なんです勺﹂と少女が答える場 面がある。この後医者は﹁秘密ってことはないだろう。それじゃ、. Ⅵ. ことになる。医者が疲れていた理由はここにあったのかもしれ ない。. 魔法が解けることが悲劇になるという逆の設定になっている。 それはそもそも、人間が魔法で鳥宣なったのではなく、鳥が魔 法で人間になっているという設定のためである。鳥という自然 に対する人間の干渉の醜さをそこから読みとることもできるだ ろう。またさらには、鳥であることと人であることのどちらが 幸せかという問いすら読みとれるかもしれない。もちろん、も ともと鳥であったのだから、鳥の方がよかったという見方は簡 単にできる。しかし、少女は少年が人間でなくなるのを恐れて. 8.
(10) を作品自体が作品が捷示していたといえるのである。そのこと. 者は青葉の意味の既成概念を捨てて、この作品を読むべきこと. ことめ阻難さがすでにここに示され\ていたのである。ここで読. た。︶﹁秘密﹂というものを、耳に入る一つのものとして捉える. る伏線があった。︵ここにすでに常識とこの作品との対照があっ. る。この青葉の行き違いににすでにこの作品の青葉の意味を巡. ある。︶その上で、ぜひとも生徒たちには、︵青葉の力︶という. この作品は文学教材として相応しいものでもあると言えるので. 作品の中に示されているとも言えるのである。︵その点でも、. 葉を信じることが大事なのだ。それは物語を読むことの基本が. 的に示しているのである。読者は彼に習えばよいのである。青. 本、あるいは読者の代理をしているのである。作品の中で具体. 実際に言葉からイメージの世界を見ることによって、読書の手. ことに気づかせたいと思う。物語においては、一つの言葉が運. に気づかないとこの作品の魅力は理解できないのである。 この作品で言う﹁秘密﹂とは、海女の話した青葉そのもので になったのである。その昔. 命を変えてしまうという︵青葉の力︶、さらに、作品において. ︵事︶. あった。その青の葉が、こと. 豊かにイメージを作り出す︵青葉の力︶、あるいは青葉の不思. 議さに気づかせたいのである。いやそれよりも、カモメを見る. 葉が実体化して花となりカモメとなったのである。まさにそれ こそがこの作品の. ことができれば、それで十分なのだ。そこに何の意味を読もう. ︵秘密︶なのである。青葉を言葉としてのみ. 捉えようとしたり、青葉を論理︵人生論的、遭徳的な論理・主麓︶. 本稿で指摘したことは国語科教育にそのまま結びつくもので. とせず、素直にカモメを見ることができれば、自然と︵青葉の力︶. 下掃えをしたに過ぎないと考えている。これを使ってどのよう. としてだけ捉えようとすると、このような︵秘密︶は見つから. ら出ることができないと、この作品の持つ意味が理解できなく. な授業︵料理︶を作るのか、その点については現場の先生方のご. は伝わるだろうから。. なる。﹁秘密﹂なんていうものが耳に入るものでもないし、取 り出せるものでもないと、無意識のうちに判断してしまうので ある。まさしく常識が邪魔をするのだ。しかし、文学教材はそ. 意見をぜ. ない。特に、ファンタジーといいながら、日常の既成の概念か. のような既成概念を超えるところに授業で取り上げる意味があ. 後で医者は少女になんと言ったと思うか訊ねてみたいと思う。. あるいは、どんな﹁秘密﹂が生徒たちの耳の中にあるのかと。. はないだろう。筆者としては、授業のための教材という材料の. る の で ほ ないか。 また、そのためには何度も繰り返すようだが、ただ素直に作. また、魔法は本当に解けた方がよかったのかどうか、意見をき いてみたいと思うのである虻. 品を読むしかない。イメージをふくらませればよいめである。 といっても、実際の授業においてはそれが一番許しいかもしれ ない。ただ、既に述べてきたように、この作品では耳の医者が. ー. 一. 9.
(11) また、このことは同時に教師自身がどのような﹁集団的属性﹂. を持っているかを自覚する上でも有効である。教師は自分がど. のような価値観で作品に接しているのか常に自己を省みるべき. 注 ︵1︶1ロバート・スコールズは、﹃テクストの読み方と教え方﹄. である。. ■ ︵所島正司訳・岩波書店刊︶において、作品分析を読むこと・.解. 釈・批評という三投階で行うことを提案している。︵これはブ ラウン大学で将来英語の教師、日本でいえば国語の教師を目指 している学生に対しての文学理論について書かれたもの。︶特に. 最後の批評について、﹁私の主張したいのはまさしく、文学的 あるいは言語的なテクストとわれわれの生jる社会というテク ストのあいだに、通路を切り開かなければならないということ だ。﹂と述べており、テクストを社会的に開くことを主張して いる。あるいはまた、次のようにも逓べている。. 小説の教師のだい七な働きのひ上っ彗学生たちが、小説 のテクストに措かれている典型的な人物や状況をつうtて、 自分の集合的属性、集団あるいは階級としでの利害を確認す る手助けをすることでなければならない。. 人間は常に人間中心的に考えがちである。そして、・そのこと になか凄か気づかない。魔法は解けた方がよいのか悪いのか、 人間とカモメとどちらがよいのか。そのような問いは日頃無意 識に人間中心に考えてしまう、人間という﹁集合的属性﹂、人 間としての﹁利害﹂を確認することに役立つだろう。自分たち の価値観を小説を読むことによって確認し、再認識する、ある いは新たな価値観を身につけること︵人間よりカモメの方がす ばらしい︶、それが小説を読むことの一つの意味なのである。. −10−.
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