江戸期婚礼献立にみる現代の郷土料理
The Present-day Local Cuisine as Presented in Edo Period Bridal Menus
津田
和加子
*
Wakako Tsuda
The purpose of this study is to discover some factors of local cuisine which have remained even to the present. The re-searcher referred to three wedding menus of the end of Edo period (1827–1852) which had been kept in a family of distinc-tion in northern Nakadori, Fukushima Prefecture. The research was made regarding the menus which have been handed down to the present. They are “Tsuto Tofu” in Aizu, Fukushima Prefecture, “Mukuri Buna” in Okitama, Yamagata Prefec-ture, and “Keiran” of the ancient Nanbu Clan in Iwate Prefecture. “Kanjikikurumi” was not identified as to whether it origi-nally belonged to Miyagi Prefecture or Niigata Prefecture. This can be seen clearly elements to pass on local cuisine, (1) in-gredients of cooking (2) deliciousness of cooking (3) new cooking methods (4) extraordinary (5) love and pride of locality (6) find a heart of hospitality.
キーワード:江戸時代 Edo period; 婚礼献立 bridal menus; 郷土料理 local cuisine; 食文化 food culture 1.はじめに 2013年12月に「和食: 日本人の伝統的な食文化」が ユネスコ無形文化遺産として登録されたことにより、和 食文化が注目を集めている。和食が注目されると同時 に、郷土料理・伝統料理も見直され、記録にとどめてお く作業が多方面でみられるようになった1–3)。これまで の郷土料理に関する研究では、地理的分布4)や鮫5)、エ イ6)、ごぼう7)、丹後ばらずし8)といった特色ある食材 や料理を取り上げ、歴史や地域的な分布から考察したも のがある。また、郷土料理に対する一般大学生の意識調 査9)をはじめ、学校給食10)や幼少期の食体験11,12)など 伝承に及ぼす条件を考察したものがあった。 本研究は、これまでにあまり取り上げられることのな かった福島県の江戸期婚礼献立にみられる料理の数点 が、現在、他地域に伝えられている郷土料理であること に着目して検討を行ったものである。 当時の食生活を知る資料が限られている中で、婚礼献 立が旧家に大切に保管されており、貴重な資料となって いる。この婚礼献立の中に、山形県置賜地方の「むくり 鮒」、福島県会津地方の「つと豆腐」、旧南部藩にみられ る「けいらん」、そして「かんじきくるみ」など、現在 それぞれの地域の郷土料理として定着している料理が含 まれている。福島県の江戸期婚礼献立の中のこれらの料 理が、他地域の郷土料理として伝承されている要素を洗 い出すことを本研究の目的とした。 2.方 法 堀切家の資料は、福島県歴史資料館「堀切真一郎家文 書」「堀切三郎家文書」、福島県立博物館「堀切家寄託資 料」の3つに分けて収蔵されている。その中から、婚礼 献立に関係する人頭送状や関連する書状を資料とした。 「堀切三郎家文書」は、新宅に出たときに引き継がれた 文書で、婚礼献立の他、進上目録、家内・親類書を含ん でいる。16代真一郎が没した後、資料の多くが福島県 立博物館に寄託されたが、その中から主に「祝儀受納 帳」を資料として使用した。 郷土料理と一般的料理との線引きは困難であるが、 『日本の食生活全集』13)は参考になる。今回は、際立っ た特徴を持つという基準で、「郷土料理」として「むく り鮒」「つと豆腐」「かんじきくるみ」「けいらん」を取 り上げた。 3.結果および考察 (1)堀切家 堀切家は、福島県中通り地方北部福島市飯坂町に位置 す る。 そ の 歴 史 は 古 く、 安 土 桃 山 時 代 の 天 正6年 (1578)に始まる14)。飯坂が白河藩の分領であった寛保 2年(1742)に7代善兵衛治美は、白河藩主松平定賢よ り苗字帯刀と大庄屋格を与えられ、その後も同様の待遇 を受けた。寛政12年(1800)には、松平定信が堀切家 を訪れている。堀切家の経営は多岐にわたり、取引先も 江戸・岩手南部・山形最上・相馬・新潟と広範囲であっ た15)。近代になってもその地位はゆるぎなく、15代堀 切善兵衛(1882–1946)は、慶応義塾を卒業後、ハー * 桜の聖母短期大学生活科学科
バード大学・ケンブリッジ大学で学び、帰国後は母校で 教鞭を執った。その後、衆議院議員となり、大蔵政務次 官・駐イタリア大使を務めた16)。善兵衛の弟、善次郎 (1884–1979)は東京大学卒業後、内務省に入り、神奈 川県知事・東京市長・内務大臣を歴任している16)。 今回、取り上げた献立と人物は表1・表2の通りであ る。後に当主となる人物の婚礼は、三の膳まで出されて いた。表1により、結婚相手の出身地について述べてい く。献立Aは、当時九州の柳川藩の枝封であった下手 渡藩御代田村(現伊達市月館町御代田)の関根与惣左衛 門の娘ことである17)。それ以上の資料はみあたらない が、庄屋格の家であったと考えられる。御代田村は、阿 武隈高地の入口にあたる村で下手渡藩の領地の中では広 い耕地を有している。献立Bの油井平四郎は、福島城下 本町の御用達商人である。花嫁のふさは、献立A治之 の姉にあたる。献立Cのりつは、伊達藩伊具郡耕野村 (現宮城県伊具郡丸森町耕野)の士族、谷津第輔の娘で ある。当時の耕野村は、阿武隈川の沼上河岸が設けられ た地18)で、年貢米の輸送拠点のひとつであった。また、 堀切家は大名貸しをしており15)、伊達藩の古内家(岩沼 城主)、同石川家(角田城主)も含まれ、この地域の知 行書を受け取っている。堀切家は、伊達藩の阿武隈川下 流地域との交流も盛んであった。後に、治宣・りつの娘 婿になる湯村良平の出身地は、角田(現宮城県角田市) である。 (2)婚礼献立にみる郷土料理 上記3件の献立に用いられている料理の中から「むく り鮒」「つと豆腐」「かんじきくるみ」「けいらん」とい う近隣県に残されている郷土料理を取り上げる。取り上 表1 堀切家の献立と人物 献立 和暦 西暦 人物と膳組 備 考 A 文政10年 1827年10月 11代目 三郎左衛門治之 妻: こと(16歳) ことは、下手渡藩御代田村(現伊達市月舘町) 関根与惣左衛門の娘 三汁共七菜 B 文政11年 1828年11月 善兵衛次女ふさ(28歳)再婚 夫: 油井平四郎 ふさは、治之の姉 油井平四郎は、福島城下(現福島市) 御用達商人 二汁共五菜 C 嘉永5年 1852年10月 12代目 太郎左衛門治宣(18歳) 妻: りつ(15歳) りつは、伊達藩伊具郡耕野村(現宮城県丸森町耕野) 谷津第輔(士族)の娘 三汁七菜 表2 堀切家婚礼献立 整理 番号 献立A 献立B 献立C 文政10(1827)年10月15日 三郎左衛門治之11 代目 妻こと 帳とじ 文政11(1828)年11月朔日 善兵衛 二女ふさ 油井平四郎 一紙 嘉永5(1852)年10月 太郎左衛門治宣 12代目 妻りつ 一紙 1 御着座 御着座 御着座 2 三方長熨斗 三方長熨斗 三方長熨斗 3 茶・菓子 茶・菓子 茶・菓子 4 雑煮 雑煮 雑煮 5 酒宴・酒肴(吸物・重の物・丼・硯蓋・吸物・刺 酒宴・酒肴(吸物・取肴・吸物・硯蓋・砂鉢・ 酒宴・酒肴(吸物・沢潟臺・吸物・重の物・丼・ 6 身・大平・兜鉢・吸物・砂鉢・廣蓋・重引・吸 八寸) 砂鉢・硯蓋・吸物・丼・刺身・吸物・硯蓋・砂鉢・ 7 物・砂鉢・鍋焼・引猪口・硯蓋) 本膳(飯・汁・鱠・坪・香の物) 丼・吸物・砂鉢・蒲焼・刺身・吸物・硯蓋・砂鉢・ 8 本膳(御飯・汁・鱠・坪・香の物) 二の膳(汁・中皿・猪口) 水の物) 9 二の膳(汁・すし・猪口) 平・茶碗物・重引・大平 本膳(飯・汁・鱠・千代口・香の物) 10 三の膳(汁・坪・貝敷: はまくり むくり鮒 鱶 八寸・焼物・組盛・湯 二の膳(汁・坪・小皿) 11 小串) 酒宴・酒肴(吸物・取肴・硯蓋・砂鉢・吸物・ 三の膳(汁・壷焼) 12 平・茶碗物・大平・向詰・刺身・組盛 硯蓋・砂鉢・吸物・大平・砂鉢・吸物・引猪口・ 平・茶碗物・大平・向詰・引菜・刺身・組盛・曳 13 酒宴・酒肴(吸物・重引・八寸・御湯・御茶・干 砂鉢・吸物・廣蓋・刺身・丼・水の物) 盛・中酒・後段・八寸・臺引・湯・茶・干菓子 14 菓子・後酒・吸物・重の物: つととふふ 生こん 後段・御持参開 酒宴・酒肴(吸物・砂鉢・硯蓋・煮染・吸物・硯 15 串魚 椎茸 はな鯣・硯蓋・吸物・丼・砂鉢・ (吸物・取肴・硯蓋: ふき にしき玉子 竹わ 蓋・丼・砂鉢・吸物・大平・砂鉢・硯蓋・吸物・ 16 御持参御酒・吸物・砂鉢・硯蓋) かまほこ ふなすずめ焼 かんじきくるみ・丼) 硯蓋・砂鉢・刺身・吸物・茶碗物・水の物) 17 後段・勝手入(吸物・嶋臺・添三方・砂鉢・す 土産 18 し・吸物・硯蓋・砂鉢・水の物) 勝手入(吸物・取肴・砂鉢・丼) 吸物 19 千靏 万亀 茶・菓子 (勝手入)大平(鯛 かたくりめん) 20 千靏 万亀 (後段)鶏卵 21 千靏 万亀
げた条件は、一般的に知られていない料理であること と、「つと豆腐」を除いては、かなり限られた地域に残 されている特徴的な料理であることから選択した。これ らの料理がそれぞれの献立の構成上、どこに位置するか を表2に示した。詳しく述べると以下のようになる。 「むくり鮒」は、献立Aの三の膳に出現するもので、貝 敷(皿)に盛られ、はまぐり・鱶小串と共に供されてい る(A10)。「つととふふ」(つと豆腐)は、後酒に続い て出される重の物の中にある。生こん(にゃく)・串 魚・椎茸・はな鯣と共に記されてあった(A14)。この ことから、煮物にして重箱に詰められた料理であること がわかる。「かんじきくるみ」は、献立B後半の後段に、 ふき・にしき玉子・竹わかまぼこ・ふなすずめ焼と共に 並べられた(B16)ものである。献立Cの「鶏卵」(け いらん)(C20)は、漢字で書かれていたため、生卵で あるかのような錯覚を覚えるが、後段(酒宴の後に出さ れるうどん等)として供された団子の類である。土産と あることから、この料理は持ち帰りを想定して出された 可能性がある。それぞれの料理について、以下に詳しく みていきたい。 1)「むくり鮒」 献立Aは、文政10年(1827)11代目当主となる三郎 左衛門治之のものである。献立Aに鮒が6回出現するが (表3)、その中のひとつが「むくり鮒」(写真1)であ る。福島市周辺は、内陸部にあることから淡水魚の利用 が盛んで、特に献立Aは他の献立に比べて川魚の出現 数が多い。鮒の使用は、A∼Cすべての献立にみられ た。年代は不明であるが、現福島市笹谷(旧下大笹生 村)の名主の婚礼献立にも「むくり鮒」の表記があるこ とから、福島県北部で調理されていたことが確認でき る。 現在、この「むくり鮒」は山形県置賜地方の郷土料理 として存在する19)。「むくり鮒」の作り方は、小鮒を背 開きにした後、素焼きにして油で揚げ、甘辛く甘露煮の ような味付けにしている。「むくる」とは「めくる」の 方言で、小鮒を背開きにしてめくっていることから名付 けられた。献立Aでは、鮒の出現回数が多いことから、 調理法に変化が求められた結果として「むくり鮒」が供 されたと考えられる。 地方紙による「むくり鮒」の紹介に20)、「昔は素揚げ する代わりにいろりで長時間いぶして薫製にする調理法 もあったほか、2度揚げしてカラッと仕上げるなどいろ いろな作り方がある」とある。2度揚げの方は鮒のすず め焼に「油で揚げる」という調理操作が途中に加わった 料理ととらえることができよう。より時代を遡れば、い ろりで素焼きにした後、保存しておいたものを、食べる 時に味付けをした料理と考えられる。 福島市を含む周辺地域を歴史的にみていくと、関ケ原 の戦い後、上杉氏が米沢地方と信夫郡、伊達郡を支配し ている。信達地方(信夫郡と伊達郡を併せた呼称)は、 63年間、米沢藩の知行地であった(表4)。堀切家が 扱った商品の中に、漆や蝋があり、山形・最上からも仕 入れている。当時、米沢藩が参勤交代の際に使用する板 谷街道を物や人が移動した21)。福島市飯坂町と米沢市の 距離を直線にすると、36.5 kmである。途中に峠があ り、険しい道ではあるものの、米沢藩の年貢米もこの街 道を利用しており、阿武隈川福島河岸に御用蔵が設けて あった。米沢の鯉や鮒の養殖は、米沢藩主上杉鷹山 (1751–1822)が奨励したものとして大切にされ、多彩 で特色ある食文化が現在も残されている22)。献立Aが供 された時期は、鷹山が没した直後にあたることから、川 魚料理が盛んであった米沢の料理のひとつ「むくり鮒」 が、信達地方に伝えられた可能性はある。 現在では材料となる小鮒の入手が困難であり、調理加 工にかかる手間から家庭で作られることはまれとなり、 今日では、山形県置賜郡川西町玉庭地区にある玉庭農産 加工センターで製造販売されるだけとなっている19)。 2)つと豆腐 「つととふふ」は、献立Aの重の物に出現するが、他 の献立に「つと豆腐」は出現しない。堀切家の婚礼献立 では、大豆製品は用いられていても、毎回1∼2種類程 度であり、献立Bにはまったくみられなかった。 「つと豆腐」は、広辞苑に「水切りした豆腐をすりつ ぶし、棒状にして、わらづとなどに入れ、固く締めて蒸 したもの。菰(こも)豆腐。」とある23)。『日本の食生活 全集』13)によると山形県と茨城県に「つと豆腐」が、類 似品である「つつ豆腐」が長野県と長崎県に、「こも豆 腐」が岐阜県・愛知県・鳥取県・大分県に、「しめ豆腐」 が、群馬県・東京都・大分県に記されている。『次世代 に伝え継ぐ家庭料理』24)には、福島県と茨城県の「つと 豆腐」のほか、岐阜県・鳥取県の「こも豆腐の煮物」、 和歌山県の「しめ豆腐」が取り上げられている。同書 写真1 「むくり鮒」(筆者撮影2019年2月17日)
「野菜のおかず」の巻には、福島県会津地方の代表的郷 土料理「こづゆ」の中に、西会津町では細めに作った 「つと豆腐」が入ると記載されている25)。 以上のように、「つと豆腐」が日本各地の郷土料理に 食材として残されているが、作り方に関しては、すりつ ぶさず適当な大きさに切ったり、すだれで巻いたり、蒸 す代わりにゆでたりと、少しずつ変化している。 『日本料理由来辞典中』の中に「つと豆腐」は福島県 の郷土料理と紹介され、かつては県内各地で作られたと の記載がある26)。堀切家の献立以外に、江戸期にも「つ と豆腐」を記載する事例がみられた。吉田屋源兵衛覚日 記27)(現相馬市)と守山中町樫村家年中日記28)(現郡山 市)にはいくつかの献立が記載されている。それらの献 立の中から「つと豆腐」を抜き出すと表5のようにな 表4 福島市飯坂町の統治者の変遷 和 暦 西 暦 期 間 統治者 天正19 1591 10年間 会津藩(蒲生) 慶長6 1601 63年間 米沢藩(上杉) 寛文4 1664 6年間 幕府 延宝7 1679 3年間 福島藩(本多) 天和2 1682 4年間 幕府 貞享3 1686 14年間 福島藩(堀田) 元禄13 1700 42年間 幕府 寛保2 1742 69年間 白河藩(松平) 文化8 1811 12年間 幕府(白河藩預かり) 文政6 1823 45年間 白河藩(阿部) 『堀切家寄託資料目録』『福島市史第3巻近世II』より作成 表3 魚介類とすし類出現一覧 種類 A 文政10年10月 計 B 文政11年11月 計 C 嘉永5年10月 計 海魚 あいなめ、鮟鱇、伊勢鯉、金が しら、かねひら、かれい(4)、 黒から、白魚、すずき(2)、す い、鯛(2)、にしん、はい、ひ らめ、ふか 20 鮟鱇、いしもち、金がしら、か れ い(2)、 こ ち、 白 魚、 す ず き、 鯛(7)、 ひ ら め(3)、 ぶ り、ほうぼう 20 いしもち、鮟鱇(3)、金がし ら(2)、 か れ い、 黒 か ら、 白 魚、すずき、鯛(6)、はぜ、ひ らめ(2)、ぶり 20 その他 魚介 鮑(こ(93)、なまこ()、かき、つくもがに、た2)、はまぐり (2) 18 鮑(6)、かき、くらげ、たこ、 なまこ、はまぐり 11 鮑(まこ(7)、くらげ、たこ(2)、はまぐり(2)2)、な 14 練り物 かまぼこ(4)、ちくわかまぼこ (2) 6 かまぼこ(4)、ちくわかまぼこ 5 かまぼこ(6) 6 その他 加工品 (数の子(2)、するめ、ひなこ2)、鰹節、からすみ* 7 数の子(2) 2 数の子(さめすが2)、鰹節、からすみ、 5 川魚 鯉(2)、 鮭(4)、 は や(2)、 鮒(6)、 (にごい) 15 鮭、鮒 2 鮎、うなぎ、鯉、鮭、大鮒 5 川魚 加工品 (うるか、 、塩引(3) 2)、はらこ 7 塩引 1 (2)、塩引 3 不明 魚(2) 2 魚(4) 4 魚(2) 2 魚介計 75 45 55 ◎寿司 蛸のすし、鮭すし(2)、すし、 海苔すし 5 寿し 1 飯すし、鮎のすし、すし、寿し三品 6 注)*煮干し、◎寿司の魚介類は重複表記 表5 「つと豆腐」出現一覧 年代 西暦 場所 出現献立と料理 文政10年 1827 福島飯坂 堀切家 献立つととふふ(重の物)A 10/15 治之婚礼・ 天保3年 1832 郡山守山 樫村家 2/52/11法事・〆とふふ(汁) 歳 祝・ 〆 と ふ ふ(大 平) 〆とふふ(坪) 9/1茸狩・〆とふふ(重) 文久4年 1864 相馬中村 吉田屋 4/9ふ(にしめ)庄三郎婚礼・つととふ 慶応2年 1866 2/17庄次郎婚礼・つとと ふふ(にしめ) 福島県立歴史資料館蔵「堀切三郎家文書」、郡山市歴史資 料 館「守 山 中 町 樫 村 家 文 書 天 保 三 年 年 中 日 記 留」 (1995)、相馬市歴史資料収蔵館蔵「吉田屋源兵衛覚日記」 より作成
る。吉田屋は、相馬藩の御用商人で、源兵衛はその番頭 であった。吉田屋の婚礼献立の料理人は「八巻屋万助」 と記載されている。樫村家は、守山藩陣屋隣りに居を構 える庄屋で、料理は主に、医師の貝原祐碩が当たってい る。樫村家の献立では、「〆とふふ」の表記ではあるが、 畑いもや牛蒡・氷こん・にんじん・するめなどと共に記 載されていることから煮物に用いられた「つと豆腐」で あると推測できる。また、豆腐屋への支払いの記載があ ることから、豆腐を購入して調理したことがわかる。こ の守山藩29)は、守山陣屋のほかにもうひとつ松川陣屋 (現茨城県茨城郡大洗町)を設けており、現在「つと豆 腐」を郷土料理にしている茨城町もかつて守山藩の領地 であったことは、興味深い事実といえよう。 昭和60(1985)年の福島県内の生活改良普及員を対象 にした「つと豆腐」に関する調査によると30)、福島市と 相馬市で、全員が「つと豆腐」の喫食経験や作り方の認 識があることが確認された。しかし、守山藩のあった郡 山市では、その数は半数にとどまっている。これらの地 域では、当時すでに調理している人はいなかった。現在 「つと豆腐」は、主に西会津町や田島町(現南会津町) に残され、家庭で作ることは少なくなり、豆腐屋によっ て製造されているが、冠婚葬祭には欠かせない存在と なっている。西会津町や田島町は、越後街道・下野街道 の重要な宿場町であって31)、西会津町は大山 神社と鳥 追観音の門前町32)であり、田島町は中世以来の古式が 守られており33)、どちらも伝統を重んじる気風の強い土 地柄といえる。こうした気風が、郷土料理の継承に影響 を与えていると考えられる。 「つと豆腐」を郷土料理として取り上げた茨城町の報 告をみると34)、積極的に地域のイベントに参加し、「つ と豆腐」を美味しいと感じる人の方が、「つと豆腐」の 伝承意識が高くなる傾向が認められている。 3)「かんじきくるみ」 献立Bの後段に「かんじきくるみ」が出現している。 文政11年(1828)当時、新発田藩の菓子の入手も、隣 接する伊達藩の菓子文化の導入も可能であったと考えら れる。「かんじきくるみ」の名称と一致しないが、新潟 県新発田市の和菓子店が「くるみがんじき」という菓子 を現在も製造・販売している。くるみを水飴で固めて海 苔で巻き、薄く切ったものである(写真2)。また、宮 城県の「白がんづき」も名称は一致しないが「かんじき くるみ」である可能性があるため、新潟の「がんじき」 と宮城の「がんづき」について、以下に考察する。 ①新潟県「がんじき」の可能性 菓子店・和泉屋の「くるみがんじき」のしおり35)を 要約すると「慶長3年(1593)初代藩主溝口秀勝が、加 賀大聖寺から、六万石で新発田に入封した。それに伴い 多くの菓子職人も移り住み、加賀の菓子文化をもたらす こととなった。そのひとつに、くるみを水飴でつなぎ海 苔で巻いた菓子もあり、慶弔用として武士階級に珍重さ れていた。時を経て、庶民にも知られるところとなっ た。」名称については、くるみを岩に見立て半月形の型 で整えたことから「岩月(がんづき)」と名づけられた が、新潟の方言36)によって「がんじき」になったと伝 えている。くるみを強調した表記から、「がんじきくる み」であった可能性が出てくる。視点を歴史に移すと、 新発田藩は、寛政の改革による村替えを受け、寛政元年 (1789)以降、福島市西部の八島田地区に新発田藩の陣 屋を置いた。その後、分領の支配を強化するため、文政 5年(1822) 9月から文政10年(1827)4月までの間、 通常より多くの奉行とその家族や家来などが移り住んで いた37)。献立Bは、ちょうどその直後にあたっている。 村替えによる食文化の伝播が起こった可能性がある。 江戸後期の料理書『料理調菜 四季献立集』に「岩石 くるみ」が台引に記載されている38)。解説に「こしらえ 方は胡麻寄せと同じ」とあった。漢字の表記から、新潟 の「がんじき」と同系の料理であると考えられる。 堀切家は、新潟から塩を買い入れ、福島まで運んでい る15)。塩の移入路の記録をみると、会津藩と新発田藩の 間で塩と木炭・蝋燭が取引きされている39)。また堀切家 は、山形から漆や蝋を買い入れ、福島に集積した後、江 戸や会津に送っていた。多くの塩問屋は、塩と共に砂糖 も移入した。こうした商業活動によって、新発田の菓子 文化も運ばれた可能性がある。 ②宮城県「がんづき」の可能性 宮城県や岩手県南部といった旧伊達藩の地域では「白 がんづき」「黒がんづき」と2種類が作られている。「白 がんづき」は、「ういろう」のような重量感のある菓子 である(写真3)。「黒がんづき」は、黒糖蒸しパンに似 ており、材料に重曹が欠かせないことから、明治以降の 写真2 新発田市「くるみがんじき」 (筆者撮影2018年6月26日)
新しい時代の菓子であろう。江戸期の「がんづき」は、 「白がんづき」であったと考えられる。その理由を以下 に示す。 大正末期から昭和初期の料理を調査した『聞き書 宮 城の食事』の祝儀膳に「がんづき」が出現する40)。その 供され方を引用すると、酒肴のひとつに「がんづき(小 麦粉の蒸し菓子)と羊かんを添えたはもの焼きもの」が みられる。これに続く本膳には、あわび・栗・れんこ ん・がんづきを主体としたくるみあえが「坪」に出され る。羊かんと共に、はも(あなご41))の焼きものに添え られた「がんづき」は、「白がんづき」であっても「黒 がんづき」であっても成立する。しかし、くるみあえと なると重量感のある「白がんづき」でなければ、あわび や栗・れんこんなどと一緒に用いることが難しい。同書 の婚礼に続く法事の膳には「平」として、しいたけ・れ んこん・くわい・こんにゃく・がんづきにくずあんをか けたものが紹介されている。これらのことから、法事の 膳の「平」の料理は、くずあんをかけても形がある程度 残る硬さを持つ「白がんづき」が用いられたと考えられ る。 宮城の「がんづき」の作り方をみてみると42)、メリケ ン粉(小麦粉)に同量の砂糖に水少々を加えて湯せんで 溶かしたものと塩少々を入れて味をととのえ、混ぜ合わ せる。とろりとしたところで四角い缶に流し、むきぐる みを上にのせる。これをせいろでふかす。上にのせたく るみを、月夜に飛ぶ雁に見立て「がんづき」と名づけら れたという説がある。「がんづき」に加える水の分量は 「少々」とされ、生地が「とろりとした」ところで蒸す という表現から、大正末期から昭和初期は、「白がんづ き」が主流であったと考えられる。 『聞き書 福島の食事』の御祝儀料理の中に「がんじ き」が出現する43)。それを引用すると(一般の婚礼客に は)「〈五つ盛り〉としてのり巻きずし・日の出かまぼ こ・吉次(きんき)の焼きもの・寒天流し・みかん、見 参の方(仲人役)にはこの五つ盛りにゆべし・がんじき などを加え、七つ盛りにする」とある。ここに出てくる 「がんじき」がどのようなものかについて具体的には記 載されていなかった。現在の福島市では、「黒がんづき」 が「がんづき」と「がんじき」の2種類の名で売られて いる。「がんじき」を扱う店のひとつでは、先代が「が んづき」は言いづらいので「がんじき」にしたというエ ピソードを持つ。川上行蔵は、鮫氷の項で「鮫白髪」が 北方の訛りから「さめすらが」となり「さめすが」へと 変化したのではないかと述べている44)。同様に「がんじ き」が「がんづき」へと変化した可能性があり、またそ の逆もありうる。「がんじき」と「がんづき」が異名同 種であるか同名異種であるか判断が難しい。 3)「けいらん」 献立C (表2 C20)の「鶏卵」は、後段として出され ている。江戸料理に「けいらん」があり、『図説江戸料 理辞典』45)には、「卵に似せた団子のことで、慶弔の膳 に載せたのが始まり」とある。団子の中に小豆あんか黒 糖を包んでゆでた後、すまし仕立ての汁に入れる。「け いらん」は、青森県・岩手県・秋田県そして長崎県にみ ることができる。詳しくみると青森県は下北半島東通 村46)、岩手県は遠野47)、秋田県は鹿角市48)と、距離的 には離れているがすべて旧南部藩に属している。長崎県 諫早の「けいらんまんじゅう」49)は、米の粉で作ったま んじゅうを蒸している。加熱方法は異なるが旧南部藩に みられる「けいらん」と「けいらんまんじゅう」は、外 見も内容もほとんど変わらず同一の物とみなすことがで きる。面白いことに同じ長崎の壱岐に残る「けいら ん」50)は、竹筒状のあん巻きだんごである。形状に変化 はみられるが、原型に「けいらん」の存在があったこと は否めない。 「けいらん」の記載のある古典料理書を年代順に並べ てみると、調査した中の最古は、元禄10年(1697)刊 行の『和漢精進料理抄』51)である。また、『当流節用料 理大全』後段の類に「けいらん」の文字がみられる52)。 平野の解説によると、幾多の料理書から抜粋したもの で、作り方は書かれていない53)。『古今名物御前菓子秘 伝抄』享保3年(1718)発行54)にも「けいらん」があ る。当然と思われたためか、料理の名称の由来が卵形に 作ったことにあるとは、どの料理書にも書かれていな い。 江戸時代中期の料理書に共通する「けいらん」の作り 方は、米粉をこねて中に黒砂糖または白砂糖を包んでゆ でた団子をうどんの汁や垂味噌といった塩味のする汁に 入れたものである。旧南部藩に残る「けいらん」は、ほ ぼ原型をとどめている。一方、長崎県の「けいらん」 「けいらんまんじゅう」は、蒸すという共通の調理操作 が加わり、汁物から抜け出したとみることができる。こ 写真3 「白がんづき」(筆者撮影2019年3月23日)
れは、天明4年(1784)発行『卓子式』55)の「中国人が 長崎でも作る卓子式」の中で紹介された「点心」(蒸し 菓子)の影響を受けたと考えられる。原型となる料理に 新しい調理法が加わって広がっていったのであろう。 堀切家の献立Cの後段に出された「けいらん」は、旧 南部藩に残されているものと同様の吸物仕立てで、鯛と かたくり麺が添えられたとみられる。堀切家の資料の中 に、南部鉄の取引に関するものが複数残されている56)。 南部領の木ノ出・金取・大森・沢ノ入・鮎川浜で採掘さ れたものを製鉄し、販売している。金取は、現遠野市に あることから「けいらん」という料理を身近に感じる人 物が堀切家の関係者に存在したと考えられる。 4.まとめ 本研究において、江戸時代の福島市飯坂町の婚礼献立 の中から、郷土料理として残されている「むくり鮒」 「つと豆腐」「がんじきくるみ」「けいらん」について検 討してきた。これまで述べてきたことがらを、郷土料理 が伝承される要素として洗い出し、以下に示す。 (1)料理の食材 郷土料理の継承はその土地でとれる食材に影響され る。飯坂を流れる「摺上川」では、鮒をはじめ淡水魚が たくさんとれていた。慶長6年(1601)からの63年間、 飯坂は米沢藩の支配下にあった。「むくり鮒」という料 理がいつの時代に生まれたものかは判断できないが、江 戸後期までは福島の地に伝承されていた。 福島県内で広く作られていた「つと豆腐」であった が、調理過程で必要な稲わらの入手が困難になったこと も途絶えた要因のひとつと考えられる。 (2)料理のおいしさ 「むくり鮒」は、カリカリとした食感で甘辛いタレが 魅力となっている。「つと豆腐」は、長時間加熱されて いることから独特の弾力があり、多孔質であるため煮物 などにした場合、「味がしみこんで美味しい」と評され る。雪深い地方にあっては、流通が滞る冬の時期にも 「つと豆腐」は、たんぱく質の供給源となり、かつ、ご 馳走として好まれた。 (3)新しい調理方法 近代になると福島県中通り北部の信達地方で養蚕業、 特に蚕種業が盛んになり57)、農繁期が稲作と重なること から58)、「むくり鮒」のような手のかかる料理は作られ なくなっていった。福島県内で広く作られていた「つと 豆腐」も、わら苞で巻いてゆであげるという作業が敬遠 された。手間暇がかかるという壁を乗り越え、しかも、 味を増すための調理の工夫例3点を次に挙げる。 例1)むくり鮒: 油で揚げることで美味しさが増す。 例2)つと豆腐:すだれで巻くことで調理過程の一部 が簡略化される。 例3)けいらん:長崎では中国式の蒸す加熱法が加 わった。 こうした変化は、先に挙げた「丹後ばらずし」にもみ られる8)。加工品を使用することや電気器具を使った調 理法など、次々に変化しながら郷土料理は伝承されてい くものと考える。 (4)非日常性 婚礼献立であるから当然のことではあるが、取り上げ た料理は、ハレの食として用いられてきた。年中行事、 特に節句などにはそれぞれに由来がある。また祭礼に及 んでは、神社仏閣に伝わる物語と強く結ばれている。 例1)むくり鮒:「開く」の意から正月料理や婚礼料理 に用いられる。 例2)つと豆腐:冠婚葬祭に欠かせない料理として会 津地方に残る。 これらの料理が日常の食卓に用いられても何ら問題は ないが、季節の節目、冠婚葬祭という非日常の食だから こそ、由来や信仰・生業とのかかわりで、特別な食べ物 を食べるという行為を定着させた。また、恒例の行事と 結びつき、繰り返し食べることによって郷土料理とな り、伝承され続けてきたものと考えられる。 (5)郷土愛と誇り 現存している郷土料理は、上杉藩や南部藩といった藩 政が長く継続された地域に多くみられた。飯坂町を含め 福島市周辺は、統治者が目まぐるしく交代した(表4)。 また、地理的には小藩や他地域の分領、幕府領が入り組 んだ支配であったため、郷土への愛着が淡泊である59)。 このことが料理の伝承に影響した要素のひとつと考えら れる。郷土料理の伝承には、手間暇をいとわない作り手 と、それを愛好し続ける人々の存在が不可欠である。そ の背景に、郷土愛や地域文化の継承者としての誇りがあ ると考えられる。しかしながら、福島市周辺地域の歴史 的特徴として数多くの分領があったため、他地域の特色 ある料理や菓子を婚礼料理に出すことはあっても、郷土 愛の淡泊さがこれらの料理を伝承し続けるまでには至ら なかったのではないだろうか。 残される課題として「くるみがんじき」がある。福島 の隣県に「がんじき」と「がんづき」という菓子があ り、方言の影響から江戸期の献立にあった「かんじきく るみ」が、宮城県の「白がんづき」であったのか、新潟 県の「くるみがんじき」であったのか、判断できなかっ た。これも今後の検討課題のひとつである。
(6)もてなしの心 婚礼献立という性質上、時間をかけて計画し食材を準 備したことがみて取れた。今回取り上げた郷土料理は、 堀切家の婚礼献立には1度しか出現していないものばか りである。しかしながら、それぞれの献立にみる郷土料 理は、堀切家にゆかりのある地域につながっていた。も てなしの心を料理で伝えるために、それらの郷土料理が 取り入れられたのではないかと考えられる。 本研究では、郷土料理として取り上げた料理「むくり 鮒」「つと豆腐」「かんじきくるみ」「けいらん」が、そ れぞれ三の膳、重の物、硯蓋、後段に組み込まれていっ た理由は明確に出来なかった。また、堀切家には数多く の資料が残されているが、料理人の特定までには至って いない。婚礼献立だけの資料で郷土料理の伝承をとらえ たため、限定的なものとなってしまったが、今後はこれ らのことを課題とし、福島県内の資料を中心に調査をさ らに進めていきたいと考える。 引 用 文 献 1)農林水産省: 子どもの食育 見てみよう日本各地の 味、 http://www.maff.go.jp/j/syokuiku/kodomo_navi/ cuisine/(閲覧日:2018年11月9日) 2)一 般 財 団 法 人 日 本 食 生 活 協 会: 全 国 の 郷 土 料 理、 http://www.shokuseikatsu.or.jp/kyoudoryouri/(閲覧日: 2018年11月9日) 3)日本調理科学会: 伝え継ぐ日本の家庭料理、http://tsu taetsugu.jp/(閲覧日:2018年11月9日).日本調理科 学会50周年記念出版(一社)農山漁村文化協会(農文 協)2017年11月から2021年8月まで全16冊、季刊誌 「うかたま」の別冊として発行 4)高坂ムツ子: 郷土料理の地理的分布、『全集日本の食 文化』第12巻 郷土と行事の食、芳賀 登、石川寛子 監修、雄山閣、東京、pp. 27–43 (1999) 5)升原且顕: 広島県におけるサメ食慣行の伝承に関する 考察―口和町の「ワニ」料理を中心に―、立命館地理 学、17, 101–115 (2005) 6)冨岡典子ほか: エイの魚食文化と地域性、日本調理科 学会誌、43(2), 120–130 (2010) 7)冨岡典子: 日本におけるごぼうを食材とした料理の地 域的分布と食文化、日本家政学会誌、52(6), 21–31 (2001) 8)中村均司: 郷土料理「丹後ばらずし」の変容と伝承、 農林業問題研究、186、 90–96 (2012) 9)石川尚子ほか: 郷土料理に対する富山大学学生の意識 調査、日本調理科学会誌、36(4), 421–430 (2003) 10)西脇泰子、堀 光代: 岐阜県の学校給食における地産 地消・郷土料理の取り組みについて、岐阜聖徳学園大 学短期大学部紀要、47, 11–22 (2015) 11)秋山(山王丸)靖子他: 郷土料理への関心に及ぼす学童 期以前の食体験の影響、日本食生活学会誌、24(4), 236–245 (2014) 12)大坂裕子、上杉宰世: 子どもの頃の行事食伝承場所が 大学生の行事食の知識や調理技術に及ぼす影響に関す る研究、日本食育学会誌、11(4), 345–350 (2017) 13)農文協編:『日本の食生活全集49 日本の食事辞典Ⅰ 素材編』、農文協、東京(1993) 14)福島市史編纂委員会:『福島市史第3巻 近世Ⅱ』、福 島市教育委員会、福島、pp. 448–454 (1973) 15)福島県立博物館:『堀切家寄託資料目録―陸奥国信夫郡 の豪商の近世から近代―』、福島県立博物館調査報告 第35集、福島県立博物館、福島、p. 5 (1999) 16)国史大辞典編集委員会:『国史大辞典』第12巻、吉川 弘文館、東京、p. 781 (1991) 17)福島市史編纂委員会:『福島市史資料叢書』第32輯 堀切文書Ⅰ寺送り證文、福島市教育委員会、福島、p. 14 (1979) 18)牧野昇ほか:『江戸時代 ひとづくり風土記7』、農文 協、東京、p. 44 (1990) 19)山 形 新 聞 http://yamagata-np.jp/news/201812/16/kj_ 2018121600324.php(閲覧日:2019年1月29日) 20)山 形 新 聞 http://yamagata-np.jp/feature/mikaku/kj_ 20100309.php(閲覧日:2019年7月4日) 21)福島民友新聞社編:『福島「街道物語」』、福島民友新聞 社、福島、74 (2016) 22)乙坂ひで編著:『東北・北海道の郷土料理』、ナカニシ ヤ出版、京都、pp. 20–21, 175, 306–307 (1994) 23)新 村 出 編:『広 辞 苑 第7版』、 岩 波 書 店、 東 京、1995 (2018) 24)(一社)日本調理科学会企画・編集:『別冊うかたま3月 号 伝 え 継 ぐ 日 本 の 家 庭 料 理「肉・ 豆 腐・ 麩 の お か ず」』、農文協、東京、pp. 81–87 (2018) 25)(一社)日本調理科学会企画・編集:『別冊うかたま12 月号伝え継ぐ日本の家庭料理「野菜のおかず 秋から 冬」』、農文協、東京、p. 68 (2018) 26)川上行蔵、西村元三郎監修:『日本料理由来辞典中』、 同朋舎出版、京都、p. 148 (1990) 27)吉田屋源兵衛:『吉田屋源兵衛覚日記』、相馬市歴史資 料収蔵館蔵(1864–1866) 28)郡山市歴史資料館:『守山中町樫村家文書天保3年 年 中日記留』、福島、(1995) 29)遠藤教之、遠藤由紀子:『シリーズ藩物語守山藩』、現 代書館、東京、(2013) 30)佐原 昊:「会津の郷土料理つと豆腐について」、『全集 日本の食文化 第12巻 郷土と行事の食』、芳賀 登、 石川寛子監修、雄山閣、東京、pp. 88–89 (1999) 31)福島民友新聞社編:『福島「街道物語」』、福島民友新聞 社、福島、pp. 13–14, 41–42 (2016) 32)安田初雄、小林清治監修:『福島県風土記』、旺文社、 東京、p. 200 (1995)
33)神崎宣武:『「うつわ」をくらう』、吉川弘文館、東京、 pp. 176–180 (2017) 34)石島恵美子他: 茨城町郷土料理「つと豆腐」の伝承状 況とその関連要因、日本調理科学会2016年大会口頭 発表要旨、(2016) 35)新潟県新発田市和泉屋:『しおり「がんじきくるみ」』 (2018年6月購入) 36)佐藤亮一:『お国ことばを知る 方言の地図帳』小学 館、東京、p. 323 (2005) 37)福島市史編纂委員会:『福島市史第3巻 近世Ⅱ』、福 島市教育委員会、福島、p. 198 (1973) 38)吉川誠次編:「料理調菜四季献立集」『日本料理秘伝集 成8』、同朋舎出版、京都、p. 249 (1985) 39)田中啓爾:『塩および魚の移入路』、古今書院pp. 72–73 (1957) 40)竹内利美ほか編:『聞き書き 宮城の食事』、農文協、 東京、pp. 338–339 (1990) 41)福島県水産試験場編:『福島県の海産物方言集』、福島 県水産試験場、福島、p. 14 (1995) 42)竹内利美ほか編:『聞き書き 宮城の食事』、農文協、 東京、p. 323 (1990) 43)柏村サタ子ほか編:『聞き書き 福島の食事』、農文協、 東京、p. 343 (1987) 44)川上行蔵:『日本料理事物起源』、岩波書店、東京、pp. 325–326 (2006) 45)松下幸子:『図説江戸料理辞典』、柏書房、東京、p. 315 (1996) 46) 森山泰太郎ほか編:『聞き書き 青森の食事』農文協、 東京、pp. 181–182 (1986) 47)古沢典夫ほか編:『聞き書き 岩手の食事』農文協、東 京、p. 97 (1984) 48)藤田秀司ほか編:『聞き書き 秋田の食事』農文協、東 京、p. 191 (1986) 49)月川雅夫ほか編:『聞き書き 長崎の食事』農文協、東 京、pp. 40–41 (1985) 50)月川雅夫ほか編:『聞き書き 長崎の食事』農文協、東 京、p. 165 (1985) 51)奥村彪生編:「和漢精進料理抄」『日本料理秘伝集成 12』、同朋舎出版、京都、p. 79 (1985) 52)平野雅章編:「当流節用料理大全」『日本料理秘伝集成 3』、同朋舎出版、京都、p. 192 (1985) 53)平野雅章編:「当流節用料理大全」『日本料理秘伝集成 3』、同朋舎出版、京都、p. 239 (1985) 54)鈴木晋一編:「古今名物御前菓子秘伝抄」『日本料理秘 伝集成16』、同朋舎出版、京都、p. 28 (1985) 55) 奥村彪生編:「卓子式」『日本料理秘伝集成13』、同朋 舎出版、京都、p. 183 (1985) 56)福島市史編纂委員会:『福島市史資料叢書』第32輯 堀切文書Ⅰ寺送り證文、福島市教育委員会、福島、p. 163 (1979) 57)須山 聡:『明治・大正期福島県伊達郡における蚕種業 の地域的展開、地域調査報告』、19, 43–51 (1997) 58)柏村サタ子ほか編:『聞き書き 福島の食事』、農文協、 東京、p. 143, 165 (1987) 59)守谷早苗:『古代から現代までの信夫通史「信夫」』高 橋恵美子編、歴史春秋社、福島、p. 41 (2010) (2019年3月31日受付、2019年10月23日受理)