台湾原住民の服飾につて ―ツオウ族、ルカイ族、アミ族を中心― チラモク 学籍番 号
:M1240D
はじめに 台湾原住 民とは、17世紀初頭 に漢民族 が中国大陸から台湾 に移 住 し始める以前の大昔から、すでに台湾に住 んでいた原住民の子孫のことである。2004年
台湾社会 は約2,234人のうち原住民が約1,9%、 それ以外の大多数 は漢民族という構成になつている。台湾原住民は現在約14族に分けられ、彼 らはそれぞれ異なった言語 、風習、 特色を持ち、それぞれ が部落を形成し生活している。台湾の原住 民族 は、言語 、文化 く習俗 によつて細分化されて おり、多くの民族集 団に分かれている:台 湾が西欧人にようて支配 されていた1603年
に記された『 束蕃記』では、 台湾原住 民は一括 して「東蕃」と呼ばれていた:漢民族人 口が増加 してきた18世紀から19世紀 頃に至って、台湾 の平地に住み漢化が進んだ原住民族を「平哺蕃」と呼び、特に漢化が進んだ原住民族 は「熟蕃」と呼ばれた。同時 期 に漢化が進 んでいない原住 民族を「生蕃」または「高 山蕃 」と呼ぶようになった。第二次世界大戦後 、日本に代 わって台湾を統治 した中華民国政府 は、先住民のうち、日本人によつて「高砂族」に分類された諸民族を漢語名 で「高砂族」または「山地同胞」、「山地人」と呼称して同化政策を進めた。しかし1980年
代以降の民主化 の流れの 中で原住 民が「原住 民権利運動」を推進 ,中 華民国政府 に対してこれまでの同化政策の変更を迫った結果、中華 民国憲法の増修条文を初め、政府の公式文書に「原住 民族」、「台湾原住民族」という呼称を承認させた。注(1) 服飾 は物質文化の一 つの範 囲で、人間生活の必需品であり、防寒 、保護 以外美観 を表す役害Jがある。台湾原住 民の服飾 は以上のような効能がある以外 、伝統な芸術特徴 と原住民の認識を伝える意義がある。 服飾 は以下の特徴 を持っている。 1.服飾 は社会 階層 と身分特徴 を表す。例えば、ルカイ族 、パイワン族 は貴族だけ着用する服 があり、または特別 な花文様 がある、ツオウ族は狩猟後、イノシシの牙で飾り物を作つて使用する。これがツオウ族の勇士を表す。 2.服飾 は社会組織の原則 と関連する。例えば、アミ族 は年齢階級があつて年齢 によって着用する服が異なる。ま た階級 によっても異なる。 3.男女 が仕事を分 ける特徴 を持っている。例 えば、男子 は織布機 を製作する。麻 を処理する時は男女共にする、 ただし、女子は布織作業をする時男性 は近ずく事も出来ないである。4.服
飾 は文化接触 によって社会変遷 を表す。例 えば、日本統治 以前は、原住 民衣服 の材質 は 自織麻布で、後 に 日本 、中国から綿布と印花布を輸入し、現代 に入つてから後は化学繊維を主に使用している。 5.服飾 は原住 民を認 同するための表徴である、 漢 民族 は台湾 に入 つた後 、原住民の服飾 は徐 々に漢化した。ただし、祭儀 の時、原 住民は伝統的な服装を着 用する。これは原住 民が 自分たちの民族を認 同するための表現である。または服飾 の色彩 、図案 、形製 、文様など で原住 民各族の特徴 、文化を表徴する。注(2) 先行研究 □達西鳥拉湾『 台湾原住民のツオウ族』 台湾文化局2000年
8月 5日 。 この本ではツオウ族の月艮装を明確 にしている。 □李沙莉『 台湾原住民衣飾文化』南天書局有限公 司1998年
1月 10日 。 この本 では台湾原住民全般の月艮 装を写真 、図説等で明確 にしている。 [1湯浅浩史『 台湾原住民写真誌』(ツオウ編 )南天書局有限公 司2000年
9月 9日。 この本では 日本統治時 代のツオウ族 の月艮装を明確 にしました。研究 目的
.
先行研 究では原住 民先般 の服飾 の沿革 、変遷 、装飾 品について述べている、ツオウ族 、ルカイ族 、アミ族につい ては専門として研 究していないので筆者 はツオウ族 、ルカイ族、アミ族の服飾を沿革、変晋 、装飾 品を通 して、また はツツオウ族、ルカイ族 、アミ族は原住民では「南番」として 日本 に帰順した民族だからこの二つの民族の服飾の特 徴を考えたいです。 また本研究では原住 民の各族の服飾の沿革 、変遷 、装飾 品の共通′点、相違 ′点、そして原住 民の服飾 のこれから の発展 について明らかにしたい。 史料 (1)文献資料 □『 台湾番族慣習研 究』(台湾総督府番族調査会 、1921年
)第一谷。この本 では 日本統治時代の原住 民の服飾 を 沿革 、装飾 、変化などを明確 にしている。_
′ 第1章 原住 民服飾 の沿革 第 1節 原住 民全般の服飾 の沿革 第 2節 ツオウ族 第 3節 ルカイ族 第4節 アミ族 第 2章 原住 民服飾の変遷 第 1節 ツオウ族 第 2節 ルカイ族,
.
第 3節 アミ族_第
3章 原住民服飾の装飾 品 第1節 ツオウ族 第 2節 ルカイ族 第 3節 アミ族 おわりに 第一章 原住 民服飾 の沿革 第 一節 原住 民全般 の服飾 の沿革 「台湾番族慣習研究』第1巻 では台湾原住民の服飾沿革を次のように述べている。 服飾の沿革ではツオウ族、ルヵィ族、アミ族だけではなく他の原住民の服飾の概要を述べているので 以下のようにまとめる。 原住民が生活しているところは南部の暑気が強い地方である。人々は普段、揮を着る。暑い地方に暮 らす[ツオ ウ]族と[ブヌン]族等高山地帯にいる者はまた僅かに皮衣を作つて、寒を防ぐのが原住民の服飾発展の第一歩であ る。注(3) 原住 民は服飾を重視する。特 に[セーダッカ]族は木皮を編んで服 として利用する。男 は葛を、女 は木葉を利用して 服 にする。[セーダツカ]族は木の皮を晒して衣服を作る。[プュマ]族が最初織布として三色系を交織したのは機 織 技術 がこの時 に始めて発 明したものである。今(1921年当時)、 原住 民の機 織業は一般 に婦人 がする仕 事であるが、この中には男性もする事がある。例として、一部の「セーダッカ」族 、または「ツオウ」族 、「ブヌン」族などは皮衣を作 る時 は婦人が布衣を作るが、男子が皮衣 、皮靴を作る:「プユマ」族 は主に男子が機織業をする。注
(4) i
原住 民は作成 した衣服製 品で土人(漢族)の粟 、酒 、塩 などと交換する。「タイヤル」族、「セーダッカ」族は現在 (1921年当時)原住 民の中で機織業が最も盛んであると言 われている。注(5) 「ヤミ」族と「プユマ」族 は土人より織布を得て(夫が死んでから妻 が 自分で布 を使って、衣月長を作る。これは葬 ネL 習慣であり、また 自分がこの人 の妻であり遺産を受 ける権利 があるという証拠 となる。注(6) 衣服史から見ると、衣服 には、ある時代 にはある基本的なスタイル がある。そして、時代 とともに変化している。原 住 民の衣服史から見ると、現在(1921年)までに原住 民は単なる自分たちが着る衣服の製造から土人との取引(原住 民が作製した衣服と土人の酒等との交換)をするものになった。注(7) 「アミ」族、「プユマ」族は自らの階級等により衣服に差別がある。 「ヤミ」族、「タイヤル」族 、「セニダッカ」族、「ツオウ」族 、「ブヌン」族 、「パイワン」族、「サリセンJ族では男子の月長装 の材料が異なっている。 南部 に住んでいる「アミ」族 の男、女 は共 に上衣(漢民族 の服)、「下番」(原住 民の服)を着用する。「サイセット」族 と「プユマJ族の男子の間でもこの風習が多い。 台湾原住 民が外 出する時の服装 は「土装」(漢民族の服装)である。近来(1920年頃)各族を通して、男女共に「内 地風」(日本服)の「シャツ」を着用するようになっている。 「ツオウ」族は柔らかい鹿皮、「ブヌン」族は毛皮、「パイワン」族、「サイセン」族の頭人は豹皮の筒衣を着用する。 原住 民は衣服を製 造するのが通例であると共 に、喘J式」(決まった形式)の「番衣」は「番布」を使った有袖、無袖 、 または長衣、短衣である。「北番」においては土衣(漢民族 の衣服)、 或いは女衣 には綿布 を着用するのが普通 で ある。「南番」において筒袖及筒衣を作る時は「番布」で製作するのが普通である。注(8) 現在 (1921年時)、 「南番」 においては男女の袖衣 には土衣或 いは番衣式のものが着用 されてい る。なお 綿布 を使 うのが普 通 で ある。「南番 」 の特徴 はツオ ウ族 は皮 で衣服 を作 るのは特徴 で あ る。ル カイ族の服 飾 は刺繍 が綺麗 で ある。 ア ミ族 の服飾 が色 が新鮮 で、赤色 を中心にす る。注 (9) 達西鳥拉湾 の『 台湾原住 民のツオ ウ族』では沿革 にういて以下のよ うに述べている。 台湾原住 民の伝 統的 な服飾 は各族 の特徴的 なイ メー ジを意 味 してい る。色 がや形式 も多様 で ある。.しか も深 い文化意義 を表 現 してい る。各族 は独特 なスタイル及び特色 を持 ってい る。例 えば 「パイ ワン族 」、 「ル カイ族」、「ブヌ ン族J、 は深 い青色 と黒色の布 を使 ってそれぞれ の巧み を凝 らす こ とによ り、活発 で 豊 か な風貌 を表す。注(10)
一方「アミ族」、「ツオウ族」、「サリセン族」、「タイヤル族」などは赤色、緑色を利用して大 自然 に対する尊敬や愛 する意を示す。「ヤミ族」は木の繊維で布を繊る唯一の原住 民である。注(11) 紡織 においては、原住 民が共有する芸術 的特色 は「方衣 系統 」である。水 平背帯の織機 で美 しい布 を織る。そし て二枚一枚の布を合わせ、完全な服飾 を作る。また、各族 が大量の飾りを利用して人 目を引く効果を果たす。装飾 品として、貝殻 、珠などを使う。それは個人的地位だけでなく個人的財産を代表する。原住民の服飾は伝統的美 学 の意義も有している。服飾の色彩であり文様であり形式であり、全ては部落の芸術の特質及び社会意義 を表してい る。織ズ12) 原住 民の服装 は漢 民族 の文化と交流 によつて、かなりの影響を受 けて、材 質も様式も非常 に変化してきた。日本 統治 時期前、服の生地はほとんどが地織 りの麻布であつた。その後輸入 された綿布 と花布を大量に使 い始めた。 近 頃(2004)は麻布 の代わりに、化学繊維が使われるようになった。また、様式においても従 来別々に着る伝統的 服飾 をもつと簡便で、予め組 み合わされている、原住 民の服飾 は漢化現代化環境 に応 じて生じて変化 している。し かし、原住民の服飾 は漢化や現代化が原 因で滅することがなく、かえつて節句や習俗儀式で族人は衣然として伝 統的服装を着て、部族 に対してアイデンティティ‐を示 しているのである。注` (13)表
(1)原
住 民の現状 京住 民 人 口 舌住 地域 書教 ツオウ族6,520
lHj里山、高雄 、台北市 ヤリスト教 アミ族177,000
花蓮県、台東県、台北市 ヤリスト教、アニミズム、 'レカイ族 11、911
高雄 県、屏東県 、台北市 ヤリスト教、アニミズム 出典:「台湾原住民の現代J黄
智慧 、山本春樹。株 式会社 草風館 。2004年
12月 20日。第2節 ツオウ族 原住 民の各族 が 自身の特徴 がある服を着る、そして、服飾が 自分の民族 、文化を表象する。例えば、ツオウ族 は狩 りをする族で、服は皮を使つて作られたものが多い。ツオウ族頭 目の服の色 、帽子 の飾 り物等がツオウ族の社 会組織を表徴する。注(14) ツオウ族頭 目の帽子 (,,cr t× 2'C薦 ンマ 図
1出
典:李沙莉『台湾原住民衣飾文化』南天書局有限公司 、1998年
1月 10日 。 中古世紀時代、ツオウ族は台湾中南部の広い地域で生活していた。他の民族の侵略、たとえば、布農族の南下、1600年
以後の漢族の侵入、平哺族の侵入などの原因で、現在、ツオウ族は阿里山以外、高雄,布 農族と混居し ている。注(15) 表(2)ツオウ族の人 口 t彎鋳男 │││=1轟 餞漁 :構卜 揚機 =‐ 確■,、 年 ツオウ族 の人 口1905
2242
1931
2197
1961
3223
1962
3278
1964
3638
1976
4496
1985
6621
1992
6192
1996
6836
出典:黄
智慧,山本春樹『台湾原住民の現在』株式会社、2004年
12月 20日 c『 台湾番族慣習研究』ではツオウ族の服飾沿革について以下のように述べている。
、 早期のツオウ族社会の男性は伝統的な服飾を着れば「青年J(成 人)になる。青年になると部落と家庭を守ること になる。 原住民は北番と南番に分かれている。タイヤル族、セーダッカ族、サリセン族は「北番」で、ツオウ族、ルカイ族、ア ミ族は「南番」であり、筆者がとりあげる以上の三部族は「南番」の特徴をもつていた。「南番」の特徴は労働または他 の場合は揮の外に裁着をきることがある。または固有の月艮装を改良して、土人の に近い、また上衣が土俗の影響により変化した、シオウ族は支那式の揮を着用する事になつた。注(16) 達西鳥拉湾『 台湾原住民のツオウ族』台湾文化局、
2003年
ではツオウ族の服飾沿革について以下のように述ベ ている。1 .
ツオウ族は美観を重視する。伝統的ツオウ族社会の中では、未成年の服飾は比較的に簡単である。成年の女性 は頭を黒布で包む。`ツオウ族が着る伝統盛装は、赤、黒、自色である。この上に色々な飾り物を付ける事ができる。 ツオウ族は服飾の美観を強調する。そして服飾は社会的地位を表している。注(17)` ツオウ族女性の伝統的服飾は以下の通りである。 (一)女性の上衣 ツオウ族の女性は平 日、長袖短衣という上衣を着る。長袖短衣 、対襟、綿布短衣などである。(図2参 照)滓
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図2(ツオウ族の女子長袖短い)出
典:李沙莉『台湾原住民衣飾文化』南天書局有限公司 1998年1年 月 10日 。 (二)腰 補 ツオウ族 の女性 は二枚 の布 繊 を使 つて腰相 を作る。夕l?女子長罐 Fき T,`●10。11` F,■ 1ヽ ││=メえ,ヽ
│ │
図3(ツオウ族の女子長裾)出
典:李沙莉『台湾原住民衣飾文化』南天書局有限公司、1998年
1月 1 0日。 (三)腰 帯 腰 帯 は緑 色 の綿 布 で作る。(図3参照) (四)革 靴 ツオ ウ族 の女性 は皮 で作 つた革靴 を履 く。 (五)頭 巾と帽飾 (図4参照) ツオウ族 は赤綿 布 と攻 璃珠 を使 って女性 の帽飾 を装飾 する。後 の長幅 布條 は黒色 、現在 (2003年 当時)は
赤 色 である。ツオウ族 の伝 統 的頭 飾 は二つ に分 けられる。頭 巾と帽 飾 である.頭巾を使 って頭 を包 む。後か ら毛綿 球 と破 璃珠 を付 ける。現在 (2003年 当時)は
頭 巾を使 うことが少 ない。帽飾 を使 うことが多いG│´111ゝ‐` 都卜│IⅢⅢI :転 ●│♂ 図4(ツオウ族の頭巾
)出
典:李沙莉『台湾原住民衣飾文化』南天書局有限公司、1998年
1月 10日。 ‐‐1か ″なこ―│ ‐ ‐││ ││‐‐││││‐ ‐ ‐│11‐ │││││‐図
5(ツオウ族の耳飾り
)出
典
:李沙莉『台湾原住民衣飾文化』
南天書局有限公司 、
1998年
1月 1 0日 。 (六)耳の飾 女性 は巾銀や黄銅 で製成した耳環を付 ける。(図5参 照) ツオウ族の服飾 ツオウ族の服飾 は皮革、麻布及び綿布の三種の衣料がある。皮革 は男性の主要衣料であり、男性が揉製する。 麻布 は以前女が 自分で 自織 した。綿布 は昔から漢 商から購 買した。注(18) 服飾 の意義ツオウ族の服飾 は社会的地位を象徴する意味がある。頭 目や勇士などの勇士資格がある者の帽子 には約6セン チメー トルの赤色文飾帯、珠 玉や貝殻などを付 けることもできる。注(19) ツオウ族の女は普段 、黒布を使つて頭を包む。結婚や祭 りの時は珠玉や紋様等を付 ける。男性が普段着る服は 綿麻織で、表が赤色で、裏が黒色の長袖布衣で、普段 は黒色の面をだして着て、小米(粟)収穫 、
MaYas宙
などの 祭 りの時には赤色の面を出して着る。注(20)ジ減鸞番轟灘
14,畿 tX'6級W図
6(ツオウ族の男子長袖長上衣
)出
典
:李渉莉『台湾原住民衣飾文化』
南天書局有限公司 、
1998年
1月 10日。 ツオウ族の服飾 は社会性を強調している。 幼年期 幼年期の衣服 は、対襟長衣だけである。昔は完全 に裸であった。1歳 になった後の幼年期の男女は髪 を結い、 半袖を着る。 少年期の男 は腰 に斜角布袋を掛 ける。女 は長袖短上衣や左右が分かれる腰祐を着る。青年期の男 は鹿皮の帽 子を着る。狩 りや 出草(他部族 との戦い)の時 は皮套 と皮套袖を着る。 女は黒布を使って頭を包む。 老年期の男子は狩りの時、長袖対襟を着る。裏面が黄色で表 面が赤色の上衣を着る。注(21) ツオウ族の服飾 は現代社会 に入つた後、「貿易」のために衣服の材質と形式が変わった。例えば、普段着る時の 服 は漢族 と変わらない洋服であり、洋月艮が伝統的な服の代わりになつた。しかし、これ は 日常生活 の方面だけのことであり、宗教儀式や祭 りの時のツオウ族は伝統的な服を着る。社会的立場や役割が変わると、服飾や髪型、飾 り物 や化粧法 な どの外観 の変更がある。未婚 、既婚 、子供 、成人 と言 うよ うに、従来の状態や地位 か ら、別 の 状態や地位 に移行す る時、従来の状態 を離脱 し、新 しい資格 を得 るために、 旧か ら新へ移行す る手続 きが 行 なわれ る。儀礼 は、 この移行 手続 きの儀 式で ある。移行 が正式の手続 きを経 て成 され た とい う事実 を も って、新 しい資格獲得の正 当性 を一般社会 に宣言す る。そ こで、 日常 どは異 なる音楽、舞踊、特異な身振 りや 言語 が使用 され る。社会は儀礼 を経 る と、新 しい立場や役割 に応 じて権利 を認 め、それ相応 の待遇 を し、また義務 を課す。その人物 に どう接 した らよいか とい う態度 を決 める時、 どの よ うな儀礼 を済ませ て い るかをその身な りか ら判断 し、服飾 の伝 える意味 コー ドに従 って処遇す ることになる。 なお儀礼時の服 飾 の象徴的 な意 味 を、 日常生活 の健康や幸せ の増進 のた めに役 立てたい とい うときには、呪符 としてその 色や 文様 が 日常の服飾 に恒常的 に使用 され る。注
(22)
第二節 ル カイ族 ル カイ族 とパイ ワン族社会 は住居様式が近似 してお り、伝統文化や風習が古来 よ り相互 に影響 していた と考 え られ る。世襲 の頭 目をもち、頭 日家 を核 とす る貴族層 と平民層 による社会階層 を形成 していた。頭 目家 は種族 を越 えて婚姻 関係 を もつ ことも稀 でなかつたた め相 互 に影響 を受 け、文化 的な地域差 を作 り出 してい った。注(23)
さらに、台湾西部 は漢族が最初 に入植 した地域であ り、それ に伴 つて平哺族 の山岳地帯への移動 も早 く に始 まつた と考 え られ る。 したがつて、西部地域のパイ ワン族やル カイ族は漢族や平哺族 の文化の影響 を 早 くか ら受 けなが ら、それ を 自らの伝統 の中に吸収 して きたで あろ うこ とも、彼 らの文化 を理解す る上で 十分考慮す る必要 が ある。長期 にわた り互い に影響 を受 けてい る両族 の伝統服装様式や技法 、文様 、文様 の意味がいかに共通性 を持 ち、また どの よ うな ところに差異性 が見 られ るのか といつた問題 を探究 しなが ら、両地の伝統服装 における特色 を引き出 し、その位置づ けを明確 に したい と考 える。注(24)
ル カイ族 の服 には文様太陽の図案 な どがある、社会 の貴族 と平民階級 の影響 を受 けてお り、地主や貴族 に は装飾 の権利 がある。ルカイ族 の 日常的服 は、男性 には革の帽子、頭 巾、上着、肩帯、腰帯、鹿 の革のズ ボ ン等がある。女性 には頭 巾、長衣 、スカー ト、足巻 き、布袋 な どがある。伝統的にル カイ族 は女性 に対 す るタブーが多い。 女性服装 においては保 守的 な態度 を取 りなが ら、覆 うこ とので きる体 の部分 は絶対露 出 せ ず 、 脚 も例 外 で は な い 。 布 で 脚 を 纏 う代 わ りに 、 布 機 を 履 く こ と も で き る。 注(25)
. 樹∫l・ `懐 ヽここ │ ‐ │ ‐ ‐ 図7(ルカイ族の帽子)
出典:李沙莉『台湾原住民衣飾文化』南天書局有限公司 、1998年
1月 10日。図8(ルカイ族の男子長袖上衣
)出
典:李沙莉『台湾原住民衣飾文化』南天書局有限公司 、1998年
1月 10 日。ヽ曼筑 S'ヤ彦摯IⅢ 9■4 ,ハ ヽメ =,1壺
図
9(ルカイ族の女子長衣
)出
典
:李沙莉『台湾原住民衣飾文化』
南天書局有限公司 、
1998
年 1月 10日。図
10(ルカイ族の女子長補
)出
典
:李沙莉『台湾原住民衣飾文化』
南天書局有限公司、
1998
年1月 10日。 ルカイ族の服飾 は十字線の刺繍と玉の刺繍が主になっている、図案は複雑で、パイワン族の衣服 と飾 りにかなり 近いものである。百合の花はルカイ族の部族の花である。ルカイ族の人は百合花に対する敬愛 はすでに精神的な 意義まで達しており、さらには社会論理を代表している。ルカイ族の神話伝説 には多くの百歩蛇 に関する言い伝 え があり。例えば百歩蛇は頭 日の先祖 ,長 老であるなどの伝説がある。服飾 、歌や踊りは皆、ルカイ族の芸術の表現 である。一つのルカイの村 にはいたるところで刺繍、織物 、園芸など生活化された芸術の表現が見られる、これらは 全てルカイ族の人々の伝説的な生活の一部なのである。注(26) 第 四節 アミ族 今 日ア ミ族 が御腿 を着付 ける多 くの場合 は儀式 である。 そ して、仕事 で足の切 り傷 を免れ る とい うもと の緋腿 の機能が消えてきたため、脚腿 はその製造 も革製の代わ りに精美 な刺繍 に変わ り、儀式服装 に転 じ るよ うになった。 これ は現代社会で所謂 「伝統服装」形式 の衣装 は中国語 で よく御腿 と呼ばれ ている。 も ともとは仕事 で草によ り脚 の切 り傷 を避 ける機能 を持つ。 男子 の衣装では、紳腿 は脚部か ら腰部 までを伸 ばす。 一般的 に後倣樟 とも称 され る。一方、女性 の御腿 は脚部 に限つている。男子 は青年期 か ら脚腿 を着 て、女子 は少女 になつてか ら、儀式服装 として脚腿 を着なけれ ばな らない。 もともと脚腿 は仕事で脚 を保 護す るのに使 われ たため、動物皮 で作 られ るべ きであつたが、今 は刺繍 で飾 られ 、華麗 で欠かせ ないア ミ 族 の伝統服装 になつてい る。 注(27)
::i自末貫藻農薄`ジ■=耗 助署f:P'111?iS),舞 ぶ 球) 図 11(ア ミ族の制腿用の飾 り
)出
典:「台湾原住 民衣飾 文化」李沙莉 『 台湾原住民衣飾文化』南天書局有限 公 司 、1998年
1月 10日。 年齢階層 と母 系社 会はアミ族の特徴である、母親を「太陽」と称す。赤色の伝統的な服飾や羽の冠、花の冠、肩 帯びに付いた円形の貝殻 、腰 帯に付いた鈴などは全て太陽である母親を象徴 している、重複するがアミ族が脚腿 を着付 ける多くの場合 は儀式である。そして、仕事で足の切 り傷を免れるという本来の部腿の機能が消えてきたた め、脚腿 はその製造も革製の代わりに精美な刺繍 に変わり、儀式服装に転 じるようになつた。これは現代社会で所 謂「伝統服装」である。この形式の衣装は中国語でよく部腿 と呼 ばれている。もともとは仕事で草により脚の切 り傷を 避 ける機 能を持つ。男子の衣装では、脚腿 は脚部から腰部まで伸 ばす。一般的 に後敵樟 とも称される。一方、女性 の細腿 は脚部に限つている。男子は青年期から御腿を着て、女 子は少女になってから、儀式服装として御腿を着 なけれ ばならない。もともと御腿 は仕事で脚を保護するのに使われたため、動物皮で作られるべきであつたが、今は 刺繍で飾 られ 、華麗で欠かせない阿美族 の伝統服装 になつた。注(28) "`や ヽ … … ゝ ∼ … ´_.__第二章 原住 民服飾の変遷 現代(1921)「番族」全般の服装 は古くからのものを染持する物もある。または土人(漢民族)の衣服を着用する事 もある。これに従つて各族の着用する衣服の品種及び制式 は変化の中には進歩もある。または服装の品質も変遷 がある。漢俗の影響により「番族」の服装が変化した。注(29) 番族の固有の服装 は、上衣 、樟 、方布 、胸 及 び腹掛 け、皮衣 、足年である。そして男子が帽子 (女 性 が頭布を 包む事 、そして、足には靴を履くことである。以上が「番族」の伝統的な服装である。注(30) 「番族」の服装の変遷 についてみるとはまずは原制がある、「番族」原来は盛衣、常月艮などの区別が無く、男女老 少等 により服装 に区別 が無く、常 に皆一様 の服装を着用する事であらた。そして、上衣 は筒袖 、月同衣の固有の制式 で、または揮 は男性は布片、婦人は腰巻を着用するのは原制である。男女共 に上衣を着て、揮 を着用し、唯一外 出する時防寒等 に必要ある時方布を使 う。番族の服装の変遷の中発 達は男女共に胸を掛け、婦人は脚 絆を巻き 下脚 を纏う、または鹿 の皮を利用して雨を防ぎ皮(合羽)を作る。または方布 を利用して腹掛 けする。注(31) 現在(1921)の 服装。現在「番族」の服装は大体t古来の服制 に異なる事 が無く、唯一 品種の形式、材料 、装飾 に変遷がある。「番族」の服装の変遷は土人風俗の影響と固有の月長装の改良による。最も重要のが上衣及び樟の 制式の変化である。上衣から見ると漢 民族の影響で胴衣 には袖を付 けて改 良して袖衣 とした事 。上衣 に伴い揮の 変化 は固有の制式を改 良し男性 は腰巻式 、女子 は単式の腰巻 に二枚重ねて複式とした事である。そして、服装の 変化 は男子より女子の方が変化が大きい。現在(1921)上衣 は原制を筆持 する者が少 ないで(袖 衣を着用する婦 人が多いである。揮も原制を維持する者 が少ないので、婦人が複式 の腰巻 を着ている。これ に対 し、現在 (1921) 男子 は「番装」を着用を窄持している。婦 人は上には土風(漢民族式)、 下は番族風(原住民式)、「上土下番」式が 多いである。注(32) 「番族」の服装は男女老少により服装は区別が無かつた、そして、現時(1921)各族 においては男女の服装が異 なる。成年 、未成年の服装、年寄り、子供の月艮装が異なる事 になった。または盛装と常服 の差別 がある、盛装と常月長 の材料、装飾が異なる。平常は固有の風俗、外 出する時は土装を着用する、祭り、狩猟などの時は盛装を着用する。 また服装の変遷 は「番族」は原来常服は長服を着用することが普通であつたが、現時(1921)、 男女共 に短衣を常 服とするになった。これも漢民 族の影響 と気候の影響である。注(33) 第一節 ツオウ族 ツオウ族には装飾ある衣服 は頭 目を表示 、婦人の外 出する時の服装が限制がある。ツオウ族 は番俗に従つて土 俗を入れることが多く、「上上下番」の者が多く、或いは全く「土人」の服装を着用する、ツオウ族の中においては北 部 、中部 の阿里 山「夕
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ラン」と南部の四社番 にも男女共 に服装が異なる。ツオウ族 は貝殻や豆を首飾 りとして付 けたのがです が土人「の影響で首飾 り及び耳飾 りは青色の南京玉を付ける事 になっている。または漢民族の影響 で綿を使って服を作る事 になっている。「注(34) 第二節 ルカイ族 ルカイ族 には身文により階象制を認 める共に服制も異なる。男女 、年齢、貧 富により衣服の材料、装飾 などが異な る。ルカイ族服装が他族と比べて進化が早い。それは制式、材料 、装飾に見える。ルカイ族の男女共に腰巻を着用 し、頭 日の盛装は豹皮を利用する。男女盛衣の刺繍が綺麗である。ルカイ族の服飾が漢民族の影響で刺繍の技 術が高まっている。漢 民族の織業の影響を受けている。注(35) 第二節 アミ族 原住 民の服装の変化では。アミ族は祭 り、狩猟の場合 は祭服 、軍服 は定制がある。またアミ族 は年齢 的階段制 を行う共に階扱 により服装の定制あることが多く、アミ族 は東海岸の四季を通し暑い地方から最早土人に接触し、 漢 民族の感化を受 ける事が多かつたので「番族」としての服装の変遷も早かつた。またアミ族 は馬 蘭社 は嘉慶年 間 (19世紀 中 )以来「土人」(漢民族)と交通あるから漢民族 の影響があると言 われる。またはアミ族 には土人の移入 特 に増加から「番俗」を染持するのが難 しいので最も土俗 の模様盛 であると言われる。注(36) 第二章 原住民服飾 の装飾 品 第 1節 ツオウ族 1.腕貫材料 は台湾カモシカのなめし皮 、腕 を通すために作られた筒状 の皮 二本を使 って作る。つなぎ 目を背筋 に合わ せ 、左右の腕を通して着用する、狩猟や農作業等の時着用する。注(37)
2.腹
締 め具と背被衣 腰 には腹締 め具を着用 、その上に着る背被衣 はお尻まで垂 下がり。坐った時 にお尻の下に敷く、腹締 め具は腰 を細く見せるために使 い、湾 曲部はミワグワの材 、ひも部分 は台湾カモシカ、スイロクの皮 、湾 曲部を強く締めてひ もで結ぶ。背被衣 は台湾カモシカの皮 を二枚 につないで作 り、男性のみ着用する。注(38) 図12(背被衣) 出典:李沙莉李沙莉『台湾原住民衣飾文化』 南天書局有限公司、1998年
1月 10日。3.三
角胸 当て 正方 形の布の隣り合わせた二点に、たるみを持つたひもを付 けたもの、着用に当たつては対角綿 に沿つて三角形 に折り、上部のひもの間に首、左右のひもを両腕を通して胸部を覆う、タバコ用具、手抜き、小刀等を入れる。注(3 9)4.皮
製 背被衣 17台湾カモシカの皮 を除毛し、なめし皮 にして作る、表 面に台湾カモシカの血で文様 を描き、または染める。ツオウ 族の特有のもので、上部 にひも付 け、首 に固定する、更に腹部をひもで締 めることもある、女性 は布で作つて使用 するが、布製の物を男性 が使用する事 はない。注(40) 5。 肩掛 けバンド 刀 、タバコ用具 、発火器等を入れる。幅広のバンドで肩から下げる、肩掛 けバンドは、織 出しや刺繍 によつて文様 が施されたり、貝殻、ガラス製ボダンで飾 られていることが多い。注(41) 6.壻畠ネL月及 ツオウ族は、アフ祭 りや首狩の儀式の時 には、特別の服を着用する、その服の表は赤一色で、裏 は黒い。ボタン は無く、葬式の時は裏返 して着る。注(42)
図
130
出典
:「台湾原住民衣飾文化」
李沙莉『台湾原住民衣飾文化』
南天書局有限公司、
1998年
1月 10日。
7.皮裁着け
.
なめし皮で作る。上方の紐 を腰 にかける。下方の小さな輸の部分を足の親指 にかけ、さらに端切の部分と下部を 紐で結び合わせて固定する。着用するのは狩猟 、外 出時である。男性 専用である。注(43) 8.皮製 雨よけ 材料 は台湾カモシカのなめし皮で作って、革靴 と共 に降雨時の狩猟 、山仕事の際に着用する、中ほどに通 した 二本の紐を額で支えて身に付ける。注(44) 9.装身具 ツオウ族は女性だけでは無なく、男性も装身具が重要である。首飾 りや 耳飾りを愛用し、盛装の時必ず着用する、 ガラス玉や海の具などの飾りは平地から入手する。ツオウ族の男性は両肘の上にイノシ牙製腕飾 りをするが、これ は特別の意味合 いがある。ツオウ族では一つはイノシシ狩 りの際、イノシシの牙で傷つけられた人が着用する、また はイノシシをたくさん狩つた英雄視される人が付 ける。さらに、かつては首狩 り、儀式の時、腕 に付 けて、その時には 各戸から少なくとも男性一人が参加 し、参加 した男性全員がペヨウを付 ける。このペヨウ注 (45)を儀式の際はそれ を鳴らし、戦の神 に儀式の開始を知らせ 、加護を願 う意味を持つ、日本統治 下では首狩 りは中止されたので、その 儀 式の一部はアワ祭 りに合併 された。注(46) 盛装したツオウ族の頭 目 図14(ツオウ族頭 目の帽 子) 局 有 限公 司 、1998年
1月 10日 。 出典:「台湾原住民衣飾文化」 李沙莉『台湾原住民衣飾文化』南天書 1 、 意 颯 橿 響 菫 燻 磯 鸞 纏 儘 鸞 巡 颯 舅 1910.皮帽子 おおむねキヨンの皮 をなめして作る、後方は角形を尻尾形の物ものがある。前面及び上部 にガラス玉 、貝殻等 を使 って様 々な装飾 を施 した皮帽子もある。それらは、儀式や頭 日の象徴などとして用いる。未婚者は皮 帽子をか ぶることはできない、男性専用である。注(47) 第 二節 ルカイ族 台湾原住民の織71/8文イヒにおいて、織物 の文様 は各族 の文化 と深 く結 ばれてい る。各織 り紋 はそれぞれ の族 が作 った 「文化暗号」であ り、各族の象徴や文化 の意味 を具有 している と同時に、各族の審美観や文 化系統、宗教、信仰及 び社会規範 な どを表 している。注
(48)
ルカイ族の服 にはヒャッボグの文様太陽の図案などがある。社会の貴族と平民階級の影響を受けており地主や貴 族 には装飾の権利がある。ルカイ族の 日常的服装は、男性 には革の帽子、頭 巾、上着 、肩帯、腰帯、鹿 の革のズ ボン等があります。女性 には頭 巾、長衣 、スカート、足巻き、布袋などがある。伝統的にルカイ族 は女性 に対するタ ブー は多い。女性服装 においては保守的な態度を取りながら、覆うことのできる体の部分は絶対露出しない、脚も 例外ではない。布で脚を纏う代わりに、布機を履くこともできる。女性 には頭 巾、長衣、スカート、足巻き、布袋など があります。伝統的なルカイ族は女性 に対するタブーが多い。 ルカイ族の服飾 は十字線の刺繍と玉の刺繍が主になつている。図案は複雑で、パイワン族の衣服と飾 りにかなり 近 いものである。百合の花 はルカイ族 の部族の花である。ルカイ族 の人は百合花 に対する敬愛 はすでに精神 的 な意 義まで達しており、さらには社会論理を代表 しています。ルカイ族の神話伝説 には多くの百歩蛇 に関する言 い伝 えがある。例えば百歩蛇 は頭 日の先祖や長老であるなどがある。服飾 、歌や踊 りは、ルカイ族の芸術の表現 です 、一つのルカイの村 にはいたるところで刺繍 、織物、園芸など生活化された芸術 の表現が見られる、これいま 全 てルカイ族の人の伝説的な生活の一部なのである。 台湾で多くの原住 民族 はズボン下の概 念がない。ズボン 下の代わりに、布 を下半身に着付 ける。これは前遮布と呼ばれる。また、腰飾 の中で特別なのは賽夏族 の臀鈴で ある。臀鈴 は背響とも称され、腰 に結ばれ、踊りに合わせながら、大きくてきれいな音を出す。足飾 には脚腿、貝珠 串t破璃珠 串、鈴錯などがある。脚腿 は護脚布とも称され、主に脚 に付けられる。男も女も着付 けることができる。1.
皮製帽子 ルカイ族の男性 は皮製の帽子をかぶる。舞 罐 ツ●■│,t "=│た●´務掛 │‐,F・ 3111●1 図15(ル カイ族の男子帽子) 出典:「台湾原住民衣飾文化」 李沙莉『 台湾原住民衣飾文化』南天書局有限公司、
1998年
1月 10日。 う 4図16(ルカイ族 の飾 り物)
書局 有 限公 司 、
1998年
1出典:「台湾原住民衣飾文化」 李沙莉『 台湾原住民衣飾文化』南天
図17(ルカイ族 男子 長 袖 短 上衣 文様)
公 司 、
1998年
1月 10日 。出典
:李沙莉『台湾原住民衣飾文化』
南天書局有限
う 乙
図18(ル カイ族の飾り物
)出
典:「台湾原住民衣飾文化」 李沙莉『 台湾原住民衣飾文化』「
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1噂
図19(男
子長袖短上衣の文様)
出典 :「台湾原住民衣飾文化」李沙莉 『台湾 原住民衣飾文化』南天書局有限公司、1998年
1月10日
。 女性服装 においては保守的 な態度 を取 りなが ら、覆 うこ とので きる体 の部分 は絶対 に露出せず 、脚 も例 外 で はない。布 で脚 を纏 う代 わ りに、布機 を履 くこ ともできる。 注(49)
25躙
︲︲′︲︲︲︲︲︲︲︲= = ﹂ = 一 = r 一 〓暉
靡
図20(ルカイ族の飾 り物)出
典:「台湾原住民衣飾文化」 南 天書局有限公 司、1998年
1月 10日。 男 許の普段 着 で あ るcル
カ イ族 の 男装 は大体 女装 と類似 す る. 式 が違 うの で あ る.男
装 には股割 れ ズボ ン とキ ュ ロ ッ トスカー 麗 な トップ ス と着 用 され る。 注(50)
而
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李渉莉『台湾原住民衣飾文化』 図紋 も編み 方 も似 てい るっ ただ、縫 う様 卜とい う「1種類 があるtl長袖 を主 と して華ルカイ族の女子月風装様 式は男装より多くて精緻で、全体的に高貴で華麗な感じを与えている。服装 にあるトーテ ムは主に人物、百合、百歩蛇 、陶壺などであるが、個人的身分や地位に応じて編まれる。また、未婚又は既婚の 少女 、年長の婦女 は服装 にも少し違いが見 られる。一般 的に、未婚者の服装 は色鮮 やかで華麗である。中年婦 女 は素朴な色取りを使つて年長者の婦女は黒や青色を主にしている。注 (51) 出典:李沙莉『 台湾原住民衣飾文化』南天書局有限公司 、
1998年
1月 10日。 図21(ル
カイ族の女子長袖長上衣の文様) 27図
22(ル
カイ族の飾り物) 出典:李
沙莉『 台湾原住民衣飾文化』南天書局有限公司 、1998年
1月 10日。 第二節 アミ族 アミ台湾原住民のなかで一番多い148992人(2000年の調査による)の人 口規模 を持つ民族集 団。台湾原住民 の総人 口の37.5%を 占めている。 居住地域 は台湾の東部一帯、台東県、屏東県に亘る広い範 囲である。主に平地 に集落を構 え、中央 山脈 と海岸 山脈(東岸 山脈)の間にある細長 い渓谷地域(花東縦谷)、 その両端の花蓮市や台東 市周辺の平野部 、海岸 山脈 の東側の太平洋沿いの平地、台湾南端の恒春半島に住んでいる。「大都市の原住 民」の多くを占めている。アミ 族からは多くの歌手、芸能人 、スポーツ選 手 、その他学者 、教育者 、政治家などが輩 出されている。注(52) ア ミ族 の現 状 (阿美) 表 3男J名 パ ングツァハ 名前 の由来 ア ミ は 北 と い う 意 味 で 、 南 の プ ユ マ 族 が ア ミ 族 を 北 の 民 族 と 呼 ん で い た パ ングツァハ は人、または同族人 とい う意味である 人 口 150236人t(1998年 :内 政部統計資料) 分 類 北部 阿美 南勢阿美群 中部 阿美 秀姑轡阿美群 海岸 阿美群 南部阿美 卑南阿美群 恒春 阿美群 居住 地 東部海岸沿いの平野部及び、丘陵部一帯 主要都市 かれ ん市 (花蓮
)(た
い とう市 (台東) 主要郷、鎮 新 竹 縣 縣 横 南 鎮 郷 郷 郷 里 里 一 昌 麻 ヽ 太 郷 理 南 郷 、 山 庄 郷 、 卑 田 栗 花 蓮 縣 新 城 郷 、 吉 安 鎮 、 富 豊 郷 、 鳳 林 郷 、 光 復 郷 、 豊 濱 郷 、 瑞 穂 台 東 縣 長 濱 郷 、 成 功 郷 、 東 河 郷 、 池 上 郷 、 開 山 郷 、 鹿 野 郷 、 屏東縣牡丹郷 、満州郷 十 五 ア ミ語 (南東語族 (オース トロネ シア語族)) 黄智慧,山
本春樹 『 台湾原住民の現在』 株式会社2004年
12月 20日
。 表4
ア ミ族の生業 生業 簑耕 (粟、米 、、 さつ まい も、 きび) 屎集 (山菜 、きの こ類 、貝、海 草類) 魚業 (飛び魚) 庁猟 (いの しし、鹿 、や ぎ) 畜産 (水牛、豚)(鳥
は精霊 の化身 であるとして食べ ない) 29主食 米 西 Jヽ米 (粟)、 米 、 さつ まい もを醸造 した もの と蒸 留 した もの 表
5
ア ミ族 の文化 黄智慧,山
本春樹 『 台湾原住民の現在』 株式会社2004年
12月
20日
。 表6
アミ族の社会組織'
黄智慧,山
本春樹 『 台湾原住 民の現在』 株式会社2004年
12月 20日
: 表7
ア ミ族 の祭 り 文化、芸術 静浦 文化 を引き継 いでい る 十一 一 工 幾織、陶芸、竹製品 服装 、装飾 各部落 に よつて異 な る。 菊国 とい う土地柄 、普段 、特 に夏 は簡 素な服装 を しているが、祭事 には ここぞ とい うば いり、色艶やかな衣装 と華麗 な装飾 品を身 につける 歌舞 祭事 の歌舞 だ けでな く、 日常の歌舞 も豊富で、原住 民 の歌舞 といえば阿美族 の歌舞 とい われ るほ どである。 その歌 と踊 りの リズムには華やかで、力強 く、阿美族舞踊の特色が見 られ る。 宝居 平地式 の本造 の壁 と茅葺 き屋根 の家屋 太家族で家屋 は大 きい 社会組織 長老制度 と男子会所組織 による年齢組織が混在 した母系社会 艮老制度 各家族の戸長の女性の兄弟あるいは男性親族が長老 とな り、部落の長老たちによる長老 者会議が編成 され、部落の事務 を決定するb /
男子会所組織 男子 は 13、4歳
前後 に会所 に入 り、一人前 の勇士 に成 るた めの訓練 を受 ける。集会所 では長幼の区分による階級 に従い、階級 ごとに異なる義務 と権利 を有す るとい つた階級 社会 を形成 してい る。 母系社会 子供 は母方 の姓 を継 ぎ、財産 、地位 は女 の子供 が継承す る。 后仰 晴霊信仰 熙習 家の穀物 に角虫れ るのはその家の女性 だけ、他 の者 が角虫ると水 の よ うに流れて しま う。 維婚 男性が離婚をしたい場合、 自分の財産を持つて、実家に帰ることで成立。 女性が離婚 したい場合、夫の財産を家の前に出 しておけば、それで成立。夫は黙つてそ れを持って実家へ帰る。 祭 豊年祭、捕魚祭 豊年祭 毎年 7月 中旬∼9初旬 ごろに行 な う村 が多い。 日数 は村 によって異な り、1日∼2週間。 児在 では、夏休 みの週末 に行 われ るこ とが多いのだ ろ うか。 祭 りは夜か ら始 ま り、最初 の一夜 は普通女 の子供 の参加 は禁止 され 、最後の一夜 は村人 が全員参力日しなけれ ばな らない とい うこともある。祭りに参加する各人は華麗な色彩で装い、お祭りを盛り上げる。
出典 :黄 智慧,山
本春樹 『 台湾原住 民の現在』 株式会社2004年
12月
20日
。図
23(アミ族の飾り物
)出典
:李沙莉『台湾原住民衣飾文化』
南天書局有限公司 、
1998年
1月l▼`'1■. 1‐Orenead band
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図24(ア ミ族の飾り物)出典:李沙莉『台湾原住民衣飾文化』南天書局有限公司 、
1998年
1月 1「li‖1
図26(男 子頭の飾り)出典:李沙莉『台湾原住民衣飾文化』南天書局有限公司、
1998年
1月 10 日。図27(アミ族耳の飾 り物
)出
典:李沙莉『 台湾原住民衣飾文化』南天書局有限公司 、1998年
1月 10日。図
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ミ族の飾 り物)1998年11月 10日。
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図29(アミ族の飾り物)出
典:李沙莉『台湾原住民衣飾文化』南天書局有限公司 、1998年
1月 10日(、 37摯
図
30(ア
ミ族の飾り物)出
典:李沙莉『台湾原住民衣飾文化』南天書局有限公司 、1998年
1図31(男 子頭の飾り
)出
典:李
沙莉『 台湾原住民衣飾文化』南天書局有限公司、1998年
1月 10日。,墨‐薔
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図
32(男
子帽子
)出
典
:李
沙莉『台湾原住民衣飾文化』
南天書局有限公司、
1998年
1月 10 日。左 : 錢徴 。∠〕りこ艤1職‐ヤ Om K ttac難
‐ 纏複 ぶc難×轟鶏236 Ctt X ttt S機 1998年1月 10日。 I I 莉 Ⅲ ■ 沙 Ⅷ 一 ︰李
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沙莉『 台湾原住民衣飾文化』南天書局有限公司、1998年
1月 10日。 結論 本研 究では台湾原住民の服飾 の沿革 、変遷 、装飾 品について、主にツオウ族 、アミ族 、ルカイ族 に中心として 研 究したの第 一章では台湾原住 民の服飾沿 革については原住民全般の服飾とツオウ族 、アミ族 、ルカイ族の服飾 の沿革を述べた。第二章では台湾原住民の服飾の変遷 についてである。第二章では台湾原住民の服飾の装飾品l を中心に述べた.ツオウ族、ルカイ族 、アミ族の服飾 は漢民族の影響で大きな変化あつた。この変化は原住民の服 装は漢 民族の 文化と交流 によつて、制式、材質と様式も非常 に変化 してきたc日 本統治時期前、服の生地 はほとん どが地織りの麻布であった。その後輸入された綿布と花布を大量に使い始めた。近頃(2004)は麻布の代わりに、 化学繊維 が使われるようになつた。台湾原住民は 日本統治と中華民国統治、そして現代の文化的影響で原イi:民族 の伝統的 文化{)大きいな変化があつた。日本統治時代の政策 による変化があつた。原住 民は伝統的 には戦い、農 業 、狩 猟において「頭 目Jが地域を指導 してきたが、日本統治政策 によつて変化させ られ 、首‐狩などが禁Lヒされ 、農 業等 にも影響 与えた.これ によって原住民の生活 、服装 にも影響 ′チえた。1945年後 中華民国の統治 ドに入つて から急激な近代政策がなされ 、かつてはほとんど自給 自足に依存 していたため原住民に独 自性が強かつたが、生 活様式に変化があって、住居 、衣服 、4L活用 其等t)変容したぃ台湾原住民の中でツオウ族 、ルカイ族、アミ族の服 装の沿 革、変遷 、装飾│マ│を }1に述 べた、この 1つの原住民服装の変化は 日本統治時代と中華民l■7及び現代 文化 力 十の影響で、伝統的な文化 には変化あつたが、原住民族の伝統的な文化は消えてない。筆者は原住民族 の文化が 現代経済の発展の中でも自分 の文化を守 り、平常が漢民族 と変わらない服装を着用するが、祭 りの時 自分の盛服` を着用する。原住民は 自分の文字をもたないが、自分の文化を自分なりの方法で守っている、月艮装も現代 に入つて から変化あつたが、外観がら見たらこの服装はツオウ族の服装、その服装がルカイ族 、アミ族の月艮装と分力%。 本論 文では台湾原住 民の服装を通 して原住 民文化が沢しては消えていない事を明らかにした。 注 注(1):山本春樹 、黄智慧『 台湾原住 民の現在』 株式会社草風館
2004,12,20.PPl-3。
注
(2):『台湾番族慣習研究』
(台湾総督府番族調査会、
1921年
)第一谷。
PP357-362。
注
(3):『台湾番族慣習研究』
(台湾総督府番族調査会、
1921年
)第一谷。
PP362-368。
注
(4):『台湾番族慣習研究』
(台湾総督府番族調査会、
1921年
)第一谷。
PP368-372。
注
(5):『台湾番族慣習研究』
(台湾総督府番族調査会、
1921年
)第一谷。
PP372-376。
注
(6):『台湾番族慣習研究』
(台湾総督府番族調査会、
1921年
)第二谷。
PP376-381。
注
(7):『台湾番族慣習研究』
(台湾総督府番族調査会、
1921年
)第一谷。
PP381-386。
注
(8):『台湾番族慣習研究』
(台湾総督府番族調査会、
1921年
)第一谷。
PP386-391。
注
(9):『台湾番族慣習研究』
(台湾総督府番族調査会、
1921年
)第一谷。
PP391-395。
注 (10):達 西鳥拉湾 『 台湾原住民のツオウ族』 台湾文化局 2000、 8、 5。PP285-291。
注 (11):達 西鳥拉湾 『 台湾原住民のツオウ族』 台湾文化局 2000、 8、 5。PP291-296。
注(12)「達西鳥拉湾『台湾原住民のツオウ族』 台湾文化局 2000、 8、 5。PP296-301。
注(13)達西鳥拉湾『 台湾原住民のツオウ族』 台湾文化局 2000、 8、 5。PP301-305。
注(14):達西鳥拉湾『台湾原住民のツオウ族』 台湾文化局 2000、 8、 5。PP305-308。
注(15):達西鳥拉湾『 台湾原住民のツオウ族』 台湾文化局2000年
、8、 5。PP308-315。
注(16):『台湾番族慣習研究』(台湾総督府番族調査会、1921年
)第一巷。PP395-401。
注(17):達西鳥拉湾『台湾原住民のツオウ族』 台湾文化局 2000、 8、 5。PP315-32o。
注(18):達西鳥拉湾『台湾原住民のツオウ族』 台湾文化局 2000、 8、 5。PP320-326。
注(19):達西鳥拉湾『台湾原住民のツオウ族』 台湾文化局 2000、 8、 5。PP326-329。
注(20):達西鳥拉湾『台湾原住民のツオウ族』 台湾文化局 2000、 8、 5。PP329-333。
注(21):達西鳥拉湾『台湾原住民のツオウ族』 台湾文化局 2000、 8、 5。PP333-339。
注(22):達西鳥拉湾『台湾原住民のツオウ族』 台湾文化局 2000、 8、 5。PP339-343。
注(23):『台湾番族慣習研究』(台湾総督府番族調査会、1921年
)第一谷。PP401-409。
注(24):『台湾番族慣習研究』(台湾総督府番族調査会、1921年
)第一谷。PP409-415。
注(25):李沙莉『 台湾原住民衣飾文化』南天書局有限公司1998年
1、 10。PP231-237。
注(26):李沙莉『 台湾原住民衣飾文化』南天書局有限公司1998年
1、 10。PP237-242。
注(27):李沙莉『 台湾原住民衣飾文化』南天書局有限公司1998年
1、 10。PP241-246。
注(28):李沙莉『台湾原住民衣飾文化』南天書局有限公司1998年
1、 10。PP246-251。
注(29):『台湾番族慣習研究』(台湾総督府番族調査会、1921年
)第一谷。PP415-419。
注(30):『台湾番族慣習研究』(台湾総督府番族調査会、1921年
)第一谷。PP419-424。
注(31):『台湾番族慣習研究』(台湾総督府番族調査会、1921年
)第一谷。PP424-429。
注(32):『台湾番族慣習研究』(台湾総督府番族調査会、1921年
)第一谷8 PP429-434。 注(33):『台湾番族慣習研究』(台湾総督府番族調査会、1921年
)第一谷。PP434-439。
注(34):『台湾番族慣習研究』(台湾総督府番族調査会、1921年
)第一谷。PP439-443。
注(35):『台湾番族慣習研究』(台湾総督府番族調査会、1921年
)第一巷。PP443-449。
注(36):『台湾番族慣習研究』(台湾総督府番族調査会、1921年
)第一谷。PP449-454。
注(37):湯浅浩史『 台湾原住民写真誌』(ツオウ編 南天書局有限公 司 2000、 9、 9。PP66-69。
南天書局有限公 司 2000、 9、 9。PP69-71。
南天書局有限公 司 2000、 9、 9。 PP71■81。 南天書局有限公 司 2000、 9、 9。 PP81-87。 注(38):湯浅浩史『台湾原住民写真誌』(ツオウ編 注(39):湯浅浩史『台湾原住民写真誌』(ツオウ編 注(40):湯浅浩史『台湾原住民写真誌』(ツオウ編注(41) 注ズ42) 注(43) 注(44) 湛1(45) 注(46) 澄1(47) 注(48) 注(49) 注(50) 注(51) 注(52) :湯浅浩史『台湾原住民写真誌』(ツオウ編