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大学における教養教育をめぐる問題 -重要性の再認識と今後の課題-: 沖縄地域学リポジトリ

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(1)

Author(s)

平良, 研一

Citation

沖縄大学紀要 = OKINAWA DAIGAKU KIYO(17): 103-116

Issue Date

2000-03-31

URL

http://hdl.handle.net/20.500.12001/5860

(2)

大学における教養教育をめぐる問題

一重要性の再認識と今後の課題一

平良研

はじめに 法経学部の「改組」に伴い、教養科を中心とする教養教育の体制は解消した。 沖縄大学に赴任し以来30余年教養科に所属してきた者として感慨を禁じえない。 振り返れば、大学が小規模であることで、学科を超えて学問的というより人間 的な様々な交流があり、善きにつけ悪しきにつけ、いかなる問題でも大学全体 で考える雰囲気があった。研究室も相部屋で、お互いの専門領域に遠慮なしに 踏み込んでの談論風発という具合に、無礼講の中、時を忘れることがしばしば であった。管理棟に今でもある非常勤控室は、いつの間にか全教員の“談話室,, になり、自然に非常勤講師の方々ともいろいろ話し合う機会が多く、貴重な交 流の場ともなっていた。それは今にして思えば図らずも教員同士が「教養」を 実践していたと言えるかもしれない。 このように書けば、のんびりした牧歌的なキャンパス風景が目に浮んでくる が、沖大と言えば知っての通り、60年代後半の「学園民主化闘争」そして復帰 を前後する「大学統合」問題で激しく揺れ動き、「紛争大学」の異名さえ頂戴 するような状況が続いた。研究を投げ打っての学園闘争への関わり、学生との 共闘による様々な軋礫、特に復帰時に大学統合に反対したことによる文部省と の対決とその後の「廃校処分」、そして県民を巻き込んでの大学存続闘争……。 結局のところ新たに「認可申請」を行って許可され、沖縄大学の名称で存続 することになったものの、規模は縮小され、特に73年度の学生募集禁止(政令 に基づく)による財政難は後々まで尾を引き、教職員の生活と教学の維持に大 きな影響を及ぼした。それでも研究、教育の灯は消すまい、戦後初の私学とし て権力に屈しなかった意思と誇りを捨てまいとの誇持、そして何よりキャンパ スに残って存続のために共に闘った学生たちの勉学への熱意が合わきって、幾 度かの危機を乗り切り今日に至っているのだと思う。 -103-

(3)

この間の問題については、今「歴史」として語ることが難しい事柄も多々あ

るが、いずれ記念誌発刊の機会にでも詳しく報告しなければならないであろう。

ともあれ、ここでひとつ付け加えておきたいことは、当時「民主化闘争」や

「大学統合反対」、「存続闘争」という厳しい中で学園生活を送っていた学生た

ちが現在社会の様々な分野で中堅としてたくましく生き、活躍している姿を見 聞するにつけ、大学教育において重要なことは、単に専門的な何かを知識とし

て修得するということではなく、時代の状況、エートスを肌身で真剣に受けと

め、更に社会と人間の実際の関係性の中で織りなされる「出来事」に積極的に

対時することによって感性と方法意識を培い鋭くしていくことではないかと思

えてくる。そこには敢えて言えば、後に触れるように、容易に定義することの

できない「教養」の意味が含まれているように思われるのである。

そこでもう一つ思い出すことは、復帰前に沖大教養科には、考古学と民俗学

で沖縄を代表する気鋭の教員がいて、講義やクラブ活動を通して教えを受けた

数人の学生が卒業後県や市町村の文化行政担当として指導的な役割を果してい

るということである。当時教養科に属していた各々の教員が、その「専門」を

一般教養科目として講義し、時にはフィールドワークを共にしたことが、彼ら

の進路を決め、生きがいのある人生を方向づけたのである。 1.教養教育の歴史的問題とその位置づけ (1)大学教育の「大綱化」と教養教育をめぐる問題点

1991年の文部省による「大綱化」によって、国立大学を中心に、ほとんどの

教養部が廃止され、各々「大学改革」を遂行していったことは周知の通りであ

る。「大綱化」とは簡単に言えば、大学卒業までの授業科目を専門教育科目群、

一般教育科目群、外国語科目群、保健体育群に分けなくてもよい、ただし4年

間一貫した有機的総合的な科目編成を行い、学部学科の特色、個性を出すよう

に、大学設置基準の大枠を残して「規制緩和」を行い、大方は各大学の裁量に

委ねる、という内容のものである。戦後はじめて出された文部省による教養課

程の一種の自由化の「宣言」は、様々な問題を抱えてその在り方が問われてき

ただけに大学界に大きな衝撃を与えた。たしかに教養課程については、学生や

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産業界あるいは大学人の間からさえ不要論が唱えられるなど、長く座りの悪い 状況が続いていたことは否定できない。しかし、一般教育・教養教育に関して 本質的な深めた論議が真剣になされてきたと果して誰が言い切れるだろうか。 そこに大学の内在的な重大な問題が潜んでいるように思う。 ところで文部省はその「大綱化」の通達において、今日の社会状況における 教養教育の重要`性について一応指摘していた。そこには大学教育の規制緩和、 カリキュラム編成の「自由化」によって、例えば医学部や工学部等で教養教育 が軽視され、専門教育偏重に向うことに歯止めをかける意図があったにちがい ない。いわゆる「オウム事件」は、優秀とされる専門家集団の犯罪であり、そ こには明らかに「教養」問題が内在していたからである。 それでは文部省は果して教養教育を真に重視していると言えるのだろうか、 筆者は必ずしもそうだとは思えない。「オウム事件」の際、文部省は大学にお ける教養教育の重要性についてこの件との関係で特にコメントをしなかったが、 近年の青少年犯罪の多発、凶悪化を主な理由に中教審に教養教育の在り方につ いて諮問している。それは唐突の感をまぬがれず、これまで主に大学において 問題にされてきた教養教育をどのように捉えて提起しているのか、極めて暖昧 である。これまで文部省は管見するところ「教養」について定義等を含め確た る見解を示したことはない。そこで恐らく中教審の「答申」というかたちでそ れを提示しようとしているのである。 とはいえ、文部省も社会の急激な変化、人々の価値観の多様化や分裂の危機 の中で、生き方に不安や動揺が生じ、将来に希望を見出すことができず、それ が青少年の問題行動を生み出す一つの大きな要因になっているとの認識があり、 とりあえず「心の教育」として教養教育を位置づけたと言えよう。そしてまた、 今や常套語にさえなっている「情報化」、「国際化」、「高齢化」の進展に対応し ていくためには、今の大学の在り方を大幅に改革する必要があり、教養教育も その重要な一環であるという一般的な認識を示したわけである。 ともあれ、「大綱化」を契機に大学改革の動きが全国的に活発化していくの であるが、特に少子化、18才人口の急激な減少の中で、その改革は公私立を問 わず、受験生を自大学にいかに魅き付けるかという存立をかけた緊急かつ本質 -105-

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的な課題を含んで眼前に突きつけられてきたのである。 国立大学の独立行政法人化への動きも、受験生という選ぶ側の意志によって

学部学科の再編、それに伴う合理化、教職員の削減もありうることを示すもの

であり、また重要ではあるが希少な学科が市場原理によって切り捨てられる恐

れがあり、研究・教育の公共的な役割に照らして看過できない問題をはらんで いる。そのことは同時に、教養や基礎科学研究分野が軽視され、予算の配分も

少〈なることにつながるものであることを銘記する必要がある。こうした意味

で、国立大の独立行政法人化を無条件に認めることは、教養教育の危機という

だけではなく、「学問の府」としての大学のレーゾン・デートルを脅かしかね

ないものと言うことができよう。しかし今、こうした危機意識は「理想論」と

してしりぞけられる傾向があり、国立大学と言えども生き残りをかけた現実主

義的な改革競争に走り出したのである。91年「大綱化」以降さけばれてきた教

養教育の危機は、「規制緩和」という文部省の誘導による影響もあるが、むし ろ横並びの`性急な改革の姿勢に潜んでいるのかもしれない。

このような国立大学をもサバイバル競争に駆り立てている状況の中で、私立

大学特に地方の弱小私学群は、学生集めのためのなり振りかまわぬ激しい競争

を繰り広げている。すでにマスメディア等では、近い将来日本ではこれまでほ とんどなかった「大学倒産」が現実のものになるだろうと予測している。たし かにすでに数字的には、定員割れ等のかたちで深刻な事態が現われており、思

いつきで急いで対策を講じるだけでは打開困難な事例も出ている。このような

大学の危機的な状況は、ある意味でどこの大学についてもあてはまることであ

り、問題はいかなる観点・目標をもって、更にどのような方法、道筋をたどっ て克服をはかっていくのかという原則的な事柄である。

現在、大学改革に際して、果して今大学以下の学校との「接続」ヘの問題を

含め、大学教育全体に関わる縦と横の有機的かつ総合的な連携と教育目的、理 念に即した体系化について、どこまで深めて検討され、全学的に共有されてい

るのか、管見するところ大きな疑問を感じている。最近マスコミでも学生の

「学力低下」対策として補習授業の取り組み、特にそれを予備校に委ねる大学

の事例なども報じられているが、それはあくまでも受験教育の延長の観点であっ

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て、大学において何をどう学ばせるかという理念と具体的な計画は全く見られ ない。それは改革の目的が明確に方向づけられていない性急で目前主義の証左 と言えよう。 ところで、大学サバイバル競争の波は沖縄をも例外なく巻き込んでいる。し かし筆者は現在推進されている様々な「改革」の内容や問題点などについて詳 しく把握しておらず、軽々に論及することはできない。いずれにせよ沖縄の大 学も本土と同様の問題に直面しており、更に本士大学とは違った歴史的、地域 的な多様な問題を抱えて苦闘していることは確かである。沖縄大学に関しても、 この間の「波乱の歴史」を踏まえ、これまで行ってきた「改革」、「改組」につ いて組織的に総括的な検討を行い、広い視野から地道に沖縄大学としての今後 の在り方、方向性を探ることが切実に求められている。自大学の問題について は、今の段階で分析・論評することは難しいが、教養教育の内容の在り方や推 進のための組織体制の問題等について若干後述したい。 (2)「教養」観をめぐる歴史的な問題 既に「教養教育」という文言を何度も使ったが、「教養」の概念については まだ全く触れていない。教養という言葉は日常的によく使われるが、性々にし て軽く扱われ(時には皮肉を込めて)、また学術的にも深めた詳細な研究は少 ない。日本における教養概念の形成過程とその問題点については、筒井清忠の 「日本型「教養』の運命」(岩波書店、1995年)という歴史的社会学的考察があ り、また阿部謹也が主にドイツ中世史、社会史研究を通して教養とは何かにつ いて論及している(「「教養』とは何か」講談社現代新書、1997年)。いずれも 直接教養教育の問題を扱っているわけではないが、「教養」の生成過程を考察 する中から、教養教育に関わる本質的な問題が提起されている。本稿では詳し く論及できないが、「教養」の意味、内容と本質を考える上で参考となる点を 前出の阿部、筒井両氏の著書を通して述べておきたい。 阿部氏は、「教養」の概念が生まれたのは12世紀ヨーロッパの都市形成によ ると考えており、すなわち都市が生まれたことによって、新たな職業選択の可 能性が開かれ、その後人々は、「何を職業とすべきかを考える中で、「いかに生 -107-

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きるか』という問いが重要な意味をもったこと」によるという(阿部前掲書、

p53)。その職業選択と関わって生涯にわたる生き方を追求することが「教養」

のはじまりであり、それがほとんど教育あるいは学問することと同義であった ということは、現在の教養教育を考える上でも重要である。 教養概念の歴史的変遷をみれば、一筋のものではなく、先ず初めの頃は文字 や書物が中心に置かれ、古今の文献に通じていることを意味し、「教養ある人」

(manofculture,ドイツ語のGebildete)とは、こうした「学問のある人」の

ことで、読書の結果「世の中をよく知り、様々な事柄について的確な判断がで

きるとされ」、また時には人格者でもあるとされた(阿部前掲書、p55)。こう

した教養観は、18世紀から19世紀にかけて、ドイツにおいて成長をとげてきた 市民社会の中で、「学問」をもって生計を立てるエリート層即ち「教養市民層」 が、例えば商業など一般の実利的なものを低く見なす高踏的な潮流を生み出し、 「学問に基づく純粋な教養」として定着していく。それは大学における「教養」 との関連では、ウイルヘルム・フォン・フンポルトによる「大学の創造」に関 わっており、特にベルリン大学の理念は「学問による教養」の深化であり、当 時一方で職業専門教育を行う単科大が創設されてきたことに対する-つのアン チテーゼであったとも言える。ちなみに実際1770年代から1800年代初頭にかけ て鉱業大学や農業大学、獣医大学も生まれていたのである。勿論こうした単科 大学はその後も存続していくのであるが、主流はやはりフンポルトの理念によ るベルリン大学型であり、それは即ちヨーロッパ型と総称されるものである。 日本の「教養」は、その系統に属するが、それは明治の末年、「時代閉塞の現 状」(石川啄木)の中で、青年層の「煩悶」や「堕落」が大いに問題となり、 その打開のために唱えられた「修養」の中に芽生えた、即ち「『修養」の観念 の中に『教養』の理念は包摂されて成立した」(筒井前掲書、p84)というの である。「修養」というのは、様々な手段を通して「努力して人格を向上完成 させる」ことを意味するもので、当時多くの修養書が刊行されている。この修 養という概念は人格の陶冶という、いわゆるドイツ語のBildung(ビルドウン グ)にあたるもので、それがやがて「教養」の意味に転化していく。 最初に教養を修養という言葉から独立させて使ったのは筒井氏によれば、和 -108-

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辻哲郎であったという。たしかに筒井が引用している大正6年の中央公論4月 号に掲載された「すべての芽を培え」という論文には、「教養」という言葉が 頻繁に使われ、かつ明確に説明されている。和辻は次のように述べている「数 千年来、人類が築いてきた多くの精神的宝一芸術、哲学、宗教、歴史一によっ て、自らを教養する、そこに一切の芽の培養があります。「貴い心情』はかく して得られるものです。全的に生きる生活の力強さはそこから生まれるのです。」 (筒井前掲書より引用)。この文章は、筒井が述べているように「日本における 教養主義の成立宣言文」というにふさわしい。 以上みてきたように、明治末年の人格主義的な「修養」の中に胚胎した「教 養」は、ヨーロッパ、特にドイツのBildungの流れをくんで、大正デモクラシー の思想潮流の中で日本型の教養主義として定着していくことになる。そしてそ の本質は、文学的、哲学的で且つ非政治的傾向を持っていた(筒井、前掲書所 収、三木清の回想)。それは、明らかに先述のフンボルトによるベルリン大学 創設時のドイツ観念論、新人文主義の理念に基づく「教養」の思想と一致して いる。 このような教養主義は大正末から昭和初期にかけてマルクス主義が思想潮流 として強い影響力を持ってくると一定の衰退傾向をたどるが、興味深いことに、 そのマルクス主義にも教養主義が色濃く反映していることである。即ち西欧崇 拝の教養主義は、同じ西欧の思想(イギリス古典経済学、ドイツ古典哲学、フ ランスの社会主義)を基盤とするマルクス主義のエートスを引き継ぎ、日本の マルクス主義を文献学的、「訓古学」的な傾向に導いた。もっとも、マルクス 主義がもつナロードニキ的な傾向によって、「日本の学歴エリート文化は大衆 との差異化を強化する方向に歯止めがかけられた」(筒井、前掲書)ことは認 められる。しかし、それらは先の「西欧崇拝」による硬直性によって、その後 マルクス主義もそうであるが、「教養」についても知識人の間ですら、実際と 結びつけて深めて研究し実践しようとしない怠慢が根を張っている。「大綱化」 によって「教養」という言葉を捨てた背景には、こうした本質的な問題が横た わっているのではないかと思われる。 -109-

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2.戦後の「教養教育」観と「人材養成」の方向 (1)政府・財界の「人材養成」観と教養教育の目標 先に日本における教養観の形成過程について概観したが、戦後新制大学教育 は、ドイツを中心とするヨーロッパ型の「教養」とそれを「改造」し実利性を 大幅に取り入れたプラグマティズムの哲学を基本とするアメリカ型の教育観 (リベラル・アーツを含む)と制度が米占領軍0.H・Qの指導の下に進めら れていく。それは1940年代にハーバード大学のコナン学長が提案し実践に移さ れた「ハーバードモデル」を導入したもので、実際には大学基準協会が「報告 書」(大学における一般教育一一般教育委員会報告、1951年)において、そ の基準、基本的目標、方向性が示された。そこではまず、戦前の大学教育が 「国家の須要」に応える方向で多くの過誤を犯した歴史に対する痛切な反省を 踏まえ、更には旧制高校でみられた高みから「俗世間」を見下す偏狭な教養主 義、人格主義を排し、また一般教育と専門教育の相対的な独自性と密接な関係 性の理解がスペシャリストとしての真の力量を高めるものであること、総じて 一般教育の目標を「将来いかなる職業につくにせよ、……民主主義社会におけ る政治、経済、社会の諸問題を正しく批判し理解して社会の改善、進歩に貢献 しうる人であり、かつ価値判断力や美的鑑賞力を有し、科学的に判断して良き 人生を創造しうる人」を育成することだと述べている。この基準協会の報告を 基点とする戦後大学における一般教育の観点は、現在の大学審議会の大学教育、 人材育成の方針とほとんど変らない。ちなみに最近(平成9年)の大学審議会 答申では、次のように述べている「今日の社会、経済の急速な変化に対応して、 単に専門分野における高度の知識・技術の習得だけではなく、深い教養、主体 的な変化に対応し得る幅広い視野や総合的な判断力、豊かな創造性をもつ人材 の養成がますます重要になっている……」(平成12年度以降の高等教育の将来 構想について・答申)。 そして一方、この間産業界の大学教育に対する意見書や報告書も時代の変化 に対応する人材養成について積極的な要求を提起している。例えば、日本経営 者団体連盟(経団連)の教育特別委員会が1995年(平成7年)4月に出した 「新時代に挑戦する大学教育と企業の対応」によると、一章の「新時代に求め -110-

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られろ多様な人材像」という項では、「人間性豊かな構想力のある人材」、「独 創性、創造性のある人材」、「グローバリゼーションに対応できる人材」の養成 を大学に求めている。もっともであり、かなり欲ばつた「要請」であるが、こ れらはすべて、戦後大学人が大学教育において基本的に求めてきた役割であり、 産業界も自らの戦略としてではあるが、ようやく学歴主義から脱し、今の経済 危機を乗り切るための豊かな構想力と創造力と人間性を備え、更に世界の市場 競争にうちかつ人材を求めざるを得なくなってきていることを意味している。 それは現在世界資本主義の矛盾が激化し、日本経済が直面している深刻な危機 を打開していく戦略の重要な一環であることは言うまでもない。そして同時に そのことは、「大綱化」以降日本の大学が行ってきた「改革」や「改組」が 「人材養成」において真に現在の社会の変化に主体的・創造的に対応し、かつ 学生の要求に応えるものになっているかを改めて自らに問い直すことを迫って いる。 経団連の「報告」でもうかがえるように、それが「資本」の要求であれ、現 在のような多様かつ複雑な矛盾にみちた社会においては、高い「専門性」だけ では物事に対処するのは困難であり、広い視野から「世界」を読み、問題や課 題を発見し解決していく創造力・実践力を身につけることは、どの市場に立っ ても必要なことであり、更に意志・意欲・勇気・愛など、心情的感性的な要素 が生き方の内容を豊かなものにしていく上で大切なものとなる。 このような資質は、戦後大学人が一般教育において育成されるべき普遍的な 要素として求めてきたものであるが、重要なことは、このような資質・力量を 身につけることは、どのような立場に立ち、誰のため、何のためなのかという ことである。例えば後述する「平和」や「人権」の問題は、すぐれて社会歴史 的概念であり、政治・経済や階級的な複雑にして鋭い内容、問題をわれわれに 突きつけてくる。それは人々に生きるほんとうの意味を問いかける真の「教養」 の中身を示しているはずである。それによっていかなる人間の形成をめざすの か、そのためのカリキュラムはどうあるべきかが重要な具体的な課題として問 われてくる。カリキュラム改革の問題については後に若干触れることにして、 ここでより現実的なレベルで求められている人間像・人材像は、新制大学発足 -111-

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当時から唱えられてきた「教養ある専門人」ではなく、それは「専門`性に立つ 新しい教養人」をつくっていくことを目標とするものであり、これからは「専 門に対抗して一般教育が大事だという位置づけを排して、教養教育のアイディ アは、アンダーグラデュエイト(Undergraduate)教育の全部に広がるべき」 ものなのである(寺崎昌男「大学教育の創造」東信堂、1999.pl22)。 しかし言われるまでもなく、このような観点は今や少なくとも形式的にはす べての大学に行き渡っていることであり、問われるべき肝心なことは、その内 容の「質」であって、それをカリキュラムによってどのような方向に実現して いくかである。 (2)大学改革の中心としてのカリキュラム改革 すでに述べたように、現在大学教育界には生き残りをかけた「大学改革」

「改組」の嵐が吹き荒れている。それを促したのは91年「大綱化」であること

はすでに述べたが、そこで重要な点は、第一に大学教員スタッフに自らの教育・ 研究活動に関して「自己評価」「自己点検」を社会的な責務として課したこと であり、いま一つは周知のように従来の「一般教育科目」「外国語教育科目」 「保健体育科目」及び「専門教育科目」の区分を廃したことである。そして更 に重要と思われることは、そのことによって従来のカリキュラム上の足伽がな くなり、自由な発想で大学改革が進められていったかのように思われているが、 実態は必ずしもそうではなく、様々な衣装をこらした「改革」という名の「画 一化」が広がっていったのではないかという疑問である。 「大綱化」以降、教養教育の危機がさけばれてきたが、真の危機は自らの内 部にあったのであり、「規制緩和」や「自由化」などという聞えのよいムード の中で各々の大学の主体性は、すでにみた国家や産業界がそれなりの危機意識 をもって提起した「人材養成」の方針に対し、戦後大学自らが闘い取り蓄積し

あるいは積み残してきた問題を捉え返し対時する方向で発揮されてきたとは言

い切れないであろう。 カリキュラムを改革していくには、明確な基本目標を定め、それに沿った実 践計画を作成し、大学全体の共通理解のもとに進めていくことが肝心である。 -112-

(12)

改革の目標がはっきりしないままに性急に作業が進められていった結果、結局 「科目区分廃止」に乗った教養教育軽視、専門教育偏重が安易にまかり通る例 が少なからず見られるという(前掲、寺崎「大学教育の創造」p81)。 改革が迅速に進められていく場合、能率化の点で評価されることが多いが、 そこには性々にして“焦り”が伴い注意を要する。一度制度ができてしまうと 変更するのは容易ではなく、実施していく過程で様々な障害が生じる恐れがあ る。フランツ・カフカがいみじくも言っているように「人間のあらゆるあやま ちは、すぺて焦りからきている。周到さを早々に放棄して、もっともらしい事

柄をもっともらしく仕立ててみせる性急な焦り」(「綾耆集」より)。このカフ

カの言葉は、これまで効率主義をかかげて疾走してきた日本の相次ぐシステム の「崩壊」をみるにつけ、貴重な教訓として銘記しておきたい。 さて、大学間の競争の中で、いろいろな問題を抱えながら、この間全国の大 学で様々な改革が進められてきた。文部省大学課の各大学からの報告に基づい てまとめられた「大学改革の推進状況について」(1996年4月)の調査項目の トップに「カリキュラム改革」が掲げられており、「大綱化」以降、大多数の 大学がカリキュラム改革をすべて実施したことを伝えている。改革の内容とし て最も多いのが「科目区分見直し」、次いで「必修選択見直し」、「単位計算見 直し」という順である。教養教育についての改革が多く取り組まれており、 「学際的、総合的科目の設置」、「専門教育の基礎科目の設置」、「少人数ゼミ」 等々、特に変りぱえのするものはない。他に外国語教育改革、情報処理教育の 必修化や、ボランティア活動を取り入れた授業開設などが増えたとしているが、 沖縄大学においてもこの間何らかのかたちでほとんど行ってきていることであ る。但し問題はその中身であり、教養部(科)がほとんど廃止された後に、教 養教育が軽視されていることはないか、どのような教員たちが教養教育を担い、 その責任主体・組織はどうなっているのか、そして何よりも改革の結果、どの ような質的内容の教育を提供するのか等々の重要な問題はこの資料ではうかが えない。 いずれにせよ、沖縄大でもそうであるが、全国的にもこれらカリキュラム改 革の質的な充実・発展に関しては未だ模索の段階ではないかと思う。各大学は -113-

(13)

今、大学改革の中核的課題としてカリキュラム改革に大きなエネルギーを注い

でいるが、文部省の調査をみても横並び的な印象を受ける。しかし問題は中身

であり、各々の大学の歴史的状況を踏まえ、また入学生の「学力」と進路・職

業観を考慮して、21世紀という厳しい時代に向う「専門性に立つ新しい教養人」

の養成を先ずカリキュラムの改革・充実・発展を通じてはかっていかなければ ならない。

大学カリキュラムに関しては、簡単には論じきれない多くの問題・課題が山

積している。このことについては、いずれ稿を改めて考察するとして、ここで

は教養教育のカリキュラムの内容について若干述べておきたい。

前出の寺崎昌男は、「新しい教養人」を育てるための新しい教養の中身とし

て、「環境論」、「人権論」、「生命論」、「宇宙論」という四つの分野の内容を科

目の中に盛り込むことを提唱している(前掲書、p83)。これらの分野は、今

やことさら取り上げるまでもないが、宇宙論はさておき、「環境・生命・人権」

については、沖縄の歴史的位相において、新しい意味を帯びて立ち現われてく

る問題群を「専門科目」の中にいかに取り入れるかによって一つの新しい教養

の展望が開けてくるのではないと考える。

また従来の専門科目を含んだ「総合科目」は、すでに沖大では「公害論」な

ど長く続いているが、これまで設置されている「沖縄学」関連科目をアジア・

世界史的な視野からさらに充実発展させていきたい。それを修得することは、

実際に沖縄やアジア諸国で働いていく上で役に立つばかりではなく、日本を相

対化し、現在の日本の抱えている政治・経済・文化的な矛盾・問題性を捉え直

し、普遍的な分析力・批判力を培っていくことになる。それは更に大学教育全

体のカリキュラムの個別的な独自性を高めると同時に他の科目との有機的なつ

ながりをつくり出すことによって、学生をアイデンティティーと広い視野をもっ た有能な「新しい教養人」に育てていくことが可能となる。

他にも異文化理解のための外国語教育の改革もあるが、トウール(「道具」)

としての外国語教育の重要性と同時に、総合的な「教養」として、文化として

の「言葉」を学び、日本語能力を高め、言葉を通じて深く考える社会的人間と

しての基本的資質を養うカリキュラムを共通の課題として考えたい。

-114-

(14)

カリキュラムの改革は、学部学科のちがいに基づいて、その目標はまず主体 的に立てられるべきであろう。しかしこれからの大学の学部教育は、従来の分 野の境界を超えて協同して取り組まなければならなくなっている。このような 意味で少なくともカリキュラムの編成において即ち学生の教育を充実させてい くために、何が重要で何が有効かを考える観点から相互に話し合い共通の理解 をうる場が必要である。 そこで必要となってくるのは、全体で責任をもって教養教育、大学教育を推 進していく責任主体としての組織である。なぜなら、各学部学科は専門教育に 責任をもつ主体ではあっても、実際上、教養教育など大学教育一般に責任をも つ主体とはならないからである。一般教育、基礎教育も学部学科で検討し決め ればよいとの意見もあるが、旧教養関係の教員が学部にそれぞれ分属している 状況の中で、集中して論議を重ね、まとめて改革案等を提起していくことは恐 らく難しい。現在山積している大学教育の問題を深めて検討し、打開の道を探っ ていくためには、全学的な組織体制をつくっていくことが不可欠である。 おわりに 法経学部の改組に伴い、教養科が今年度で廃止となり、学科所属の教員で最 後の紀要を出すことになった。奇しくも2000年、20世紀の終りになったことは 真に感,慨無量である。私もこの際、これまで研究してきた社会教育関係の論文 をと考えたが都合により問に合いそうもなく、代りに沖大教養科の「終焉」に 際し、とり急ぎ教養教育をめぐる問題について評論的な拙稿を提出することに した。その間、福祉文化学科の教員免許申請の作業等も入り、原稿の提出が大 幅に遅れ、山里将輝先生をはじめ紀要委員の方には多大の迷惑をおかけしたこ とに対し心から陳謝したい。 さて、教養科が廃止されることになり、そこで当然のごとく、いわゆる一般 教育・教養教育の分野の運営に関して、具体的にはそれを組織的に総括してい く機関の必要性について一定の話し合いがなされた。しかし、煮つめていく論 議には至らず、結局「大学教育センター」の設置の必要性などについて一部で 提起がなされたものの、正式に議題として取り上げられることもなく現在に至っ -115-

(15)

ている。

文部省も強調しているように、今後教養教育の重要性はますます高まる。特

に18才人口の急激な減少によって、近い将来ほとんど全員入学の事態が到来す ることになれば、学部教育は恐らく教養的な教育が主流となるかもしれない。 福祉文化学科の場合は専門教育としての独自性が比較的強いが、それでも学生 の基礎・教養教育を充実しなければ、スペシャリストとして必要な単位の修得 はおぼつかない。 このような基本的な問題もさることながら、やはりこれまで述べてきたよう に、大学の学部教育は、教養教育の観点を抜きにしては底の浅い貧しい中身に なることは避けられない。

21世紀に向うこれからの社会を展望するとき、「教養教育」は、「国民的教養」

を培うための学習権の一環として、その重要性を高めるであろう。 -116-

参照

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