兒女英雄傅の言語について 太田辰夫 1 清代の北京語資料として最も重要なものは小説である。そのなか でも、紅楼夢、兒女英雄伝、品花宝鑑、三〓語義の四部がいろいろの 面ですぐれている。次に従来あまり注意されたことが無かったが、満 (蒙)漢合肇のもののなかにも、故都方宮(満文書箱〓合目録、千道泉 氏の序による)でかかれた得難い資料がある。いまその主要なものを あげると、成語対待(1702)、清文啓蒙(1730)、庸言知旨(1802)、 清文指要(1809重刻)、初学指南(1794)、三合語録(1829)の6種で あって、このうち後の3つはいづれも清話一百條(Tanggu meyen) の系統をひき、J.Wadeの語言自〓集の談論篇の藍本となったもので ある。次に〓正六年(1728)の上論がでた前後からやかましくなった 標準音普及の問題にともなって、〓建、広東方面で刊行された「正音」 関係書に面白いものがある。官音彙解、正音撮要、正音咀華、郷談 正音などがこれであるが、なかでも撮要と咀華が重要である。朝鮮で は清朝になって重刊老〓大、朴〓事新釈が出たが、これは純粋の北京 語とはいえないようである。清末になって出た華音啓業も同様である。 西洋人のものは、CoulingのThe Encyclopaedia SinicaのYrammar の項目にみえる要領のよい解説にしたがって、その重要なもの、すな わち、Premare,Tourment,Morrison,Remusat,Goncalves, Paul Perry,Edhins,Wade,およびそれにつづくBaller,Mat-eer等を一通りあたってみたが、要するに北京語を基準としているの はEdkins,Wadeあたりにはじまるようである。 琉球のものでは「白姓」(その他、琉球〓本官話問答とか、官話琉 球漂流記とかいった〓題がつけられている)と称するものが、一番重 要なものであるが、これも純粋北京語といえるかどうか疑わしいので、 参〓とするにとどめる。清代北京語資料のうち、特に語法研究に役立 つものは以上の通りであるが、そのなかでも児女英雄伝は、その口語 を忠実に反映している点においても、語法語彙がきわめて多種多様で
-5-ある点においても、最も重要なものというべきであって、もしこの書 を除外したなら、清代の言語の研究は不可能であるといっても過言で はない。 2 版本 亜東図書館の鉛印本が一般に多く用いられているが、これ は上海の〓英館石印本(光緒14年刊)を基にしたもので信用出来ない。 〓〓は光緒4年北京〓珍堂木活字本、同じく光緒6年本、上海申報館 鉛印本、光緒20年上海書局石印本などによって亜東本の誤り約600 箇所を訂正し、それに〓っている。 3 語法 紅楼夢其他の文献と比較しつつその特色だけのべる。まづ 詞形については[紅]には「日」(これを「二」と同じによむ地方があ る)の変形である「兒」があるが、(例えば「今児」「明児」)「兒」にな ると「裏」も「兒」に変化して「這児」「那児」のような詞がみられる。また 「糊裏糊塗」のような形式の詞は、〔紅〕にはみえず、〔兒〕には数 個みえている。次に代名詞では〔紅〕〔兒〕ともに「〓」「〓」がない、疑問 詞では、「〓〓」は[紅]にはないが〔兒〕にはある。「多〓児」は〔紅〕 〔兒〕ともにみえないが、品花宝鑑には出てくる。「多〓」は〔紅〕にな く〔兒〕にみえる 次に副詞あるいは前附助動詞的なものについてみると、〔兒〕はや や新しい北京語であって古い北京語である〔紅〕との間にへだたりを 見出す。古い北京語では「能」は「からうじて」の〓に用いられる(高 橋景保、亜欧語〓、「能得」ドウカコウカ)ことがある。また「肯」は 「よく…する」の意に用いられ、「行動」「行不動児」が「ややもすれ ば」の意に用いられるが、こういった用法は〔紅〕その他にはみえるが 〔児〕の時代にはなくなってしまった。また「本成」は、いまでこそ「〓 〓…不成」の形式で用いるが、宋代では句〓に位置したことは助〓 〓略にいう通りであって、話本にも見えるが、〔紅〕には「不成…不 成」という形式がみえ、現代〓の語法への過程を示している。副詞で はないが「和」は宋元ではよく「建」の意に用いられる。「和夢也新 来不〓」(〓宗、燕山亭)〔紅〕にはこのいい方がのこっているが、〔児〕 にはみられない。次に〔紅〕にはなく[児]にみえる副詞としては「 〓〓」「也〓」などがあり、現在常用する副詞で〔紅〕〔児〕ともにみえな いものも少なからず存する。〓〓の助動詞的なものでは一不過(大不過、
-6-高明不過、老実不過)の形式は〔紅〕〔兒〕ともにみえ、一大發了(我 〓大發了)の如き語法もともにみえている。数詞では、〓〓〓及び 「幾呀」が〔兒〕にみえる。「幾個」を「幾呀」というのは趙元任はじめ まだ誰も注意したことがないのであって、〔兒〕がどんなに口語資料 としてすぐれたものであるかを示している。介詞では、「〓」は〔兒〕〔 紅〕ともになく、「和」(「合」)を「〓と呼んだことは正音撮要に証拠が ある。連詞では「〓若」「〓使」「鏡」などは〔紅〕にはみえず〔兒〕にみ えるおのである。助詞では〔紅〕の「了」に対して〔兒〕では「了」「拉」「〓」 「〓」などがあてられている。これは、「了」は清朝前期においてはいま だにliaoと読まれたことを示す。又、〔兒〕には「不〓」「不則という 助詞がみえるが〔紅〕にはこれがない。最後に品詞の転用についてみ ると、俗人の俗語ほど無理な転用をしていることがわかる。それ故、 古代語の、例えば「〓白骨」(国語)「士兵之」(左傅)の如きは、文人 が遊戯の業を弄したものではなく、口語(俗語)に非常に近いことが推 測される。 4 語彙 中国の小説は中小的な説明を嫌い、具体的な描写によろう とするから、その対話はきわめて口語に近い。兒女英雄傳ではそのた め、旗人特有の言語や方言が豊富にみうけられる。旗人語としては満 州語が少なからずみうけられ、(例えば「巴図馨」baturu勇敢な「控 〓」wadan大風呂敷、「罷卜」bebuねんねんよ((寝付かせることば))、 「〓図〓」「〓〓〓」kutule旗人に属従する奴僕、そのほか十数種の 満州語がある)、また旗人特有の親属〓呼、たとえば母を「〓〓」と いい、外〓を「外外」というごときものもみうけられる。方言として は山東および江〓の常州のものがその土地生まれの人によって〓られて いる。そのほか列挙および〓〓に関しては、他のいかなるものにも見 知れない詳細な描寫があり、この小説の語彙を豊富にしている。