Title
沖縄農業研究会の思い出と私の研究
Author(s)
大屋, 一弘
Citation
沖縄農業, 46(1): 61-70
Issue Date
2013-06
URL
http://hdl.handle.net/20.500.12001/17881
Rights
沖縄農業研究会
沖縄農業
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シンポジウム〕
沖縄農業研究会50周年記念事業 特別 シンポ ジウム沖縄農業研究会の思 い出 と私の研究
大 屋 一 弘 平成25年3月1日 沖縄都ホテルKaz
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は じめ に 私 は平成
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年11
月3
日文化 の 日に教育功労賞 として瑞賓 中綬章 を受章 した.身 に余 る光栄で ある 沖縄農業研究会での研究発表等 の活動 も 教育 の面で役 に立つ と見徹された とす るな ら, これ また望外 の喜びである. 私 は1
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年4
月に琉球大学農家攻工学部 に辞 師 として採用 され,以来定年 となる1
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年3
月 までの3
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年間琉球大学 に勤務 した.沖縄農業研 究会が今年で50周年 ということは私が琉球大学 に採用 される2
年前(
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年) にできた ことに なる.採用 された当時は大学 の仕事 と併せて研 究会 の庶務幹事 を仰せつか りその仕事 をこなす のに大童であった 大学では英語が役 に立つ 大学では英語が役 に立つ 当た り前の ことだ 那,今思 うと英語勉強のきっかけに2回見舞わ れたようである.一回 目は高校2年生の3月. 3年生の卒業式 の時,英語成績 の良い生徒 に英 和辞頻 と和英辞曲が共晶であった.それで 自分 が卒業す る時 も辞典 を貰いた くて英語 の勉強を 始めた.不純な動機で ことを始める とうまくい かないもので, こち らが卒兼 とい う段 になる と 予算不足 とかで,賞品の英和辞見 和英辞県 は 出ず しまいとなって しまった.賞品は黄えなかっ たが,勉強 した分 の英語 は体 に残 って呉れた と 思 う. 二 回 目は単位 を落 とす ことな く琉球大学 を無 事卒業 して,八重 山農林高校 に就職 した とき. そ こでの担 当科 E]は作物,土 と肥料,農産加工, 農業実習な どの農業科 の科 目以外 に.教月が足 りな いことと私が苦 いとの理 由にな らな い理 由 で,英百舌と化学 を持た された.良業科 の科 目は さて置 いて,英語 と化学 は担 当させ られたか ら には恥ずか しくないよ うに教 えねば と必死 に取 り組んだ. 高校 の先生 も3年 を過 ぎる と別 の ことがや り た くなる それで大学院進学の道を考えてみた. 色 々調べて見 る と国内の大学院は金がかか り. アメ リカの大学院は留学制度 を利用すれば奨学 金が賞えて只で行 ける ことが分か った 但 し英 語 の留学試験 を受けなければな らない 幸 い英 語担 当の仕事が役 に立って.ハ ワイ大学 に留学 で きる こととな った まさに 「若い時の苦労は 買ってで もやれ」 を地で行 って得 したよ うな気 分であった 後 に琉球大学 に勤め ミシガ ン州立大学 にも留 学 したが,英語 の下地 は高校卒業時の辞典欲の お蔭 と.高校教員時代 の英諦担 当の苦 しみで出 来上がったよ うに思われ る62 沖縄農業 第46巻 第1早 (2013) ハ ワイ大学で驚いたこと二つ ハ ワイ大学では1961年9月か ら1963年10月ま で土壌学修士課程で勉強することになるが.そ の間特に鴬いた ことが二つあった.1つは宿題 や レポー トが全てタイプ ライターで書かれるこ と.当時はワープロが未発達で 日本では全て手 書きでやっていた.それを英語 とはいえタイプ ライターで仕上げることの能率の高さか ら.私 の仕事は彼 らアメリカ入学生に敵わないと痛感 したものである. 二つ 目は論文を普 くに当たっては参考文献を 探 らなければな らないが,余程特殊な論文でな い限 りアメリカ国内で発表 された論文が参考文 献 として十分足 りるということ. 日本では必ず 外国の文献が先行 しがちで, これがないと格不 足の感 を免れない.アメリカ国内の参考文献で 十分 ということは,論文がそれだけ幅広 く量産 されている結果 と思わざるを得なかった. タイミング良く琉球大学 に採用 される ハ ワイか ら沖縄 に帰ると琉球大学では1964年 4月か ら農家政工学部に農芸化学科を創る計画 があ り,学生はその前年度 に農学科生 として20 名入学 させておき,農芸化学科が出来た時点で 農学科10名,農芸化学科10名に分けるというこ とであった 私の琉球大学勤務は新設学科の土 壌学 ・肥料学分野の科 目担当のために始 まり, 卒後8年 目とは云え学科の新設 というタイミン グに恵まれたものだった. また琉球大学生活の 始 まりは農芸化学科 1期生 と同時 ということに なる 琉球大学 に採用 されると直 ぐ沖縄農業研究会 の庶務幹事を仰せつかったことは前にも述べた. 研究会の歩みは最初は順調であったが,だんだ ん と窮屈 になって来た.それは会員は200名位 居ったものの,多 くの人が郵便為替で送金する とか銀行振込 をするとかに馴れてな く会費納入 が悉かった為で,頭痛の種であった.研究会誌 は発行の都度主だった職場 に数部ずつまとめて 持って行き,それを個人に分けて配布 して貸 う ことな どもやIJてみた. それでも会の運営は苦 しいので.第2代 目会 長の高良先生の時に他所か らの援助を考えて見 ようとなった.当時東京 にアジア財団なるもの があ り,アメリカか ら本 を集めて沖縄の高校や 大学 に寄贈 して呉れていた. これ に可能性を賭 けて沖縄農業研究会への助成を申請 した.幸い この申請が受け入れ られて,年間
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ドルかの助 成 を3
か年位受けることが出来た.その間に会 の財政にテコ入れをして辛 うじて運営が出来る ようになった.4
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年位前の事だが有 り難 くも苦 い思い出である. 琉球大学の国立化 とキャンパス移転の大仕事 沖縄の日本復帰が近づ くと琉球大学 も国立化 されるが,国立化 には教官の資格が問題 となろ うという噂が立ち始めた 大学で勤務 を続ける には学位が必要かな と思い, またアメリカに行 くことにした.二 ・三の大学 に願書 を出して模 索 していると,丁度 ミシガ ンミッションの一点 としてDrドナ ヒュ- (土壌学専攻)がやって 来たので.彼に頼んでミシガ ン州立大の土壌学 科 に推薦 して賢いミシガ ン行きが決 まった ミシガ ンには1967年 (S42年)9月か ら1970午 (
84
5
年)12月の留学 となるが,アメリカ式 勉強法はハ ワイ大学で経験済みなので, ミシガ ンでの受講や研究はそれほど苦にな らなかった. む しろ2年 Elには中古車を買い ドライブを楽 し む余裕 もあった. ただ経験済みとはいえアメリカ式授兼のスピー ドの速 さには相変わ らず手古摺った ミシガ ン州立大は琉球大学 に比べるとマンモ大屋 沖縄農業研究会の思い出と私の研究 63 ス校 に等 しく,学生が多 く生協の本屋や食堂 も 充実 していた.本屋 には膨大な本が並ぶが新品 とは別 に中古の本 も多いことに驚かされた.中 古本の由来は学生が学期が終わると,受けてい た授業の教科書や参考書 を禿IJて しまうか らだ という.我々の常識では員った本は後生大事 に 持って手放す ことは無いのに,アメ リカの学生 は思い切が良いのか と感心 した.本は図書館で 利用出来るか らということか 色々な難儀や楽 しみの巾で一番の気がか りは 留学の目的である学位が取れるか どうかであっ た.折角3年間の留学許可を貰って留守 にして 置きなが ら学位が貨えないとなると,琉球大学 の同僚 に申し訳ないし面 Elが立たない. しか し この心配をよそに順調 に学位を黄 う事が出来て 安心 したものである.琉球大学 に戻ったのは沖 縄の日本復帰に伴 う琉球大学国立化の2年前で, まさに滑 り込みの感が した.
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年)5
月琉球大学国立移管 に伴 い私は文部教官教育職 (-
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等級 (琉球大学 助教授農学部) に任 じられた.教官の資格審査 に学位の有無は勿論,学会誌,琉球大学農学報 への論文が評価 されたが,我が沖縄農業研究会 誌 「沖縄農業」への論文 も多少は評価 されたよ うに思 う. それまで農芸化学科の教官は 7名であったの が1
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名に拡充整備 され 学生も学科 1学年当た り30名に増員された.その後教育 ・研究熱の高 まりと,高度化の必要性か ら1
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年(
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年) に大学院修士課程が出来. さらに1
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年(
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年) に鹿児島大学 との連合で大学院博士課程の 創設へ と拡充 ・発展 した. その間の私 としての大事業は琉球大学のキャ ンパス移転であった.国立化により大学の整備 ・ 拡充が進む と学生や教官が増えて.それ迄首里 にあったキャンパスはこの上な く手狭になって, 復帰5年位するとキャンパス移転が現実化 した.1
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年)迄に土地の準備,それか らデ ザイ ン.建物の設計へ と進み.結果1
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53年) に農学部が先頭を切って首里か ら現在地 の西原 に移ることが決まり.1
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年)3
月に完工 した.私の大事業 となったのは建物建 築の知識の無い私が移転委員長になされ 農学 部8
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名近い教官 と建築構想 について議論 し.そ rLをまとめて大学施設部 に持って行き協議 をし なければな らなかったか らである.農学部の計 画 面積 は研 究室 , 教室 , 事務 室等 併せ て約 13,000平方メー トルであ り, これだけ広大な建 物 についての多人数の意見や希望 を設計に反映 させることは至難な業で.議論 と協議を何回繰 り返 した ことか.幸い農業工学科の宮城調勝教 官が移転副委員長 を務め建築 にかな りの知識が 有 り大 いに助けられた. 琉球大学での役職 学科主任 5年毎 に順番で (1期 1年) 農学部戯場長 (学部内選挙で.1期 2年) 農学部熱帯農業研究施設長 (学部内選挙で, 1期2年) 農学部長 (学部内選挙で.1期 2年) その他 .大学評議員,大学予算委員,大学国 際交流委員 主な研究活動 琉球大学在職中の研究活動として著書,論文, 調査報告,学会発表等のリス トを私の停年退職 時の兼続 目録 (琉球大学農学部農芸化学科同窓 会.平成11年8月発行) に載せて貰った. 沖縄 に深 く関係する研究 として 「サ トウキ ビ のケイ酸栄養 と輪作」及び 「ジャーガル におけ る堆肥の肥効消長」 を挙げてみる64 沖縄農業 第46巻 第1早 (2013) サ トウキ ビのケイ酸栄養 と輪作 土壌の可絵態ケイ酸の レベルは土壌pHと関 係 し.pHが高いとケイ酸は多 く.pHが低いと 少ない. 沖縄ではジャーガル土壌はpHが8前 後で可給態ケイ酸が40- 60mg/100gと多いが, 国頭 マ ー ジ土 壌 はpH 4- 5で可絵 態 ケイ酸 10- 15mg/100gと少な い. 島尻 マー ジ土壌 は pH5- 6.5で可給態ケイ掛 ま前両土壌の中間で ある (蓑1,2,3) サ トウキビはカ リ養分の吸収が高いが,ケイ 酸は更 に多 く吸収する.そのため土壌中可給態 ケイ酸はサ トウキ ビ生育初期か ら登熱期 にかけ てlo- 15%減少する. もしサ トウキビの連作を 続けるな ら⊥壌ケイ酸は この割合で減 り続け. ケイ酸不足即ちサ トウキビの生育不良を来た し かねない. サ トウキビを含めイネ科作物 にケイ酸栄養の 効果は認識 されて居 り, これの供給は重要であ 表l 調査地点および畑の概要 畑の概要 同上 島尻マージ.クチャ客土 同上,島尻マージ,クチャ客土 同上 島尻マージ,クチャ客土 同上 島尻マージ.クチャ客土 同上 島尻マージ 同上 島尻マージ 同上 同上.島尻マージ 同上 同上 同上,クチャ客土 同上 クチャ客土 土壌 No 銅査地点 1 上野村野原 2 平 良市大浦 田原 3 平 良市大浦 田原 4 城辺 町下 北 5 上野村新里 6 平 良市細竹原 7 下地 町入江 8 城辺 町新城 Jl 糸 満 rb伊原 )2 糸満市米須 13 糸満市米須 14 糸 満市大 渡 表3.調査土壌 6月と10月の可溶性ケイ酸含圭の差 (1986) 圃聯 号 サンプ畑 冒完S7 可溶性ケイ酸,mg/100g 可溶性ケイ酸6月と10月 6月 10月 平均値の差の有意差 6 4 43 4 4 43 12 3 46 11 4 49 8 4 5 5 4 53 7 4 65 1 4 65 13 4 7 6 14 4 7 6 2 4 78 3 4 78 全休 47 604 73土10 40±08 有り(1%) 85土10 55土06 有り(1%) 187土12 110士10 有り(1%) 315土241 83土53 なし 285±73 205士47 なし 180土93 200土136 なし 803土183 673土33 なし 498土261 438土221 なし 670土50 543土17 有り(1%) 393士116 305士34 なし 408土21 340tO8 有 り(1%) 640士68 535土64 有 り(10%) 3819i2561 2977±2194 右L)(5%)
大屋 沖縄農業研究会の思い出と私の研究 p‥ 二 十 日 : ・ - ∴ : ‥ 、 等
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沖縄農 業 第4
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13) る.イネ科作物は一般 にケイ酸吸収が強 く,双 子秦作物はケイ酸吸収が弱いので,サ トウキビ 跡地 にダイズや甘 しょ等を栽培 して土壌ケイ酸 を再富化 して,次のサ トウキビに供給する必要 がある. この輪作体系はかな り以前に採 られて いたものである.現在ではダイズは不適である な らそれ に代わる色々な変法を考えれば良い. 例 えば土壌pHを上げれば可給態ケイ酸が増え るので炭カルを撒 くとか,ケイ酸資材 を授与す るとかである. 土壌サ ンプルは4畝x1
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の区画よ り4点づ つ,畝の中央 と満の中間で,深さ0-1
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を採 取 した.可給態ケイ酸は酢酸緩衝液浸出法で測 定 した.可給態ケイ酸測定の結果は表に示 した ジャーガル における堆肥の肥効消長 琉球大学農場の18番圃場 (ジャーガル土壌) に図1のような試験区を設け,堆肥を施用 して1
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年間に作物を1
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回栽培 した. 試験区の内容 : 2種類の堆肥 B堆肥.下水汚泥にバガスを混ぜた ものC
堆肥.主に牛糞を原料 とするもの 堆肥施用畠AO
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この処理プ ロッ トを4連で設け,作物栽培6 作 まで上記の施肥をし, 7. 8, 9.1
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作 には 化学肥料のみ とした. 試験前土壌の埋化学性 鼎型的なジャーガル の特徴を備える. 堆肥の理化学的特徴:
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堆肥は乾燥の程度は 0.5 0.5 -....・.・.1 PJ .5・11.0r1.5・1 「.
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41plots 国l.試験区.大屋 沖縄農業研究会の思い出と私の研究 67 良く,窒素や リン酸は多いが,カ リが極端 に少 ない.書式験栽培に供 した作物の種類は表 に示す 通 り.主に野菜であった.栽培期間の短いもの が多 く7年間に10作 した.作物の収量は第5作 まで堆肥施用 による増収が得 られたが.第6作 以降は差がはっき りしな くなった (図2- 5, 蓑 4-8). 土壌団粒の粒径別分布では,径
2mm
の団粒 が堆肥施用で増える傾向が見 られた 土壌pH の維持 にはC堆肥よ りB堆肥の方が効 くこと, 全炭素.全窒素. リン酸.カリの富化 に両堆肥 とも効果があること等が示 された.然 し堆肥施 用 を止めると富化 された成分は急激 に減少 し, 3年位で元の レベルに戻 りそ うな傾向が見 られ 蓑 4 記載前土壌 (0-15cm)の理化学性 項 目 平均 * 標準偏差 * pH(H20) 728 004 (KCL) 609 008 CEC(me′100g) 2047 159 交換性塩基 (me/100g) C8 MI K Na 塩基飽和度 (㌔) T-C(㌔) T-N(㌔) C/N比 Tn」og-P(mgP205/100g) リン吸(mgP205/100g) 1 . -2 0 ・ -3 0 . 。ー ㌻ 0 . 。7 m 。 ・ 〝 憲 諾 o ・ -。 o ・ -3 118 1 ・ 。7 0 ・ -。 霊 ー *5処理区4連づつの平均とその標準誤差を示す た.特にこの減少傾向は窒素とカリで顕著であっ た. まとめ 1. ジャーガル にお いては作物や堆 肥の種類 によIJて収量に及ぼす堆肥の効果 に違 いがある.多 くの場合効果が認め られるがそ う でない時 もある.2.堆肥連用 によ り土壌の有 機物や養分は富化するが.堆肥施用を止めると 有機物や養分 (特にN
とK)
は急激に減少 し, 土壌一気候条件に支配 されて3年位で一定の平 衡 に達す ると考 え られ る.3.化学肥料を十分 に施用するときは,それにマスキングされて堆 肥の残効は現れ難いとも考えられえる. 表5 堆肥処理 I/108 -局 ■ み の 科 料 LJ Ll 千 字 化 上 上 上 化 + 同 岡 同 5 .0 .5 . 0 表6.堆肥分析値68 沖縄農 業 第46巻 第1早 (2013) 表7 作物栽培経過. 栽培回 作物 警 誓許 栽培期間 1 わい性サヤインゲン 2 オクラ 3 わい性サヤインゲン 4 ナス 5 スイートコーン 6 ナス 有り 191ll2-'92 121 有り ■925 14-'92 122 有り '92 127-'93 3 15 有り ■936 19-830 有り ■94 2 26-625 有L) ■94 10 1-12 12 7 ズッキ-二 無し ■958 30-9下旬 8 オクラ 無し ■96 5 16-9 1 9 ナス 無し ■9759-86 10 カンショ 無し '97 1029 -表8 作物の収量 (相対値) 込g区 ♯1 作 JF2 仲 井3 作 Jl4 拝 ン ケ ン オ ク ラ サ ヤ イ ン ゲ ン ナ ス ス 08 1004 1仙 1008 6LI 1134,b lヱOb 120b 8b I29b lZlb l18■,b 3▲ 1014 138c l
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書 34
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し 58 打 団粒のサイズ (mm) 図 2 . 堆肥施用区における日払の粒径別含有i . +AO -Zll
ーB2 -■-C 1-0-C2大屋 沖縄農業研究会の思い出と私の研究 69 0.25 0.20 0.15 0.10 ,A
,
a ; :2 4
作 物 効 用 国 政 7 0 5 ! 3 ( B D OLJ
So N d b ) d ・ b n Li 2 4 作 物 我埼回R 図 3.堆肥施用と作物栽培に伴 う土壌の全窒素 図 4.堆肥施用と作物栽培に伴 う土壌の可 含有率の変化(
Bo o LJ 聖ヒ
)と せ V 桝 e Y FT 拾態 リン酸舎王の変化. 二 図5 稚肥施用 と作物栽培に伴 う土壌のカ リ含tの変化70 沖縄農業 第46巻 第1早 (2013) おわ りに 研究 に関 しては多 くの事柄を細か く話 しても 沖縄虚業研究会の思い出としては,琉球大学 限がないので,話 しやすい事柄 に絞ってケイ酸 に在職中での関わ りが強いので.つい自分史的 と堆肥のことを取 り上げた.両方 とも調査研究 な側面が多 くなって しまった. これも琉球大学 に粗い点があるが, これか ら先の細かい点 につ や私の動きのなかで沖縄腿業研究会の動向を少 いては後続研究者の取 り組みに期待 したい. Lでも汲取って賢いたいと考えたか らである