「哲学・倫理学」講義からみえる学生の価値観--2014年
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(2) 22. 阿部 典子. うことに気付くのに、さほど時間がかからなかったことは言うまでもない。そ こで、抽象概念の具体例を列挙することになった。生活環境が似ている者同士 であれば、おそらくこの方法によってそれほど違いのない理解が得られること だろうと思う。しかし、よく言われるように IT 技術の進歩に伴い生活環境は 急速に変化してきており、具体例でさえも学生との間にまったく共通項がない という場合が年々増えてきた。 そこで取り入れたのが、自己分析という方法である。「人がどんな哲学を選ぶ かは、その人がどんな人間かによる」とドイツ観念論の哲学者フィヒテが語っ ているように、人間理解・自己理解は哲学や倫理学の基礎となり、そこからい わゆる真善美という価値の考察に向かう。しかし工学部の講義では、まず或る テーマに沿って学生自身に自分のあり方を確認してもらい、そのあり方が哲学 や倫理学の或る抽象概念の具体的内容である、という順序で説明することにし た。 実際に学生の意見に触れてみると、そこから学ぶことは多い。一人二人の少 数派の意見であっても、それに触れることによって人間理解何よりも学生理解 の幅は広がると思われる。そこで、印象が深かった点を中心に以下紹介してみ たい。 2.規範意識 「倫理基礎」の講義で、自分が一日に会う人数を数えてもらった。日によっ ても大きな差があり、なによりもどのような会い方を「会う」と捉えるのかも 人によって異なる。そこで、その点も各自それぞれの理解に任せたままで、何 人の人と会っているかを確認してもらった。最も少なかったのは 3 名、最多は 数百名の答えであった。数百名を挙げた学生は、講義を一緒に受けている学生 や学内にいる学生も「会う」とみなしてカウントしていた。それに対して少な い人数を答えた学生の意見のいくつかは以下である。 「コンビニなどの店員は人として認識をしていない。作業しているものだと 思っている。そのような人たちも人として認識すれば、毎日すごい数の人と 出会えることになる。」 「必要最低限の人としか関係を持ちたくない。メリットがありません。」 「会う人数に先生は入っていない。サービス業として話をしていると思って いるので、会ったという感覚にはならない。」 同時にネットワーク上で「会う」人数も確認してもらったが、メールや LINE でのやり取りは人数が比較的分かりやすいものの、ネットワーク上で人と「会 う」という点に関しては「分からない」あるいはそもそも「人」の認識は希薄.
(3) 「哲学・倫理学」講義からみえる学生の価値観 ―2014年―. 23. な場合が多いようである。 「倫理学」の講義では「囚人のジレンマ」をアレンジして学生に問いかけて いる。仮に学生自身が企業や大学におけるグループ研究の一員であり、その研 究は特許や利潤に大きくかかわる機密性の高い内容であるとして、その情報を 秘密裏に売ってほしいと声をかけられた場合に、あなたはどうするかと尋ねて いる。この場合にも具体的条件はほとんど指定していないが、あなた一人にも ちかけられた話であって他者に相談はできないことを確認して答えてもらった。 「倫理基礎」とは受講生が異なるが、これまでの数年間では、情報を売ると 答えた学生の比率が最も低かった年で 120 名の受講者中 33 名の 28%、最も高 かった年で 129 名の受講者中 84 名の 65%、その他の年も 32%、52%、58%が 情報を売る、という回答であった (1)。 「売らない」という学生の意見には、いわ ゆる規範意識で売らないという学生のほかに、「その研究のほうが儲かる」とい う理由の学生が数名含まれる。 一般的には、人間における安定性や安心感は母性性によって育まれ、規範意 識や秩序観は父性性によって育まれるといわれる。必ずしも現実の父母がその 役目を担う必要はないが、生まれたときから幼少期までの間に、まず母性性に よって一個の人間としての安定性が培われ、その安定性の上に父性性によって 規範意識が培われる、といわれる。そして、次第に自分という意識が芽生え、 反抗期を経て成長していくといわれてきた。自分で安定性や規範意識を確認す るよりも、反抗期の有無は確認が容易であるように思われるため、学生に反抗 期の有無については尋ねることがある。従来「西洋哲学」において質問の機会を 得ていたが、反抗期無しの学生の比率は最も低かった年で 158 名の受講者中 34 名の 21%、最も高かった年は昨年 2013 年度の受講者 139 名中 56 名の 40%で ある (2)。 このような学生の回答に対しては様々な解釈や判断が試みられることと思う が、少なくとも筆者が当たり前と感じているあり方とは異なる雰囲気が感じら れる。人数確認は行なわなかったが、授業のあとに学生から「お疲れ様でした」 と挨拶されるようになった頃、学生に次のように尋ねたことがある。習ったば かりの掛け算九九がうまくできない小学 2 年生の子供にあなたが掛け算九九を 教えてあげたところ、その子供はよくできるようになった。その時にその子供 があなたに「お疲れ様でした」と挨拶をしたとしたら、あなたはどう感じます か? 「違和感がある」と答えた学生もいたが、「何も感じない」、「別に変では ない」という回答もみられた。 規範意識は倫理観と直接に結びつく。一般には道徳と倫理はほぼ同じ意味で 用いられるが、道徳を老子『道徳経』に見ると、それは天地の理(ことわり)と いうような形而上的筋道であり、それに従うことが人間の自然であるという捉.
(4) 24. 阿部 典子. え方である。一方で倫理観とは、或る社会や集団における秩序やルールのこと であり、人為的なものとして集団によって解釈が異なる。これは言語の位置づ けと似ているようにも感じられる。集団により使用言語は異なり、時代によっ てもその意味や解釈が異なるのは当然である。倫理観もそのようなものである ならば、 「お疲れ様でした」という使い方が異なってくるように、規範意識も異 なってくるであろう。もちろんその基本にある捉え方は簡単に変化するもので はないとも思われるが、そこまで到達するには更なる問いかけが必要である。 3.生活習慣 規範意識や倫理観において善悪や当為などが問題になる以前に、私たちはご く普通の日常生活においてもあるレベルで規範意識をもってすごしていると思 われる。「倫理基礎」ではその点を改めて確認してもらうことが多いが、そのひ とつとして生活のリズムがよいかどうかを学生に尋ねたことがある。このよう な問いへの回答は主観的判断で十分であることを確認したうえで、生活のリズ ムが整っていないと答えた学生の比率は、今年度に関しては、受講者 176 名中 84 名の 48%であった (3)。その理由として最も多かったものは「睡眠時間がバラ バラ」で、「ゲーム」を理由に挙げる学生が目立った。また、「夜眠くならない」、 「寝られない」という声もある。「寝ても寝ても眠い」、「疲れがたまっている」、 「疲労の蓄積」などの理由も多い。そして、その原因は学生自身にも分かって いる様子がみられた。 その他、食事や嗜好品などについても具体的に学生自身に確認してもらって いる。 このような生活習慣は小さい頃からの環境によるものが多いと思われる。そ れはそれぞれの家庭における規範であり、また時代や地域によって異なる社会 規範の影響も大きい。これらは各個人の考え方を越えたものともいえるが、同 時に各個人の考え方に直接に影響を与えるものでもある。 4.終わりに 哲学や倫理学はそれぞれに自分で考えることが重要であり、自己分析におい ては自分で判断することが求められる。このような観点から哲学や倫理学の講 義では自立や自律を目標に掲げているが、講義以外でも自己分析の機会を増や したい。すなわち反省である。自分の考え方や行動に目を向けることができる ようになったならば、その考え方や行動として現れてくる自分自身の基本的願 望あるいは目的を確認し、さらにはその願望や目的が生じてくるものの見方や.
(5) 「哲学・倫理学」講義からみえる学生の価値観 25. ―2014年―. 基準そのものへの反省にまですすんでいきたい。どのような基準に従っている のかという価値観が哲学や倫理学のみならず学問の進む方向を定め、一人の人 間が生きる方向も、そして社会の進む方向も定めることになると思われるから である。 注 (1)今までに同様の質問をした結果は以下である。. 年度 2012 2011 2010 2009 2008. 受講者数 売らない 146 59 120 75 153 70 145 93 129 45. 売る 84 33 80 47 84. 不明 3 12 3 5 0. (2)今までに同様の質問をした結果は以下である。. 年度 2013 2010 2009 2008 2005. 受講者数 139 158 153 77 87. あり 74 122 92 50 63. なし 56 34 42 22 21. 不明 9 2 19 5 3. (3)今までに同様の質問をした結果は以下である。. 年度 2014 2010 2009 2008 2007. 受講者数 176 191 237 154 170. よい 90 34 92 61 76. 悪い 84 54 140 93 90. 不明 2 103(どちらともいえない). 5 0 4.
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