ー
文副詞としての「
も」の考察
「幸い」と「幸いにも」を中心に
一成
賢
珠
ーもJという形を中心にして次のよ0.はじめに
森本(1994)では、文副詞の中で評価類の語を「 うにまとめられている。 I.「も」の付加なし。 あいにくrr.
「も」は付加してもしなくてもよい。 幸い(に(も))、気の塀に(も)、 感心に(も)、 めずらしく(も)、運悪く(も)m.
「も」の付加がほとんど義務的。 不思議にも、窟容にも、親切にも、残念にも、愚かにも、皮肉にも また、このような文副詞としての「ーも」について次のように述べられている。 「も」の付加は次のように説明できるだろう。I、または11の副詞は、対応する様 態的副詞をもたない。たとえば、「さいわい」は、命題内容に評価的コメントをす る以外の読みはない。先に説明したように、「気の塀に」と「感心に」も同じよう になる。この点から、「も」はただひとつの読みしかない場合に、つまり、 SSA 副洞としての機能が明らかな場合には必要ではないといえる。これに対して、m
グ プの副洞は、様態的副詞から区別するために「も」の付加が必要だと考えられ ルー る。 しかし、箪者はこのような森本氏の説明について疑問点が感じられる。 (aImの副詞の中には対応する様態的副詞を持たない例がある。 残念にも(*残念に)、愚かにも(*愚かに)、•惜しくも(*惜しく)等。 (billの副詞「幸い(に)、気の塀に、感心に、めずらしく、運悪く」などとm
の 「残念にも、愚かにも、惜しくも」などのような瑚詞は対応する様態的副詞を持 たないのに何故「ーも」の形を取るのか。 これらのことを考え合わせると、森本氏の文副詞としての「ーも」についての記述には、 疑間があると言うべきであろう。 そこで、本稿では、構文的観点から文副詞としての 「ーも」をどのように考えるべきか、について考察してゆくことにしたいと思う。 83-まず、 上記の疑問を解決するために、 取り立て助詞「も」と文硝詞としての・「も」の それぞれの構文的特徴を開ぺた上で、 両方を比較・検討することにする。;'
1. 取り立て助詞「も」の構文的特徴
取り立て助詞「も」の構文的特徴とは、 次のようにそれがなくても、 構文における機 能の変化は起こらないということである。 このひとも、 きっと不幸な人なのだ ⇒ このひと、 きっ と不幸な人なのだ (辿用修飾) ⇔ (辿用修飾) もらろん、「も」はそれ自体独立した意味を持っているため、「も」がある文とない文と では、 その意味が異なる。 しかし、 構文的t,1面においては取りたて助詞「も」を加える ことによってその横能的変化は起こらないように思われる。 また、 取り立て助開「も」が文の中でどのような成分を取り立てているのかをみると、 彼はフランス語も話せます。(名詞+も) 小学校にも行けなかった。(名詞+格助詞+も) 花子はゆっくりとも話した。(澗詞+も) 花子は楽しそうに径と立する。(ffl言の速用形+も) 女ぺてもみた。(9)J洞の補助動詞+も) のように取り立てる成分は非常に自由である。 その上、取り立て助詞の「も」は次のよIU うに、 どの節でも制約を受けず、現れることができる。 IH (1)「額のいい人は、 スタイルも悪くないよ」(主節)太 (2)「男なら、 迎動部へ入りなさいって。それでね、1災もその通りだと思ったもんですか ら、 やめたんです」(肌め込み節)太 (3)速くなるのは線習もあるけれと’、 それより、 もっと大きいのは索質であることはわか り切っている。(接絞節)太 (4)家も抵当に入れて、 その挙句売ってしまったし、 退駿金なんてものも11tえないし、 お 父さんは幼けないし•••それですっかり各望を失っててね。(中止節)太 (5)「一年上の、茶辺部なんかにいたこともある人さ」(述体節)太2. 文副詞としての「
ーも」の構文的特徴
取り立て助岡 「も」の存在が、 上記のような特徴をもっているのに比ぺて、 文副詞と しての「も」は次のような特徴をもっていると言える。 親切にもしばしば、 情報を送ってくれた⇒
親切にしばしば、 付1報を送ってくれた (文副開) ⇒ (巡用修飾) - 82 - (l3のように、「親切にも」から「も」を分離した場合、「親切に」は文副詞ではなくなる。 つまり、 文副飼としての「も」は 「親切に」+「も」 のように分けて考えることはできないのである。 これは、 取りたて助詞「も」と異なる 点である。 また、 文副詞としての「も」は、 次のように、 (6)その後、 親切にもしばしば、i消報を送ってくれた。(主節)太 (7)母は珍しく、 女言業で話している、 と思ったら、Pl]もなく、「そう? 本当に、 ホテ ルまで迎えに来てくれるの? 悪いね」ということになった。(埋め込み節)太 (8滓いにも、 まだ朝飯を食ぺていないので、 一時間のヒマつぶしに、 食事は太田でとる ことにした。(接絞節)太 (9)七ントクレア夫人は親切にも、 僕の要求をいれて部屋を二つ提供してくれたし、 きみ も僕の友人で しかも仕事の相棒だとlitlけば、 喜んで歓迎してくれるにきまっている から、 安心していたまえ。(中止節)冒 (I戚子は、 珍しくスバゲッティを立べ残したまま、 その喫茶店を後にした。(辿体節)女 (10めずらしく晴れた初冬の午後で、 怠けるにはもってこいの日和である。(辿体節)風 I;とんどが主節か接続節、 あるいは中止節に現われ、 述体節には非常に現れにくいといill う制約がある。 このような相述点から、 取り立て助詞「も」と文副岡としての「ーも」とは同次元に 扱うことのできないものと考えられる。 つまり、 文副詞としての「ーも」は、 単独に使 われている取り立て助洞の「も」とは異なり、 それを分離して考えることはできない。 したがって、 文副詞としての「ーも」には一tfと認めるべき機能が託されており、 森本 氏の言う様態的副詞をもつかもたないかということとは関係なく、「ーも」という形で 文副詞として存在しているのである。 そして、 こうしたところから、 様態的副詞をもた ない「おろかにも」や・「惜しくも」のような文副洞が存在するのではないかと思われる。 もし「おろかに」+「も」、「惜しく」+「も」であるとするなら、 かならず「おろか に」、「惜しく」のような様態的副詞が存在するはずであろう。 では、 IIの文副洞は何故、例えば、「珍しく」と「珍しくもJという二つの形がある ll)であろうか。 それは、 これまで検討してきた
m
の副洞と同様に、「も」が本来、「珍し く」に付加されたものではないためであると思われる。 つまり両者は、 別々の副詞では ないだろうか。 もし、 別々の副詞とすれば、 かならず文における使い分けがあるだろう と思われる。 そこで、 以下では、 文副詞としての「一¢」と「ーも」の使い分けがある か否かを実例を通して検討していくことにする。 81-3. 文副詞としての「—¢」と「ーも」
「-¢」と「ーも」の両方の形をもつ文副岡としては森本氏が裕げている 「幸い(に (も))」「珍しく(も)」「不思議に(も)」「不幸に(も)」「運良く (も)」「気の班に (も)」「哀れに(も)」などが考えられるが、そのうち、最も多く用いられていると思 われる「幸い(に(も))」を中心に考察していきたい。「珍しく (も)」や 「不思議に (も)」などもその例は少なくないが、上に挙げた他の測詞とはその性格において異 なっているために、本秘では取り上げないことにし、その例の最も多い「幸い(にも)」 を中心として考えていきたいと思う。ただし、「幸い(に(も))」の考察に入る前に、 「珍しく」や「不思議に」が性格の上で他の副洞とどのように異なっているかについて、 他の文副岡の場合と比ぺながら若干触れておくことにする。 まず、「珍しく」は、次のように、辿体修飾節において、自然な表現として用いられ る楊合が多い。 ⑫純子は、珍しくスパゲッティを宜べ残したまま、その喫茶店を後にした。女 (I紐めずらしくl!i'iれた初冬の午後で、怠けるにはもってこいの日和である。風 それに比ぺて、他の文副洞の場合は、辿体節に現れることはないようである。こうした i 1; 4 点から、「珍しく」は文副桐の中ではやや例外的なものと考えられるが、それは、次の ように、「珍しく」が程度副詞によってり街負iされることができるという言語事実からも 充分に推察することができる。 (I4)a. 翌朝、太郎は珍しく早く起きた。太 b. 翌朝、太郎はとても珍しく早く起きた。 (15)a.珍しく、脊空の高い日であった。太 b.とても珍しく、青空の高い日であった。 もちろん、程度副洞の修飾がある場合の自然な表現としては、 (16)とても珍しい。 (1りそれはとても珍しいことだ。 のように、「珍しい」が述部の形をとるのが蟄通ではあるが、(14)~05)のbのように言え ないこともない。このような点から「珍しく」を{也の文副洞と比べてみると、 (18) a. 幸い、風雨は小やみになっている。国 b. ??とても幸い、風雨は小やみになっている。 (19)a. 幸い、この長者の屈敷には茶室がある。国 b. ??とても幸い、この長者の居敷には茶室がある。 のように他の文副詞は程度副詞の修飾を受けることができないことがわかる。梢態副問 - 80 - (14)が程J如副詞によって修飾されることは酋うまでもないが、「珍しく」が程度副岡の修飾 を受けるという事実は、「珍しく」が他の文副岡と迩っているということを示している と思う。このように、 文副詞の中にもその程度の差が見られる。本稿であげ·ている副詞 だけではなく、文副洞の全体からその程度による程度差は整理できると思われる。 さて、以下では「幸い(に(も))」を中心に文副洞としての「—¢」と「ーも」の差 について考察していきたい。ところで、「幸い(に(も))」は「幸い」「幸いに」「ぎ臥い にも」のような三つの形をとる副洞である。本稿では文副祠としての「ーも」を中心に して、「幸い」と「幸いに」を、以下では、「一¢」のように記することにする。 文副桐としての「一¢」と「ーも」は文困lJ詞という範略から言えば、同類でありながら、 その実際の使用においてはくい迩いを示す。まず、「幸いにも」の方が単純事象叙述文iE 5 とは共起しにくいという共起制限を持つ。 碑8い。のぞきこんで手をさし入れると、 ずるずると人lllの腕があがってきた。「お万 阿。一」と、庄九郎は力をこめた。腕が、胴の重みをともなって引きあげられてき た。嬰がさらさらと床を這った。 頭がある。 足もあった。 全裸であった。 幸い (?幸いにも)、呼吸をしている。失神していた。庄九郎は、それを歯の中央にひき 出し、仏前の燈明をおろしてきて、からだをしらぺた。国 この文の楊合、前後の文脈から、「呼吸をしている」は単純事象叙述文であり、この単 純事象叙述文において、「幸いにも」は不自然である。これは、「幸い*幸いにも」とい うことをうまく理由づけるのではないかと考える。なお、 二つの意味が全く同じでない としたら、「幸い」に「も」が付いたとか、「幸い」に「も」を付加してもしなくてもよ い、というようなことは言えないだろうと思う。例をもう少しあげてみる。 似)そんなことは初めからわかっているさ、といったふうに友人は軽蔑の念を露にする。 だが彼らにしてももともとフルーツ ・パーラーヘはいることを主張する気もなかった し、せいぜい不機姫げに、この渋滞、この醜態をかもしだした周二を難ずるように見 やるばかりだ。幸い(?幸いにも)、 目の前に揚げ鰻頭を売る店があった。喘ぐよう に周二は言うu 採 四1杓]がくるまでガルペと私とは二匹の犬のように船荷の間に体をすりよせてかくれまし た。 水夫たちは、前柏の小さな帆だけを掲げてできるだけ陸地らしい地点を遠く迂回 するようにしてくれました。兵夜中、船はふたたぴできるだけI脊かに動きだしました。 が幸い(?幸いにも)月がないために空は真暗で誰にも発見されません。半レグワほ どの高さの陸地が少しずつ迫ってきます。 ‘沈黙 このように、単純事象叙述文においては「幸い」と「幸いにも」はその入れ替えが不 可能である。ところが、「幸い(に(も))」の場合、 ある種の文脈では入れ替えること 79
-ができる場合がある。 こうしたところから、「幸い」と「幸いにも」は類似形式である と考えられる。 類似形式と酋われるものにおいては、 基本的に、 ある種の文脈では互い に入れ替えても文意に目立った迩いがないように見えるが、 ある種の文脈では入れ替え が不可能であったり、 あるいは、 入れ桂えても明らかに文意が述ってきたりする。 これ は、「幸い」と「幸いにも」においても同様に見られる現象である。 こういった意味で 「幸い」と「幸いにも」は類似の形式と言えると思うが、 Lかし、 入れ替えができるか らといって、「幸いキ幸いにも」とは考えられない。それは、「幸い」と「幸いにも」が 類似形式ではあっても、 同ー語ではないからである。 ここでは「幸い」と「幸いにも」 は類似形式ではあっても、 決して同一語ではないということに注目されたい。 さて、 以下では「幸い」と「幸いにも」の中心的意味・機能について考えたい。 そう するために、 上記の話し手が単純事象叙述文のような谷観的な事実をごく客殴的に述べ 砂合、「幸い」と「幸いにも」の入れ替えが不可能になるという観察を踏まえて、 互 いに入れ替えが可能な例について考えたいと思う。 まず、 次の例は入れ替えができないことはないが、「幸いにも」の方が自然な例であ る。 (23)名古歴駅へ滸くと、 ちょうど、 美淡太田までの瑶lliがあった。 一応、 各駅停車なのだ が、 岐阜までは快辿ということになっている。とりあえず乗り込んでから、 ゆっくり と汽車の時刻表を1眺めると、 太田で一時間ほど待てば、 高山までの快速屯車があるこ とがわかった。幸いにも、 まだ朝飯を食ぺていないので、 一時間のとマつぶしに、 食 事は太田でとることにした。太 この例については、 面白いことに、 日本人に入れ替えができるかどうか、 入れ替えられ た場合、 どう途うか、 という質問をしたら、 その質rAlに対して互いに入れ替えられるし、 ほとんど差はないが、「幸いにも」の方が、 文意が弛閥されるという答えが得られた。 確かに、「幸い」と「幸いにも」とでは、 その文だけを切り取って考えた場合、 次の
m
. 幸い、 まだ朝飯を食ぺていないので、 一時間のヒマつぶしに、 食事は太田でとる ことにした。 b. 幸いにも、 まだ朝飯を食ぺていないので、 一時間のヒマつぷしに、 食事は太田で とることにした。 のように、 二つの1i1Jには意味的にも機能的にも全く相述は感じられず、 単なる形態的な 述いのように思われる。 しかし、 なぜか(23)の場合なら実際は「幸い」よりは「幸い にも」方が使われているようである。 これは、 先の「幸いにも」が現象文のように、 話 し手が客観的な立場から述べる場合には使われ難いという事実と関述して考えれば、 こ の問題は箭単に解決できるように思われる。 つまり、 この文脈から「まだ朝御飯を食べ - 78 - (16)てない」のは話し手であり、話し手は「まだ朝御飯を食べてない」自分のことに対して 「一時間のヒマつぶしに、食事は太田でとることにした」という自分の決心・意図を示 している。このような時、 人のことを言うように、 客観的立場から述べ難いという.のは 当然なことであろう。 しかし、この説明は、自分のことを言う時には必ず「幸いにも」になると述ぺている わけではない。もし、話し手が客限的立場から自分のことを述ぺようとしたら、「幸い」 も可能になる。例えば、 (25)歩きながら、 私はむしろ日本兵に遇うのを怖れた。彼等に辿えば、 現在私の唯一の生 きる逍を遥ぶことが出来なくなる。この時なら、私は私の遇う最初の日本兵を殺した かも知れない。幸い、私は誰にも遇わなかった。三叉路の部洛を越し、向うの丘が近 く道に迫ったところで、 私は遂に適当と思われる地点を見つけた。野火 のように、話し手自身のことを述ぺながら、「系i 1i誰も遇わなかった」というように、 自分自身のことを自分から切り離して、客観的に描写することができるのである。この ようなことから「幸いにも」は主観(I勺、「幸い」はより客観的であると考えられる。こ の点は、次の言語事実からも確認することができる。 ⑳a. アメリカ中型煤漿機による被甚は、幸い軽微なものらしかったが、渡辺は、航空 機の自由な行動力を改めて見直すような思いであった。小俯 b. ??アメリカ中型爆繋機による被害は、幸いにも怪微なものらしかったが、渡辺 は、航空機の自由な行動力を改めて見直すような思いであった。 (27)a. 西行は何故出家したか、幸いその原因については、大いに研究の余地があるらし く、西行研究家達は多忙なのであるが、僕には、棟味のない4ltだ。 モオチャルト b. ??西行は何故出家したか、 幸いにもその原因については、大いに研究の余地が あるらしく、西行研究家達は多忙なのであるが、僕には、映味のない事だ。 のように、1l力動詞「らしい」は「幸い」とは共起するが、「幸いにも」とは共起制限を 持つ。ここで、「らしい」という推祉を表す助動詞の特性を探ることによって、「幸い」 と「幸いにも」の問題に近づくことができるように思う。 推磁の助動詞「らしい」は、様々な観点から研究されてきた助動詞の中の一つである が、渡辺実(1991)では、 次のような酋語事実に培目して「らしい」について述ぺられ ている (P. 7~8)。 *私は始しいらしい。*彼は船しい。〇彼はうれしいらしい。 「らしい・だろう・う」は、「わがこと」述語を「ひとごと」化して、「ひとごと」の 主語と製和させることはできても、「ひとごと」述語を「わがこと」化して、「わがこ とJ主語とf凋和させることはできないのである。そしてこの事実は、「らしい・だろ (11) 77
-ぅ·う」が「ひとごと」系であることを再確認させる事実であるであると共に、「わ がこと」は「ひとごと」化することが容易だが、「ひと•ごと」を「わがこと」化する ことは容易ではない、 ということを示す事実であろう。 二つの中の後者については、 あるいは当たり前のことだったのかも知れない。 日本栢の「私」は「船Lい」などの 主話としてあくまでも「わがこと」の代名洞ではあるけれども、「彼」と同水準に、 いわば「よそごと」的な「I」に近い水準で使うことも可能であり、 一方「彼」は、 日本語でも「わがこと」主格としては使い難い、 ということがことの真相をきわめて 簡単に語り尽くしているとも言えるだろう。要するに「わがこと」が特殊なのである。 このような渡辺氏の考え方は、「幸い」と「幸いにも」を論じていくに当たって、 非常 に注目に値するものであるが、 なお問姐点もあるように恩われる。 以下` 基本的には渡 辺氏の考え方に従いつつ、 問題点があるように思われる点については節者の考え方を取 り入れて「幸い」と「幸いにも」について述べていきたいと思う。 周知の通り、「らしい」が「ひとごと」系であるということは、 渡辺氏が挙げている 上記の例から認めざるを得ないが、「「ひとごと」を「わがこと」化することは容易では ない1という考え方に対しては、必ずしもそう浙言できるわけではないと思われる。 も う少し、 観察を広げて、 本稿の「幸いにも」のような「ーも」の評価類から考えてみる と、「ひとごと」を「わがこと」化することが不可能だとは言えないように思われる。 確かに、 次の、 幸い軽微なものらしかったが、 *幸いにも軽微なものらしかったが、 が示すように、「ひとごと」系の「らしい」が「幸い」とは共起するが、「幸いにも」と は共起しないという事実から、「幸い」は「ひとごと」系の罰lj詞であり、 それに対立し て、「幸いにも」は「わがこと」系の副詞であるということは考えられる。 そして、 そ の事実は、 渡辺が述ぺているように、「らしい」は「わがこと」述語だけを「ひとごと」 化する、 ということを再確認させる。しかし、 このような観察は先にも述ぺたように、 あくまでも「らしい」のような助動詞だけについての観察である。 ⑳夏休みの最後は干頭級子さんの統計学のレポートを咎くことに費やされた。幸いにも 太郎は、 わからなくなかったので、 ちょっと男を上げることができたけれど、 千頭さ んとつき合っていても、 前のように胸がときめくということはなかった。太 のように、「わがこと」系の「幸いにも」が「私」ではない主梧と岡和する例がある。 これはおそらく、 話し手が「幸いにも」を使うことによって、 ある事柄や事実を、 自分 自身のこととして、捉えているのではなかろうか。このように考えることによって、 わ がことを特殊なものとして取り上げずに、「ひとごと」と同じ次元のものとして考える - 76 - (18)
ことができるものと思われる。 つまり、 本稿では「ひとごと」も話し手の事柄に対する 主体的な態度によって、「わがこと」化することができる、 というように考えたい。 以上の説明を「幸い」 ・「幸いにもJと関述してまとめると、「幸い」は「ひとごと」 系の副洞ではあるが、 話し手の事柄に対する主体的な態度によって、「わがこと」の事 柄を「ひとごと」化することができる、 そして、「幸いにも」は「わがこと」系の副詞 ではあるが、 話し手の事柄に対する主体的な態度によって、「ひとごと」の事柄を「わ がこと」のように述べることができる、 ということである。すなわち、「幸い」と「幸 いにも」は、 どちらもある客観的事実や事柄に対しての話し手の評価という領面からは 共通するが、 その客観的事実を話し手が自分とどのように関述して捉えているかという 点からは両者の間に相述点が生じる。 結局、 話し手がどのような立楊をとるかということに「一¢ 」と「ーも」の使い分 けがあるということであるが、 こういった「一¢ 」と「ーも」の性格によって、「幸 い」と「幸いにも」とのどちらでも言えそうな例が生まれるのではないかと思う。 四先に行った人たちは、砂浜にいた。「千頭さんは、 それほど泳ぎがうまくないらしい から、 まず浜で少し泳ぎましょう」 紡錘形の1*つきをした杉山氏が言った。幸いに も(幸い)、 水は澄んでいた。数日前までひどい赤潮で、 味咆汁のような海だった、 というのから見れば、 侶じられないくらいきれいだった。太 図少なくとも、 これらの知臨は、 ドイツ語の格変化を憶えるより、 ずっとしみじみと、 日本人・山本太郎の心に定滸するのである。幸いにも(幸い)、引っ越しの日は晴天 であった。太 以上のことから、「幸い」と「幸いにも」において両方の間には使い分けがあるとい うことがあきらかになった。 4. おわりに 本稿の内容をまとめると、 次のようになる。 ①「幸いにも」は、「幸い(に)」+「も」ではなく、 それ自体を咄廿として考えるぺき である。 ②「幸い」と「幸いにも」との間には、 事柄に対する話し手の主体的な態度による使い 分けがある。 ③以上のことから、森本氏の形態的な分類に倣って「幸い」と「幸いにも」とを分けて みると、「幸い」はI類に、「幸いにも」は111類に、 それぞれ屈すると考えられる。 これまで、「幸い」と「幸いにも」を中心に文副詞としての「も」について考察して きたが、•今後は他の文屈lj洞についても同様の考察を行ない、森本氏の分類を再検討をし 75
-(ノ ヒ●ンジュ 岡山大学大学院9E士課程1年) てゆきたいと思う。 注l 寺村(1991、7章)を参考のこと。 注2 寺村(1991、1翠)を参考のこと。 注3 特に「珍Lく」だけが述休修窪蹄によ(現れ、他の文副開は連体節には硯われにくいく 注9 他の文副問の場合は、運体節に現れる例が考えられないわけではないe 例えば*「惜しくも 3 落選した選挙」のようなものであるが、実際使われている例から探すのはそう簡単ではない 注5 益岡(1991)を参考のことも 参考文献 渡辺実(1991)「「わがこと・ひとごと」の観点と文法論J「国語学」165 澤田治芙(1993)「視点と主観性J ひつじ齊扇 紐蘇(1991)「日本語のシンククスと意味J第間巻 くろしお出版 森本翔子(]組)「話し手の主観を表す副詞について」 (ろしお出版 益岡荏窓(]991)「モダリティの文法」<ろしお出版 参考資料 太=叩野稜子(J9?6)「太郎物語」 新淵文庫、女=赤川次郎(19邸i [女社長に紐J新潮文庫、 風=五木寃之(1968)「風に吹かれて」新洵文研、国=司馬遼太郎(1961)「国盗り物語」新潮文殿 輯=コナンドイル(1953)「シャーロク ・ホームズ咋険」、野火=「野火」大岡昇平(1952)、 沈黙=「沈9!」遠藤周作(1966)、検=