アジ研ワールド・トレンド No.237(2015. 7)
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●
イ
ン
ド
人
の
ス
ポ
ー
ツ
観
インドの国際社会でのプレゼン
ス拡大につれて聞かれるのが「イ
ンドがオリンピックで活躍したと
いう話を聞きませんね」
。それに答
えるのは簡単ではないが、まずイ
ンドはスポーツで国威発揚を狙い、
ステートアマを育てることをしな
かった。その背景にはスポーツに
対する価値観がある。汗を流し身
体を酷使することは、インドでは
社会的に地位の低い者の姿に重な
る。エクササイズは肉体労働では
ないという理屈は通じない。戦士
やレスラーの身分に生まれない限
り社会上層ほど肉体は使わない。
経済発展につれ、ダイエットや
アンチエイジングのような欧米の
健康文化が入って来た。朝夕の公
園は老若男女のウォーキングでま
るでラッシュアワーだが、エクサ
サイズと呼べそうな歩き方の人は
滅多にいない。極端な学歴社会で
唯
インド
一
熱
狂
す
る
ス
ポ
ー
ツ
ク
リ
ケ
ッ
ト
関口
真理
❖特集❖
途上国・新興国のスポーツ
体育の時間がない学校も珍しくな
く、そもそもインド人にはスポー
ツをする感覚がないという指摘さ
えある。つまりインドは、スポー
ツが愛され、優れたアスリートが
生まれる土壌ではなかったという
ことだ。
●
大
英
帝
国
の
ス
ポ
ー
ツ
が
植
民
地
で
沸
騰
そんなインドが例外的に熱狂す
るのがイギリス発祥の「紳士のス
ポ
ー
ツ
」、
ク
リ
ケ
ッ
ト。
地
域、
民
族、階層などによって多様な文化
や価値観が存在するなか、唯一の
全国共通の娯楽かもしれない。
クリケットはまず、植民地のイ
ギリス人が社交やスポーツを楽し
んだクラブに持ち込まれたが、メ
ンバーを埋めるため彼らと交友の
ある上流インド人が参加するよう
になった。やがてインド人だけの
チームも結成され、ボンベイ(ム
ンバイ)ではイギリス対インドの
定期戦も始まった。独立運動の高
揚と重なる二〇世紀前半には、イ
ギリスの選抜チームがインドに遠
征してくるようになった。定期戦
に
せ
よ
遠
征
戦
に
せ
よ
イ
ギ
リ
ス
に
まったく歯がたたなかったインド
が、ついに勝利を勝ち取る日が来
る。独立運動に先駆けてイギリス
に勝った!ボンベイ市民の熱狂は
すさまじいものだった。クリケッ
トがインドの大衆の関心をひとき
わ集めるスポーツになった背景に
はこうした歴史がある。
ただし、クラブ入場が許されず
テレビもない時代、大衆は実際に
は観戦しておらず、勝利という結
果がすべてであった。実はここに、
現在もインドのスポーツが抱える
問題が垣間みえる。自身にスポー
ツ体験が少ないこともあって、勝
敗以外の部分、試合経過、戦略、
選手の技量、起用方法などに驚く
ほど無関心であったりする(有閑
貴族に愛されたクリケットはルー
ルやセオリーが複雑で、その堪能
も楽しみ方なのだ)
。
独立後、クリケットは英国パブ
リックスクールの伝統を継ぐ名門
校や地域のスポーツクラブを通じ
てインドのスポーツとして定着し
ていった。イギリスやオーストラ
リアとの対抗戦は新生国家の誇り
を賭けた国際舞台になった。一九
七五年にワールドカップが創設さ
れ、一九八三年大会ではインドが
初優勝を成し遂げる。その後、イ
ンドの経済発展を受けてテレビ放
送の普及が進むとクリケット人気
も
急
速
に
拡
大
し、
特
に
従
来
は
プ
レー機会のなかった社会の下方に
浸透した。
下町の路地裏や空き地、農村の
休耕地、どこに行ってもありあわ
せの用具で「草クリケット」に興
じ
る
人
々
の
姿
が
み
ら
れ
る
よ
う
に
なった。プレーヤーの頂点、国代
表のスター選手も王族の末裔や名
門校の出身者が占めてきたが、現
在の代表キャプテンM・S・ドー
ニーは「初の農民階層出身キャプ
テン」といわれるし、兄弟で代表
に
選
ば
れ
た
イ
ル
フ
ァ
ー
ン
と
ユ
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フ・
パ
タ
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ン
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父
親
は
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ザ
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ン
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(
礼
拝
の
呼
び
か
け
)
朗
唱
者
で、
兄
弟はモスクの片隅の仮小屋で育っ
たという。若年層の多い人口一二
億超の国に、まだどれだけの才能
が眠っているのか計り知れない。
南アジアの隣国パキスタン、ス
リランカ、バングラデシュが強豪
国であることも事情をより熱くし
ている。試合が国家対立の代理戦
争と化し、勝敗いかんによって両
国に悲憤の死者も出る印パ戦、実
力世界最高峰の好試合が展開する
スリランカ戦、巨人に捨て身で挑
む若武者ぶりが感動的なバングラ
デシュ戦。クリケット人気を事実
上牽引する南アジアの人口規模か
ら、競技されるのがほぼ旧英領地
域に限定されるのに「クリケット
は
サ
ッ
カ
ー
に
次
ぐ
世
界
第
二
の
ス
ポーツ」と評されることもある。
興行収入や広告といった経済効果
から社会的影響力まで、本家イギ
リスでも、実力世界最強のオース
ト
ラ
リ
ア
で
も
な
く、
世
界
の
ク
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ト
界
は
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切っている。
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グ、
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界
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ト・
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ルドである。
インドの子どもが口にする将来
の
夢
は
エ
ン
ジ
ニ
ア、
医
者、
ク
リ
ケット選手と相場が決まっている
が、実はインドのクリケット界は
政界と並ぶダーティーさで悪名高
い。試合結果が賭博の対象になり、
報酬を受け取った選手が八百長を
する事件が後を絶たない。スター
となった選手たちは、傲慢な言動
や貧しい過去を忘れた金満生活ぶ
りでファンの反感を買う。地域、
州から国レベルの協会、果ては国
際クリケット評議会(ICC)ま
でが、役職を占めるインドの政治
家や財界人、裏世界の実力者たち
の政争や利権争奪の場にされてい
る。この原稿執筆の時点で、八百
長事件への連座疑惑で資格停止中
のインド・クリケット協会の前会
長が、ICCの会長を務めている
のだ!
こうした関係者が目先の試合結
果や利益だけを追い、競技のセオ
リーが忘れられ、選手育成や将来
への展望を欠いた球界から、クリ
ケットを真に愛するファンが離れ
始めているともいわれる。インド
は二〇一一年ワールドカップに優
勝、一五年大会も予選全勝で優勝
間違いなしと鼻息荒かったが、準
決勝でオーストラリアに大惨敗を
喫する。大会のベストメンバーに
インド選手は一人も選ばれなかっ
た。ファンはこの事実をどう受け
止めているだろうか。
●
ク
リ
ケ
ッ
ト
の
先
に
は
経済発展とグローバル化のなか
で育った若い世代には、スポーツ
への姿勢も含めて価値観の変化が
みられる。テニス女子のサニア・
ミルザー、バドミントン女子のサ
イナ・ネヘーワル(世界ランク一
位)
、
ボクシング女子のメアリー
・
コム(ロンドン五輪銅メダル)ら
の世界的成功が、本気でスポーツ
に取り組む若者や、子どもにやら
せてみようという親を増殖させる。
サッカー(フットボール)未開の
地といわれたインドでも欧州や南
米リーグの中継がファンを拡大し
ている。しかもサッカーに入れ込
むのは富裕層の子弟に目立つ。高
額な専門チャンネルが視聴でき、
学校ではサッカー・クリニックが
開講され、本場に観戦にも行ける。
インドでは今や母国イギリスとは
逆に、クリケットの方がよほど大
衆スポーツなのかもしれない。
(
せ
き
ぐ
ち
ま
り
/
亜
細
亜
大
学、
大妻女子大学、淑徳大学非常勤講
師)
インドと南アジア各国、オーストラリアの代表ジャージと観戦グッズ(筆者所蔵)