監禁と管理のユートピア : レチフ『ポルノグラー
フ』について
著者
小澤 晃
雑誌名
鹿児島大学法文学部紀要人文学科論集
巻
46
ページ
61-80
別言語のタイトル
<Le Pornographe> de Restif de la Bretonne :
une idee de reforme de la prostitution au
temps des Lumieres
監禁と管理のユートピア
− レ チ フ 『 ポ ル ノ グ ラ ー フ 』 に つ い て − Iはじめに−"les‐graphes” Ⅱ『文芸通信』の酷評 Ⅲ売春の‘惨状 Ⅳ 売 春 の 規 制 V『ポルノグラーフ』の位置づけ Ⅵ『ポルノグラーフ』の小説的枠組み Ⅶ「ポルノグラーフ」の改革案 Ⅷ 終 わ り に − 生 殖 的 宇 宙 観 へ 小 津 61 晃 Iはじめに−<les‐graphesル レチフが書いた「グラーフもの」“les‐graphes沙と称される五つの社会改革論 はギリシャ語から作ったその題名からして奇矯である')。中でも『ポルノグラーフ』(正式には男性単数定冠詞を添え,『ル・ポルノグラーフ』LePomographe)
は,現代の語章からの安易な当てはめによって,いとも簡単に「ポルノグラ フィー」という語と混同される。たしかに「ポルノグラーフ」という語は,レ チフ自身も認めていたように当時ですらいささかショッキングなものだった。し かし我々にとって「ポルノグラフィー」という語が意味するものを,18世紀人 が「ポルノグラーフ」という語によって想起することはありえなかった。なぜ なら「ポルノグラフィー」という言葉は,18世紀には存在しなかった語だから である。「ポルノグラーフ」という語がそもそもこの書のためにレチフが案出し た造語であり,「ポルノグラフィー」という語はレチフのこの造語に基づいて別 人が19世紀にまったく別の意図で案出した語なのである。62 小 漂 晃 このタイトルは,レチフの説明するところによれば,ギリシャ語の「娼婦」 と「記述する者」の二つの成分を合成したものであり,「売春改革を論ずる者」 の謂である2)。彼の同時代人にとってこのタイトルがいささか品位を欠くものと 映ったのは,それが「売春」を真っ正面から論じたものだったからにほかなら ない。 Ⅱ『文芸通信』の酷評 デイドロ,グリム,メステールの『文芸通信』は1770年5月号でこう書いた。 「この著者は昨年,「奇論集」なるものの第一巻として一書を物しました。処女 を集めたいくつかの尼寺の設立に警察の関心を惹こうとして,ある計画案を出 したのです。その案によれば,警察当局は集めた娘たちの健康に不断の配慮を する,娘たちは,大衆に‘快楽を提供するため,天職として,安価な定額利用税 と引き換えに我が身を捧げる,というのです。いや大したものです。その言や よし。それでこそ市民というもの。しかし,いくら生活の中で良い考えを思い 付いたからといって,野卑な文体の外はなんの妙味もなければ非凡なところも ない空想を半年ごとに撒き散らして同国人をうんざりさせる権利はないのです。 [後略]」3) 『文芸通信』CorrespondanceLitt6raireは,啓蒙主義真っ盛りのフランスの文 化的状況に多大な関心を抱く周辺諸国の王侯および知識人に,フランスの最新 文化動向を報知するために発行されていた予約制の私的有料通信である。ここ に拠った知識人たちが先端的啓蒙思想運動のエリートであったことからして,お よそそうした選良性とは無縁の印刷工作家レチフなどは,趣味と文体と思想の すべてにおいて唾棄すべき虫けら,屑にすぎなかった。 この通信がレチフの著作で評価したのはレチフの出世作「堕落百姓』だけで あり,さすがの高尚派の人々といえども,この作品のリアリテイが発する力強 さを認めないわけにはいかなかった。しかしその他の作品はいずれも一蹴する のが普通であり,とりわけこの「ポルノグラーフ』に対する上掲のうんざりし た口吻の批評は,この両者が到底同じ世界を共有し得ないことを示すものであ
監禁と管理のユートピア 63 る4)。 アンシアン・レジームのブルゴーニュの農村から,地方都市オーセールでの 印刷術と「感‘情教育」の修行を経た後,あらゆるものが渦巻く先端的文化都市 パリに出てきたレチフは,知的世界の周辺に辛うじて繋がる印刷工として生計 を立てていた。レチフはその精神の型と思想的関心からして,ディドロなどの のぴやかで晴朗な知的啓蒙派よりは,出身は必ずしも同じではないが,人間の 暗部に意識的な,それゆえにラディカルな世界変革を夢想するルソーのような, ロマン主義的資質にはるかに近い人物である。 アンシアン・レジーム下のフランス社会において,売春行為の蔓延とその悲 '惨な影響は眼を覆わんばかりの‘惨状を呈していたのであるが,不思議なことに, ほとんどの啓蒙主義者たちはこの問題に注意を払わなかったようだ。少なくと も彼らが強い関心を抱いていたことを示すような文章は残されていない5)。 Ⅲ 売 春 の 惨 状 売春は18世紀ヨーロッパの主要な社会問題の一つだった。もちろん19世紀に おいてもそれは解決を急ぐべき大きな社会的問題だった。実際19世紀ほどその 問題に管理主義的,医学的態度で臨み,ある程度までその方針を貫いた時代は ない。また20世紀においても現代においても,それが常に人間の社会と‘性の関 係を複雑に投影した象徴的問題であることも否定できない。 しかしとりわけ18世紀における売春は,その実態そのものが悲‘惨だった。 当時,パリにどれほどの数の娼婦がいたかは,正確な統計が存在しない以上, 断定的に述べることはできない。それでも,1754年の人口およそ60万人という パリだけで,警察当局の把握するかぎり,街頭で客を引く娼婦がおよそ3万人 はいたとか,1783年にはそれに加えて囲われ者が1万人はいたと,数人の著名 な著作家が書き残している6)。もっともレチフの記すところでは,正真正銘の娼 婦は1200人ほどであるが,娼婦の行う売春と類似した行為に及ぶ者の合計は10 万人に上るということである。成人男性人口がおよそ20万人であるという点を 考慮すれば,これは(言葉の当否は措くとしても)「尋常」ならざる数字である。
64 小 津 晃 ただし,アンシアン・レジーム下のフランス社会にあっては,売春と不貞の境 は必ずしも判明ではないから,こうした数字も大幅に割り引いて受け取る必要 があるのは当然である。 しかしいずれにしろ,売春が社会の各階層で広範に行われていたという事実 は争う余地がない。なによりも,社会の上層が売春の顧客であったことは覆い ようもない事実である。ルイ15世の愛妾デュバリー夫人が元高級娼婦だったこ とは宮廷のスキャンダルの種だったし,国政が彼女によって左右されることも 往々にして生じた。キリスト教の立場からは当然ながら道徳的弾劾が行われた が,当の聖職者たちの売春宿通いが公然の事実だったのだから,下々が,つま り第三身分が,とりわけブルジョワたちが上っ方に倣って妾を囲うなどという のは当然の成り行きにすぎなかった。問題はすでに道徳の領域には存在せず,単 に財力の領域に移っていたのである。 かくして,売春,およびそれに類似する行為は社会の各層・各所に蔓延して いた。劇場は客と娼婦を取り持つ格好のショウウインドウとして機能したし,パ レロワイヤルなどの公共庭園,街頭や場末の酒場など,至るところで「商談」 は成立していた。それどころか,児童の売春とそれに伴う人身売買も相当広範 に行われていた。レチフの出世作『堕落百姓」や『堕落百姓女』が描いている ように,田舎から出てきた初な娘を待ち構えるその種の世界の男たちの毒牙は 容赦なかった。 皮肉なことに,生産力の低い当時の社会にあって,売春が相当の規模の一種 の経済行為であったことも見逃せない事実である。金銭の必要から,必ずしも 売春の意識を持たずに身を売る女たちの数は予想以上に多かった。また,娘に 売春を強いる貧しい親たち,膨大な数の娼婦の存在のおかげで生計を立てる関 連業者たちなどは,売春の二次的受益者にほかならない。また愛妾になった者 たちの階級上昇とそれに伴う財産の移動は,一種の擬似的階級転覆を各所で生 じた。要するに今日想像する以上に,売春に依存する者たちの数は多く,その 社会的影響は著しかったのである。
監禁と管理のユートピア 65 Ⅳ 売 春 の 規 制 風儀の頚廃と素乱,‘性病の蔓延は眼を覆うばかりである。その状況を前にし て,ある者は弾劾し改革を呼号する。ある者は容認し利用する。このような社 会悪に対処すべき警察はこの問題に飴と鞭で窓意的に対処する。しかし誰にも 根本的な解決策は見つけられない。婚姻の秘蹟に与からない性行為と出産につ ながらない‘性行為を原理的に認めないキリスト教の立場からすれば,売春は社 会道徳の問題であるより,世界観に背馳する行為であるから,決して容認の対 象とはなりえない。 フランスでは,1560年まで娼婦は言わば大目に見られていた。しかしその年, オルレアンで開かれた三部会において,娼家の閉鎖を命じ,違反した経営者は 投獄および重い罰金刑に処すという法令が出された7)。しかしこの禁令がいささ かも実効‘性を持たなかったことは,1610年にさらに厳しい内容に改定された新 法が出されたことからも明らかである。新法の追加事項でもっとも影響のあっ たものは,娼婦の首都からの追放である。 17世紀の後半1684年には遂に,娼婦の投獄と,不品行の娘の矯正院収容が王 令によって法律化された。この法令はかなり窓意的に執行されたようだが,そ れでもこれが後の時代を統制し,多くのマノン・レスコーを新大陸への死の旅 路へと送り出す根拠となったのである。 行政当局,とりわけ警察の行動はきわめて緩かった。これは,取り締まりを 貫徹するに足るだけの人員がいなかったことにもよるが,副次的な理由も大き かった。つまり警察と売春業界とは持ちつ持たれつの関係だったのである。と りわけアンシアン・レジーム下の警察にとって,娼家はさまざまな‘情報を収集 するに絶好の場所だった。従って取り締まりが原則的ではなく不明朗だったば かりではなく,なによりもきわめて盗意的だった。セバスチアン・メルシエは 『タブロー・ド・パリ』の中で,娼婦などに法はないとしてスパイ行為を強要す る卑劣な警察を弾劾し,「不行跡の女たち以下の人間がいる。それは警察のある 種の連中である。」と書いている8)。 こうした売春の問題を合理的な理由を以って社会的に位置づけようとする近
66 小 津 晃 代の試みはすべて共通の姿勢を取る。すなわち,売春は必要悪である。オスに おける性的衝動は自然の摂理であり,これを押さえつけることは不可能である ばかりか危険でさえある。娼婦の存在はオスの性的エネルギーに対する安全弁 であり,もしその安全弁がなければ一般の婦女子が攻撃の危険に曝されよう。も しそうなれば,家族の安寧は脅かされ,父性の信想性は危うくなる。国家がこ れを法的に認可し統制する行為はその統治機能の当然の延長上にある。‘性病の 蔓延に対する防禦,公共の品位の確保,一般女性の尊厳の維持,こうした全て の利点からして,売春を公的に認知し,積極的にこれをコントロールする行為 は国家の当然の義務である…。 ここにはもちろん,娼婦の人間としての尊厳に対する配慮などはいささかも 見られないし,娼婦を買う男‘性のモラルもいっさい問題視されることはない。こ うした必要悪的思考法に対してここで,あまりに現代的・フェミニズム的な断 罪を下すのは,その種の立場に立つ書物に任せることにしよう。本稿は,アン シアン・レジーム期のフランスにおいて,幾多の社会的悪,社会的病の原因と なっていた売春の問題を,正面から論じてその改革案を提出し,百科全書派の エリートたちから冷笑された人物の「奇論」なるものを一つの文学「テキスト」 として一瞥するものである。 V『ポルノグラーフ』の位置づけ 18世紀のフランスにおける文学と思想の全体は,人間と社会の緊張関係を描 き,そこから人間の幸福のありかを探求しようとするもの,極論すれば一つの 大規模な「幸福論」の展開だと言える。レチフもそうした時代の大きな潮流の 中 で 模 索 し た 者 の 一 人 に ほ か な ら な い 。 も っ と も レ チ フ は 哲 学 的 ・ 思 想 的 に は 素人にすぎなかったし,論じることに革新性と深みが欠けているのは明らかで ある。彼のその方面の著作も,独創的な思想性よりは,独学者が貧欲に吸収し た知識の集大成という面が目立つ。しかしレチフがそうした社会改革への意欲 のひときわ旺盛な著作家の一人であったのは確かであり,これを評して「改革 狂」と呼ぶのは正しい9)。
監禁と管理のユートピア 67 実際レチフは改革狂だった。かれの残した膨大な著作の全てが,ある意味で は,現実の社会の呈する深刻な問題にその根を持ち,それを出発点にして,自 己の夢想を色濃く付与しながら築き上げた改革狂の夢の構築物だったと言って もあながち誇張ではあるまい。『ポルノグラーフjはそうした人間と社会に関す るレチフの「具体的」改造計画の一部,そしてその最初のものであり,それゆ えに彼の改革狂としての側面をもっとも典型的に示すものである。 レチフ自身の思い込みにおいては,『ポルノグラーフ』は紛れもなく一個の実 践的な社会制度改革案であった。しかしこの改革案と称するものが,苦笑する ほどに詳細でテクニカルな提案に溢れていながら,実際にはプランの前提その ものがそもそも「夢想」に発するものだということは,その内容を瞥見すれば 明らかである。これを自立した改革案と受け取り,その当否を論じたり′憤慨し たりするのは実は滑稽な振舞いだったのだが,この滑稽に陥った論評は少なく なかった'0)。これは為政者の夢ではなく,為政者を夢見る者の夢なのである。『ポ ルノグラーフ』はユートピア的「改革狂」レチフを典型的に示す作品だと言え る。 版を改める度に(初版1769年,第二版1774年,第三版1776年),大幅な注釈の 書き換えや追加を行っていることから見ても,この改革案なるものがレチフの 頭の中では常に醗酵途上の案だったことを示している。後に,『ポルノグラーフ』 は,はるかに徹底した人間と社会の全体的改造計画『アンドログラーフ』の内 部にとりこまれることになるのだから,これは彼のユートピア的夢想の初期の 一段階を示す著作だと言える。 レチフの個々の著作は一見独立した体裁をとってはいるものの,執勧にいく つかの同一のテーマを変奏するのが常であり,相互に参照し,補いあい,常に 彼の全体の著作と密接に絡み合っているものだということは今日明らかである。 従って,本稿の論旨に精密を期そうとするならば,単に『ポルノグラーフ』の 三つの版全ての比較検討を行うばかりではなく,『アンドログラーフ』の検討, というよりレチフの全ての著作が収敵して行くテーマ,人間と社会の幸福を実 現するにはいかにすべきか,というテーマの下で論じなければならないのは言
68 小 津 晃 うまでもない。しかし,それはレチフ研究そのものの目標ではあっても,この ような小論の担うべきものではない。 こうした意味において,『ポルノグラーフ』はレチフ自身の思い込みとは異な り,政策家の社会改革論ではなく,まさしく文学テキストなのである。テキス トの語源のごとく,それは大きな織物の一部を成すものであり,たしかに単独 で論じられる著作ではない。しかし本稿では,『ポルノグラーフ』も,レチフの 他のすべての作品と同様に,レチフの作品全体の中に置いたとき初めてその真 のテクスト性を発揮するのだと認めた上で,とりあえずはそのユートピア的改 革論の実際をある程度詳細に見ておくことで満足しよう。これはいわば全体的 考察の予備作業である'')。 Ⅵ『ポルノグラーフ』の小説的枠組み 『ポルノグラーフ』は18世紀によく見られた書簡体小説の構造を取っている。 この形式が例えばラクロの『危険な関係』において持つような意味について論 じるのはここでは控えよう。書簡形式は小説が自己の正当性を確立していく過 程でのある種の模索の一段階を示すものであるのは確かであり,従って18世紀 によく見られた形式だった。この形式の最大の利点は,語り手を,従って視点 を容易に複数化できることである。実際『ポルノグラーフ』ではこの書簡形式 が,改革論の提案者ダルザンと,その案に疑念を呈して結局容易に説得される 役回りのデ・ティアンジュを登場させるご都合主義的な枠組みを提供している。 しかし『ポルノグラーフ』でこの形式が採用された理由はどうやら,こうし た教化主義的内容の書物に一種の軽さと近づきやすさを与えるためだったよう である。というのも「グラフもの」と称される5つの作品では,主題に対する レチフの思いが深刻さ,真剣さの度を増すごとに,この書簡形式を含めた小説 的装いが次第に減っていくからである'2)。従って「ポルノグラーフ』における書 簡体小説的装いは,内容の展開にとって必然的なものではなく,まったく便宜 的なものだったと言ってさしつかえない。
監禁と管理のユートピア 69 枠物語はこうである。 以前は「放蕩」の限りを尽くしたダルザンは,生涯の伴侶とすべき人ユル シュールを見知って以来すっかり行いを改めた。彼は,ユルシュールの姉デ・ テイアンジュ夫人から妹にふさわしいと判断されるまで,美徳の試練を甘んじ て受ける。事実彼はユルシュールを知って以来いっさいの「放蕩」から離れて しまったのである。この第一の試練の後に第二の試練が待ち受け,それに堪え たダルザンは遂にユルシュールとの結婚に到り,その神聖な結び付きの中に幸 福を見出す。 しかしこれと平行して,それとはまったく対立する話題が,ダルザンとデ・ テイアンジュ氏の間で交わされる。ダルザンは公的売春の必要’性と,それが悪 徳に陥らないための理想的な管理を目指した「改革案」と称するものをデ・テイ アンジュ氏に書き送るのである。この「第六書簡」がこの害の中心部分である ことは論をまたない。 第一の筋の展開が,人は結婚の中の幸福を「強いられねばならない」という, レチフが終始強調してやまなかったイデオロギーの表明であるのは確かである が,同時にキリスト教に則った通俗イデオロギーに配慮したものであるのも明 らかであろう。この枠物語の存在にもかかわらず,『ポルノグラーフ』のテーマ が「公娼」の必要性とその理想的な管理のための立案にあるのは明瞭である。し かしこの案に横溢する予定調和的な「理想」は,真面目に表明されればされる ほど,巧まざる残酷‘性を露にすると言わざるをえないものである。 Ⅶ『ボルノグラフ』の改革案 『ポルノグラーフ』の提案する公娼論とはどのようなものか見てみよう。 公娼論の柱は二つである。 第一に,「売春」の存在の肯定である。これはルソーに似た都市悪の存在の認 識である。しかしルソーがこうした悪を言わばジャコバン的にひたすら弾劾し 純化の方向で解決しようとするのに対し,レチフはその存在に理由を認め,こ
70 小 津 晃 れを飼い馴らそうとする。従ってレチフの論は「必要悪論」として展開される。 ただし,この「必要悪論」を,現に売春を禁止する法令が存在するアンシアン・ レジームの法制度の下で,しかもカトリック教会の衰えつつあるとはいえいま だ強大な権力を承知しながら展開するのは,それほど気楽なことではなかった。 事実この出版の検閲は一回では通過しなかったのである'3)。 ダルザンはこう書く。「これまで幾度となく言われてきたことを繰り返すまで もないのですが,男が大勢集まり,財力が不平等になればなるほど,その必然 の結果として,風儀は,男においては,軟弱で女々しくふしだらなものとなり, 女においては,卑しく卑屈で堕落しやすいものになります。その一番の原因は 私には分かっています。その原因とは,現在我々の間で大目に見られているよ うな形の売春なのです。」'4)だからこれを望ましい形に変革する必要があるとい うわけである。 第二に,対策としての隔離論である。当時パリで大人から子供にまで亘って 蔓延していた性病はきわめて深刻な問題だった。治療法のないこの時代にあっ て,梅毒が現在のエイズと同じように,いやその蔓延の度合いからしてエイズ よりははるかに深刻な病だったのは確かであり,これが国家と社会の存立を危 うくすると考えるのは,19世紀や20世紀の公設売春論の論者が引き継いだとこ ろである。売春は,当人ばかりではなく伴侶をも危険に巻き込む病気の温床で ある,それなら昔の痛病と同じく病人を隔離するのが最善である,しかしそれ が不可能ならば,逆に,売春行為を特別の場所に囲い込む以ほかに方法はな い…。これは衛生学を確立した19世紀において精密に理論化され,そうした理 念に基づいて実行されることになるものの先取りであろう。 リ ュ ミ エ ー ル 売春は必要悪である,とりわけ蒙を啓かれた現在のような《光明》の時代に おいてはそうである,問題は,公共の健康を護ると同時に,それに関わる女た ちへの人道的配慮をも忘れず,売春を国家と社会にとって有用な形で統制する ことである…。この背景には,‘性に対する西洋の禁忌と恐怖の歴史と,それゆ えに生じる「即物性」が容易に見てとれる。 さて,ダルザンの手に成るこの改革案は一応は条文の並んだ法案の体裁をとつ
監禁と管理のユートピア 71 てはいるものの,とても《完成した立法案》というものではない。突飛な発想 と笑いを禁じ得ない詳細な管理技術上の規定が,立法者特有のあたかも将棋の 駒を指先で動かすがごとき容赦のない発想に支えられつつ,さまざまな条項の 中に無造作に盛り込まれているため,内容を整然と理解するのが少々困難であ る。 以下にこれらを関連する事柄ごとに編成し直して,多少とも呑み込みやすい 形に整理してみよう。(なお《》内は引用ではなく,すべて各条項の内容の要 約である'5)。 ’強制収容,監禁,閉鎖,ミニ共産国家 ダルザンの計画はまず隔離された施設の確保から始まる。これは基本的には 「一掃」の思想であり,それを支えるために,この施設は必然的に「監禁」の構 造をとる。 まず,建物が必要である。本来は新築が望ましいのだがさしあたりは,パリ を始めとする大きな都市の《人の少ない地域に適当な家屋を見つけ,それを利
用して売春専用施設を作る。その施設をパルテニヨンⅡaP8Ev1ovl6)と名付ける。
この施設に街の娼婦たち全員を強制的に収容する。従わないものは罰する。》こ の「善」のための強制収容という発想は,管理の思想からすれば当然の帰結で ある。管理とはそもそも「一掃」の思想であり,衛生学の思想である。一見奇 妙なことに《通常の娼婦と囲われ者entretenueは区別しなければならない。囲 われ者を収容することはしない。これは市民の自由を侵害するからである。》と いうような例外規定があるが,もちろんこれは市民の自由を尊重するためでは ない。囲われ者が売春の一形態であるにしても,目指すべきは売春一般の改革 ではなく,街頭にはびこる売春publicismedeprostituti。、,すなわち「不特定多 数相手の売春」だからである。これを街中から一掃して葬り去るのではなく,し かるべき場所に収容し直そうというのである。 しかし同時にパルテニヨンは,現に社会のあちこちに存在する不幸な境遇の72 小 津 晃 娘たちの避難所でもなければならない。だから希望者はいつでも迎え入れる。そ れゆえ《施設内の庭園の門の横には娼婦希望者のための入口がある。その小さ な門はいつも開いていて,こっそりと入れるように配置してある。その内側で
は御用係gouvemanteが,女しか入らないように番をしている》のである。た
だしそのようにして受入れる《娼婦の年齢は25歳まで》とする。パルテニヨン の目的からして,この年齢制限には目的論的合理性があると言うほかはない。こ の制限とパルテニヨンの中で老いていく娼婦たちの処遇とは自ずと別の問題と して処理されることにはなるのだが.…・・ そしてパルテニヨンに一種の異次元を,人為的な別世界を付与するために, 《ひとたびこの中に入った者は,親といえども本人の意に反して連出すことも, 話しかけることもできない。娼婦たちは完全な匿名性を保証される。一切の身 元に関する情報は秘密とする。互いに詮索してはならない》のである。 管理の目的を達成するためには,施設の構造は可能な限り世間からの隔絶が 保障されるよう作られねばならないし,無用な混乱を避けるための建築上の工 夫も必要だ。従ってこの施設には,《中庭を一ヶ所と,庭園を二ヶ所設ける。中 庭に面したところには,御用係と子供たちの部屋の窓しか無いようにする。こ の中庭には誰でも区別なく入れるが,第一庭園の入口には見張りが二人いて,女 と子供の出入を禁止する。男は全員,身分の区別なくこの庭園に入れる。この 庭園には樹木などで隠された入口がある》 予想されるように,こうした観念的異次元に置かれた施設はえてして劇場の 比愉で語られるものである。《中に入ると受付の事務所,いわば劇場の木戸のよ うなものがある。客はそこで料金表に記載された金額を払い,切符をもらう。切 符には,娼婦の配置された廊下の番号が記されている。廊下には右側と左側が あり,1番と2番の番号が割振られている》甚だ実際的な記述である。 こうしてまずパルテニヨンという閉鎖的疑似独立国家の施設としての最小限 の条件が整う。パルテニヨンは,その内部で財政を確立し,「生殖」の結果によ る子孫を確保し,各人をその適性に応じて有用たらしめることを理念とするの だから,謂わば,ミニ「一国」共産国家として想定されているのである。この閉監禁と管理のユートピア 73 鎖経済を営む自律的ミニ国家というのは,一般にユートピア思想の根源にある ものだが,これはまたレチフの偏愛的テーマの一つにほかならない。 2管理運営委員会,父権主義 こうした施設を立派に《管理運営するために,管理委員会を設置する。廉潔 な市民12名を委員に任命する。この職はその都市においては重職として扱われ る。任期は6年とし,古参から順に毎年2名を入れ換える》最高の管理者の権 能を有するこれらの委員はすべて男である。しかしその権力者たちの資質は,い かにも予定調和的にただ「廉潔な」と期待されているだけである。管理委員た ちが最高の権力と引き換えに要求されるのは禁欲!である。すなわち,最高管 理者たる委員が権力の濫用に陥る危険を未然に防ぐために,《管理委員は任期中 は公私にかかわらず,決して施設内に立ち入ることはできない》ものとされる。 一方,これらの委員たちの支配と指導の下で,内部を実際に管理運営するのは 《御用係の女gouvernanteたちであり,その御用係の最上位の女を御用頭la Sup6rieureと呼ぶ》謂わば,オスの指導と支配の下で,オスの性的欲望の処理 のためにメスたちの擬似的王国が成立するのである。明らかにここには,ひと りレチフばかりに現われるのでないキリスト教文明においてきわめて強固な「父 権主義」patemalismeの影が見られよう。 パルテニヨンが「独立国」であるならば当然,治安と秩序の問題にも配慮し ておかねばならない。治安と秩序を維持するために,《警備隊を設置する。警備 隊の本務は外部の警備であるが,門番要員となったり,施設内で必要とされる 力仕事を請負ったりもする。彼らは呼鈴一つで即座に駆けつけ,治安と秩序に 対する不野な素乱者があれば,身分への配慮など一切せず手荒く罰する》のだ。 《ここでは身分は無なのである。客は武器も取上げられる》・身分制社会に辛う じて望見された平等世界の幻影だろうか? 3娼婦の格付けと価格,優生学思想 こうして施設と人員と管理体制が整えば,次は娼婦の管理と営業の仕組みの
74 小 津 晃 確定である。 パルテニヨンにおける娼婦たちはその立場においては平等であるが,価格に よってカテゴリー化されるから,価値においては平等ではない。娼婦たちは若 さと美貌の程度によって,廊下ごとに分類される。その基準は,《第一廊下は最 年長の娼婦たち,第二廊下は25歳から30歳,第三廊下は20歳から25歳,第四廊 下は18歳から20歳,第五廊下は16歳から18歳,第六廊下は早熟な14歳から16歳》 の娼婦たちである。《各廊下の右側を1番とし,美人をそちら側に置く。左側を 2番とする》・この分類は「商品の質」に基づくわけだが,その質はほとんど一 義的にまず年齢によって決定され,次いで年齢という同一カテゴリーにおいて は「美醜」によって決定される。ただしここで言われる「美醜」には健康と不 健康の対立も含まれている。国家の子孫は,美しく健康な者によって残されね ばならない,のである。ここにはパルテニヨンの副次的目的でもある「国家の 子供」の問題が一種の優生学思想の先取りとして見え隠れする。各廊下には当 然異なった料金が適用される。すなわち料金は《年齢と反比例して,美貌と比 例して高くなる》のであり,なんと下は0.16リーヴルから上は96リーヴルまでの 幅があるのだ。この料金収入がすなわちパルテニヨンの財政収入である。娼婦 たちの「国家財政」への貢献度は異なるのである。 なお,この第一廊下組は《36歳以上の娼婦のうちまだ容色に見るべきものが ある女たち》で構成するものであり,《料金は格安であるから最下層の男たちで も利用できる。》改革者は社会各層への配慮怠りないのである。 客と娼婦の組み合わせが強制とならないよう,両者の間に一種の公平さが保 証される。すなわち娼婦にも客を選ぶ権利が与えられるのである。指名された 娼婦には客をこっそり観察する手段が与えられており,もし《拒否すれば,客 は選択しなおさねばならないし,娼婦は拒否の理由を言う義務を負わない。》ま たこの寛大なパルテニヨンはすべての男の性的欲望を叶える装置であるから, 《誰からも拒否されるような年寄りや,醜い男》でも《銭引きで相手をあてがっ てもらえる》のである。
監禁と管理のユートピア 75 4 生 活 と 労 働 時 間 《娼婦の一日の生活は時間割によって決められる。待機中の大部屋での過し方, 休憩,散歩,食事,化粧,芸事など》,すべてが有意義に行われるよう配慮され ねばならない。勤務時間は現代を先取りして一日8時間が望ましいとされてい る。 暮らし方についても,あたかも寄宿舎,合宿所のごとき規定が存在する。《食 事は量がふんだんにある必要はないが,繊細で上品なものでなければならない。 衣服については,自分の好みを生かすのも大切だが,衣裳代はある程度で制限 すべきである。化粧品によって容色をごまかすのは禁じる。なによりも自然の 美しさが大切である》。 そして当時においてはすこぶる異例の指摘がある。《衛生には最大の注意を払 わねばならない》。そのために,《年間を通して二日に一回は泳浴をしなけれ ばならない。夏は温水浴と冷水浴,冬は温水浴のみ。これは悪臭を除去するた めであると同時に健康と清潔を保つためである》・ 実際の仕事である客の相手について,《娼婦は一日のうち,複数の異なった客 から指名されることはない。この制限は年齢が上から三階級までの娼婦には認 めない。客は再指名ができる》・ 休業日も必要である。だから《主な祭日は休業とする》。さらに福利厚生もな くてはならないから《その日は娯楽も計画する。例えば,娼婦たちの一部を,外 から見えないようにした馬車に乗せ,紗幕を下ろした特別の桟敷で芝居見物な どをさせる》。しかし娼婦の私的な用件での外出は,特別の理由がなければ絶対 に認められないのである。 5 懲 罰 と 励 ま し , 堕 胎 娼婦が何かの過ちを犯したり,規定に反する振舞いをしたりしても,御用係 は《懲罰ではなく励ましを与えねばならないし,決して叱責してはならない》。 《委員会は,再三再四重大な過ちを繰返す者のみを罰する。重大な過ち,とりわ け堕胎を行った場合は一年間の牢屋入りとする》・パルテニヨンにおいては,避
76 小 津 晃 妊も悪であるが,堕胎は大罪である。それらは国家の子供を失うことだからで ある。 6 性 病 ‘性病の蔓延による社会的危機感がこの立案の出発点の一つであることは明ら かであったが,それではどのような対策がありうるのか。 入所希望者の健康については当然《事前に詳細にチェックしなければならな い》が,施設内で病気にかかった場合でも《追出すようなことはせず,丁寧に 治療する。不治の場合は,「年増組」surann6esに入れる》・具体的な日常の健康 チェックのために,《各廊下の娼婦たちの中から,仕事もきちんとこなし,知性 もある者たちを検査係に選ぶ。この者たちは将来の御用係の候補者である。彼 女たちは,廊下の入口で男の健康をチェックし,毎朝,娼婦たちの健康をチェッ クする。病気持ちのままパルテニヨンに来た男は罰金を払わねばならない。》こ れは意気込みの大きさにもかかわらず,あまりにもありふれた方策だと言うべ きだろう。 しかし実のところこれ以外の手段があるはずもなかった。 万一《病気にかかった娼婦が出れば,直ちに監禁し,完全に治癒するまで出 さない。専属医が丁寧な治療を施す》というのであるが,当時,有効な治療法 など皆無であり,インチキとペテンが広範にまかり通っていたことを考えれば, この治療という言葉が気休めであることは言うまでもない。つまり,いかに制 度を洗練させても,恐ろしい性病に対抗する手段は実際上ほとんど存在しなかっ たのだ。せいぜい擢患の確率を下げる程度のことにすぎない。つまり,パルテ ニヨンは‘性病の催患防止という衛生への配慮を大きな存在理由として挙げては いるが,残念ながらこれは虚しい約束にすぎなかった。 7国家の子供,避妊と堕胎の否定 こうしてパルテニヨンはあたかも独立自治国家のごとく機能するのだが,結 局は王国内の国家運営施設にすぎないから,それが最終的に奉仕する対象は国
監禁と管理のユートピア 77 家にほかならない。パルテニヨンは国家にとって有用な存在として機能しなけ ればならないのである。その存在の本質としてパルテニヨンは妊娠という事態 を当然想定しているが,それは私的レベルよりははるかに多く国家レベルの問 題として処理されねばならない。 子供は国家の子供である。従って《娼婦が避妊することは極力妨げねばなら ない》・妊娠したならば,《その娼婦を特別室に移し,手厚く世話をしなければ ならない。生まれた子は,施設公認の正式の愛人がいない限り,乳母に預けら れるが,娼婦は母親としての愛情と権利は禁じられない》・公認の愛人のいる娼 婦が妊娠した場合,男は匿名のままその子の運命を決めることができる。パル テニヨンに残そうと,自らの相続人としようと,男の望む通りとする。その子 には体の目立たぬところに目印を付ける》。実に「好都合な」仕組みと言うべき であろう。 9 国 家 の 子 供 の 運 命 この施設で生まれた子供は国家の子供であるから,国家に奉仕することを運 命とする。《男の子の場合,体格のいい者は兵士とする。この兵士たちをパルテ ニヤンと呼ぶ。虚弱な者には各種の手職を身に付けさせ,職人とする。》 《女の子の場合は,娼婦とするか否かの最初の選別を十歳の時に行う。この選 別ではまず,体の弱い者と容貌の醜い者は外す。この子たちには手職を覚えさ せる。容姿の美しい子は丁寧に育てる。技芸の教育も‘借しみなく行う。しかし いずれ娼婦になるかならぬかは,あくまでも本人の自発的決心によるのであり, 決して強制されることはない。》子供たちは皆適材適所を得て,充実した一生を 送ることができるわけである。 改革案はその他の,例えば,御用掛りの地位にふさわしいのはどういう者か とか’娼婦たちの老後はどうなるのかとか,パルテニヨン間の移動・移籍とか, 全体の査察権はどこに属すかとか’種々の細かな規定,配慮を見せる。
78 小 津 晃 Ⅷ 終 わ り に − 生 殖 的 宇 宙 観 へ B・デイデイエは『ポルノグラーフ』を論評した一文17)の末尾で,「しかし, 幾多の点でこれほど革命的なこの文章も,結局は娼婦の解放を説くには到らな い」と述べている。さらに彼女は,レチフのこの改革案がその精神と細部にお いて,いずれ来る革命の予兆を強く芋みながらも,古めかしい男性至上主義か ら脱却できないでいるとも論じている。この評言は,事態の指摘において正しく 判断において誤るという愚を犯すものである。 なるほど確かに,レチフは女も欲望も解放しないし,ボードレールの「あら ゆる感覚の乱調」を唱えもしない。また娼婦の中に聖性を見ることもなければ, 女のセクシュアリテの解放者を標傍することもない。まさにデイデイエの指摘 は正しい。しかしレチフが女の解放を是認したことなどいったいあっただろう か。娼婦の存在を詩的空間に捉えようなどとしたことがいったいあっただろう か。こうした19世紀的な審美概念を以て,謂わば無いものねだりでレチフのテ クストを論断するのはいささか的外れというほかはない。 事実はB・ディディエの判断とはまったく逆なのである。レチフのテクスト は紛れもなくオス至上主義に立ち,娼婦をモノとして,‘性欲処理マシーン.繁 殖マシーンとして,謂わば‘性の公務員として措定しているのである。そこには 「解放」という現代的概念などが口を挟む場所はどこにもない。このオス至上主 義が18世紀の生物学における卵子説と極微動物(精子)説の対立といった論争 の反映と無関係とは言えないが,なによりもこれはレチフの「生殖的宇宙観」 の当然の反映なのである。いや事態は逆だろう。後年『ムッシュー.ニコラの 自然学』のごとき宇宙論に結実していく自然観,人間観,社会観がすでにこう した早い時期からレチフの内面に旺胎し,彼の中で同時に肥大していくユート ピア的ヴィジョンがそれを導いていったのだ,と言うべきだろう。この点につ いては拙論『宇宙は無限に蘇る』'8)レチフの「自然学」に詳論したので,そちら に譲ろう。 いずれにしろ,レチフは『ポルノグラーフ』の内容について確信的に真剣だっ た。そしてこの改革者としてのレチフの真剣さと正確に比例して,それを受け
監禁と管理のユートピア 79 取った同時代および後世の批判・非難もある正しさを示している。問題は,そ うした真剣さや正しさとは関りなく,レチフは自らの夢を紡ぎ,文学は常に自 らをテキストとして自立させてしまうということである。 (1997年7月31日) 注 1)LePb伽Qgmカルe(1769)『売春を論ずる者』,LaM"Qg岬舵(1770)『芝居を論ずる 女』,LesGy"qg7zZpノzes(1777)『女を論ずる者たち』,朋"dmgml舵(1782)『人間を 論ずる者』,Le筋es柳Qgmp舵(1789)『法を論ずる者』. 2)(LePetitRobert) Pornographe:、.m、1769;dugr:porne<<prostitu6e”et-graphe・ Pornographie:n.fl842 3)⑰γ沌吻"血"“L蹴加舵,,〃"0s”〃伽gaC伽9"”αγG減沈沈,D伽伽RZZy"αノ,Mbjs賊 雄、GamierFrもres,1877.KrausReprint,Nendeln/Lichtenstein,1968.Tome9,pp、 20-21.拙稿「グリム,メステール『文芸通信』とレチフ・ド・ラ・ブルトンヌ,文 科報告第23号,鹿児島大学教養部,昭和63年9月,pp、5W8参照 4)この記事はグリムかメステール(マイスター)の手に成るもののようだ。なぜなら デイドロは,公表はしなかったが,これとは別に一文を『ポルノグラーフ』につい て書き残しているからである。DenisDiderot,"LePbγソ、Qgγz功he庇彫〃庇ノαB"わ""e” in⑱"zノ〃s⑰”伽s,tomeXⅥ11,1984,Hermann,pp、321-324,この短い書評は冒頭 こそいかにも厳しい非難の口調で始まってはいるが,文意は全体に暖昧であり,『文 芸通信』の記事のごとく単純に庇める調子のものではない。ディドロにある種の当 惑と隠された共感が見られる。LCPり畑Qg伽〃g伽α"地c伽仙gdeノα〃α"zz"0〃伽α ノ‘gS賊0〃parHediaKhadha喝inActesducolloqueR6tifEtudesRdiviennes,No.4-5, 1986,Auxerre,p,78.も参照せよ. 5)E妙#""肋-""〃'yα鮒"伽勿伽s伽オ伽,D,ACoward,inStudiesonVoltaire,volume l89(1980),p、379. 6)乃脇.,p、363. 7)乃遡.,p,370. BeatriceDidieEPr6facedu"Pb〃Qgソ”舵",RegineDefbrges,1977,p、11. 8)L-S,Mercie喝乃6ノeα”dgRz油,tomelll,pp,114-115.Reimpressiondel'6dition d1Amsterdam,1782-1788,SlatkineReprints,Genもve,1979. 9)7肋P〃0s”妙q/Res〃deJaB形勿""9,,.ACoward,'IheVbltaireFoundation,Unive隆
80 小 澤 晃
sity of Oxford, 1991, chap. 9. pp. 244-259.
10) Le Pornographe devant la critique: de la narration a la legislation par Hedia Khadhar, in Actes du colloque Retif, Etudes Retiviennes, No. 4-5,1986, Auxerre, pp. 73-80. 11) Propos de Pierre Testud, dans le debat pour Le Pornographe devant la critique: de la
narration a la legislation par Hedia Khadhar, in Actes du colloque Retif, Etudes Retiviennes, No. 4-5,1986, Auxerre, pp. 73-80.
12) De la Reforme a la Reformation, Retif et les "Idees Singulieres", David Coward, Etudes Retiviennes, No. 9,1988.
13) Ibid 14) Ibid.
15)『 ポ ル ノ グ ラ ー フ 』 の テ ク ス トは 次 の 版 に 処 る 。Le Pornographe, (Euvres Completes, tome 186.
16)Ilap6evtovは レ チ フ の 造 語 で あ る 。 ギ リ シ ャ 語 の παpθεvo⊆ は 「処 女 」 の 意,そ の 形 容 詞 形 はnapgEVioSで あ る 。 『文 芸 通 信 』 が 「処 女 を 集 め て … 」 と 難 じ て い る の は, こ の 名 称 に よ る 誤 解 で あ る 。 しか し,レ チ フ 自 身 も 認 め て い る よ う に,こ れ は 事 実 に そ ぐ わ な い 名 称!で あ る 。
17)Beatrice Didier, op. cit.
18)拙 稿 『宇 宙 は 無 限 に 蘇 る 』 レチ フ の 「自 然 学 」,小 澤 晃,鹿 児 島 大 学 教 養 部 文 科 報 告 第28号,pp,101-119,1993年9月,参 照 。