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日本ハリストス正教会の〈死者の記憶〉

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Academic year: 2021

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全文

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著者

佐? 愛

雑誌名

論集

46

ページ

66(147)-45(168)

発行年

2019-12-31

URL

http://hdl.handle.net/10097/00131081

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日本ハリストス正教会の〈死者の記憶〉

佐 﨑   愛

1.はじめに  本稿の目的は,日本ハリストス正教会(以下,日本正教会)が持つ重要概念 である〈記憶〉,中でも特に死者の為に祈られる〈死者の記憶〉を分析・検討し, M.アルヴァックスの集合的記憶にまつわる議論を踏まえた上で,この〈記憶〉 が持つ機能を明らかにすることにある。キリスト教において神に憶えてもらう よう祈る行為は,教派は違えどキリスト教諸派でよく見られる重要な行為であ る。本稿で扱う正教会でも例外ではなく,神学概念とは言い切れないまでも, 祈りの中でさかんに記憶という語は用いられており,重要な概念と考えられて いる。しかし、記憶という語の持つ意味は非常に広く多岐にわたるため,正教 会の祈りの中で用いられる〈記憶〉が示す範囲は曖昧である。この正教会の文 脈における〈記憶〉の持つ意味を探るうち,筆者は正教会の〈記憶〉が名前を 覚えているような親しい個性的な死者から,名前を知らない先祖のような非個 性的な死者への移行をとりもつ働きをしていると考えられることに気がついた。 本稿では,日本の正教会の文脈におけるこの移行を明らかにし,考察すること で,従来の記憶にまつわる議論の中に位置づけることを目指す。具体的には, まず正教会における神による〈記憶〉が持つ意義を確認する。次に日本の正教 会の文脈において,個性を持つ死者1がどのようにして非個性的な死者2,す なわち名前を忘れられた先祖となるかを〈記憶〉を手がかりに事例から検討す る。その後,これらの考察からM.アルヴァックスの記憶にまつわる議論の中で, 1 例えば「私の祖父の○○」のような,名前のわかる死者,すぐに名前を思い出せ る死者。V.ジャンケレヴィッチの死の類型化の議論を援用するなら,「二人称の死 者」,親しい他者の死を指す。本稿では個性の有無が重要な焦点であるため,個性 的↔非個性的という語であえて表記したい。 2 名前がわからない「イエの先祖」という言葉でまとめられるような死者,「脱個性 化した死者」。V.ジャンケレヴィッチの議論を踏まえ,「二人称の死者」と一般的 他者の死を示す「三人称の死者」との間をとって,鈴木岩弓はこの〈対面経験〉の ない“知らない人”である先祖を「二・五人称の死者」「脱個性化した死者」と表 現した[鈴木 2018:145-181]。

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この〈記憶〉がどのように位置づけられるかを検討することで,記憶の持つ機 能を明確化したい。  人文科学の分野から記憶について考察するには,まず集団が持つ記憶の性質 を社会学的観点から体系的にまとめたM.アルヴァックスの理論を出発点とし て確認する必要がある。アルヴァックスは,集合的記憶を社会が形成する集団 において共有される記憶として,個人の中でこれまで経験してきた様々な集合 的記憶が合わさり想起される個人的記憶と分けて説明している。集合的記憶の 特徴は,集団の凝集と統合を可能にする点と,現在において過去の永続性や恒 常性を保証する点にあり,共同体にとって未体験の過去の表象をもたらすこと で現在の課題に向き合えるようにする機能を持つとされる点である。またアル ヴァックスは宗教集団における記憶を集合的記憶の観点から考察し,宗教集団 の記憶の特徴を,宗教的行為の反復によってその宗教の固定性,永遠性を模倣 かつ象徴化する点にあると論じている。これらの議論は社会学のみならず広く 記憶に関する人文学的研究における基礎をなしている[M.アルヴァックス  1989, 2018:252-253]。このアルヴァックスの議論を踏まえた上で,『宗教事 象事典』の中の「記憶と伝達」の項でM.ボンサンは,宗教における記憶につ いて以下のように言及している。「宗教は,長期持続の技法,すなわち不変と 考えられる記憶を確定するわざにおいて,主導的な地位を占めている。それは, 同じく永続的とみなされる神話や絶対的な教義と結びついているために,不変 とみなされる記憶である」[M.ボンサン(山田智正訳)2019:71-83]。本項 で扱おうとする神による〈記憶〉の概念は正しくボンサンの議論で言うところ の教義と結びついた記憶の意味合いを指す。しかし,ボンサンは宗教集団にお ける教義に結びつくような記憶についてはこの程度の言及に留めており,この 記憶が,信仰者にとってどのような機能を持って受け入れられているのかにつ いては検討していない。そのため,本稿では正教会の文脈における〈記憶〉を, アルヴァックスの集合的記憶を踏まえた上で,ボンサンの言及するような教義 概念と結びつくような記憶として扱い,その特徴を明らかにすることを目指す。 また,神による〈記憶〉が生まれた地を離れ異なる土地(日本)にもたらされ た時,どのように受容されるかについても同時に考察することで,実践の中で 具体的に〈記憶〉がどのように扱われているのかという視点からも考察を行う。 すなわち,日本の死者供養の文化的背景を踏まえて,正教会における名前を憶

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えられている個性的な死者が,名前を覚えていない遠い「先祖」となるプロセ スを具体的に検討する。これにより神による〈記憶〉が実践の場でどのような 機能を持つか考察し,また宗教が生まれた場所とは異なる土地で根付いた際, 死者の祈りとどのように結びついていくか,その正教会における一事例を示し たい。  以上を踏まえて,本研究では,日本のハリストス正教会の重要概念である神 による〈記憶〉,とりわけ〈死者の記憶〉が持つ特徴を明らかにし,また具体 的な事例を検討することで,その機能を明らかにすることを目指す。具体事例 として扱うのは,現在も行われている死者のための供養実践3である月例パニ ヒダと,納骨堂の永代供養である。これらの〈記憶〉の特徴を検討し,〈記憶〉 が正教会の中でいかなる機能を果たしているのかについて分析を試みることで, 実態の把握に努めたい。以上より,本稿の目的は,日本ハリストス正教会の重 要概念である神による〈記憶〉を分析することで,供養をめぐる実践の中で〈記 憶〉がどのような機能を果たしているのかを考察し,その上で記憶に関する議 論の中に位置づけることにある。  まずは,背景として日本の正教会の歴史的展開を概観する必要があるので, ここで簡単に紹介したい。正教会 Orthodox Church の orthodox は,ギリシア 語のオルソ(正しい)ὀρθό とドクサ(教え)δοξος という語に由来している。 また日本全国に教会は55か所,布教所は11か所存在しており,うちわけは東京 大主教教区に20か所,東日本主教教区に30か所,そして西日本主教教区には15 か所である(2019年12月現時点)。なお,『宗教年鑑』(令和元年版)によると 現在の信徒総数は9,485人である[文化庁 2019]。  日本ハリストス正教会の歴史は,1861年にロシアから日本にニコライ・カサー トキン(修道誓願前の名は,Иван Дмитриевич Касаткин)が函館領事館付 司祭としてやってきたことに端を発する。ニコライはロシアを発つ際にはすで に宣教師として日本での正教会の布教を考えていたが,当時(文久元年(万延 3 正教会のパンフレットでは,〈記憶〉と共に「供養」という語がよく用いられてい るため,正教会の死者のための祈りについては一律で「供養」という言葉を用いる こととする。例えば,冊子「パニヒダ ПАНИХИДА」(式文)の「パニヒダ(永眠 者の供養の祈り)」では,「【司祭】主よ,なんじの眠りし僕(婢)(某)の幸いなる 眠りに永遠の安息を与え,彼(ら)に永遠の記憶をなしたまえ。【聖歌】永遠の記憶。 永遠の記憶。永遠の記憶。」という文面がある。

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2年))はキリスト教が禁じられていたため公に布教を行うことができなかった。 しかし1864年に,当時函館にいた,明治維新で志を遂げられず新しい時代に生 きがいとなるものを求めていた旧幕府軍の士族3名を,禁教下のもと受洗して いる。その後,明治2(1869)年に一度ニコライは帰国し,母国ロシアから宣 教の援助金を得て明治4(1870)年に再来日し,その後明治5(1871)年に伝 道を本格化するため上京して,宣教活動に励んだ4。明治6(1873)年になる と,キリスト教を禁止する高札が廃止されたため,大々的に宣教を開始した。 その後,ニコライの死による主教の交代や日露戦争期における信徒の激減,お よび内部での混乱を経て,現在は毎年およそ一万人に満たない程度の信徒数で はあるものの,激しい信徒数の増減なく,連綿と信仰が続いている。  以上の先行研究および日本正教会の歴史的背景を踏まえて,主に仙台ハリス トス正教会および大阪ハリストス正教会でフィールドワークを行い,また司祭・ 信徒へのインタビューを行った。また,各教会で頒布物されている様々なパン フレットの分析を随時行うことで,司祭と信徒の考え方やニーズを分析し,日 本正教会の死者供養の場における神による〈記憶〉の機能について考察を試み る。  加えて,研究における倫理的配慮として,本研究ではフィールドワークを採 用するため,調査対象へのインタビューの際は事前にその内容を学術論文にお いて使用することの許可を得ている。また,名前などの個人情報がわからない ようアルファベットを用いて代用し,調査の際に得た名前や住所,連絡先など の個人情報は厳重に取り扱うなど,インフォーマントへの倫理的配慮を行って いる。  最後に,記憶に関連する語の表記についてだが,〈〉を使った〈記憶〉(もし くは〈生者の記憶〉〈死者の記憶〉)の形で表した場合は正教会の文脈における 記憶(詳細は2章)を,それ以外は辞書的意味合いである記憶5を指すことと する。 4 当時,ニコライは「伝道歌教師一」という伝道会社を設立し,高札が撤廃される までは会社を経営するという形で伝道を行っている[東京復活大聖堂修復成聖記念 誌刊行委員会 1998:53]。 5 記憶:『社会学辞典』では,「一定の経験内容が,それを生じた事態の消滅後も生 活体によって保持される現象,またはその過程。通例この過程を,記銘,把持,再 生または再任の三位相に分ける。」と説明している[池内 1958:126]。

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2.神による〈記憶〉  本章では,ハリストス正教会の神による〈記憶〉の概念,および神における 〈死者の記憶〉の意義について確認したい。 2-1.〈記憶〉の起源とその意義  ハリストス正教会において〈記憶〉,中でも〈死者の記憶〉の概念は重要で ある。その理由として,日本の正教会において日曜礼拝の際に親しまれている 金口イオアンの聖体礼儀6や聖大ワシリイの聖体礼儀7,また親しみは多少薄 いかもしれないが異端者帰省式8など,いずれにおいても〈死者の記憶〉に関 しての祈祷文があるためである。  この〈記憶〉を考えるにあたり,まず〈記憶〉の語源から確認したい。その 由来は,『記憶録』に以下の通り示されている。下記に,該当する箇所を引用 したため確認したい。     記憶の起源は,旧訳時代です。ユダヤの勇将イウダ・マッカウェイが, イドメヤの大将ゴルギイと戦争した後,ユダヤ軍が戦死者の埋葬式をしよ うと,戦友の遺体を集めたところ,死者の軍服から敵軍の偶像の飾りのあ る品物を発見しました。ユダヤの律法では,そのような物品の略奪が禁止 されていたので,勇将と一同は,戦友の犯した罪の赦しと,魂の救いの祈 祷を捧げ,戦死者の献祭のため,イエリサリムの聖殿で金貨四百枚を献じ たことからです(マッカウェイ第二書12章)。 6 金口イオアンの聖体礼儀:3世紀のキリスト教の聖人で,アンティオケで非常に わかりやすい説教をしたため黄金の口を持つと呼ばれたイオアンによって編纂され たとされる聖体礼儀。通常日曜礼拝の際に用いられるため,信徒にとって最も親し まれていると言える。[ニカ尾島 2014:8-9] 7 聖大ワシリイの聖体礼儀:4世紀のキリスト教の聖人,ケサリヤの大主教聖大ワ シリイ(カッパドキア三教父の一人)によって編纂されたとされる聖体礼儀。特定 の祭(ex:主の割礼祭,主の降誕祭など)の際,具体的には年10回だけ執り行われ る[司祭ダヴィド水口2013:87,掛川1986:1087]。 8 異端者帰正式の式文中では,帰正を望むものに「信をいだきて眠りし者のために 神に献げられる信者の祈祷は,神の慈憐が眠りし者の福のために,これを納れるこ とを受け認む」を告白することが求められる。

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    新約では主イイススが,直接記憶のことを教えてられてはいませんが, 使徒たちは主のなされたことを覚えていて,この記憶が大切な主の御心で あるとして自分達が人々に模範を示して教えられました。 [日本ハリストス正教会教団1982:3-4,下線は筆者による]  上記の二つ目の下線より,〈記憶〉が正教会独自の概念であることがわかる。 ただし,カトリック教会やプロテスタント教会諸派において,「記念」として 似たような概念は存在している(2-3にて詳述)。しかし,それを重要な概 念として祈りの中でくり返し用いる点に,正教会の特徴があると言えるだろう。  また,上記の語源と同じくらい重要視されており,記憶に関して最も引用さ れている,ダニイル墓地聖堂成聖式の際の説教についても確認しておきたい。     なぜ聖書に死者の記憶のことが直接書かれないかについて,府主教フィ ラレトは「先見なる神の叡智は,死者のために祈祷すべしとの誠命を聖書 中に大声で宣言していない。それは人間がこの偉大な恩寵をあてにして怠 惰な生活をさせぬため,また生存中恐れと警醒とで救いを得させるためで ある。」(ダニイル墓地聖堂成聖式の説教)と述べています。 [日本ハリストス正教会教団1982:4,下線は筆者による]  上記の文言より,府主教フィラレトは,正教会の〈記憶〉,特に死者のため に〈記憶〉を祈る行為がいわゆる聖書中に描かれていない理由について述べて いる。重要な点は,〈死者の記憶〉が,「人間がこの偉大な恩寵をあてにして怠 惰な生活をさせぬため」に行われているという一節である。この発言からもわ かる通り正教会では,神は全知全能であるが,しかし人はその神に繰り返し祈 ることが重要だと考えられている。この逆説的な考え方は正教会において重要 なポイントであり,G司祭にお話を伺った際にも同様の考え方が見られたため, 下記で紹介したい。「正教徒ではない先祖を正教徒が祈ることで神の〈記憶〉 に与ることはできるか」という筆者の問いに対し,G司祭は,「結果は神様に しかわからないけれども,神に何度も繰り返し希うことで,もしかしたら叶う かもしれない,そう思って繰り返し祈ることが重要です」と話しており9,こ 9 2018.09.11.G司祭へのインタビュー調査より。

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のことから,上記の府主教フィラレトの言う〈死者の記憶〉の観念が浸透して いることがわかる。また,これらの祈りを捧げるため,どのハリストス正教会 の聖堂にも,入り口のところに記憶用紙10が置かれている。用紙は二種類あり, 紙の上部にはそれぞれ,「生者の記憶」「死者の記憶」と書かれている。信徒ら は聖堂で祈る際には,まずこの記憶用紙に家族や友人,そして故人の聖名11 記入し,神父に渡す。それにより,司祭はこれらの名を聖体礼儀の前に読み上 げ,祈る。  つぎに,〈記憶〉の持つ意味を確認したい。教会内でも販売され,信徒の教 科書となっているトマス・ホプコ(イオアン小野貞治訳)『奉神礼』には,〈記 憶〉を下記のように説明している。     「神による神の記憶」を指し,神に覚えていただくこと(〈記憶〉)は光 栄と生命を意味する。ハリストスを記憶することによって,人は神と神の 国を記憶する。 [『奉神礼』2016:110,()内は筆者による補足]  ここまでの内容をまとめると,〈記憶〉の概念はマカバイ記にあるイウダ・マッ カウェイの戦友のための祈りに由来し,その後,府主教フィラレトが語る言説 によってよりそのあり方が固められた。またその内容は,人が祈ることによっ て,神によりその者が文字通り記憶されるよう(くりかえし)願うことに意味 があるとされる。  では,神による神の〈記憶〉を,生者が祈る行為そのものにはどのような意 味があるのであろうか。またその効能はどのようなものであろうか。『誰でも 知っておきたい正教会の奉事と諸習慣』(1966)によると,それは以下の約4 点にまとめることができる。〈記憶〉を祈ることはすなわち,①最も信徒の人格・ 徳を高める行為,②他者に代わって自分が祈ることで(他者の)神恩・幸福・ 健康を賜るよう祈る行為,③生前の罪の赦しを願い死者が諸聖人のいる神の福 楽の世界に入るよう祈る行為,④同時に自分が故人の信仰を受け継ぎ将来神の 国に入ることができるよう祈る行為,の4点である。 10 記憶を願うために書く紙。便宜上,本論ではこの名称を用いることとする。 11 聖名:せいな。洗礼名,クリスチャンネームを指す。

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 以上より,正教会における〈記憶〉がいかなる性質を持つ概念であり,生者 が〈記憶〉を祈ることがどのようなことかを示した。そして,この〈記憶〉は 大きく二種類に大別できるため,それぞれ次の2-2で確認したい。 2-2.〈生者の記憶〉と〈死者の記憶〉  2-1では,正教会の神による〈記憶〉の概念の由来と意味,そしてその祈 りの内容を確認した。本項では,〈記憶〉の分類について考察したい。  正教会の〈記憶〉は,〈生者の記憶〉と〈死者の記憶〉の2種類に大きく分 類することができる。信徒が一人一冊持つことを目指して教会が作成した『記 憶録』(1982)には,それぞれの〈記憶〉について,下記のように記述されて いる。〈生者の記憶〉は,「父母・兄弟・姉妹・親戚・代父母,及び管轄司祭, 友人,そのほか病者,貧困者,旅行者等のために,自分が代わって祈り,神恩 と幸福・壮健を祈る」とされる。また,〈死者の記憶〉は,「生前その人が犯し た罪の赦しを願い,永眠者が神に喜ばれる者となって,永遠の神の福楽の世界 に入れるように祈る」とされている。  次に,これらの〈記憶〉がどのように祈られるかを示す。以下は主に『記憶 録』(1982)と司祭ダヴィド水口優明編『正教会の手引』(2013),司祭中西裕 一「東方正教の奉献礼儀の意味について」(2014)の論文を参考にしている。  さて,二つの〈記憶〉が実際に祈られるのは,聖体礼儀(日曜礼拝)を執行 する際,最初に行われる奉献礼儀(プロスコミデヤ)12時であり,この時二つ の〈記憶〉は祈られる。またこの際,右(写真1)にあるように五つの聖パン (供餅)が使用される。基本的には,以下の五つの〈記憶〉を祈りながら,聖 戈で聖パンの側面をくり抜く。第一の聖パンは主イイスス・ハリストスのため, 第二は生神女マリヤのため,第三は九品(九組)の天使,また旧新約の諸聖人 (使徒,預言者,致命者,奇蹟者,諸聖師父)の〈記憶〉のために祈られる。 ここまでの記憶は,まず主のため,そしてマリヤや諸聖人には〈記憶〉するよ う願っている人々を助け,神への取り成しをする仲介者となってくれるよう祈 られる。第四は生者である諸主教,司祭,補祭,教役者とその国の元首(「天 皇および国を司る人々」と表記される),そしてその教会に属するすべての信 12 奉献礼儀:御聖体となるパンとぶどう酒の準備をするための祈祷。[司祭ダヴィド 水口2013:218]

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徒およびその家族,知人の〈記憶〉のために 祈られる。そして第五に,死者のために祈ら れる。これらの奉献礼儀が終わると次に聖体 礼儀に移るのだが,これらの奉献礼儀でくり 抜かれた聖パンは聖体礼儀中も聖盂(ディス コス)と呼ばれる皿に写真1の下の図のよう に,教会を象って並べられて祈りの場に置か れる。これは主の恩寵を全ての人々が賜われ ることを示す。また,この皿上の聖パンは, 聖体礼儀のクライマックスに聖爵(ポティー ル)と呼ばれる杯にぶどう酒とともに入れら れ,聖変化を果たし,信者らはそのご聖体に 与るのである。  これらの祈りで特に重要だと考えられる のは,「自分が代わって」繰り返し祈るとい う点にある。この他者のために祈ること,す なわち死者救済的要素が日本の供養文化と 非常に親和性が高いため,〈記憶〉はそのま まの概念で取り入れられ,また日本の文化と の交錯を可能にしたと考えられる。 2-3.他のキリスト教諸教派の場合  正教会の〈記憶〉を用いた具体事例を見る前に,他のキリスト教諸教派にお ける神による記憶をここで簡単に概観したい。つまり,この神による死者のた めの〈記憶〉の祈りは正教会独自のものなのだろうか。それともキリスト教諸 教派13では一般的であるのか,またそうならば他宗派ではどのように考えられ ているのか。本項では,特に祖先祭祀に対して明確な回答をうち出しているカ トリックの場合,そして冊子から確認をとることができたプロテスタントのう ち改革派の場合を簡単に確認するに留め,正教会における〈記憶〉の特徴をよ 13 文化庁『宗教年鑑』では「教派」と表記されているため,本稿では以下教派とする。 写 真1 ディスコス上の「教会」の象り [パンフレット「聖パン記憶をし ましょう」より]

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り具体化することに努めたい14  まず『カトリック教会の諸宗教対話の手引き』(2009)を見ると,「死者の記 念」という言葉が各所で用いられている。ただし,『カトリックの祈り』(1995) の「死者のための祈(文語)」にて祈祷文を確認したが,祈祷文中には「記念」 という言葉は用いられず,また当然「記憶」という言葉も用いられない。祈祷 文には「みなかりし者の霊魂のために祈り奉る。願わくは,そのすべての罪を 赦し,終わりなき命の港にいたらしめ給え」「主よ,永遠の安息をかれらにあ たえ,絶えざる光をかれらの上に照らし給え」などの文言が用いられ,文字通 り神に死者が安息であることを願う旨の祈祷が記載されているのみである[サ ン パウロ編1995:227-280]。つまり,死者のために祈る行為そのものを記 念と称しているが,カトリックの祈祷の文面には直接記憶を示すような言葉は 出てこない。またこの死者の記念について,『カトリック教会のカテキズム』 (2002)では,以下のような記述があり,正教会の〈記憶〉とその由来を同じ くしていることが確認できる。    1032 この教えはまた,すでに聖書が述べている死者のための祈りの慣行 にも基づいています。「そういうわけで,〔ユダ・マカバイ〕は死者が罪か ら解かれるよう彼らのためにあがないのいけにえをささげたのである」(二 マカバイ12/45)とあります。教会は当初から死者の記念を重んじ,死者 のために祈り,とくにエウカリスチアのいけにえをささげていました。そ れは死者が清められて,神の至福直観に至ることができるためです。教会 はまた,死者のために施し,免償,償いのわざを勧めています。 [日本カトリック司教協議会教理委員会訳・監修2002:310]  つぎに,プロテスタント改革派から出版された『死と葬儀』(1979)では, 死後の追悼儀礼として「記念会」が行われるとされ,そこでは「故人を記念し, 親族が集まって故人を追憶し,詩篇,賛美歌,祈祷」がなされる。ただし,こ 14 プロテスタント諸教派や聖公会などとも比較すべきであるが,それは本稿の目的と は焦点がずれるため別の機会に譲り,ここでは統一した見解を持つために比較的検 討の行いやすいカトリック,および冊子から確認することのできた改革派(プロテ スタント)のみを扱い,これを鏡とする形で正教会の〈記憶〉についてより考察を 深めたい。

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の「記念会は故人のための供養という性格はな」く,「記念会を行って遺族を 励まし,お互いに自らも死ぬべき存在であることを自覚し,主の恵みに感謝す るため」に行われるとされ,日本の死者供養のような祖先祭祀に繋がる表現で はないことに厳しく言及している[山本1979:95]。  以上のことから,正教会における〈記憶〉の祈りは,特に神による神の〈記 憶〉を願い,文言が実際の祈祷文中に多く用いられているという点が大きな特 徴であることがわかる。  では,実際どのように日本の死者供養文化と正教会は交錯してきたのだろう か。その際,〈記憶〉はどのような役割を果たしてきたのだろうか。次の3章 では,日本で今も行われる正教会の実践を事例として再度〈記憶〉について考 察したい。 3.日本ハリストス正教会の死者供養  さて,本章では現在日本ハリストス正教会で実践されている死者供養につい て具体的に検討したい。つまり正教会の〈死者の記憶〉が日本の供養文化とい かに交錯し,その後どのような経緯を経て個性的な死者および,非個性的な死 者(先祖)として祈られているかについて考察を試みる。さらに,キリスト教 (正教会)的文脈において,どのようにして故人の個性が徐々に非個性的な記 憶へと移行するかを,〈記憶〉をキーワードとして明らかにすることを目指す。  なお,日本正教会の死者供養と〈死者の記憶〉の交錯に関して,パニヒダや 月例パニヒダを事例とした議論についてはすでに拙稿15にてまとめたが,本稿 は〈記憶〉そのものに焦点を当てた上で具体事例の検討を行うため,やや重複 する点もあるが,ご容赦いただきたい。 3-1.死者のための儀礼  本項では,〈死者の記憶〉の特徴を明らかにするために,現代の日本正教会 において〈死者の記憶〉がどのように祈られているかを検討し,その中から〈死 15 佐﨑愛2017:81-108「『月例パニヒダ』から見る日本ハリストス正教会の受容と現状」。 月例パニヒダを主な事例として,日本の供養文化である年忌と,正教会における永 眠者のための祈りの両者の儀礼を,年中行事と通過儀礼に分け比較することでその 類似について述べた。

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者の記憶〉の特徴を見出すことを目的とする。具体的には,日本の正教会にお いて,個人が永眠してからどのような供養のための儀礼が行われるのかについ て考えたい。次の3-2では,日本においてのみ行われる月例パニヒダを分析 し,〈記憶〉がどのように機能することで新たな儀礼が生まれ,またその儀礼 が司祭と信徒によってどのように理解されているのかを確認する。最後に,3 -3では,日本の一部の地域で近年竣工された納骨堂を事例として,そこで行 われる死者供養のあり方を確認し,3-4で現代の日本正教会で死者供養がど のように行われ,〈死者の記憶〉がどのように機能しているかを検討する。  日本において正教徒は永眠16すると,その後2-3日の間にパニヒダ儀礼が 行われる。パニヒダとは,「パン(すべて)」「ニクス(夜)」「オーデー(歌う)」 という言葉を合わせた語で,「永眠者のために夜を徹して歌う」という意味で あり,「永眠者の為の祈り」とも言われる。『正教の手引き』には,「今では「パ ニヒダ」を徹夜で行うことはないが,いわゆる「通夜」の時(埋葬式前),親 族や友人たちが永眠者の為に聖詠(詩編)のすべてを徹夜して読む習慣もある」 と説明されている17[日本ハリストス正教会教団 2013:176]。また,冊子『誰 でも知っておきたい正教会の奉事と諸習慣』では,「パニヒダとは永眠者記憶(死 者追善供養)の為の祈祷のことで,「終夜」或いは「死者の祈り」の意味で, 初代教会では正教徒が永眠すると,終夜墓の上で祈祷した事に由来しています」 と説明されている[司祭プロクル牛丸康夫 1966:53]。たいていは夕方に行 われ,翌日の朝に埋葬式が教会で行われる。このパニヒダから埋葬式までの間, お棺に入れられた死者は,教会の中央に起き上がった際に東を向くような形で 安置される。埋葬式18が終わると十字行が行われ,お棺は火葬場に送られ,そ して埋葬される。その後,それぞれ永眠日19から数えて3日祭,9日祭,40日祭, 1年祭が行われる。ただし,現代では仕事の関係などから3日祭を,埋葬後す 16 正教会では,死のことを永眠と言う。これは「永久に眠ったままでいるとか,死者 のたましいが眠っている,という意味ではなく,『復活』の意味を込めた象徴的な 表現」であり,「眠る者は必ずやがて起き上が」ると考えられているためである[司 祭ダヴィド水口2013:175]。 17 また,『記憶録』には,パニヒダを「永遠の生命を得られることを祈るもの」とも 説明している[東京正教本會編1910]。 18 埋葬式の祈祷内容は,信徒,司祭,主教,嬰児によってそれぞれ異なる[司祭ダヴィ ド水口2013:176]。 19 永眠した日。故人が亡くなった日を指す。

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ぐに行うこともある。また,多くの場 合,埋葬式以後の死者のためのお祈り は,基本的に家族のみで行うか,教会 の聖体礼儀の後に家族,そして任意の 教会メンバーと共に行うことが多い。 1年祭の後は,基本的には年に一度20 墓地祈祷にて墓前でパニヒダが献じら れる。 3-2.月例パニヒダ  以上のパニヒダを踏まえて,月例パニヒダについて考察したい。月例パニヒ ダとは,毎月一度,聖体礼儀(日曜礼拝)の後,教会でその月に亡くなった人 の聖名を特別に読んで祈る「パニヒダ」儀礼を指す。この儀礼はその月の死者 の聖名を,儀礼中節をつけて「神の僕婢」という言葉の後に呼び,そしてこの 節が何度も呼ばれることを特徴としており,毎月各教会の決まった週の日曜の 聖体礼儀後に行われる。また祈祷後は糖飯21を参加者全員で食べる22。現在の 実施率は,2017年度のアンケート調査によると,リティアのみを含めて約半数 (50%)の教会で実施されている23  月例パニヒダは日本でのみ実施されている儀礼であり,その起こりは1960年 頃に東京のニコライ堂で始められ,1985年以降,各地に広まった。1959年の「正 教時報(831号)」を見ると,「武岡司祭により婦人会恒例の永眠者記憶のため のリテアを献じ……」とあり,この頃すでに婦人会メンバーが司祭にパニヒダ を献ずることを願い出ることが恒例化しており,これが元となって定例化した 20 多くの教会では復活祭後の光明週間,特にフォマの主日に墓地祈祷に行くことが多 いが,都合がつかず別の日に司祭に願い出て墓地祈祷を行うこともよくある。仙台 教会の場合,光明週間に教会メンバーで個々の墓地を巡り,各墓15分ほどの死者の ための祈りを捧げる。 21 糖飯:永眠の記憶のために穀物を炊いて甘く味付けしたもの。復活や天国を象る[司 祭ダヴィド水口2013:217]。 22 各教会によるが,仙台教会では婦人会が持ち回りで糖飯を作成し,教会に持ち寄る。 その月に永眠者を家族に持つ者が作って持ってくることも多い。 23 アンケート調査:2017年10~11月の期間に筆者実施。返答率76%,全66教会中50教 会のデータを回収。 図1 埋葬式後の死者儀礼

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ものが月例パニヒダであると考えられる。そのため,この儀礼は信徒の要望に より始められたと言うことができる。その後,月例パニヒダは神品24の会議に て正式に認可され,また当時ニコライ堂およびその隣にある神学校で学び,月 例パニヒダに親しんだ司祭らが各地に赴任することで,月例パニヒダは日本全 国へと広まった25  次に,月例パニヒダに関する司祭と信徒の意見を確認したい。A司祭に月例 パニヒダをいかなるものか問うと,以下のような回答を得た。「(月例パニヒダ は)月命日のようなもので,信者さんが教会に来る回数を増やすために行い始 めた。毎週の日曜の聖体礼儀すべてに参加するのは(信者が)疲れてしまうの で,特に来るべき日として認識してもらえれば。…(中略)…死者を神に記憶 してもらうことで,死者が天国に行けるようにする」26  また,信徒Fと信徒Jに同様の内容をインタビューすると,それぞれ以下の ような回答を得た。「亡くなった先祖の名前を読み上げてもらって,供養して もらう。月例パニヒダは月命日のようなもの」27。また,「すべての死者の命日 に祈禱していたら,(教会で)全ての日に祈禱しなくてはならなくなる。(だか ら)月にまとめて行う方が(都合が)よい」28  これら司祭と信徒の理解のあり方を踏まえて,いかにして新たな儀礼が生み 出されるか,そのプロセスについて,月例パニヒダを具体事例として考察する。 まず,もともとある永眠者の為の祈り であるパニヒダがあり,それを模範と しつつ,信徒の要望,そしてその地域 の文化を考慮して新たな実践である月 例パニヒダのひな型ができる。そして 最後にこの実践が司祭によって教義に 反しないかが確認され,また司祭に よって説明づけられることで,新たな 24 神品:「しんぴん」と読み,司祭職にある者を指す。 25  佐﨑愛2017:81-108 26 仙台正教会A司祭へ2017.02.01.インタビュー調査(下線,赤,()内は筆者による) 27 仙台正教会,女性信徒Fへのインタビューへ2017.04.20.調査 28 仙台正教会,男性信徒Jへのインタビューへ2017.10.08.調査(下線,赤,()内は 筆者による) 図2 新たな儀礼の創出プロセス

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儀礼として誕生している。つまり,月例パニヒダが可能になったのは,死者の 為に〈記憶〉を祈ることが,2-1で述べた4点,すなわち①最も信徒の人格・ 徳を高め,②他者に代わって自分が祈ることで(他者の)神恩・幸福・健康を 賜るよう祈り,③生前の罪の赦しを願い死者が諸聖人のいる神の福楽の世界に 入るよう祈り,④同時に自分が故人の信仰を受け継ぎ将来神の国に入ることが できるよう祈る,という4点を満たすと説明され,月例パニヒダは新たな儀礼 として認められたのである。  以上のことから,日本の正教会における新たな儀礼の創出のプロセスとその 際の〈記憶〉の役割を見てきた。次項では,〈記憶〉を考えるための異なる事 例として,日本正教会の納骨堂を考察したい。 3-3.納骨堂  本項では,近年の取り組みである納骨堂につい て触れたい。この事例は,現代の死者供養として 注目を集める「永代供養」が取り入れられており, 現代の〈記憶〉の特徴をより明確化できると考え られる。  日本の正教会において,納骨堂を持つ教会は非 常に少ないが,中でも今回は大坂ハリストス正教 会(以下,大阪正教会)に設置されている納骨堂 を事例として考察したい。大阪正教会では,2006 年度に教会の敷地内に竣工された納骨堂を,信徒 らが共同墓地として利用している(写真2)。現 在はおよそ30名強の死者を弔っており(写真3), それぞれのスペースには,聖名と生前の名,生没 年を記した名前のプレートが棚に取り付けられて いる。遺骨が納められている骨壺は,黒く中央に シンプルな十字架が記された箱にいれられて棚に 安置されており,多くの場合その箱の手前に遺影 が置かれている。信徒たちは,聖体礼儀後に自分 の先祖の御遺骨の前に来て永眠者の為の祈りを捧 写真2 大阪正教会の納骨堂外観 [2018.09.11筆者撮影] 写真3 大阪正教会の納骨堂内観 [2018.09.11.筆者撮影]

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げる。また司祭に頼み,数人で祈りを捧げる場合もある。参加人数が多い場合 は,都合の良い日に聖堂にてパニヒダを献じることもある。  この納骨堂の大きな特徴は,契約時に「永代供養」をお願いすることができ る点にある。正教会における「永代供養」がどのような意味か,パンフレット 「京都ハリストス正教会 納骨堂」で確認すると,下記のように記載されてい る。   永代供養は100年   長期の御遺骨保管で安心     長期保管なのに,永代供養献金は50万円~です。たとえ無縁に(縁故者 がいなく)なっても無縁者専用の安置棚があるのでご安心ください。永遠 の記憶をお約束いたします。(以下略) [パンフレット「京都ハリストス正教会 納骨堂」]  上記より,正教会の文脈における「永代供養」は,縁故者がいなくなっても 永遠の記憶を祈るものであることがわかる。ここで,そもそも日本における「永 代供養」の背景について,確認する必要がある。『日本葬送文化大事典』を見 ると,核家族化・少子化・高齢化社会を迎えた現代社会の背景とし,「自分た ちの墓をどうするか」「自分たちの死後,守り手のない先祖代々のお墓をどう するか」という深刻な問題が生まれている背景を踏まえ,「お墓の継承者がい ない場合でも,その継承者に代わって,寺院や霊園が永代にわたって供養・管 理」するという解決策として記されている[藤井・八木澤編2007:92]。これ を踏まえて正教会の永代供養について考えると,同じく日本の現代社会という 背景を踏まえ,他の仏教寺院が行う永代供養と(祈る内容はもちろん異なるが 利用目的として)ほぼ同じ必要性から29,正教会においても永代供養が取り入 れられていることが推測される。ただしこの際も,〈死者の記憶〉の持つ4つ の特徴を満たすが故に取り入れられている点が重要である。 29  場合によっては,他の仏教寺院の影響を受けて,ということも考えられる。日本の 正教会の一部の地域で用いられている「木製十字架」は,その地域の周囲が曹洞宗 寺院の影響が強い影響力を持っていること,またその説明の際にも「位牌の代わり」 に用いられるなど,非常に仏教を意識した背景を持つ。詳しくは拙稿2018:89-98。

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 また補足として,「納骨堂使用規定付則」(竣工と同時に制定)を見ると,「本 納骨堂の使用を希望していた教会の信者が永眠した後,その遺志を継承した親 族又は縁故者から納骨堂の使用の申し出があった場合,申し出た者が教会に属 する正教徒でなくても使用許可することができる」とある。このように比較的 クリスチャンが少ないという日本文化や埋葬状況の背景を踏まえ,理解を示す 規則が制定されている点も,日本の正教会の大きな特徴の一つであると言える。 3-4.正教会の文脈における個性的死者から非個性的死者へのプロセス  本項では,これまでの3章で扱った事例をまとめ,人が永眠した後にどのよ うにその個性が失われ,名前が思い出せない(もしくは忘れられた)「私たち の先祖」となるのかを,日本における正教会の文脈からその具体的なプロセス を確認し,その際神による〈記憶〉の概念がいかに機能しているのかを分析す る。また,新しい取り組みである「永代供養」が〈死者の記憶〉を考える上で どのように位置づけられるものであるのかについても検討したい。  まず,個性的死者,非個性的死者に関してもう少し言及したい。日本の宗教 民俗学の立場に立つ坪井洋文は日本の「年忌」について以下のように言及して いる。曰く,「人の死後に営まれる年忌は,死者がしだいに個性を脱して浄化し, 祖先霊へと昇華していく過程の段階を示すもの」と述べている[坪井1984: 497]。これは死者のための儀礼を通過儀礼から年中儀礼へと移行するものと捉 え,その過程を死者の祖霊化と捉える論である。これまでの3章中で触れてき た事例を顧みると,日本の正教会における死者供養もまた,3日祭・9日祭・ 40日祭…のような人の死後から数えて行われる通過儀礼から,月例パニヒダや 年に一度の墓地祈祷のように周期化された年中儀礼に移行される過程を経てい る。この類似は日本に正教会が受容された大きな要因の一つと考えられる。  ここで着目したいのは,名前(聖名)を呼ぶという行為である。日本の正教 会では,通過儀礼的な年祭から年中儀礼的な月例パニヒダや墓地祈祷へと移行 する中で,名前(聖名)の呼ばれる回数は徐々に減少し,この過程で個性的死 者から非個性的死者への移行が行われると考えられる。この際,神による〈記 憶〉概念が死者救済的な要素を含み持つため,死者のために祈ることを可能に している。またそれと同時に,全知全能の神に繰り返し祈ることが重要だと考 える正教会の要素が加わることで,死者のための祈りを非常に幅広い期間行う

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ことを可能にした。これにより,月例パニヒダや納骨堂での永代供養のような 儀礼が,日本の供養文化を取り入れつつ正教会の教義に反しない形で用いられ ていると考えられる。  したがってより具体的に示すなら,月例パニヒダは,名前(聖名)を何度も 呼ぶような通過儀礼と,年に一度名前を呼ぶような年中儀礼の狭間の儀礼であ る。さらに近年の核家族化・少子高齢 化を踏まえて登場した永代供養は,現 代のニーズに答えつつ,集合的な名前 の呼ばれない非個性的死者になって も祈り続けていくという,年中儀礼の 延長線上にあるシステムであり,名前 が全く呼ばれず「神の僕婢」にまとめ られる前の段階に行われる儀礼と捉え ることができるだろう。 4.おわりに  本稿では,月例パニヒダ,納骨堂を具体的事例として,日本における正教会 が日本の供養文化と交錯する際に,正教会の重要概念である神による〈記憶〉 はいかなる機能を果たしてきたのかについて見てきた。  正教会において重要な意味を持つ神による神の〈記憶〉概念は,〈生者の記憶〉 と〈死者の記憶〉に大きく分類することができ,〈記憶〉を祈ることは,①最 も信徒の人格・徳を高める行為,②他者に代わって自分が祈ることで(他者の) 神恩・幸福・健康を賜るよう祈る行為,③生前の罪の赦しを願い死者が諸聖人 のいる神の福楽の世界に入るよう祈る行為,④同時に自分が故人の信仰を受け 継ぎ将来神の国に入ることができるよう祈る行為を指す。このうち,特に②の ような死者救済的な要素を持つこと,そしてくり返し祈ることを重視するその 特徴から,死者のための儀礼の幅を広げ実施することで,正教会は日本に土着 化を果たしてきた。また,日本正教会で行われる死者のための供養儀礼を見る と,その形態が日本の年忌の構造と類似していることから,この点からも日本 の供養文化との親和性の高さが伺える。さらに,これら死者のための儀礼を検 討すると,祈りの中で名前(聖名)を繰り返し呼ぶ回数が減少していき,「神 図3 個性的死者から非個性的死者への移行図

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の僕婢」という言葉に統合されていくという過程があり,この過程で生者が名 前を憶えている個性のある死者が,徐々に集合的で非個性的な死者へと移行し ていることがわかる。この個性的死者から非個性的死者への移行過程の間に挟 まる形で,月例パニヒダや納骨堂の永代供養のような日本独自の儀礼が行なわ れている。このような新たな儀礼を可能にしているのは,神による〈記憶〉の 概念であり,この神による〈記憶〉が信徒によって祈られる時,名前(聖名) が繰り返し呼ばれることで,〈記憶〉が持つ死者救済的機能30が果たされている。  ここで,冒頭で触れた,これまでの記憶にまつわる議論の中に,〈記憶〉を 位置づけてみたい。これまでの記憶に関する議論は,社会学の立場からM.ア ルヴァックスの集合的記憶を元として議論が展開されてきたが,従来の研究で は歴史を紡ぐような集合的記憶に着目されることが多く,正教会における〈記 憶〉のような,教義と結びつく記憶への言及はどちらかというと神学的である ため,宗教学・社会学の立場からの考察は敬遠されてきた。しかし,本稿で扱っ た神による〈記憶〉は,この〈記憶〉を祈ることで,宗教の異文化への受容を より可能にし,その上で展開した。また繰り返し名を呼ぶことで死を受け容れ やすくするという側面も見出すことができた。しかし,現代の少子超高齢社会 ではこれからますます信徒が減少していくことが予想される。このような状況 の中で,記憶(あるいは〈記憶〉)の問題がいかに語られるか,今後も注目し ていきたい。 謝辞  日本の月例パニヒダについては,主に仙台ハリストス正教会の大主教座下, および司祭の皆様,信徒の皆様に様々な点で非常に多くのご協力をいただきま した。また,大阪ハリストス正教会の納骨堂についての情報や写真については, 大阪正教会の神父様,神父の奥様に多大なるご協力をいただいたきました。皆 様に深謝申し上げます。 30 ただし,実際に救済されるか否かは全て神のみぞ知るため,人はただそれを願って 繰り返し呼ぶことが求められ,それが救いに通じるとされる。

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参考文献一覧 池内一1958「記憶」,福武直,日高六郎,高橋徹編『社会学辞典』有斐閣,p.126 V.ジャンケレヴィッチ,中沢紀雄訳1978『死』みすず書房 掛川富康1986「バシレイオス(カッパドキアの)」『キリスト教人名辞典』日本 基督教団出版局,p.1087 京都ハリストス正教会「永眠者記憶の祈り」(パンフレット) 京都ハリストス正教会「聖パン記憶をしましょう」(パンフレット) 佐﨑愛2017「『月例パニヒダ』から見る日本ハリストス正教会の受容と現状」『東 北宗教学』13号,東北大学大学院文学研究科宗教学研究室,pp.81-108 佐﨑愛2018「死者の弔いをめぐる司祭と信徒のまなざし―中新田ハリストス正 教会の『木製十字架』の事例を通して―」『東北民俗』第52号,東北民俗 の会,pp.89-98 サン パウロ編1995『カトリックの祈り』サン パウロ 司祭ダヴィド水口優明編2013『正教会の手引』日本ハリストス正教会教団 全 国宣教企画委員会,改訂版(初版は2004年出版) 司祭プロクル牛丸康夫 1966『誰でも知っておきたい正教会の奉事と諸習慣』 鈴木岩弓2018「二・五人称の死者」『〈死者/生者〉論─傾聴・鎮魂・翻訳─』 ぺりかん社,pp.145-181  坪井洋文1984『日本民俗文化体系 村と村人=共同体の生活と儀礼= 第八巻』 小学館 東京復活大聖堂修復成聖記念誌刊行委員会1998『東京復活大聖堂修復記念誌』 日本ハリストス正教会教団 トマス・ホプコ,イオアン小野貞治訳2009『奉神礼』西日本主教教区 トマス・ホプコ,ダヴィド水口優明訳2012『正教要理』西日本主教教区 中西裕一2014「東方正教の奉献礼儀の意味について」『エイコーン』(45) pp.46-61 ニカ尾島萌2014『聖人たちの信仰 親子で学ぶ正教会』(レインボーシリーズ その6)日本ハリストス正教会教団 全国宣教員会 東京日本正教会1914『大日本正教会 神品公会議録』私家版 日本カトリック司教協議会 教理委員会訳・監修2002『カトリック教会のカテ キズム』カトリック中央協議会

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日本カトリック司教協議会 諸宗教部門編2009『カトリック教会の諸宗教対話 の手引き 実践Q&A』カトリック中央協議会 日本ハリストス正教会教団 1982『記憶録』日本ハリストス正教会教団 日本ハリストス正教会教団 全国宣教企画委員会 2013『正教会の手引き』改 定版 藤井正雄・八木澤壯一編「永代供養」『日本葬送文化大事典』四季社 文化庁『宗教年鑑』(令和元年版)文化庁 (http://www.bunka.go.jp/tokei_hakusho_shuppan/hakusho_nenjihokokusho/ shukyo_nenkan/index.html 2020.01.18.最終閲覧)

ミシェル・ボンサン[Michele Baussant],山田智正訳「記憶と伝達 MEMOIRE ET TRANSMISSION」レジーヌ・アズリア/ダニエル・エルヴュー=レジェ 編,増田一夫・伊達聖伸ほか編訳『宗教事象事典』みすず書房 宮家準1989『宗教社会学』東京大学出版会 宮谷宣史1986「グレゴリウス1世」『キリスト教人名辞典』日本基督教団出版局, p.507 M.アルヴァックス,小関藤一郎訳1989『集合的記憶』行路社 モーリス・アルヴァックス,鈴木智之訳2018『記憶の社会的枠組み』青弓社 山本尚忠1979『教会生活の手引き6 死と葬儀』日本基督教団出版局

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<Remembrances of Dead> in the Orthodox Church in Japan

Ai SAZAKI

 In this study, I analyzed it what kind of function <Remembrances> by God which was an important concept of the Orthodox Church in Japan, as a case of the Monthly Panikhida and the Eternal memorial service of the charnel.

 I can classify the concept ‹Remembrances› in two of < Remembrances for the Living > and <Remembrances of Dead >. And, praying for <Remembrances> has four meanings. (1) The act of raising the personality and virtue of the believer the most, (2) The act of praying for God's grace, happiness, and health by praying on behalf of others, (3) The act of praying for the forgiveness of the sins of life and praying for the dead to enter the world of God's blessing where all the saints are, (4) At the same time, act of praying that you can inherit the religion of the deceased and enter the kingdom of God in the future. Of these, the Orthodox Church has been inculturation to Japan, especially because it has elements of salvation for the dead, such as (2).

 Considering the case, as the number of repetitions of the name (holy name) is reduced and integrated into the word "servant of God", individuals dead who remembered their names turned out to be gradually becoming non-personalized dead. During this transition from personal to non-personal death, there were unique Japanese rituals such as the monthly Panikhida and the Eternal memorial service of the charnel in Japan. What makes this possible is the concept of <Remembrances of Dead> by God. And when this God's <Remembrances of Dead> was prayed by the believers, the name (the holy name) was called repeatedly, so the function of rescue the dead of <Remembrances> is working. In this article, the God's Remembrances made it possible to be accepted into other cultures, and in this <Remembrances of Dead>, I could find that calling names repeatedly makes death more acceptable.

参照

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